わがあしかよわく けわしき山路
のぼりがたくとも ふもとにありて
たのしきしらべに たえずうたわば
ききていさみたつ ひとこそあらめ
のぼりがたくとも ふもとにありて
たのしきしらべに たえずうたわば
ききていさみたつ ひとこそあらめ
さんびか第百五十九
[#改ページ]
四月十六日。金曜日。
すごい風だ。東京の春は、からっ風が強くて不愉快だ。埃が部屋の中にまで襲来し、机の上はざらざら、頬ぺたも埃だらけ、いやな気持だ。これを書き終えたら、風呂へはいろう。背中にまで埃が忍び込んでいるような気持で、やり切れない。
僕は、きょうから日記をつける。このごろの自分の一日一日が、なんだか、とても重大なもののような気がして来たからである。人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格がつくられると、ルソオだか誰だか言っていたそうだが、或いは、そんなものかも知れない。僕も、すでに十六歳である。十六になったら、僕という人間は、カタリという音をたてて変ってしまった。他の人には、気が附くまい。謂わば、形而上の変化なのだから。じっさい、十六になったら、山も、海も、花も、街の人も、青空も、まるっきり違って見えて来たのだ。悪の存在も、ちょっとわかった。この世には、困難な問題が、実に、おびただしく在るのだという事も、ぼんやり予感出来るようになったのだ。だから僕は、このごろ毎日、不機嫌なんだ。ひどく怒りっぽくなった。智慧の実を食べると、人間は、笑いを失うものらしい。以前は、お茶目で、わざと間抜けた失敗なんかして見せて家中の人たちを笑わせて得意だったのだが、このごろ、そんな、とぼけたお道化が、ひどく馬鹿らしくなって来た。お道化なんてのは、卑屈な男子のする事だ。お道化を演じて、人に可愛がられる、あの淋しさ、たまらない。空虚だ。人間は、もっと真面目に生きなければならぬものである。男子は、人に可愛がられようと思ったりしては、いけない。男子は、人に「尊敬」されるように、努力すべきものである。このごろ、僕の表情は、異様に深刻らしい。深刻すぎて、とうとう昨夜、兄さんから忠告を受けた。
「進は、ばかに重厚になったじゃないか。急に老けたね。」と晩ごはんのあとで、兄さんが笑いながら言った。僕は、深く考えてから、答えた。
「むずかしい人生問題が、たくさんあるんだ。僕は、これから戦って行くんです。たとえば、学校の試験制度などに就いて、――」
と言いかけたら、兄さんは噴き出した。
「わかったよ。でも、そんなに毎日、怖い顔をして力んでいなくてもいいじゃないか。このごろ少し痩せたようだぜ。あとで、マタイの六章を読んであげよう。」
いい兄さんなのだ。帝大の英文科に、四年前にはいったのだけれども、まだ卒業しない。いちど落第したわけなんだが、兄さんは平気だ。頭が悪くて落第したんじゃないから、決して兄さんの恥辱ではないと僕も思う。兄さんは、正義の心から落第したのだ。きっとそうだ。兄さんには、学校なんか、つまらなくて仕様が無いのだろう。毎晩、徹夜で小説を書いている。
ゆうべ兄さんから、マタイ六章の十六節以下を読んでもらった。それは、重大な思想であった。僕は自分の現在の未熟が恥ずかしくて、頬が赤くなった。忘れぬように、その教えをここに大きく書き写して置こう。
「なんじら断食するとき、偽善者のごとく、悲しき面容をすな。彼らは断食することを人に顕さんとて、その顔色を害うなり。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり。なんじは断食するとき、頭に油をぬり、顔を洗え。これ断食することの人に顕れずして、隠れたるに在す汝の父にあらわれん為なり。さらば隠れたるに見たまう汝の父は報い給わん。」
微妙な思想だ。これに較べると、僕は、話にも何もならぬくらいに単純だった。おっちょこちょいの、出しゃばりだった。反省、反省。
「微笑もて正義を為せ!」
いいモットオが出来た。紙に書いて、壁に張って置こうかしら。ああ、いけねえ。すぐそれだ。「人に顕さんとて、」壁に張ろうとしています。僕は、ひどい偽善者なのかも知れん。よくよく気をつけなければならぬ。十六から二十までの間に人格が決定されるという説もある事だ。本当に、いまは大事な時なのである。
一つには、わが混沌の思想統一の手助けになるように、また一つには、わが日常生活の反省の資料にもなるように、また一つには、わが青春のなつかしい記録として、十年後、二十年後、僕が立派な口鬚でもひねりながら、こっそり読んでほくそ笑むの図などをあてにしながら、きょうから日記をつけましょう。
けれども、あまり固くなって、「重厚」になりすぎてもいけない。
微笑もて正義を為せ! 爽快な言葉だ。
以上が僕の日記の開巻第一ペエジ。
それからきょうの学校の出来事などを、少し書こうと思っていたのだが、ああもう、これはひどい埃です。口の中まで、ざらざらして来た。とても、たまらぬ。風呂へはいろう。いずれまた、ゆっくり、などと書いて、ふと、なあんだ誰もお前を相手にしちゃいないんだ、と思って、がっかりした。誰も読んでくれない日記なんだもの、気取って書いてみたって、淋しさが残るばかりだ。智慧の実は、怒りと、それから、孤独を教える。
きょう学校の帰り、木村と一緒にアズキを食いに行って、いや、これは、あす書こう。木村も孤独な男だ。
四月十七日。土曜日。
風はおさまったけれど、朝はどんより曇って昼頃ちょっと雨が降り、それから、少しずつ晴れて来て、夜は月が出た。今夜は、まず、きのうの日記を読みかえしてみて、そうして恥ずかしく思った。実に下手だ。顔が赤くなってしまった。十六歳の苦悩が、少しも書きあらわされていない。文章が、たどたどしいばかりでなく、御本人の思想が幼稚なのだ。どうも、仕方がない。いま、ふと考えた事だが、なぜ僕は、四月の十六日なぞという、はんぱな日から日記を書きはじめたのだろう。自分でも、わからない。不思議である。前から日記をつけたいと思っていたのだが、おととい兄さんから、いい言葉を教えられ、それで興奮して、よし、あしたからと覚悟したのかも知れない。十六歳の十六日、マタイ六章の十六節。けれども、それは皆、偶然の暗合に過ぎない。つまらぬ暗号を喜ぶのは、みっともない。さらに深く考えてみよう。そうだ! 少しわかったところもある。その秘密は、十六日という日数にあるのでは無くて、金曜日というところにあるのではないかしら。僕は、金曜日という日には、奇妙に思案深くなる男だったのだ。前から、そんな癖があったのである。変にくすぐったい日であった。この日は、キリストにとっても不幸な日であった。それ故、外国でも、不吉な日として、いやがられているようだ。僕は、別に、外国人の真似をして迷信を抱いているわけでもないが、どうも、この日を平気で過すわけには行かなかった。そうだ、僕は、此の日を好きなのだ。僕には、たぶんに、不幸を愛する傾向があるのだ。きっと、そうだ。なんでもない事のようだけれど、これは重大な発見である。この不幸にあこがれるという性癖は、将来、僕の人格の主要な一部分を形成するようになるのかも知れぬ。そう思うと、なんだか不安な気もする。ろくでもない事が起りそうな気がする。つまらん事を考え出したものだ。でも、これは事実だから仕方がない。真理の発見は必ずしも人に快楽を与えない。智慧の実は、にがいものだ。
さて、きょうは木村の事を書かなければならぬのだが、もう、いやになった。簡単に言えば、僕はきのう木村に全く敬服したのである。木村は学校でも有名な不良である。何度も落第して、もう十九歳になっている筈だ。僕は、いままで木村とゆっくり話合ってみた事はなかったが、きのう学校の帰りに、木村にひっぱられて、おしるこやに行って、アズキを食べながら、はじめて人生論を交換してみた。
木村は意外にも非常な勉強家であった。ニイチェをやっているのだ。僕は、ニイチェの事は、まだ兄さんから教わっていないので、なんにもわからず、ただ赤面した。僕は、聖書の事と、それから、蘆花のことを言ったけれども、かなわなかった。木村の思想は、ちゃんと生活に於ても実行せられているのだから凄いのだ。木村の説に依れば、ニイチェの思想はヒットラアにつながっているのだそうだ。どうしてつながっているか、木村がいろいろ哲学上の説明をしてくれたが、僕には一つもわからなかった。木村は実に勉強している。僕は、この友を偉いと思った。もっと深くつき合ってみたいと思った。彼は、来年は陸軍士官学校を受験するそうだ。やはり、ニイチェ主義とも関係があるらしい。でも、陸軍士官学校は、とてもむずかしいそうだから、だめかも知れない。
「よしたほうがいいぜ。」と僕は小声で言ったら、木村は、ぎょろりと僕をにらんだ。おそろしかった。木村に負けずに、僕も勉強しようと思った。僕は、英単一千語をやって、それから代数と幾何を、はじめからやり直そうと、その時に、決意した。木村の思想の強さには敬服しても、なぜだか、ニイチェを読もうとは思わなかった。
きょうは、土曜日である。学校で、修身の講義を聞きながら、ぼんやり窓の外を眺めていた。窓一ぱいにあんなに見事に咲いていた桜の花も、おおかた散ってしまって、いまは赤黒い萼だけが意地わるそうに残っている。僕は、いろいろの事を考えた。おととい僕は、「むずかしい人生問題が、たくさんあるんです。」と言って、それから「たとえば、試験制度に就いて、――」と口を滑らせて、兄さんに看破されてしまったが、僕のこのごろの憂鬱は、なんの事は無い、来年の一高受験にだけ原因しているのかも知れない。ああ、試験はいやだ。人間の価値が、わずか一時間や二時間の試験で、どしどし決定せられるというのは、恐ろしい事だ。それは、神を犯す事だ。試験官は、みんな地獄へ行くだろう。兄さんは僕を買いかぶっているもんだから、大丈夫、四年から受けてパスできるさ、と言っているが、僕には全く自信が無い。けれども僕は、中学生生活は、もう、ほとほといやになったのだから来年は、一高を失敗しても、どこか明るい大学の予科にでも、さっさとはいってしまうつもりだ。さて、それから僕は一生涯の不動の目標を樹立して進まなければならぬのだが、これが、むずかしい問題なのだ。一体どうすればいいのか、僕には、さっぱりわからない。ただ、当惑して、泣きべそを掻くばかりだ。「偉い人物になれ!」と小学校の頃からよく先生たちに言われて来たけど、あんないい加減な言葉はないや。何がなんだか、わからない。馬鹿にしている。全然、責任のない言葉だ。僕はもう子供でないんだ。世の中の暮しのつらさも少しずつ、わかりかけて来ているのだ。たとえば、中学校の教師だって、その裏の生活は、意外にも、みじめなものらしい。漱石の「坊ちゃん」にだって、ちゃんと書かれているじゃないか。高利貸の世話になっている人もあるだろうし、奥さんに呶鳴られている人もあるだろう。人生の気の毒な敗残者みたいな感じの先生さえ居るようだ。学識だって、あんまり、すぐれているようにも見えない。そんなつまらない人が、いつもいつも同じ、あたりさわりの無い立派そうな教訓を、なんの確信もなくべらべら言っているのだから、つくづく僕らも学校がいやになってしまうのだ。せめて、もっと具体的な身近かな方針でも教えてくれたら、僕たちは、どんなに助かるかわからない。先生御自身の失敗談など、少しも飾らずに聞かせて下さっても、僕たちの胸には、ぐんと来るのに、いつもいつも同じ、権利と義務の定義やら、大我と小我の区別やら、わかり切った事をくどくどと繰り返してばかりいる。きょうの修身の講義など、殊に退屈だった。英雄と小人という題なんだけど、金子先生は、ただやたらに、ナポレオンやソクラテスをほめて、市井の小人のみじめさを罵倒するのだ。それでは、何にもなるまい。人間がみんな、ナポレオンやミケランジェロになれるわけじゃあるまいし、小人の日常生活の苦闘にも尊いものがある筈だし、金子先生のお話は、いつもこんなに概念的で、なっていない。こんな人をこそ、俗物というのだ。頭が古いのだろう。もう五十を過ぎて居られるんだから、仕方が無い。ああ、先生も生徒に同情されるようになっちゃ、おしまいだ。本当に、この人たちは、きょうまで僕になんにも教えてはくれなかった。僕は来年、理科か文科か、どちらかを決定的に選ばなければならぬのだ! 事態は急迫しているのだ。まったく、深刻にもなるさ。どうすればよいのか、ただ、迷うばかりだ。学校で、金子先生の無内容なお話をぼんやり聞いているうちに、僕は、去年わかれた黒田先生が、やたら無性に恋いしくなった。焦げつくように、したわしくなった。あの先生には、たしかになにかあった。だいいち、利巧だった。男らしく、きびきびしていた。中学校全体の尊敬の的だったと言ってもいいだろう。或る英語の時間に、先生は、リア王の章を静かに訳し終えて、それから、だし抜けに言い出した。がらりと語調も変っていた。噛んで吐き出すような語調とは、あんなのを言うのだろうか。とに角、ぶっきら棒な口調だった。それも、急に、なんの予告もなしに言い出したのだから僕たちは、どきんとした。
「もう、これでおわかれなんだ。はかないものさ。実際、教師と生徒の仲なんて、いい加減なものだ。教師が退職してしまえば、それっきり他人になるんだ。君達が悪いんじゃない、教師が悪いんだ。じっせえ、教師なんて馬鹿野郎ばっかりさ。男だか女だか、わからねえ野郎ばっかりだ。こんな事を君たちに向って言っちゃ悪いけど、俺はもう、我慢が出来なくなったんだ。教員室の空気が、さ。無学だ! エゴだ。生徒を愛していないんだ。俺は、もう、二年間も教員室で頑張って来たんだ。もういけねえ。クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」すこし青い顔をして、ちっとも笑わず、先生のほうから僕たちにお辞儀をした。
僕は先生に飛びついて泣きたかった。
「礼!」級長の矢村が、半分泣き声で号令をかけた。六十人、静粛に起立して心からの礼をした。
「今度の試験のことは心配しないで。」と言って先生は、はじめてにっこり笑った。
「先生、さよなら!」と落第生の志田が小さい声で言ったら、それに続いて六十人の生徒が声をそろえて、
「先生、さよなら!」と一斉に叫んだ。
僕は声をあげて泣きたかった。
黒田先生は、いまどうしているだろう。ひょっとしたら出征したかも知れない。まだ三十歳くらいの筈だから。
こうして黒田先生の事を書いていると、本当に、時の経つのを忘れる。もう深夜、十二時ちかい。兄さんは、隣室で、ひっそり小説を書いている。長篇小説らしい。もう二百枚以上になったそうだ。兄さんは、昼と夜とが逆なのだ。毎日、午後の四時頃に起きる。そうして必ず徹夜だ。からだに悪いんじゃないかしら。僕は、もう眠くてかなわぬ。これから、蘆花の思い出の記を少し読んで、眠るつもりだ。あすは日曜だから、ゆっくり朝寝が出来る。日曜のたのしみは、そればかりだ。
四月十八日。日曜日。
晴れたり、曇ったり。きょうは、午前十一時に起床した。別に変った事も無い。それは、当り前の話だ。日曜だからって、何かいい事があるかと思うのは間違いだ。人生は、平凡なものなんだ。あすは又、月曜日だ。あすから又、一週間、学校へ行くんだ。僕は、かなり損な性分らしい。現在のこの日曜を、日曜として楽しむ事が出来ない。日曜の蔭にかくれている月曜の、意地わるい表情におびえるのだ。月曜は黒、火曜は血、水曜は白、木曜は茶、金曜は光、土曜は鼠、そうして、日曜は赤の危険信号だ。淋しい筈だ。
きょうは昼から、英語の単語と代数を、がむしゃらにやった。いやに、むし暑い日だった。タオルの寝巻一枚で、なりも振りもかまわず勉強した。晩ごはんの後のお茶が、おいしかった。兄さんも、おいしいと言っていた。お酒の味って、こんなものじゃないかしらと思った。
さて、今夜は、何を書こうかな。何も書く事が無いから、一つ僕の家族の事でも書いてみましょう。僕の家族は、現在、七人だ。お母さんと、姉さんと、兄さんと、僕と、書生の木島さんと、女中の梅やと、それから先月から家に来ている看護婦の杉野さんと、七人である。お父さんは、僕が八つの時に死んだ。生前は、すこし有名な人だったらしい。アメリカの大学を出て、クリスチャンで、当時の新知識人だったらしい。政治家というよりは、実業家と言ったほうがいいだろう。晩年に政界にはいって、政友会のために働いたのだが、それは、ほんの四、五年間の事で、その前は市井の実業家だった。政界にはいってからの、五六年の間に、財産の大部分が無くなったのだそうだ。僕が財産の事など言うのは可笑しいけど、お母さんは、ひどくその当時は苦労したらしい。家も、お父さんが死んで間もなく、牛込のあの大きい家から、いまの此の麹町の家に引越して来たのだ。そうしてお母さんは病気になって、今でも寝ている。でも僕は、お父さんをちっとも憎めない。お父さんは、僕の事を、坊主、坊主と呼んでいた。お父さんに就いての記憶は、あまり残っていない。毎朝、牛乳で顔を洗っていたのだけは、はっきり覚えている。ひどくお洒落な人だったらしい。客間に飾られてある写真を見ても、端正な立派な顔である。姉さんの顔が一ばんお父さんに似ているのだそうだ。僕の姉さんは、気の毒な人である。姉さんは、ことし二十六である。いよいよ、今月の二十八日にお嫁に行くのである。長い間、お母さんの病気の看護と、僕たち弟の世話のために、お嫁に行けなかったのだ。お母さんは、お父さんの死んだ直後に病床に倒れてしまった。脊髄カリエスなのだ。もう十年ちかく寝たきりである。お母さんは、病人のくせに、とても口が達者で、それにわが儘で、看護婦をやとっても、すぐに追いやってしまうのだ。姉さんでなければ、いけないのだ。けれども、ことしのお正月に、兄さんが、びしびしとお母さんに言って、とうとう姉さんの結婚を承諾させてしまったのだ。兄さんは、怒る時には、とても凄い。姉さんの結婚も、もう間近になったから、先月、看護婦の杉野さんが来て、姉さんに教えられながらお母さんのお世話をはじめるようになったのである。お母さんは、ぶつぶつ言いながらも、あきらめて杉野さんの世話を受けているようだ。お母さんも、兄さんには、かなわないらしい。お母さん! 姉さんがいなくなっても、気を落さず、兄さんとそれから僕の為に、どうか元気を出して下さい。姉さんだって、もう二十六ですから、可哀そうです。わあ、いけねえ。ませた事を言った。でも、結婚は、人生の大事件だ。殊に婦人にとって、唯一の大事件と言っていいかも知れないのだ。てれずに、まじめに考えてみましょう。
姉さんは、尊い犠牲者であった。姉さんの青春は、家事とそれからお母さんの看病で終ってしまった、と言っても過言ではなかろう。しかしながら、この永い忍苦は、姉さんにとって、決して無駄ではなかったと思う。姉さんは、僕たちと比較にならぬほど、深い分別をお持ちになったに違いない。忍苦は、人間の理性を磨いてくれるものだ。姉さんの瞳は、このごろとても綺麗に澄んでいる。結婚が近づいても、気障にはしゃいだり、お調子に乗ったりしないから、偉い。平静な気持で、結婚生活にはいるらしい。相手の鈴岡さんも、もう四十ちかい重役さんだ。柔道四段だそうだ。鼻が丸くて赤いのが、欠点だけれど、親切な人らしい。僕は好きでもなければ、きらいでもない。どうせ、他人だ。けれども、こんな義兄があると何かにつけて心強いものだと、兄さんが言っていた。そんなものかも知れない。でも僕は、義兄の世話になどは、ならぬつもりだ。僕は、ただ、姉さんの幸福を、ひたすら祈っているばかりである。姉さんがいなくなったら、家の中が、どんなに淋しくなるだろう。火が消えたようになるかも知れない。けれども僕たちは我慢するのだ。姉さんが、幸福だったら、それでよい。姉さんは、立派な妻になるだろう。それは、僕が、肉親の一人として、はっきり責任を以て保証できるのです。最高のお嫁さんとして推薦できるのだ。僕たちは、本当に、姉さんには手数をかけた。もし姉さんがいなかったら、僕たちは、どうなったか、分らない。僕は、いまごろは不良少年になっていたかも知れない。姉さんは、弟たちの個性を見抜き、それを温かに育てて下さったのである。姉さんと兄さんと僕と三人、プラトニックな高い結びつきがあった。神聖な同盟があった。そうして姉さんは、理性に於て僕たちよりもすぐれていたから、いつでも自然に僕たちをリイドしていた。僕は、信じている。姉さんは、結婚生活に於ても、きっと静かな幸福を生むだろう。暗い災難に襲われても、姉さんは、夫婦の幸福を、決して、けがさせない尊い力を持っているのだ。姉さん! おめでとう。姉さんは、これから幸福になれるのです。あまり立ちいった事を言うのは、失礼ですが、姉さんは、まだ夫婦の間の愛情というものは、ご存じないでしょう。(しかしながら、僕だって、まるっきり知らないのだ。見当さえつかない。案外つまらないものかも知れない。)けれども、夫婦愛というものが、もし此の世の中にあるとしたなら、その最高のものを姉さんは実現なさるでしょう。姉さん! 僕の此の美しい「まぼろし」をこわさないで下さい。
さらば、行け! 御無事に暮せ! もしこれが、永遠のお別れならば、永遠に、御無事に暮せ。
以上は、姉さんだけに、こっそり話かけている気持で書いたのですが、姉さんは、この僕のひそかなお別れの言葉に、永久に気がつかないかも知れない。これは、僕ひとりの秘密の日記帳なのだから。でも、姉さんがこれを見たら、笑うだろうな。
この、お別れの言葉を、姉さんに直接言ってあげるほどの勇気が僕に無いのは、腑甲斐なく、悲しい事だ。
あすは月曜日。ブラック・デー。もう寝よう。神様。僕を忘れないで下さい。
四月十九日。月曜日。
だいたい晴れ。きょうは、実に不愉快だった。もう、蹴球部を脱退しようと思った。脱退しないまでも、もう、スポーツがいやになった。これからは、いい加減に附き合ってやるんだ。きゃつらが、いい加減なのだから、仕様が無い。きょう、キャプテンの梶を、一発なぐってやった。梶は卑猥だ。
きょう放課後、部員が全部グランドにあつまって、今学年最初の練習を開始した。去年のチイムに較べて、ことしのチイムは、その気魄に於ても、技術に於ても、がた落ちだ。これでは、今学期中に、よそと試合できるようになるかどうか、疑問である。ただ、メンバーがそろったというだけで、少しもチイムワアクがとれていない。キャプテンがいけないんだ。梶には、キャプテンの資格が無いんだ。ことし卒業の筈だったのに、落第したから、としの功でキャプテンになったのだ。チイムを統率するには、凄いキックよりも、人格の力が必要なのだ。梶の人格は低劣だ。練習中にも、汚い冗談ばっかり言い散らしている。ふざけている。梶ばかりでなく、メンバー全体が、ふざけている。だらけている。ひとりひとり襟首をつかまえて水につっ込んでやりたい位だった。練習が終ってから、れいに依ってすぐ近くの桃の湯に、みんなで、からだを洗いに行った。脱衣場で、梶が突然、卑猥な事を言った。しかも、僕の肉体に就いて言ったのである。それは、どうしても書きたくない言葉だ。僕は、まっぱだかのままで、梶の前に立った。
「君は、スポーツマンか?」と僕が言った。
誰かが、よせよせと言った。
梶は脱ぎかけたシャツをまた着直して、
「やる気か、おい。」と顎をしゃっくて、白い歯を出して笑った。
その顔を、ぴしゃんと殴ってやった。
「スポーツマンだったら、恥ずかしく思え!」と言ってやった。
梶は、どんと床板を蹴って、
「チキショッ!」と言って泣き出した。
実に案外であった。意気地の無い奴なんだ。僕は、さっさと流し場へ行って、からだを洗った。
まっぱだかで喧嘩をするなんて、あまりほめた事ではない。もうスポーツが、いやになった。健全な肉体に健全な精神が宿るという諺があるけれど、あれには、ギリシャ原文では、健全な肉体に健全な精神が宿ったならば! という願望と歎息の意味が含まれているのだそうだ。兄さんがいつかそう言っていた。健全な肉体に、健全な精神が宿っていたならば、それは、どんなに見事なものだろう、けれども現実は、なかなかそんなにうまく行かないからなあ、というような意味らしい。梶だって、ずいぶん堂々たる体格をしているが、全く惜しいものだ。あの健全な体格に、明朗な精神が宿ったならば! だ。
夜、ヘレン・ケラー女史のラジオ放送を聞いた。梶に聞かせてやりたかった。めくら、おし、そんな絶望的な不健全の肉体を持っていながら、努力に依って、口もきけるようになったし、秘書の言う事を聞きとれるようにもなったし、著述も出来るようになって、ついには博士号を獲得したのだ。僕たちは、この婦人に無限の尊敬をはらうのが本当であろう。ラジオの放送を聞いていたら、時折、聴衆の怒濤の如き拍手が聞えて来て、その聴衆の感激が、じかに僕の胸を打ち、僕は涙ぐんでしまった。ケラー女史の作品も、少し読んでみた。宗教的な詩が多かった。信仰が、女史を更生させたのかも知れない。信仰の力の強さを、つくづく感じた。宗教とは奇蹟を信じる力だ。合理主義者には、宗教がわからない。宗教とは不合理を信ずる力である。不合理なるが故に、「信仰」の特殊的な力、――ああ、いけねえ、わからなくなって来た。もう一辺、兄さんに聞いてみよう。
あすは火曜日。いやだ、いやだ。男子が敷居をまたいで外へ出ると敵七人、というが、全くそのとおりだ。油断もなにも、あったもんじゃない。学校へ行くのは、敵百人の中へ乗り込んで行くのと変らぬ。人には負けたくないし、さりとて勝つ為には必死の努力が要るし、どうも、いやだ。勝利者の悲哀か。まさか。梶よ、あしたは、にっこり笑い合って握手しよう。全くお前に銭湯で言われたとおり、僕のからだは白すぎるんだ。いやで、たまらないんだ。けれども僕は、へんな所におしろいなんか、つけていないぜ。ばかにしていやがる。今夜は、これから聖書を読んで寝よう。
心安かれ、我なり、懼るな。
四月二十日。火曜日。
晴れ、といっても、日本晴れではない。だいたい晴れ、というようなところだ。きょうは、さっそく梶と和解した。いつまでも不安な気持でいるのは、いやだから、梶の教室へ行って、あっさりあやまった。梶は、うれしそうにしていた。
わが友の、
笑って隠す淋しさに、
われも笑って返す淋しさ。
けれども僕は、以前と同じように梶を軽蔑している。これは、どうにも仕様がない。梶は、いやに思案深いような、また、僕を信頼しているような低い声で、笑って隠す淋しさに、
われも笑って返す淋しさ。
「いちどお前に相談しようと思っていたんだがな、こんど蹴球部に一年生の新入が十五人もあったんだ。みんな、なっちゃいねえんだ。つまらねえのを、たくさん入れても、部の質が落ちるばかりだしなあ、俺だって、張り合いがねえや。考えて置いて呉れ。」と言うのだが、僕には滑稽に聞えた。梶は、自己弁解をしているのだ。自分のだらし無さを、新入生のせいにしようとしているのだ。いよいよ卑劣な奴だ。
「多くたってかまわないじゃないか。練習を張り切ってやれぁ、だめな奴はへたばるし、いいやつは残るだろうしさ。」と僕が言ったら、
「そうもいかねえ。」と大声で言って、空虚な馬鹿笑いをした。なぜ、そうもいかねえのか、僕にはわからなかった。いずれにもせよ、僕には、もう蹴球部に対して、以前ほどの情熱が無いのだ。お好きなようにやってみ給え。こんにゃくチイムが出来るだろう。
学校の帰り、目黒キネマに寄って、「進め竜騎兵」を見て来た。つまらなかった。実に愚作だ。三十銭損をした。それから、時間も損をした。不良の木村が、凄い傑作だから是非とも見よ、と矢鱈に力こぶをいれて言うものだから、期待して見に行ったのだが、なんという事だ、ハアモニカの伴奏でもつけたら、よく似合うような、安ポマードの匂いのする映画だった。木村はいったい、どこにどう感心したのだろう。不可解だ。あいつは、案外、子供なんじゃないかな? 馬が走ると、それだけで嬉しいのだろう。あいつのニイチェも、あてにならなくなって来た。チュウインガム・ニイチェというところかも知れない。
今夜は、姉さんが鈴岡さんからの電話で、銀座へおでかけ。婚前交際というやつだ。二人で、いやに真面目な顔をして銀座を歩いて、資生堂でアイスクリイム・ソオダとでもいったところか。案外、「進め竜騎兵」なんかを見て感心しているのかも知れない。結婚式も、もうすぐなのに、のんきなものだ。やめたほうがいい。お母さんは、ついさっき癇癪を起した。からだを洗う金盥のお湯が熱すぎると言って、金盥をひっくり返してしまったのだそうだ。看護婦の杉野さんは泣く。梅やはどたばた走り廻る。たいへんな騒ぎだった。兄さんは、知らぬ振りして勉強していた。僕は、気が気でなかった。姉さんがいらしたら、何でもなくおさまる事なのだけれど。杉野さんは階段の下で、永い事すすり泣いていた様子で、それを書生の木島さんが哲学者ぶった荘重な口調で何かと慰めていたのは滑稽だった。木島さんは、お母さんの遠縁の者だそうだ。五、六年前、田舎の高等小学校を卒業して僕の家へ来たのである。いちど徴兵検査のため田舎へ帰っていたのだが、しばらくして又、家へやって来た。近眼が強い為に、丙種だったのである。にきびが、とてもひどいけれど、わるい顔ではない。政治家になるのが、理想らしい。けれども、ちっとも勉強していないから、だめだろう。僕のお父さんの事を、外へ出ると、「伯父さん」と呼んでいるそうだ。悪気のない、さっぱりした人だ。けれども、それだけの人だ。一生、僕の家にいるつもりかも知れない。
姉さんは、いま、やっと御帰宅。十時八分。
僕は、これから、代数約三十題。疲れて、泣きたい気持だ。ロバートなんとか氏の曰く、「一人の邪魔者の常に我身に附き纏うあり、其名を称して正直と云う」芹川進氏の曰く、「一人の邪魔者の常に我身に附き纏うあり、其名を称して受験と云う」
無試験の学校へはいりたい。
四月二十一日。水曜日。
曇、夜は雨。どこまでつづく暗鬱ぞ。日記をつけるのも、いやになった。きょう、数学の時間に、たぬきが薄汚いゴム長靴などはいて来て、このクラスには四年から受ける人が何人いるかね、手を挙げて、と言うから、ハッとして思わずちょっと手を挙げたら、僕ひとりだった。級長の矢村さえ、用心して手を挙げない。うつむいて、もじもじしている。卑怯な奴だ。たぬきは、へえ、芹川がねえ、と言って、にやりと笑った。僕は恥ずかしくて、一瞬間、世界が真暗になった。
「どこへ受けるのかね。」たぬきの口調は、ひとを軽蔑し切った口調だった。
「きまっていません。」と答えた。さすがに、一高、と言い出す勇気は無かった。悲しかった。
たぬきは、口鬚を片手でおさえてクスクス笑った。実に、いやだった。
「しかし、みんなも、」とたぬきは改まった顔つきをして、みんなを見渡し、「四年から受けるならば、ちょっと受けてみましょうなんて、ひやかしの気分からでなく、必ず合格しようという覚悟をきめて受けなくてはいかん。ふらついた気持で受けて、落ちると、もう落ちる癖がついて、五年になってから受けても、もうだめになっている場合が多い。よくよく慎重に考えて決定するように。」と、まるっきり僕の全存在を、黙殺しているような言いかただった。
僕はたぬきを殺してやろうかと思った。こんな失敬な教師のいる学校なんて、火事で焼けてしまえばよいと思った。僕はもう、なんとしても、四年から他の学校に行ってしまうのだ。五年なんかに残るものか。こっちのからだが腐ってしまう。僕は語学に較べて数学の成績があまりよくなかったけれど、でも、だから、それだから、毎日毎晩、勉強していたのだ。ああ、一高へはいって、たぬきの腹をでんぐり返してやりたいのだが、だめかも知れない。なんだか、勉強もいやになった。
学校の帰り、武蔵野館に寄って、「罪と罰」を見て来た。伴奏の音楽が、とてもよかった。眼をつぶって、音楽だけを聞いていたら、涙がにじみ出て来た。僕は、堕落したいと思った。
家へ帰ってからも何も勉強しなかった。長い詩を一つ作った。その詩の大意は、自分は今、くらい、どん底を這いまわっている。けれども絶望はしていない。どこかわからぬところから、ぼんやり光が射して来ている。けれども、その光は、なんであるか自分にはわからない。光を、ぼんやり自分の掌に受けていながらも、その光の意味を解く事が出来ない。自分はただ、あせるばかりだ。不思議な光よ、というような事を書いたのである。いつか、兄さんに見てもらおうと思っている。兄さんは、いいなあ。才能があるんだから。兄さんの説に依れば、才能というものは、或るものに異常な興味を持って夢中でとりかかる時に現出される、とか、なんだか、そんな事だったが、僕のようにこんなに毎日、憎んだり怒ったり泣いたりして、むやみに夢中になりすぎるのも、ただ滅茶滅茶なばかりで、才能現出の動機にはなるまい。かえって、無能者のしるしかも知れぬ。ああ、誰かはっきり、僕を規定してくれまいか。馬鹿か利巧か、嘘つきか。天使か、悪魔か、俗物か。殉教者たらんか、学者たらんか、または大芸術家たらんか。自殺か。本当に、死にたい気持にもなって来る。お父さんがいないという事が、今夜ほど、痛切に実感せられた事がない。いつもは、きれいに忘れているのだけれども、不思議だ。「父」というものは、なんだか非常に大きくて、あたたかいものだ。キリストが、その悲しみの極まりし時、「アバ、父よ!」と大声で呼んだ気持もわかるような気がする。
母のあいより なおもあつく
地のもといより さらにふかし
ひとのおもいの うえにそびえ
おおぞらよりも ひろらかなり
地のもといより さらにふかし
ひとのおもいの うえにそびえ
おおぞらよりも ひろらかなり
――さんびか第五十二
四月二十二日。木曜日。
曇。別段、変った事もないから書かぬ。学校、遅刻した。
四月二十三日。金曜日。
雨。夜、木村が、ギタを持って家へ遊びに来たので、ひいてみ給え、と言ってやった。下手くそだった。僕がいつまでも黙っているので、木村は、じゃ失敬と言って帰った。雨の中を、わざわざギタをかかえてやって来る奴は、馬鹿だ。疲れているので、早く寝る。就寝、九時半。
四月二十四日。土曜日。
晴。きょう朝から一日、学校をさぼった。こんないい天気に、学校に行くなんて、もったいない。上野公園に行き、公園のベンチで御弁当を食べて、午後は、ずっと図書館。正岡子規全集を一巻から四巻まで借出して、あちこち読みちらした。暗くなってから、家へ帰った。
四月二十七日。火曜日。
雨。いらいらする。眠れない。深夜一時、かすかに工夫の夜業の音が聞える。雨中、無言の労働である。シャベルと砂利の音だけが、規則正しく聞えて来るのだ。かけ声ひとつ聞えない。あすは、姉さんの結婚式だ。姉さんが、この家に寝るのも、今夜が最後である。どんな気持だろう。ひとの事なんか、どうだっていい。終り。
四月二十八日。水曜日。
快晴。朝、姉さんに、坐ってちゃんとお辞儀をして、さっさと登校。お辞儀をしたら姉さんは、進ちゃん! と言って、泣き出した。すすむ、すすむ、とお母さんが奥で呼んでいたようだったが、僕は、靴の紐も結ばずに玄関から飛び出した。
五月一日。土曜日。
だいたい晴れ。日記がおろそかになってしまった。なんの理由もない。ただ、書きたくなかったからである。いま突然、書いてみようと思い立ったから、書く。きょうは、兄さんに、ギタを買ってもらった。晩ごはんがすんでから、兄さんと銀座へ散歩に出て、その途中で僕が楽器屋の飾窓をちょっとのぞき込んで、
「木村も、あれと同じのを持ってるよ。」と何気なく言ったら、兄さんは、
「ほしいか?」と言った。
「ほんと?」と僕が、こわいような気がして、兄さんの顔色をうかがったら、兄さんは黙って店へはいって行って買ってくれた。
兄さんは、僕の十倍も淋しいのだ。
五月二日。日曜日。
雨のち晴れ。日曜だというのに、めずらしく八時に起きた。起きてすぐ、ギタを、布で磨いた。いとこの慶ちゃんが遊びに来た。商大生になってから、はじめての御入来である。新調の洋服が、まぶしいくらいだ。
「人種が、ちがったね。」とお世辞を言ってやったら、えへへ、と笑った。だらしのねえ奴だ。商大へはいったからって、人種がちがってたまるものか。赤縞のワイシャツなどを着て、妙に気取っている。「体は衣に勝るならずや」とあるを未だ読まぬか。
「ドイツ語がむずかしくってねえ。」などとおっしゃる。へえへえ、さようでござんすか。大学生ともなれば、やっぱり、ちがったもんですねえ。むしゃくしゃして来て、僕は、ギタをひいてばかりいた。銀座へ、さそわれたけれど、断る。
僕は、いま、少しも勉強していない。何もしていない。Doing nothing is doing ill. 何事をも為さざるは罪をなしつつあるなり。僕は慶ちゃんに嫉妬していたのかも知れぬ。下品な事だ。よく考えよう。
五月四日。火曜日。
晴れ。きょう蹴球部の新入部員歓迎会が学校のホールで催された。ちょっと覗いてみて、すぐ帰った。ちかごろの僕の生活には、悲劇さえ無い。
五月七日。金曜日。
曇。夜は雨。あたたかい雨である。深夜、傘をさして、こっそり寿司を食いに出る。ひどく酔っぱらった女給と、酔ってない女給と二人、寿司をもぐもぐ食っていた。酔っぱらった女給は、僕に対して失敬な事を言った。僕は、腹も立たなかった。苦笑しただけだ。
五月十二日。水曜日。
晴れ。きょう数学の時間に、たぬきが応用問題を一つ出した。時間は二十分。
「出来た人は?」
誰も手を挙げない。僕は、出来たような気がしていたのだが、三週間まえの水曜日みたいな赤恥をかくのは厭だから、知らん振りをしていた。
「なんだ、誰も出来んのか。」たぬきは嘲笑した。「芹川、やってごらん。」
どうして僕に指名したりなどしたのだろう。ぎょっとした。立って行って、黒板に書いた。両辺を二乗すれば、わけがないのだ。答は0だ。答、0、と書いたが、若し間違っていたら、またこないだみたいに侮辱されると思ったから、答、0デショウ、と書いた。すると、たぬきは、わははと笑った。
「芹川には、実際かなわんなあ。」と首を振り振り言って、僕が自席にかえってからも、僕の顔を、しげしげ眺めて、「教員室でも、みんなお前を可愛いと言ってるぜ。」と無遠慮な事を言った。クラス全体が、どっと笑った。
実に、いやな気がした。こないだの水曜日以上に不愉快だった。クラスの者に恥ずかしくて顔を合せられないような気がした。たぬきの神経も、また教員室の雰囲気も、もうとても我慢の出来ぬほど失敬な、俗悪きわまるものだと思った。僕は、学校からの帰途、あっさり退学を決意した。家を飛び出して、映画俳優になって自活しようと思った。兄さんはいつか、進には俳優の天分があるようだね、と言った事がある。それをハッキリ思い出したのである。
けれども、晩ごはんの時、つぎのような有様で、なんという事もなかった。
「学校がいやなんだ。とても、だめなんだ。自活したいなあ」
「学校っていやなところさ。だけど、いやだいやだと思いながら通うところに、学生生活の尊さがあるんじゃないのかね。パラドックスみたいだけど、学校は憎まれるための存在なんだ。僕だって、学校は大きらいなんだけど、でも、中学校だけでよそうとは思わなかったがなあ。」
「そうですね。」
ひとたまりも無かったのである。ああ、人生は単調だ!
五月一七日。月曜日。
晴れ。また蹴球をはじめている。きょうは、二中と試合をした。僕は前半に二点、後半に一点をいれた。結局、三対三。試合の帰りに、先輩と目黒でビイルを飲んだ。
自分が低能のような気がして来た。
五月三十日。日曜日。
晴れ。日曜なのに、心が暗い。春も過ぎて行く。朝、木村から電話。横浜に行かぬかというのだ。ことわる。午後、神田に行き、受験参考書を全部そろえた。夏休みまでに代数研究(上・下)をやってしまって、夏休みには、平面幾何の総復習をしよう。夜は、本棚の整理をした。
暗澹。沈鬱。われ山にむかいて目をあぐ。わが扶助はいずこよりきたるや。
六月三日。木曜日。
晴れ。本当は、きょうから六日間、四年生の修学旅行なのだが、旅館でみんな一緒に雑魚寝をしたり、名所をぞろぞろ列をつくって見物したりするのが、とても厭なので、不参。
六日間、小説を読んで暮すつもりだ。きょうから漱石の「明暗」を読みはじめている。暗い、暗い小説だ。この暗さは、東京で生れて東京で育った者にだけ、わかるのだ。どうにもならぬ地獄だ。クラスの奴らは、いまごろ、夜汽車の中で、ぐっすり眠っているだろう。無邪気なものだ。
勇者は独り立つ時、最も強し。――(シルレル、だったかな?)
六月十三日。日曜日。
曇。蹴球部の先輩、大沢殿と松村殿がのこのこやって来た。接待するのが、馬鹿らしくてたまらない。蹴球部の夏休みの合宿が、お流れになりそうだ、大事件だ、と言って興奮している。僕は、ことしの夏休みは合宿に加わらないつもりだったから、かえって好都合なのだが、大沢、松村の両先輩にとっては、楽しみが一つ減ったわけだから、不平満々だ。梶キャプテンが会計のヘマを演じて、合宿の費用を学校から取れなくなってしまったのだそうだ。松村殿は、梶を免職させなければいけないと、大いにいきまいていた。とにかく、みんな馬鹿だ。すこしも早く帰ってもらいたかった。
夜は、久し振りでお母さんの足をもんであげる。
「なにごとも、辛抱して、――」
「はい。」
「兄弟なかよく、――」
「はい。」
お母さんは二言目には、「辛抱して」と、それから「兄弟なかよく」を言うのである。
七月十四日。水曜日。
晴れ。七月十日から一学期の本試験がはじまっている。あす一日で、終るのだ。それから一週間経つと、成績の発表があって、それから、いよいよ夏休みだ。うれしい。やっぱり、うれしい。ああ、という叫びが、自然に出て来る。成績なんか、どうでもいい。今学期は思想的にもずいぶん迷ったから、成績もよほど落ちているかも知れない。でも国漢英数だけは、よくなっている積りだが、発表を見ないうちは、確言できない。ああ、もう、夏の休みだ。それを思うと、つい、にこにこ笑ってしまう。明日も試験があるというのに、なんだか日記を書きたくて仕様がない。このごろずいぶん日記をなまけた。生活に張り合いが無かったからだ。僕自身が、無内容だったからでしょうよ。いや、深く絶望したものがあるからでしょうよ。僕は、たいへん、ずるくなった。自分の思っている事を、むやみに他人に知らせるのが、いやになった。僕が今、どんな思想を抱いているか、あんまり他人に知られたくないのです。ただ一言だけ言える。「僕の将来の目標が、いつのまにやら、きまっていました。」あとは言わない。あすも試験があるのです。勉強、勉強。
一月四日。水曜日。
晴れ。元旦、二日、三日、四日は遊んで暮してしまった。昼も夜も、ことごとく遊びである。遊んでいたって、何もかも忘れて遊んでいるわけではなし、ああもう厭だな、面白くねえや、などと思いながらも、つい引きずられて遊んでしまうのであるが、遊んだあとの淋しさと来たら、これはまた格別である。極度の淋しさである。勉強しようと、つくづく思う。この一箇月間、自分にはなんの進歩も無かったような気がする。たまらなく、あせった気持である。本当に、ことしこそ、むらのない勉強をしてみたい。去年は毎日毎日、ガタピシして、こわれかかった自動車に乗っているような落ちつかぬ気持で暮して来たが、ことしになって、何だか、楽しい希望も生れて来たような気がする。もうすぐそこに、手をのばせば、何だか暖い、いいものが掴めそうな気がして来た。
十七歳。ちょっと憎々しい年である。いよいよ真面目になった気持である。急に、平凡な人間になったような気もする。もう、おとなになってしまったのかも知れない。
ことしの三月には、入学試験もあるのだから緊張していなくてはいけない。やはり一高を受けるつもりだ。そうして、断然、文科だ! 去年、たぬきに二、三度やられてから、理科のほうはふっつり思い切ったのだ。兄さんも賛成してくれた。「芹川の家には、科学者の血が無いからな。」と言って、笑っていた。さて、僕は、文科を選んだからって、兄さんほどの文科的才能が、あるかどうか、そいつは疑問である。だいいち僕には、一高英文科に入学できる自信がない。兄さんは、大丈夫、大丈夫と気軽に言うが、兄さんは自分で楽に入学できたものだから、他のひとも楽に入れるものと思っているらしい。兄さんは、人間にハンデキャップを認めていないらしい。みんな御自身と同じ能力を持っているものと思い込んでいるらしいのだ。だから、僕にも時々、とても無理な事を平気で言いつける事がある。無意識に惨酷な事を、おっしゃいます。やっぱり、お坊ちゃんなのかも知れない。僕は、どうも一高は、にがてだ。たぶん落ちるだろう。落ちたら私立のR大学へでもはいるつもりだ。中学の五年に残る気はしない。もう一年、たぬきなどにからかわれるくらいなら、死んだほうがいい。R大学は、キリスト教の学校だから、聖書の事も深く勉強できてたのしいだろうと思う。あかるい学校のような気がする。
一日、二日はゼスチュア遊びをして、はじめは面白かったが、二日には、全然いやになって、鎌倉の圭ちゃんの発案で、兄さん、新宿のマメちゃん、僕と四人で「父帰る」の朗読をやった。やっぱり僕が、断然うまかった。兄さんの「父親」は、深刻すぎて、まずかった。三日には、高尾山へ、以上の四人で冬のハイキングを決行した。寒いのには閉口した。僕はひどく疲れて、帰りの電車では、兄さんの肩によりかかって眠ってしまった。圭ちゃん、マメちゃんの御両所は、ゆうべも家へ泊った。
きょうは、御両所のお帰りのあとで、木村と佐伯が遊びに来た。もうこんな、つまらない中学生とは遊ばない決心をしていたのであるが、やはり遊んでしまった。トランプ。ツウテンジャック。木村の勝負のしかたが、あまりにも汚いので呆れた。木村は、去年の暮に、家から二百円持ち出して、横浜、熱海と遊びまわり、お金を使い果してから、ぼんやり僕の家へやって来たので、僕は木村の家へ、すぐに電話をかけて知らせてやった。木村の家では警察に捜査願いを出していたのだそうだ。彼の家では、いまは僕が大恩人という事になっているとの事である。木村の家庭もわるいようだが、木村も馬鹿である。やっぱり、ただの不良である。ニイチェが泣きますよ。佐伯だって馬鹿だ。このごろ、つくづくいやになって来た。大ブルジョアの子供で、背丈は六尺ちかく、ひょろひょろしている。からだが弱いから中学だけで、学校はよすのだそうだ。はじめは外国文学の話など、いろいろ僕に話して聞かせるので、僕も、木村のニイチェに興奮した時みたいに、大いに感激して僕の友人は佐伯ひとりだと思い、すすんでこちらからも彼の家に遊びに行ってやったものだが、どうも彼は柔弱でいけない。家にいる時は、五つか六つの子供が着るような大きい絣の着物を着て、ごはんの事を、おマンマなんて言いやがる。ぞっとした。だんだん附きあってみるに従って、話が合わなくなって来た。男か女かわかりゃしない。べろべろしている。よだれでも垂れているような顔だ。からだが弱いので、大学へは行かず、家で静かに芹川君と交際しながら一緒に文学を勉強して行きたい、などと殊勝らしく、こないだも言っていたが、まっぴら御免だ。「まあ考えたほうがいいぜ。」と言って置いた。
木村と佐伯のお相手をしていたら、日が暮れた。一緒にお餅をたべた。二人が帰ると、こんどは、チョッピリ女史の御入来だ。げっそりした。この女史は、お父さんの妹である。だから僕たちの叔母さんである。芳紀まさに四十五、だか六だか、とにかく相当なとしである。未婚である。お花の大師匠である。なんとか婦人会の幹事をしている。兄さんは、チョッピリ女史を芹川一族の恥だと言っている。わるい人ではないが、どうも、少しチョッピリなのである。チョッピリという名は、兄さんが去年発明したのである。姉さんの結婚披露宴の時、この叔母さんは兄さんと並んで坐っていた。よその紳士が、叔母さんにお酒をすすめた。女史はからだを、くねくねさせて、
「あの、いただけないんざますのよ。」
「でも、まあ、一ぱい。」
「オホホホホ。ではまあ、ほんのチョッピリ!」
いやらしい! 兄さんは、あまりの恥ずかしさに席を蹴って帰りたかったそうだ。一事は万事である。どうも、気障ったらしくてかなわない。今夜も僕の顔を見て、
「あらまあ! 進ちゃん、鼻の下に黒い毛が生えて来たじゃないの! しっかりなさいよ。」と言った。愚劣だ。実に不潔だ。乱暴だ。無態だ。まさしく一家の恥である。同席は、ごめんである。こっそり兄さんと、うなずき合って、一緒に外出した。銀座は、ひどい人出である。みんな僕たちみたいに家が憂鬱だから、こうして銀座へ出て来ているのであろうか、と思ったら、おそろしい気がした。資生堂でコーヒーを飲みながら兄さんは、「芹川の家には、淫蕩の血が流れているらしい。」と呟いたので、ぎょっとした。帰りのバスの中では、「誠実」という事に就いて話し合った。兄さんも、このごろは、くさっているらしい。姉さんがいなくなったので、家の仕事も見なければならず、小説も思うようにすすまないようだ。
帰ったら十一時。チョッピリ女史は、すでに退散。
さて、明日からは高邁な精神と新鮮な希望を持って前進だ。十七歳になったのだ。僕は神さまに誓います。明日は、六時に起きて、きっと勉強いたします。
一月五日。木曜日。
曇天。風強し。きょうは、何もしなかった。風の強い日は、どうもいけない。御起床が、すでに午後一時であった。去年よりも、さらにだらしが無くなったような気がする。起きてまごまごしていたら、いまは下谷に家を持っている姉さんから僕に電話だ。「あそびにいらっしゃい。」というのだが、僕は困惑した。例の優柔不断の気持から、「うん」と答えてしまった。僕は、本当は、鈴岡さんの家がきらいなのだ。どうも俗だ。姉さんも、変ってしまった。結婚して、ほどなく家へ遊びにやって来たが、もう変っていた。カサカサに乾いていた。ただの主婦さんだ。ふくよかなものが何も無くなっていた。おどろいた。あれはお嫁に行ってから十日と経たない頃の事であったが、手の甲がひどく汚くなっていた。それから、いやに抜け目がなく、利己的にさえなっていた。姉さんは隠そうと努めていたが、僕には、ちゃんとわかったのだ。いまではもう全く、鈴岡の人だ。顔まで鈴岡さんに似て来たようだ。顔といえば、僕は俊雄君の顔を考えるたびに、しどろもどろになるのである。俊雄君は、鈴岡さんの実弟だ。去年、田舎の中学を出て、いまは姉さんたちと同居して慶応の文科にかよっているのだ。こんな事を言っちゃ悪いけれど、この俊雄君は、僕が今までに見た事もない醜男なのだ。実に、ひどいんだ。僕だって、ちっとも美しくないし、また、ひとの顔の事は本当に言いたくないのだが、俊雄君の顔は、あまりにもひどいので、僕は、しどろもどろになってしまうのだ。鼻がどうの、口がどうのというのではないのだ。全体が、どうも、ばらばらなのだ。ユウモラスなところも無い。僕はあの人と顔を合せると、いつでも奇妙に考え込んでしまう。一万人に一人というところなのだ。こんな言いかたは、僕自身も不愉快だし、言ってはいけない事なんだが、どうも事実だから致しかたが無い。あんな顔は、僕は生れてはじめて見た。男は顔なんて問題じゃない、精神さえきよらかなら大丈夫、立派に社会生活ができるという事は、僕も堅く信じているが、俊雄君のように若くて、そうして慶応の文科のような華やかなところで勉強している身が、あんな顔では、ずいぶん苦しい事だってあるだろうと思う。実際、顔を合せると、こちらまで人生がいやになるくらいなのだ。本当に、ひどいのだ。あの人は、これからの永い人生に於ても、その先天的なもののために、幾度か人に指さされ、かげ口を言われ、敬遠せられる事だろう。僕はそれを考えると、現代の社会機構に対して懐疑的になり、この世が恨めしくなって来るのだ。世の中の人々の冷酷な気持が、いやになる。おのずから義憤も感ずる。俊雄君が、将来それ相当の職業について、食うに困らぬくらいの生活が出来たら、それは実に好もしく祝福すべき事だ。けれども結婚の場合は、どうだろう。これはと思う婦人があっても、自分の醜い顔のために結婚できなかった時には、どんなに悲惨な思いをするだろう。大声で、うめくだろう。ああ、俊雄君の事を考えると憂鬱だ。心の底から同情はしているけれど、どうも、いやだ。ひどいんだ。何も形容が出来ないのである。なるべく見たくないのだ。僕にもやっぱり、世の中の人と同じ様な、冷酷で、いい気なものがあるのかも知れない。考えれば考えるほど、しどろもどろになってしまう。僕は、去年からまだ下谷の家には、二度しか行っていないのだ。姉さんには逢いたいけれど、旦那さまの鈴岡氏は、また、えらく兄さん振って、僕の事を坊や、坊やと呼ぶんだから、かなわない。豪傑肌とでも言うんだろうが、「坊や」は言い過ぎであると思う。十七にもなって、「坊や」と呼ばれて、「はい」なんて返事するのは、いやなことだ。返事をしないでプリプリ怒ってやろうかとも思うのだが、なにせ相手は柔道四段だそうだから、やはり怖い。自然に僕は、卑屈になるのだ。俊雄君と顔を合せると、しどろもどろになるし、鈴岡氏に対しては、おどおどするし、僕は、下谷の家へ行くと、だめになるのだ。きょうも姉さんから、遊びに来ないか、と言われて、つい、うんと答えてしまったが、それから、さんざ迷った。どうしても、行きたくないのだ。とうとう兄さんに相談した。
「下谷から、遊びに来いって言って来たんだけど、行きたくないんだ。こんな風の強い日に、ひでえや。」
「でも、行くって返事したんだろ?」兄さんは、少し意地が悪い。僕の優柔不断を見抜いているのだ。「行かなくちゃいけない。」
「あいたた! にわかに覚ゆる腹痛。」
兄さんは笑い出した。
「そんなにいやなら、はじめから、はっきり断ったらよかったのに。むこうじゃ待っているぜ。お前は四方八方のいい子になりたがるからいけない。」
とうとう説教されちゃった。僕は説教は、いやだ。兄さんの説教でも、いやだ。僕は今まで、説教されて、改心した事が、まだいちどもない。お説教している人を、偉いなあと思った事も、まだ一度もない。お説教なんて、自己陶酔だ。わがままな気取りだ。本当に偉い人は、ただ微笑してこちらの失敗を見ているものだ。けれどもその微笑は、実に深く澄んでいるので、何も言われずとも、こちらの胸にぐっと来るのだ。ハッと思う、とたんに目から鱗が落ちるのだ。本当に、改心も出来るのだ。説教は、どうもいやだ。兄さんの説教でも、いやだ。僕は、むくれてしまった。
「はっきり断ったらいいんでしょう?」と言って、やや殺気立って下谷へ電話をかけたら、いけねえ、鈴岡氏が出て、
「坊やかい? 新年おめでとう。」
「はい、おめでとう。」なにせ柔道四段だからなあ。
「姉ちゃんが待ってるぜ。早くおいでよ。」姉ちゃんだなんて言いやがる。
「あのう、おなかが痛いんですけど。」われながら情ない。「俊雄君にも、よろしく。」要らぬお世辞まで言ってしまった。
兄さんに合せる顔も無く、そのまま部屋にとじこもって日の暮れるまで、キエルケゴールの「基督教に於ける訓練」を、読みちらした。一行も理解できなかった。ただ、あちこちの活字に目をさらして、他の、とりとめのない事ばかり考えていた。
きょうは、阿呆の一日であった。どうも、下谷の家は難物だ。あの家に姉さんがいらして、そうして幸福そうに笑ったりなんかしているのかと思うと、何が何やらわからなくなってしまう。晩ごはんの時、
「夫婦って、どんな事を話しているもんだろう。」と僕が言ったら、兄さんは、
「さあ、何も話していねえだろう。」と、つまらなそうな口調で答えた。
「そうだろうねえ。」
兄さんは、やっぱり頭がいい。下谷のつまらなさを知っているのだ。
夜、のどが痛くて、早く寝る。八時。寝ながら日記をつけている。お母さんは、このごろ元気がよい。この冬を無事に越せば、そろそろ快方に向うかも知れない。なにせ、やっかいな病気だ。それはそれとして、五円できないかなあ。佐伯に返さなくちゃいけないんだ。きれいに返して絶交するんだ。どうも、お金を借りていると、人間は意気地がなくなっていけない。古本を売って、つくるか。やっぱり兄さんに、たのむか。
申命記に之あり。「汝の兄弟より利息を取べからず。」兄さんにたのむのが安全らしい。僕には、ケチなところがあるようだ。
風いまだ強し。
一月六日。金曜日。
晴れ。寒気きびし。毎日、決心ばかりして、何もせぬのが恥ずかしい。ギタが、ますます巧くなったが、これは何も自慢にならない。ああ、悔恨の無い日を送りたい。お正月は、もういやだ。のどの痛みは、なおったが、こんどは頭が痛い。なんにも書く気がしない。
一月七日。土曜日。
曇。ついに一週間、無為。朝から、ひとりで蜜柑をほとんど一箱たべた。てのひらが黄色くなったようである。
恥じよ! 芹川進。お前の日記は、ちかごろ、だらしがなさ過ぎるぞ。知識人らしい面影が、どこにもないじゃないか。しっかりしなければならぬ。お前の大望を忘れたか。お前は、すでに十七歳だ。そろそろひとりまえの知識人なのだ。なんというだらしなさだ。お前は小学校時代に毎週、兄さんに連れられて教会へ行って聖書を習ったのを忘れたか。イエスの悲願も、ちゃんと体得した筈だ。イエスのような人になろうと、兄さんと約束したのを忘れたか。「ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんじの子どもを集めんと為しこと幾度ぞや」という所まで読んで、思わず声を挙げて泣いたあの夜を、忘れたか。毎日毎日、覚悟ばっかり立派で、とうとう一週間、馬鹿のように遊んでしまった。
ことしの三月には、入学試験もあるのだ。受験は人生の最終の目的ではないけれども、兄さんの言ったように、これと戦うところに学生生活の貴さがあるのだ。キリストだって勉強したんだ。当時の聖典を、のこりくまなく研究なさったのだ。古来の天才はすべて、ひとの十倍も勉強したんだ。
芹川進よ、お前は大馬鹿だぞ! 日記など、もうよせ! 馬鹿が甘ったれてだらだら書いた日記など、豚も食わない。お前は、日記をつけるために生活しているのか? ひとりよがりの、だらだら日記は、やめるがいい。無の生活を、どんなに反省しても、整頓しても、やっぱり無である。それを、くどくど書いているのは、実に滑稽である。お前の日記は、もう意味ないぞ。
「吾人が小過失を懺悔するは、他に大過失なき事を世人に信ぜしめんが為のみ。」――ラ・ロシフコオ。
ざまあ見やがれ!
あさってから、第三学期がはじまります。
張り切って、すすめ!
四月一日。土曜日。
うす曇り。烈風なり。運命的な日である。生涯、忘れ得べからざる日である。一高の発表を見に行った。落ちていた。胃と腸が、ふっと消えたような感じ。体内が、空っぽになった感じ。残念、という感じではない。ただ、ホロリとした。進が、ふびんだった。でも、落ちて当然のような気もした。
家へかえりたくなかった。頭が重くて、耳がシンシン鳴って、のどが、やたらに乾く。銀座へ出た。四丁目の角に立って、烈風に吹かれながらゴー・ストップを待っていたら、はじめて涙が出た。声が出そうになった。無理もねえさ、生れてはじめての落第だもの、と思ったら、とても耐え切れなくなった。どうして歩いたか、わからない。振り返って僕を見たひとが、二人あった。地下鉄に乗った。浅草雷門まで来た。浅草は、大勢の人出であった。もう泣いていない。自分を、ラスコリニコフのような気がした。ミルクホールにはいる。卓の上が、ほこりで白くなっている。僕の舌も、ほこりでざらざらしている。とても呼吸が苦しい。落第生。いい図じゃねえぞ。両脚がだるくて、抜けそうだ。眼前に、幻影がありありと浮ぶ。
ローマの廃墟が黄色い夕日を浴びてとても悲しい。白い衣にくるまった女が下を向きながら石門の中に消える。
額に冷汗が出ている。R大学の予科にも受けたのだけれど、まさか、――でも、いや、どうだっていいんだ。はいったって、どうせ、籍を置くだけなんだ。卒業する気はねえんだ。僕は、明日から自活するんだ。去年の夏休みの直前から、僕の覚悟は出来ていたんだ。もう、有閑階級はいやだ。その有閑階級にぺったり寄食していた僕はまあ、なんてみじめな野郎だったんでしょう。富める者の神の国に入るよりは、駱駝の針の孔を通るかた反って易し。ほんにいい機会じゃござんせんか。明日からは、もう家の世話にはなりませぬ。ああ荒天よ! 魂よ! あすから僕の世渡りだ。また、眼前に幻影が浮ぶ。
おそろしく鮮やかな緑だ。泉が湧く。こんこんと湧いて緑の草の上を流れる。チャプチャプと水の音が聞える。鳥が飛び立つ。
消える。僕のテエブルの隣りに、醜い顔の洋装の娘が、からのコーヒー茶碗を前に置いて、ぼんやり坐っている。コンパクトを取り出して、鼻の頭をたたいた。その時の表情は、白痴のようであった。けれども脚は、ほっそりしていて、絹の靴下は、やけに薄い。男が来た。ポマードを顔にまで塗ってるみたいな男だ。女は、にっと笑って立ち上った。僕は顔をそむけた。こんな女のひとをも、キリストは、愛してやったのだろうか。家を飛び出したら僕もまた、あんな女と平気で冗談を言い合うようになってしまうのだろうか。いやなものを見たわい。のどが乾く。ミルクを、もう一つ飲もう。わが未来の花嫁は、かの口吻突出の婦人にして、わが未来の親友は、かの全身ポマードの悪臭高き紳士なり。この予言、あたります。外は、ぞろぞろ人の流れ。みんな帰るべき巣を持っているのだろう。
「おや、お帰りなさい。きょうは、お早かったじゃないの。」
「うむ、仕事の話がいい工合にまとまってね。」
「それは、よござんした。お風呂へおいでになりますか?」
平凡な、そして静かな憩いの巣。僕には、帰るところがない。落第坊主。なんという不名誉だ! 僕は今まで、落第生というものをどんなに強く軽蔑していたか知れやしない。人種がちがうものだとばっかり思っていたが、あにはからんや、僕の額にもはっきり落第生の焼鏝が押されてしまった。新入でござんす、よろしくお願い致します。
諸君は四月一日の夜、浅草のネオンの森を、野良犬の如くうろついて歩いていた一人の中学生を見かけなかったか。見かけましたか? 見かけたならば、それならば、なぜその時に、ひとこと「おい、君」と声を掛けてくれなかったの? 僕は君の顔を見上げて、「お友達になって下さい!」とお願いしたに違いない。そうして、君と一緒に烈風の中をさまよい歩きながら、貧しい人を救おうね! と幾度も幾度も誓い合ったにちがいない。ひろい世界に、思いがけぬ同志を得たという事は、君にとっても僕にとっても、なんと素晴らしい事だったろう。けれども、誰も僕に言葉をかけてはくれなかったのだ。僕はヨボヨボになって麹町の家へ帰ったのです。
それからのことを書くのは、さらにくるしい。僕の生涯に於て、再びかかる悪事をなさぬことを神に誓う。僕は兄さんを殴ってしまったのだ。夜十時頃、こっそり家へ帰って、暗い玄関で靴の紐を解いていたら、ぱっと電燈がついて兄さんが出て来た。
「どうだったい? だめか?」のんきな声である。僕は黙っていた。靴を脱いで、式台に立って、無理に薄笑いしてから、答えた。
「きまってるじゃないか。」声が、のどにひっからまる。
「へえ!」兄さんは眼を丸くした。「本当かい?」
「お前がわるいんだ!」矢庭に兄の頬を殴った。ああ、この手よ腐れ! 全く理由の無い憤怒である。僕がこんなに、死ぬほど恥ずかしい思いをしているのに、お前たちは上品ぶって、涼しそうな顔をして生きている、くたばれ! というような凶暴な発作にかられて、兄を殴った。兄は、子供のような、べそを掻いた。
「ごめん、ごめん、ごめん。」僕は兄さんの頸を抱いてわあわあ泣いていた。
書生の木島さんが僕を部屋にかつぎ込んで来て、僕の洋服を脱がせてくれながら、
「無理ですよ。ねえ、まだ十七なのに、無理ですよ。お父さんでも、いらっしゃったら、ねえ。」と小さい声で言うのである。何か誤解しているらしかった。
「喧嘩じゃないよ。ばか。喧嘩じゃないよ。」と僕は、泣きじゃくりながら何度も言った。木島なぞには、わからない。木島さんに蒲団を掛けてもらって、寝た。
僕はいま、寝床に腹這いになって、この「最後」の日記をつけている。もういいんだ。僕は、家を出るんだ。あしたから自活だ。この日記帳は、僕の形見として、この家に残して行こう。兄さんが読んだら泣くだろう。佳い兄さんだった。兄さんは、僕が八つの時から、お父さんの身代りになって僕を可愛がり、導いて下さった。兄さんがいなかったら、僕はいまごろ、凄い不良になっていたかも知れない。兄さんがしっかりしているから、お父さんも、あの世で、安心しているだろう。お母さんも、このごろ工合がよくなって、なんだか、もうすぐ全快するのではないかとさえ思われるくらいだ。うれしい事だ。僕がいなくなっても力を落さず、かならず、進の成功を信じて気楽にしていて下さい。僕は、決して堕落しません。かならず世に打ち勝ちます。いまに、うんとお母さんを喜ばせてあげます。さようなら。机よ、カーテンよ、ギタよ、ピエタよ。みんな、さようなら。泣かずに、僕の首途を笑って祝福しておくれ。
さらば。
四月四日。火曜日。
晴れ。僕はいま、九十九里浜の別荘で、とても幸福に暮している。きのう、兄さんに連れられてやって来たのだ。きのう午後一時二十三分の汽車で両国を立ち、生れてはじめての旅行のように窓外の風景を、胸をおどらせて絶えずきょろきょろ眺めていた。両国を立って、しばらくは、線路の両側にただ工場、また工場、かと思えばその間に貧しい小さい家が、油虫のように無数にかたまって建っている、と思うと、ぱらりと開けてわずかな緑地が見えてサラリイマンの住宅らしい赤瓦の小さな屋根が、ちらりほらり見える。僕は、このごみっぽい郊外に住んでいる人たちの生活に就いて考えた。ああ、民衆の生活というものは、とても、なつかしくて、そうして悲しいものだ。僕には、まだまだ苦労が足りない、と思った。千葉で十五分待って、それから勝浦行に乗りかえ、夕方、片貝につく。ところが、バスが無い。最終のバスが、三十分前に出てしまったというのだ。二人で、円タクに掛け合ったが、運転手が病気だそうで、話にならない。
「歩こうか。」と兄さんが寒そうに首をちぢめながら言った。
「そうね。荷物は僕が持ちますから。」
「いいよ。」兄さんは笑い出した。
二人で、まず海岸へ出た。磯伝いに行くと割に近いのだ。夕日が照って、砂は黄色く美しかったが、風は強く頬を撃って、寒かった。九十九里の別荘へは、この四、五年、来た事がない。東京から遠すぎるし、場所も淋しいから、夏休みにも、たいてい沼津の母の実家のほうに行ってしまう。でも、久し振りで来てみると、九十九里の海は、昔ながらにひろびろとして青い。大きいうねりが絶えまなく起きては崩れている。子供の頃には、毎年のように来たものだ。別荘は、松風園と呼ばれて、九十九里の名物になっていたものだ。たくさんの避暑客が、別荘の庭を見に来て、お父さんは誰かれの差別なく、ていねいに接待してあげたらしく、みんな、よろこんで帰って行ったものだ。本当に、お父さんは、人を喜ばすのが好きだったようだ。いまは、川越一太郎というとしとったお巡りさんが、老妻のキンさんと共に別荘に住んで留守番をしているのだが、僕の家のひとも、あまりやって来ないし、チョッピリ女史がお弟子やら友達やらを連れて時たまやって来ては利用しているだけで、ほとんど廃屋に近くなっているのだ。庭も荒れ放題になって、いまでは松風園も、ほろびてしまった。九十九里の避暑客だって、もう松風園を忘れてしまったのだろう。庭におとずれて来る酔狂な人もないようだ。いろいろのことを考え、兄さんの後について、サクサクと砂を踏んで歩く。黒い影法師が二つ、長く長く砂の上に落ちている。ふたり。芹川の家には、兄さんと僕と、二人しかいないのだ。仲良く、たすけ合って行こう、としみじみ思った。
別荘についた頃には、もう、まっくらになっていた。電報を打って置いたので、キン婆さんは、ちゃんと支度をして待っていた。すぐ風呂にはいり、うまいおさかなで晩ごはんを食べて、座敷に仰向に寝ころがったら、腹の底から大きい溜息がほうと出た。
ついたちと二日の、あの地獄の狂乱が、いまでは夢のように思われる。二日の朝、未明に起きて、トランクに身のまわりのものをつめ、こっそり家を脱け出した。お金は、ついたちの朝にもらった四月分のお小遣い二十円が、まだ半分以上も残っている。それでも心細いので、兄さんから借りているストップ・ウォッチと、僕の腕時計と二つ忘れずに持って出た。二つ一緒だと、百円くらいには売れるかも知れない。外は、ひどい霧だった。四谷見附まで来たら、しらじらと夜が明けはじめた。省線に乗った。横浜。なぜ横浜までの切符を買ったのか、僕にも、うまく説明がつかない。とにかくそこへ行くと、いい運が待っているような気がした。けれども何も無かった。横浜の公園のベンチに、僕はひるごろまで坐っていた。港の汽船を眺めていた。鴎が飛んでいた。公園の売店から、パンを買ってたべた。それからまたトランクをさげて、桜木町の駅に行き、大船までの切符を買った。食えなくなったら映画俳優になるんだ。僕は去年、たぬきという数学の教師に侮辱されて、あっさり学校をよそうとしたが、その時にも、よし映画俳優になって自活してやると決意した。どういう訳か僕は、俳優になりさえすれば、立派に成功できるという、へんな自惚を持っていたのである。顔に就いての自惚れではない。教養と芸に就いての自惚れである。僕は、映画俳優をあこがれてはいない。くるしい、また一面みじめな職業だとさえ考えている。けれども、この職業以外に、僕の出来そうなものはちょっと考えつかないのである。牛乳配達には、自信がないのだ。僕は大船で降りた。どんな事があっても、かならずねばって、誰かひとり、監督に逢うつもりであった。僕は、この事は、一高のドロップを知った直後に、颯っときめてしまっていたのだ。最後はそれだと決意していた。眼にものが見えぬほど異様に意気込んで撮影所の正門まで行ったが、これは、深刻な苦笑に終った。日曜であった! なんという迂闊な子だろう。何事も、神の御意だったのかも知れない。日曜であったばかりに、僕の運命は、またもやぐるりと逆転した。
僕はトランクをさげて、また東京へ帰った。東京の夕暮は美しかった。有楽町のプラットホームのベンチに腰をおろして、僕は明滅するビルデングの灯を、涙で見えなくなるまで眺めていた。その時、或る紳士に軽く肩を叩かれたのだ。泣いたのがいけなかったのである。交番に連れて行かれて、けれども僕は、ていねいに取りあつかわれた。父の名が有効だったらしい。兄さんと、木島さんが迎えに来た。三人で自動車に乗って、しばらくして木島さんが、だしぬけに言い出した。
「しかし、日本の警察は、世界一じゃありませんかね。」
兄さんは一言も口をきかなかった。
家の前で自動車から降りる時、兄さんは誰に言うともなく、
「お母さんには何も知らせてないからね。」と口早に言った。
僕はその夜は疲れて、死んだように眠った。そうしてあくる日、兄さんは僕を連れて九十九里浜にやって来た。つまり、きのうの事である。僕たちは磯伝いに歩いて、日没の頃、この別荘に着いたのだ。風呂へはいり、おいしい晩ごはんを食べて、座敷にひっくりかえって寝たら、大きい長い溜息が腹の底からほうと出た。夜は久し振りで、兄さんと蒲団を並べて寝た。
「一高なんかを受けさせて悪かったな。兄さんがいけなかったんだ。」
僕はなんと答えたらいいのだろう。気軽に、いいえ僕がいけないのです、等と言ってその場の形を、さりげなく整えるなんて芸当は僕には出来ない。そんな白々しい、不誠実な事は僕には出来ない。僕はただ、おゆるし下さい、と、せつない思いで、胸の奥深いところで、神さまと兄さんにこっそりお詫びをしているばかりだ。僕は蒲団の中で、大きく身をくねらせた。からだの、やり場に窮したのだ。
「お前の日記を見たよ。あれを見て、兄さんも一緒に家出をしたくなったくらいだ。」と言って兄さんは、低く笑った。「でも、そいつぁ滑稽だったろうな。無理もねえ、なんて僕まで眼のいろを変えてあたふたと家出してみたところで、まるで、ナンセンスだものね。木島も、おどろくだろう。そうして木島も、あの日記を読んで、これも家出だ。そうして、お母さんも梅やも、みんな家出して、みんなで、あたらしくまた一軒、家を借りた、なんて。」
僕も、つい笑ってしまった。兄さんは、僕に気まずい思いをさせまいとして、こんな冗談を言うのである。いつでもそうだ。兄さんは、僕よりも、もっと気の弱い人なのだ。
「R大学のほうの発表は、いつだい?」
「六日。」
「R大学のほうはパスだろうと思うけど、どうだい、パスなら、ずっとやって行く気かい?」
「やって行ってもいいんだけど、――」
「はっきり言ったほうがいいぜ。やって行く気は無いんだろう?」
「無いんだ。」
二人、笑った。
「楽に話そう。実はね、兄さんも、先月、大学のほうは、よした。いつまでも、むだに授業科ばかり納めているのも意味がないしね。これから十年計画で、なんとかして、いい小説を書いてみるつもりだ。いま迄、書いて来たものは、みんなだめだ。いい気なものだったよ。てんでなっちゃいないんだ。生活が、だらしなかったんだね。ひとりで大家気取りで、徹夜なんかしてさ。ことしから、新規蒔直しで、やってみるつもりだ。進も、ひとつ、どうだい、ことしから一緒に勉強してみないか?」
「勉強? もういちど一高を受けるの?」
「何を言ってるんだ。もう、そんな無理は言わんよ。受験勉強だけが勉強じゃない。お前の日記にも書いてあったじゃないか。将来の目標が、いつのまにやら、きまっていました、なんて書いてあったけど、あれは嘘かい?」
「嘘じゃないけど、本当は、僕にも、よくわからないんだ。はっきり、きまっているような気がしているんだけど、具体的に、なんだか、わからない。」
「映画俳優。」
「まさか。」僕は、ひどく狼狽した。
「そうなんだよ。お前は映画俳優になりたいんだよ。何も悪い事がないじゃないか。日本一の映画俳優だったら、立派なものじゃないか。お母さんも、よろこぶだろう。」
「兄さん、怒ってるの?」
「怒ってやしない。けれども、心配だ。非常に心配だ。進、お前は十七だね。何になるにしても、まだまだ勉強しなければいけない。それは、わかってるね?」
「僕は兄さんと違って、頭がわるいから、ほかには何も出来そうもないんだ。だから、俳優なんて事も、考えるのだけど、――」
「僕がわるいんだ。僕が無責任に、お前を、芸術の雰囲気なんかに巻き込んでしまったのがいけなかったんだ。どうも不注意だった。罰だ。」
「兄さん、」僕は少しむっとした。「そんなに、芸術って、悪いものなの?」
「失敗したら悲惨だからねえ。でもお前は、これから、その方の勉強を一生懸命にやって行くつもりならば、兄さんだって、何も反対はしないよ。反対どころか、一緒に助け合って勉強して行こうと思っている。まあ、これから十年の修業だ。やって行けるかい?」
「やって行きます。」
「そうか。」兄さんは溜息をついた。「それなら、まず、R大学へも行け。卒業するしないは別として、とにかく、R大学へはいりなさい。大学生生活も少しは味わって置いたほうがいいよ。約束するね。それから、いますぐ、映画なんかのほうへ行こうと思わず、五六年、いや、七八年でも、どこか一流のいい劇団へかよって、基本的な技術を、みっちり仕込んでもらうんだ。どこの劇団へはいるか、そいつは、またあとで二人で研究しよう。そこまでだ。不服は無いだろう。兄さんは眠くなって来たよ。眠ろう。もう十年くらい、細々ながら生活するくらいのお金はある。心配無用だ。」
僕は、僕の将来の全部の幸福の、半分、いや五分の四を、兄さんにあげようと思った。僕の幸福は、これではあまり大きすぎるから。
けさは七時に起きた。こんなすがすがしい朝は、何年振りだろう。兄さんと二人で砂浜へ裸足で飛んで出て、かけっこをしたり、相撲をとったり、高飛びをしたり、三段飛びをしたり、ひるすぎからは、ゴルフなるものをはじめた。ゴルフと言っても本式のものではない。インク瓶に布を厚く巻いて、それがボールだ。それを野球のバットでゴルフみたいなフオムで打って、畑の向うの約百米ばかり離れた松の木の下の穴に入れるのである。途中の畑が、たいへんな難関なのである。たのしかった。僕たちは大声で笑い合った。カアン! とインク瓶の球をふっ飛ばすと、実に気持がよい。キン婆さんが、お餅と蜜柑を持って来てくれる。大いに感謝してむしゃむしゃ喰べながら、またゴルフをつづける。僕は、たった六回で穴にいれた。きょうのレコードだった。浜の子供が四人、いつのまにやら、僕たちについて歩いている。
「おらは、おぼえただ。」
「おらも、おぼえただ。あすこの穴にぶち込めばええだ。」などと、こそこそ話合っている。仲間にはいりたい様子である。
兄さんが、「やってごらんなさい。」と言ってバットを差し出したら、果して、嬉々として、「おらは、おぼえただ。」を連発しながら、やたらにバットを振りまわした。とても可愛い。この子供たちは毎日、どんな事をして遊んでいるのだろうかと思ったら、ホロリとした。ああ、誰もかれも、みんな同じように幸福になりたい。子供たちは、それこそ、「むさぼるように」遊んでいた。僕たちは疲れて、砂浜に寝ころがった。夕焼け。雲の裂け間から見える赤い光は、燃えている真紅のリボンのようだ。頭をあげて見ると、別荘をかこんでいる松の林は、その赤い光を受けて、真赤にキラキラ輝いている。海は、――銚子の半島も、むらさき色に幽かに見えて、水平線は鏡のふちのように、ほのかな緑。鴎が小さく海面とすれすれに飛んでいる。波は絶え間なく、うねり、崩れる。ああ、人生には、こんな一刻もあるのだ。ああ、きょうは誰にも遠慮せず、この素張らしい幸福感を、充分に味わえ! 人間は幸福な時には、ばかになっていてもいいのだ。神も、ゆるし給わん。この一日は、僕たち二人の安息日だ。兄さんは、貝殻に鉛筆で詩を書いた。
「なに?」といって覗き込んだら、
「ひめたる祈りを書いたのさ。」と言って笑って、その貝を海にほうった。
家へかえって、風呂へはいり、晩ごはんをすましたら、もう眠くなった。兄さんは、まっさきに蒲団にもぐり込んで、大鼾をかいて眠ってしまった。こんなによく眠る兄さんを見た事が無い。僕は、ひと眠りしてから、また起きて、この日記をしたためた。この三日間の出来事を、一つも、いつわらずに書いたつもりだ。一生涯、この三日間を忘れるな!
四月五日。水曜日。
大風。けさの豪壮な大風は、都会の人には想像も出来まい。ひどいのだ。ハリケーンと言いたいくらいの凄い西風が、地響き立てて吹きまくる。それに家の西側の松が、二、三本切られているので、たまらない。ばりばりと此の家をたたき割るような勢いであった。とにかくひどい。小気味がいいくらいだ。一歩も外に出られなかった。午後になって、西風が、北東の風に変ったようだ。僕は、午前中は川越さんの犬ころを座敷にあげて遊んでいた。五匹いるのだ。つい先日、生れたばかりなんだそうだ。実に、可愛い。やっぱり風がこわいのか、ぷるぷる震えている。頬ずりしたら、お乳のにおいが、ぷんと来た。どんな香水のにおいより、高貴だ。五匹をみんな、ふところへいれたら、くすぐったくて、僕は思わず「わあっ!」と悲鳴を挙げた。
兄さんは、午後から机に向って、原稿用紙になにか熱心に書いている。僕は傍に寝そべって、「夜明け前」を少し読んだ。読みにくい文章である。
風は、夜になって、少しおさまった。けれども、雨戸をさかんに、ゆり動かしている。外は、とてもよい月夜なのに。風よ、どんなに荒く吹いてもいいけど、あの月と星とだけは、吹き流さないでおくれ。兄さんは、夜もずっと執筆を継続。僕は、「夜明け前」を寝床の中でまた少し読みつづける。
あすは、R大学の発表である。木島さんが電報で、結果を知らせてくれる筈である。ちょっと気になる。
四月六日。木曜日。
晴れたり曇ったり。朝、少し雨。海浜の雨は、サイレント映画だ。降っても、なんにも音がせず、しっとりと砂に吸い込まれて行く。風は、すっかりやんでいる。起きて、しばらく雨の庭を眺めて、それから、「ええ、寝ちまえ!」とひとりごとを言って、また蒲団の中に、もぐり込んでしまった。兄さんは、プウシキンのような顔をして、すやすや眠っている。兄さんは御自分の顔の黒いのを、時々自嘲なさっているが、僕は、兄さんのように浅黒くて陰影の多い顔を好きだ。僕の顔は、ただのっぺりと白くて、それに頬ぺたが赤くて、少しも沈鬱なところがない。頬ぺたを蛭に吸わせると、頬の赤みが取れるそうだが、気味が悪くて、決行する勇気は無い。鼻だって、兄さんのは骨ばって、そうして鼻梁にあざやかな段がついていて、オリジナリティがあるけれども、僕のは、ただ、こんもりと大きいだけだ。いつか僕が友人の容貌の事などを調子づいて話していたら、兄さんが傍から、「お前は美男子だよ。」と突然言って、座を白けさせてしまった事があったけれど、あの時は、うらめしかった。何も僕は、自分だけが美男子で、他のひとは皆、醜男だなんて思ってやしない。とんでもない事である。自分が絶世の美男子だったら、ひとの容貌なんかには、むしろ無関心なものだろうと思う。ひとの醜貌に対しても、頗る寛大なものだろうと思う。ところが僕のように、自分の顔が甚だ気にいらない者には、ひとの容貌まで気になって仕様がないのだ。さぞ憂鬱だろうな、と共感を覚えるのである。無関心では居られないのだ。僕の顔など、兄さんに較べて、百分の一も美しくない。僕の顔には、精神的なものが一つも無いのだ。トマトのようなものだ。兄さんは御自分では、色の黒いのを自嘲して居られるが、いまに文筆で有名になったら、小説界随一の美男子だなんて人に言われて、その時は、まごついてしまうに違いない。ちょいとプウシキンに似ていますよ。僕の顔は、百人一首の絵札の中にあります。うつらうつら眠って、いろいろな夢を見た。なんでも上野駅あたりの構内らしかったが、僕は四方を汽車に取りかこまれながら、風呂桶のお湯にひたって、きょろきょろしていた。突然、頭上で、ベートーヴェンの第七が落雷の如く響いた。あわてふためいて僕は立ち上り、裸のままで両手を挙げ、指揮をはじめた。或る時は激しく、或る時は悠然と大きく、また或る時は全身を柔かに悶えさせて指揮した。交響楽は、ふっと消えた。汽車の乗客たちは汽車の窓々から僕を冷静に見つめている。僕は恥ずかしくなった。全裸で、悶えの指揮の形のまま、僕は風呂桶の中に立っているのだ。なんとも言えない、恥ずかしい形であった。自分で噴き出して、眼が覚めた。短い夢だったが、でも、聞きたいと思っていたベートーヴェンの第七を久し振りで聞く事が出来て、ありがたかった。また、うつらうつら眠ったら、こんどは試験だ。正面に舞台があったりして、いやに立派な試験場だと思ったら、帝大の入学試験だという。けれども、試験官としてやって来たのは、たぬきだったので、いぶかしく思った。受験生も、みんな顔なじみの四年生だ。英語の試験だというのに、問題の紙には虎の絵がかかれてある。どうしても解けない。たぬきは傍に寄って来て、僕に教えてやろうかと言う。僕は、いやだ、あっちへ行け、と言う。いや教えてやる、と言って、たぬきは、クスクス笑うのである。いやでいやで、たまらなかった。悲劇を書けばいいんだろう、と僕が言ってやったら、たぬきは、いや羽衣だよ、と言う。へんな事を言うなあと思ったら、ベルが鳴った。僕は、白紙を、たぬきに手渡して廊下に出た。廊下では、みんながやがや騒いでいる。
「明日の試験は何だい?」
「遠足の試験だい。骨が折れるぜ。」
「お菓子に気をつけろってんだ。」
「おれぁ、相撲部じゃねえよ。」これは、木村らしい。
「二十五円の靴だってさ。」
「お酒飲んで、それから紅葉を見に行こうよ。」これも、木村らしかった。
「お酒でたくさんだい。」
「進、パスしたぜ。」これは、お兄さんの現実の声であった。枕もとに立って、笑っている。「見事合格って、木島から電報が来たぜ。」僕は、一瞬、なんだか、ひどく恥ずかしかった。兄さんから、電報を受け取って見ると、ミゴトゴウカク」バンザイと書かれてあった。いよいよ恥ずかしかった。自分のささやかな成功を、はたから大騒ぎされるのは、理由もなく、恥ずかしいものだ。みんなが僕を笑っているような気さえした。
「木島さんも、おおげさだなあ。バンザイだなんて、ばかにしてるよ。」と言って、僕は蒲団を頭からかぶってしまった。他に、どうにも恰好がつかなかったのである。
「木島も、しんから嬉しかったのだろう。」兄さんは、たしなめるような口調で言っている。「木島にとっては、R大学だって、眼がくらむくらい立派な大学なんだ。また、事実、何大学だって、その内容は同じ様なものだ。」
知っていますよ、兄さん。僕は、蒲団から顔を出して、思わず、にっこり笑ってしまった。笑った顔は、すでに中学生の笑顔でなかった。蒲団をかぶった中学生が、蒲団からそっと顔を出したら、もはや正真正銘の大学生に変化していたという、それこそ「種も仕掛けも無い」手品。ああ少し、はしゃぎすぎて書いた。恥ずかしい。R大学なんて、なんだい。
きょうは何だか、どこを歩いてみても、足が地についていない感じだった。ふわふわ雲の上を歩いているような感じだった。兄さんも、「僕もきょうは、そんな感じがするぜ。」と言っていた。夜は、二人で片貝の町へ行ってみて、おどろいた。まるで違っているのだ。昔の片貝の町の姿ではなかった。まさか、僕がけさの夢のつづきを見ているのでもあるまい。町は、見るかげも無く、さびれているのだ。どこもかしこも、まっくらなのだ。そうして、シンと静まりかえっている。人の気配もない。五年ほど前の夏には避暑客でごったかえしていた片貝の銀座も、いまは電燈一つ灯っていない。まっくらである。犬の遠吠も、へんに凄い。季節のせいばかりでなく、たしかに片貝の町そのものが廃れたのだ。
「狐にだまされているみたいだね。」と僕が言ったら、兄さんは、
「いや、本当にいま、だまされているのかも知れん。どうも変だ。」と真面目に言った。
昔からの馴染の、撞球場にはいってみた。暗い電球が一つともっているだけで、がらんとしている。奥の部屋に、見知らぬ婆さんがひとり寝ている。
「突くのけええ、」と、しゃがれた声で言うのである。「突くんだば、ここの押入れん中ん球、取ってくれせええ。」
僕は逃げようかと思った。けれども兄さんは、のこのこ奥の部屋へはいって行って、婆さんの寝床を踏み越え、押入れをあけ、球を取って来たのには驚いた。兄さんも、たしかにきょうは、どうかしている。一ゲエムだけやろうという事になったが、黒ずんだ羅紗の上をのろのろ歩く球が、なんだか生き物みたいで薄気味が悪くなって来て、勝負のつかぬうちに、よそうや、よそう、と言って、外に出てしまった。そばやへはいって、ぬるい天ぷらそばを食べながら、
「どうしたんだろう、今夜は。意志と行動が全く離れているみたいだ。僕の頭が、変になっているのかしら。」と僕が言ったら、兄さんは、
「なにせ、進が大学生になったというところあたりから、きょうは、あやしい日だという気がしていたよ。」と、にやにや笑って言った。
「あ、いけねえ!」僕は図星をさされたような気がした。
きょうの怪奇の原因は、片貝の町よりも、やっぱり僕が少しのぼせているところにあったのかも知れない。それにしても、兄さんまで、僕と同じ様に、足が地につかない感じだなんて言って賛成するのは、おかしい。兄さんも僕と同じ様に、うれしく、ぽっとしてしまったのかしら。ばかな兄さんだなあ。これくらいの事で、そんなに興奮して。
いまに、もっともっと喜ばせてあげよう。きょうは一日、夢を見ているような気持だったが、夢だったら、さめないでおくれ。波の音が耳について、なかなか眠れない。でも、もうこれで、将来の途が、一すじ、はっきりついた感じだ。神さまにお礼を言おう。
四月七日。金曜日。
晴れ。東から弱い風がそよそよ吹いている。もう、東京へ帰りたくなった。九十九里も、少しあきて来た。朝ごはんを食べて、それからすぐに二人で砂浜へ出てゴルフを始めたが、最初の時ほど面白くなかった。興が乗らない。ゴルフの最中に、別荘の隣りに住んでいる生田繁夫という十八になる中学生が、「こんにちは」と言ってやって来て、こちらが、「こんにちは」と挨拶を返したらすぐに、「この代数の問題を解いて下さい。」と言ってノオトブックを僕の鼻先に突きつけた。ずいぶん失敬だと思った。この人とは、小さい時分、よく一緒に遊んだものだが、それにしても、久し振りで逢って挨拶のすむかすまぬかのうちに、「この問題を解いて下さい」は、ずいぶん失敬な事だと思う。なにか僕たちに敵意でも抱いているのではないかとさえ疑われた。皮膚も見違えるほど黒くなって、もうすっかり、浜の青年になっている。
「出来そうもないなあ。」と僕は、ノオトブックの問題を、ろくに見もせずに言ったら、
「だって、あんたは大学へはいったんでしょう?」と詰め寄る。まるで喧嘩口調だ。僕は、とてもいやな気がした。
「どこからお聞きになったのですか?」と兄さんは、おだやかに尋ねた。
「きのう電報が来たそうじゃないですか。」と繁夫さんは意気込んで言う。「川越のおばさんから聞きましたよ。」
「ああ、そうですか。」兄さんは首肯いて、「やっとはいったのです。進は、ろくに受験勉強もしていなかったようですから、あなたにも解けないようなむずかしい問題は、やはり解けないでしょうよ。」と微笑んで言ったら、繁夫さんはみるみる満面に喜色を湛えて、
「そうでしょうか。僕はまた、四年から大学へはいる程の秀才なら、こんな問題くらいわけなく解けるだろうと思って、お願いに来たんですけど、本当に失礼しました。この因数分解の問題は、なかなかむずかしいんですよ。僕も来年、高等師範へ受けてみようと思っているんです。僕は秀才でないから五年から受けます。はははは。」と、とても空虚な浅間しい笑いかたをして帰って行った。馬鹿な奴だ! 環境がこの人を、こんなに、ねじけさせてしまったのかも知れないが、でも、こんな馬鹿がいるために世の中がどんなに無意味に暗くなる事か。いちいち僕に、張り合って、けちをつけなくたっていいじゃないか。R大学へはいったからって、僕には、これぼっちも驕った気持は無いんだし、ひとを軽蔑するなんて、思いも及ばぬ事なのだ。兄さんも、繁夫さんの意気揚々たるうしろ姿を見送って、
「あんな人もいるからなあ。」と呟いて、溜息をついた。
僕たちは、すっかりしょげてしまって、なんだか、こんなところで、のんきに遊んでいるのは、ひどく悪い事のような気もして来て、
「狐には穴あり、鳥には塒、か。」と僕が言ったら、兄さんは、
「視よ! 新郎をとらるる日きたらん。」と言って笑った。こんな会話も、繁夫さんたちが聞いたら、さぞ鼻持ならない、気障ったらしいもののような気がするのだろう。そんなら僕たちは、どうすればいいのだ。僕たちは、ちっとも思い上ってなんかいないのだ。いつでも、とても遠慮をしているのに。ああ、東京へ帰りたい。田舎は、とてもむずかしい。ゴルフをつづける気力も無く、僕たちは悲しい冗談を言い合いながら、家へ帰った。
お昼には、また一つ失敗した。これは大きな失敗だった。しかも、それは、一から十まで僕ひとりが悪かったのだから、たまらない。
お昼ごはんをすましてから、僕は兄さんをお庭にひっぱり出して、写真をとってあげていたら、垣根の外で石塚のおじいさんの孫が二人、こそこそ話合っているのが聞えた。
「おらも、三つの時、写真とってもらっただ。」男の子が得意そうに言う。
「三つん時?」妹の声である。
「そうだだ。おらは帽子かぶってとっただ。だけんど、おらは覚えてねえだ。」
兄さんも僕も噴き出した。
「遊びにいらっしゃい。」と兄さんは大きい声で言った。「写真をとってあげますよ。」
垣根の外は、しんとなった。石塚のおじいさんは、昔この別荘の留守番をしてくれていた人で、いまもやはり此の辺に住んでいるのである。お孫さんは、上の男の子が十くらい、下の女の子が、七つくらい。やがて二人は、顔を真赤にして、ちょこちょこと庭へはいって来て、すぐに立ちどまり、二人とも、いよいよ顔を燃えるように赤くしてはにかみ、一歩も前にすすまない。その、もじもじしている様は、とても上品で感じがよかった。
「こっちへいらっしゃい。」と兄さんが手招きして、それから、ああ、僕は実にまずい事を言ってしまった。
「お菓子をあげるぜ。」
女の子は、ふっと顔をあげて、それからくるりと背を向け、ぱたぱたと逃げた。男の子は、女の子ほど敏感でないらしく、ちょっとまごついていたが、これもすぐ女の子の後を追って逃げてしまった。
「だしぬけに、お菓子をあげるなんて言ったら、子供だって侮辱を感ずるよ。そんな気で来たんじゃないというプライドが、あるんだよ。」兄さんは、残念そうな顔をして言った。「ばかだなあ。これだから、繁夫さんにも反感を持たれるんだよ。」
一言の弁解も出来なかった。やはり僕には、どこかに思い上った気持があるのだろう。くだらないおっちょこちょいだよ、僕は。
どうも田舎はいけない。躓いてばかりいる。暗い気持である。よっぽど、石塚のおじいさんのところへ行って、あの小さい兄妹にお詫びをして来ようと思ったけれど、やはり行けなかった。大袈裟のような気がして、恥ずかしく、どうしても行けなかった。
あすは東京へ帰ろうと思う。兄さんに相談したら、兄さんも、そろそろ帰りたいと思っていたところだ、と言って賛成してくれた。
夕方、風呂からあがって鏡を見たら、鼻頭が真赤に日焼けして、漫画のようであった。瞼が二重になったり三重になったり一重になったり、パチクリする度毎に変る。眼が落ちくぼんだのかも知れない。運動しすぎて、却って痩せたのだ。ひどく損をしたような気がした。早く東京へ帰りたい。僕は、やっぱり都会の子だ。
四月八日。土曜日。
九十九里は晴れ、東京は雨。家へ着いたのは、午後七時半ごろだった。姉さんが来ていた。へんな気がした。「ついさっき、ちょっと遊びに来たの。」と姉さんは澄まして言っていたが、後で木島さんは、うっかり、おとといの晩から来ているのだという事を僕たちに漏してしまった。姉さんは、どうしてそんな不必要な嘘をつくのだろう。何かあるのかも知れない。とにかく疲れて、僕たちは風呂へはいって、すぐに寝た。
四月九日。日曜日。
曇天。午後一時に起きた。やはり自宅は、ぐっすり眠れる。蒲団のせいかも知れない。兄さんは、僕よりずっと早く起きたようだ。そうして姉さんと、何か言い争いをしたらしい。姉さんも、兄さんも、互いにツンとしている。何かあったのに違いない。そのうち、真相が、わかるだろう。姉さんは、僕にもろくに話掛けずに、夕方、下谷へ帰って行った。
夜、兄さんは僕を連れて、神田へ行き、大学の制帽と靴とを買ってくれた。僕はその帽子を、かぶって帰った。帰りのバスの中で、
「姉さんどうしたの?」と僕が聞いたら、兄さんは、ちえっと舌打ちして、
「馬鹿な事を言うんだ。馬鹿だよ、あれは。」と言って、それっきり黙ってしまった。それこそ、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。ひどく怒っているようだ。
何かあったに違いない。けれども僕は、なんにも知らないから、口を出す事も出来ない。当分、傍観していよう。
あすは洋服屋が、洋服の寸法をとりにやって来る筈だ。兄さんは、レインコートも買ってくれると言っていた。だんだん、名実ともに大学生らしくなって行くのだ。流れる水よ。R大学にパスして、やっぱりよかったなあ、と今夜しみじみ思った。も少し経ったら、演劇の勉強も本格的にはじめるつもりだ。兄さんは、まず、演劇のいい先生に紹介してあげると言っている。斎藤氏の事かも知れない。斎藤市蔵氏の作品は、日本ではもう古典のようになっていて、僕なんか批評する資格もないが、内容が、ちょっと常識的なところがあって物足りない。けれども、スケエルは大きいし、先生とするには、あんな人が一ばんいいのかも知れない。
兄さんは、芸術の道はむずかしいと言っている。けれども、勉強だ。勉強さえして置けば、不安は無い。やってみたいと思う道を、こうしてやってゆけるようになったのも、兄さんのおかげだ。一生涯、助け合って努めて、そうして成功しよう。お母さんだって、いつも、「兄弟仲良く」とおっしゃっているのだ。お母さんも、きっと喜んでくれるだろう。
兄さんは、さっきからお母さんの部屋で、何か話込んでいる。ずいぶん永い。いよいよ、何かあったのに違いない。じれったい。
四月十日。月曜日。
晴れ。学校から正式の合格通知が来る。始業式は二十日である。それまでに洋服が間に合えばいいが。きょう洋服屋さんが、寸法をとりに来た。流行の型でなく、保守的な型のを註文した。流行型の学生服を着て歩くと、頭が悪いように見えるからいけない。じみな型の洋服を着て歩くと、とても、秀才らしく見えるものだ。兄さんも、なんでもない普通の型の学生服を着ていた。そうして、とても秀才らしく見えた。
夕方、よしちゃんが遊びに来た。商大生、慶ちゃんの妹である。まだ女学生であるが、生意気である。
「R大にはいったんだって? よせばいいのに。」ひどい挨拶である。
「商大はいいからねえ。」と言ってやったら、あんなのもつまらない、と言う。何がいいのかと聞いたら、中学生は、可愛くって一ばんいいと言う。話にならない。
梅やに、スカートのほころびを縫わせて、縫いあがったら、さっさと帰って行った。また洋服の事だが、女学生の制服ってどうしてあんなに野暮臭く、そうして薄汚いのだろう。も少し、小ざっぱりした身なりが出来ないものか。路を歩いても、ひとりとして、これは! と思うようなものが無いではないか。みんな、どぶ鼠みたいだ。服装があんな工合だから、心までどぶ鼠のように、チョロチョロしている。どだい、男子を尊敬する気持が全然、欠如しているのだから驚く。
きょうは兄さん、午後からお出掛け。いまは夜の十時だが、まだ帰らぬ。事件の輪郭がほぼ、僕にもわかって来た。
四月二十四日。月曜日。
晴れ。われ、大学に幻滅せり。始業式の日から、もう、いやになっていたのだ。中学校と少しもかわらぬ。期待していた宗教的な清潔な雰囲気などは、どこにも無い。クラスには七十人くらいの学生がいて、みんな二十歳前後の青年らしいのに、智能の点に於ては、ヨダレクリ坊主のようである。ただもう、きゃあきゃあ騒いでいる。白痴ではないかと疑われるくらいである。僕のほうの中学からは、赤沢がひとり来ているだけだが、赤沢は、五年からはいって来た人だから、僕とはそんなに親しくはない。ちょと目礼を交すくらいのところである。だから僕は、クラスに於ては、全くの孤立である。白痴五十人、点取虫十人、オポチュニスト五人、暴力派五人、と僕は始業式の時に、早くもクラスの学生を分類してしまったのである。この分類は正確なところだと思う。僕の観察には、万々あやまりは無いつもりである。天才的な人間は、ひとりも見当らない。実に、がっかりした。これでは僕が、クラス一番の人物ということになるようだ。張り合いの無い事おびただしい。共に語り、共にはげまし合う事の出来る秀抜のライバルが、うようよいるかと思ったら、これではまるで、また中学校の一年へ改めてはいり直したようなものだ。ハーモニカなどを教室へ持って来る学生なんかあるのだから、やり切れない。二十日、二十一、二十二と、三日学校へかよったら、もういやになった。学校をよして、早くどこかの劇団へでもはいって、きびしい本格的な修業にとりかかりたいと思った。学校なんて、全然むだなもののような気がした。きのうは一日、家にいて「綴方教室」を読了し、いろいろ考えて夜もなかなか眠られなかった。「綴方教室」の作者は、僕と同じ歳なのだ。僕もまったく、愚図愚図しては居られないと思ったのだ。貧乏で、そうして、ちっとも教育の無い少女でも、これだけの仕事が出来るのだ。芸術家にとって、めぐまれた環境というのは、かえって不幸な事ではあるまいか、と思った。僕も早く、現在の環境から脱け出して、劇団のまずしい一研究生として何もかも忘れて演劇ひとつに打ち込んでみたいと思った。朝の四時過ぎに、やっと、うとうと眠って、けさの七時に目ざまし時計におどろかされて、起きたら、くらくら目まいがした。それでも、辛い義務で、学校まで重い足を運ぶ。
あまり校舎が静かなので、はてな? と思って事務所へ行ったら、ここにも人の気配が無い。ハッと気附いた。きょうは靖国神社の大祭で学校は休みなのだ。孤立派の失敗である。きょうが休みだと知っていたら、ゆうべだって、もっと楽しかったであろうに。馬鹿馬鹿しい。
でも、きょうはいい天気だった。帰りには、高田馬場の吉田書店に寄って、ゆっくり古本を漁った。時々、目まいが起る。テアトロ数冊、コクランの「俳優芸術論」タイロフの「解放された演劇」、それだけ選び出して、包んでもらう。どうも、目まいがする。まっすぐに家へ帰り、すぐに寝た。熱も少しあるようだ。寝ながら、きょう買って来た本の目次などを見る。演劇の本は、本屋にもあまりないので、困っている。洋書だったら、兄さんが演劇に関するものも少し持っているようだが、僕にはまだ読めない。外国語を、これから充分にマスターしなければならぬ。語学が完全でないと、どうも不便だ。
一眠りして、起きたのは午後三時。梅やにおむすびを作ってもらって、ひとりで食べた。けれども、一つ食べたら、胸が悪くなって、へんな悪寒がして来て、また蒲団にもぐり込む。杉野さんが、心配して熱を計ってくれた。七度八分。香川先生に来ていただきましょうか、という。要らない、と断る。香川さんというのは、母の主治医である。幇間的なところがあって、気にいらない。杉野さんから、アスピリンをもらってのむ。うつらうつらしていたら、ひどく汗が出て、気持もさっぱりして来た。もう大丈夫だと思う。兄さんは、朝から、れいの事件で下谷へ行ったそうで、まだ帰らない。簡単には、治まらなくなったらしい。兄さんがいないと、なんだか心細い。また、杉野さんに熱を計ってもらったら、六度九分。勇気を出して寝床に腹這いになって、日記をつける。われ、大学に幻滅せり。どうしてもそれを書きたかったのだ。腕がだるい。いまは夜の八時である。頭がハッキリしていて、眠れそうもない。
四月二十五日。火曜日。
晴れ。風強し。きょうは学校を休む。兄さんも、休んだほうがいいと言う。熱はもう何も無いので、寝たり起きたり。
事件というのは、姉さんが鈴岡さんと別れたいと言い出した事である。直接の原因は、何も無いようだ。ただ、いやだというのだ。いやだという事こそ、最も重大な原因だと言って言えない事もないだろうけど、具体的に、これという原因はないらしい。それだから、兄さんは、とても怒ったのである。姉さんを、わがままだと言って、怒ったのである。鈴岡さんに、すまないというのであろう。鈴岡さんの方では、別れる気なんか、ちっとも無い。とても姉さんを気にいっているらしい。けれども姉さんは、理由もなく、鈴岡さんをきらってしまったのだ。僕だって、鈴岡さんを好きではないけど、でも、姉さんも、こんどは少しわがままだったのではないか、と僕も思う。兄さんの怒るのも、無理がないような気がする。姉さんはいま、目黒のチョッピリ女史のところにいる。麹町の家には来てもらいたくないと、兄さんがはっきり断った様子である。そうしたら、すぐに荷物を持って、チョッピリ女史のところへ行き、落ちついてしまったのである。どうも、こんどの事件には、チョッピリ叔母さんが陰で糸をひいているように、僕には、思われてならない。鈴岡さんは、ひどく当惑しているらしい。兄さんも、さすがに苦笑して話していたが、鈴岡さんは部屋を掃除し、俊雄君は、ごはんを炊いて、その有様は、とても深刻で、気の毒なのだけれど、どうも異様で、つい噴き出したくなる程だそうだ。それはそうだろうと思う。柔道四段が尻端折して障子にはたきをかけ、俊雄君は、あの珍らしい顔を、淋しそうにしかめて、おさかなを焼いている図は、わるいけど、想像してさえ相当のものである。気の毒だ。姉さんは帰ってやらなければならぬ。何も原因は無い、という事だが、あるいは何か具体的な重大な原因があるのかも知れぬ。そんなら、みんなでその原因を検討し、改めるべきは改めて、円満解決を計ったらいいのだ。どうも、誰も僕に相談してくれないので、実に、じれったい。事の真相さえ、僕には何も報告されていないのだ。僕は此の事件に就いては、しばらく傍観者の立場をとり、内々、真相をスパイするように努めようと思う。僕の考えでは、どうも、チョッピリ女史が、くさい。かれを折檻したら、事の真相を白状するかも知れぬ。そのうち一度、チョッピリ女史のところへ、何くわぬ顔をして偵察に行ってみよう。かれは自分が独身者なもんだから、姉さんをもそそのかして、何とかして同じ独身者にしようと企てているのに違いない。鈴岡さんだって、悪い人じゃないようだし、姉さんだって立派な精神の持主だ。かならず、悪い第三者がいるに相違ない。とにかく事の真相を、もっとはっきり内偵しなければならぬ。お母さんは、断然、姉さんの味方らしい。やっぱり姉さんを、いつまでも自分の傍に置きたいらしい。此の事件は、まだ、他の親戚の者には知られていないようだが、いまのところでは、姉さんの味方は、お母さんに、チョッピリ女史。鈴岡さんの味方は、兄さんひとり。兄さんは、孤軍奮闘の形だ。兄さんは、このごろ、とても機嫌が悪い。夜おそく、ひどく酔っぱらって帰宅した事も、二三度あった。兄さんは、姉さんより年が一つ下である。だから、姉さんも、兄さんの言う事を、一から十までは聞かない。兄さんは、でも、今は戸主だし、姉さんに命令する権利はあるわけだ。その辺が、むずかしいところだ。兄さんも、こんどの事件では、相当強硬に頑張っているらしい。姉さんも、なかなか折れて出そうもない。チョッピリ女史が傍に控えているんじゃ、だめだ。とにかく僕も、も少し内偵の度を、すすめてみなければいけない。いったい、どういう事になっているんだか。
きょうは兄さんに叱られた。晩ごはんの後で僕は、何気なさそうな、軽い口調で、
「去年の今頃だったねえ、姉さんが行ったのは。あれからもう一年か。」と呟き、何か兄さんから事件の情報を得ようと、たくらんだが、見破られた。
「一年でも一箇月でも、いったんお嫁に行った者が、理由もなく帰るなんて法はないんだ。進は、妙に興味を持ってるらしいじゃないか。高邁な芸術家らしくもないぜ。」
ぎゃふんと参った。けれども僕は、下劣な好奇心から、この問題をスパイしているのではないのだ。一家の平和を願っているからだ。また、兄さんの苦しみを見るに見かねて、手助けしようと思っているからだ。でも、そんな事を言い出すと、こんどは、生意気言うな! と怒鳴られそうだから、だまっていた。このごろの兄さんは、とてもこわい。
夜は寝ながら、テアトロを読みちらした。
四月二十六日。水曜日。
晴れ。夕刻より小雨。学校へ行ったら、きのうもやはり、靖国神社の大祭で休みだったという事を聞いて、なあんだと思った。つまり、きのうと、おとといと二日つづいて休みだったのだ。そうと知ったら、もっと安心して、らくらくと寝ていたものを。どうも、孤立派は、こんな時、損をするようだ。でもまあ、当分は、孤立派で行こう。兄さんも、大学では孤立派だったらしい。ほとんど友人がない。島村さんと、小早川さんが、たまに遊びに来るくらいのものだ。理想の高い人物は、どうしても一時、孤立せざるを得ない工合になってしまうものらしい。淋しいから、不便だからと言って、世の俗悪に負けてはならぬ。
きょうの漢文の講義は少し面白かった。中学校の時の教科書とあまり変りが無かったので、また同じ事を繰り返すのかと、うんざりしていたら、講義の内容がさすがに違っていた。「友あり遠方より来る。また楽しからずや。」という一句の解釈だけに一時間たっぷりかかったのには感心した。中学校の時には、この句は、ただ、親しい友が遠くから、ひょっこりたずねて来てくれるのは嬉しいものだ、というだけの意味のものとして教えられた。たしかに、漢文のガマ仙が、そう教えた。そうして、ガマ仙は、にたりにたりと笑いながら、「たいくつしている時に、庭先から友人が、上酒を一升、それに鴨一羽などの手土産をさげて、よう! と言ってあらわれた時には、うれしいからな。本当に、この人生で最もたのしい瞬間かも知れない。」とひとりで悦にいっていたものだ。ところが、それは大違い。きょうの矢部一太氏の講義に依れば、この句は決して、そんな上酒一升、鴨一羽など卑俗な現実生活のたのしみを言っているのではなく、全然、形而上学的な語句であった。すなわち、わが思想ただちに世に容れられずとも、思いもかけぬ遠方の人より支持の声を聞く、また楽しからずや、というような意味なんだそうだ。的中の気配を、かすかにその身に感覚する時のよろこびを歌っているのだそうだ。理想主義者の最高の願望が、この一句に歌い込められているのだそうだ。決して、その主人が退屈して畳にごろりと寝ころんでいるのではなく、おのが理想に向って勇往邁進している姿なのだそうである。また楽しからずやの「また」というところにも、いろいろむずかしい意味があって、矢部氏はながながと説明してくれたが、これは、忘れた。とにかく、中学校のガマ仙の、上酒一升、鴨一羽は、遺憾ながら、凡俗の解釈というより他は無いらしい。けれども、正直を言うと、僕だって、上酒一升、鴨一羽は、わるい気はしない。充分にたのしい。ガマ仙の解釈も、捨て難いような気がするのだ。わが思想も遠方より理解せられ、そうして上酒一升、鴨一羽が、よき夕に舞い込むというのが、僕の理想であるが、それではあまりに慾が深すぎるかも知れない。とにかく、矢部一太氏の堂々たる講義を聞きながら、中学のガマ仙を、へんになつかしくなったのも、事実である。やっぱりことしも、中学で、上酒一升、鴨一羽の講義をいい気持でやっているに違いない。ガマ仙の講義は、お伽噺だ。
昼休みの時間に、僕は教室にひとり残って、小山内薫の「芝居入門」を読んでいたら、本科の鬚もじゃの学生が、のっそり教室へはいって来て、
「芹川は居らんか!」と大きい声で叫んで、「なんだ、誰も居らんじゃないか。」と口をとがっらせて、「おい、チゴさん。芹川は、どこにいるか知らんか?」と僕に向ってたずねるのである。よほどの、あわて者らしい。
「芹川は、僕ですけど。」と僕は、顔をしかめて答えたら、
「なんだ、そうか。しっけい、しっけい。」と言って頭を掻いた。無邪気な笑顔であった。「蹴球部の者だがね、ちょっと来てくれないか。」
僕は校庭に連れ出された。桜並木の下で、本科の学生が五、六人、立ったりしゃがんだり、けれども一様に真面目な顔をして、僕を待っていた。
「これが、その、芹川進だ。」れいの、あわて者が笑いながらそう言って、僕を皆の前へ押し出した。
「そうか。」ひどく額の広い四十過ぎみたいに見える重厚な感じの学生が、鷹揚にうなずいて、「君は、もう、蹴球をよしたのかい?」と少しも笑わずに僕にたずねる。僕はちょっと圧迫を感じた。初対面の時でも少しも笑わずに話をする人は、僕にはどうも苦手だ。
「え、よしたんです。」僕は、ちょっとお追従笑いをしてしまった。
「考え直してみないかね?」やはり、にこりともせず、僕の眼をまっすぐに見ながら問いかける。
「惜しいじゃないか。」傍から、別の本科生も言葉を添えて、「中学時代に、あんなに鳴らしていたのにさ。」
「僕は、――」はっきり言おうと思った。「雑誌部へなら、はいってもいいと思ってるんですけど。」
「文学か!」誰かが低く、けれども、あきらかに嘲笑の口調で言った。
「だめか。」額の広い学生は、溜息をついて、「君を欲しいと思っていたんだがねえ。」
僕は、ひどく、つらかった。よっぽど、蹴球部にはいろうかと思った。けれども、大学の蹴球部は中学校のそれよりも更に猛烈な練習があるだろうし、それではとても演劇の勉強などは出来そうもないから、心を鬼にして答えた。
「だめなんです。」
「いやに、はっきりしていやがる。」誰かが、また嘲笑を含めて言った。
「いや、」と額の広い学生は、その嘲笑の声をたしなめるように、うしろを振り向いて、「無理にひっぱったって仕様がねえ。なんでも好きな事を、一生懸命にやったほうがいいんだ。芹川は、からだを悪くしているらしい。」
「からだは丈夫です。」僕は、図に乗って抗弁した。「いまは、ちょっと風邪気味なんですけど。」
「そうか。」その重厚な学生も、はじめて少し笑った。「ひょうきんな奴だ。蹴球部へも時々、遊びに来いよ。」
「ありがとう。」
やっとのがれる事が出来たが、あの、額の広い学生の人格には感心した。キャプテンかも知れない。R大の蹴球部のキャプテンは、去年は、たしか太田という人だったと記憶しているが、あの額の広い学生は、あるいは、あの有名なキャプテン太田なのかも知れない。太田でないにしても、とにかく、大学の運動部のキャプテンともなるほどの男は、どこか人間として立派なところがある。
きのうまでは、大学に全然絶望していたのだが、きょうは、漢文の講義と言い、あのキャプテンの態度と言い、ちょっと大学を見直した。
さて、それから、きょうは大変な事があったのだけれど、その大活躍のために、いまは、とても疲れて、くわしく書く事が出来ない。実に、痛快であった。明日、ゆっくり書こう。
四月二十七日。木曜日。
雨。一日、雨が降っている。朝は猛烈な雷。きのうは、あんまり活躍したので、けさになっても、疲れがぬけず、起きるのが辛かった。新しく買ってもらったレインコートをはじめて着て、登校。きのうの、額の広い学生は、やっぱり、あの有名なキャプテン太田だという事がわかった。休み時間にクラスの連中が、噂しているのを聞いて知ったのである。キャプテン太田は、R大の誇りらしい。本科一年の時から、キャプテンになったらしい。なるほど、と感心する。モーゼという綽名らしい。これにも、なるほど、と感心する。
それから、きょうの聖書の講義で、感心した事なども書いて置きたいのだけれど、それはまた、後に書く機会もあろう。きょうは、とにかく、きのうの出来事を忘れぬうちに書いて置かなければならぬ。なにしろ、たいへんだったのだ。
きのう学校からの帰り道、ふと目黒のチョッピリ叔母さんのところへ寄って行こうかと思って、そう思ったら、どうしてもきょう行かなければいけないような気がして来て、午後からはお天気も悪くなって雨が降り出しそうだったのだが、ほとんど夢中で目黒まで行ってしまった。チョッピリ女史は在宅だった。姉さんもいた。姉さんは、ちょっと間の悪そうな顔をして、
「あら、坊やは少し痩せたわね、叔母さん?」
「あ、坊やは、よしてくれ。いつまでも坊やじゃねえんだ。」と僕は、姉さんの前に、あぐらをかいて言った。
「まあ。」と姉さんは眼を見はった。
「痩せる筈さ。大病になっちゃったんだよ。きょう、やっと起きて歩けるようになったんだ。」すこし大袈裟に言った。「おい、叔母さん、お茶をくれ。のどが乾いて仕様がねえんだ。」
「なんです、その口のききかたは!」叔母さんは顔をしかめた。「すっかり、不良になっちゃったのね。」
「不良にもなるさ。兄さんだって、このごろは、毎晩お酒を飲んで帰るんだ。兄弟そろって不良になってやるんだ。お茶をくれ。」
「進ちゃん。」姉さんは、あらたまった顔つきになり、「兄さんは、お前に何か言ったの?」
「何も言やしねえ。」
「お前が大病したって本当?」
「ああ、ちょっとね。心配のあまり熱が出たんだ。」
「兄さんが、毎晩お酒を飲んで帰るって、本当?」
「そうさ。兄さんも、すっかり人が変ったぜ。」
姉さんは、顔をそむけた。泣いたのだ。僕も泣きたくなったが、ここぞと怺えた。
「叔母さん、お茶をくれよ。」
「はい、はい。」チョッピリ女史は、ひとを馬鹿にし切ったような返事をして、お茶をいれながら、「どうにか大学へはいって、やれ一安心と思うと、すぐにこんな、不良の真似を覚えるし。」
「不良? 僕はいつ不良になったんだい? 叔母さんこそ不良じゃないか。なんだい、チョッピリ女史のくせに。」
「ま、なんという事です。」叔母さんは、本当に怒った。「私にまで、あくたれ口をきいて。ごらん! 姉さんが泣いちゃったじゃないの。私は知っているんですよ。兄さんにけしかけられて、子供のくせに、あばれ込んで来たつもりなんだろうけど、みっともない、楽屋がちゃんと知れていますよ。いったい、チョッピリ女史なんて、なんの事です。少し、言葉をつつしみなさい。」
「チョッピリ女史ってのはね、叔母さんの綽名だよ。僕のうちじゃそう呼ぶ事にしているんだ。知らなかったのかい? それじゃ、お茶をチョッピリいただきますよ。」お茶を、がぶがぶ飲んで、僕は横目で姉さんを見た。うつむいている。あわれだった。何もかも叔母さんが悪いのだと、僕は、いよいよ叔母さんを憎む気持が強くなった。
「麹町でも、いい子供ばかりあって、仕合わせだねえ。進ちゃん、いい子だから、もうお帰り。家へ帰って兄さんにね、言いたい事があるならこんな子供なんかを使って寄こさず男らしくご自分でおいでなさい、ってそう言っておくれ。なんだい、陰でこそこそしているばかりで、いっこうに此の頃は、目黒へも姿を見せないじゃないか。兄さんには、私から、うんと言ってやりたい事があるんです。毎晩、酒を飲んで帰るって? だらしがない。」
「兄さんの悪口は言わないで下さい。」僕も本気に怒ってしまった。「叔母さんこそ、言葉をつつしんだらどうですか。僕は何も、兄さんにけしかけられて、ここへ来たんじゃないよ。子供、子供って、甘く見ちゃ困るね。僕にだって、いい人と悪い人の見わけはつくんだ。僕はきょう叔母さんと、喧嘩しに来たんだ。兄さんに関係は無い事だ。兄さんは、こんどの事に就いては誰にもなんにも言ってやしない。そうして、ひとりで心配しているんだ。兄さんは、卑怯な人じゃないぜ。」
「さ、お菓子は、どう?」叔母さんは老獪である。「おいしいカステラだよ。叔母さんには、なんでもちゃんと判ってるんだから、つまらない悪たれ口はきかないで、お菓子でもたべて、きょうはまあ、お帰り。お前は、大学生になったら、すっかり人が変ったねえ。家にいてもお母さんに、そんな乱暴な口をきくのかね?」
「カステラ? いただきます。」僕は、むしゃむしゃたべた。「おいしいね。叔母さん、怒っちゃいけない。お茶をもう一ぱいおくれ。叔母さん、僕はこんどの事に就いては、なんにも知っちゃいないんだけど、だけど、姉さんの気持も、わかるような気がするよ。」ちょっと軟化したみたいな振りをして見せた。
「何を言うことやら。」叔母さんは、せせら笑った。けれども、少し機嫌が直った。「お前なんかには、わかりゃしないよ。」
「さ、どうかな? でも、はっきりした原因は、きっとあるに相違ない。」
「それぁね、」と乗り出して、「お前みたいな子供に言ったって仕様がないけど、アリもアリも大アリさ!」どうも叔母さんの言葉は、ほんものの下司なんだから閉口する。アリもアリも、は、ひどいと思う。「だいいちお前、結婚してから一年も経っているのに、財産がいくら、収入がいくらという事を、てんで奥さんに知らせないってのは、どういうものかね、あやしいじゃないか。」僕は、だまって聞いていた。すると叔母さんは、僕が感心して聞いているものと思ったらしく、さらに調子づいて、「鈴岡さんは、それぁ、いまこそ少しは羽振りがいいようだけど、元をただせば、お前たちのお父さんの家来じゃないか。私ゃ、知っていますよ。お前たちはまだ小さくて、知ってないかも知れんが、私ゃ、よく知っていますよ。それぁもう、ずいぶんお世話になったもんだ。」
「いいじゃないか、そんな事は。」さすがに少し、うるさくなって来た。
「いいえ、よかないよ。謂わば、まあ、こっちは主筋ですよ。それをなんだい、麹町にも此の頃はとんとごぶさた、ましてや私の存在なんて、どだい、もう、忘れているんですよ。それぁもう私は、どうせ、こんな独身の、はんぱ者なんだから、ひとさまから馬鹿にされても仕様がないけれども、いやしくもお前、こちらは主筋の、――」ほとんど畳をたたかんばかりの勢いであった。
「脱線してるよ、叔母さん。」僕は笑っちゃった。
「もういいわよ。」姉さんも、笑い出した。「そんな事より、ねえ、進ちゃん? お前も兄さんも、下谷の家を、とってもきらっているんでしょう? 俊雄さんの事なんか、お前たちは、もう、てんで馬鹿にして、――」
「そんな事はない。」僕は狼狽した。
「だって、ことしのお正月にも、来てくれなかったし、お前たちばかりでなく、親戚の人も誰ひとり下谷へは立ち寄ってくれないんだもの。あたしも、考えたの。」
なるほど、そんな事もあるのか、と僕は思わず長大息を発した。
「ことしのお正月なんか、進ちゃんの来るのを、とっても楽しみにして待っていたのよ。鈴岡も、進ちゃんを、しんから可愛がって、坊や、坊やって言って、いつも噂をしているのに。」
「腹が痛かったんだ、腹が。」しどろもどろになった。あんな事でも、姉さんの身にとっては、ずいぶん手痛い打撃なんだろうな、とはじめて気附いた。
「それぁ、行かないのが当り前さ。」叔母さんは、こんどは僕の味方をした。滅茶滅茶だ。「どだい、向うから来やしないんだものね。麹町にも、とんとごぶさただそうだし、私のところへなんか、年始状だって寄こしゃしない。それぁもう、私なんかは、――」また始めたい様子である。
「いけませんでした。」姉さんは、落ちついて言った。「鈴岡も、書生流というのか、なんというのか、麹町や目黒にだけでなく、ご自分の親戚のおかた達にも、まるでもう、ごぶさただらけなんです。私が何か言うと、親戚は後廻しだ、と言って、それっきりなんですもの。」
「それでいいじゃないか。」僕は、鈴岡さんをちょっと好きになった。「まったく、肉親の者にまで、他人行儀のめんどうくさい挨拶をしなければならんとなると、男は仕事も何も出来やしない。」
「そう思う?」姉さんは、うれしそうな顔をした。
「そうさ。心配しなくていいぜ。このごろ兄さんと毎晩おそくまでお酒を飲み歩いている相手は誰だか知ってるかい? 鈴岡さんだよ。大いに共鳴しているらしい。しょっちゅう、鈴岡さんから電話が来るんだ。」
「ほんとう?」姉さんは眼を大きくして僕を見つめた。その眼は歓喜に輝いていた。
「当り前じゃないか。」僕は図に乗って言った。「鈴岡さんはね、毎朝、尻端折して、自分で部屋のお掃除をしているそうだ。そうしてね、俊雄君が、赤いたすきを掛けてご飯の支度さ。僕は、その話を兄さんから聞いて、下谷の家をがぜん好きになっちゃった。でも、坊やだけは、よしてくれねえかな。」
「あらためます。」姉さんは浮き浮きしている。「だって鈴岡がそう言うもんだから、私までつい口癖になって。」僕には、おのろけのように聞えた。けれども、それをひやかすのは下品な事だ。
「僕も悪かったし、兄さんだって、うっかりしてたところがあったんだ。叔母さん、ごめんね。さっきはあんな乱暴な事ばかり言って。」と叔母さんの御機嫌もとって置いた。
「それぁ私だって、まるくおさまったら、これに越した事は、ないと思っていたさ。」叔母さんも、さすがに機を見るに敏である。くるりと態度をかえていた。「だけど、進ちゃんも、利巧になったねえ。舌を巻いたよ。でもね、あの、チョッピリだの何だのと言って、年寄りをひやかすのだけは、やめておくれ。」
「あらためます。」
僕は、いい気持だった。叔母さんのところで夕ごはんをごちそうになって、家へ帰った。
その夜ほど、兄さんの帰宅を待ちこがれた事が無い。お母さんは、僕が目黒の家で晩ごはんをたべて来たという事を聞いて、やたらに姉さんの様子を知りたがり、何かとうるさく問い掛けるのであるが、僕は、教えるのが、なんだか惜しくて、要領を得ないような事ばかり言って、あとで兄さんからお聞きなさいよ、僕には、よくわからないんだもの、とごまかして、お母さんの部屋から逃げ出してしまった。
十一時ごろ、兄さんは、ひどく酔っぱらって帰って来た。僕は、兄さんの部屋へついて行って、
「兄さん、お水を持って来てあげようか。」
「要らねえよ。」
「兄さん、ネクタイをほどいてあげようか。」
「要らねえよ。」
「兄さん、ズボンを寝押してあげようか。」
「うるせえな。早く寝ろ。風邪は、もういいのか。」
「風邪なんて、忘れちゃったよ。僕は、きょう目黒へ行って来たんだよ。」
「学校を、さぼったな。」
「学校の帰りに寄って来たんだよ。姉さんがね、兄さんによろしくって言ってたぜ。」
「聞く耳は持たん、と言ってやれ。進も、いい加減に、あの姉さんをあきらめたほうがいいぜ。よその人だ。」
「姉さんは、僕たちの事を、とっても思っているんだねえ。ほろりとしちゃった。」
「何を言ってやがる。早く寝ろ。そんなつまらぬ事に関心を持っているようでは、とても日本一の俳優にはなれやしない。このごろ、さっぱり勉強もしていないようじゃないか。兄さんには、なんでもよくわかっているんだぜ。」
「兄さんだって、ちっとも勉強してないじゃないか。毎日、お酒ばかり飲んで。」
「生意気言うな、生意気を。鈴岡さんにすまないと思うから、――」
「だから、鈴岡さんをよろこばせてあげたらいいじゃないか。姉さんは、鈴岡さんを、ちっともきらいじゃないんだとさ。」
「お前には、そう言うんだよ。進も、とうとう買収されたな。」
「カステラなんかで買収されてたまるもんか。チョッピリ、いや、叔母さんがいけないんだよ。叔母さんが、けしかけたんだ。財産を知らせないとか何とか下品な事を言っていたぜ。でも、そいつは重大じゃないんだ。本当は、僕たちが、いけなかったんだ。」
「なぜだ。どこがいけないんだ。僕は、失敬して寝るぜ。」兄さんは、寝巻に着換えて、蒲団へもぐり込んでしまった。僕は部屋を暗くして、電気スタンドをつけてやった。
「兄さん。姉さんが泣いていたぜ。兄さんが、毎晩そとへ出てお酒を飲んで夜おそくまで帰って来ないと言ったら、姉さんは、めそめそ泣いたぜ。」
「それあぁ泣くわけだ。自分でわがままを言って、みんなを苦しめているんだから。進、そこから煙草をとってくれ。」兄さんは寝床に腹這いになった。僕はライタアで、煙草に火をつけてあげて、
「そうしてね、進も兄さんも、下谷の家が大きらいなんだろう? って言ってたぜ。」
「へえ? 妙な事を言いやがる。」
「だって、そうだったじゃないか。いまは違うけど、前は、兄さんだって下谷の家へ、ちっとも遊びに行かなかったじゃないか。」
「お前も行かなかったぞ。」
「そう、僕も悪かったんだ。なにせ、柔道四段だっていうんで、こわくってね。」
「俊雄君の事も、お前はひどく軽蔑してたぜ。」
「軽蔑ってわけじゃないけど、なんだか、逢いたくなかったんだ。気が重くてね。でも、これからは、仲良くするんだ。よく考えてみたら、いい顔だった。」
「ばか。」兄さんは、笑った。「鈴岡さんも俊雄君も、とてもいい人だよ。やっぱり、苦労して来た人たちは、違うね。以前だって、悪い人だとは思っていなかったけど、また、悪い人だと思ったら姉さんをお嫁になんかやりゃしないんだけど、あんなにいい人だとは思わなかった。こんど、つくづくそう思った。姉さんには、鈴岡さんのよさが、まだよくわかっていないんだ。なんだい、僕たちが遊びに行かないから鈴岡さんと、わかれるって言うのかい? ちっとも、なってないじゃないか。それが、わがままというものなんだ。十九や二十のお嬢さんじゃあるまいし、なんてざまだ。」なかなか、ゆずらない。戸主の見識というものかも知れない。
「それぁ、姉さんにだって、鈴岡さんのよさくらい、ちゃんとわかっているんだ。」僕は必死であった。「その鈴岡さんと、僕たちと、どうも気が合わないらしいというので、姉さんは考えてしまったんだ。姉さんは、とても兄さんや僕の事を大事にしているんだぜ。僕たちも、いけなかったんだよ。よそへ嫁にやったから、他人だなんて、そんな事は無いと思うよ。」
「じゃいったい、僕にどうしろっていうんだ。」兄さんも真剣になって来た。
「別に、どうしなくても、いいんだ。姉さんは、もう大喜びだよ。兄さんと鈴岡さんが、このごろ毎晩お酒を飲んで共鳴してるって僕が言ったら、姉さんは、ほんと? と言ってその時の嬉しそうな顔ったら。」
「そうか。」溜息をついた。しばらくじっとしていて、「よし、わかった。僕も悪い。」兄さんはむっくり起きて、「十二時か、進、かまわないから鈴岡さんに電話をかけて、いますぐ兄さんがお伺いしますからって、それから、朝日タクシイにも電話をかけて、大至急一台たのんでくれ。その間に僕は、ちょっとお母さんに話して来るから。」
兄さんを下谷へ送り出してから、僕は落ちついてその日の日記にとりかかったが、さすがに疲れて、中途でよして寝てしまった。兄さんは、下谷の家へ泊った。
きょう、学校から帰って来ると、兄さんは、にやにや笑いながら、なんにも言わずお母さんの部屋に連れて行った。
お母さんの枕もとには、鈴岡さんと姉さんとが坐っていた。僕が、その傍へ坐って、笑いながらお二人にお辞儀をしたら、
「進ちゃん!」と言って、姉さんが泣いた。姉さんは、お嫁に行く朝にも、こんなふうに僕の名を呼んで泣いた。
兄さんは、廊下に立って渋く笑っていた。僕は、少し泣いた。お母さんは寝たままで、
「きょうだい仲良く、――」を、また言った。
神さま、僕たち一家をまもって下さい。僕は勉強します。
あしたは、姉さんの結婚満一周年記念日だそうだ。兄さんと相談して、何か贈り物をしようと思う。
四月二十八日。金曜日。
晴れ。よく考えてみると、いやしくも男子たるものが、たかが一家内のいざこざの為に、その全力を尽して奔走し、何か大事業でもやっているような気持で、いささか得意になっているというのは、恥ずかしい事である。家庭の平和も大切ではあるが、理想に邁進している男子にとっては、もっともっと外部に対しても強くならなければならぬ。きょう、学校へ行って、つくづくその事を痛感した。家の中で、お母さんや、兄さん、姉さんたちに甘やかされ、お利巧者だとほめられて、たいへん偉いような気がして、一歩そとへ出ると、たちまちひどい目に逢ってしまう。みじめなものだ。有頂天の直後に、かならずどん底の失意に襲われるのは、これは、どうやら僕の宿命らしい。世の中というものは、どうしてこんなにケチくさく、お互いに不必要な敵意に燃えているのか、いやになってしまう。
けさ、大学の正門前でバスから降りた、とたんに、こないだの蹴球部の本科生と逢った。あの日、僕を捜しに教室へやって来た鬚もじゃの学生である。僕は、その人に好意を感じていたのだから、早速にっこり笑って、
「おはようございます。」と活溌に言った。すると、ひどいじゃないか、その学生は、実にいやな、憎しみの眼で、チラと僕を見たきりで、さっさと正門へはいって行ってしまった。こないだのあの無邪気なあわて者とは、まるで別人の感じなのだ。その眼つきは、なんとも言えない、あさはかなものだった。蹴球部へはいらないからと言って、急に、あんなに態度を変えなくたっていいじゃないか。同じR大生じゃないか。馬鹿野郎! と背後から怒鳴りつけてやりたかった。もう、二十四、五にもなっているのだろう。いいとしをして、本気に僕を憎んでいやがる。僕は、その学生を極度に軽蔑すると共に、なんだか悪い人間性を見つけたような気がして、ひどく淋しくなってしまった。きのうまでの幸福感が、一瞬にして、奈落のどん底にたたき込まれたような気がした。ケチな、ケチな小市民根性。彼等のその醜いケチな根性が、どんなに僕たちの伸び伸びした生活をむざんに傷つけ、興覚めさせている事か。しかも自分の流している害毒を反省するどころか、てんで何も気がついていないのだから驚く。馬鹿ほどこわいものがないとは此の事だ。これだから、学校がいやになるのだ。学校は、学問するところではなくて、くだらない社交に骨折るだけの場所である。きょうもクラスの生徒たちは、少女倶楽部、少女の友、スター等の雑誌をポケットにつっこんで、ぶらりぶらりと教室にやって来る。学生ほど、今日、無智なものはない。つくづく、いやになってしまう。授業がはじまる迄は、子供のおもちゃの紙飛行機をぶっつけ合ったり、すげえすげえ、とくだらぬ事に驚き合ったり、卑猥な身振りをしたり、それでいて、先生が来ると急にこそこそして、どんなつまらぬ講義でも、いかにも神妙に拝聴しているという始末。そうして学校がすめば、さあきょうは銀座に出るぜ! などと生きかえったみたいに得意になって騒ぎたてる。けさも教室でひとしきり、ぎゃあぎゃあ大騒ぎだった。何事かと思ったら、昨晩、Kというクラスの色男が、恋人らしい女と一緒に銀座を歩いていたというのだ。それで、その色男が教室へはいって来たら、たちまち、ぎゃあぎゃあの騒ぎになったのである。あさましいというより他は無い。ひねこびた色気の、はきだめという感じである。みんなに野次られて顔を赤くしながらも、それでもまんざらでもなさそうに、にやにやしているKもKだが、それを、やあやあと言って野次っている学生は、いったい、何のつもりなんだろう。わけがわからない。不潔だ! 卑劣だ。ばかな騒ぎを、離れて見ているうちに、激しい憤怒が湧いて来た。赦せないような気がして来た。もう、こんな奴等とは、口もきくまいと思った。仲間はずれでも、よろしい。こんな仲間にはいって、無理にくだらなくなる必要はない。ああ、ロマンチックな学生諸君! 青春は、たのしいものらしいねえ。馬鹿野郎。君等は、なんのために生きているのか。君等の理想は、なんですか。なるたけ、あたり触りの無いように、ほどよく遊んでいい気持になって、つつがなく大学を卒業し、背広を新調して会社につとめ、可愛いお嫁さんをもらって月給のあがるのをたのしみにして、一生平和に暮すつもりで居るんでしょうが、お生憎さま、そうは行かないかも知れませんよ。思いもかけない事が起りますよ。覚悟は出来ていますか。可哀想に、なんにも知らない。無智だ。
朝から、もういい加減に腐っていたら、午後になって僕が教練に出ようとして、ふと、ゲエトルを忘れて来たのに気附いて、あわてて隣りのクラスに行き、一時間だけ貸してくれるように、三人の学生にたのんだけれど、どの学生も、へんに、にやにや笑って、そうして返事さえしない。僕は、ぎょっとした。貸すのは、いやだとか困るとか、そんなはっきりした気持でもないらしい。ただ、そんな法はないよ、というような、白痴的な利己主義らしい。困っている人に貸すという経験が、生れた時から一度もなかったようなふうである。そんな人には、いくらたのんだって、埒が明かない。ひどいものだと思った。もう絶対に、学生には、ものをたのむまいと思った。僕は教練を欠席して、そのまま家へ帰った。
あの蹴球部の本科生と言い、けさの教室の、あさましい馬鹿騒ぎと言い、となりのクラスの学生たちと言い、実に見事なものだ。きょうは僕は、ずたずたに切られた。でも、「まあ、いい」と僕は思っている。僕には、僕の道があるのだ。それを、まっすぐに追究して行けばいいのだ。
僕は、今夜、兄さんにお願いした。
「もう学校の様子も、だいたいわかったから、そろそろ本格的に演劇の勉強をはじめたいと思っているんだけど、兄さん、早くいい先生のところへ連れて行ってね。」
「今夜は、ひどく真面目に考え込んでいると思ったら、その事か。よし。あした、津田さんのところへ行って相談してみよう。どんな先生がいいのか、とにかく津田さんのところへ行って、聞いてみようよ。あした一緒に行こう。」兄さんは、きのうから、とても機嫌がよい。
あすは天長節である。何か、僕の前途が祝福されているような気がした。津田さんというのは、兄さんの高等学校時代の独逸語の先生で、いまは教職を辞して小説だけを書いて生活している。兄さんは、このひとに作品を見てもらっているのだ。
夜はおそくまで、部屋の整頓。机の引出の中まで、きれいに片づけた。読み終った本と、これから読む本とを選りわけて、本棚を飾り直した。額の絵も、ピエタのかわりに、ダヴィンチの自画像をいれた。意志的に強いものが欲しかったからだ。鵝ペンを捨てた。少女趣味を排除したかったのだ。ギタは、押入れにしまい込んだ。ずいぶん、サッパリした気持である。ことしの春は、一生涯、あざやかな思い出となって残るような気がする。
四月二十九日。土曜日。
日本晴れ。きょうは天長節である。兄さんも僕も、きょうは早く起きた。静かな、いいお天気である。兄さんの説に依ると、昔から、天長節は必ずこんなに天気がいい事にきまっているのだそうである。僕はそれを、単純に信じたいと思った。
十一時頃一緒に家を出て、途中、銀座に寄って、姉さんの結婚一周年記念のお祝い品を買った。兄さんはグラスのセット。下谷へ遊びに行った時、このグラスで鈴岡さんと葡萄酒を飲もうという下心。僕は、上等のトランプ一組。下谷へ遊びに行った時、姉さんと俊雄君と三人で此のトランプで遊ぼうという下心。どちらも、自分がこれから下谷へ行っても、充分に楽しめるように計画して買うのだから、ちゃっかりしている。グラスもトランプも、店から直接に下谷へ送ってもらうように手筈した。
昼御飯をオリンピックで食べて、それから本郷の津田さんを訪れた。僕は、中学へはいったとしの春に、いちど兄さんに連れられて、津田さんのお家へ遊びに行った事がある。その時、玄関にも廊下にもお座敷にも、本がぎっしりなので驚いた。
「これを、みんなお読みになったの?」と僕が無遠慮に尋ねたら、津田さんは笑って、
「とても読めるもんじゃないよ。でもこうして並べて置くと、必ず読む時が来るものだ。」と明快に答えたのを、記憶している。
津田さんは在宅だった。相変らず、玄関にも廊下にもお座敷にも、本がぎっしり。少しも変っていない。津田さんも、四年前とおなじだ。もう五十ちかい筈なのに、少しも老けた気配が無い。相変らず、甲高い声で、よくしゃべって、よく笑う。
「大きくなったね。男っぷりもよくなった。R大? 高石君は元気かね。」高石というのは、R大の英語の講師である。
「ええ、いま僕たちに、サムエル・バトラのエレホンを教えているんですけど、なんだか、煮え切らない人ですね。」と僕が思ったままを言ったら、津田さんは眼を丸くして、
「口が悪いね。いまからそんなんじゃ、末が思いやられるね。毎日兄さんと二人で、僕たちの悪口を言ってるんだろう。」
「まあ、そんなところです。」と兄さんは笑いながら言って、「弟は、はじめから、R大を卒業する気はないらしいんです。」
「君の悪影響だよ、それは。何も君、弟さんまで君の道づれにしなくたって、いいじゃないか。」津田さんも笑いながら言っているのである。
「ええ、全く僕の責任なんです。役者になりたいって言うんですが、――」
「役者? 思い切ったもんだねえ。まさか、活動役者じゃないだろうね。」
僕は、うつむいて二人の会話を拝聴していた。
「映画です。」と兄さんは、あっさり言った。
「映画?」津田さんは奇声を発した。「それぁ君、問題だぜ。」
「僕もずいぶん考えたんですけど、弟は、ひどく苦しくなると、きまって、映画俳優になろうと決心するらしいんです。子供の事ですから、そこに筋道立った理由なんか無いのですが、それだけ宿命的なものがあるんじゃないかと僕は思ったんです。気持の楽な時、うっとり映画俳優をあこがれるなんてのは、話になりませんけど、いのちの瀬戸際になると、ふっと映画俳優を考えつくらしいのですが、僕は、それを神の声のように思っているのです。そいつを信じたいような気がするんです。」
「そう言ったって君、親戚や何かの反対もあるだろうし、とにかく問題だねえ、それは。」
「親戚の反対やなんかは、僕がひき受けます。僕だって、学校は中途でよしてしまうし、それに小説家志願と来ているんですから、もう親戚の反対には馴れたものです。」
「君が平気だって、弟さんが、――」
「僕だって平気です。」と僕は口を挟んだ。
「そうかねえ。」と津田さんは苦笑して、「たいへんな兄弟もあったものだ。」
「どうでしょうか。」兄さんは、かまわず、どしどし話をすすめる。「演劇のいい先生が無いでしょうか。やっぱり、五、六年は基本的な勉強をしなければいけないと思いますし、――」
「それはそうだ。」津田さんは、急に勢いづいて、「勉強しなけれぁいかん。勉強しなけれぁ。」
「だから、いい先生を紹介して下さい。斎藤市蔵氏は、どうでしょうか。弟も、あの人を尊敬しているようですし、僕もやはりあんなクラシックの人がいいと思うんですけど、――」
「斎藤さんか?」津田さんは首をかしげた。
「いけませんか。津田さんは、斎藤市蔵氏とはお親しいんでしょう?」
「親しいってわけじゃないけど、なにせ僕たちの大学時代からの先生だ。でも、いまの若い人たちには、どうかな? それは紹介してあげてもいいよ、だけど、それからどうするんだ。斎藤さんの内弟子にでもはいるのかね。」
「まさか。まあ、演劇するものの覚悟などを、時たま拝聴に行く程度だろうと思いますけど、まず、どの劇団がいいか、そんな事も伺いたいのでしょう。」
「劇団? 映画俳優じゃないのかね。」
「映画俳優は、サンボルですよ。それの現実にこだわっているわけじゃないんです。とにかく日本一、いや、世界一の役者になりたいんですよ。」兄さんは、僕の気持をそのまま、すらすら言ってくれる。僕には、とてもこんなに正確に言えない。「だからまず、斎藤氏の意見なども聞いて、いい劇団へはいって五年でも十年でも演技を磨きたいという覚悟なのです。あとは映画に出ようが、歌舞伎に出ようが、問題ではないわけです。」
「ばかに手まわしがいいね。あながち、春の一夜の空想でもないわけなんだね?」
「冗談じゃない。僕が失敗しても、弟だけは成功させたいと思っているんです。」
「いや、二人とも成功しなければいかん。とにかく勉強だ。」と大声で言って、「君たちは、いまのところ暮しの心配もないようだから、まあ気長にみっちりやるんだね。めぐまれた環境を無駄にしてはいかん。だけど、役者とは、おどろいたなあ。とに角それじゃ斎藤さんに、紹介の手紙を書きましょう。持って行ってみなさい。頑固な人だからね、玄関払いを食うかも知れんぞ。」
「その時には、また、もう一度、津田さんに紹介状を書いていただきます。」兄さんは、すまして言う。
「芹川も、いつのまにやら図々しくなってしまいやがった。この図々しさが、作品にも、少し出るといいんだがねえ。」
兄さんは、急にしょげた。
「僕も十年計画で、やり直すつもりです。」
「一生だ。一生の修業だよ。このごろ作品を書いているかね?」
「はあ、どうもむずかしくて。」
「書いていないようだね。」津田さんは溜息をついた。「君は、日常生活のプライドにこだわりすぎていけない。」
冗談を言い合っていても、作品の話になると、流石にきびしい雰囲気が四辺に感ぜられた。本当に佳い師弟だと思った。紹介状を書いていただいて、おいとまする時、津田さんが、玄関まで見送って来られて、
「四十になっても五十になっても、くるしさに増減は無いね。」とひとりごとのように呟いた言葉が、どきんと胸にこたえた。
作家も、津田さんくらいになると、やっぱり違ったところがあると思った。
本郷の街を歩きながら、兄さんは、
「どうも本郷は憂鬱だね。僕みたいに、帝大を中途でよした者には、この大学の建物は恐怖の的だ。何だかこっちが、卑屈になってやり切れない。犯罪者みたいな気がして来るんだ。上野へでも行ってみるか。本郷は、もうたくさんだ。」と言って淋しそうに笑った。津田さんから、ちょっとお説教されたので、なおいっそう淋しいのかも知れない。
僕たちは上野へ出て、牛鍋をたべた。兄さんは、ビールを飲んだ。僕にも少し飲ませた。
「でもまあ、よかった。」兄さんは、だんだん元気になって来て、「僕もきょうは、一生懸命だったんだぜ。とうとう津田さんも、紹介状を書いてくれたんだから、大成功だ。津田さんは、あれでなかなか、つむじ曲りのところがあってね、ちょっと気持にひっかかるものが出来ると、もうだめなんだ。こんりんざい、だめだね。ちっとも油断が出来ないんだ。きょうは、よかった。不思議にすらすら行ったね。進の態度がよかったのかな? 津田さんは、あんな冗談ばかり言ってるけど、ずいぶん鋭く人を観察しているからね。うしろにも目がついているみたいだ。進はまあ、どうやら及第したんだね。」
僕は、にやにや笑った。
「安心するのは、まだ早いぞ。」兄さんは、少し酔ったようだ。声が必要以上に高くなった。「これから斎藤氏という難関もある。なかなかの頑固者らしいじゃないか。津田さんも、ちょっと首をかしげていたね? まあ、誠実をもってあたってみるさ。紹介状、持ってるだろう? ちょっと見せてくれ。」
「見てもいいの?」
「かまわない。紹介状というものはね、持参の当人が見てもかまわないように、わざと封をしていないものなんだ。ほら、そうだろう? 一応こっちでも眼をとおして置いたほうがいいんだよ。読んでみよう。いや、これぁ、ひどいなあ。簡単すぎるよ。こんな程度で大丈夫なのかなあ。」
僕も読んでみた。ばかに簡単である。友人、芹川進君を紹介します、先生の御指南を得たい由にて云々という大まかな文章である。具体的な事柄には一つも触れていない。
「これでいいのかしら。」僕は、心細くなって来た。前途が、急に暗くなったような気がして来た。
「いいんだろうよ。」兄さんにも、自信が無いらしい。「でも、ここに、友人、芹川進君と書いてあるが、この、友人、というところが泣かせどころなのかも知れない。」いい加減な事ばかり言っている。
「ごはんにしようか。」僕は、しょげてしまった。
「そうしよう。」兄さんも興覚め顔である。
それからは、あまり話もはずまなかった。
その店から出た頃は、もう日も暮れていた。兄さんは、すぐちかくの鈴岡さんの家へちょっと寄って行こうと言うのだが、僕は、明日すぐ斎藤氏を訪れてみるつもりなんだから、斎藤氏に試問されてもまごつかないように、きょうは早く家へ帰って、演劇の本をあれこれ読んで置きたかったので、結局は兄さんひとり、下谷の家へ行く事になって、僕は広小路でわかれて麹町へ帰った。
今は、夜の十時である。兄さんは、まだ帰らない。下谷で鈴岡さんと飲んでいるのかも知れない。兄さんも、この頃は、すっかり酒飲みになってしまった。小説もあまり書かない。けれども、僕は兄さんをあくまでも信じている。いまに、きっと素晴らしい傑作を書くだろう。とにかく、ただものでないんだから。
さっきから僕は、斎藤氏の自叙伝「芝居街道五十年」を机の上にひろげているのだが、一ペエジもすすまない。いろんな空想で、ただ胸が、わくわくしているのである。へんに、不愉快なほどの緊張だ。これから、いよいよ現実生活との取っ組合いがはじまるのだ。男一匹が、雄々しく闘って行く姿! もう胸が一ぱいになってしまう。あすの会見は、うまく行くかしら。こんどは僕ひとりで行くのだ。誰の助力もない。あんな簡単な紹介状では、たいした効果も期待できない。結局、僕ひとり、誠実を披瀝して、僕の希望を述べなければならぬ。ああ心配だ。神さま、僕を守って下さい。玄関払いなどされないように。斎藤氏って、どんな爺さんだろう。案外、好々爺で、おうよく来たね、と目を細めて、いやいや、そんな筈はない。甘く考えてはいけない。いやしくも日本一の劇作家だ。きっと、眼がらんらんと光り、腕力なども強いだろう。でも、まさか殴りゃしないだろう。もし殴ったら、僕だって承知しない。猛然と反撃を加えてやる。すると彼は、小僧でかした、その意気じゃ、と言って入門をゆるすという事になる。そんな映画を見た事があった。あれは、宮本武蔵の映画だったかな? ああ、空想は果しない。とにかくあすの会見の次第に依っては、僕の生涯の恩師が確定されるかも知れないのだ。実に、重大な日である。今夜は僕は、どうしたらいいのだろう。本を読もうと思っても一ペエジも一行も、頭にはいらない。寝よう。それが一ばんいいようだ。寝不足の顔で出かけて行って、第一印象を悪くしては損である。でも、とても眠れそうにもない。外では、工夫の夜業がはじまった。考えてみれば、夜の十時から朝の六時頃まで、毎日のようにやっている。約八時間の激しい労働である。エッサエッサと掛け声をかけてやっている。何をしているのだろう。マンホールからガス管でも、ひっぱり出しているのだろうか。あの掛け声は、兄さんの説に依れば、工夫自身の、ねむけざましになっているんだそうだ。そう思って聞くと、あの掛け声も、ひどく哀れに聞えて来る。いくら貰っているのかしら?
聖書を読みたくなって来た。こんな、たまらなく、いらいらしている時には、聖書に限るようである。他の本が、みな無味乾燥でひとつも頭にはいって来ない時でも、聖書の言葉だけは、胸にひびく。本当に、たいしたものだ。
いま聖書を取り出して、パッとひらいたら、次のような語句が眼にはいった。
「我は復活なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。凡そ生きて我を信ずる者は、永遠に死なざるべし。汝これを信ずるか。」
忘れていた。僕は信ずる事が薄かった。何もかも、おまかせして、今夜は寝よう。僕はこのごろお祈りをさえ怠っていた。
御意の天のごとく、地にも行われん事を。
四月三十日。日曜日。
晴れ。朝十時、兄さんに門口まで見送られて、出発した。握手したかったのだけれど、大袈裟みたいだから、がまんした。一高を受ける時も、R大を受ける時も、こんなに緊張していなかった。R大の時など、その朝になって、はじめてはっと気附いて、あわてて出発したくらいであった。
人生の首途。けさは、本当にそんな気がした。途中、電車の中で、なんども涙ぐんだ。そうして昼ごろ、ぼんやり家へ帰って来た。なんだか、へとへとに疲れた。
芝の斎藤氏邸は、森閑としていた。平家の奥深そうな家であった。玄関のベルを、なんど押しても、森閑としている。猛犬でも出て来るんじゃないかと、びくびくしていたが、犬ころ一匹出て来る気配さえ無い。まごまごしていたら、庭の枝折戸から、
「ま! おどろいた。」と言って真赤な帯をしめた少女があらわれた。女中のようでもないし、まさか令嬢でもないだろう。気品が足りない。
「先生は御在宅ですか。」
「さあ。」あいまいな返事である。ただ、にこにこ笑っている。少し蓮っ葉だけど、感じはそんなに悪くない。親戚の娘さん、とでもいったところかも知れない。
「紹介状を持って来ましたけど。」
「そうですか。」娘さんは素直に紹介状を受け取った。「少しお待ち下さい。」
まずよし、と僕は、ほくそ笑んだ。それからがいけなかった。しばらくして娘さんが、また庭のほうからやって来て、
「ご用は、なんでしょうか。」
これには困った。簡単には言えない。まさか紹介状の文句のとおりに、「御指南を受けに来ました。」とも言えない。それでは、まるで剣客みたいだ。もじもじしているうちに、カッと癇癪が起って来た。
「いったい先生は、いらっしゃるのですか。」
「いらっしゃいます。」にこにこ笑っている。たしかに僕を馬鹿にしているようである。あまく見ている。
「紹介状をごらんにいれましたか。」
「いいえ。」けろりとしている。
「なあんだ。」僕は、この家全体を侮辱してやりたいような気がした。
「お仕事中ですの。」いやに子供っぽい口調で言う。舌が短いのではないかと思った。ひょいと首をかしげて、「またいらっしゃいません?」
ていのいい玄関払いだ。その手に乗ってたまるものか。
「いつごろ、おひまになりますか。」
「さあ、二、三日たったら、どうでしょうかしら。」すこしも要領を得ない。
「それでは、」僕は胸を張って言った。「五月三日の今ごろ、またお伺い致します。その時は、よろしくお願いします。」屹っと少女をにらんでやった。
「はあ。」と、たより無い返事をして、やはり笑っている。狂女ではなかろうかと、ふと思った。
要するに、一つとして収穫が無かった。僕は、ぼんやりした顔をして家へかえった。なんだか、ひどく疲れて、兄さんに報告するのも面倒くさくてかなわなかった。兄さんは、いちいちこまかいところまで、僕に尋ねる。
「その女は何者かというのが、問題だ。いくつくらいだったね? 綺麗なひとかい?」
「わからんよ僕には。狂女じゃないかと思うんだけど。」
「まさか。それはね、やっぱり女中さんだよ。秘書を兼ねたる女中、というところだ。女学校は卒業してるね。だからもう、十九、いや二十を越えてるかも知れん。」
「こんど、兄さんが行ったらいい。」
「場合に依っては、僕が行かなくちゃならないかも知れないが、まだ、その必要は無いようだ。お前は、そんなにしょげてるけど、きょうは、ちっとも失敗じゃなかったんだよ。お前にしては大出来だ。五月三日にまた来る、とはっきり言って来ただけでも大成功だよ。その女のひとは、お前に好意を持っているらしい。」
僕は、噴き出した。
「いや本当さ。」兄さんは真面目である。「ふつうの玄関払いとは性質が、ちがうようだ。脈があるよ。お仕事中は面会謝絶と極っているんだけど、特にお前のために、どうにかして取りついであげようと思ったんだが、奥さんか誰かに邪魔されて、それが出来なかったんだな。」兄さんの解釈は、どうも甘い。「きっとそうだよ。だからこんどはお前も、その女のひとを、にらんだりなんかしないで、も少しあいそよくしてあげるんだね。ちゃんとお辞儀をしてね。」
「しまった! きょうは帽子もとらない。」
「そうだろ。帽子もぬがずに、ただ、はったと睨んでいたんじゃ、ふつうだったら、まず交番に引渡されるところだ。その女のひとに理解があったから、たすかったのだ。来月の三日には、しっかりやるさ。」
けれども僕は絶望している。芸術の道にも、普通のサラリイマンの苦労と、ちっとも違わぬ俗な苦労も要るだろうという事は、まえから覚悟していたところで、それくらいの事には、へこたれはせぬけれど、僕がきょう斎藤氏邸からの帰り道、つくづく僕自身の無名、矮小を思い知らされて、いやになったのだ。斎藤氏と僕、あまりにも違いすぎていたのだ。こんなに、雲と雑草ほどの距離があるとは、気がつかなかったのだ。やあ、と声を掛ければ、やあ、と答えてくれそうな気がしていたのだ。なんたる無邪気さであろう。きょうは全く、あの人と僕たちとは、人種がまるで、別なのではないかというような気がしたのである。努めて及ばぬ事やある、という言葉もあるけど、どんなに努めても及ばぬ事も、この世にはあるのではあるまいかと思って、うんざりしてしまったのだ。「日本一」の理想が、ふっ飛んじゃった。偉くなろうという努力が、ばからしいものに見えて来た。僕には、斎藤氏のように、あんな堂々たる牙城は、とても作れそうもないんだ。
夜は、兄さんに引っぱられて、ムーランルージュを見に行った。つまらなかった。少しも可笑しくなかった。
五月三日。水曜日。
晴れ。学校を休んで、芝の斎藤氏邸に、トボトボと出かける。トボトボという形容は、決して誇張ではなかった。実に、暗鬱な気持であった。
ところが、きょうは、あまり悪くなかった。いや、そんなにもよくない。でも、まあ、いいほうかも知れない。
斎藤氏邸の門前には、自動車が一台とまっていた。僕が玄関のベルを押そうとしたら、急に玄関の内がさわがしくなって、がらりと玄関が内からあいて、痩せた小さいお爺さんがひょいと出て、すたすた僕の前を歩いて行った。斎藤氏だ。その後を追うようにして、先日の女のひとが鞄とステッキを持って玄関からあわてて出て来て、
「あら! いまおでかけのところなのよ。ちょうどいいわ、お話してごらんなさい。」
僕は帽子をとって、ちょっとその女の人にお辞儀をして、それから、すぐに斎藤氏のあとを追って、
「先生!」と呼んだ。斎藤氏は、振り向きもせず、すたすた歩いて門前に待っている自動車にさっさと乗ってしまった。僕は、自動車の窓に走り寄って、
「津田さんからの紹介状、――」と言いかけたら、じろりろ僕を見て、
「乗りたまえ。」と低い声で言った。しめたと思ってドアを開け、斎藤氏のすぐ傍にどさんと腰をおろした。あっ、運転手の傍に乗るのが礼儀だったのかも知れない、と思ったが、わざわざ向うへ乗りかえるのも、てれくさくて、そのままの姿勢でじっとしていた。
「よござんしたね。」女のひとは、窓から鞄とステッキを斎藤氏に手渡しながら、「こないだは、ずいぶん怒ってお帰りになりましたのよ。」と相変らず上機嫌に笑いながら、僕と斎藤氏と二人の顔を見較べながら言った。
斎藤氏は、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、何も言わなかった。やっぱり、怖い感じだ。運転台に乗ればよかった、とまた思った。
「行ってらっしゃいまし。」
自動車は走った。
「どちらへ、おいでになるんですか。」と僕は聞いた。斎藤氏は、返事をしなかった。五分も経ってから、
「神田だ。」と重い口調で言った。ひどく嗄れた声である。顔は、老俳優のように端麗である。また、しばらくは無言だ。ひどく窮屈である。圧迫が刻一刻と加わって来て、いたたまらない気持である。
「何も、」聞きとれないような低い声である。「怒って帰る事はない。」
「はあ。」思わずぺこりと頭をさげた。だから、運転台に乗ればよかったんだ。
「津田君とは、どんな知り合いなのかね。」
「は、兄さんが小説を見てもらっているんです。」と言ったが、斎藤氏は聞いているのか、聞いていないのか、少しの反応もなく、黙っている。しばらくしてから、
「津田君の手紙は、れいに依って要領を得ないが、――」
やっぱりそうだった。あれだけでは、なんの事やらわかるまい。
「俳優になりたいんです。」結論だけ言った。
「俳優。」ちっともおどろかない。そうして、それっきりまた、なんにも言わない。僕は、さすがに、じれったくなって来た。
「いい劇団へはいってみっちり修業したいと思うんです。どんな劇団がいいのか教えてください。」
「劇団。」低く呟いて、またしばらく黙っている。僕は、ほとほと閉口した。「いい劇団。」と、また呟いて、だしぬけに怒声を発した。「そんなものは無いよ。」
僕は、おどろいた。失礼して、自動車から降ろしてもらおうかと思った。とても、まともに話が出来ない。傲慢というのかしら。実にこれは困った事になったと思った。
「いい劇団が無いんですか。」
「無い。」平然としている。
「こんど鴎座で、先生の『武家物語』が上演されるようですね。」と僕は、話頭を転じてみた。
何も答えない。鞄のスナップのあまくなっている個所を修繕している。
「あそこで、」ひょいと、思いがけない時に言い出す。「研修生を募集している。」
「そうですか。それにはいったほうがいいんですか。」と僕は、意気込んで尋ねた。やっと話が本筋にはいって来たと思った。
答えない。
「やっぱり、だめなんですか。」
答えない。鞄をやたらに、いじくりまわしている。
「誰でも、勝手に応募できるのかしら。」と、わざと独り言のようにして呟いてみた。
なんにも反応が無い。
「試験があるんでしょう?」と今度は強く、詰め寄るようにして聞いてみた。
やっと鞄の修繕が終ったらしい。窓の外を眺めて、
「わからん。」と言った。
僕は、もう何も聞くまいと思った。自動車は、駿河台、M大学前でとまった。見るとM大の正門に、大きい看板が立てられていて、それには、斎藤市蔵先生特別講演と書かれていた。
僕が降りようとしたら斎藤氏は、
「君は、――どこで降りる?」と言ったので、それでは、この自動車を拝借してこのまま乗って行ってもいいのかしらと思って、
「麹町です。」と恐縮して言った。
「麹町。」斎藤氏は、ちょっと考えて、「遠い。」と言った。これぁ駄目だと思ったので僕は、さっさと降りた。
もっと近いところだったら、貸してくれそうな様子だったのだが、とにかく、ちゃっかりしたおじいさんである。
「どうも失礼いたしました。」と僕が大きい声で言って叮嚀にお辞儀をしても、斎藤氏は振り向きもせず、すたすた門の中へはいって行った。じっさい、たいしたものだった。
市電に乗って、まっすぐに家へ帰った。兄さんが、待ち構えていて、きょうの首尾を根ほり葉ほり尋ねた。
「聞きしにまさる傑物だねえ。」と兄さんも苦笑していた。
「どうかしているんだよ、きっと。」と僕が言ったら、
「いや、そうじゃない。とても、しっかりしている。世界的な文豪を以て任じている人は、それくらいのところが無くちゃいけない。」兄さんは、やっぱり、少し甘いようだ。「しかしお前も、よくねばったものだねえ。案外あつかましいところがある。めくら蛇に怯じずの流儀だが、でも、大成功だ。けがの功名で、お前は、ちょっと好感を持たれたかも知れない。」
「馬鹿言ってら。てんで何も話してくれないんだよ。気味が悪かったぜ。」
「いや、たしかに好意を持たれている。一緒に自動車に乗せたというのは、ただ事でない。思うに、あの女のひとが、うまく取りなして置いてくれたんだね。津田さんの紹介状だって、案外、見えないところで大働きをしているのかも知れない。せっかく書いていただいて、悪口を言うのはいけない。いまになって考えると、立派な紹介状のようだった気もする。まず、大成功だ。それじゃ、これから鴎座へ電話を掛けて研究生募集の事を、問い合せて見るんだね。」ひとりで興奮している。
「だって、鴎座がいいとは言わなかったんだよ。」
「わるいとも言わなかったろう?」
「わからん、と言ってた。」
「それでいいんだよ。僕には、斎藤氏の気持がわかるね。やっぱり苦労人だよ、斎藤氏は。その辺から、まあ、ぼつぼつ始めてみたらいいだろうという事なんだよ。」
「そうだろうか。」
鴎座の事務所の電話番号を捜し出すのに骨を折った。兄さんが、銀座のプレイガイドに勤めている兄さんの知人に電話をかけて、調査をたのみ、やっと判明した。
「さあ、これからは、お前がなんでも、ひとりでやってごらん。」兄さんは、そう言って僕に受話器を渡した。僕は、さすがに緊張した。
鴎座の事務所に電話をかけたら、女のひとが出て、或いは有名な女優かも知れない、媚びたところも無く自然の、歯切れのよい言葉で、ていねいに教えてくれた。自筆の履歴書、父兄の承諾証書、共に形式は自由、各一通、ほかに手札型・上半身の最近の写真一葉、それだけを五月八日までに、事務所に提出の事。
「五月八日? じゃ、すぐですね?」胸がどきどきして、声が嗄れた。「それで? 試験は?」
「九日に、新富町の研究所で行います。」
「へええ。」妙な声が出た。「何時からですか?」
「午後一時ジャストに、研究所へお集りを願います。」
「課目は? 課目は? どんな試験をするんですか?」
「それは申し上げられません。」
「へええ。」また妙な声が出た。「それじゃ、どうも。」電話を切った。
おどろいたのである。五月九日。もう一週間しかないじゃないか。何も、準備が出来やしない。
「簡単な試験なんだろう。」と兄さんは、のんきそうに言ってるけれど、そうも行かない。僕はこれから日本一の役者にならなければならぬ男だ。その男が、いま演劇の世界に第一歩を踏み出すに当って、まずい答案を書いたなら、一生消えない汚点をしるす事になる。かならず僕は、第一番の、それもずば抜けた成績を示さなければならぬ。学校の試験とは、ちがうのだ。学校の試験は、僕の将来の生活と、かならずしも直接には、結びつかなかったけれど、このたびの試験は、僕の窮極の生きる道に直接につながっているのだ。これに失敗したら、もう僕は他に、どこへも行くところが無くなるのだ。学校の試験で失敗したって、「なあに僕には、別な佳い道があるのだ」と多少の余裕とプライドを持ちこたえている事が出来るけれど、こんどの試験では、「なあに」なんて言って居られぬ。もう道が無いのだ。何もないのだ。ぎりぎりの最後の切札ではないか。とても、のんきにしては居られぬ。僕は、すっかり、まじめになってしまった。ちょっと自信は無いが、あの斎藤市蔵先生の、僕は弟子、みたいなものだ。向うでは問題にしていないかも知れぬが、僕はこれから、勝手にそう思い込んで、大いに自重しようと決意しているのだ。自動車に一緒に乗ったのだ。めったに、下手な答案などは書けない。斎藤氏のお顔にもかかわる事だ。畜生め。いまに斎藤氏をおどろかせてあげる。武家物語の重兵衛の役は、芹川でなくちゃだめだ、と斎藤氏が言うようになったら、うれしいだろうな。いや、甘い空想にふけっている場合ではない。僕は、ずば抜けて優秀な成績でパスしなければならぬのだ。
今夜は、今まで買いためて置いた参考書を、全部、机の上に積み重ねた。
プドフキン「映画俳優論」。コクラン「俳優芸術論」。タイロフ「解放された演劇」。岸田国士「近代劇論」。斎藤市蔵「芝居街道五十年」。バルハートゥイ「チェホフのドラマツルギー」。小山内薫「芝居入門」。小宮豊隆「演劇論叢」。それから「築地小劇場史」だの「演出論」だの「映画俳優術」だの「演出者ノオト」だの、それから兄さんが貸してくれた「花伝書」。「役者論語」。「申楽談義」。まずざっと二十冊ちかい之等の参考書を九日までに一とおり読んでみるつもりだ。それから、英語と仏蘭西語の単語も、少し詰め込んで置きたい。
しっかりやらなければならぬ。今夜は、これから、コクランの「俳優芸術論」と、斎藤氏の「芝居街道五十年」を読破するつもりである。
あしたは、写真屋へ行かなければならぬ。
五月八日。月曜日。
雨。きょうは学校を休んだ。何が何やら、さっぱりわからなくなって、この貴重な一週間を、いったいどうして過したのか、学校へ行っても、そわそわして、何でもないのに、にやにや笑ったり、家に帰っては、やたらに部屋の整頓ばかりして、そうして、参考書は一冊も読まなかった。ただ、部屋の中で、うごめいているのである。気持は、刻一刻と狼狽し、こうして日記を書いていても、手が震えるのである。つまり、あの、緊張したような、胆を失ったような、厳粛なような、からっぽのような、それでいて、絶えずはらはらして、絶間なくお便所へ行っては、よしやろう、勉強しようと、武者ぶるいして部屋へ帰って、また部屋の整頓である。ゆるしてもらえないだろうか。だめなのである。どうにも、落ちつけないのである。言いたい事、書きたい事は山々ある。けれども、いたずらに感情が高ぶって、わくわくしてしまって、坐って居られなくなるのだ。そうして、ただやたらに部屋の整頓である。こっちのものを、あっちへ持ち運び、あっちのものを、こっちへ持ち運び、まるで同じ事を繰り返して、独りで、てんてこ舞いをしているのである。恥ずかしい事であるが、実は、聖書もききめがなかったのだ。けさから、パッパッと三度もひらいてみたのだが、少しも頭にはいらない。実に恥ずかしかった。もう、だめだ。僕は寝よう。午後六時。お念仏でも称えたい。キリストも、おしゃかさんも、ごちゃまぜになった。
ちょっと寝てから、また猛然とはね起きた。日が暮れてしまったら、少し心も落ちついて来た。きのう写真屋から送られて来た手札型の写真を見つめる。同じものが三枚送られて来たのだが、その中でも割合、顔の色が黒く、陰影のあるのを選んで履歴書などと一緒に、きのう速達で研究所へ送ってやったのである。どうして僕の顔は、こんなに、らっきょうのように、単純なのだろう。眉間に皺を寄せて、複雑な顔を作ろうと思うのだが、ピリピリッと皺が寄ったかと思うと、すぐに消える。口を、ヘの字形に曲げて、鼻の両側に深い皺を作りたいのだが、どうも、うまく行かない。口が小さすぎるのかも知れない。曲がらないで、とがるのである。口を、どんなに、とがらせたって、陰影のある顔にはならない。馬鹿に見えるだけである。
「お前の顔は、役者に向かない顔である。」と明日の試験で、はっきり宣告されたら、どうしよう。僕は、その瞬間から、それこそ「生ける屍」になるのだ。生きていても、意味の無い人間になるのだ。ああ、僕に果して、演劇の才能があるのだろうか。すべては明日、決定せられる。また、部屋の整頓を、はじめたくなった。
兄さんがやって来て、
「床屋へ行ったか?」と尋ねる。まだ行っていないのである。
雨の中を、あたふたと床屋へ行く。実際、なってない。床屋で、ドボルジャークの「新世界」を聞く。ラジオ放送である。好きな曲なんだけれど、どうしても、気持にはいって来ない。大きな、櫓太鼓みたいなものを、めった矢鱈に打ちならすような音楽でもあったら、いまの僕のいらいらした気持にぴったり来るのかも知れない。けれども、そんな音楽は、世界中を捜してもないだろう。
床屋から帰って、それから、兄さんにすすめられて科白の練習を少しやってみた。桜の園のロパーヒン。
兄さんに、いろいろ注意された。自分の声をそのまま出して自然に言う事。もっとおなかに力をいれて、ハッキリ言う事。あまり、からだを動かさない事。いちいち顎をひかない事。口辺の筋肉を、もっとやわらかに。これは手痛かった。口を、ヘの字に曲げようと努力しすぎたのだ。
「お前は、サシスセソが、うまく言えないようだね。」これも手痛かった。自分でも、それは薄々感じていたのだ。舌が長すぎるのだろうか。
「妄言多謝だ。」兄さんは笑って、「お前は、僕なんかに較べると問題にならないほど、うまいんだ。でも、あしたは本職の役者の前でやるのだから、ちょっと今夜は酷評して緊褌一番をうながしてみたんだがね。なに、上出来だよ。」
僕は、だめかも知れない。思いは千々に乱れるばかりだ。どうも日記の文章が、いつもと違っているようだ。たしかに気持も、いや気持がちがうというのは、気違いの事だ。まさか、気違いではなかろうが、今夜は変だ。文章も、しどろもどろの滅っ茶苦茶だ。麻の如くに乱れて居ります。
こんな事でどうする。あすは、いや、もう十二時を過ぎているから、きょうだ、きょうの午後一時には試験があるのだ。何かしようと思っても、なんにも手がつかず、仕方が無い、万年筆にインクでもつめて置いて、そうして寝る事にしましょう。考えてみると、明日の試験に失敗したら、僕は死なねばならぬ身なのである。手が震える。
五月九日。火曜日。
晴れ。きょうも学校を休む。大事な日なんだから仕方が無い。ゆうべは夢ばかり見ていた。着物の上に襦袢を着た夢を見た。あべこべである。へんな形であった。不吉な夢であった。さいさきが悪いと思った。
きょうは、でも、ちかごろにない佳いお天気だった。九時に起きて、ゆっくり風呂へはいって、十一時半に出発した。きょうは兄さんは、門口まで見送って来ない。もう大丈夫だときめてしまっているらしい。斎藤氏のところへ出掛ける時には、兄さんは、僕以上に緊張し、気をもんでくれたのに、きょうは、まるでのんびりしていた。試験よりも、斎藤氏の方が大問題だと思っているのかしら。兄さんには、学校の入学試験でも何でも、どうも試験を甘く見すぎる傾向がある。入学試験に落ちた憂目を見た事がないからかも知れない。でも兄さんが、もう大丈夫と僕の事を楽天的に考えている時に僕が見事落ちたら、その辛さ、間の悪さは格別だ。も少し、僕の事を危ぶんでくれてもいいと思う。僕は、また落ちるかも知れないのだ。
出発の時間が早すぎた。新富町の研究所はすぐにわかった。アパートの三階である。到着したのは、正午すこし過ぎである。ちょっと様子をさぐってみようと思って、ドアをノックしてみたが返答は無い。誰もいないらしい。あきらめて、外へ出た。
陽春。額に汗がにじみ出る。つめたいものを飲みたくなって、昭和通りの小さい食堂へはいって、ソーダ水を飲んで、それからついでに、ライスカレーを食べた。別に、おなかが空いていたわけではなかったが、なんだか不安で、食べずには、居られなかったのだ。おなかが一ぱいになったら、頭もぼんやりして来て、いらだたしい気持も、少しおさまった。そこを出て、ぶらぶら歌舞伎座の前まで行って、絵看板を見て、さて、それからまた新富町の研究所へ引返した。
それこそ一時ジャストである。僕は、アパートの階段をのぼった。来ている。来ている。二十人くらい。でもまあ、なんて生気の無い顔をした奴ばかりなんだろう。学生が五人。女が三人。ひでえ女だ。永遠に、従妹ベット一役だ。他は皆、生活に疲れた顔をした背広姿の三十前後の人たちである。全然、芸術に縁のないような表情の、番頭さんみたいな四十男もいる。不思議な気がした。みんな神妙に、伏目になって、廊下の壁に寄りかかり、立ったりしゃがんだりして、時々、ひそひそ話を交わしたりしている。暗い気がした。ここは、敗残者の来るところではないかと思った。自分まで、なんだか、みじめになったような気持がして来るのである。この人たちがきょうの、僕の競争相手なのかと思ったら、うんざりした。戦わずして、闘志を失った感じであった。僕が試験官だったら、一瞥して、みんな落第だ。僕は、自分の今朝までの、あの興奮と緊張とを思い出し、むしゃくしゃして来た。ばかにしていやがると思ったのだ。
やがて事務所から中年の婦人が出て来て、
「番号札をお渡し致します。」と言ったが、その声には、聞き覚えがあった。一週間前に電話で問い合せた時に、明瞭な発音で「午後一時ジャスト」などと言って教えたあの女性の声であった。本当に綺麗な声だったので、女優さんじゃないかと思っていたのだが、女は、声だけではわからぬものだ。茶色のダブダブしたジャケツを着て、女優さんどころか、いや、言うまい。何もその人が、あたしは美人だと自負してもいないのに、その人の顔の事など、とやかく批評するのは罪悪だ。とにかく、四十くらいの婆さんであった。
「お名前を呼びますから、御返事を願います。」
僕は三番目だった。来ていない人も、ずいぶんあった。四十人くらいの名前を呼んだのだが、出席者は約その半数である。
「それでは、一番のおかた、どうぞ。」
いよいよ、はじまるのだ。一番は、女のひとであった。婆さんに連れられて、しょんぼり中へはいって行った。生気のない事おびただしい。研究所の内部は、二部屋にわかれているらしい。一つは事務所で、その奥が稽古場になっているようだ。試験は、その稽古場で行われる様子である。
聞える、聞える。戯曲の朗読だ。しめた! 桜の園だ。なんて、まがいいんでしょう。前から僕は、桜の園の朗読は得意だったし、ゆうべもちょっと練習したじゃないか。もう、大丈夫。どこからでも来い! と勇気百倍だったが、それにしても、あの女のひとの朗読は、なんて下手くそなんだろう。一本調子の棒読みだ。ところどころ躓いて、読み直したりしている。あれじゃ落第だ。大落第だ。可笑しくなって、ひとりでクスクス笑ったが、他の人たちは、にこりともせず、眠るが如くぼんやりしている。
「二ばんのおかた、どうぞ。」
もう一番のひとがすんだのかしら。早いなあ。筆記試験は無いのかしら。この次は僕だ。さすがに脚がふるえて来た。なんだか、病院にいるような気がして来た。これから大手術を受けなければならぬ。看護婦さんの呼びに来るのを、待っている。お便所に行きたくなって来た。いそいでお便所に行く。お便所から帰って来たら、
「三ばんのおかた、どうぞ。」
「はい。」と思わず、右手を高く挙げた。
事務所は、せまくるしく、しかも殺風景で、こんな所から、あの鴎座の華やかなプランが生れるのかと、感慨が深かった。
一番と二番は、ほとんど同時に終ったらしく、一緒に廊下へ出て行った。僕は、事務所の婆さんの机の前に立って、簡単な質問を受けた。婆さんは、椅子に浅くちょこんと腰をおろして、机の上の写真と、僕の顔を、ちらと見較べ、
「おいくつですか?」と言った。ちょっと侮辱を感じたので、
「履歴書に書いてなかった?」と反問したら、急に狼狽の様子で、
「ええ、でも、――」と言って、机の上にひろげてあった僕の履歴書を前こごみになって調べた。近眼らしい。
「十七です。」と言ったら、ほっとしたように顔を挙げて、
「父兄の承諾は、たしかですね?」
この質問も不愉快だった。
「もちろんです。」と少し怒って答えた。試験官でもないのに、要らない事ばかり言いやがる。こんな機会をとらえて、こっそり試験官の真似をして、ちょっと威張ってみたかったのだろう。
「では、どうぞ。」
隣室に通された。がやがや騒いでいたのに、僕がはいって行ったら、ぴたりと話をやめて、五人の男が一斉に顔を挙げて僕を見た。
五人の男が一列に、こちら向きに並んで腰かけている。テエブルは三つ。みんな写真で見覚えのある顔だった。まんなかに坐っている太った男は、最近めっきり流行して来た劇作家兼演出家の、横沢太郎氏にちがいない。あとの四人は、俳優らしい。入口でもじもじしていたら、横沢氏は大きい声で、
「こっちへ来いよ。」と下品な口調で言って、「こんどは多少、優秀かな?」
他の試験官たちは、にやりと笑った。部屋全体の雰囲気が、不潔で下等な感じであった。
「学校は、どこだ!」そんなに威張らなくてもいいじゃないか。
「R大です。」
「としは、なんぼ?」いやになるね。
「十七です。」
「お父さんのゆるしを得たか。」まるで罪人あつかいだ。むかっとして来た。
「お父さんはいませんよ。」
「なくなられたのですか?」俳優の上杉新介氏らしい人が、傍から、とりなし顔にやさしく僕に尋ねる。
「承諾書に書いてあった筈です。」仏頂面して答えてやった。これが試験か? あきれるばかりだ。
「気骨稜々だね。」横沢氏は、にやにや笑って、「見どころあり、かね?」
「演技部ですか、文芸部ですか?」上杉氏が鉛筆でご自分の顎を軽く叩きながら尋ねる。
「なんですか?」よくわからなかった。
「役者になるのか。」横沢氏は、また馬鹿声を出して、「脚本家になるのか。どっちだ!」
「役者です。」即座に答えた。
「しからば、たずねる。」本気か冗談か、わけがわからない。どうして横沢氏は、こんなに柄が悪いんだろう。人相だってよくないし、服装だって、和服の着流しで、だらしがない。日本で有数の文化的な劇団「鴎座」の、これが指導者なのかと思うと、がっかりする。きっと、お酒ばかり飲んで、ちっとも勉強していないのだろう。下唇をぐっと突き出して、しばらく考えてから、やおら御質問。
「役者の、使命は、何か!」愚問なり。おどろいた。あやうく失笑しかけた。まるで、でたらめの質問である。質問者の頭のからっぽなことを、あますところなく露呈している。てんで、答えようがないのである。
「それは、人間がどんな使命を持って生れたか、というような質問と同じ事で、まことしやかな、いつわりの返答は、いくらでも言えるのですが、僕は、その使命は、まだわかりませんと答えたいのです。」
「妙な事を言うね。」横沢氏は、鈍感な人である。軽い口調でそう言って、シガレットケースから煙草を取り出し、一本口にくわえて、「マッチないか?」と、隣の上杉氏からマッチを借り、煙草に点火してから、「役者の使命はね、外に向っては民衆の教化、内に於ては集団生活の模範的実践。そうじゃないかね。」
僕は、あきれた。落第したほうが、むしろ名誉だと思った。
「それは、役者に限らず、教化団体の人なら誰でも心掛けていなければならぬ事で、だから僕がさっき言ったように、そんな立派そうな抽象的な言葉は、本当に、いくらでも言えるんです。そうしてそれは、みんなうそです。」
「そうかね。」横沢氏は、けろりとしている。あまりの無神経に、僕は横沢氏を、ちょっと好きになったくらいであった。「そういう考えかたも、面白いね。」滅茶滅茶だ。
「朗読をお願いしましょう。」上杉氏は、ちょっと上品に気取って言った。その態度には、なんだか猫のような、陰性の敵意が含まれていた。横沢氏よりも、こっちが手剛い。そんな気がした。
「何をお願いしましょうか。」上杉氏は、くそ叮嚀な口調で、横沢氏に尋ねるのである。「このひとは、程度が高いそうですから。」いやな言いかたを、しやがる! 卑劣だ! 世の中で、一ばん救われ難い種属の男だ。これが、あの、「伯父ワーニャ」を演じて日本一と称讃せられた上杉新介氏の正体か。なってないじゃないか。
「ファウスト!」横沢氏は叫ぶ。がっかりした。桜の園なら自信があったのだけれど、ファウストは苦手だ。だいいち僕は、ファウストを通読した事さえない。落第、僕は落第だ。
「この部分をお願いします。」上杉氏は、僕にテキストを手渡して、そうして朗読すべき箇所を鉛筆で差し示した。「一ぺん黙読して、自信を得てから朗読して下さい。」なんだか意地の悪い言い方だ。
僕は黙読した。ワルプルギスの夜の場らしい。メフィストフェレスの言葉だ。
そこの爺いさん、岩の肋骨を攫まえていないと、
あなた、谷底へ吹き落されてしまいますぜ。
霧が立って夜闇の色を濃くして来た。
あの森の木のめきめき云うのをお聞きなさい。
梟奴がびっくりして飛び出しゃあがる。
お聞きなさい。永遠の緑の宮殿の
柱が砕けているのです。
枝がきいきい云って折れる。
幹はどうどうと大きい音をさせる。
根はぎゅうぎゅうごうごう云う。
上を下へとこんがらかって、畳なり合って、
みんな折れて倒れるのです。
そしてその屍で掩われている谷の上を
風はひゅうひゅうと吹いて通っています。
あなた、あの高い所と、
遠い所と、近い所とにする声が聞えますか。
此山を揺り撼かして、
おそろしい魔法の歌が響いていますね。
「僕には朗読できません。」ざっと黙読してみたのだが、このメフィストの囁きは、僕には、ひどく不愉快だった。ひゅうひゅうだの、ぎゅうぎゅうだの不愉快な擬音ばかり多くて、いかにも悪魔の歌らしく、不健康な、いやらしい感じで、とても朗読する気など起らなかった。落第したっていいんだ。「ほかの所を読みます。」あなた、谷底へ吹き落されてしまいますぜ。
霧が立って夜闇の色を濃くして来た。
あの森の木のめきめき云うのをお聞きなさい。
梟奴がびっくりして飛び出しゃあがる。
お聞きなさい。永遠の緑の宮殿の
柱が砕けているのです。
枝がきいきい云って折れる。
幹はどうどうと大きい音をさせる。
根はぎゅうぎゅうごうごう云う。
上を下へとこんがらかって、畳なり合って、
みんな折れて倒れるのです。
そしてその屍で掩われている谷の上を
風はひゅうひゅうと吹いて通っています。
あなた、あの高い所と、
遠い所と、近い所とにする声が聞えますか。
此山を揺り撼かして、
おそろしい魔法の歌が響いていますね。
でたらめに、テキストをぱらぱらめくって、ちょっと佳いところを見つけて、大声で朗読をはじめた。第二部、花咲ける野の朝。眼ざめたるファウスト。
上を見ればどうだ。巨人のような山の巓が、
もう晴がましい時を告げている。
あの巓は、後になって己達の方へ
向いて降りる、永遠の光を先ず浴びるのだ。
今アルピの緑に窪んだ牧場に、
新しい光や、あざやかさが贈られる。
そしてそれが一段一段と行き渡る。
日が出た。惜しい事には己はすぐ羞明しがって
背を向ける。沁み渡る目の痛を覚えて。
あこがれる志が、信頼して、努力して、
最高の願の所へ到着したとき、成就の扉の
開いているのを見た時は、こんなものだな。
その時その永遠なる底の深みから、強過ぎる、
焔が迸り出るので、己達は驚いて立ち止まる。
己達は命の松明に火を点そうと思ったのだが、
身は火の海に呑まれた。
なんと云う火だ!
この燃え立って取り巻くのは、愛か、憎か。
喜と悩とにおそろしく交る交る襲われて、
穉かった昔の羅衣に身を包もうとして、
又目を下界に向けるようになるのだ。
好いから日は己の背後の方に居れ。
己はあの岩の裂目から落ちて来る滝を、
次第に面白がって見ている。
一段又一段と落ちて来て、千の流になり
万の流になり、飛沫を
高く空中にあげている。
併しこの荒々しい水のすさびに根ざして、
七色の虹の、
常なき姿が、まあ、美しく空に横わっていること。
はっきりとしているかと思えば、すぐ又空に散って、
匂ある涼しい戦をあたりに漲らせている。
此の虹が、人間の努力の影だ。
あれを見て考えたら、前よりは好くわかるだろう。
人生は、彩られた影の上にある!
「うまい!」横沢氏は無邪気に褒めてくれた。「満点だ。二、三日中に通知する。」もう晴がましい時を告げている。
あの巓は、後になって己達の方へ
向いて降りる、永遠の光を先ず浴びるのだ。
今アルピの緑に窪んだ牧場に、
新しい光や、あざやかさが贈られる。
そしてそれが一段一段と行き渡る。
日が出た。惜しい事には己はすぐ羞明しがって
背を向ける。沁み渡る目の痛を覚えて。
あこがれる志が、信頼して、努力して、
最高の願の所へ到着したとき、成就の扉の
開いているのを見た時は、こんなものだな。
その時その永遠なる底の深みから、強過ぎる、
焔が迸り出るので、己達は驚いて立ち止まる。
己達は命の松明に火を点そうと思ったのだが、
身は火の海に呑まれた。
なんと云う火だ!
この燃え立って取り巻くのは、愛か、憎か。
喜と悩とにおそろしく交る交る襲われて、
穉かった昔の羅衣に身を包もうとして、
又目を下界に向けるようになるのだ。
好いから日は己の背後の方に居れ。
己はあの岩の裂目から落ちて来る滝を、
次第に面白がって見ている。
一段又一段と落ちて来て、千の流になり
万の流になり、飛沫を
高く空中にあげている。
併しこの荒々しい水のすさびに根ざして、
七色の虹の、
常なき姿が、まあ、美しく空に横わっていること。
はっきりとしているかと思えば、すぐ又空に散って、
匂ある涼しい戦をあたりに漲らせている。
此の虹が、人間の努力の影だ。
あれを見て考えたら、前よりは好くわかるだろう。
人生は、彩られた影の上にある!
「筆記試験は無いのですか?」へんに拍子抜けがして、僕は尋ねた。
「生意気言うな!」末席の小柄の俳優、伊勢良一らしい人が、矢庭に怒鳴った。「君は僕たちを軽蔑しに来たのか?」
「いいえ、」僕は胆をつぶした。「だって、筆記試験も、――」しどろもどろになった。
「筆記試験は、」少し顔を蒼くして、上杉氏が答えた。「時間の都合で、しないのです。朗読だけで、たいていわかりますから。君に言って置きますが、いまから台詞の選り好みをするようでは、見込みがありませんよ。俳優の資格として大事なものは、才能ではなくて、やはり人格です。横沢さんは満点をつけても、僕は、君には零点をつけます。」
「それじゃ、」横沢氏は何も感じないみたいに、にやにやして、「平均五十点だ。まあ、きょうは帰れ。おうい、つぎは四ばん、四ばん!」
僕は軽く一礼して引きさがったのだが、ずいぶん得意な気持も在った。というのは、上杉氏は僕を非難しているつもりで、かえって僕の才能を認めていることを告白してしまったからである。「大事なものは、才能ではなくて、やはり人格だ。」と言ったが、それでは今の僕に欠けているものは人格で、才能のほうは充分という事になるではないか。僕は、自分の人格に就いては、努力しているし、いつも反省しているつもりだから、そのほうは人に褒められても、かえって、くすぐったいくらいで、別段うれしいとも思わぬし、また、人に誤解せられ悪口を言われても、まあ見ていなさい、いまにわかりますから、というような余裕もあるのだが、才能のほうは、これこそ全く天与のもので、いかに努力しても及ばぬ恐ろしいものがあるような気がしているのだ。その才能が、僕にある、と日本一の新劇俳優が、うっかり折紙をつけてしまった。ああ、喜ばじと欲するも得ざるなり。しめたものさ。僕には才能が、あったのだ。人格は無いけれども、才能はあるそうだ。上杉氏には、人格の判定は出来ない。嘘の判定だ。あの人には判定する資格が無い。けれども流石に、才能に就いての判定は、横沢氏などよりさらに数段正確なところがあるのではあるまいか。餅は餅屋である。役者の才能は、役者でなければわからない。うれしい事だ。僕には、俳優の才能があるのだそうだ。笑わじと欲するも得ざるなり。いまはもう、落第したってかまわない。それこそ、鬼の首でも取って来たみたいに、僕は意気揚々と家へ帰った。
「だめ、だめ。」と僕は兄さんに報告した。「みごと落第です。」
「なんだ、ばかに嬉しそうな顔をしているじゃないか。だめな事は、ないんだろう。」
「いや、だめなんだ。戯曲朗読は零点だった。」
「零点?」兄さんも、真面目になった。「本当かい?」
「人格がだめなんだそうだ。でも、ね、才能は、――」
「何をそんなに、にやにや笑っているんだ。」少し不機嫌になって、「零点をもらって、よろこぶ事はないだろう。」
「ところが、あるんだ。」僕は、きょうの試験の模様をくわしく兄さんに知らせた。
「及第だ。」兄さんは僕の話を聞き終ってから、落ちついて断定を下した。「絶対に落第じゃない。二、三日中に合格通知が来るよ。だけど、不愉快な劇団だなあ。」
「なってないんだ。落第したほうが名誉なくらいだ。僕は合格しても、あの劇団へは、はいらないんだ。上杉氏なんかと一緒に勉強するのは、まっぴらです。」
「そうだねえ。ちょっと幻滅だねえ。」兄さんは、淋しそうに笑った。「どうだい、もういちど斎藤氏のところへ相談に行ってみないか。あんな劇団は、いやだと、進の感じた事を率直に言ってみたらどうだろう。どの劇団も皆あんなものだから、がまんしてはいれ、と先生が言ったら、仕方が無い。はいるさ。それとも他にまた、いい劇団を紹介してくれるかも知れない。とにかく、試験は受けましたという報告だけでもして置いたほうがいい。どうだい?」
「うん。」気が重かった。斎藤氏は、なんだか、こわい。こんどこそ、折檻されそうな気もする。でも、行かなければならぬ。行って、お指図を受けるより他は無いのだ。勇気を出そう。僕は、俳優として、大いに才能のある男ではなかったか。きのう迄の僕とは、ちがうのだ。自信を以て邁進しよう。一日の労苦は、一日にて足れり。きょうは、なんだか、そんな気持だ。
晩ごはんの後、僕は部屋にとじこもって、きょう一日のながい日記を附ける。きょう一日で、僕は、めっきり大人になった。発展! という言葉が胸に犇々と迫って来る。一個の人間というものは、非常に尊いものだ! ということも切実に感ずる。
五月十日。水曜日。
晴れ。けさ眼が覚めて、何もかも、まるでもう、変ってしまっているのに気がついた。きのう迄の興奮が、すっかり覚めているのだ。けさは、ただ、いかめしい気持、いや、しらじらしい気持といったほうが近いかも知れぬ。きのう迄の僕は、たしかに発狂していたのだ。逆上していたのだ。どうしてあんなに、浮き浮きと調子づいて、妙な冒険みたいな事ばかりやって来たのか、わからなくなった。ただ、不思議なばかりである。永い、悲しい夢から覚めて、けさは、ただ、眼をぱちくりさせて矢鱈に首をかしげている。僕は、けさから、ただの人間になってしまった。どんな巧妙な加減乗除をしても、この僕の一・〇という存在は流れの中に立っている杭のように動かない。ひどく、しらじらしい。けさの僕は、じっと立っている杭のように厳粛だった。心に、一点の花も無い。どうした事か。学校へ出てみたが、学生が皆、十歳くらいの子供のように見えるのだ。そうして僕は、学生ひとりひとりの父母の事ばかり、しきりに考えていた。いつものように学生たちを軽蔑する気も起らず、また憎む心もなく、不憫な気持が幽かに感ぜられただけで、それも雀の群に対する同情よりも淡いくらいのもので、決して心をゆすぶるような強いものではなかった。ひどい興覚め。絶対孤独。いままでの孤独は、謂わば相対孤独とでもいうようなもので、相手を意識し過ぎて、その反撥のあまりにポーズせざるを得なくなったような孤独だったが、きょうの思いは違うのだ。まったく誰にも興味が無いのだ。ただ、うるさいだけだ。なんの苦も無くこのまま出家遁世できる気持だ。人生には、不思議な朝もあるものだ。
幻滅。それだ。この言葉は、なるべく使いたくなかったのだが、どうも、他には言葉が無いようだ。幻滅。しかも、ほんものの幻滅だ。われ、大学に幻滅せり、と以前に猛り猛って書き記した事があったような気がするが、いま考えてみると、あれは幻滅でなく、憎悪、敵意、野望などの燃え上る熱情だった。ほんものの幻滅とは、あんな積極的なものではない。ただ、ぼんやりだ。そうして、ぼんやり厳粛だ。われ、演劇に幻滅せり。ああ、こんな言葉は言いたくない! けれども、なんだか真実らしい。
自殺。けさは落ちついて、自殺を思った。ほんものの幻滅は、人間を全く呆けさせるか、それとも自殺させるか、おそろしい魔物である。
たしかに僕は幻滅している。否定する事は出来ない。けれども、生きる最後の一すじの道に幻滅した男は、いったい、どうしたらよいのか。演劇は、僕にとって、唯一の生き甲斐であったのだ。
ごまかさずに、深く考えて見よう。演劇を、くだらない等とは思わぬ。くだらないなんて、とんでもない事だ。くだらないと思ったなら、そこには怒りもあるだろうし、軽蔑し切って捨て去り、威勢よく他の道へ飛込んで行く事も出来るだろうが、僕のけさの気持は、そんなものではなかった。むなしいのだ。すべてが、どうでもいいのだ。演劇。それは、さぞ、立派なものでございましょう。俳優。ああ、それもいいでしょうね。けれども、僕は、動かない。ハッキリ、間隙が出来ていた。冷たい風が吹いている。斎藤氏のお家へはじめてお伺いして、ていのいい玄関払いを食って帰った時にも、之に似た気持を味わった。世の中が、ばかばかしい、というよりは、世の中に生きて努力している自分が、ばかばかしくなるのだ。ひとりで暗闇で、ハハンと笑いたい気持だ。世の中に、理想なんて、ありゃしない。みんな、ケチくさく生きているのだ。人間というものは、やっぱり、食うためにだけ生きているのではあるまいか、という気がして来た。あじきない話である。
放課後、ふらふらと蹴球部の支度部屋へ立寄ってみた。蹴球部へでも、はいろうかと思ったのだ。なにも考えずにボールでも蹴って、平凡な学生として、ぼんやり暮したくなったのだ。蹴球部の部屋には誰もいなかった。合宿所のほうに行っているのかも知れない。合宿所までたずねて行くほどの情熱も無く、そのまま家へ帰った。
家へ帰ったら、鴎座から速達が来ていた。合格である。「今回の審査の結果、五名を研究生として合格させた。貴君も、その一人である。明日、午後六時、研究所へおいであれ。」というような通知である。少しも、うれしくなかった。不思議なくらい、平静な気持であった。R大合格の通知を受けた時のほうが、まだしも、これより嬉しかった。僕にはもう、役者の修業をする気が無いのだ。きのう、上杉氏から俳優としての天分を多少みとめられて、それだけは、鬼の首でも取ったように、ほくほくしていたのだが、けさ、眼が覚めた時には、その喜びも灰色に感ぜられて、なんだ、才能なんて、あてにならない、やっぱり人格が大事だなどと、まじめに考え直してしまっている。この、気分の急変は、どこから来たか。恋を、まったく得てしまった者の虚無か、きのう鴎座の試験の時に無意識で選んで読んだ、あの、ファウストの、「成就の扉の、開いているのを見た時は、己達はかえって驚いて立ち止まる。」という台詞のとおり、かねて、あこがれていた俳優が、あまりにも容易に掴み取れそうなのを見て、うんざりしたのか。
「進は、合格しても、あまり嬉しそうでないじゃないか。」兄さんも、そう言っていた。
「考えてみます。」僕は、まじめに答えた。
今夜は、兄さんと、とてもつまらぬ議論をした。たべものの中で、何が一番おいしいか、という議論である。いろいろ互いに食通振りを披瀝したが、結局、パイナップルの鑵詰の汁にまさるものはないという事になった。桃の鑵詰の汁もおいしいけど、やはり、パイナップルの汁のような爽快さが無い。パイナップルの鑵詰は、あれは、実をたべるものでなくて、汁だけを吸うものだ、という事になって、
「パイナップルの汁なら、どんぶりに一ぱいでも楽に飲めるね。」と僕が言ったら、
「うん、」と兄さんもうなずいて、「それに氷のぶっかきをいれて飲むと、さらにおいしいだろうね。」と言った。兄さんも、ばかな事を考えている。
たべものの話をしたら、やけにおなかが空いて来たので、食通ふたりは、こっそり台所へ行って、おむすびを作ってたべた。非常においしかった。
ニヒルと、食慾と、何か関係があるらしい。
兄さんは、いま、隣室で、小説を書いている。もう五十枚以上になったらしい。二百枚の予定だそうだ。雪が降りはじめた時に、という書出しから始まる美しい小説だ。僕は十枚ばかり読ませてもらった。出来上ったら、文学公論の懸賞に応募するんだそうだ。兄さんは以前、懸賞の応募を、あんなに軽蔑していたのに、どうしたのだろう。
「懸賞に応募するなんて、自分を粗末にする事じゃないのかな。作品が、もったいない。」と僕が言ったら、
「でも、あたったら二千円だ。お金でも、とれるんでなかったら、小説なんて、ばからしい。」と、とても下品な表情をして言ったが、兄さんは、このごろ、ずいぶんお酒も飲むし、なんだか、堕落しているんじゃないかしら、と心配だ。
いずれを見ても、理想の喪失。
今夜は、ばかに眠い。
五月十一日。木曜日。
曇。風強し。きょうは、やや充実した日だった。きのうの僕は幽霊だったが、きょうは、いくぶん積極的な生活人だった。学校の聖書の講義が面白かった。毎週一回、寺内神父の特別講義があるのだが、いつも僕には、この時間が、たのしみなのだ。先々週の、木曜の講義も面白かった。「最後の晩餐」の研究なのだが、晩餐の十三人が、それぞれ食卓のどの位置についていたか、図解して、とても明瞭に教えてくれた。そうして十三人全部が、寝そべって食卓についたというのだから驚いた。当時の風習として、食卓のまわりに寝台があって、その寝台にそれぞれ寝そべって飲食したのだそうである。ダヴィンチの「最後の晩餐」は、事実とは違っていたわけである。ロシヤのゲエとかいう画家のかいた「最後の晩餐」の絵は、みんな寝そべっているそうである。キリストの精神とは、全く関係の無い事だが、僕には、とても面白かった。どうも僕は、食べることに関心を持ちすぎるようだ。きょうもやっぱり、食べる事に就いて考えて、けれども、之は、あながちナンセンスに終らなかった。多少、得るところがあった。きょうは、寺内師は、旧約の申命記を中心にして講義した。寺内師は、決して、教壇に立って講義はしない。空いている学生の机に座席をとって、学生と一緒に勉強するような形で、くつろいで話をする。それが、とてもいい感じだ。みんなと楽しい事に就いて相談でもしているような感じだ。きょうは、申命記を中心にして、モーゼの苦心を語ってくれたが、僕はその中でも、モーゼが民衆のたべ物の事にまで世話を焼いているのを興味深く感じた。
「十四章。汝穢わしき物は何も食う勿れ。汝らが食うべき獣蓄は是なり即ち牛、羊、山羊、牡鹿、羚羊、小鹿、※[#「鹿+嚴」、U+9EA3、148-1]、、麈、※[#「塵」の「土」に代えて「君」、U+9E8F、148-1]、など。凡て獣蓄の中蹄の分れ割れて二つの蹄を成せる反蒭獣は汝ら之を食うべし。但し反蒭者と蹄の分れたる者の中汝らの食うべからざる者は是なり即ち駱駝、兎および山鼠、是らは反蒭ども蹄わかれざれば汝らには汚れたる者なり。また豚是は蹄わかるれども反蒭ことをせざれば汝らには汚たる者なり、汝ら是等の物の肉を食うべからず、またその死体に捫るべからず。
水におる諸の物の中是のごとき者を汝ら食うべし即ち凡て翅と鱗のある者は皆汝ら之を食うべし。凡て翅と鱗のあらざる者は汝らこれを食うべからず是は汝らには汚たる者なり。
また凡て潔き鳥は皆汝らこれを食うべし。但し是等は食うべからず即ち、黄鷹、鳶、、鷹、黒鷹の類、各種の鴉の類、鴕鳥、梟、鴎、雀鷹の類、鸛、鷺、白鳥、※※[#「澤のつくり+鳥」、U+9E05、148-9][#「虞+鳥」、U+9E06、148-9]、大鷹、、鶴、鸚鵡の類、鷸および蝙蝠、また凡て羽翼ありて匍ところの者は汝らには汚たる者なり汝らこれを食うべからず。凡て羽翼をもて飛ぶところの潔き物は汝らこれを食うべし。
凡そ自ら死たる者は汝ら食うべからず。」
実に、こまかいところまで教えてある。さぞ面倒くさかった事であろう。モーゼは、これらの鳥獣、駱駝や鴕鳥の類まで、いちいち自分で食べてためしてみたのかも知れない。駱駝は、さぞ、まずかったであろう。さすがのモーゼも顔をしかめて、こいつはいけねえ、と言ったであろう。先覚者というものは、ただ口で立派な教えを説いているばかりではない。直接、民衆の生活を助けてやっている。いや、ほとんど民衆の生活の現実的な手助けばかりだと言っていいかも知れない。そうしてその手助けの合間合間に、説教をするのだ。はじめから終りまで説教ばかりでは、どんなに立派な説教でも、民衆は附きしたがわぬものらしい。新約を読んでも、キリストは、病人をなおしたり、死者を蘇らせたり、さかな、パンをどっさり民衆に分配したり、ほとんどその事にのみ追われて、へとへとの様子である。十二弟子さえ、たべものが無くなると、すぐ不安になって、こそこそ相談し合っている。心の優しいキリストも、ついには弟子達を叱って、「ああ信仰うすき者よ、何ぞパン無きことを語り合うか。未だ悟らぬか。五つのパンを五千人に分ちて、その余を幾筐ひろい、また七つのパンを四千人に分ちて、その余を幾籃ひろいしかを覚えぬか。我が言いしはパンの事にあらぬを何ぞ悟らざる。」と、つくづく嘆息をもらしているのだ。どんなに、キリストは、淋しかったろう。けれども、致しかたが無いのだ。民衆は、そのように、ケチなものだ。自分の明日のくらしの事ばかり考えている。
寺内師の講義を聞きながら、いろんな事を考え、ふと、電光の如く、胸中にひらめくものを感じた。ああ、そうだ。人間には、はじめから理想なんて、ないんだ。あってもそれは、日常生活に即した理想だ。生活を離れた理想は、――ああ、それは、十字架へ行く路なんだ。そうして、それは神の子の路である。僕は民衆のひとりに過ぎない。たべものの事ばかり気にしている。僕はこのごろ、一個の生活人になって来たのだ。地を匍う鳥になったのだ。天使の翼が、いつのまにやら無くなっていたのだ。じたばたしたって、はじまらぬ。これが、現実なのだ。ごまかし様がない。「人間の悲惨を知らずに、神をのみ知ることは、傲慢を惹き起す。」これは、たしか、パスカルの言葉だったと思うが、僕は今まで、自分の悲惨を知らなかった。ただ神の星だけを知っていた。あの星を、ほしいと思っていた。それでは、いつか必ず、幻滅の苦杯を嘗めるわけだ。人間のみじめ。食べる事ばかり考えている。兄さんが、いつか、お金にもならない小説なんか、つまらぬ、と言っていたが、それは人間の率直な言葉で、それを一図に、兄さんの堕落として非難しようとした僕は、間違っていたのかも知れない。
人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。「物質的な鎖と束縛とを甘受せよ。我は今、精神的な束縛からのみ汝を解き放つのである。」これだ、これだ。みじめな生活のしっぽを、ひきずりながら、それでも救いはある筈だ。理想に邁進する事が出来る筈だ。いつも明日のパンのことを心配しながらキリストについて歩いていた弟子達だって、ついには聖者になれたのだ。僕の努力も、これから全然、新規蒔直しだ。
僕は人間の生活をさえ否定しようとしていたのだ。おととい鴎座の試験を受け、そこにいならぶ芸術家たちが、あまりにも、ご自分たちのわずかな地位をまもるのに小心翼々の努力をしているのを見て、あいそがつきたのだ。殊にあの上杉氏など、日本一の進歩的俳優とも言われている人が、僕みたいな無名の一学生にまで、顔面蒼白になるほどの競争意識を燃やしているのだから、あさましくて、いやになってしまったのだ。いまでも決して、上杉氏の態度を立派だとは思っていないが、けれども、それだからとて人間生活全部を否定しようとしたのは、僕の行き過ぎである。きょう鴎座の研究所へ行って、もういちどあの芸術家たちと、よく話合ってみようかと思った。二十人の志願者の中から選び出されたという事だけでも、僕は感謝しなければならぬのかも知れない。
けれども放課後、校門を出て烈風に吹かれたら、ふいと気持が変った。どうも、いやだ。鴎座は、いやだ。ディレッタントだ。あそこには、理想の高い匂いが無いばかりか、生活の影さえ稀薄だ。演劇を生活している、とでもいうような根強さが無い。演劇を虚栄している、とでも言おうか、雰囲気でいい心地になってる趣味家ばっかり集っている感じだ。僕には、どうしても物足りない。僕はもう、きょうからは、甘い憧憬家ではないのだ。へんな言いかただけど、僕はプロフェショナルに生きたい!
斎藤氏のところへ行こうと決意した。きょうは、どうあっても、僕の覚悟のほどを、よく聞いてもらわなければならぬ、と思った。そう決意した時、僕のからだは、ぬくぬくと神の恩寵に包まれたような気がした。人間のみじめさ、自分の醜さに絶望せず、「凡て汝の手に堪うる事は力をつくしてこれを為せ。」
努めなければならぬ。十字架から、のがれようとしているのではない。自分の醜いしっぽをごまかさず、これを引きずって、歩一歩よろめきながら坂路をのぼるのだ。この坂路の果にあるものは、十字架か、天国か、それは知らない。かならず十字架ときめてしまうのは、神を知らぬ人の言葉だ。ただ、「御意のままになし給え。」
たいへんな決意で、芝の斎藤氏邸に出かけて行ったが、どうも斎藤氏邸は苦手だ。門をくぐらぬさきから、妙な威圧を感ずる。ダビデの砦はかくもあろうか、と思わせる。
ベルを押す。出て来たのはれいの女性だ。やはり、兄さんの推定どおり、秘書兼女中とでもいったところらしい。
「おや、いらっしゃい。」相変らず、なれなれしい。僕を、なめ切っている。
「先生は?」こんな女には用は無い。僕は、にこりともせずに尋ねた。
「いらっしゃいますわよ。」たしなみの無い口調である。
「重大な要件で、お目に、――」と言いかけたら、女は噴き出し、両手で口を押えて、顔を真赤にして笑いむせんだ。僕は不愉快でたまらなかった。僕はもう、以前のような子供ではないのだ。
「何が可笑しいのです。」と静かな口調で言って、「僕は、ぜひとも先生にお目にかかりたいのです。」
「はい、はい。」と、うなずいて笑いころげるようにして奥へひっこんだ。僕の顔に何か墨でもついているのであろうか。失敬な女性である。
しばらく経って、こんどはやや神妙な顔をして出て来て、お気の毒ですけれども、先生は少し風邪の気味で、きょうはどなたにも面会できないそうです。御用があるなら、この紙にちょっと書いて下さいまし、そう言って便箋と万年筆を差し出したのである。僕は、がっかりした。老大家というものは、ずいぶんわがままなものだと思った。生活力が強い、とでもいうのか、とにかく業の深い人だと思った。
あきらめて玄関の式台に腰をおろし、便箋にちょっと書いた。
「鴎座に受けて合格しました。試験は、とてもいい加減なものでした。一事は万事です。きょうの午後六時に鴎座の研究所へ来い、という通知を、きのうもらいましたが、行きたくありません。迷っています。教えて下さい。じみな修業をしたいのです。芹川進。」
と書いて、女のひとに手渡した、どうも、うまく書けない。女のひとはそれを持って奥へ行ったが、ながい事、出て来なかった。なんだか不安だ。山寺にひとりで、ぽつんと坐っているような気持だった。
突然、声たてて笑いながらあの女のひとが出て来た。
「はい、ご返事。」前の便箋とはちがう、巻紙を引きちぎったような小さい紙片を差し出した。毛筆で書き流してある。
春秋座
それだけである。他には、なんにも書いていない。
「なんですか、これは。」僕は、さすがに腹が立って来た。愚弄するにも程度がある。
「ご返事です。」女は、僕の顔を見上げて、無心そうに笑っている。
「春秋座へはいれって言うのですか。」
「そうじゃないでしょうか。」あっさり答える。
僕だって春秋座の存在は知っている。けれども、春秋座は、それこそ大名題の歌舞伎役者ばかり集って組織している劇団なのだ。とても僕のような学生が、のこのこ出かけて行って団員になれるような劇団ではない。
「これは、無理ですよ。先生の紹介状でもあったらとにかく、」と言いかけたら、青天霹靂、
「ひとりでやれ!」と奥から一喝。
仰天した。いるのだ。御本尊が襖の陰にかくれて立って聞いていたのだ。びっくりした。ひどい、じいさんだ。ほうほうの態で僕は退却した。すごい、じいさんだ。実に、おどろいた。家へ帰って兄さんに、きょうのてんまつを語って聞かせたら、兄さんは腹をかかえて笑った。僕も仕方なしに笑ったけれど、ちょっと、いまいましい気持もあった。
きょうは完全に、やられた。けれども、斎藤先生(これからは斎藤先生と呼ぼう)の奇妙に嗄れた一喝に遭って、この二、三日の灰色の雲も、ふっ飛んだ感じだ。ひとりでやろう。春秋座。けれども、それでは一体、どうすればいいのか、まるで見当がつかない。兄さんも、当惑しているようだ。ゆっくり春秋座を研究してみましょう、というのが今夜の僕たちの結論だった。
思いがけない事ばかり、次から次へと起ります。人生は、とても予測が出来ない。信仰の意味が、このごろ本当にわかって来たような気がする。毎日毎日が、奇蹟である。いや、生活の、全部が奇蹟だ。
五月十四日。日曜日。
曇。のち、晴れ。二、三日、日記を休んだ。別に変りはなかったからである。このごろ、なんだか気分が重く、以前のように浮き浮き日記を書けなくなった。日記をつける時間さえ惜しいような気がして来て、自重とでも言うのであろうか、くだらぬ事をいちいち日記に書きつけるのは、子供のままごと遊びのようで悲しい事だと思うようになった。自重しなければならぬと、しきりに思う。ベートーヴェンの言葉だけれども、「お前はもう自分の為の人間であることは許されていない。」そんな気持もするのである。
きょうは早朝から家中、たいへんな騒ぎであった。お母さんが、いよいよ九十九里の別荘に行って療養することになったのである。きょうは「大安」とかいって縁起のいい日なんだそうで、朝は少し曇っていたが、お母さんは、ぜひきょう行きたいと言い張るので、いよいよ出発。鈴岡さんと姉さんが、早朝から手伝いに来る。目黒のチョッピリ叔母さんも来る。チョッピリという形容詞は、つつしむことに叔母さんと約束したのだが、どうも口癖になっているので、うっかり出る。御近所のおじさん、朝日タクシイの若旦那、それから主治医の香川さん。総動員で、出発のお支度。なにせ、お母さんは寝たっきりの病人なのだから手数がかかる。看護婦の杉野さんと女中の梅やが、お母さんについて行く事になって、留守は、兄さんと僕と、書生の木島さんと、それから鈴岡さんの遠縁のものだとかいう五十すぎのお婆さん。このお婆さんは、シュンという名で、ひょうきんな人だ。杉野さんも梅やも、お母さんについて行って当分、炊事などする人が家にいなくなるので臨時に、このお婆さんに来てもらう事にしたのである。これから家も、いっそう淋しくなるだろう。大型のタクシイには、お母さんと香川さんと看護婦の杉野さん。もう一台のタクシイには、鈴岡さん夫婦と、女中の梅や。まっすぐに九十九里の松風園までタクシイを飛ばすのである。香川さんと鈴岡さん夫婦は、お母さんが向うに落ちついたのを見とどけてから、汽車で帰京の予定。たいへんな騒ぎである。家の前には通行人が、何事かという顔をして、二十人ほども立ちどまって見ている。お母さんは、朝日タクシイの若旦那に背負われ、泰然として、梅やを大声で叱咤したりなどしながら、その群集を掻きわけて自動車に乗り込むのである。相当な光景であった。あの、ドストイェフスキイの「賭博者」の中に出て来るお婆さんみたいだった。とに角元気なものだ。お母さんは、九十九里で一、二年静養したら、本当に、全快するかも知れない。
みんなが出発した後は、家の中が、がらんとして、たよりない気持だった。いや、それよりも、けさのどさくさ騒ぎの中で、ちょっと奇妙な事があった。けさは、兄さんも僕も、手伝いどころか皆の邪魔になるばかりなので、二階に避難して、お手伝いの人達の悪口などを言っていたら、杉野さんが、こわばった表情をして、用事ありげに僕たちの部屋へはいって来て、ぺたりと坐って、
「当分おわかれですわね。」と笑うような顔で、口をへんに曲げて言って、一瞬後、ひいと声を挙げて泣き伏した。
意外であった。兄さんと僕とは顔を見合せた。兄さんは、口をとがらせていた。当惑の様子である。杉野さんは、それから二、三分、泣きじゃくっていた。僕たちは黙っていた。杉野さんは、やがて起き上り、顔をエプロンで覆ったまま部屋から出て行った。
「なあんだ。」と僕が小さい声で言うと、兄さんも顔をしかめて、
「みっともない。」と言った。
けれども僕には、だいたいわかった。その時は、それ以上、杉野さんに就いて語るのをお互いに避けて、他の雑談をはじめたが、みんながタクシイに乗って出発した後で、さすがに、兄さんは、ちょっと考え込んだ様子であった。
兄さんは二階の部屋に仰向に寝ころんで、
「結婚しちゃおうか。」と言って笑った。
「兄さん、前から気がついていたの?」
「わからん。さっき泣き出したので、おや? と思ったんだ。」
「兄さんも、杉野さんを好きなの?」
「好きじゃないねえ。僕より、としが上だよ。」
「じゃ、なぜ結婚するの?」
「だって、泣くんだもの。」
二人で大笑いした。
杉野さんも、見かけに寄らずロマンチックなところがある。けれども、このロマンスは成立せず。杉野さんの求愛の形式は、ただ、ひいと泣いてみせる事である。実に、下手くそを極めた形式である。ロマンスには、滑稽感は禁物である。杉野さんも、あの時ちょっと泣いて、「しまった!」と思い、それから何もかもあきらめて九十九里へ出発したのに違いない。老嬢の恋は、残念ながら一場の笑話に終ってしまったようだ。
「花火だね。」兄さんは詩人らしい結論を与えた。
「線香花火だ。」僕は、現実家らしくそれを訂正した。
なんだか淋しい。家が、がらんとしている。晩ごはんをすましてから、兄さんと相談して演舞場へ行ってみる事にした。木島さんをも誘った。おシュン婆さんはお留守番。
演舞場では、いま春秋座の一党が出演しているのだ。「女殺油地獄」と、それから鴎外の「雁」を新人の川上祐吉氏が脚色したのと、それから「葉桜」という新舞踊。それぞれ、新聞などでも、評判がいいようだ。僕たちが行った頃には、もう「女殺油地獄」が終り、「葉桜」もすんだ様子で、最後の「雁」がはじまったところであった。舞台には、明治の雰囲気がよく出ていた。僕は大正の生れだから、明治の雰囲気など、知る由もないが、でも上野公園や芝公園を歩いていると、ふいと感ずる郷愁のようなもの、あれが、きっと明治の匂いだろうと信じているのだ。ただ、役者の台詞が、ほとんど昭和の会話の調子なので、残念に思った。脚色家の不注意かも知れない。俳優は、うまい。どんな端役でも、ちゃんと落ちついてやっている。チイムワアクがとれている。いい劇団だと思った。こんな劇団にはいる事が出来たら、何も言う事はないと思った。幕合に廊下を歩いていたら、廊下の曲り角に小さい箱が置かれてあって、その箱に、「今夜の御感想をお聞かせ下さい」と白ペンキで書かれてあるのを見て、ふいとインスピレエション。
箱に添えられてある便箋に、「団員志望者であります。手続きを教えて下さい。」と書いて住所と名前をしたため、箱に投入した。なんと佳い思いつきであろう。これもまた奇蹟だ。こんないい方法があるとは、この箱の文字を読む直前まで気がつかなかった。一瞬にして、ひらめいたのだ。神の恩寵だ。けれども、これは、兄さんには黙っていた。笑われるといやだから、というよりは、なんだかもうこれからは、兄さんにあまり頼らず、すべて僕の直感で、独往邁進したくなっていたのだ。
六月四日。火曜日。
晴れ。わすれていた時に、春秋座から手紙が来た。幸福の便りというものは、待っている時には、決して来ないものだ。決して来ない。友人を待っていて、ああ、あの足音は? なんて胸をおどらせている時には、決してその人の足音ではない。そうして、その人は、不意に来る。足音も何もあったものではない。全然あてにしていないその空白の時をねらって、不意に来る。不思議なものだ。春秋座の手紙は、タイプライターで打たれている。その大意を記せば、
今年は、新団員を三名採用するつもり。十六歳から二十歳までの健康の男児に限る。学歴は問わないが、筆記試験は施行する。入団二箇月を経てより、准団員として毎月化粧料三十円ならびに交通費を支給する。准団員の最長期間は二箇年限とし、以後は正団員として全団員と同等の待遇を与える。最長期間を経ても、なお、正団員としての資格を認めがたき者は除名する。志望者は六月十五日までに、自筆の履歴書、戸籍抄本、写真は手札型近影一葉(上半身正面向)ならびに戸主または保護者の許可証、相添えて事務所まで御送附の事。試験その他の事項に就いては追って御通知する。六月二十日深夜までにその御通知の無之場合は、断念せられたし。その他、個々の問合せには応じ難い。云々。
原文は、まさか、これほど堅苦しい文章でもないのだが、でも、だいたいこんな雰囲気の手紙なのだ。実にこまかいところまで、ハッキリ書いている。少しの華やかさもないが、その代り、非常に厳粛なものが感ぜられた。読んでいるうちに、坐り直したいような気がして来た。鴎座の時には、ただもうわくわくして、空騒ぎをしたものだが、こんどは、もう冗談ではない。沈鬱な気さえするのである。ああもう僕も、いよいよ役者稼業に乗り出すのか、と思ったら、ほろりとした。
三名採用。その中にはいる事が出来るかどうか、まるっきり見当もつかないけれど、とにかくやって見よう。兄さんも、今夜は緊張している。きょう僕が学校から帰って来たら、
「進。春秋座から手紙が来てるぜ。お前は、兄さんにかくれて、こっそり血判の歎願書を出したんじゃないか?」などと言って、はじめは笑っていたが、手紙を開封してその内容を僕と一緒に読んでからは、急に、まじめになってしまって、
「お父さんが生きていたら、なんと言うだろうねえ。」などと心細い事まで言い出す始末であった。兄さんは優しくて、そうして、やっぱり弱い。僕がいまさら、どこへ行けるものか。ながい間の煩悶苦悩のあげく、やっとここまで、たどりついて来たのだ。
こうなると斎藤先生ひとりが、たのみの綱だ。春秋座、とはっきり三字、斎藤先生は書いてくれた。そうして、ひとりでやれ! と大喝したのだ。やって見よう。どこまでもやって見よう。初夏の夜。星が綺麗だ。お母さん! と小さい声で言って、恥ずかしい気がした。
六月十八日。日曜日。
晴れ。暑い日だ。猛烈に暑い。日曜で、朝寝をしていたかったのだが、暑くて寝て居られない。八時に起きた。すると郵便。春秋座。
第一の関門は、パスしたのだ。当り前のような気もしたが、でも、ほっとした。通知の来るのは、あすか、あさっての事だろうと思っていたのだが、やっぱり幸福は意地悪く、思いがけない時にばかりやって来る。
七月五日、午前十時より神楽坂、春秋座演技道場にて第一次考査を施行する。第一次考査は、脚本朗読、筆記試験、口頭試問、簡単な体操。脚本朗読は、一つは何にても可、受験者の好むところの脚本を試験場に持参の上、自由に朗読せられたし。但し、この朗読時間は、五分以内。他に当方より一つ、朗読すべき脚本を試験場に於て呈示する。筆記試験には、なるべく鉛筆を用いられたし。体操に支障無きようパンツ、シャツの用意を忘れぬ事。弁当は持参に及ばず。当道場に於て粗飯を呈す。当日は、午前十時、十分前に演技道場控室に参集の事。
相変らず、簡明である。第一次考査と書いてあるが、それでは、この試験に合格してもまだ第二次、第三次と考査が続くのであろうか。ずいぶん慎重だ。けれども、俳優として適、不適を決定するのには、これくらいの大事をとるのが本当かも知れない。会社や銀行へ就職する場合とは違うのだ。無責任な審査をして出鱈目に採用しても、その採用された当人が、もし俳優として不適当な人だったら、すぐ又お隣りの銀行へという工合に、手軽に転職も出来ず、その人の一生が滅茶滅茶に破壊されてしまうだろう。どうか大いに厳重に審査してもらいたいものだ。鴎座のようでは、合格したって、不安でいけない。こちらは何もかも捨ててかかっているのだ。無責任な取扱いを受けてはたまらない。
脚本朗読、筆記試験、口頭試問、体操、と四種目あるが、その中でも自由選択の脚本朗読というのが曲者だ。ちょっと頭のいい審査方法だと思った。何を選ぶかという事に依って受験者の個性、教養、環境など全部わかってしまうだろう。これは難物だ。試験までには、まだ二週間ある。ゆっくりと落ちついて、万全の脚本を選び出そう。兄さんともよく相談して決定しよう。兄さんは、四、五日前から九十九里のお母さんのところへ見舞いに行って、今晩か、明晩、帰京する事になっている。ゆうべ兄さんから葉書が来た。お母さんは、一週間ほど前ちょと熱を出したのだが、もう熱もさがっていよいよ元気。杉野女史は、まっくろに日焼けして、けろりとして働いているそうだ。兄さんは、また杉野さんに泣かれるかも知れんなどと冗談を言って出発したのだが、なんという事もなかったようだ。どうも、兄さんは甘い。
夜、木島さんとおシュン婆さんと僕と三人がかりで、変なアイスクリイムを作って食べていたら、ベルが鳴って、出てみると、木村のお父さんが、のっそり玄関先に立っていた。
「うちの馬鹿が来ていませんか。」と意気込んで言う。
一昨夜、ギタをかかえて出かけて、それっきり家へ帰らないのだそうだ。
「このごろ、さっぱり逢いませんが。」と言ったら、首をかしげて、
「ギタを持って出たから、きっとあなたの所だとばかり思って、ちょっとお寄りしてみたのですが。」と疑うような、いやな眼で僕を見つめる。ばかにしてやがる。
「僕は、もうギタは、やめました。」と言ってやったら、
「そうでしょう。いいとしをして、いつまでもあんな楽器をいじくりまわしているのは感心出来ません。いや、お邪魔しました。もし、あのばかが来ましたならば。あなたからも、説教してやって下さい。」と言い残して帰って行った。
不良の木村には、お母さんが無いのだ。よその家庭のスキャンダルは言いたくないが、なんだか、ごたごたしているらしい。木村に説教するよりは、むしろ、木村の家の人たちに説教してやりたいものだと思った。木村のお父さんは所謂、高位高官の人であるが、どうも品がない。眼つきが、いやらしい。自分の子供だからといって、よそへ行ってまで、うちのばか、うちのばか、と言うのは、よくない事だと思った。実に聞きぐるしい。木村も木村だが、お父さんもお父さんだと思った。要するに、僕には、あまり興味が無い。ダンテは、地獄の罪人たちの苦しみを、ただ、見て、とおったそうだ。一本の縄も、投げてやらなかったそうだ。それでいいのだ、とこのごろ思うようになった。
七月五日。水曜日。
晴れ。夕、小雨。きょう一日の事を、ていねいに書いて見よう。僕はいま、とても落ちついている。すがすがしいくらいだ。心に、なんの不安も無い。全力をつくしたのだ。あとは、天の父におまかせをする。爽やかな微笑が湧く。本当に、きょうは、素直に力を出し切る事が出来た。幸福とは、こんな思いを言うのかも知れない。及第落第は、少しも気にならない。
きょうは春秋座の演技道場で、第一次の考査を受けたのである。けさは、七時半に起きた。六時頃から目が覚めていたのだが、何か心の準備に於て手落ちが無いか、寝床の中で深く静かに考えていた。手落ちといえば全部、手落ちだらけであったが、それだからとて狼狽することもなかった。とにかく、ごまかさなければいいのだ。正直に進んだら、何事もすべて単純に解決して、どこにも困難がない筈だ。ごまかそうとするから、いろいろと、むずかしくなって来るのだ。ごまかさない事。あとは、おまかせするのだ。心にそれ一つの準備さえ出来ていたら、他には何も要らないのだと思った。詩を一つ作ろうと思ったが、うまく行かなかった。起きて、顔を洗い、鏡を見た。平然たる顔である。ゆうべ、ぐっすり眠ったせいか、眼が綺麗にすんでいる。笑って鏡に一礼した。それから、ごはんを、うんとたくさん食べた。おシュン婆さんも、おどろいていた。いつもは朝寝坊でも、試験だとなると、ちゃんと早起をして御飯も、たくさん食べる。男の子は、こうでなくちゃいけない、と変なほめかたをした。おシュン婆さんは、きょうは学校の試験があるのだと、ひとり合点しているらしい。役者の試験を受けに行くのだと知ったら、腰を抜かすかもしれない。
身支度をして、それから仏壇のお父さんの写真に一礼して、最後に兄さんの部屋へ行き、
「行ってまいります。」と大声で言った。兄さんは、まだ寝ているのだ。むっくり上半身を起して、
「なんだ、もう行くのか。神の国は何に似たるか。」と言って、笑った。
「一粒の芥種のごとし。」と答えたら、
「育ちて樹となれ。」と愛情のこもった口調で言った。
前途の祝福として、もったいないくらい、いい言葉だ。兄さんは、やはり僕より百倍もすぐれた詩人だ。とっさのうちに、ぴたりと適切な言葉を選ぶ。
外は暑かった。神楽坂をてくてく歩いて、春秋座の演技道場へ着いたのは九時すこし過ぎだった。ちょっと早過ぎた。紅屋へ行ってソーダ水を飲んで汗を拭き、それからまたゆっくり出直したら、こんどはちょうどよかった。古い大きいお屋敷である。玄関で靴を脱いでいたら、角帯をきちんとしめた番頭さんのような若い人が出て来て、どうぞと小声で言ってスリッパを直してくれた。おだやかな感じである。まるで、お客様あつかいである。控室は二十畳敷くらいの広い明るい日本間で、もう七、八人、受験生が来ていた。みな、ひどく若い。まるで子供である。十六歳から二十歳という制限だった筈だが、その七、八人のひと達は、ちょっと見たところ、まるで十三、四の坊やだ。髪をおかっぱにしている者もあり、赤いボヘミアンネクタイをしている者もあり、派手な模様の和服を着流している者もあり、どうも芸者の子か何かのような感じの少年ばかりだ。僕は、てれくさかった。さっきの番頭さんみたいな人が、おせんべいとお茶を持って来て僕にすすめて、「しばらくお待ち下さいまし。」と言う。恐縮するばかりである。ぼつぼつと受験生が集って来る。二十歳くらいのひとも三、四人来た。けれども、みんな背広か和服だ。学生服は、ついに僕ひとりであった。あんまり利巧そうでない顔ばかりだったが、でも、鴎座のように陰鬱な感じはなかった。人生の敗残者なんて感じはない。ただ、無心にきょろきょろしている。二十人くらいになった頃、れいの番頭さんが出て来て、「どうもお待ちどおさまでした。お名前をお呼び致しますから。」と静かな口調で言って、五人の名前を呼んで、「どうぞこちらへ。」と別室へ案内して行った。僕の名は呼ばれなかった。あとは、また、しんとなって、僕は立ち上り、廊下に出て、庭を眺めた。料理屋か、旅館の感じである。庭もなかなか広い。かすかに電車の音が聞える。じりじり暑い。三十分くらい待たされて、こんど呼ばれた名前の中には、僕の名もはいっていた。れいの番頭さんに引率されて僕たち五人は薄暗い廊下を二曲りもして、風通しのよい洋室に案内された。
「やあ、いらっしゃい。」背広を着たとても美しい顔の青年が、あいそよく僕たちを迎えた。「筆記試験をさせていただきます。」
僕たちは中央の大きいテエブルのまわりに坐って、その美しい青年から原稿用紙を三枚ずつ貰い、筆記にとりかかった。何を書いてもいい、というのである。感想でも、日記でも、詩でも、なんでもいい、但し、多少でも春秋座と関係のある事を書いて下さい、ハイネの恋愛詩などを、いまふっと思い出してそのまんまお書きになっては困ります、時間は三十分、原稿用紙一枚以上二枚以内でまとめて下さい、という事であった。
僕は自己紹介から書きはじめて、春秋座の「雁」を見て感じた事を率直に書いた。きっちり二枚になった。他の人は、書いたり消したり、だいぶ苦心の態である。これでも、履歴書や写真に依って、多くの志望者の中から選び出された少数者なのだ。ずいぶん心細い選手たちである。けれども、こんな白痴みたいな人たちこそ、案外、演技のほうで天才的な才能を発揮するのかも知れない。あり得る事だ。油断してはならない、などと考えていたら、番頭さんがひょいとドアから顔を出して、
「お書きになりました方は、その答案をお持ちになって、どうぞこちらへ。」また御案内だ。
書き上げたのは僕ひとりだ。僕は立って廊下へ出た。別棟の広い部屋に通された。なかなか立派な部屋だ。大きい食卓が、二つ置かれてある。床の間寄りの食卓をかこんで試験官が六人、二メートルくらいはなれて受験者の食卓。受験者は、僕ひとり。僕たちの先に呼ばれた五人の受験者たちは、もう皆すんで退出したのか、誰もいない。僕は立って礼をして、それから食卓に向ってきちんと坐った。いる、いる。市川菊之助、瀬川国十郎、沢村嘉右衛門、坂東市松、坂田門之助、染川文七、最高幹部が、一様に、にこにこ笑ってこっちを見ている。僕も笑った。
「何を読みますか?」瀬川国十郎が、金歯をちらと光らせて言った。
「ファウスト!」ずいぶん意気込んで言ったつもりなのだが、国十郎は軽く首肯いて、
「どうぞ。」
僕はポケットから鴎外訳の「ファウスト」を取り出し、れいの、花咲ける野の場を、それこそ、天も響けと読み上げた。この「ファウスト」を選ぶまでには、兄さんと二人で実に考えた。春秋座には歌舞伎の古典が歓迎されるだろうという兄さんの意見で、黙阿弥や逍遥、綺堂、また斎藤先生のものなど色々やってみたが、どうも左団次や羽左衛門の声色みたいになっていけない。僕の個性が出ないのだ。そうかといって、武者小路や久保田万太郎のは、台詞がとぎれて、どうも朗読のテキストには向かないのだ。一人三役くらいで対話の朗読など、いまの僕の力では危かしいし、一人で長い台詞を言う場面は、一つの戯曲にせいぜい二つか三つ、いや何も無い事さえあって、意外にも少いものなのだ。たまにあるかと思うと、それはもう既に名優の声色、宴会の隠芸だ。何でもいいから、一つだけ選べ、と言われると実際、迷ってしまうのだ。まごまごしているうちに試験の期日は切迫して来る。いっそこうなれば「桜の園」のロパーヒンでもやろうか。いや、それくらいなら、ファウストがいい。あの台詞は、鴎座の試験の、とっさの場合に僕が直感で見つけたものだ。記念すべき台詞だ。きっと僕の宿命に、何か、つながりのあるものに相違ない。ファウストにきめてしまえ! という事になったのである。このファウストのために失敗したって僕には悔いがない。誰はばかるところなく読み上げた。読みながら、とても涼しい気持がした。大丈夫、大丈夫、誰かが背後でそう言っているような気もした。
人生は彩られた影の上にある! と読み終って思わずにっこり笑ってしまった。なんだか、嬉しかったのである。試験なんて、もう、どうだっていいというような気がして来た。
「御苦労さまです。」国十郎氏は、ちょっと頭をさげて、「もう一つ、こちらからのお願い。」
「はあ。」
「ただいま向うでお書きになった答案を、ここで読みあげて下さい。」
「答案? これですか?」僕はどぎまぎした。
「ええ。」笑っている。
これには、ちょっと閉口だった。でも春秋座の人たちも、なかなか頭がいいと思った。これなら、あとで答案をいちいち調べる手数もはぶけるし、時間の経済にもなるし、くだらない事を書いてあった場合には朗読も、しどろもどろになって、その文章の欠点も、いよいよハッキリして来るであろうし、これには一本、やられた形だった。けれども、気を取り直して、ゆっくり、悪びれずに読んだ。声には少しも抑揚をつけず、自然の調子で読んだ。
「よろしゅうございます。その答案は置いて行って、どうぞ控室でお待ちになっていて下さい。」
僕はぴょこんとお辞儀をして廊下に出た。背中に汗をびっしょりかいているのに、その時はじめて気がついた。控室に帰って、部屋の壁によりかかってあぐらを掻き、三十分くらい待っているうちに、僕と同じ組の四人の受験生も順々に帰って来た。みんなそろった時に、また番頭さんが迎えに来て、こんどは体操だ。風呂場の脱衣場みたいな、がらんと広い板敷の部屋に通された。なんという俳優か名前はわからなかったが角帯をしめた四十歳前後の相当の幹部らしいひとが二人、部屋の隅の籐椅子に腰かけていた。若い、事務員みたいな人が白ズボンにワイシャツという姿で、僕たちに号令をかけるのである。和服の人は着物をみな脱がなければならないが、洋服の人は単に上衣を脱ぐだけでよろしいという事であって、僕たちの組の人は全部洋服だったので、身支度にも手間がかからず、すぐに体操が始まった。五人一緒に、右向け、左向け、廻れ右、すすめ、駈足、とまれ、それからラジオ体操みたいなものをやって、最後に自分の姓名を順々に大声で報告して、終り。簡単なる体操、と手紙には書いてあったが、そんなに簡単でもなかった。ちょっと疲れたくらいだった。控室へ帰ってみると、控室には一列に食卓が並べられていて、受験生たちはぼつぼつ食事をはじめていた。天丼である。おそばやの小僧さんのようなひとが二人、れいの番頭さんに指図されて、あちこち歩きまわってお茶をいれたり、丼を持ち運んだりしている。ずいぶん暑い。僕は汗をだらだら流して天丼をたべた。どうしても全部たべ切れなかった。
最後は口頭試問であった。番頭さんに一人ずつ呼ばれて、連れられて行く。口頭試問の部屋は、さっきの朗読の部屋であった。けれども部屋の中の雰囲気は、すっかり違っていた。ごたごた、ひどくちらかっていた。大きい二つの食卓は、ぴったりくっつけられて、文芸部とか企劃部とか、いずれそんなところの人たちであろう、髪を長くのばして顔色のよくないひとばかり三人、上衣を脱いでくつろいだ姿勢で食卓に肘をつき、食卓の上には、たくさんの書類が雑然とちらかっている。飲みかけのアイスコーヒーのグラスもある。
「お坐りなさい。あぐら、あぐら。」と一ばんの年長者らしい人が僕に座布団をすすめる。
「芹川さんでしたね。」と言って、卓上の書類の中から、僕の履歴書や写真などを選び出して、
「大学は、つづけておやりになるつもりですか?」まさに、核心をついた質問だった。僕の悩みも、それなんだ。手きびしいと思った。
「考え中です。」ありのままを答える。
「両方は無理ですよ。」追撃急である。
「それは、」僕は小さい溜息をついた。「採用されてから、」言葉がとぎれた。
「それゃまあ、そうですが。」相手は敏感に察して笑い出した。「まだ採用と、きまっているわけでもないのですものね。愚問だったかな? 失礼ですが、兄さんは、まだお若いようですね。」どうも痛い。からめ手から来られては、かなわない。
「はあ、二十六です。」
「兄さんおひとりの承諾で大丈夫でしょうか。」本当に心配そうな口調である。この口頭試問の主任みたいな人は、よっぽど世の中の苦労をして来た人に違いないと僕は思った。
「それは大丈夫です。兄さんは、とても頑張りますから。」
「頑張りますか。」ほがらかそうに笑った。他の二人のひとたちも、顔を見合せてにこにこ笑った。
「ファウストをお読みになったのですね? あなたがひとりで選んだのですか?」
「いいえ、兄さんにも相談しました。」
「それじゃ、兄さんが選んで下さったのですね?」
「いいえ、兄さんと相談しても、なかなかきまらないので、僕がひとりで、きめてしまったのです。」
「失礼ですけど、ファウストがよくわかりますか?」
「ちっともわかりません。でもあれには大事な思い出があるんです。」
「そうですか。」また笑い出した。「思い出があるんですか」柔和な眼で僕の顔を見つめて、
「スポーツは何をおやりです?」
「中学時代に蹴球を少しやりました。いまは、よしていますけど。」
「選手でしたか?」
それからそれと、とてもこまかい所まで尋ねる。お母さんが病気だと言ったら、その病状まで熱心に尋ねる。ちかい親戚には、どんな人がいるのか、とか、兄さんの後見人とでもいうような人がいるのか、とか、家庭の状態に就いての質問が一ばん多かった。でも自然にすらすらと尋ねるので、こちらも気楽に答える事が出来て、不愉快ではなかった。最後に、
「春秋座の、どこが気にいりましたか?」
「べつに。」
「え?」試験官たちは、一斉にさっと緊張したようであった。主任のひとも、眉間にありありと不快の表情を示して、「じゃ、なぜ春秋座へはいろうと思ったのですか?」
「僕は、なんにも知らないんです。立派な劇団だとは、ぼんやり思っていたのですけど。」
「ただ、まあ、ふらりと?」
「いいえ、僕は、役者にならなけれぁ、他に、行くところが無かったんです。それで、困って、或る人に相談したら、その人は、紙に、春秋座と書いてくれたんです。」
「紙に、ですか?」
「その人はなんだか変なのです。僕が相談に行った時は風邪気味だとかいって逢ってくれなかったのです。だから僕は玄関で、いい劇団を教えて下さいって洋箋に書いて、女中さんだか秘書だか、とてもよく笑う女のひとにそれを手渡して取りついでもらったんです。すると、その女のひとが奥から返事の紙を持って来たんです。けれども、その紙には、春秋座、と三文字書かれていただけなんです。」
「どなたですか、それは?」主任は眼を丸くして尋ねた。
「僕の先生です。でも、それは、僕がひとりで勝手にそう思い込んでいるので、向うでは僕なんかを全然問題にしていないかも知れません。でも、僕はその人を、僕の生涯の先生だと、きめてしまっているんです。僕はまだその人と、たった一回しか話をした事がないんです。追いかけて行って自動車に一緒に乗せてもらったんです。」
「いったい、どなたですか。どうやら劇壇のおかたらしいですね。」
「それは、言いたくないんです。たったいちど、自動車に乗せてもらって話をしたきりなのに、もう、その人の名前を利用するような事になると、さもしいみたいだから、いやなんです。」
「わかりました。」主任は、まじめに首肯いて、「それで? その人が、春秋座、と書いて下さったので、まっすぐにこっちへ飛び込んで来たというわけですね?」
「そうです。ただ春秋座へはいれって言ったって無理です、と僕はその時に女中さんに不平を言ったんです。すると、襖の陰から、ひとりでやれっ! と怒鳴ったんです。先生が襖の陰に立って聞いていたんです。だから僕は、びっくりして、――」
若い二人の試験官たちは声を立てて笑った。けれども、主任のひとは、そんなに笑わず、
「痛快な先生ですね。斎藤先生でしょう?」と事もなげに言った。
「それは言われないんです。」僕も笑いながら、「僕がもっと偉くなってから、教えます。」
「そうですか。それじゃ、これだけで、よろしゅうございます。どうも、きょうは、御苦労さまでした。食事は、すみましたね?」
「はあ、いただきました。」
「それでは、二、三日中に、また何か通知が行くかも知れませんが、もし、二、三日中に何も通知が無かった場合には、またもういちど、その先生のところへ相談にいらっしゃるのですね。」
「そのつもりで居ります。」
これで、きょうの試験が、全部、すんだのである。満ち足りた、おだやかな気持で、家へ帰った。晩は、兄さんと二人で芹川式のビフテーキを作って食べた。おシュン婆さんにも、ごちそうしてやった。僕は本当に、平気なのに、兄さんは、ひそかに気をもんでいるようだ。何かと試験の模様を聞きたがるのだが、こんどは僕が、神の国は何に似たるか、などと逆に問い返したりなどして、過ぎ去った試験の事は少しも語りたくなかった。
夜は日記。これが最後の日記になるかも知れぬ。なぜだか、そんな気がする。寝よう。
七月六日。木曜日。
曇り。けさは、眠くて、どうしても起きられず、学校を休む。
午後二時、春秋座より速達あり。「健康診断を致しますから、八日正午、左記の病院に此の状持参にておいで下さい。」とあって、虎の門の或る病院の名が書かれていた。
所謂、第二次考査の通知である。兄さんは、もう之で合格したも同然だ、と言って全く安心しているが、僕には、そうは思われなかった。病院に行ってみると、きのうの受験生が、また全部集っているような気さえする。もういちど、はじめから戦い直してもいいくらいの英気を、たっぷりと養って置きたい。さいわい、からだは、どこも悪くない筈だけど。
夜は、ひとりでレコードを聞いて過す。モーツァルトのフリュウト・コンチェルトに眼を細める。
七月八日。土曜日。
晴れ。虎の門の竹川病院に行って、いま帰って来たところ。暑い、暑い。ごめんこうむって、パンツ一枚の姿で日記をつける。病院へ行ってみたら、たった二人だ。僕と、それから髪をおかっぱにした、一見するに十四、五の坊やと、それっきりだ。あとの人は、みんな駄目だったらしい。すごい厳選だったのだ。ひやりとした。
三人のお医者が交る交る、僕たちのからだの隅々まで調べた。峻烈を極めた診察で、少々まいった。レントゲンにかけられ、血液も尿もとられた。坊やは、トラホームを見つけられ泣きべそを掻いた。でも、一週間も治療したらなおるくらいの軽いものだと聞かされて、すぐ、にこにこした。坊やの顔は、そんなに可愛くはないが、気味の悪いような個性がある。ひどく長い顔だ。案外、天才的な才能を持っているのかも知れない。僕たちは三時間ちかく調べられた。
春秋座から事務員のような人がひとり来ていた。帰りは三人、一緒だった。
「よかったですね。」とその事務員が言った。「はじめの願書は、樺太、新京などからも来て、ざっと六百通ちかく集ったのですよ。」
「でも、まだわからないんでしょう?」と僕が言ったら、
「さあ、どうでしょうかね。」とあいまいな返事をした。
合格ならば、一週間以内に、正式の通知が来るのだそうだ。僕たちは市電の停留所でわかれた。
兄さんに知らせたら大喜びだ。こんなに喜んだ兄さんを見た事がない。
「よかったねえ、よかったねえ、進は、やっぱり役者になるのがよかったんだ。六百人の中から二人とは凄いじゃないか。偉いねえ、ありがとう、僕は、もう、どんなに嬉しいか、――」と言いかけて、少し泣いた。滅茶滅茶だ。まだ、喜ぶには早いのに。
正式の通知の来ないうちは、気をゆるめてはいけないのだ。
七月十四日。金曜日。
晴れ。合格通知来る。
七月十五日。土曜日。
晴れ。猛烈に暑い。きのうは合格通知を封筒のまま仏壇にあげて、兄さんと二人で、お父さんに報告をした。本当に、日本一の俳優になれそうな気がして来た。苦しいのは、寧ろ、これからであろう。けれども「善く且つ高貴に行動する人間は唯だその事実だけに拠っても不幸に耐え得るものだということを私は証拠立てたいと願う。」これは、ベートーヴェンの言葉だが、壮烈な覚悟だ。昔の天才たちは、みんな、このような意気込みで戦ったのだ。折れずに、進もう。ゆうべは、兄さんと木島さんと僕と三人で、猿楽軒に行き、ささやかな祝宴。お母さんの健康を祈って乾盃した。木島さんは酔って、チャッキリ節というものを歌った。
このごろは、学校へ、さっぱり行かない。二学期から、休学しようと思っている。兄さんも、そうするより他は無かろうと言っている。春秋座の道場へは、もう来週の月曜から毎日かよわなければならないのである。すぐに公演の方にも手伝いするのだそうである。研究生時代の二箇月間も、手当は、毎月十二円、公演の手伝いをした時にはまた若干、道場までの交通費もきちんと支給される事になっている。二箇月を経ると、準団員として毎月、化粧料三十円になるのだ。それから二箇年間に、少しずつ手当がふえていって、二箇年が過ぎると、正団員になって、全団員と同等の待遇を受けるようになるのである。順調に行くと、僕は十九歳の秋には正団員になれるのである。けれども今は、そんな甘い空想で、うっとりしている場合ではない。目前の努力が大事だ。つらいだろうなあ。二年経って、正団員になって、それからが本当の役者の修業なのだ。十年修業して、二十九歳。いろんな事が起るだろう。自分ひとりの演技よりも、どんな脚本を選ぶかという事こそ最も大きい問題になって来るだろう。とにかく努力だ。かならず偉い役者にならなければならぬ。大海へ丸木舟に乗ってこぎ出した形だ。でも、僕が今月から、もう、ちょっとしたお給金がもらえるというのは、くすぐったい事だ。チョッピリ、うれしい。最初のお給金で、兄さんへ万年筆を一本買ってあげようと思っている。兄さんは、明日、沼津のお母さんの実家へ避暑に行くと言っている。十日ばかり滞在の予定だそうだ。いつもなら、僕も当然、一緒に行くのだが、なにせ来週から、「つとめ」の身であるから、ままにならぬ。ことしの夏は、東京に居残って頑張るのだ。兄さんの「文学公論」の小説は、とうとう締切までに間に合わなかったようだ。半分ほど書き上げた時に、津田さんに見ていただいたところが、意外なほどいいお点をもらって激励されたとか、けれどもその後が、どうしても、うまく進行せず、とうとう放棄してしまったようだ。本当に、惜しい事だ。兄さんは、いつでも、バルザックやドストイェフスキイと較べて、自分の力量の足りない事を嘆いているが、はじめから、あの人たちに勝とうと思うのは慾が深すぎるのではあるまいか。「やっぱり、小説は、三十すぎなければ駄目だね。」などと言っていたけど、それでは、三十になる前に、小さい散文詩などを書いてみたらどうかしら。とにかく兄さんには、凄い才能があるのだから、いまに調子が出て来れば、世界的な傑作を必ず書く。兄さんの文章の美しさは、ちょっと日本にも類が無い。
今夜、風呂へはいって、鏡をみたら顔がひどくやつれているので、驚いた。僅か二、三日の間に、こんなに顔が変るものか。やっぱり、この二三日、よほどの心労だったのだろう。頬骨が出て、すっかり大人の顔である。ひどく醜い。どうにかしなければならぬ。僕は、もう役者なのだ。役者は、顔を大事にしなければいけないものだ。どうも、この顔は気にいらない。干した猿みたいだ。これからは、毎朝、クリイムとかヘチマコロンとかを用いて、顔の手入をしなければならぬ。役者になったからって、急におめかしをする必要もないが、こんな生気の無い顔は困る。
夜は蚊帳の中で読書。ジャンクリストフ第三巻。
八月二十四日。木曜日。
曇り。地獄の夏。気が狂うかも知れぬ。いやだ、いやだ。何度、自殺を考えたか分らぬ。三味線が、ひけるようになりましたよ。踊りも出来ます。毎日、毎日、午前十時から午後四時まで。演技道場は、地獄の谷だ! 学校は止めている。もう、他に行くところがないのだ。罰だ! やっぱり役者を甘く見ていた。
呪われたるものよ、汝の名は、少年俳優。よくからだが続くものだと、自分でも不思議に思っています。覚悟は、していたが、これほどの屈辱を嘗めるとは思わなかった。
きょうも、お昼の三十分の休み時間に、道場の庭の芝生に仰向けに寝ころんでいたら、涙が湧いて出た。
「芹川さんは、いつも、憂鬱そうですね。」と言って、れいの坊やが傍へ寄って来た。
「あっちへ行け!」と言った。自分でも、おや? と思ったほどの厳粛な口調であった。僕の悩みは、お前たち白痴にわかるものか!
坊やの名は、滝田輝夫。むかし帝劇女優として有名だった滝田節子のかくし子だそうだ。父は、先年なくなった財界の巨頭、M氏だそうだ。十八歳。僕より一つ年上であるが、それでも、やっぱり坊やである。白痴にちかい。けれども、演技は素晴らしい。遊芸百般に於ても、僕などとても、足もとにも及ばない。こいつが僕のライバルだ。生涯のライバルかも知れない。いつでも僕は、この白痴と比較されて、そうしてこごとをもらうのである。けれども僕は、白痴の天才は断然、否定しているのだ。今に見ろ、と思っている。無器用ものの、こった一念の強さほど尊いものは無いのだ。春秋座に於て、滝田を疑問視して、芹川を支持しているのは、団長の市川菊之助ひとりである。他は皆、僕の野暮ったさに呆れている。理窟や、という家号を、つけられている。きょうは、道場からの帰りに、大幹部の沢村嘉右衛門と市電の停留場まで一緒だったが、
「君は毎日毎日、ちがう本を、ポケットにいれて来るそうだね。本当に、読んでるのかい?」と薄笑いしながら言った。
僕は返事をしなかった。腹の中で、こう言った。紀の国やさん、これからの役者は、あなたみたいに芸ばかり達者でもだめですよ。
十日ほど前、市川菊之助は、僕をレインボウへ連れて行って、ごちそうしてくれて、その時にボイルドポテトをフオクで追いまわしながら、ふいとこう言ったのだ。
「私は三十まで大根と言われていました。そうして、いまでも私は自分を大根だと思っています。」
僕は泣きたかった。あの団長の言葉が無かったら、僕はきょうあたり、首をくくっていたかも知れない。
新しい芸道を樹立する。至難である。頭に矢が当らず、手脚にばっかり矢が当る。最もやり切れぬ苦痛である。一粒の芥種、樹になるか、樹になるか。
もういちど、ベートーヴェンのあの言葉を、大きく書いて見よう。「善く且つ高貴に行動する人間は唯だその事実だけに拠っても不幸に耐え得るものだということを私は証拠立てたいと願う。」
九月十七日。日曜日。
曇り。時々、雨。きょうは、稽古は休みだ。きのうは道場で、夜の十一時半まで稽古があった。めまいがして、舞台にぶったおれそうになった。歌舞伎座、十月一日初日。出し物は、「助六」漱石の「坊ちゃん」それから「色彩間苅豆」。
僕の初舞台だ。もっとも僕の役は、「助六」では提灯持ち、「坊ちゃん」では中学生、それだけだ。それなのに、その稽古の猛烈、繰り返し繰り返しだ。家へ帰って寝てからも、へんな、いやらしい夢の連続で、寝返りばかり打っていた。あんまり疲れすぎると、かえって眠られぬものである。
けさは八時頃、下谷の姉さんから僕に電話だ。一大事だから、すぐに兄さんと二人で、下谷へ来てくれ、一大事、一大事、と笑いながら言うのである。どうしたのです、といくら尋ねても教えない。とにかく来てくれ、と言う。仕方が無い。兄さんと二人で、大急ぎでごはんを食べて下谷へ出かける。
「なんだろうね。」と僕が言ったら、兄さんは、
「夫婦喧嘩の仲裁はごめんだな。」と、ちょっと不安そうな顔をして言った。
下谷へ行ってみたら、なんの事はない、一家三人、やたらにげらげら笑っている。
「進ちゃん、けさの都新聞、読んだ?」と姉さんは言う。なんの事やら、わからない。麹町では都新聞をとっていない。
「いいえ。」
「一大事よ。ごらん!」
都新聞の日曜特輯の演芸欄。僕の写真が滝田輝夫の写真と並んで小さく出ている。名前が、ちがっている。僕の写真には、市川菊松。滝田のには、沢村扇之介。春秋座の二新人という説明がついていて、それから「どうぞよろしく」だとさ。あきれた。ばかにしてやがると思った。こんどの初舞台から、僕たちは準団員になる筈だという事は、わかっていたが、こんな芸名まで、ついていたとは知らなかった。なんにも僕たちには通知がなかったのだ。どうせ、でたらめに、でっち上げられた芸名だろうが、それにしても本人に、ちょっと相談してから、確定すべきものではなかろうか。暗い気がした。けれども、市川菊松という、この妙に、ごつい芸名の陰に、団長、市川菊之助の無言の庇護が感ぜられて、その点は、ほのぼのと嬉しかった。市川菊松。いい名じゃねえなあ。丁稚さんみたいだ。
「いよいよ、」鈴岡さんは笑いながら、「本格的になって来たね。お祝いの意味で、これから支那料理でも食べに行こう。」鈴岡さんは、なにかというと、すぐ支那料理だ。
「だけど、こんなに大袈裟になって来ると、心配ね。」姉さん夫婦は、僕の俳優志願を前から知っていて、ちょっと心配しながらも、まあ、黙許という形だったのだ。「お母さんには、まだ、知らせないほうがいいんじゃない?」お母さんには、はじめから絶対秘密になっているのだ。
「もちろんさ。」兄さんは強い口調で答える。「いずれ、わかる事だろうけど、でも、もう少しお母さんが達者になってから全部を申し上げる事にしているんだ。とにかくこれは、僕の責任なんだから。」
「責任だなんて、そんな固苦しい事は、考えなくてもいいさ。」鈴岡さんは度胸がいい。「役者でもなんでも、まじめにやって行けたら立派なもんだ。十七で、五十円の月給を取るなんて、ちょっと出来ない事だぜ。」
「三十円ですよ。」僕は訂正した。
「いや、三十円の月給なら、手当やなんかで、六十円にはなるものなんだ。」役者も銀行員も、同じものに考えているらしい。
鈴岡さん夫婦、俊雄君、それから兄さん、僕、五人で日比谷へ支那料理を食べに出かけた。みんな浮き浮きはしゃいでいたが、僕ひとりは、ゆうべの寝不足のせいもあり、少しも楽しくなかった。稽古の地獄が、一刻も念頭より離れず、ただ、暗憺たる気持であった。道楽で役者修業をしているんじゃないのだ。僕の暗さは、誰にもわからぬ。「どうぞよろしく」か。ああ、伸びんと欲するものは、なぜ屈しなければならぬのか!
市川菊松。さびしいねえ。
十月一日。日曜日。
秋晴れ。初舞台。僕は舞台で、提灯を持ってしゃがんでいる。観客席は、おそろしく暗い深い沼だ。観客の顔は何も見えない。深く蒼く、朦朧と動いている。いくら眼を見はっても、深く蒼く、朦朧としている。もの音ひとつ聞えない。しいんとしている。観客席には、誰もいないのではないかと思った。なまぬるく、深く大きい沼。気味が悪い。吸い込まれて行きそうだった。気が遠くなって来た。吐き気をもよおして来た。
役をすまして、ぼんやり楽屋へ帰って来ると、兄さんと木島さんが楽屋に来ていた。うれしかった。兄さんに武者振りつきたかった。
「すぐわかりました。進さんだという事が、すぐにわかりました。どんな扮装をしていても、やっぱりわかるものですね。」木島さんは、ひどく興奮して言っている。「僕が一ばんさきに、見つけたのです。すぐわかりました。」同じ事ばかり言っている。
鈴岡さん一家も、一等席に来ているそうだ。チョッピリ叔母さんも、お弟子を五人連れて、鶉で頑張っているそうだ。兄さんからそれを聞いて、僕は泣きべそをかいた。肉親って、いいものだなあ、とつくづく思った。木島さんは、市川菊松! 市川菊松! と二度も大声で叫んだそうだ。提灯持ちに声を掛けたって仕様がない。恥ずかしいことをしてくれたのもである。
「僕の掛声は聞えましたか?」と自慢そうに言う。聞えるどころか、提灯持ちは舞台で気が遠くなって、いまにも卒倒しそうだったのだ。
兄さんは僕の耳元に口を寄せて、
「楽屋に、すしか何かとどけさせようか?」と通人振った事を、まじめな顔して囁いたので、僕は噴き出しちゃった。
「いいんだよ。春秋座では、そんな事は、しないんだ」と言ったら、
「そうか。」と不満そうな顔をしていた。
二つ目の「坊ちゃん」の時には、割に気楽だった。観客席の笑い声を、かすかに聞きとる事が出来た。けれども、やっぱり、観客の顔は、なんにも見えなかった。馴れて来ると、観客の笑い声だけでなく、囁き声やら、赤ん坊の泣き声まで、はっきり聞えて来て、かえってうるさいそうである。観客の顔も、どこに誰が来ているという事まで、すぐにわかるようになるそうだ。僕は、まだ、だめだ。夢中だ。いや、生死の境だ。
役を全部すまして、楽屋風呂へはいって、あすから毎日、と思ったら発狂しそうな、たまらぬ嫌悪を覚えた。役者は、いやだ! ほんの一瞬間の事であったが、のた打ち廻るほど苦しかった。いっそ発狂したい、と思っているうちに、その苦しみが、ふうと消えて、淋しさだけが残った。なんじら断食するとき、――あの、十六歳の春に日記の巻頭に大きく書きつけて置いたキリストの言葉が、その時、あざやかに蘇って来た。なんじは断食するとき、頭に油をぬり、顔を洗え。くるしみは誰にだってあるのだ。ああ、断食は微笑と共に行え。せめてもうお十年、努力してから、その時には真に怒れ。僕はまだ一つの、創造をさえしていないじゃないか。いや、創造の技術さえ、僕には未だおぼつかない。
さびしく、けれどもミルクを一口飲んだくらいの甘さを体内に感じて風呂から出た。
団長、市川菊之助の部屋へ挨拶に行く。
「や、おめでとう。」と言われて、うれしかった。たわいのないものだ。風呂場の暗い懊悩が、団長の明るい一言で、きれいに吹き飛ばされた。木挽町で初舞台を踏むという事は、役者として、最もめぐまれた出発なのかも知れない。お前は幸福なのだ、と自身に言い聞かせた。
以上は、わが、光栄の初舞台の記である。
家へ帰って、午前一時頃まで、兄さんを相手に、夢中で天体の話をした。なぜ、天体の話などをはじめたのか、自分にもわからない。
十一月四日。土曜日。
晴れ。いまは大阪。中座。出し物は、「勧進帳」「歌行燈」「紅葉狩」。
僕たちの宿は、道頓堀の、まっただ中。ほてい屋という、じめじめした連込み宿だ。六畳二間に、われら七人の起居なり。けれども、断じて堕落はせじ!
市川菊松は聖人だそうだ。
十一月十二日。日曜日。
雨。ごめんなさい。今晩は酔っぱらっています。大阪は、いやなところですねえ。たいへん淋しい道頓堀です。あの、薄暗い「弥生」というバーでお酒を飲みました。そうして、久し振りで酔いました。酔っても、僕は気取っていた。「わかい時から名誉を守れ!」
扇之介、愚劣なり。酔っても醜怪を極めたり。そうして帰りに、破廉恥な事を僕に囁いた。僕が笑ってお断り申したら、扇之介の曰く、
「あたしゃ孤独だ。」
あきれてものが言えない。
十二月八日。金曜日。
日光が出ているのか、雨が降っているのか、わからない。始終、泣きたい気持ばかり。名古屋にいるのだ。
早く東京へ帰りたい。旅興行は、もういやだ。何も言いたくない。書きたくない。ただ、引きずられて生きています。
性慾の、本質的な意味が何もわからず、ただ具体的な事だけを知っているとは、恥ずかしい。犬みたいだ。
十二月二十七日。水曜日。
晴れ。名古屋の公演も終って、今夜、七時半に東京駅に着いた。大阪。名古屋。二箇月振りで帰ると、東京は既に師走である。僕も変った。兄さんが、東京駅へ迎えに来てくれていた。僕は、兄さんの顔を見て、ただ、どぎまぎした。兄さんは、おだやかに笑っている。
僕は、兄さんと、もうはっきり違った世界に住んでいる事を自覚した。僕は日焼けした生活人だ。ロマンチシズムは、もう無いのだ。筋張った、意地悪のリアリストだ。変ったなあ。
黒いソフトをかぶって、背広を着た少年。おしろいの匂いのする鞄をかかえて、東京駅前の広場を歩いている。これがあの、十六歳の春から苦しみに苦しみ抜いた揚句の果に、ぽとりと一粒結晶して落ちた真珠の姿か。あの永い苦悩の、総決算がこの小さい、寒そうな姿一つだ。すれちがう人、ひとりとして僕の二箇年の、滅茶苦茶の努力には気がつくまい。よくも死にもせず、発狂もせずに、ねばって来たものだと僕は思っているのだが、よその人は、ただ、あの道楽息子も、とうとう役者に成りさがった、と眉をひそめて言うだろう。芸術家の運命は、いつでも、そんなものだ。
誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか。
「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」
僕の、生れた時からの宿命である。俳優という職業を選んだのも、全く、それ一つのためであった。ああ、日本一、いや、世界一の名優になりたい! そうして皆を、ことにも貧しい人たちを、しびれる程に喜ばせてあげたい。
十二月二十九日。金曜日。
晴れ。春秋座、歳末の総会。企画部の委員に、僕が当選した。脚本選定その他、座の方針を審議する幹部直属の委員である。責任の重大さを感じる。
また、正月二日のラジオ放送、「小僧の神様」の朗読は、市川菊松ひとりに、やらせてみる事に決定された。二箇月の旅興行に於ける僕の奮闘が、認められた結果らしい。けれども僕は、いまは決して自惚れてはいない。
己れ只一人智からんと欲するは大愚のみ。(ラ・ロシフコオ)
まじめに努力して行くだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らない事は、知らないと言おう。出来ない事は、出来ないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦なところらしい。磐の上に、小さい家を築こう。
お正月には、斎藤先生の所へ、まっさきに御年始に行こうと思っている。こんどは逢ってくれそうな気がする。
僕は、来年、十八歳。
わがゆくみちに はなさきかおり
のどかなれとは ねがいまつらじ
のどかなれとは ねがいまつらじ
――さんびか第三百十三