「お前は好い子だネエ」とあたまをなでられたあとでポカリとげんこつをもらう。
「ほんとうになんて可愛い子なんだろうネエ、まあこの形のいい頭は――」ポカリ又小さくて、固くて、痛いげんこをもらう。
 ままっ子が根性の悪い母親に可愛がられるような、こんなようなのがこの頃の私の心持で有る。
 うれしくて、又なさけなくって、愛しくて、にくらしい、のは、この頃の私の心で有る。
 なつかしいすきな本をじっと肉に喰い入るほどだきしめて、又急にいやになってようしゃもなく畳に投げつけるのも、美くしい蝶の羽根を半分ずつちぎって半殺のくるしみにもだえるのを見て、「クスリ」と人のわるい笑をもらしたあとで、あわててさき後れたきりしまの赤い雌蕊めしべにその身を置いてやるのも、この頃の私の心のさせることで有る。
 人なみでない、と云うことは知って居るけれども、そうするのもやっぱりこの頃の私の心持で有る。

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※底本解題の著者、大森寿恵子が、1913(大正2)年6月16日執筆と推定する習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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