めっきり夜寒になった。
 かなり長い廊下を素足で歩きにくくなった。
 昼ま、出して置いた六六鉢の西洋葵を入れずに雨戸をしめた事を思い出した。
 たった五六本ほかなく、それも黄ない葉が多くなって居るのを今夜中つめたい中に置いたらどうだろう、青い細い葉柄がグンニャリと首をたれて黄葉も多くなるに違いない。
 私は仕かけた筆を置いて地震戸からそとに出る。
 ひどい霧だ
 かなり寒い
 息が白く暗い中に這って行く。
 気味の悪い形に私の影が細い戸口からさす光線でゆらめいて居る。
 用のないのに出あるくものもないと見えて表通りには足音もしない。
 植木台のはじにならんで居るのを二鉢ずつ三度運ぶ。
 食盛りの鶏の雛がうっかり地面に置いた時食べた葉がちぎれていたいたしくついて居る。
 厚い葉の表面が白くなって居る。
 早いうち気がついて好い事をしたと思う。
 泥のついた手を反古ほごでふきながら、暮方になったらきっと入れて呉れとたのんでも行われない事を思うといやな気持がする。
 何でもない事だのにして呉れれば好い。
とは思うけれ共うっかり母にでも云おうものなら、
「ああ何でもない事だから自分でするのが好い
とでも云われるだろう。
 大小にかかわらず自分の命令のママわれないのは腹の立つものだ。
 部屋に帰ってしばらく書いて居ると右の手がたまらなくけったるい。
 どうしたんだろう又リョーマチかしらんと思う。
 年に似合わしくない病気持が恥かしい様だ。
 火の番の拍子木が馬鹿に透る。
 一町ほど先の角をまがってもまだきこえて来る。
 こっちがしずかで居るので私の部屋から一番近い隣の家の茶の間での話し声がわけは分らぬなりにはっきりきこえて来る。
 火の番の音をきくと、
「お稲荷さあーん
と長く声を引いてあるく「稲荷ずし売」の事を思う。
 田舎からぽっと出の女中が、銭湯の帰り何か変なものをさげて叱鳴どなって歩く男の気違が来ると横丁にぴったりと息をころして行きすぎるのを待って家へ走りかえったと云う話なんかも思い出す。
「のれん」の中に首をつっこんでフーフー云いながら食べて居る「おでん」を一寸たべて見たいと云う様な気になるのもこれからだ。
 もう用がなければ夜は出たくなくなって来た。
 着物をしっとりと重くして鼻の先の赤くなるのを気にしながら人通りもない道を歩いた処ではじまらない、ほかほかとした炬燵が恋しい。

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※1914(大正3)年11月1日執筆の習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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