孔雪笠こうせつりゅうは、孔子の子孫であった。人となりが風流で詩がうまかった。同じ先生に就いて学んでいた気のあった友達があって天台県の令となっていたが、それが手紙をよこして、来いと言ってきたので、はるばる往ったところで、おりもおりその友達の県令が亡くなった。孔生は旅費がないので帰ることもできず、菩陀寺ぼだじという寺へ往って、そこの僧に傭われて書き物をした。
 その寺の西の方四百余歩の所にたん先生という人の邸宅があった。単先生はもと身分のある人の子であったが、大きな訴訟をやって、家がさびれ、家族もすくないところから故郷の方へ移ったので、その邸宅は空屋となっていた。
 ある日、大雪が降って人どおりの絶えている時、孔生がその家の前を通っていると、一人の少年が出てきたが、その風采がいかにもあかぬけがしていた。少年は孔生を見るとはしってきてお辞儀をした。孔生もお辞儀をして、
「ひどく降るじゃありませんか」
 と言うと、少年は、
「どうかすこしお入りください」
 と言った。孔生は少年の態度が気にいったので自分から進んでいて入った。
 家はそれほど広くはなかったが、へやという室にはそれぞれ錦の幕をけて、壁の上には古人の書画を多く掲げてあった。つくえの上に一冊の書物があって標題を瑯環瑣記ろうかんさきとしてあった。開けて読んでみると今まで見た事のないものであった。孔生はその時少年の身分のことを考えて、単の[#「単の」は底本では「単に」]邸宅にいるからその主人であろうと思ったが、それがどうした閲歴の者であるかということは解らなかった。と、その時少年が、
「あなたは、どうしたかたです」
 と言って孔生の来歴を訊いた。孔生がその事情を話すと少年は気の毒がって、
「では、塾を開いて生徒に教えたらどうです」
 と言った。孔生はため息をして言った。
「旅烏ですから、何人だれも力になってくれる者がないのです、曹邱そうきゅう季布きふをたすけたように」
 すると少年が言った。
「私のような馬鹿者でも、おすてにならなければ、あなたのお弟子になりましょう」
 孔生はひどく喜んで、
「いや、私は人の師になるほどの者じゃないのです、友達になりましょう」
 と言って、それからあらためて訊いた。
「あなたの家は、久しいこと門を閉めているようですが、どうしたわけです」
 すると少年が答えた。
「此所は単公子の家ですが、公子が故郷の方へ移ったものですから、久しい間空屋となっていたのです、ぼく皇甫こうほせいの者で、先祖からせんにいたのですが、今度家が野火に焼けたものですから、ちょっとの間此所を借りて住んでいるのです」
 孔生はそこではじめて少年が単の家の者でないことを知った。
 日が暮れても二人の話はつきなかった。そこで孔生は泊ることにして少年とねだいをともにして寝たが、朝になってまだうす暗いうちに僮子こぞうが来て炭火を室の中できだしたので、少年はさきに起きて内寝いまへ入ったが、孔生はまだ夜着よぎにくるまって寝ていた。そこへ僮子が入ってきて言った。
「旦那様がお見えになりました」
 孔生は驚いて起きた。そこへ一人の老人が入ってきた。それは頭髪の真白な男であった。老人は孔生に向って、
「これは先生、悴が御厄介になることになりましてありがとうございます、あの子は字も下手で何も知りません、どうか友達の小児こどもと思わずに、親類の小児のようにして、きびしくしこんでやってください」
 と、ひどく礼を言った後で、きれいな着物一かさねてんぼうしと履物を添えてくれ、孔生が手足を洗い髪に櫛を入れて着更えをするのを待って、酒を出してめしをすすめた。そこのこしかけとばりなどは何という名の物であるか解らないが、綺麗にきらきらと光って見えるものであった。
 酒が数回めぐってから老人はあいさつをして、杖を持って出て往った。そして朝飯がすむと孔生は少年の皇甫公子こうしに書物を教えたが、教科書として出してきた物はたいがい古い詩文で、文官試験の参考になるような当時の用にたつ学芸のものはなかった。孔生はふしぎに思って訊いた。
「試験の参考になるような物はないのですね」
 公子は笑って言った。
「私は世に出る考えがないのですから」
 日が暮れてからまた酒になった。公子は孔生のあいてをしながら言った。
「今晩じゅうぶんかんを尽しましょう、明日はまたどんなさしさわりが起らないともかぎりませんからね」
 そこで僮子を呼んで言った。
「お父さんが寝ているかいないかを見て、寝ているなら、そっと香奴こうどんでこい」
 僮子は出て往ったが、やがてぬいのあるふくろに入れた琵琶を持ってきた。しばらくして一人の侍女が入ってきたが、紅く化粧をした綺麗な女であった。公子はその女に、
湘妃しょうひを弾け」
 と言いつけた。女は象牙のばちを糸の上にはしらした。その撥が激しく調子が揚って往くと悲壮な美しさが感じられた。その節まわしは孔生がこれまで聞いたことのないものであった。公子はまた女に言いつけて大きなさかずきに酒をつがした。
 夜が更けてからはじめてめた。そして、次の日は早く起きて共に読書したが、公子ははなはだ物わかりがよくて、一目見て暗記することができた。二三箇月の後に文章を作らしてみると、構想が奇警きけいで他人の真似のできないものがあった。二人は約束して五日目五日目に酒を飲むことにしたが、その時には必ず香奴を招いた。
 ある夜酒がはずんで気が熟した時、孔生は目を香奴につけた。公子はもうその意味をさっして言った。
「この女は、父が世話をしている女です、あなたは旅にいて奥さんがないから、私はあなたに代ってそれを考えているのです。きっと佳い奥さんをお世話いたします」
 孔生はそこで言った。
「もし、ほんとうに世話をしてくれるなら、香奴のような女を頼みます」
 すると公子が笑って言った。
「あなたはことわざにいう、見るところすくなくして怪しむところ多き者ですね、それを佳い女というなら、あなたの願いはたやすいことですよ」
 いつの間にか半年すぎた。ある日孔生は、公子をれて郊外へ散歩に往こうと思って、門口まで往ったところが、門の扉にかんぬきがさして閉めてあった。孔生は不審に思って、
「なぜこうしておくのです」
 と問うと、公子が答えた。
「父が、友達がくると、私の心がおちつかなくなるから、それで人のこないように、こうしてあるのです」
 孔生の不審はそれではれた。その時は夏のさかりでむしあつかった。孔生は斎園さいえんあずまやに移った。その時孔生の胸に桃のような腫物はれものができて、それが一晩のうちに盆のようになり、痛みがはげしいので呻き苦しんだ。公子は朝も晩も看病にきた。孔生は苦痛のために眠ることもできなければ食事をすることもできなかった。
 二三日して孔生の腫物の痛みは一層劇しくなった。従って食物もますます食べられないようになった。そこへ公子の父もきたが、どうにもしようがないので公子と顔を見合わして吐息するばかりであった。その時公子が言った。
「私はゆうべ、先生の病気は、嬌娜きょうだがなおすだろうと思って、おばあさんの所へ使いをやって呼びに往かしたのですが、どうも遅いのですよ」
 そこへ僮子が入ってきて言った。
「お嬢さんがお見えになりました」
 公子の妹の嬌娜とおば松姑しょうこが伴れだって来た。親子はいそいで内寝いまへ入った。しばらくして公子は嬌娜を伴れて来て孔生を見せた。嬌娜の年は十三四で、はにかんでいる顔の利巧そうな、体のほっそりした綺麗な少女であった。孔生は女の顔を見て苦しみを忘れ、気もちもそれがためにさっぱりとした。その時公子は言った。
「この方は、私の大事の方だ、ただの友達じゃない、どうかよくなおしてあげてくれ」
 女ははにかみをやめて、長い袖をまくり、孔生の榻に寄って往って診察した。そして、診察する女の手が孔生の手に触れた時ほんのりと佳い匂いがしたが、それは蘭の匂いにもまさるように思われた。女は笑って言った。
「いい、心脈が動いています、危険ですがなおります、ただ腫物がはりきっていますから、皮を切って肉を削らなくちゃいけません」
 そこでひじにはめていた金釧うでわをぬいて腫物の上に置き、そろそろと押しつけるように揉んでいると、腫物は高く一寸ばかりも金釧の中へもりあがってきた。そして根際ねぎわになったところもことごとく内へ入って、前の盆のようにひろかった腫物とは思われなかった。そこでうすものの小帯から佩刀はいとうをぬいた。その刀は紙よりも薄かった。そして、一方の手に金釧を持ち、一方の手で刀をにぎって、かろがろと根のつけもとから切った。紫色の血が溢れ出て榻の上も牀もよごしてしまった。孔生は女の美しい姿が自分にぴったりと倚りそうているのがうれしくて、治療の痛みもおぼえないばかりでなく、その治療が速やかにおわって少女が傍にいなくなるのを恐れていた。間もなく女は腐った肉を切りとったが、その形は円くて樹のこぶのようであった。また水を持ってこさして傷口を洗って、口から紅い丸のはじき弾大の物を吐いてその上におき、そろそろと撫でまわした。そして、僅かに一撫ですると火のようにほてっていた傷のほてりが、湯気のたちのぼって消えるようになくなってしまった。再び撫でまわすとかゆいようないい気もちになった。三たび撫でまわすと全身がすっきりしてきて、その心地よさが骨髄に沁みるようであった、すると女はそのたまを取ってのどに入れて言った。
「これで癒りました」
 そして女は走るように出て往った。孔生はとび起きて走って往き、女の後ろから、
「ありがとうございました」
 と礼を言った。そして、もう癒らないと思っていた病気は癒ったが、思いが女に往っているので苦しくてたまらなかった。孔生はそれから読書することをやめて白痴ばかのように坐り、すがって生きて往く物のないようなさまであった。
 公子はもうこのさまを窺って知っていた。そして言った。
「私はあなたのために探して、佳い奥さんをみつけましたよ」
 すると孔生が問うた。
何人だれですか」
 公子が言った。
「私の親戚です」
 孔生はじっと考え込んでいたが、やがて、
「そいつは、おいてもらいたいな」
 と独りごとのように言ってから、壁の方を向いて詩句を吟じた。
「曾て滄海を経て水たりがたく、巫山ふざん除却じょきゃくしてこれ雲ならず」
 公子は孔生の心のあるところを了解して言った。
「父はあなたの大きな才能を崇拝して、いつでも婿にしようとしているのですが、ただ妹の嬌娜は、どうもとしが若すぎるのです。姨のむすめ阿松おまつは年が十七で、そんなに悪い女じゃないのです、もしまことにできないなら、阿松が毎日園亭あずまやにくるのです、その前に待ってて、御覧になったらどうです」
 孔生は公子に教えられたとおり園亭の前へ往って待っていた。はたして嬌娜と一人の麗人が伴れだってきた。それはまゆずみで画いた眉の細長く曲っていて美しい、そして小さな足に鳳凰頭ほうおうとうの靴を穿いていたが、その美しいことは嬌娜に劣らなかった。孔生は大いに悦んで公子に媒妁ばいしゃくをしてくれと頼んだ。
 翌日になって公子は内寝から出てきて孔生に、
「おめでとう、ととのいましたよ」
 と言った。そこで別院の掃除をして、孔生の婚礼の式をあげた。その夜は鼓を打ち笛を吹いて音楽を奏したが、その音楽の響はうつばりの塵を落して四辺あたりにただようた。それはちょうど仙人のいるところを望むようであった。そこで夫婦は衾幄へやを同じゅうすることになったが、それは月の世界が必ずしも空に在るときめられないように思われるものがあった。そして※(「丞/己」、第4水準2-3-54)ごうきんの後には、ひどく心の満足をおぼえた。
 ある夜のことであった。公子は孔生に話をして、
「これまで学問をはげんでくだされた御恩は決して忘れませんが、ただ近ごろ、単公子が訴訟が落着して帰ったので、家を返してくれとひどく催促するものですから、もうこの地を引きあげて西に往こうと思うのです、それでもう今のようにいっしょにいていただくこともできないと思うのです」
 と言った。離別を悲しむの情が二人の胸の中にまつわりついて、どうすることもできなかった。孔生は、
「では、私もいっしょに西に往きましょう」
 と言った。公子は、
「お国へ帰ったらどうです」
 と言った。故郷に帰って往くにはかなり旅費がかかるので孔生の力には及ばなかった。孔生は困った。すると公子が言った。
「御心配なさることはありません、すぐあなたを送ってあげますから」
 間もなく父親は松娘しょうじょうを伴れてきて、黄金百両をもって孔生に贈った。そこで公子は左右の手で孔生夫婦を抱くようにして、
「ちょっとの間、眼をつむっていらっしゃい、送ってあげますから」
 と言った。二人が眼を閉じるとその体は飄然と空にあがって、ただ耳際に風の音のするのを覚えるばかりであったが、しばらくして公子の、
「もう来たのですよ」
 という声を聞いて目をけた。果して孔生の故郷の村であった。孔生ははじめて公子が人でないということを知った。孔生は喜んで自分の家の門を叩いた。母はひどくよろこんで出てきた。母はまた悴の伴れている美しい女を見て悦んで慰めた。孔生は公子を内へ入れようと思って振りかえったが、もう公子の姿はなかった。
 松娘はしゅうとつかえて孝行であった。そのうえ美しくてかしこいということが遠近に伝えられた。その後孔生は進士に挙げられて、延安府の刑獄をつかさどる司理の官になったので、一家をあげて任地に往くことになったが、母は道が遠いので往かなかった。
 松娘は任地で一人の男の子を生んだので、小宦と名をつけた。孔生は朝廷から差遣さけんせられて地方を巡察する直指ちょくしさかろうたがために官をめさせられたが、いろいろのことに妨げられてかえることができなかった。ある日郊外へ出て猟をしていると、黒馬に乗った一人の美しい少年に往き逢ったが、少年はしきりに此方を振りかえるのであった。気をつけて見るとそれは皇甫公子であった。そこでくつわをとって馬を停め、悲喜こもごも至るというありさまであった。
 公子はやがて孔生をむかえて一つの村へ往った。そこは樹木がまっくらに生えて陽の光が射さない所であった。その家へ入ってみると金色の鴎の形をした浮き鋲を打ったりっぱな旧家であった。
「妹さんはどうしたのです」
 と孔生が問うた。
「あれはお嫁に往ったのです、しかし、もうあれ達の母はないのですよ」
 と公子が答えた。孔生は岳母の死を悼み、また嬌娜の結婚を悦んだ。
 孔生は一晩泊って帰り、再び妻子を伴れて往った。そこへ嬌娜がまたきたが、嬌娜は松娘の手から小児を取ってあやしながら言った。
「私のお姉さんはね、私達の種をみだしたのよ」
 孔生はそこで腫物を癒してもらった礼を言った。すると嬌娜は笑って言った。
「お兄さんはえらい方ですわ、創口がもう癒ってるのに、まだ痛みをお忘れになりませんの」
 嬌娜の夫の呉郎ごろうが来てあいさつをした。呉郎は二晩泊ってから帰って往った。
 ある日、公子は心配そうな顔をしていたが、孔生に言った。
「天が私達にわざわいを降そうとしているのです、救うていただけましょうか」
 孔生はその意味がわからなかったが、
「どんなことですか、私にはわからないが、私にできることならなんでもやりましょう」
 と言ってきっとなった。公子は急いで出て往ったが、すぐ一家の人々を呼んできて、皆で孔生を拝んだ。孔生は大いにおどろいて口ばやに問うた。
「どうしたのです、どうしたのです」
 すると公子が言った、
「私は人間じゃないのです、狐です、今、かみなりごうがあります、あなたは死を覚悟でそれに当ってください、そうしてくださるなら、その殃をのがれることはできるのです、もしそうしていただくことができないなら、小児を抱いて往ってください、まきぞえにならないように」
 孔生は義に勇む男であった。孔生は、
「死ぬるなら皆でいっしょに死にましょう」
 と言って公子と生死をちかった。そこで公子は孔生に剣をとって門に立っていてくれるようにと頼み、なお注意して、
「雷がどんなにはげしくっても、けっして動いてはいけませんよ」
 と言った。孔生は公子の言うとおり剣を抜いて門の所へ往って立っていた。果して黒い雲が空を覆うて暗くなった。振りかえって家の方を見るとそこにあった門もなく、ただ高い塚とおおきな底の知れないような穴があるばかりであった。孔生はびっくりした。と、恐ろしい雷の音がしてそれが山岳を揺り動かした。つづいて荒い風が吹き雨が横ざまに降ってきた。それがために老樹が倒れた。孔生は眼前めさきがくらみ耳がつぶれるように思ったが、屹然きつぜんと立ってすこしも動かなかった。と、見ると、黒いわたのような煙の中に怪物の姿があって、それがんがった牙のようなくちと長い爪を見せて、穴から一人の者をさらって煙に乗って空にのぼろうとした。その着物と履物に注意すると、どうも嬌娜に似ているので、孔生は躍りあがって斬りつけた。怪物の掴んでいた者は下に落ちた。それと同時に山の崩れるような雷の音がして、孔生は仆れてとうとう死んでしまった。
 間もなく空がれた。嬌娜はしぜんと生きかえったが、孔生が傍に死んでいるのを見て大声をあげて泣いた。
「お兄さんは私のために死んじゃった、私は生きてはいられない」
 そこへ松娘が出てきて、二人で孔生の死骸をかついで帰った。そして嬌娜は松娘に孔生の首を持ちあげさし、公子にはかんざしで歯の間を開けさして、自分ではあごつまんで、舌でかの紅い丸を移し、またその口に口をやって息を吹きかけた。それがために紅い丸は気にしたごうて喉に入り、かくかくという響をさした。そして暫くすると孔生は生きかえったが、一族の者が前に集まっているのを見て夢のめたような気になった。
 そこで一門が一室に集まって喜んだ。孔生は皆を塚穴の中に久しくいさしてはいけないと思ったので、皆で自分の故郷へ往こうと言った。皆がそれに賛同したが、ただ嬌娜のみは沈んでいた。孔生はその意味がわかったので、呉郎といっしょに往ってくれと言った。その他にも爺さんとばあさんが小さな小児を手離すのを承知しないかもわからないというようなことを言う者もあって、終日その相談がまとまらなかった。
 と、みると呉の家の小さなげなんが汗を流し息を切らして走ってきた。皆が驚いてそのわけを聞いた。それは呉郎の家もまた同じ日に劫に遇うて、一門の者が倶にたおれたという知らせであった。嬌娜は足ずりして悲しんでとめどもなしに涙を流した。皆嬌娜に同情して嬌娜を慰めた。それと共に同帰の計も定まった。孔生は城内へ往って二三日あとの始末をして、それから急いで旅装を調ととのえて出発した。
 そして家に帰りつくと孔生は閑静な庭園に公子兄妹を置いていつも訪問した。公子は孔生や松娘などが往くとはじめて扉を開けた。孔生は公子兄妹と酒を酌みをたたかわして一家の人のようにして楽しんだ。
 小宦は大きくなると容貌に品があって美しかった。その小宦は狐のような心を持っていて遠く出て都市に遊んだ。人々は皆それが狐の児であるということを知っていた。

底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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