一

 六、七、八、九の月は、農家は草と合戦かつせんである。自然主義の天は一切のものを生じ、一切の強いものを育てる。うつちやつて置けば、比較的脆弱ぜいじやくな五穀蔬菜は、野草やさうふさがれてしまふ。二宮尊徳の所謂「天道すべての物を生ず、裁制補導さいせいほだうは人間の道」で、こゝに人間と草の戦闘が開かるるのである。
 老人、子供、大抵の病人はもとより、手のあるものは火斗じふのうでも使ひたい程、畑の草田の草は猛烈に攻め寄する。飯焚めしたく時間を惜んで餅を食ひ、茶もおち/\は飲むで居られぬ程、自然は休戦の息つく間も与えて呉れぬ。
「草に攻められます」とよく農家の人達は云ふ。人間が草を退治せねばならぬ程、草が人間を攻めるのである。
 唯二反そこらの畑を有つ美的百姓でも、夏秋ははげしく草に攻められる。起きぬけに顔も洗はず露蹴散らして草をとる。日の傾いた夕陰ゆふかげにとる。取りきれないで、日中にもとる。やつと奇麗になつたかと思ふと、最早一方では生えて居る。草と虫さへ無かつたら、田園の夏は本当に好いのだが、と愚痴をこぼさぬことは無い。全体草なンか余計なものが何になるのか。何故人間が除草くさとり器械にならねばならぬか。除草は愚だ、うつちやつて草と作物さくもつの競争さして、全滅とも行くまいから残つただけを此方に貰へば済む。といふても、実際眼前に草の跋扈ばつこを見れば、らずには居られぬ。隣の畑が奇麗なのを見れば、此方の畑を草にして草の種を隣に飛ばしても済まぬ。近所の迷惑も思はねばならぬ。
 そこでまた勇気を振起ふりおこして草をとる。一本また一本。一本れば一本減るのだ。草の種は限なくとも、とつただけは草が減るのだ。手には畑の草をとりつゝ、心に心田しんでんの草をとる。心が畑か、畑が心か、兎角に草が生え易い。油断をすれば畑は草だらけである。吾儕われらの心も草だらけである。四囲あたりの社会も草だらけである。吾儕は世界の草の種を除り尽すことは出来ぬ。除り尽すことは、また我儕人間の幸福でないかも知れぬ。然しうつちやつて置けば、我儕は草に埋もれてしまふ。そこで草を除る。が為に草を除るのだ。生命いのちの為に草をとるのだ。敵国外患なければ国常に亡ぶで、草がなければ農家は堕落して了ふ。
なんじ我言に背いて禁菓を食ひたれば、土は爾の為にのろはる。土は爾の為に荊棘いばらあざみを生ずべし。爾は額に汗して苦しみて爾のパンをくらはん」
 斯く旧約聖書は草を人間の罰と見た。実は此の罰は人の子に対する深い親心の祝福である。

     二

 美的百姓の彼は兎角見るに美しくする為に草をとる。除るとなれば気にして一本残さずとる。農家は更に賢いのである。草を絶やすと地力を尽すと云ふ。草をとつて生のまゝ土に埋め、或は烈日に乾燥させ、焼いて灰にし、積んで腐らし、いづれにしても土の肥料こやしにしてしまふ。馴付なつけた敵は、味方である。「年々や桜をこやす花の塵」美しい花が落ちて親木おやきの肥料になるのみならず、邪魔の醜草しこぐさがまた死んで土の肥料になる。清水却て魚棲まず、草一本もない土は見るに気もちがよくとも、或は生命なき瘠土せきどになるかも知れぬ。本能は滅す可からず、不良青年は殺さずして導く可きであることを忘れてはならぬ。誰か其ふところに多少の草の種を有つて居らぬ者があらうぞ?
 畑の草にも色々ある。つまんでぬけばすぽっとぬけて、しかも一種のかんばしいを放つ草もある。此辺で鹹草しょつぱぐさと云ふ。丈矮たけひくく茎あかぶとりして、頑固らしく※(「足へん+番」、第4水準2-89-49)わだかまつて居ても、根は案外浅くして、一挙手に亡ぼさるゝ草もある。葉も無く花も無く、地下一尺の闇を一丈も二丈も這ひまはり、人知れず穀菜に仇なす無名草ななしぐさもある。厄介なのは、地縛ぢしばり。単弁の黄なる小菊の様に可憐な花をしながら、蔓延又蔓延、糸の様な蔓は引けば直ぐ切れて根を残し、一寸の根でも残れば十日とたゝずまた一面の草になる。土深く鍬を入れて掘り返へし、丁寧に根を拾ふ外に滅す道は無い。我儕は世を渡りて往往此種の草に出会ふ。
 草を苅るには、朝露のかわかぬ。露にそぼぬれた寝ざめの草は、鎌の刃を迎へてさく/\切れて行く。一挙に草を征伐するには、夏の土用の中、不精鎌ぶしやうがまと俗に云ふの長い大きなカマボコ形の鎌で、片端からがり/\いて行く。梅雨中つゆうちには、掻く片端からついてしまふ。土用中なら、一時間で枯れて了ふ。
 夏草は生長猛烈でも、気をつけるから案外制し易い。恐ろしいのは秋草である。行末短い秋草は、種がこぼれて、生えて、小さなまゝで花が咲いて、直ぐ実になる。其遽あわたゞしさ、草から見れば涙である。然し油断してうつかり種をこぼされたら、事である。一度落した草の種は中々急に除り切れぬ。田舎を歩いて、奇麗に鍬目くわめの入つた作物のよく出来た畑の中に、草が茂つて作物の幅がきかぬ畑を見ることがある。昨年の秋、病災不幸などでつい手が廻らずに秋草をとらなかつた家の畑である。
 草を除らうよ。草を除らうよ。

底本:「日本の名随筆94 草」作品社
   1990(平成2)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「みゝずのたはこと 上巻」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年4月
入力:増元弘信
校正:菅野朋子
2000年11月13日公開
2006年1月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。