一

 私には暗い/\日ばかり続いて居ます。もう幾日経つたのか忘れて了ひました。此処にうして居ると堪らなく世の中が恋しくなります。貴方の傍が……貴方の傍が……貴方はあのテーブルの上でお仕事をして被入いらつしやるでせう? 一輪ざしの草花がもうぼろ/\に枯れたらうなんて昨夕も考へましたの。そして貴方は其ぼろ/\の花を矢張り捨てないで眺めて居て下さるんだと思つたりしてましたの。妙な事迄考へたんですよ。貴方がね、毎晩私のあのつぎだらけの寝巻を抱いて寝て被入るのだなんて。そして私の考へてる事が皆事実の様な気がするんですの。私にちやんとそれが見える様な、私が知り抜いて確かな事実の様な気迄するんですの。※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)こんな手紙を書いたら貴方はお泣きになる? 泣いて下さいね。そして私が恁※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)に苦しんで居る為だけでも貴方は一生懸命貴方のお仕事をして下さいね。私はほんとうに心配して居ますの。貴方が此事の為に動揺して苦しんで被入りはしないかと思つて。私の考は何が来ても動かないのですし、法律は法律の極め通り進行するでせうしなる様になるのですから少しも心配はないのですが、し貴方が彼の時の約束に背いて私の苦痛を半分助け様なんて被入りはしないかとそれ許りが心配なのですの。離れて居ては貴方のお心迄が分らなくなつてしまふ。若し貴方が※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)そんなお心持から又この暗い世界へ私と同じ様に身を沈めてお了ひになつたらそしたら貴方が死ぬ許りか私も死ぬのですもの。くどい様ですけど此度の事の責任は全部私に任せて下さいね。そして貴方はお仕事の方けを専心遣つて下さいね。私は貴方の事許りを考へて優しい女らしい事を並べたてゝ、只貴方を泣かすのではないんですの。いつか御相談しました様にさうして下されば貴方のお仕事の中で私も活きて行かれるんですもの。私を憐んで下さるならどうぞ貴方のお仕事を可愛がつて下さい。そして私の事も可愛がつて下さい。そして私の寝間着を抱いて下さい。私の着物でも私のお茶碗でも私のお箸でも私の櫛でも私の白粉でも私の私の何でもをキツスしてやつて下さい。あゝ私は此処に居てもそれが皆判ります。
 貴方は世の中の嘲罵を浴びて被入るでせうね。堕胎女の情夫はあれだと。貴方はぢき其れがうした? とそふ気になつて力み返るんでせう? さう思ふと私はふんと笑ひたくなります、何でもいゝ、二人を知つてるのは二人ですはね。二人ぢやない、二人はほんとに独りなんですものね。私はほんとに嬉しいのです。毎日の訊問に疲れ切つた時でも私を隅から隅迄知つてる人が今仕事をして居る。私は凡てを知られて居ると思ふと、世の中の人間が皆私に唾してもあゝ沢山だと思ふんですの。

     二

 裁判官は人類の滅亡も人道の破壊も考へない虚無党以上の犯罪だと云つて卓を叩いて怒りましたの。私が裁判官の
「では何所迄も悪いとは思はないのか」
 と云ふ問ひに答へて
「悪かつたと思ひます。ほんとうに。然しそれは私が今迄姙娠した経験がなかつた為に其方に不注意だつたと云ふ事に対してなのです。私が凡ての点に於て未だ独り前の母になる丈けの力がないのを承知しながら姙娠しない様に注意しなかつたと云ふ事が大いに悪かつたのでした」。
 と云つた時にですの。私は裁判官が朱の様に怒つたので驚きました。丁度私は俯いて答へてゐましたのに卓を打つ音に驚愕びつくりして顔を上げると法官の顔が凄い様なんですの。私はじつと其顔を見てゐました。
「人命をみだりに亡ぼす事を考へないか」
 と怒鳴りましたの。私も少し皮肉でしたけど
「女は月々沢山な卵細胞を捨てゝゐます。受胎したと云ふ丈けではまだ生命も人格も感じ得ません。全く母体の小さな附属物としか思はれないのですから。本能的な愛などはなほさら感じ得ませんでした。そして私は自分の腕一本切つて罪となつた人を聞いた事がありません」
 と云ひましたの。貴方は又皮肉やがとお笑ひになるでせう。私はまたをかしい事を云ひましたの。だつて実際滑稽な質問でせう?
「同棲したら子供が出来ると云ふ事を知らなかつたか」
 と云んですもの。
「知つてゐました」
 と云つたら
「親となる資格がなければ何ぜ同棲した」
 貴方は怎んな気がして? 私はほんとにをかしかつたんですよ。人間の微妙な本能や感じ迄も数学的に割り出せと云つたつて其法官に出来ても私にや出来ないんですもの。そりや自分の責任の持ち切れない事を不用意として了つたと云ふ事はほんとうに私達の落度だつたし、思慮の足りない事だつたのですけど、だからさうなつて了つた私として一番いゝ方法を取つたのぢやありませんか。自分の思慮が足りなかつたと云つて成行きに任せて置いて一層思慮の足りない結果に落す事が恐ろしいからそれを避けたのぢやありませんか。
 私は法官の問ひが余りをかしかつたので遂大きな声で笑ひましたの。そして
「それを若し御存知なくてお聞きになりたいとなら私より造物主の方が知つてゐます」
 と云つて了ひましたの。私は今考へてもをかしくて仕方がありません。恁※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)返事をする被告が何処にあるでせう。貴方にもをかしいでせう。あつけに取られた様な法官の顔を見たら急に気の毒になりましたの。此処は命がけの真面目許りのほか這入られない席だのにと思ひましたら私ももう笑へなくなりました。それから真面目な問答が続いたんですの。私が腕一本と胎児と同じだと云つた事が許すまじき危険思想に響いて居るんですねえ。私は成るべくなら判つて貰ひたいと思つて随分云ひました。
「何故胎児が附属物だ」
 と云ふのに答へて私は
「腕は切り離しても単独に何の用もすこしの生命も持ちませんが胎児は生命を持ち得ると云ふ相違丈けはあります」
 と一寸語を切ると大急ぎで此処を逃かしてはと様に切込んで来様としますから私もぢき語を続けましたの。
「後に生命を持ち得るからこそうしなければならなかつたのです。何時迄経つても生命も人格も持たないものなら其儘にして置いても何の責任感も起らないのですが、私の体を離れると同時にもう他の主宰から離れた一箇の尊い人命人格を持ち得るのですから。然もそれ等を支配する能力――奥深く潜んだ其箇人独特の能力――丈けを親が引出し育てて遣らなければならない責任があるのですから。然も必ず過まる事なしに引出し育てなければならないのですから非常な責任を感じないわけには参りませんのです。間違つたら遣り直せばいゝと云ふ事は自分の外用ひられない言葉ですもの」
 斯う云つて私は決して軽卒や自分勝手でない事も説きましたの。私は貴方とも口を聞かずに幾日も幾日も考へて居ましたでせう。それを皆話しましたの。
「兎に角自分が不用意の為に斯うなつたのだから、姙娠して了つたのだから、私の出来る丈けの努力を生れる子に尽さう。それで足りない処は仕外のない事だから我慢して貰ふ。兎に角私は私の出来る丈けの力を産れる児に向ければいゝのだ」
 私が姙娠を知つた始めに斯う思つた事も話しましたの。すると法官はそれが正しいと云はぬ許りに幾度も幾度も合黙うなづきました。けれど私が又話を進めなかつた時はもう其※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)気色は見えませんでした。

     三

 私は斯う云ひましたの。
「始めはさう決心したのですけど、もう一歩考を進めた時、それは私には都合がいゝが産れて来るものには何にも関係のない事だと気が付きました。親は始めから自分の継承者を世に出すなんて事は少しも意識しないうちに子供を産みます。少くも私はさうでした。そして勿論子供から産んで呉れと頼まれた事もありません。そんな無意識のうちに不用意のうちに、尊い一箇の生命を無から有に提供すると云ふ事は、然も其責任をまだ当然持ち得ないと自覚して居たとしたら、此れ程世の中に恐ろしい事があるでせうか。これが生命を単独に形造つて胎外に出て了つてからならば、務めても出来ない不満は涙を呑んでも我慢しなければならないでせうが、まだ其処まで単独のものでなく母胎の命の中の一物であるうちに母が胎児の幸福と信ずる信念通りにこれを左右する事は母の権内にあつていゝ事と思ひます。母が死ねば当然胎児も死ぬ運命ですし、猶母の命を助ける為に胎児を殺す事は公に許されてる事の様に承知して居ました。私は母の為に児を捨てたのではなく、児の為に児を捨てたのでした。自分一己の事なら間違つたら遣り直す事も出来ます。粉砕され様と干死なりとそれは自分の事ですが、たとへ子供でも一度び胎外へ出てはもう親とは別の箇体です。然も或時期までの全責任は産んだ、設けた、親にある筈です。其期間親は当然凡ての責任を持ち得なければなりません。さう考へて来て私は私の責任観念を果すには恁うする外に道がなかつたのです。これが私として採るべき唯一の道だと思つたのです。只それ丈けでした。其外何にも考へませんでした」
 私はこんな意味の事を云ひましたの。一生懸命でね。判つて貰はなくともいゝから云ふ丈けは云はうと思ひましてね。云つて了つたら私の目から又無暗に涙が流れました。貴方にお話した時も私は矢鱈と泣きましたね。自分の口へまだ出て来ない言葉に先から感激して涙の方が先に出て来た様な風にね。今度もさうなんです。私は語を切ると涙がはら/\と落ちましたの。悲しい涙でも口惜しい涙でもそんな意味のある涙ではないのです。私の声の一ツ/\の響が涙管を震はして涙の玉を振り落す様に只々はら/\こぼれるんですの。其時私は
「実に怖ろしいツ」
 と云ふ法官の声を聞きました。
 私は一日中変化と云つては殆ど三度の食事を運ばれる時丈けです。あとは終日灰色の世界でこの時間と次ぎの時間の区別のつかない時の中にゐます。其※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)中で間断なく働いてるものは血と頭丈けです。ね、貴方は私が毎日壁を熟視みつめ乍ら怩つと考へてる姿を考へられるでせう。ほんとに私は考の中に埋つて居ますの。そして考へ出しても私は法官の前で云つた私の考の何処にも否点を見出しません。私はほんとに小さい愛情の虜にならずに了つた事を考へて居ます。
 私達は私達の今出来る丈けの働きをして居ますのね。二人はほんとに働く事が休息の様に働ける丈け働いて居ますはね。それでも私達はよく食べる物がなくなりました。一日に一度外切餅が食べられない日もありました。暑くなつても薄い着物がなくて仕方がないので貴方が一日裸体でとこへ這入つて被入る間に大急ぎで洗つて張つて縫ひ直した事があつたでせう。夜半までかゝつてね。私と貴方なら怎んなにしても生きられますはね。然し私は勝手に産んだ児に迄恁那生活を強ひる権利はありません。思想上からだつてさうです。私の廻りには大勢のお母さんと大勢のお父さんが居るでせう。私は其中の一人にも満足して居ません。私は彼等の様に凡ての点に貧弱で児にまみえる度強を持して居ませんもの。と云つて私は一度も私も両親に不平や不満を抱いたことはありませんけど、それは児の方の側の事で親の云云する事ではありません。親は親として満足出来なければ親にならない外、外に道がありませんもの。然も私は親になりかけた時に気が付いたのです。随分々々迂遠な事でした。然し親になつて了つてからでなかつたのがまだしのもの幸でした。
 法官は虚無党以上の危険思想だと云ひました。
「実に恐ろしい。実に危険だ。罪悪以上だ」
 と云ひました。私の身は怎うなるか分りません。法官は「人類の滅亡だ」と云ふ事を繰返しました。そして「其※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)思想を口実にして他に之れを見做みならふものがあつたら罪悪は罪悪を産むではないか」と云ひました。人間が自分の問題を考究する時人類だの他人だのと考を散慢に拡げて居られるものと思つて居るのでせうか。私は即坐に
「人の事は人の事です。人類があつてから私があるのではありません」
 と打突ける様に云ひましたの。そしたら
「それでは何処までも犯罪だと云ふ事を知らないで行つたと云ふのか」
 斯んな愚にも付かない尋問をするのです。私は「刑法と善悪とは別問題です。然し刑法に触れゝば罪人だと云ふ事は知つて居ました。そして私の行為が刑法に触れてる事も知つて居ました」
 と答へましたの。すると何故自首しなかつたと云ふのでせう?
「罪を認めて居るものは法律で私ではなかつたからです」
 と云ひますとね、法官もゑらい事を云ひましてよ、此言葉丈けには感心しました。
「法官が知らなくとも法律に触れてる事実を怎うする?」
 と云ふのです。実際さうです。知つても知らなくとも事実は事実ですものね。其時私は
「それは法官の御手腕に任せます。私には只だ法律より私の信念の方が確かなのですから私自身では私の信念に動く外仕方がありません。然し今度は法律が私の方へ働きかけて来る時、事はそちらのお話になります」
 と云ひましたの。
 私の判決は怎うなるか分りません。怎うなるか……けれど私の信念には少しも動揺がないのですから。それに私の行つた事実にも変りはないのですから。貴方は何にも悲しまないで下さるでせう? そして一生懸命お仕事をして下さい。私の分も。

     四

 今日は頻りに宅の部屋の様子が目に見えます。私が居なくなつた日から貴方は部屋を掃いた事がないでせうね。床も敷きつぱなしでせうね。あの古くなつた掛布団はまたもう綿がはみ出したでせうね。縫ふとは切れ縫ふとは切れしてましたもの。貴方は今に綿丈けになつた布団は掛けなければならなくなるでせう屹度きつと。それでも悲しまないでね。
 何だか私は今頃貴方が冷い御飯に水をかけてお塩をかけて、埃りだらけの布団の隅にうづくまつて食べて被入る様な気がしてなりません。さうですか? 私は見たい。私の机の抽斗の中に紙に包んだ塩豌豆が少しあつたのを貴方はお見つけになつたかしら。若しまだだつたらもう干枯らびて了つたでせう。
 又くどく云ふ様ですけど私の事をお考へになつたらお仕事丈けをして頂戴ね。二人が葬られて了ふ様な事があつたら私はそれこそお恨みしますから。それが私には心配で/\堪らないんですの。どうかすると貴方が絶望してこの暗い世界へ飛び込んで被入りはしないかともう恐ろしくて堪らない事があるのです。私の知らない間に貴方も此処へ来て被入る様な気さへする事がありますの。どうぞね無駄にならない様にしませうね。
 あ、今ね貴方の下駄が片方踏み石の下へ引繰り返へつてるのが見えます。一つは格子の側の処へ飛んで貼り柾がむけて来ましたね。

底本:「日本の名随筆77 産」作品社
   1989(平成元)年3月25日第1刷発行
底本の親本:「青鞜」青鞜社
   1915(大正4)年6月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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