Y君に、A君と、二人そろって私の家に遊びに来てくれることだけでも、私にとって、大きな感激なのに、いままた、W君と二十年ぶりに相逢うことのできるのであるから、私は、三日もまえから、そわそわして、「待つ」ということは、なかなか、つらい心理であると、いまさらながら痛感したのである。
よそから、もらったお酒が二升あった。私は、平常、家に酒を買って置くということは、きらいなのである。黄色く薄濁りした液体が一ぱいつまって在る一升瓶は、どうにも不潔な、卑猥な感じさえして、恥ずかしく、眼ざわりでならぬのである。台所の隅に、その一升瓶があるばっかりに、この狭い家全体が、どろりと濁って、甘酸っぱい、へんな匂いさえ感じられ、なんだか、うしろ暗い思いなのである。家の西北の隅に、異様に醜怪の、不浄のものが、とぐろを巻いてひそんで在るようで、机に向って仕事をしていながらも、どうも、潔白の精進が、できないような不安な、うしろ髪ひかれる思いで、やりきれないのである。どうにも、落ちつかない。
夜、ひとり机に頬杖ついて、いろんなことを考えて、苦しく、不安になって、酒でも呑んでその気持を、ごまかしてしまいたくなることが、時々あって、そのときには、外へ出て、三鷹駅ちかくの、すしやに行き、大急ぎで酒を呑むのであるが、そんなときには、家に酒が在ると便利だと思わぬこともないが、どうも、家に酒を置くと気がかりで、そんなに呑みたくもないのに、ただ、台所から酒を追放したい気持から、がぶがぶ呑んで、呑みほしてしまうばかりで、常住、少量の酒を家に備えて、機に臨んで、ちょっと呑むという落ちつき澄ました芸は、できないのであるから、自然、All or Nothing の流儀で、ふだんは家の内に一滴の酒も置かず、呑みたい時は、外へ出て思うぞんぶんに呑む、という習慣が、ついてしまったのである。友人が来ても、たいてい外へ誘い出して呑むことにしている。家の者に聞かせたくない話題なども、ひょいと出るかも知れぬし、それに、酒は勿論、酒の肴も、用意が無いので、つい、めんどうくさく、外へ出てしまうのである。大いに親しい人ならば、そうしておいでになる日が予めわかっているならば、ちゃんと用意をして、徹宵、くつろいで呑み合うのであるが、そんな親しい人は、私に、ほんの数えるほどしかない。そんな親しい人ならば、どんな貧しい肴でも恥ずかしくないし、家の者に聞かせたくないような話題も出る筈はないのであるから、私は大威張りで実に、たのしく、それこそ痛飲できるのであるが、そんな好機会は、二月に一度くらいのもので、あとは、たいてい突然の来訪にまごつき、つい、外へ出ることになるのである。なんといっても、ほんとうに親しい人と、家でゆっくり呑むのに越した楽しみは無いのである。ちょうどお酒が在るとき、ふらと、親しい人がたずねて来てくれたら、実に、うれしい。友あり、遠方より来る、というあの句が、おのずから胸中に湧き上る。けれども、いつ来るか、わからない。常住、酒を用意して待っているのでは、とても私は落ちつかない。ふだんは一滴も、酒を家の内に置きたくないのだから、その辺なかなか、うまく行かないのである。
友人が来たからと言って、何も、ことさらに酒を呑まなくても、よさそうなものであるが、どうも、いけない。私は、弱い男であるから、酒も呑まずに、まじめに対談していると、三十分くらいで、もう、へとへとになって、卑屈に、おどおどして来て、やりきれない思いをするのである。自由濶達に、意見の開陳など、とてもできないのである。ええとか、はあとか、生返事していて、まるっきり違ったことばかり考えている。心中、絶えず愚かな、堂々めぐりの自問自答を繰りかえしているばかりで、私は、まるで阿呆である。何も言えない。むだに疲れるのである。どうにも、やりきれない。酒を呑むと、気持を、ごまかすことができて、でたらめ言っても、そんなに内心、反省しなくなって、とても助かる。そのかわり、酔がさめると、後悔もひどい。土にまろび、大声で、わあっと、わめき叫びたい思いである。胸が、どきんどきんと騒ぎ立ち、いても立っても居られぬのだ。なんとも言えず侘びしいのである。死にたく思う。酒を知ってから、もう十年にもなるが、一向に、あの気持に馴れることができない。平気で居られぬのである。慚愧、後悔の念に文字どおり転輾する。それなら、酒を止せばいいのに、やはり、友人の顔を見ると、変にもう興奮して、おびえるような震えを全身に覚えて、酒でも呑まなければ、助からなくなるのである。やっかいなことであると思っている。
おとといの夜、ほんとうに珍しい人ばかり三人、遊びに来てくれることになって、私は、その三日ばかり前から落ちつかなかった。台所にお酒が二升あった。これは、よそからいただいたもので、私は、その処置について思案していた矢先に、Y君から、十一月二日夜A君と二人で遊びに行く、というハガキをもらったので、よし、この機会にW君にも来ていただいて、四人でこの二升の処置をつけてしまおう、どうも家の内に酒が在ると眼ざわりで、不潔で、気が散って、いけない、四人で二升は、不足かも知れない。談たまたま佳境に入ったとたんに、女房が間抜顔して、もう酒は切れましたと報告するのは、聞くほうにとっては、甚だ興覚めのものであるから、もう一升、酒屋へ行って、とどけさせなさい、と私は、もっともらしい顔して家の者に言いつけた。酒は、三升ある。台所に三本、瓶が並んでいる。それを見ては、どうしても落ちついているわけにはいかない。大犯罪を遂行するものの如く、心中の不安、緊張は、極点にまで達した。身のほど知らぬぜいたくのようにも思われ、犯罪意識がひしひしと身にせまって、私は、おとといは朝から、意味もなく庭をぐるぐる廻って歩いたり、また狭い部屋の中を、のしのし歩きまわったり、時計を、五分毎に見て、一図に日の暮れるのを待ったのである。
六時半にW君が来た。あの画には、おどろきましたよ。感心しましたね。ソバカスなんか、よく覚えていましたね。と、親しさを表現するために、わざと津軽訛の言葉を使ってW君は、笑いながら言うのである。私も、久しぶりに津軽訛を耳にして、うれしく、こちらも大いに努力して津軽言葉を連発して、呑むべしや、今夜は、死ぬほど呑むべしや、というような工合いで、一刻も早く酔っぱらいたく、どんどん呑んだ。七時すこし過ぎに、Y君とA君とが、そろってやって来た。私は、ただもう呑んだ。感激を、なんと言い伝えていいかわからぬので、ただ呑んだ。死ぬほど呑んだ。十二時に、みなさん帰った。私は、ぶったおれるように寝てしまった。
きのうの朝、眼をさましてすぐ家の者にたずねた。「何か、失敗なかったかね。失敗しなかったかね。わるいこと言わなかったかね。」
失敗は無いようでした、という家の者の答えを聞き、よかった、と胸を撫でた。けれども、なんだか、みんなあんなにいい人ばかりなのに、せっかく、こんな田舎までやって来て下さったのに、自分は何も、もてなすことができず、みんな一種の淋しさ、幻滅を抱いて帰ったのではなかろうかと、そんな心配が頭をもたげ、とみるみるその心配が夕立雲の如く全身にひろがり、やはり床の中で、いても立っても居られぬ転輾がはじまった。ことにもW君が、私の家の玄関にお酒を一升こっそり置いて行ったのを、その朝はじめて発見して、W君の好意が、たまらぬほどに身にしみて、その辺を裸足で走りまわりたいほどに、苦痛であった。
そのとき、山梨県吉田町のN君が、たずねて来た。N君とは、去年の秋、私が御坂峠へ仕事しに行ったときからの友人である。こんど、東京の造船所に勤めることになりました、と晴れやかに笑って言った。私はN君を逃がすまいと思った。台所に、まだ酒が残って在る筈だ。それに、ゆうべW君が、わざわざ持って来てくれた酒が、一升在る。整理してしまおうと思った。きょう、台所の不浄のものを、きれいに掃除して、そうしてあすから、潔白の精進をはじめようと、ひそかに計画して、むりやりN君にも酒をすすめて、私も大いに呑んだ。そこへ、ひょっこり、Y君が奥さんと一緒に、ちょっとゆうべのお礼に、などと固苦しい挨拶しにやって来られたのである。玄関で帰ろうとするのを、私は、Y君の手首を固くつかんで放さなかった。ちょっとでいいから、とにかく、ちょっとでいいから、奥さんも、どうぞ、と、ほとんど暴力的に座敷へあがってもらって、なにかと、わがままの理窟を言い、とうとうY君をも、酒の仲間に入れることに成功した。Y君は、その日は明治節で、勤めが休みなので、二、三親戚へ、ごぶさたのおわびに廻って、これから、もう一軒、顔出しせねばならぬから、と、ともすれば、逃げ出そうとするのを、いや、その一軒を残して置くほうが、人生の味だ、完璧を望んでは、いけませんなどと屁理窟言って、ついに四升のお酒を、一滴のこさず整理することに成功したのである。
底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
初出:「知性」
1940(昭和15)年3月1日
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2008年8月19日作成
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