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 人気にんきが荒いので世界的に有名なロンドンの東端区イースト・エンドに、ハンベリイ街という町がある。凸凹でこぼこの激しい、まるい石畳の間を粉のような馬糞ばふん藁屑わらくずが埋めて、襤褸ぼろを着た裸足はだしの子供たちが朝から晩まで往来で騒いでいる、代表的な貧民窟街景の一部である。両側は、アパアトメントをずっと下等にした、いわゆる貸間長屋デネメントハウスというやつで、一様に同じ作りの、汚点しみだらけの古い煉瓦れんが建てが、四六時中細民さいみん街に特有な、あの、物のえたような、甘酸あまずっぱい湿った臭いを発散させて暗く押し黙って並んでいる。No. 29 の家もその一つで、円門ドウムのような正面の入口をくぐると、すぐ中庭へ出るようにできていた。この中庭から一つ建物に住んでいる多数の家族がめいめいの借部屋へ出入りする。だから、庭の周囲にいくつも戸口があって、直接往来にむかっているおもての扉は夜間も開け放しておくことになっていた。
 この界隈かいわいは、労働者や各国の下級船員を相手にする、最下層の売春婦の巣窟そうくつだった。といっても、日本のように一地域を限ってそういう女が集まっているわけではなく、女自身が単独ですることだから、一見普通の町筋となんらの変わりもないのだが、いわば辻君つじぎみの多く出没する場所で、女たちは、芝居や寄席よせのはじまる八時半ごろから、この付近の大通りや横町を遊弋ゆうよくして[#「遊弋ゆうよくして」は底本では「遊戈ゆうよくして」]、街上に男を物色ぶっしょくする。そして、相手が見つかると、たいがいそこらの物蔭で即座に取引してしまうのだが、契約次第では自室へもともなう。ハンベリイ街二九番の家には、当時この夜鷹よたかがだいぶ間借りしていたので、それらが夜中に客をくわえ込む便宜べんぎのために、おもての戸は夜じゅう鍵をかけずにおくことになっていたのだ。つまり、中庭までだれでも自由に出入りできるわけである。
 九月八日の深夜だった。
 秋の初めで、ロンドンはよく通り雨が降る。その晩も夜中にばらばらと落ちてきたので、三階に住んでいる一人のおかみさんが、し忘れたままになっている洗濯物のことを思い出した。洗濯物は、イースト・エンドではどこでもそうやるのだが、窓から窓へ綱を張って、それへすのだ。で、おかみさんは、雨の音を聞くとあわてて飛び起きて、中庭に面した窓を開けた。小雨が降っていたくらいだから真闇まっくらな晩だったが、庭へはいろうとする石段の上に、二つの人影がなにか争っているのを認めた。それはふざけ半分のものらしかった。女が低声で、笑いながら「いいえ、いけません。いやです」と言うのが聞えた。相手は男で、異様に長い外套がいとうを着ているのが見えた。が、前にも言うとおり、この辺は風儀ふうぎの悪いところで、真夜中にこんな光景を見るのは珍らしいことではなかった。また、だれかこの家に部屋を借りている女が男を引っ張ってきて、帰る帰さないで、入口で言い争っているのだろう。こう思って、おかみさんはべつに気に留めなかった。しばらくして争いも止まった様子である。翌早朝、デェヴィスという男が、中庭のすみの共同石炭置場へ石炭を取りに行って、あの、二眼ふためと見られない惨体を発見したのだった。
 被害者はアニイ・チャプマン。二九番の止宿ししゅく人ではなかったが、やはりハンベリイ街の売春婦で、ひと思いに咽頸いんけい部をき斬ってあった。よほどの腕力の熟練を併有へいゆうする者の仕業しわざらしく、ほとんど首が離れんばかりになっていて、肉を貫いた斬先のあとくびの下の敷石に残っていた。が、これはたんなる致命傷にすぎない。屍体の下半身は、酸鼻さんびとも残虐ざんぎゃくともいいようのない、まるで猛獣が獲物の小動物を食い散らした跡のような、眼も当てられない暴状ぼうじょうを呈していた。体の下腹部に被害者のスカートが掛けてあった。それを除去してみて、検屍の医師はじめ警官一同は慄然りつぜんとしたのである。陰部から下腹部へかけて柘榴ざくろのように切り開かれている。のみならず、鋭利な刃物ですくいとるように陰部を切りとって、陰毛をせた一片の肉塊が、かたわらの壁の根に落ちていた。そればかりではない。切り開いた陰部から手を挿入そうにゅうして臓腑ぞうふを引き出したものとみえて、まるで玩具おもちゃ箱をひっくりかえしたように、そこら一面、赤色と紫とその濃淡の諸器官がごっちゃに転がっていた、がただ一つ、子宮が紛失していた。
 当時、自他ともに「斬りくジャック」と呼んで変幻へんげんきわまりなく、全ロンドンを恐怖の底に突き落としていた謎の殺人鬼があった。これが彼の、またもう一つの挑戦的犯行であることは、だれの眼にも一瞥いちべつしてわかった。最近、つづけさまに三度、この近隣のイースト・エンドに、これと全然同型の惨殺事件があったあとである。被害者は常に街上の売笑婦、現場はいつも戸外、ちょっとした横町のくらやみか、またはこのハンベリイ街の[#「ハンベリイ街の」は底本では「ハンベイリ街の」]ような中庭コウトで、夜中とはいえ、往来を通る人の靴音も聞えれば、比較的人眼にもかかりやすい場所で平然と行なわれる。致命傷はきまって咽喉のどの一き、つづいて、解剖のような暴虐が体の下部に加えられて、判で押したように、かならず子宮がなくなっている。同一人の連続的犯行であることは明白だ。人心はおののき、新聞はこの記事で充満し、話題はこれで持ちきり、警察をもどかしとする素人しろうと探偵がそこに飛び出し、その筋は加速度にやっきになっている矢先――いうまでもなく九月八日の夜はもちろん、その以前から、イースト・エンド全体にわたって細緻さいちな非常線が張られ、くしの歯をくような大捜査が行なわれていた。その網の真ん中で、人獣リッパア「斬裂人のジャック」は級数的に活躍し、またまたこのハンベリイ街のアニイ・チャプマン殺しによって、もう一つその生血の満足を重ねたのである。およそ出没自在をきわめること、これほど玄妙げんみょうなやつは前後に比を見ないといわれている。いわゆる無技巧の技巧、なんら策をろうさないために、かえって一つの手がかりすら残さなかった。

 個々の犯行を列挙れっきょすることは、いたずらに繁雑はんざつを招くばかりだから避ける。ただ、そのなかでなんらかの点で有名になった事件のみを摘出てきしゅつしても、いま言った九月八日ハンベリイ街のアニイ・チャプマン殺し、バックス・ロウ街事件、同月三十日にはバアナア街でエリザベス・ストライドを、その四十五分後にミルト広場スクエアでキャザリン・エドウスとを一夜に二人殺し、十一月九日にはドルセット街でケリイ一名ワッツを殺している。このほか同じような売春婦殺しがその間にはさまっているのだが、子宮の紛失、陰部を斬り取られていること、臓物ぞうもつもてあそんで変態的にふけった証跡しょうせきなど、体の惨状と犯行の手段、残虐性はすべて同一である。
 名にし負うロンドン警視庁スコットランド・ヤアドは何をしていたか?
 正直にいえば、まさに手も足も出なかった。そうとう手がかりがあるようで、じつは、なにひとつ信拠しんきょするにたる手がかりがないのだ。バアナア街の場合など、運送屋の下けのようなことをしている男が小馬車を自宅の裏庭へ乗り入れて、そこに、血の池の中にたおれているエリザベス・ストライド――綽名あだなを「のっぽのリック」といって背が高かった。あとから出てくるが、この女の死の直前に無意識に一つの重大な役割を演じている――の屍骸を発見したのだが、その時は犯行のすぐあとほんの数秒後のことで、屍体はまだ生血をいて、その血の流域がみるみるひろがりつつあったくらいだから、発見者の到着がいま一足早かったら彼はまちがいなく「解剖」の現場と犯人を目撃したことだろう。事実、ジャックが、近づく馬車の音にあわてて、体を離れ、最寄もよりの暗い壁へでも身をりつけたとたんに、発見者の馬車がはいってきたものに相違ない。異臭いしゅうに驚いて急止した馬は、もう一歩で屍骸を踏みつけるところまで接近していた。この発見の光景を、犯人はかたわらで見ていたのである。そして、騒ぎになろうとするところで、闇黒あんこくにまぎれて静かに立ち去ったのだろうが、現場はバアナア街社会党支部の窓の直下で、兇行きょうこう時刻には、支部には三、四十人の党員が集っていたにもかかわらず、だれ一人物音を聞いた者はなかった。これは無理もない。たださえ喧々囂々けんけんごうごうたる政党員のなかでも、ことに議論好きで声の大きい社会党員が三、四十人も寄りあっていたんだから耳のかたわらで爆弾が破裂しても、聞えるはずがない。あとでみんな悪口を言った。とにかく、こうして体にばかり気を取られていた発見者の横を、影のようにするりと抜け出たであろう「斬り裂くジャック」は、すぐその足でアルドゲイトのミルト広場スクエアへ立ちまわり、四十五分後には、また一人キャザリン・エドウスという辻君つじぎみを殺害し、やはり陰部から下腹を斬り裂いて、子宮を取っている。このキャザリン・エドウスをはじめ多くの被害者が、いかに哀れに貧困な、下層の売春婦であったかは、キャザリン・エドウスが、炊事によごれたエプロン姿で男――犯人――と他人の家の軒下で性行為を行ない、そのまま殺されていた一事でもわかる。犯人はこの前掛けの端をむしり取ってそれで手とナイフを拭いた。きながら歩いたものとみえる。さして遠くないグルストン街の角に、その、血を吸って重くなったエプロンの切布きれが落ちていた。そして、このグルストン街の角で、犯人はあの、有名な「殺人鬼ジャックの宣言メッセイジ」をそこの壁へ白墨はくぼくで書いたのである。
 The Jews are not the men to be blamed for nothing.
 これは、考えようによって二様にとれる文句である。「ユダヤ人はただわけもなく糺弾きゅうだんされる人間ではない」――糺弾されるには、糺弾されるだけの理由がある。とも、解釈すればできないことはないが、もちろんそうではない。「ただわけもなく糺弾されて引っ込んでいるもんか。このとおりだ」の意味で、味わえば味わうほど不気味な、変に堂々たる捨て科白ぜりふである。
 この楽書らくがきはじつに惜しいことをした。書いてまもなく、密行みっこうの巡査が発見して、驚いて拭き消してしまったのだ。付近にはユダヤ人が多い。反ユダヤの各国人も、英国人をはじめもちろん少なくない。この文句が公衆の眼に触れれば、場合が場合だけに群集が殺到してたちまち人種的市街戦がはじまる。実際そういう騒動は珍らしくないので、それを避けるために独断で消したのだという。気をきかしたつもりで莫迦ばかなことをしたもので、あとから種々の点を綜合してみると、この壁の文字こそは、それこそ千載一遇せんざいいちぐうの好材料だったのだ。これさえ消さずに科学的に研究したら、かならず犯人は捕まっていたといわれている。その出しゃばり巡査はおそらく罰俸ばっぽうでも食って郡部へまわされでもしたことだろうが、いうところによると、この楽書らくがきの書体は、これより以前、二回にわたってセントラル・ニュース社に郵送された、一通の手紙と一葉の葉書の文字に酷似していた。否、まぎれもなく同一のものであるとのことである。
 その、新聞社にてた手紙と葉書は、真偽しんぎ両説、当時大問題をかもしたもので、葉書のほうは、明らかに人血をもってしたため、しかも、血の指紋がべたべた押してあった。両方とも「親愛なる親方ボスよ」というアメリカふうの俗語を冒頭に、威嚇いかく的言辞を用いて新しい犯行を揚言ようげんし、手紙には「売春婦でない婦人にはなんらの危害を加えないから、その点は安心していてもらいたい」という意味を付加して、ともに「斬裂人リッパアジャック」と、署名してあった。あとからも続けてきたことをみても、たぶん実際の犯人が執筆投函とうかんしたものかもしれない。が、どこの国にも度しがたい馬鹿がいる。この「斬り裂くジャック」が現下の視聴を集めているので、なにか素晴しい人気者かなんぞのように勘違いし、そうでないまでも、ひとつ面白いから騒がしてやれなんかという好奇な閑人ひまじんがあってかかる不届ふとどきな悪戯いたずらを組織的に始めないともかぎらない。おおいにありそうなことである。警視庁へも、これに類似の投書が山のように舞い込んでいた最中だ。したがって専門家は、このセントラル・ニュースの受信にもたいした信を置かずに、むしろ頭から一笑に付していた。しかし、グルストン街の壁の文字だけは、最初のそして最後の、純正な犯人の直筆じきひつである。この唯一の貴重な証拠が、心ない一巡査の手によって無に帰したのは、かえすがえすも遺憾のきわみであった。

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 一般には知られていないが、この時、警視庁は、ロシア政府から一つの情報を受け取って、それにある程度の重要性と希望をつないでいた。数年前、モスコーにこれと同じ事件が頻発ひんぱつして、やはり売春婦のみが排他的に殺され、切開手術のような暴虐が各体に追加してあったが、この犯人は捕縛ほばくされて、精神病者と判明し、同地の癲狂院てんきょういんに収容された。ところが、その春病院を脱走して、爾来じらいゆくえ不明になっているというのである。この狂人はもとそうとうな外科医で、英国に留学していたこともあるから、ことによると、逃走後ひそかにロンドンへ潜入したのかもしれない。人相書も付随しているので、一時警視庁は、それに該当がいとうする人物の探査に全力を傾注けいちゅうした。モスコーの犯人の動機は、宗教上の狂信的な妄執もうしゅうからだった。すなわち彼は、こういう方法で殺害されることによってのみ、この種のけがれた女は天国の門をくぐり得ると信じ、つまり済度さいどのために殺しまわったのだった。宗教的迷執云々うんぬんは第二にしても、いまロンドンを震愕しんがくせしめている「斬裂人リッパアのジャック」が、かなり的確な解剖学的知識の所有主であり、また経験ある執刀しっとう家であることは疑いをいれない。彼は確実に子宮の位置を知り、かつ、いかにしてそれを傷つけずに摘出てきしゅつするか、その最善方法をも専門的に心得ていた。バックス・ロウ街の体からは左の腎臓がみごとに除かれてあったが、この器官を摘出することは、外科学上至難のわざとみなされていて、それによほどの実際的手腕を必要とする。これらの諸点を帰結して、モスコーの犯人と同一であるか否かはともかく、この「ジャック」なる人物も狂医師のたぐいではあるまいかという当然の結論が生まれ、それが最高の権威をもって警視庁内外の専門家を風靡ふうびしたのだが、その問題の腎臓は該事件の二日後、新聞紙で綺麗きれいに包装して小包郵便で警視庁捜査課に配達された。付手紙はなく、ただ上包みの紙に例によって血の指紋が押してあるだけで、いささか注意する必要を感じたものか、署名もなかった。
 しかし、セントラル・ニュース社にてた通信を犯人から出たものと仮定すれば、このロシア渡来の狂医師説はただちに粉砕されなければならない。なぜならば、その文章が、まるでアメリカ人の書きそうな俗語の英語で、けっして外国人のつづったものとは思考されないからである。文句は実にきびきびして、下等な言葉ながらに、いや、下等な言葉なればこそ、いっそう効果的な表現に成功していた。これは、捜査の方向をじ曲げるために、故意にそういう書き方をしたものと見ることもできないわけはないが、とうてい外国人――正規の英語の教養があればあるほど――の手に成った文面とは首肯しゅこうされないし、またいかに狂人であっても、医者ならばあれほど無学な手紙は書かない、いや、いくら書こうと努力してもけっして書けないに相違ない。ことに驚くべき一事は、新聞社へきた血書の葉書が、つぎの「ジャック」の犯行時日を予言して、みごとに適中していることである。十一月九日と葉書にあるその日に、スピタルフィルド区ドルセット街ミラア・コウトで、ケリイこと別名ワッツが殺された。これもあるいは、たんにその葉書を投じた悪戯いたずら者のでたらめが偶然当っただけのことかもしれないが、あのグルストン街の壁の字さえ残っていたら、両者の筆蹟を比較研究することによって、葉書の真偽しんぎを鑑定することは容易だったのである。

 この、世界犯罪史上にもほかに類のない兇悪不可思議な人怪じんかい――彼を取り巻く闇黒あんこくの恐怖と戦慄せんりつすべき神秘、それらはもう、いまとなっては闡明せんめいのしようがないのだ。「斬裂人リッパアのジャック」と呼ばれ、また、自分でもそう名乗っていたこの男は、いったい何者であったか? ある種の女たちになにか特別の遺恨いこんを蔵していた殺人狂だったのか。それとも、やはりロンドン警視庁スコットランド・ヤアドの一部が見込みを立てたとおりに、狂える医師ででもあったか。あるいは一説のごとく、宗教上の妄信もうしんをいだく狂言者か。これらはすべて彼の正体、現実の犯罪手段、その動機などに関する世人の臆測おくそくを残したまま彼が世間の表面から埋めさった永遠の謎である。ことによると、すでにその一切は、彼とともにいまどこかかの墓穴に眠っているかもしれない。事実、これほど連続的に行なわれ、これほど社会を震撼しんかんし、しかもこれほど、事件当時のみならず長く以後にわたって、警視庁ヤアド内部はもちろん、あらゆる犯罪学者、あらゆる私設探偵局、あらゆる新聞社の専門的犯罪記者等から、種々雑多の理論、推定が提出されたにかかわらず、実際の犯行に関しては、ただ一筋の光明さえも投げられなかったという不可解きわまる事件は、ちょっとほかに比較を求めがたいのである。「斬裂人リッパアジャック」といえば、ロンドンでは、いや、英国ではだれでも知っている。およそなんらかの観点で、世界じゅうの血なまぐさい出来事に興味と注意を向けている人なら、かならず聞いたことのある名に相違ないだろう。
 依然として全ロンドンを、名物の濃霧にも比すべき恐慌が押し包んでいた。
 現場は、前から言うとおり、この厖大ぼうだいな都会のなかで、世界の塵埃棄場ごみすてばと呼ばれる細民さいみん街イースト・エンド、そこへ踏み込もうとするアルドゲイトと、多く、ユダヤ人が住んでいるので有名なホワイトチャペル街との間の、あの、暗い小庭と不潔な露地ろじが網の目のように入りこんでいる陰惨な一劃いっかくである。滞英中、筆者はとくに護衛者を雇って、日中と深夜、前後数回にわたってこの辺一帯を探検したことがある。まったくそれは、探検という言葉がなんらの誇張もなく当てはまるほど危険な、ないしは危険を感ずる、都会悪の巣窟そうくつなのだ。社会事業視察、都市経営の研究というようなことで、自身警視庁へ出頭してよく頼めば、その方面に通ずる私服刑事をひとり付けてくれる。が、私はいま、このロンドンのイースト・エンドにおける私の経験や観察を述べたり、ここの夜で私に直面したさまざまの光景を描いたりしようとは思っていない。ただしかし、実際の場所を知っている私は、この兇猛きょうもうな犯罪実話を書くにあたって、特殊の個人的感興かんきょうを覚えるのである。そしてそれは、いくぶんの現実性をもってこの物語を裏打ちするに相違ないと信ずることができる。
 ロンドン人は、何人なんぴとも新たなる凄慄せいりつなしには、あの晩秋を回顧し得ないであろう。
 最後のリッパア事件としていまだに記憶されている、十一月九日、金曜日の夜だった。
 もうすっかり冬の化粧をしたロンドンである。一日じゅう離れなかった霧が、夕方ちょっと氷雨ひさめに変わったりして、その晩はことに黒い液体が空間に流れめたような、湿った暗夜だった。が、新聞町フリイト街からは、深夜の電話によって召集された各社社会部記者と、遊撃ゆうげき記者の全部が、沈黙のうちにぞくぞくとこのアルドゲイトにむかって繰り出されつつある。「脅威テラア」――ジャアナリズムはいちはやくこの連続的犯行をこう命名していた――が、またもやこの夜、貧窮と汚毒おどくと邪悪のイースト・エンドを訪れるのだ。白い霧にけた街路に、ありも逃さぬ非常線が張りつめられ、れた舗道を踏んで、人の靴音は秘めやかに鳴った。通行人のうち、男はすべて巡査か密行みっこう刑事か新聞記者だった。女は、この界隈かいわいにつきものの、売笑婦だった。この、街の女たちも、さすがに一人で歩くことを恐れて、商売にはならなくても、三、四人ずつ、雪にった羊のようにかたまって、霧の中から出て霧へ消えた。漂白したような蒼い顔とよろめく跫音あしおとだった。彼女らは、街上に会う人ごとに殺人狂ではないかとおびえて、声をあげたりした。
 ふたたび言う。「斬り裂くジャック」は、職業的に、あるいは趣味的に、この売春婦という社会層に属する女だけを選んで、斬り裂くのである。斬り裂く――文字どおり、生殖器から上部へかけて外科的に切開し、引裂リップするのだ。
 この真夜中の怪物の横行にたいして、警察の無能を責める一般公衆の声は極点に達していた。が素人しろうとの市民たちが騒ぎだす前に、その筋の活動がとうに白熱化していたことも私は前言した。しかし、それは、犯人逮捕の段取りにいたらないなんらの弁解にはならないとあって、この時すでに警視庁部内には、チャアルス・ウォレン卿が責を負って辞職するやら、幾多の非壮な場面が作られていた。このウォレン卿の辞職演説はひじょうに刺戟しげきとなって管内の全警察官を鼓舞こぶした。ロンドンじゅうの警官が新しい力を感じてこのテロリスト・ジャックの捜査に勇躍した。当局のみならず、市民の有志も協力して、この街上の女の殺者、暗黒をう夜獣を捕獲しようと狂奔きょうほんし、ありとあらゆる方策が案出され実行された。徹夜の自警団も組織された。探偵犬は付近に移されて出動を待っていた。すべての暗い辻、街燈の乏しい広場には、そこに面する家の二階に刑事が張り込んで徹宵てっしょう窓から眼を光らせた。特志の警官隊が女装して囮鴨おとりとして深夜の町に散らばった。ホワイトチャペル街の夜の通行人は一人残らず不審訊問を受けた。挙動不審のかど拘引こういんされた嫌疑者、浮浪人、外国人らは全国でおびただしい数にのぼった。手がかりらしく思われる事物は、いかに些細ささいなことでもいちいち究極きゅうきょくまでたぐった。が、その結末に待っているものは、いつもかならず違算と失望だった。この怪異な狂鬼モンスターが住んでいるかもしれないと思われる町は、片っ端から戸別に家宅捜索した。こうしていつしか、人狩りの網は自然と縮まっていた。事実、一度ジャックは現実に目撃され、会話をかわし、しかも多分の疑惑をもって仔細しさいに観察されている――が、悪運はつねに彼の上にあった。苦心惨澹さんたんして集めた手がかりと報道の上に立っても、ついに彼の正体と所在へは法の手が届かなかったのだ。それもけっして広い区域ではない。この一町内の住民の一人がたしかにそれであるとまでわかっていても、ようするにそこで、神秘の壁が犯人をかばって、すべての探偵を嘲笑しているのだった。迷信的な人々のあいだには、早くもジャックに超自然的属性を与えて説明し去るものさえ出てきた。いわく、この犯人は喰屍鬼ゴウルか吸血鳥か、とにかく、人間の眼を触れずに自在に往来する、他界の変怪へんげであろうと。この中世紀めいた物語説は、いまでこそだれでも一笑に付するが、あの恐怖と秘異ひい感の最中には、冗談どころか、一部の人々によって大真面目に唱道しょうどうされたものである。これでみても、いかに全事件が怪奇をきわめ、犯人「斬裂人リッパアのジャック」の行動がまったく探偵小説的に神出鬼没しんしゅつきぼつそのものであったかが推測されよう。
 狭い区域内で、連続的に街上で辻君つじぎみ虐殺ぎゃくさつという言葉はらない。その体の状態は、いちいち重要な犯行とともにあとで説明するが、検屍の医師が正視に耐えないくらいじつに酸鼻さんびをきわめたもので、とうてい普通の神経機能所有者の所業しょぎょうとは思考されない。その、いわば常人でない犯人が、これほどたくみに尻尾をつかませないのである。精神病者はもちろん、すこしでも特異性の見える人間なら、この際すくなくとも近所の評判に上って、とうに密偵の耳にはいっていなければならないはずだ。ことに細民さいみん街の特徴として、隣近所はすべて開放的に交渉しあっている。そのどこかに一つでも「見慣れぬ顔」が潜在しているとしたら、それは早晩だれかの好奇眼にふれてなんらかの形でせめて居酒屋コウナア・バア会議――日本なら井戸端会議というところだが、英国では、ことにこのロンドンのイースト・エンドあたりでは、山の神連が白昼居酒屋へ集まって、一杯やりながら亭主をこきおろして怪気えんをあげているのは、珍らしい図ではない――その居酒屋会議の噂の一つくらいには、まさにのぼりそうなものである。しかるに、そういう聞込みの絶えてないことが、警察の第一に不審を置いたところだった。といって、この、人の形をっている妖鬼ようきは、格別犯跡の隠滅いんめつとか足跡の韜晦とうかいを計って、ことさらに体の発見を遅らしたりして捜査を困難ならしめているわけではない。否、それどころか、ほとんど意識的にとしか思われないほど、彼はおおいに不注意であり、時としては、挑戦的態度をすら示しているのだ。例としては、先に記したごとく、そのうちの一つ、バアナア街事件の場合、発見された女の身体は、斬り開かれた腹部から中庭の石に臓腑ぞうふがつかみ出されていたにかかわらず、どくっどくっと、死直後の惰力だりょく動悸どうきを打って、あたたかい血を奔出ほんしゅつさせていた。最後の一刃を加えてからまだ数秒しかたっていないのである。数である。最初の発見者が駈けつけた刹那せつなに、ジャックは体を離れて、その時は静かに、そこらの暗い一隅に立って人々の驚愕きょうがくを見ていたに相違ない。
 私は、個々の犯行を最初に報告して、それによって読者にまず探偵小説的興味を与えるような平凡事はしたくない。止むを得ない場合以外は、ただ忠実に記録を辿たどって、はじめに大体の事件をめぐる内外の情況に諸君を完全に親しましておきたいと企図きとしているのである。
 猫一匹、犬一匹殺しても、殺した人にはそうとうの血が付着する。いわんやこの犯人は、女を殺害したうえ、ほとんど解剖のごとき行為をその死ほどこしているのである。犯行ごとに手足といわず着衣といわず、全身血だるまのように生血を浴びていなければならないことは、第一にだれでも考えるところだ。まず屍体をずたずたに斬ったのち、彼はどこへ行って手や兇器きょうきを洗うか。いかにしてその血だらけの着衣を始末するか。何人なんぴとが彼を庇護ひごしてそれらの便宜べんぎを提供しているか。そもどんな家にこの殺人鬼は善良な市民のような顔をして住んでいるのか。これらが、当時謎の中心であったごとく、今日なお謎の中心である。実際の殺人は、たびたび言うようだが、その狂暴残虐なこと言語に絶し屍体はすべて野獣的に切断され、支離滅裂をきわめていた。しかも、犯行が重なるにつれてその度を増し、ついにいかなる鋼鉄製心臓の持主をも一瞥驚倒いちべつきょうとうせしむるに十分であるにいたった。そのことごとくを詳述することは印刷物の性質上許されないが、各犯行をつうじて、その方法経過は大同小異だった。ことにそれが、ある超特恐怖の状態において終っていることは、すべて一致していた。いうまでもなく一特定人――リッパア・ゼ・ジャック――の所業しょぎょうである。そして彼が左手きであることも、種々な場合の刀痕とうこんを総括して、動かぬところと専門家の間に断定されていた。被害者は、夜のちまたをさまよう売春婦にかぎられているのである。それも、そういう階層のなかでももっとも低い、もっとも貧困な、もっとも不幸な女たちに排他的にきまっているのである。その一つ一つの体のまぎれもない「恐怖の専売商標トレイド・マアク」がほどこしてあるのである。いずれもその生殖器が斬りかれ、えぐり出され、そこから手を挿入そうにゅうして大腸、内部生殖器官、その他の臓物ぞうもつが引き出されてあって、まことに正視に耐えない光景をていしているのである。ドルセット街の場合など、検に立ち会った警官をはじめ、警察医まで、いきなりこの凄絶な場面に直面したためみな室の片隅に走って嘔吐おうとしたといわれている。この、被害者の生殖器にかかる残虐を加える一事こそは、「斬り裂くジャック」の全犯行を貫く共通な大特徴で、また一世を怖慄ふりつせしめたセンセイションの真因しんいんでもあった。彼は、街路の売春婦であるかぎり、犠牲者を選びはしなかった。夜の町で女に話しかける。あるいは、女のほうから話しかける。交渉はただちに成立する。この界隈かいわいのことだから代価はしごく低廉ていれんである。あわれな女はその僅少な金をるために、自分の意志で、男と同伴して行く。そして、多くはただちにそこらの暗い横丁よこちょうなどで、みずから石畳に仰臥ぎょうがして男の下に両脚をひろげる。この男が馬乗りになって、女の咽喉のどを一きするのになりよりもつごうのいい、まるで兇刃きょうじんを招待するような姿態である。下部の切開がそれにつづいた。だから、被害者は、性行為の以前に殺されたのか以後に刃を受けたものか、いずれも下半身がめちゃめちゃになっているので判断のくだしようがなかった。が、行為の直後に行なわれたと見るべきが至当しとうであることに、専門家の意見は一致していた。
 連続殺人のうち、その多くは戸外で行なわれた。あの迷園のようなイースト・エンドを構成する暗い四つ角、年中じめじめと悪臭に湿っている小路アレイ、黒い低い建物に取りまかれた中庭、それらが惨劇の舞台だった。バックス・ロウ街の時には、体はある一軒の家の表階段にりかかっていた。一つの例外は、惨劇中の惨劇といわれた、スピタルフィイルド区、ドルセット街ミラア・コウトの納屋なやのような見る影もない自室におけるケリイはまたワッツの惨屍体であった。
 この人妖「斬り裂くジャック」は前後をつうじて、たった一度一人の人間に顔を見られて話をしている。
 当時――いまでもあるが――バアナア街四四番地に、ささやかな果物屋があった。マシュウ・パッカアという男が細君さいくん相手に小さく経営している。狭い土間に果実が山のように積んであるので、店へ客がはいってくると邪魔じゃまになる。売る方も買うほうも身動きが取れなくなってしまう。そこで一策を案出して、表の戸を締めきり、それに小窓を開けて、ちょうど停車場か劇場の切符売場のような特別の設備をし、自分は内部におさまって、この窓からそとをのぞいている。客には窓をつうじて応対し、品物も窓から出してやろうという一風変わった人物だ。
 九月三十日、土曜日の午後十一時半ごろだった。
 このパッカアが、もうそろそろ店を閉めようとして仕度したくしているところへ、窓のむこうに男女二人れの客が立った。男は、見たことがなかったが、女は、パッカアもよく知っていた。のっぽのリッツ――エリザベス・ストライド――で、この付近で名うての不良少女だった。
 パッカアは妙にこのリッツの同伴者が気になったとみえて、それとも、人物それ自身が印象的な風貌を備えていたのか、じつに詳しくその人相服装を覚えて、後日ちく一申し立てている。
 年齢三十歳前後、身長約五フィート七インチ、肩幅広く、身体全体が四角い感じを与える。浅黒い皮膚。綺麗きれいひげを剃って、敏捷びんしょうな顔つきをしていた。長い黒の外套がいとうに、焦茶色こげちゃいろフェルト帽、きびきびした早口だった。
 そのきびきびした横柄おうへいな早口で、エリザベスの同伴者は、窓のむこうから言った。
「おい。そこの葡萄ぶどうを半ポンドくれ。三ペンスだな。」
 物価の安かったころである。

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 半ポンドの葡萄ぶどうを紙袋に入れて、パッカアが差し出すと、のっぽのリッツ――エリザベス・ストライド――が、受け取った。夫婦か恋人のように、男がエリザベスの腕を取って、二人は付近の社会党倶楽部くらぶの方角へ歩き去った。この界隈かいわいで有名な、そして自分もよく知っている売春婦が、こうしてどこからか見慣れぬ男を引っ張ってきて、これからそこらの露地ろじの暗い隅へでも隠れようとしているのだから、パッカアがいくぶん下品な興味をもってこの二人の背後を見送ったであろうことは想像し得る。この辺の下層売春婦の客は、多く隣接工業地帯からの若い労働者か、テムズの諸船渠ドックに停泊中の船員なのだが、パッカアはその男を、そういう部類の筋肉労働者のいずれともらなかった。カマアシャルロウドあたりの店員か下級事務員どころと踏んだ。彼らがパッカア果物店前のバアナア街をまっすぐに進んで、社会党倶楽部くらぶ――正式には、同党イースト・エンド支部会館の看板をあげていた――の在る一構内に消えてから、二十分たつかたたないうちに、その会館の窓下の中庭で、このエリザベスが惨体となって発見されたのである。酸鼻さんび惨虐をきわめた屍体のかたわらに、パッカアが葡萄ぶどうを入れて売った紙袋と、葡萄の種と皮とが散乱していた。被害者は葡萄ぶどうを食べながら犯人と談笑して、その商取引を終るやいなや、ただちに「斬り裂くジャック」の狂刃の下に、名の示すごとく、両脚の間を腹部まで「斬り裂」かれたものであることが容易に推測される。この屍体も、他のすべてのリッパア事件の被害者と同じく、股間に加えられた加害状態とその暴虐は、文明人の思及しきゅうだも許されない怖愕テロリズムの極点に達して、犯人が手を使用して引き出したらしい腹部の内部諸器官が、鮮血のたまりと一緒に極彩色ごくさいしきの画面のように、両大腿だいたい部にはさまれて屍体の膝のあたりまで真赤に流出していた。そしてそれらを玩弄がんろうした痕跡歴然たるものがあり、のみならず、子宮だけがたくみに摘出てきしゅつして持ち去ってあったことなど、これらはすべて前回に記述したとおりである。現場は同じバアナア街で、四四番のパッカア果実店からは、石を投げて届く距離にある、人鬼ジャックがじつに野獣的に、非常識にまで豪胆ごうたんであり、いかに無人の境をくような猛暴をたくましうしたかは、この、犯行の場所を選ぶ場合の彼の病的な無関心だけでも、遺憾いかんなくうかがわれよう。ただこの九月三十日の夜、パッカア方へ葡萄ぶどうを買いに立ち寄ったエリザベス・ストライドの同伴者こそは、警視庁をはじめ全ロンドンが、爪を抜きとった指で石を掘りさげても発見したいと、日夜焦慮しょうりょしていた殺人鬼その人であったことは、なんら疑念の余地がないのである。
 本事件は、今日にいたるまで警察当局と犯罪学者とに幾多の研究資料を呈与ていよしているいわゆる「迷宮入り」である。したがって普通の探偵物もしくは犯罪実話のごとく、「いかにして犯人が逮捕されたか」にその興味の重心を置くものではなく、逆に、「どうして逮捕されなかったか」がその物語の中点なのだ。
 前回にもたびたび詳言しょうげんしたように、比較的小範囲の地域に、古来チイム・ワークにかけては無比の称あるロンドン警視庁スカットランド・ヤアドが、その刑事探偵の一騎当千いっきとうせんをすぐって、密林のように張りわたした警戒網である。それを随時随所に突破して、この幻怪な犯罪は当局を愚弄ぐろうするように連続的に行なわれるのだ。しかも犯人は、不敵にも堂々と宣戦布告ふこく的な態度を持続している。おまけに、続出する被害者の身分まで厳正に一定され、いままた、こうして犯人の顔を実見じっけんした者さえ出てきたにかかわらず、ついに捕縛ほばくの日を見ることなくして終ったのだ。警視庁の手配が万善ばんぜんを期したものであったことはいうまでもない。事実、当時のロンドン警視庁は、かの大ブラウンやフォルスタア氏をはじめ錚々そうそうたる腕きがそろっていて、空前絶後といってもいい一つの黄金時代だったのである。しからば犯人ジャックが、それほど遁走とんそう潜行に妙を得た超人間であったかというに、事実は正反対で、ただかれは、一個偉大なずぶ素人しろうとにすぎなかった。そして、その素人素人しろうとしろうとした粗削あらけずりなり口こそ、かえってその筋の苦労人の手足を封じ込めた最大の真因しんいんだった観がある。が、実際は、こうなるとすべてが運であり、一に機会の問題である。この場合は、その運と機会が、不合理にもしじゅう反対側に微笑ほほえみ続けたのであった。
 こうしてバアナア街の被害者エリザベス・ストライドは、不慮ふりょの死の二十分前に、無意識に犯人の顔を、パッカアという一人の人間に見せたという重要な役目を果したのだが、そのためにこのパッカアがあとでさんざん猛烈な非難を一身に浴びなければならないことが起こった。
 が、これは、パッカアにも攻撃されて仕方のない理由と責任がある。
 十月二日というから、バアナア街事件のあった九月三十日土曜日の夜からわずかに二日しか経過していない。月曜日のことだ。
 正午近くだった。パッカアは、ふたたび先夜の男が自分の果物店の前を通行しつつあるのを認めたのだ。
 白昼である。自分の証言が口火となって、その男こそ「斬り裂くジャック」に相違ないといっそう騒然と大緊張をきたしている最中だ。ことに、あれほど彼の網膜にきついた映像に見誤りがあるはずはない。なによりもその「異様に長い黒の外套がいとう」が眼印めじるしとなって、パッカアは一眼でそれと判別した。今度は、正午にまもないころだったと自分でも言っている。バアナア街は細民さいみん区のイースト・エンドでもちょっとした商店街の形態を備えていて、古風な狭い往来に織るような人通りがあふれている。ふたたび言う。白昼である。パッカアもなにも怖がることはないはずだ。なぜ彼は、男を見かけると同時に店を走り出て、大声をあげて近隣の者や通行人の助力を求め、とにかくその男を包囲しておいて警官の出張を待たなかったか――つぎは、この点に関して、パッカアが係官の前で陳述している彼自身の言葉だ。
「私は、客のない時は、切符売場式の店の窓口からボンヤリ戸外の雑沓ざっとうを眺めているのが常です。すると、早目に昼飯ランチに出た近所の売子などが、笑いさざめいて通っていましたから、かれこれ十二時でしたろう。ふと見ると、あの男が、この間の晩と同じ服装で店のすぐ前の舗道に差しかかっている。彼奴きゃつが『斬裂人リッパアのジャック』であることは各新聞も指摘し、近所の者もみなそう言いあい、私も確信していた際ですから、私は、通行の群集に混って歩いているその男を見かけると同時に、あ! あいつだ! と思いました。先方も私を覚えていたらしく、ちらとこちらを見ましたが気のせいか、それは何事か脅すような、じつに気味の悪い眼つきでした。正直に申しますと、私ははっと不意を打たれて、意気地がないようですが、あまりびっくりしてどうにも足が動きませんでした。その上、ちょうどその時私のほかに店に人がいなかったものですから、即座に店を空けて飛び出すわけにもゆかず、その間にも奴は足早に通り過ぎて行きます。気が気でありません。で、私は、すぐ後から店の前を通りかかった靴磨きの子供を低声に呼び込んで、何も言わず、ただ静かにその男の後をけてどこの家へはいるかそっと見届けるようにと耳打ちしました。が、その男が振り返ったのです。そして私が、自分の方を見ながら熱心に靴磨きにささやいているのを見ると、突然彼奴きゃつは鉄砲玉のように駈け出して、ちょうどそこへ疾走して来た電車へ飛び乗ってしまいました。私は夢が覚めたように初めて気がついて、店から転がり出て大声に騒ぎ立てましたが、その時はもう電車は男を乗せたまま遠く町のむこうに消え去っていたのです。まことに残念でなんとも申しわけありませんがこれが事実であります。その男が一昨日の晩私が葡萄ぶどうを売った客と同一人であることは断じてまちがいありませぬ。」
 ようするにパッカアは、白昼、平明な日光と普通の街上群集の中で見たがゆえに、いっそうこの人鬼にたいして、瞬間いいようのない絶大な恐怖を抱いたのである。このことは自分でも「正直のところあまりびっくりしてどうにも足が動かなかった[#「動かなかった」は底本では「動かなった」]」と告白しているとおり、この一種形容できない白昼の驚怖感が、刹那せつな彼の神経を萎縮いしゅくさせて、とっさの判断、敏速機宜きぎの行動等をいっさい剥奪はくだつし、呆然として彼をいわゆる不動金縛かなしばりの状態に、一時佇立ちょうりつせしめたのだと省察することができる。これは十分の理解と同情を寄せうる心理で、なにも格別パッカアが臆病な男だったという証拠にはならないが、それにしても、つぎに「ちょうどその時店に自分のほか、人がいなかった」ため「店をあけて飛び出すわけにもゆかなかった」というのは、事態の逼迫ひっぱくを認識せず、物の軽重を穿きちがえた、横着おうちゃくとまではいかなくとも、いささか自己中心にすぎて、かなり滑稽こっけいな弁辞であると断ぜざるを得ない。ロンドン中が「斬り裂くジャック」の就縛しゅうばくを熱望して爪立ちしていることは、パッカアはもっとも熟知していたはずの一人である。しかも彼は、九月三十日以来、犯人の顔を見た地上ゆいいつの人間として、全英の新聞と話題の大立物おおだてものになっていた矢先だ。その手前もある。不意のことで、おどろいたのは当然としても、もう少しそこになんとか気のきいた応急策のほどこしようがあったはずだと、刑事連をはじめ公衆は切歯扼腕せっしやくわんして口惜しがったが、やがでその忿懣ふんまんは非難に変わって、翕然きゅうぜんとパッカアの上に集まった。無理もないが、なかには口惜しさのあまりひどいことを言いふらすやつが出て来て、パッカアは「ジャック」の共犯者である。だから故意に逃がしたのか、さもなければ、思うところあって、初めからでたらめを言っているのだことの、いや、じつはパッカアこそはジャックその人に相違ないことのと、とんでもないうわさまでまことしやかに拡がったりした。とにかく、これによってパッカアは、それほど有力な容疑者――というより百パーセントに確定的な犯人――の身柄に偶然接近しえた、最初の、そしておそらくは最後の絶好機会を恵まれていながら、その怯懦きょうだと愚鈍からみすみすそれをいっし去ったのは、すくなくともこの場合、当然身をていして警察と公安を援助すべき公共的義務精神の熱意と果敢さにおいて、いくぶん欠除するところあるをいなめない、つまりあまり望ましくない市民だというので、なにしろイギリスのことだからいろいろとやかましい議論がおこり、可哀そうに、果物屋の主人公はこのところすっかり男をさげてしまった。が、結局、あとからはなにを言ってもはじまらない。これらパッカアの失態にたいする叱責しっせきのすべては、いわばあふれた牛乳の上に追加された無用の涙にしかすぎなかった。機会は、それが絶好のものであればあるほど、去る時は遠心的に遠く去るものである。そして、多くの場合、ふたたび返ってはこない。「電車が犯人を乗せて町のむこうに消えました」とはうまいことを言った。この騒動中の騒動に頓着なく、犯行はその後も依然として間歇かんけつ的に頻発ひんぱつしたが、犯人そのものの影は、その時消え去って以来、いまだに消えたまんまなのだ。
 はじめての驚天きょうてん的犯罪の目的は子宮の蒐集しゅうしゅうにあるという説が有力だった。それも、迷信や宗教上の偏執へんしつに発しているものではなく、それかといって、たんに特殊の集物狂コレクトマニアの現象でもない。立派に営利を目的とする一つの冷静な企業行為だというのだ。子宮を取って売る。子宮は売れるのである。肝臓や、子宮、脳漿のうしょうが、ある方面にたいして商品としての価額を持っているとは、驚くべきことだが、事実である。しかし、この、「長い黒の外套がいとう」を着て闇黒あんこくむ妖怪は、心願しんがんのようにその兇刃きょうじんを街路の売春婦にのみ限定してふるったのだ。子宮を奪うためならなにも売春婦にかぎったわけではなく、普通の婦人のほうがより健康な、より清潔な子宮をもっていて、商品としての目的にも適したはずだから、この子宮売買説は、「斬り裂くジャック」の場合当てはまらないといわなければならない。もっとも、未知の女に接近してこれを殺し、子宮を奪うためには、この種の女が一番早道だから、それで自然、とくに売春婦を選んだような観をていしたのだといえば、一応説明にならないことはないが、ジャックは、ただ相手の娼婦を殺しただけでは満足せず、あたかも報復の念迸溢ほういつして一寸刻いっすんきざみにしなければあきたらないかのように、生の去ったのちの肉塊にさえ、その情欲のおもむ[#ルビの「おもむ」は底本では「おも」]くままにかんを尽してひそかに快をっているのだ。ことに前掲ドルセット街ミラア・コウトの自宅で惨殺されたケリイ一名ワッツの死のごときは、ほかのすべての犯行が戸外で行なわれたのと異なり、これは被害者の寝室が現場だったので、怪物が、長く悠々と居残ってその変態癖を遺憾いかんなく満喫し、「血の饗宴きょうえん」を楽しむだけの時間と四壁を持ったせいか、胸部腹部はなんら人体の原型をとどめておらず、室内は、まるで殺場の腑分ふわけ室のような光景を呈していた。事実、この事件は、全犯行を通じて白熱的に最悪のものだったが、報知を受け取って踏み込んだ警官の一行は、その予想外に酸鼻さんびな場面と、鬱積うっせきする異臭にとつじょ直面したため、思わずみんな一個所にかたまって嘔吐おうとしたという。この言語道断な狼藉ろうぜき、徹底した無神経ぶりは、当時の新聞をして「恐怖の満点」と叫ばしめ、「人性の完全な蹂躙じゅうりん」と唖然あぜんたらしめている。
 こうなると、もうこれは、自由自在に出没横行おうこうする悪鬼デイモン仕業しわざだと人々は言いあった。じっさい、これに匹敵ひってきする残虐な犯例は、世界犯罪史をつうじてちょっと類を求めがたいのだが、なかんずくここに留意りゅういすべきことは、前々からいうとおり、この犯人はホワイトチャペル付近の売春婦だけを殺したという一事である。これこそ、この犯罪の動機を暗示する重要な特異性ではないだろうか。そこに、彼の「言葉」といったようなものを読み取ることはできないだろうか。じつに犯人ジャックは、この特徴ある犯行をもって一つの意思を発表し、世間に話しかけたのだ。
 かれの行為は、何事か大声に主張している。この「何事」を検討するところに、全リッパア事件の謎を解く合鍵語キイ・ワアドひそんでいると思う。とにかく、「ジャック・ゼ・リッパア」なる人物は、なにかの理由から、イースト・エンドの売春婦をひいてはロンドン全体を、その人心を、社会を、震撼しんかん戦慄せんりつさせるのが目的だったに相違ない。
 初冬のロンドンには、煤煙ばいえんを交えた霧の日がしきりにつづく。
 明けても暮れても、人は斬裂人リッパアの噂で持ちきりだった。
 すると、話はちょっと後退するが、バアナア街事件のあった翌早朝のことだ。

        4

 刑事部捜査課員を総動員して、フォルスタア氏が率いて現場に出張したあと、連絡を取るために、大ブラウンが留守師団長格で警視庁に居残っていたところへ、若い女があわただしく飛び込んできた。
 ブラウン氏は、現場のフォルスタア氏から刻々かかってくる報告電話を受理するのに忙しかったが、女がなにかリッパア事件に関することを言いにきたと聞いて、ただちに私室へ招じ入れて面接した。
 エセル・ライオンスといって、その服装態度からブラウンが一眼で鑑別したとおり、彼女はイースト・エンドを縄張りにする辻君つじぎみの一人だった。ひどく昂奮していて、ブラウン氏を見ると、「何年ぶりかに父親にでも会ったように」いきなり抱きつこうとした。ブラウン氏は、職掌柄しょくしょうがらこういう激情的なちまたの女を扱い慣れているので、すぐに得意の下町調カクネイでくだけて出ながら、ライオンスの口からその話というのを引き出した。
 ことわっておくが、前夜犯人を見たというパッカアの証言は、このときすでに、バアナア街に行っているフォルスタアからの電話で、ブラウンには委細いさいつうじていたが、朝早くだから、まだ新聞に発表されない前で、一般にはなんら知れていなかったのだ。
 このことを頭に置いて、ライオンスの言うところを聞くと、こうである。
 昨夜また、バアナア街に斬裂人リッパアが現われたと聞いて、ライオンスは思い切って自分の経験を述べに出頭したのだが、それによると、彼女は大変な命拾いをしている。
 数日前の深夜、例によって相手を探してホワイトチャペルのピンチン街を歩いていると、むこうから来かかった一人の男が、知り合いらしく帽子に手をかけて挨拶あいさつした。これは、男のほうから街上の売春婦を呼びとめる場合の、一つのカムフラアジュ的常法である。ピンチン街は、ユダヤ人の小商人の住宅などが並んでいて、入口が円門アウチのようになっている家が多い。このころのロンドンだからあいかわらず霧がかかってはいたが、霧の奥に月のある晩だったので、二人は、その一つのアウチの下に人目を避けて立話しした。
「どこか君の知ってる静かなところへれてってくれないか。」
 男はこう言ったという。言いながらズボンのポケットを揺すぶって、金を鳴らして聞かせた。このとおり金を持っているというのだ。
 ここでライオンスは、この男の語調には多分のアメリカなまりがあったと証言している。各国人を相手にする売笑婦の言だから、この点は比較的信をおけるはずだが、ライオンスは、たしかにその男は「アメリカ人か、さもなければ長くアメリカにいたことのある者」に相違ないと、ブラウン氏の前で断言した。
 そして、その交渉を進めている間も、男は、人のくるのを恐れるように、絶えず首を動かして往来の左右に眼を配っていた。リツパア事件で、この辺の売春婦はふるえあがっている最中である。ほんとなら、ライオンスもこうして夜けの危険に身をさらさずに家を引っ込んでいたいのだが、それでは稼業があがったりだからこわごわ出て来たのだ。しかし、いまその相手の様子を見ているうちに、第六感とでもいうべきものが、しきりにライオンスに警告を発し出した。で、なおも注意すると、男は、人が通るとかならず暗い方を向いて、顔を見られない用心を忘れない。「ジャック」を思いあわせて加速度的恐怖にとらわれたライオンスが、なんとか口実を作って同行をことわろうと考えをめぐらしているところへ、運よく知りあいの同業の女が三人れで通りかかった。ライオンスは逃げるように男を離れて、その群に加わって立ち去ったというのだ。
 ブラウン氏は、パッカアの見た人相を隠しておいて、どんな男だったとライオンスにいてみた。
「当方にもいろいろわかっているが、五十ぐらいの、背の高い、せた男だろう? ひげのある――。」
 女の心証をたしかめるために、わざと反対にかまをかけた。「いいえ。三十そこそこの若い人です。身長は普通で、痩せてはいません。がっしりした身体つきでした。いいえ、ひげはありません。」
 パッカアの証言と一致するものがある。
外套がいとうは着ていなかったろうな。」
「着ていました。変にすその長い、黒い外套でした。」
 ブラウン氏は心中に雀躍こおどりした。この時から、「長い黒の外套」が秘かに捜査の焦点となったのだが、この「外套がいとう」は、ライオンスによれば米国なまりの口をくという。
 あのドルセット街の陋屋ろうおくにおけるケリイ別名ワッツ殺しの場合のような徹底した狂暴ぶりは、野獣か狂者でないかぎり、いかに残忍な、無神経な、血に餓えた人間であっても、人の皮をかぶっている以上とうてい示し得ないところと思考される。ここにおいて「斬り裂くジャック」は精神病者に相違ないとの見込みが、まず必然的に立てられたのだった。すなわち、病院か家庭の檻禁室を逃亡した狂人か、さもなければ、全快という誤診の下に退院を許された者、もしくは、じっさい一時全快して医者を離れ、その後再発したものの所業しょぎょうであろうというのだ。これはじつに、都会に猛獣が放たれているような、戦慄せんりつすべき想像だが、こういう、早まって退院を許された狂人の犯罪は、その例にとぼしくない。が、これはようするに素人しろうとの臆測で、最初のリッパア事件突発と同時に、警察は早くもこの点に着眼し、全英はもちろん、広く欧州大陸から南米にまで照会の電報を飛ばして、精神病院の有無うむ、退院した狂暴性患者のその後の動静などを集めたのだったが、その後たった一つ前回に掲げたモスコーからの通知があっただけで、なんらめぼしい手がかりはられなかったのである。といって、日夜種々雑多な人間が、満潮時の大河口のように渦を巻き、流れを争う世界最大の貧民窟だ。正確な人口すらわかっていないのだから、いつどんな「猛獣」が潜行してきていないとはかぎらない。しかし、「斬裂人リッパアジャック」が狂人だったとしたら、この犯罪はもっと気まぐれであり、より非組織的でなければならない。それは、すこしでも精神異常者なら、たとえ犯跡は巧妙にくらましても、なにかのことでいつかは尻尾をつかませるはずである。もちろん一口に精神病といっても、幾多の類型と階梯かいていがあるが、種々な場合に現われた事実を総合すると、どうもこのジャックは、狂人どころか普通人、あるいはそれ以上の明識レイションあるものとしか思えないのだ。またかりに精神病者としても、彼はたくみにその病的特徴を隠していて、学術的に、はたしていかなる種類と程度の患者と認めていいのか、この点については専門家の意見が区々に別れて、ついにまとまるところを知らなかった。変態性欲者ちゅうの一種の色情倒錯しきじょうとうさく狂でかつ癲癇性激怒てんかんせいげきどの発作を併有へいゆうするものに相違ないと、一部の権威ある犯罪学者によって主張され、動機の説明としてはもっぱらこの説が行なわれた。精神病理学者として令名あるフォウブス・ウィンスロウ博士は、往訪の新聞記者ガイ・ロウガン氏に語って、この殺人者は、個々のエロティックな発作的狂乱の場合以外、平常はごく普通の、穏厚な一市民であろうとの意見を述べている。
「彼は、一つの犯行をすまして帰宅して、朝になって、その一時的激情から覚めると、自分が前夜なにをしたか、すこしも記憶していないに相違ない。」
 ウィンスロウ博士はこう言った。
 が、いくら著名な専門家の言でも、事実から見て、これはすくなからず変だと言わなければならない。なるほど、犯人は一事狂者モノマニアックで、ある一つの迷執めいしゅうに駆られてこの犯行を重ねているということは肯定しうるが、しかし、ウィンスロウ博士が想定しているような、意力の加わらない、いわば夢遊病者のごとき発作的錯乱者が、明白なる殺人の目的の下に、兇器を隠し持って夜のちまたをさまようだろうか。事実は、そればかりでなく、「ジャック」の行動のすべては、彼の犯罪が初めから緻密ちみつな計画になるものであることをあますところなく明示している。前回にあげたセントラル・ニュース社に舞い込んだ、人血で書かれた“Jack the Ripper”の署名ある葉書と手紙を、何者かの悪戯いたずらでなくたしかに犯人の書いたものと認めれば――実際また、事件が進むにしたがいこの通信は真犯人から出たものと信ぜざるを得ない状勢になってきていた。それほど、そこに書かれた彼の「宣言」は着々忠実な履行りこうに移されて現われてきたから――彼は、自分の求める売春婦の犠牲者を何街で発見することができるかその的確な「スパット」を知り、現実にいかにして接近するかその「商売の約束」につうじ、しかも、犯行ごとにあれほどみごとに警戒線を潜って消えうせているのだ。ここでふたたび問題になるのが、例の彼の「長い黒の外套がいとう」である。リッパア事件は、鮮血の颱風たいふうのようにイースト・エンドを中心にロンドン全市を席捲せっけんした。ジャックは、魔法の外套を着た通り魔のように、暗黒から暗黒へと露地横町ろじよこちょうを縫ってその跳躍をほしいままにした。彼の去就きょしゅうの前には、さすがのロンドン警視庁も全然無力の観さえあった。こうなると、もうこれは、人事を超越した自然現象のように思われて、初めのうちこそ恐怖におののいてその筋の鞭撻を怠らなかったロンドン市民も、日をるにしたがって慣れっこになり、他人事のように感じだし、そこはユウモア好きな英国人のことだから、いつしか新聞雑誌の漫画漫文に、寄席のレヴュウに舞踏会の仮装に、このジャック・ゼ・リッパアが大もて大流行という呑気至極のんきしごくな奇観を呈するにいたった。するとまた、この人獣をこういうふうに人気の焦点に祭り上げるのは風教ふうきょうに大害あり、第一、不謹慎きわまるとあって反対運動がおこるやら、とにかく、肝心の犯罪捜査を外れたわき道に種々の※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)話を生んだものだが、この、漫画に出てくる「ジャック」、舞台や仮装舞踏会の彼の扮装ふんそうは、かならずその、あまりにも有名な「長い黒の外套がいとう」を着ることにきまっていた。それほど、この犯人とは切り離すことのできない外套である。彼はこれを、犯行の際はいちじ脱いでかたわらへ置き、「手術」をすますと同時に血だらけの着衣の上からこの外套を着て、それで血を隠し、行人の注意を逃れて平然と往来を歩いて帰宅したものであろうと想像するにかたくない。さもなくて、血を浴びたままの姿でたとえ深夜にしろ、どんな短距離にしろ、道中のできるわけがないからである。そして、この目的のためには、それはたしかに「黒く」かつ「長い」ほうが便利だったに相違ない。イースト・エンドは眠らない町である。男を探す夜鷹よたかと、夜鷹をさがす男とが夜もすがらの通行人だ。場末とはいえ、けっしてさびしい個所ではない。それにその時は、毎夜戒厳令かいげんれいのような大規模の非常線が張りつめられて、連中の捜査に疲れた警官もまずたゆまず必死の努力を継続した。不審訊問はだれかれの差別なく投げられた。些少さしょうでも疑わしい者は容赦なく拘引こういんされた。その網に引っかかっただけでも、おびただしい人数といわれている。しかるに、その間を、たったいま人を殺し、屍体をさいなみ、生血と遊んで、全身絵具箱から這い出したようになっているはずの男だけが、この密網の目を洩れてただの一度も誰何すいかされなかったのだ。否、誰何されたかもしれないが、追及すべく十分怪しいと白眼にらまれなかったのだ。この点が、そしてこの一点が、全リッパア事件の神秘の王冠といわれている。前後をつうじて数千数百の人間が、街上に停止を命じられ凍烈な質問を浴びせられ、身分証明を求められ、即刻身体検査を受けているのに――眼ざすただ一人の人間だけついにこの法の触手にふれることなくして終ったとは、なんという皮肉であろう!

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斬裂人リッパアのジャック」は、何かのことでホワイトチャペル界隈かいわいの売春婦全部を呪い、相手選ばずその鏖殺ほうさつを企てたのだというのが、いま一般に信じられているジャックの目的である。憎悪と怨恨えんこんに燃えて、その復讐欲を満たすために、かれはあれほど血に飽きるところを知らなかったというのだ。その根本の原因は何か! いまとなってはただ、そこにたんなる推定が許されるにすぎない。ジャックは、この付近の売春婦から悪性の梅毒でも感染し、それが彼の人生を泥土でいどに突き入れたのであろう。すくなくとも、彼はそう感じて、その自暴自棄じぼうじき憤怒ふんぬ――かなり不合理な――が彼を駆って盲目的に、そして猪進ちょしん的に執念しゅうねんの刃をふるわせ、この酷薄な報復手段をらしめたに相違あるまい。病毒の媒体としてもっとも恐るべきイースト・エンドの哀れな娼婦の一人が、肉体的に、また精神的に、ジャックの一生をめちゃくちゃにしたのだ。悪疾に侵されたかれの頭脳において、一人の罪は全般が背負うべきものという不当の論理が、ごく当然に醗酵はっこうし生長したかもしれない。
 その間も、ロンドン警視庁へは海外からの情報がしっきりなしに達していた。
 このすこし以前、北米テキサス州で、冬から早春にかけて、リッパア事件に酷似こくじした犯罪が連続的に行なわれたことがあった。もっとも、ロンドンのほど野性に徹した犯行ではなかったが、同じような性器の解剖が体に加えてあった。この被害者は、限定的に、同地方に特有の黒人の売笑婦だった。
 犯人は外国生れの若いユダヤ人であるといわれていたが、もちろん自余じよのことはいっさい不明で、やはり捕まっていない。ロンドンでリッパア事件が高潮に達した時、テキサス州の有力新聞アトランタ・カンステチュウション紙は、この黒婦虐殺事件の顛末てんまつを細大掲げて両者の相似点を指摘し、ジャック・ゼ・リッパアは、このテキサスの犯人が渡英して再活躍を始めたに相違ないと論じたが、その当否はとにかく、ロンドンでリッパア騒動が終塞しゅうそくするとまもなく、その翌年の初夏、同じような悪鬼的横行おうこうが今度はマナガ市の心胆しんたんを寒からしめている。
 マナガ市は、中央アメリカニカラガ共和国の首府である。同市に事件が発生すると同時に、ロンドン警視庁はさっそく同市警察に照会して該事件に関する委細いさいの報告を受け取ったが、それによると、書類の上では、犯罪の状況、生殖器の「斬り裂」き方、犯人をめぐる神秘の密度など、すべて「斬裂人リッパアジャック」の手口と付節を合するがごときものがあって、ここに当然、ジャックはロンドンにおける最後の犯行後、大西洋を渡って中米に現われたのだという説を生じた。これは一見付会ふかいの観あるが、再考すればおおいにありそうなことである。はたしてニカラガの犯人がロンドンの殺者ジャックであったかどうか――それは、ニカラガでも犯人は捕まっていないのだから、肯定するも否定するも、ようするに純粋の想像を一歩も出ない。犯罪もこうまで不思議性を帯びてくると、そこにいろんな無稽むけい※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)話が付随してくるのは当然で、ことに、犯罪者には、いよいよとなると自己を英雄化して飾ろうとする妙な共通心理があるものとみえる。それから当分、ほかの事件で死刑になるやつがきまって公式のように「この自分こそジャックである」と大見得の告白をするのが続出して、当局を悩ました。はじめのうちは公衆も沸いたが、われもわれもとぞくぞく流行のように、そう何人も自称ジャックが現われるに及んで、またかともうだれも真面目に相手にしなくなっている。
 ただ、テキサス犯人の若いユダヤ人がジャックではなかったかという説だけは、いまだにリッパア事件の研究者の間にそうとう重く見られている。ライオンスも、その夜の男の言葉に米国なまりを感得したと主張しているし、あの、セントラル・ニュース社へてた手紙と葉書の冒頭語、Dear Boss なる文句は、明白にアメリカの俗語で、英国では絶対に使わないといっていい。が、例のパッカアだけは、葡萄ぶどうを売った客の言語にも、なんら米国を暗示するものは感じられなかったと言っているが、彼の応対はほんの瞬時であり、それは、声や語調は意識して変装デスガイスすることもできるから、この点パッカアの証言はあまりあてにならない。
 それに、もう一つ、これは後から発表されたのだが、ハンベリイ街二九番事件の時である。被害者アニイ・チャプマンが格闘の際犯人の着衣から※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ取ったのだろう、体の真下、背中の個所に、一個のボタンが落ちていた。裏に、H&Qという小さな商標が押字してあった。このボタンの研究は、警視庁の依頼を受けてロンドン商工会議所が引きけた。そして、日ならずして、H&Qのボタンは、米国シカゴのヘンドリックス・エンド・クエンティン会社の製品であることが判明した。このゆいいつのそして表面漠として雲をつかむような手がかり――ほとんど手がかりとも呼びがたい――を頼りに、もっとも他にもなにかあったのかもしれないが、即日アンドルウス警部が警視庁を飛び出してそのままサザンプトンからニューヨーク行きの船に投じている。その筋の努力がいかに涙ぐましいものであったかは、この一事でも知れよう。が、このボタンの調査もなんらの結果をもたらさなかったとみえて、アンドルウス氏は、いつ帰ったともなく、まもなく空手でロンドンに帰ってきていた。
 数年後、マナガ市の精神病院で客死かくしした、かつてそうとう知名の外科医だった英国人の一狂人が、その死の床において、リッパア事件とニカラガ事件の真犯人であると告白したという話が伝わってきて、忘れかけていた世間を、もう一度「ジャック」の名で騒がせたことがあるが、もちろん完全なでたらめにすぎない。すくなくとも当局は一笑に付した。第一、「狂人の告白」というのからして、なんと、痛快なナンセンスではないか。

底本:「浴槽の花嫁−世界怪奇実話1」現代教養文庫、社会思想社
   1975(昭和50)年6月15日初版第1刷発行
   1997(平成9)年9月30日初版第8刷発行
※底本の表記を誤植と判断するにあたっては、「一人三人全集5[#「5」はローマ数字、1-13-25] 世界怪奇実話 浴槽の花嫁」1969(昭和44)年11月5日初版発行を参照しました。
※「挿」と「」の混在は底本通りにしました。
入力:大野晋
校正:原田頌子
2002年2月13日公開
2009年11月8日修正
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