あらすじ
博物館のガラス戸棚に飾られた蜂雀が、少年に語りかけます。それは、かつて少年が見た、ペムペルとネリという兄妹の物語。二人は、豊かな自然の中で、幸せに暮らしていました。しかし、ある日、不思議な音に導かれ、二人は遠くの賑やかな町へと向かうのです。
博物局十六等官
キュステ誌
 私の町の博物館の、大きなガラスの戸棚とだなには、剥製はくせいですが、四ひき蜂雀はちすずめがいます。
 生きてたときはミィミィとなきちょうのように花のみつをたべるあの小さなかあいらしい蜂雀です。わたくしはその四疋の中でいちばん上のえだにとまって、羽を両方ひろげかけ、まっ青なそらにいまにもとび立ちそうなのを、ことにすきでした。それはが赤くてつるつるした緑青ろくしょういろの胸をもち、そのりんと張った胸には波形のうつくしいもんもありました。
 小さいときのことですが、ある朝早く、私は学校に行く前にこっそり一寸ちょっとガラスの前に立ちましたら、その蜂雀が、銀の針の様なほそいきれいな声で、にわかに私に言いました。
「お早う。ペムペルという子はほんとうにいい子だったのにかあいそうなことをした。」
 その時窓にはまだ厚い茶いろのカーテンが引いてありましたのでへやの中はちょうどビールびんのかけらをのぞいたようでした。ですから私も挨拶あいさつしました。
「お早う。蜂雀。ペムペルという人がどうしたっての。」
 蜂雀がガラスの向うでまたいました。
「ええお早うよ。妹のネリという子もほんとうにかあいらしいいい子だったのにかあいそうだなあ。」
「どうしたていうの話しておくれ。」
 すると蜂雀はちょっと口あいてわらうようにしてまた云いました。
「話してあげるからおまえはかばんゆかにおろしてその上におすわり。」
 私は本の入ったかばんの上に座るのは一寸困りましたけれどもどうしてもそのお話を聞きたかったのでとうとうその通りしました。
 すると蜂雀は話しました。
「ペムペルとネリは毎日お父さんやお母さんたちの働くそばで遊んでいたよ〔以下原稿一枚?なし〕

 その時ぼく
『さようなら。さようなら。』と云ってペムペルのうちのきれいな木や花の間からまっすぐにおうちにかえった。
 それから勿論もちろん小麦もいた。
 二人で小麦を粉にするときは僕はいつでも見に行った。小麦を粉にする日ならペムペルはちぢれたかみからみじかい浅黄あさぎのチョッキから木綿もめんのだぶだぶずぼんまで粉ですっかり白くなりながら赤いガラスの水車場でことことやっているだろう。ネリはその粉を四百グレンぐらいずつ木綿のふくろにつめんだりつかれてぼんやり戸口によりかかりはたけをながめていたりする。
 そのときぼくはネリちゃん。あなたはむぐらはすきですかとからかったりして飛んだのだ。それからもちろんキャベジも植えた。
 二人がキャベジをるときは僕はいつでも見に行った。
 ペムペルがキャベジの太い根をってそれをはたけにころがすと、ネリは両手でそれをもって水いろにられた一輪車に入れるのだ。そして二人は車をして黄色のガラスの納屋なやにキャベジを運んだのだ。青いキャベジがころがってるのはそれはずいぶん立派だよ。
 そして二人はたった二人だけずいぶんたのしくくらしていた。」
「おとなはそこらに居なかったの。」わたしはふと思い付いてそうたずねました。
「おとなはすこしもそこらあたりに居なかった。なぜならペムペルとネリの兄妹きょうだいの二人はたった二人だけずいぶん愉快ゆかいにくらしてたから。
 けれどほんとうにかあいそうだ。
 ペムペルという子は全くいい子だったのにかあいそうなことをした。
 ネリという子は全くかあいらしい女の子だったのにかあいそうなことをした。」
 蜂雀はにわかにだまってしまいました。
 私はもう全く気が気でありませんでした。
 蜂雀はいよいよだまってガラスの向うでしんとしています。
 私もしばらくはこらえてひざを両手でかかえてじっとしていましたけれどもあんまり蜂雀がいつまでもだまっているもんですからそれにそのだまりようと云ったらたとえ一ぺん死んだ人が二度とお墓から出て来ようたって口なんか聞くもんかと云うように見えましたのでとうとう私は居たたまらなくなりました。私は立ってガラスの前に歩いて行って両手をガラスにかけて中の蜂雀に云いました。
「ね、蜂雀、そのペムペルとネリちゃんとがそれから一体どうなったの、どうしたって云うの、ね、蜂雀、話しておれ。」
 けれども蜂雀はやっぱりじっとその細いくちばしをとがらしたまま向うの四十雀しじゅうからの方を見たっきり二度と私に答えようともしませんでした。
「ね、蜂雀、はなしてお呉れ。だめだい半分ぐらい云っておいていけないったら蜂雀
 ね。談してお呉れ。そら、さっきの続きをさ。どうして話して呉れないの。」
 ガラスは私の息ですっかりくもりました。
 四羽の美しい蜂雀さえまるでぼんやり見えたのです。私はとうとう泣きだしました。
 なぜって第一あの美しい蜂雀がたった今まできれいな銀の糸のような声で私と話をしていたのに俄かにかたく死んだようになってその眼もすっかり黒い硝子玉ガラスだまか何かになってしまいいつまでたっても四十雀ばかり見ているのです。おまけに一体それさえほんとうに見ているのかただ眼がそっちへ向いてるように見えるのか少しもわからないのでしょう。それにまたあんなかあいらしい日に焼けたペムペルとネリの兄妹が何か大へんかあいそうな目になったというのですものどうして泣かないでいられましょう。もう私はそのためならば一週間でも泣けたのです。
 すると俄かに私の右のかたが重くなりました。そして何だか暖いのです。びっくりしてりかえって見ましたらあの番人のおじいさんが心配そうに白いまゆを寄せて私の肩に手を置いて立っているのです。その番人のおじいさんが云いました。
「どうしてそんなに泣いて居るの。おなかでも痛いのかい。朝早くから鳥のガラスの前に来てそんなにひどく泣くもんでない。」
 けれども私はどうしてもまだ泣きやむことができませんでした。おじいさんは又云いました。
「そんなに高く泣いちゃいけない。
 まだ入口を開けるに一時間半も間があるのにおまえだけそっと入れてやったのだ。
 それにそんなに高く泣いて表の方へ聞えたらみんな私に故障を云って来るんでないか。そんなに泣いていけないよ。どうしてそんなに泣いてんだ。」
 私はやっと云いました。
「だって蜂雀がもう私に話さないんだもの。」
 するとじいさんは高く笑いました。
「ああ、蜂雀が又おまえに何か話したね。そして俄かにだまり込んだね。そいつはいけない。この蜂雀はよくその術をやって人をからかうんだ。よろしい。私がしかってやろう。」
 番人のおじいさんはガラスの前に進みました。
「おい。蜂雀。今日で何度目だと思う。手帳へつけるよ。つけるよ。あんまりいけなけあ仕方ないから館長様へ申し上げてアイスランドへ送っちまうよ。
 ええおい。さあぼっちゃん。きっとこいつははなします。早くなみだをおふきなさい。まるで顔中ぐじゃぐじゃだ。そらええああすっかりさっぱりした。
 お話がすんだら早く学校へ入らっしゃい。
 あんまり長くなってきっちまうとこいつは又いろいろいやなことを云いますから。ではようがすか。」
 番人のおじいさんは私の涙をいて呉れてそれから両手をせなかで組んでことりことり向うへ見まわって行きました。
 おじいさんのあし音がそのうすくらい茶色のへやの中からとなりの室へ消えたとき蜂雀はまた私の方を向きました。
 私はどきっとしたのです。
 蜂雀は細い細いハアモニカの様な声でそっと私にはなしかけました。
「さっきはごめんなさい。僕すっかりつかれちまったもんですからね。」
 私もやさしく言いました。
「蜂雀。僕ちっともおこっちゃいないんだよ。さっきの続きを話してお呉れ。」
 蜂雀は語りはじめました。
「ペムペルとネリとはそれはほんとうにかあいいんだ。二人が青ガラスのうちの中に居て窓をすっかりしめてると二人は海の底に居るように見えた。そして二人の声は僕には聞えやしないね。
 それは非常に厚いガラスなんだから。
 けれども二人が一つの大きな帳面をのぞきこんで一所に同じように口をあいたり少し閉じたりしているのを見るとあれは一緒いっしょに唱歌をうたっているのだということはたれだってすぐわかるだろう。僕はそのいろいろにうごく二人の小さな口つきをじっと見ているのを大へんすきでいつでも庭のさるすべりの木に居たよ。ペムペルはほんとうにいい子なんだけれどかあいそうなことをした。
 ネリも全くかあいらしい女の子だったのにかあいそうなことをした。」
「だからどうしたって云うの。」
「だからね、二人はほんとうにおもしろくくらしていたのだから、それだけならばよかったんだ。ところが二人は、はたけにトマトを十本植えていた。そのうち五本がポンデローザでね、五本がレッドチェリイだよ。ポンデローザにはまっ赤な大きな実がつくし、レッドチェリーにはさくらんぼほどの赤い実がまるでたくさんできる。ぼくはトマトは食べないけれど、ポンデローザを見ることならもうほんとうにすきなんだ。ある年やっぱりなえが二いろあったから、植えたあとでも二いろあった。だんだんそれが大きくなって、葉からはトマトの青いにおいがし、くきからはこまかな黄金きんつぶのようなものもき出した。
 そしてまもなく実がついた。
 ところが五本のチェリーの中で、一本だけは奇体きたいに黄いろなんだろう。そして大へん光るのだ。ギザギザの青黒い葉の間から、まばゆいくらい黄いろなトマトがのぞいているのは立派だった。だからネリがった。
『にいさま、あのトマトどうしてあんなに光るんでしょうね。』
 ペムペルはくちびるに指をあててしばらく考えてから答えていた。
黄金きんだよ。黄金だからあんなに光るんだ。』
『まあ、あれ黄金なの。』ネリがすこしびっくりしたように云った。
『立派だねえ。』
『ええ立派だわ。』
 そして二人はもちろん、その黄いろなトマトをとりもしなけぁ、一寸ちょっとさわりもしなかった。
 そしたらほんとうにかあいそうなことをしたねえ。」
「だからどうしたって云うの。」
「だからね、二人はこんなに楽しくくらしていたんだからそれだけならばよかったんだよ。ところがある夕方二人が羊歯しだの葉に水をかけてたら、遠くの遠くの野はらの方から何とも云えない奇体ないい音が風にき飛ばされて聞えて来るんだ。まるでまるでいい音なんだ。切れ切れになって飛んでは来るけれど、まるですずらんやヘリオトロープのいいかおりさえするんだろう、その音がだよ。二人は如露じょろの手をやめて、しばらくだまって顔を見合せたねえ、それからペムペルが云った。
『ね、行って見ようよ、あんなにいい音がするんだもの。』
 ネリは勿論もちろん、もっと行きたくってたまらないんだ。
『行きましょう、兄さま、すぐ行きましょう。』
『うん、すぐ行こう。大丈夫だいじょうぶあぶないことないね。』
 そこで二人は手をつないで果樹園を出てどんどんそっちへ走って行った。
 音はよっぽど遠かった。かばの木の生えた小山を二つえてもまだそれほどに近くもならず、やなぎの生えた小流れを三つ越えてもなかなかそんなに近くはならなかった。
 それでもいくらか近くはなった。
 二人が二本のかやの木のアーチになった下をくぐったら不思議な音はもう切れ切れじゃなくなった。
 そこで二人は元気を出して上着のそであせをふきふきかけて行った。
 そのうち音はもっとはっきりして来たのだ。ひょろひょろしたふえの音も入っていたし、大喇叭おおらっぱのどなり声もきこえた。ぼくにはみんなわかって来たのだよ。
『ネリ、もう少しだよ、しっかりぼくにつかまっておいで。』
 ネリはだまってきれで包んだ小さな卵形の頭を振って、唇をんで走った。
 二人がも一度、樺の木の生えたおかをまわったとき、いきなりの前に白いほこりのぼやぼや立った大きな道が、横になっているのを見た。その右の方から、さっきの音がはっきり聞え、左の方からもう一団ひとかたまり、白いほこりがこっちの方へやって来る。ほこりの中から、チラチラ馬の足が光った。
 間もなくそれは近づいたのだ。ペムペルとネリとは、手をにぎり合って、息をこらしてそれを見た。
 もちろん僕もそれを見た。
 やって来たのは七人ばかりの馬乗りなのだ。
 馬は汗をかいて黒く光り、鼻からふうふう息をつき、しずかにだくをやっていた。乗ってるものはみな赤シャツで、てかてか光る赤革あかかわ長靴ながぐつをはき、帽子ぼうしにはさぎの毛やなにか、白いひらひらするものをつけていた。ひげをはやしたおとなも居れば、いちばんしまいにはペムペル位のほほのまっかな眼のまっ黒なかあいい子も居た。ほこりの為にお日さまはぼんやり赤くなった。
 おとなはみんなペムペルとネリなどは見ない風して行ったけれど、いちばんしまいのあのかあいい子は、ペムペルを見て一寸ちょっと唇に指をあててキスを送ったんだ。
 そしてみんなは通り過ぎたのだ。みんなの行った方から、あのいい音がいよいよはっきり聞えて来た。まもなくみんなは向うの丘をまわって見えなくなったが、左の方からまたたれかゆっくりやって来るのだ。
 それは小さな家ぐらいある白い四角のはこのようなもので、人が四五人ついて来た。だんだん近くになって見ると、ついて居るのはみんな黒ん坊で、眼ばかりぎらぎら光らして、ふんどしだけして裸足はだしだろう。白い四角なものを囲んで来たのだけれど、その白いのは箱じゃなかった。実は白いきれを四方にさげた、日本の蚊帳かやのようなもんで、その下からは大きな灰いろの四本のあしが、ゆっくりゆっくり上ったり下ったりしていたのだ。
 ペムペルとネリとは、黒人はほんとうにこわかったけれど又面白おもしろかった。四角なものも恐かったけれど、めずらしかった。そこでみんなが過ぎてから、二人は顔を見合せた。そして
『ついて行こうか。』
『ええ、行きましょう。』と、まるでかすれた声で云ったのだ。そして二人はよほど遠くからついて行った。
 黒人たちは、時々何かわからないことをさけんだり、空を見ながらねたりした。四本の脚はゆっくりゆっくり、上ったり下ったりしていたし、時々ふう、ふうという呼吸の音も聞えた。
 二人はいよいよかたく手をにぎってついて行った。
 そのうちお日さまは、変に赤くどんよりなって、西の方の山に入ってしまい、残りの空は黄いろに光り、草はだんだん青から黒く見えて来た。
 さっきからの音がいよいよ近くなり、すぐ向うの丘のかげでは、さっきのらしい馬のひんひんくのも鼻をぶるるっと鳴らすのも聞えたんだ。
 四角な家の生物が、脚を百ぺん上げたり下げたりしたら、ペムペルとネリとはびっくりして眼をこすった。向うは大きな町なんだ。一杯いっぱいについている。それからすぐ眼の前は平らな草地になっていて、大きな天幕テントがかけてある。天幕は丸太で組んである。まだ少しあかるいのに、青いアセチレンや、油煙ゆえんを長く引くカンテラがたくさんともって、その二階には奇麗きれいな絵看板がたくさんかけてあったのだ。その看板のうしろから、さっきからのいい音が起っていたのだ。看板の中には、さっきキスを投げた子が、二ひきの馬に片っ方ずつ手をついて、逆立さかだちしてるところもある。さっきの馬はみなその前につながれて、そのほかにだって十五六疋ならんでいた。みんなオートを食べていた。
 おとなや女や子供らが、その草はらにたくさん集って看板を見上げていた。
 看板のうしろからは、さっきの音がさかんに起った。
 けれどもあんまり近くで聞くと、そんなにすてきな音じゃない。
 ただの楽隊だったんだい。
 ただその音が、野原を通って行く途中とちゅう、だんだん音がかすれるほど、花のにおいがついて行ったんだ。
 白い四角な家も、ゆっくりゆっくり中へはいって行ってしまった。
 中では何かが細い高い声でないた。
 人はだんだん増えて来た。
 楽隊はまるで馬鹿のように盛んにやった。
 みんなは吸いこまれるように、三人五人ずつ中へはいって行ったのだ。
 ペムペルとネリとは息をこらして、じっとそれを見た。
『僕たちも入ってこうか。』ペムペルが胸をどきどきさせながら云った。
『入りましょう』とネリも答えた。
 けれども何だか二人とも、安心にならなかったのだ。どうもみんなが入口で何か番人にわたすらしいのだ。
 ペムペルは少し近くへ寄って、じっとそれを見た。食い付くように見ていたよ。
 そしたらそれはたしかに銀か黄金きんかのかけらなのだ。
 黄金をだせば銀のかけらを返してよこす。
 そしてその人は入って行く。
 だからペムペルも黄金をポケットにさがしたのだ。
『ネリ、お前はここに待っといで。僕一寸ちょっとうちまで行って来るからね。』
『わたしも行くわ。』ネリは云ったけれども、ペムペルはもうかけ出したので、ネリは心配そうに半分泣くようにして、又看板を見ていたよ。
 それから僕は心配だから、ネリの処に番しようか、ペムペルについて行こうか、ずいぶんしばらく考えたけれども、いくらそこらを飛んで見ても、みんな看板ばかり見ていて、ネリをさらって行きそうな悪漢は一人も居ないんだ。
 そこで安心して、ペムペルについて飛んで行った。
 ペムペルはそれはひどく走ったよ。四日のお月さんが、西のそらにしずかにかかっていたけれど、そのぼんやりした青じろい光で、どんどんどんどんペムペルはかけた。僕は追いつくのがほんとうにつらかった。眼がぐるぐるして、風がぶうぶう鳴ったんだ。かばの木もやなぎの木も、みんなまっ黒、草もまっ黒、その中をどんどんどんどんペムペルはかけた。
 それからとうとうあの果樹園にはいったのだ。
 ガラスのお家が月のあかりで大へんなつかしく光っていた。ペムペルは一寸立ちどまってそれを見たけれども、又走ってもうまっ黒に見えているトマトの木から、あの黄いろの実のなるトマトの木から、黄いろのトマトの実を四つとった。それからまるで風のよう、あらしのように汗と動悸どうきで燃えながら、さっきの草場にとって返した。僕も全くつかれていた。
 ネリはちらちらこっちの方を見てばかりいた。
 けれどもペムペルは、
『さあ、いいよ。入ろう。』
とネリに云った。
 ネリはよろこんで飛びあがり、二人は手をつないで木戸口に来たんだ。ペムペルはだまって二つのトマトを出したんだ。
 番人は『ええ、いらっしゃい。』と言いながら、トマトを受けとり、それから変な顔をした。
 しばらくそれを見つめていた。
 それからにわかに顔がゆがんでどなり出した。
『何だ。この餓鬼がきめ。人をばかにしやがるな。トマト二つで、この大入の中へおまえたちをんでやってたまるか。せやがれ、畜生ちくしょう。』
 そしてトマトを投げつけた。あの黄のトマトをなげつけたんだ。その一つはひどくネリの耳にあたり、ネリはわっと泣き出し、みんなはどっと笑ったんだ。ペムペルはすばやくネリをさらうようにいて、そこをげ出した。
 みんなの笑い声が波のように聞えた。
 まっくらな丘の間まで遁げて来たとき、ペムペルも俄かに高く泣き出した。ああいうかなしいことを、お前はきっと知らないよ。
 それから二人はだまってだまってときどきしくりあげながら、ひるの象について来たみちをもどった。
 それからペムペルは、にぎりこぶしを握りながら、ネリは時々つばをのみながら、樺の木の生えたまっ黒な小山をえて、二人はおうちに帰ったんだ。ああかあいそうだよ。ほんとうにかあいそうだ。わかったかい。じゃさよなら、私はもうはなせない。じいさんを呼んで来ちゃいけないよ。さよなら。」
 う云ってしまうと蜂雀はちすずめの細いくちばしは、またとがってじっと閉じてしまい、その眼は向うの四十雀しじゅうからをだまって見ていたのです。
 私も大へんかなしくなって
「じゃ蜂雀。さようなら。僕又来るよ。けれどお前が何か云いたかったら云っておれ。さよなら、ありがとうよ。蜂雀、ありがとうよ。」
と云いながら、かばんをそっと取りあげて、その茶いろガラスのかけらの中のようなへやを、しずかに廊下ろうかへ出たのです。そして俄かにあんまりの明るさと、あの兄妹のかあいそうなのとに、眼がチクチクッと痛み、なみだがぼろぼろこぼれたのです。
 私のまだまるで小さかったときのことです。

底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社
   1989(平成元)年6月15日発行
   1994(平成6)年6月5日13刷
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年3月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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