先づ野蒜のびるを取つてたべた。これは此處に越して來た時から見つけておいたもので、丁度季節なので三月の初め掘つて見た。少し過ぎる位ゐ肥えてゐた。元來此處の地所は昨年の春までは桃畑であつた。百姓たちが桃畑の草をとつて畑つゞきの松林の蔭に捨て、毎年捨てられた草が腐つて所謂腐草土となり、その腐草土の下にこの野蒜は生えてゐたのである。しかも無數に生えてゐる。ざつとでて、酢味噌でたべる。いかにも春の初めらしい匂ひと苦味とをもつた、風味あるものである。
 神武天皇だかの御歌の中に『野蒜つみに芹つみに……』といふ句のあるのがあるが、わたしは郷里で幼い時よくこの野蒜つみ芹つみをやつた。野蒜は田圃の畦にあり、芹は水氣をもつた田中の土に生えてゐた。どうしたものかこの野蒜つみはわたしのすぐ上の脚の不自由な姉と關係して考へ出される。多分一二度も一緒に行つたことがあつたのであらう。それでも水田のくろを這ふ樣にして摘んで歩く彼女の姿を端なくも見出でた記憶が殘つてゐるのかも知れぬ。
 つぎに嫁菜をよく摘んだ。これは寧ろ細君の方が先に見つけそして彼女の好みで摘んだものである。家の東は桃畑、北は桑畑となつてゐるが、二三人の百姓しか通らぬ桃畑の畔にも桑畑の畔にもいつぱいに生えて居る。はうれん草にも飽く頃で、一二度はおいしいものである。
 たんぽゝの根は、牛蒡ごばうの樣に、きんぴらにしてたべる。柔かだつたら牛蒡と違つた味をもつてゐてうまい。東京にゐた時、まだ學生の時分、戸山ケ原で掘つて歸つて下宿の内儀を困らせたことがある。稀に八百屋の店さきでも見かけたことがあつた。此處では誰も見返りもしない。
 家の東と北は畑で、西と南は庭さきから直ぐ大きな松林となつてゐる。所謂沼津の千本松原の續きで、ツイ先頃までは帝室御料林であつたが、今は縣が拂下げてしまつた。二三町三四町の廣さで、海岸ぞひに四里近い長さを持つた松原である。この松原の他と違つてゐるのはその下草に種々の雜木が繁茂してゐる事である。松は多く二抱へ三抱への大きさで聳え立ち、その枝や幹の下蔭に實にいろいろな木が茂つてゐるのである。で、海岸の松原とはいふものゝ、中に入つてしまへばいかにも奧深い森林らしい感じがする。その雜木のなかにわたしは※(「木+怱」、第3水準1-85-87)たらを見付けて喜んだ。
 ※(「木+怱」、第3水準1-85-87)たらの芽はうまい。これも季節の味で、その頃になれば自づと思ひ出さるゝ。そしてなか/\手に入らぬものゝ一つである。この木は竿の樣な幹で、幹にとげを持つて居る。そして芽は幹の尖端に生ずる。枝を持つたのもあるが、先づ幹だけの一本立が多い。何しろとげだらけの幹をたわめて摘むので、なかなか骨が折れる。そしてその芽のやゝ伸びて葉の形をなしたものには裏にも表にもまたとげを生じて居る。この木が不思議とこの松原の中に多いのだ。庭さきから林に入つて行けば早や四五本のそれを見るのである。晩酌の前に一寸出かけて摘んで來ることが出來る。但し、番人に見つかればこれは叱られるに相違ない。
 ※(「木+怱」、第3水準1-85-87)を探しつゝくさぎの芽をも見付けた。臭木と書くのであらうとおもふが、この木はその葉も枝も臭い。たゞ、若芽のころ摘んでづればそのくさみは拔け、齒ざはりのいゝあへものとなるのである。
 ともに味噌あへにするのであるが、※(「木+怱」、第3水準1-85-87)には少し酢を落すもよい。※(「木+怱」、第3水準1-85-87)の芽の極く若い大きいのだと、紙に包んで水に濕めし、それを熱灰の中に入れてむし燒にするのが一等うまい。獨活うどの野生の若いのをもまたさうしてたべる。これは然し、ほんの一つか二つ、初物として見出でた時に用ゐらるゝ料理法でもある。つまり非常に珍重してたぶるいひである。
 二階などからはわたしの庭とも眺められるその松原にはまた無數の茱萸ぐみの木が繁つてゐる。それこそ丈低い林をなしてゐる所がある。苗代ぐみもあれば秋茱萸もある。苗代茱萸は今が丁度熟れどきである。昨日の朝、濱に出て地曳を見てゐた。そして一緒に網のあがるのを待つてゐた二人の娘がいつか見えなくなつた。程なく歸つて來た彼等はわれ先にと『阿父さん、手をお出しなさい』といふ。見れば二人とも袂にいつぱい赤い小さな粒々の實を摘みためてゐるのであつた。
 松原で咲く花のうち、最も早く咲いた木苺の花は既に散つて、こまかな毛を帶びたその青い實が見えて來た。そして森なかの常磐木にからんで枝垂れてゐる通蔓草あけびの花がいま盛りである。桃畑であつた時のまゝに置いてある家の垣根にもこの蔓草はいつぱいにからんでゐる。(四月十九日)

底本:「若山牧水全集第八巻」雄鶏社
   1958(昭和33)年9月30日初版1刷
入力:柴武志
校正:小林繁雄
2001年2月3日公開
2004年8月30日修正
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