あらすじ
「海潮音」は、上田敏が訳した西洋詩集です。様々な詩人が、人生、自然、死といった普遍的なテーマを、個性的な表現で歌っています。幻想的な情景描写や、心に響く言葉の数々、そして象徴的な表現が、読者の想像力を掻き立て、深遠な世界へと誘います。
目次
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  遙に満洲なる森鴎外氏に此の書を献ず


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大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりて
あまぐもとなる、あまぐもとなる。
               獅子舞歌


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 巻中収むる処の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亜イタリアに三人、英吉利イギリスに四人、独逸ドイツに七人、プロヴァンスに一人、しかして仏蘭西フランスには十四人の多きに達し、さきの高踏派と今の象徴派とに属する者その大部を占む。
 高踏派の壮麗体を訳すに当りて、多く所謂いはゆる七五調を基としたる詩形を用ゐ、象徴派の幽婉ゆうえん体をほんするに多少の変格をあへてしたるは、そのおのおのの原調に適合せしめむがためなり。
 詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意にあらず、これ或は山岳と共にふるきものならむ。然れどもこれを作詩の中心とし本義としてことさらに標榜ひようぼうする処あるは、けだし二十年来の仏蘭西新詩を以て嚆矢こうしとす。近代の仏詩は高踏派の名篇において発展の極に達し、彫心鏤骨るこつの技巧実に燦爛さんらんの美をほしいままにす、今ここに一転機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、ヴェルレエヌの名家これに観る処ありて、清新の機運を促成し、つひに象徴を唱へ、自由詩形を説けり。訳者は今の日本詩壇にむかひて、もつぱらこれにのつとれと云ふ者にあらず、素性の然らしむる処か、訳者の同情はむしろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。然れども又いたづらに晦渋かいじゆうと奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳きしようの新声、今人胸奥の絃に触るるにあらずや。坦々たる古道の尽くるあたり、荊棘けいきよく路をふさぎたる原野にむかひて、これが開拓を勤むる勇猛の徒をけなす者はきようらずむば惰なり。
 訳者かつて十年の昔、白耳義ベルギー文学を紹介し、やや後れて、仏蘭西詩壇の新声、特にヴェルレエヌ、ヴェルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時、如上うへのごとき文人の作なほいまだ西欧の評壇に於ても今日の声誉せいよを博する事あたはざりしが、爾来じらい世運の転移と共に清新の詩文を解する者、やうやく数を増し勢を加へ、マアテルリンクの如きは、全欧思想界の一方にを称するに至れり。人心観想の黙移実に驚くべきかな。近体新声の耳目にならはざるを以て、倉皇視聴をおほはむとする人々よ、詩天の星の宿はのぼりぬ、心せよ。
 日本詩壇に於ける象徴詩の伝来、日なほ浅く、作未だ多からざるに当て、すでに早く評壇の一隅に囁々しようしようの語をす者ありと聞く。象徴派の詩人を目して徒らに神経の鋭きにおごる者なりと非議する評家よ、卿等けいらの神経こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや。未だ新声の美を味ひ功を収めざるにさきだちて、早くその弊竇へいとう戦慄せんりつするものは誰ぞ。
 欧洲の評壇また今に保守の論を唱ふる者無きにあらず。仏蘭西のブリュンチエル等の如きこれなり。訳者は芸術に対する態度と趣味とに於て、この偏想家とすこぶる説を異にしたれば、その云ふ処に一々首肯する能はざれど、仏蘭西詩壇一部の極端派を制馭せいぎよする消極の評論としては、やや耳を傾くきもの無しとせざるなり。而してヤスナヤ・ポリヤナの老伯が近代文明呪詛じゆその声として、その一端をかの「芸術論」にあらはしたるに至りては、全く賛同の意を呈する能はざるなり。トルストイ伯の人格は訳者の欽仰きんぎようかざる者なりといへども、その人生観に就ては、根本に於て既に訳者と見を異にす。そもそも伯が芸術論はかの世界観の一片に過ぎず。近代新声の評隲ひようしつに就て、非常なる見解の相違あるもとより怪む可きにあらず。日本の評家等が僅に「芸術論」の一部を抽読ちゆうどくして、象徴派の貶斥へんせきに一大声援を得たる如き心地あるは、ごうも清新体の詩人に打撃を与ふる能はざるのみか、かへつて老伯の議論を誤解したる者なりとふ可し。人生観の根本問題に於て、伯と説を異にしながら、その論理上必須の結果たる芸術観のみに就て賛意を表さむと試むるも難いかな。
 象徴の用は、これが助をりて詩人の観想に類似したる一の心状を読者に与ふるに在りて、必らずしも同一の概念を伝へむとつとむるに非ず。されば静に象徴詩を味ふ者は、自己の感興に応じて、詩人も未だ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞がんしようし得可し。故に一篇の詩に対する解釈は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。例へば本書一〇二頁「さぎの歌」を誦するにあたりて読者は種々の解釈を試むべき自由を有す。この詩を広く人生にして解せむか、いはく、凡俗の大衆は眼低し。法利賽パリサイの徒と共に虚偽の生を営みて、醜辱汚穢おわいの沼に網うつ、名や財や、はた楽欲ぎようよくあさらむとすなり。唯、縹緲ひようびようたる理想の白鷺は羽風おもむろ羽撃はばたきて、久方の天に飛び、影は落ちて、骨蓬かうほねの白く清らにも漂ふ水の面に映りぬ。これを捉へむとしてえせず、この世のものならざればなりと。されどこれ只一の解釈たるに過ぎず、或は意を狭くして詩に一身の運を寄するも可ならむ。肉体の欲に※(「厭/(餮−殄)」、第4水準2-92-73)きて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縦生活の悲愁ここにたたへられ、或は空想の泡沫ほうまつに帰するを哀みて、真理の捉へ難きにあこがるる哲人の愁思もほのめかさる。而してこの詩の喚起する心状に至りては皆相似たり。一二五頁「花冠」は詩人が黄昏たそがれの途上にたたずみて、「活動」、「楽欲」、「驕慢きようまん」のくにに漂遊して、今や帰りきたれる幾多の「想」と相語るに擬したり。彼等黙然として頭れ、もたらす処只幻惑の悲音のみ。ひとりこれ等の姉妹と道を異にしたるか、終に帰り来らざる「理想」は法苑林ほうおんりんの樹間に「愛」と相むつみ語らふならむといふに在りて、冷艶れいえん素香の美、今の仏詩壇に冠たる詩なり。
 訳述の法に就ては訳者自ら語るを好まず。只訳詩の覚悟に関して、ロセッティが伊太利古詩翻訳の序に述べたると同一の見を持したりと告白す。異邦の詩文の美を移植せむとする者は、既に成語に富みたる自国詩文の技巧の為め、清新の趣味を犠牲にする事あるべからず。しかもかの所謂逐語訳は必らずしも忠実訳にあらず。されば「東行西行雲眇眇びようびよう。二月三月日遅遅」を「とざまにゆき、かうざまに、くもはるばる。きさらぎ、やよひ、ひうらうら」とみ給ひけむ神託もさることながら、大江朝綱おおえのあさつなが二条の家に物張の尼が「月によつて長安百尺の楼に上る」と詠じたる例に従ひたる処多し。

  明治三十八年初秋
上田敏
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海潮音



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弥生やよひついたち、はつつばめ
海のあなたの静けき国の
便たよりもてきぬ、うれしきふみを。
春のはつ花、にほひをむる。
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染分縞そめわけじま
春の心の舞姿。

弥生来にけり、如月きさらぎ
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠りす毛衣けごろも脱ぎすてて、
綾子りんず羽ぶたへ今様いまように、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるゝ枝の森わけて、
舞ひつ、歌ひつ、足速あしばや
恋慕の人ぞむれ遊ぶ。
岡に摘む花、すみれぐさ、
草は香りぬ、君ゆゑに、
素足の「春」の君ゆゑに。

けふは野山も新妻にひづまの姿に通ひ、
わだつみの波は輝く阿古屋珠あこやだま
あれ、藪陰やぶかげ黒鶫くろつぐみ
あれ、なかそら揚雲雀あげひばり
つれなき風は吹きすぎて、
旧巣ふるすくはへて飛び去りぬ。
あゝ、南国のぬれつばめ、
尾羽をば矢羽根やばねよ、鳴くつる
「春」のひくおと「春」の手の。

あゝ、よろこびの美鳥うまどりよ、
黒と白との水干すいかんに、
舞の足どり教へよと、
しばし招がむ、つばくらめ。
たぐひもあらぬ麗人れいじん
イソルダ姫の物語、
飾りゑがけるこの殿との
しばしはあれよ、つばくらめ。
かづけの花環こゝにあり、
ひとやにはあらぬ花籠を
給ふあえかの姫君は、
フランチェスカの前ならで、
まことは「春」のめがみ大神おほがみ
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われはきく、よもすがら、わが胸の上に、君眠る時、
吾は聴く、夜の静寂しづけきに、したたりの落つるをはた、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶間たえまなく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。
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「夏」のみかどの「真昼時まひるどき」は、大野おほのが原に広ごりて、
白銀色しろがねいろ布引ぬのびきに、青天あをぞらくだし天降あもりしぬ。
じやくたるよもの光景けしきかな。耀く虚空こくう、風絶えて、
ほのほのころも、まとひたるつち熟睡うまい静心しづごころ

眼路めぢ眇茫びようぼうとしてきはみ無く、樹蔭こかげも見えぬ大野らや、
まきけものの水かひ、泉はれて音も無し。
野末遙けき森陰は、すそさかひすぢ黒み、
不動の姿夢重く、寂寞じやくまくとして眠りたり。

唯熟したる麦の田は黄金海おうごんかいつらなりて、
かぎりも波の揺蕩たゆたひに、眠るもおぞあざみがほ、
聖なるつちの安らけき児等こらの姿を見よやとて、
おそはばかるけしき無く、日のさかづきみ干しぬ。

また、邂逅わくらばに吐息なす心の熱の穂に出でゝ、
囁声つぶやきごゑのそこはかと、鬚長頴ひげながかひの胸のうへ、
覚めたる波の揺動ゆさぶりや、うねりもあてにおほどかに
起きてまた伏す行末はすなたち迷ふ雲のはて。

程遠からぬ青草の牧に伏したる白牛はくぎゆうが、
肉置ししおき厚き喉袋のどぶくろよだれらすものうげさ、
たへ気高けだか眼差まなざしも、世の煩累わづらひみしごと、
つひに見果てぬ内心の夢のちまたに迷ふらむ。

人よ、いましの心中を、喜怒哀楽に乱されて、
光明道こうみようどう此原このはら真昼まひるひとり過ぎゆかば、
※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)がれよ、こゝに万物は、べてうつろぞ、日はかむ。
ものみな、こゝに命無く、よろこびも無し、はた憂無し。

されどなんだ笑声しようせいまどひを脱し、万象ばんしよう
流転るてんそうぼうぜむと、心のかわきいとせちに、
現身うつそみの世をゆるしえず、はたのろひえぬ観念の
まなこ放ちて、幽遠の大歓楽を念じなば、

来れ、此地の天日てんじつにこよなきのりの言葉あり、
親み難き炎上えんじよう無間むげんに沈め、なが思、
かくての後は、濁世の都をさして行くもよし、
物のななたび涅槃ニルヴアナに浸りて澄みし心もて。
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まどかなる滄溟わだのはらなみ巻曲うねり揺蕩たゆたひ
夜天やてんの星の影見えて、小島をじまの群と輝きぬ。
紫摩黄金しまおうごん良夜あたらよは、寂寞じやくまくとしてまた幽に
しきおそれの満ちわたる海と空との原の上。

無辺の天や無量海、そこひも知らぬ深淵しんえん
憂愁の国、寂光土、またたとふべし、※(「火+玄」、第3水準1-87-39)耀郷げんようきよう
墳塋おくつきにして、はた伽藍がらん赫灼かくやくとして幽遠の
大荒原だいこうげん縦横たてよこを、あら、万眼まんがん魚鱗うろくづや。

青空せいくうかくも荘厳に、大水だいすい更に神寂かみさびて
大光明の遍照へんじように、宏大無辺界中こうだいむへんかいちゆうに、
うつらうつらの夢枕、煩悩界ぼんのうかい諸苦患しよくげんも、
こゝに通はぬその夢の限も知らず大いなる。

かゝりし程に、粗膚あらはだ蓬起皮ふくだみがはのしなやかに
うゑにや狂ふ、おどろしき深海底ふかうみぞこのわたりうを
あふさきるさの徘徊もとほりに、身の鬱憂を紛れむと、
南蛮鉄なんばんてつあぎとをぞ、くわつとばかりに開いたる。

もとより無辺天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の、
からすき宿しゆく、みつぼしや、三角星さんかくせい天蝎宮てんかつきゆう
無限にける光芒こうぼうのゆくてに思馳おもひはするなく、
北斗星前ほくとせいぜんよこたはる大熊星だいゆうせいもなにかあらむ。

唯、ひとすぢに、生肉せいにくを噛まむ、砕かむ、かばやと、
常の心は、あけに染み、血の気に欲をたたへつゝ、
影暗うして水重き潮の底の荒原を、
曇れるまなこ、きらめかし、悽惨せいさんとして遅々たりや。

こゝうつろなる無声境むせいきよう、浮べる物や、泳ぐもの、
生きたる物も、死したるも、此空漠くうばく荒野あらぬには、
音信おとづれも無し、影も無し。たゞ水先みづさき小判鮫こばんざめ
真黒まくろひれのひたうへに、沈々として眠るのみ。

行きね妖怪あやかし、なれが身も人間道にんげんどうに異ならず、
醜悪しゆうお獰猛どうもう暴戻ぼうれいのたえて異なるふしも無し。
心安かれ、ふかざめよ、明日あすや食らはむ人間を、
又さはいへど、なれが身も、明日や食はれむ、人間に。

聖なるうゑ正法しようほうの永くつゞける殺生業せつしようごう
かげ深海ふかうみも光明のあまつみそらもけぢめなし。
それ人間も、鱶鮫ふかざめも、残害ざんがいの徒も、餌食ゑじき等も、
見よ、死の神の前にして、二つながらに罪ぞ無き。
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沙漠はたんの色にして、波漫々まんまんたるわだつみの
音しづまりて、日にけて、熟睡うまいの床に伏す如く、
不動のうねり、おほらかに、ゆくらゆくらにつたはらむ、
人住むあたりあかがねの雲、たち籠むる眼路めぢのすゑ。

命も音も絶えて無し。ゑばに飽きたる唐獅子からじしも、
百里の遠き洞窟ほらあなの奥にや今は眠るらむ。
また岩清水ほとばし長沙ちようさなかば、青葉かげ、
ひようも来て飲む椰子森やしりんは、麒麟きりんが常の水かひ場。

大日輪のめぐる気重き虚空こくうむちうつて、
羽掻はがきの音の声高き一鳥いつちよう遂に飛びも来ず、
たまたま見たり、蟒蛇うはばみの夢も熱きか円寝まろねして、
とぐろの綱を動せば、うろこの光まばゆきを。

一天いつてんれて、そが下に、かゝる炎の野はあれど、
物鬱ものうつとして、寂寥せきりようのきはみを尽すをりしもあれ、
しわだむ象の一群よ、太しき脚の練歩ねりあしに、
うまれの里の野を捨てゝ、大沙原おほすなばらを横に行く。

地平のあたり、一団の褐色くりいろなして、つらなめて、
みれば砂塵を蹴立てつゝ、路無き原を直道ひたみちに、
ゆくてのさきの障碍さまたげを、もどかしとてや、力足ちからあし
蹈鞴たたらしこふむいきほひに、をちの砂山崩れたり。

しるべにたてる年嵩としかさのてだれの象の全身は
「時」が噛みてし、刻みてし老樹の幹のごと、ひわれ
巨巌の如き大頭おほがしら脊骨せぼねの弓の太しきも、
何の苦も無くおのづから、なめらかにこそ動くなれ。

あゆみおそむることもなく、急ぎもせずに、悠然と、
塵にまみれし群象をめあての国に導けば、
すなあぜくろ、穴に穿うがち、続いて歩むともがらは、
雲突く修験山伏すげんやまぶしか、先達せんだつ蹤蹈あとふんでゆく。

耳は扇とかざしたり、鼻は象牙ぞうげはさみたり、
半眼はんがんにして辿たどりゆくその胴腹どうばらの波だちに、
息のほてりや、汗のほけ、けむりとなつて散乱し、
幾千万の昆虫が、うなりてつど餌食ゑじきかな。

饑渇きかつせめや、貪婪たんらん羽虫はむしむれもなにかあらむ、
黒皺皮くろじわがはの満身のはだへをこがす炎暑をや。
かの故里ふるさとをかしまだち、ひとへに夢む、道遠き
眼路めぢのあなたに生ひ茂げる無花果いちじゆくの森、きさくに

また忍ぶかな、高山たかやまの奥より落つる長水ちようすい
巨大の河馬かばうそぶきて、波濤たぎつる河の瀬を、
あるは月夜げつやの清光にしろみしからだ、うちのばし、
水かふ岸の葦蘆よしあしみ砕きてや、りたつを。

かゝる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
きはみも知らぬをちのすゑ、黒線くろすぢとほくかすれゆけば、
大沙原おほすなはらは今さらに不動のけはひ、神寂かみさびぬ。
身動みじろぎうと旅人たびうどの雲のはたてに消ゆる時。

ルコント・ドゥ・リイルの出づるや、哲学にもとづける厭世えんせい観は仏蘭西フランスの詩文に致死の棺衣たれぎぬを投げたり。前人の詩、多くは一時の感慨をもらし、単純なる悲哀の想を鼓吹するにとどまりしかど、この詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統をて、芸術の荘厳を帯ぶ。評家久しく彼を目するに高踏派の盟主を以てす。すなはち格調定かならぬドゥ・ミュッセエ、ラマルティイヌの後にで、始て詩神の雲髪をつかみて、これに峻厳しゆんげんなる詩法の金櫛きんしつを加へたるが故也。彼常に「不感無覚」を以て称せらる。世人ややもすれば、この語を誤解していはく、高踏一派の徒、あまんじて感情を犠牲とす。これ既に芸術の第一義を没却したるものなり。或は恐る、つひに述作無きに至らむをと。あらず、あらず、この暫々しばしば濫用せらるる「不感無覚」の語義を芸文の上より解する時は、単に近世派の態度を示したるに過ぎざるなり。常に宇宙の深遠なる悲愁、神秘なる歓楽を覚ゆるものから、当代の愚かしき歌物語が、野卑陳套やひちんとうの曲を反復して、たとへば情痴の涙に重き百葉の軽舟、今、芸苑の河流を閉塞へいそくするを敬せざるのみ。尋常世態の瑣事さじいづくんぞよく高踏派の詩人を動さむ。されどこれを倫理の方面より観むか、人生に対するこの派の態度、これより学ばむとする教訓はこの一言に現はる。曰く哀楽は感ず可く、歌ふ可し、然も人は斯多阿ストア学徒の心を以て忍ばざる可からずと。かのひたひつき、物思はしげに、長髪わざとらしき詩人等もこの語には辟易へきえきせしも多かり。さればこの人は芸文に劃然かくぜんたる一新機軸を出しし者にして同代の何人よりも、その詩、哲理に富み、譬喩ひゆの趣を加ふ。「カイン」「サタン」の詩二つながら人界の災殃さいおうし、「イパティイ」は古代衰亡の頽唐美たいとうび、「シリル」は新しき信仰を歌へり。ユウゴオが壮大なる史景をえいじて、台閣の風ある雄健の筆を振ひ、史乗逸話の上に叙情詩めいたる豊麗を与へたると並びて、ルコント・ドゥ・リイルは、伝説に、史蹟に、内部の精神を求めぬ。かの伝奇の老大家は歴史の上に燦爛さんらんたる紫雲をき、この憂愁の達人はその実体を闡明せんめいす。
      *
読者の眼頭に彷彿ほうふつとして展開するものは、豪壮悲惨なる北欧思想、明暢めいちよう清朗なる希臘ギリシヤ田野の夢、または銀光の朧々ろうろうたること、その聖十字架を思はしむる基督キリスト教法の冥想、特に印度インド大幻夢涅槃ねはんの妙説なりけり。
      *
黒檀こくたんの森茂げきこの世のはての老国より来て、彼は長久の座を吾等のかたはらに占めつ、教へて曰く『寂滅為楽』。
      *
幾度と無く繰返したる大智識の教話によりて、悲哀は分類結晶して、すこぶる静寧の姿を得たるも、なほ、をりふしは憤怒の激発に迅雷の轟然ごうぜんたるを聞く。ここに於てか電火ひらめき、万雷はためき、人類に対する痛罵つうばあたか薬綫やくせんの爆発する如く、所謂いはゆる「不感無覚」の墻壁しようへきを破りをはんぬ。
      *
自家の理論を詩文に発表して、シォペンハウエルの弁証したる仏法の教理を開陳したるは、この詩人の特色ならむ。儕輩さいはいの詩人皆多少憂愁の思想をそなへたれど、厭世観の理義彼に於ける如く整然たるはまれなり。衆人いたづらに虚無を讃す。彼は明かにその事実なるを示せり。その詩は智の詩なり。然も詩趣ゆたかにして、そぞろにペラスゴイ、キュクロプスの城址じようしを忍ばしむる堅牢けんろうの石壁は、かの繊弱の律に歌はれ、往々俗謡に傾ける当代伝奇の宮殿をくだかむとすなり。
エミイル・ヴェルハアレン
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波の底にも照る日影、神寂かみさびにたるあけぼの
照しの光、亜比西尼亜アビシニア、珊瑚の森にほの紅く、
ぬれにぞぬれし深海ふかうみたにくまの奥に透入すきいれば、
輝きにほふ虫のから、命にみつるたまの華。

沃度ヨウドに、塩にさづらふ海の宝のもろもろは
濡髪ぬれがみ長き海藻かいそうや、珊瑚、海胆うにこけまでも、
臙脂えんじむらさきあかあかと、華奢かしやのきはみの絵模様に、
薄色ねびしみどり石、むしばむ底ぞおほひたる。

こけの光のきらめきに白琺瑯はくほうろうを曇らせて、
枝より枝を横ざまに、何をたづぬる一大魚いちだいぎよ
透入すきいる水かげにものうげなりや、もとほりぬ。

忽ち紅火こうかひるがへる思の色のひれふるひ、
あゐたたへし静寂のかげ、ほのぐらき清海波せいがいは
みづりうごく揺曳ようえい黄金おうごん、真珠、青玉せいぎよくの色。
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さゝらがた錦を張るも、荒妙あらたへ白布しらぬの敷くも、
悲しさは墳塋おくつきのごと、楽しさは巣の如しとも、
人生れ、人いの眠り、つま恋ふるべてこゝなり、
をさなも、おいわかきも、さをとめも、妻も、夫も。

葬事はふりごと、まぐはひほがひ、烏羽玉うばたま黒十字架くろじゆうじか
きよき水はふり散らすも、祝福の枝をかざすも、
皆こゝに物は始まり、皆こゝに事は終らむ、
産屋うぶや洩る初日影より、臨終のそくの火までも、

あまさかひな伏屋ふせやも、百敷ももしき大宮内おほみやうちも、
紫摩金しまごんはえを尽して、あけしゆほこり飾るも、
鈍色にびいろかしのつくりや、かへでの木、杉の床にも。

ひとり、かのおそれも悔も無く眠る人こそ善けれ、
みおやらの生れし床に、みおやらのうせにし床に、
物古りし親のゆづりの大床おほどこに足を延ばして。
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高山たかやま鳥栖巣とぐらすだちし兄鷹しようのごと、
身こそたゆまね、憂愁に思はうんじ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄誥をたけぶ夢ぞたくましき、あはれ、丈夫ますらを

チパンゴに在りと伝ふる鉱山かなやま
紫摩黄金しまおうごんやわが物と遠く、求むる
船の帆もわりにけりな、時津風ときつかぜ
西の世界の不思議なる遠荒磯とほつありそに。

ゆふべゆふべは壮大のあしたを夢み、
しらぬ火や、熱帯海ねつたいかいのかぢまくら、
こがねまぼろし通ふらむ。またある時は

白妙の帆船のさき、たゝずみて、
振放ふりさけみれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼海わだつみの底よりのぼる、けふも新星にひぼし
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夢のうちに、農人のうにんいはく、ながかてをみづから作れ、
けふよりは、なを養はじ、土をり種をけよと。
機織はたおりはわれに語りぬ、ながきぬをみづから織れと。
石造いしつくりわれに語りぬ、いざこてをみづかられと。

かくてひとり人間の群やらはれて解くに由なき
この咒詛のろひ、身にひきまとふ苦しさに、みそら仰ぎて、
いと深き憐愍あはれみ垂れさせ給へよと、いのりをろがむ
眼前まのあたり、ゆくての途のたゞなかを獅子はふたぎぬ。

ほのぼのとあけゆく光、疑ひてまなこひらけば、
雄々しかる田つくり男、梯立はしだてに口笛鳴らし、
※(「糸+曾」、第3水準1-90-21)はたもの※(「足へん+搨のつくり」、第4水準2-89-44)ふみきもとゞろ、小山田にたねぞ蒔きたる。

世のさちを今はたりぬ、人の住むこの現世うつしよに、
誰かまた思ひあがりて、同胞はらからしのぎえせむや。
其日より吾はなべての世の人を愛しそめけり。
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波路遙けき徒然つれづれ慰草なぐさめぐさ船人ふなびとは、
八重の潮路の海鳥うみどりの沖の太夫たゆう生檎いけどりぬ、
かぢの枕のよき友よ心のどけき飛鳥ひちようかな、
おきつ潮騒しほざゐすべりゆくふなばた近くむれつどふ。

たゞ甲板こうはんに据ゑぬればげにや笑止しようしきはみなる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、つたなくも、
あはれ、真白き双翼そうよくは、たゞいたづらに広ごりて、
今は身のあだようも無き二つのかいと曳きぬらむ。

あま飛ぶ鳥も、くだりては、やつれ醜き瘠姿やせすがた
昨日きのふの羽根のたかぶりも、今はたおぞに痛はしく、
煙管きせるはしをつゝかれて、心無こころなしには嘲けられ、
しどろの足をねされて、飛行ひぎようの空にあこがるゝ。

雲居の君のこのさまよ、世の歌人うたびとに似たらずや、
暴風雨あらしを笑ひ、風しの猟男さつをの弓をあざみしも、
つち下界げかいにやらはれて、勢子せこの叫に煩へば、
太しきそうの羽根さへも起居たちゐさまたぐ足まとひ。
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時こそ今は水枝みづえさす、こぬれに花のふるふころ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れみたる眩暈くるめきよ。

花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
きずに悩める胸もどき、ヴィオロンがく清掻すががきや、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈くるめきよ、
神輿みこしの台をさながらの雲悲みてえんだちぬ。

きずに悩める胸もどき、ヴィオロンがく清掻すががきや、
闇の涅槃ねはんに、痛ましく悩まされたる優心やさごころ
神輿みこしの台をさながらの雲悲みてえんだちぬ、
日や落入りておぼるゝは、こごるゆふべの血潮雲ちしほぐも

闇の涅槃ねはんに、痛ましく悩まされたる優心やさごころ
光の過去のあとかたをめて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、こごるゆふべの血潮雲、
君が名残なごりのたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒せいたいごう
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悲しくもまたあはれなり、冬の夜の地炉ゐろりもとに、
燃えあがり、燃え尽きにたる柴の火に耳傾けて、
夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、
過ぎし日のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。

喉太のどぶと古鐘ふるがねきけば、その身こそうらやましけれ。
おいらくのとしにもめげず、すこやかに、まめなる声の、
何時いつもいつも、梵音ぼんのんたへに深くして、おほどかなるは、
陣営の歩哨ほしようにたてる老兵の姿に似たり。

そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごこちに、
寒空さむぞらよるに響けと、いとせめて、鳴りよそふとも、
覚束おぼつかな、にこそたてれ、弱声よわごゑ細音ほそねも哀れ、

哀れなる臨終いまはこゑは、血の波の湖の岸、
小山なすかばねもとに、身動みじろぎもえならでする、
棄てられし負傷ておひの兵の息絶ゆるつひ呻吟うめきか。
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こゝろ自由ままなる人間は、とはにづらむ大海を。
海こそ人の鏡なれ。なだ大波おほなみはてしなく、
水やそらなるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ深海ふかうみの潮の苦味にがみも世といづれ。

さればぞ人は身をうつす鏡の胸に飛びりて、
まなこに抱き腕にいだき、またある時は村肝むらぎも
心もともに、はためきて、潮騒しほざゐ高く湧くならむ、
寄せてはかへす波のおとの、物狂ほしき歎息なげかひに。

海もいましもひとしなみ、不思議をつゝむ陰なりや。
人よ、いまし心中しんちゆうの深淵さぐりしものやある。
海よ、いまし水底みなぞこの富を数へしものやある。
かくもねたげに秘事ひめごとのさはにもあるか、海と人。

かくて劫初ごうしよの昔より、かくて無数の歳月を、
慈悲悔恨のゆるみ無く、修羅しゆらたたかひたけなはに、
げにも非命と殺戮さつりくと、なじかは、さまでこのもしき、
ああ、永遠のすまうどよ、噫、怨念おんねんのはらからよ。
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黒葉くろば水松いちゐ木下闇このしたやみ
並んでとまる梟は
昔の神をいきうつし、
赤眼あかめむきだし思案顔。

たいも崩さず、ぢつとして、
なにを思ひに暮がたの
傾く日脚ひあし推しこかす
大凶時おほまがときとなりにけり。

鳥のふりみて達人は
道のさとりや開くらむ、
世に忌々ゆゆしきは煩悩と。

色相界しきそうかい妄執もうしゆう
諸人しよにんのつねのくるしみは
きよやすんぜぬあだ心。

現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の発展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を変じて鬱悶うつもんと改めしのみと、しかも再考してつひにその全く変質したるをさとらむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ちこれを詩章の竜葢帳りようがいちよう中に据ゑて、黒衣聖母の観あらしめ、絢爛けんらんなること絵画のごとき幻想と、整美なること彫塑ちようそに似たる夢思とをほしいままにしてこれに生動の気を与ふ。ここに於てか、あたかもこれ絶美なる獅身女頭獣なり。悲哀を愛するのはなはだしきは、いづれの先人をもしのぎ、常に悲哀の詩趣を讃して、彼は自ら「悲哀の煉金道士」と号せり。
      *
先人の多くは、悩心地定かならぬままに、自然に対する心中の愁訴を、自然その物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。すなは巴里パリ叫喊きようかん地獄の詩人として胸奥の悲を述べ、人にそむき世に抗する数奇の放浪児が為に、大声を仮したり。その心、夜に似て暗憺あんたん、いひしらず汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐あいりん悔恨の凄光せいこうを放つが如きもの無きにしもあらず。
エミイル・ヴェルハアレン
ボドレエル氏よ、君は芸術の天にたぐひなき凄惨の光を与へぬ。即ち未だかつてなき一の戦慄せんりつを創成したり。
ヴィクトル・ユウゴオ
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主はむべきかな無明むみようの闇や、にくみ多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に与へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗子いぬのやうに従ひてむ。

生贄いけにへの羊、その母のあと、従ひつつ、
何の苦もなくて、牧草をみ、身にひたる
羊毛のほかに、そのとき来ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ。

また魚とならば、御子みこ頭字かしらじかたどりもし、
驢馬ろばともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉よりはらひ給ひしゐのこを見いづ。

げにすゑつ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
素直すなほにも忍辱にんにくの道守るならむ。
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常によく見る夢ながら、やし、なつかし、身にぞ染む。
曾ても知らぬひとなれど、思はれ、思ふかのひとよ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、ことなりて、
また異らぬおもひびと、わが心根こころねや悟りてし。

わが心根を悟りてしかのひとの眼に胸のうち、
ああ彼女かのひとにのみ内証ないしようの秘めたる事ぞなかりける。
蒼ざめ顔のわがひたひ、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむすべあるは、玉の涙のかのひとよ。

栗色髪のひとなるか、赤髪あかげのひとか、金髪か、
名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音ほそねのうまし名は、
うつせみの世をく去りし昔の人の呼名よびなかと。

つくづく見入る眼差まなざしは、たくみりし像の眼か、
澄みて、離れて、落居おちゐたる其音声おんじようすずしさに、
無言むごんの声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。
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秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

仏蘭西フランスの詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形をそなへ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきをとらへむとす。
訳者
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革衣かはごろもまとへる児等こら引具ひきぐして
髪おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインはさかり迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに愁然しゆうねんと、
大原おほはらの山のふもとにたどりつきぬ。
妻はみ児等も疲れて諸声もろごゑに、
つちに伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山陰やまかげにカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉うばたま暗夜やみよの空を仰ぎみれば、
広大の天眼てんがんくわつと、かしこくも、
物陰の奥より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつつ、
みし妻、眠れる児等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らにのがれゆく。
かゝなべて、日には三十日みそかは、三十夜みそよ
色変へて、風のおとにもをのゝきぬ。
やらはれの、伏眼ふしめの旅は果もなし、
眠なくいこひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの国、海のほとり、
荒磯ありそにこそはつきにけれ。「いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ来し、
いざ」と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつも、いつも、天眼てんがんひしとにらみたり。
おそれみに身も世もあらず、をののきて、
「隠せよ」と叫ぶ一声いつせい。児等はただ
たけき親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このむたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髪の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほもまなこにらむ」とカインいふ。
かくを吹き鼓をうちて、のうちを
ゆきめぐる民草たみぐさのおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
あかがねの壁き上げて父の身を、
そがなかに隠しぬれども、如何いかにせむ、
「いつも、いつも眼睨まなこにらむ」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。とりでしろつきあげて、
そのまちを固くもらむ」と、エノクいふ。
鍛冶かぢおやトバルカインは、いそしみて、
宏大の無辺むへん都城とじようを営むに、
同胞はらからは、セツの児等こら、エノスの児等を、
野辺かけて狩暮かりくらしつゝ、ある時は
旅人たびびとまなこをくりて、夕されば
星天せいてん征矢そやを放ちぬ。これよりぞ、
花崗石みかげいしとばりに代り、くろがねを
石にくみ、の形、冥府みようふに似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁建かべたて終り、大城戸おほきど
刻める文字を眺むれば「このうちに
神はゆめ入る可からず」と、ゑりにたり。
さて親は石殿せきでんに住はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
「おほぢ君、眼は消えしや」と、チラの問へば、
「否、そこに今もなほ在り」と、カインいふ。
墳塋おくつきに寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは住はむ。何物も
われを見じ、われまた何をも見じ」と。
さてこゝにあな穿うがてば「よし」といひて、
たゞひとり闇穴道あんけつどうにおりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地下ちげの戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天眼てんがんなほも奥津城おくつきにカインを眺む。

ユウゴオの趣味は典雅ならず、性情奔放にして※(「風にょう+炎」、第4水準2-92-35)きようひよう激浪の如くなれど、温藉静冽おんしやせいれつの気おのづからその詩を貫きたり。対聯たいれん比照に富み、光彩陸離たる形容の文辞を畳用して、燦爛さんらんたる一家の詩風を作りぬ。
訳者
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さても千八百九年、サラゴサの戦、
われ時に軍曹なりき。此日惨憺さんたんを極む。
街既に落ちて、家を囲むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鉄火、窓より降りしきれば、
つくき僧徒の振舞」と
かたみに低くののしりつ。
明方あけがたよりの合戦に
眼は硝煙に血走りて、
舌にはがき紙筒はやごう
噛み切る口の黒くとも、
奮闘の気はいやしに、
勢猛いきほひもうに追ひ迫り、
黒衣長袍こくいちようほうふち広き帽を狙撃そげきす。
狭き小路こうじの行進に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹のにんにしあれば、
精兵従へ推しゆく折りしも、
忽然こつねんとして中天なかぞら赤く、
鉱炉こうろ紅舌こうぜつさながらに、
虐殺せらるゝ婦女の声、
遙かには轟々ごうごうおととよもして、
歩毎に伏屍ふくし累々るいるいたり。
こごんでくゞる軒下を
出でくる時は銃剣の
鮮血淋漓りんりたる兵が、
血紅ちべにに染みし指をもて、
壁に十字を書置くは、
ひそめるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
将校たちは色曇り、
さすが、手練てだれ旧兵ふるつはものも、
落居ぬけはひに、寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。

忽ち、とある曲角きよくかくに、
援兵と呼ぶ仏語の一声、
それ、戦友の危急ぞと、
駆けつけ見れば、きたなしや、
日常ひごろけき勇士等も、
精舎しようじやの段の前面に
たゞ僧兵の二十人、
円頂えんちよう黒鬼こくきに、くひとめらる。
真白の十字胸につけ、
靴無き足の凜々りりしさよ、
血染のかひな巻きあげて、
大十字架にて、うちかゝる。
惨絶、壮絶。それと一斉射撃にて、
やがては掃蕩そうとうしたりしが、
冷然として、残忍に、軍はみたり。
皆心中にやましくて、
とかくに殺戮さつりくしたれども、
醜行すでに為しはり、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれるかばねより
きざはしかけて、べに流れ、
そのうしろ楼門そびゆ、巍然ぎぜんとして鬱たり。

燈明とうみようくらがりに金色こんじきの星ときらめき、
香炉かぐはしく、静寂せいじやくを放ちぬ。
殿上、奥深く、神壇にむかひ、
歌楼かろうのうち、やさけびのおとしらぬ顔、
しめやかに勤行ごんぎよう営む白髪長身の僧。
ああけふもなほおもかげにして浮びこそすれ。
モオル廻廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だたみを照らして、
紅流にけぶりたち、
朧々ろうろうたる低き戸のかまちに、
立つや老僧。
神壇づしのやうに輝き、
唖然あぜんとしてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや当年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或日精舎しようじや奪掠だつりやく
負けじ心の意気張づよく
神壇近き御燈みあかし
煙草つけたる乱行者らんぎようもの
上反鬚うはぞりひげ気負きおひみせ、
一歩も譲らぬ気象のわれも、
たゞ此僧の髪白く白く
神寂かみさびたるにかしこみぬ。

「打て」と士官は号令す。

あつて動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ素振そぶり神々かうがうしく、
聖水大盤たいばんを捧げてふりむく。
ミサ礼拝らいはいなかばに達し、
司僧しそうむき直る祝福の時、
かひなは伸べて鶴翼かくよくのやう、
衆皆しゆうみな一歩たじろきぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙音よどみなく、和讃わさんを咏じて、
帰命頂礼きみようちようらい」の歌、常に異らず、
声もほがらに、
      「全能の神、爾等なんぢらを憐み給ふ。」

またもや、一声あらゝかに
「うて」と士官の号令に
進みいでたる一卒は
隊中有名なうての卑怯者、
銃執じゆうとりなほして発砲す。
老僧、色はあをみしが、
沈勇のまなこ明らかに、
祈りつゞけぬ、
      「父と子と」

続いて更に一発は、
狂気のさたか、血迷ちまよひか、
とかくにごうをはりたり。
僧は隻腕かたうで、壇にもたれ、
いたる手にて祝福し、
黄金盤おうごんばんも重たげに、
虚空こくう恩赦おんしやしるしを切りて、
音声おんじようこそはかすかなれ、
げきたる堂上とほりよく、
瞑目めいもくのうち述ぶるやう、
      「聖霊と。」

かくてたふれぬ、礼拝らいはいの事了りて。

ばんは三度び、床上しようじように跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に鬼胎おそれをかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。

聊爾りようじなりや「アアメン」と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。
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ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。
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山のあなたの空遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
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森は今、花さきみだれ
えんなりや、五月さつきたちける。
神よ、擁護おうごをたれたまへ、
あまりにさちのおほければ。

やがてぞ花は散りしぼみ、
えんなる時も過ぎにける。
神よ擁護おうごをたれたまへ、
あまりにつらきとがそ。
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けふつくづくと眺むれば、
かなしみ色口いろくちにあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。

秋風あきかぜわたる青木立あをこだち
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。
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ふたりを「時」がさきしより、
昼は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。

されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。
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子守歌風に浮びて、
暖かに日は照りわたり、
田の麦は足穂たりほうなだれ、
いばらには紅き熟し、
野面のもせには木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。
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たへに清らの、あゝ、わがよ、
つくづくみれば、そゞろ、あはれ、
かしらや撫でゝ、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。

ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり。原の意をみて余さじと、つとめ、はた又、句読停音すべて楽譜の示すところに従ひぬ。
訳者
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おそるゝか死を。――のどふたぎ、
 おもわに狭霧さぎり
深雪みゆき降り、木枯荒れて、るくなりぬ、
 すゑの近さも。
よる稜威みいづ暴風あらし襲来おそひ、恐ろしき
 敵のたむろに、
現身うつそみの「大畏怖だいいふ」立てり。しかすがに
 たけき人は行かざらめやも。
それ、旅は果て、峯は尽きて、
 障礙しようげれぬ、
唯、すゑのほまれむくいえむとせば、
 なほひといくさ
たたかひは日ごろのこのみ、いざさらば、
 をはりはれの勝負せむ。
なまじひにまなこふたぎて、るされて、
 ひ行くはし、
のこりなくあぢはひて、かれも人なる
 いにしへの猛者もさたちのやう、
矢表やおもてに立ち楽世うましよ寒冷さむさ苦痛くるしみ暗黒くらやみ
 みつぎのあまり捧げてむ。
そも勇者には、忽然こつねんわざはひふくに転ずべく
 やみは終らむ。
四大したいのあらび、忌々ゆゆしかる羅刹らせつ怒号どごう
 ほそりゆき、まじりけち
変化へんげして苦もらくとならむとやすらむ。
 そのとき光明こうみよう、その時御胸みむね
あはれ、心の心とや、いだきしめてむ。
 そのほかは神のまにまに。
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こけむしろ、飢ゑたる岸も
  春来れば、
つと走る光、そらいろ、
  すみれ咲く。

村雲のしがむみそらも、
  こゝかしこ、
やれやれて影はさやけし、
  ひとつ星。

うつし世の命をはぢ
  めぐらせど、
こぼれいづる神のゑまひか、
  君がおも。
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嗚呼ああ物古ものふりし鳶色とびいろの「」の微笑ほほゑみおほきやかに、
親しくもあるか、今朝けさの秋、偃曝ひなたぼこり其骨そのほね
のばよこたへ、膝節ひざぶしも、足も、つきいでて、さざなみ
よろこび勇み、小躍こをどりに越ゆるがまゝにたりつゝ、
さてそばたつる耳もとの、さゞれのとこ海雲雀うみひばり
和毛にこげの胸の白妙しろたへてんずる声のあはれなる。

この教こそかんながらるきまことの道と知れ。
おきなびし「」の知りてむ世のこころみぞかやうなる。
愛を捧げて価値ねうちあるものゝみをこそ愛しなば、
愛はまつたき益にして、必らずや、身の利とならむ。
おもひの痛み、苦みにいやしきこゝろ清めたる
なれ自らを地に捧げ、むくひは高きそらに求めよ。
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時は春、
日はあした
あしたは七時、
片岡かたをかに露みちて、
揚雲雀あげひばりなのりいで、
蝸牛かたつむりえだひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
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蜜蜂のふくろにみてる一歳ひととせにほひも、花も、
宝玉の底に光れる鉱山かなやまの富も、不思議も、
阿古屋貝あこやがひうつかくせるわだつみの陰も、光も、
にほひ、花、陰、光、富、不思議及ぶべしやは、
   ぎよくよりも輝くまこと
   たまよりも澄みたる信義、
天地あめつちにこよなきまこと、澄みわたるいちの信義は
   をとめごの清きくちづけ。

ブラウニングの楽天説は、既に二十歳の作「ポオリイン」にあらはれ、「ピパ」の歌、「神、そらにしろしめす、すべて世は事も無し」といふ句に綜合そうごうせられたれど、一生の述作皆人間終極の幸福を予言する点において一致し「アソランドオ」絶筆の結句に至るまで、彼は有神論、霊魂不滅説に信を失はざりき。この詩人の宗教は基督キリスト教を元としたる「愛」の信仰にして、尋常宗門の繩墨じようぼくを脱し、教外の諸法に対しては極めて宏量なる態度を持せり。神を信じ、その愛とその力とを信じ、これを信仰の基として、人間恩愛の神聖を認め、精進の理想をもうなりとせず、芸術科学の大法を疑はず、又人心に善悪の奮闘争鬩そうげきあるを、却て進歩の動機なりと思惟しいせり。しかしてあらゆる宗教の教義にはおもきかず、ただ基督の出現を以て説明すべからざる一の神秘となせるのみ。いはく、宗教にして、し、万世不易ふえきの形を取り、万人の為め、あらかじめ、劃然かくぜんとしてそなへられたらむには、精神界の進歩は直に止りて、いとふべき凝滞はやがてきたらむ。人間の信仰は定かならぬこそをかしけれ、教法に完了といふ義あるからずと。されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの、「聖十字架祭」の如きあり。ことに晩年に※(「藩」の「番」に代えて「位」、第3水準1-91-13)のぞみて、教法の形式、制限を脱却することますます著るしく、全人類にわたれる博愛同情の精神いよいよ盛なりしかど、一生の確信は終始ごうかはること無かりき。人心のあこがれ向ふ高大の理想は神の愛なりといふ中心思想を基として、幾多の傑作あり。「クレオン」には、芸術美にみたる希臘ギリシヤ詩人の永生に対する熱望の悲音を聞くべく、「ソオル」には事業の永続に不老不死の影ばかりなるを喜ぶ事のはかなき夢なるを説きて、更に個人の不滅を断言す。「亜剌比亜アラビアの医師カアシッシュの不思議なる医術上の経験」といふ尺牘体せきとくたいには、基督教の原始にさかのぼりて、意外の側面に信仰の光明を窺ひ、「砂漠の臨終」には神の権化を目撃せし聖約翰ヨハネの遺言を耳にし得べし。然れどもこれ等の信仰は、盲目なる狂熱の独断にあらず、皆冷静の理路を辿たどり、若しくは、精練、微を穿うがてる懐疑の坩堝るつぼを経たるものにして「監督ブルウグラムの護法論」「フェリシュタアの念想」等これを証す。これをぶるに、ブラウニングの信仰は、精神の難関をしのぎ、疑惑を排除して、光明の世界に達したるものにして永年の大信は世を終るまで動かざりき。「ラ・セイジヤス」の秀什しゆうじゆう、この想を述べて余あり、又、千八百六十四年の詩集に収めたる「瞻望せんぼう」の歌と、千八百八十九年の詩集「アソランドオ」の絶筆とはこの詩人が宗教観の根本思想を包含す。
訳者
[#改ページ]

つばめぬに水仙花、
大寒おほさむこさむ三月の
風にもめげぬ凜々りりしさよ。
またはジュノウのまぶたより、
ヴィイナスがみいきよりも
なほろうたくもありながら、
すみれの色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
とつぎもせぬに散りはつる
いろあをざめし桜草さくらそう
これも少女をとめならひかや。
それにひきかへ九輪草くりんそう
編笠早百合あみがささゆり気がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草いちはつぐさのよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。
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心をとめてうかがへば花おのづから教あり。
朝露の野薔薇のばらのいへる、
えんなりや、われらの姿、
とげふる色香いろかとも知れ。」
麦生むぎふのひまに罌粟けしのいふ、
「せめてはあかきはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
げんある露の薬水を
りさゝげたるさかづきぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫草すみれぐさ
「人はあだなるをきけど、
われらの示すをしへさとらじ。」
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小曲は刹那をとむる銘文しるしぶみ、またたとふれば、
過ぎにしも過ぎせぬ過ぎしひと時に、ごうの「心」の
捧げたる願文がんもんにこそ。光り匂ふのりのため、
さがもなき預言かねごとのため、折からのけぢめはあれど、
いついつきあへぬおもひ豊かにてせちにあらなむ。
」の歌は象牙にけづり、「よる」の歌は黒檀にり、
かしらなるはなのかざしは輝きて、阿古屋あこやたまと、
照りわたるきらびのはえろうたさを「とき」に示せよ。

小曲は古泉こせんの如く、そがおもて、心あらはる、
うらがねをいづれの力しろすとも。あるは「いのち」の
威力あるもとめのみつぎ、あるはまたあてたへなる
「恋」の供奉ぐぶにかづけの纏頭はなと贈らむも、よし遮莫さもあらばあれ
三瀬川みつせがは、船はてどころかげ暗き伊吹いぶきの風に、
「死」に払ふわたりのしろと、船人ふなびとにとらさむも。
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心のよしとさだめたる「力」かずかず、たぐへみれば、
まこと」のくちはかしこみて「のぞみ」のまなこそらあふ
ほまれ」はつばさ音高おとだか埋火うづみびの「過去かこあふぎぬれば
飛火とぶひほのほ紅々あかあか炎上えんじようのひかり忘却の
なむとするをおどろかし、けるをぞ控へたる。
また後朝きぬぎぬに巻きまきし玉の柔手やはての名残よと、
黄金こがねくしげのひとすぢを肩に残しゝ「若き世」や
死出しで」の挿頭かざしと、いついつもあえかの花を編む「命」。

「恋」の玉座ぎよくざは、さはいへど、そこにしもあらじ、空遠く、
逢瀬あふせわかれ辻風つじかぜのたち迷ふあたり、さかりたる
夢も通はぬとほつぐに、無言しじまつぼね奥深おくふかく、
設けられたり。たとへそれ、「まこと」は「恋」の真心まごころ
つとに知る可く、「のぞみ」こそそを預言かねごとし、「ほまれ」こそ
そがためによく、「若き世」めぐし、「命」しとも。
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草うるはしき岸のうへに、いとうるはしき君がおも
われはよこたへ、その髪を二つにわけてひろぐれば、
うら若草のはつ花も、はなじろみてや、黄金こがねなす
みぐしのひまのこゝかしこ、面映おもはゆげにものぞくらむ。
去年こぞとやいはむ今年とや年のさかひもみえわかぬ
けふのこの日や「春」の足、なかばたゆたひ、小李こすもも
葉もなき花の白妙しろたへは雪間がくれにまどはしく、
「春」住む庭の四阿屋あづまやに風の通路かよひぢひらけたり。

されど卯月うづきの日の光、けふぞ谷間に照りわたる。
仰ぎてまなこ閉ぢ給へ、いざくちづけむ君が面、
水枝みづえ小枝こえだにみちわたる「春」をまなびて、わが恋よ、
温かきのど、熱き口、ふれさせたまへ、けふこそは、
ちぎりもかたきみやづかへ、恋の日なれや。冷かに
つめたき人は永久とこしへのやらはれ人とおとし憎まむ。
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心も空に奪はれて物のあはれをしる人よ、
今わが述ぶる言の葉の君のかたへに近づかば
心に思ひ給ふこといらへ給ひね、洩れなくと、
あやかしこき大御神おほみかみ「愛」の御名みなもて告げまつる。

さても星影きらゝかに、け行くよるも三つ一つ
ほとほと過ぎし折しもあれ、忽ち四方よもは照渡り、
「愛」の御姿みすがたうつそ身に現はれいでし不思議さよ。
おしはかるだに、そのさがの恐しときく荒神あらがみ

御気色みけしきいとゞ麗はしくいますが如くおもほえて、
御手みてにはわれがしんぞう御腕おんかひなにはあてやかに
あえかの君の寝姿ねすがたを、きぬうちかけて、かいいだき、

やをら動かし、交睫まどろみめたるほどにしんぞう
さゝげ進むれば、かの君も恐る恐るにきこしけり。
「愛」はすなはりつ、馳せ走りながら打泣きぬ。
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ほのぐらき黄金こがね隠沼こもりぬ
骨蓬かうほねの白くさけるに、
静かなる鷺の羽風は
おもむろに影を落しぬ。

水のおもに影はただよひ、
広ごりて、ころもに似たり。
あめなるや、鳥の通路かよひぢ
羽ばたきの音もたえだえ。

漁子すなどりのいとさかしらに
清らなる網をうてども、
そらけるしき翼の
おとなひをゆめだにしらず。

また知らず日にをつぎて
みぞのうち泥土どろつちの底
鬱憂の網に待つもの
久方ひさかたの光に飛ぶを。

ボドレエルにほのめきヴェルレエヌに現はれたる詩風はここに至りて、つひに象徴詩の新体を成したり。この「鷺の歌」以下、「嗟嘆さたん」に至るまでの詩は多少皆象徴詩の風格をそなふ。
訳者
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夕日の国は野も山も、その「平安」や「寂寥せきりよう」の
ねずみの色の毛布けぬのもておほへる如く、物びぬ。
万物なべととのふり、折りめ正しく、ぬめらかに、
物のかたちも筋めよく、ビザンチンかたごと

時雨しぐれ村雨むらさめ中空なかぞらを雨の矢数やかずにつんざきぬ。
見よ、一天は紺青こんじよう伽藍がらんろうの色にして、
今こそ時は西山せいざんに入日傾く夕まぐれ、
日の金色こんじき烏羽玉うばたまよる白銀しろがねまじるらむ。

めぢのさかひに物も無し、唯遠長とほながき並木路、
路に沿ひたるかしは、巨人のつら佇立たたずまひ
まばらにふる箒木ははきぎや、新墾にひばり小田をだの末かけて、
すき休めたるらまでもりようずる顔の姿かな。

木立こだちを見れば沙門等しやもんら野辺のべおくりいとなみに、
夕暮がたの悲を心に痛み歩むごと、
またいにしへ六部等ろくぶら後世ごせ安楽の願かけて、
霊場詣りようじようまうで、杖重く、ばん御寺みてらを訪ひしごと。

赤々として暮れかゝる入日の影は牡丹花ぼたんか
眠れる如くうつろひて、河添かはぞひ馬道めどう開けたり。
ああ、冬枯や、法師めくかの行列を見てあれば、
たとしへもなく静かなるゆふべの空に二列ふたならび

瑠璃るり御空みそら金砂子きんすなご、星輝ける神前に
進み近づく夕づとめ、ゆくてを照らす星辰は
壇に捧ぐる御明みあかし大燭台だいそくだいしんにして、
火こそみえけれ、其さを閻浮提金えんぶだごんぞ隠れたる。
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ほらあなめきし落窪おちくぼの、
夢も曇るか、こもりは、
腹しめすまで浸りたる
まだら牡牛の水かひ

坂くだりゆくまきがむれ、
牛はりあし、馬は※(「足へん+鉋のつくり」、第3水準1-92-34)だく
時しもあれや、落日に
うそぶゆる黄牛あめうしよ。

日のかぐろひの寂寞じやくまくや、
色も、にほひも、日のかげも、
こずゑのしづく、夕栄ゆふばえも。

もや刈穂かりほのはふりぎぬ
夕闇とざすみち遠み、
牛のうめきや、断末魔。
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北にむかへるわが畏怖おそれの原の上に、
牧羊のおきな神楽月かぐらづきかくを吹く。
物憂き羊小舎ひつじごやのかどに、すぐだちて、
災殃まがつびのごと、死の羊群を誘ふ。

きしかたくいをもて築きたる此小舎こや
かぎりもなき、わが憂愁のくにに在りて、
ゆく水のながれ薄荷莢※(「くさかんむり/二点しんにょうの迷」、第4水準2-86-56)めぐさがまずみにおほはれ、
いざよひの波も重きか、蜘手くもでよどむ。

肩に赤十字ある墨染すみぞめの小羊よ、
色もの凄き羊群も長棹ながさをの鞭に
うたれて帰る、たづたづし、罪のねりあし。

疾風はやてに歌ふ牧羊の翁、神楽月よ、
今、わがかしらかすめし稲妻の光に
このゆふべおどろおどろしきわが命かな。
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嗚呼ああ爛壊らんえせる黄金おうごんの毒にあたりし大都会、
石は叫びけむり舞ひのぼり、
驕慢の円葢まるやねよ、塔よ、直立すぐだち石柱せきちゆうよ、
虚空は震ひ、労役のたぎちくを、
好むや、なれ、この大畏怖だいいふを、叫喚を、
あはれ旅人たびうど
悲みて夢うつらさかりて行くか、濁世だくせいを、
つゝむ火焔の帯の停車場。

中空なかぞらの山けたゝまし跳り過ぐる火輪かりんの響。
なが胸を焦す早鐘はやがね、陰々と、とよもすおとも、
このゆふべ、都会に打ちぬ。炎上の焔、赤々、
千万の火粉ひのこの光、うちつけにおもてを照らし、
声黒こわぐろきわめき、さけびは、妄執の心の矢声やごゑ
満身すべて涜聖とくせいの言葉にねぢれ、
意志あへなくも狂瀾にのまれをはんぬ。
に自らをほこりつゝ、はたのろひぬる、あはれ、人の世。
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やかたの闇の静かなるよるにもなればいぶかしや、
廊下のあなた、かたことゝ、※(「木+裃のつくり」、第3水準1-85-66)かせづゑのおと、杖のおと
「時」のはしごのあがりおり、小股こまたきざおとなひは
           これや時鐘とけい忍足しのびあし

硝子がらすふたうしろには、白鑞しろめおもて飾なく、
花形模様色めて、時の数字もさらぼひぬ。
人のえし渡殿わたどのの影ほのぐらき朧月ろうげつよ、
           これや時鐘とけいの眼の光。

うち沈みたるねび声にしかけのおもり、おとひねて、
つちやすりもかすれ、言葉悲しきはこよ、
細身ほそみの秒の指のおと、片言かたことまじりおぼつかな、
           これや時鐘とけいの針の声。

かくなるはこかしづくり、焦茶こげちやの色のわくはめて、
冷たき壁に封じたるひつぎのなかに隠れすむ
「時」の老骨ろうこつ、きしきしと、かずおとぎしりや、
           これぞ時鐘とけいの恐ろしさ。

げに時鐘とけいこそ不思議なれ。
あるは、木履きぐつき悩み、あるは徒跣はだしぬすみ、
忠々まめまめしくも、いそしみて、古く仕ふるはしたか。
柱時鐘はしらどけい見詰みつむれば、はりのコムパス、搾木しめぎ
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夕暮がたのしめやかさ、燈火あかり無きしめやかさ。
かはたれどきは蕭やかに、物静かなる死の如く、
朧々おぼろおぼろの物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明うすあかり、光は消えて日も暮れぬ。

物静かなる死の如く、微笑ほほゑみ作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、わかれ手振てぶりうれたくも
わがおもかげしめやかにすべせなむ気色けはひにて、
影薄れゆき、色蒼いろあをみ、絶えなむとしてつべきか。

壁にけたる油画あぶらゑに、あるはおぼろに色めし、
わくをはめたる追憶おもひでの、そこはかとなく留まれる
人の記憶のの上に心の国の山水さんすいや、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。

夕暮がたのしめやかさ。あまりに物のねびたれば、
沈めるおといとに、※(「木+裃のつくり」、第3水準1-85-66)かせをかけたる思にて、
無言むごん辿たどこひなかの深き二人ふたり眼差まなざしも、
毛氈もうせん唐草からくさからみてるゝ夢心地ゆめごこち

いとおもむろに日の光陰ひかりかぐろひてゆくしめやかさ。
文目あやめもおぼろ、蕭やかに、ああ、蕭やかに、つくねんと、
沈黙しじまさと偶座むかひゐは一つのこうにふた色の
にほひまじれる思にて、心は一つ、えこそ語らね。
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夕まぐれ、森の小路こみち四辻よつつじ
夕まぐれ、風のもなかの逍遙しようように、
かまどの灰や、歳月さいげつつかれ来て、
定業じようごうのわが行末もしらま弓、
杖とたたずむ。

みちのゆくてに「日」は多し、
今更ながら、行きてむか。
ゆふべゆふべの旅枕、
水こえ、山こえ、夢こえて、
つひのやどりはいづかたぞ。
そは玄妙の、静寧せいねいの「死」の大神おほかみが、
わがまなこ、閉ぢ給ふ国、
黄金おうごんの、浦安のたへなるふうに。

高樫たかがし寂寥せきりようの森の小路よ。
岩角に懈怠けたいよろぼひ、
きり石に足弱あしよわ悩み、
歩むごと
きしかたの血潮流れて、
木枯こがらし颯々さつさつたりや、高樫たかがしに。
ああ、われみぬ。

赤楊はんのき落葉らくようの森の小路よ。
道行く人は木葉このはなす、
蒼ざめがほのはぢのおも、
ぬかりみ迷ひ、群れゆけど、
かたみに避けて、よそみがち。
泥濘ぬかりみの、したゝりの森の小路よ、
憂愁ゆうしゆうを風は葉並に囁きぬ。
しろがねの、月代つきしろの霜さゆる隠沼こもりぬ
たそがれに、この道のはてによどみて
げにこゝは「鬱憂」の
鬼がむ国。

秦皮とねりこの、真砂まさご、いさごの、森の小路よ、
微風そよかぜも足音たてず、
こずゑより梢にわたり、
山蜜やまみつの色よき花は
金色こんじき砂子すなごの光、
おのづから曲れる路は
人さらになぞへを知らず、
このさきの都のまちは
まれびとを迎ふときゝぬ。
いざ足をそこに止めむか。
あなくやし、われはえゆかじ。
他のしようみちのかたはら、
「物影」の亡骸なきがら守る
わが「がん」の通夜つやを思へば。

高樫たかがしの路われはゆかじな、
秦皮とねりこや、赤楊はんのきみち
日のかたや、都のかたや、水のかた、
なべてゆかじな。
ああ小路こみち
血やにじむわが足のおと、
死したりと思ひしそれも、
あはれなり、もどり来たるか、
地響じひびきのわれにさきだつ。
噫、小路、
安逸の、醜辱しゆうじよくの、驕慢の森の小路よ、
あだなりしわが世の友か、吹風ふくかぜは、
高樫たかがし木下蔭このしたかげ
声はさやさや、
なみださめざめ。

あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し、
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し、
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。
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いづれは「よる」に入る人の
をさな心も青春も、
今はた過ぎしけふの日や、
従容しようようとして、ひとりきく、
冬篳篥ふゆひちりき」にさきだちて、
「秋」に響かふ「夏笛」を。
現世げんぜにしては、ひとつなり、
物のあはれも、さいはひも。)
あゝ、聞け、がくのやむひまを
長月姫ながづきひめ」と「葉月姫はづきひめ」、
なが「憂愁」と「歓楽」と
語らふ声のしめやかさ。
(熟しうみたるくだものゝ
つはりて枝やたわむらむ。)
あはれ、微風そよかぜ、さやさやと
伊吹いぶきのすゑは木枯こがらし
誘ふと知れば、かれども、
けふ木枯こがらしもそよ風も
口ふれあひて、熟睡うまいせり。
森蔭はまだ夏緑なつみどり
夕まぐれ、空より落ちて、
笛のは山鳩よばひ、
「夏」の歌「秋」をそそりぬ。
あけぼのの美しからば、
その昼は晴れわたるべく、
心だに優しくあらば、
身のよるも楽しかるらむ。
ほゝゑみは口のさうび
もつれがみわげにゆふべく、
真清水ましみづやいつも澄みたる。
あゝ人よ、「愛」を命ののりとせば、
星や照らさむ、なが足を、
いづれは「よる」に入らむ時。
[#改ページ]

みちのつかれに項垂うなだれて、
黙然もくぜんたりや、おもかげの
あらはれ浮ぶわが「おもひ」。
命の朝のかしまだち、
世路せいろにほこるいきほひも、
今、たそがれのおとろへを
すかしみすれば、わなゝきて、
そむくるぞ、あはれなる。
思ひかねつゝ、またみるに、
避けて、よそみて、うなだるゝ、
あら、なつかしのわが「想」。

げにこそ思へ、「時」の山、
山越えいでて、さすかたや、
「命」の里に、もとほりし
なが足音もきのふかな。

さて、いかにせし、盃に
水やみちたる。としごろの
がんの泉はとめたるか。
あな空手むなで、唇かわき、
とこしへのかつにがめる
いとやきゑみたたへて、
ゆびさせる其足もとに、
たまくづ埴土はにのかたわれ。

つぎなるなれはいかにせし、
こはすさまじき姿かな。
そのかみのろうたき風情ふぜい
嫋竹なよたけの、あえかのなれも、
おぞなりや、うたげのくづれ、
みだれがみししおきたるみ、
酒のに、きぬもなよびて、
む足も酔ひさまだれぬ。
あな忌々ゆゆし、とくねよ、

さて、また次のなれがおも
みれば麗容れいよううつろひて、
かなしみぎしやつれがほ、
指組み絞り胸隠す
そう手振てぶりの怪しきは、
ゑたる血にぞ、怨恨えんこん
毒ながすなるくちばみ
おほはむためのすさびかな。

また「驕慢」におとづれし
なが獲物をと、うらどふに、
えびぞめのきぬは、やれさけ、
しやくも、ゆがみたわめり。
又、なにものぞ、ほてりたる
もろ手ひろげて「楽欲ぎようよく」に
らうがはしくも走りしは。
酔狂の抱擁だきしめむご
唇を噛み破られて、
満面につまあとたちぬ。
きようざめたりな、このくるひ、
われをつるか、わが「想」
あはれ、はづかし、このみざま、
なれみづからをいかにする。

しかはあれども、そがなかに、
おこなひ清きたゞひとり、
きぬもけがれと、はだか身に、
出でゆきしより、けふまでも、
あだし「想」の姉妹おとどひ
みちことなるか、かへり
――あゝかばやな――がもとに。
法苑林ほうおんりんの奥深く
素足の「愛」の玉容ぎよくよう
なれは、ゐよりて、むつみつゝ、
霊華りようげふさを摘みあひて、
うけつ、あたへつ、とりかはし
そうひたひをこもごもに、
飾るや、いつの花のかんむり

ホセ・マリヤ・デ・エレディヤは金工の如くアンリ・ドゥ・レニエは織人の如し。また、譬喩ひゆを珠玉に求めむか、彼には青玉黄玉の光輝あり、これには乳光柔き蛋白石たんぱくせきの影を浮べ、色に曇るを見る可し。
訳者
[#改ページ]

びあくびせよ、かたはらに「命」はみぬ、
――朝明あさけより夕をかけて熟睡うまいする
  そのろうたげさつからしさ、
  ねむりのうまし「命」や。
起きいでよ、呼ばはりて、過ぎ行く夢は
大影おほかげの奥にかくれつ。
今にして躊躇ためらひなさば、
ゆく末に何のしるべぞ。
呼ばはりて過ぎ行く夢は
去りぬ神秘くしびに。

いでたちの旅路のかて手握たにぎりて、
あゆみもいとゞはやまさる
愛の一念ましぐらに、
急げ、とく行け、
呼ばはりて、過ぎ行く夢は、
夢は、また帰りなくに、

進めよ、せよ、物陰に、
おそれをなすか、深淵しんえんに、
あな、急げ……あゝ遅れたり。
はしけやし「命」は愛に熟睡うまいして、
栲綱たくづぬ白腕しろただむきになれを巻く。
――ああ遅れたり、呼ばはりて過ぎ行く夢の
いましめもあだなりけりな。
ゆきずりに、夢は嘲る……

さるからに、
むしろ「命」に口触れて
これにませよ、芸術を。
無言むごんいのるかの夢の
教をきかで、無辺むへんなる神にあこがるゝ事なくば、
たちかへり、色よき「命」かき抱き、
なれが刹那を長久とはにせよ。
死の憂愁に歓楽に
霊妙音れいみようおんを生ませなば、
ながあとに残りゐて、
はた、さゞめかむ、はた、なかむ、
うれしの森に、春風や
若緑、
去年こぞ繰返あこぎの愛のまねぎに。
さればぞ歌へ微笑ほほゑみはえの光に。
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 白銀しろがね筐柳はこやなぎ菩提樹ぼだいずや、はんや……
 みづおもに月の落葉おちばよ……

ゆふべの風にくしけづる丈長髪たけなががみの匂ふごと、
夏のかをりなつかし、かげ黒きみづうみの上、
かを淡海あはうみひらけ鏡なす波のかゞやき。

かぢもうつらうつらに
夢をゆくわが船のあし。

船のあし、空をもゆくか、
かたちなき水にうかびて

ならべたるふたつのかい
徒然つれづれ」の櫂「無言しじま」がい。

水のおもの月影なして
波のうへの楫のなして
わが胸に吐息といきちらばふ。
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色にでにし紅薔薇こうそうび、日にけに花は散りはてゝ、
唐棣花はねずいろよき若立わかだちも、ときことごとくしめあへず、
そよそよ風の手枕たまくらに、はや日数ひかずしけふの日や、
つれなき北の木枯に、河氷るべきながめかな。

ああ、歓楽よ、今さらに、なじかは、せめて争はむ、
知らずや、かゝる雄誥をたけびの、世にたぐひ無く烏滸をこなるを、
ゆゑだもなくて、いたづられたる思、去りもあへず、
「悲哀」のきんの糸のを、ゆしあんずるぞ無益むやくなる。

     *

ゆめ、な語りそ、人の世はよろこびおほきうたげぞと。
そは愚かしきあだ心、はたや卑しきれごこち。
ことに歎くな、現世うつしよかぎりも知らぬ苦界くがいよと。
よう無きゆう逸気はやりぎは、たゞいち早く悔いぬらむ。

春日はるひ霞みて、葦蘆よしあしのさゞめくがごと、笑みわたれ。
磯浜いそはまかけて風騒ぎ波おとなふがごと、泣けよ。
一切の快楽けらくを尽し、一切の苦患くげんに堪へて、
とよたたふるもよし、夢の世とかんずるもよし。

     *

死者のみ、ひとり吾に聴く、奥津城処おくつきどころ、わが栖家すみか
世のをふるまで、吾はしも己が心のあだがたき。
亡恩に栄華は尽きむ、里鴉さとがらすはたをあらさむ、
収穫時とりいれどきたのみなきも、吾はいそしみて種をかむ。

ゆめ、みづからは悲まじ。世の木枯もなにかあらむ。
あはれ侮蔑ぶべつや、誹謗ひぼうをや、大凶事おほまがごと迫害せまりをや。
たゞ、詩の神の箜篌くごの上、指をふるれば、わががく
日毎に清く澄みわたり、霊妙音れいみようおんの鳴るが楽しさ。

     *

長雨空のはて過ぎて、さすや忽ち薄日影、
かむり花葉はなばふりおとす栗の林の枝の上に、
水のおもてに、遅花おそばなの花壇の上に、わが眼にも、
照り添ふ匂なつかしき秋の日脚ひあしの白みたる。

日よ何の意ぞ、夏花なつはなのこぼれて散るも惜からじ、
はたとどめえじ、落葉らくようの風のまにまに吹きふも。
水や曇れ、空もびよ、たゞ悲のわれに在らば、
おもひはこれに養はれ、心はためにゆうをえむ。

     *

われは夢む、滄海そうかいそらの色、あはれ深き入日の影を、
わだつみのなだは荒れて、風を痛み、甚振いたぶる波を、
また思ふ釣船の海人あまの子を、巌穴いはあなかぐろふかにを、
青眼せいがんのネアイラを、グラウコス、プロオティウスを。

又思ふ、路のをあさりゆく物乞ものごひ漂浪人さすらひびとを、
み慣れし軒端がもとに、いこひゐるしづおきな
おの手握たにぎりもちて、肩かゞむそまたくみを、
げに思ひいづ、鳴神なるかみの都の騒擾さやぎ村肝むらぎもの心のきずを。

     *

この一切の無益むやくなる世の煩累わづらひを振りすてゝ、
もの恐ろしく汚れたる都の憂あとにして、
つひに分け入る森蔭のすずしき宿やどり求めえなば、
光も澄める湖の静けき岸にわれは悟らむ。

あらずむしろわれはおほわだの波うちぎはに夢みむ。
幼年の日を養ひし大揺籃だいようらんのわだつみよ、
ほだしも波の鴎鳥かもめどり、呼びかふ声を耳にして、
磯根に近き岩枕いはまくら汚れしまなこ、洗はばや。

     *

ああいち早く襲ひ来る冬の日、なにか恐るべき。
春の卯月うづきの贈物、われはや、既に尽し果て、
秋のみのりのえびかづら葡萄ぶどうも摘まず、新麦にひむぎ
とよ足穂たりほも、あだびとり干しにけむ、いつのに。

     *

けふは照日てるひ映々はえばえと青葉高麦たかむぎ生ひ茂る
大野が上に空高くびかひ浮ぶ旗雲はたぐもよ。
ぎたる海を白帆あげて、あけ曾保船そほふね走るごと、
変化へんげ乏しき青天あをぞらをすべりゆくなる白雲よ。

時ならずして、なれも亦近づく暴風あれ先駆さきがけと、
みだれ姿の影黒みしかめる空をかけりゆかむ、
嗚咽ああ、大空の馳使はせづかひ、添はゞや、なれにわが心、
心はなれに通へども、世の人たえて汲む者もなし。
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静かなるわがいもと、君見れば、おもひすゞろぐ。
朽葉色くちばいろ晩秋おそあきの夢深き君がひたひに、
天人てんにんひとみなす空色の君がまなこに、
憧るゝわが胸は、苔古こけふりし花苑はなぞのの奥、
淡白あはじろ吹上ふきあげの水のごと、空へ走りぬ。

その空は時雨月しぐれづき、清らなる色に曇りて、
時節をりふしのきはみなき鬱憂は池にうつろひ
落葉らくよう薄黄うすぎなる憂悶わづらひを風の散らせば、
いざよひの池水に、いとやきあやは乱れて、
ながながし梔子くちなしの光さす入日たゆたふ。

物象を静観して、これが喚起したる幻想のうち自から心象の飛揚する時は「歌」成る。さきの「高踏派」の詩人は、物の全般を採りてこれを示したり。かるが故に、その詩、幽妙をき、人をして宛然さながら自から創作する如き享楽無からしむ。それ物象を明示するは詩興四分の三を没却するものなり。読詩の妙は漸々遅々たる推度の裡に存す。暗示はすなはちこれ幻想にらずや。這般しやはん幽玄の運用を象徴と名づく。一の心状を示さむが為、おもむろに物象を喚起し、或はこれとさかしまに、一の物象を採りて、闡明せんめい数番の後、これより一の心状を脱離せしむる事これなり。
ステファンヌ・マラルメ
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落日の光にもゆる
白楊はくようそびやぐ並木、
谷隈たにくまになにか見る、
風そよぐ梢より。
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小鳥でさへも巣は恋し、
まして青空、わが国よ、
うまれの里の波羅葦増雲パライソウ
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海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき国へ。

オオバネルは、ミストラル、ルウマニユ等と相結で、十九世紀の前半に近代プロヴァンス語を文芸に用ゐ、南欧の地を風靡ふうびしたるフェリイブル詩社の翹楚ぎようそなり。
「故国」の訳に波羅葦増雲パライソウとあるは、文禄慶長年間、葡萄牙ポルトガル語より転じて一時、わが日本語化したる基督教法に所謂いはゆる天国の意なり。
訳者
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頼み入りしあだなるさちの一つだにも、忠心まごころありて、
   とまれるはなし。
そをもふと、胸はふたぎぬ、悲にならはぬ胸も
   にがきうれひに。
きしかたのをかしの罪の一つだにも、こらしせめ
   のがれしはなし。
そをもふと、胸はひらけぬ、荒屋あばらやのあはれの胸も
   高き望に。
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白波しらなみの、潮騒しほざゐのおきつ貝なす
青緑あをみどりしげれる谿たに
まさかりの真昼ぞしろす。
われは昔の野山の精を
まなびて、こゝに宿からむ、
あゝ、神寂びし篠懸すずかけよ、
なれがにほひの濡髪ぬれがみに。
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児等こらよ、今昼は真盛まさかり、日こゝもとに照らしぬ。
寂寞じやくまく大海だいかい礼拝らいはいして、
天津日あまつひに捧ぐるこうは、
きよまはるうしほのにほひ、
とどろ波凝なごりゆるがぬ岩根いはねなびく藻よ。
黒金くろがねの船の舳先へさきよ、
みさき代赭色たいしやいろに、獅子の蹈留ふみとどまれる如く、
足を延べたるこゝ、入海いりうみのひたおもて、
うちひさす都のまちは、
煩悶わづらひの壁に悩めど、
鏡なす白川しらかは蜘手くもてに流れ、
風のみひとり、たまさぐる、
洞穴口ほらあなぐちの花の錦や。

底本:「海潮音 上田敏訳詩集」新潮文庫、新潮社
   1952(昭和27)年11月28日初版発行
   1968(昭和43)年1月15日20刷改版
   1977(昭和52)年6月30日35刷
※冒頭の献辞を「遙に此書を満洲なる森鴎外氏に献ず」としている異本が多いが、底本のままとしました。
入力:山口美佐
校正:Juki
1999年7月1日公開
2011年1月21日修正
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