疎開しなければならぬのですけれど、いろいろの事情で、そうして主として金銭の事情で、愚図々々しているうちに、もう、春がやって来ました。
ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています。
雪溶けの滴の音が、絶えず聞えるからです。上の女の子は、しきりに足袋を脱ぎたがります。
ことしの東京の雪は、四十年振りの大雪なのだそうですね。私が東京へ来てから、もうかれこれ十五年くらいになりますが、こんな大雪に遭った記憶はありません。
雪が溶けると同時に、花が咲きはじめるなんて、まるで、北国の春と同じですね。いながらにして故郷に疎開したような気持ちになれるのも、この大雪のおかげでした。
いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。
きょうは、空襲が無いようです。
出征する年少の友人の旗に、男児畢生危機一髪、と書いてやりました。
忙、閑、ともに間一髪。
底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
1980(昭和55)年9月25日発行
2002(平成14)年5月30日42刷改版
入力:小山奈緒子
校正:土屋隆
2003年9月23日作成
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