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  この書を後れて来たる青年に贈る
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兄弟よ、われなんじらに新しき誡を書き贈るにあらず。すなわち始めよりなんじらのもてる旧き誡なり。この旧き誡は始めよりなんじらが聞きしところの道なり。されどわれがなんじらに書き贈るところはまた新しき誡なり。
        ――ヨハネ第一書第二章より――
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 版を改むるに際して

 この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読まれて、数多くの版を重ね、今もなおあわただしい世相の動きにも、自己本然の真実の姿を失うまいとする、心深く、清き若き人々の間に読まれつづけている。
 私はその生命の春に目ざめて、人生の探究に出発したる首途にある青年たちにはこの書がまさしく、示唆しさに富める手引きとなり得るであろうことを今も信じている。私がたのみを持つのは思想的内容そのものよりも人生に対する態度である。いかなる態度をもって生きゆくべきか、その誠と力とラディカルな自由性とは今の青年たちに感染してけっして間違いないであろう。この書はたとい思想的に未熟と誤謬とを含んでいる場合にも、純一ならぬ軽雑な何ものをもインフェクトせぬであろう。私は反語とか諷刺ふうしとかの片鱗をもって論述を味わいつける、大家にも普通なレトリックさえけっして用いなかったのである。徹頭徹尾純一にして無雑な態度を守り得たことはこの書が若き人々に広く読まれるに際しての私のひとつの安心である。小さく賢く、浅く鋭く、ほどよく世事なれる今日の悪弊から青年たちを防ぐのに役立つでもあろう。
 この書にはいわゆる唯物論的な思想は無い。一般的にいって、社会性に対する考察が不足している。しかし生命に目ざめたる者はまず自己のけたるいのちの宇宙的意義に驚くことから始めねばならぬ。認識と愛と共存者への連関とはそこに源を発するときにのみ不落の根基を持ち得るのである。社会共同態の観念もわれと汝と彼とをひとつの全体として、生を与うる絶対に帰一せしむる基礎なくしては支えがたい。社会科学の前に生命の形而上学がなくてはならぬ。
 この書を出版してよりすでに十五年を経ている。私の思想はその間に成長、推移し、生の歩みは深まり、人生の体験は多様となった。したがって今日この書に盛られているとおりの思想を持ってはいない。しかし私の人間と思想とのエレメントは依然として変わりない。そして「たましいの発展」を重視する私は永久に青年たちがそこを通って来ることの是非必要なところの感じ方、考え方の経路を残しておきたいのである。けだし思想は生命が成長するために脱ぎ捨ててこなければならぬ殻皮である。しかしその殻皮を通らずに飛躍することは何人にもあたわぬ。青春時代には青春の被覆をまとうていねばならぬ。生命と認識と恋と善とに驚き、求め悩むのは青春の特質でなくてはならぬ。社会性と処世との配慮はややおくれてくるべきものであり、それが青春の夢を食い尽くすことは惜しむべきである。世にくことと天につくこととの間には聖書のしるすごとく越えがたい溝がある。まず天と生命とに関する思想と感情とにみちみちてその青春を生きよ。私が私の青春を回顧して悔いが無いのはそのためである。やがて世はその乾燥と平凡と猥雑との塵労をもって、求めずとも諸君に押し寄せるであろうからである。
「常に大思想をもって生き、瑣末さまつの事柄を軽視する慣わしを持て」とカルル・ヒルティはいった。今の知識青年の社会的環境についての同情すべき諸条件をけっして私は知らぬのではない。しかも私が依然としてこの語を推すのは瑣末な処世の配慮が結局青春をむしばみ、気魄を奪い、しかも物的にも、それらの軽視したよりもなんらよきものをもたらさぬであろうことを知るからである。今日の世に処して、物的欠乏の中に偉大なる精神を保つ覚悟無くしては、精神的仕事にも、社会革命にも従事することはできない。物乏しければこそ物にかかずらうのはつまらない。大燈の「肩あって着ずということなし」といい、耶蘇ヤソの「これらのものは汝に加えられん」という、その覚悟をもって、その青春を天といのちと認識と愛と倫理との、本質的に永遠なる思想、感情に没頭せよ。諸君の将来を偉大ならしむる源泉は依然としてここにあるのである。
 今日世間の塵労の中に大乗の信を得て生き、国民運動の社会的実践に従いつつある私は、それにもかかわらず、諸君の青春に悔いなからしめんためにこのアドヴァイスを呈するものである。
 青春は短い。宝石のごとくにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いをおおいならしめ、その夢を清からしめよ。夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
(一九三六・一二・一〇)
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 序文

 この書に収むるところは自分が今日までに書いた感想および論文のほとんど全部である。この書の出版は自分にとって二つの意味を持っている。一は自分の青春の記念碑としてであり、二はおくれて来たる青春の心たちへの贈り物としてである。自分は今自分の青年期を終わらんとしつつある。しこうして今や青春の「若さ」を葬って、年齢にかかわりなき「永遠の若さ」をもって生きゆかんことを今後の自分の志向となしている。自分は自分の青春と別れを告げんと欲するに臨んで、じつに無量の感慨に浸らずにはいられない。自分は自分の青春に対してかぎりなき愛惜を感じる。そしてねぎらう心地をさえ抑えることができない。自分の青春はじつに真面目まじめで純熱でかつ勇敢であった。そして苦悩と試練とにみちていた。そして自分は顧みてそれらの苦悩と試練との中から正しく生きゆく道を切り開いて、人間の霊魂のまさに赴くべき方向に進みつつあることを感じる。そして自分は自分がその青春の、そのようにも烈しかった動乱の中にあって、自己の影を見失わないで、本道からはずれないでくることができたことを心から何者かの恵みと感じないではいられないのである。自分はいま自分の青春を埋葬して合掌がっしょうし焼香したい敬虔けいけんな心持ちでいる。そして自分が青春を終わるまでに自分が触れ合ってきた、自分を育てるに役立ってくれた――多少とも自分が傷つけているところの――人々に謝しその幸福を祈らないではいられない気がする。自分の青春はまたじつに多くの過失に富んでいたのである。自分は自分に後れて来たる青年が、自分のごとく真摯しんしに、純熱に、勇敢に、若々しく、しかしながら自分のごとく過失をつくることなく、したがって自分および他人の運命を傷つけることなく、賢明にその青春を過ごさんことを心から祈らないではいられない。それらの過失はじつに純なる「若さ」に伴うものではあるが、しかしそれは一生の運命の決定的契機をつくるほど重大なるものであり、その過失の結果はじつに永くして怖ろしいからである。現に自分はその過失の報いから今なお癒やさるることを得ずして、不幸な境遇の中に生きている。ただ自分はその境遇の中に祝福を見いだす道の暗示を――それは自分の青春そのものが示唆したのであるが――かすかながらもつかみ得ているために、今後の生活の希望を保つことができるのである。自分はそこに自分の過失をつぐない、生かし、いなむしろその過失によっていっそう完きものに近づく知恵を獲得することができたと思っている。この書はその過程の記録である。自分はこの書が後れて来たる青年に対して有益であることを信じないではいられない。それは自分の青春がすぐれて美しく、完全であるからではなく、かえって多くの過失をそなえているからである。そしてその過失が償われて――少なくとも償う本道の上に立って進みつつあるからである。自分はこの書を後れて来たる青年に対して、今の自分が贈り得る最上の贈り物であることを信じる。人がもし心をむなしくしてこの書を初めより終わりまで読むならば、きっと何ものかを得るであろう。そこには一個の若き霊魂が初めて目醒め、驚き、自己の前に置かれたるあらゆる生活の与件にかって、まっすぐに、公けに、熱誠に働きかけ、あこがれ、疑い、悩み、またよろこび、さまざまの体験を経て、後に初めて愛と認識との指し示す本道に出でて進みゆき、ついにそれらの与件を支配する法則およびその法則の創造者に対する承認および信順の意識の暗示に達するまでの、生の歩みの歴史がある。この集に収むる文章はその思索の成績において必ずしも非常にすぐれているとは言わないが、その文章の書かれた動機は、いずれの一つもその表出の理由と衝動とにみちていないものはない。そして一つのものから次のものへと推移する過程には必然的な体験の連結がある。その意味において真に霊魂の成長の記録である。人は初めのものより、終わりのものへと進むに従って、しだいにその思索と体験とが深められ、その考え方は多様にかつ質実となり、初めには裁いたものをもゆるし、しりぞけたものをもり、曖昧あいまいなる内容は明確となり、しだいに深く、大きく、かつ高くなり、その終わりに近きものは、もはや「恵み」の意識の影の隠見するところにまで達せんとしつつあるのを見いだすであろう。その意味においては、人はむしろ自分をあまりに早く老いすぎるとなすかもしれないほどである。実際自分には壮年期と老年期と同時に来たような気がしている。それは必ずしも自分が緻密なる思索に堪え得ざる頭脳の粗笨そほんと溌剌たる体験を支え得ざる身体の病弱とのためではなく、じつに自分のごとき運命を享けたる者、早き死を予感せるものが、彼岸ひがんと調和との思慕に急ぐのは必然かつ当然なることである。その意味において自分は「恋を失うた者の歩む道」より以後のものは、壮年期以後の人に対しても読まるることを適当でないとは思わない。もとよりこの書には、ことにその初めの頃のものはおさなく、かつ若さに伴う衒気げんきと感傷とをかなりな程度まで含んでいる。しかしながら自分は自分の青春の思い出を保存するためにかなりの羞恥しゅうちを忍んでそれをそのままに残しておいた。それらの衒気と感傷とはそれが真摯にして本質的なる稟性ひんせいに裏付けられているときには青春の一つの愛すべき特色をつくるものである。実際自分はそれらのものを全く欠ける青年を、青年として愛することは困難を感ずる。またかなりに目障めざわりな外国語の使用等も学生シューレルとしての気分を保存するためにあえてそのままにしておいた。「生命の認識的努力」は幼稚であり、学術的には認識論の入門にすぎないけれども、その頃の自分にとってはじつに重要なものであり、この文章を書いた頃の尊い思い出を愛惜するためにどうしても割愛する気になれなかった。かつこの文章には一般の青年がその一生を哲学的思索に捧げない人といえども、必ず知っておかなければならない程度の、認識論の最も本質的に重要なる部分をことごとく含んでいるからである。そして自分が常に抱いている、中学の課程において、自然科学を教うる際に、認識論ことに唯心論的な認識論の入門をあわせて教えなければならないという意見の実施の代用として役立つことを信じるからである。実際自分は中学の誤まれる教授法によって授けられたる自然科学の知識の、実在の説明としての不当の――その正しき限界と範囲以上の――要求から解放せらるるまでに、どんなに不必要な、しかもじつに惨憺さんたんたる苦悩を経験したことだろう。自分はそのために青春の精力の半ば以上をついやしたといってもいい。この事たる、ただ中学において、自然科学の教師が、その知識が実在の説明として、ある一つの考え方であって、唯一のものではなく、他に多くのそしてその中にはたとえば唯心論のごとく、全然反対の考え方もあることを付加するだけの用意を持っていさえしたならば、免るる、少なくとも半減することができたのである。そしておそらく私のみでなく、ほとんどすべての青年が同じ苦悩を経験するであろうと思わないではいられない。その意味において自分のこの稚き一文はかなりな効果ある役目を果たすであろうと思っている。またこの書にはかなりしばしば同一思想の反復あるいは前後矛盾せる文章を含んでいる。これはすなわち自分が同一の問題を繰り返し、くりかえし種々の立場より眺め、考え、究めんとせるためおよび思索と体験の進むに従って、前には否定したものをもれ、あるいは前に肯定したものをも、否定するに至ったためである。思想が必然的連絡を保って成長してゆく過程をあとづけるものとして、かかる反復と矛盾とは、避くべからざるものであるのみならずまたその思索と体験の真摯なることを証するものであると思う。
 この書は青年としてまさに考うべき重要なる問題をことごとく含んでいるといってもいい。すなわち「善とは何ぞや」、「真理とは何ぞや」、「友情とは何ぞや」、「恋愛とは何ぞや」、「性欲とは何ぞや」、「信仰とは何ぞや」等の問題を、たといけっして解決し得てはいないまでも、これらに関する最も本質的な考え方デンケンスアルトを示している。しこうして考え方はある意味において解決よりも重要なのである。一般に自分はこの書の学術的部分には恃みを持っていない。ことに「隣人としての愛」より後は自分の興味はしだいに哲学より離れ、したがって表現法も意識的に学術的用語を避けて、直接に「こころ」に訴えるごときものを選ぶに至った。自分がこの書において最も恃みをおいている点は、人間がまさに人間として考うべき種々の重要なる問題を提出しそれについての最も本質的なる考え方を示し、かつ人間の「こころ」の種々なるムードについて、深く、遠く、かつ懐しく語り得ていると信じる点にある。それらの心情ゲミュートチ優しさエルリッヒカイトにおいて、種々の尊き「徳」について語り得ていると信じる点にある。自分はこの書が読む人の心を善良に、素直に、誠実にかつ潤いに富めるものとならしむるに少しでも役立つことを祈るものである。一個の人間がいかに生きているかは、善悪ともに、他の共に生けるものの指針となる。その意味においてこの書は、その青春の危険多き航路を終わりたる水夫が、後れて来たる友船へ示す合図である。自分は彼らの舟行の安らかならんことを心より願う。しこうして自分もまた愛と認識との指す方向に航路を定め、長き舟行の後ついに彼岸に達せんことを念願するものである。がそれは恵みの導きなくしては遂げらるるとは思えない。願わくば造りたるものの恵み、自分とおよび、自分とともに造られたるものの上にゆたかならんことを。
(一九二一・一・一八朝)
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 憧憬
    ――三之助の手紙――

 哲学者は淋しい甲蟲かぶとむしである。
 故ゼームス博士はこうおっしゃった。心憎くもいじらしき言葉ではないか。思えば博士は昨年の夏、チョコルアの別荘で忽然として長逝せられたのであった。博士の歩みたまいし寂しき路を辿たどり行かんとするわが友よ、私はこの一句を口吟くちずさむとき、ひげまばらな目の穏やかな博士の顔がまざまざと見え、たとえば明るい――といっても月の光でほの白い園で、色を秘した黒い花のかすかなる香をぎながら、無量の哀調を聞くごとくそぞろに涙ぐまるるのである。しこうしてこうして哀愁に包まれたとき私が常になすがごとくに今日も君に書く気になったのだ。
 その後生活状態には何の異なりも無い。ただ心だけは常に浮動している。なんのことはない運動中枢を失った蛙のごとき有様だ。人生の愛着者あいちゃくしゃにはなりたくてたまらぬのだが、それには欠くべからざる根本信念がこの幾年目を皿のごとくにして探し回ってるのにまだ捕捉できない。といって冷たい人生の傍観者になんでなれよう。この境に彷徨ほうこうする私の胸にはやるせのない不安と寂愁とが絶えず襲うてくる。前者は白幕に映ずる幻燈絵の消えやすきに感ずるおぼつかなさであり、後者は痲痺まひせし掌の握れど握れど手応てごたえ無きに覚ゆる淋しさである。ときどきこんな声が大なる権威を帯びて響きくることがある。

「はかない人知で何を解こうとしてるのだ。幾年かかれば解けるのだ。それを解決してからがおまえの意義ある生活ならばそれは危いものだ。初めから意義ある生活を打算してかからぬ方がましかもしれぬよ。疑惑の雲の中へ頭を突き込んでやがては雲の一部分に消え化してしまうのであろう」

 一度は恐れおののいてこの声にひれ伏した。が倨傲きょごうな心はぬっと頭をもたげる。
「いくら苦しくても、意義が不明でも、雲の中へ消え込んでも、その原因は私の意志どおりをやってきたからだ。世の中に思いどおりをやるほど好いことがあるものか。それに私はある女(真理)に恋慕してるのだ。なるほど対手あいての顔はまだ見ない。しかし彼女はきっと美しいとうとい顔を持ってるに違いない。まだ見ぬ恋の楽しさを君は知るまい。私の恋が片思いに終わるとは断言できまい。今に彼女は必ず私になびくよ。白い雲の上で私を呼んでいる彼女の優しい上品な声が聞こえるような気がする。考えてもみたまえ。互いに胸を打ち明けてからもおもしろかろうが、打ち明けぬうちも捨てがたいではないか。私はいかにしても思い切る気はない」

 君、僕はこんなことを考えて沮喪する心を励ましているのだよ。いつもの話だがどうもわが校には話せるやつがいない。O市の天地において僕は孤独の地位に立ってる。から騒ぎ騒ぐ野次馬、安価なる信仰家、単純なる心の尊敬すべき凡骨、神経の鋭敏と官能のデリカシイとに鼻うごめかす歯の浮くような文芸家はいるが、人生に対する透徹なる批判と、纏綿てんめんたる執着と、真摯しんしなる態度とを持して真剣に人生の愛着者たらんと欲する人は無い。例の瘰癧るいれきのO君とはただ文学上において話せるのみだ。彼は根本的思索には心が向かっていない。彼は考えずしてただ味わおうとのみつとめている。彼の唯一の根底は生の刺激すなわち歓楽である。歓楽からただちに人生に入った彼の内的生活の過程を私は納得することができない。絹糸のごとき繊細なる感受性は持ちながら、知識は荒繩のごとく粗笨な一部の文芸家によって、哲学者の神聖なる努力と豊富なる功績とがいたずらに人生の傍観者なる悪名のうちに葬り去られんとするのは憤慨すべき事実である。われら哲学の学徒より見れば、いまだかつて哲学者ほど人生に対して親切、熱烈、誠実なる者を知らぬのである。彼はライフを熱愛するのあまり、これを抽象して常に眼前にぶら下げている。あたかも芸術家が自己の作品に対するごとき態度をもって哲学者は自己のライフに面している。かのロダンの大理石塊を前にしてまさにのみふるわんとして息をめ目を凝らすがごとくに、ベルグソンは与えられたる「人性」を最高の傑作たらしめんがためにじっとライフを見つめているのである。われらは彼の蒼白き頬と広き額と結べる唇とに纏綿たる執着と、深奥なる知性と、強烈なる意欲の影の漂えるのを看過してはならない。フィロソファーとは愛知者という語義だという。しかし私は愛生者をこそ哲学者と呼びたい。
 それから君はややもすれば単純なる心の持主、いわゆる善人をば軽蔑せんとする傾向があるがそれは悪いよ。考えてもみたまえ。もともとわれらは真正の善人――哲学的善人たらんがために哲学に志したのではないか。われらが冷たい思索の世界に、こうして凡俗の知らぬ苦労をめているのは「真」のためでなく、「美」のためでなく、じつに「善」のためである。「実在」に対する懐疑よりもはるかにはやく、はるかに切実に「善」に対する懐疑に陥ったのであった。迷い惑うるわれわれの前にいかに荘麗に、崇高に、厳然として哲学の門はそびえたりしよ。われらは血眼ちまなこになって傍目も振らず、まっしぐらに突入したのだ。
 だからわが友よ、われらは彼ら善人を愛し、彼らの持てる純なる情と勇ましき力とをもって守るに価する真の善の宝玉を発見せねばならぬ。われら神聖なる哲学の徒は彼らの抱ける善の玉のいかに不純不透明にして雑駁ざっぱくなる混淆物こんこうぶつを含みおるかを示して、雨に濡れたる艶消玉つやけしだまの月に輝く美しさを探ることを教えねばならない。濁水滔々とうとうたる黄河の流れを貪り汲まんとする彼らをして、ローマの街にありという清洌なる噴泉をんで渇を潤すことを知らしめねばならない。
 思えば今をる二千六百年の昔、「わが」哲学がミレートスの揺籃をでてから、浮世の嵐は常にこの尊き学問につれなかった。しこうして今日もまたつれないのである。故国を追われて旅の空に眼鏡を磨きつつ思索に耽ったスピノーザの敬虔なる心の尊さ、フィロソフィック・クールネスのゆかしさ! 僕らはあくまでも尊き哲学者になろうではないか。私はH氏のものものしき惑溺わくできよばわりに憎悪を抱き、K氏の耽美主義に反感を起こし、M博士の遊びの気分に溜息をらす。M博士は私の離れじとばかり握ったたもとを振り切って去っておしまいなすった。私はかの即興詩人時代の情趣こまやかなM博士がなつかしい。かのハルトマンの哲学を抱いて帰朝なすった頃の博士が慕わしい。思えば独歩の夭折ようせつは私らにとって大きな損失であった。
 底冷たい秋の日影がぱっと障子に染めたかと思うとじきとまた暗くなる。鋭い、れな百舌鳥もずの声が背戸口でかしましい。しみじみと秋の気がする。ああ可憐なる君よ、(可憐という字を許せ)淋しき思索の路を二人肩を並べて勇ましく辿たどろうではないか。行方ゆくえも知れぬ遠い旅路に泣き出しそうになったらゼームス博士を思い出そう。哲学者は淋しい甲蟲である! お互いに真面目に考えようね。

 お手紙拝見。お互いに青春二十一歳になったわけだね。でも苦労したせいか僕の方が兄のような気がしてならない。昨年の正月の艶々しい恋物語を知ってるだけに、冷たい、暗い、汚い寮でわびしく新年を迎えた君がいっそうのこといとしい。君は私と違って花やかな家庭に育ったんだからね。T君が君をロマンチックだって冷笑したって。かまうものか。彼の刹那主義こそ危いものだ。なぜというに、彼の思想には中心点が無いからだ。彼の「灰色生活」は虚偽である。みたまえ。彼のすさんだ生活には、ああした生活に必然伴うべきはずの深刻沈痛の調子は毫も出ていないではないか。さて僕だ。例によって帰省したものの、ご存じのとおりの家庭ゆえあまりおもしろくない。でもさすがに正月だ。門松しめ飾り、松の内の八百屋町をぱったり人通りが杜絶とだえて、牡丹雪ぼたんゆきが音も立てずに降っている。
 昨日丸山さんが手紙をよこした。つつましい筆使いだがちょっと人を惹きつける。私は三年前の夏の一夜を思いだす。水のような月の光が畳の上までさし込んで、庭の八手やつでまばらな葉影はあわく縁端にくずれた。蚯蚓みみずの声もかすかに聞こえていた。螢籠ほたるかごのきに吊して丸山さんと私とは縁端に並んで坐った。この夜ほど二人がしんみりと語ったことはなかった。しとやかに団扇うちわを使いながら、どうかすると心持ちまげを傾けて寂しくほほ笑む。と螢が一匹隣りの庭から飛んで来た。丸山さんは庭に下りて団扇を揮うて螢を打った。浴衣ゆかたの袖がさっと翻る。八手の青葉がちらちら揺らぐ。螢は危く泉水の面に落ちようとしてやがて垣をかすめてついと飛んで行った。素足に庭下駄を穿いて飛石の上に立ったたけの高い女の姿が妙にその夜の私の心に沁みた。寡婦にして子供無き丸山さんは三之助さん、三之助さんと言って私を弟のごとく愛してくれたのだが、今では岐阜で女学校の先生を勤めてるそうだ。
 私は休暇の初め、岡山で私の趣味に照らして最も美しいと思う花簪はなかんざしを妹に土産みやげに買って帰ってやったら、あの質素な女学校ではこんな派手はでなものはされませぬと言っていたがそれでも嬉しそうな顔はした。君も重子さんに本でも慰めに送ってやりたまえ。妹というものは可愛いもんだからね。明後日出発する。しっかり勉強したまえ。

 O市の春はようやく深し。今日の日曜を野径のみち逍遙しょうようして春を探り歩きたり。藍色あいいろを漂わす大空にはまだ消えやらぬ薄靄うすもやのちぎれちぎれにたなびきて、晴れやかなる朝の光はあらゆるものに流るるなり。操山の腹にそびゆる羅漢寺らかんじなかば樹立に抱かれて、その白壁は紫に染み、南の山の端には白雲の顔をのぞけるを見る。向こうの松林には日光豊かにれ込みて、代赭色たいしゃいろの幹の上に斑紋を画き、白き鳥一羽その間にいこえるも長閑のどかなり。藍色の空に白き煙草たばこの煙吹かせつつわれは小川に沿いて歩みたり。土橋を潜る水はぬるみて夢ばかりなる水蒸気は白くふるえ、岸を蔽えるクローバーは柔らかに足裏の触覚をくすぐりて、いかにわれをして試みんとする春の旅の楽しきを思わしめしよ。わが友よ、御身と逢うの日は近く迫り来れり。わが心は常に哲学を思い、御身を慕えり。じつにわれらの間の友情はかの熱愛せる男女の恋にもまさりていかに纏綿として離れがたく、純乎として清きよ。夜半夢破れて枕に通う春雨の音に東都の春のこまやかなるを忍ぶとき、御身恋しの心はにじむがごとくに湧き出ずるなり。今宵月白し。花紅きまがきのほとり、行人の声いと懐し。

 大船でわかれるとき、訣れの言葉をも交さず、またお互いに訣れるのだということも知らないで訣れるのなら好いと思った。しかし君と僕とはきまりの悪い、辛そうな顔して訣れた。汽車がゆるゆる動き出す。君が窓に肱杖突いてこちらを見てる。僕がときどき後を振り向く。そのたびごとに君の姿が遠く小さくなる。そのうち君と僕とは全く訣れてしまったのである。手持無沙汰に、あの麦藁帽子を被って、あのマントとあの袋とを携えて、プラットホームの一隅に四十分もつくねんとしていた僕の姿をば、三日前の夕暮れには共に暢々のびのびして眺めた風景にこのたびは君一人で面接しながら察してくれたであろう。
 とにかく再び汽車に乗った。君と別れて取り放されたように淋しく疲れた私の胸はまたもややるせない倦怠に襲われねばならなかった。
 明くれば五日黎明、しとしとと降る京の雨の間を走る電車に乗せられて私はS君の宿を訪るる身であった。朝飯をすまして私とS君とは春雨に烟った東山に面する一室に障子を閉め切って火鉢を隔て向き合う。私が鎌倉、逗子、東京の近況、君やH子さんのことなど話して聞かす。しかし楽しく暖かく君と遊んできた私には、その後は淋しくもあり、悲しくもありしてならなかった。S君と私との間にはかなりぼんやりしてる一枚のとばりが下がってる。S君は気のおける人だ。うち解けてくれない。どうしたらS君と心おきなく楽しく話せるのだろうかと思わざるを得なかった。君の言葉を借りて言えば、S君の感情はルードである。どうかするとS君のこの傾向が鋭く感じられたので京都においてはただ自然美に恵まるるのみであった。夕暮れ、私ら二人は知恩院を訪うた。雨晴れの夕暮れの空に古色蒼然たる山門は聳えていた。ああこれぞ知恩院である。山門であると思いながら、私共はそれを潜った。春雨を豊かに吸うた境内の土、処々に侘しく残ったにわたずみ、古めかしい香いのする本堂、鬱然うつぜんとして厳しく立ち並んだ老木の間には一筋の爪先き上りの段道がある。その側には申し訳のような谷川がある。私共は肩をならべて登った。
 もともと君でも僕でも真心より尊き美に憧るる者である。一個の生をけてその生の骨子たらしめんとするのは「尊きもの」である。一枚の紙のみ張ってある組子の無い障子はこの間まで春風を心地よく受けてふわりふわりとしていた。秋風の寒さが吹いて来たときこれではたまらない。何か確然としたものはないかしらと気がついた。君でも僕でもこの確乎したものは「尊きもの」でなくてはならなかった。それからというものは、お互いに血眼になって「尊きもの」を探してる。だから当然内容の如何いかんを問わず、ある尊きものに面接したときハッとして立ち止まる。このとき言い知れぬ懐しさを感ずるのだ。君と僕とが鎌倉で無名の社に詣でたときこれを経験したではないか。さて私はS君と滑らかな林道を辿った。私の心には懐しき尊さが訪れて僕はそれと応接すべくS君とは口をかなかった。S君の趣味があまりに低級にして、感情がいかにも粗笨に思われたからである。やがて二人は祇園ぎおん桜に出た。群衆はきそうてその側に集まる。紅提燈べにぢょうちんに灯がともる。空は灰色からだんだん暗黒になってゆく。それから都踊りを見た。私は踊りに関しては門外漢だから論じられぬが、うるわしき舞子が、美わしく装うて、美わしき背景の前に、美わしく舞うたのはさすがに美わしかった。そのとき音楽ということが稲妻のごとく私の頭に光明を与えてまた行ってしまった。上野の森の夕闇の逍遙に、君が音楽の価値を論じて私共が音楽の世界にストレンジャーであるのを嘆いたが、いま花やかなる踊り場の中にあって、調子の整った三味の音、鼓、大鼓、笛の響きを聞いたとき、ほんとにそうだとつくづく思った。居合わすものはS君と君とD君とK君、お互いに舞子の顔の批評ばかりし合ってる。
 翌日嵐山、金閣寺を見物して、クラシックの匂いを慕って奈良に回ったが綺羅粉黛きらふんたい人跡繁くして駄目であった。ただ大仏に対して何だか色のない尊い恋というようなものを感じた。それからずうッとO市に帰ったのである。
 今日は八日、花曇りの空は重々しく垂れかかってる。こうして机にりかかってぼんやりしてると、過ぎにし旅行のことが影絵のごとく、おぼろに思い浮かべられて、淡い淡い悲哀を覚ゆるのである。恋しき友よ、君はなんという私にとって無くてはならない友であろう。私の覚ゆる悲哀は一には君のために覚ゆる悲哀である。春雨に濡るる若草のごとくに甘い、懐かしい、潤うた悲哀である。君無くばからびた味の無い砂地のごとき悲哀になっちまう。
 お互いに自重しようね。耽溺、刹那主義、pleasure-hunter なんという嫌な響きであろう。思索だ! 思索だ! 永遠にして崇高なものをぐっと握り締めるまでは、私共のなすべきすべてのことはただ思索あるのみである。

 今日は朝っぱらから心細いことのみに出っくわす。例の瘰癧るいれきの男と学校で会って僕が彼に思索せぬことをなじったら彼は次のごとく答えた。
「私は十年経てば死ぬと医者から宣告せられてるのだぜ。過去は暗黒だ。未来は謎だ。短い命を誰がくだらぬ思索なんかに費すものか。私にはそんな余裕はない。私には『生きる』ということが仕事の全部だ。なるほど生きているなと思うには強い、い刺激が要る。それには歓楽にく者は無い。鼓の響き、肉の香、白い腕、紫の帯、これらは私の欠くべからざる生活品だ。これらが無くては寂しくてたまらぬ。私の頸からは切っても切っても汚い、黄色なうみがどぶどぶ出る。君らは鏡に向かって自分の強く美しき肉体を賛美することは知ってても、肺病患者が人知れずたんを吐いて、混血の少ないのにほっと息を吐くときの苦心は知るまい。私は死に面接してる。君らは死を弄んでる。死は私には事実だが君らには空想だ。『自然』に反抗するとき死は恐怖だが、降参してしまえば慰安だ。君らは早かなわじと覚悟して、獅子の腕の下るのを待ってる小羊の心がぞんがい安静なのを知らないのだ」ざっとこんな意味のことを嘲るように、投げ出すように言った。私はなんだか私らの思索の前途がおぼつかなくなった。帰宅すると机の上に君の手紙が置いてある。それを読むとまたいっそうのこと心細くなった。君のは瘰癧のとは形式は異なるが、やっぱり「自己存在の確認」を訴えてるからだ。君がオブスキュアな生活が味気なく、ポピュラリチーを欲求するのはあえて無理とはいわない。ことに君は花やかな境遇ばかり経てきたのだからなおさらだ。しかし群衆の反応の中に自己の影像を発見しようと努めることとフィロソフィック・クールネスとははたして両立し得るであろうか。身オブスキュリチーに隠るるとも自己の性格と仕事との価値をみずから認識してみずから満足しなくては、とても寂しい思索生活は永続しはしない。君の言のごとく自己の記念碑を設立せんと欲するのは万人の常ではあるが、君、どうかそこをいま少し深刻に、真面目に考えてくれたまえ。君は他人より古い、小さい、弱いと思っては満足できぬ人間なのだから、エミネンシイに対する欲求も無理とはいわない、がそこを忍耐しなくてはえらい哲学者にはなれない。君が目下の急務はフィロソフィック・クールネスの修養だ。何事も至尊至重のライフのためだ。後生だからエミネンシイとポピュラリチーとの欲求を抑制してくれたまえ。君はあくまでも尊い哲学者になりたまえ。私は熱心に研究してる。この頃くだらぬ朋友と皮一重の談笑するのが嫌でならない。独歩や藤村等のしみじみした小説、大西博士、ショウペンハウエル、ヴントを読んでる。

 今日はじつにいい天気だ。空は藍色を敷き詰め、爽やかな春風を満面にはらんだしいの樹の梢をかすめて、白い雲がふわふわと揺らぐ。朝から熱心に心理を読んでいた私は、たまらなくんびりした心地になって、羽織を脱ぎ捨てて飛び出した。O市西郊の畷道あぜみち、測量師の一隊が赤、白の旗を立てて距離を測ってるのが妙に長閑のどかである。このとき僕はふと明林寺を想い出した。大西博士の眠りたまえる寺である。墓参しようと決心した。しばらく経って私は明林寺の鬱然たる境内、危そうな象形文字を印したる凸凹道を物思いがちに辿たどっていた。墓地に着くやいなや、らい病らしい、鎌を手にした少年が陰険な目付きでじろじろ睨んで通った。冷やりとした。数多き墓の中、かれこれと探って、ついに博士の墓を発見した。大きな松ののさばりかかった上品な墓だ。頭の上ではほろろと鳥が啼き名も知れぬ白い、小さな草花があたりにむらがり咲いていた。尊き哲学者を想うこころは、私をしてその墓の前に半時間あまりもうずくまらしめて深い物想いに沈ましめた。豪い哲学者もこうして忘れられてゆくのだと思ったときオブスキュリチーにふるえる君を思い出して痛ましく思わずにはいられなかった。いつしか迫ってくる夕闇に、墓場を辞して火燈ひともし頃のO市に帰った。帰宅するまえ例のカフェに寄った。例の娘に「おまえ、大西博士を知ってるの」と聞いたら黙って頭を振った。天に輝く星を眺めておお涼しいこととでも思ってるのであろう。博士はとうとう美しき彼女には知られぬであろう。

 暗い暗い、気味悪く冷たい、吐く気息も切ない、混沌迷瞑こんとんめいめい、漠として極むべからざる雰囲気の中において、あるとき、ある処に、光明を包んだ、つや消しの黄金色の紅が湧然ゆうぜんとして輝いた。その刹那、ふるおののく二つの魂と魂は、しっかと相抱いて声高く叫んだ。その二つの声は幽谷にむせび泣く木精こだまと木精とのごとく響いた。
 君と僕との離れがたき友情の定めは、このとき深く根ざされたのであった。思えば去年私が深刻悲痛なる煩悶に陥って、ミゼラブルな不安と懊悩おうのうとに襲われなければならなかったとき、苦しまぎれに、寂しまぎれに狂うがごとき手紙をば幾回君に送ったことであろう。親類を怒らせ、父母を泣かせて君が決然として哲学の門に邁進まいしんしたとき、私の心は勇ましく躍り立った。月日の立つのは早いものだ。君が向陵こうりょうの人となってから、小一年になるではないか。思えば私らはこの一年間、何を求め得、何を味わい得たのであろう。奥底に燃ゆるがごとき熱誠と、犯すべからざる真面目とを常に手放さなかった私らは、目を皿のごとくにして美わしい尊いものを探し回ったのに、また機敏なる態度を持してかりそめにものがすまいと注意したのに、握り得たものは何であろう。味わい得たものは何であろう。私らは顧みて快くほほ笑み、過去一年の追憶を美わしき絵巻物を手繰たぐるがごとく思い浮かべることができるであろうか。この長き月日を冷たい、暗い喧騒な寮にくすぶって浮世の花やかさに、憧れたりしわが友よ、僕は君を哀れに思う。かくのごとくして歓楽に※(「りっしんべん+尚」、第3水準1-84-54)※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)しょうけいする君は歓楽から継子ままこ扱いにされねばならなかったのだ。
 かの公園に渦のごとくもつるる紅、紫、緑の洋傘の尖端に一本ずつ糸を結び付け、一纏めにして天空に舞い上らしめたらどうであろう。しばしあっけにとられた後はわれに帰るであろう。清く崇き鐘の音をして花に浮き立つ群衆を散らしめよ。人無き後の公園は一種名状すべからざる神秘的寂寥を極むるであろう。清い柔らかな風がいま一度吹き渡る。天はますます青く澄み、緑草は気息を吹き返す。私はこの寂しき公園の青草の上に天を仰いでころびたい。そしてあのいい色の青空を視力の続くかぎりつめたい。その視線が太く短くなってやがてはたと切れたときそれなりに瞑目したらなお嬉しい。
 今年の私のこの心持ちはいっそうにエルヘーヴェンされたのである。私は所詮神秘と崇厳とを愛憬する若者であった。
 私は去年、花やかさにも湿うるおいにも乏しきO市の片隅の下宿において、冷たい、暗い、乾ききった空気の中に住むことをいかほど辛く味気なく思ったことであろう。しかし今年の私は君の濃き温かき友情に包まれることができる。H子さんが私を知っての上の熱き真情もある。加うるに真生命に対する努力と希望とがある。O市における燻った生活、淋しき周囲の状態はこれらの前には首を低うして、ひれ伏さねばならぬであろう。僕は君に喜んでもらわなくてはならない。
 それにしても君、今年の春ははやかんとするではないか。隣家の黒板塀からのさばり出た桃の枝は敗残の姿痛ましげに、今日も夕闇の空に輪郭をぼかしている。私は行く春の面影を傷手を負うたような心地で、しのばぬわけにはゆかぬのである。私は惜しくて惜しくてならない。地だんだ踏んでもいま一度今年の春を呼び返し、君とともに味わったかの清楽と、花やかなしかし見識のある歓楽が味わいたい。しこうして崇高の感に打たれたい。こう思うとき心の扉はぴりぴりと振うではないか。

 この間の長い手紙丁寧に読んだ。じつを言うとあの手紙は私にとってあまり嬉しい感じを与えてくれなかった。苦心して探し回って、ついにどうか、こうか快楽という一事を捕えたまではよかったが、その「快楽」を捕えたときは、君はすくなからず蕭殺しょうさつたる色相とデスペレートな気分とを帯びてるごとく見えたからである。快楽主義は君にとっては今や一つの尊き信念になった。しかし君はあの手紙を書いて以来、柔らかな、優しい、湿うるおうた、心地で日を送ってるかい。おそらくはすさんだ、すてばちな気持ちであろう。君の結論は私はこう断定した。「人間の本性は快楽を欲求する意志である。ゆえに最もよき生を得んには意志の対象たる快楽の存するところに赴くべし」と。私だって快楽にインディフェレントなほどに冷淡な男では万々ない。私らがある信念を得てそれに順応してゆくところ、必然になんらかの快楽が生ずることは今から信じている。しかし人間の行為の根本義は快楽であろうか。快楽だから欲求するのであろうか。経験の発達した私らには快楽だから欲求することはずいぶんある。しかし発生的、心理的に考えてみたまえ。欲求を満足せしむるとき初めて快楽を生ずるので、欲求する当初には快楽は無かったに違いない。約言すれば快楽は欲求を予想している。元来快楽主義は脳力の発達した動物にのみあり得べき主義である。それに人間にはおぼろながら理想というものがある。なんとなれば欲求に高下の差別はあり得ぬにしても、われらはある欲求は制してある欲求はばしているが、この説明者は理想でなければならぬからである。私は自己運動の満足説を奉じたい。もっとも自己の満足するところ快楽ありとすれば、客観的には快楽だから欲求したのだともいえようが、しかしそれは客観的、経験的の立言で主観的ではない。それにまた人間がこの世の中にポッと生まれ出て、快楽のために快楽を味おうて、またポッと消えてしまうとはあまりにあっけないではないか。ただそれだけでは私らの形而上学的欲求が許してくれない。快楽主義の奥に何か欲しいではないか。少なくともいわおのごとき安心の地盤に立って堂々と快楽が味わいたいではないか。姑息こそくな快楽だけで満足できるようだったら、私らは初めから哲学に向かわなかったであろう。享楽主義の文芸家と私らとの分岐点はじつにこのところに存する。彼らよりも私らが人生に対していっそう親切に、忍耐に富み、真摯なりと高言し得るのはじつにこのところに存する。君の性格は享楽主義の誘惑に対してすこぶる危い。人生の真の愛着者たらんとする君ならばそこを一歩勇ましく踏み止まらなくてはならない。君の享楽主義は荒涼たる色調を帯びている。君はいま泣き泣き快楽を追わんとしているのだ。まことにすさんでいる。君の吐く息は悽愴せいそうの気に充ちている。君の手紙のなかには「ああ私は生に執着する」とあった。しかし私にはこの言葉がいかにももの凄く響いたのである。君の態度は君の手紙のなかにあったごとく、平将門たいらのまさかど比叡山ひえいざんから美しい京都の町を眺めて、「ええッあの中にあばれ込んでできるだけしつこく楽しんでやりたい」といったようにしか思えなかったからである。愛着の影さえ荒んで見えたのである。私は君がみずから緑草芳しき柔らかな春のしとねに背を向けて、明けやすき夏の夜の電燈輝く大広間の酒戦乱座のただなかに狂笑しに赴くような気がしてならない。四畳半に遠来の友と相対して湿やかに物語るの趣は君を惹かなくなって、某々会議員の宴会の夜の花やかさのみが君の心をそそるようになるようにも思われる。君はいま利己的快楽主義のほこをまっこうにかざして世の中を荒れ回らんとしている。快楽の執着、欲求の解放、力の拡充、財の獲得! ああ君の行方には暗澹たる黒雲が待っている。恐ろしい破滅が控えている。僕はこれを涙なくしてどうして見過ごすことができよう。これらもみな今までの君のライフが充実していなかったがためである。しみじみと統一的に生き得なかったためである。そう思えばますますいとしくなる。揃いも揃って美しい七人の姉妹の間に、父母の溺愛にちやほやされて、荒い風に揉まれず育った君は素直な、柔らかな稚松わかまつであった。思えば六年前僕らが初めて中学に入校した当時、荒い黄羽二重の大名縞の筒袖に短いはかまをつけて、褐色の鞄を右肩から左脇に懸けて、赤い靴足袋を穿いた君の初々ういういしい姿は私の目に妙に懐しく映ったのであった。どうかすると君はぱっと顔を赤くする癖があった。その愛らしい坊ちゃん坊ちゃんした君を知ってるだけに、今の荒んだ、歪んだ君がいっそうのこといとしい。いなそればかりではない。君の認識論はほとんど唯我論に帰着して、自他を峻別して自己に絶対の権威を置くの結果、三之助なる者の君の内的生活において占有する地位は淡い、小さい影にすぎなくなった。僕と君とのフロインドシャフトは今や灰色を帯びてきた。君の手紙のなかには「君と別れてもいい」といったような気分が漂うてるなと私は感じた。ああしかし僕は君を離したくない、君が僕を離れんとすればするほど君を僕の側に止めておきたい。そしてできるだけ私の暖かな気息いぶきを吹きかけてじんわりと君の胸のあたりを包んであげたい。君よ、たとい僕と離るるとも、もし君が傷ついたならまた僕の所へ帰ってきたまえ。うるおえる眸と柔らかな掌とは君を迎えるべくやぶさかではないであろう。
 ああ、今やわれら二人の間をかくして、無辺際の空より切り落とされたる暗澹たる灰色の冷たい幕。われらの魂はこの幕を隔てて対手の微かな溜息を聞き、涙を含む眸と眸とを見合わせながら、しかも相抱くことができぬのである。ああ僕はどうすれば好いのだろう。

 私は哀れな、哀れな虫けらである。野良犬のごとくうろうろとして一定の安住所が無い。寂寞せきばくと悲哀と悶愁と欲望とをこんがらかして身一つに収めた私はときどき天下真にわれ独りなりと嘆ずることがある。今や私には気味悪い厭世思想が心の底に萌している。この思想は蕭殺たる形を成して意識の上に現われては私を威嚇したり揶揄やゆしたりする。
 そこでM町を去ってF村へ鞍替えをしたがここもできたことはない。無限に続く倦怠は執念深きこと蛇のごとくここでも私に付き纏う。孤独の寂し味のなかに包まれて、なんのことはない、餅の上に生えたかびのようなライフを味おうている。
 M町から帰った夜、兄と一つコップの酒を飲んでいろいろ語った。蚊帳かやのなかにわだかまる闇の裡に私らのさざめきは聞こえた。黙契の裡に談話を廃して後しばらくして、「蛙が鳴くなあ」兄の声はしめやかであった。
「独歩がいったごとくに宇宙の事象に驚けるといいなあ」と兄がいった。私は腹のなかでうなずいてる。そして、
「現象の裡には始終物自爾みずからがくっついてるのだから驚いた次の刹那にはその方へ回って、その驚きを埋め合わせるほどの静けさが味わいたい」と私がいった。
「それは理知の快味だ。驚いた刹那は争うべからざる驚きの意識で占領された刹那じゃないか。その意識こそ尊い意識だ」
森鬱しんうつとして、巨人のごとき大きな山が現前したとき、吾人は慄然りつぜんとして恐愕の念に打たれ、その底にはああ大なる力あるものよとの弱々しい声がある。しかしその声に応じてすがりつくものが欲しいではありませぬか」
「縋りたいという意識の生じ得ない刹那がいっそう高い。とにかく人間の現象のなかでは驚きということがいちばん高いなあ」
 私は口を緘してじっと考えた。明け放した障子の間から吹き込む夜風はまたしても蚊帳のすそを翻した。突然柱時計が鳴り始めた。重い、鈍い音である。数は三つであった。
 今宵は形而上学的な友である。ランプの黄ばんだ光は室をぼんやり照らしている。本箱には金文字の背を揃えた哲学書が行儀正しく並んでいる。ガラス瓶にした睡蓮の花はそのほそい、長い茎の上に首を傾けて上品に薫っている。その直後にデカルトの石膏像が立ってる。この哲人はもっともらしい顔をして今にも Cogito ergo sum といい出しそうである。
 私は読むともなしに卒業前後の日記を読んだ。そしてしばらくの間過去の淡い、甘い悲哀の内を彷徨ほうこうしていた。うっちゃるごとく日記を閉じて目をそらしたとき、ああ君が恋しいとつくづく思った。そして発作のごとく筆を執った。しかしこの頃のやや荒廃した心で何が書けよう。ただただ君が恋しい。これ以外には書くべき文字がみつからない。私は近頃たびたびトリンケンに行く。蒼白い、悲哀が女の黒髪の直後にわだかまる無限の暗のなかに迷い入るとき、皮一重はアルコールでほてっても、腹の底は冷たい、冷たい。
 ああ初秋の気がひしひしと迫る。今宵私の心は著しく繊細になっている。せめて今宵一夜は空虚の寂寞を脱し、酒の力をりて能うだけ感傷的になって、蜜蜂が蜜をすするほど微かな悲哀の快感が味わいたい。
 風のはやい、星の凄いこの頃の夜半、試みに水銀を手の腹に盛ってみたまえ、底冷たさは伝わってわれらの魂はぶるぶると慓える[#「慓える」はママ]であろう。このとき何者かの力はわれらに思索を迫るであろう。かくてわれらはかたちを改め、えりを正しくして厳かに、静かに瞑想の領に入らねばならぬ。霜凍る夜寒の床に冷たい夢の破れたとき、私は蒲団ふとんの襟を立ててじっと耳を傾ける。窓越しに仰ぐ青空は恐ろしいまでに澄み切って、無数の星を露出している。嵐は樹にえ、窓に鳴ってすさまじく荒れ狂うている。世界は自然力の跳梁ちょうりょうに任せて人の子一人声を挙げない。このとき私は胸の底深くわが魂のさめざめと泣くのを聞く。人は歓楽の市に花やかな車をきしらせて、短き玉の緒の絶えやすきを忘れている。しかし、死は日々われらのために墓穴を掘ってるではないか。瞼が重だるく閉じて、線香の匂いが蒼ざめた頬にすすりなくとき、この私は、私の自我はどこをどう彷徨してるだろう。これが暗い暗い謎である。肉ただれては腐り、腐りして、露出した骨の荒くれ男の足に蹈まるるとき、ああ私の影はどこに存在してるだろう。かの微妙な旋律に共鳴した私の情調、かの蒼く顫える星にかけり行く私の詩興、これらすべてはようとして空に帰すのであろうか。そればかりではない。われらを載す地球も、われらを照らす太陽も、星も、月も、ありとあらゆる者はついに破滅するというではないか。バルフォアは世界大破滅の荒涼たる光景を描いてほぼ次のごとく述べている。

 The energies of our system will decay, the glory of the sun will be dimmed, and the earth, tideless and innert, will no longer tolerate the race which has for a moment disturbed its solitude. Man will go down into the pit, and all his thoughts will perish. Matter will know itself no longer.‘Imperishable monument’and‘Immortal deeds’death itself, and love stronger than death will be as if they had not been. Nothing, absolutely nothing remains. Without an echo, without a memory, without an influence. Dead and gone are they, gone utterly from the very sphere of being.

 かくのごときは唯物論の到達すべき必然の論理的帰結である。けれども、私は物質の器械力に無限の信仰を払うにはあまりに宗教的であり、芸術的である。いわんや、この恐るべきバルフォアの自殺的真理をばいかにして奉ずることができよう。ヘッケルに身慄いして逃げ回った私のどきどきと波打つ胸をじっと抱えて、私の耳に口を触れんばかりにしてゼームス博士は、Is the matter by which Mr. Spencer's process of cosmic conclusion is carried on any such principles of never ending perfection as this? No, Indeed it is not! と力ある声で囁かれたのである。じつに私の内的生活に消ゆべくもない唯心的傾向を注入したのはゼームス博士の A world of pure experience とショウペンハウエルの Die Welt als Wille und Vorstellung とであった。Die Welt ist meine Vorstellung. Alles, was irgend zur Welt geh※(ダイエレシス付きO小文字)rt ist nur f※(ダイエレシス付きU小文字)r das Subjekt da. というショウペンハウエルの一句は私にとって無量の福音であったのである。しかし私は今この暗い深い死後の生活に関して盲目の手探りをなす前に、さらにいっそう痛切なる問題に接触する。それはわれらの現世の「生」をばいかに過ごすべきかという平凡なしかし厳粛な問題である。「生きたい」ということは万物の大きな欲求である。これと同時に統一、充実して生きたいということは意識が明瞭になればなるほど悲痛な欲求の叫びである。ああ私は生きたい、心ゆくばかり徹底充実して生きたい。燃ゆるがごとき愛をもって生に執着したい。されどされど退いて自己の内面生活を顧みるとき、さまよいて周辺の事情を見回すとき、内面生活のいかに貧弱に外情のいかに喧騒なるよ。前者の奥にはらんとして輝く美わしき色彩が潜んでいるらしいけれど、いかんせん灰色の霧の閉じめて探る手先きの心もとない、後者の裏には心喜び顫える懐しきもののかくれていて、私の探りあてるのを待っているらしいけれど、種々の障害と迷暗とに逢瀬のほどもおぼつかない。けれど私は生を願うものである。たとい充実せぬはかない気分で冷たい境地をうろついていても、たとえば浮き草の葉ばかり揺らいで根の無いごとく、吹けば消え散る心の靄、こんな生活をして、果ては恐ろしい倦怠のみが訪れても私は死にたくない。かかる生が続けば続くほど、ますます運命を開拓して心の隈々まで沁み込むような生が得たい。私はあくまで生きたい。しかし恐ろしい力を持つ自然は倨然として死を迫る。こんな悲惨なことがどこにあろう。これじつに人生の大なる矛盾不調和でなくてはならない。かくのごとく強烈に生に執着するわれらにとっては死の本能を説くメチニコフの人生観はなんの慰安にもならぬのである。かくのごとくしてわれらは自然の大きな力の前に詮方せんかたなく蹲いて行く。われらの「ウォルレン」の反抗を嘲笑して、自然は生死に関しては「ザイン」そのままを傲然として主張するのだ。またわれらの生も一面から見れば一つの「ザイン」である。刹那主義の立脚地はここにあるかもしれない。混沌の境に彷徨する私はともすればこうした生活に引きさらわれやすいけれど、涙無くしてみすみす引きさらわれてゆくことがどうしてできよう。生死の問題は今のところいかんともすることはできない。ただ発作的恐怖に戦慄するのみである。しかし深く考えてみれば要するに生きんがための死ではあるまいか。死に対する恐怖の本能よりも、よく生きんとする欲求的衝動の方が強烈である。人生の中核はいかにしてもよく生きんとする意志あるいは衝動、さらに言をたくましくすれば一種の自然力であるらしい。私はショウペンハウエルと共にこの真理を信仰し、謳歌し、主張したい。倦怠の裡には寂愁があり、勝利の裏には悲哀がある。一つは生を欲するための死に対する恐怖であり、他は生の充実を感じたための死に対する思慕ではあるまいか。
 われらは人間の有する性情を「何所いずこより」「何処いずこへ」「何のために」「かくあるべし」と詮索するよりも「何である」と内省することこそ緊要である。自己の真の奥底より湧き起こる声に傾聴して、自己の真の性情に立脚するところ、そこに充実せる生は開拓さるるであろう。ただのがれがたきは個性の差異である。個性こそは自我の自我たる所以ゆえんの尊き本質である。普汎的自我の白帛を特殊的自我の色彩をもって染めねばならない。この個性に対して忠実に働き、個性の眼鏡を透して、そのままを認識し、情感し、意欲する心的態度をしも真面目と呼びたい。
 自然主義は一つの過渡期の思想であったし、現にある。私はけっしてこれに満足することはできないがまた多くを学び得たのである。われらがまさに到らんとする幻滅とともに、眠れる自覚をそそり起こして、われらを偉大なる自然の前に引きいだし、実生活に対する自然の権威、自然に対する主観の地位等を痛感せしめた。しかしわれらは自然の器械力の前にひれ伏して現実そのままの生活に執着して大なる価値を掘りいださんには適しなかった。自然の足下に恐縮して心を形の質とせんには謙虚でなかった。ただ神経の鋭敏と官能の豊富とに微かな気息を洩らして、感情生活の侵蝕に甘んずるにはあまりに真率であった。現実生活をしていっそうよきものたらしめんがために自然力の偉大を悟り、生の悲痛を感じ、神経のデリカシイと官能のあでやかさとを獲得したのである。私はこの意味において自然主義存在の理由と価値とを認容する。自然主義を眺めた私の心の目はショウペンハウエルの観念主義の色調を帯びて、ここに一種の特殊な見方に陥ったのである。「世界は吾人の観念にほかならない。主観を離れて客観は無い。自然は主観の制約の下にある」といった命題はいかに私に心強く響いたであろう。しかしまた裏へ回って「見ゆる世界の本体は意欲である。世界は意志の鏡であり、またその争闘場裡である」と聞いたとき慄然としておののいたのである。しかしまた本体界の意志を無差別、渾一体のものとして認めた彼はなんとなく私の心の動揺を静めるようにも思われた。かくて最後に残った者は自然を前にしてよく生きたいという一事であった。
 享楽主義者たるをも、イリュウジョンに没頭し得るロマンチシストたるをも得なかった私には、いかにせばよき生が得らるるかが緊要な問題であり、また日々の空疎なる実生活がやるせなき苦悶であらねばならなかったし、現にあるのである。私は考えた。悶えた。しこうしてどうしても人間の根本性情の発露にあらずんばよき生は得られないと思った。人性の曇らさるるところ、そこに憂鬱があり、倦怠がある。その発露の障害さるるところ、そこに悲哀があり、寂愁がある。人性のさんとして輝くところ、そこに幸福があり、悦楽がある。人性の光輝を発揚せしめんとするところ、そこに努力があり、希望がある。人性の内底に鏗鏘こうそうの音を傾聴するところ、そこにみなぎる歓喜の声と共に詩は生まれ、芸術は育つ。かるがゆえにわれらは内面生活の貧弱と主観の空疎とを恐れねばならない。外界に対する感受性の麻痺を厭わねばならない。われらはいたずらに自然の前にひれ伏して恐れ縮んではならない。深き主観の奥底より、暖かき息を吐き出して自然を柔かに包まねばならない。とはいうものの顧みればわれらの主観のいかに空疎に外界のいかに雑駁なるよ。この中に処して蛆虫うじむしのごとく喘ぎもくのがわれらである。これをしも悲痛と言おう。されどされど悲痛という言葉の底には顫えるような喜びがきざしてるではないか。悲痛に感じ得るものは充実せる生を開拓する大なる可能性を蔵してるということは今の私には天堂の福音のごとく響くよ。私はまだまだライフに絶望しない。冷たい傍観者ではあり得ない。
 この夏休暇以来、君と僕との友情がイズムの相異のために荒涼の相を呈せざるを得なくなるにつれて、私の頭のなかには「孤独」という文字が意味ありげに蟠っていた。私は種々の方面からこれを覗いてみた。ああ、しかし孤独という者はとうてい虚無に等しかったのである。私が一度認識という事実に想到するとき絶対的の孤独なるものは所詮成立しなかったからである。われらは認識する。表象はわれらの意識の根本事実である。表象を外にして世の中に何の確実なる者があろう。「表象無くんば自我意識無し」元良もとら博士はくしのこの一句のなかには深遠な造蓄が含まれている。認識には当然ある種の情緒と意欲とを伴う。これらの者の統合がすなわち自我ではないか。われらは対象界に対して主観の気息を吹きかけ、対象界もまた主観にある影響を及ぼす。かかる制約の下にありながらいかにして絶対孤独に立ち得よう。ああ認識よ! 認識よ! おまえの後ろには不思議の目を見張らしむる驚嘆と、魂をそそり揺がすほどの喜悦とが潜んでいる。
 最後に私は今や蕭殺たる君と僕との友情を昔の熱と誠と愛との尊きにめぐらさんとの切実なる願望をもって、君の利己主義に対して再考を乞わねばならない。
 君と僕との接触に対する意識が比較的不明瞭であって、友情の甘さのなかに無批評的に没頭し得た間はわれらはいかに深大なる価値をこの接触の上に払い、互いに熱涙を注いで喜んだであろう。しかし一度利己、利他という意識が萌したときわれらは少なからず動揺した。惨澹たる思索の果て、ついに唯我論に帰着し、利己主義に到達したる君はまっ蒼な顔をして「君を捨てる!」と宣告した。その声は慄えていた。鋭利なる懐疑の刃をすべての者に揮うた君は、とどろく胸を抑えて、氷なす鉾尖ほこさきを、われらの友情にザクリと突き立てた。その大胆なる態度と、純潔なる思索的良心には私は深厚なる尊敬を捧げる。僕だって君との接触についてこの問題に想到するときどれほど小さい胸を痛めたかしれない。始めから利己、利他の思想の頭をもたげなかったならばと投げやりに思ってもみた。しかしこの思想は腐った肉にあつまる蠅のごとくに払えど払えど去らなかったのである。このとき私の頭のなかにショウペンハウエルの意志説が影のごとくさしてきた。

 表われた世界は意志の鏡であり、写しである。この世界にあっては時間と空間という着物を着て万物は千差万別、個体としてせめぎ合ってる。しかし根拠の原理を離れた世界、すなわち本体界にあって、万物の至上の根源、物自爾としての実在は差別無く、個体としてでなき渾一体の意志である。この渾一体の意志は下は路上にうる一葉より、上は人間に至るまで、完全に現われている。たとえばその意志は幻燈の火のごときものである。ただ映画によって濃きも淡きも生じて白いとばりの上にさまざまの姿を映す。そのさまざまの姿こそ万物である。

 これに次いで前述の認識、表象という文字が湧き起こる。主観を離れて客観はなく、客観を離れて主義はない。これに連接せしめて「表象なくば自己意識なし」ということを考えてみれば、どうも自己意識は絶対的には成立せぬらしい。唯我論は動揺せねばならない。いわゆる、利己、利他の行動は、本来この偉大なる渾一体としての意志の発現ではあるまいか。本体界の意志という故郷を思慕するこころは宗教の起源となり、愛他的衝動の萌芽となるのではあるまいか。これじつに遠深なる形而上学の問題である。
 何が人生において最もよきことぞと問い顧みるとき、官能を透してくる物質の快楽よりも、恋する女と、愛する友と相抱いて、胸をぴたりと融合して、至情と至情との熱烈なる共鳴を感ずるそのときである。魂と魂と相触れてさやかなる囁きを交すとき人生の最高の悦楽がある。かかるとき利己、利他という観念の湧起する暇は無いではないか。もしかかる観念に虐げられてその幸福を傷つけるならば、その人はみずからの気分によりてみずからをそこなうものである。気分というものは人生において大なる権威をなすものだ。君は君の本性と正反対の気分をもって反動的にイリュウジョンを作り、それに悩まされているのではあるまいか。
 君は他人は自分の「財」として、すなわち自分の欲求を満足せしむる材料としてのみ自分にとって存在の理由があるという。しかし、ここが問題である。私は他人との接触そのものを大なる事実であり、目的であると考えたい。たとえば相愛する女と月白く花咲けるまがきに相擁して、無量の悦楽を感じたとする。このときの情緒そのものが大なる目的ではないか。この情緒の構成要素としては女の心の態度、用意、気分またはその背後に潜む至情が必要であるとともに君の心のこれらの者も同時に必要である。この際しいて女を手段と見るならば、君自身をも同様に手段と見ねばなるまい。君は自他の接触をばあまり抽象的に観察してはいまいか。愛らしい女がいるとする。これを性欲の対象として観るとき、そこに盲目的な、荒殺の相が伴う。これを哲学的雰囲気のなかに抱くとき、尊き感激は身に沁み渡って、彼女の長きまつげよりこぼるる涙はわれらの膝を潤すであろう。虞美人草ぐびじんそうの甲野さんが糸子に対する上品な、優しい気持ちこそわれらの慕うところである。私は君との友情のみはあらゆる手段を超越せる尊厳なる目的そのものだとしか思えない。君よ! 哲学的に分離せんとしたわれらは再びここに哲学的に結合しようではないか。哲学の将来はなお遼遠である。ともに思索し、研究し、充実せる生を開拓しよう。この頃私は「生きんがため」という声を聞けば一生懸命になるんだ。耳を澄ませば滔々とうとうとして寄せ来る唯物論の大潮の遠鳴りが聞こえる。われらは、pure experience と Vorstellung との城壁に拠ってこの自殺的真理の威嚇の前に人類の理想を擁護せねばならない。
 ああ愛する友よ、わが掌の温けきを離れて、あしそよぐ枯野の寒きに飛び去らんとするわが椋鳥むくどりよ、おまえのか弱い翼に嵐は冷たかろう。おまえに去られて毎日泣いて待っている私のところへ、さあ早く帰ってお出で。
(一九一二・二)
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 生命の認識的努力

       一

 われらは生きている。われらは内に省みてこの涙のこぼるるほど厳粛なる事実を直観する。宇宙の万物は皆その影をわれらの官能の中に織り、われらの生命の内部に潜める衝動はこれに能動的に働きかけて認識し、情感し、意欲する。かくて生命はおのれみずからの中に含蓄的(implicit)に潜める内容をしだいに分化発展してわれらの内部経験は日に日に複雑になってゆく。この複雑なる内部生命はおのれみずからの存在を完全ならしめ、かつ存在の意識を確実にせんがために、表現の道を外に求めて内に蠢動しゅんどうする。いうまでもなく芸術と哲学とはこの内部生命の表現的努力の二途である。ただ前者が具体的に部分的に写出する内部経験を後者は概念の様式をもって、全体として(as a whole)統一的に表現するのである。かくて得られたる結果は内部生命の投射であり、自己の影であり、達せられた目的は生命の自己認識である。
 われらの生命は情意からばかりはできていない。生命は知情意を統一したる分かつべからざる有機的全体である。われらの情意が芸術のはなやかな国に、情緒生活の潤いを追うてあこがれるとともにわれらの知性は影の寒い思索の境地に内部生命の統一を求めて彷徨しなければならない。じつにわれらは日々の現実生活において血の出るような人格の分裂を経験せずにはいられない。このもとより分かつべからざる有機的なる人格が生木を割くがごとく分裂するということはわれらの生命の系統的存在の破壊であって、近代人の大きな悩みであり、迷いでなければならない。なんとなればすべて生命あるものは系統的存在であって、系統の破壊はただちに生命そのものの滅却であるからである。これじつに空疎なる主観と貧弱なる周囲とがもたらす生命の沈滞荒廃よりもわれらにとっていっそう切実なる害悪であり、苦悩である。
 このゆえにちぎれちぎれの刹那に立って、個々の断片的なる官能的経験をあさりつつ生活の倦怠よりのがれんとする刹那主義者はしばらくき、いやしくも全部生命(whole being)の本然的要求の声に傾聴して統一せる人格的生活を開拓せんとする真摯なる個人は必ず芸術とともに哲学をも要求せずにはいられない。これじつにわれらの飽くことを知らざる知識欲の追求にあらずして、日々の実際生活に眉近く迫れる痛切なる現実の要求である。ここにおいてわれらは大いなる期待と要求とをわが哲学界の上に浴びせかけねばならなかった。
 わが国の哲学界を見渡すときに、われらはうら枯れた冬の野のような寂寥せきりょうを感ずるよりも、乱射した日光にさらされた乾からびた砂山の連なりを思わされる。主なき研究室の空虚を意識せぬでもないが、それよりも街頭に客を呼ぶあさはかな喧騒を聞くような気がする。近代の苦悩を身にしめて、沈痛なる思索をなしつつある哲学者はまことに少ない。まれに出版される書物を見れば通俗的な何々講習会の講演の原稿が美装をらして現われたのにすぎない。著者の個性のあらわれた独創的な思想の盛りあげられた哲学書はほとんどない。深刻な血を吐くような内部生活の推移の跡の辿たどらるるような著書は一冊もない。そればかりではない。彼らは国権の統一にその自由なる思索の翼をからまれている。ローマ教会の教権が中世哲学にるいしたごとく、国権がわが現今の哲学界を損うてる。彼らの倫理思想のいかに怯懦きょうだなることよ。彼らはあおい弓なりの空と、広くほしいままに横たわる地との間に立って、一個の自然児として宇宙の真理を説く思想家ではない。それどころではない。われらと同じく現代の空気を呼吸して生き、現代の特徴をことごとく身に収めて、時代の悩みと憧憬とを理解せる真正なる近代人さえもまれである。彼らはわれら青年と mitleben していない。両者は互いの外に住んでいる。その間にはいのちといのちのあたたかな交感は成り立たない。
 この乾燥した沈滞したあさましきまでに俗気に満ちたるわが哲学界に、たとえば乾からびた山陰のせ地から、あおばんだ白い釣鐘草の花が品高く匂い出ているにも似て、われらに純なる喜びと心強さと、かすかな驚きさえも感じさせるのは西田幾多郎にしだきたろう氏である。
 氏は一個のメタフィジシャンとしてわが哲学界に特殊な地位を占めている。氏は radical empiricism の上に立ちながら明らかに一個のロマンチックの形而上学者である。氏の哲学を読んだ人は何人も淋しい深い秋の海を思わせらるるであろう。氏みずからも「かつて金沢にありしとき、しばしば海辺にたたずんで、淋しい深い秋の海を眺めては無量の感慨に沈んだが、こんな情調は北国の海において殊にしみじみと感じられる」と言っていられる。まことに氏の哲学は南国の燃え立つような紅い花や、裸体の女を思わせるような情熱的な色に乏しく、北国の風の落ちた大海の深い底を秘めて静まり返ってるのを見るような静穏なものである。その淋しい海の面に夢のように落ちる極光のような神秘な色さえ帯びている。色調でいわば深味のある青である。天もげよと燃えあがる※(「火+稻のつくり」、第4水準2-79-88)の紅ではなく、淋しい不可思議な花の咲く秋の野の黄昏たそがれを、音もなく包む青ばんだもやである。氏はまことに質素な襟飾りを着けた敬虔な哲学者であり、その体系は小じんまりと整頓した研究室をぼんやりと照らす蒼ざめたランプのように典雅な上品なものである。そこには氏の人格の奥床おくゆかしささえ窺われて、確信のそのまま溢れたような飾り気のない文章は氏の内面の生活の素朴を思わせ、人をしてすずろに尊敬の念を起こさせるのである。
 氏の著書としては『善の研究』が一冊あるのみである。その他世に公けにせられたのは「法則」(哲学雑誌)、「ベルグソンの哲学研究法」(芸文)、「論理の理解と数理の理解」(芸文)、「ベルグソンにつきて」(学芸大観)、「宗教的意識」(心理研究)、「認識論者としてのポアンカレ」(芸文)等の数篇の論文がある。しかしこれらはみな個々の特殊な問題について論じられた断片的なものであって、氏の哲学思想全体が一つの纏ったる体系として発表せられたのは『善の研究』であって、氏の哲学界における地位を定むるものもこの書であることはいうまでもない。この書は十年以前に書き始められたのであって、今日の思想はいくぶんかこれよりも推移し発展しているからいつか書き替えたいと思ってるが、その根本思想は今日といえども依然として変じないといっておられる。しかのみならず、氏みずから語るところによれば五十歳を過ぎるまでは大きな著述はしないとのことであれば(氏はいま四十三歳である)、われらが氏の沈痛なる思索を傾注せられた結果として、深遠な思想の盛り溢れた重々しき第二の著書を手にするときはなお遠いことと思うから、ひとまず前述の著書および論文に表われたる氏の思想およびこれらを透してうかがわるる氏の人格について論じてみたいと思うのである。私はみずからはからずして氏の思想の哲学的価値に関して、是非の判断を下そうとするのではない。哲学者としての氏の思想および人格をあるがままに、一の方針の下に叙述しようと試みるのである。論者の目的は氏の解釈である。その態度は valuation でなくして exposition である。

       二

 青草をいてすわれ。あらゆる因襲的なる価値意識より放たれて、裸のままにほうり出されたる一個の Naturkind として、鏡の如き官能を周囲に向けてみよ。大きな蒼い円味を帯びた天はわれらの頭上に蔽い被ぶさって、光をつつんだ白雲はさりげなく漂うてる。平らかな堅い地はほしいままに広くわれらの足下に延びて、水は銀のごとくきらめき流れる。風の落ちた大原野に、濡れたる星は愁わしげにまたたけば、幾千万の木葉はそよぎを収めて、死んだように静まり返る。そしてわれらのうら寒い背をかすめて永遠の時間が足音を忍んでひそかに移り行くのを感ずるとき、われらの胸にはとりとめのない寂寥が影のように襲うであろう。眼前に眉を圧して鬱然として反り返る大きな山は、今にも崩れ落ちてかぼそい命を圧しつぶしはすまいか。ああわれらは生きている。ほそぼそと溜息を漏らしつつ生きているのだ。われらの生命の重味を載する二本の足のいかに心細くも瘠せて見ゆるではないか!
 このとき来ってわれらに絶大なる価値を迫るものは認識である。われらが認識するという心強き事実である。主観を離れて客観は成り立たない。万象はことごとくその影をわれらの官能の中に織り込んでいる。かばかりいかめしき大自然の生成にわれらの主観が欠くべからざる要素であることに気がつくとき、われらはいまさらのごとく生命を痛感せずにはいられない。われらのける一個の小さき ego のなかに封じられたる無限の神秘を思わずにはいられない。かくて眼前に横たわる一個の石塊もわれらにとっては不可思議であって、彼我の間の本質的関係を考えずには生きられなくなる。じつに認識の「おどろき」はいのちの自覚である。深遠なる形而上学はこの「おどろき」より出発しなければならない。『善の研究』が倫理を主題としながらも認識論をもって始まっているのは偶然でない。私はまず氏の哲学の根本であり、骨子である認識論より考察を始めなければならない。
 氏の認識論の根底は radical empiricism である。厳粛なる経験主義である。近世哲学の底を貫流する根調である経験的傾向を究極まで徹底せしめて得たる最醇さいじゅんなる経験である。自己の意識状態を直下に経験したときいまだ主もなく客もなき、知識と対象とが全く一致している、なんらの思惟しいも混じない事実そのままの現在意識をもって実在とするのであって、氏はこれを純粋経験と名づけている。近世の初め、経験論を力説したのはベーコンであるが、その経験という意義が粗笨そほんであったために、今日の唯物論を導いたのであるが、西田氏はこの語の意義を極度まで純化することによって、かえって唯物論を裏切り、深遠な形而上学を建設したのである。経験という語と形而上学という語とは哲学史上背を合わしてきているにもかかわらず、氏の体系においては経験はただちに形而上学の拠って立つ根底である。これは氏の哲学の著しい特色といわなければならない。氏はいたるところ唯物論の誤謬を指摘して、実在の真相の解釈としての科学の価値を排斥しているが、その排斥の方法は科学の拠ってもっておのれを支持する基礎である、いわゆる経験を吟味して「それは経験ではない、概念である」と主張するのである。これほど肉薄的な根本的な、そして堂々とした白日戦を思わせるような攻撃の仕方はあるまい。

 唯物論者ゆゐぶつろんしやや一般の科学者は物体が唯一ゆゐいつの実在であつて、万物は皆物力の法則に従ふと言ふ。しかし実在の真相ははたしてかくのごときものであらうか。物体といふも我々われわれの意識現象を離れて、別に独立の実在を知り得るのではない。我々に与へられたる直接経験の事実はただこの意識現象あるのみである。空間も時間も物力も皆この事実を統一説明するために設けられたる概念である。物理学者の言ふやうなすべて我々の個人の性を除去したる純物質といふ如きものは、最も具体的事実に遠ざかりたる抽象的概念である。(善の研究――四の三)

 しかしながら注意すべきことは氏は口をきわめて唯物論者を非難しているけれども、けっして主観のみの実在性を説く唯心論者ではないことである。氏はむしろヴントらと立脚地を同じくせる絶対論者である。ヴントが黄金期の認識として説く写象客観(Objektvorstellung)のごとく、主観と客観との差別のない、物心を統一せる第三絶対者をもって実在とするのである。この点は氏の哲学が客観世界を主観の活動の所産とするフィヒテの超越的唯心論と異なり、むしろシェリングのいわゆる das Absolute に類似するところであって氏はこれを明言している。

 元来精神と自然と二種の実在があるのではない。この二者の区別は同一実在の見方の相違より起るのである。純粋経験の事実においては主客の対立なく、精神と物体との区別なく、心即物、物即心、ただ一個の現実あるのみである。かくいづれかの一方に偏せるものは抽象的概念であつて、二者合一して初めて完全な具体的実在となるのである。(善の研究――四の三)

 しからばこの唯一の実在なる、現実なる絶対者よりいかにして主観と客観との対立は生ずるであろうか。
 氏はこの疑問に答えて、絶対者の中に含まるる内容が内面的必然に分化発展するというのである。けだしこの説明は氏の根本の立場から見て論理的必然の結果であろう。氏は第一事実としてこの唯一実在のほか何ものをも仮定しないのであるから、もし現象の説明としてなんらかの意味において動的の要素をこれに与えなければならないならば働くものと、働きかけらるるものとの対立は一者のなかに統一されなければならない。すなわち唯一実在の自発自展でなければならない。しこうして分化発展の結果として生ずる新しき性質は可能性の形において絶対者の中に初めより含まれていなければならない。哲学は現象の複雑相を説明する統一原理を求むる学である。一と多との問題はその枢軸である。いま氏は実在として唯一絶対者を立した。この絶対者は一にして同時に多でなければならない。このことたるいかにして可能であるか。一にして同時に多であるためには、その一は数的一ではなくして部分を統一する全体としての一でなければならない。氏はこの要求よりヘーゲルの主理説にゆかねばならなかった。すなわち氏は実在をもって系統的存在となした。「すべて存在するものは理性的なり」とヘーゲルがいったように実在は体系をなしている。差別と統一とをおのれみずからの中に含んでいる。実在の根底には必ず統一が潜んでいる。統一は対立を予想している。対立を離れて統一はない。たとえばここに真に単純であって独立せる要素が実在せりと仮定せよ。しからばその者はなんらかの性質もしくは作用を有せなければならない。全くなんらの性質も作用もない者は無と同一である。しかるに作用するということは必ず他のものに対して働くのであって二者の対立がなければならない。加うるにこの二者が互いに独立して何の関係も無いものならば作用することはできない。そこにはこの二者を統一する第三者が無ければならない。たとえば物理学者の仮定する元子が実在するためには、それが作用する他の元子が存在しなければならぬのみならず、二者を統一する「力」というものを予想しなければならない。また一の性質たとえば赤という色が実在するためには、その性質と区別せらるる他の色が対立しなければならない。色が赤のみであるならば赤という色の表われ方がない。しかのみならずこの二者を統一する第三者がなければならない。なんとなれば全く相独立して互いになんらの関係のない二つの性質は比較し区別することはできないからである。ゆえに真に単純なる独立せる要素の実在ということは矛盾せる観念である。実在するものはみな対立と統一とを含める系統的存在である。その背後には必ず統一的或者が潜んでいる。
 しからばこの統一的或者は常にわれらの思惟の対象となることのできないものである。なんとなればそれがすでに思考されているときは他と対位している。しこうして統一はその奥に移って行くからである。かくて統一は無限に進んで止まるところを知らない。しこうして統一的或者は常にわれらの思惟の捕捉を逸している。われらの思惟を可能ならしめるけれども、思惟の対象とはならない。この統一的或者を神という。

 一方より見れば神はニコラス・クザウヌスなどの言つた如くすべての否定である。これと言つて肯定すべきもの、即ち捕捉すべきものがあるならばすでに有限であつて宇宙を統一する無限の作用をなす事は出来ない。この点より見て神は全く無である。しからば神は単に無であるか。決してさうではない。実在成立の根柢には歴々として動かすべからざる統一作用が働いてる。実在は是によつて成立するのである。神の宇宙の統一である。実在の根本である。そのよく無なるがゆゑらざる処なく、働かざる所がないのである。(善の研究――二の十)

 この氏のいわゆる神の本質に関しては、後に氏の宗教を観察するときに論ずることとしてここには主として認識論の問題より、神の認識について考えてみようと思う。
 しからばわれらはいかにして、この統一的或者を認識することが可能であるか。
 氏はここにおいてわれらの認識能力に思惟のほかに知的直観(intellektuelle Anschauung)をあげている。氏のいわゆる知的直観は事実を離れたる抽象的一般性の真覚をいうのではない。純一無雑なる意識統一の根底において、最も事実に直接なる、具体的なる認識作用である。知らるるものと知るものと合一せるものの最も内面的なる会得えとくをいうのである。われらの思惟の根底には明らかにこの知的真観[#「真観」はママ]が横たわっている。われらは実在の根本に潜む統一的或者を思惟の対象として外より知ることはできないけれど、みずから統一的或者と合一することによりて内より直接に知ることができるのである。時間空間に束縛されたるわれらの小さき胸のなかにも実在の無限なる統一力が潜んでいる。われらは自己の心底において宇宙を構成せる実在の根本を知ることができる。すなわち神の面目を捕捉することができる。ヤコブ・ベーメのいったごとくに「ひるがえされたる目」をもてただちに神を見るのである。かくいえば知的直観なるものははなはだ空想的にして不可思議なる神秘的能力のごとく思われる。あるいはしからずとするも、非凡なる芸術的、哲学的天才のみのあずかることを得る超越的認識のごとく思われる。しかしけっしてそうではない。最も自然にして、原始的なるわれらに最も近き認識である。鏡のごとく清らかに、小児のごとく空しき心にただちに映ずる実在の面影である。

 知的直観とは純粋経験にける統一作用そのものである。生命の捕捉である。即ち技術の骨の如きもの、一層深く言へば美術の精神の如きものである。例へば画家の興来たり、筆自ら動くやうに複雑なる作用の背後に統一的或者が働いてる。その変化は無意識の変化ではない。一者の発展完成である。この一者の会得が知的直覚である。普通の心理学では単に習慣であるとか、有機作用であるとか言ふであらうが、純粋経験の立場より見れば、これ実に主客合一、知意融合の状態である。物我相忘じ、物が我を動かすのでもない。我が物を動かすのでもない。ただ一の光景、一の現実があるのみである。(善の研究――一の四)

 氏の認識論においては to know はただちに to be である。甲のみよく甲を知る。あるものを会得するにはみずからそのものであらねばならない。野に横たわる一塊の石の心は、みずから石と合致し、石となるときにのみ知ることができる。しからざるときは主観と石とが対立し、ある一方面から石をのぞいているのであって、ある特定の立場から石を眺めてこれを合目的の知識の系統に従属せしめんとするのである。いまだ石そのものの完全なる知識ではないのである。すべての科学的真理はかかる性質の知識であって、われらの生活の実行的意識の理想から対象物を眺めたる部分的、方法的なる物の外面的の知識系統であって、物そのものの内面的なる会得ではない。ここにおいて氏の認識は科学者の分析的理解力よりも、詩人の直観的創作力に著しく接近してきて、われらをして科学的真理の価値の過重からきたる器械的見方の迷妄より免れしめ、新しくて、不思議の光に潤うたる瞳をもって自然と人生とを眺めしめるのである。

 ハイネは静夜の星を仰いで蒼空に於ける金のびやうと言つたが、天文学者はこれを詩人の囈言うはごととして一笑に付するであらうが、星の真相はかへつてこの一句の中に現はれてゐるかも知れない。(善の研究――二の三)

 氏の知的直観はじつに認識作用の極致であって、氏の哲学の最も光彩ある部分である。
 つぎにわれらは氏とプラグマチズムとの関係を考えてみなければならない。氏の認識論の経験を重んじ、純粋なる経験のほかには絶対的に何ものをも認めない点においてはプラグマチズムの出発点と同一である。氏のいわゆる純粋経験はプラグマチズムの主唱者であるゼームスの pure experience の和訳である。そのゼームスが自己の認識論の立脚点をプラグマチズムと名づけたのはピアースの用語を踏襲したのであって、それまでは Radical empiricism と呼んだのである。その意味は経験のほか何ものをも仮定せずというにある。してみれば西田氏の認識論の出発点はプラグマチズムであるといっても差支えはあるまい。しかしながらこれをもってただちに氏をプラグマチストと解釈するならば大なる誤解である。少なくとも田中王堂氏がプラグマチストであるがごとき意味において、西田氏はけっして単なるプラグマチストではない。氏は認識論の出発点としてはプラグマチズムの純粋経験を採るにもかかわらず、真理の解釈に関してはプラグマチズムと背を合わせたるがごとき態度を持している。すなわちプラグマチズムは真理の解釈に関して著しく主観的態度をとり、真理の標準は有用であり、実際的効果であり、われらの主観的要求がすなわち客観的事実であるというのである。しかるに西田氏は真理の解釈に対して厳密に客観的態度をとり、主観の混淆を避け、主観的要求によりて色づけらるる意味をしりぞけて、純粋に事実そのままの認識をもって真理とするのである。プラグマチズムの真理は氏より見れば一つの実行的理想を立てて、これに適合するように対象物を一の特定の方面より眺めたる相対的真理にすぎない。いまだ物そのものの最深なる真相ではないのである。最深の真理はわれらが実行的目的より離れて、純粋に事実に即し、物そのものと一致して得る会得である。ショウペンハウエルのいわゆる「意志を離れたる純粋認識の主観」となって、事物の内実本性を直観するのである。さればとて氏は主観を離れて真理の客観的実在性を説くのではもちろんない。氏は真理に対して主観と客観とを超越せる絶対的実在性を要求するのである。

 我々が物の真相を知るといふのは自己の妄想臆断まうさうおくだん即ちいはゆる主観的のものを消磨し尽し物の真相に一致した時始めてこれくするのである。我々は客観的になればなるだけ物の真相をますます能く知る事が出来る。(善の研究――四の五)

 と論じているのを見ても、また認識論者としてのポアンカレを論じて、真理が単に主観的なコンベンショナルな、学者が人工的に作為したるもので、単に便利なものとはいえない、真理は経験的事実に基づいたものであることを主張しその論文の末段に、

 ポアンカレは単に有用なるものは真理であるとか、思惟しゐの経済といふやうなことで満足し得るプラグマチストたるにはあまりに鋭き頭を持つてゐた。氏は何物も自己の主観的独断を加へない。種々の科学的知識を解剖台上に持来もちきたつて、明らかに物そのものを解剖して見せたのである。(芸文――十月号)

 と評しているのを見ても氏がみずからをプラグマチズムに対して持する態度を知るにはあまりあるであろう。プラグマチズムは敬虔にして、情趣こまやかなる人々の歩むにはあまりに平浅な道である。西田氏がプラグマチズムに発しながら、プラグマチズムに終わらなかったのは、その原因を氏の個性の上に帰せねばなるまい。氏はもののあわれを知るロマンチストである。その歩む道には青草と泉とがなければならなかった。蒼い空を仰いでは群星の統一に打たれ、淋しい深い北国の海を眺めて、無量の哀調を聞くことを忘れざる西田氏は、ベルグソンの神秘とヘーゲルの深遠とを慕うて、その哲学体系を豊かに、潤いて、物なつかしく、深くして、不思議にした。氏の哲学はじつに概念の芸術であり、論理の宗教である。

       三

 われらが自己に対して最高の尊敬の情を感ずるのは、われらが道徳的意識の最深の動因によりて行動したりと自覚するときである。われらが自己の胸底に最醇の満足を意識するのはみずから正善の道をめりと天に対して語り得るときである。われらが自己の生命の発露に最も強き力を感ずるのは、自己の内面的本性の要求に従いて必然的に動きし刹那である。万人はことごとく詩人たり、哲人たるを要しない。ただあらゆる人間は善人でなければならない。道義の観念は全人類に普汎的に要求さるべき人間最後の価値意識である。われらは善人たらんとする意志の燃焼を欲する。ただわれらは因襲的なる不純、不合理なる常識道徳の束縛に反抗する。天地の間に大自然の空気を呼吸して生ける Naturkind として赤裸々なる心をもって真新なる道徳を憧憬する。われらが渇けるがごとくに求めつつある善の概念の内容は自然の真相と性情の満足とにあわせ応うる豊富にして徹底せるものでなければならない。
 西田氏がその著に冠するに『善の研究』の名をもってしたのはこの問題が思索の中心であり、根本であると考えたからである。
 道徳的意識は当然意志の自由という観念を予想してる。これを認めないならば道徳は所詮迷妄にすぎない。ある動機よりある行為が器械的必然に決定せらるるならば、われらはその行為に対して責任の観念を有することは不可能だからである。氏はまず意志の自由を承認しかつその範囲および意義をきわめて徹底的に研究している。氏は意志の自由の範囲を限定して、観念成立の先在的法則の範囲において、しかも観念結合に二個以上の道があり、これらの結合の強度が強迫的ならざる場合においてのみ全然選択の自由を有することを明らかにした。さてしからば自由の意義如何いかん
 自由には二種の意義がある。一はなんらの原因も理由もなく、偶然に動機を決定する随意という意味の自由である。他は自己の本然の性質にのっとり、内心の最深の動機によりて必然的に動く内面的必然という意味の自由である。もし前者のごとき意味において自由を主張するならば、それは全く迷妄であるのみならず、かかる場合にはわれらはその行為に対して自由の感情を意識せずしてかえって強迫を感ずるのである。われらの有する自由は後者のごとく内面的必然の自由である。内面的に束縛せらるることによりて、外面の事由より自由を獲得するのである。自己に忠実であり、自己の個性に対して必然であり、おのれみずからの法則に服従することによりて自由を得るのである。しかしここに大きな問題が頭をもたげてくる。もし自己の内面的性質に従って動くのが自由であるならば、万物みな自己の性質に従って動かぬものはない。水の流るるも、火の燃ゆるもみな自己の内面の性質に従うのである。しかるにわれらは何ゆえに自然現象をば盲目的必然の法則に束縛せられているというのであるか。氏のいわゆる必然的自由は Mechanism と危くも顔を見合わせているといわねばならない。しかしながら内面的必然と器械的必然の間には鮮やかな一線が横たわっている。その人類の隷属と自由との境を画する月にきらめく銀流のような一線は何であるか。それは認識である。生命の自己認識の努力である。じつに西田氏ほど認識を神秘化した哲学者はあるまい。認識は氏の哲学のアルファでありまたオメガである。氏によれば認識の性質のなかに自由の観念が含蓄されている。自然現象においてはある一定の事情よりは、ある一定の現象を生ずるのであってその間に毫釐ごうりも他の可能性を許さない。全く盲目的必然の因果関係によりて生ずるのである。しかるに「知る」ということには他の可能性が含まれている。歩むことを知るというには歩まずとも済むという可能性が含まれている。われらの行為がたとい必然の法則によりて生ずるともわれらはみずからそれを知るがゆえに自由なのである。われらは他より束縛せられ、圧抑せらるるとも、みずからそのやみがたき事情を知るときにはその束縛、圧抑を脱して安らかな心を持することができる。天命の免れがたきを知り、自己のなすべき最善のことをなして毒盃を含んで自殺したるソクラテスの心境はアゼンス人の抑圧を超越して悠々として自由である。氏はパスカルの語を引いて、「人はあしのごとく弱し。されど人は考うる葦なり。全世界が彼を滅ぼさんとするとも、彼は死することを自知するがゆえに、殺す者よりもとうとし」といっている。われらはここにおいて認識なるものに対して驚異の目を見張らざるを得ない。認識能力が人間の無上の天稟であり、めでたき宝であることを思い、認識が人生において占有する地位の厳粛なることを痛感せずにはいられない。知識の拡張は同時に自由の拡張である。無機物より有機物に進んで、人間に至るに従い、意志はしだいに明瞭に、認識は階段をなして発達しきたっている。すなわち生命はしだいにおのれ自身を認識してきている。それと共に自由はしだいに拡張せらるるのであろう。しかしながら氏のいうごとく自然現象と意識現象との間に前者は必然にして後者は自由であるというような絶対的の区別があるとは思えない。今日の生物学が言うように無機物にもなおきわめて低き程度の意識を許さねばならないならば、同時にきわめて低き程度の自由をも認めなければなるまい。自由は要するに程度の問題である。無機物より人間に至るまで実在の自己認識の努力の発達に従いてしだいに高き程度の自由に進むと考える方が、いっそう氏の思想を徹底せしめないであろうか。われらはこの自由の発展的過程の階段に立てるみずからを発見することに大なる喜悦を感ずるのである。
 しかしながらわれらがここに疑問を起こさざるを得ないのは行為の自然ということと、自覚ということとははたして矛盾なく調和せらるるかという問題である。氏の自由とは内面的に自己の本性に必然なること、換言すれば自然ということである。しこうしてその内面的必然なる行為が自由であり得る条件はその行為が自覚されるというにある。しかし事実として自然なる行為が自覚を伴うであろうか。われらの行為が自然に発動するときは、むしろ無意識の状態であって、氏の盲目的なりとなす自然現象に酷似している。われらの行為に自覚が伴うのはその行為の発動が妨げられたるときである。最も自然なる行為はなんらの反省も自覚も伴わざる流動的なる自発活動である。
 この見かけの矛盾を調和するためには自覚の内化、知識の本性化ということを考えなければならない。すなわち知識がいまだ外的であって、十分に自己のものとならず、自己の本性の中に包摂せられざる間は行為の自然の発露を妨げるけれども、その知識が完全に内的に自己のものとして会得されたときには、直接に行為と合致して、その自然の開展を妨げない。たとえば熟練なるピアニストはその指の鍵盤に触るることを意識しない。しかしこの場合には、指もて鍵盤を打ちつつあることを知らぬのではない。その知識が直接に行為に包摂されて、これと合致してるのである。すなわち純粋経験の状態であって、知と行とが一致してるのである。善事を行なうにしても、善行をなしつつあることを意識せる間はその徳がただちにその人の本性となってるのではない。孔子が心の欲するところに従うてのりえずといったごとく、自然のままに行ないしことがただちに徳に適ってるときその人は真に徳を会得しているといい得る。徳の知識が本性の内に体得されているがゆえに、自然のままの行がただちに徳と合するのである。真実の知識はただちに行為を誘うて自然にして無意識なる自発自展を開始する。このときは現前唯一の事実あるのみである。知識はその中に包摂されている。よく知らざるがゆえに知るのである。かくして自然と自覚と自由とは純粋経験の状態においてただちに融合して一如いちにょとなるのである。
 善は自己が自己に対する要求である。われらは他人のために善をなすのではない。自己の人格的要求に促されてなすのである。罪悪を犯ししときにきたる内心の苦悩は他人の上に被らせし害悪をいたむのではない。自己の人格の欠陥と矛盾とを嘆くのである。善行をなししときにくる内心の喜悦は、その結果として起こる他人の幸福に対してでもなく、自己の上に返るべき報酬に対してでもなく、全く自己の人格の完成、向上に対する純なるたましいの喜びである。真正なる善は自己の人格を対象とせる観照的意識より生じなければならない。われらの意志の上にかかるおのれみずからの要求でなければならない。西田氏の倫理思想は真新なる意味における個人主義である。
 しからば善の内容をなすものは何か。それはわれらの生命の本然的要求である。価値は要求に対する合目的性である。道徳的判断が一の価値判断である以上、それが要求を予想してることはいうまでもない。しこうしてその要求なるものはそれ自身価値の尺度であって、評価の対象にはならない。いいとか、わるいとかいう差別を超越したものである。それはただわれらに与えらるるものである。自然にわれらに備わる性質である。じつにこの本然の要求こそわれら自身の本体である。Wollen を離れては Sollen は無意義である。善が所有する命令的要素はこの自己本然の要求の上に求めるほかはない。われらに本然に備われる要求は動かすべからざるザインであって同時にゾルレンの根源をなすものである。Du sollst という声がもし外部よりわれらを襲うならばわれらはニイチェの獅子と共に Ich will と叫んで頭を振るよりほかはない。しかしこの命令が自己の内部より発したとき、自己内面の本然的要求の上に基礎を置いたとき、われらはその声に傾聴しなければならない。かくて自律の道徳は起こり、真実の自由は始まる。すなわち氏の倫理思想は自然主義である。
 この自然主義が誤れる刹那の観念の上に立つとき刹那主義が生まれる。刹那主義には確かに厳粛なる一面の真理が含まれている。かつ空しき過去の追憶と、未来の映像とに生きんとする者に、「汝らは何処いずこに立てりや」と問うものはこの主義である。現実主義が確固たる足場を得んがために、その哲学的反省を「時間」に関しておのれみずからの上に加うることによりて生じたのである。われらはただ現在にのみ立ってる。未来も過去も内容なき空殻である。ショウペンハウエルもその主著に次のごとく論じている。

 Die Form der Erscheinung des Willens also die Form des Lebens oder der Realil※(ダイエレシス付きA小文字)t ist eigentlich nur die Gegenwart, nicht Zukunft noch Vergangenheit: diese sind nur in Begriff, sind nur in Zusammenhang der Erkenntnis da. In der Vergangenheit hat kein Mensch gelebt, und in der Zukunft wird nie einer leben sondern die Gegenwart allein ist die Form alles Lebens, ist aber auch sein sicherer Besitz, der ihm nie entreissen werden kann.(Die Welt als Wille und Vorstellung)

 この現在にいくらかの延長を想像し、これを分割して得たる単位時間のなかに、われらの生活の最後の基礎を置かんとするのが刹那主義者である。かくて彼らは刹那刹那の断片的なる要求を満足することにおいて正善な生活を見いださんことを主張する。刹那主義はその動因をわれらの生活基礎を確実にし、価値意識を純化せんとする真面目なる動機に発したものではあるけれど、その思索の過程にはたしかに概念的の錯誤が横たわってるのである。
 第一に彼らはわれらの意識現象を時間のなかに生滅するものと考えている。第二に時間を空間に翻訳して若干の単位に分割し得るものと考えている。
 しかし時間はわれらの意識現象を統一するために主観が設けた概念である。時間のなかに意識があるのではなく、意識の上に時間が支えらるるのである。意識を離れてただ抽象的に、延長のみ考えるならば、時間のなかに過去と未来とより切り放たれたる独立せる現在、すなわち刹那なるものが立て得らるるであろう。しかし事実として時間は意識をもって填充せられている。時間の推移とは意識現象が一の統一より他の統一へと移り行く過程であって、それは流動的なる純粋の継続であって分割すべからざるものである。その統一の頂点が常に「今」であるが、その今はそれ自身過去と未来との要素を含んでいる。一つ一つ併列して互いの外にある幾何学的の点のような刹那というものはどこにも存在しない。意識現象はいかに単純であっても必ず組成的である。すなわち複雑なる要素を含んでいる。これらの要素は孤立的でなく互いに相関係して意味を持っている。一生の意識もかくのごとき一系統である。われらの本然的なる要求もけっして孤独に起こるのではない。種々の要求は互いに相関係している。その全体の統一がすなわち自己である。ゆえに一時のまた個々の要求を断片的に満足せしめるのが善ではない。善とは全体としての一系統の本然的要求、換言すれば全部生命の要求を満足せしめることである。その全部生命は知情意を統一せる不可分の有機的全体である。これを人格と名付けるならば善とは人格の要求の実現である。けっして断片的なる官能的欲望のみの充足を言うのではない。
 西田氏の倫理思想は一言にして蔽えば人格的自然主義である。この人格的自然主義は享楽主義よりもいっそう根本的なる深刻なる基礎に立つものである。生命の底にいっそう深く根を下ろしたる気分より起こるものである。快苦は衝動の充足さるるか否かによりて生ずる感情であって生命の第二義的の産物である。第一義的の価値は衝動そのものである。自然主義は衝動そのもののなかに価値の重点を置くのである。快苦は後より生ずる結果である。自然主義は生命の内部より起こる本然の要求に押されつつ生きるのである。生を味わう心ではない。ただ生きんがために生きる努力である。ショウペンハウエルは半世紀の昔、Alles Leben Leiden. といった。「生きるは悩み」と知りながら、なお、苦痛の中に価値を見いだしつつ生きる心こそ自然主義の根本的覚悟である。飢えたる者には食欲あることは苦痛であり、失恋の人には愛あることは悩みであろう。しかもなお食わんとし、恋いんとするのである。やむにやまれぬ生命の本然の要求は絶対の価値あるザインである。自然主義はこのザインに生存の意義を見いだすのである。
 自然ということは西田氏の思想全体を一貫せる根本精神であるが、その倫理思想にはこの傾向がことに力強く現われている。すべてのものをしてあるがままにあらしめよ、世に最も尊くして美しく不可思議なるものはザインである。氏が自然に対する純なる嘆美と敬虔の情は氏の倫理学をして著しく芸術と宗教とに接近せしめている。
 氏は善が諸種の要求の調和であることを説いてはプラトーの善を音楽のハルモニーにたとえしことを述べ、善の要求の厳粛なることを論じては、カントが蒼空の星群の統一と並べて、内心に存在する道徳的法則を称嘆せし例を引き、万人の意識の普汎性を説いては野より帰れる淋しき書斎のファウストを思い、善の極致としての主客の融合を論じては創作衝動に駆られて自己を忘れたる芸術家の神来と同一視し、『宗教的意識』には「すべて万物が自己の内面的本性を発露したときが美である」というロダンの語を引いて美と善との一致を説いている。
 そればかりではない。氏の自然に対する敬虔の情は氏をして善悪の対立をそのままに放置せしめなかった。何ゆえに自然に罪悪なるものが存在するのであるか。これ心清きものの胸を悩ます種であろう。氏はかばかり統一せる調和せる自然に本質的なる罪悪の存在を許すに堪えなかった。かくて包括的なる宗教的の立場より、罪悪を自然の外に排除せんと試みて、

 深く考へて見れば世の中に絶対的の悪といふものはない。悪はいつも抽象的に物の一面を見て全貌を知らず、一方に偏して全体の統一に反する所に現はれるのである。悪がなければ善もない。悪は実在の成立に必要なる要素である。(善の研究――三の十二)

 と述べさらにアウグスチヌスの語を引いて、陰影が画の美を増すがごとく、もし達観すれば世界は罪を持ちながら美であるといっている。われらはライプニッツ以来議論の多いこの説明が、この世界より悪の存在を除き去るに完全なるものとは思わない。そこには種々の疑問が挾み得るであろうが、氏のごとく自然の円満と調和とに純なる憧憬を有する人にとっては、その企図の方針はむしろ当然のことであると思う。氏にとりてはもともと精神と自然と二の実在があるのではない。両者はただちに唯一実在である。その実在の統一力が神である。自己の本然的要求は神の意志と一致するのである。宇宙は唯一実在の唯一活動であり、その全体は悪を持ちながらに善である。

       四

 宗教は自己に対する要求である。自己を真に生かさんとする内部生命の努力である。欠けたるものの全きを求むる思慕である。みずから貧しくして、偽りに満ち、揺らめきて危うきを知る謙遜なる心が、豊かにして、まことに、金輪際こんりんざい動揺せざる絶対の実在を求むる無限の憧憬である。一人※然けいぜん[#「螢」の「虫」に代えて「几」、75-13]として生きるに耐えざる淋しき魂が、とこしえに変わらざる愛人と共に住まんと欲する切なる願いである。氏はその宗教論の冒頭に宗教的要求という一章を掲げて、宗教がいかに真摯しんしに生きんとする者のやみがたき要求であるかを述べて次のごとく言っている。

 宗教的要求は自己の生命についての要求である。我々の自己が相対的にして有限なるを知ると共に、絶対無限なる力に合一しこれりて永遠の真生命を得んと欲するの欲求である。パウロがもはや我生けるにあらず、基督キリスト我にりて生けるなりと言つたやうに、肉的生命の全部を十字架の上にくぎづけ終りてひとり神によりて生きんとするの情である。真正の宗教は意識中心の推移によりて、自己の変換、生命の革新を求めるの情である。世には往々何故なにゆゑに宗教は必要であるかなどと問ふ人がある。しかしかくの如きは何故に生きる必要があるかと問ふと同様であつて、自己の生涯の不真面目なることを示すものである。真摯に生きんとする人は必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずには居られないのである。(善の研究――四の一)

 宗教は氏の哲学の終局であり、根淵である。氏は『宗教的意識』のなかにシュライエルマッヘルを引いて、宗教の認識論的研究の必要を説いているが、まことに氏の宗教は認識論をもって終始している。認識論より宗教に入る者の帰着点はどうしても Pantheism のほかにはないように思われる。ことに氏のごとき体系の哲学においては汎神論はほとんど論理的必然であるといってもいい。宇宙は唯一実在の唯一活動である。その活動の根底には歴々として動かすべからざる統一がある。宇宙と自己とは二種の実在ではない。純粋経験の状態においてはただちに合して一となる。すなわち宇宙の統一力はわれらの内部にあっては意識の背後に潜む統一力である。この統一力こそ神である。われらがいかにしてこの神を認識し能うかについてはすでに氏の認識論を考察するときにこれを述べたから、ここでは主として神の本質について考えてみよう。
 第一に神は内在的である。すなわち神はこの世界の外に超越して、外より世界を動かす絶対者ではなく、世界の根底に内存して、内より世界を支え世界を動かす力である。氏の哲学においては現象界の外に世界はない。たとい世界の外に超然として存在する神ありとするも、それはわれらになんらの交渉もなき無も同様である。われらの生命に直接の関係を有し、われらの内部生活に実際に力強く働くことを得る神はわれらの生命の奥底において見いださなければならない。
 第二に神は人格的である。宗教として論理的に最も徹底せるものは汎神論であることはほとんど疑うべからざる事実である。しかしながら、そのいわゆる神は単に論理上の冷ややかなる存在であって、われらの温かなる憑依ひょういの対象となる人格的の神ではないのであろうか。氏によれば敬とは部分的生命が全部生命に対して起こす感情であり、愛とは二人格が合一せんとする要求である。しからば敬愛の情は人格者を対象としてのみ起こり得る意識である。われらが神に対して敬虔の情を起こし、また神の無限の愛を感得することができるためにはその神は必ず人格的でなければならない。しからば汎神論の宗教において神はいかなる意味において人格的であるか。この問に答うるためには人格という概念の意味を明らかにしなければならない。われわれは普通内に省みて特別に「自己」なるものがあるように考えている。しこうしてこれより類推してどこに神の「自己」があるかと問うのである。しかしながらかくのごとき意味においては自己なるものはどこにも存在しない。われらの個人意識も分析すれば知情意の精神作用の連続にすぎない。特別に自己なるものは存在しない。われわれが内に省みて特別なる自己なるものがあるごとく考うるのは、ただ一種の感情にすぎないのである。ただその全体の上に動かすべからざる統一あるがゆえにこれを一人格と名づくるのである。神を実在の根底であるといっても、実在そのものが精神的であり、その全体の発現に統一があるならば神の人格性は毫も傷つけられはしないのである。いな純粋経験の状態にあってはわれらの精神の統一はただちに実在の統一である。神とわれとの人格は一に帰し、われはただちに神となるのである。
 ここに氏の宗教において最も著しき特殊の点がある。すなわちそのいわゆる天国といい、罪悪という意義がはなはだ認識論的の色彩を帯びていることである。氏の天国とは主客未分以前の純粋経験の状態をいうのである。この認識の絶対境においては、物とわれとの差別なく、善と悪との対立なく、ただ天地唯一の光景あるのみである。なんら斧鑿ふさくの痕を止めざる純一無雑なる自然あるのみである。われと物と一なるがゆえにさらに真理の求むべきなく、欲望の充たすべきなく、人は神と共にあり、エデンの花園とはかかる境涯をいうのである。しかるに意識の分化発展するに従い、物我相背き、主客相対立し、人生初めて要求あり、苦悩あり、人は神より離れ、楽園はアダムの子孫よりとこしえに閉ざされた。これすなわち人間の堕落であり、罪悪である。ここにおいてわれらは常に失いたる楽園を思慕し、たましいの故里を憧憬し、対立差別の意識を去りて純粋経験の統一せる心境に帰らんことを求める。これすなわち宗教的要求である。
 かくのごとく氏の宗教においては罪悪は対立差別の意識現象より起こるのである。しかしながら対立は統一の一面であって対立を離れては統一は考えられない。実在が自己の内面的性質を分化発展するのは宇宙現象の進行の根本的方式である。ゆえにもし対立差別を罪悪の淵源となさば、実在そのものの進行を、したがって神の意志を罪悪の根本となさねばならぬ。この不合理を除去するために氏は罪悪の本質的存在を影のごとく薄きものとなさねばならなかった。

 元来絶対的に悪といふものはない。物の本来に於ては皆善である。悪は物其者そのものに於て悪なのではない。実在体系の矛盾衝突より起るのである。罪悪は宇宙形成の一要素である。罪を知らざる者は真に神の愛を知ることあたはず、苦悩なき者は深き精神的趣味を理解する事は出来ない。罪悪、苦悩は人間の精神的向上の要件である。されば真の宗教家は是等これらのものに於て神の矛盾を見ずしてかへつて深き恩寵を感ずるのである。(善の研究――四の四)

 といっている。かくて氏の哲学は一の楽天観をもって終わっているのである。

       五

 私らは哲学の批評に関して芸術的態度をとりたい。人を離れて普遍的にただその体系が示す思想だけを見たくない。興味の重点をその体系がいかばかり真理を語れるかという点にのみおかずして、その思想の背後に潜む学者の人格の上にすえつけたい。古来幾多の哲学体系は並び存して適帰するところを知らない。もし哲学をただ真理を聞かんがためのみに求むるならば、かくのごときは哲学そのものの矛盾を示すというような非難も起こるであろう。しかしながら哲学はその哲学者の内部生活が論理的の様式をもって表現された芸術品である。その体系に個性の匂いが纏うのは当然のことである。私は西田氏の哲学を、氏の内部生活の表現として、氏の人格の映像として見ることに興味を感じて読んだのである。また氏の哲学ほど主観の濃く、鮮やかに、力強く表われたものはあるまい。『善の研究』は客観的に真理を記述した哲学書というよりも、主観的に信念を鼓吹する教訓書である。敬虔にして愛情に富み、真率にしてやや沈鬱なる氏の面影がいたるところに現われている。氏の哲学の特色はすでに述べたから、ここには繰り返さない。ただいいたきことは氏の哲学には生物学的の研究が欠けていることである。たとえば生殖というような大問題には少しも触れてない。愛に関しては多く論ぜられてるけれど、それはただキリスト教的な愛についてであって、性欲の匂いの籠った愛については何の説くところもない。ことに永遠の大問題である死に関して何事をも語らないのには大きな不満を抱かないではいられなかった。『善の研究』の書き替えらるるときには Leib に関する深い、新しい研究の結果が添えらるることを望んでおく。
 終わりに臨んで私は力強く繰り返したい。氏の哲学には生命の脈搏が波打ってる。真面目なる、沈痛なる力がこもってる。しかもその力はしっとりと落ち着いて、深い根を張っている。氏が内部生命の衝動に駆られて、真剣に自己の問題につきて思索しつつある痕跡は至るところに残っている。ことに宗教を論じられるあたりは、病中の作であるからでもあろうが、氏の苦悩と憧憬とがありありと見えてことに感情がこもっている。淋しげなる思索の跡はそぞろに涙を誘うものがある。「デカルトの哲学は数学の定理の如きものを組み立てて作ってあるけれども、よく読んで見れば、彼の内心の動揺と苦悩が窺われて、強く、沈痛の力に打たれる」と氏はいっておられる。まことに氏は抽象的概念をいじくり回す単なるロジシャンではない。その思索には内部生活の苦悩が纏い、その哲学にはいのちとたましいとの脈搏が通うている。私はともに坐して半日の秋を語りたる、京都の侘しき町端まちはずれなる氏の書斎の印象を胸に守っている。沈痛な、瞳の俊秀な光をおさめた、やや物瘠せしたような顔が忘れられない。メフィストをして嘲るままに嘲らしめよ。氏は生命の根に潜む不可思議を捕捉せんために、青草を藉きて坐しながらなお枯草を食うて、死に至るまで哲理を考えつつ生きるであろう。
(一九一二・一一・一二夜)
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 異性の内に自己を見いださんとする心

Sinotschka. K※(ダイエレシス付きO小文字)nnen Sie f※(ダイエレシス付きU小文字)r die jenige sterben, die Sie lieben?
Niemowezkij. Ja, ich kann es. und Sie?
Sinotschka. Ja, ich auch es ist ja doch ein grosses Gl※(ダイエレシス付きU小文字)ck, f※(ダイエレシス付きU小文字)r den liebsten
 Menschen zu sterben, ich m※(ダイエレシス付きO小文字)chte es sehr gern.   (Der Abgrund. Andrejew.)

       上

 たとえば大野の黎明れいめいにまっ白い花のぱッと目ざめて咲いたように、私らが初めて因襲と伝説とから脱してまことのいのちに目醒めたとき、私らの周囲には明るい光がかがやきこぼれていた。ことごとに驚異の瞳が見張られた。長き生命の夜はいま明けた。これからほんとに生きなければならないのだ。こう思って私らは心をおどらし肩をそびやかすようにした。かくて生命の第一線に添うて勇ましくも徹底せる道を歩まんことをこころざした。このときほど自己の存在の強く意識されたことはなかった。
 しかしながら私らが一たび四辺を見まわすとき、私らは私らと同じく日光に浴し、空気を吸うて生きつつある草と木と虫と獣との存在に驚かされた。さらに私らとともに悩ましき生を営みつつある同胞(Mitmensch)の存在に驚かずにはいられなかった。じつに生命の底に侵徹して「自己」に目ざめたるものにとっては自己以外のものの生命的存在を発見することは、ゆゆしき驚きであり、大事であったに相違ない。かくて生命と生命との接触の問題が、魂と魂との交渉の意識が私らの内部生活に頭をもたげてくる。このときもしわれらの素質が freundlich であり、moralisch であればあるほど、この問題が重大に関心されるであろう。この問題をどうにかかたをつけなければ、内部生活はほとんど新しき方面に進転することを妨げらるるであろう。この問題が内部動乱の中心にわだかまり、苦悩の大部分を占めるであろう。私はいうが、私はこの対人関係について思索するにせた。自己の生命を痛感した私が一たび自己以外のものの生命の存在に感触して以来、この問題は一日も私の頭を去らなかった。常に重苦しくもたれかかって私を圧迫した。私はこの問題を徹底的に解釈しなくては思い切った生き方はどうしてもできないと思った。私は力強い全人格的の態度がとれなかった。私の行動はすべて曖昧あいまいに、不鮮明であった。あらゆる行為が否定と肯定との間を動揺した。
 私はこの生温なまぬるき生き方が苦しくてならなかった。私は実際この問題をどうにかせねばならないと思った。
 私はこの生命と生命との交渉、魂と魂との接触は宇宙における厳粛なる偉大なる事実に相違ないと思った。この問題に奥深く底の底まで頭を突ッ込むとき、そこに必ず私らの全身を顫動せんどうせしめるほどの価値に触れることができるだろうと思った。
 その頃から私は哲学を私の生活から放さなかった。私は確乎として動かざるの上に私の生活を築きあげたいと思っていた。かくて私は哲学的に自他の生命の交渉、関係について考えてみなければならなかった。
 私は生きている。私はこれほど確かな事実はないと思った。自己の存在はただちに内より直観できる。私はこれを疑うことはできなかった。しかしながら他人の存在が私にとっていかばかり確実であろうか。この形而上学の大問題は実際私の手に余ったにもかかわらず、私はどうかして考えを纏めなければならなかった。私はここに認識論の煩瑣はんさな理論を書くことを欲しないが、とにかくその頃の私は唯心論の底に心を潜ませていた。私はどう思っても主観の Vorstellung としてのほかは他人の存在を認めることができなかった。私にとっては他人の存在は影のごとく淡きものにすぎなくなった。とても自己存在の確認とは比較にならない力の乏しいものになってしまった。私はやや大なる期待をもってあの人格的唯心論(personal idealism)をも研究したのであるが、その他われの存在を設定する過程にどうしても首肯することができなかった。私は唯心論が行くところまで行くとき必ず帰着しなければならないように唯我論に陥ってしまった。
「天が下に独りわれのみ存す」という意識が私をおののかした。私はそぞろに寒き存在の寂寞に慄えつつも、また極端なる自己肯定の権威と価値とに、いうべからざる厳粛なる感に打たれるのであった。自己は今や唯一のそしてまたすべてのものとなった。宇宙の中心に座を占めて四辺を睥睨へいげいした。自己に醒めたるものの必ず通り行く道は個人主義である。それには醒めたる個人をして、しかあらしむる現実生活の種々なる外的の圧力がある。この圧力に迫られてさらぬだに個人主義に傾いていた私は、さらにこの認識論の基礎の上に立って極端なる個人主義に陥らざるを得なかった。この Individualism が要求の体系に従うとき必然的に Egoism になる。私が自己の内部生活を、実在の上に基礎づけようとする要求に忠実であるならば、私はエゴイストであるよりほかはなかった。その頃から私はショウペンハウエルの哲学に読み耽った。そしてひどく動かされた。この沈痛なる皮肉なる冷狂なる哲人の思想は私の利己主義に気味悪き底力と、悲痛なる厭世的の陰影とを与えずにはおかなかった。私は生命の内部にただいたずらにおのれを主張せんとする盲目的なる暴力を意識せずにはいられなかった。生きんとする意志のむやみなる不調和なる主張を痛感せずにはいられなかった。この頃から人なみすぐれて強烈なる性欲の異常なる狂奔を持てあましていた私にはこの盲目力がいっそう力強く感ぜられた。なんという取り返しのつかぬ不調和な地位に置かれたる生であろう! 私はこの痛ましき生をまじまじ見守りながら、それでも引きずられるようにして生きてゆかねばならなかった。この頃私にとりては愛ほど大きな迷妄はなかった。また犠牲ほど大きな生活の誤謬はなかった。この二つのものは私には全く理解せられなかった。私はキリスト教徒について愛の話も聞いてみた。また書をあさって犠牲の理論も読んでみた。けれども皆私の心を動かす根本的の力を欠いていた。なぜというに私の利己主義はその根を認識論の上に深く張っている。私が唯我論から利己主義に達する過程は論理的必然の強迫である。私を利己主義から離れしむるものは私の独我論を根底より動揺せしむる認識論でなければならなかった。
 しかしながら悲しいことには私は形而上学的に叙述された愛と犠牲との書物に接することができなかった。すべては曖昧なる不徹底なるまがいものにすぎなかった。自己存在の深刻なる覚醒もなく、他人の魂の底に侵徹してその存在に触れたる意識もなく、ただ漫然として愛と犠牲とが主張されるのが私は不思議でならなかった。かくのごとき愛がいかばかり力と熱と光とを生命の底より発せしめ得るであろうかを疑った。西田氏は熱心なる「愛の哲学者」である。その氏はしかも愛を骨子とする宗教論のなかに「本質を異にせるものの相互の関係は利己心の外に成り立つことはできないのである」といってる。私は自己存在に実在的に醒めたる個人が、他人の存在を徹底的に肯定するときにのみ、まことの力ある愛は生ずるであろうと思った。しかしながら私はいかにして他人の存在を肯定することができたであろうか。私はいかにして私が自己の存在を肯定するごとく、確実に、自明に、生き生きとした姿において他人の存在を認識することができたであろうか。そして自他の生命の間に通う本質的関係あることを認めることができたであろうか。私は思い悩んだ。そしてこれらのことは唯我論の基礎の上に立ってはとうてい不可能な望みであることを感ぜずにはいられなかった。そこで私は唯我論に私のできるだけ周到な吟味と批判とを加えてもみた。けれども私はどうしても唯心論の帰着点を唯我論に見いだすほかはなかった。そしてその立場より対人関係の問題をのぞくとき、究極は個人主義を透して、極端なる利己主義に終わらざるを得なかった。
 今から考えればこの頃の私の生き方はたしかにインテレクチュアルにすぎていた。その思索の方法も情意を重んぜぬ概念的なもので必ずしも正しかったとは思わない。けれども自己の生活を「実在」の上に据え付けようという要求は形而上学的な私の唯一の生活的良心であった。私とてもただ充実して生きられさえすればよかったのである。けれども生きんがためにはそうしないではいられなかったのである。私は私の実際生活の上に落ちかかったこの大問題に貧しいおさない思想をもって面接することを、どんなに心細くもおぼつかなくも思ったであろう。苦しんでも悶えてもいい考えは出なかった。先人の残した足跡を辿って、わずかに nachdenken するばかりで、みずから進んで vordenken することなどはできなかった。私はこんな貧しい頭を持ちながら考えなければ生きられない自分は何の因果だろうかと思った。私はとても適わぬと思った。けれども何事も生きんがためじゃないかと思うとき、私はじっとしてはいられなかった。私は子供心にも何か物を考えるような人になりたいと思って大きくなった。私は leben せんためには denken しなければならないと思った。
 生命と生命との接触の問題は宇宙における厳粛なる偉大なる事実である。私はこの問題に対して忠実でありたい。私はこの問題に対して曖昧な虚偽な態度はとりたくなかった。私は稚いながらも私の信ずる真理の道を進もうと思った。
 かくて極端なる利己主義者となった。それもショウペンハウエルの底気味悪き思想を潜りて出でたる戦闘的態度の利己主義であった。初めより生の悲痛と不調和とを覚悟して立ちたるデスペレートな利己主義であった。私は戦っておよそ Egoist の味わい得べきほどのものをことごとく味わい尽くして死にたいと思った。私はその頃の私の心の怪しげなる緊張を忘れることができない。私の生命は血の色にみなぎっていた。ほしいままなる欲望にふくれていた。私は充たされざる性欲を抱いて獣のごとく街を徘徊しては、昔洛陽の街々に行なわれたる白昼の強姦のことを思った。魯鈍なる群衆の雑踏を見ては、私に一中隊の兵士があれば彼らを蹂躪じゅうりんすることができるなどと思った。私の目の前をナポレオンと董卓とうたく将門まさかどとの顔が通っては消えた。強者になりたい。これが私の唯一の願望であった。私は法科に転じた。私は欲望の充足のために力が欲しいとしみじみ思った。力よ、力よと思った。ああ欲望と力! こう思って私は胸をおどらした。このとき愛と犠牲とは私にとって全く誤謬であった。それよりも人間自然の状態は万人が万人に敵たるの状態であるというホッブスの言葉が力強く心に響いた。Alles Leben Leiden というショウペンハウエルの言葉が耳元を去らなかった。
 しかしながら私の思想がしだいにエゴイズムに傾くとき、私に最も直接な痛刻な苦悩を感じさせるものがあった。それは私の無二の友なるSというものの存在であった。私はいうが、私らは涙のこぼれるほど誠実なる友情を持っていた。二人は細かなる理解をもって骨組まれたる実在的なる友情を誇っていた。それに小さいときから机をならべていたというこまやかな思い出が、二人の間にいっそう離れがたき執着をつないでいた。私はこの友の存在が確認したくてならなかった。実在的に肯定したくてならなかった。その魂の秘密に触れておののきたくてならなかった。生命と生命としっかり抱擁して顫えるほどの喜びにすすり泣きたくてならなかった。けれども私の思想はこの痛切なる願望を裏切らずにはおかなかった。私は泣く泣くも友の存在を影のごとく淡きものになさなければならなかった。二人の間に実在的な交渉を否認してただ関係的エコノミカルな交渉にしてしまわなければならなかった。これはじつに私には痛刻きわまりなき悲哀であり、苦痛であり、寂寞であり、涕涙ているいであった。私は苦しみ悶えた。私はその友に与えた手紙の一節を記憶している。

 わが友よ。御身と私との間には今や無辺際の空より垂れ下りたる薄き灰色の膜がある。私らはこの膜をへだてて互いの苦しげなる溜息を微かに聞く。また涙に曇る瞳と瞳とを見かわしながら、しかも相抱擁することができない。どうしてもできない。ああわれらはどうすればいいのだろう。

 けれどもその頃の私のインテレクチュアルな生き方ではとうてい友を捨てるほかはなかった。私は骨の抜けた、たましいのない空殻のような交渉を二人の間に残すに忍びなかったからである。
 そのときの友の態度の誠実なのに私は敬服した。その心根のやさしさに私は涙ぐんだ。

 君は私と離れるという。けれども私は君を放したくはない。君が離れたがればますます私の側に置いて私の温かい息で君の荒んだ胸をじんわりと包んでやりたい。君よ、たとい今私と離るるとも君が傷ついたならまた帰って来たまえ。潤える瞳と温かな掌とは君を容れるにやぶさかではないであろう。
 こんなことも書いてよこした。また私が法科に転じて荒んだ方面へばかり走るのをいましめて、

 君よ。星の寒いこの頃の夜更けに、試みに水銀を手の腹に盛ってみたまえ。底冷たさは伝わって君の魂はぶるぶると顫えるであろう。このとき何ものかの偉大なる力が君に思索を迫らずにはおくまい。

 というようなことも書いてよこした。こんな誠実な可憐な友を捨てることはじつに泣き出したいほど苦しかったのだ。友と別れた私は真に孤独であった。私の胸のなかを荒んだ灰色の影ばかりが去来した。孤独の淋しみのなかに座を占めて、静かに物象を眺め、自然を印象するほどの余裕もなかった。孤独そのものの色さえ不安な、動揺した、切迫したものであった。それでも初めのほどは私の内部生活は荒みながらも緊張していた。凄蒼せいそうたる色を帯びながらも生命は盛んに燃焼していた。炭火のように赤かった。
 けれどもしばらくして私はまた惑い始めた。私の生活法がはたしてよきものであろうかと疑い始めた。全体私は蔽うべくもないロマンチシストである。私は幼いときからあたたかな愛に包まれて大きくなった。私は小さいときからものの嬉しさかなしさも早くわかり、涙もろかった。一度も友達と争ったことなどはなかった。戦闘的態度のエゴイズムなどとても私の本性の柄に合わないのだ。それだのに何ゆえに私はエゴイストでなければならないのだろうか。生命は知情意の統合されたる全一なるものでなければならない。私が友を愛してるということは動かしがたき事実ではないか。心理的事実としては知識も感情も同一であって、その間に優劣はないはずである。それだのに私は何ゆえに知性のみに従って、情意の確かなる事実をなみせなければならないか。それはかなり吟味を要するではないか。しかしながら私が友の生命を実在的に肯定することができないというのもたしかなる事実である。してみれば結局私の生命は有機化されていないということに帰着せねばならない。私の生命は全一ではないのだ。分裂してるのだ。知識と情意とは相背いてる。私の生命には裂罅れっかがある。生々なまなまとした割れ目がある。その傷口を眺めながらどうすることもできないのだ。この矛盾せる事実を一個の生命のなかに対立せしめてることがメタフィジカルな私にとって、どんなに切実な苦痛であったろう。
 私は実際苦悶した。私はどうして生きていいか解らなくなった。ただ腑の抜けた蛙のように茫然として生きてるばかりだった。私の内部動乱は私を学校などへ行かせなかった。私はぼんやりしてはよく郊外へ出た。そして足に任せてただむやみに歩いては帰った。それがいちばん生きやすい方法であった。もとより勉強も何もできなかった。
 ある日、私はあてなきさまよいの帰りを本屋に寄って、青黒い表紙の書物を一冊買ってきた。その著者の名は私には全く未知であったけれど、その著書の名は妙に私を惹きつける力があった。
 それは『善の研究』であった。私は何心なくその序文を読みはじめた。しばらくして私の瞳は活字の上に釘付けにされた。
 見よ!

 個人あつて経験あるにあらず、経験あつて個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本的であるといふ考から独我論を脱することが出来た。

 とありありと鮮やかに活字に書いてあるではないか。独我論を脱することができた※(疑問符感嘆符、1-8-77) この数文字が私の網膜に焦げつくほどに強く映った。
 私は心臓の鼓動が止まるかと思った。私は喜びでもない悲しみでもない一種の静的な緊張に胸がいっぱいになって、それから先きがどうしても読めなかった。私は書物を閉じて机の前にじっと坐っていた。涙がひとりでに頬を伝わった。
 私は本をふところに入れて寮を出た。珍しく風の落ちた静かな晩方であった。私はなんともいえない一種の気持ちを守りながら、街から街を歩き回った。その夜蝋燭ろうそくともして私はこの驚くべき書物を読んだ。電光のような早さで一度読んだ。何だかむつかしくてよく解らなかったけれど、その深味のある独創的な、直観的な思想に私は魅せられてしまった。その認識論は私の思想を根底より覆すに違いない。そして私を新しい明るいフィールドに導くに相違ないと思った。このとき私はものしずかなる形而上学的空気につつまれて、柔らかく溶けゆく私自身を感じた。私はただちに友に手紙を出して、私はまた哲学に帰った。私と君とは新しき友情の抱擁に土を噛んで号泣できるかもしれないと言ってやった。友は電報を打ってすぐ来いといってよこした。私は万事を放擲ほうてきしてO市の友に抱かれに行った。
 操山の麓にひろがる静かな田圃に向かった小さな家に私たちの冬ごもりの仕度ができた。私はこの家で『善の研究』を熟読した。この書物は私の内部生活にとって天変地異であった。この書物は私の認識論を根本的に変化させた。そして私に愛と宗教との形而上学的な思想を注ぎ込んだ。深い遠い、神秘な、夏の黎明の空のような形而上学の思想が、私の胸に光のごとく、雨のごとく流れ込んだ。そして私の本性に吸い込まれるように包摂されてしまった。
 私らは進化論のように時間的に空間的に区別せられたる人間と人間との間に生の根本動向から愛を導き出すことはとうてい不可能である。ここから出発するならば対人関係は詮ずるところ利己主義に終わるほかはない。しかしながら私らは他のもっと深い内面的な生命の源泉より愛を汲み出すことができるのである。ただちに愛の本質に触れることができるのである。愛は生命の根本的なる実在的なる要求である。その源を遠く実在の原始より発する、生命の最も深くして切実なる要求である。
 しからばその愛の源流は何であるか。それは認識である。認識を透して、高められたる愛こそ生命のまことの力であり、熱であり、光である。
 私は自己の個人意識を最も根本的なる絶対の実在として疑わなかった。自己がまず存在してもろもろの経験はその後に生ずるものと思っていた。しかしながらこの認識論は全く誤謬であった。私のいっさいの惑乱と苦悶とはその病根をこの誤謬のなかに宿していたのであった。実在の最も原始的なる状態は個人意識ではない。それは独立自全なる一つの自然現象である。われとか他とかいうような意識のないただ一つのザインである。ただ一つの現実である。ただ一つの光景である。純一無雑なる経験の自発自展である。主観でもない客観でもないただ一の絶対である。個人意識というものは、この実在の原始の状態より分化して生じたものであるのみならず、その存在の必須の要件としてこれに対立する他我の存在を予想している。客観なくして主観のみ存在することはない。
 それゆえに個人意識は生命の根本的なるものではない。その存在の方式は生命の原始より遠ざかりたるものである。第二義的なる不自然なる存在である。それ自身には独立自全に存在することのできないものである。これは個人意識が初めより備えたる欠陥である。愛はこの欠陥より生ずる個人意識の要求であり、飢渇である。愛は主観が客観と合一して生命原始の状態に帰らんとする要求である。欠陥ある個人意識が独立自全なる真生命に帰一せんがために、おのれに対立する他我を呼び求むる心である。人格と人格と抱擁せんとする心である。生命と生命とが融着して自他の区別を消磨しつくし第三絶対者において生きんとする心である。
 それゆえに愛と認識とは別種の精神作用ではない。認識の究極の目的はただちに愛の最終の目的である。私らは愛するがためには知らねばならず、知るがためには愛しなければならない。われらはひっきょう同一律の外に出ることはできない。花のみよく花の心を知る。花の真相を知る植物学者はみずから花であらねばならない。すなわち自己を花に移入して花と一致しなければならない。この自他合一の心こそ愛である。

 愛は実在の本体を捕捉する力である。ものの最も深かき知識である。分析推論の知識はものの表面的知識であつて実在そのものをつかむことはできない。ただ愛によりてのみこれをよくすることができる。愛とは知の極点である。(善の研究――四の五)

 かくのごとき認識的の愛は生命が自己を支えんための最も重々しき努力でなければならない。個人意識がかりそめの存在を去って確実なる、原始なる、自然なる、永遠なる真生命につかんとする最も厳かなる宗教的要求である。この意味において愛はそれみずから宗教的である。かくてこそ愛は生命の内部的なる熱と力と光との源泉たることを得るのである。
 私はO市の冬ごもりの間に思想を一変してしまった。我欲な戦闘的な蕭殺とした私の心の緊張はやわらかにゆるみ、心の小溝をさらさらとなつかしき愛の流れるのを感じた。私はその穏やかな嵐の後のなぎのような心で春を待った。春が来た。私は再び上京した。
 けれどもこの穏やかな安易な心の状態は長くはつづかなかった。私は心の底にただならぬ動揺を感じだした。それはいうべからざる不安な気分であった。心が中心点を失うて右往左往するようであった。意識の座が定まらない。魂が鎌首を擡げて何ものかを呼び求むるようでもあった。私は恐ろしい寂寥に襲われた。とても独りでは堪えられないような存在の寒さと危うさにおののかずにはいられなかった。私は何も手につかなかった。ただこの意識中心の推移するのかと思うような心の動乱と寂寥と憧憬とを持てあましつつ生きていった。
 私は狂うような手紙をO市の友に幾度出したかもしれない。淋しさと怖ろしさとに迫られては筆をとった。霖雨のじめじめしい六月が来た。その万物を糜爛びらんせしめるような陰鬱な雨は今日も今日もと降りつづいた。湿めっぽいうっとうしい底温かいような気候が私にいらだたせるような不安を圧迫した。私はこの熱を含んだ、陰気くさく淡曇った天の下に、蒸し暑い空気のなかに、手のつけようのない不安な気持ちに脅かされながら生きねばならなかった。
 試験準備でわしい友達の間に何も手につかないでぼんやりしてるのが辛いので、私は筑波山へ旅に出たことがあった。私は淋しいもの哀しい旅をした。筑波山はまっ白い霧に抱かれて黙っていた。私はただ独り山道をとぼとぼ登りながら、自然は冷淡なものだとつくづく思った。この淋しい自己を託さんとする自然は私には何の関わりもないもののように冷然として静まり返っていた。私はとりつくしまもなかった。私がよしやそこに立ってる大樹の肌に抱きついて叫んだとて、雨に濡れたる黒土に噛みついて号泣したってどうともなりはしないではないか。
 私は抱きつく魂がなくてはかなわないと思った。私の生命にすぐに燃えつく他の生命の※(「火+稻のつくり」、第4水準2-79-88)がなくては堪えられないと思った。魂と魂と抱擁し、接吻し、嘘唏きょきし、号泣したかった。その抱擁の中に自己のいのちが見いだしたかった。
 私は山頂の茶店の古ぼけた登山記念帖に次のようなことをなぐり書きに書きのこしてひとり淋しく山を下りた。

 何者かを求めて山に来りき。されど求むるところのものは自然にてはあらざりき、人なりき、愛なりき。たとい超越的の神ありたればとてわれにおいて何かせん。ああ人格的、内在的なる神はなきか。わが霊肉を併せて抱擁する女はなきか。

 山から帰ってから、私の心はいっそう淋しくなった。そしていっそう切迫してきた。しかし私は私の心の不安と動揺とにほぼ明らかなる形をあたえることができた。それは私の生命の憧憬の対象があたえられないからだと思った。その憧憬の対象すらも判然とは定まっていなかったけれど、それは人格物でなければならないことだけは解った。私は他の人格を求めてるのだ。他の生命を慕うていたのだ。私は自己のみで生きるに堪えないのだ。他の生命との抱擁よりなる第三絶対者に私の生活の最後の基礎を置こうとしてるのだ。この内部生活の転換こそ心の不安であり、動揺であり、生命を求むるあこがれこそ心の寂寞に相違ないと思った。
 かれこれするうちに夏休暇が来て私は故郷に帰った。私の生命を慕い求むる憧憬はますますその度を深くした。そして日に日に切迫してきた。それは宗教的の熱度と飢渇とを示した。乾いた山の町に暑くるしき生を持てあましながら、私は立っても、坐っても、寝ても心が落ちつかなかった。
 私は何も読まず、何も書かず、ただ家の中にごろごろしたり、堪えかねては山を徘徊したりした。私の生命は呼吸をひそめて何ものかを凝視していた。
 この頃から私の生き方はだいぶ前とは違ってきだした。私の内部の切実なる動乱は私をただインテレクチュアルな生き方のままに許さなかった。私は内部の動揺に、情意の要求に促され圧されて、思索するようになった。概念的に作りあげたる系統からどれほど力ある生活が得られよう。充実せる生活はその価値が内より直観できるものでなければならないと思い始めた。
 このとき私の頭のなかには友と神と女とがこんがらがって回転していた。私は真面目に神のことを思った。乾いた草の上に衰弱した体躯たいくを投げ出して、青いあかるい空を仰ぎ見ながら一生懸命神のことを思った。けれども私にはどうしても神の愛というものを生き生きと感ずることができなかった。内在的な人格的な神の存在は西田氏のいうがごとき意味において私は信ぜざるを得なかった。けれどもそれは実在の原始の状態に付したる別名にすぎない。それはただ一つの現実であり、光景であり、ザインである。その独立自全なる存在においては愛なるものの存するはずはない。われらは愛によりて神に達することはできる。けれどもいかにして神の愛というものが生じ得るのであろうか。私には神の存在よりも神の愛というものが理解できなかった。『善の研究』を読んでもここがどうしても解らなかった。私は神なるものに働きかけることも働きかけらるることもできはしない。愛されてるような心持ちになれない。頼もしくない。
 私は憧憬の対象を友に求めようとした。私には細かな理解をもって骨組まれ、纏綿たる愛着をもって肉づけられたる真友があるではないか。けれども私はこれにも満足することができなかった。友には肉が欠けている。これが私を少なからず失望させた。私はその頃から肉というものを非常に重んじていた。肉は生命の象徴的存在である。生命は霊と肉とを不可分に統合せる一如である。生命を内より見るとき霊であり外より見るとき肉である。肉と霊とを離して考えることはできない。肉を離れて霊のみは存在しない。
 私は人格物を憧憬するならば霊肉をあわせて憧憬したかった。生命と生命との侵徹せる抱擁を要求するならば、霊肉を併せたる全部生命の抱合が望ましかった。この要求よりして私は女に行かねばならなかった。人格物を憧れ求むる私の要求は神に行き、友に行き、女に至って止まった。そして私の憧憬の対象がしっくりと決まったような心地になった。私の全部生命は宗教的なる渇仰の情をみなぎらせて女を凝視した。私の心の隅には久しき昔より異なれる性を慕い求むるやるせなきあくがれが潜んでいた。この心は一度は蕭殺たる性欲のみの発動となって私の戦闘的な利己主義の生活をもの凄く彩ったこともあった。けれども一度その殺伐たる生活よりめて、深く、もの静かな、また切実な宗教的な気分に帰って以来、この心は深く、優しく、まことあるものとなっていた。私は異性に対して寛大な、忠実な、熱情ある心を抱いていた。私は性の問題に想い至ればすぐに胸が躍った。それほどこの問題に厳粛なる期待を繋いでいた。私の天稟のなかには異性によりてのみ引きいだされ、成長せしめられ得る能力が隠れているに相違ない。また女性のなかには男性との接触によりてのみ光輝を発し得る秘密が潜んでるに相違ない。私はその秘密に触れておののきたかった。私は両性の触るるところ、抱擁するところそこにわれらの全身を麻痺せしめるほどの価値と意義とが金色の光をなして迸発ほうはつするに相違ないと思った。私は男性の霊肉をひっさげてただちに女性の霊肉と合一するとき、そこに最も崇高なる宗教は成立するであろうと思った。真の宗教は Sex のなかに潜んでるのだ。ああ男の心に死を肯定せしむるほどなる女はないか。私は女よ、女よと思った。そして偉大なる原始的なる女性の私に来たらんことを飢え求めた。
 私の傍を種々なる女の影が通りすぎた。私はまず女のコンヴェンショナルなのに驚いた。卑怯なのにあきれた。男性の偉大なる人格の要求を容れることのできない小さなのに失望した。私は若さまと嬢さまとの間に成り立つような甘い一方の恋がほしいのではない。生命と生命との慟哭どうこくせんほどの抱擁がほしいのだ。私が深く突っ込むとき私はみな逃げられた。気味悪がられた。私は私の深刻なる真面目なる努力が遊戯にしてしまわれはしまいかと心配せずに女を求むることはできなかった。私は処女は駄目なんだろうかと思った。酒と肉と惑溺わくできとの間には熱い涙がある。その涙のなかにこそ生命を痛感せる女がいるかもしれないと思った。私は非常識にも色街の女に人格的な恋を求めに行った。私はこんなところへも肉を漁りに行かなかった。私は童貞であったが、ゆえあって私の生殖器は病的に無能力であったのである。ただ魂でも、肉でもない、私の全部生命を容れてくれるような女を求めに行ったのだ。けれどもそれは失望に終わった。あの艶々つやつやしい黒髪としなやかな白い肌、その美しい肉体のなかに、どうしてこんな下劣な魂が宿ってるのであろうかと不思議でならなかった。私はその肉体美だけを彼らからぎ取ってやりたいほどに思った。女はなぜこんなに駄目なのであろう。私は腹が立つよりも悲しかった。やむなくば「女」を撲滅しなければならない。そして女の肉だけを残さなければならないと思った。
 私のように女性に対して要求の強いものは女によって充実することはとうていできないのかもしれない。現実の女はみな浅薄なコンヴェンショナルな女ばかりなのかもしれない。私のようなコンヴェンションの目から見て不健全千万な男性を受け容れてくれる女はいないのかもしれない。ああ男性に死を肯定せしむるほどの女性はないだろうか。それはイデアリストの空なる望みにすぎないのであろうか。私はこう思えば重たいためいきを吐かずにはいられなかった。
 思えば私は対人関係に深く頭を突っ込んでここまで進んで来た。それはなかなかの思いではなかった。私は女に充実が求められなくて何に充実が求められよう。私はここまで来て引きかえすのは残念でたまらない。とてもそんなことはできない。ぶつかりたい。ぶつかりたい。偉大な価値と意義ある生命のクライシスにぶつかりたい。そして生命の全的なる肯定あるいは否定がしたい。
 こう思って私は飢えたるもののごとく女を探し求めた。そして見よ。ついに私は探しあてた。

       下

 ああ私は恋をしてるんだ。これだけ書いたとき涙が出てしかたがなかった。私は恋のためには死んでもかまわない。私は初めから死を覚悟して恋したのだ。私はこれから書き方を変えなければならぬような気がする。なぜならば私が女性に対して用意していた芸術と哲学との理論は、一度私が恋してからなんだか役に立たなくなったように思われるからである。私はじつに哲学も芸術も放擲して恋愛に盲進する。私に恋愛を暗示したものは私の哲学と芸術であったに相違ない。しかしながら私の恋愛はその哲学と芸術とに支えられて初めて価値と権威とを保ち得るのではない。今の私にとって恋愛は独立自全にしてそれみずからただちに価値の本体である。それみずから自全の姿において存在し成長することができるのである。私の形而上学上の恋愛論はそれが私に恋愛を暗示するまで、その点において価値があったのである。一たび私が恋に落ちたとき、恋愛は独立に自己の価値を獲得したのである。私は私の恋愛論の完全をいかにして保証することができよう。私にはその自信はない。もし私の恋愛が哲学の上に立ちて初めて価値あるものであるならば、もしその哲学が崩壊したとき恋愛の価値もともに滅びなければならない。かくのごときことは私の堪え得ざる、また信じ得ざることである。私はいかにしても恋愛の自全と独立とを信仰せずにはいられない。たとい私の恋愛論を破砕する人があろうとも、それは私の恋愛の価値とは没交渉なことである。恋愛は私の全部生命を内より直接に力学的に纏めているのである。これを迷信というならば恋愛は私の生活の最大の迷信である。誰か迷信なくして生き得るものがあろう。偉大なる生活には偉大なる迷信がなければならない。私はこの頃つくづく思い出した。自分で哲学の体系を立てて、その体系にみずからうなずいて、それにのっとって充実徹底せる生活を求めることができるであろうか。充実せる生活は生活の価値がただちに内より直観せらるるものでなければならないのではあるまいか。かくのごとき生活の骨子たるものは哲学ではない。芸術でもない。ただ生活の迷信である。この迷信に支えられてこそ初めて哲学と芸術とは価値と権威とを保ち得るのである。この迷信の肯定さるるところ、そこに歓喜があり、悦楽があり、生命の熱と光と力とがある。この迷信の否定さるるところ、そこに悲哀があり、苦痛があり、ついには死があるばかりである。
 私は恋愛を迷信する。この迷信とともに生きともに滅びたい。この迷信の滅びるとき私は自滅するほかはない。ああ迷信か死か。真に生きんとするものはこの両者の一を肯定することに怯懦きょうだであってはならない。
 私はただなぜとも知らず私がかくまで熱烈にまた単純に恋愛に没入し得る権利があると感ずるのである。私は私が恋愛の天才であることを自覚した。私には恋は一本道である。私はどこまでもこの一本道を離れずに進まなければならない。私は勇んで恋愛のために殉じたい。よしやそれが身の破滅であろうとも私はそれによって祝福さるるに相違ない。
 恋は遊びでもなく楽しみでもない、生命のやみがたき要求であり、燃焼である。生命は宇宙の絶対の実在であり、恋愛は生命の最高の顕彰である。哲学と芸術と宗教とを打して一団となせる焔の迸発である。生命(霊と肉)と生命とが抱擁して絶対なる、原始なる、常住なる、自然なる実在の中に没入せんとする心である。神とならんとする意志である。
 私らは恋愛というとき甘い快楽などは思わない。ただちに苦痛を連想する。宗教を連想する。難行苦行を思う。順礼を思う。凝りたる雪の上を踏む素足のままの日参を思う。うしの時参りの陰森なる灯の色を思う。さてはあの釣鐘にとぐろを捲きたる蛇の執着を思わずにはいられない。
 恋愛の究極は宗教でなければならない。これ恋の最も高められたる状態である。私は私の身心の全部をあげて愛人に捧げた。私はどうなってもいい。ただ彼女のためになるような生活がしたいと思う。私はすべてのものを世に失うとも彼女さえ私のものであるならば、なお幸福を感ずることができるのである。私はけっして彼女に背かない。偽らない。彼女のためには喜んで死ぬことができる。私は彼女のために食を求め、衣を求め、敵を防ぎ、あの雌を率いるけだもののごとくに山を越え、谷をわたり、淋しき森影にともにみたい。
 私はほとんど自己の転換を意識した。私は恋人のなかに移植されたる私を見いだした。私は恋人のために一度自己を失い、ふたたび恋人のなかにおいて再生した。
 私は彼女において私自身の鏡を得た。私の努力と憧憬と苦悩と功業とはみな彼女を透して初めて意義あるものとなるのである。私は私のみの生活というものを考えることができなくなった。彼女を離れて私の生活はない。私らは二個にしてただちに一個なる生命的存在である。私らは二人を歌うのだ。二人を努力するのだ。二人を生きるのだ。
 恋は女性の霊肉に日参せんとする心である。その魂の秘祠に順礼せんとする心である。ああ全身の顫動するような肉のたのしみよ! 涙のこぼるるほどなる魂のよろこびよ! まことに sex のなかには驚くべき神秘が潜んでる。自己の霊と肉とをひっさげてその神秘をつかまんとするものは恋である。最も内面的に直観的に「女性」なるものを捕捉する力は恋である。
 いかなる男性が男性として最も偉大であるか。私は女性に死を肯定せしめたる男性が最も偉大であると思う。いかなる女性が女性として最も偉大であるか。私は男性に死を肯定せしめたる女性が最も偉大であると思う。しからばわれらは最も偉大なる性の力を誇り得る二人である。私らは互いに死を肯定した。

御身は御身の愛するもののために死にあたうや。
しかり。あたう。御身は?
もとよりあたう。わが最愛の人のために死なんは最も大なる幸福なり。よろこびてこそ死なめ。

 これ永遠にわたりて最も心強き獻身的なる犠牲の心である。人間が死を覚悟するということはなかなか容易なことではない。私らは軽々しく生きるとか死ぬるとかいうのを慎まなければならない。しかしながら文字どおりに真実なる表現の価値を背景として、この対話を読みてみよ。これじつに偉大にして、崇高なる生命の大事実ではないか。乃木大将を見よ。大将の自殺は今の私にとり無限の涙であり、また勇気である。大将の自殺は旧き伝説的道徳の犠牲ではない。最も自然にしてまた必然なる宗教的の死である。先帝の存在は大将の生活の中軸であり、核心であった。先帝を失うて後の大将の生活は自滅するよりほかなかったであろう。とても生きるに堪えなかったであろう。私は大将の獻身の対象が国君であったからいうのではもとよりない。ただかくまで自己の全部をあげて捧げ得る純真なる感情と、偉大なる意志とを崇拝し、随喜するのである。
 孤独ということはわれらの耳に慣れたる言葉である。私はこの言葉の奥に潜みたる偉大なる意義を想う。ただこの語をわれもわれもと軽々しくいって欲しくない。私らは孤独を口にする前にどれほど自分が純熱に他人を愛し得るかを反省する必要がある。私らはいかばかり他人の魂に触るるに誠実であったか、どれほど自己の魂の口を開いて他人の魂を容れようとしたかを反省してみねばならないと思う。今の私は事実として孤独ではない。私は他人の魂から逃げ出したくない。いよいよ深く頭を突っ込んでその神秘におののきたい。たらたらと汗の出るほど、死ぬるほど彼女が愛したい。人を恋いては死を恐るることを私は恥としたい。
 私らは二人の間に産まれたる恋愛をもって私らの生命を意義あらしむる唯一のものとしたい。それによって自己の人格の価値をみずから信じたい。天稟の貧しい私らに何ができよう。それを思えば自分のけた生がみすぼらしくまた皮肉に感ぜられて自己存在を否定したくなることもしばしばある。けれどその影の薄い私らが、自己の存在に絶大なる充実と愛着とを感じ得るのはただ恋あるがためである。私らには何もできない。けれどもただ一つ恋ができるのだ。互いに死をもって抱擁し、密着みっちゃくし、涕泣する崇高なる恋ができるのだ。それだけがわれらの唯一の誇りであり、またそれだけで十分なのだ。考えてみよ。全体人間の技巧なんてぞんがい小っぽけなものではないか。人間の人工的なる功業なんかあんがい小さいものではないか。それよりも私らの放つまじきものは生命の内部より湧き起こる感情である。内部自然の発動である。私はこの「自然」の上に築きあげたる私らの功業、すなわち恋愛を誇りたい。そう思えば私は恋が放したくない。土を噛みても彼女を抱きしめていたい。
 私のように複雑なひねくれた頭のものがどうして彼女に対してこんなに純になれるのであろう。軽躁けいそうなものがどうしてかくまで誠実になれるのであろう。私はそれが不思議でもあり、また尊くてならない。纒綿として濃やかな、まことにみちたる感情が私の胸のなかをあふれ流れている。
 春の目ざめの処女の身体の内部から、おのずから湧き出る恋心は、コンヴェンショナルな女をも自然児に変ずる力がある。その純なる感情の流れに従って生きるとき、女はやすやすと伝説を破って、まことのいのちに入ることができたのだ。
 私は恋愛が肉の上に証券を保ってることが心強くてならない。肉体は生命の最も具体的なる表象である。それだけ最も心強いたしかなものである。肉と肉との有機的なる融着よ! 大きな鮮やかな宇宙の事実ではないか。その結果として新しき「生」が産出されるのかと思えば、胸がどきどきするほどたのもしい。まことに恋愛は肉の方面から見れば科学者のいうように「原形質の飢渇」であるかもしれない。細胞と細胞とが Sexual union に融合するときの「音楽的なる諧和」であるかもしれない。
 思えば私は長い間淋しい不安な荒んだ生活をしてきたのだ。それはあたかも霖雨のじめじめしい沼のような物懶ものうい生活が今日も今日もと続いたのだ。欠席、乱酒、彷徨、怠惰、病気、借金、これらのもののなかを転っていた私の生活はけっして明るいものではなかった。ぼんやりふところ手して迷児まいごのように毎日のように郊外をうろついたこともあった。酒精にたるんだ瞳に深夜の星の寒い光をしみこませて、電信柱を抱いて慟哭したこともあった。
 そんな私だもの、恋を放してどうしよう。私はとてもほかのことでは充実できそうにも思われないのだ。私はもうもうあんないやな生活は繰り返したくない。恋がだめなら、私ももうとても駄目だ。私は度胸を据えた。
 私はいま実際充実してる。歓喜にみちてる。私の衰弱した肉体の内部からも無限の勇気が湧いて出るのだ。湯のような喜びが生命の全面を浸している。生命が燃焼して熱と力と光とを蒸発する。私はいまさらながら高き天と広き地との間に心ゆくばかり拡がれる生命の充実を痛感する。ああ私は生きたい。生きたい。彼女をらっして光のごとく、雲のごとく、獣のごとく、虫のごとくに生きたい。
 げに恋こそはまことのいのちである。私はこのいのちのために努力し、苦悩し、精進したい。すべてわれらの恋によきほどのものはことごとくこれを包容し、よからぬほどのものはことごとくこれと戦って征服しなければならない。
 私の今後の生涯はこの恋愛の進展的継続でありたい。私らが恋の甘さを味わう余裕もなく、山のごとき困難は目前に迫って私らを圧迫している。私らは悪戦苦闘を強迫された。ああ私は血まみれの一本道を想像せずにはいられない。その上を一目散に突進するのだ。力尽きればやむをえない。自滅するばかりだ。
(二十二回の誕生日の夜)
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 自然児として生きよ
       ――Y君にあたう――

 私はまずあなたと共に「生」というありがたき大事実を信仰したい。それからあなたと私とがともに生き(mitleben)てることを信仰したい。それから後初めて私の言いたいことをあなたに述べさせていただきたい。他人の生活態度と自分の生活態度と異なっているとき私らはどうすればいいであろうか。これは対人関係について神経質な私にとってはかなり煩わしい問題である。ひと口に異なった生活態度といってもその異なり方にはいろいろある。私はもとより個性の多様性を認めるものであるから、たとい生活態度は異なっていても、その態度がその人の本然の真実より、すなわち個性の必然より生ずるものと信じらるるならば、その態度を理解し、尊敬することができる。真実の友情はここに根底を置くべきものであろう。またその態度が土台から人格的の憎悪と軽蔑とを感じさせるようなものであるならば、頭から征服的の態度に出でてもいいかもしれない。けれども彼我の間には一脈の呼吸が隠々として通いながらも、その人の認識が深刻でないために、概念的の錯誤から、外面的には著しく異なった――というよりも相そむかねばならぬほどの態度が生じているのだと自分には思われるときにはどうすればいいであろうか。このとき自分の生活を乱さないように守りながら、黙って自分の道を歩いて行ける人はいい。私にそれができるならば、それほど他人の存在に無関心でいられたならば、私の内部動乱はいかほど少なくて、安易な心を持して行けるかしれないのである。けれどもすでにそれができないとすればどうすればいいか。私には皮肉はいえない。どうしても率直にいうよりほかはない。私はあなたと私とをそういう関係において見いだすものである。だからなにとぞ私があなたの内生活に深く立ち入って手きびしくいうことを許していただきたい。
 Y君、私は自分を Moralist だと信じている。私は固形体の状態から灼熱、鎔解して流動体となり、さらに光を発するほどの精醇な Morality というものに向かって純なる憧憬を持つものである。私はこのモーラリチーというものに対してきわめて広い意識を持つものであって、芸術の根底を支えるものもこの道徳性だと思ってる。このことは幾多の芸術家の反対あるにもかかわらず、私はそう信じているのであって、トルストイなどのいう意味よりも、もっと芸術的な意味で私はいうのである。私はいかなる人であってもモーラリストでなければ尊敬することができないのである。私は私の友にあたえた手紙の一節に、「社会の道徳的(哲学的、芸術的、宗教的ということを一語にふくめてかくいう)[#()内の文字全てに傍点、ただし読点をのぞく]教養の今日のごとく幼稚な世に私は生まれて来べきものではなかったのだ」と書いたのを記憶している。私は道徳という語をこれほどの意味で使いたいのである。とにかく、私はあなたがそう認めてくれるとくれないとにかかわらず、私がみずから道徳家だと信じてることをいっておかねばならない。でなければ何のために私があなたにこの書をあたえるかが解るまいと思うからである。
 私はあなたがモーラリストであると信じる。そしてその点においてあなたを尊敬する。しかしあなたの言動を見るときに、あなたのモーラリチーというものを私は深刻だと思うことができない。そして心細い感に打たれるのである。
 第三学期全寮茶話会の夜、私はあなたの演説を聞いた。あなたはまさに本校を去らんとする三年生一同の総代として告別の辞を述べられたのであった。私は初めあなたが壇上に立たれたとき不快の感に打たれた。元来総代などというものは、それ自身よほど無理なものである。心あるものは平気で総代なんかになれるものではない。自分の生活に深刻であればあるほど個人、個人の生活の複雑多様なことを感ぜずにはいられない。数百人の感想を一人で代表して述べるなどということは無理なばかりでなく礼を欠くことである。ことにあなたのようにその感想がややもすれば共通的性質を離れて著しく主観的になりがちな人においてはいっそうのこと遠慮しなければならない。私がもし仮りに三年生であって、あなたの感想が私のを代表してるものとしたならば――いやそれほどでなくとも今年の三年には現にF・S君のような人がいる、F・S君をあなたが代表するなどということは傍から見ていて危うくてたまらないことである。
 けれどもあなたは、私は多数の感想を独りで述べることは無理だから、私一人の感想を述べるとことわられた。また私などは適任者ではあるまいがと謙遜された。――おそらく誰だって適任者ではあるまいが――私は非常に嬉しかった。また安心した。
 で私はここにあなたに反省を促すべき第一のことに逢着する。全寮茶話会の夜は無事に済んでよかったが、あなたはこれに類する、他人の思想を僭するような危険な地位にこれまで幾度も立たれはしなかったろうか。また今のままでゆけば将来も立たれはしまいか。しかもその危険なことをあまり感じないで、この高級なる道徳上の罪を犯されはしないであろうか。で私のあなたにいいたいことを概念的にいい表わすならば、伝道的観念に対する自己内省を深くして欲しいのである。伝道とは自己の思想の普遍と永遠とを要求する心をいうのである。伝道は人心のはなはだ厳粛なる要求である。自己の分を知るものの軽々しくすべきものではない。一山の宗祖たり得るほどの偉大なる人格者のなすべきものである。伝道はじつに個人の内部生活の充実が覚えず知らずあふれ出でて人類を包む尊き現象である。ゆえに伝道せんとするものは、自己の内生命に対する自信と威力とがなければならない。「われかく信ず、ゆえに他人もかく信ぜざるべからず。永久にかく信ぜらるべきものなり」と主張するためには、自己の内生命のよほど充実完成していなければならないのはもとよりのことである。私は伝道の可能を信ずる。個性の多様性を認めながらも、なおそれを超越して、その奥にすべての生物(Lebenswesen)に普遍なるべき宇宙の公道の存在を信ずる。その公道を体験したるものは伝道することがきる。いな、伝道せずにはいられないであろう。キリストなどはそうであったろうと思われる。私は伝道を尊重する。精醇なる道徳性の普行としてこれを憧憬する。したがってその神聖を保ちたいと思うのである。
 Y君、あなたは伝道的観念が強い(キリスト教を他人に伝道するということを直接に指すのではない)割合に自己生活の内省が深刻を欠いではいないであろうか。自己の生活について自信が強すぎはしまいか。自己の生活に威力を感じすぎはしまいか。試みにあなたの周囲を見たまえ。どこに肯定的な、自信のある、強い生活を送ってるものがあろう。淋しい、弱い、自信のない、大きな声を出して他人に叫ぶのははずかしいような生活をしてる人ばかりではないか。そういう強い、肯定的な、力ある生活を送ろうと思ってあせりつつも、できないで疲労するものもある。廃頽はいたいするものもある。はなはだしきは自殺するものもある。あるいは蒼ざめて衰えてなお苦しき努力を続けてるものもある。人生はかぎりなく淋しい。あなたは少なくとも寂しい思索家などのいうことに、いま少し耳を傾ける必要はないであろうか。私はそれについてある実例をあなたに示したい。私の友人はさんざん行き悩んだ末、芸術よりほかに私の行く道はないといって、学校も欠席して毎日下宿屋の二階に蟄居ちっきょして一生懸命創作をした。そして二百枚も書いた。私はこの頃世に出る片々たる短篇小説などよりどれほど優れてるかしれないから、完成されて発表してはどうかといっていた。ところがある日私がその家を訪ねて続きを見せろといったらもうしたといって淋しそうな顔をした。それは惜しいではないか。あれほど熱心に書いたのに、どうしたのだといたら「君、私の生活にはちっとも威力がない! 創作したって何になろう」といって顔をしかめた。私はそのとき二人の間に漂うた涙のない、り切れたような悲哀と、また理解と厳粛とをあなたに味わわせたいと思う。
 あなたはどうしてもいま少し深く内省する必要がある。声があまり大きすぎる。自己の生活にもっと空虚と寂寞と分裂とを意識せねばならないはずである。ややもすれば公けの会合などで奔走されるのを少し控えて、淋しい深い孤独な思想をいつくしむことを心がけなくては、あなたの道徳性というものは軽い、浅いものとなりはしないであろうか。道徳が social に拡がって行くことはよほど危険なことである。道徳において sociality ということはもとより大切であろうけれど、それよりも Inwardness ということの方がいっそう重要でありかつ用意的なものである。道徳が不純になり、固形体になるのは主として social に堕するからではあるまいか。精醇な、流動的な、光を発するような道徳は必ず自己内面の最深処より、実在の熱に溶かされ、自然の匂いの生々しいままで吹き出されるものであって、それ自身個人的にしてかつ野性的なものである。
 あなたの茶話会の演説は私の予期したごとくモラーリッシュなものであった。熱心な真面目な言葉があなたの口を突いてきた。私は謹聴した。けれども私は終わりまで聞くにはよほどもどかしさを忍ばねばならなかった。あなたが割れるような拍手の音に迎えられて席に復したとき、私は不平な魯鈍な気がした(あなたが魯鈍なのではない。事件が魯鈍なのである)。後にはただただ悲しかった。あなたはみずから善人をもって任じていられる。それはじつにいい。私も昨年校友会雑誌に「善人にならんとする意志」という論文を書きかけたこともある。あなたがそうする心持ちはしみじみと私の胸にわかる。私はモラーリッシュなできごとにいちばん興奮し涙を誘われるものである。それにもかかわらず、あなたの演説を聞いて私は握手を求めた手を叩き返されたような感に打たれた。
 Y君、あなたの善の観念はあまりに常識的である。あまりに外的で既定的で社会的でかつ固定している。しかのみならず、その範囲があまりに狭い。あなたの持ってる善人の範疇はんちゅうからは私などはただちにはみ出されそうである。みずから Moralist をもって任じてる私を容れることができない。私ははなはだ服しにくい。元来、あなたの思想全体が範疇的なのである。たとえばあなたの告別の辞ははなはだよく昨年のと似ている。さらに一昨年のと似ている。何ゆえに歴代の総代は毎年同じように美しい感想を述べて本校を去られるのであろう。ときに一人くらいは懐疑や不安や不満を残して本校を去る人がありそうなものではないか。総代が虚言を吐いたのか。そうではあるまい。おそらく彼らは真実の感想を述べたのであろう。ただ彼らは物を感ずるのに赤裸々な自由な心をもってしない。ある既定的な型をもって感ずる。そして自分の感想が全体として型に入ってることを自覚しない。それだから毎年同じ感想が生ずるのである。放たれた、純な心で物象を感得することは容易なことではない。それには思索の練磨を要する。型を離れて純粋に事象を経験せんとする努力を思索というのである。とらわれずに純粋に経験することは、思惟せずに偶然に物を感ずることではない。それはF・S君が「神の発見の過程」のなかに論じているように、思惟の凝視である。できるだけ注意して思惟することにほかならないのである。あなたなどは、思惟はものの真相を示すものではない、純なる感情で直感するのが真理であると思われるかもしれない。したがって思索家は囚われた物の感じ方をするものだ、知識に囚われてると思われるかもしれない。しかし思索せずにただ偶然に感情のままに事象を感受するならば、それはかえって型にはまって経験を受け取ることになるのである。かくて得られたる内容は真理でなくて常識である。私らが型を離れて純粋に自由に物象を感得するためには、思索せねばならないのである。あなたが思索を重んじられないために、あなたの思想は一般に型にはまっている。あなたの善の観念などもその例にれず狭くして、固定せる常識的のものである。
 善人になることはあなたの思ってるように容易なものではない。あなたは善人とならんとする意志さえあれば善人になれるように思ってるが、そんなに単純なことではない。なろうと思ってもなれない人がある。どうしていいか解らない人もある。また善人でなければ悪人というように明瞭に区別できるものではない。あなたは懐疑とか彷徨とかいう近代人のきわめて普通な生活をいっさい認められないように見える。あなたのように素朴に単純に神を信仰できる人はこの上はない。鮮やかな善の観念が頭に浮かんで、迷惑することなく右か左か行為を決定できる人はいうことはない。しかし、かかる驚くべき幸福を享受し得る人はきわめて少ない。少なくとも私などには不可能なことである。

 社会にはまだ道徳が発達しないんで善人が亡びて悪人が勝つような不合理なことがある。私はあくまで善人として進んでゆきたい。本校にも悪人が少数いるけれども、常に輿論がこれを導いて正しき道を離れないのは喜ばしきことである。しかしこの頃はだいぶ悪人がはびこってきたようであるが、まだまだ善人が圧倒されるようなことはない。本校に来て善良なる校風に感化されたのが多いけれど、なかには本校に来て堕落したものもある。たとえば本校に来てから酒を飲み始めたり、悪い場所へ平気で行くようになったものもある。本校三年の生活において得たところは非常に多いが、なかにも友情の美しいことを感じた。そして真友の二、三人もできたことは非常に嬉しいことである。ことに私は本校において生活の確信を得た。将来社会に出て戦うべき生活の自信を得たのは何より感謝するところである。

 あなたはほぼこのような意味の演説をされた。あなたのこの演説は私になんらの手応えある響きを持たなかった。ただ私にはもどかしい感じを与えたのみであった。私は「もっと、もっと」と始終思って聞かねばならなかった。それよりも私は筒袖姿の、健康な、青年らしいあなたを美しいと思った。願わくはこの青年の口から深刻な、懐疑的な、ロシアの青年のいうような言葉を聞きたかった。でなければ黙って立たせておきたかった。聴衆の大部分は常識で生きて行く人である。その人らにとってはあなたのこの演説はしごくもっともな、普通な、むしろ平凡な演説であったであろう。しかし、私にとっては、この短き演説のほとんど全面に懐疑と、不服と失望との種が横たわってるのである。その理由を私は今詳しく書いてあなたの生活を批評しようと思うのであるが、それにしてもあなたの住む世界と私の住む世界となんという大きな隔たりであろう。私はこうして筆を執りつつも、私の心持ちがあなたに理解してもらえるかどうかを心もとなく感ずるのである。
 Y君、あなたは心の目をもっと深く、鋭く、裸にして人生を眺める必要はありはせぬか。常識を捨てたまえ! この語をあなたの耳朶じだに早鐘のごとく響かせたい。これが私のあなたに与え得る最高最急の親切である。常識はあなた自身の知識ではない。あなたの本性に内化せられたる知識ではない。それはじつにあなたの所有物ではない。社会と歴史との所有物である。常識で導いてゆく生活は自分自身の生活ではない。独立自由の生活ではない。生活の主体は社会と歴史であって自己はただその傀儡かいらいにすぎない。常識の効果はただこれに則って生活すれば共同生活において安全に生命を維持することができるということに存する。安らかに生命を保つ。そんなことを青年が考えるときではない。この命題を前提とするすべての思想を私らは当分放擲ほうてきしなければならない。なんとなれば私らはこれよりもいっそう根本的なる急務を持つからである。すなわち生命に対する態度を決めねばならぬからである。安らかであろうが、危険であろうが、私らはまず生命という事実に驚異し、疑惑し、この大事実の意味を深く考えてみなければならない。しかる後燃ゆるがごとき熱愛をもって生に執着するもいい。呪うほどの憎悪をもって生を擯斥ひんせきするもいい。安らかに生を保つ計を立てるもいい。静かな淵のような目で生を眺め暮らすもいい。あるいは引きずられるように日々を生きてゆくもいい。ただすべての生活は自分のものでなければならない。たとい、自己の生活が社会と歴史とに拡がりゆくにしても、それは自己の生活が社会と歴史とを取りいれたのでなければならない。いかなる場合においても、生命の最高指導者が常識であってはならない。まずいっさいの社会と歴史とより与えられたる価値意識を捨てよ。天と地と数かぎりなき生物の間に自己を置け。しこうして白紙のごとき心をもて生命の内部に湧き起こる自然の声に耳を傾け、外界の物象と事象とを如実に見よ、かくて感得したるおのれみずからの認識をもて生命の行く手を照らす人を自然児というならば、あなたは第一に自然児とならねばならない。
 こんなことはいまさら聞かされる必要はないとあなたは思われるかもしれない。けれども私はこんなことをまだあなたにいわねばならぬのを悲しく思うのである。あなたはけっして Naturkind ではない。
 たとえばあなたの善という観念は著しく既定的なものである。あなたの頭のなかにはおそらくは酒を飲むこと、勉強せぬこと、……応援に行かぬこと、……等は悪い、禁酒すること、旗を振ること、勉強すること、規則を守ること……等は善いというふうに、ぽつりぽつりと固形体のような概念が横たわってるのであろうと思う。けれども、そういう考え方はけっして正当なものではない。酒を飲むことがいいこともあれば旗を振ることが悪いこともある。個々の特殊の事情を見なければ解るものではない。何々するのは悪い、何々するのはいいというように大まかに概括的にいえるものではない。あなたの持ってる善の観念は大部分が常識であるかのように私には思われる。たとえば団体の存在を認めぬような思想を排斥する前にあなたは少しでも躊躇するであろうか。その思想とその持主の内生活との間に存する特殊の事情を顧みる暇を持ってるであろうか。
 私は本校に来ても、あなたのようにみずから善良なる校風に感化せられたというような点を持っていない。また酒も飲むようになったし、あなたから見ればどうかと思われるような所へも平気で行くようになった。それならば私は堕落したのであろうか。あなたの演説のままを当て篏めれば私などはこの頃学校にはびこることをあなたの憂うる悪人であるかもしれない。しかし私はけっして中学校のときより堕落したと思うことはできない。いな、私は真面目になったと思ってる。生命に忠実になったと信じてる。酒を飲むようになったから真面目になったというのではない。それにもかかわらず、真面目になったというのである。酒を飲むとか、飲まぬとかいうようなことは私にはむしろどうでもいいことである。もっと大きな、深い根本的な点において私は真面目になったと信じるのである。
 私は学校にはびこるのは私のような人ではなく、むしろあなたのような人だと思う。そしてそれを生命真実の発展のためによろこばしからぬ現象だと思う。じつに校内においてときめき栄えてるのはあなたのような人らではないか。私らは隅の方に圧し潰されそうになって、ようやく身を保ってるような形である。いくら叫んでも私らの声は通らない。試みに演壇に立ってみよ。君は聴衆を味方として感ずることができるであろう。私をしてあなたに代わらしめたならば疑いの目、冷たい目、嫌厭けんえんの目を顔に浴びねばならない。あなたの考えてるようなことは何の苦もなく発表できる。私の考えてるようなことはなかなか発表できない。こうして書いていてもこれが部長のところを通過するかどうか心もとないのである。校友の優しい目を予期して私が提供した、私にとっては一生懸命であった実際生活の報告書は私を囚人のごとき姿して、私をさばかんとする校友の卓の前に立たせたではないか。私の先生の一人は晩餐会の席上、「いかがわしいことを書いた」というぼんやりした理由で私を学校の名誉を傷つけた不良少年とならべられたではないか。Y君よ、私らが何ではびこられるものか。それは安心してそれよりもあなたの周囲に、あなたの真面目な点だけを抜いた残りの部分だけあなたにはなはだよく似た人々のはびこることを私と共に心配したまえ。あなたの声望はあなたの周囲に子分を作った。私はあなたの周囲に漂う気分を好まないものである。それは真実なる生命の進転を妨げるものである。一高を化して常識の府となさんとする忌むべき傾向をはらんでいる。たとえばいわゆる演説家とクリスチャンの増加するのは私は眉をひそめる。演説家はまだいい、クリスチャンのきびすを接して生ずるのは最も苦々しき事実である。一人の人間が信仰生活に入るのだって私は容易ならぬできごとだと思う。ほとんど奇跡に対するほどの驚異の目をもって見るべき大事実だと思う。それがどうしてわれもわれもと信仰生活に入ることができるのであろうか。信仰生活の大安心、大喜悦の中に入り得るためには、血を吐くような深刻な悩みと、砂漠をうろつくような彷徨と、大地のずり落ちるような不安と、盲目になるほどの迷いとがあるべきはずだと思う。どうしてそうやすやすと市街を歩いてる人がふと教会堂に入るように信仰生活に入ることができるのであろうか。私はどうしても理解することができない。私は彼らの信仰を疑わずにはいられない。キリストの人格を崇拝する点において私はけっして彼らに後れるものではない。私の行方ゆくえにはキリストが立ってるとさえ思っている。ことに「愛」と「労働」とのキリスト教的精神は今私の生活の内に光を放ち始めんとしている。それにもかかわらず、私は本校のキリスト教徒を尊敬することができない。ああ、迷いが小さい。疑いが浅い。私らはもっと、もっとうろつこうではないか。肉を透して霊にゆき、迷いと悩みとをくぐって信仰に入ろうではないか。もっと強く、濃く、深く、鋭く生命を染め、穿うがち、掘り込んで生きてゆこうではないか。「汝ら何すれぞしかく堕落を恐るるや」かく絶叫する予言者がわが校に出現せねばならないと思う。堕落を恐るる宗教は最も堕落したる宗教である。悪を容れ得ぬ善は最も内容貧しき善である。最も深遠なる宗教は堕落を包容する宗教である。最も豊富なる善は悪を持ちながらの善である。『善の研究』の著者はオスカー・ワイルドの『獄中記』の例を引いて、

 基督キリストは罪人をば人間の完成に最も近き者として愛した。面白き盗賊をくだくだしい正直者に変ずるのは彼の目的ではなかつた。彼はかつて世に知られなかつた仕方に於て罪および苦悩を美しき神聖なる者となした。(善の研究――四の四)

 といってる。あなたの宗教には肉の匂いと煩悩のあとと疑惑の影とがない。人間味が乏しい。あなたの善はあまりに狭くして固定している。流動の趣きと野生の姿がない。それというのもあなたの生活意識が常識的であって深刻と透徹とを欠くからであると思う。たとえばあなたは本校に来て友情の美しいのを感じ真友の二、三人もできたといわれるが、私から見ればこれらはあなたの生活意識の深刻と透徹とを欠いでる証拠だと思う。人と人との接触を今少し深刻に要求してみたまえ。そんな楽天的なことをいってはいられないことはないか。私は校内においてしみじみと孤独を感じるものである。私は理解していてくれる友は一人もない。かろき接触の表面が潤うて少しじとじとすれば、それに美しき友情の名を被らせるのであるか。私には真友と名づけ得べきほどの友がただ一人ある。それは校友ではない。思うにあなたなどは、あなたのいわゆる二、三人の真友との間の友情そのものに関しては寂寞も苦悶もないのであろう。しかし、私と友との間にはどれほど友情の本質に関する寂寞と煩悶とが続いたことだろう。今もなおそのえがたき溝渠こうきょを思えば暗然とする。それは「三之助の手紙」のなかに詳しく書いたはずである。あなたのように人と人との接触に関してかろい意識でいられればこそあんな楽天的なこともいえるのである。
 何よりも校友に向かって感ずる私の第一の遺憾は生活意識の深刻でないことである。うやむやで生きてゆかれる人はしばらく措くにしても、いやしくも文芸家と道徳家とをもってみずから任ずる人に対しては私はいい分がある。文芸家には Morality が欠けている。単なる「歌うたい」や「詩造り」が多い。したがって「気分の芸術」はあっても「存在の芸術」はきわめて乏しい。あるいは遅るるを恐るるがごとくに読書し創作して余念のない人はある。けれども一生懸命生活してる人は乏しい。霊肉の資本もとでを払って、多大な犠牲を敢えてして、肉をらし、心を労して生活してる人はない。私は彼らに作品を提供するまえに、ただちに生活を提供せよと要請したい。それを思えば道徳家の実行的精神がどれほど尊いかしれない。けれども悲しいことにはその道徳は常識的、概念的道徳である。生命最奥の動乱より発するものではない。
 次にあなたにいいたきことはあなたの生活はまだ素朴的センチメンタリズムの範囲を出ていないことはあるまいか。自然主義を潜らぬ前の感傷主義ではあるまいか。あなたの人生に対する態度はあまりに感激的である。涙が多すぎる。あなたの物を見るに用いる眼鏡は物象をあまりに美しく輝いて見せすぎる。今少し観照的の眼光を深くして外界をあるがままに見る必要はないか。醜きは醜きように、汚れたるは汚れたるように、如実に受け取る必要はないか。たとえば人を尊敬するにしてもあなたは節度を逸して崇拝し随喜しられるようなことはないか。私らから見ればそれほどまでには思われない人を、ほとんど狂熱的に崇拝せられる。人は各々偉いとする点を異にする。またおまえはよくその人物を知らないからだといわれればそれまでであるけれど、私などにはあなたに観照的な態度が欠けてるからだと思われないでもないのである。涙だってセンチメンタリズムの涙は信用できるものではない。私は幾度無知な、偽りな涙をこぼしたことであろう。まことしやかにみずから気づかずに、自分で自分に甘える涙を垂れたことであろう。涙をらした、センチメントを抜いたショオの芸術の深刻を、人生の観方みかたを私はあなたにすすめたい。
 Y君、私はまことに無遠慮にあなたの生活を批評した。私があなたの生活に対する疑問を誌上で公表したのは、私がヒロイックな精神に動かされたからである。あなたを中心として周囲に漂う気分が、校内に蔓延まんえんすることを、「真新なる生活」のために憂えたからである。私はいま少し生活に対する批評的精神が校内に起こらねばならぬと思う。ただ私がおそれるのは私がはたしてあなたを理解してるかどうかということである。もし私の理解が浅薄であるのならば、私は赤面してあなたに謝する。私はまだ書きたきことの多くを種々の事情で発表することができなかったのである。
 あなたは今や美しき告別の辞を残して本校を去られるのである。この後といえどもあなたのいわゆる自信ある生活を続けてゆかれることと思う。私の無遠慮な批評が少しでもあなたに反省を促せば幸いである。私としてはあなたが新渡戸にとべ先生の宗教に赴かれないで、ドストエフスキーの宗教に入られることを切望するのである。あなたと肩を並べて卒業すべかりし私は、一年遅れ、また一年遅れることになった。私はまだまだ考えねばならない。あらゆる生物はただ生きてるがゆえに「生」に忠実でなければならない。ともに生きてるがゆえに他人の真摯なる生活の主張に傾聴しなければならない。私はあなたの私に教えられんことを求むるものである。終わりに臨んであなたの生命の真実なる発展をいのる。
(一九一三・六・五)
付記。自分はこの文章に対してY君から一つの手紙を受け取った。それは本当にキリスト者らしい、謙遜な、少しも反抗的な気分の含まれないかつ美しい知恵に富めるものであった。その手紙はその後の自分に深い、いい影響を及ぼした。自分は数年後広島の病院から君に自分の不遜を謝する手紙を送ったのに対して、君はまたじつに美しい手紙をくださった。そして自分を青年時代の恩人の一人に数えてくださった。自分は君の名誉のためと、君に対する自分の敬意を表するためにこのことを付記することを禁じ得ない。自分が今日キリスト者に対して、あるツァルトな感情を抱いているのは君に負うところが多い。自分はこのことを感謝する。
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 恋を失うた者の歩む道
       ――愛と認識との出発――

 私は苦痛を訴えたり同情を求めたりする気はない。私は今そんなことをしてはいられない。私は生涯にまたとあるまじき重要な地位に立ってるのだから。私は今こそしっかりせねばならない時である。見る影もなく押し崩された精神生活、そしてそれを支うべき肉体そのものの滅亡の不安――私の生命は内よりも外よりも危機に迫っている。私は自己を救済すべく今いかになすべきか。また何をなし得るのか。「生につかうるに絶対に忠節なれ」私はすべての事情の錯雑と寒冷と急迫との底に瞑目めいもくしてかく叫ぶ。かく叫ぶとき心の内奥に君臨するものは一種の深き道徳的意識である。いっさいの約束を超越して、ただちに「生」そのものに向けられたる義務の感情である。それはある目的を意志するによりて必然に起こる義務ではない。それみずからの内に命令的要素を含む義務の感情である。私は今にいたりて初めてカントが道徳に断言的命令を立した心持ちに同感せられて、カントの深刻さが打ち仰がるる。危険に脅かさるる身体をもって、ものの崩るる音、亡ぶ響きを内に聞きつつある私に、忍耐と支持との力を与うるものは、この生に事える義務の感情よりほかにはない。
 私はいささかの苦痛で済むような軽い恋はしなかったつもりである。毛の抜けた犬のようなミゼラブルな身を夜汽車に運ばれて須磨すまに着いて海岸を走る冷たい鉄路を見たときに、老父を兵庫駅に見送って帰りを黄色く無関心に続く砂浜に立って、とりとめない海の広がりを見たときに私は切に死を思った。それはついに死の表象にすぎなかったかもしれない。しからばあまりに実感にみちたる表象であった。私が須磨に来てから十日経たぬうちに二人の自殺者があった。一人は肺結核のえがたきを嘆じての死であった。一人はまだ二十歳前後の青年であった。獣のように地べたに倒れた頭のそばにモルヒネのびんが転がっていた。青ざめた顔、土色の唇から粘いガラス色の液を垂れてふっくふっく息を吐いていた。私は手を握ってみたらまだ温かであった。それを見た私の心は異様であった。私は死ぬまい。苦しければ、苦しいだけ死ぬまいと思った。私はこの青年の自殺を賞賛する心地にどうしてもなれなかった。いかなることあるも人間はかくのごときことを企つべきではないと思った。この青年の死骸の目撃は実感として私に「生」に対して企てられたる罪悪の意識を与えた。自殺が罪悪だということは道学者の冷やかなる理屈以外にもっと深い宗教的根拠があるのではあるまいか。そこには血と涙とに濡れたる数々の弁解があろう。しかも生に対する無限の信仰と尊重とを抱いて立つとき自殺は絶対的の罪悪ではあるまいか。足を切られれば切株(Stump)で歩むと言った人もある。いかなる苦痛にも忍耐して鞣皮なめしがわのごとく強靱に生きるのが生物の道ではあるまいか。私はいま忍耐というものを人間の重大なる徳だとしみじみ感ずるものである。熱心な信仰家の持つ謙遜な忍耐、あのピルグリム・プログレスの巡礼の持つ隠忍にしてたゆまぬ努力の精神、それに私は感服する。苦痛と悲哀との底よりいかにしてかかる忍耐と、努力と勇気とが生ずるのであろうか。その理由、その過程の内には深き宗教的気分が宿されてると思われる。私はそれに心惹かるる。あの『決闘』のナザンスキーがロマショーフに死を止むるときに語ったごとき生の愛着はけっして単なる享楽的気分より出で来るものとは思えない。人間の真の悲哀と精神的苦痛とは享楽できるものではない。ナザンスキーのよくも主張せし絶対的なる生の愛着は享楽主義を越えたる宗教的意識でなければならない。
「ああ私は血まみれの一本道を想像せざるを得ぬ。その上をいちもくさんに突進するのだ、力尽きればやむをえない。自滅するばかりだ」私は恋愛の論文を結んでかく言った。しかしながら今にして思えばそは不謹慎なる表現であった。私の自滅すべかりし時は来ている。私は戦うに怯懦きょうだであり、また時機を失したとはどうしても思えない。私は戦い敗れた。外部からの強暴な敵(私は病気をも外部と感ずる)と戦ってデスペレートな私は、内部よりの敵(彼女の変心)にって根本的に敗れてしまった。すべての事情は矢のごとき速度で見るまに究極まで達した。その推移はじつに運命的な性質を帯びていた。私は私の愛そのものにそむかずしてはもはや毫釐ごうりの力もない。しからば私はなぜ自滅しないか。死が実感として目の前に来た私はまだ死ねない自分を明らかに認めた。それは本能的な死の恐怖に打ちたれるのだという人もあろう。失恋が絶対的の暗黒とならないからだという人もあろう。あるいはそうかもしれない。しかしながら私にとって最も痛切なる理由は自殺が私に最深の道徳的満足を与えないことである。最終までの努力感を与えないことである。みずからをほめる心地になれないことである。そのもたらす波動が彼女、彼女の老親、私の父母、私の運命的なる友の中に内在する私の自己にそむく苦痛である。他人の内に見いだされたる自己はあんがい強い。私は義理人情ヒューマニチーの抜きがたき根底を痛感する。個人主義なるがゆえに自己のことのみ考えればいいというような説は抽象的なものである。かかる性格がもし芸術において描かるるならばそれはストリンドベルヒの排斥するいわゆる Abstrakter Charakter である。実在の性格ではない。私はあくまでも Morality というものを気にかけてインテレッシーレン生きたい。私は人間の究極の立場をモーラリチーの中に置こうと思ってる。人間に与えらるる自由というものがあるならば、それは道徳的自由のほかに確実なるものはない。その他の自由は皆意志に対抗する外部の力すなわち運命によってこぼたるるものである。運命の力がいかに強いか、私はつくづく腹に沁んだ。運命に対して確実に、むしろこれにあたってますます光輝を放つものはモーラリチーのほかにない。カントが天空の星群の統一とならび称えたる強い、深い意志の自律の法則のほかにはない。単に苦しいとか安易なとかいうことよりいわば、運命の拙い人、ことに運命を直視して生きるほど生活に生真面目きまじめなるものにとっては、死の望ましきことは幾度もあるに相違ない。今の私だって生きてる方が苦しくないとは思わない。あの独歩の「源おじ」を包んだ冷酷な運命を見よ、彼が首を絞って死んだのを誰が無理と思おう。しかも私らは「源おじ」をして最後まで生きしめねばならない。かく主張し得る道徳的根拠をエアレーベンしたるものを生の信者と呼ぶならば、私は生の信者として生きたい。
 今私の目に映る人生の事象は皆いたましい。が中につきても人間と人間との接触より生ずる不調和ほどいたましいものはない。世の中にはそんなに悪い人がいるものではない。ドストエフスキーの『死人の家』などに出て来るような生来の悪人はむしろ病的な人である。またかかる本来の悪意より生ずる悲劇は最も単純な、そして悲劇性の少ないものである。最も堪えがたき悲劇は相当に義理人情ある人々の間に起こる不調和である。人間の触るるところ、集まるところ、気拙きまずさと不調和とにみちている。いやもっと深刻な残冷な、人間の当然な幸福と願い――それはけっして我儘なのではない、人間として許されていいほんの僅かな願いをも圧しつぶしてしまうような不調和がある。みずからその災害を被らずとも、世界を調和あるコスモスとして胸に収めて生きたいヒューマニストにとってはこれはじつに苦痛なことである。そこには人間の切なる情実の複雑な纏絡てんらくがあるだけに、ほとんどこれのみにて人をして厭世観を抱かしむるほどの悩みの種となるものである。しこうして私は実際に私の幸福と願いとを奪却せられた。私の願いとは愛する女と mitleben して、そこに生活の基礎を置き人間としての発達を遂げんことであった。深い善い幸福がその中に宿るべきであった。
 この一年間の私の心の働き方はじつに純なものであった。愛と労働と信仰――人間として、また私の個性の行くべきまっすぐな道に私は立っていたに相違ない。それでなくてはあれだけの充実は感ぜられない。それがめちゃくちゃに押し崩されてしまった。信じて築いた私の精神生活、それが崩壊するまでに私の遭遇した事実は人生の恐るべく寒冷なる方面のみであった。失恋と肺結核と退校とに同時に襲われて生きる道を知らず泣き沈める一個の生命物、それが小さな犠牲といわれようか。
 私は恋人から最後の手紙を受け取ったが、私は生まれてからかかる冷淡ないやな性質の手紙を見たことがなかった。その手紙には「罪なきわらわにまたいうなかれ」と書いてある。当面の責任者さえ罪を感じていないのだもの、その他の人々がなんで罪を意識していよう。
 一個の「罪」も存在せずしてこれだけの犠牲が払われたとすれば、それを社会の不調和に帰するほかはない。これだけの犠牲は誰が背負わしたのか。私が背負わしたというものは一人もない。人生はじつに寒い。人の心は信じがたい。まことに私の経験した事実は私にとっては怖るべきものであった。
 しかしながら私はその寒さと怖ろしさとの中におののきつつ、死の不安に脅かされつつ、なお、「生」の調和に対する希望を捨てることができない。いなますますその願望を確かにしたような気がする。世界には寒い恐ろしい事象がある。むごたらしい犠牲がある。錯雑した不調和がある。しかしながら、これらのものを持ちながら、「生」そのものはいっそう深い、強い、複雑な調和あるものと思うことはできまいか。これはライプニッツの予定調和の説などより独立に私には一種の実感的気分である。私はこの頃名状しがたき不幸におおわれて暮らしている。人生の深き悲哀に触れたような気がする。しかしながらその悲哀は私に一種の永遠性を帯びて感ぜられる。私はマーテルリンクのように神秘を透して「永遠」に行く道を好まない。それはあまりに超越的な、むしろデヴィエイトした道のように思われるから。私はあくまでも公道を歩みたい。人間の人間らしき感情はもしそれが真実にせつにして深きものならば、皆「永遠」と連なっているように思われる。「永遠」とは時間の不断なる連続性をいうのではない。意識の侵徹せる全体性をいうのである。充実せる現在の宗教的なる生命感である。この「永遠」に触れたるとき人間にかなしき「よろこび」があるのではあるまいか。悲しみつつ、苦しみつつ、生を賛美する心が湧くのではあるまいか。私の胸の奥にはこの頃一種のオプチミズムがきざし初めたようである。それは青白い螢の光ほどの、ほんの微光にすぎないけれど、わが悲哀と孤独との後にぽっちりと輝いて見える。ペッシミズムというものは私にはそれ自身矛盾してるように思われ出した。厭世とは苦痛より起こる感情であってはならない。かかる厭世観は快楽なるがゆえの楽天観と同じく浅薄なるものである。真の厭世はその原因を生の無意義――存在の理由の欠如より発するものでなければならない。しかしながらかかる空虚の感が私には起こらなくなりだした。「生」は私にきわめてインハルトライヒに感ぜられだした。ああこのかなしき、苦しき、感動にみちたる世界が空虚だとは!
 しかのみならず、存在の理由というものを徹底的にもとむるならば、それは創生した力に帰すべきものである。一の現象が vorkommen したことがその現象の存在の理由である。ショウペンハウエルは厭世の起源を意志が、時空の方式を通じて現象として個体化したことに帰しているが、それは厭世理由にはならない。意志は何ゆえにかかる過程を経て現象として顕現したか、それは説明できない。顕現した力が存在の理由である。われらは生きている。生きながらに生をいとうとはいかなることを意味するのであるか。その指示する意味は私に矛盾の感を与える。「ある世界観が厭世観であることは、その世界観の矛盾を示すものである」という言葉に一種の根拠がありはせぬか。いうまでもなく私は世の常の楽天観にくみするものではない。私は厭世を越えたるいなむしろ厭世そのものの中に見いだされたる楽天観をいうのである。悲しみと苦しみとをもって、織りなされたるよろこびをいうのである。そもそも世界観において、楽天だとか厭世だとかいうことは重きをおかるべきでない。それは世界のすがたをできるだけ精細に、如実に anschauen すればよい。その観察が「真」に徹すれば徹するほど私は楽天的な境地が開拓されると思う。私はフローベルやツルゲネフの思想においても、楽天的傾向を見いだすものである。ショウペンハウエルの哲学すら単に厭世観とは思われない。彼の解脱の方法としての愛と認識とはいっそう重要に注意さるべきものである。世界の苦痛と悲哀と寂寞とを徹底的に認識するは楽天に転向する第一歩である。そこに生命の自己認識がもたらす解脱の道がありはせぬか。認識の純なるものはをもって知るの体験でなければならない。さらに徹しては愛とならねばならない。愛は最深なる認識作用である。白墨の完全なる表象はただちに黒板の文字となるように、最純なる表象はただちに意志である。私は愛と認識との解脱的傾向を含む特殊なる心の働きなることを認め、しこうしてこれによりて暗示さるる精神生活の自由の境地に注意するものである。オイケンは「人間は自然に隷属す。されどそを知るがゆえに自由なり」といい、トルストイは“Where Love is, God is.”といった。私の思想はもとよりいまだ熟していないが、生物の本能と隷属を脱して神への転向を企つる意識的生活は愛と認識とをもって始めらるるであろう。
 私はこれまで本能の中に自由を見いださんとする自然主義をもって生活の根本方針を建て、しこうしてそを最も確実なる生活法と思っていた。私の恋愛の崩れたのはその誤謬からであった。私の恋愛は甘きもの美しきものに対する憧憬ではなく「確実なもの」を捉えんとする要求であった。確実なる生活の根本基礎を女の本能的な愛の中に据えつけようとした。それが私の恋愛のヴェーゼンであった。女の美しいこと賢いことは初めからのぞまなかった。ただ一点愛において二人は確実に結合していると信じた。しかしながら本能的な愛は私の期待したごとくけっして鞏固きょうこではなかった。女の恋愛には精神生活の根底がなかったために、その崩れ方はじつにもろかった。私は一種の錯誤に陥っていた。私の尨大ぼうだいなる形而上学的の意識生活を小娘の本能的な愛の上に据えつけた。それが瓦壊の源であった。
 本能的の愛は一時は炭火のごとく灼熱しても愛してまぬ持久性がない。覚悟と努力との上に建たざるがゆえに外敵に対する抵抗力が乏しい。敵とは何か、他の本能である。精神生活より発する愛は諸種の本能を一度思考の対象として、それを統一した上に発したる一種の形而上学的努力の感情である。本能的な愛の熱烈は他の本能を一時蔽うている状態である。ゆえに他のこれと駢列へんれつする本能をもってアッタックせらるるとき崩れてしまうのである。私は真の生活が精神生活でなければならないことを痛感する。いやしくも私らが生活につきて意識的になるとき、すなわち真の意味において生活するようになったとき、その生活は理想的要素を含める精神生活(Geistesleben)でなければならない。真の生活は自然主義の生活にあらずして理想的、著しくいわば技巧的、人工的生活である。それが最も個性的特殊性を含める生活である。もとより本能や感覚を材料として取りいれねばならぬ。しかしこれらの材料を排列し、擯斥ひんせきし、牽引し、あるいは種々の立場より覗くことを得るだけの精神的努力を含める生活をいうのである。たとえば性欲というような本能は誰でも持ってる共通的なものである。その性欲をいかに取りいれるか、排斥するか、包容するか、というようなところに個性的特質ある生活が見いだされねばならない。かくて自己は広き範囲にわたりて、多くの事実を多くの立場より見得るに至るであろう。生活にりいれらるる data は豊富になるであろう。しこうして後これらのものを包摂して、単純化が行なわれたるとき真に確実にして力ある生活が生み出されるのである。人間の生活が熱烈なる光輝を放つときは単純化が行なわれたるときである。しかしながらその単純は複雑と多様とを統一したものであって、内容の貧寒を意味する簡単であってはならない。真の単純化はその内に無数の要素を含める体系的一であって数的一ではない。本能生活の熱烈は後者に属するものであって、その一本調子は単純化ではない。他の要素の見えない盲目的生活である。最も befangen されたる、束縛されたる、隷属の生活である。かかる生活よりは真に堅忍にして持久なる底深き力は出ないであろう。火山の爆発のような一時的な暴力は出るかもしれない。しかしながら高山の山腹を少しずつ見えない速度で、しかし支うべからざる圧力で、収効果的エフェクチブすべり落ちる氷河のような力は生じないであろう。動くものの全体としての静けさの感じられるような力が真に偉大なる力である。私はかかる力にあこがるる。かかる力は統一されたる要素の豊富なくしては生じない。私らは熱烈とか驀直とかいう文字に欺かれてはならない。貧寒な data で熱烈になるよりは、豊富な data でまとまらずに、淋しく生活をする者が強い人である。真の単純化は至難のことである。さればこそ精神生活の向上と精進とはかぎりなき苦しき努力となるのである。ノラは家出をして自己の道をひらこうとした。またある妻は躊躇して家に止まった。それゆえにノラの方が強い女だという人があるならば浅薄である。強いとか弱いとかいうことはしかく外的に決せらるるものではない。家に残った妻はノラよりも、もっと多くのことを考えたかもしれない。夫と自分との関係、子供と自分との関係、その間に見いだされる自己が家出の足を止めたかもしれない。ノラの方が自己に忠実であるとは必ずしもいえない。多くのことを心に収めて考えることのできる人は強いといわねばならぬ。徹底するのは真理がするのである。行為が外的にすばらしいのをいうのではない。真理が徹したために、行為が目立たないものに止まることはある。かくて人目に立たず、オブスキュアに、しかも内面の自己の徹底にみずから満足して生きてる人があるならば、私はその人を打ち仰いで尊敬する。筆を持つものは特にここを一考せねばならない。私はみずから気付かずにこの表現の Fallacy に陥っていたように思われる。自己の表現と発情とに覚えず自己を捲き込んでいたような傾きがある。それがために私の思索が混雑し、単純化が精緻を欠き、統一の外に取り残された data があった。たとえば性欲とキリスト教的愛とが混淆こんこうし、彼女以外の人に内在する私の自己が取り除かれたりしていた。その部分から私の精神生活は崩れていった。しかし思えばそれはイデアリストの同情すべき弱点である。しかもその弱点が多大な犠牲となったときにそれは人格的な涙に価する。けだしイデアリストにとっては実生活があまりに貧弱なるがゆえに、自己の内面に宿る偉大なる感情を盛る材料がない。それゆえに木の片、石の塊をも捕えて、これに理想を盛りあげようとする偶像崇拝が成立する。それは滑稽こっけいな悲劇をもって終わるに決まっている。私はこのトラギコメディを抱いて涙を垂れる。私は表現の権威につきては十分注意したつもりであった。表現の価値を批判しつつ、みずからも言い女の言をも聞いた気であった。しかしなんといっても私がおろかにしておさなかったに相違ない。「あなたはそう思います。けれどもあなたはそうしません」といったショウの冷譏れいきの前に私の幼稚を赤面するほかはない。思えば「異性の内に自己を見いださんとする心」はそら恐ろしき表現にみちている。「女に死を肯定せしめた」と誇った私は、別るるに臨んでの私の健康の祈りさえも得ることはできなかった。冷淡ないやな手紙が一片私の手に残った。そして癒えざる病がともに残った。
 そればかりではない。私の悩みは私が自己に敗れんとする恐怖である。最後の彼女の手紙を見た私の心に燃え立ったものは獣のごとき憎悪と讎敵しゅうてきのごとき怨恨とであった。これは明らかに自己を破るものである。かかる自殺的感情に打ち克たれては私は最後の立場を失うものである。私は自己を救うためにこの憎悪を克服せねばならなかった。それには六種震動ともいうべき心の転回的努力を要した。そして今では彼女をあわれみ許す穏やかな心になっている。いな、前よりもいっそう深きリファインされたキリスト教的愛で彼女を包み、心より彼女の幸福をいのっている。
 考えてみれば彼女は憐れむべき女である。私を欺いたのも悪意からではなく稚きものの犯しやすき表現の罪に陥ったものであろう。まだ思想の定まらない彼女が私の尨大な、不完全な、私の精神生活の重荷に堪えなかったのも無理はない。いわんや肺病の恋人と肺病の母とを持ち、母の喀血を目睹もくとした彼女の胸中を察すればふびんに堪えない。私はひたすらに彼女の今後における人間としての成功のおぼつかないのを憂慮する。いまに至りては彼女の幸福を傷つけずしては私のそれの要求の実現できない永い悲哀が残るばかりである。恋い慕う心のみたされない苦しさに悶えるばかりである。
 私は初めから小説などに描かれた恋愛に同感できるのはほとんど無かった。『死の勝利』のジョルジオにも、『煤烟』の要吉にも、『烟』のリトヒノフにも同感できなかった。ジョルジオの恋は性愛の最もエゴイスチックなものである。また私は恋を失うて女をののしり、女性全体に一種の反抗的気分を抱くようなことはしたくない。かくのごときことは単に深き失恋の悲哀を味わいたるものにはできることではない。またリトヒノフのごとく自己の恋をも烟のごとくずるずるに消してしまいたくない。私は自己の恋愛を熟視し、自己の真相に徹して、愛をして人格的に推移するところにおもむかせたい。人格の連続性を失いたくない。恋を超越した道、冷笑した道は私の今後歩むべき道ではない。恋を失うたものの、恋の内より発する道こそ私の歩むべき公道である。それはいかに荒れた色彩に乏しいものにしても私が血と涙とをもってひらきし大切な道である。私をどこか私に適した世界に導いてくれるであろう。それがいかなる世界であるか、いま非常なる複雑と多様との中に陥れる私には予測できない。しかし私は私の恋愛を批判して、恋愛の内より道を開いて出たいと思う。私は何よりも私の認識が散漫にして雑駁なのに危惧の念に打たれる。このたびの経験より考うればどれほど誤謬多き見方をしているかしれないからである。私がもっと確実に、深刻にものをみることができるならばもっと安全な善い生活ができるであろう。私はもっとしっかりした歩調で歩けるであろう。それには私の思索をもっとウィッセンシャフトリッヒにしなければならない。分析的にという意味ではない、材料の蒐集を豊富にし、その関係の観察を精緻にすることを指すのである。次に私は愛の種類について考えねばならない。私は本能的な愛とキリスト教的な愛とを混雑させていた。私は前者より後者に推移せねばならぬ。これが高価なる経験が私に与えた最も重大なる成果である。本能的愛は愛の純真なるものではない。囚縛されたるエゴイスチックなものである。真の愛は『善の研究』の著者が説くごとき認識的キリスト教的愛である。意識的努力的なる愛である。生物学的なる本能にあらずして、人間の創造的なる産物である。性愛も母の愛も認識する心の働きとは異なれる盲目的なるものである。
 私の恋を破った最大の敵は彼女の母親の盲目的にしてエゴイスチックなる愛であった。性愛がエゴイスチックな例はかぎりなくある。
 かかる愛は自己の要求をとおして愛せんとする不純なるものであって、弊害と迷妄とが続出するものである。またかかる愛は偏愛とならざるを得ないものである。私も一時彼女以外のものが皆一様に、無関心に見えて、長い愛の歴史のある友が顧みられないことがあった。今にして思えば友がそのとき立腹したのみならず、私がラブの人であることを否認したのは根拠があった。甲には理由もなく一朝にして冷淡となり、乙をばにわかに狂うがごとく愛するというがごときは、人に対して愛という感情の働く動因と初めより矛盾せるものである。真にラブの人とはキリストのごとき普汎的な愛し方をする人である。何ゆえに甲を愛して乙を愛せぬか。そこには他のプリンシプルが存在せねばならぬ。その原理に動かさるる間は純な愛の活動ではない。あるいはそれは「愛に入る過程」を抽象したるものであって、愛はその人が美しいとか、正直であるとか、憐れであるとか、あるいは長く接触したとかいうがごとき他の条件なくては、起こらぬという人があるかもしれない。しかしはたしてそうであろうか。何々なるゆえに、何々なる時に愛するというのが真の愛であろうか。愛はかかる条件と差別とを消して包括する心の働きではあるまいか。キリストは罪人をも、醜業婦をも旅人をも敵をも等しく愛した。その愛は絶対なる独立活動であった。またかかる普汎的なる愛は稀薄きはくにして愛された気がしないという人があるかもしれない。しかし愛は百人を愛すれば百分さるるがごとき量的なるものではあるまい。いな甲を愛してるということはその人が乙をもまた愛し得る証拠である。また普汎的なる愛が必ずしも稀薄だとはいえない。キリストの愛は血であった。万人と万物との個々のものに対してそれぞれに血であった。ああ人類始まって以来キリストにおよぶ偉大なる霊魂があったろうか。私は十字架の下にひざまずくものである。もとよりかかる境地に達するは至難のことであり、ことには私のごとく煩悩と迷いの深い、友よりエゴイストと銘打たるるごとき者にその素質があるというのではない。私は「我」の人なるがゆえにいよいよキリストが打ち仰がれる。私の前にはキリストが金色の光に包まれて立っている。
 私は人心の頼みがたくして人生の寒冷なることを経験したるにもかかわらず、それは私をして白眼世にねるがごとき孤独に向かわしめなかった。私はかえって人と人との接触の核実の愛でなくてはならないことを感じた。私の愛を深めることによって他人と一歩接近した。私は切に与うるの愛を主張したい。愛は欠けたるものの求むる心ではなく、あふるるものの包む感情である。人は愛せらるることを求めずして愛すべきである。人に求むる生活ほど危いものはない。その人がやがて自ら足りたるときわが側を離れ去るとも、その人のために祈る覚悟なくして愛するは初めより誤謬である。愛は独立自全なる人格の要求でなくてはならない。人は強くなり、完成するに従って愛せんとする要求が起こるのではあるまいか。ツァラツストラが日輪を仰いで「汝大なる星よ、汝が照らすものなくば何の幸福かあらん」と言ったごとく、偉大なるものは愛することによって自己を減損せずしてかえって自己を完成するのであろう。ニイチェが「与うるの徳」を説き、また「夜の歌」の冒頭において、

夜は来たれり、今すべてのほとばしる泉はその声を高む。
わが魂もまた迸る泉なり。
夜は来たれり、今愛するもののすべての歌は始めて目醒む。
わが魂もまた愛するものの歌なり。

 と歌っているように偉大なる者、完成せるものにはみずから愛せんとする要求があると思う。私はかかる境地に向かって憧れ進みたい。
 花やかな幻の世界は永久に私の前に閉ざされた。私はもっと強実なる人生を欲する。代赭色たいしゃいろの山坂にシャベルを揮う労働者や、雨に濡れて行く兵隊や、灰色の海のあなたに音なく燃焼して沈む太陽を見るときに、まだ私に残された強実な人生のひらめきに触れて心がおどる。私はこの一文をして「愛と認識との出発」たらしめたい。偉大なる愛よ、わが胸に宿れ、大自然の真景よ、わが瞳に映れかし。願わくばわが精霊の力の尽きざるうちに、肉体の滅亡せざらんことを。
(一九一三・一一・二五)
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 隣人としての愛

 人と人との接触に関心する人々の心にあって最も重き地位を占むるものはいうまでもなく愛の問題である。愛は初め花やかなる一団の霞のごとくに、たのしく、胸をおどらす魅力を備えて私らの前に現われる。愛を凝視せよ、愛を生きよ、そのとき私たちは初めて愛の種族アルトに気がつくであろう。すなわち母子の愛と、男女の愛と、隣人の愛とが区別せられて感ぜられるようになるであろう。この差別の目に見ゆるようになるまでは愛のディレッタントである。いまだ愛を知ってるとはいえない。そしてこの区別の見ゆるようになるには人は多くは冷たい涙と苦い経験を味わうものである。愛の問題を真実に、自己の問題として生きる人は必ずこの区別が見ゆるようになるに違いない。そのときから後に真実の愛が生まれるのである。私は今は隣人の愛のみ真実の愛であると信じている。母子の愛と男女の愛とは愛と異なるのみならず、相そむくものである。それは愛ではなくてエゴイズムの系統に属するものである。多くの人はこれを混同している。そして自分のエゴイズムをジャスチファイし、わがままを振舞いながら、隣人の愛のみの受くべき冠にあずからんことを要求している。彼らは他人の運命を傷つけながら叫ぶであろう。私は愛している。善事をなしていると。けれどもき愛、天国の鍵となる愛はキリストが「汝の隣りを愛せよ」と言ったごとき、仏の衆生に対するがごとき隣人の愛のみである。真の愛は本能的愛のごとく甘きものではなくてそれは苦き犠牲である。母子の間、恋人の間に涙と感謝とのあるときは両者の間に隣人の愛の働いたときである。骨肉の愛と、恋愛とが本来の立場を純粋に保つならばそは闘争であり、煩悩ぼんのうである。生物と生物との共食いと同じ相である。二つの生命は自然力――それは悪魔のものである――に駆られて自らは何をなせるかも知らざるごとくに他の生命に働きかける。そしてその力の根原は自己を主張せんとする意志より発する、ショウペンハウエルのいわゆる「生きんとする意志」にその根を持つところの盲目的活動である。その作用の興味となるものは依然として自己の運命である。隣人の愛は自己犠牲、死なんとするねがい、ショウペンハウエルのいわゆる「意志なき認識」より発するところの自主活動であって、その作用の興味は他人の運命である。この区別を感知することは恋を失うて得たる私の唯一の知恵である。私はそれを明らかに感じ分けることができる。母親が幼児を撫育ぶいくするとき男性が女性を求むるときに働くものは本来愛ではない。男女、母子の間に愛が起こるのは両者が互いに接触し、共生することによって生ずるところの隣人の愛である。あたかも交渉なき二人の間よりも互いになぐり合った二人の間に隣人の愛の起こるごとくに、両者の切なる感情をもってしたる接触が愛を生んだのである。しかし、その隣人の愛は恋や骨肉の愛の本質ではない。男性は愛の動機からではなくとも、はげしく、盲目的に女性を恋することができる。そしてその占有の欲は恋人を殺さしむることさえある。それは戦いのありさまにさも似ている。それが恋の本来の相である。母親が幼児を抱き、で、接吻するときにはほとんど肉体的興味からの動作に酷似している。処女が男性に対して持てるごとき肉的魅力を幼児は母親に対して供えている。そのとき母親の問題はほとんど幼児の運命ではなくて、自己の興味――いな自己もあずからざる自然力の興味である。ここに私の挙げたのは著しき例である。けれどもたしかに母子の愛と男女の恋との本来の相を語っている。愛は「生きんとする意志」がみずからを認識し嫌悪するところより起こる。恋人は恋のエゴイズムを、母は骨肉の愛のエゴイズムを自覚したるときより生ずる、自主的、犠牲的作用である。私は恋を失うて恋人へのエゴイズム恋人の母のエゴイズム(恋人に対する)とを痛切に感じて一生忘れることのできない肝銘を得た。そしてそのときから愛はキリストの「隣人の愛」、神の前に立って互いに隣りを愛する愛のほかにないことを感ずるようになった。私は女から「あなたを愛する」といわれるときは少しも愛されている気がしない。また母が私を撫でるように愛するとき私はかえって一種の Bosheit を感ずる。なんとなれば母が他人の子供に対する態度を見るときに、私の愛されてるのは偶然にすぎないと思うからである。女が愛する、というのは私の運命を愛するのではなく、私との接触を興味とすることを知るからである。私が恋に熱狂しているとき私は最もエゴイスチッシュであった。母や、友や、妹は私の恋のための材料にすぎなかった。そして私はつねに言っていた。「私は愛を生きている」「善をなしている」と。私はその間まことに悪い人間であった。今にして思えばそのとき私はその恋人一人をさえ真実に愛していたのではない。一つの自然力に奉仕していたのである。見よ、恋人の運命は傷つけられた。私の運命も傷ついた。そして、恋は亡びてしまったのではないか! 私は思う、愛とは他人の運命を自己の興味とすることである。他人の運命を傷つけることをおそれる心である。そして何人をも同時に愛することのできる心である。甲を呪わなければ乙を愛することのできない愛は隣人の愛ではない。愛とは万人を祝福する心である。みんなみんな幸福に暮らしてくださいと祈る心持ちである。甲を祝して、乙をのろうならばその人の人格は「愛」なる徳を所有してはいない。すなわちその人が甲を祝することは偶然にすぎなくなる。恋の女はしばしば「あの人はいやよ」ということによって恋人への愛をあかししようとする。けれどそれは女が自己の興味で恋人を好んでいるということを証する。換言すればその女は恋人を嫌っているのとなんら「性格上」の相違のないことを証する。私はかくいわれれば心細くなる。そして女にいいたい。「あなたは私が嫌いでも愛してください」と。女が「あなたは好きよ」というときに淋しくない人は愛を深く知ってる人ではない。いかに極悪なる無頼漢も恋している女や自分の子は大切にする。けれどもその無頼漢の性格は愛ではない。神様は裁きたまうであろう。「汝には愛の Tugend なし」と。隣人の愛はそれゆえに本能的な、はげしさと熱とを初めより持つことはできない。それはわれらにはまことに螢火のごとくかすかなものである。それは弱くて、まれに起こり、苦しきものである。けれど一度この愛を自覚したるものはこれを忘れることはできない。小さいけれど輝き、濡れている。天を向いている。われらの心のなかに君たるの品格を備えて臨んでいる。私はこの愛の真理であることを疑うことはできない。まことにいにしえの敬虔なる説教者が愛は本来人間のものではなく、神より来たりしもの、きよめの聖霊であるというたのもまことと思われるほど私の心のなかの他のものより際だって輝いて見える。私の心のなかの生来の要求にそむきながら、僅かな領分しか占めないにもかかわらず、そしてその要求に従うことは限りなき苦痛となるにもかかわらず、なおかつ侵しがたき命令的要素を持てる愛の不思議なことよ! 私は愛することはなかなかできないけれど私は愛せねばならない。それは唯一の善いことである。徳の泉である。天に昇る道である。生物は永い永い間互いに食い合ってきた。みずから何をなしているかをも知らずに互いに犯しあってきた。けれどいつしか自己の姿をみずから認めることができるようになった。ショウペンハウエルの哲学においても意志がいかにして認識するに至りしかを説明することができないごとくにまことに天来の恵みにも似たる認識ではないか。人間はみずからの醜き、あさましき相を認めた。そしてそのときから面を天へと向けた。けれど私らは認識するに至りて以来二元に苦しんでいる。自己を形成する要素が二つあることを感ずる。そしてその一つをば、それは私らの主なる部分を占め、それに従うことは容易さと甘さを持っているにもかかわらず、それを悪しと見る。そしてかのトルストイのごとくに二つのものの戦いを一生涯つづけることは自覚せるものの一生のさだめとなっている。霊と肉との衝突、これはいい古された言葉である。けれど真実にこの衝突を痛切に、はげしく、堪えがたきまでに煩わしく、またついに人間の不可避の運命と感ずるほどに不断に経験するようになるのはわれら近代の教養を受けたるものにおいては、多くは道徳的回転によって霊性が目醒めた後である。近代人は霊肉の一致のために努力していまだ成就しない。もし岩野氏のごとく物心の相対的存在を霊肉の一致と称するならば霊肉一致説は成立する。すなわち肉体をはなれて精神はない、一つの精神作用には必ず肉体的表現がある。外より見れば生殖器、内より見れば性欲、この両者は一如である。けれども道徳家の感ずる霊肉の背反とはこの唯物論と唯心論との認識論的の背反ではない。精神作用のなかの価値意識の背反である。例をあぐれば、性欲が肉交となる、それは何の不思議もない、その意味の霊肉一致ではなく、性欲と性欲を悪しと見る心との衝突である。かかる意味の霊肉の衝突はけっして調和されてはいない。そして私たちの最大の苦痛である。愛されないようにする力が私たちの生命のなかにある。そして愛を善しとほめる心がある。その二つのものの乖反かいはんはけっして一致してはいない。恋愛や骨肉の愛のごとく意志より発する愛のときはこの乖反はない。けれど認識より発する愛――隣人の愛、まことの愛のときにわれらはけわしきこの対立を感ぜずにはいられなくなる。そこに愛の十字架がある。私は愛を証するものは十字架のみであると思う。十字架を背負わずに愛することはけっしてできない。隣人の愛をもって何人かを愛してみよ、そこに必ず十字架が建つ。自分の欲しい何ものかを犠牲にしなければならない。ある人を自分は真実に愛しているか、いなかを知るには自分はその人に対していかなる犠牲を払ったかを省みればよい。そして何の犠牲をも払っていないならば愛していると思ってもじつは愛してはいないのである。カントが苦しんでなされた行為のみ善であるといったごとくに愛をあかしするものはただ犠牲である。「私には人類的愛がある」これはしばしば聞く言葉である。けれどその人は本当に愛しているのか。私にはアイテルな感じがせざるを得ない。その人は自分の手近の周囲の個々の人に対しては何の犠牲も払わずに心のままに振舞うている。自分の欲しいものは何一つ捨てない。そして人類という空想物に向かって愛をささげる。その愛は単なる表象である。実在として現われてくる個々の人々は面倒くさがり軽蔑する。そして人類という仮象に向かって自己興奮の甘い涙をこぼす。その人類はいやらしい顔も、卑しき声も持たぬ仮象である、その愛は単なる心持ちでなんの犠牲をも要求しない。もし手近にいる醜い女や、うるさい田舎爺を愛することができないならば、その人の叫ぶ人類的愛は空しいものである。一つの優れたる芸術、哲学を創造して寄与するのも愛の一つの成就である。しかし一人の隣人を面倒を忍んでねんごろに世話してやることはさらに愛のすぐれた成就である。人間の純なる愛はむしろ後のものにおいてやさしく現われるのである。近代人はいかにして「主人」にならんかということばかり考えている。しかし愛はむしろ「しもべ」の徳においてその真実のはたらきを現わすのである。あのマリアがキリストの足にあぶらを塗り、髪の毛で拭き、それを接吻したときにキリストが深く感動したのはもっともに思われる。私たちは僕としての愛が先きにできねばならない。小説を書いてるときに施しを求めに来た乞食をうるさがって叱り飛ばすならば、その人の小説は人類的愛の名で書かれる価はない。多数の人を愛するために一人の人間をでも粗末に取り扱うてよい理由はけっしてない。近代人はじつにエゴイスチッシュで個々の人に対してはほとんど興味を感じていない。美しい女か尊敬している人かのきわめて少数にだけしか興味を感じない。そしてうるさがる。自分の必要なときだけ他人を求める。そして人類を愛すると叫ぶのである。たとえばここに一人の文士がいる。その人は何か書くために家族の面倒を避けて温泉に行く。温泉では多人数の百姓客などをうるさがって、静かな居心地のよき部屋を求める。そしてなるべく男の客とは交渉を避ける。そして宿の若い美しい女客やへいした芸妓とだけ話す。そしてそのような人でも文章を書くときには私の目には人類があると叫んで涙を浮かべることができる。けれどもその愛はじつに空しいものである。もとより私たちは人類を愛せねばならない。けれどキリストでも触れ合う人々しか愛することはできなかったのである。触れ合わない人は愛しないのではない。ただ触れ合うた人々を愛したのである。私たちは接触する個々の人々を愛しないならば何人をもじつは愛しないのである。愛という徳を自己のものとしたいならば、私たちは芸術品を作り出して与えるよりも先きに善きサマリア人のごとくに隣人に仕えることを学ぶべきである。百姓の爺や、自分の作をほめない男や、自分の興味を感じない人間を愛することを学ぶべきである。そのとき私たちは犠牲の味をしみじみと知るのである。また愛がついに祈りにならねばならない理由を知るのである。愛は自らを割きて人に与えることを求める。愛の十字架にはかぎりがない。それはじつにある場合には私たちの aesthetisch な要求をも捨てよと迫る。晴れやかな空を仰ぎたき願い、すぐれた書物を読みたき願い、をも捨てよと迫る。それ自身にはけっして悪しくない欲望をも隣人のためには捨てよと迫る。そのとき十字架は最も重い。ただ道徳的命令だけを除いて、すべての他のものは恋も、芸術も、科学も、ことごとく十字架の内容となり得るのである。ただ一人の隣人をでも徹底的に愛してみよ。その十字架はじつにかぎりがない。キリストは万人の個々のものに血を与えたのである。何もかも皆捨てたのである。「淋しきヨハンネス」の母親が、「この子の若いときには世のなかに貧しい人のいる間は学問などするものではないといって、何もかも売るといって困らせました」というのを読んで私は深く感動した。このような心持ちを一度も感じない人は愛の名によって芸術などに従う資格はないと思う。せめて愛の名によらず芸術に従うがよい。私が別府の温泉の三階の欄干にすがっていたとき、足下の往来を見ていたら、小さい女の子供が三人鼓を打って流して歩いた。私が気まぐれに、「あれを呼び入れて何かやらせましょう、慈善になるから」と言ったら、私の知人は「慈善になるからというのはよしてください。おもしろいからやらせましょう」と言った。私はそのとき穴へも入りたいほどはずかしかった。世の中には美しく見えて惨酷なものがじつに多い。それを見るとき私の心は憤りに慄える。慈善音楽会や、画家のモデル女や、動物試験のモルモットやこれらは嫌悪すべきものである。科学、芸術の名によって人間は最も惨酷のことをするのである。百万の人間を助けるために一匹の動物を殺しても善い理由はない。せめて「ゆるしてくれよ」といって殺すべきである。美の創作のために一人の処女の羞恥しゅうち心を犠牲にしてもいいかどうかはまだ決まってはいない。貧乏人の娘を裸体にして若い青年が囲んで、そして物欲しそうな目や、好奇心の目で眺めているところを想像してみよ。これまことに嫌悪すべき光景である。そしてそれが美の名によってなされるとは! 美を支えたもう神はまた善をも支えたもう神である。そして善は人間のあらゆる意識の最終の法則である。美しきものは善きものを侵してはならない。かかることはまだけっして許さるべきこととして決定されてはいない。神様の裁きを待たねばならない。私ら人間がこの後に研究しなければならない問題である。私は野路を散歩するときへびかえるを食うているのをしばしば目撃する。そして心をうたれる。私はこれはこの世界の持つ一つの evil と感ぜずにはいられない。そしていかにすればこのできごとを持つ世界をコスモスと感じ得るかを考える。いかに考えれば胸が静まるであろうか。蛙が蛇に食われることによって蛙も蛇も幸福であるような考え方はあるまいか。今のところ私はこのできごとはあるがままでは世界の一つの evil としか感ずることはできない。ある人は言う。宇宙は一匹の蛙を失うことによって損失はしない。それによってより大なる蛇が成長するならば神の栄えを現わすことができる。すなわち宇宙の運行のためになんらかの novelty を創造するための犠牲として、蛙の死も蛇の殺生も神への奉仕であると。人間もかくして初めて今日の文明をつくった。この思想を是認せんとする人々はかなり多いようである。けれど私はこの思想で満足することはできない。蛙がキリストのように世界のためにみずからをささげそれを認めて、そして蛙の死骸を蛇が食うのなら私は得心する。蛙にはなんら自主的犠牲の観念もなく、また蛇にはそれを受け取る用意もなくして、強きものと弱きものとの間に行なわるる殺生は、私には依然として evil である。結果として、より大なる、より美しきものが創り出されるにせよ、それはこの殺生の内面的動機となんらの関係もない別事である。毒殺しようとして飲ましたモルヒネがかえって病気を癒したのと同じ別事である。それは一つの経済的見方であって道徳とは何の関係もない。生命物と生命物との関係は相互を祝福し合うときにのみ善である。他の生命を否定せんとし、これに呪いを送るように働きかけることは絶対に悪である。生物が共食いしなければ生きてゆかれないことはいかに考えればいいであろうか。今のところ詮方せんかたもなき不調和である。けれども私は世界は調和ある一つの全体であると信ぜずにはいられない。私はまだ失望しない。なんとかして調和ある世界として感じ得るようになるまで努力してゆきたい。すなわちこの不調和を調和と観じ得るまで意識を深め高めてゆきたい。生命と生命との従属を感じ、聖フランシスがすべての被造物を兄弟姉妹と感じたように、すべての生命を隣人として認め愛でつながり合い、しこうして後に一つの大いなるものを創造せんとする共同働作(collaboration)にあずかりたい。愛なくば人と人とは何の関係もない。単に互いに作用するのならば石と石とでも作用する。ただ愛という心の働きのみ生命と生命とを本質的に結びつける。その他は何ものも、才能も、仕事も、趣味も、人と人とを結びつけない。私はいかに偉大なる仕事を作り上げてもそれだけではまだ他人と何の関係も付せられてはいない。愛したときにのみ本質と本質との関係が生まれる。私は何よりも愛したい。骨肉や恋のためでなく、隣人のために自己を献げたるキリストは、思えば尊き私の師である。「芸術は個人の表現に始まって個人の表現に終わる」という人もある。けれど私は共存の意識に始まる芸術を求める。自分の生きていることを感ずるときに同時に他人もともに生きていることを感ずる。この二つをば別々に二度に感ぜずに、一度に共存の意識として感ずることができるのではあるまいか。すなわち自己の血の中に他人を融かして感ずることのできる芸術家にはその個性の表現は普遍的な意味を備え得るのである。個性は他人の存在を含み得るものである。個性は一般性の限定されたるものである。そのなかには他生の要素が含まれている。自己と他人とを峻別し、まず自己の存在を意識してしかる後に自己と全く無関係なる他人の存在を認めるのではなくして、自己は独存しないものとし、その本質のなかにすでに他人を含めるものとしての自己を経験するならば――それは愛の意識である――そしてその体験より表現の動機を感ずるならば共存の芸術が成立し得るはずである。多くの人々の胸奥に響くことのできる芸術はかかる種類の芸術でなければならない。トルストイはかかる芸術のみを真の芸術であるといっている。ドストエフスキーの作品が単純で、そして万人の心に触れるのもその共存のひろい感情があるからである。人間には普遍性がある。一つ造り主によって作られたる共通の血の音がある。私たちは苦痛や悲哀によって不純なエゴイスチッシュなものから浄められて、ある公けな生命を感ずるときには、この音を聞くことができる。そこまで掘りあてないのは感情が浅いからである。しかしながら隣人の愛を感じてくるときに私らの生活はにわかに複雑になってくる。さまざまな二元が生じてきて生活は著しく窮屈になる。一本調子の自由や、他人を顧みぬゆえの放逸は失われる。しかし真の自由はひとたびこの窮屈と二元とを経験して、後にくるものでなくてはならない。いわゆる無礙むげの生活とは障害にひとたびは身動きもできないほど不自由を意識した人が努力の後に得たる自由の生活のことである。愛のない人は自分の欲するままを行なえばいいであろう。しかし他人の運命をおもんぱかる人はただの一つの行為でもジャスチファイすることはできなくなるであろう。「これは正しいからいたします」というよりも「これをしなくてもほかに間違いはないのではないからこれをいたします」といいたくなるであろう。私は親鸞聖人のものの考え方がわざとではなくて必然であったように思われだした。エゴイスチッシュな近代人はまず何よりも先きに隣人の愛を知らねばならない。しからば現在の放逸と傲慢とはみずから消失するであろう。実りある思想はその後にのみ熟してゆく。真の自由と知恵とはその後において初めて獲得される希望を持ち得るのである。
(一九一五・一〇)
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 隠遁の心持ちについて

 真面目な謙遜な純潔な「こころ」をもって生きてゆく人間の胸に一度は必ず訪れるものは隠遁いんとんの願いであろう。この願いを一度も起こさないような人は人間と人間との接触について、おそらくデリケートな心情を持っているとはいえないであろう。じつにこの願いはかえって愛を求むる「人間らしきヒューメーン」心に生ずるのである。そこに人生の不調和と永き悲哀の跡が辿たどられる。単に自分一人の安けさを求むるために人間が隠遁の願いを起こすことがあろうとは思われない。もし始めより自己のほかに興味を感ずることのできない、他人の愛を欲しない人間であるならば、おそらくその人には隠遁のスイートなロマンチックな気持ちは解らないであろう。隠遁は他人との接触に道徳的の興味を感ずる人、人懐かしき情緒の持主、かつては熱心に愛を求めたりし、優しき人間の心に起こる霊魂の避難所である。あたかも若き航海者が、平和なる海を望み見て、その海の彼方かなたなる理想の島を憧れ求めて船を乗り入れたが、そこには抵抗すべからざる潮流や、恐るべき暗礁あんしょうや、意地悪き浅瀬が隠されてあり、また思いもうけぬ風雨に会って帆は破れ、かじは損じ、惨めな難破をかろうじて免れて、ようやく寄り着いた小さな港のごときものである。人間が隠遁の願いを起こすまでには、一度人生の行路に、愛の問題につまずかなければならない。隠遁は自分一個の興味のみによっては成立しない、他人を予想して起こる情緒である。ゆえに人生の事象のうち、自己の興味に適せざるものを避け、自己に快よき人間を選び、快適なる場所に住まんとする心は隠遁ではない。利己的なる近代人が人生の過悪に目をふさぎ、その煩雑を厭い、美しき女を連れて湖畔の水楼に住まんとするのは隠遁ではない。隠遁の願いはエゴイスチッシュな動機からは生まれてこず、あのトマス・ア・ケンピスのごとき、愛の深い、純潔な人の心に生まれるのである。
 自分はかつて人間の愛を求めた。燃ゆるがごとき情熱と、あえぐがごとき渇望とをもって、否あるときはむしろ乞食のごとき嘆願をさえもって! 友情と恋愛とはその頃の自分の生活の最も重要なる題目であり、最も奥底のいのちであり、また最も内部に燃えている火であった。ことに恋愛は自分にとっては一つの絶頂――宗教にまで高められた。恋愛のため今は何ものをも犠牲にして悔いず、また恋愛以外のものは何一つ無くとも飽和し得ると信じたほど恋愛に生きた。父母も、姉妹も、知己も、自分が一生をそのために捧げようと欲していた哲学さえも、ことごとく恋愛のためにはにえとして供えることを辞しないほど恋愛に賭けた。そして恋人から惨めに裏切られたときに、自分はその苦痛のただ中においてまた、自分がそのようにも信頼していた友に対する期待からも同時に裏切られた。そして混乱と、動揺と、悲恨との間につくづくと人間の愛の頼みがたきことを感じた。そのときから自分はミスアンスロフィックな感情と、隠遁の心持ちとを心の底に抱かないではいられなくなりだした。自分があれほどまでに他人の愛を懇願し、そのためには飢えたもののような、もの欲しそうな――それはすでに憐れさもしくははなはだしきは醜さの感じを呈するほどまでに、露骨にかつ哀訴的な態度を取ることさえもあえてし、しかもかくまでしてようやくち得たる愛を一年も経ぬ間に世にも惨めに失い、加うるにそのために一生の運命に決定的契機を与えるほどの大きな犠牲を払ったことを思えば思うほど、自分の運命がいたましく、自分の無知が悔いられ、いまいましく、腹立たしくならないではいられない。他人に対するある反感と、人生に対する一種の厭忌の情を抱かないではいられない。そしてその深い深い傷と悲しみとを他人に訴える気がしないだけに、独り暗い部屋の隅に隠れ、あるいは淋しき野を歩いて、考えながら泣きたい心地がする。孤独というもののなかにある深い深い味わいと、淋しき心にのみ受けられる自然のいたわるような慰めとが何よりも懐かしい心地がする。自分が人間の愛を求めていたときにはあれほどまでに冷淡に見えた自然が、自分が人間の愛を断念してからはどうしてこれほどまでに親しい、甘いものとなったのか不思議な心地がする。自分は誰にも愛を求めず、自分自身のなかに閉じこもるときに最も安らかな心地がする。何者からも侵されない平和と、何者にも負わない自由とを尊ばずにはいられない。そこには自分自身の天地、世界がある。その世界においては自分が主であり、王である。また庵主であり、燈台守である。自分は他人にデペンドする生活の不安と、もろさとを痛感した。これからは自分自身の上に生活を築かなければならない。他の何者かに依属して初めて充足する生活であるならば、絶えず他の者の向背によって動揺しなければならない。他の者の意嚮いこう顧眄こべんしなければならない。それは今の自分のもはや堪え得るところではない。自分は自分のみに完成し、飽和する生活を建てたい。それこそ真に確実にして、安定せる生活である。自分は故郷のある淋しい森のなかの小さな沼のほとりの一軒家に一人の家僕の少年と二人で住んでいる。自分は自分の心の内の生活についてはこの少年に何ごとをも語る必要はない。自分自身の用はできるかぎり自分でたすが、自分が身体が弱いためにできないことや炊事や、雑用は少年がしてくれる。少年は嬉々ききとして無邪気な遊びをしながら自分に仕えてくれる。自分はこの少年が世の中のいわゆる同情ある人のごとくに――それは多くは好奇心を伴い、他人の内面に立ち入ることを好み、かつ傷つける人に真の慰めを送る力を持つことはまれなのであるが――自分にいろいろなことを打ち明けさせようとしないことをよろこんだ。そしてこの少年に教えられて、初めて沼に釣りを垂れて、浮標うきの動くのをじっと眺めていたり、月のある夕方にボートに乗って、少年にがせ、自分がかじとって漕ぎ回り小さな魚が銀色に光ってボートのなかにねていくつとはなし入ってくるのを眺めているときはどんなに平和な静かな心だろう。そういう静けさは自分から長い長い間去っていたのだ。自分は自分の書斎にキリストの額を掛け壁に、
Grant that the Kingdom of entire gratitude may open within me!
 と貼紙をした。そして夜となればランプをともして好んで中世紀の哲学や旧約聖書やアウグスチヌスやトマス・ア・ケンピスなどを読んだ。ことにトマス・ア・ケンピスの淋しきかつ思いきった隠遁的ムードは自分の心に何よりも慰めと励ましであった。自分は『キリストの追随』や『百合の谷』をどんなによろこんで心に適える思いをもって読んだろう。そこには、
As oft as I have been among men, I returned home less a man than I was before.
 とも書いてあった。自分は書を読み疲れれば、日当たりのよい縁端で日光浴をし、森の中をさまよい、小山の陰に独り祈り、また暑い午後にはただ一人水の中にかって空行く雲を眺め、水草の花を摘み、水の中に透きとおって見える肌のまわりに集まってくる小さな魚の群れのおよぐのをじっと眺めているときに、しみじみと孤独の安息と楽しさと、また誘惑的な甘さをさえ感じるのである。沼の面を染めている夕焼けがあせて早い夜が訪れかけるとき、自分は一人でかいを取って漕ぐことがある。自分は櫂を流して、舟を波にゆだねる。そのとき沼の上から見ると岸辺の自分の家は黒ずんで小さく見え、そこにこの森の中でのただ一つの自分の部屋の灯が見えるのがどんなに懐かしく感じられるだろう。そして家の後ろの小高い丘の上のこんもりとした木立の上に大きな星がまたたくのを見るときに自分は本当に吸い込まれるような幸福を感じることがある。そのとき自分の心は全く静けさを保ち、岸辺に生えたあしの茂みのそよぎほどの動揺もないのである。悲しみさえもそのときは涙とならないで柔らかに心をうるおすのである。自分はそのとき静かな祈りを感じる。そしてそのときほど自分の心がきよらかに平和に、またみち足っているのを感じることはない。自分は自分の心をかくのごとく尊き有様に保ち得る生活法を善きものと思わないではいられない。「汝外に出で人と交わりて帰るときは汝の心必ず荒れて汚れたるを見いださん」というトマス・ア・ケンピスの言葉がしみじみと思われる。
 自分はかかる静かな気持ちを乱さないで保ちたいと願う者である。自分はなるべく町へ出ずまた自分の父母の家へさえも帰ることをでき得るだけ避けたい。自分は自分が人懐かしくなって町の燈火の方へ足の向こうとするときにはそれを愚かな誘惑として退ける。そして父母を省みない心苦しさもあえて忍んで家からも離れて暮らしたい。自分は家からものがれたい心をしみじみと感じる。その心はだんだん深くかつコンスタントなものになってゆく。トルストイが妻子を離れようとした心のなかや、昔から聖者たちが出家しなければならなかった心の歩みがしみじみと同感せられることがある。自分は隣人としての愛をもって人と人との繋がりの基としている者である。自分の父母はチピカルな世の中の「親」である。そして自分は「一人息子」である。小さいときから両親の恩愛を一身に集めている。他人は皆自分の親を甘すぎるといって非難するほど自分を傾愛してくれる。自分は小さいときからの思い出を辿たどってみれば、いかに両親が自分を愛していてくれるかがよくわかる。自分はわがままな上に、病身でどれほど両親に苦労をかけたかわからない。しかも両親は少しも自分を悪く思わないでもったいないほど愛してくれる。それにもかかわらず自分は家から離れたい切なる願いを感ずる。自分は家の中にいて両親を見ていると胸が圧しつけられるような気がする。そしていつも不安である。すぐにも逃げ出したいような気がすることがしばしばある。早くあちらに行ってくれればいいと思う。そして去ればホッとする。何ゆえに自分はそのように感じるのであろうか。それには二つの理由があるように思う。一つは親の愛に満足できないため、他の一つは親を愛することのできないためである。そしてこの二つは自分に人間の淋しき運命、人間の愛の実力なき無常を感じさせるからである。自分は親の愛で満足することはできない。両親に対しては何の不足もない。むしろもったいなく気の毒に思う。しかしそれだからといってその愛で満足することはできない。自分の心には深い人間としての悲哀がある。自分はその悲哀で生きている。その悲哀が自分の生活、自分その者の本質を占めている。けれど両親はその本質に触れてくれない。それを理解してくれない。自分のその重要な部分、むしろ自分その者とは何の関係もなく生きている。その意味においてあかの他人である。キリストが母にむかって「女よ。汝とわれと何の関わりあらんや」といったように本当に何の関係もないような気さえすることがしばしばある。始めからあかの他人であるならばむしろいい。けれど対手あいては世の中で最も近い密接なものと考えられ小さいときから一緒に暮らし、そして愛にみちているとみずからも許し、他人も認めている肉身の親である。その親に対してかかる感じを持つことは苦しい。しかも親の方ではそれを感じないで、なんとかすれば「親子の間だもの」などというのではないか。「親なんかそれくらいのものさ」と悟り切ってる人はいい。自分はいまだ悟りきっていない。それを悟ってゆくことは悲哀である。そういう淋しさは自分が深い悲哀に沈んでいるときに、母が来て自分を慰めてくれるときなどにことに深く感じられる。自分は母の言葉を聞きながら、「これが自分をいちばん愛するものの、一生懸命の慰めの言葉か?」と、思わず黙って母の顔を見入ることがある。そのようなとき、自分はじつに淋しい。自分はときどき思う。「自分はさまざまの悲哀を味わってきたが、自分の今の悲しみはもはや欲望ベギールデのみたされざる悲哀ではなく、人間性の純なる念願の満たされざる悲哀に浄化されている。愛と運命との悲哀である。もはや私一個の悲哀でなく、人間のものとしての悲哀である」と。そして自分の悲しみが、かくのごとく、個性にはなれて普遍的なものになってゆくに従って、それは両親にはますます縁遠いものになる。それが理解されないで、手近のもので自分を慰めようとするのは無理のないことである。それだからといって淋しいのは淋しい。この間も自分がただ独り悲しみに浸っていたとき、母が来て、「おまえも淋しかろうからお嫁を持て」と勧めて行った。自分は後で深い寂寞に襲われた。これは自分のいちばん悲しいところに触れる問題であったからだ。自分は母の自分の心を汲むことの浅いのに腹立たしくなりさえした。自分は母からすすめられるまでもなく、嫁は持ちたかったのだ。けれどそれができなかったのだ。それは母は熟知しているはずである。自分の結婚問題が惨めに失敗したとき、両親のあきらめ方はまことに呑気なものであった。どうにかして彼女を嫁に貰ってやろうと骨を折ってはくれないで、すぐにあきらめさせてやろうとした。自分の結婚問題には気乗りがしなかったのだ。そしてそのことが自分にとってはどのような深い悲しみになっているかは思わないで、何の苦もなく今になってから自分に嫁を持てと勧める。それも自分で勝手に探して、私の病気などむろん隠して、世間並みの仲人結婚を勧めようとする。そのくせ自分がもし淋しさに堪えかねて一度でもトリンケンに行きでもしようものなら、どんなに厳しく叱るのだろう。そして自分はこの上もなくわが子を愛していると信じている。そして世間も許している。――「やめてくれ!」と自分は叫びたくなる。「自分はもっと深く考えて暮らしている。もっと真面目に悲しんでいる。ああ届かぬ、届かぬ親の愛よ!」
 しかし考え直してみれば親を責める気にもなれない。心では自分を愛してくれているけれども、知恵が足りないのである。人間が平浅なのである。自分は親がいかにして自分を慰めようかとあせるのを見るときに、そこにはわが子の心を悟ることもできず、世間の習慣を突き切るだけの勇気も無く、「自然」より子に対する本能を与えられて、それに束縛されて苦しめる、憐れむべき凡夫を目前に見る。それが自分の肉身の親である。しからばその憐れなる親を救う力が自分にはあるのか? いな親が自分に持っているだけの愛を自分は親に対し持っているのか? いな子供には親に対する本能を自然から賦与されていない。自分にどうして親を責める資格があろう。ここにおいて自分は親に対しても特別に親としての期待を持ち、親に親としての愛の義務を負わせることをしないで、隣人としての関係をもって対したくなる。そして親から受けている愛は十分に感謝し、親の不徳は不徳として認め、自分の親に対して愛の足りないことは、自分の不徳として謝したく思う。
 世の中には子供のエゴイズムは知っていても親のエゴイズムを知っている人は少ない。けれども親には子に対してどれほど多くのエゴイズムがあるであろうか。自分の恋が破れたのも彼女の母親の娘に対するエゴイスチッシュな本能的愛のためであった。親には子に対して自然から本能が与えられてある。親が子を愛するのは何の苦もなくすらすらと愛し得られる。特別に賞むべき行為とは思われない。それよりもその本能的愛が運命に対する知恵によって深められて、隣人の愛とならざる以上は、神に対し、子供に対し、また他人に対して種々のエゴイズムを生むのである。たとえば子といえども独立した一個の人間である以上は神に属している。その子供には神の使命がある。親がその点を考えないために子供の上に神意の現われんことを待たないで、みだりに自己の欲するままの傾向に育てようとする。そしてことにベルーフに関しては医者にしようとか法律家にしようとか勝手に決めようとする。聖書によればマリアはイエスがキリストとしての使命のあることを始めより告げられている。けれど、すべての母は皆マリアのような心地でその子を育つべきである。しかし事実はこれと反している。母親は本能的愛であたかも牝牛めうしがそのこうしめるがごとく、自己の所有物のごとく、ときとしては玩具のごとく愛する。自己の個性を透し型にはめて愛する。もし隣人としての地位を自覚するならば子供の恋愛に対しても子供の自由を尊重すべきはずである。聖書にも「神の※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)まぐわせたまう者は人これを放つべからず」と録してある。しかるに親は、ことに母親は自分の例でいえば、その娘の結婚に関して自分の個性、希望、趣味を透して干渉する。そしてそれを愛の名によってしながら自分の娘と娘の恋人とをいかに不幸にするかを考えない。もしそれ他人に対する親としてのエゴイズムを数えればじつにかぎりがない。多くの親にとって子に対する愛は他人に対するエクスクリュージョンである。自分は自分をあれほど愛してくれる親が他人に冷淡なのを見るときにあさましくなる。いな自分が愛されているのは嘘である。偶然である。母の人格に根をもたない、自然力の意志の現われであると思わないではいられない。そして憎まれているのと同じく不愉快を感ずることがしばしばある。そして自分はそのときしみじみと思う。本能的愛で愛したのでは愛するものと愛さるる者との本質は少しも結びつかってはいない。人間としての自覚体が人間としての自覚体を愛するのは隣人の愛でなければならない。すなわち認識に根を持った愛でなくてはならないと。私の親は人並み以上に本能的ないわゆる「子煩悩」な愛し方をする。それだけ自分は愛されていながらアンイージイである。自分の地位をかえって険悪に感ずる。自分はできうるかぎり隣人の愛で愛されたい。また自分も両親を隣人として愛したい。しかしながら両親と常に同じ屋根の下に住みながら、襁褓むつきの間より親子として暮らしてきた者が隣人の関係において相対することは至難である。いわんや親の方でかかる愛を理解しないときにはほとんど不可能といってもいい。このことは自分に家から離れたい願いを起こさせないではおかない。自分は家から離れて住み、隣人としての感じが沁み出るだけの距離を保つ必要を感ずるのである。
 しかしながら自分が離れて住みたいのは自分の骨肉からばかりでなく、また自分の隣人からも自分の姿を隠したい気がしみじみとするのである。第一に愛乏しく、神経質で、裁きやすい自分は人と交わっているときに自分の態度がまるで心の有様と一致しないアーチフィシアルな気がしてならない。自分は今ああいった。けれど心はその反対である。またいらっしゃいといった。しかしじつは送り出してほっとしたのではないか。私の思っているとおりは「あのような人とは交わりたくない。なるべく来てくれなければいいのに」である。けれど面と向かってはそのとおりをいえるものではない。もしいえば人の心を傷つける心なきわざである。その気まずさに耐えないばかりでなく、自分はそれを正直と感じるよりも不作法と感ずる。しかしながらときとしていかにも自分のいってることや態度が空々しい気がして耐えがたいことがある。元来自分は他人に対して要求が強いだけにたいていの人は気に入らない方が多い。心から交わりたいような人はきわめて少ない。ゆえに多くの場合には心にもない表現をしなければならなくなる。加うるに自分をして最も他人から隠遁せしめようと欲せしむる本質的な疑問は自分がかくして人と交わっても対手あいての人に何ものかを与え得るであろうかということである。自分はこの点を深く反省するときにほとんど交わるゆえんが無いような気がする。第一心から愛に動かされないでいかほどのこともできるものではない。愛があっても知恵と徳とのとぼしい自分たちは他人と交われば他人の運命を傷つけないではおかない。与える自信よりも傷つける恐怖の方が強い。ことに自分は若い女と交わるときはこの感じが最も強い。自分は今では若い女を愛することは自分の手に余る仕事であると思っている。女に逢うと何もかも嘘になる。そしてたいがいは対手の運命を傷つけることになる。いかなる者をも避けないで交わるべきかいなかということは、じつは自分の徳の力量によって決定しなければならないことではあるまいか。「煩悩の林に遊んで神通を現ずる」ことのできるのはただ煩悩を超脱せる聖人のみである。桃水や一休ほどの器量なきものが遊女を済度さいどせんとしてくるわに出入りすることはみずからはからざる僭越せんえつであり、運命を恐れざる無知である。自分たちは万人を愛しなくてはならないが必ずしも万人と交わらなくてはならないことはない。対手の運命を傷つけない自信がないのに交わってはならない。加うるに自分は病身で不徳でかつかいしょがなく、他人と交わっても他人の役に立つことができないのみか、むしろ負担になる。自分のある友は「彼と交わってよかったことは無い。自分は彼との交わりをシュルドとして感ずる」といったそうである。自分はそれを聞いたとき深く胸を打たれた。自分だってその人と交わりたくて交わっているのではない。交わらなくてはすまないと思って努めて交わっているのである。そして向こうでも同じことを感じているのである。自分はじつにあさましい気がする。そして自分の交友関係というものについて、そのなかにふくまるる虚偽と自偽と糊塗こととの醜さを厭う心をしみじみと感ずる。そして心を清く、平和に保ち、自他の運命を傷つけない知恵のために人を避けたい願いを感じないではいられない。いな交わるよりも離れる方がむしろ愛にかなう道であるとすら考えられる。自分たちは多くの人々と接近しているときには不愉快になって脱れたくなるけれども、離れていると人懐かしくなる。人々の群れに近づいて常に不平と嫌悪との心で交わっているよりも、離れてみずからをソリチュードに置き、人懐かしい心で、常に愛と平和とを胸に宿している方がより優れた生活法ではないであろうか。ましてトマス・ア・ケンピスのごとく祈りのみが真の愛であると考えている者は離れて心を愛にみたし、霊魂の平和を保ち、はるかに祝福を人々に送りつつ「神よなんじのみ愛の実際的効果を生む力を持ちたもう。願わくば人々を恵みたまえ」と真心こめて祈る方がかえって愛に適う道ではあるまいか。ちまたに出でて万人と交わり道を説くことは自信ある人にできることであろう。しかしあたかも癩病人らいびょうにんの醜き身体を衆人から隠すごとくに自分の汚れた魂を他人から遠ざけることはふさわしき Humility ではないであろうか。みずから高きに居して群生を軽侮する隠遁はエゴイスチッシュであるかもしれないが後悔と羞恥とに満ちたハンブルな心ではるかに祝福を神に祈り求めつつ、自他ともにその霊魂の平静と純潔とを保たんための隠遁は謙虚な魂のおのずから求むる許さるべき生活法ではないであろうか。あたかも暗の光を恥ずるがごとくに醜き自己を隠したい気がする。そのときしみじみと静かな Refuge を求めたい気がするのである。自分はこれまであまりに人の心の扉をたたきすぎた。あまりに人の内面に立ち入りすぎた。それは純なる動機からであっても人の心を不安にし、本能的にその扉を閉じしめないではおかなかった。自分たちは他人がアクセプトしないのに愛の表現をしいることは押しつけがましき不作法である。山に隠れて雲霞を友として生きている仙人を無用意に驚かすことは心なきわざである。あるいはデリケートな傷つきやすい心を持ったもしくは「人見する」子供のごとき霊魂を持てる人をふいに訪れることは思慮ある行ないではあるまい。まして庵にこもり、戸を閉じ、かすかな燈火をかかげて、ただ自らの心に秘めたる思い出を回向えこうするために香をいている尼姫をたとい純粋な愛の動機からとはいえしいて訪れてその秘密を打ち明けさせようとあえてするがごときは最も愚かな行ないであろう。孤独を欲する霊魂をして孤独を保たしめよ。隠れんと願うものをして自分の適する処にかくれしめよ。
 隠遁はじつに霊魂の港、休憩所、祈祷きとう勤行ごんぎょうの密室である。真の心の静けさと濡れたる愛とはその室にありて保たるるのである。
 かの仏遺教経の遠離功徳分にあるごとく「寂静無為の安楽を求めんと欲す」る比丘びくは「まさ※(「りっしんべん+貴」、第4水準2-12-70)かいどうを離れて独処に閑居かんきょし」「当に己衆他衆を捨てて空間に独処し」なくてはならない。「し衆をねがうものはすなわち衆のなやみを受けたとえば大樹の衆鳥れに集ればすなわち枯折のわずらい有るがごとく」また「世間に縛著ばくちゃく」せられて「譬えば老象のどろおぼれて自らずる事あたわざるが如く」であろう。自分は「静処の人」となって「帝釈諸天たいしゃくしょてんの共に敬重する所」とならんことをねがうのである。
(一九一五・一一)
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 愛の二つの機能

 愛は自全な心の働きであって、客観の条件によりて束縛せられざるをもって、その本来の相としなければならない。相手のいかなる状態も、いかなる態度も、いかなる反応も超越して、それみずから発展する自主自足の活動でなければならない。ゆえに純なる愛は相手のいかなる醜さ、卑しさ、ずうずうしさによっても、そのはたらきのまざるものでなければならない。それは事実において至難なるわざではあるが、私らの胸に当為とういとしてて、みずからの心をむち打たねばならない。けれど、私がここに語りたいのは、この当為にはけっして抵触せずに、いなむしろこの当為をみ行なわんために、愛より必然に分泌せらるる二つの機能についてである。それは祈祷と闘いとである。愛が単なる思想として固定せずに、virtue(力)として他人の生命に働きかけるときには、この二つの作用となって現われなければならない。
 愛とは前にも述べしごとく、他人の運命を自己の興味として、これをおそれ、これを祝し、これを守る心持ちを言うのである。他人との接触を味わう心ではなく、他人の運命に関心する心である。ゆえに愛の心が深くなり純になればなるほど、私たちは運命というものの力に触れてくる。そしてそこから知恵が生まれてきて、愛と知恵との密接な微妙な関係がしだいに体験せられてゆく。昔から聖者といわるるほどの人の愛は、みな運命に関する知恵によって深められきよめられた愛である。耶蘇ヤソの愛や釈迦しゃかの慈悲は、その最もよき典型である。愛がもし多くの人々のいわゆる愛のごとくに、他人との接触にインテレッセを置くものであるならば、そは甘く、たのしきものとして享楽せらるるであろう。アンナ・カレニナのなかのオブロンスキーが、「私は女を愛せずにはいられない」といったあのごとき愛や、女が「あなたは好きよ」というときの愛や、または普通の、百姓爺などを面倒くさがる男子が美しき女に対するときの愛などは、そのときの接触を味わう心であるがゆえに、運命や知恵や祈りとは何の関係もなしに済むであろう。けれど、もしも一人の少女をでも、私のいわゆる隣人の愛をもて愛してみよ。それはかぎりなき心配でなければならない。この少女の運命に自分があずからねばならない。自分のやり方でこの少女の運命はいかに傷つけられるかもしれない。いわんやときにはベギールデが働いたり、ミスチーヴァスな気持ちになりかねない自分らが、平気で少女に対することができようか。そのときもし私たちが真面目になるならば、自分たちの知恵と徳とが省みられるに相違ない。もっと自分に知恵があり、もっと心が清いならば、この少女の運命を傷つけずに済むであろうと。そして事実として私たちにこの自信のあることはほとんど不可能である。愛したい、けれど深い愛が宿らない。いかにせば愛の実際的効果をあげ得るかの知恵がない。力が足りない。そして他人の運命を傷つけることのいかにおそるべきかを知れる謙虚な心には、これはじつに切実な問題である。そしてついに自分たちが人間としてもはや許されてないところのある限りを、まざまざと感ずるであろう。未来のことは自分のあずかり知るところではない。現在においても触れ合う人しか愛することはできない。そして触れ合うところの一人の生命すら、心ゆくまで愛されはしない。「一すじの髪の毛をだに白くし黒くする力」は持たない。私たちは自分の愛するものの不幸を目の前にして、手をこまねいて傍観しているよりほか何ごとも許されない場合に、しばしば遭遇する。そして静かに思えば、これまで幾人の人々と交わっては別れ、別れして、今はどこにいかなる生活をしているやら、わからない人々があることだろう。そしてそれらの人々をいかにして愛しようか。このときもし愛の深い人であるならば、堪えがたき無常を感ずるであろう。そのときほとんど私たちは愛する力も、知恵もないことを感ずる。そして、ただ愛したい願いだけが高まってゆく。――そして運命の力を感ずる。『歎異鈔たんにしょう』のなかにも、何人も知るごとく、

 慈悲に聖道浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふが如く助けとぐること、きはめて有り難し。また浄土の慈悲といふは、念仏していそぎ仏となり、大慈大悲心をもて、おもふが如く、衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとをし、不便とおもふとも、存知のごとく助けがたければ、此の慈悲始終なし。しかれば念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にてそうろふべき。

 と書いてある。私も親鸞しんらん聖人のこの心の歩みの過程に、しみじみと同情を感ずる。すなわち親鸞聖人は念仏によって完全な愛の域に達せんと望んだ。私はこの計画の実際的効果をまだ信じ得ないけれど、愛を思えば祈りの心持ちを感ぜずにはいられない。もとよりいまだこの祈り聞かるべしと信じての祈りではない。しかし祈りの心持ちを感ずる。そして私は今ではこの心持ちを伴わざる愛は、けっして深いものとは思われなくなっている。どうぞ私がこの少女の運命を傷つけませぬように! 昔あの海べで別れた病める友、今はどうしているかわかりませぬが、どうぞ幸いでいますように! 私は多くの忘れ得ぬ人々の、今はゆくえも知れぬ人々の運命を思うとき、しみじみと祈りの心持ちを感ずる。祈るよりほか何も許されてないではないか。そして、その祈りの真実聴かれると信ずる信仰家は、いかに祝福されたる人々であろうと思わずにはいられない。
 また私たちは愛することは自由でも、愛を表現することは、もはや他人と関係したことで自分の自由ではない。他人が自分の愛を accept してくれないのに、愛を表現することはその人のわがままである。私のある友達が「彼に手紙を出したいけれど、よけいなことだと思われてはと思って差し控えている」といったと聞いて、私はその人の心持ちがよく理解できた。「私はあなたを愛します」といって、金を贈ったり、見舞いに来たりすることは、その人の自由ではない。いわんや「私はあなたを恋します」といって見知りもせぬ女に艶書えんしょを贈り、それで何ものかを与えたごとく考え、その女が応じなかった場合には立腹するようなことは、最も理由の無いことである。私たちは温かな愛があっても、それを受けいれない人に、その表現を押しつけることはできない。かくいろいろと考えて見れば、私たちの愛の実際的効果というものは、じつに微弱なものである。ただ幸あれかしと祈ることのみ自由である。また愛はその本来の性質上、制限を超え、差別を消してつつむ心の働きである。程度と種族とを知らぬ霊的活働である。しかるに私たちの物を識る力は、時間と空間とに縛られている。時が隔たれば忘却し処が異なればうとくならざるを得ない。死んだ啄木の歌に、「Yといふ字日記の方々に見ゆ、Yとはあの人のことなりしかな」というのがあるが、私たちはやむをえぬ制限から、そのようになってゆく。なにもかも過ぎて行く、けれどふと折に触れて思い出すとき、たまらない気がすることがある。そのようなときに私たちが祈り得たならば、いかに心ゆくことであろう。私たちは愛するときほど、人間を限られたるものとして感じるときはない。愛はただ祈りの心持ちのなかにおいてのみ、その全きすがたが成就するように思われる。私は祈りの心持ちに伴われざる愛を深いものとは思えない。昔から愛の深い人は、多くは祈りの心持ちにまで達しているように見える。深いキリスト教の信者には祈りが実際に聴かるべしと信じて、たとえば「あの友の病が癒えますように」と祈れば、もし神の聖旨ならば必ずその病癒ゆべしと信じている人がある由である。いかに幸福な心の有様であろう。私はまだとてもそこまではゆけない。しかし私は祈りの心持ちを強く感じる。愛を徳として完成する境地は祈りのほかにはないように思われるからである。
 純なる愛は他人の運命をより善くせんとするねがいである。そのねがいは消極的にみずからの足らざるを省みる謙虚な心となって、他人の運命を傷つけることをおそれる遠慮となり、自己の力の弱少を感じては祈りとなる。けれどこのねがいは他の一面にては積極的に他人に向かって働きかけたい強い要求となって現われる。他人の運命に無関心でいられない心は、他人の生活に影響したくならずにはおかない。あの人は不幸である。助けてやりたい、あの女は間違っている、正しくしてやりたい。かくのごとき要求は、他人の生活に侵入してゆきがちな傾向を帯びるがゆえに、個人主義の主として支配している今の社会では、ことにしばしばおせっかいとして排斥せられる。このゆえに、世の賢き人々は、ただ自己の生活を乱されぬように守りつつ、他人の生活には、なるべく触れないように努める。そして自分の態度をジャスチファイして曰く、「個性は多様である、自己の思想をもって他人を律してはならない。また自分は他人に影響するだけの自信を持たない」と。この考え方はじつにもっともである。しかし、多くの場合、この思想は愛の欠けている人の口実のように私にはみえる。なんとなればもし、今の世の人と人との孤立が、真に愛より発する働きかけたい心がこの謙虚な思想に批判さるるところに原因を持ってるものならば、その孤立は、もっとしみじみしたものになるはずだからである。孤立というものは、愛が深くて、しかも謙遜な心と心との間においては、むしろ人と人とが繋り合うのに最もふさわしき要件である。今の世の人間同士の孤立は、一つはその掲ぐる口実と正反対に傲慢と、そして何よりも愛の欠乏からきているのである。すなわち他人に働きかけようとせず、他人を受けいれようとしないかたくなな心が、その最大因をなしている。もし愛の深い、ヒューメンな心ならば、一方は、先きに述べしごとく、祈りとなるまでに謙遜になるとともに、一方は、おせっかいなほど働きかけたくなるであろう。人に働きかけたい心は善い、純なねがいである。この心が受け取りやすいモデストな心に出遭うときには、どんなになめらかな交わりになることだろう。自己を知らざるほしいままなる働きかける心は、他人を侵し傷つけるけれども、その心が祈りの心持ちによって深められるときには、もっとも望ましきはたらきをつくる。祈りの心持ちは、単に密室において神と交わる神秘的経験ではなく、その心持ちのなかには、切実な実行的意識が含まれている。いな、むしろ祈祷は実践的意識の醗酵、分泌した精のごときものである。今ここにある人の心に愛が訪れるとする。その愛がいまだ表象的なものに止まる間は、けっして祈りにはならない。しかし、その愛が他人の運命を実際に動かしたい意志となり、そしてその意志がそれに対抗する運命の威力を知り、しかもその運命に打ちって意志を貫こうとするときに、祈りの心持ちとなるのである。ゆえに、その心持ちは、しばしばたたかいの心持ちと酷似している。キリストのごとき宗教的天才においては、その愛は常にたたかいの相を呈している。そしてその闘いは、祈りによってただしくされている。けだし、私たちは愛を実現しようと思えば、必ず真理の問題に触れてくる。深く考えてみれば、愛とは他人をして人間としての真理に従わしめようとすることのほかにはない。ゆえに愛を実行せんとするときには、自己にとって真理なることは、他人にとっても真理であるとの信仰が必要である。真理を個性のなかに限定し、その普遍性を絶対に否定する人は、他人に愛を実行する地盤はない。「われかく信ず、ゆえに他人もしか信ぜざるべからず」との信念ある範囲においてのみ、他人に働きかけることができる。愛には人間としての当為が要る。宗教的天才はその Sollen を握れるがゆえに、堂々と愛を働きかけることができたのである。私は西田氏のごとく個性とは普遍性ダス・アルゲマイネの限定せられたるものと考えたい。すなわち、個性の多様性は認めつつ、その後ろに人間としての普遍的真理の存在をゆるしたい。この信仰なくしては、私たちは相互に繋り合うことはできない。事実においては、人間はいかに懐疑的なる人といえども、ある範囲においてこの普遍性を容して、他人に対して働きかけているのである。著しくいわば、真に徹底せる愛は、真理をしいることである。マホメットが剣をもって信じさせようとした心持ちには、愛の或る真理が含まれている。日蓮も愛のために、親にそむき、師にそむき、異宗と闘った。彼は『法華経』を信じなければ、親も師もことごとく地獄につると信じたからである。私は聖書などの思想に養われて謙遜とゆるしを学んでから、他人をあるがままにいれてその非を責めないようになりだした。初めは「私は愛がないのだから責める資格はない」と、自省して沈黙するようにしていたが、後には表面の交友を円滑にし、うるさい交渉を避ける自愛的な動機から、他人の軽薄、怠慢をも責めずに済ますようになりだした。かくなれば、他人に働きかけないことは一つの誘惑になる。愛するならば責めねばならない。それはゆるさぬのとは違う。他人がいかなる悪事をなしても、それは赦さねばならない。しかしいかなる小さな罪も責めねばならない。宗教はこの二つの性質を兼ね備えたものである。キリストはいかなる罪をも赦した。しかし罪の価は死なりといった。罪の裁判はできるかぎり重くなくてはならない。そしてその重き罪は全く赦されねばならない。甲が乙をなぐったとする。このとき、そのくらいのことは小さなことだとして赦してはならない。人間が人間を撲ることはけっして小さなことではない。それは地獄に当たる罪である。しかしその大罪を全的に赦すのである。阿部氏は「私は人を愛したい。けれど憎むに堪える心でありたい」といってる。私もしか感ずる。もし私が私を愛するがごとく他人を愛しているならば、私みずからを憎むがごとくに他人を憎み得るであろう。愛は闘いを含み得る。純粋なる愛の動機より、他人と闘うことができるようになるならば、その愛はよほど徹した内容を持っている。
 現に宗教的天才はかかる闘いをなしている。キリストも、エルサレムの宮ではとを売るもののつくえを倒し、なわの鞭を持って商人を追放した。私は初めは、キリストのこの行為を善しと見ることができなかった。それは愛とゆるしとの教えにかなわないと思われたからである。しかし私はこの頃は、愛しつつ赦しつつ、かくすことができると思うようになりだした。おのれを釘づけるものを赦したキリストに、この商人が赦されないとは考えられない。愛はたたかいを含み得る強いものであってさしつかえはない。ただ私はそのたたかいが、他の一面において祈りの心持ちによってただしくされることをねがう。
 けだし、私たちはゾルレンをつかむことにおいて自信のない愚人である。たたかいが愛のみの動機より発することのできかねるエゴイストである。他人の運命を思えばもだしがたく、しかも働きかけることが、他人を益するとの自信を握りかぬる弱者である。「どうぞこの人を傷つけませぬように!」と祈る心持ちなくして、安んじて働きかけることはできかねるからである。たたかいと祈りとは、愛の二つの機能である。愛が実践的になるとき、必然に生み出される二つの姉妹感情である。そして相互を義しくする。哲学的絶対を求めて後に愛そうとするならば、私たちは祈ることも、戦うこともできない立往生になる。けれど、私は真理はだんだんに知られてゆくものと思う。もし愛のなかに実感的な善を体験して、それに圧されて愛しながら、しだいに真理を体得してゆこうとするならば、私たちはたたかいと祈りの心持ちのなかに入って行くであろう。そしてそれは、私にとっては、ようやく明らかになりゆく真理の姿である。
(一九一五、冬)
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 過失
    ――お絹さんへの手紙――

       一

 私は昨日の朝ガーゼ交換が終わって、激しい苦痛の去ったあとのやや安らかな、けれど、いつもの悲しい心地にとざされて、寝台の上にやすんでいました。
 そのときあなたの手紙がとどきました。私は不思議にもそれを読んで驚きませんでした。私の恐れているものがついにきたと思いました。
 そして私は心の奥でひそかにそれを待ち設けていたのではあるまいかと、思うときに、おそろしいような心地がいたしました。お絹さん私はあなたよりも分別があります。それは私が悲しい経験から得たありがたい分別です。あなたの心はよくわかります。けれどもあなたの手紙を読んだとき、私の胸の底には彼女の運命を傷つけてはならない。と叫ぶ強い声がありました。男というものはずるいものです。ことに女にかけてはね。私は清い人間ではありません。私は清かったのです。けれど女にだまされてから、いつしか女に対する心の清さを失いました。そして Dirne のような女を見ると、私はずるい男心を呼び起こされます。そしてそれを当然のことと思うようにらされそうですから、私は厳しく自分をしかりつけているのです。
 けれどあなたのような純な、まじめな、女らしい人にあえば、私の心の底の善い素質が呼びまされます。そうです! 私は気をけねばなりません。あなたはどう思ってくださいます? 私はこのような手紙を書かせるようにあなたにしむけたのでしょうか。私はそうしてはならないと、いつもいつも思っていました。
 けれど私は神様が私を罪ありとなさっても争おうとは思いません。私は判断がつきかねます。もし私が悪いことをしたのなら、神様にゆるしを乞わねばなりません。フランシスさんがあなたを見舞いに遣わしてくだすって、あなたとちかづきになってから、私はたしかに慰められました。そのときまで百余日の長い間、私はじつにわびしい、淋しい日を送っていたのでした。私は孤独というものを人間の純なる願いとは思いません。私は私の側に私の魂の愛する力が働きかけうる人を持たないときは不幸を感じます。私は愛したい、そして求むるものには私の持っているよき物を惜しまずに与えようと、常に用意しているのに、誰も一人として、私に求め訴えに来るものがありません。聖書のなかにも「童子まちに立ちて笛吹けども、人躍らず、悲歌すれども人和せず」と書いてあります。これは私にとってどんなに淋しいことであったでしょう。私は歩けないのですから他の室に友を求めることはできません。
 そして十数人もいる若い看護婦たちはなんという冷淡な、proffesional な人々でしょう。私はときどきに泣きたいような気がしました。三度も手術を受けて、そしてまだいつなおる見込みもつかない。私はこらえるには怺えます。けれども悲しいのはかなしい。
 私はドストエフスキー(私がよく話すあのロシアの小説家)の『死人の家』など読んでは心からこの不幸な人の淋しい孤独な生活に共鳴して、自分も泣いていました。
 そのときあなたが天の使のように私のベッドの側に来てくれました。あなたが後でおっしゃったように、私のいうことはあなたに吸い込まれるように、スラスラと理解されるように私にも思われました。私はあなたの魂のなかに善良な高尚な思想に感動することができる知恵と徳の芽を見いだしました。そしてあなたが学問が乏しいために(失礼ですけれど)それはかえって純な、ありのままの、素質的のものとして私には感ぜられました。
 そしてあなたは私のひそかにたのんでいる尊い部分に触れてくれました。私はまことに嬉しゅうございました。そして私のベッドの側にじっとすわって注意深い耳を傾けているあなたに私の信ずる最も高き善き思想をできるだけ単純な、清い言葉で話しているときに、私はときとして私を善い人間であるかのように、まれには聖者であるかのように感ずることさえありました。
 私はあなたの熱心な祈りをきき、賛美歌を共にうたいました。これまで永い間私はあまり荒々しい人々のなかにのみみすぎたように思っていましたが、あなたとって私ははとのような、小鳥のような――それは私の心にながくとざされていたところのやさしい情緒をふるさとのおとずれでも聞くように思い出しました。それほどあなたは純な人でした。ドストエフスキーは、「もしも鳩が私たちの顔をさも信じ切ったような目つきをして眺めながら、身を任せているときに、誰がそれを欺くことができよう」といっています。心の清いあなたはじきに信じました。そしてそれには相当しないと私がたびたびいうにもかかわらず、日ならずして私を崇拝するようになりました。私はあなたの前にいるときには、あなたの Virtue のために、私の善い素質のみが働くのですから、あなたが私を尊敬するようになったのは無理もないと思います。そしてあなたは一すじの女心から、昨日のような手紙をくださったのでした。私はそれを読んで涙がこぼれました。
 信じやすい、明るい、善い心、それに愛を求める女らしい、純真な人間性がありがたかったからです。けれど私はすぐに強く思い決めました。私は神をおそれねばならない! と。私はこの前の夜、あなたにあのような話をしなければよかったと後悔しました。実際私はなるべくめったにいうまいとは常々覚悟していたのです。けれど私のもろい心と、そしてことにはあなたの受けとりやすい、熱心な心に触れて、私は訴える心地に久しぶりになりました。そうです。久しぶりです。私はただ与えよう、けれどけっして訴えまいと Motto を決めていたのですから。けれど一度口をきると私は何もかも申しました。後には激昂して、恨みも、怒りも、かなしみも、――ああ私はこの三年間の私のふしあわせとそして今の淋しい境遇にある自分の姿を思うときに、それがみなあの私を捨てた女ひとりのせいであるかのように感じられました。そして私はなんという愚かでしょう。それをあなたに向けて訴えるとは! 私はセンチメンタルになってしまってあなたの手のなかに泣きました。――それが不謹慎だったのです。純な、信じやすい、やさしい女に、自分を崇拝しかけている女に、失恋の話をする、――そのようなことが、慎み深い人のすることでないくらいなことは、十分に知っていたのでしたのに、私はそれをいたしました。そしてあなたは私に恋心を起こしました。お絹さん、どうぞ赦してください。私はけっしてミスチーヴァスな心で(このような心持ちはあなたにはいってもわからないかもしれません)したのではありません。まったくあなたがあまりおやさしく、私があの夜はセンチメンタルになっていたので、あなたに私の不幸を訴えたのでした。恋になってはならないと私はつねに注意していたのに、そのために、くどいほど隣人の愛のみ真の愛であることを、あなたにあれほど話したのに。私は昨日は眠らずに考え明かしました。あの霜の白く置いている冷たい草の上で私の病気の早く癒えるようにと、その昔あのラザロをよみがえらしたまいしキリストに熱い祈りを捧げてくださったと聞いて私は深く動かされずにいられません。なんといって感謝したらいいのでしょう。けれども私はもはや三年昔の私ではありません。私は私の発情におぼれてはなりません。私は今あなたの運命を傷つけないように、知恵のはたらきを呼び起こさなくてはならないときであると信じます。
 私はけっしてあなたが嫌ではありません。けれども私は恋というものを(たびたび申し上げたように)あまりこのましく思わないようになっているのです。美しい恋を仕遂げることはなかなかたやすいことではありません。恋は特別に悪魔にねたまれます。悪魔はそのなかに陥穽かんせいをつくります。そしてもはや二人の間に平和や明るい喜びはなくなってしまうものです。
 恋というものはあなたの心に描いていらっしゃるような美しいものではありません。その上私にはご存じのごとく悪い病気があります。またもはや一たび一人の少女に情熱を捧げて、燃えのこりの灰殻のような心です。あなたは純潔な、その年になってまだ子供らしさのぬけないほど無邪気な心です。私とは似合いません。あなたはそれを知っての上でのことだとおっしゃいます。けれども私としてそれを平気で受け取ることはできかねます。あなたは私がさかしらに、人の心までおおいかぶせるように、いってのけると思われるのはまことにごもっともです。聖書のなかにもあるごとく、神の※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)まぐわせたもう男と女との間にのみ全き恋は成就いたします。あなたはいつまでもかわらず私を恋するとおっしゃいます。あなたはそう信じなさいます。それはけっして無理ではありません。むしろあなたがまじめな熱心な人だからです。けれどもそれはけっしてまだたしかとはいえません。神の聖旨でないならばいつかは消えてゆきます。三年前私はあなたのとおりの心持ちになりました。そしてまじめな、純な、おさない恋人のいつもするように、天を指し、地を指して、幾度とこしえにと誓ったことでしょう。けれどもその誓いはついに空しくなってしまいました。あなたの心もまだ私は信ずることができません。あなたの美しい玉のごとき運命を私ゆえに傷つけさせてはなりません。私はどうせ永くは生きられない病身ものです。もし病気が伝染したらどうしましょう。そして私はかいしょはなし、安らかな暮らし方のできる身分でもありません。あなたの考えていらっしゃるようなことはとても実行できる見込みはありません。あなたは私をあわれみ愛してください。
 私はそれで満足です。それにあなたにこのようなことをいわれると私は苦痛です。もはや私のかなわぬこととあきらめていた運命が私の目の前に再びび戯れようとして、私はそれを打ち払うのに不安になります。私の忘れたい悲哀が蘇ってまいります。どうぞ後生ですからよしてください。そして安らかに、潤うた交わりをいつまで続けよう[#「いつまで続けよう」はママ]ではありませんか。その方がかえって善いコンスタントな、魂の騒がない、静平な交際ができます。あのいつもいう聖フランシスと、聖クララとのように清らかな交わりを一生の間続けたらどんなに幸福でいさぎよいでしょう。アシシの静かな森のなかで太陽は恵むがごとく照らす木のかげで、二人は神様に祈りつつ清く交わり、フランシスはクララの手に抱かれて死にました。あなたも私も悪魔に乗じられてはなりません。祈りましょう。二人の心の純潔と平和とがいつまでも失われませぬように!
 どうぞ今夜は安らかにお眠りなさい。

       二

 お絹さん、どうぞ何よりも心を安らかにしてください。私はあなたをこのようにも愛しているのですから。それは世の中の恋する男の単なるエンジューシアズムよりもずっと深い愛です。あなたがそのように心をみだしてお苦しみなすっては私はどうしたらいいのでしょう。あなたを失望させないために、私はどのようなことをしてもいいと思っているのです。
 ただただ神様は畏れねばなりません。私はただそれをいうのです。聖旨を待って謙遜な心を失ってくださるな。運命に甘えるものは必ず刑罪に報いられます。聡明そうめいなるお絹さん! 私の申すこの思想があなたにわからないはずはありません。私がなんであなたを嫌いましょう。あなたと私との間には素質と素質との好き合う力があるようです。二人の魂のなかの善い部分をお互いに発見することができます。私は心からあなたが好きです。また私があなたの身分と、私の身分との社会上の相違を気にかけていでもするかのように、あなたはあのようなことをおっしゃるのはどうしたものでしょう。
 私が一度でもそのような気持ちの影をでもあらわしたことがありますか? 私はあなたがお米をいだり、着物を洗濯せんたくしたりなさるのをまことにかいがいしく美しく感じています。そのようなことを気にかけてはいけません。私は働くことと愛することとを結びつけて考えます。純な、健康な、よく働く愛らしいお絹さん。あなたはまことに純潔で美しいです。複雑なすさんだ人々の間にばかりくらしてきた私にはあなたが神の使のようにさえ見えます。あなたはそのままで清らかで完全です。もしこの世が天国のようなところなら、あなたは栄えを受くべきです。けれどもこの世では、あなたはへびのごときかしさのかけているために、私にはあぶなっかしく見えます。そしてそれゆえに私はますますあなたを傷つけてはなりません。あなたから初めてあのような手紙をもらったとき、私は心の奥に強い誘惑を感じました。(あなたは恐ろしいとは思いませんか。すべての男にはそのようなところがあるのです)。あなたを傷つけることはたやすいことです。私はけれど神の子です。今日まであなたにほしいままな表現をせずに神様を畏れてまいりました。あなたを重んじ、この後もそれを続けなくてはなりません。あなたが冷淡を感じるのは私がかえってあなたを愛しているからです。あなたは今はそれがわからないのです。お絹さん。私はあなたに知恵をつけることはじつは好まないのです。悪に対して備えるためにばかり必要な知恵を得ることはむしろやむをえないかなしいことです。私は信じる人に、信じるなとすすめるようなものです。あなたはほんとに今のままで善いのです。この世が悪いからしかたがないのです。けれどあなたはどうせ知らなければならないことは、知らなければならないのです。
 顔の赤くなるほどはずかしいことや、また生きていることがいやになるほど卑しいことや、まだまださまざまの Evil を!
 おお神様があなたをお守りくださいますように! けれど私は深く考えなければなりません。あなたのお手紙のお言葉は強く私の胸に響きました。私ははげしく省みさせられました。私にはそのような癖があるのです。説教したがる癖が。私は神様に祈っていろいろ考えてみました。そしてもはやあなたの心の芽の発育に干渉することは避けた方がいいと思うようになりました。神様はあなたの心をどのような仕方で育てたもうご計画かわかりません。もしあなたの心に恋が生じたことが聖旨であるならば、それを私がしぼませようとすることは不謙遜でしょう。人間の純なやさしい心の芽を乾らばしてはなりません。第一私はあなたの髪の毛一すじでも黒くしあるいは白くする力はない。あなたを見ていればあぶなっかしい気はする。けれど私が守ってあげなければあなたが亡びるかのように思うのは私の傲慢でしょう。あなたは神様を信じていつも熱心に祈っていらっしゃる。私はあなたを神様の手に渡すべきです。私は間違っていました。けれど悪く思ってくださいますな。私のしたことは私の知恵の足らないためです。あなたは私にかまわずあなたの感情の発育を自由にのばしていってください。向日葵ひまわりが日の光の方に延びて成長してゆくように、神様のめぐみの導きの方へむかってお進みなさい。私はあなたの愛をもみ消そうとはもはやいたしません。それはあなたのものです。そのなかにあなたが尊いいのちを感じなさいますならば、それはあなたの宝です。私はそれに干渉するのは傲慢でしょう。けれど思えば私は自信がなさすぎます。私は自分の清くない、徳の足りないことを思うときには、むしろあなたを神様に任して、私はあなたに別れてしまおうかと思うことも一度や二度ではないのです。けれど一度運命が触れ合うてこれほどの交わりになったものをアーチフィシアルに蹂躙じゅうりんするのは最も悪いことと思われます。一度触れ合うた人間と人間とはたといいかに嫌い合っても、絶交してはならないとさえ常に思っているのです。私はあなたにそのように思われるのはいやどころではありません。感謝と涙とです。私も私の心のなかに頭をもたげる心の芽をいたずらにみずから蹂躙するいわれもないのです。純な、人間らしい善い芽はのばさなければなりません。あなたに卑しいことを知らせずにすませるために私はあなたをずるい男の手に渡さずに、私のそばに置きたい気さえ起こることもときどきあるのです。知らないうちはともかくも、純な美しいものがみすみす荒くれ男にふみにじられるのを見のがすことは堪えがたい苦痛です。
 けれどいかなる場合でも私たちは神様を畏れなければなりません。それには二種ありましょう。一つは自分の発情を慎むこと。も一つはみずからをわざと殺さぬこと。神様の私たちの心のなかに生まれしめたまいし若芽をわれとわが手で摘み取らぬこと。私はそれを侵しかけているのでした。それからもう一度だけあなたに明らかにしておかねばならないことがあります。それはあなたと私との間に恋が生まれるのは、神様の聖旨であるかどうかはまだたしかでありませんということです。しかしもしや神様があなたと、私とをつないでくださるのだったらどうでしょう。それを思うとけっして別れる気にはなりません。ではどうしたらいいのでしょう。私の考えではあなたと私とはやはりこれまでどおりに交わりをつづけてゆくべきでしょう。そして前にいった二つの意味で神様を畏れつつ運命の赴くところに任せてゆきましょう。何よりも発情に溺れずに、けれどけっしていたずらに自分に背かずに。もし聖旨ならば二人の運命はしだいに切迫してゆくでしょう。そしてその内面的の必然性が神の聖旨を証するほど熱してきたときに私たちは喜んで結婚しましょう。もし聖旨でないならば二人の交わりはそれとは違った性質のものになるでしょう。そしてほんとの善いお友達になれるかもしれません。先きのことはなかなか解るものではありません。あなたは私のいうことを心細く頼りなく感じなさいますか?
 けれども私たちに許されていることは「神様聖旨ならば二人を繋いでください」と祈ることだけです。けれどもそこに祈祷の微妙な力があるのではありますまいか。すなわち力ある祈りはエホバの御座を揺がすという言葉もあるように私たちは祈りによって、聖旨を呼び醒ますことができるのではありますまいか。祈りが熟したときに聖旨が生まれるのではありますまいか。祈りが聴かれるとはその間の消息を伝えた言葉でありましょう。もしも二人の愛が真に切実にして、深純なるものならば、エホバがそれを善しと見て祝福して許してくださるのではありますまいか。尊い恋は運命的の恋です。運命を呼びさますものは熱き祈祷です。祈祷は最深の実践的精神のあらわれです。
 清い、美しいお絹さん。祈りましょう。祈りましょう。私は希望を認めたような気がして今夜は心が躍ります。神さまに任して安らかに眠ってください。あなたははたらくこともよして、考え込んでばかりいらっしゃるという言葉は私を不安にします。病人は大切にしてやらなければなりません。
 マリアのようにやさしく、マルタのように面倒を忍んで、多くの患者を看護してやってください。祝福あれ!
(一九一五・一一)
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 善くなろうとする祈り

     我建超世願、必至無上道、斯願不満足、誓不取正覚 ――無量寿経――

 私は私の心の内に善と悪とを感別する力の存在することを信ずる。それはいまだ茫漠ぼうばくとして明らかな形を成してはいないけれど、たしかに存在している。私はこの力の存在の肯定から出発する。私はこの善と悪とに感じる力を人間の心に宿る最も尊きものと認め、そしてこの素質をさながら美しき宝石のごとくにめでいつくしむ。私は私がそのなかにんでいるこのエゴイスチッシュな、荒々しい、そして浅い現代の潮流から犯されないように守りつつ、この素質を育てている。私はしみじみと中世を慕う心地がする。そこには近代などに見いだされない、美しい宗教的気分がこめていた。人はもっと品高く、善悪に対する感受性ははるかにデリケートであったように見ゆる。近代ほど罪の意識の鈍くなった時代は無い。女の皮膚の感触の味を感じ分ける能力は、驚くほど繊細に発達した。そして一つの行為の善悪を感じ分ける魂の力はじつに粗笨そほんを極めている。これが近代人の恥ずべき特色である。多くの若き人々はほとんど罪の感じに動かされていない。そして最も不幸なのは、それを当然と思うようになったことである。ある者はそれを知識の開明に帰し、ある者は勇ましき偶像破壊と呼び、モラールの名をなみすることは、ヤンガー・ゼネレーションの一つの旗号のごとくにさえ見ゆる。この旗号は社会と歴史と因襲と、すべて外よりくる価値意識の死骸の上にのみてらるべきであった。天と地との間にかるところの、その法則の上におのれの魂がつくられているところの、善悪の意識そのものを否定せんとするのは近代人の自殺である。もとより近代人がかくなったのは複雑な原因がある。その過程には痛ましきさまざまの弁解がある。私はそれを知悉ちしつしている。しかしいかなる罪にも弁解の無いのはない。いかなる行為も十分なる動機の充足律なくして起こるのは無いからである。道徳の前にはいっさいの弁解は成り立たない。かの親鸞聖人を見よ。彼においてはすべての罪は皆「ごう」による必然的なものであって自分の責任ではないのである。しかもみずから極重悪人と感じたのである。弁解せずして自分が、みずからと他との運命を損じることを罪と感じるところに道徳は成立するのである。
 多くの青年は初め善とは何かと懐疑する。そしてその解決を倫理学に求めて失望する。しかし倫理学で善悪の原理の説明できないことは、善悪の意識そのものの虚妄であることの証明にはならない。説明できないから存在しないとはいえない。およそいかなる意識といえども完全には説明できるものではない。そして深奥な意識ほどますます概念への翻訳を超越する。倫理学の役目は、私たちの道徳的意識を概念の様式で整理して、理性の目に見ゆるように(Veranschaulichen)することにあって、その分析の材料となるものは私たちのすでに持っている善悪の感じである。善とは何かということは今の私にも少ししかわかっていない。私は倫理学のごとき方法でこの問いに答え得るとは信じない。善悪の相は私たちの心に内在するおぼろなる善悪の感じをたよりに、さまざまの運命に試みられつつ、人生の体験のなかに自己を深めてゆく道すがら、少しずつ理解せられるのである。歩みながら知ってゆくのである。親鸞が「善悪の二字総じてもて存知せざるなり」と言ったように、その完全なる相は聖人の晩年においてすら体得できがたきほどのものである。すべてのものの本体は知識ではわからない。物を知るとは、その物を体験すること、更に所有アンアイグネンすることである。善悪を知るには徳を積むよりほかはない。
 善と悪との感じは、美醜の感じよりもはるかに非感覚的な価値の意識であるから、その存在は茫として見ゆれど、もっと直接に人間の魂に固存している。魂が物を認識するときに用いる範疇はんちゅうのようなものである。魂の調子のようなものである。いなむしろ魂を支えている法則である。それをなみすれば魂は滅ぶのである。ある種類の芸術家には人生の事象に対するとき、善悪を超越して、ただ事実を事実としてるという人がある。自分の興味からさようにある方面ザイテを抽象するのは随意である。しかしそれを具体的なる実相としてい、あるいは道徳の世界に通用させようとするのは錯誤である。ある人生の事象があれば、それは大きかったり、小さかったりするごとく、同様に善かったり、悪しかったりする。物を観るのに善、悪の区別を消却するのはあたかも物体に一つのディメンションを認めないようなものである。人生に一つのできごとがあれば、必ず一面において道徳的できごとである。しこうして私はそのザイテに最も重大に関心して生きねばならぬと感ずるのである。それはなぜであろうか? 私はよくわからない。おそらくこの価値の感じが、他の価値の感じよりもいっそう魂の奥から発するからであろうと思わるる。私たちが真に感動して涙をこぼすのは善に対してである。美に対してではない。もし美学的なるもの das Aesthetische と倫理学的なるもの das Ethische とをしばらく分けるならば、私たちの涙を誘うものは芸術でも人生でも後者である。美しい空を見入って涙がこぼれたり、調子の乱れた音楽を聞いて怒りを発したりするときでも私たちの心を支配している調子は後のものである。善悪の感じは私たちの存在の深き本質を成しているものであるらしい。私は芸術においてもこの道徳的要素は重要な役目を持つべきものと信ずる。私はこの要素を取り扱わない作品からほとんど感動することはできない。トルストイやドストエフスキーやストリンドベルヒの作に心惹かれるのはそのなかに深い善、悪の感じがにじみ出ているからである。「真の芸術は宗教的感情を表現したものである」というトルストイの芸術論がいかに偏していても、そこには深いグルンドがある。もとより道徳を説明し、あるいは説教せんとするアプジヒトの見え透くような作品からは、純なる芸術的感動を生ずることはできないけれども、たとい、その作にはきわ立った道徳的の文字など用いてなくとも、その作の裏を流れている、あるいはむしろ作者の人格を支配しているところの、人間性の深い、悲しい、あるいは恐ろしい善悪の感じが迫ってくるような作品を私は尊ぶ。けっしてイースセティシズムだけで深い作ができるものではない。もとより善、悪の感じといっても、私は深い、溶けた、輝いている純粋な善、悪の感じを指すのであって、世の中の社会的善悪や、パリサイの善をいうのではない。それらの型と約束をいっさい離れても、私たちの魂の内に稟在ひんざいする、先験的の善悪の感じ、それはもはや、けっしてかの自然主義の倫理学者たちの説くような、群居生活の便利から発したような方便的なものではなく、聖書に録されたるごとく、魂がつくられたときに造り主が付与したる属性としてでなくては、その感じを説明できないような深い、霊的な善悪の感じを指すのである。かかる善、悪の感じは、芸術でなくては表現することはできない。ドストエフスキーやストリンドベルヒ等の作品にはこのような道徳的感情が表われている。
 ここにまた一種の他のアモーラリストがある。それは世界をあるがままに肯定するために悪の存在を認めない人々である。およそ存在するものは皆善い。一として排斥すべきものは無い。姦淫かんいんも殺生もすでに許されてこの世界に存在する以上は善いものであるに相違ないというのである。この全肯定の気持ちは深い宗教的意識である。私はその無礙むげの自由の世界を私の胸の内に実有することを最終の願望としているものである。しかしそれはけっしてアモーラルな心持ちからではない。世界をそのあるがままの諸相のままに肯定するというのは、差別を消して一様なホモゲンなものとして肯定するのとは全く異なっている。大小、美醜、善悪等の差別はそのまま残して、その全体を第三の絶対境から包摂して肯定するのである。その差別を残してこそ、あるがままといえるのである。ブレークが「神の造りたもうたものは皆善い」といったのは、後の意味での自由の地からである。ニイチェの願ったごとく「善悪の彼方の岸」に出ずることは、けっして善悪の感じを薄くして消すことによって達せられるのではなく、かえってその対立をますます峻しくし、その特質をドイトリッヒに発揮せしめて後に、両者を含むより高き原理で包摂することによって成就するのである。天国と地獄とが造り主の一の愛の計画として収められるのである。善を追い、悪を忌む性質はますます強くならねばならぬ。姦淫や殺生は依然として悪である。ただその悪も絶対的なものではなく、「ゆるし」をとおして救われることができ、善と相並んで共に世界の調和に仕えるのである。しかしその「赦し」というのは悪に対してむとんちゃくなインダルゼンスとは全く異なり、悪の一点一画をも見遁みのがさず認めて後に、そのいまわしき悪をも赦すのである。「七度を七十倍するまで赦せ」と教えた耶蘇ヤソは「一つの目汝を罪におとさば抜き出して捨てよ」といましめた同じ人である。「罪の価は死なり」とあるごとく、罪を犯せば魂は必ず一度は死なねばならぬ。魂はさながら面をつつむ皇后がいかなる小さき侮辱にも得堪えぬように、一点の汚みにも恥じて死ぬほど純潔なものである。モンナが夫に貞操を疑われたときに、「私の目を見てください」というところがあるが、私はかしこを読むときにじつに純潔な感じがした。裁かぬというのは尊い徳である。しかしこれと似てしかも最も嫌なのはズボラ(indulgence)である。好人物という感じを与える人にはこのズボラが多い。アンナ・カレニナのなかのオブロンスキーのような人がそれである。オブロンスキーは好人物である。誰も憎む気にはなれない。しかしその妻の心はどれほど傷つくかしれない。かような人は悪意なくしてじつに最も他人の運命を損じるエゴイスティックな生き方をしているのである。ゲレヒチッヒカイトの盛んな人は裁く心も強い。そして鋭いという感じを他人に与える。裁くのはもとより悪い、その鋭さは天に属するものではない。しかしズボラよりはるかにましである。なんとなればその鋭さは真の赦しの徳を得た人には深いレリジャスなものとなるけれど、ズボラは真の赦しの心と一見似てじつは最も遠いものだからである。およそ宗教には二つの要素が欠けてはならない。一はいかなる微細な罪をも見遁さず裁くこと、一はいかなる極悪をも赦すことである。この矛盾を一つの愛に包摂したのが信心である。キリストの説教にはこの二つの要素が鮮やかに現われている。
 私はあくまでも善くなりたい。私は私の心の奥に善の種のあるのを信じている。それは造り主がいたのである。私は真宗の一派の人々のように、人間を徹頭徹尾悪人とするのは真実のように思えない。人間にはどこかに善の素質が備わっている。親鸞がみずからを極重悪人と認めたのもこの素質あればこそである。自分の心を悪のみとべるのは、善のみと宣べるのと同じく一種のヒポクリシーである。偽悪である。そのうえ私はかく宣べるのは何者かに対してすまないような気がする。私はかような問題について考えるたびに、なんとなく胸の底で「否定の罪」とでもいうような宗教的な罪の感じがする。およそ存在するものはできるかぎり否定しないのが本道である。つくられたるものの造り主に対する務めである。私の魂ははたして私の私有物であろうか。あるいは神の所有物ではあるまいか。私は魂の深い性質の内には、自分の自由にならない、ある公けなもの、ある普遍なもの、自己意識を越えてはたらく堂々たる力があるような気がする。私たちの善、悪の意識に内在するあの永遠性はどこから来るのであろうか。あるいは造り主の属性アットリブートが私たちの先天的の素質として顕われるのではあるまいか。「魂は聖霊の宮なり」というのはかような気持ちをいうのではあるまいか。その公けな部分を悪しざまに言うことは、自分の持物を罵るようにはできない気がする。「聖霊に対する罪」というような気がする。「私たちの魂は悪のみなり」と宣べるとき私たちは他人のもの、造り主のものを罵ってはいないであろうか。私は寄席よせに行ってあの「話し家」が自分の容貌や性質を罵り、はなはだしきは扇子を持っておのれの頭を打って客を笑わせようと努めるのを見るときに、他人のをそうしたよりもいっそう深い罪のような感じがする。私は私の魂は悪しと無下に言い放つのはそれと似た不安な感じがして好ましくない。やはり私は、私たちは本来神の子なのが悪魔に誘惑せられて悩まされている、それで魂の内には二元が混在するけれども、けっきょく善の勝利に帰するというような聖書の説明の方が心にかない、また事実に近い気がする。私たちの魂は善悪の共棲の家であり、そして悪の方がはるかに勢力をたくましくしている。しかし心を深く省みれば、二つのものにはみずから位の差が付いている。善は君たるの品位を備えて臨んでいる。さながら幼い皇帝が逆臣の群れに囲まれているにも似ている。私たちの魂にはある品位がある。落ちぶれてはいても名門の種というような気がする。昔は天国にいたのが、悪魔に誘われて今は地上に堕ちているというのはよくこの気持ちを説明している。私たちは堕ちたる神の子である。心の底には天国のおもかげのおぼろなる思い出が残っている。それはふるさとを慕うようなあくがれの気持ちとなって現われる。私たちが地上の悲しみに濡れて天に輝く星をながめるとき私たちの魂は天津ふるさとへのゼーンズフトを感じないであろうか? 私は私たちの魂がこの悪の重荷から一生脱することができないのはなぜであろうかと考えるとき、それは課せられたる刑罰であるという、トルストイやストリンドベルヒらの思想が、今までの思想の内では最も私を満足させる。その他の考え方では天に対する怨嗟えんさと不合理の感じからせられることはできない。「ああ私は私が知らない昔悪いことをしたのだ、その報いだ」こう思うと、みずからひざまずかれる心地がする。「それはじめにことばあり、よろずの物これによりてつくらる」とヨハネ伝のはじめに録されたるごとく、世界を支える善、悪の法則を犯せば必ず罰がなくてはなるまい。これ中世の神学者のいったごとく、神の自律でもあろう。私たちの罪は償われなくてはならない。しかし百の善行も、一つの悪行を償うことはできない。私たちは善行で救われることはできない。救いは他の力による。善行の功によらず愛によって赦されるのである。宗教の本質はその赦しにある。しかし善くなろうとする祈りがないならば、おのれの罪の深重なることも、その赦されのありがたさもわかりはしないであろう。たとえば親鸞が人間の悪行の運命的なることを感じたのは、永き間の善くなろうとする努力が、積んでも積んでも崩れたからである。比叡山から六角堂まで雪ふる夜の山道を百日も日参したほどの親鸞なればこそ、法然聖人に遇ったとき即座に他力の信念が腹に入ったのである。そのとき赦されのありがたさがいかにしみじみと感ぜられたであろうか。思いやるだに尊い気がする。私は親鸞の念仏を善くなろうとする祈りの断念とよりも、その成就として感ずる。彼は念仏によって成仏することを信じて安住したのである。彼が「善悪の字知り顔に大虚言の貌なり」と言ったのは、何々するは善、何々するは悪というように概念的に区別することはできないといったのである。善悪の感じそのものを否定したのではない。彼は善悪の感じの最も鋭い人であった。ゆえに仏を絶対に慈悲に人間を絶対に悪に、両者をディスティンクトに峻別せねばやまなかったのである。
 人間の心は微妙な複雑な動き方をするものである。生きた心はさまざまのモチーフやモメントでその調子や方向を変ずる。私はけっして善悪の二つの型をもってそれを測りきろうとするのではない。善と悪とは人の心の内で分かちがたくもつれ合って働く。嘘から出た誠もあれば誠から出た嘘もある。ただそれらの心の動乱のなかを貫き流れて稲妻のごとく輝く善が尊いのである。ドストエフスキーの作などに描かれているように怒りや憎しみの裏を愛が流れ、争いや呪いのなかに純な善が耀かがやくのである。私はそれらの内面の動揺の間にしだいに徳を積み、善の姿を知ってゆきたい。人生のさまざまの悲しみや運命を受けるごとに、心の目を深めて、先きには封じられていたものの実相も見ゆるようになり、捨てたものをも拾い、裁いたものをも赦し、ようやく心の中から呪いを去って、万人の上に祝福の手を延ばすように、博く大きくなりたいのである。魂の内なる善の芽を培うて、「空の鳥来たってその影に棲む」ような豊かな大樹となしたいのである。造り主の名によってすべての被造物と繋りたいのである。ああ、私は聖者になりたい(かく願うことがゆるさるるならば)。聖者は被造物の最大なるものである。しかしながら聖者といっても私は水晶でつくられたような人を描くのではない。私の描く聖者は人間性を超越したる神ではなく、人間性を成就したる被造物である。それはつくられたものとしての限りを保ち、人生の悲しみに濡れ、煩悩の催しに苦しみ、地上のさだめに嘆息しつつ、神を呼ぶところの一個のモータルである。真宗の見方からはなお一個の悪人であって、「赦し」なかりせば滅ぶべき魂である。私は罪のなかに善を追い、さだめのなかに聖さを求めるのである。私はたとい、親鸞が信心決定の後、業に催されて殺人を犯そうとも、パウロが百人の女を犯そうとも、その聖者としての冠をおしもうとは思わない。
 願わくばわれらをして、われらがつくられたるものであることを承認せしめよ。この承認はすべてのでたき徳を生む母である。しこうしてつくられたるものの切なる願いは、造り主のまったさに似るまでおのれをよくせんとの祈りである。
(一九一六・一〇・一)
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 他人に働きかける心持ちの根拠について

 人間には他の人間の群れにむかって呼びかけたい願いがある。いま私はそのねがいが熱と潤いとを帯びて心のなかに高まるのを感ずる。私は話しかけたい。私はその願いを人間らしい、純なものとは知っていた。けれど私にはその願いを行為に移す路筋みちすじで心のなかに深い支障があった。私は永い間黙ってこらえてきた。そのためにうなされるような気がしながら。
 私は私の師からも大衆に向かって話しかけることをいましめられている。それは今の私の器量では他人に働きかけるのは他人を傷つけることだという道徳的の理由からである。私は師の心を察して涙ぐむ。しかしそれにもかかわらず、私は今これから他人に向けて働きかけようとしているのだ。私は今の世の多くの人々が私に話しかける心持ちの根拠の説明を迫るほど、他人の運命をおそれる心を持っているとは信じない。それらの人々には私の用意はよけいな心遣いとも見えよう。しかし私には師の慈悲深き渋面が見ゆるような気がする。私の心の奥に君臨する裁き主の前に uneasy な気がする。それゆえ私は半ば人に半ば自分に弁疏しなくては気になるのである。
 四、五年前まで私は何の苦も無く他人に話しかけ、働きかけた。そしてその胆気と自由とをみずから誇っていた。けれど私は厳しき試練に遇ってその無知を罰せられた。人をも身をもそこない傷つけた。私はそのときから畏れる心を知った。他人の運命を傷つけてはならない。われとわが聖霊をうっしてはならないと。「私は生きている。私の周囲には他の人間や動物や草木が生きている。私らは同じ太陽の下にともに生きている。私は彼らに愛を感ずる。彼らに触れたい、話したい、働きかけたい。かくすることはすべての生けるものの純な願いで、そして善いことである」
 私はかつてかく考えた。私はこの信念にジャスチファイされて勇ましくかつ公けに他人に働きかけた。他の生命に触れ、揺すり、うごかし、抱き、一つに融けようとしてあえいだ。そしてその結果は自他ともに傷ついたのである。そのみじめな結果はその公けの動機に対していかにしても不合理な気がして私は天地をのろいかけたほどであった。しかし私はそのとき初めて地上の運命と、それに対する知恵とに目醒めたのであった。私は今でもそのときの私の願いをそれ自身悪いものと思われない。もしこの世が天国であったなら、善の法則に対抗する悪の法則が無いならば、知恵なき無邪気のままで、すべての純な願いはことごとく容れらるべきである。求むる心はただちに与うる心に、愛は必ず感謝に出遇うべきである。また他人を不幸にするような不調和な願いは生じないはずである。私は今でも、きわめて現実的な気持ちでかかる国をあこがれる。しかし地上には人間に負わされたる運命がある。私はそれを知らなかった。私は今ではただ他人に呼びかけたいから呼びかけるのは浅いことを知っている。他人に無用意で働きかけたことを後悔している。それは自他の運命を損うたからだ。それはじつに私の罪――過失であった。そういうことを許して貰えるなら。しかし過失もその報いから免れることはできない。見よ私も、友も、彼女も、妹も、みなその報いを受けている。それは償われなければならない。私はゆるしてくれよといいたい。しかし地上の禍悪はおもに人間の過失から生ずるのである。いったんの過失が永い悲哀をのこすのである。人間はやはりみな本来は神の子であるらしい。がただ悪魔に魅入られている。みずからたくらんで他人を傷つけるような悪人はそういるものではない。しかし地上の約束を知らない無知を悪魔に乗ぜられるのである。そして自他の運命を傷つけるのである。善良な人間の犯す罪はほとんど過失といってもよい。過失だからとて責任を免れることはできない。現に自分の前に自分のために傷ついた人がいるとき過失だからとてみずからを責めずにいられようか? あわれな子守が愛している幼児を負うて溝に転んだ。子供は片輪になった。大きくなってもお嫁にもゆかれない。その報いはいつまでも続く。たといその児はゆるしてくれても、子守の心は一生傷つくであろう。それに恐ろしいことには一人の運命が狂い出すと、その周囲の人々の運命が共に狂い出す。罪は罪をはらみ、不幸は不幸の因となる。私は仏教の「業」という思想を深いものと思う。私らの不幸なのも、祖先が積み重ねた罪や過失の報いが深い因を成している。アダムとイブの過失から人類の運命が狂い出したという聖書の原罪の思想には深いグルンドがある。私たちは過失を恐れなくてはならない。けれども最も恐ろしいのはその過失がみずから気のつかぬような深所に、しかも道徳的な仮面を被って、自分の反省の届かない域に潜んでいるときである。それを見いだすのは知恵の深さに待たねばならない。聖人とはかかる知恵の深い人のことであろう。昔から悪魔が聖者を試みたときにはかかる一見道徳的にずるい方法を用いているのでもわかる。私らはみずから気のつかぬのみか、善と信じてしたことが、知恵の足りないために、かえって他人を傷つける結果となることが多い。かかる過失は心の純なイデアリストがかえってしばしば犯すものである。そして最も深い過失である。私らは何ゆえにかく過失にみちているのであろうか? この問題を考え詰めるとき、深い問題の場合にはいつでもそうであるごとく、ここでも私らは永遠な、宗教的意識のなかには入り込む。思うに私らはナイーブなままでは善くあることはできないらしい。私らのけたる「生」のなかには、すでに「善」の芽と「悪」の芽とが混じて生えているからだ。私らはそれを感別する知恵で明るくエンライテンせられなくてはならない。そしてその知恵に目醒めるまでには、人間は多くの苦い杯を呑むさだめとなっているように見える。なぜ私らの生命のなかには二つの相そむく要素があるか? これはじつに恐ろしいことである。その理由は私にはわからない。おそらく造り主の知恵であろう。ほむべき造り主はそのなかにかえって深い愛を蔵していられるかもしれない。私らは純な、人間らしい願いを振りかざして事実に向かうときに、その願いに対抗して働く力にぶつかってその願いが崩れる。成就しなければならないはずの願いが裏切られる。「すべてのものを失うことによって人は象徴を信ずるようになる」とアンドレーエフは言った。一心こめたる願いが滅ぶときに人間は運命を知るのである。モータルとしての運命を。あの親鸞聖人のように。その後は「善」と「悪」との問題はつまり運命と知恵との問題となる。本能の愛から脱した慈悲心が初めて出発する。人間は涙に濡れた顔を回らして初めてまともに天に向くのだ。
 私自身について語れば、私は淋しい恋をした。それは純な、一すじな、かつ公けなものであった。けれども私は裏切られた。そして深い心の傷と癒えざる病とが私に残された。そのとき私は人生の寒冷をしみじみと感じた。そして他人に依嘱した生活のもろさと、求むる心のはかなさとを知った。私はもはや他人の愛は求めまい。私自身のなかに独立自全な生活を建てようと企てた。私のこれまでの生活の破産の原因は他人に求めかつ働きかけた点にある。ゆえに私は他人との接触を断って私自身のなかに閉じこもらねばならぬと考えた。この心持ちのなかには人間に対する反抗心とミスアンスロフィックな感情が含まれていた。そのとき私を惹きつけたのは中世紀風な、隠遁いんとん的情趣であった。淋しい海べの旅館や、沼のほとりの離れ家に、人を避けて静かに、書物を読みほとんどにぎやかな人里へは出なかった。私はたまたま街に出ても行き遇う人はみな卑しく、恐ろしく感じられた。「あの品の好い紳士は、あれで心は残酷で、けちくさいのだろう。あの百姓は単純そうに見えて、本当に嫌にしつこくて貪欲どんよくなのだろう。あの娘は美しいけれど、あれでいざとなれば恋人を捨てるんだろう。あの奥様はしとやかに見えるが、あれで娼婦のような性質が隠れているのだろう。私はおまえさんたちに愛を求めるほど弱くはない」私はこのようなふうに考えた。そして急いで隠れ家に帰った。水辺にあしなど生えていた。夜となれば燈火をかかげて、トマス・ア・ケンピスや、アウグスチヌスなどを読んだ。Don't trust to man, but believe in God, と聖書には録されてあった。「汝ら心の貞操を保たんとならば人を避けて、静かなる処に隠れよ、けっして出づるなかれ。汝もし外に出で、人と語りて帰るとき、必ず汝らの心荒らされて『汚れ』たるを見いださん」とトマス・ア・ケンピスは教えていた。O, Gott, du liebest ohne Leidenschaft! とアウグスチヌスは祈っていた。ときどき夕ぐれなど人懐しい心に惹かれて街の方に足の向くときには私は自分を叱った。「おまえは何を求めに街に行くのか。人の愛か、女のなさけか? おまえはそれを求めて失敗したばかりなのに」。そして私は心を堅くして refuge に引き返し引き返した。
 けれど、かような生活は、博いまともな道を歩きたいという私の本来の願いと相容れるものではなかった。かような隠遁生活には反抗心のつくる無理がある。公けな心はその無理を発見する。そしてもっと素直な道を求めずにはおかない。私の心の内には素質としての人懐しさがある。その願いは外に出道を求めずにはおかなかった。私は反抗心の和らぐとともに、独りの生活に寂しさを感じだした。私は遠くの友には、かえって前よりしばしば手紙を送った。ことに女の友には、「私はもはや女の愛を求めようとは思いません」と書かねば気が済まなかった。けれどかく書き送る心の底には微妙な訴えのこころが含まれていた。そのときこの人懐しさのほかにもっと強く正面から私の退隠生活を破る原因となったのはドストエフスキーと聖フランシスとであった。ドストエフスキーはシベリアの牢獄で荒々しい、残忍な、しつこい人々の間に交わりつつ、いかにそれを耐え忍んで愛したであろうか。ことに感動すべきは彼らから排斥せられたときに、みずからを高くし、軽蔑の心から孤独を守らずに、心からそれを辛きことに思ったことである。それを辛く思えたのはドストエフスキーの博さとへりくだりとである。またフランシスは隠遁して神との交わりにもっぱらになろうとの願いが高まったときに、それは悪魔の誘惑として、その願いに打ち克つように祈ったというではないか。私は退隠するのは強いことと思って、市に出たい、自分の心を叱ったのに、フランシスは退隠するのは弱いこととして、山に隠れたき心を鞭打っている。そこに私の心のエゴイズムが日にさらさるるごとくにあらわれているではないか。ドストエフスキーのような場合には、愛を求むる心はけっして弱いとはいえなくなる。またたとえ愛を求むる心は弱くとも、愛を求めずに与うる心で市に出でるのはもっと強いことである。愛が強くなればそうせずにはいられぬはずである。私は高慢で、エゴイスチッシュであった。私はどのような嫌な冷淡なしつこい人間とでも忍耐して交わらなくてはならない。
 私は退隠生活をやめようと決心した。その頃私はまた病気が悪くなって、旅の病院に入らねばならなくなった。そこで私は手術の苦痛をこらえつつ、長い月日を送らねばならなかった。私はその頃の私の生活を、めで慈しみつつ思い返さずにはいられない。心はかなしみと忍耐に濡れて、親しい静けさを守っていた。「ドストエフスキーのように」というのが、その頃の私の生活のモットーであった。そこで私は触れ得るかぎりの人と触れ、彼らをことごとく隣人の愛で包もうと努めた。他人の争いの仲裁者となったり、病める青年を慰めたり、新聞売りの老婆や、飯焚めしたきの小娘や、犬やをもいたわり愛した。また卑しい仕方に私をもてあそぼうとした一人の少女にも、少しの怒りをも漏らさずに、かえって彼女に赦しの徳を説くこともできた。私の生活は、ここで、まれな静けさと、調和とをて落ちつくように見えた。そしてみずからも天の甘美と、遠い平和とにあずかるような心地がした。けれどもそれは、たまたま運命に許されての、偶然な恵みにすぎなかった。運命にこぼたれぬ確かな平和はまだその影をも私に示しているのではなかった。病院生活の終わり頃に、私はまた一つのできごとに試みられて私の生活法を代えねばならなくなった。私は一人の社会的に身分の低い女に恋された。私は牧師や、伯母の注意があったにもかかわらず、キリストがサマリアの女と井戸端で語った例などを思い、どのような人でも愛を求めてくるものをしりぞけてはならないとて、この女とも公けに交わった。私はこの女をもナハバーリンとして交わる気であった。けれどもさまざまの紛糾の末に、その結果は女の心に悩みの種をき、みずからの心の平和を乱し、周囲の人々に煩わしさと混雑とを被らせることに終わった。このできごとは私に深い反省を与えた。私は自分の理想と器量との間に考察がなければならないことに初めて気がついた。「いかなる人々をも愛して交われ」という教えは正しい。この教えを生かすのは耶蘇の器量である。しかし器量の小なるものはこの教えを生かすことはできない。サマリアの淫婦に話しかけた耶蘇には、彼女を説服して神の国の民となす力があった。しかし私は一人の婦人の運命を傷つけたのである。私はそのときから自分の力がひどく気になりだした。ある人と接触する前に、その人を幸福にし得る、少なくも傷つけないとの自信がなくてはならない。その自信なくして他人に働きかけるのは、たとい与うるの愛に燃えているとも、運命を畏れざる軽卒である。おそらく何人といえども、この反省の自分の行為の前に横たえる溝渠こうきょを越えることは容易ではあるまい。私の足はぴったりと止まった。私には自信がない、一人の人間、一羽の小鳥でも、触れて傷つけないとの自信はない。「一人の小さきものをつまずかすよりは、石臼いしうすくびに懸けて、海に沈めらるる方むしろ安かるべし」と聖書には録されてある。私は苦しくなった。私は愛すことと、その愛を働きかけることとの間に峻しい障害を感じだした。私はある人が「あなたは善い人間だが、ただちに人のふところの内に飛び込んで中を見ようとするから、本能的に心の扉を閉じたくなる」といったのを思い出した。またある女が「他人がアクセプトしないのに愛したがるからいけない」といったのを思い出した。私はますます解らなくなった。私は考え出すとほとんど手も足も出ないほど不自由をきわめてくるのを感じた。そのとき私は親鸞聖人の心持ちがしみじみと仰がれる心地がした。聖道の慈悲では「心のままに助けとぐることありがたき」ゆえに「この慈悲始終しじゅうなし」と見て取って「いそぎ仏となりて心のままに助けとぐるべし」と浄土の慈悲に入られたのである。「念仏申すこそまことに末通りたる慈悲にてや候ふべき」というのはじつに深い心持ちである。心の内で愛すことはできても(それもおぼつかないのであるが)その愛を働きかけることは、他人の運命を傷つけずしては至難の業である。愛はどうしても念仏に深まらねばならなくなる。私は祈りの心をしみじみと感じた。私たちは真に愛するならば、隠れて祈るよりほかに道はない。すでに働きかければ他人を損じるのである。ここになって私は初めて真の隠遁の根拠を見いだしたような気がした。「おまえさんみたような人らとは」というのでなく「私みたようなものは」と感じて退くのである。「求める気はありません」というのでなく「与えることができないのみか、傷つけますから」とて隠れるのである。隠れても他人の祝福を祈るのである。そこにはもはや高慢とエゴイズムとの影はない。私は昔から聖者たちの隠遁は、かかる種類の隠遁であって、私の前にしたごときエゴイスチッシュな退隠とは全く異なっていたのであろうと察せられる。ここまできて私は永くためろうていた。このような隠遁はその心持ちはしみじみと解るけれど、どうも私の素質のムードとしっくり合わないのである。私の心の内に天与の人懐しさがある。他人と何ものかを分け持ちたき願いがある。他の生命と触れたい心がある。その願いはどうしても悪いものとは思えない。いな人間性の主要な部を成しているものである。その願いが外に道を求めることができなくては人間の生活の材料がなくなる。人間はみずから気がつかなくとも、じつは大部分愛で生きている。他人を内容として生きている。その接触がなくなれば死のごとき空虚が残るのみである。それでは生きている空がなくなる。私はいかにしても孤独というものは、究極のものとは思われない。もっと博いヒューメンな人間性の願いの許される生活が本道でなければなるまい。それに達しないのはどこかに思索に深まり方が足りないからであろうと思われた。とはいえ働きかけることは畏ろしいことである。私はその中間でうろうろしていた。そしてうなされるような晦滞かいたいの感に責められていた。その間にも文化は日に混乱のなかに陥り、ことに道徳的な世界は紛糾を極めて、まれなエゴイスチッシュな時代はますますその度を高めてゆく。モーラリッシュな素質あるものは、ものをいいたき心をいどまるるようなことのみ起こってゆく。今日は沈黙することのじつに苦しい時代である。じっと見ていると咽喉のどもとまで言葉がこみ上げてくるような気がする。ことに自分がさまざまの不幸にって心がれ輝いているときには、同胞に向かって呼びかけたくなるものである。しかし自分には同胞の運命を直くするほどの実力があるのではない。るるところのものを幸福にするだけの器量があるのでもない。しかし黙って祈ってのみいるには堪えられない。しからばどうすればいのであろうか。私は考え悶えた。自分のうちに円熟するまで働きかけるのを待つならば、いつまで待ってもそのような時期が来べしとは思われない。ついに「いまだ画かざる画家」となり、「いまだ説かざる説教者」として終わらなくてはならなくなりそうである。なんとなれば真理といい、力というものは一時にその絶頂に達し得られるものではなく、その内容を少しずつ体験しながら、しだいに aneignen してゆくものであるらしいからである。かくのごとくしてついに同胞とその苦しみや、喜びを分け持つことなしにみずからの切り離された生活のうちに蟄居ちっきょするのが知恵ある生活であろうか。また祈りの心持ちのなかには深い実践的な気持ちが含まれている。祈りとはむしろ実行精神の最深なるものである。「愛児の病気のなおれかし」との祈り、よもすがら病児の枕頭に侍して、身も心も疲れた母の心に起こる切願である。黙祷に対して「体祷」というようなものが真の祈りである。また隠遁しても、絶対的に他人に荷を負わすことなしに生きることはできないのである。むしろ他人の喜捨のみで生きるのが真の聖人の生活であるらしく思われる。かく考えてくれば私はどうしてもここで地上の約束、モータルとしての人間のさだめに触れずにはいられない。すなわち互いに傷つけずには生きられないのである。宗教心とはこの恐るべきさだめの内にかえって造り主の愛を見いだす心をいうのであろう。そこで私は考えた。私は高い処にみずからを置いて説教しようと思うから、発言することができないのである。人々とともに歩め。ともに真理をきわめ、ともに徳を積め。「共存者よ、私はかく感ずる。御身はいかに考えるか。善いところがあれば用いてくれ。誤ってるところは教えてくれ。私を愛してくれ。私は御身を祝する」とこういう態度で話しかけたらどうであろう。それでも他人を傷つけないと保証することはもとよりできない。おそらく傷つけもするであろう。そして自分も傷つけられもするであろう。しかし絶対的に他人を傷つけないということができないとすれば(できねばならぬはずだが、人間はその方法を知らないように見ゆる)その傷害を同胞の愛をもって互いに赦し合うたらどうであろう。それでも互いに働きかけないよりかはるかに人心の願いに適うのではあるまいか。「われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」と耶蘇が弟子たちに「かく祈るべし」と教えられたのもそのこころではあるまいか。私は教会で人々と共にこの祈りを口に唱えるとき、いつも涙がこぼれる。一人で祈るときにはそうでもないが、人々と共に祈ると涙がこぼれる。平生は互いにののしり合い、傷つけ合うている人間同士が、日曜に一度神の前に出て互いに赦しを乞うているのだと思うと、私はなんともいえない感動をおぼゆる。そして祈りは密室の黙祷でなくてはならぬとよくいうけれども、ピープルとともに祈るのは別な深い意味があって、そこに教会の存在する根拠がありはせぬかと思うほどである。私らはともに生きているのである。共存の意識は個存の意識より浅いものではない。みずからを一段高く置く態度はとうてい相対的のものである。「あなたはそれで私を傷つけませんか」と小さきものに念を押されたときなんといって答えようぞ。かの耶蘇の生涯といえども、その疑いから免れることはできない。耶蘇はおそらく旧約を読み、また永きユダヤの伝説から、自分をキリストである、すなわち人間とは本来ひんを異にせる神の独り子なる贖主あがないぬしと信じたのであろう。彼の高き権威はそこから出ているのである。パウロの権威と耶蘇の権威とは程度の相違でなくして、品の差異である。私は耶蘇の特殊の伝説的地位でなくして、耶蘇のごとき権威をもってものをいうのは間違いであると思う。パウロの権威は私に理解できる。しかし耶蘇の権威はいまの私には不思議というほかはない。神と被造物との間には絶対的の区別がある。聖者は神でなく被造物の最大なるものである。それは人間性の超越ではなくして完成である。そこにはまだモータルとしての制限は残ってもよいのである。私らが被造物としての境を守るならば、「兄弟よ、私も間違うけれども赦してくれ」という態度をとらねばならぬ。その方が合理的であるのみならず、良心の前に安らかである。私はその態度になって初めて他人に話しかけ、働きかけることが、みずからに許される心地がする。かくて後たとい互いに過ちをつくろうとも、祈りと赦しとによってその過失からかえって互いに結び付け、富ますこともできるのである。私はこの後他人に働きかけたいときにはかく思おうとおもう。「私は今この人を傷つけるかもしれない。しかしいま傷つけないからといって、それで私はいつも傷つけないというのではないのだから、できるかぎり気をつけて働きかけさして貰おう。神様私が誤りませぬように守ってください。兄弟よ、許してくれ」と。みずからを高しと置くも、兄弟と置くも、実力だけのことしかできず、また実力だけのことはできるのである。しかし兄弟と置かなくては uneasy である。今の私の器量ではこの祈りの心と赦しを求める心とに支えられて、他人に働きかけるよりほかに知恵を持たないのである。もっと深い態度があらば、私は切に教えてほしい。
 私はかような態度でこれから私の心の内に積っている感情や、願いや訴えを同胞に話しかけたいのである。私はそれらのものを共存者と公有していることを信じる。なんとなれば私の悩みや願いはもはや私のものとしてそれらであるというよりも、人間としての公けなるものばかりだからだ。その点において永遠性と普遍性を帯びて万人の心に触れるはずである。たとえば「何ゆえにこの世にはさまざまな禍悪ユーベルがあるのであろうか」というような悩みは私の私有であろうか? 私は、私としてでなく、人間として、公けに悩んでいるのである。私らはかく悩むときに、その悩みを同胞と分け持ちつつあることを信じることができる。そして深い共存の感じがする。私はさまざまの不幸のなかに涙して生きている。人生の永い悲哀に触れて心は濡れて輝いている。一人の人間がいかに忍耐して、強くまともに生きているかは他の人間の力となり、慰めとなる。私はしみじみと語りたい。安否を兄弟にたずねたい。みんなみんなしあわせに暮らしてくださいという気がする。
(一九一六・一一)
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 本道と外道

 人間の精神生活の目的は成仏する(昇天する)ことである。かく願うことはわれらの現実の弱小じゃくしょう醜穢しゅうわいなる心的状態を省みるとき、あまりに誇大なるごとく見ゆるけれども、私は願いはいかに大きくても大きすぎることはないと思う。願いそのものさえ純粋であるならば、いかにみずからは小さく卑しくとも願いを立てることは傲慢ではないと思う。いかなる人もいと高く遠きところに向かって願いを立てねばならない。けれど願いは大きいだけおそろしい。法蔵比丘ほうぞうびくの超世の願いは思えば想うほど畏ろしい。その願いを遂げるための水火の中での数えきれないほどのあの苦行を思うときに。今や善き人の仰せをうけたまわって十字架を負わずしてこの大願を成就する不思議なる道を示されたとはいえ、われらが真にその道の上に立ちその道を安定して歩むことを得るに至るまでには、われらの前に横たわってわれらの歩を阻むつまずきの石が多いことを感ずる。それらの石は外部の誘惑においてよりもわれらの内面、われらの思索、その思索を動かすわれらの考え方デンケンスワイゼそのものの中に置かれたるものが最も危険である。それらのあるものはわれらの注視によってのみはじめてその所在を発見し得るほどに見いだしがたく潜んでいる。すなわちわれらの思索を彼岸に通ずる本道より誘うて、まことしやかにそれを輪廻りんねに「迷行する外道げどうに」導くものがある。いま私は私自身の内面を検査してそれらの外道を発見し、わが道を直くし、わが歩をすこやかにすることを企てたいと思う。

     一 調和の信仰について

 私らは世界に生きている。そして生きているがゆえに、ただそれのみでわれらの生は善きものである。世界は調和したものでなければならぬと信じなければならない。われらは心を空しゅうしてわれらの生命を内観し、この世界の真景を熟視しなければならない。そのとき正直に、一毫いちごうも回避せず、悪は悪として見ることを恐れてはいけない。世界はいかに悪と不調和とに満ちていることよ。何人もそれを認めないことはできない。しかしながらこのとき生命を厭い、世界を呪うは外道である。本道はこの見ゆるところの悪と不調和との奥に、善と調和とを求むるところにある。堪えがたき悲哀と無常とのなかにあって、しかも生を呪わないところにある。多くの厭世観はそれが厭世観であるゆえのみに誤れるものといってよい。そのためには私は世界をこの現われたる世界のみに限ることができなくなってもいい。死後の生命を立てなければならなくなってもいい(実際にオーソドックスの宗教はそれをなしている)。われらの生命がよく、世界は調和したものであることを信ずるまではわれらの思索は停止してはならない、この世の悪を見ることの鋭くして正直なるものが、厭世観に留まらないならば必ず宗教心のなかに入るであろう。宗教的な人とはこの調和の信仰を捨てることのできない人のことである。絶対的の暗黒観を立てんとするある種の芸術家はきっと外道に立っているのに違いない。われらが闇を闇として安んずることができるとうるのはきっとみずから欺いているのである。われらはその本性上光を愛するものである。悉皆しっかいのものみな仏性を帯びているのに相違ない。われらは真にみずから欲するものを欲するといわなければならない。自己の本願を欺くものは外道である。ほとんどすべてのものを否定した勇猛なる親鸞もついに救いそのものを否定することはできなかった。これをしも否定するとき人間はもはや鬼である。すでに人間としての性質を失えるものである。年老ゆるごとにいよいよ深くこの世の悪を知り、しかもいよいよ高きところに光を求めた親鸞は真に人生の本道を歩んだものである。私は厭世観には直接な、きわめて実感的な同情を持つ者である。私自身悲苦の間に呻吟しんぎんしているのである。しかし私はあくまでも光を求めたい。救いを信じたい。それはわれらが生まれたるかぎり必ずなくてはならないはずのものである。

     二 甘える心について

「人生にはさまざまの不調和がある。それを調和したい。けれど明日もし調和してしまったら変なものだ。やはり不調和のなかで苦しんで努力した方がいい」こういうことをいう人がある。しかし私はこれも本道ではないと思う。われらは調和が欲しいのだ。そして現在の禍悪ユーベルが堪えがたいのである。もし明日調和になればこれにこした福はないと思うべきである。事実においてはそう思っても、調和にならないから悲しいのである。そして努力は不断に続くのである。けれど不調和の方がいいと思うのは外道である。そう思われるのは現在の禍悪に対する悲哀がまだせっぱつまった厳粛なものでなく、そこにある表象的な要素があるからである。その要素がそのようなことをいわせるのである。これを運命に甘えた思想と私はいいたい。これに似た考え方はことごとく人性の本道ではない。たとえばたとい死後に地獄があって永遠の刑罰にあずかろうとも私は罪を悔いようとは思わない、というような思想も外道である。これは地獄の火の恐るべき苦痛に甘えている。ひっきょう地獄はないと思ってるからかくいえるのである。ヴィジョンとして地獄を見るほど道徳的なヨハネやダンテのような人はその火から免れる工夫をせずにはいられないであろう。罪から救われたい人はただひたすらに救われたいほかはないはずである。今夜救われればそれにこした祝福はない。事実において長く迷わねば確実な救いは得られないかもしれない。けれど永く迷いたい、そんなに早く救われたくはないと考えるのは外道である。それはその救いを求める心の真実でないことを証するにすぎない。恋をする人はただひたすらに恋のまどかに続くことを願うはずである。失恋した方が深刻になると考えるのは本道ではない。その恋は虚偽である。ただとこしえにと願う恋がしかも失われたときに、われらは深刻な人生の味を知ることができるのである。もし恋してるときに失恋の悲哀を求むるがごとき享楽的表象的気分の混入せる不純なる人ならば失恋の後も深刻な悲哀を経験することはできない。私は病気になりたい、こういう空想的なロマンチックな気分を描いてその楽しい空気のなかに甘く浸って生きてゆこうとする人を私はしばしば見る。しかし病気をたのしむことができるのはたかの知れた熱病のときぐらいなものである。存在を危くするがごとき重患はほとんど甘える余裕を与えぬほど厳粛に迫ってくる。そのような甘える思想ほどわれらの真実の生活の侵徹力を妨げるものはない。われらはローマンスではけっして安息できない。クープリンの『決闘』のなかでナザンスキーがロマショーフの死を止めて生のいかに愛着すべきであるかを語り、生のいかなるものをも、悲哀をも苦痛をも愛着すべきものとして説くところは私の強い注意を惹いたところである。けれどナザンスキーのかかる生活はただ生そのものに対する宗教的感情においてのみ可能であると思う。ある人はこれを、ルネッサンス以後しだいに高まってきてあのベルレーヌやボードレールを産出せしめたところのイースセティシズムの絶対的享楽境であるというが、私はしか信ずることはできない。イースセティシズムにはある限りがある。享楽主義の成立することができない所以ゆえんは人生には享楽できないある種類の苦痛があるからである。すなわち道徳的苦痛はけっして享楽できないのである。罪の意識そのものはけっして享楽できない。罪を罪として享楽することができないために人間には救いが要るのである。罪の苦痛の烈しいモーラリストにとって享楽主義ほど不合理な生活法はない。なんとなれば彼らは深く深く生きてもはや彼らの生活の最大関心は罪の問題に集注するところまできた。そして享楽したくても不可能な切迫した内容ばかりで生きているからである。親鸞聖人の信仰を見よ。彼はいかに罪より救われたさにあせっているか。一刻も早くどのようなことをしてでも、この罪の苦痛から逃れたかったかが察せられる。「たとひすかされてゐるのでも仏の本願を信じ参らす」といい「ただ善き人の教へを聞いて信ずるより別に仔細はない」といいほとんど無理にでも一握のわらにしがみついてるほどにさえ見ゆる。ただ一条ひとすじに助けられたかったのである。苦痛や悲哀や不調和や罪そのものを選ぼうとする心は甘いでき心である。人生の外道である。運命を直視せよ。脅かさるるがごとく救いを求めよ。まっすぐに完全と祝福にあくがれよ。かくてもなおその願いのたやすく達せられざるがゆえにこそわれらの生活は苦痛にみつるのである。そしてかかる苦痛こそ「尊い苦痛」である。厳粛なる苦痛は求めずして来るべきものである。

     三 皮肉について

 かつて中央公論が文壇の諸家に「明治以来最も偉大なりと感ずる人および作物について」の意見を募ったときに多くの人々はそれぞれその思うところの作物と人物とをあげていたなかに私の特別注意を惹いたのはM氏の答えであった。氏はいわく「私は人間に対して偉大なりとの感情を起こすことのできないものである。かく思うだに滑稽こっけいである」と。私はこの言葉が強く胸に響いた。二重の意味において。一つは氏の感じに対する強き同感と、そして一つは烈しき反感とであった。いうまでもなく私は字句の末を捕えて論ずるのではなく、この文章を通じて現わるる氏の心持ちについて論ずるのである。私は氏が人間に対して偉大なりとの感じを持つことができないという心持ちに一種の同感を感ずることを禁じ得ない。人々は偉大という言を人間に対してあまりに惜し気もなく用いすぎるように見える。われらはその外面的事業の光彩にくらまされてはならない。その人の生の歩みとその生涯を通して現われたる、もっと適切にいえば生きられたる真理に目をつけねばならない。すなわちその人によって得られたる「ツーゲント」を見なければならない。偉大なりとの称号はただ聖人に対してのみ与えらるべきものである。ある種の才能の優越がいかに驚くべきものがあろうとも、この人と聖人とは厳格に区別されねばならない。世には才能に向かって崇拝しようとする人々があるが、私はかの英雄や天才をただ as such に崇拝する気にはなれないものである。もし聖人といわるべきほどの者がいるとすれば、私ははじめてその人を偉大なる人間とほめよう。けれど、はたして人間に(ことに今の世に)聖人と呼ばるるに価するものがいるであろうか。M氏はいないと思うのであろう。私はその点については口をふさぐ。しかし見回す限りにおいて人間はあまりに小さく醜い。人間はいかに大きく見えても人間としての卑しさと弱さと醜さをもっている。業報によって生死の世界に生まれ出でたるものとしての制限を持っている。仏を憶念するに馴れたる心を持って人間に対するとき、ことにその醜さが際立って見える。しかもその醜き人が誇り顔に、自己の偉大をてらうがごとくにしてわれらの前に立つときにわれらは一種の皮肉なる感情を挑発さるる誘惑を感ずることを禁じ得ない。しかし私はその誘惑に身を任せてはならないと思う。そこに微妙なる、しかしながらきわめて重要なる本道と外道との分岐点があると思う。私は事物の真相を見るに鋭利にして鍛練されたる目を有する人が、皮肉に傾く過程には無限の同情を表わしはする。私自身も絶えずその誘惑を感ずるのである。しかし私はM氏の「かく思うだに滑稽である」という一句に深い遺憾を感ぜずにはいられない。(一種の同感を持ちながら)ここに氏の生活と作物とを私にとってきわめて不満足なる今日の状態に導きたる外道がある。私はかつて熱心なるキリスト者として洗礼を受けた氏のことを思うときに、一度はその若き心を領したる霊感の(氏はその経験に対しても皮肉な感を持っているのであろうが)迷行したことを不幸に思う。われらの心を真直にせよ。何ゆえに人間に対して偉大なりとの感を起こす能わざることが滑稽であるか。この悲しくして、痛ましく、また羞かしき事実が! われらの親は餓鬼がきのごとく貪欲に、われらの友はきつねのごとく奸譎かんきつに、しこうしておのれみずからは猿のごとくに婬乱なることのこの不幸なる自覚が! ただ悲しと思うべきである。むしろ恐ろしとさえ! しこうしてわれらの現実はかく醜くとも、われらの想像力が描き得るところのかの瓔珞ようらくを頂ける聖き人の像を仰ぐべきである。みずからその像に似んことを願うべきである。宗教はその願いの成就すべしとの約束(心証)である(私の考えではの世において)。それは夢であろうか? 親鸞はその夢を追うて九十歳まで遑々として生きたのであろうか。M氏は三十にしてすでにそれを捨てたのに! 私はここでもまた口を緘ぐ。なんとなれば私の心証はそれが夢でないことを宣言するほどいまだ熟していないから。しかし宗教的感情は若さや、世相に対する鈍感や、頭脳の簡単なることなどによってわずかにその情熱を支持さるるがごときものではけっしてない。ある人々にとってはそはじつにたとえば食欲のごとく稟在的なものである。われらは年老いて世相を見ることいよいよ複雑に、悪を知ることますます鋭く、しかも多くの不幸に打たれ、なおかつ、いよいよ深き情熱を示したる宗教的先人をわれらの祖先に持っている。近代もまたトルストイのごとき人を持っている。われらの人生を見る目はただあくまでも濡れ輝かねばならない。人生の真景はかかるひとみにのみ映ずるのである。皮肉な目には真実相は映らない。皮肉になるときわれらの心はもはや「徳」の中に成長を止める。しかし皮肉になりたくてもならぬとき、あくまでも真直に濡れて悲しんで人生を見る人はぐっと進んで行く。皮肉はなんら積極的意義のない自殺的情緒である。耶蘇は人間の醜さや、偽善を知り抜いていた。けれど彼はそれに対して皮肉にはならなかった。ただそれを悲しみ、人間の「徳」を完成せしむべき道を工夫しようと努めた。他人に対してことにみずからに対して皮肉になってはならない。私は自分の醜さを平気で何の痛ましげもなく告白する人は真面目な告白者とは思えない。トルストイもコンフェッションを書くまでには幾度も躊躇した。みずからに対して皮肉になることは最も性質の悪いいわゆる Unpardonable sin ともいうべきものである。私はかかる問題を考えるとき、ある一つの深き宗教的罪悪というごときものの観念に導かれる。そして人間の運命には人間の私有物ではなく仏の分身なるがゆえに自己の生命に対する義務意識があるのではあるまいかというごときことが考えらるる。自殺したり、自己をのろうたりすることはあるおのれならぬものを犯すのではあるまいか。私は皮肉を最も嫌うものである。私の尊ぶトルストイやドストエフスキーの作のなかにさえその作を深く見せるもののなかには一種の皮肉の要素が混じているようにも見ゆる。けれど私は思う。それは確かにいいことではなかったと。漱石氏のごときも、その点は私は常に不満であった。聖書や『歎異鈔たんにしょう』のなかには皮肉の調子はどこにも見えない。仏の相のなかには不動明王のごとく憤怒の相があってもそれはただしき Indignation として慈悲円満の相の中に包摂できるかもしれない。けれど皮肉のみは完成せる像の相として許されまじき相である。

     四 純潔について

 完全と調和とを求める純な理想家であって、しかも事物を認識する鋭いリアリスチックな目を持っている人々がある。それは祝すべきことであるに相違ない。われらに人生の勝れた歩み方を示してくれる恩人はかような人々である。しかしかかる種類の人々のしばしば陥る一つの外道がある。それは人間の生活に一つのプログラムをつくることである。思えらく「完全と調和とはたやすく達せられるものではない。それは老年期に属することである。人生のさまざまな経験を経てこれを一つの光景として眺め渡すことのできるときにのみ可能である。それまでは迷わねばならない。深い迷行の後にのみ遠い完全な安息はある。さまざまな罪を犯した後に救いと徳とが得られる。ゲーテの晩年を見よ、ストリンドベルヒやトルストイの老年期を見よ」と。この考え方は深い真理を含んでいることは争われない。しかしながら人間は必ずことごとくかかる経験を取るべしと規定するのは独断であるように思われる。私みずからは上述のごとき傾向の性格に属するものである。私はそのために他人が年若くして信仰の生活に入れるのを見るときにはどうしても虚偽であるとしか思えなかった。青年にして酒を飲まず、女を求めざるものは浅薄な人々としか思えなかった。身を清く保っている人々はことごとく偽善者に見えた。そして迷わねばならない、疑わねばならないといって彼らを攻撃しさえもした。私自身は迷わざるを得ず疑わざるを得なかったので、今でも私はそれを無理とは思わない。けれど他人がみな私のごとくでなければならないであろうか。私はこの頃はしか思えなくなりだした。ある特別に恵まれたる人、選ばれたる人、業の浅き人々は初めより調和した性格と清き徳とを持ち得るのではあるまいか。パウロも「神はかたくなにせんと欲するものを頑にし、順にせんと欲するものを順にす」といっている。あたかも「陶土師は陶土をもて、ある器は尊くある器は卑しく作るがごとくに」被造物としての人間にも品の高下があり得るのではあるまいか。私はある若き外国婦人のキリスト教信者を知っている。その人の信仰は私を感服させるに足る深い美しいものである。けれどその人は小さい娘のときから敬虔な両親に育てられてまことに清らかな単純な成長を遂げている。罪に汚れずに、涼しくほがらかに暮らしてきている。私はその婦人のことを思うときにその生涯を祝さずにはいられない。もっと汚れてくればよかったのにと思うことはできない。さながら特別に神様に選まれて天の使たちに守られて育ってきたかのようである。私はむしろその婦人が死に到るまで清らかに、調和した、罪に汚されぬ生涯を送ってくれるように祈りたい気がする。私の迷いや煩悩ぼんのうについても細かに理解してはくれないけれど、それとは独立にこの人の信仰から私は深い知恵を与えられることがしばしばあり、この人の世界観が私のよりもしばしばより深く、精確であることを感じさせられる。私にはそのようにはなれない。その人の歩みは私の手引きになるにはあまりに手掛りがない。しかし私はその人の生活をアドマイアする。聖フランシスの生涯とトルストイの生涯を比較して見よ。フランシスは苦しむこと少なくして、トルストイよりもはるかに徳と知恵とのなかに深入りしている。私はフランシスの生涯を読んでも私の手本にするにはあまりに突然に調和しているので呆るるばかりである。いかにして私は聖フランシスのごとくになろうか。心憎くなる。しかるにトルストイの生涯を見れば私みずからの姿をまざまざと見るような気がする。恩師という気がする。しかし私はフランシスとトルストイを比較すればフランシスの方がたしかに人間として完成していると思う。けっしてフランシスをそのために軽蔑することはできない。フランシスのごときはわれらよりは、品の違った、特別に恵まれた、業の浅き人である。もしスエデンボルグのいうがごとく、天国にも階級のあるものであるならば、フランシスはトルストイより上座に着くであろう。そしてトルストイはよろこんで席を譲るであろうと思われる(かようなことはみだりに想像すべきことではないが)。私はトルストイの型の人間である。私は迷い、苦しみ、罪に汚れて、成長してゆくほかはない。しかしフランシス型の人があれば私は尊敬する。私は平民その人は貴族(精神的)と思おう。社会に階級があるのが不服なのはその階級が Tugend の高下に従っていないからである。私は聖人に頭を下げるのは不服ではない。トルストイはトルストイ、フランシスはフランシス、それで神の前にチャンと調和しているのではあるまいか。私はトルストイ型の人に深く同情する。しかしフランシス型の人を軽蔑するのは本道ではないと思う。人生の罪にまみれた後でなければ深い信仰は得られないのは多くの人々にとって本当である。しかし罪にまみれることはうれしいことではない。まみれずにすめばこれにこしたことはない。そのような人は最も祝福された人間である。私はその人を心から祝すようになりたい。私はかような意味において仏者がたてた種々の戒律を生かしたい。もとより戒律は宗教の本質ではない。しかし戒相を帯び得る人は祝福された人(あるいは業の浅き人)である。肉食妻帯はけっして真宗信者の特色ではない。肉食妻帯しても救わるるであろう。しかしこの戒律を守り得る人は恵まれた人である。戒相を帯びたるがゆえに真宗信徒でないことはない。法然上人のいわゆる「一人にて念仏申さるる人」は「妻帯して念仏申さるる人」よりも業の浅き人である。「何事も宿縁まかせ」にてこれをしいて固執することはできないけれども、身を聖潔に保ち得ることは望ましきことである。身におのずから戒相の備わる人は真に尊い人である。かようなことは小さきことであると私は思いたくない。罪はいかに小さくとも恐ろしい。親鸞聖人はその貞潔のゆえに、きっと法然聖人を尊敬せられたであろうと思われる。蓮照坊れんしょうぼうは信心決定した後も、敦盛を殺したことを思い出すごとに、胸を打たれたに相違ない。殺生や姦淫を予想する肉食妻帯について、あまりに鈍感になることは真宗信徒の恥辱である。
(一九一七、秋)
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 地上の男女
       ――純潔なる青年に贈る――

 肉体的要求を、ただ肉体的要求なるがゆえに悪しと見る思想がしりぞけられてから、近代の教養を受けたる人々は、官能の要求に多大の価値を認めてきた。しこうしてそれは正しき主張であった。けれども軽卒なる近代人は、近代の文化が一般にその上を迷いきたる外道に導かれて、多くの重要なる錯誤に陥ったように見ゆる。中につきても、私はその最も忌むべきものの一つとして、愛と肉交との問題を挙げずにはいられない。
 男女が肉体の交わりをなすことは、日本の在来の習慣(あえて道徳とはいわない)ではなんらかの形式において社会的公認を得たる夫婦の間においてのみ正しとされた。近代人はまずこの思想をこわした。私もこれに対してはなんらの異議も持たない。道徳は社会制度の規定より生ずるものではない。天の下、地の上に人間と人間とが交わるときに、われらの心の奥に内在する真理の声によって定まるのである。たとい夫婦の間に行なわるる肉交のみが正しとするも、(私はそれをも認めないが)そは夫婦なる社会上の規定にその根拠を持たずして、夫婦関係に特在するある事情がそれを許すのでなくてはならない。これに次いで来たるものは、恋愛が存在する男女間の肉交は正しとする思想である。この思想は新人の間に最も認めらるる思想であって、ここに私は主としてこの思想に対する私の疑点を述べたいのである。このほかになお一般に絶対に肉交を是認する思想がある。その唯一の理由は肉交は人間の自然に与えられたる生理的要求であるからであるというのである。しかし、それは道徳とは何の関係もない、単に事実である。存在の法則から価値の法則を導くことはできない。単に要求といわば、人間のすべての行為は形式上要求の充足である。いかなる行為も十分なる動機の充足律なくして生ずるものはない。けれど道徳はそれを善しと見あるいは悪しと見ることができる。ドイトリッヒにいわば、人間のあらゆる要求をばことごとく悪しと見ることも可能なのである。さて、愛があれば肉交をしても善いという思想はどこにあるのであろうか。それは愛を善しと見る、しこうして肉交は愛の必然的結果であるというのである。おもえらく、生命は第一に精神と身体との無関係の別個の両存在ではなく、この二者は一如である。一つの全体としての生命の二つの顕現である。肉体は精神の象徴である。一つの全体として生命を内観すれば精神であり、外より官能を透して知覚すれば身体である。ゆえに内にありて心と心との抱合は、外にありては肉と肉との抱合である。愛が最高潮に達せるとき、それを外より見れば肉交となる。すなわち相愛の男女の心と心との抱合を象徴するがごとき肉交は善いというのである。かつて私はこの思想を信じた。そして私は単に肉交を許さるべきものとして要求したのでもなく、また性欲に圧迫されて要求したのでもなく、じつに二人の恋を完全なるものとなすには肉交しなければならぬと信じて肉の交わりをせんとした。すなわち完全なる恋は生命と生命との抱合すなわち霊肉をもって霊肉と抱合せねば虚偽であると考えたからである。けれど私は今はこの思想を疑っている。そしてときどき私はそのときのことを考えて羞恥と後悔との念に打たれる。そして私はかかる立ち入った問題に触れるのは好まないけれど、今の多くの青年はおそらく私がかつて考えたごとくに恋と肉交との関係を考えていることと思い、そしてこの問題はことに痛ましき切実なる問題であると感じるゆえに、再考を乞いたいために、少なくともここに一人かつてはそれを信じ、今は疑うてる人間がいることを知らしめたいためにこの文章を書くのである。結論を先きに掲げれば、私は肉交は愛の必然的結果ではないと思う。いなむしろ肉交は愛と別物なるのみならず、愛の反対である。もし愛を善しと見るならば、肉交は悪しきものである。互いに愛する男女はけっして肉交してはならない! と私は思うのである。かく考うるに至れる心的過程を次に述べてみる。
 第一、生命が精神と身体とに区別できないという説には私もうなずく。けれどこの唯物論と唯心論との調和は、キリスト教的の霊と肉との調和とは別事である。聖書の「霊」とベルグソンの『物質と記憶』の「精神」と、および聖書の「肉」と『物質と記憶』の「身体」とは異なる概念である。たとえば後者では意志は精神であっても、前者では霊でもあり、肉でもある。聖書の霊肉は精神作用の二種である。後者では性欲は精神であるが、キリスト教的には肉である。物心一如論はただ性欲と肉交との間には象徴的関係があることのみを主張する。けれどそれが善いとか悪いとかを主張するのではない。聖書に拠れば、性欲は悪い、ゆえにその象徴なる肉交も悪いのである。すなわち、キリストによれば性欲と肉交とは初めより終わりまで肉である。そのどこにも霊はない。
 第二、肉交は愛の象徴ではない。肉交はなんらかの精神的要素の象徴であるに相違ない。しかし愛の象徴ではない。「内より見れば愛、外より見れば肉交」という関係は成立しない。私は肉交が性欲の象徴であることを認める。けれど、愛の象徴であることは認めない。換言すれば二人の愛が高潮したときには、その愛の肉体的表現が肉交にはならない。あるいはその肉体的表現としては抱擁して泣くかもしれない。あるいは互いに充実して沈黙するかもしれない。その他のいかなる表現をとることもあろう。しかし肉交にはならない。肉交は愛の要求からは起こらずに、他の全く異なる要求すなわち性欲から起こる。肉交はその要求の象徴である。愛とは何の本質的関係もない。肉交の要求が生ずるときは愛の弛んでいるときである。二人が真に愛しているときは感謝と涙とにはなるが肉交にはならない。そして肉交しているときは二人は少しも愛していない。肉交の頂点にあるときは二人は全くなんの関係もなく互いを忘れている。この状態は心と心との抱擁を証していると誤まられる。そこに根本的の錯誤がある。
 第三、肉交のエクスタシイは愛のエクスタシイではない、肉交はけっして霊肉の法悦ではなく、キリスト教的にいわば肉のみの楽欲である。霊はあずかっていない。そのエクスタシイは男女が互いに相手の運命を忘却して自己の興味に溺れたるときに起こる。相手の運命と自己の運命とが触れるのではなく対手あいてを「物」とし「財」として生じたるエクスタシイである。心と心との接触ではなく、心と物との接触である、その相は生物と生物との共食いの相と同じ系統に属している。しこうして肉交の最も嫌悪すべきは、この恐るべき相を愛の絶対境と混同しあるいはみずから欺くところにある。愛の絶対境は犠牲であって肉交ではない。肉交はエゴイズムの絶対境である。ある人はいうであろう、すべての肉交がそうではない、強姦や買春の場合はそうであっても、相愛の人の肉交は愛のエクスタシイであると。しかしたとい相愛の人といえども肉交するときはけっして相手を愛してはいない。以上の提言は相愛の人の肉交についてなしたのである。ここに二人のあいびきしたときの場景を想像してみよ。二人は純粋に愛している間は性欲は起こらない。涙と感謝とである。けれどもその愛の少し弛んだとき他の全く異なれる要求がはたらき始める。そのとき愛と性欲とが混じてはたらく。したがってその愛は不純になる。そしてしだいに性欲がプレドミネートするに従って愛は退く。そしてついに性欲が勝をしめる。そして肉交になる。そしてクライマックスになる。そのときは全く愛はない。相手の運命などを考えてはいない。自己の興味――いな自己も与らざる自然力の興味に溺れている。私は不愉快を忍んでもっと鋭くいおう。たとえば相手の愛人がからだ具合が悪いときにでも肉交の要求は起こるであろう。もし肉交の中途においてある愛人の生命に危険をおよぼすごときできごとが生じても、肉交は終わりまで達しなくてはなかなかたやすく止められぬであろう。そのように相手の運命を恐れない状態がはたして愛のエクスタシイであろうか。霊肉の法悦として賛美さるべきものであろうか。「あなたのためなら死にます」という愛の没我とどこに関係があろうか。
 第四、肉交したために愛がインニッヒになるのは肉交の愛であることとは別事である。ある人はいうであろう。しかし肉交したる二人は肉交せざる以前よりインニッヒになるではないかと。しかしそれは必ずしもそうではない。肉交したためにかえってはなれる愛人もある。またインニッヒになったにせよ、それはあたかも互いに撲り合うた人間と人間とが、教会堂に並んで腰をかけて互いに触れあわない二人の人間よりも、インニッヒになるのと同じことである。肉交そのものは愛ではない、また肉交せねばインニッヒになられないことはない。もしも二人が運命と運命とを触れあわすならば、二人の醜いこと、苦しいこと、羞かしいことをも共生ミットレーベンするならば、肉交にかぎらずインニッヒになる。肉交すればインニッヒになるかもしれない。けれど、肉交そのものは愛の表現ではない。あるいは愛と性欲とをそのように切り離して考えることはできない、という人もあるであろう。けれど私はこの精神作用のなかに本質的な区別を感じわけることができると思う。私はいかなる場合にでも、夫婦の間でも、相愛の間でも肉交は絶対に悪であると信じている。「愛のない肉交はしたくない」この言葉はしばしば聞く。しかし愛があっても肉交してはいけないのである。これは因襲でも概念でもない。肉交そのものの経験より発する実感に根をおいての主張である。仏者が女人を禁じたのは肉交そのものが悪いからである。キリストがマタイ伝に「およそ女を見て色情を起こすものは心の内すでに姦淫したるなり」といったのはけっして道徳の理想として厳重すぎてはいない。キリストの思想を純粋に守れば性欲はいかなる場合にも悪だからである。ある人はそれでは子孫ができない、人類は絶滅するというかもしれない。しかしたとい人類が絶滅しても悪は悪である。あたかも他の生物を殺さなければ人類は絶滅するけれども、殺生は悪であるのと同じ理屈である。私は人生に二つの最大害悪ユーベルがあると思う。一つは肉交しなければ子供のできないことと、他の一つは殺生しなければ生きてゆけないことである。もし愛が善いものであるならばこの二つはどうしても罪悪である。愛を説く人は何人もこの説を容れねばなるまい。女に対して性欲を起こしているときには、その男の心は女を祝福していない、ゆえに罪である。およそ他の生命を祝すことは善で呪うことは悪である。女の運命に関心していない。そのときには愛していない。食おうとしているときの心に酷似している。その証拠には性欲を興奮させるものはすべて呪いを含む感情のみである。「この女は処女だ、私は初めてきよらかなものをけがすのだ。しかも私は昨夜は他の女と寝たのに」。かく思うとき性欲は興奮する。「この女は美しい弄具だ。男に身を任せるために生まれてきたようにできている」。こう思うとき性欲が興奮する。「じたばたしてももう私のものだ」。強姦するものは女が抵抗するだけ性欲が興奮する。猫が鼠を食う前に弄ぶときの心と、男子が自分の犯す女を肉交する前にいろいろ悪戯する心とは酷似している。すべての征服の意識は性欲を興奮させる。私は蛇が蛙を食ってるところを見ると性欲が生ずる。はなはだしきに至りては新聞で日本がシナを威嚇してる記事を読むと性欲が興奮する。その間にはある必然的な関係がある。しばしば手淫する人は、できるだけ惨酷な肉交を頭に思い浮かべなくては、性欲の興奮を感じなくなるという。これに反して女の運命をおそれているときの心には最も性欲が生じがたい、愛の純粋な喜悦のときは涙と感謝とがみちて、性欲は最も遠ざかっている。美しい感情には、それを証する感謝がなければならない、性欲には感謝が伴わない。体の交わりをした直後に抱き合って泣くこともある。けれどそれは性欲そのものの感謝ではない。純潔な男女がある異常な鋭い接触をしたために感動して泣くのである。肉交に慣れた男と女とがなんらの著しき感動もなく、いな快楽さえもなく、習慣的に肉交して、互いを辱しめたことも感ぜずに、なまけた、じだらくな心で寝入るありさまを想像してみよ。じつに忌わしき感じがする。何に馴れているのがいまわしいといっても肉交になれて、なんらのパッションもなく、できるだけ安価にしかしできるだけしつこくたのしもうとするときの心ほどいやなものはない。殺人と肉交とははなはだ酷似したる罪悪である。しかも肉交は殺人より、もっと質の悪い罪である。そして人間の魂は前者よりも後者においていっそうその品位を傷つけて堕落している。私はキリストが聖霊によりて、姙める処女マリアより生まれたという聖書の説話を誠にふさわしきことと思う(耶蘇を神の独り子とする福音記者の思想を純粋に守れば)。私は妻とともに伝道する牧師が、私は罪人であると告白することなしに純潔を説くときにはこそばゆいような気がしてならない。いやしくも愛を説く人はできるかぎり貞潔であることを努力すべきである。貞操という徳は二人以上の異性と肉交しないことのみではない。真の貞操は夫の所有物でなくして、神の所有物である。肉交そのものが罪悪なるがゆえに、貞潔は尊いのである。互いに恋する男女は肉交を避くべきである。そは自分らの恋を汚すものとして斥くべきである。かかる悪しき欲望が混じて働くこと自身がすでにおのれの恋の純でないことを証するものとして恥ずべきである。恋の本質はけっして性欲ではない。このことだけは私は確信している。しからば恋の本質は何であろうか。それに対しては私は他のすべての人性の深き願いについてと同じく、明瞭な答えをなし得ない。実際かかる問題は一生の問題である。いな、むしろ私の考えではそれはじつに「の世」に亙る問題である。造り主の計画! それは地上と天国とを併せて見渡し得る知恵者の計画に属することである。われら地なるものはかかる問題についてはとうてい探り足であることを免れ得ない。しかし不断に探り求むべきである。死にいたるまで。われらの思索とは地なるものダス・イルディッヒを機縁として、天なるものダス・ヒムリッシェの知識に達することである。その思索の動因はわれらの魂の願いと憧憬であり、その思索の器官はそのわれらに稟在する先験的願求がわれらの体験を素材として醗酵せしむる想像力である。かかる想像力によってのみわれらは天なるもののおもかげ髣髴ほうふつすることができる。かかる想像力が、恵みによって、照らされたるときこそ、かのヨハネやスエデンボルグのごとき宗教的天才の見たる黙示と称すべきものであろう。恋の本質は何か? そは深き深き問題である。いま私はその謎を解き得るとは思わない。ただ私の心に照らし出される、貧しい想像の形象を語るならば、私は恋は人間の原型を完成せんとする願いではあるまいかと思う。すなわち、造物主の胸の奥に人間の原型があって、地上の男女は各々それ自身では欠けたるものであり、その両性を渾融して、男性でもなく、女性でもなく、しかしけっして中性ではないところの一種の性を備えたる人間、すなわち原型としての人間(かかる人間が完全なる円相を備えたるものである)たらんと願うのではあるまいか。ある人々は全然性の差別を超越して、ただ人間としての人間になるように努力すべきであるというけれども、私はいま少しく深く考えたい。人間はすでに人間である以上、必ず男か女かである。その魂の本質まで性の差別がある。その差別は変ずることはできず、変じる必要はなく、また変じてはならないものである。その差別から性欲でない、性の願い――恋が生ずるのではあるまいか。「神初め人を男と女とに造りたまい」しゆえに生ずる恋がありはせぬか。万有の持っている差別相は一点一画といえども否定してはならない。かくするは造物主の意匠に侵入する冒涜だからである。恋のなかには一種の当為ゾルレンの意識がある。その意識は一種の道徳的意識といってもいい。私はかのダンテのベアトリチェに対する恋を思う。ダンテにとっては彼女はあらゆる徳の華であった。善の君であった。彼は恋のなかに善のイデアを見た。その恋は、天なるものの俤への憧憬と分かつことはできなかった。ミケランジェロのヴィクトリア・コロンナに対する恋のごとく、またあのペラダンの戯曲化したクララのフランシスに対する恋のごとく、純なる恋はわれらの「善くなろうとする祈り」と分かつことのできないものである。私はゲーテの「永遠の女性」といった心持ちを思う。またホウガッツァロの『聖者』のなかに描かれたる老牧師と少女との恋を思う。マグダラのマリアが耶蘇に対する心持ちを思う。またかの中世期に聖い、燃ゆるがごとき、けれど静かなる情熱となってあらわれた「聖母崇拝マリエンクルスト」の心持ちを思う。またかの観世音菩薩の男性のごとく、また女性のごとき円満にして美しき像を思い浮かべずにはいられない。かかる像に礼拝する心持ちと恋の本質をなせる心持ちとは酷似している。純なる恋の気持ちはじつに祈りの気持ちに近い。私のかかる思想はある人々にはおそらく愚かにまた空しく見えるであろう。しかし恋の涙と感謝とを体験したる人はたやすく肯くことができるであろう。恋の本質はかかる憧憬,願い、祈祷のなかにあって、けっして性欲のなかにはない。私はまだ肉交の経験なき純潔なる青年が、漫然たる霊肉一致の思想に甘やかされてその純潔を失うことをかぎりなく遺憾に思うものである。一度失った純潔はもはやけっして返らないからである。純潔な青年と、すでに女を知った青年とでは女に対する感じがまるで違う。いな、すでに肉交を経験したる者は真の意味ではもはや青年と称すべきものではない。青春ユーゲントの幸福はすでにその人を去っているからである。私はいまだ童貞なる青年が、肉交を、思想上においてジャスチファイするのを愚かだとは思わない。むしろ純潔なる青年が、その何ものをもきよく見る善き素質から、かえって肉交を肯定しやすいからである。しかしすでに肉交に馴れたる男子が、肉交を善しと見、そを童貞なる青年に説くがごときは私は恥知らずとなすものである。すでに肉交を経験しながら、なおその醜さを感じられない人は無神経である(もし真にインノセントな意識で肉交できる人があれば、私はその人を礼拝してもいい。その人は悪の種を生命のなかに蒔かれていない、清い清い人だから。ブレークやホイットマンのごとき人はそれに近い)。彼らはおそらくみずから欺いているのである。すでに肉交を経験したる青年が、処女に対して、平気で恋をしかけるならば、その人は厚顔である。私はかかる人が真実な恋をなし得るとは信じない。私はあのアンドレーエフの『霧』のなかの青年のことを思い出す。自分を「汚ない、汚ない!」といって、ついに恋をも打ち明けずに死んだ不幸な青年のことを。私はかかる青年を尊敬する。そして自分はさまざまの恥ずべき病にかかりながら、妻を選ぶときには、さもさも当然のごとくに、その処女であることを要求するがごとき男子を破廉恥となすものである。いまだ純潔なる青年は、できるだけ永く、もしでき得れば一生涯その純潔を保つことを努力すべきである。そして不幸にしてすでに純潔を失いたる青年は、そのことを常に恥ずべきである。常にその償いに用意したる心をもって女に対すべきである。私はかかる青年もまた真実なる恋をなし得るを信ずる。私はむしろかかる青年を今の世では普通の青年と思い、いまだ童貞である青年をば特別に天の使に守られた、恵まれたる青年と思っているほどである。すでに汚れたる青年は、もしすでに汚れたる女と恋に落ちるならば、まことにふさわしき運命というべきである。かかる場合にも真実なる恋は成り得る。かかる青年が処女と相恋するならば、そはまことにいたましい、むしろ恐ろしい運命である。しかしかかる場合にも真実なる恋は成り得る。しかし私はこの二つの場合とも、宗教を持ちきたらずしては、調和する意識に達することができない。ここで私は「地上の男女」ということを考えずにはいられなくなる。すなわち神の前に罪にさだめられたる男女を並べて立たせる――ひざまずかせることを! 厳密にいえば、いかに純潔なる男女も、すでに物心のつきたる以上は、心のうちに醜き死骸の堆積を持っているのである。「おお神様。私たちは汚れています。許してください。これからも汚れそうです。守ってください。身を清く保ち得るように力を与えてください」と祈る心持ちでのみ、恋する立場を与えらるるのである。恋の本質はけっして性欲ではない。しかし人間の恋には必ず性欲が混じて働く。そは何ゆえであるか。私には解らない。おそらく光には必ず影を伴わせ、善には必ず悪をからませ、天の使の来たるところには必ずまた悪魔をもともに来たらしむる造物主の特殊な技巧であろう。しかし善と悪とはあくまでもけわしく対立せしめられなくてはならない。ただ造物主の知恵の内においてのみその対立は包摂せられる。われらはけっして悪をみずからに許してはならない。たとい恋に性欲が伴うことはやむをえないことであっても、性欲を善しと見てはならない。いわゆる白道は善悪の区別を消すのではなく、越えるのである。その道に立って眺むれば、善悪の相はかえってますますはっきりと見えるに違いない。その意味において私はあくまでも善悪の二業を気にかけて生きたい。しからざれば浄土がわれらの心の内にひらけてこないからである。われらはできるかぎりの清さを現実に少しも頓着せずして、想像力のおよぶかぎり描かねばならぬ。それが地上において実現できるかいなかにかかわらず、かかる想像のイメージをわれらの理想としなくてはならぬ。その理想は絶対的に寸毫といえども低められてはならない。しこうして現実は少しの仮借かしゃくもなく、あるがままに認められねばならぬ。かくて天と地とを峻別し、しかる後にこそ初めて、天に昇る道は工夫せらるべきである。そこに宗教の微妙な問題が始まるのである。性欲はいかに避くべからざる生理的要求であってもあくまでも悪しきものである。恋するものは、その恋を尊ぶほどこの悪しき要求を斥くべきである。ある人はいうであろう。かく性欲を無視してはわれらの恋愛の要求は飽和することができないと。しかし私は性欲とは全然質を異にせる性のねがいがあるのではないかと思う。生物学的の根拠より発せずして前にも述べしごとく、「神初め人を男と女とに造りたまい」しゆえに生ずる、人間の型の完成の要求より発する性のねがいがあるのではあるまいか。しこうして恋の中の涙と感謝とはおそらくこのねがいから生ずるのではあるまいか。性欲から涙と感謝とが生ずるとは信ぜられない(肉交を経験するまでは私はそれを信じていたが)。われらの魂が深く清められ、天使的願望にみたされてゆくに従って、性欲はしだいに魂から退き体の交わりはなくとも、性の要求の飽和が感じられるようになってゆくことはあり得ぬことではなかろう。(私はあの古風なキリスト教の聖別きよめという宗教的経験を注意せざるを得ない)。創世記そうせいきによるもアダムとイブは楽園にいる間は体の交わりをしていない。キリストも「天国にあるものはめとらず、嫁がず」といっている。あるいは罰せられたるもののすえなるわれらには絶対的の聖潔に達することは不可能かもしれない。しからばこの理想を追うものは常に性欲の誘惑と、その欠陥より生ずる飢えとに悩まさるるであろう。しかれども、その誘惑と戦いその飢えを忍び、常に祈りの気持ちの中に純潔を保たんことを努力するならば、これこそ善くなろうとする祈りに伴われたる尊き恋である。いな、ときとして肉の交わりに陥ろうとも、そを悪として神前に悔い、「貞潔を守らしめたまえ」と祈りつつ清き交わりの完成せんことを努力してゆくならば、悪魔より放たれざる被造物としては清い男女といわれ得ぬであろうか。私はこの意味においてのみ「夫婦」というものを地上に許したい。かくて生まれたる子はかぎりなく美しく、愛すべきものであるけれども、かかる善からぬ原因により生をけたるものなるがゆえにその素質のなかにすでに不幸と邪淫との種を植えられているのではあるまいか。(私は仏教の「種子不浄」という語を思い出す)。かくて地をぐものは永久に催されつつ善を祈り求めねばならないのではあるまいか。これは見かけのままにてはいかにしても不合理である。しかし天上の知恵者はそれを合理的と考え得るのであろう。かく考え得る根拠と自信とがあるのであろう。私たちが地上を去ったときその秘密が解るのではあるまいか。
 純潔なる青年よ、諸君はあるいは私の言説をきわめて空想的となすかもしれない。それは諸君があまりに女に対して現実的なる先輩を持ちすぎているからである。天なるものにつきての考察を等閑なおざりにする近代の文化に毒されているからである。もし中世の人ならば私の言説を最も普通のこととして聴いたかもしれない。諸君の先輩の多くの人々はおそらく「女」をただ性欲の対象としてのみ取り扱っているであろう。比較的真面目にして、恥を知れる人といえどもおそらくおのれは女に囚縛せられざる容易なる位置に立って、女の発散する美しき気分を享楽する態度をとっているのであろう。かかる種類の人が最も多い。そして最も不幸なるは、かかる人々のなかには、かつては一度美しき、聖なるものとして恋に憧憬し、烈しき幻滅を経験して、恋のついにイリュウジョンにすぎざることを知り、女に対して貴き精神内容を盛ることを断念し、ついにただその色香のみを享楽することの最も賢きにしかざるを説くに至りしものの多きことである。私はかく推移する道程には実感的な同情を禁じ得ない。諸君がその言説に動かさるるのはもっともといってもいい。実際かかる人々は目に涙して、自分の捧げた情熱のあまりに清かったことを惜しみ、払った犠牲のあまりに高価であったことを嘆ずるであろうから。彼らがもはや地上に「永遠の女性」を尋ぬることに倦むに至れる愁嘆は諸君を動かさずにはやまぬであろう。しかししかしそこに本道と外道とのきわどい分岐点がある。外道は「女」を透して輪廻に迷行し、本道は「女」を透して天界にせりあげる。「永遠の女性」を地上に尋ぬるに倦みたる人は、すべからくそを天上に求むべきである。私はそこに恋と信とのつながりがあるような気がする。「永遠の女性」を求むる憧憬は人間の霊魂に稟在する善き願いである。その願いはついに地上では満たされないものなのかもしれない。しかしなぜそれゆえにこの願いを捨てねばならないのか? 何ゆえこの願いを墓場の向こうで成就させようと努めないのか。およそ人心に宿る願いはもしそれが善いものであるならばいかなる事障によってもあきらめてはならない。われらの生存に意味を与うるものはただそれらの願いのみである。それらの願いをあきらめてはもはやわれらの霊魂は死ぬのである。それらの願いをけっしてあきらめずに成就せんと欲するのが宗教的要求である。人々はあるいはいうであろう。「の世」の実在を信ぜずしては、これらの願いを持ちつづけることはできないではないかと。しかし私はむしろその反対に考えずにはいられない。これらの願いはあきらめられてはならないものであるゆえに、もしそれがこの世において成就しないものならば、必ず「の世」が実在するであろうと。かかる問題は「こころもち」の内的実感を離れては論議さるべきものではない。ただ私は人心の深き願いのうちに永遠性を実感するものである。その願いの死なざるものであることを信ずるものである。したがってその願いを大切に大切に守りつつ生きたい。恋は人心の最も深き願いの一つである。そして多くの尊い問題をその内より分泌する、重要なる生活材料である。しかもその意識のうちには、私の信ずるところでは、天に通ずる微妙なる架橋を含んでいる。ダンテの生涯はその最もよき手本である。私は純潔なる青年に、何よりもこの問題に対して重々しい感情を保たんことを勧めたい。女に対して早くよりずるくなることをいましめたい。かの「青い花」を探し求めたハインリッヒのごとくに「永遠の女性」を地上くまなく、いな天上にまでも探し求めることをすすめたい。しこうして「いつまでも愛します」と誓わずに、「いつまでも愛せしめたまえ」と祈り、他人を傷つけずみずからを損わず、肉体の交わりなききよい聖い恋をしてもらいたい(このことにつきては、『出家とその弟子』の五幕二場の親鸞と唯円ゆいえんとの対話に詳説したからここには省く)。一度純潔を失いたる青年は、そを惜しみ、恥じ、悔い、その償いに用意したる心をもって女に対すべきである。しこうして夫婦はできるかぎりの貞潔を保たんことを努力すべきである。もしそれいかにしても遊蕩の制し得られざるときは、せめてそのことを常に恥じつつなしたい。みずからを悪人と認め、そを神に謝しつつも、なお引きずられるように煩悩ぼんのうの林に遊ぶ人と、それを当然のことと思って淫蕩する人とは雲泥の差がある。それはじつに親鸞と、ただの遊冶郎ゆうやろうとの差異である。浄土に摂らるるものと、地獄に堕さるるものとの差異である。私はもしその人がみずから悪人と認めて、それを恥じていさえすれば、いかなる悪人をも責める気にはなれない。現に私はけっして清い人間ではなく(これは謙遜でもいや味でもない)絶えず性欲との戦いを意識し、しかも常に不名誉な敗戦をつづけている。私はけっして人間の悪の根の抜きがたきことを知らないものではない。またその悪によってかえって人と人との結びつく呼吸をも解せざるものではない。しかし悪は悪としてどこまでも斥けたい。それをみずからに許したくない。自分を責め、鞭打ちたい。しこうしてその悪の根を抜き取る道を工夫したい。この世でできなければ、あの世でも。
 人は私があまりに善悪にこだわりすぎると思うかもしれない。しかしながら私の祈り求めてやまざる無礙むげ自由の白道に出づるためにはそれは欠くべからざる手続きなのである。私はすべてのものを肯定せんとする願いにみちている。すでに造られて存在しているものは、いかなるものといえども、それを否定せずして肯定するのが本道である。造り主に対する造られたるものの義務である。私はそれを熟知している。私は性欲をも肯定したい。しかしそれは性欲をそのままに善しと見る方法によってではなく、一度悪として厳しく斥け、しかる後その悪しきものにも存在の理由を許す宗教の摂取の道によってである。
(一九一八・一・五)
付記。私はこの一篇を一つの優れた思索的論文を草することを意図してではなく、ある緊要な実際的なかつ遠く遂げらるるを要する目的をもって書いたのである。すなわち純潔なる青年を、かつて私が陥ったと思惟する過失――漫然たる霊肉一致の思想に甘やかされて自発的にその純潔を失うことから防ぎたいためである。その目的のために、私は精緻を欠ける思索にもかかわらず、急いでこれを書いた。なんとなれば純潔を失うことはたやすく、そして一度失った純潔は永久に還らざるがゆえに、たとい私の論旨が誤っているにしてもそのもたらす禍は私のこの一文が防ぎ得るかもしれない禍よりもはるかに小さいと信ずるからである。加うるに私は一高時代に「異性の内に自己を見いださんとする心」という一文においてその誤れる思想を主張したことを絶えず気にかけてきた。一度その取り消しをすることを私の義務と感ずる。私は人々が熟知しながら醜いことを明るみに持ち来たすことを好まない清い心から沈黙していることを愚かにあばいたのであろうか。もしそうだったら私は赤面する。しかし私はどうしてもそう思えないのでやむをえず不愉快を忍んで書いたのである。私はけっして醜いことをできるだけリザーヴして表現することの美しい徳であることを知らないものではない。醜いことはたといこれを否定的に語る場合といえども読者の心に悪の陰を翳すものである。清い人はきっとそれを好まぬに違いない。しかし上述のごとき目的をもって書く以上私はそれを避けることができなかったのである。私はもっと天的な感じのする文章のみが書きたい。その意味においてこの一文を草さなければならなかったことを私は一つの不幸と感じている。
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 文壇への批難

 批難といっては私の心持ちにしっくりしない。私はいま調和を求むる願いにみちているから。しかしいま私は私の心の底にある一種の怒りの感じ(それを私はけっしていいものとして自分に許してはいないが)に処を与うるために、あえて批難としておこう。私の心はいま訪問者によって傷つけられて、淋しい。そしてかかる心なき対人態度を当然のこととして流行せしむるにいたった責を私は文壇にしたい気がしている。それが動機となって私はこの文を書いている。私はいま熱が出ている。私はからだ具合が苦しいから大切なことをさっさと書く。短く、一生懸命に。第一に文士はもっと文壇を離れてものを書くべきである。考うべきである。その意向も、思索も、情熱も――何よりも大切な心の願いも、もはやけっして文壇という観念をはなれることはできなくなるとき文士は堕落している。「文壇的、あまりに文壇的」という気がする。私は文壇というものに食いついているような作家、ことに批評家を嫌うものである。いったい文壇というようなものは芸術となんら本質的関係のないものである。生産物と市場とのごとき関係さえも成立しないのである。作る人は売ることを目的とせず、いな、自分の書くものの発表に関する意識――文壇的成心から独立して、純粋な表出的衝動から製作すべきであるのはいうまでもない。それを発表しようと、しまいとそれは別事である。かくてつくり上げられたる作品はおのずから他の共存者の心へと道を求むるのである。その間に何の文壇というような意識の插し入る隙間があろう。しかしこの頃は文壇というものを予想しなくては存在し得ないような文章が多い。批評家にはことにそれが多い。日本でも真面目な部類の批評家ほどその書くものは文壇的でない。文壇に食いついてるような批評家ほど軽薄な文章を書く。悪いことには地方の青年などはまず文壇という空気に触れる。その後に初めて芸術そのものに触れる。だから文壇的なものを書く人の名はすぐに現われる。そしてここに文士というものがつくられるわけになる。そして芸術そのものは、その芸術の原動たる作者の日々の体験は、深く隠れてしまうことになる。ここに著しい矛盾は、たとえば一人の真面目な暮らし方をしている作家があるとする。その人は心のある深い煩悶はんもんから作ができなかったとする。このときにはその人は他ののべつに作を発表している作家より、はるかに切な、深い生き方をしているのに、文壇的には何のてがらもなかったことになる。文壇は書いた人のことはいっても書かなかった人のことはいわないから。実際文壇というものがあるために、いかほど軽い空気がかもし出されるかしれない。それがいかほど芸術を毒し、何よりも大切な、生活そのものを浮き足にさすかしれないのである。だから「浮き足」というものと全然相いれない愛の問題、その愛の要求する、十字架を負うべき実行生活になると、文士は貧弱と虚偽とを露出する。いかに立派な文章が書いてあっても、不幸な人、貧しい人、病める人、心の傷ついてる人――すなわち真に愛を求めている人が読めばすぐにその虚偽であることがわかる。空言であることが解る。本当に愛してはくれないのだということが解る。私はそんな文章をいくら読まされたろう。実際文壇的空気にはずいぶん嫌なところがある。自分が不幸な不幸な気持ちにしおたれたようになっているとき、そんな文章を読むと一種の立腹さえも感ずる。みんな道草をくってるような気がする。浮き足になってるような気がする。もっと大切な、われわれに真に必要な問題にハンブルに実践的に立ち向こうて、しみじみした、無駄のない、よく胸に応える論議が聞きたい。じつに今の文士の生活ほど古えの聖人の道に遠いものがあろうか。その言葉多くして行少なき、その名に対して敏感なる、その怒りやすき、その嫉妬深き、その空言を好む、その自欺に巧みなる、その肉体的快楽に感じやすき、その利己的なる、これらの悪しき性質は、他の市民に比して、文士においてはるかにはなはだしいのである。もとよりこれらは近代の文化の含む悪徳として一般的なるものではある。しかし文士はこれらの悪徳の煽動者のごとき観を呈している。しこうして市民の恥じつつなす悪行をも、彼らは当然のことのごとくにこれをなすように見える。もし文壇というものが、いな文士の日常生活の心の持ち方が、今のごとき調子のものならば、私は文士という名に嫌悪を抱く。あたかも牧師という名に嫌悪を感ずるごとくに。しかも後者においては姑息こそくなるものに対するはがゆさであるが、前者においては荒らす者ツェルステイレルに対する敵意である。私はけっしていま自分に予言者のごとき昂揚した情熱を意識しつつ書いているのではない。反対に不幸に打たれて、しかもそれに抵抗する気のきわめて少なくなっている忍受の心――できるかぎり何ものとも和らぎたいと願う心、むしろ一種のの感じに近い心で書いている。文士はもっと心情ゲムュートが濡れねばならない。あえて静平に、落ちつかねばならないとはいわない。いらいらするときも、論争するときも、遊蕩するときも、姦淫するときでさえも心情が濡れていなくてはならない。私はけっして人間の悪より放るることの至難であることを知らないものではない。ただ、しかし悪さにも種類がある。心の貧しくない悪さ、ものの哀れを知らない悪さ、和らぎを求むる心の無い悪さ、ずうずうしく恥を知らない悪さ――すべて天国に遠い性質たちのよくない悪さ、かかる悪さから文壇は一日も早く清めらるべきである。私は文士が論争し、遊蕩し、姦淫したりとてただちにそれを非難する気はない(私はけっしてそれらを善しとは見ないが)。しかし論争し、遊蕩し、姦淫する仕方、その心持ち、に至ってはあくまでも神経質に気にかけざるを得ない。私は文壇で気持ちのいい論争をみたことはほとんどない。皮肉や悪罵や、無益な穴探しや、相手を理解せんとする意志のない空言にみち、はなはだしきはもはや論点の所在に対する感覚を全然欠いて、いかにして巧みに相手を辱しめんかを苦心せるごとき論争をみる。かかる何人が読んでも醜い印象を受ける論争を芸術の名によって公衆の前にして見せるのは何事か。しかもかくのごとき原稿で金を得るとは何事か。しかも大部分の論争はみな第三者を眼中に置いたる、いわば公衆にして見せることを意識したる論争である。論者はそれによって「甲はとうてい乙の敵ではない」というがごとき判断を公衆の頭脳に印象せんことを目的としたるごとき論争である。しこうして結果は、論争者の相互とも一種の敵意に近き怨恨を胸に結んで別れることになる。(この点については、文士のしばしば軽蔑しがちな学者の方がはるかに、公けなもの、真理のために論争する道を知っている)。議論によって相手を説服パーシュエイドするということすらほとんど不可能である。まして相手をして会得せしめようとする意志のない論争が無意義なのはいうまでもない。真に相手を説服するは愛と祈りと奉仕とによるほかは無いように思われる。西田天香氏などは英語ならパーシュエイドという言葉で現わすべき概念を、受け身に「相手にまかされる」というふうに表現している。そうなるまでにはいかに対手を説服せんとする意志が実践的に鍛練せられることを要したであろうか。氏はけっして論争しない。真に説服するには論争の無効であることを知るからである。氏はたとえば利己主義者に愛の真理であることを説服するためには、その人の思想には直接関係が無いけれども、必ずその人に要する雑用(たとえばその人が渇いていれば一杯の水を汲んで来てやる、くつの紐がとけていれば直してやるというようなこと)を奉仕してゆくことから始める。もしイズムのことなど論じ合えば、相手がただちに反撥し、その心が閉じるからである。しかし愛と祈りをもってする奉仕は対手の心を動かすからである。私は論争好きな文士に、ただちに西田氏の真似をせよとはいわない。しかし自分のやってることと、氏のやってることと比較してみるがいい。そして少しは恥じるがいいと思う。遊蕩するにしてもそれを恥じつつするがいい。他人の妻と恋することがやむをえないときがあるにしても、その夫の心の受ける傷、その子供たちの運命の損うことを、死を願うほどに悲しむべきである。『アンナ・カレニナ』でも私はアンナの夫の苦痛に深く同情せずにはいられない。当然のことのごとくに思ってはいけない。やむをえないことと、正しいこととは別事である。人間が殺生するのはやむをえないことかもしれない。しかし悪いことである。遊蕩や姦淫を当然のことのごとくに行ない、それを芸術の資料(かかる作品にかぎって倫理的苦悶などは重要な要素を成してはいない)にし、それで衣食するのは恥辱である。かかる芸術家を世間が軽蔑するのはやむをえない。文壇に出る多くの告白的作品なども私は告白者に同情できるのはまれである。裁判所に訴訟を起こすということは芸術家としてはそれ自身恥辱である。まして自分の妻と法廷で争うことは恥辱である。しかも金銭問題で。自分らの不幸を、それが真面目な原因であればあるほど、自分らの平常軽蔑している法官に裁いて貰うのは恥辱である。それがやむをえないことであっても、それを恥じる気色もなく告白するとは何事か。かかることに関しては私らの前にキリストの高い高い標準が置かれてあるではないか。たといそれを実行できなくても、比べて恥じることは誰にでもできる。私は一般に今の文士が周囲の平和を乱すことを恐るる心に乏しいのを非難したい。因襲や伝説の虚偽と不合理に対して戦わなければならないのはもはや自明のことである。私のいうのはもっと微妙な心持ちである。他人の心の平和を守ってやる愛のことである。われわれが「地を嗣ぐことを得」るために必要なる「和らぎを求むる」心である。「刃を出さんために出で」たる勇猛なる耶蘇がわれわれに垂れたる教えの一つである。たとい自分の主張が正しくとも、それが周囲の平和(たとい姑息なものであっても)を破るときには、それを恐れて、できるかぎり風波を立てまいとする心である。もし耶蘇にこの心使いが無かったならば、そのエルサレムの宮におけるがごとき行動は粗暴といってもいいものである。できるかぎりは平和な、目立たぬ、他人の胸をドキドキさせないような方法を選ぶことは改革者の欠くべからざる用意である。好んで風波を立て、目立つ行動をなすのは心なきわざである。この用意の欠乏は多くの文士の対人態度においてことに不幸な結果となって現われる。他人の心をできるかぎり傷つけないようにとの心使いを欠いた対談はただちに議論になる。その結果は多くの場合互いの心を堅くし、憎しみを育てることに終わる。一方が忍耐するときには、その心は深く傷つく。たとえばここに一人の母親がいるとする。そして話のついでに「私の娘は村でいちばん綺麗なんですよ。そして学校でもいつでも、二、三番よりは下らないんですよ」といったとする。するとすぐに反感と軽蔑とを起こして、そんなことは誇るに足りないとか、何ゆえ一番を理想としないかといって母親の心を傷つけてしまう。母親の思想はつまらないかもしれない。しかし「それはおたのしみですね」といって、しばらく母親の心を守ってやることは、けっして「おざなり」ではない。人と人との接触の幸福はそういうところにあるのである。また対談中対手の欠点に触れたとき、その人はすでにそれを認めて恥じているのになお突っ込むのは心なき業である。私は今の文士の多くが強いことだと思っているこの突っ込みをいっこう強いという感じを受けずにオフェンシブな、もしくは不必要な感じを受ける場合があまりに多い。私には感じやすい、きわめて傷つきやすい、純潔な心を持ってる友人がある。その友をもし今の文士たちと一座させたらどんな結果になるだろうと私はときどき想像する。きっとすぐに傷つけられるだろうと思わずにはいられない。そしてその友が隠遁して、静かに書を読み、絵を画いている今の生活法を、もっともだと思わずにはいられなくなる。彼らにもし自分の弱いところを見せるならば、すぐに突っ込んでくる。醜いところを見せればすぐに軽蔑する。謙遜に出ればすぐに高く出てくる。そしておのれと彼といずれが優越しているかというようなことに、絶えず特殊な執拗な興味を抱いている。かかる人と対談して交わりからくる幸福を味わい得るであろうか。ロマンチックなことをいったり、訴えるような気になれたり、無邪気な誇りや、甘えをさえも受けいれたりし合ってこそ、交友の幸福はある。私はだんだんかかる交友の幸福を失ってゆく。本当にしみじみと語り合うことは稀である。他人の心を受け取る用意のできている対談者に出逢わない。一般に受け身の徳に関して文士は貧にして粗である。私はその原因を彼らの心の濡れていないことに帰したい。何ゆえに心が濡れないか。彼らは魂の内に不幸を持っていないからである。かかる魂の不幸は外的境遇のいかなる順調をもってしても打ち克ちがたきものとして、深人は皆それを胸中に蔵している。かかる seelenungl※(ダイエレシス付きU小文字)cklichkeit は人間が、真に人間として願うべきねがいが満たされない地上の運命を感ずるところから起こる。それが感じられないのは本当におのれの願うべきものを、一すじに願ったことが無いからである。かかる願いと不幸とを知れる心は常に涙をもって濡れている。かかる心と心とが出遇うときに初めて本当に人と人との接触から生まれる幸福がある。談話の妙味と効果とがある。私たちは本当に何を欲しているのか。私らになくてならぬもの、あきらめられないものは何か。文壇はそれを静かに考えなくてはならない。少なくとも次の諸件はわれらになくてはならないものである、すなわち、われらがいつまでも生きられること、生きているものは互いを犯し合わずにすむこと、相愛するものには永久の別れということは無いこと、善が必ず悪に勝つこと、われらに耐えられない苦痛は存在しないこと、等である。その他のことはやむをえなければあきらめ得らるるものである。「愛」の真理であることを体験せざる人には私のかかる言説は児戯に等しく感ぜらるるであろう。(かかる人々に対しては私は御身らは真にみずからが何を願っているかをまだ知らないのだというほかはない)。しかし「愛」の真理であることを体感せる人にはきっと容易に首肯できるであろう。上述の五事についての関心を放れて、他事の興味に没頭することを私は道草であるといいたい。今の文壇ははたして、人間に真に必要なる問題をはっきりと意識しているか。私はしか思えない。文壇はこれらの最深なる問題に対する真剣なる関心を示していない。上述の五件のごときは、それらが保証されざるときはわれらの存在はひっきょう空しきに帰するがごとき重大なるものであるにかかわらず、これらを主題とせる芸術にも論議にも私は遭遇すること稀である。いな、私は必ずしもこれらをただちに作品の主題にせよというのではない。ただこれらの問題に不断に関心せる心をもってものを見、事件を取り扱い、作品の素材を撰べというのである。しからざれば芸術は人生における重大なる地位を失ってしまう。なんとなればわれわれの存在にさまで必要ならざる問題にのみたずさわれる事業に深き注意を払う必要がないからである。たとえば人間は何ゆえに他の生物を食わなくては生きてゆけないのであろうかという問題が気にかかってならない人が、ある文士が漁村に冬籠りして、村の漁夫たちから食べ切れないほど美しい魚をたくさん進物に貰ったというようなことのみを中心の興味にして「書いて」ある作に満足できるだろうか。あるいは相愛するものが何ゆえ死別しなくてはならないかを考えずにはいられない、恋をしている青年が、ある文士が温泉に行って一人の舞妓と関係し、また一人の芸妓と床をともにするために、その舞妓を人形芝居に欺して連れて行かせるというようなことを中心興味にした作品が本気で読めるだろうか。心のうちに真面目な煩悶を持っている者は、物足りなさを通り越して、不愉快を感ずるであろう。多くの文士は興味の置き所が人心の深き願いのうちに無いゆえに、その感情には何よりも永い感じが欠乏している。たとえば「別れ」というようなものは人生の深い深いイーヴルである。ただその一事のみにて人生は厭うべきものといってもいいほどのイーヴルである。しかもそのようなものは今の文士には大した苦にはならないようにみえる。「の世」のことなどはまるで問題にならないようにみえる(釈迦はそれを非常に苦にしたが)。これに反して皮肉アイロニイというものに対して異常な興味を示している。皮肉という感じは人間が真に本気になって何者かに関心しているときにはけっして起こり得ないものである。たとえば手術を受けるために手術台に寝ているとき、愛する者の臨終に侍しているときなどには起こり得ない。ある一つの矛盾した事象に対したとき、それをどうにもして調和させたいとあせっている心には起こり得ない。皮肉はそれ自身積極的内容を持たない情緒である。怒りよりもなお悪質な情緒である。私は他人が自分を非難したのではあまり腹は立たないが、皮肉な態度を示すと心から腹が立つ。事物の真相を見る鋭い目を持つものが、虚偽と矛盾とに対して皮肉に反応するのは無理からぬ過程ではある。しかしそれは本道ではない。耶蘇はこの世の虚偽と偽善とを知り抜いていた。しかし皮肉に反応しないで、それらを地上から除去する道を本気に工夫した。ショオと耶蘇では深さが違う。聖書や『歎異鈔』のなかには皮肉な調子はどこにも見えない。トルストイやドストエフスキーの作にも皮肉はある。しかしそれは彼らの作の尊い部分ではない。皮肉な目には人生の真景は映らない。人生を見る目はあくまでも濡れ輝かなくてはならない。ことに対人態度に皮肉を出してはいけない。もしそれおのれみずからに対して皮肉になるにいたっては、私は深い深い宗教的な罪だと思う。もし作品のなかに皮肉の要素が混入するときは、あるいは皮肉をその作品の主なる構成要素となすときは(喜劇などの場合)その作の裏に、作者の心に十分な弁解が用意されていなくてはならない。皮肉は頭のいい証拠にはなるかもしれないが、愛の深い証拠にはならない。およそものを正面から直視しないこと、対手の前にチャンと坐って、対手の目を見て物をいわないことは今の文士の欠点である。要するに私の不満は徳に関する不満である。真に人間としての徳を現在所有しているか否かについてよりも、徳に対しての興味インテレッセ、関心の冷淡についての非難である。われらは聖人であることは至難である。しかし聖人の前に帽子を脱するだけの用意はいつでもしていなくてはならない。私はまだいいたいことは輻輳ふくそうしていて、指定された紙数は後三枚しか残っていないから、同人雑誌『愛の本』においおい書くことにして箇条書きのように簡単に書き列ねておく。
 一、文化の吸収、文献の研究に対する情熱については、それ自身には非議すべき理由を私は認めない。むしろ祝したいくらいに思っている。しかしそれが人間に本当に大切なもの、霊魂の存滅に関するがごとき一大事の等閑に付せらるることを意味する場合には、私はそれを道草であるというに躊躇しない。しこうして私は今の文壇の傾向が、まさしくそれであることをおそれている。文化の吸収や文献の研究がわれらの最要の仕事でなく、材料と養分とを供給する補助的なものであるのはいうまでもない。われらの本質の成長の原動力はもっと奥深いところにある。私はこれらのものがその原動力を活発ならしむことに役立たずして、むしろこれを萎微せしむる結果をきたすことをおそれる。思索家が読書するときでなくては考えなくなることを虞れる。知識欲なくして、知識を求むる、世に最も憐れむべき餓鬼がきのごとき読書家のえることを虞れる。それを読んでも心の富まされることを信ぜず、また十分理解もできない書物を、いらいらした焦躁[#「焦躁」はママ]をもって、電車のなかでさえも読まねばならぬ必要がどこにあるのだろう。散歩するときさえも書物を携えずにいられないような人から、本当の思想が生まれてくるとは私には思えない。私は今の文士にもっと自分の体験でものを考え、自分の言葉でものを語ることを希望せずにはいられない。ことに宗教を文化として研究する人々には私は賛成することができない。まだ信心決定していない人が、信心を文化として研究し得る心事を私は理解することができない。かかる人から私は真実信心について何事をも聴こうとは思わない。
 一、文士は自分の衣食の方法を常に気にかけていたいものである。いな、いなければならない。人間はいかなる方法でパンを得るが最も正しいのであろうか。世襲の財産によって衣食するのはそのままでは(もっと他の深い心持ちにならなくては)間違いだろう。商業を営むのも、何かの職業につくのもおそらくそのままでは正しくあるまい。原稿料で衣食するのもそのままでは正しくないかもしれない。(死んだ綱島梁川つなしまりょうせん氏は死ぬまでそれを気にかけていたそうだ)。その点については西田天香氏はじつに深い実践的研究をしている。氏は釈迦や耶蘇の選んだ方法のみ正しいパンの得方だという。氏はそれを仏飯を食うて生きるという。神に養われて生きる。パンを神にデペンドする方法のみ正しいという。真の乞食、托鉢の方法のみ正しいという。(釈迦と耶蘇はそれを実行した)。私が今これをいうのは早すぎる。(私は世襲財産で生活している。しかも病気ばかりして他人に重荷を負わしている)。しかし私はこれを非常に重大な問題と思っている。そして今の文壇のある派の人々にはことに重大だと思っている。釈迦は王子であった。耶蘇は貧しかった。しかしどちらも尊いという人がある。しかし釈迦は王位を捨てて托鉢したのである。華族に生まれたのはしかたがない。しかしその位を捨てないのは正しいかどうか。富んでるということは、善くも、悪くも無いことではなく、それ自身悪いことである(もし愛を善しと見るならば)。何ゆえその財を貧しいものにわかたないのか。耶蘇は「二枚の衣あらば一枚を隣人に割け」といった。自分はそれだけの愛がまだ無いのを恥じるというのはいい。しかし罪の意識なくして富んでいるのは愛を説く人には矛盾である。私は富める文士たちとともに、この問題を一生の問題としてをもって研究したい。きっとそこにごまかしのかない、したがって真の神への信頼を生み得る宗教的意識が蔵されているに相違ない。西田氏などは聖書のうちから、この問題について深い深い真理を汲み取っている。(この問題については他日詳しく書きたい)。ここでは文壇がこの問題に重大な関心を持つことを希望するに止めておく。今の私がこれをいうのは気がひける。しかし私は気にかけずにはいられない。学校の教師をするのも、原稿料で生きるのも、そのままではけっして正しいかどうかまだ決まっていない。これからわれわれが祈って、考えて決めなければならない、未定問題であるということだけ注意したい。
 一、モデル問題もまだけっして決まってはいない。自分に寛であってモデルの欠点にのみ鋭いのがいけないのはいうまでもない。しかしモデルの欠点を如実に書いても、そのままで正しいか、どうか。自分の友が窃盗をしたからといって、窃盗をしたといって公衆にふれて歩くのは正しいか。モデルにされた人の心が傷つき、周囲の平和が乱れても事実ならば書いてもいいか。芸術はかかることを超越し得るのか。私は芸術と道徳との間に種々の矛盾を感じざるを得ない。私は文壇がかかる問題を十分に関心することを希望する。
 一、ストライキングなことを平気で書くのはいけない。もしある作家が二人の人間を殺せばすむところで、三人の人間を殺させるならば、その作家は一人の人間を気まぐれであるいは不注意で殺したのにも似た罪である。殺人や強姦やすべて人の心をドキドキさせることは、最小限度で書くことを用意すべきである。もししいて書くならば、それを書かざるを得なかった弁解が作品のリズムのなかになくてはならない。突っ込むとか、鋭いとか、力強いとかいうのは、そんな外面的なところにあるのではない。自分一個の理想をいえば、自分は芸術の極致は万有の間に在るハーモニー――静けさを描くにあると思っている。恐ろしいこと、むごたらしいこと、恥ずかしいこと、悲しいことを持ちながら、しかも調和した善い世界を描き得る(無理の感じなく)に至るところにあると思っている。仕事場にあっても、家庭にあっても、教会にあっても、絶えず心がいらいらする、レフュージを芸術に求むれば胸を刺し貫くようなことが何の痛ましげも、なだめるような調子もなく、むしろそれを喜ぶように書いてある。近代人は不幸である。
 一、今の文士は一般に著しく好色である。成熟した男子に性欲のあるのはやむをえないことである。しかしこの悪しき欲望を(これについては自分は「地上の男女」という題で詳しく書いた)みずからに許してはならない。純粋という徳は芸術家にはことに望ましい。女に対してずるいのが今の文士を他の何よりも卑しく見せる。下品に見せる。私は孤独な純潔なニイチェを思う。あの『貴族の家』に出るみずからを雲井のひばりに比べ、野の百合ゆりにたとえた詩人を思う。麻のなかに高居した、毅然きぜんたる威厳を持っている芸術家はたいがい純潔な人のようである。争われぬものである。女にずるいのは男の常ではある。しかしそれに身を任せるのと誘惑として戦うのとは大した相違である。できるだけいろいろな種類の女を、できるかぎりたくさん味わうことを自分の快楽の標準のようにしている人が今の文壇にはきっと信じられぬほど多いであろう。そういう人々に対しては私は「報い」ということを考えてみよといいたい。私がこういうことをいっても、取り合われないかもしれないが、私は「報い」というものは本当にあるのではないかと思っている。私は初めは不幸に打ち砕かれたような心で妹に「私はよくよく前世に悪いことをしたのだろうよ」と冗談にいった。ところがだんだんそれが真面目に思われるようになった。私は今ではほとんど信じているといってもいい。病院にいま十九になる少年が大やけどをして、泣き叫んでいる。私は今日も見舞いに行って、その少年の母親の顔を見ているとき、やはりそう思った。何かの報いと考えるのがいちばん本当らしい。少なくとも、これまで私の聴いたいかなる説明より私には信じやすい。(私はけっして思わせぶりでいっているのではない)。いま一人の娘を犯して舌鼓したつづみを打っても、その快楽を償うてあまりある苦痛をいつか本当に受けなくてはならなかったらどうだろう。酷い酷い肉体的苦痛を報いられたらどうだろう。(注射を一本して貰うのでも、どれだけ嫌なものか肉体的苦痛に感じやすい今の文士は知り抜いてるはずである)。あるいは清い清い良心を与えられて、その女に赦しを乞うても、どうしても赦すといってくれなかったらどうだろう。いかなる形式かは知らないが、私は悪には必ず報いがあると信じている。私のかかる思想はある人々には児戯に類するであろう。しかし私はけっしてそうは思えなくなっている。かかる問題に触れるとき心はいちばん緊張する。真偽はいつか解るだろう。もし本当だったらなんとするとだけ今はいっておく。(いま私の心はセンチメンタルではない。理知的な心持ちでここを書く)
 一、言葉で突っ込まずに生活で突っ込むがいい。それも歓楽の方へでなく十字架を負う方面へ突っ込んで見せてくれ。何人がいざとなった場合、本当に思いきった態度に出で得るかは論争では解らない。私は論争好きな人に、かえって学校を落第してまでは恋をせず、損をしてまでは芸術を作らず、十字架を負ってまでは伝道しないような人を発見する。
 一、植物と動物との絶対的区別は付せられない。ゆえに野菜を食べるのは牛を食べるのと同じことであるという人がある。夫婦間の肉交を許すならば、遊女との肉交も処女との肉交も許されていいという人がある。のみを殺す以上、鳥を殺してもいいという人がある。すべて性質の差別を程度の差別に帰してひっきょう同一であるというのである。しかし一羽の小鳥を殺すとき、純な生娘を犯すとき実感として悪を意識するのである。悪でないと説明されても深い、純な心は静まらないだろう。同じ論理を用いるにも、なぜ鳥を殺すのは悪いゆえに蚤を殺すのも悪いといわないか。処女を犯すのは悪いゆえに夫婦の肉交も悪いといわないか。百羽の鳥を殺すのは九十九羽の鳥を殺すより一羽だけ悪い。同じことではない。殺される鳥からいえば、そのただの一羽が絶体絶命である。百万人の人民を助けるためには、十人の人間を犠牲にしてもいいという法はない。かかる思想は道徳でなくして経済である。もし地上に天国が建てらるるならば、けっしてかかる方法で建てられてはならない。
 一、原稿は長く書いて、手紙は粗略に書く人はおそらく愛の深い人ではあるまい。それを気にしているのはいい。しかし当然と思ってはいけない。
 一、面会日を厳守するのは最上の方法ではあるまい。釈迦やキリストはきっとそういう生活法を嫌ったであろう。それを気にしつつ、やむをえず(今日の器量では)決めているのはいい。それを当然と思ってる人は、おそらく人と人との接触、天国の空想に鈍い人だろう。釈迦やキリストの域には上れない人だろう。
 一、私の尊敬している少数の人々も周囲に対するときは意地の悪い文章を書く。みな心のやさしい人々なのに。そしてかかる文章を書くにいたる心理に同情しなくてはならないというのは不幸なことである。文壇はその門をくぐる人をイルネーチュアードにさせる空気を醸しているようにみえる。これはその内に入ればおのずと祈りたくなる寺院や、人と和らぎたくなる墓地やあわれみの起こる病院や、厳粛になる実験室や、素直な、温かい心地になる家庭やに比べるとき、祝すべきではないと思う。
 一、文士の告白好きなのが、魂の重々しさと、慎しみ深さの欠乏から生じていないことを希望する。私は初対面のときすぐに恋の話を持ち出すような人からいい印象を受けることはできない。しかもかかる人があまりに多くなった(しかしそうしても嫌な感じの出ない人があれば私はその人を心からほめる)。「その頃私は恋をしていたので」というような、まるで用達をしていたのか、床屋に行っていたのかを語るような恋物語の仕方をする人を私は嫌う。私たちの深い、大切な記憶は心の奥に慎しみ深く守られねばならぬ。深い深い傷や、不幸や、魂の夢や、空想や、願いや、かかる高貴なるものを軽々しく聞こうとする人も、語る人も浅人である。本当につつましい人が門をたたいたとき、あるいは心をこめてかく芸術の内でのみ語らるべきである。
 ああ私はみずからはからずして高い高い標準を立てたような気がする。しかし私はけっしていたずらに高い理想を立して非難の口実を探したのではない。私たちはたとい実行できなくても高い高いところに向かって大願を立てたい。そしてその大願の前に自分を鞭打ちたい。私の真意を打ち明けて語れば「どんなことでもするがいい。どんなことでも赦されるのだから、しかしどんなことでも悪いと思われるかぎりは悪いと思って恥じねばならぬ。自分のつくった悪が赦されるために」というにある。文壇には私の非難の全然当たらない人々もあろう。しかし私は信じている。それらの人々は自分で文壇を非難したく思ってるような人々だろう。そして私の言説にあまり気を悪くはしまいと。まだ書き足りないが、後日に譲る。私のこの一文には深い感情と動機がある。これを幼稚だと無下むげに斥くる人は、浅い心の持主である。書き終わって、荒々しい書き方をしたような気がして、何だか心が静かでない。
(一九一八・二・一)
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 人と人との従属

 現代は、人間が自己の生活に対して、最も意識的になった時代である。人がおのれの幸福についておもんぱかるに熱心なることは今の時代ほど著しいときはあるまい。人はこの地上を楽しく豊かならしめ、おのれの生活を快適ならしむるためには、種々の配慮を惜しまぬように見える。しこうしてその目的は遂げられたであろうか。この世は楽しく住み心地よくなったであろうか。ある者は互いに憎みあっている。ある者は互いに剣を抜いている。ある者は他より奪わんとし、ある者は求むる者にも拒んでいる。ある者は自己を固くとざして、もはや他人に何ものをも求めようとしない。最も平和にして尋常に見ゆる者といえども、礼儀や形式等を一種の城郭として、そのなかに拠り、互いの利益の侵されざるかぎりにおいて、あまりにけわしき対抗の意識の重苦しさを免れんために、表面を滑らかに社交的にしているにすぎない。人と人とはけっして互いに従属していない。その心と心とはけっしてまどかに結ばれ合っていない。人と人とは互いに心をのぞき合うことを恐れている。そしてある重苦しさが互いを圧迫している。かくのごときは近代の人の、心より欲するところではもとよりあるまい。そはこの地上の相としてやむをえざるものであろうか。私たちはその原因が私たちの対人関係の徳の不足に負うところの多いのを思うときに、その不幸のなかに合わせて羞恥をも感じなくてはならない。私たちは書を読んで、私たちの祖先の間より出でて高きに上げられたる聖者たち、たとえばかの聖フランシスのごとき人の伝記を読むときに、その前にひざまずきたい心地がする。そこには人間性の善い、純な、朗らかな、恵みににおうた相が、私たちの前にいとも尊く置かれてある。そしてそれは私たちの歪める、悪しき、曇れる心を、恥じしめずにはおかない。私たちはともに生けるものである。被造物として互いに似かよえるものである。互いに完全に従属することは私たちの本来の願いであるべきである。私たちがもしもかの聖フランシスのごとくに対人関係の徳と知恵とに達するならば、私たちは互いに美しき従属を楽しみエンジョイ得ないことはあるまい。私たちは何にもまして対人関係の徳を磨かねばならない。そこに初めて真の自由が望まるる気がする。近代の人はその徳について乏しいように見える。ことに受身の徳において著しく貧しいように見える。そしてそれは私たちの対人関係の不幸を造る、きわめて大きな原因をなしているように見える。与うるの徳と受くるの徳とはともに対人関係の自由に達する欠くべからざる姉妹の徳であって、後者はけっして前者より小さいものではない。人と人とは互いに求むるときにのみ初めて従属する。愛したい願いのみあって、愛されたい願いのないところでは幸福な交わりは生じない。恋人同士が幸福なのはそこにある。そして私たちの心の底には実際に愛されたい願いがあるのである。それをなぜ無理に殺さなければならないのであろうか。求めてもなかなか与えてくれるものではない。それは事実である。けれどもそのためなぜに愛されたい願いを捨てなくてはならないか? その願いは善い純な人間性の稟有ひんゆうするところのものである。純な善い願いはいかなることあるも殺してはならない。人間の生命はただそれのみに繋がって意味を有するのである。もし愛されたいと願っても愛されないならば歎くがよい。そして歎きつつなお愛されたいと願うがよい。それが本道である。私の考えでは私たちは理想によってのみ生きられる。理想と現実とは独立したものである。理想が現実と衝突するならば悲しいけれども、そのために理想を捨てあるいは理想を低くせねばならぬ理由はない。理想は理想として建ててただ悲しむべきである。理想をあきらめてはならない。愛されたい願いが善い願いならば事実として愛されなくとも、死ぬるまで依然として愛されたいと願うべきである。人間に宗教があるのはそれがためである。すなわちまず人間は雑然として何ものかを要求する。それは事実に当たってみたされない。そこで要求のなかから欲と願いとを分けて欲はあきらめる。その願いも感情が深くなるに従って純化されてゆく。そしてもしあきらめられるものならば皆あきらめる。しかるにどうしてもあきらめられない、それをあきらめては私たちの本質の死ぬる願いがある。それは愛である。愛することと愛されたい願いである。現実においてこの願いはみたされないとみたのは親鸞であった。ゆえに彼は宗教の彼岸においてこの願いをみたさんことを工夫したのである。絶対に仏に愛されることと、成仏して絶対に衆生を愛することとを信じたのである。私たちは愛されたい願いと愛したい願いとを持っている。この願いはけっしてあきらめられず、またあきらめてはならないものである。私たちは与えることと受け取ることの自由が得たい。与うることの自由とは客観の原理に束縛せられずして独立に与うることである。与えることの自由を得んことは、深い人はみな憧れ求めている。ここでは私たちは特に受け取ることの自由について考えたい。対人関係の徳として受け取ることは与えることよりも小さいものではない。私たちは受け取ることの徳を得ないならば偉い人間とはいえない。人間と人間との接触のなめらかにゆかないのは一つは近代人が受け取ることの徳を持っていないからである。人の愛を受け入れない、ある人は求めず、与えず、魂の扉を堅く鎖して孤立する。ある者はただ与えようとのみ努めて求めず訴えない。この二つは近代の優れた真面目な人々が傷つけられたために本心にそむきつつとるに至りし最も悲しき態度である。しかし孤独はけっして純な願いではない。また与えようとのみするのは傲慢である。なんらかの生活の条件を他から負わずに生きることはキリストでも[#「キリストでも」は底本では「キリスでも」]釈迦でもできはしなかったのである。この点から見れば求めずしてただ与えようとするよりも、太陽の光をも神の恵みと感じたフランシスの方がはるかに合理的である。われわれは被造物であることを忘れてはならない。光線や食物はどこから得るのであるか。私たちは絶対に与うるものとしての超人になろうとする意志を起こすならばそこには人間性の組織の上にある破壊が行なわれることを許さねばならぬ。人間として偉大なることと神の偉大なることとの間には、はっきりした区別がある。聖者はいかに偉大でも神ではない。聖者は被造物として最も偉大なるものであって、それは人間性の成就である。人間性の純なるものを破壊せずに完成したものである。それは人間としての制限を持っていてもさしつかえはない。けれど超人はわれら人間とは別ものである。絶対的与者としての超人は、人間の境域を越えた他の世界にいるものである。私たちは何ゆえに愛されたい願いを棄てねばならぬだろう。愛されたいと願うてはなぜに小さいのであろうか。私はその意味で超人よりもオーソドックスの単純なキリスト教のいわゆる「神の子」とならんとする願いをはるかに望ましく思う。超人のなかには個人主義の強い要求があるけれど共存の要求が乏しい。その与うるの愛はむしろ自己の力を頼む心より起こる。人間と人間との従属を最後の目的とした愛ではない。キリスト教の「神の子」はあくまでも被造物として完成せるものである。その天国は神の前に神の子たちの愛することと、愛せられることの自由を得て睦び合う楽園である。その理想は共存ということから少しも離れない。私たちは被造物であってさしつかえないではないか。私たちはこの制限を忘れるときに赦しと共存との意識を失うて互いに孤立するようになるのである。人間には深い共存の願いがある。一つの神の手にて創られたる同胞の思想はこの願いに立脚したじつに巧みなる説明である。私たちはただ与うることの自由を得ただけで(それさえほとんど不可能な至難なことである)人間としての徳が完成していない。さらに受け取ることの自由を得んと努力しなければならない。実際近代人はパッシーブの徳においてことに貧弱である。信じがたい、受け取りがたい、堅い、狭い魂である。もっと魂の口を開いてすらすらと受け取ることはできないものであろうか。求めず、訴えず、信ぜず、受け取らず、海底の貝殻のごとくに孤立しょうとする。それは二十世紀の最も大きな悪い傾向である。これというも人間があまりにしばしば互いに欺き、惜しみ、裁いたからである。一言にいわばエゴイスチッシュになったからである。
 ツルゲネフの小説に「徳」たちが天国で出逢って互いに挨拶をしたときに、二人の互いに見知らぬ顔の(Tugend)があった。一つは「慈悲」で他の一つは「感謝」であった、という話があるそうであるが、今の世の中ではこの最も親しかるべきはずの愛と感謝とが出逢うことが最も稀であるように見える。そして愛しても受け入れられないほどの悲しいことがあろうか。ロバートソンの説教にあるようにキリストの最も淋しかったことは自分の愛を人々が受けいれてくれないことであったであろう。与えたいときに受け取ってくれる人の無いのはじつに淋しい。私自身もだんだんに求め訴える気がしなくなってゆく。人生のつめたいことを知り人心の信じがたきことを知れば知るほど求める気のなくなるのはじつに無理からぬことである。人を見れば親切にはしてくれぬものと思い、女を見れば愛してはくれぬものとあきらめるようになってゆく。あの『死人の家』に出る犬が人を見れば打たれるものと決めてドストエフスキーの目の前でも寝転んで鞭を待ち設けた、というように、私たちも初めからあてにはせぬようになってゆく。けれども思えばそれは善い傾向ではない。ドストエフスキーはシベリアの牢獄で囚人らから排斥せられたときにはそれを白眼でも見ず、また超然として、荒々しく、内心で侮辱してもすまさず、心から悲しきことに思ったのであった。それは真面目な善い心である。訴えることは弱いことではない。与えてくれねば悲しむがいい。そしてやはり求めるがよいと思う。まれに愛を用意している人に出逢うときには、そのような善い心は雨の畑の土に吸われるように潤されることができるからである。「求むるものは幸いなり。そは与えらるべければなり」と耶蘇がいったのはこの純な心と心とが出遇うたときの幸いである。ただ私にとって最も気にかかることは「隠遁の根拠」のなかにも書いたごとく他人と交わることが他人を傷つけるかもしれない遠慮である。この遠慮から人と交わらずに淋しき処に隠退する人があるならば、これはたしかに同情すべき当然の心遣いである。聖フランシスが隠退しょうか伝道しょうかと迷ったのはあるいは他人の魂に入り込むことをおそれる謙遜なつつましさからであったかもしれない。けれども私はどうも各人が退隠することは望ましいこととは思われない。人間の心の底からの純な願いからではなく、悪にさまたげられてのやむをえぬ生活法だからである。人間には互いに働きかけたい心願がある。それがみたされないならば、人生はいかに寂寞たるものであろう。私は私の傍に愛しかける人がいなければ不幸を感ずる。ただひとりのときは犬でも飼いたい心になる。しかし他人をより善くする自信を持つことはとうていできない。しからばいかにして人と人とは従属すべきであろうか。
 ここにおいて私はキリストのいわゆる「赦し」というもののいかに欠くべからざる徳であるかを思わずにはいられなくなる。人間は皆被造物としての欠点を持っている。私に自信のないごとくおそらく他人にも自信はないであろう。しからば「間違ったら許してください」という態度で自信は無くても交わることが許されないであろうか。「どうか他人の運命を傷つけませぬように」と神に祈る心持ちで交わり、そしてできた罪はゆるしを乞いつつ常に親しく接触してゆくのが人間性の最も純な道であろう。もし相互に赦し合わぬならばいかにして私たち欠けたるものが安んじて交わることができよう! 赦しはじつに人間と人間との従属に最も大切なる Tugend である。この徳のみが謙遜な人を隠遁から止めるのである。人と人との争いを和らげるのである。キリストの教えは詮ずるところ「互いに赦し合って仲よくせよ」との教えである。トルストイの『火をゆるがせにせよ。さらば拡がらん』という小説は善くキリストの心を呑み込んである。人間と人間はつくづく争うものではないと私は思う。人と人とは互いに罪を犯さないことはほとんど不可能である。ゆえに赦し合わないならば平和は地上に来ないのである。私は教会で皆と一緒にあの「主の祈り」を合唱して「われらに罪を犯すものをわが赦すごとくわれらをも赦したまえ……」というところに来ると涙がこぼれる。独りで祈ってるときはさほどでない。皆と一緒に祈ると涙がこぼれる。互いに罪を犯さずにはいられない呪われたる人間の子孫たちが、神の前に出て互いに赦して祈るのだと思うと私は深く感動する。そしてこのときばかりは、黙祷でなくピープルとともに神を拝する教会の存在の理由があるように感じる。私はみずからを省みてばかりいれば他人に対して何ごとをも働きかけることはできず、じつに心中不自由をきわめ、しかもそのような心構えがあっては人と人との交わりの自由な楽しさは失せてしまうことを惜しむがゆえに、この頃は親鸞聖人のようなものの考え方がなつかしくなりだした。たとえば友達に冗談のいいたいときにはこう思いたい、「私はどうせ間違いだらけである。いま悪くいわないにしても外に悪いことをいわないというのではないから、いわして貰おう」と。もし愛の心を深く知り、互いの運命をおそれていれば、それ以上は相互の理解の上に「赦し」を期待して、訴えもし、責めもし、冗談もいいたい。その間の表現は自在を極めるに至るこそ人間と人間との接触の理想であろう。魚住氏が「ケーベル先生の前に出れば自由になれる」といっているがその幸福は小さいものではない。あまりに鋭い近代人はその幸福を失いかけている。愛と赦しの心持ちを知った人と人との間にのみ滑らかな温かい従属は生まれる。私はくれぐれも善い、人間らしい心になりたい。
(一九一七・一〇・一五)
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 『出家とその弟子』の上演について

『出家とその弟子』がこのたび当地で上演されることについては、私はいま本当にハンブルな心持ちになっている。私は今この作の上演によって私の芸術的栄えの日を迎えるという気持ちはほとんどしなくて人をつまずかせはしまいかと思う懸念と弁解とが心の中に満ちている。そのことだけはどうしても書いておかなくては気にかかるから要点だけを書かして貰いたいと思う。第一にこの作は厳密に親鸞上人の史実にったものではない。この芝居を見ても親鸞上人およびその弟子たちが(弟子という言葉も親鸞自身にはピッタリした言葉でなかったろう)、このとおりのことを実際行なったものと思って貰っては困る。私は親鸞を画いて虎を画いて猫に似ているといわれても甘んじて受ける気持ちなのだから。私の書いた親鸞は、どこまでも私の親鸞である。私の心に触れ、私の内生命を動かし、私の霊のなかに座を占めたかぎりの親鸞である。したがってこの作に表われた私の思想もむろん純粋に浄土真宗のものではない。親鸞および浄土真宗の研究は、親鸞の実伝とその正依の経典とに拠らなければならない(むろんそれだけで親鸞の本質が掴めるとは思わないが)。第二にこの作には誰でも知っているようにきわめて多くの時代錯誤がある。しかしこれは私はあまり気にしていない。しかしむろんこれを誇ろうとは思っていない。もし少しの時代錯誤もなく、私の表わしたいと思う親鸞を表わし得たらこれにこしたことはないのである。かく多くのアナクロニズムのできたのは、私が故実に通じていないためばかりで無く、それに拘泥することによって私の表わそうとする親鸞が生き生きとして近代の心に触れてこないことを恐れるため、それよりもむしろそういうことを気にしていられないほどあれを書いたときの私の心持ちが切迫していたためである。第三にあの作は真宗のあるいは一般に宗教の教義を説明するために書いたのではない。あの作がいかばかりよく教義を解りやすく語っているかというようなことは、私の興味の中心では無いのである。私のあの作を書いた中心の興味は、人間の種々なる心持ちとこの世の相に対する限りなく深き愛である。この点に目をつけなくてはあの芝居は見ても面白くあるまい。また作者としてもその他の視点からの種々なる批評は私の心持ちと適うことはできない。ことにあの作は私が二十六歳のときの作である。そのとき私の心は切実な青年期の悩みの終わり頃、ことに二人の姉の相ついだあまりに早き死のすぐ後、一燈園いっとうえんから帰ったばかりの、人生の悲哀と無常の心持ちに満ちているときに書いたものである。ちょうど私が一燈園に西田天香氏を訪れる前、折蘆遺稿せつろいこうで読んで感動した「墨染の衣を着るになほ若し綾あるきぬはきのふ脱ぎけり」というような気持ちのとき書いたものである。私はそのときあの西国巡礼の歌を聞いてもすぐに涙のこぼれるような気持ちであった。したがってあの作に強いはげしいところが欠乏しているというのも私がそのときそういう方面のムードのなかに住んでいなかったためである。親鸞の性格にそういう方面が欠けていると私が解釈しているのではない。芸術品に対するとき人はいうまでもなくその作のモチーフを見なくてはならない。そのモチーフこそ作者がその作を書いた生命であって、そのほかの点でめられてもけなされても作者の心には適わないものである。人はあの西国巡礼の歌を聞くとき、それに強いはげしさが現われていないからと言ってそれを貶するであろうか。もしそういう人があったら、その人の気持ちはあの巡礼の歌を聞くのに適わしくないというまでのことである(もとよりそういう気持ちでないときも、またそういう気持ちにばかりなっていられないときもある)。人生に対する悲哀と無常の意識――それはもはや滂沱ぼうだたる涙となって外に流れないけれども、深く深く心のなかに内攻し、その人の世相を眺める目はかぎりなき悲しみを内に秘めているような気持ち、いわば一種の喪の気持ち、そういう気持ちであの芝居を見てくださることを作者は望む。それは人生を享楽する気持ちではむろんない。人生において戦う気持ちでもない。人生を観照するという気持ちはやや近いがやはり違う。愛を内にたたえた目でこの世のあるがままの相を眺め護る、いわば人生の相のなかに仏を見いだす心持ちである。そういう心持ちであの芝居は見て貰いたい。あの作のモチーフはそこにある。それ以外の視点では見てもらってもつまらない気がする。むろん私が他のモチーフから作をすることはあろう。しかしあの作はそういうモチーフで書いたのである。たとえば釈迦の臨終に蛇や鳥の泣いている画を見て母親に尋ねる子供、その子供の着物を縫いながら画解えときをしてやる母親の心、あるいはまた師の体に雪の降りかかるのを、自分の衣で蔽うようにする若い弟子の僧の心、そういう心持ちあるいは光景がただちに見る人の感覚の興味とならなくてはならない。その光景の意味を考えてしかる後初めて是非の判断をするような人は一般に劇を見るのに、ことにあの劇を見るのに適わないものである。
 私はあの作において、人間の種々の貴き「道」について語り得ていることは私のひそかにたのみとしているところではあるが、それは「道」を説くために書いたのではなく、生活に溶かされたる「道」の体験を書いたのである。第四にあの作は人間の細かな心持ちのさまざまな相やニューアンスの展開であって動作に乏しい。それもハンドルングばかりに動かされるようなことではあの作はおもしろくないに違いない。純な、潤うた、細々とした心を作者は観客に要求する。第五に私が最も懸念するのはこの作が人をつまずかせはしまいかということである。人の精進を鈍くするようなことはないかということである(よく見て貰えばそういうことはないと思うが)。これはけっして私が努力や精進を重んじないからではない。私のモチーフがそこにないためである。私は真実の意味において戒律を生かしたいと思っているものである。その点では私は西田天香氏を中心とした一燈園の生活を尊敬し、病気のせいとはいいながら、今の私の暮らし方を恥ずかしく思っているものである。また天香氏があの作を愛してくだされながらも不満足に思われる理由も私にはよく解っている。あの作が現実の紛糾を解決する力がない、凄いところが無いといわれるのも肯かれる。それは私のあの作のモチーフが問題を(恋愛の問題)さえも解決する点になかったからであることは前にもいったとおりであるが、たとい私の目的が問題の解決にあるとしても私があの作を書いたときにはむろんのこと、現在においてもその成案は持ってないことをここに告白する。しかし私はその問題の解決に興味を感じないのではない。それは私の絶え間のない努力である。その点は現在および将来の問題として私の前に厳に横たわっているのである。私がもしその点に重大なる関心を持っていないならば、あの作と一燈園との縁はないといってもよい。むしろ一燈園の生活の躓きとなるばかりである。一燈園がこのたびの上演の主催者になってくださったということは私の名誉と思いまた私の青年期の懐しい思い出を甦らせて本当に私にとって嬉しいことであるが、それよりもなお意味あることはあの作に盛られていないで残っている、しかしわれわれの人間として必ず関心しなければならないこの世の実際問題の合理的解決についての努力を一燈園が中心の問題として取り扱っていることである。私はその方面についての努力を人々がゆるがせにするようにあの作が働きかけることを何より心配しているのであるから。あの作の上演が縁となって人々が一燈園の生活に注意するようになるのを望まざるを得ない。この世の相をあるがままに愛する心と、この世を改良して神の国と成そうとする努力とは私は二つともなくてならぬものであり、また相互に矛盾するものではなく、むしろ相互をただしくするものであると思っている。私が一燈園や新しき村の仕事を尊敬し、できるだけ助けたいと思うのはそのためである。ただあの作のモチーフがその点にないというまでのことである。この点についてくれぐれも観客の躓きとならないことを祈る。なおあの芝居を観てくださる人は是非あの本を読んできてくださることをお願いしたい。でないと種々の点において誤解があろうと思われるから。最後にこのたびの上演について尽力してくださった人々に深く感謝する。
(一九一九・一一・一八於一燈園)
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 千手観音の画像を見て

 自分はこの間、千手観音の画像を見た。そしてある深い感じに打たれた。自分が常々、こちらに引越してからはことに迫って感じている、この「地の約束」「人身にんしんの分限」というものについての感慨をいまさらのごとく、新しく感じさせられた。自分は大森に来てからいろいろと考え抜いたあげく、玄関の入口の壁に次のごとく書いた貼り紙をした。「医師の注意により、面談は水曜日と仮りに決めさせて戴きます。ただし切迫した心持ちの方にはいつにてもお目にかかります」。自分はこの貼り紙を自分で書いてピンで貼ったが、そのときじつに淋しい気がした。三年前に自分は「文壇への批難」のなかの一節に次のごとく書いている。「面会日を厳守するのはおそらく最上の生活法ではあるまい。釈迦やキリストはきっとそういう生活法を嫌ったであろう。それを気にしつつやむを得ず決めているのはいい。それを当然と思っている人は、おそらく人と人との接触、天国の空想に鈍い人だろう。釈迦やキリストの域には上れない人だろう」。自分は今でもこの一節を少しも取り消さなくてはならないと思っていない。しかし自分は面会日を決めたのである。そしてこのことは自分には深く気にならずにはいられない。それは自分に、自分の日々の生活における他の、じつに多くのこれに類する限界の意識を連想せしめる。ときには、無常の感じにさえ深められる。本来「隣人としての愛」においては、甲を愛することは乙を愛することと原理上、また心持ちの上からも少しも矛盾するものではない。もし自分に千手観音のごとく千本の手がありさえすれば、万人の個々の人を、自分が最も親近な、常にともに棲んでいる特殊の隣人――家族を愛するようにしみじみと、行き届いて愛することができるはずなのである。しかし事実としては、自分が相当に愛の奉仕をなしていると思うことのできるほどの人はきわめて僅かしかない(むろん徹底的には一人にさえ十分に仕えたと思えるのはないが)。そしてそれは必ずしも愛が足りないからばかりではなく、そこには人間の地上における分限がその因をなしていることもじつに少なくない。人間は時間と空間との制約の埒外に出ることはできない。二つの物(二つの観念)が同時に同処を占めることはできない。同時に二人の人に手紙を書くことも、別の地にある二人の人に逢いに行くこともできない。しかも自分らに与えられた力と時間には限りがある。およそ人類への愛の奉仕には三種の方法があると自分は考える。一は密室で万人の幸福を祈ること。二は学術、芸術等文化に価値ある仕事につかえることによって間接に万人に奉仕すること。三は直接に個々の隣人に奉仕することである。が自分はこのうち第三のものは特殊な、重要なものであってたとい第一第二の奉仕のためにであっても、第三のものを欠くことを自分に許してはならないと思っている。われわれはかの「善きサマリア人」のごとくに触れ合う個々の隣人に仕えることによって、最も生き生きとした、実践的な実の籠った愛を贈ることができるのである(拙文「隣人の愛」参照)。しかしながら実際の場合において人類のすべての個々の人に直接に奉仕することは不可能である。またたとい可能であっても、自分の力を文字どおりに平等に万人にわかつという意味での公平は賢きものではあるまい。たとえば百万円の金をもって人類に奉仕せんとするときに、それを全人類の一人一人に頒って、一人一銭にも満たざる金を頒つことが最も愛の道に適っているとは思えない。われわれは結局縁あって触れ合う少数の人々を人類の名によって愛することによって、かくのごとき意味での万人への奉仕をなさなくてはならない。キリストの十字架は人類の個々の人へそれぞれに血の贈り物であった。しかし実際にキリストが直接に触れ合ったのは、限られた少数の人々であったに違いない。しかしながら自分はでき得るかぎり多くの隣人と結縁けちえんしたい。自分がもし千手観音のごとくに千手を有するならば、いかに多くの人々の個人個人に奉仕することができるであろう(自分はけっしてそれらの人々を観音のごとく摂取するためにではなく、ただそれらの人々と縁結びをするためにこれを願うのであるが)。自分としては念仏によって万人の幸福を願い、芸術によって万人に愛を送らんことを心がけているものであるが、その他に自分はまたできるだけ多くの個々の人々に、できるだけしみじみと触れ合うことを願わずにはいられない。また願うことを義務と信じているものである。しかしこの最後の願いは自分にはじつに僅かしか満たされることはできない。そこに人間の限り、地の約束というものがじつに痛切に感じられてくる。自分は自分の創作的欲望の十分の一ほども満たすことのできない微弱な肉体的精力を持った芸術家である。自分のごとく作品の少ない芸術家は稀であろうと思う。自分はそのほんの僅かな仕事と、その仕事に欠くべからざるじつに少しの読書とですべての精力を費してぐったりしてしまう。それだけさえも健康を傷つけることなくしてはできないのである。しかもそれだけさえもできない日の方が多いのである。その他の時間をもって自分は自分の第三の奉仕をしなければならない。その結果は自然の数として個々の人々に対する奉仕の粗略ということにならずにはおかない。しかもそれは自分が最も好まないことなのである。自分はせめて訪ねてくれる人々としみじみと語り、手紙をくださる人に行き届いた返事を出すことだけでも心ゆくだけしたいのである。
 自分が一本の手紙を書けばどんなに喜んでくれるかもしれないハンブルな人がじつに多いのである。本当に自分はそういう人に対してはもったいない気がする。しかしそれだけのことさえも自分にはできないのである。しかも自分は多数の人々に公平を保つために一人に五、六行のはがきを出すような方法をとる気にはなれない。したがってある比較的少数の人々にかなり行きとどいた返事をし、またかなりしみじみと応接することによってこの第三の奉仕をさせて貰っている。そのためにはついにすべての手紙にことごとくは返事を書くことができず、来る人に毎日いつまでも面会することが許されない結果になる。このことはけっしてある人々には返事を書かなくてもいいと思い、またある人々にはお目にかからなくてもいいと思っているのではない。自分が千手観音でない人身であるために起こるやむをえない結果である。自分はこのことを歎かずにはいられない。もしこの土が浄土であり、自分が観音であるならば、かかる歎きはなくてすむはずである。自分はかかる土とかかる身分とを憧れずにはいられない。自分はしかたがないことと願わしいこととはどこまでも厳密に区別したい。そして願いが正しいかぎりはしかたのないことと諦めないでそれが正しく成就される土を求めたい。自分は思い出さずにはいられない。自分が広島のある病院に長く入院していたときに、肺の悪い一人の夫人(その夫人はすでにみまかり、自分の忘れ得ぬ人々の一人となっているのであるが)のところへある僧侶が迎えられて、法話に来ていて、そこへ私も招かれて席に連なって聞いた日のことを。そのときその柔和な僧侶はいっていた。「仏は自在身でなければならない。物はこの煙草盆たばこぼんであれば、同時にこの薬瓶であることはできない。人は王であれば比丘びくであることはできない。じつに不自由なものである。しかし仏は同時に王であり、比丘であり、煙草盆であり、薬瓶であることができる自在身である。そしてすべての人のすべての用に奉仕することができるのである」と。私はそのとき深く感動したのを忘れることができない。あの法華経の観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんぼんのなかに「応以童男童女身。得度者。即現童男童女身。而為説法。応以天竜。夜叉。乾闥婆けんだつば。阿修羅。迦楼羅かるら緊那羅きんなら摩喉羅伽まごらが。人非人等身。得度者。即皆現之。而為説法」とあるように自在にすべてのものに身を現じて、奉仕することができたならば、いかに心ゆくことであろう。かかる願いは観音でなくても人間にもあるのであるが、かかる器量が人間には欠けているのである。そこに仏でなく、天人でない「人間」の悲哀がある。自分はかかる悲哀のなかに含まるる無限と永遠の感じを、人生にきわめて重くして深きものと信じるものである。かかる感じを空想として無下にしりぞくることはけっしてできない。そこらの感じ方からこの土と浄土とを分けて考える思想、彼岸に対する抵抗すべからざる思慕、信心の意識が要求されてくる。現象界の他に世界を認めざる認識論的要求や、またこの土をただちに寂光土と見る禅宗や日蓮宗等の見方や、また天国をこの世界に実現せんとするキリスト教的世界思想の存在にもかかわらず、自分が法然上人の死後に「西方の浄土」を選んで、そこに霊魂の安息処を求めた心持ちに自分が最も心を惹かれるのもそのためである。自分は生を人身にけたるものの限界と、運命とを認めずにはいられない。人間の正しき願いを寸毫も断念することなく、これを成就せんと欲するならば、自分らはこの「限り」を感じないではいられない。自分は人と人との接触の微妙なる味、心と心との結縁の機微を思うときに、自分が病気とはいいながら、面会日を定め、面会時間を限り、またかりそめにも音信を疎略にするがごときことは、みずからに許すことができないのみならず、自分の人生における幸福な、重要なるものを減殺することとして遺憾に堪えない気がする。人間と人間と触れ合うことは無限の味、幸福、涙である。そのとき人は死をうけがうことさえ辞さないのである。それを思えば自分は一人の人間をも除さず縁を結びたい気がする。人間にはどんな人にでもその特殊な持ち味がある。その味に触れることはこの人生における最も深い、複雑な享楽である。自分は結縁というものの微妙な味を思う。自分がこれまで触れ合ったさまざまな人々を思うときに、何はともあれ、その人々と結縁したことは感謝したい気がする。相手を祝福する動機によって結縁したいわゆる「順縁」の場合のみならず、相手を呪誼じゅそする動機によって結縁した(たとえば相手と口論したることが動機となって結縁したるがごとき)「逆縁」の場合においてもなおその相手と少しも触れ合うことのできなかった「無縁」の場合よりは感謝したい気がする。著しくいわば、一人の女と全然無縁であるよりも、たといその女を辱しめることが動機となったとしてもなおかつ結縁したい気さえすることがある(むろんその反対すなわち一人の小さきものを傷つけるよりは、万人から隠遁したい気もするが)。自分はこういうことを想像することがある。自分が心ひそかに永く逢いたいと思っていた人が遠くの国へ行くということを聞き、もう一生逢えないかもしれないと思って、いろいろ躊躇していたのを思い切って逢いに行く。くるまで波止場へ馳けつけるとその人はいま出帆したところであった。なぜ今日にかぎって汽車が延着してその人に逢えなかったであろうかと歎き悲しむ。がそれはいつか前の世でその人がふと道連れになったときに、自分に雨に降られて合い傘をしてくれと頼んだときにそれを拒んだためであったというようなことを。こういうことはばかげた考え方とはけっしていえない気がする。現にこの世でもこれに類することはじつに多い。病院の廊下を歩いていてふと懐しい人の表札を見いだしたが、その時ただそのドアをたたくことをあえてしなかったため、そうした場合には深い深い交わりができたであろう人と、永久に無縁で終わることもある。そこらの微妙な不思議なキッカケを思うと恐ろしい気さえする。自分の尊敬しているある人は六万行願といって、自分が生きている間に一万戸と結縁することを願としている人がある。自分も心の底からでき得るかぎり、多くの人々と結縁することを願うものである。自分は必ずしも自分が結縁したことによって相手を救済することはもちろんその運命をより直くすることができると思うのではない。しかしながら事実としては自分からでも、なお何物かを与えられることのできる人もあるであろうと思うこともまた禁ずることもできない。ただいたずらに謙遜して、ひたすら過ちなきことをのみ期するのが愛の道ではない。自分より、より小さき、より弱き、後れて来たれる者から助けを求められたときには、ある場合にはあえて師長としての助言と保護とを与えることが愛に適う場合もあり得るのである。その意味において自分は本当に実のある、親切な隣人でありたく願うのである。それらのことをいろいろ考え回すときに自分はますます多くの人と結縁することの願いを感じずにはいられない。しかもその願いが自分にはきわめて僅かにしか満たされることはできないのである。自分がそれだけ苦しみ、遺憾に思っているにもかかわらず、自分に求めて来た人はどんなにか自分を物足りなく、愛乏しく不満足に思うであろうと察しないではいられない。またそれを無理はないと思う。自分は六、七年前に自分が最も尊敬していた京都のある哲学者に面会を求めたときに、その学者が仕事が忙しいためにある面会日を指定した簡単な端書をくれたときに自分の心が傷つき、ついに不満の意を認めた手紙をその学者に送って怒りを含んで面会に行かなかったことを覚えている。自分はしかし今はその尊敬すべき学者がそうしないではいられなかった事情を察することができて、自分の大人気なかったことをむしろじている。人から伝え聞くところによれば、その学者はそのことを気にしていてくださるということであるが、自分は済まなく思っている。自分の場合でもさぞ、自分が六、七年前に自分が感じたがごとき不満を与える人々がどんなに多いだろうかと思わずにはいられない。自分もまたその学者のごとく、愛の名によって仕事についている人間なのだから。自分はこのことについて赦しを乞わずにはいられない。自分は自分がすべての私の欲望を放棄して、すべての精力、すべての時間をことごとく隣人との結縁と奉仕とに捧げているとはいえないからである。自分が負うている十字架もけっして軽いとは思わないが、自分にはなお悪き欲望が残っていることを認めずにはいられないからである。自分は自分が拠ってもって人類に間接に一括めに奉仕せんと欲している芸術のために、面会日を定めたり、手紙を怠ったりしなければならないのではあるが、自分の芸術がはたして人類に対するいかほどの寄与になり能うかということ、およびその製作活動が自分のプライベートな幸福でもあることを考えるときには、それを弁解の具にのみ用いることは気がひけるところもある。自分がもしこれ以上人と会い、手紙を書くならばおそらく自分の芸術はほとんどその出産の能率を欠き、自分の寿命は支えることはできないであろう。しかしながら自分にとって芸術は一つの偏執であるのかもしれない(現に私にそういってくれる、私の尊敬している人もあるのである)。自分にとって芸術は、それだけは何もののためにも放すことのできないというような、執心となっているのだから。自分がもしすべてを隣人に捧げ、芸術を断念し、「あしたに道を聞いて夕べに死すとも可なり」というがごとき信念の下に、病気を顧慮することなく他人のためにのみ生きるならば、今日においてもなお面会日を定めず、手紙を怠らぬことはできるのである。あるいは聖人はそうすべきであるかとも思う。しかし今はまだ自分の信心が決定せず、自分の思想が一定せず、芸術を断念することができず、またできるだけ長生きもしたく思っている程度の私の境涯であるためにやむをえないのである。自分はけっしてそれを当然だとは思わず、また満足してもいないのであることと、そのことについて赦しを乞うているものであること、また自分がそれほどにも人と触れ合うことを自分の幸福と思っているものであるということを私の隣人たちに知っていて欲しいのである。自分は自分の尊敬しているある人がなしているように、自分が触れ合った人々――それらのなかには、去る者は日に疎く、今はどこにどうしているか解らなくなっている、けれども自分が忘れることのできない人々、あるいはまた現在住所も解ってはいるけれども、めったに便りを出すことも得しない人々の姓名だけを帳面に書いておいて、それを仏壇に供えて、朝夕念仏することによって、一括めにそれらの人々を回向えこうしたらとさえも思う。それはけっして十束一とからげな、事務的な気持ちからではなく、人間に与えられている制限に抵抗しようとする、真心からの愛の勤行としてもなし得ると私は信ずる。その意味において、人間の奉仕はついにいのりとならなくてはならないと思われる。神の名によって祝福を人類の上に招き寄せ、あるいは親鸞の「急ぎ仏となりて心のままに衆生を助けとりたし」という気持ちとならないではいられない気がする。自分は千手千眼観自在菩薩の画像を眺めて、自分がいつも感じているこれらの想念を新しく刺激されたのである。そして微妙の身体を有するこの瓔珞ようらくを戴ける像の前に跪かないではいられない気がする。そして人身の悲哀と彼岸の思慕とを感ぜずにはいられない。自分は自分の芸術を励み信心を深めることによって、せめてこの隣人への直接の奉仕の懈怠けたいをつぐのわしていただきたいと念ずる者である。
(一九二〇・一二・一五 於大森)

底本:「愛と認識との出発」角川文庫
   1950(昭和25)年6月30日初版発行
   1967(昭和42)年9月30日64版発行
   1982(昭和57)年12月20日改版31版発行
※底本は新字に改める編集方針が明記されていますが、「蟲」「獻」など旧字が混在しています。これらは底本のままとしました。
※底本では角川書店編集部が、一校の「校友会雑誌」と校合して括弧付きで復元している部分がありますが、本ファイルではその著作権を考慮して削除しました。
※底本で句点を読点と誤植していると思える箇所がありますが、異本でもばらつきが見られるため底本通りにしました。
入力:藤原隆行
校正:小林繁雄
2002年3月18日公開
2005年12月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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