あらすじ
「皮膚と心」は、結婚して間もない女性が、突然全身に現れた奇妙な吹出物に苦しめられる様を描いた作品です。美しい肌への執着と、夫への愛情、そして過去の影が複雑に絡み合い、彼女の心は混乱し、不安定になっていきます。美しい肌への執着から生まれた恐怖と、夫への愛と、夫の過去への嫉妬。様々な感情が渦巻く中、彼女は自分自身と向き合っていくのです。「こんなものが、できて。」私は、あの人に見せました。六月のはじめのことで、ございます。あの人は、半袖のワイシャツに、短いパンツはいて、もう今日の仕事も、一とおりすんだ様子で、仕事机のまえにぼんやり坐って煙草を吸っていましたが、立って来て、私にあちこち向かせて、眉をひそめ、つくづく見て、ところどころ指で押してみて、
「痒くないか。」と聞きました。私は、痒くない、と答えました。ちっとも、なんとも無いのです。あの人は、首をかしげて、それから私を縁側の、かっと西日の当る箇所に立たせ、裸身の私をくるくる廻して、なおも念入りに調べていました。あの人は、私のからだのことに就いては、いつでも、細かすぎるほど気をつけてくれます。ずいぶん無口で、けれども、しんは、いつでも私を大事にします。私は、ちゃんと、それを知っていますから、こうして縁側の明るみに出されて、恥ずかしいはだかの姿を、西に向け東に向け、さんざ、いじくり廻されても、かえって神様に祈るような静かな落ちついた気持になり、どんなに安心のことか。私は、立ったまま軽く眼をつぶっていて、こうして死ぬまで、眼を開きたくない気持でございました。
「わからねえなあ。ジンマシンなら、痒い筈だが。まさか、ハシカじゃなかろう。」
私は、あわれに笑いました。着物を着直しながら、
「糠に、かぶれたのじゃないかしら。私、銭湯へ行くたんびに、胸や頸を、とてもきつく、きゅっきゅっこすったから。」
それかも知れない。それだろう、ということになり、あの人は薬屋に行き、チュウブにはいった白いべとべとした薬を買って来て、それを、だまって私のからだに、指で、すり込むようにして塗ってくれました。すっと、からだが涼しく、少し気持も軽くなり、
「うつらないものかしら。」
「気にしちゃいけねえ。」
そうは、おっしゃるけれども、あの人の悲しい気持が、それは、私を悲しがってくれる気持にちがいないのだけれど、その気持が、あの人の指先から、私の腐った胸に、つらく響いて、ああ早くなおりたいと、しんから思いました。
あの人は、かねがね私の醜い容貌を、とても細心にかばってくれて、私の顔の数々の可笑しい欠点、――冗談にも、おっしゃるようなことは無く、ほんとうに露ほども、私の顔を笑わず、それこそ日本晴れのように澄んで、余念ない様子をなさって、
「いい顔だと思うよ。おれは、好きだ。」
そんなことさえ、ぷつんとおっしゃることがあって、私は、どぎまぎして困ってしまうこともあるのです。私どもの結婚いたしましたのは、ついことしの三月でございます。結婚、という言葉さえ、私には、ずいぶんキザで、浮わついて、とても平気で口に言い出し兼ねるほど、私どもの場合は、弱く貧しく、てれくさいものでございました。だいいち、私は、もう二十八でございますもの。こんな、おたふくゆえ、縁遠くて、それに二十四、五までには、私にだって、二つ、三つ、そんな話もあったのですが、まとまりかけては、こわれ、まとまりかけては、こわれて、それは私の家だって、何もお金持というわけでは無し、母ひとり、それに私と妹と、三人ぐらしの、女ばかりの弱い家庭でございますし、とても、いい縁談なぞは、望まれませぬ。それは慾の深い夢でございましょう。二十五になって、私は覚悟をいたしました。一生、結婚できなくとも、母を助け、妹を育て、それだけを生き甲斐として、妹は、私と七つちがいの、ことし二十一になりますけれど、きりょうも良し、だんだんわがままも無くなり、いい子になりかけて来ましたから、この妹に立派な養子を迎えて、そうして私は、私としての自活の道をたてよう。それまでは、家に在って、家計、交際、すべて私が引き受けて、この家を守ろう。そう覚悟をきめますと、それまで内心、うじゃうじゃ悩んでいたもの、すべてが消散して、苦しさも、わびしさも、遠くへ去って、私は、家の仕事のかたわら、洋裁の稽古にはげみ、少しずつご近所の子供さんの洋服の注文なぞも引き受けてみるようになって、将来の自活のあてもつきかけて来たころ、いまの、あの人の話があったのでございます。お話を持って来て下さったお方が、謂わば亡父の恩人とでもいうような義理あるお方でございましたから、むげに断ることもできず、また、お話を承ってみると、先方は、小学校を出たきりで、親も兄弟もなく、その私の亡父の恩人が、拾い上げて小さい時からめんどう見てやっていたのだそうで、もちろん先方には財産などある筈はなく、三十五歳、少し腕のよい図案工であって、月収は二百円もそれ以上もはいる月があるそうですが、また、なんにもはいらぬ月もあって、平均して、七、八十円。それに向うは、初婚ではなく、好きな女のひとと、六年も一緒に暮して、おととし何かわけがあって別れてしまい、そののちは、自分は小学校を出たきりで学歴も無し、財産もなし、としもとっていることだし、ちゃんとした結婚なぞとても望めないから、いっそ一生めとらず、のんきに暮そうと、やもめぐらしをして居る由にて、それを、亡父の恩人が、なだめ、それでは世間から変人あつかいされて、よくないから、早くお嫁を貰いなさい、少し心あたりもあるから、と言って、私どものほうに、内々お話の様子なされて、そのときは私も母と顔を見合せ、困ってしまいました。一つとして、よいところのない縁談でございますもの。いくら私が、売れのこりの、おたふくだって、あやまち一つ犯したことはなし、もう、そんな人とでも無ければ、結婚できなくなっているのかしらと、さいしょは腹立しく、それから無性に侘びしくなりました。お断りするより他、ないのでございますが、何せお話を持って来られた方が、亡父の恩人で義理あるお人ですし、母も私も、ことを荒立てないようにお断りしなければ、と弱気に愚図愚図いたして居りますうちに、ふと私は、あの人が可哀想になってしまいました。きっと、やさしい人にちがいない。私だって、女学校を出たきりで、特別になんの学問もありゃしない。たいへんな持参金があるわけでもない。父が死んだし、弱い家庭だ。それに、ごらんのとおりの、おたふくで、いい加減おばあさんですし、こちらこそ、なんのいいところも無い。似合いの夫婦かも知れない。どうせ、私は不仕合せなのだ。断って、亡父の恩人と気まずくなるよりはと、だんだん気持が傾いて、それにお恥ずかしいことには、少しは頬のほてる浮いた気持もございました。おまえ、ほんとにいいのかねえ、とやはり心配顔の母には、それ以上、話もせず、私から直接、その亡父の恩人に、はっきりした返事をしてしまいました。
結婚して、私は幸福でございました。いいえ。いや、やっぱり、幸福、と言わなければなりませぬ。罰があたります。私は、大切にいたわられました。あの人は、何かと気が弱く、それに、せんの女に捨てられたような工合らしく、そのゆえに、一層おどおどしている様子で、ずいぶん歯がゆいほど、すべてに自信がなく、痩せて小さく、お顔も貧相でございます。お仕事は、熱心にいたします。私が、はっと思ったことは、あの人の図案を、ちらと見て、それが見覚えのある図案だったことでございます。なんという奇縁でしょう。あの人に伺ってみて、そのことをたしかめ、私は、そのときはじめて、あの人に恋をしたみたいに、胸がときめきいたしました。あの銀座の有名な化粧品店の、蔓バラ模様の商標は、あの人が考案したもので、それだけでは無く、あの化粧品店から売り出されている香水、石鹸、おしろいなどのレッテル意匠、それから新聞の広告も、ほとんど、あの人の図案だったのでございます。十年もまえから、あの店の専属のようになって、異色ある蔓バラ模様のレッテル、ポスタア、新聞広告など、ほとんどおひとりで、お画きになっていたのだそうで、いまでは、あの蔓バラ模様は、外国の人さえ覚えていて、あの店の名前を知らなくても、蔓バラを典雅に絡み合せた特徴ある図案は、どなただって一度は見て、そうして、記憶しているほどでございますものね。私なども、女学校のころから、もう、あの蔓バラ模様を知っていたような気がいたします。私は、奇妙に、あの図案にひかれて、女学校を出てからも、お化粧品は、全部あの化粧品店のものを使って、謂わば、まあ、フアンでございました。けれども私は、いちどだって、あの蔓バラ模様の考案者については、思ってみたことなかった。ずいぶん、うっかり者のようでございますが、けれども、それは私だけでなく、世間のひと皆、新聞の美しい広告を見ても、その図案工を思い尋ねることなど無いでしょう。図案工なんて、ほんとうに縁の下の力持ちみたいなものですのね。私だって、あの人のお嫁さんになって、しばらく経って、それからはじめて気がついたほどでございますもの。それを知ったときには、私は、うれしく、
「あたし、女学校のころからこの模様だいすきだったわ。あなたがお画きになっていたのねえ。うれしいわ。あたし、幸福ね。十年もまえから、あなたと遠くむすばれていたのよ。こちらへ来ることに、きまっていたのね。」と少しはしゃいで見せましたら、あの人は顔を赤くして、
「ふざけちゃいけねえ。職人仕事じゃねえか、よ。」と、しんから恥ずかしそうに、眼をパチパチさせて、それから、フンと力なく笑って、悲しそうな顔をなさいました。
いつもあの人は、自分を卑下して、私がなんとも思っていないのに、学歴のことや、それから二度目だってことや、貧相のことなど、とても気にして、こだわっていらっしゃる様子で、それならば、私みたいなおたふくは、一体どうしたらいいのでしょう。夫婦そろって自信がなく、はらはらして、お互いの顔が、謂わば羞皺で一ぱいで、あの人は、たまには、私にうんと甘えてもらいたい様子なのですが、私だって、二十八のおばあちゃんですし、それに、こんなおたふくなので、その上、あの人の自信のない卑下していらっしゃる様子を見ては、こちらにも、それが伝染しちゃって、よけいにぎくしゃくして来て、どうしても無邪気に可愛く甘えることができず、心は慕っているのに、逆にかえって私は、まじめに、冷い返事などしてしまって、すると、あの人は、気むずかしく、私には、そのお気持がわかっているだけに、尚のこと、どぎまぎして、すっかり他人行儀になってしまいます。あの人にも、また、私の自信のなさが、よくおわかりの様で、ときどき、やぶから棒に、私の顔、また、着物の柄など、とても不器用にほめることがあって、私には、あの人のいたわりがわかっているので、ちっとも嬉しいことはなく、胸が、一ぱいになって、せつなく、泣きたくなります。あの人は、いい人です。せんの女のひとのことなど、ほんとうに、これぼっちも匂わしたことがございません。おかげさまで、私は、いつも、そのことは忘れています。この家だって、私たち結婚してから新しく借りたのですし、あの人は、そのまえは、赤坂のアパアトにひとりぐらししていたのでございますが、きっと、わるい記憶を残したくないというお心もあり、また、私への優しい気兼ねもあったのでございましょう、以前の世帯道具一切合切、売り払い、お仕事の道具だけ持って、この築地の家へ引越して、それから、私にも僅かばかり母からもらったお金がございましたし、二人で少しずつ世帯の道具を買い集めたようなわけで、ふとんも箪笥も、私が本郷の実家から持って来たのでございますし、せんの女のひとの影は、ちらとも映らず、あの人が、私以外の女のひとと六年も一緒にいらっしゃったなど、とても今では、信じられなくなりました。ほんとうに、あの人の不要の卑下さえなかったら、そうして私を、もっと乱暴に、怒鳴ったり、もみくちゃにして下さったなら、私も、無邪気に歌をうたって、どんなにでもあの人に甘えることができるように思われるのですが、きっと明るい家になれるのでございますが、二人そろって、醜いという自覚で、ぎくしゃくして、――私はともかく、あの人が、なんで卑下することがございましょう。小学校を出たきりと言っても、教養の点では大学出の学士と、ちっとも変るところございませぬ。レコオドだって、ずいぶん趣味のいいのを集めていらっしゃるし、私がいちども名前を聞いたことさえない外国の新しい小説家の作品を、仕事のあいまあいまに、熱心に読んでいらっしゃるし、それに、あの、世界的な蔓バラの図案。また、ご自身の貧乏を、ときどき自嘲なさいますけれど、このごろは仕事も多く、百円、二百円と、まとまった大金がはいって来て、せんだっても、伊豆の温泉につれていっていただいたほどなのに、それでもあの人は、ふとんや箪笥や、その他の家財道具を、私の母に買ってもらったことを、いまでも気にしていて、そんなに気にされると、私は、かえって恥ずかしく、なんだか悪いことをしたように思われて、みんな安物ばかりなのに、と泣きたいほど侘びしく、同情や憐憫で結婚するのは、間違いで、私は、やっぱりひとりでいたほうがよかったのじゃないかしら、と恐ろしいことを考えた夜もございました。もっと強いものを求めるいまわしい不貞が頭をもたげることさえあって、私は悪者でございます。結婚して、はじめて青春の美しさを、それを灰色に過してしまったくやしさが、舌を噛みたいほど、痛烈に感じられ、いまのうち何かでもって埋め合せしたく、あの人とふたりで、ひっそり夕食をいただきながら、侘びしさ堪えがたくなって、お箸と茶碗持ったまま、泣きべそかいてしまったこともございます。何もかも私の慾でございましょう。こんなおたふくの癖に青春なんて、とんでもない。いい笑いものになるだけのことでございます。私は、いまのままで、これだけでもう、身にあまる仕合せなのです。そう思わなければいけません。ついつい、わがままも出て、それだから、こんどのように、こんな気味わるい吹出物に見舞われるのです。薬を塗ってもらったせいか、吹出物も、それ以上はひろがらず、明日は、なおるかも知れぬと、神様にこっそり祈って、その夜は、早めに休ませていただきました。
寝ながら、しみじみ考えて、なんだか不思議になりました。私は、どんな病気でも、おそれませぬが、皮膚病だけは、とても、とても、いけないのです。どのような苦労をしても、どのような貧乏をしても、皮膚病にだけは、なりたくないと思っていたものでございます。脚が片方なくっても、腕が片方なくっても、皮膚病なんかになるよりは、どれくらいましかわからない。女学校で、生理の時間にいろいろの皮膚病の病原菌を教わり、私は全身むず痒く、その虫やバクテリヤの写真の載っている教科書のペエジを、矢庭に引き破ってしまいたく思いました。そうして先生の無神経が、のろわしく、いいえ先生だって、平気で教えているのでは無い。職務ゆえ、懸命にこらえて、当りまえの風を装って教えているのだ、それにちがいないと思えば、なおのこと、先生のその厚顔無恥が、あさましく、私は身悶えいたしました。その生理のお時間がすんでから、私はお友達と議論をしてしまいました。痛さと、くすぐったさと、痒さと、三つのうちで、どれが一ばん苦しいか。そんな論題が出て、私は断然、痒さが最もおそろしいと主張いたしました。だって、そうでしょう? 痛さも、くすぐったさも、おのずから知覚の限度があると思います。ぶたれて、切られて、または、くすぐられても、その苦しさが極限に達したとき、人は、きっと気を失うにちがいない。気を失ったら夢幻境です。昇天でございます。苦しさから、きれいにのがれる事ができるのです。死んだって、かまわないじゃないですか。けれども痒さは、波のうねりのようで、もりあがっては崩れ、もりあがっては崩れ、果しなく鈍く蛇動し、蠢動するばかりで、苦しさが、ぎりぎり結着の頂点まで突き上げてしまう様なことは決してないので、気を失うこともできず、もちろん痒さで死ぬなんてことも無いでしょうし、永久になまぬるく、悶えていなければならぬのです。これは、なんといっても、痒さにまさる苦しみはございますまい。私がもし昔のお白州で拷問かけられても、切られたり、ぶたれたり、また、くすぐられたり、そんなことでは白状しない。そのうち、きっと気を失って、二、三度つづけられたら、私は死んでしまうだろう。白状なんて、するものか、私は志士のいどころを一命かけて、守って見せる。けれども、蚤か、しらみ、或いは疥癬の虫など、竹筒に一ぱい持って来て、さあこれを、お前の背中にぶち撒けてやるぞ、と言われたら、私は身の毛もよだつ思いで、わなわなふるえ、申し上げます、お助け下さい、と烈女も台無し、両手合せて哀願するつもりでございます。考えるさえ、飛び上るほど、いやなことです。私が、その休憩時間、お友達にそう言ってやりましたら、お友達も、みんな素直に共鳴して下さいました。いちど先生に連れられて、クラス全部で、上野の科学博物館へ行ったことがございますけれど、たしか三階の標本室で、私は、きゃっと悲鳴を挙げ、くやしく、わんわん泣いてしまいました。皮膚に寄生する虫の標本が、蟹くらいの大きさに模型されて、ずらりと棚に並んで、飾られてあって、ばか! と大声で叫んで棍棒もって滅茶苦茶に粉砕したい気持でございました。それから三日も、私は寝ぐるしく、なんだか痒く、ごはんもおいしくございませんでした。私は、菊の花さえきらいなのです。小さい花弁がうじゃうじゃして、まるで何かみたい。樹木の幹の、でこぼこしているのを見ても、ぞっとして全身むず痒くなります。筋子なぞを、平気でたべる人の気が知れない。牡蠣の貝殻。かぼちゃの皮。砂利道。虫食った葉。とさか。胡麻。絞り染。蛸の脚。茶殻。蝦。蜂の巣。苺。蟻。蓮の実。蠅。うろこ。みんな、きらい。ふり仮名も、きらい。小さい仮名は、虱みたい。グミの実、桑の実、どっちもきらい。お月さまの拡大写真を見て、吐きそうになったことがあります。刺繍でも、図柄に依っては、とても我慢できなくなるものがあります。そんなに皮膚のやまいを嫌っているので、自然と用心深く、いままで、ほとんど吹出物の経験なぞ無かったのです。そうして結婚して、毎日お風呂へ行って、からだをきゅっきゅっと糠でこすって、きっと、こすり過ぎたのでございましょう。こんなに、吹出物してしまって、くやしく、うらめしく思います。私は、いったいどんな悪いことをしたというのでしょう。神さまだって、あんまりだ。私の一ばん嫌いな、嫌いなものをことさらにくださって、ほかに病気が無いわけじゃなし、まるで金の小さな的をすぽんと射当てたように、まさしく私の最も恐怖している穴へ落ち込ませて、私は、しみじみ不思議に存じました。
翌る朝、薄明のうちにもう起きて、そっと鏡台に向って、ああと、うめいてしまいました。私は、お化けでございます。これは、私の姿じゃない。からだじゅう、トマトがつぶれたみたいで、頸にも胸にも、おなかにも、ぶつぶつ醜怪を極めて豆粒ほども大きい吹出物が、まるで全身に角が生えたように、きのこが生えたように、すきまなく、一面に噴き出て、ふふふふ笑いたくなりました。そろそろ、両脚のほうにまで、ひろがっているのでございます。鬼。悪魔。私は、人ではございませぬ。このまま死なせて下さい。泣いては、いけない。こんな醜怪なからだになって、めそめそ泣きべそ掻いたって、ちっとも可愛くないばかりか、いよいよ熟柿がぐしゃと潰れたみたいに滑稽で、あさましく、手もつけられぬ悲惨の光景になってしまう。泣いては、いけない。隠してしまおう。あの人は、まだ知らない。見せたくない。もともと醜い私が、こんな腐った肌になってしまって、もうもう私は、取り柄がない。屑だ。はきだめだ。もう、こうなっては、あの人だって、私を慰める言葉が無いでしょう。慰められるなんて、いやだ。こんなからだを、まだいたわるならば、私は、あの人を軽蔑してあげる。いやだ。私は、このままおわかれしたい。いたわっちゃ、いけない。私を、見ちゃいけない。私の傍にいてもいけない。ああ、もっと、もっと広い家が欲しい。一生遠くはなれた部屋で暮したい。結婚しなければ、よかった。二十八まで、生きていなければよかったのだ。十九の冬に、肺炎になったとき、あのとき、なおらずに死ねばよかったのだ。あのとき死んでいたら、いまこんな苦しい、みっともない、ぶざまの憂目を見なくてすんだのだ。私は、ぎゅっと堅く眼をつぶったまま、身動きもせず坐って、呼吸だけが荒く、そのうちになんだか心までも鬼になってしまう気配が感じられて、世界が、シンと静まって、たしかにきのうまでの私で無くなりました。私は、もそもそ、けものみたいに立ち上り着物を着ました。着物は、ありがたいものだと、つくづく思いました。どんなおそろしい胴体でも、こうして、ちゃんと隠してしまえるのですものね。元気を出して、物干場へあがってお日様を険しく見つめ、思わず、深い溜息をいたしました。ラジオ体操の号令が聞えてまいります。私は、ひとりで侘びしく体操はじめて、イッチ、ニッ、と小さい声出して、元気をよそってみましたが、ふっとたまらなく自分がいじらしくなって来て、とてもつづけて体操できず泣き出しそうになって、それに、いま急激にからだを動かしたせいか、頸と腋下の淋巴腺が鈍く痛み出して、そっと触ってみると、いずれも固く腫れていて、それを知ったときには、私、立って居られなく、崩れるようにぺたりと坐ってしまいました。私は醜いから、いままでこんなにつつましく、日蔭を選んで、忍んで忍んで生きて来たのに、どうして私をいじめるのです、と誰にともなく焼き焦げるほどの大きい怒りが、むらむら湧いて、そのとき、うしろで、
「やあ、こんなところにいたのか。しょげちゃいけねえ。」とあの人の優しく呟く声がして、「どうなんだ。少しは、よくなったか?」
よくなったと答えるつもりだったのに、私の肩に軽く載せたあの人の右手を、そっとはずして、立ち上り、
「うちへかえる。」そんな言葉が出てしまって、自分で自分がわからなくなって、もう、何をするか、何を言うか、責任持てず、自分も宇宙も、みんな信じられなくなりました。
「ちょっと見せなよ。」あの人の当惑したみたいな、こもった声が、遠くからのように聞えて、
「いや。」と私は身を引き、「こんなところに、グリグリができてえ。」と腋の下に両手を当てそのまま、私は手放しで、ぐしゃと泣いて、たまらずああんと声が出て、みっともない二十八のおたふくが、甘えて泣いても、なんのいじらしさが在ろう、醜悪の限りとわかっていても、涙がどんどん沸いて出て、それによだれも出てしまって、私はちっともいいところが無い。
「よし。泣くな! お医者へ連れていってやる。」あの人の声が、いままで聞いたことのないほど、強くきっぱり響きました。
その日は、あの人もお仕事を休んで、新聞の広告しらべて、私もせんに一、二度、名だけは聞いたことのある有名な皮膚科専門のお医者に見てもらうことにきめて、私は、よそ行きの着物に着換えながら、
「からだを、みんな見せなければいけないかしら」
「そうよ。」あの人は、とても上品に微笑んで答えました。「お医者を、男と思っちゃいけねえ。」
私は顔を赤くしました。ほんのりとうれしく思いました。
外へ出ると、陽の光がまぶしく、私は自身を一匹の醜い毛虫のように思いました。この病気のなおるまで世の中を真暗闇の深夜にして置きたく思いました。
「電車は、いや。」私は、結婚してはじめてそんな贅沢なわがまま言いました。もう吹出物が手の甲にまでひろがって来ていて、いつか私は、こんな恐ろしい手をした女のひとを電車の中で見たことがあって、それからは、電車の吊革につかまるのさえ不潔で、うつりはせぬかと気味わるく思っていたのですが、いまは私が、そのいつかの女のひとの手と同じ工合になってしまって、「身の不運」という俗な言葉が、このときほど骨身に徹したことはございませぬ。
「わかってるさ。」あの人は、明るい顔してそう答え、私を、自動車に乗せて下さいました。築地から、日本橋、高島屋裏の病院まで、ほんのちょっとでございましたが、その間、私は葬儀車に乗っている気持でございました。眼だけが、まだ生きていて、巷の初夏のよそおいを、ぼんやり眺めて、路行く女のひと、男のひと、誰も私のように吹出物していないのが不思議でなりませんでした。
病院に着いて、あの人と一緒に待合室へはいってみたら、ここはまた世の中と、まるっきりちがった風景で、ずっとまえ築地の小劇場で見た「どん底」という芝居の舞台面を、ふいと思い出しました。外は深緑で、あんなに、まばゆいほど明るかったのに、ここは、どうしたのか、陽の光が在っても薄暗く、ひやと冷い湿気があって、酸いにおいが、ぷんと鼻をついて、盲人どもが、うなだれて、うようよいる。盲人ではないけれども、どこか、片輪の感じで、老爺老婆の多いのには驚きました。私は、入口にちかい、ベンチの端に腰をおろして、死んだように、うなだれ、眼をつぶりました。ふと、この大勢の患者の中で、私が一ばん重い皮膚病なのかも知れない、ということに気がつき、びっくりして眼をひらき、顔をあげて、患者ひとりひとりを盗み見いたしましたが、やはり、私ほど、あらわに吹出物している人は、ひとりもございませんでした。皮膚科と、もうひとつ、とても平気で言えないような、いやな名前の病気と、そのふたつの専門医だったことを、私は病院の玄関の看板で、はじめて知ったのですが、それでは、あそこに腰かけている若い綺麗な映画俳優みたいな男のひと、どこにも吹出物など無い様子だし、皮膚科ではなく、そのもうひとつのほうの病気なのかも知れない、と思えば、もう皆、この待合室に、うなだれて腰かけている亡者たち皆、そのほうの病気のような気がして来て、
「あなた、少し散歩していらっしゃい。ここは、うっとうしい。」
「まだ、なかなからしいな。」あの人は、手持ぶさたげに、私の傍に立ちつくしていたのでした。
「ええ。私の番になるのは、おひるごろらしいわ。ここは、きたない。あなたが、いらっしゃっちゃ、いけない。」自分でも、おや、と思ったほど、いかめしい声が出て、あの人も、それを素直に受け取ってくれた様子で、ゆっくりと首肯き、
「おめえも、一緒に出ないか?」
「いいえ。あたしは、いいの。」私は、微笑んで、「あたしは、ここにいるのが、一ばん楽なの。」
そうしてあの人を待合室から押し出して、私は、少し落ちつき、またベンチに腰をおろし酸っぱいように眼をつぶりました。はたから見ると、私は、きっとキザに気取って、おろかしい瞑想にふけっているばあちゃん女史に見えるでしょうが、でも、私、こうしているのが一ばん、らくなんですもの。死んだふり。そんな言葉、思い出して、可笑しゅうございました。けれども、だんだん私は、心配になってまいりました。誰にも、秘密が在る。そんな、いやな言葉を耳元に囁かれたような気がして、わくわくしてまいりました。ひょっとしたら、この吹出物も――と考え、一時に総毛立つ思いで、あの人の優しさ、自信の無さも、そんなところから起って来ているのではないのかしら、まさか。私は、そのときはじめて、可笑しなことでございますが、そのときはじめて、あの人にとっては、私が最初で無かったのだ、ということに実感を以て思い当り、いても立っても居られなくなりました。だまされた! 結婚詐欺。唐突にそんなひどい言葉も思い出され、あの人を追いかけて行って、ぶってやりたく思いました。ばかですわね。はじめから、それが承知であの人のところへまいりましたのに、いま急に、あの人が、最初でないこと、たまらぬ程にくやしく、うらめしく、とりかえしつかない感じで、あの人の、まえの女のひとのことも、急に色濃く、胸にせまって来て、ほんとうにはじめて、私はその女のひとを恐ろしく、憎く思い、これまで一度だって、そのひとのこと思ってもみたことない私の呑気さ加減が、涙の沸いて出た程に残念でございました。くるしく、これが、あの嫉妬というものなのでしょうか。もし、そうだとしたなら、嫉妬というものは、なんという救いのない狂乱、それも肉体だけの狂乱。一点美しいところもない醜怪きわめたものか。世の中には、まだまだ私の知らない、いやな地獄があったのですね。私は、生きてゆくのが、いやになりました。自分が、あさましく、あわてて膝の上の風呂敷包をほどき、小説本を取り出し、でたらめにペエジをひらき、かまわずそこから読みはじめました。ボヴァリイ夫人。エンマの苦しい生涯が、いつも私をなぐさめて下さいます。エンマの、こうして落ちて行く路が、私には一ばん女らしく自然のもののように思われてなりません。水が低きについて流れるように、からだのだるくなるような素直さを感じます。女って、こんなものです。言えない秘密を持って居ります。だって、それは女の「生れつき」ですもの。泥沼を、きっと一つずつ持って居ります。それは、はっきり言えるのです。だって、女には、一日一日が全部ですもの。男とちがう。死後も考えない。思索も、無い。一刻一刻の、美しさの完成だけを願って居ります。生活を、生活の感触を、溺愛いたします。女が、お茶碗や、きれいな柄の着物を愛するのは、それだけが、ほんとうの生き甲斐だからでございます。刻々の動きが、それがそのまま生きていることの目的なのです。他に、何が要りましょう。高いリアリズムが、女のこの不埒と浮遊を、しっかり抑えて、かしゃくなくあばいて呉れたなら、私たち自身も、からだがきまって、どのくらい楽か知れないとも思われるのですが、女のこの底知れぬ「悪魔」には、誰も触らず、見ないふりをして、それだから、いろんな悲劇が起るのです。高い、深いリアリズムだけが、私たちをほんとうに救ってくれるのかも知れませぬ。女の心は、いつわらずに言えば、結婚の翌日だって、他の男のひとのことを平気で考えることができるのでございますもの。人の心は、決して油断がなりませぬ。男女七歳にして、という古い教えが、突然おそろしい現実感として、私の胸をついて、はっと思いました。日本の倫理というものは、ほとんど腕力的に写実なのだと、目まいのするほど驚きました。なんでもみんな知られているのだ。むかしから、ちゃんと泥沼が、明確にえぐられて在るのだと、そう思ったら、かえって心が少しすがすがしく、爽やかに安心して、こんな醜い吹出物だらけのからだになっても、やっぱり何かと色気の多いおばあちゃん、と余裕を持って自身を憫笑したい気持も起り、再び本を読みつつけました。いま、ロドルフが、更にそっとエンマに身をすり寄せ、甘い言葉を口早に囁いているところなのですが、私は、読みながら、全然別な奇妙なことを考えて、思わずにやりと笑ってしまいました。エンマが、このとき吹出物していたら、どうだったろう、とへんな空想が湧いて出て、いや、これは重大なイデエだぞ、と私は真面目になりました。エンマは、きっとロドルフの誘惑を拒絶したにちがいない。そうして、エンマの生涯は、まるっきり違ったものになってしまった。それにちがいない。あくまでも、拒絶したにちがいない。だって、そうするより他に、仕様ないんだもの。こんなからだでは。そうして、これは喜劇ではなく、女の生涯は、そのときの髪のかたち、着物の柄、眠むたさ、または些細のからだの調子などで、どしどし決定されてしまうので、あんまり眠むたいばかりに、背中のうるさい子供をひねり殺した子守女さえ在ったし、ことに、こんな吹出物は、どんなに女の運命を逆転させ、ロマンスを歪曲させるか判りませぬ。いよいよ結婚式というその前夜、こんな吹出物が、思いがけなく、ぷつんと出て、おやおやと思うまもなく胸に四肢に、ひろがってしまったら、どうでしょう。私は、有りそうなことだと思います。吹出物だけは、ほんとうに、ふだんの用心で防ぐことができない、何かしら天意に依るもののように思われます。天の悪意を感じます。五年ぶりに帰朝する御主人をお迎えにいそいそ横浜の埠頭、胸おどらせて待っているうちにみるみる顔のだいじなところに紫色の腫物があらわれ、いじくっているうちに、もはや、そのよろこびの若夫人も、ふためと見られぬお岩さま。そのような悲劇もあり得る。男は、吹出物など平気らしゅうございますが、女は、肌だけで生きて居るのでございますもの。否定する女のひとは、嘘つきだ。フロベエルなど、私はよく存じませぬが、なかなか細密の写実家の様子で、シャルルがエンマの肩にキスしようとすると、(よして! 着物に皺が、――)と言って拒否するところございますが、あんな細かく行きとどいた眼を持ちながら、なぜ、女の肌の病気のくるしみに就いては、書いて下さらなかったのでしょうか。男の人にはとてもわからぬ苦しみなのでしょうか。それとも、フロベエルほどのお人なら、ちゃんと見抜いて、けれどもそれは汚ならしく、とてもロマンスにならぬ故、知らぬふりして敬遠しているのでございましょうか。でも、敬遠なんて、ずるい、ずるい。結婚のまえの夜、または、なつかしくてならぬ人と五年ぶりに逢う直前などに、思わぬ醜怪の吹出物に見舞われたら、私ならば死ぬる。家出して、堕落してやる。自殺する。女は、一瞬間一瞬間の、せめて美しさのよろこびだけで生きているのだもの。明日は、どうなっても、――そっとドアが開いて、あの人が栗鼠に似た小さい顔を出して、まだか? と眼でたずねたので、私は、蓮っ葉にちょっちょっと手招きして、
「あのね、」下品に調子づいた甲高い声だったので私は肩をすくめ、こんどは出来るだけ声を低くして、「あのね、明日は、どうなったっていい、と思い込んだとき女の、一ばん女らしさが出ていると、そう思わない?」
「なんだって?」あの人が、まごついているので私は笑いました。
「言いかたが下手なの、わからないわね。もういいの。あたし、こんなところに、しばらく坐っているうちに、なんだか、また、人が変っちゃったらしいの。こんな、どん底にいると、いけないらしいの。あたし、弱いから、周囲の空気に、すぐ影響されて、馴れてしまうのね。あたし、下品になっちゃったわ。ぐんぐん心が、くだらなく、堕落して、まるで、もう」と言いかけて、ぎゅっと口を噤んでしまいました。プロステチウト、そう言おうと思っていたのでございます。女が永遠に口に出して言ってはいけない言葉。そうして一度は、必ず、それの思いに悩まされる言葉。まるっきり誇を失ったとき、女は、必ずそれを思う。私は、こんな吹出物して、心まで鬼になってしまっているのだな、と実状が薄ぼんやり判って来て、私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無い態を装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚だけを、それだけは、こっそり、いとおしみ、それが唯一のプライドだったのだということを、いま知らされ、私の自負していた謙譲だの、つつましさだの、忍従だのも、案外あてにならない贋物で、内実は私も知覚、感触の一喜一憂だけで、めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気附いて、知覚、感触が、どんなに鋭敏だっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも叡智と関係ない。全く、愚鈍な白痴でしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。
私は、間違っていたのでございます。私は、これでも自身の知覚のデリケエトを、なんだか高尚のことに思って、それを頭のよさと思いちがいして、こっそり自身をいたわっていたところ、なかったか。私は、結局は、おろかな、頭のわるい女ですのね。
「いろんなことを考えたのよ。あたし、ばかだわ。あたし、しんから狂っていたの。」
「むりがねえよ。わかるさ。」あの人は、ほんとうに、わかってるみたいに、賢こそうな笑顔で答えて、「おい、おれたちの番だぜ。」
看護婦に招かれて、診察室へはいり、帯をほどいてひと思いに肌ぬぎになり、ちらと自分の乳房を見て、私は、石榴を見ちゃった。眼のまえに坐っているお医者よりも、うしろに立っている看護婦さんに見られるのが、幾そう倍も辛うございました。お医者は、やっぱり人の感じがしないものだと思いました。顔の印象さえ、私には、はっきりいたしませぬ。お医者のほうでも、私を人の扱いせず、あちこちひねくって、
「中毒ですよ。何か、わるいものを食べたのでしょう。」平気な声で、そう言いました。
「なおりましょうか。」
あの人が、たずねて呉れて、
「なおります。」
私は、ぼんやり、ちがう部屋にいるような気持で、聞いていたのでございます。
「ひとりで、めそめそ泣いていやがるので、見ちゃ居れねえのです。」
「すぐ、なおりますよ。注射しましょう。」
お医者は、立ち上りました。
「単純な、ものなのですか?」とあの人。
「そうですとも。」
注射してもらって、私たちは病院を出ました。
「もう手のほうは、なおっちゃった。」
私は、なんども陽の光に両手をかざして、眺めました。
「うれしいか?」
そう言われて私は、恥ずかしく思いました。
了
底本:「きりぎりす」新潮文庫、新潮社
1974(昭和49)年9月30日初版発行
初出:「文学界」
1939(昭和14)年11月
入力:深山香里
校正:佐々木春夫
1999年2月4日公開
2009年3月2日修正
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