十月二十五日。(一九三〇年)
 いよいよモスクワ出立、出立、出発!
 朝郵便局へお百度を踏んだ。あまり度々書留小包の窓口へ、見まがうかたなき日本の顔を差し出すので、黄色いボヤボヤの髪をした女局員が少しおこった声で、
 ――もうあなたを朝っから二十遍も見るじゃありませんか!
と云った。
 ――ご免なさい。だが私はこの我らのモスクワに三年いたんですよ。そして、今夜帰るんですよ、日本へ。私はまた明日来るわけにいかないんだし、私のほかにこれを送り出してくれるものはいないんだから、辛棒して下さい。
 ――そうですか。
 女局員はほとんど日に一遍は彼女の前に現れていた丸い小さい日本女の顔を見なおした。
 ――日本へこれが届くでしょうか? みんな。
 それは分らない。
 広いところへかかっている大きい大きい暦の25という黒い文字や、一分ずつ動く電気時計。床を歩く群集のたてる擦るようなスースーという音。日本女はそれ等をやきつくように心に感覚しつつ郵便局の重い扉をあけたりしめたりした。
 Yが帰ってから、アイサツに廻り、荷物のあまりをまとめ、疲れて、つかれて、しまいには早く汽車が出てゆっくり横になるだけが待ち遠しかった。午後六時十五分。

 十月二十六日。
 三ルーブリ十カペイキ。正餐アベード二人前。
 ひどくやすくなっている。一九二七年の十二月頃、行きのシベリア鉄道の食堂ではやっぱり三皿の正餐アベード(スープ・肉か魚・甘いもの)が一人前二ルーブリ半した。今度は三十カペイキの鉱水ナルザンが一瓶あって、この価だ。おまけに、スープに肉が入っている! 正餐アベードをやすくしてみんなが食べられるようにし、夕食ウージンは一品ずつの注文で高くしたのはソヴェトらしく合理的だ。
 Yはヴャトカへ着いたら名物の煙草いれを買うんだと、がんばっている。
 車室は暖い。疲れが出て、日本へ向って走っているのではなく、どこか内国旅行しているような呑気な気になってころがりつつ。
 ――気をつけなさい。ヴャトカは日本人の旧跡だから。自分がトンマですりに会って、シベリア鉄道の沿線に泥棒の名所があるなんて逆宣伝して貰っちゃ困るわよ。
 ――大丈夫さ! 心得ている。
 暗くなってヴャトカへ着いた。ここはヴャトカ・ウェトルジェスキー経済区の中心だ。列車がプラットフォームへ止るや否や、Y、日本紳士をヘキエキさして「キム」に関係があるかもしれぬという名誉の猜疑心を誘発させたところの鞣外套をひっかけてとび出してしまった。
 後から、駅の待合室へ行って見たが、そんな名物の売店なし。又電燈でぼんやり照らされている野天のプラットフォームへ出て、通りかかった国家保安部の制服をきた男に、
 ――あなたそれどこでお買いになりました? 私売店キオスクをさがしてるんですが――
 その男は襟ホックをはずしたまんま、手に二つ巻煙草入れをもってぶらついていたのだ。
 ――こっちです。あのヴァロータの中ですが――一緒に行ったげましょう。
 プラットフォームをすっかりはずれて、妙な門を入って、どろんこをとび越えたところに、黒山の人だかりがある。のぼせて商売をしている女売子のキラキラした眼が、小舎の暗い屋根、群集の真黒い頭の波の間に輝やいている。樺の木箱、蝋石細工、指環、頸飾、インク・スタンド。
 成程これは余分なルーブルをポケットに入れている人間にとっては油断ならぬ空間的、時間的環境だ。少くともここに押しよせた連中は二十分の停車時間の間に、たった一人ののぼせた売子から箱かインク・スタンドか、或はYのようにモスクワから狙いをつけて来ている巻煙草いれかを、我ものにし、しかも大抵間違いなく釣銭までとろうと決心して、ゆずることなく押し合い、かたまっているのだ。同じ空地、もう一つ売店があり、そっちでパンを売っている。そこも一杯の人だ。
 三点鐘が鳴ってから、Y、車室へかえって来た。

 十月二十七日。
 朝窓をあけたら、黄色い初冬の草の上にまだらな淡雪があった。
 杉林の中の小さいステーション。わきの丘の上に青と赤、ペンキの色あざやかな農業機械が幾台も並んでいる。古い土地がいかに新しい土地となりつつあるか。ソヴェトが五ヵ年計画で四〇〇パーセント増そうとしている農業機械のこれは現実的な見本である。
 列車の窓ガラスが緑になってしまうぐらい、松ばかり。パッと展望が開いた。地平線まで密林が伐採されている。高圧線のヤグラが一定の間隔をおいてかなたへ。――いそいでもう一方を見たら、電線は鉄道線路を越えて、再びヒンデンブルグの前髪のような黒い密林のかなたへ遠くツグミの群がとび立った。今シベリアを寂しい曠野と誰が云うことが出来よう。
 エカテリンブルグ=スウェルドロフスキーを通過。モスクワ時間と二時間の差。進んだのだ。列車は石造ステーションの二階にあたるような高いところに止る。駅の下、街に二台幌型フォードがあった。列車の中から見晴らせるだけのところにでも、いくつか新しい工場が建ちかけている。ウラル地方はこのスウェルドロフスキーを中心として、СССРの大切な石炭生産地、農業用トラクター生産地だ。一九三〇年、アメリカのキャピタリストがウラルという名をきいて連想するのは、もう熊狩ではない。
 灰色を帯びた柔かい水色の空。旧市街はその下に午後のうっすり寒い光を照りかえしている。足場。盛に積まれつつある煉瓦。

 十月二十八日。
 水色やかんを下げてYが、ヒョイヒョイとぶような足つきで駅の熱湯供給所へ行く後姿を、自分は列車のデッキから見送っている。あたりはすっかり雪だ。СССРでは昔からどんな田舎の駅でも列車の着く時間には熱湯を仕度してそれを無料で旅人に支給する習慣だ。だからしばしば見るだろう。汽車が止るとニッケル・やかんやブリキ・やかんや時には湯呑一つ持ってプラットフォームを何処へか駈けてゆく多勢の男を。茶・急須・砂糖・コップ・匙。それをもっているのはСССР市民だけではない。我々だってもっている。
 今日はコルホーズ(集団農場)の大きいのを見た。トラクターが働いての収穫後の藁山。そこへ雪がかかっている。
 ああはやく、はやく! あっちに高い「エレバートル」が見える!(エレバートルは麦袋を貨車につみ込むための自動的運搬である。)
『コンムーナ』という地方農民新聞を手に入れた。五日に二度発行、十頁、オムスク鉄道バラビンスキー停車場内鉄道従業員組合ウチーク・そこが編輯所である。モスクワ発行の『イズヴェスチア』『プラウダ』なんかはもうどんなにしたって二十五日以後のものはよめっこない。我々は特急クリエルスキーにのっている。我々の列車が、モスクワを出て三日目だのに既に十八時間遅れながら、社会主義連邦中枢よりのニュースを、シベリアのところどころに撒布しつつ進行しているわけである。
 この『コンムーナ』は二十七日の分である。深い興味で隅から隅まで読んだ。丁度今この地方は、牛酪バタ収穫時に入っている。「十月一杯でバラビンスキー地方は一九〇ツェントネル(百ポンド)の牛酪バタをバタ生産組合へ支給する予定だ。十月二十日までに一三五ツェントネルを集めた。九月の生産予定計画を我々は七五パーセントしかみたすことが出来なかった。ところが十月は二十日間に予定の七一パーセントをみたした。組合員諸君及集団農民諸君! このテンポをおとすな!」そしてバタ生産に関する農村通信員の面白い批判が掲載されている。
バタ工場の支配人を代えろ!
バタ工場上ナザロフスキーの支配人ゴルデーエフは生産に従事することを欲していない。工場は無管理状態に君臨されている。
工場が燃料に欠乏を感じぬ日は一日もない。工場用の水はきたない。そのために製造したバタの品質が低下する。
上ナザロフ村にもう一つバタ工場がある。そこの建物はひどい有様だ。扉はこわれている。寒くて働けぬ。
この間支配人はクラスノヤルスク村へ牛乳買上決算に出かけた。そこで彼は三昼夜べろべろにのんだくれ、その結果として、バタ工場に属す馬をどっかへなくしてしまった。
グロデーエフは三頭馬をもっている。以前グロデーエフは何人か小作人をもっていた。現在十九歳の小作人ニコライ・クリコフを使っている。
 手帖にうつしているとY、赤鉛筆をこねて切抜の整理しながら、
 ――何ゴソゴソしているのさ。
 ――知ってる? あなた。牛乳生産組合がどんな風に農民から牛乳を集めるか。
 СССРで集団農業に移ろうとした時、農民及政府双方で一番困難したのは家畜の問題だった。穀類集団農業から集団牧畜へ。これは常に積極的刺戟を加えられている点である。この新聞で見ると牛乳協定は非常に農民の利益を計って改正されている。去年の牛乳協定は農民の消費を考慮せずにされた。つまり各農戸の人員を数えず、バラビンスキー地方一帯、牛一匹一年六・六ツェントネル平均として協定標準が定っていた。各農家別にすると、
一頭持   四・六(ツェント)
二頭持   六・〇(同   )
三頭持   七・五(同   )
 ところが今年は当地方平均一頭宛の標準は五・六六六ツェントネルで、各農戸に対する一頭の標準は、
一匹   五人家族   三・〇(ツェント)
二匹   八人同    四・四(同   )
という工合である。

 大きい河。濁ったあく色だ。両岸、雪が白い。地図を見たらそれがイルトゥウィシェ河だった。オムスク市が鉄橋のかなたからはじまる。
 オムスク四十分停車。
 ステーション構外の物売店見物。
 バタがうんとある。
 三つ十五カペイキでトマトを買った。てのひらにのっけて雪道を歩くとそれは烏瓜のようだった。実際美味くなかった。ナルザン鉱泉の空瓶をもってって牛乳を買う50к。ゴム製尻あてのような大きい輪パン一ルーブル。となりの車室の子供づれの細君が二つ買ってソーニャという六つばかりの姉娘の腕に一つ、新しい世界ノヴォ ミールというインターナショナル抜スイのような名をもった賢くない三つの男の子の腕に一つ通してやっている。
 耳が痛い位寒い。食堂でよく会う黒人党員がいつも一緒なロシア婦人党員と白い息をハーハーふきながら愉快この上ない顔つきで散歩している。一行はドイツ人もアメリカ人も混って、食事の時は婦人党員がドイツ語、英語、ロシア語でやっているのだ。(モスクワを立つ前、こんな事件があった。何処かの工場でアメリカ技師を招聘した。技師は職工を何人かつれて来て、中に黒人労働者もいた。白人職工が何かのことで、議論する間もなくいきなり手を上げて黒人の仲間を殴った。彼は故郷自由の国アメリカ、黒人に対する私刑リンチが行われるときは巡査が交通整理して手伝ってくれる文明国にいるのだと感違いした。その時周囲に目撃していたのはソヴェトのプロレタリアートだ。直ぐその場で一般集会――同僚裁判が開かれた。その白人職工はその工場労働者の決議によってアメリカへ送還された。)

 オムスクから二時間ばかりのところに、すっかり新しい穀物輸送ステーションが出来ている。屋根からつららの下った貨車。そびえるエレバートルの下へ機関車にひかれて行く。何と新鮮なシベリア風景だ。
 午後三時半。
 晴れた西日が野にさして、雪は紫色だ。林は銅色。
 小さい駅。白樺。黄色く塗った木造ステーション。チェホフ的だ。赤い帽子をかぶった駅長が一人ぼっち出て来て、郵便車から雪の上へ投げた小包を拾い上げた。その小包には切手が沢山はってあった。

 十月二十九日。
 昨夜スウェルドロフスキー時間の午前一時頃ノヴォシビリスクへ。モスクワでウラジヴォストクまでの切符を買う時ノヴォシビリスクで途中下車をするようにしようかとまで思ったところだ。新シベリアの生産と文化の中軸だ。真夜中で〇・一五度では何とも仕方ない。車室の窓のブラインドをあげ、毛布にくるまってのぞいていたら次第に近づく市の電燈がチラチラ綺麗に見えた。
 一寝いりして目がさめかけたらまだ列車は止っている。隣の車室へ誰か町から訪ねて来て、
 ――今ここじゃ朝の四時だよ、冗談じゃない!
 男の声がした。時計また二時前進。今度の旅行には時間表が買えなかった。大きい経済地図があるのを鞄から出して見る。モスクワは地図の上で赤ボッチ。自分達はシベリアの野と密林の間を一日一日と遠くへ走っている。
 ある駅へ止る。ステーションの建物の入口の上に赤いプラカートが張ってある。
 五ヵ年計画第三年目完成ノタメニ諸君用意シロ!
 その前に男女一かたまりの農民が並んで立って列車とそこから出て来て散歩している旅客を眺めている。今日も新しいエレバートルを見た。まだすっかり出来上らないで頂上に赤旗がひるがえっていた。

 十月三十日。
 午後一時、ニージュニウージンスクへ止る一寸前、ひどい音がして思わず首をちぢめたら自分の坐っていたすぐよこの窓ガラスの外一枚が破れている。
 ――小僧マーリチク
 ――見たの?
 ――三人いたんだ。一人石をひろうところ見たんだが……
 モスクワを出た時車掌が入って来て、急いで窓のシェードを引きおろし、
 ――こうしとかなくちゃいけません。
と云った。
 ――何故?
 ――石をなげつけるんです。
 自分は信じられなかったから、又、ききかえした。
 ――どうして?
 ――わるさする奴があるんです。御承知の通り。
 停車したとき出て見たら、後部でもう一つの窓がやられている。そこのは石が小さかったと見えて空気銃の玉でもとび込んだように小さい穴がポツリとあいてヒビが入ってるだけである。こっちのは滅茶滅茶である。
 子供はつかまったそうだ。親がえらい罰金をくうのだろう。
 どっか松林の下に列車が止ってしまった。兎が見えたらしい。廊下で、
 男の声 ここいらの住民は兎は食わないんです。
 女の声 でも沢山とるんでしょう? カンヅメ工場でも建てりゃいいのに。
 思わず答えた。それっきりしずかだ。雪の上によわい日がさしてる。今日は何度もステーションでもないところで止って後もどりしたりする。
 窓ガラスが壊れて寒いので、窓の方の側へずらして帽子をかぶり、外套片袖ひっかけて浮浪児みたいな風体で坐ってる。
 二人で代り番こに本の目録を作るためタイプライターをうった。

 十月三十一日。
 雪の上にまつのきがある。黒く強い印象的な眺めだ。どっか東洋風だ。モンゴリア人が馬に車をひかせ長い裾をハタハタひるがえして足早に雪の中をこいで行く。
 イルクーツク。一時間進む。
 列車車掌の室は各車台の隅にある。サモワールがある。ロシアのひどく炭酸ガスを出す木炭の入った小箱がある。柵があって中に台つきコップ、匙などしまってある。車掌は旅客に茶を出す。小型変電機もある。壁に車内備付品目録がはってあるのを見つけた。
 ――モスクワへ帰るとみんな調べうけるんですか?
 ――そうです。みんな検査する。そのガラスがこわれたから我々二人で十一ルーブリ払わなけりゃならないんです。あなたの方のは犯人がつかまって書類が廻ったからいいが……
 これで分った。一昨日食堂車へわたるデッキの扉のガラスが破れた時、何心なく、
 ――誰がわったの?
ときいた。すると、やっぱりこの若い、党員である車掌は珍しく不機嫌に、答えた。
 ――知らないです。
 車掌は七十五ルーブリの月給を貰っている。СССРで勤労者は多くの権利をもち、例えば解雇するにも、工場で作業縮小の場合一ヵ月の内三日理由なく休んだ場合、二ヵ月以上収監された場合の外、大体労働者の承諾を必要とする。その代り責任はがっちり肩の上にかかっている。

 十一月一日晴。
 チタを寝ている間に通過した。一時間時計が進んだ。
 〇時五分すぎ。
 小さい木橋の上で列車が止った。
 窓へ顔をくっつけて左手を見ると、そっちに停車場らしいものが見える。が、そこまでは遠く列車の止ってるのは雪に埋もれた丘の附近である。
 ――何てステーション?
 ノヴォミールが廊下できいている。
 ――木のステーション!
 人形を手にぶら下げて、わきに立っている姉娘が返事した。
 むこうの方で、別の男の子が父親に同じ質問をしている。
 ――誰にも分らないステーションだよ。
 靴にいっぱい雪をつけ、鼻のあたまを真赤にして手袋をぬぎながら車掌が入って来た。
 ――フーッ!
 ――何か起ったの?
 ――むこうの軟床車の下で車軸が折れたんです。もうすこしでひっくりかえるところだった。
 ブリッジへ出て両手でわきの棒へつかまり、のり出して後部を見わたしたら、深い雪の中へ焚火がはじまっている。長靴はいて緑色制帽をかぶった列車技師が、しきりに一台の車の下をのぞいて指図している。棒材がなげ出してある。真黒い鉄の何かを運んで来て雪の中にころがしてある。山羊皮外套を雪の上へぬぎすて農民みたいな男が、車の下に這いこんだ。防寒靴の足の先だけが此処から見える。
 日はキラキラさしている。雪は凍ってる。寒い。赤い房のついた三角帽をかぶった蒙古少年が雪をこいで、低い柵のむこうの家の見える方へ歩いて行く。犬があとからくっついて行く。
 廊下へひっこんで来たら、むこうのはずれの車室から細君が首だけ出し、
 ――何が起ったんです?
 良人は、ひろい背中を細君の方へ向け、脚をひらいて廊下に立ちパイプをふかしながら、
 ――エピソードさ。
 そういう返事をしている。
 蒙古人の村はどこでも犬が多いな。――……
 列車は修繕のために二時間以上雪の中にとまっていた。
 ほとんど終日、アムール河の上流シグハ川に沿うて走る。雪、深し。灌木地帯で、常磐木は見えない。山がある。民家はシベリアとは違い薄い板屋根だ。どの家も、まわりに牧柵チャシをゆって、牛、馬、豚、山羊などを飼っている。家も低い、牧柵チャシもひくい。そして雪がある。
 川岸を埋めた雪に、兎か何か獣の小さい足跡がズーとついている。川水は凍りかけである。
 風景は、モスクワを出た当座の豊饒な黒土地方、中部シベリアの密林でおおわれた壮厳な森林帯の景色とまるで違い、寂しい極東の辺土の美しさだ。うちつづく山のかなたは、モンゴリア共和国である。

 十一月二日。晴れたり曇ったり。
 列車の窓とすれすれにごろた石の山腹がある。ひる頃外を見ても、やっぱりそれと瓜二つなごろた石の山腹が窓をかすめて行く。
 ――退屈な景色!
 ――ベザイスが、実はあんたのところの同じような山には、もうあきあきしてるんですと云ったわけだ。
 芸術座小舞台で「我等の青春」という国内戦時代のコムソモール(青年共産同盟員)たちの感情、若さから誤謬は犯しながら雄々しく実践でそれを清算する働きぶりなどを歴史的に見た劇を上演している。ハバロフスクへ潜行運動にベザイスが、絵を描いた貨車にのっかって行く。その中途から頼まれてのせてやった娘とそう話すのである。
 我々の列車もモスクワを出て九日目。ハバロフスクの手前を走っている。
 ある小さい駅を通過した時、女がにない棒の両端へ木の桶をつって、水汲みに来たのを見た。駅の横手の広っぱに井戸がある。井戸側は四角い。ふたがちゃんとついている。大きな輪があって、そこについている小さいとってで輪をまわし、繩をゆるめて水を汲みあげる仕掛になっている。シベリアの方でも田舎の井戸はこんな形だった。
 日本でも女が水汲みをする。ロシアでも女がやっている。そして、この担い棒をかついだ女村民の部落には村ソヴェトの赤い旗が雪の下からひるがえっている。
 景色が退屈だから、家に坐ってるような心持でいちんち集団農場『集団農場・暁コルホーズ・ザリヤー』を読んだ。
 一九二八―二九年、ソヴェト生産拡張五ヵ年計画が着手されてから、社会主義社会建設に向って躍進しはじめたのは、直接生産に従事している労働者ばかりではない。画家も、作家も、キネマの製作者も総動員を受けた。彼等芸術労働者は、新しいソヴェト生産拡張の現実、それにつれていちじるしい変化を生じた労働者農民の日常の生活状態、社会的感情などを芸術の内にいきいきと再現し、さらに芸術を通して民衆の階級的自覚を社会主義社会の完成に向って一歩押し進めようとする重大な階級的役割をもった。
 若いキネマ製作者たちはカメラをもって、農村へ、炭坑へ、森林の奥へ進出した。(そして、日本のキネマ愛好者はトーキョーで、傑作「トルクシブ」を観た。)
 作家、記者は、彼等の手帖が濡れると紫インクで書いたような字になる化学鉛筆とをもって、やっぱり集団農場を中心として新生活のはじめられつつある農村へ、漁場へ、辺土地方(中央亜細亜アジアやシベリア極地)へ出かけた。作家の団体は有志者を募集し、メイエルホリドの若手俳優や劇場労働青年トラムの遠征隊と一緒に、特別仕立の列車で文化宣伝にモスクワを立った。
 いろいろ面白い農村新生活の記録の報告が現れた。国立出版所は、五カペイキや二十カペイキの廉価版を作って、それ等を売り出した。
集団農場・暁コルホーズ・ザリヤー』十五カペイキ。集団農場・暁コルホーズ・ザリヤーが、つい附近の富農の多い村と対抗しつつどんな困難のうちに組織されたか、どんな人間が、どんなやり方で――うすのろの羊飼ワーシカさえどんな熱情で耕作用トラクターを動かそうとしたか、そこには集団農場を支持するかせぬかから夫婦わかれもある農村の「十月」を、飾らない、主観を混ぜない筆致で短かいいくつかの話に書いてある。
 新しい力が、古い根づよいものによって決められ、しかしついにはいつか新しい力が農村の旧習を修正してゆく現実の有様を描いてある。こういう本は字引がいらない。

 十一月三日。
 時計がまた一時間進んだ。すっかり極東時間――日本と同じ時間になった。モスクワでは、時々夜おそくなるまで何かしていてふと思い出し、
 ――今日本何時頃だろ。
 ――今――二時だね、じゃ九時だ朝の。もう学校がはじまってる――
 そんなことを話し合った。
 だがこのウラジヴォストク直通列車は、二十何時間かもうおくれたのである。本当は今夜ウラジヴォストクについている筈だったのに、恐らく明日の夜までかかるだろう。十日も汽車にのると、半日や一日おくれるぐらい何とも思わない。みんなが呑気になる。そして、段々旅行の終りになったことをたのしんでいる。
 ――これでウラジヴォストクまでにもう何時間おくれるだろうね。
 ――五時間は少くともおくれるね。
 ――まあいいや、どうせウラジヴォストクより先へこの汽車は行きっこないんだ。
 廊下で誰か男が二人しゃべっている。
 東へ来たらしい景色である。樹にとまっている雪がふっくり柔かくふくらんでいる。
 夜食堂車にいたら、四人並びのテーブルの隣りへ坐った男が、パリパリ高い音を立てて焼クロパートカ(野鳥の一種)をたべながら、ちょいと指をなめて、
 ――シベリアにはもう雪がありましたか?
と自分にきいた。ほんとに! 沿海州を走っているのだ。
 食堂車内は今夜賑やかだった。ずっとモスクワから乗りつづけて来たものは長い旅行が明日は終ろうとする前夜の軽い亢奮で。新しく今日乗り込んで来た連中は、列車ではじめての夕飯をたべながら。――(汽車の食堂は普通の食堂ストロー※(濁点付き片仮名「ワ」、1-7-82)より御馳走だ。)シベリアに雪はあるかと訊いた男が通路のむこう側のテーブルでやっぱりクロパートカをたべている伴れの眼鏡に話しかけた。
 ――どうだね、君んところのは?
 目立たぬ位肩をもちあげ、
 ――まあこんなもんだろう。
 ――バタはいいが、いかにも腹にこたえないね、尤もそれでいいんだが……
 焼クロパートカ半身一皿一ルーブル五十カペイキ也。
 あっちこっちのテーブルで知らない者同士が他の土地の天候などきき合っていた。
 夜、日本茶を入れてのむのに、車掌のところへ行ってさゆいりのコップを借りたら年上の、党員ではない方の車掌がもしあまったら日本茶を呉れと行った。
 ――あなた日本茶、知っているの? 青いんですよ、日本の茶、砂糖なしで飲むの。
 ――知ってますとも! よく知ってる、中央アジア=タシケントにいた時分始終のんでいました。
 あっちじゃいつも青い茶を飲むんです、暑気払いに大変いいんです。
 小さいカンの底に少し入っているまんま持って行ったら、手のひらへあけて前歯の間でかんだ。
 ――これはありがたい! いい茶ですね、本物の青茶だ。

 十一月四日。
 ウラジヴォストクへいよいよ明日着きはつくが、何時だか正確なことが分らない。午前二時頃かもしれない。然し五時頃かもしれないんだそうだ。昨夜、Y、気をもんで、若し午前二時に着くのならホテルへ部屋がいる。ウラジヴォストクの某氏へ電報打とうと云って、頼信紙に書きまでしたが、大抵五時だろうと云う車掌の言葉に電報は中止した。
 ――明日どうせせわしいんだから、ちゃんと今日荷物しとかなけりゃいけない。
 連絡船は十二時に出る。一週間に一度である。
 或るステーションを通過し構内へさしかかると、大きな木の陸橋が列車の上に架けられているのを見た。それは未完成でまだ誰にも踏まれない新しい木の肌に白い雪がつもっている。美しい。五ヵ年計画はソヴェトの運輸網を、一九二八年の八万キロメートルから十万五千キロメートルに拡大しようとしている。一九三〇年の鉄道貨物は二億八千百万トンになった。(一九三三年には三億三千万トンの予定。)その事実はシベリアを通ってここまで来る間、少し主だった駅に、どの位の貨車が引きこまれ積荷の用意をし、又は白墨でいろんな符牒を書かれ出発を待って引こみ線にいたかを思い出すだけで証明される。この陸橋だってそうだ。もと、この駅にはこんなに貨物列車の長い列がいくつも止ったりすることはなかったのである。通行人は、のんきにロシアのルバシカと長靴で構内線路を横切って歩いていたのだろう。
 ところが、貨車はどんどんやって来、もうその下をもぐって往来しかねるようになったので、この新しい木橋がつくられた。――
 新らしい陸橋はここで見たのがはじめてではなかった。どっか手前でもう二つばかり見た。

 十一月五日。
 あたりはまだ暗い。洗面所の電燈の下で顔を洗ってたら戸をガタガタやって、
 ――もう二十分でウラジヴォストクです!
 車掌がふれて歩いた。
 Y、寝すごすといけないというので、昨夜はほとんど着たまま横になった。上の寝台から下りて来ながら、
 ――いやに寒いな!
 いかにも寒そうな声で云った。
 ――まだ早いからよ、寝もたりないしね。
 いくらか亢奮もしているのだ。車室には電燈がつけてある。外をのぞいたら、日の出まえの暗さだ、星が見えた。遠くで街の灯がかがやいている。
 永い間徐行し、シグナルの赤や緑の色が見える構内で一度とまり、そろそろ列車はウラジヴォストクのプラットフォームへ入った。空の荷物運搬車が凍ったコンクリートの上にある。二人か三人の駅員が、眠げにカンテラをふって歩いて来た。
 ――誰も出てない?
 ――出てない。
 荷物を出す番になって赤帽がまるで少ない。みんな順ぐりだ。人気ないプラットフォームの上に立って車掌がおろした荷物の番をしている。足の先に覚えがなくなった。
 ――寒いですね。
 猟銃を肩にかけて皮帽子をかぶった男が、やっぱり荷物の山の前に立って、足ぶみしながら云った。
 ――ここは風がきついから寒いんです。
 やっと赤帽をつかまえ、少しずつ運んで貨物置場みたいなところへ行った。
 ――どこへ行くんですか?
 ――日本の汽船へのるんだけれども、波止場は? あなた運んでは呉れないのか?
 麻の大前垂をかけ、ニッケルの番号札を胸に下げて爺の赤帽は、ぼんやりした口調で、
 ――波止場へは別だよ。
と答えた。
 ――遠い? ここから。
 ――相当……
 馬車を見つけなければならないのだそうだ。
 ――ここに待ってて! いい?
 Y、赤帽つれてどっかへ去った。十分もして赤帽だけが戻って来た。最後の荷物を運ぶのについてったら、駅の正面に驢馬みたいな満州馬にひかせた支那人の荷馬車が止ってて、我々の荷物はその上につまれている。
 支那人の馬車ひきは珍しく、三年前通ったハルビンの景色を思い出させた。三年の間に支那も変った。支那は今百余の県に労働兵卒ソヴェトをもっている。
 ――うまく見つけたろ? 波止場まで七ルーブリだって。
 もう明るい。電車はごくたまにしか通らず、人通りの少い、支那人とロシア人が半々に歩いている街を、馬車について行く。右手に、海が見えた。汽船も見える。――
 波止場まで遠い。Y、小走りで先へゆく荷車に追いついたと思うと両手に下げてた鞄と書類入鞄を後から繩をかけた荷物の間へ順々に放りあげ、ひょいと一本後に出てる太い棒へ横のりになった。尻尾の長い満州馬はいろんな形の荷物と皮外套を着たYとをのっけて、石ころ道を行く。自分は歩道を相変らずてくる。てくる。――
 だらだら坂を海岸の方へ下る。倉庫が並んでいる。レールが敷いてある。馬糞がごろた石の間にある。岸壁へ出て、半分倉庫みたいな半分事務所のような商船組合の前で荷馬車がとまった。目の前に、古びた貨物船が繋留されている。それが我等を日本へつれてゆく天草丸だった。
 そこからは、入りくんだ海の面と、そのむこうに細かく建物のつまった出鼻の山の景色が見える。今太陽は海、出鼻の上を暖かく照らし、岸壁でトロを押している支那人夫の背中をもてらしている。
 ウラジヴォストクでは、町の人気も荒そうに思われていた。来て見るとそれは違う。時間の関係か、街はおだやかだ。港もしずかだ。海の上を日が照らしている。
 自分は、一口に云えない感情で輝く海のおもてを見た。
 СССРの、ほんとの端っぽが、ここだ。
 モスクワからウラジヴォストクまで九千二百三十五キロメートル。ソヴェトは五ヵ年計画でここに新たな大製麻工場を建てようとしている。同時に、日本海をこえて来る資本主義、帝国主義を、この海岸から清掃しようとしている。かつてウラジヴォストクからコルチャック軍と一緒にプロレタリアートのソヴェト・ロシア揉潰しを試みて成功しなかった日本帝国主義軍、自覚のない、動員された日本プロレタリアートの息子たちが出入りした。次に、利権やとゲイシャと料理屋のオカミがウラジヴォストクをひきあげた。一九三〇年の今日、朝鮮銀行の金棒入りの窓の中には、ソヴェト当局によって封印された金庫がある。
〔一九三一年一、二月〕

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:「女人芸術」
   1931(昭和6)年1月、2月号
※「――」で始まる会話部分は、底本では、折り返し以降も1字下げになっています。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
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