一九三〇年の夏のことだ。
 ソヴェト同盟では、世界のブルジョア学者、政治家が口を揃えて嘲弄した生産拡張の五ヵ年計画をあらゆる革命的勤労者の支持と、偉大な努力とで、第二年目を終ろうとしている。ソヴェト全土に燃えるような飛躍と建設が響き渡っている。
 わたしは、その夏、ウクライナの大国営農場「ギガント」を見学に行った。鉄道の沿線からはじまって、目もはるかな大農場は麦の波だ。そこを、ゆるゆる地平線に向って滑走中の飛行機のようなコンバイン(苅入機)が進行している。
 古貨車を利用してこしらえた農業労働者のキャンプのわきには、炊事車が湯気を立てている最中だ。
 婦人労働者の派手な桃色のスカートが、炎天のキャンプの入口にヒラヒラしている。彼女は日やけした小手をかざして、眩しい耕地の果、麦輸送の「エレバートル」の高塔が白く燦いている方を眺めた。キャンプの車輪の間の日かげへ寝ころがって、休み番の若い農業労働者が二、三人、ギターを鳴らして遊んでいる。
 郵便局、農場新聞発行所。労働調査のために医員が出張して、一つのキャンプを試験管や血圧検査機で一杯にしている。
「ギガント」事務所のわきにフォードの幌形自動車がとまって、踏段に片足かけ、パイプをほじっているのは、縞シャツのアメリカ技師だ。洒落しゃれた鎌と槌との飾りをつけた小屋に、国立出版所の売店が本をならべている。――
 大体ソヴェト同盟の五ヵ年計画は、いろいろと予想外の飛躍をもって進展しているが、例えば農村における集団農場化の問題がある。
 これは、ソヴェト同盟の最も積極的な勤労者が期待したより更に成功的に行われている。
集団農場に組織された農戸数
 一九二八年     四〇〇・〇〇〇
 一九二九年   一、〇〇〇・〇〇〇
 一九三〇年   六、〇〇〇・〇〇〇
 一九三一年   九、〇〇〇・〇〇〇
播種面
 一九二八年     二百万ヘクター
 一九二九年   六百五十万ヘクター
 一九三〇年   四千三百万ヘクター
 一九三一年   六千五百万ヘクター
 ただ大規模な農場機械をつかって、耕し、蒔き、苅りとるというだけならそれは、アメリカの大経営の農場がとっくの昔にやっている。だがアメリカで精巧な農業機械は農業労働者に何をもたらしているか? 一九二九年秋以来アメリカには農村恐慌がある。
 ソヴェト同盟の耕地に一台トラクターが運転されることは、直接集団化された農民に何割かの確実な収益増大を約束するばかりではない。トラクターと一緒に文化がやって来ている。
「ギガント」から一時間ばかり汽車にのっかって行くと、「ウェルブリュード」という国営大耕地の真中に、農業機械専門学校がある。建ったばかりの校舎、寄宿舎、労働者住宅などが快活に花園をかこんで窓々を開いている。男女の学生、未来の技師たちは、五年以上職場にいたものに限られている。
 ロストフ市の郊外に新しくプロレタリア文化の壮麗な城のような「セルマシストロイ」(農業機械製造)の大工場都市がある。これは純然たる社会主義都市計画によってつくられた町だ。
 明るい、電化された大工場を中心に共同食堂がある。消費組合売店ではラシャの布地まで扱っている。托児所、学校、革命の家コンムーナ、病院は建築中だ。案内の若い、労働通信員をしている技師と工場内の花の咲いたひろい通路を歩いていたら、こっちでは電熱炉で鉄を溶かしている鍛冶部の向い側のどこかで、嬉しそうなピアノの音がしはじめた。
「セルマシストロイ」は巨大工場で未完成だ。各部がまだクラブを職場の近所の建物の中にもっている。丁度昼休みで、ソヴェト同盟の労働者が仕事着のままその前に坐っているピアノの音が聞えはじめたという訳だ。ここではタイプライターで綺麗にうった職場の壁新聞を見た。
 強烈な、新鮮な建設の現実にうたれてモスクワへ帰って来た。
 間もない或る日、国立出版所の店へ行くと、どこか店内の模様がかわっている。見ると、これまでズラリと壁にはめこまれていた本棚とは別に、一つ大きい本棚が飾窓のこっちにこしらえてある。
 経済。農業。機械。
 五ヵ年計画に関するパンフレット。
 政治。
 党に関する文献。
 反宗教。
 そういう貼紙が本棚の各段ごとにある。人が絶え間なくその前にたかり、或る者は手帳を出して書名をひかえている。或る者は直ぐ黒い上被りを着た店員に別の棚からその本を出して貰い、金を払っている。
 成程これは、ソヴェト同盟らしい親切なやりかただ。ただ新刊書を一まとめにして、丸善の棚みたいに並べてあるのではない。この本棚が、謂わば書籍購入相談所なのだ。経済なら、経済に関して読むべき本が一通りまとめ初歩的なものから高度なものまで並べてある。
 党に関したものにしろ、ロシア共産党史から、コミンテルンに関するもの、五ヵ年計画に関するパンフレットに至ってはブハーリンの誤謬を簡単に説明したものまで包括している。
 その本棚について調べると、或る特定の問題について何を読むべきかが、人にきかないでもわかる仕組みになっているのだ。
 段々歩いて見ると、こういう本棚をこしらえたのはそこばかりではなかった。これも、ソヴェト五ヵ年計画の素晴らしい成果の一つである。美しい郵電省の先に、少年図書販売店がある。入って見ると、ある、ある! 色彩も美しい五ヵ年計画の絵解きから、十月革命の相当のむずかしい歴史に至るまで小学校の学年順に並べた棚が出来ている。
 モスクワを留守にしたのはたった一ヵ月未満だった。それだのに、ブルジョア書籍店と同じような体裁だったソヴェト同盟の本屋の内部は質において社会主義的に一躍した。学問は、本はプロレタリアート、農民、一般勤労者の日常必需品だ。その階級的武器を、出来るだけ正確に、出来るだけたやすく、みんなの手に渡らせよう! そういう積極的な意志がありあり感じられた。

――文盲は勤労者の恥だ――
 大体、革命までロシアは世界で有名な文盲率の高い国だった。帝政ロシアの支配者たちは搾取に反抗されるのがこわくて、勤労者には高い税で政府が儲けることのできる火酒と坊主をあてがってばかりいた。農村、都会とも、小学校はギリシア正教の僧侶に管理された。貧農、雇女の子供は中学にさえ入れなかった。猶太ユダヤ人を或る大学では拒絶した。
「十月」は、翻る赤旗とともに、すべてこういうプロレタリア、農民への重石をはねのけ、猛然と文盲撲滅をはじめた。工場の中、兵営の中、農村、町、ソヴェトの中、教会の中をもいとわず、共産青年同盟員やピオニェールが、アルファベットのカードをこしらえて、七十の爺さんや二十五のお神さんに字を教えはじめた。
 それでも、一九二六年には(十二歳以上)五千七十七万千九百九十七人という尨大な文盲群がソヴェト同盟にあった。つまり、全人口に比べると、殆ど三人に一人当の文盲者という有様だった。帝政ロシア時代から農村の生活がどんなひどいものだったかは、この文盲群にふくまれる農民の夥しい数でわかる。五千七十七万千九百九十七人という文盲者中実に、四千五百九十一万六百五十一人が農村居住者だった。
 国内戦を経て、勇ましい階級的闘士をウンと出した婦人の基本的文化も一般的に云えば低かった。証拠に、全文盲人員の中、三千四百五十七万六千百二十八人は文字のわからない勤労婦人だった。
 ところが、文盲撲滅の文化運動は、社会主義社会に生きる勤労者からの自発的な要求で、急テンポに進んだ。
 昔、地主に欅の枝の鞭でひっぱたかれた時分は、なるほど字を知らなくたってすんだだろう。富農だけが、金時計の鎖といっしょにポケットへ短い鉛筆を大切にしまっていた。然し、革命は、土地を農民へというスローガンを実現し、農民は自分達の村を自分達で、ソヴェトでおさめることになって来た。十八歳以上の男の女も、ソヴェトの役員に選び、選ばれる。――
 一九一七年から一八――一九年と革命のパルチザンに参加し立派に村を白軍の蹂躙から守った五十歳の貧農ピョートルが村ソヴェトの議長に選ばれたとする。
 議長席に坐る。鈴を振る。タワーリシチ! と演説する。――みんな出来るが、いざ、さあ議長ここに一寸書いて下され、とペンと書類とをつきつけられると、ピョートルの動顛は頂点に達する。――ピョートルは字を知らないという不便を辛棒しかねる。そうかと云って、字を知っている奴は村の富農のワーシカだとしたら、そのワーシカにソヴェトの仕事がまかされるだろうか? いや! そこで、ピョートルは、ルバーシカの下に汗をびっしょりかいて、村の文盲撲滅の講習会へ出かけるということになる。
 若い者に字を習うということが、案外きまりわるくないと分る。やがて、ピョートルの女房も来る。女房が隣りの女房もつれて来る。
「――なるほどねえ、私の名はこう書くのかねえ。こうして字を知りゃお前、書きつけがよめなくて、麦をゴマ化されることもないねえ」
 都会で工場のプロレタリアートが字を知らなければ、これ以上の不便はない。労働組合員となって、工場と契約書をとりかわすというときになって、ソヴェト同盟のプロレタリアートで字が書けない(!)
 ソヴェト同盟内のプロレタリアート、農民の階級的活動と自覚と社会主義建設が進むにつれて、文盲は縮小した。
 五ヵ年計画は農村に三十万台のトラクターを、工場へ二百二十億キロワット時の電力を増大するとともに、文盲撲滅費二億四千六百三十万留を算出している。そして、千八百万人の文盲を清算しつつある。既に一九二八年には百三十六万五千余人が、完全に文盲をすてた。――都会人口の九三パーセント、農村人口の七九・四パーセントが過去の知的暗黒を追っぱらいつつあるのだ。

――サア、本を! 新聞を!――

 字さえ読めればソヴェト同盟の勤労者にとって読みたいもの、よまねばならぬというものが山ほどある。
 五ヵ年計画が始ってからは、ソヴェト同盟の素晴らしい再建設が行われだした。知りたいことはウンとある。
「十月」以来、ソヴェト同盟の勤労者は八時間労働を原則としてやって来た。ところが、五ヵ年計画が四年で完成される程のテンポで進捗するにつれ、企業内の生産手段は電化その他で高まり、平均労働時間がグッと減った。現在、ソヴェト同盟に千三百六十八万四千人の勤労者が活動している。そのうち、半数はもう七時間労働でやっている。青年労働者は、十八歳以下は六時間。十六歳以下は四時間が目やすだ。
 しかも五日週間で五日目に一日ずつ休みが来る。
 賃銀は、一九一三年――革命前と比べると、話にならない増大だ。五ヵ年計画によって、賃銀は七一パーセント増す。
 五ヵ年計画がすすむにつれて、ソヴェト同盟の勤労者一般に文化建設の余裕が出来て来たことはこれだけでもよく分る。
 一例として、出版に関する統計を見よう。
印刷一折を標準として、
 一九二七年   一、七五七、〇〇〇、〇〇〇
 一九二八年   二、一五八、〇〇〇、〇〇〇
 一九二九年   二、六六一、〇〇〇、〇〇〇
世界で、どこが一番多くいろんな名称の本を出しているか(千単位)
 デンマーク    三・三
 ポーランド    六・五
 イタリー     六・九
 アメリカ    一〇・三
 フランス    一一・九
 イギリス    一三・八
 日本      一九・九
 ドイツ     三一・一
 ソヴェト同盟  三二・六
 ところで一九三〇年にソヴェト同盟では一二九一種の雑誌が発行されている。そして、それはどんな工合に売れているか?
『アガニョーク』(綜合的な政治、社会、文学雑誌)四〇〇(千)部
『労働婦人』                  二〇〇(千)部
『何でも知りたい』               一五〇(千)部
『農業技師』                   六〇(千)部
『赤い処女地』(文学雑誌)            二五(千)部
 ソヴェト同盟の新聞となると、これ又大したものだ。
社会・政治指導紙   六種   一、四八七(千)部
経済紙        八種     一一二(千)部
赤色労働組合紙    一種      七〇(千)部
共同組合紙      一種      二四(千)部
軍事紙        一種      四〇(千)部
労働者大衆新聞   五九種   一、四二六千七五〇
農民       一〇五種   一、五三四千五〇〇
青年少年      四七種     四〇七千二五〇
民族語の新聞   二〇八種   一、〇〇四千七五〇
夕刊         六種     三二〇千〇〇〇
 帝政ロシアでは最もひどくやっつけられていたロシア内の各少数民族と農民が、今日は解放され、こんな多種の新聞をもっているのだ。
 ところで、ここに問題がある。ソヴェト同盟の勤労者は、こんなに夥しい本、雑誌、新聞を、どうして読むのか? 一々買うのだろうか? 勿論買いもするが、ソヴェト同盟では図書館がすごい勢で拡大されつつある。

「赤い隅」と図書館

 どの工場でも、食堂の一隅に「赤い隅」――小図書館の設備のないところはない。農場だって、ホテルのボーイ溜りにだってこれはある。労働者クラブの図書館。農民の家の図書館。夏休み、勤労者が一ヵ月の有給休暇で「休みの家」へ行く時には、その附近に大抵図書館の出張所が出来る。
 現にわたしがレーニングラード附近に一夏暮した時のことだ。昔の離宮が今は勤労者のための愉快な公園博物館として開放されている。景色のいい池の辺にある一つの旧宮廷用の小建物が図書館出張所になっていた。労働組合員は、身分証明の手帖で、ごくやすい保証金(五十カペイキ――二ルーブリ)をおさめ、自由に本の借り出しをされる。わたしもそこで随分世話になった。
ソヴェト同盟の図書館数
 一九二六年   二二、一六三
 一九二八年   二二、九八二
 五ヵ年計画は図書館をこの上に五〇パーセントふやしはじめた。これは固定図書館だ。移動図書館は四万にふえる。
 本を読むのには図書館の外に農村では「読書の家」というものがある。
一九二八年   二一、八七六
一九三三年   三八、二八三
 図書室、文学、音楽、美術、体育、政治などの研究室をふくむ勤労者クラブその他は、五ヵ年計画とともにこんな工合に殖えつつある。
クラブ     七六四六(五ヵ年計画以前に比べ二四・九パーセント増)
農民の家    六八二〇(同 二五パーセント増)

――国庫全額負担の小学校――

 さて、一九一七年の十月のプロレタリア革命の後、ソヴェト同盟で、子供はどう教育されて行くかということが、世界各国からの、鋭い興味と観察の的だった。
 何故なら、ブルジョア教育家たちは、プロレタリア革命というものの真実を理解しない。所謂「個性」の華々しい発展は社会主義共和国の教育で大虐待をうけるだろうと予想した。個人の才能、傾向、性格、そんなものは蹴散らされ、たった一つの鋳型=共産主義教育にうちぬかれた機械人形のような子供らが出来るのだろうと思っていた。
 ところが、一年一年経つうちに、皮肉で批評的なブルジョア国の観察者たちも段々感心しはじめて来た。現在では、帝政ロシアをソヴェト同盟にしたプロレタリア革命や社会主義的な生産関係や、つまり新しくて人間らしい教育制度のしかれる階級的な土台であるいろいろの条件については依然として反動的な批評をするものでも、ソヴェト同盟の子供の教育方法は参考にすべきだと云うようになって来た。
 成程、ソヴェト同盟はプロレタリア独裁の国だ。社会的生産に関与する社会労働が基礎になっているから、小学校にしろ、ただ小学校とは云わず単一勤労学校と云う名称だ。
 子供は小さいときから社会的勤労・生産・社会主義の建設とはっきり結びついた教育法にのっとって育てられて行く。例えば第一学期は「春[#「春」はゴシック体]」と云うコンプレックスを中心に勉強する。
 春は野に来た、山に来た。蝶々が舞います、というだけの、ブルジョア小学校の「春」と大分内容が違う。
 春は気候がどう違って来るか。草木はどんな変化を見せるか[#「春は気候がどう違って来るか。草木はどんな変化を見せるか」はゴシック体](そこで自然科学と観察を習う)
 春、都会の人々はどんなに働くか。農村で人々は春どう働くか[#「春、都会の人々はどんなに働くか。農村で人々は春どう働くか」はゴシック体]?(生産と社会労働、特に今なら五ヵ年計画による工場の生産拡大、農村の集団化が説明される)
 子供は、働く大人をどう助けるか[#「子供は、働く大人をどう助けるか」はゴシック体]?(ここで実際の仕事をいろいろやる。都会の小学校は、公園へ保護鳥の巣箱を吊りに行く。その小学校の学生が支持している、一定の集団農場の手助けにも出かける。そういう旅行で、地理も習う。測量も習う。上級なら、この季節、外国の、東洋の植民地農業労働者の搾取状態までに及んで、経済政治を覚えるのだ)
 各学課が重箱式に、機械的に分けられ、つみ重ねられていない。一つの題目は次の一つの題目へとかたく生活的な結びつきでのびて行くから、実際生活にすぐ役立つ勉強法だ。子供の頭は、すぐ手元の日常生活を基礎にそれを解剖し、批判し、新しく、綜合して建設してゆくすばらしい力を与えられる。それこそ、プロレタリア的な知慧=無駄のない理論的であるとともに実践的な同時にびっくりするほど国際的な活々した知識をもつようになる。
 折角もって生れた才能を押しつぶしたり、歪めたりするような不経済を社会主義社会の教育は決してしない。アメリカのダルトン・プランと云うブルジョア社会の個人主義的な自由競争における天才製造はやらない。一人の英雄だけをこね上げるに熱中する教育法ではない。然し、すべて人民の子供が個人の独特な才能を、社会全体の建設の中へ役立てて行くような育てかたは実に成功的にされている。
 例えば或る工場見学に小学校生徒の一級が出かけたとする。その記録をこしらえようとする。一級が一冊の「××工場見学の印象」というものを制作するのに、教師は決して誰それサン、作文を書きなさいとは命じない。めいめいが相談しあって、自分の一番得手な、やりたい技術でその仕事に参加する。或る子は一生懸命スターリンの論文をひっぱって論文を書く。或る子は絵でスケッチをやる。そうかと思うと詩がある。工場新聞の切りぬきに、自分の批評をつけたものを書くジャーナリズムむきの子もある。それぞれみんなが、力をこめた自主的制作をまとめて、級の成果とするのだ。
 一つのいい知慧があれば、プロレタリアート・農民の建設的社会ではそれを出来るだけ大勢の役に立て、みんながそのいい知慧をわがものとして活用するように! 所謂社会主義競争の本質的な基礎教育が、既に小学校のうちに与えられる訳なのだ。
 階級的自治の訓練は、この時代から行われている。各級には、衛生委員、従業委員、社会活動委員等がある。それらの委員から一級一人ずつの代表が出て、学校長、教師代表、労働組合からの代表などと一緒に学校委員会を組織する。
 遠足をやるにしても、遠足の実行委員があげられ、行先、時間割、見学予定、旅費その他を研究する。級の討議で決定する。――ソヴェト同盟で教師は、ほんとに指導者なのだ。
 このように有効に組織されている小学校へ、全同盟の学齢児童を経費国庫負担で包括しようというのがソヴェト同盟五ヵ年計画文化活動の一大事業だ。
 何しろ、帝政時代のロシアの小学校、特に農村の小学校は話の外だった。小学校の教師と云えば月五ルーブリの月給で実際乞食暮をしていた。
 革命後、ソヴェトの単一勤労学校は四年制、七年制、九年制とわかれている。が、校舎の不足、教師予算の不足その他で、就学率は、理想通りには決して行かなかった。八歳でチャンと就学した児童は三〇パーセントだった。七〇パーセントはもっとおくれていた。ロシア共和国で四年制の児童六九・五パーセントは九歳で入学している。
 五ヵ年計画は三十四億七千六百ルーブリという巨額を、プロレタリア・農民文化の基礎水準向上のために、八歳全国児童就学のために割り出している。
就学児童はどの位増大するか?
 一九二七年    九九四二千人
 一九三三年   一七〇〇〇千人
 殆ど倍の千七百万という児童が、ソヴェト同盟では無月謝で、学用品、弁当まで国家の支給で勉強することが出来るのだ!
 それには教師が殖えなければならぬ。
 現在ソヴェト同盟には二十六万五千人ばかりの教師がいる。更に四十四万人の新しい教員が入用だ。
 五ヵ年計画によって全ソヴェト同盟の生産が高まり、一般勤労者の賃銀があがりつつある。小学校教師の月給も同じだ。五ヵ年計画の終りに、農村の小学校教師は八十七ルーブリ、都会の小学校教師は百ルーブリになる。現在(一九三〇年)は平均五十八ルーブリだ。
教員養成学校生徒の社会層(一九二六年)
 労働者    一四・六
 農民     五三・九
 勤人     二〇・四
教員専門学校生徒の社会層
       一九二五年   一九二七年
 労働者    一五・五    一二・五
 農民     三一・〇    二八・三
 勤人     三四・八    三五・七
 其他     一八・七    二三・五
 この数字はもう古いが、それでもなおソヴェト同盟の農村で文化はどの位急速に向上しつつあるかが分る。
 ひっくるめて、一人ずつ児童頭割の教育予算がどの位殖えるか見よう。
児童一人宛教育年支出予算
 一九二八年  二七・〇(ルーブリ)
 一九三三年  五八・三(ルーブリ)
 ところで、小学校における児童の就学率をよくするためには、学齢以前の教育文化設備ぬきには出来ない。
 ソヴェト同盟は勤労婦人の重荷を軽くするため、同時に幼い兄姉たちを自由に勉強させるために、工場、集団農場を中心とする幼稚園、托児所、子供の遊び場の設備拡大を、やはり五ヵ年計画で実現しつつある。
 費用は三億五千万ルーブリだ。
幼児のための設備拡大率 収容人員(単位千人)
       一九二八年  一九三三年    増大率
 幼稚園     一〇七    二一七  一〇二・二パーセント
 子供の遊び場  二〇三    五〇五  一四九・三パーセント

――あらゆる技術をプロレタリア・農民の手に――

 モスクワのクレムリンのわきにモスクワ第一大学がある。そこの建物の破風に「あらゆる学問を勤労者に」という文句が金字で打たれている。
 今から十七年前、帝政ロシアの資本家・地主と僧侶の支配下のロシアで、勤労大衆のために中等教育施設がどんなものだったかは次の表を見ても明かだ。
一九一四年度ロシアの中学校、実務学校、予備学校における学生の出身階級の分布
 世襲貴族の子弟    六・三
 貴族及高官(同)  一八・四
 宗教家(同)     四・八
 紳士及紳商      九・六
 商人、組合の親方  三二・一
 富農とカザーク   二五・五
 其他         三・三
 どこの国でも同じだ。金のある商人は息子がやがて立身して、より大きな権力者になるように、富農の親父は大地主になった息子を夢みて学校へ入れていたのだった。
 一九一七年の「十月」は、ロシアじゅうの学校を、ソヴェト同盟全土の学校を、しっかり自身の階級のものとして掴んだ。ソヴェト同盟の学校は、第一列に労働者の子弟を、農民の子供たちを、勤人の息子や娘を入れる。本当にソヴェト同盟の社会主義建設に役に立つ勤労者をつくるところにしたのだ。
ロシア共和国における高等専門学校学生の出身分布
          一九二七年  一九二八年  一九二九年
 労働者と其子弟   二八・七   三四・六   四二・三
 農民とその子弟   二二・二   二四・四   二五・一
 勤人とその子弟   三三・〇   二五・〇   一九・七
 知能労働者     一二・五   一四・〇   一一・三
 その他        三・六    二・〇    一・六
 五ヵ年計画とともに現れたこの愉快な労働者・農民の階級的飛躍は直ちにソヴェト役員としてソヴェト政権に参与する労働者農民の数の増大と切っても切れぬ関係にある。
 同時に、生産の場所における労働者、農民出身の専門技術家の数が増すのも当然だ。
労働者百人に対する技師・技術家配分率
 一九二八年   二・五〇パーセント
 一九二九年   二・六六パーセント
 一九三〇年   二・八四パーセント
 確実に、労働者、農民出の技師技術家が殖えている。しかし、この率は、ソヴェト同盟における生産面の拡大に比べると、とても足りるものではない(五ヵ年計画の年度予定では、例えば第二年目には工業総生産五パーセント増大を期待されていた。ところが、ソヴェト同盟の労働者の社会主義建設の熱意は、その予定を追い越して二五パーセントの増大を示している。金にすると二年間に、百二十四億七千六百万ルーブリの工業生産予定を、百三十七億六千四百万ルーブリまで高めた素晴らしさなのだ)。
 社会主義的生産にあって、少数の技師だけが卓抜ならいいという事は決して云えない。あらゆる勤労者の技術水準が、去年よりは今年、今年よりは来年と高められなければならない。そのことについてはスターリンも頻りに云っている。
「再建設期に於ては技術が一切の問題を解決する!」
 労働者、農民の技術向上については、実に切迫した必要があるのだ。何しろ、五ヵ年計画の初め、ソヴェト同盟には五十万の失業者――未就業労働者があった。五年間にその半数を生産の中に吸収出来ればよいと予定されていた。ここでも亦、愉快な予定はずれが生じた。――生産の予想外の拡大は予想外な速度で労働力を生産の各部へ吸い込んでしまった。失業者はソヴェト同盟から消えた。これまでは、未就業労働者に職場割当てを任務としていたソヴェト同盟内の職業紹介所の仕事は性質がかわって来た。労働者の合理的配給所とならなければならない。
 一九三〇年の冬、世界じゅうの注視の的となったソヴェト同盟内の重要な地位にある技師、学者、役人等による大反革命陰謀、産業党の例を見ても、プロレタリア階級の技術家がどんなに大事かは明瞭だ。
 ロシア共産党は大会において、生産組合、労働組合は直接工場、学校、農場で、技術家、熟練工養成のために、あらゆる支持を与えている。
 五ヵ年計画が着手された当時、最高経済会議の調査によると、熟練工、不熟練工の比率はこうだった。
熟練工    四一パーセント
不熟練工   五九パーセント
 それを五ヵ年計画によって、一九三三年の終りまでには熟練工六〇パーセント、つまりドイツ、アメリカの技術水準まで高めようとしているのだ。
 一九二七年度の技術学校卒業生を、産別、出身、ロシア共産党所属率とわけて見るとこういう工合だ。
 産別    労働者出身率 ロシア共産党及青年同盟への組織率
工業(昼間)  二四・六   二〇・七
〃(夜間)   七二・五   四〇・〇
農業      一〇・二   三八・七
教育      一三・八   三九・九
医業      二三・六   一七・〇
経済生産    一五・五   二九・七
芸術      一〇・一    五・五
 現在工場に働き、しかも正常な予備教育はうけられなかった労働者、農民が最も大多数包括されているのはソヴェト同盟の労働科だ。
労働科学生中ロシア共産党への組織率(一九二八年)
     ロシア共産党  青年同盟
 昼間   三二・一   四七・三
 夜間   三三・八   四〇・六
 一九二九年には十一万三千人あった技術家、熟練工を一九三三年にはその殆ど四倍、四十三万五千人余にしようとする。
 既に、千五百十二の中等学校(学生十五万四千)のうち七百四十三校が工芸技術学校となった。工場学校は百二十万人の溌溂たる勤労青年に、より高い技術を授けつつある。
 農村の青年もすててはおかれない。十三万八千人の農村青年が、社会主義農業建設のために千二百十六の学校で勉強している。
 彼等の中には、三十万人の労働通信員、二百三十九万三千三百六十三人の青年同盟員が働いている。
 彼等は階級の鍛冶屋だ。世界の労働者、農民の解放、ソヴェト政権の確立に向って、力強く槌を、コンパスを、トラクターを動かしているのだ。

――輝かしい少数民族の生活――

 ところで、このような素晴らしい文化建設はソヴェト同盟内の少数民族の日常生活を、どんな工合に変えているだろうか。
 誰でも知る通り、ソヴェト同盟は地球の六分の一を占める大国だ。北は北極から、南は砂漠。そこには綿が生え、駱駝らくだしか歩けないような地域までひろがっている。ペルシャやアフガニスタンはすぐ隣りだ。蒙古と国境がくっついている。その中に、二十五の人種が棲んでいる。ロシアとひとくちに云っても、例えば第十六回ロシア共産党大会のあった時分のモスクワの街を歩いて見る。
 赤いネクタイのロシア人のピオニェールが歩いてく後から、日本の木綿縞の長ドテラを引っかけたような装のウズベーク人が、長靴でノシノシやって来る。
 長い下髪を赤い布で飾った小柄な女は馬乳で有名なクルムィク人の婦人代表だ。
 っと短いマントに短剣を吊って、素早く胡瓜売りの手車の出ている角を曲ったのは、舞踊で世界的名声のあるカザークの若者だ。
 ホテルの食堂で、英語、ドイツ語がロシア語と混って響くばかりでない。喉音の多い東洋語が活々とあっちこっちで交わされる。――
 十月革命が、各民族の根本的な自立をさせるまで、ロシアの中のこれ等の少数民族はどんなに暮していただろうか? 遠い例はいらない。トルストイのコサックや傑出した短篇「ハジ・ムラート」を読むだけでいい、帝政時代の権力は、自分たちをこやすために搾取するための植民地、属国、だましやすい辺土の住民としてだけ彼等を思い出した。
 コーカサスの雄大極まりない山嶽を南へ縫ってウラジ・カウカアズから、スターリンの故郷チフリースまで、立派な自動車道が通っている。今日そこを走るのは、労働者・農民の陽気な観光客を満載した遊覧乗合自動車だ。が、道普請は、昔そのためにされたのではない。軍用だった。帝政ロシアの権力が武力で、絹、皮革の産地チフリース、石油のバクー市を掌握するための近路として拵えたものなのだ。
 近東の少数民族の大衆は、灼けつく太陽の熱や半年もつづく長い冬の中で原始的な手工業、地方病と、封建的地主、親方の二重の搾取の下で、極めておくれた文化をもっていた。
 自国語で読み書きすること、著作すること、芝居することまでを禁止され、どうしてのびのびした文化が育てよう! 学校がたまに在れば、それはロシア語でだけ教えた。
 赤旗はヤクーツクにも翻った。チェルフスの村にも村ソヴェトが出来た。少数民族の大衆は殆ど信じられない勢で、植民地人民としての奴隷の境遇と、封建的搾取から解放された。
 進歩的な婦人たちは、初めて大っぴらに家族制度の圧迫と戦うことが出来るようになった。今は彼女たちも、ソヴェト権力に護られた婦人社会成員なのだ。二百八種もの民族語の新聞が刊行されるようになって来た。
 僅か三パーセント位しかなかった小学校入学率は、全ソヴェト同盟の文化水準向上につれてドンドン多くなって来た。五ヵ年計画で八歳からの全国学齢児童の国庫負担による就学は、勿論、各民族共和国、自治国を包含してのことだ。
 階級的技術を高めろ! というスローガンは、ソヴェト同盟全土に響き、実現されつつある。党婦人部は、労働組合と協力で、各民族に独特な手工業を中心とする婦人の婦人手工業組合、婦人技術講習会等を組織した。そこで、婦人たちは、先より上手に絨毯を織るように、編物をするようになったばかりではない。生産が社会主義的にやられれば、勤労者に得だという事実を学んだのだ。
 一九二六年に、ソヴェト同盟内の各民族の男女がどの割合で読書きを知っていたか。これは人口千人に対しての調査だ。
 民族別         男     女
ロシア         三七六   三三九
ウクライナ       五六七   二七七
グルジア        四五八   三三一
白ロシア        五二〇   二三一
アルメニア       四三五   二四二
トルコ         一三八    二三
ウズベク         六三    一〇
トルクメン        四二     二
ドイツ人(ロシア居住) 六一二   五九二
朝鮮人(ロシア居住)  五五三   二九一
タタール        四一六   二五七
チュバーシ       四八五   一六五
モルダヴァーン     四三一   一二二
バシュキール      三四六   一四八
ブリヤート       三六九    九三
アブハーズィ      一七八    二五
カザーク        一二五    一一
ヤクート         九九    二三
ダゲスタン       一〇九    一二
キルギース        八四     三
タジック         三九     三
 ロシア共産党員は全部で百六十六万四千八百五人だがどの位の民族別の率で加入しているか。
 共和国別      党員数  一万人の成人に対する比率
ロシア共和国   一一三五三一二    一九七
ウクライナ     二四六七〇五    一四七
白ロシア       三五二七四    一二六
ザカウカアズ     八六一五七    二七一
ウズベクスタン    四〇三一八    一二〇
トルクメンスタン   一〇二五一    一六五
 こんな工合だ。砂漠と根雪の上に文化の光がさした時、そこにはハッキリその文化をもたらした原動力プロレタリア、農民のための階級的指導力が根をおろしているのだ。
 この表でも分るように、例えば婦人の文盲率の最も高いトルクメン、キルギース、ウズベクでさえ、一九三〇年の夏、モスクワで演劇オリムピアードが開催された時はどうだったろう。これらの民族の国立劇団が、自分たちの地方の生産、これを中心として行われる階級闘争を主題にした脚本をもって、やって来た。そして、幼稚であるにしても特色のある演技で大衆的喝采を博した。
 然し、いずれにしろ広大なソヴェト同盟だ。辺土地方には、まだ沢山文化向上のための不便がある。鉄道の沿線へまで二日かかるところに住むような勤労者は、講習会へ出かけると云ったって大変だ。そういうときはどうなるだろうか。
 心配無用だ。社会主義のソヴェト同盟では「生徒が学校へ行かなければ、学校が生徒のところへ行かねばならぬ」。通信教授だ。五ヵ年計画とともに責任ある通信教授網はひろげられる。百六十万人の講習生が教育あるようになる。

――ラジオを階級のために――

 新聞はよめない婆さんも、ラジオでならスターリンの演説もきけるというものだ。
 五ヵ年計画はこの階級的文化の声を、都会の勤労者住宅居住者五〇パーセントに、農村では三五パーセントの農戸へ響かせる計画だ。つまりラジオ拡声装置所は集団農場の拡大につれ二万四千から五万千ヵ所に、聴取者は二百万人だったのが四百万人になろうとしている。
 次に見落してならないのは映画館の増大だ。五ヵ年計画の初めシネマ館は一万五千三百あった。ここにも晴れやかな拡張だ。今に、ソヴェト同盟勤労者は、労働組合の手帳を見せて買う半額切符で楽しく映画を八万七百ヵ所で見ることが出来るのだ。
 文化基礎が大衆的に、こう拡大してこそ、初めて輝しいプロレタリア芸術が花咲くのだ。
 ソヴェト同盟の芸術家は、作家も俳優も映画製作者も、そのことは骨の髄から知っている。だから、例えば、国庫負担の全学齢児童就学の問題が起った時、作家は決して引っこんで小説だけ書いて納ってはいなかった。いろいろな本で、講演で、未来のプロレタリア文化の建設者を送り出す土台として、全学齢児童就学を支持し、鼓舞している。
 ソヴェト同盟の労働者、農民は社会主義生産を高めることによって、自身の文化を驚異的に高めつつある。ところが、階級が文化的に高まれば高まる程、彼等が知るのはその様に文化的発展を遂げさせる基礎としてのソヴェト同盟の社会主義生産の価値だ。愈々社会主義的生産の技術を高めようとする。かくてより高く、高く!「五ヵ年計画を四年で!」これは全く正しい生産と文化とをこの地球にもりたてようとするソヴェト勤労者の心からの叫びなのだ。
〔一九三一年十一月〕

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:「ナップ」
   1931(昭和6)年11月臨時号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
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