アグネス・スメドレーの「女一人大地を行く」という自伝的な小説は一九二九年アメリカで出版されて以来、殆ど世界各国語に訳され、日本でも少なからず読まれた。
 この間、窪川稲子さんに会ったら、或る若い勤労婦人のひとで、この小説を読んだ感想に、アグネスがどうしてああいう風に男を反撥してゆかなければならないのか、その点があの小説ではよくのみこめなかったと云ったという話が出た。特に書かれている限りでは立派な、理解の深い青年であると思われる男達とさえ、アグネスは次々と破局をもって別れている。それはどういうのだろうという疑問が出たということであった。
 この言葉は私の興味をよびおこし、よほど前その一部分を読んだきりになっていた「女一人大地を行く」という小説を改めて最後まで読み終った。
 これは非常に率直に書かれた一人の女の発展史の一部である。アメリカのオクラホマ州の貧農の家に生れ、後コロラドの鉱山町にうつり、非常な貧困と闘って苦学し、遂に急進的なジャーナリストとして活動するに至るまでのアグネスの生活が、大胆に描き出されているのであるが、一人の女によって書かれているこの一冊の本が女の読者に与える印象、影響、反省というものには、特別に複雑なものがある。よかれ、あしかれそれがその自伝小説のつよい色調をかもし出し特徴の一つをなしている。ただ貧農の娘の階級的立志伝ではない強烈な、不安な、燃え顫える光線が体にかかって来るような感じを与える。そして、その殆ど猛烈な波動は、その時代のアグネスの内部に常に対立していて激しく噛みあっていた女としての本来は健全な性的欲求と、女がこの社会でであるために受けて行かなければならない常套的な結婚生活における様々の半奴隷的事情、因習に対する断乎たる闘争の決心との間の心理的な相剋葛藤から迸り出ているのである。
 西部の人として強い血気を蔵していた両親の娘であるアグネスの曠野育ちらしい血気は、一口にアメリカの女といってもボストンあたりの淑女とは質が違っている。腰にピストルをつけ、カウボーイと馬に騎り、小学生のときからひとの台処で働かねばならなかったアグネスの強壮な体の中を奔放に流れている熱い血がある。一方に子供時代の境遇からアグネスは母親にさえ自分の愛情というものを言葉に出して語る習慣がない。野心家で空想家でやがて飲んだくれになり、家出常習であった父親と、短い生涯を子供を養うために働き切って栄養不良で死んだ母親との生活の観察。その母を扶けるために金や子供の衣類を稼ぎの中から仕送りして来る淫売婦である母の妹、性的生活は荒々しい生活の裡に露骨にあらわれて、少女のアグネスに恐怖と嫌悪とを植えつけてしまっている。「大人になるとほかの一切の大人がすることをする――性に没頭する! 何ていやらしい!」
 成長するにつれアグネスの骨の髄までしみ込んで来たことは「女は弱くて馬鹿だ。皆結婚して一ダースも子供を生んで男に指図ばかりされるんだ」という周囲の野蛮な現実に対する憎悪である。アグネスは、結婚している女より叔母のヘレンの淫売婦と云われる生活の方が遙に人間として独立した権利をもっているとさえ思う。「もし彼女に『自分が買ってやった着物を返せ』という男があったとしたら彼女は彼に家を出て行けと命令することが出来た――妻にはそれが出来ない。もし彼女を打つ男がいたら、彼女は警官を呼ぶことが出来た――妻にはそれは出来ない」「こういう生活の方が結婚より好ましく思われた。併し私としては――そういう生活も結婚も望まなかった」女が男にたよって生活してゆく限り、女は自分の体に対してさえ権利をもつことを許されない。男に、「阿婆擦れ」だの「淪落の男」だのということが云われずに女ばかり体で価値をつけられることの腹立たしさ! 若いアグネスは自分は「女になるまい……なるものか」とかたく思った。
 砂漠のあるアリゾナの大学生であったアグネスが第一の結婚の対手であった同じ学生のアーネストにめぐり合ったのは大体彼女がこういう心の状態の時期であった。
 アーネストのおとなしい、女を男と対等に扱うしか知らない青年の素直な魅力はアグネスをとらえる。彼と話すこと、遊ぶこと、笑うこと、それ等は十九歳になろうとするアグネスの外見は粗野で傍若無人のような胸の底につよい憧れとなっている美、優雅、恋の感情にやさしく一致する。自然アグネスはひきつけられずにいられないのであるが、彼女には判らない。「愛とは本当に美しく自由なものなのかしら……人間は優しくて而も強くなれるのかしら? 女に危険と服従を伴わない愛があり得るのだろうか?」アグネスはアーネストとの間に自分の望むものを皆見た。しかしなお「性と子供の心配が行く手を遮った。」愈々いよいよアーネストと結婚登録した時、アグネスは「性を伴わない結婚」「ロマンチックな友愛」を考えていたのであった。
 実際の結婚、姙娠、子供を産み食物と着物とを良人にたよってそのために永劫命令されて生きなければならない女の地獄に対する恐怖、悲痛、憎悪の感情。愛という名を通じていつの間にか自分をそこにひき込もうとするものに対する殆ど病的な程の鋭い警戒と敏感な恐怖。それらが、最も原始的な荒々しい形で、正直な善良なアーネストとアグネスとの三年間の生活を破局に導いた。アグネスは、小説の中で云っている。「私には今こういうことだけが分っている。彼を苦しめたよりも更に深く苦しみながら私がもがいたのはアーネストに対してではなかったのだということが、愛の必要と欲求と、私の生れたそもそもの初めからこすりこまれた愛と性とに対する歪められた観念との間に、仮借することない闘争が私の心の中で行われていたのだ」と。
 この問題について非常に私たちの注意をひくところは、アグネスが、常にはっきりと肉体的な性的欲求や衝動を自覚していて、そのことに関して微塵も幻想をもっていない点である。この世の中の実に夥しい女の不幸は、彼女自身、自分の肉体を知らぬこと、性慾と愛情との相互的な関係やその間の区分やを知らないことから発生して来ている。アグネスの不幸は、環境から性的なものを最も素朴な発動の形で男女の関係の間に知っていて、しかも彼女が人間としてより自由な、より豊富な情操の発展として愛を望むと、その方向には既成社会が、貧困、無智、過労とともに下層階級の女の肩に一際重くなげかけている妻、母としての半奴隷的苦境が見える現実である。
 アグネスは、アーネストと分れて後、成熟した一人の女として、性的な衝動を恥じる偽善に反撥を感じてからは、「この羞恥心に挑戦して立ち上って」「行為によって反抗した。」何人かの男と友愛から進んで同棲し、そして何人かのそれらの男のもとから去った。理由は、この小説の最後をなしているアナンドとの深刻、複雑な政治的背景をもつ悲劇的別離をのぞいて、常に「深切や恋愛に憧れ」つつ「これらのものを恐れる」気持、「人は恋をすると容易に奴隷になってしまう」「私は奴隷になりたくない。自由は恋愛よりも崇高だ」。「少くとも今日においてはそうだ」という彼女の所謂いわゆる理知の命令にしたがった結果なのである。
 情熱的な、自然児風な魅力あるアグネスは場合によっては極めて単純に恋愛の感覚に運ばれてしまう。「度々単にある境地に押し流される」すると、程なく「理性と猛烈に闘っていて」彼女の打ちひしがれた心が「再び反抗して立ち上った。」
 そうして、仕事にかけては機敏で実際的で、明敏でさえあるアグネスが「再び反抗して立ち上って」結婚というものを否定しはじめると、これは又何と痴鈍に頑固に、非現実的に偏執的になるのであろう! この点では殆どすべての読者をおどろかすものがある。アグネスは、結婚の腐敗から女を救い、よりましな結婚を存在させる社会をつくるためには、一組一組ずつの結婚生活が、今日の現実の中で、最前をつくしてよりましなものにする努力に於て営まれてゆかなければならないという事実を、全く考えて見ようとも思っていない。性的牽引としての恋愛と結婚とはアグネスの内部で自由と奴隷の二つの極端に立たせられ、観念の上においてさえ決して和解出来ぬもののように現れている。彼女を愛す善良で進歩的な男たちが、新しい内容で男女の結婚生活の可能を説得しようとしても、アグネスは執拗にその手をふりもぎって、最も悲惨な形での妻、母の生活の絵から、目をはなそうとしない。彼女の幼年時代、少女時代、その境遇は十分彼女の心にその恐ろしい画面をやきつけたであろう。しかし、そういう妻及び母としての女の負担は、現代に生きる自分たちの生涯を貫いての献身と努力とで将来社会的に軽減され得るものである。決して一人の機敏な精力的な女がアナーキイに感情の二つの極から極へとのびうつる輾転反側では解決しない。アグネスが、例えばソヴェトの新生活の意義についてこの小説の中でも簡単ながら触れているにかかわらず、自身の女としての苦悩は、新社会でどう解決、統一の方向に実行されているかという点に注目を払わず、只個人的に、内面的感情的葛藤の範囲でしか、とりあげていないのは残念である。自由と恋愛とが「いつかこの二つのものが、一つになる日が来るだろう」と云いつつ、自分の生きかたで彼女は二つのものを二つにわけてしまう方向へばかり行動している。解決の端緒を社会的な契機の中に見出していないことから、彼女はこの自身の矛盾を大局からつかみ得ず、自分の行動をも客観的に批判し得ないのである。
「女一人大地を行く」に書かれているまでのアグネス・スメドレーは、不屈な闘志と生来の潔白な人間的欲求と共に熱病的な矛盾と自然発生的な手さぐりな、しかし熱烈な生きかたとを展開しているのである。
「女一人大地を行く」が書かれてから既に十年近い月日が経った。スメドレーは現在中国の最も進歩的な勢力の中心にあって、ジャーナリスト、政治家としての、活動をつづけている。ソヴェト訪問をもしている。彼女の経験の増大と、社会的事情の進みとは、彼女が呈出しているこの重大な人間的課題を、今日どう解いているであろう。彼女は女及び人間、そして革命的ジャーナリストとしての自身の生活で、どのように答えているであろうか。恐らく、スメドレーは「女一人大地を行く」の中に認められる貴重な素質を成熟させ、よりひろい社会性と計画の上に立って女の生活の向上を考え得るようになっていると思う。何故なら、スメドレーが「女一人大地を行く」を書いている。あの率直さ、潔白をもって現実を更にひろく見渡すことの出来る境地に到達すれば、新しい合理的な生活の建設の途とはこの人生でどういう生き方を意味するかを当然理解せざるを得ない筈であるから。

「女一人大地を行く」の中には、非常に素質の豊富な、しかしながらそれらの素質はきわめて自然発生的に、経験的にだけ成長しているために、不揃いな発展をとげている一女性の姿が見えているのであるが、ここに更にもう一つの興味ふかい教訓が含まれている。それは、アメリカの女であるアグネス・スメドレーが今日、中国で活動しているその心持の秘密である。大体アメリカでは東部より西部の方が人種的差別が甚しい。その西部で生れたアグネスが、カリフォルニヤ大学で、そこの理事会がインド人の講演に反対したことから、有色人種に対する研究心を刺戟され、永年に亙る人種的偏見への闘争をはじめていることはまことに面白い。アグネスは、自分が生きて来た経験から、自分の体の皮膚の色で、白人の社会にもある不合理、非人間性を知りつくしている。同じ白い皮をもっているからと云って、アグネスは飢餓から救われたことはなかった。若い弟が自由労働者として働いている間に、溝の中でつぶされて死ななければならなかった事情を彼等の皮膚の白さがかえはしなかった。社会の非人間的な差別が、皮の色だけにないことをアグネスは痛感している。自身の実感から、出発して、世界経済におけるアジアというものの意味をも知り彼女はインドの運動をも支持した。そして、今日、中国に働いている。単に「風とともに」というコスモポリタンとしての気分からだけ、彼女の自然で自由な国際的な感情があるのではないのである。そしてこの面での彼女は、既に「女一人大地を行く」の時代から、性と婦人問題とに対する理解よりずっと高い成熟を示しているのである。
「大地」「母」「息子たち」「分裂せる家」などで世界の読者に親しまれているパァル・バックが中国を愛する心持と、アグネス・スメドレーの広々とした感情とは、今世紀の二つの女の社会性のタイプであると思う。
 バックが中国を理解し、愛していることは一朝一夕のものではない。そこには彼女の父母が埋まっている。彼女の子供達は中国の乳母と中国の子供たちの間に育った。彼女の全家族の生命が銃弾におびやかされたことがある。バックは、いくつかの貴重な生命を通じて、急激に動く中国を理解しているのである。
 宣教師の娘であり、宣教師の妻であって、バックが、中国の民族的自立の必然を認め、中国の民衆の独自性を理解して中国にキリスト教と宣教師とは必要ないものであると公言していることは、実に一つの驚くべき人間的誠実である。彼女はこれらのものの性質が帝国主義であることもはっきり認めている。彼女の誠実を目醒すだけの力が、民衆の生活に擡頭して来たのである。しかしながら、バックの中国に対する認識のつきつめたところには、東は東、西は西という考えがある。中国が東は東として自主的に民族の複雑な課題を処理してゆくべきであり、イギリスやアメリカの手を入用としないものであるという考えである。これは、その限りでは正当であるし、今日の中国の人々が自分たちの国土の中で行われている分割占拠に猛然と反対している感情とも一致したものである。「分裂せる家」のユアンの自尊心ある中国のインテリゲンツィアとしての心理をバックは大変よく描いている。けれども彼女の中国に就ての支持的な立場における東は東という結論も、現代の紛糾した社会関係の中では単純に固執し難いものである。或る場合様々の反動をさえ生むことになる。その点をパァル・バックはどう考え進めているであろうか。
 日本びいきといわれているヨーロッパ人の日本らしさを愛し支持する心持の表現を、一般の常識あり且つ穏健な日本人が時に苦笑をもって迎えなければならないことがある。日本の美といえば京都、奈良、お濠の景色というのは、ものを知らない観光客だけではない。カソリック詩人のポール・クロウデルも、日本に来たときは、お濠の石垣を詩につくったし、日本の柳、三味線、徳川時代の服装の女を配した夢幻劇をつくった。日本の女の美は昔風のしとやかさ、髷、袂にあるとヨーロッパの女にいわれて、ある当惑を感じない今日の若い女、ジャン・コクトオの日本を苦しく感じない知識人があるであろうか。最も当惑することは、ヨーロッパ人が日本を観賞するそういうマンネリズムを、国内的に逆用される場合である。日本のねうちはそこなのだから、と外からの皮相的な日本を見る目を内へあてはめて、利用される場合である。そういう場合は、無邪気で無責任なそして無智な観光者の異口同音さえ、その国の一般人の実際生活の上では案外の重圧と転化して上からかぶさって来ることもまれではないのである。
 バックの中国についての感情は非常に深い。異国趣味なところは微塵もない。全く、彼女はアメリカよりもよく中国を知っているのである。従って皮相的な意味での中国は中国という考えは少しもない。中国のいいところ、ヨーロッパのよいところ、それ等をよく摂取してゆくべきであるという気持がこの精力的な婦人作家の胸中にあることは疑いない。ユアンと結婚することになる聰明沈着な美齢メイリンの言葉でも意味ふかくこの点は暗示されているのである。それにしろ、バックの作品中では、まだ、中国の統一的自主のあとに来る、或は中国の自立してゆく過程の内部に含まれてその有力な契機となっている民族自主の観念の発展性、未来の方向については語られていない。
 バックによって描かれているこの中国の民衆生活の内奥にある積極的な力の側に立って、アグネス・スメドレーが通信員として活動している事実は何と深い、心持をうごかされることであろう。バックは、今日まで動いて来た中国とともに自身の生活を進め、その理解をも深めて来た。昨今の複雑な中国の動きの間に、芸術家としての彼女は更にどう成育して行くであろうかということに甚大な関心がもたれる。東は東、西は西と云う考えをもちつつも、バックは西の心で東を見ているのではない。彼女は、東の心で西へ向って、東は東と云っている。現実の問題として、ここでもバックの眼があおく皮膚が白いことは、皮膚の黄色い民衆から彼女をはじき出していないのである。バックと同じ眼の色、皮膚の色をもったアグネスがそうである通りに。中国において、この二人の特色ある婦人の文筆活動家たちは、或る渦の中からと、その外からと、働きながらおのずと近づきつつあるように見える。バックが自分で歩いているとも知らず、熱心に周囲の民衆を眺め、共感しているうちに、時代そのものが彼女をすすめて、アグネスの居り場処に近づけつつある。
 バックの最近の作「闘える天使」をよむと、彼女には、もう一つの発展の契機がのこされていることが分る。それは主として境遇的なのである。バックは中国の拳匪の乱にふれた箇処でこう云っている。彼女の父「アンドリウのごとき人物の行為は、たとえ高潔な目的と善良な意志から出た正義にもとづくものとしても、一種の帝国主義として許し難い。――と理性は認めることが出来る。しかも心は戦慄せざるを得ない。なぜなら、その帝国主義排斥のまとになって殉教した人々は善良かつ悪意のない人々であったからである――彼等は盲目的であったが、そのために善良かつ悪意のなかったことに累を及ぼす筈がない。」そして、バックは「これ等二つのもの――理性と心の声は決して妥協できない」理性と心情とは互に正当性を主張して「水掛論になる。正当な断案は下さない」と云って、そのまま次に進んでいるのである。バックには、この作品ではまだ語らずにいる「断案」を次の作のために用意しているのかもしれない。次の作品の主題として「闘える天使」の中では注意ぶかく埋められてあるものなのかもしれない。それにしても、この作品の根本的な限界はキリスト教の信仰そのものへの分析が行われていないことと、この理性と心との対立の中に認められる。人間の行為が、その人の主義ではどんなに善意からされたものであろうとも、客観的事情からは反対物となり得る。その人の正しさそのものさえ相対的関係の中では反対に現れることさえある。これは本気で生きた生活者なら会得せざるを得ない事実である。
 バックが、個人と社会関係とのいきさつについての観察において、彼女のリアリズムを充分に発揮すれば「闘える天使」に語られている理性と心情との対立は、互に水掛論をする対立としてのこったままにはいない筈である。そのような社会の客観的事実と個人の運命との矛盾に傷み苦しむ心情からこそその原因を探求せずにおれない情熱が湧く。理性の活動がよびさまされる。そして更にそのような人間としての惨苦を減らすための努力に歩み出さざるを得ない気持に高められ、統一されるものなのである。ここへ到達した時こそ、バックの作家的輪廓は一層大きくなり、人類に貢献する文学としての質においても歴史的なものとなり得ると思うのである。
〔一九三七年七月〕

底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「婦人文芸」
   1937(昭和12)年7月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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