この講座でわたしの受けもちは「文学と生活」である。この課題は、考えれば考えるほど複雑で規模が大きい。どこからまとめていいかわからないような心持さえする。すべての文学は生活から生れ、生活のうちにかえってそこに生きついてゆく。生活と文学のこの関係は万葉集の時代から今日までつづいている。だから歴史的にみてくると、文学と生活はとりもなおさず階級社会とその文学史のようなものになりかねない。ところでその社会と文学との関係については第二巻で蔵原惟人が「文学と世界観」を書いているし、第四巻では近藤忠義が「日本の古典」を書いている。また同じ第四巻にはいろいろの角度から日本の文学、プロレタリア文学の歴史がとりあげられることになっている。広い意味でいえば、これらの題目はみんな文学と生活の関係を語るものである。
 では、わたしはどういうことから話しだすのが便利な方法だろう。この文学講座第一巻に中野重治が「これから小説をかく人へ」という文章を書いている。これはわかり易く、そしてふれなければならない大事な話もおとしていない。第一巻を読んだ人がつまり第四巻を読むのだろうし、またその逆でもあるわけだろうから、わたしは中野重治がふれているいくつかの点をもう少しつっこんで話してみることにしようと思う。
 中野重治は小説を書こうとするほどの人ならばその人は人生を愛して、人のためにも骨おしみをしない者でなければならないこと――できることは必ずすすんで実行する勇気をもった人であるべきことをいっている。そして小説を書くほどの人は、人類が尊い努力と犠牲によって歴史をおしすすめてきた真理に対して私心なくその価値を認めて、人々とともにその人間の知慧の成果を分けもつことを心からよろこべる人であるはず、とも云っている。文学と生活との関係については、これらが本当にかなめなところだと思う。
 戦争中日本のわたしたちが軍国主義一点ばりの権力によって、どんな日々を送りどんな死にかたをさせられ、きょうの生活にいたっているかということをふかく思えば、この四年間、日本の人民が「人間として生きる権利」をとり戻すために各方面に骨を折ってきた意義は実に大きい。けれども一九四九年には吉田内閣が議会で絶対多数の勢をかりて、旧い支配階級の勢力をもりかえし、人民がこの社会をもう少しは人間らしく、平和で安心して、住みよいところにしたいと思って試みるあれやこれやの努力を抑圧するために数々の法律や規則をつくった。日本の民主化は非常にジグザグなコースをとって根気づよく、人民の力によって行われなければならない内外の事情におかれている。文学もこの事実からきりはなして語られることではない。
 文学が人間生活に対する理解と共感とにたつ愛と努力の社会的な行為だということはあきらかだとして、人間を愛するということ、人生をまじめに受けとって歴史とともに自分もひとも成長させてゆくということは具体的にはどういうことをさすのだろう。ひたすら生活に風波をおこさないようにして、世間のしきたりをそのまま受けついで、その枠のなかで、月、雪、花のながめをたのしんだりして生きてゆくことだろうか。たとえば「細雪」の世界のように。それとも、今日いわゆる中間小説というものを書いておびただしい収入を得ている作家のある人たちが生きているように、そのふんだんな経済力で、妻をはじめ一家のなかをにぎやかに満足させて、非難をおさえておきさえすれば自分の男としてまた社会人としての異性関係などは、雄鶏一羽に雌鶏四五羽という風な生活をしても、生活と文学とは愛されているといえるのだろうか。

 トルストイやドストイェフスキーの小説には貧しい不幸な人々に対する同情と、とみ栄えて権力を争って、冷酷な利己心に一生をつらぬかれている貴族たちに対する批判が強くあらわれている。これらの作家たちは、婦人の社会的な立場に対しても、ただのがんろう物ではない人間としての心を見出そうとしている。ドストイェフスキーの異常な小説の中には、いくたりかの強い特色のある女性の性格が描き出されている。「罪と罰」のソーニアのように。トルストイの「復活」のカチューシャの経歴とそれを通じて語られている彼女の人間としての抗議は、文学を愛するすべての人に知られている。モーパッサンの「女の一生」も。
 これらの古典の中にはわたしたちの心をひきつける人生の姿がまざまざと描かれているが、わたしたち自身が自分で文をつくり出してゆく時は、原稿紙のわきにどれほど傑作をつみあげておいても何の役にもたたない。それどころかわたしたちは不思議なことを発見している。人生を深くとらえて描き出し、読む人の心をひきつける作品というものは、奇妙な力をもっていて、読者がまじめに、その作品の世界に入ってゆけばゆくほど、ますますひろく、ますます深く、日頃は何となくすぎてきた自分の生いたちや親たちの人生、いまの自分の生活とその中にあるいくつかの問題などについて、はっきり眼をさまさせられてくるものである。これは、おそらく小説を書こうという気持をもっているすべての人が、しっかりした作品を読んでゆく間に経験している心持であろうと思う。いい作品はその作品の世界がわたしたちの生活をひろくゆたかにするばかりではなく、わたしたち自身の生活を見直させ、自分として是非これはかいて見たいと思うテーマを発見させさえもする。
 小説のおもしろさ、がここにあり、文学が、人生の教師であると云われることの意味も、ここにある。よい小説にひきこまれるおもしろさは、ただつぎにくりひろげられる情景の変化につれられてゆく気持ばかりではない。事件の発展につれて登場しているいくたりかの男女は、それぞれに人間としての心のかぎりをつくして行動し、事件そのものに捲き込まれていながらも、同時に事件そのものを判断する関係におかれている。その過程が読むものの心にまた独特の反響をよびさましてゆく、そのおもしろさである。言葉をかえていえば、わたしたちはその作品の世界にひきこまれることで、自分だけの日常には経験されていない人生の複雑な諸関係の間を通過しながら、自分だけの生活では自覚されていなかった社会関係、そこから生じる人間感情の葛藤と進展と批判をみいだすのである。わたしたちはそういう意味で、しっかりした文学作品をよむときには作品の世界の展開につれて、同時的に自分の生活の風景とその地理とを知らず知らずのうちに対比し、同時的にみなおし、評価してゆくという精神の労作を経験する。生活と文学の深い根がここにある。漫才や軽音楽やカストリ小説の、時にとってはおもしろいかもしれないけれども、感覚の中をただ通りすぎてゆく間だけの気紛らしとは全く質のちがう文学の存在意義がある。

 モーパッサンの「女の一生」は、こんにちも多くの人によまれている。特に日本では「女の一生」の主人公ジャンヌの運命は、まだまだ多くの婦人の運命につながったところがある。今日「女の一生」を読む日本の若い婦人たちは、あわれなジャンヌに同情し、憲法の文字の上だけ変っても、現実にのこる婦人の社会的な無力さについて痛感するであろうが、そこまでは誰でも同じだとして、それから先に、現代の日本の若い婦人のうちにあるいくつかのタイプがそれぞれのちがいをもって社会的反応を表してくるだろう。
 即ち一つのタイプはモーパッサンがこの小説を書いた時代(一八八三年)と一九五〇年の世界――その中でのフランス、その中での日本の歴史は非常に変化して来ていて、社会の現実はちがっていることには大して注目しないで、ごく大まかに、やっぱり女の人生ってどこの国でも同じなのねえと嘆息し、ぼんやりと、わたしはこんな一生は欲しくない、もっとたのしい女の人生だってあっていいわけだわとジャンヌの末路をおそろしく感じる。
 こういう受けとり方をする人の生活そのものを突っこんでみると、その人にとっては人生そのものが大体小説のよみかたに似た風に感じとられ、運ばれていることを語っているともいえる。女の悲惨な運命に対してそれをいやがり拒絶したい気持はもとよりあるけれども、それならばといって積極的にこの社会での、婦人の立場をより希望のある楽しい人間らしいものにしてゆくために、自分としてはどの点をどうしてみようという主動的な決断と行為がなくて、結婚についても、不幸になりたくないという漠然とした最低線を感じているような人である場合が多い。組合の中でいえば、それは資本家はひどいけれど、わたしたちの技術だってまだ男なみでないんですもの、というように、現象だけをとらえて、社会関係の本質まではっきりとつかまない人々であるかも知れない。
 第二にはこういうタイプが考えられる。その人は文学作品もいろいろよんでいて「女の一生」のほかに「復活」もよみ、スタンダールの「赤と黒」もよみ、レマルクの「凱旋門」もよみ、「風とともに去りぬ」もよんでいるとする。同時に「たけくらべ」「にごりえ」をよんだことがあるし、「あぶら照り」「妻の座」も読んでいるとする。「伸子」を読んでいるかもしれない。そしてこれらのすべての作品をそれの書かれた時代の順にくらべて考えてみる力ももっている。「女の一生」のジャンヌと「凱旋門」のジョアン・マズーとの間にどれだけ大きなヨーロッパの資本主義社会全体の変化が語られているかということを理解し、スカーレット・オハラの強い性格が南北戦争の波瀾を通じて精力的に日々の生活ととっくみながら、いわゆる逞しく生きとおされながら、その窮極では一つも社会的な人間としての性格発展なしに、もとの自分の農園にかえってゆく、そのように通過された生活があるだけの人生の生き方について疑問をもっている。「にごりえ」の世界を、現代の売笑の女の気風とくらべたり、「妻の座」を「あぶら照り」や「伸子」とともに「女の一生」と連関させて考えることもできる。
 そういう人は世間でいう文学の話せる人の、タイプである。今日の世界民主婦人連盟について知っており、ソヴェト同盟や中国の新しい社会で婦人がどう生活しはじめているかということについても、相当に知っているだろう。日本をこめる世界の帝国主義が、世界の全人民の幸福と平和にとって、どんな役割をもっているかということも、分っているだろう。そして日本の文化や社会の習慣から封建と軍国主義的な影がとり去られなければならないことを、身をもって感じている。男友達と映画や芝居を見に行ったり、泊りがけのピクニックにでかけたりすることも、職場で若い女性が男性と一緒に働いて、一緒に組合運動をして、一緒に働くものの青春を守っているのだから、当然一緒に青春を楽しむのだというたてまえが主張された上での行動として、されてもいるだろう。おそらく彼女は、冒険をさけてばかりはいない性格であろうし、刻々の条件のなかで楽しさをひき出し、自分とひととの愉快のために雰囲気をつくるかしこさも持ちあわしているだろう。そういう面から見たとき、彼女は婦人雑誌でいう教養も、話題に困らないほどはゆたかで、女として人間として活溌であるものの面白さを自分の身に添えて表現する技術も理解し、わきまえている近代的な若い婦人であるということが出来よう。
 しかし、この頃よくあるように、家庭のある男の人と恋愛めいたいきさつがはじまったようなとき、あるいは、そういういきさつが自分の人生に起りかかっているのを自覚したとき、そのひとは、現実の人生問題をゆたかな文学的教養とむすびあわせて、どのように身を処していくだろうか。トルストイの小説の中には、トルストイがロシアの上流社会の習慣に抱いていた批判から「アンナ・カレーニナ」がかかれ、「クロイツェル・ソナタ」が書かれている。彼女はこれらの作品の中に眼の前にさし迫っている自分の人生問題の解決のきっかけをつかむことはできまい。それならばその頁の上に、まともに立っている男女の姿が見当らないほど、みだれにみだれて、その誇張が読者の好奇心をそそってゆくような肉体小説の氾濫の中に、人生に対するよりどころだの、自分の良心の拠点だけが見出されるというのだろうか。社会主義の社会での婦人勤労状態や日常生活のあらそいを理解しており、「家族・私有財産・国家の起源」も婦人の歴史的地位を語る本としてあれほど分って読んだと思うのに、身に迫った男女関係の著しく不幸な戦後的混乱の前には、われからたじろぐ感情があることを、その人は、どんな人生と文学の角度から処置する決意をもつだろう。そのいきさつを肯定するにしろ、否定するにしろ。「当節の若い女性は中年紳士がお好き」という色ペンキで塗られたバラックのような風潮から、自分と自分の事件の本質を区別して、人間らしく生きようとしている人間として、社会人として責任の負える立場でつかんで、処してゆくために。文学ともいえない読物の中には、重役と女秘書、闇の事業の経営者とその婦人助手のいきさつなどがはやっているけれども、パール・バックの「この心の誇り」にとらえようとされている女性の自立の世界と、それはどんなにちがっているかということを見くらべるにつけても、その人は自分の立場をどの点において、判断して行動してゆくだろう。もしその人が小説を書くならば、そこには社交的な恋愛から結婚が、仕事の協力者として発見された人と人との間の愛と結合に発展してゆく「この心の誇り」ともちがい、ただありふれた三角関係をそのままにうけ入れてかこうとしているのでもない、新しい女性としての人生発見のいきさつが、その矛盾のはげしい高低とたたかいの姿でかかれなければならないわけになる。新しいモラルが見出されなければならない。そして、生活と文学とをひとつらぬきにしたその努力がつきつめられてゆくにつれて、日本の現在の社会のままでは主観的に愛情の内容がいろいろにたかめられ、社会化されたモメントにたっているとしても主婦、という立場で日々のいとなみがあんまり女性にとって重い負担だから、当然主婦と職業の矛盾、衝突の問題が考えられずにはいない。なぜなら、「この心の誇り」の男主人公は、無駄な時間をトランプ遊びについやして、空虚に愛情ばかりをせがんでいる妻をもつ科学者だった。彼は自分の仕事に助手として働く若い婦人に自分の生涯をかけた仕事と人生の真実なみちづれをみ出してゆく。そしてそこに新しい生活がきずき直された。
 こういう小説のテーマは第二次大戦前においては、日本の文学にとっても、ある新しい社会的意味をもっていた。けれども、こんにちのとくに日本で、生活を現実的にたたかっている職場の若い婦人が、男の側からの人生の再要求とでも云える、「もっと新しい内容での結合という進歩的な意義」との説得に、新しい愛人としての優越感ばかりで誇らかであり得るだろうか。職場で働き、職場でたたかいつつある若い独立した婦人であったらばこそ、女の上に新鮮な意志と情感が花咲いていた。もしせまい家庭にかがまって夫に依存する女になったら、急に色あせ、しぼむことはないものだろうか。二人で働いて、たたかって生きてゆこうというのならば、きょうの日本では、まだまだ婦人よりも「家庭をもつ」男性の感情のなかに整理されなければならないものがある。「家庭」がそれだけ魅力であり、それだけ大きい負担であるという現実は、日本の社会施設が働いて生きている男女とその子供、老人たちにとって安心と幸福とを与えるものでないという証拠にほかならない。一人の初々しかった二十歳の女性がきょうまで十五年の間に、頭も胸も硬くこわばって、三人の子供の母として日常生活の中に灰色になってしまったからと云って、そのこんにち、二十歳の新しい婦人が一人の女をそのようにあらせてしまったそのままの男と、そのままの社会と組みあわされたとして、その十五年後に、かつてはみられなかった彼女の顔の上に見られるものは何だろう。その十五年の後に、一層しっかりと人間らしさを発展させた自身を彼女が見出そうとするならば、過去の年月の間で一人の女性を化石させてしまった家庭というもののありかた、夫というもののありかたそのものを、日本の社会の問題として批判し闘ってゆく男の新しい社会観念とともに、出発しなければならないだろう。そして、たくさん、自分とあいての人とのもつ矛盾にぶつかってゆくだろう。もし彼女と彼とが人間らしければ、それらの絶え間なくおこる矛盾をお互の間で、またお互と外部との間で前進的に社会的に解決してゆこうとする張りあいのうちにしか、いわゆる幸福とか歴史的価値への信頼というものはないことをも発見してゆくだろう。
 このような一つの例は、小説を書こうとする若い女性に、あるいは若い男性に、文学の創作方法がもっている生きた歴史を会得させるきっかけにもなるかも知れない。平凡な物憂い夫婦生活と、はんこで押したような勤め先の仕事。そのものうさを人生の姿としてそれなりに訴えずにいられなくて、書きはじめられた小説が、考えすすみ書きすすむままに、やがて次第にすべてそれらのものうさの原因を、主人公の内部にあるものと、外の社会とのありかたとの関係のうちに批判をともなって、発見されてゆきはじめる。リアリズムは批判的なリアリズムと成長しずにいない。そして、その批判が、組合の仕事や日本の国内、国外の社会事情についてより科学的な知識をひろげてゆくにつれて、愛情そのものさえ歴史の脈動とともに性格づけられるものであることが発見されてくる。ただイデオロギーとして社会主義が分ってきたばかりでなく、人間は幸福を求めているというなまなましく根強い実感、熱情そのものとして個人の人生も歴史の展望の中に見とおされて来たときの社会主義的リアリズムの創作方法。
 文学の創作方法が社会の歴史の発展につれて、階級社会の認識の確立とともに、そして新しい形態での人民社会の建設の成果とともに、一歩一歩とより広い展望におしすすめられて現在に至っていることは、一人の個人の社会と人生と文学の世界の見とおしとひろがりについて見ても、実によく分る。今日の社会で過去の私小説の現実のつかみかた、書き方では、主人公一人の実感さえ、それが現実にある複雑さではとらえきれなくなっている、これは明瞭である。
 現実のいりこんだ関係がこんにちのように複雑になると、これまでのせまい創作方法ではその全部の内容をいちどきにつかみとることができなくなって、リアリズムなんかは古くさい、何かもっと現代をがっしりつかむ創作方法を、という要求も起る。日本のジャーナリズム小説の大半を占めている風俗小説――中間小説とよばれている作品の作者たちは、戦後の日本のどっちを見てもバラック、ガタガタなあさましい世相を、これまでの私小説的手法ではうつしきれないと、そこからとび出た形として主張している。
 なるほど私小説、心境小説の限界は、はっきりしている。けれども、社会のはげしく移り変る世相そのものをただ追っかけて、漁って、ちょっと珍しい局面を描き出したとして、それはたしかにそういうこともあり、そうでもあるかもしれないけれど、往来に向ってとりつけられたショーウィンドが、何でもただ映すのとどれほどのちがいがあろう。文学としての現実の芯のふかいところにまでふれたものだろうか。
 どんな文学の初心者でも一人の人の顔にあらわれる表情や動作には、きっと内部の心とつながりがあることを知っている。だからこそ「彼女は無意識にマフラーの結び目へ手をやった」というような動作の描写が、むこうから近づいてきたまちの人の姿を眼に入れた瞬間の、彼女のしぐさとして描かれる必要も生れてくる。一人の人の表情、動作についてさえ、文学の目というものがそこまで立ち入るものであるなら、社会の集団が集団的に表情している表情やもののやり方――たとえば金銭とか男女関係のありかたなどにも、その人びととしては無意識にそうなってゆく、または居直ってそうしている底の原因までが文学の目で見出されなければならない。

 一つのコップのスケッチでも、それは影を正しく描き出されることではじめてコップという立体的な物体としてあらわされる。平面的に見えている側だけ書いても、それは五つか六つの子供の絵でしかない。童画は、原始人の絵画のように単純だが、鋭い感受性にパッと強くうつったその面だけの印象をうつすから、小さい子の絵はたいてい人間の丸い顔からはじまる。鼻や耳の細部は全然見おとされるか、さもなければあっさり描かれて、たいてい二つの眼が印象の中に大きく強く、とらえられている。それから口が。これは子供の脳細胞の生理的な発育の段階を語っている。
 風俗小説、中間小説の題材とテーマが性に最大の重点をおき、その点にばかり拡大鏡をあてて人間関係を見た状態を、この童画の心理にひきくらべて考えると、その気狂いじみた性への執念はむしろおろかしく、物狂わしい非人間生活の図絵としかみえない。社会が未開であったとき、性の神秘は人間誕生のおごそかなおどろきとむすびあわされて、性器崇拝となった場合もあった。けれども日本のいまの肉体文学のように、人間の理性の働きの面を抹殺した性への溺死は、軍国主義やファシズムの人間性抹殺のうらがえしの現象である。日本の敗戦がこういう社会経済事情をもたらしたから、いわゆる性的失業者、半失業者がふえて一種の性的飢餓の心理がある。だから両性関係は混乱するのはさけがたいとされる見かたがある。その同じ理由からエロチックな中間小説が氾濫するといわれてもいるが、人生を大切に思っているすべての人の心には、このみじめな循環法にたつ説明だけでは納得できないものがある。こんな男にとっても、女にとっても不幸な混乱をそのままにうけとっているだけではいられない気持がある。率直に人生のよろこびの泉として性をきらめかせたいと願う者は、人間としての愛とモメントからきりはなして考えることができない。女にとって男を殺し、男にとって女を殺し、半ばひらいた美しい人間の精神とその性を殲滅する戦争こそ拒絶しずにはいられない。性は母性父性にまでひろがって、人間の性の正当なあつかいかたを求めて叫んでいると思う。精神の解放の証拠としての肉体解放というならば、それはとぐろをまいた肉体文学を突破して、先ず性の根元である生命の人間らしい愛と、その自主性の確立――少くとも戦争と失業のない社会を主張するために闘っている肉体の行動が、現代文学のうちにとらえられて自然だと思う。
 実さいではみんながそういう風にやっているのだ。組合の活動にしろ戦争反対、ファシズム反対を持するこころもちとその行動、金でいえば五千円の越年資金を闘いとる行動にしろ、みんなその本質は解放を求める人民としての精神が、肉体の行為によってしめされたものである。だのに、どうして文学ではこの実際であるとおりにとらえられないで、肉体の行為が性行為への興味にしか集中されないのだろう。へんなことではないだろうか。このことは今日の私たちが、生活と文学における自分の肉体の新しい価値、新しい美を見出し、未来のミケランジェロのために、深く追求してゆくべき点だと思う。現代の進歩的な文学が肉体の叫びの新しい局面をその文学的実感の中にとらえてゆくことは、私たちが思っているよりも重大な意味をふくんでいると考えられる。
 ストライキ一つをとってみても、そこに幾十幾百幾千の男女のなまなましく生き、軟く、暴力には傷けられる肉体がある。その肉体の一つ一つが一つ一つの人生を支えている。或は一つの肉体によって数人の生命が支えられてさえいる。労働階級にとって肉体と人生との統一のきびしさは、労働力を売って生きて行かなければならないというおそろしい緊張のうちに示されている。パンを与えよという叫びはフランス大革命の時から労働者階級の肉体の叫びであった。それがとりもなおさず人生を与えよという叫びであるからこそ、社会主義と革命の伝統は、直接労働者として生活していない人類のすべての正義と美とをこの人生に求める人々までを、その陣営に召集して来た。人類の良心とともに根ぶかい革命の伝統は、歴史とともに空想的なよりよい社会への願望から科学的な社会発展の原理の把握にまで進んで来て、二十世紀には、地球上に続々とより多数な人間がより人間らしく生きてゆく可能な条件をそなえる民主国家が生れ出た。一九一七年のソヴェト同盟の社会主義国家の誕生。一九四五年に東ヨーロッパに人民民主主義政権が確立し、北朝鮮の共和政権が生れ、一九四九年十月には中華人民共和国が出発した。わたしたちが日本のこんにちの現実の中に生き、そして死ななければならない八千五百万の日本人民の一人としての自分の人生を思うとき、たとえば全面講和の要求にしろ、まったくわたしたちの直接な世界平和への良心の声であり、軍事的奴隷としてでなく生きることを欲している独立市民の声である。

 小説をかこうとするひとはおしきせの感じかた、考えかたで満足しないで、自分の実感を大切にしなければならないと、中野重治が云っている。
 過去の文学では、実感というものが、私小説的に狭くとりあつかわれて来ている。その作家固有の個人的経験から生れた実感という風に解釈されている要素が多かった。そのために、一九四五年からのちの日本の社会の大きい動きのなかで働く人々として、大きい動きを経験した人々が、いざ、小説を書こうとするといつとはなしにしみこんでいる「実感」の枠――個人として書きたいと思うモティーヴと、目ざめた職場人として、書かなければならない労働者階級の日本の民主革命の課題に添っての集団的な行動経験など、その間にズレを感じる。そして、小説がかけないというゆきづまった感じをもつ場合が少くない。
 もうわたしたちは、これからの小説が生れる実感は、それがこんにちの生活からくみとられた真実の感銘であるという意味において、昔の作家たちの実感とはまるきりちがった性質のものになって来ているという事実を、勇敢に自分の上に認めなければならない時代に来ていると思う。
 生活の実感は短波が日常に及ぼす速報につれて短時間に拡大し、複雑化し、手に負えないほどになっているのに、文学の創作方法は、その実感の大きさ、ひろさ、量感をそのままとらえて再現するだけに拡大されていない。ここに、こんにちの日本の文学の深刻な苦悩と混乱がある。
 小説をかきたくてとりかかったが、どうにもこうにもまとまりがつかなくて投げてしまったり、さもなければ複雑で大きい経験と実感の中からその人として手もちの創作方法で、何とかまとめられる部分だけを切りとって、こじんまりとした一篇の小説にして見た、というような場合も少くない。しかし、本当に文学を愛し、新しい小説を生み出してゆきたいとねがうわたしたちとしては、この最少抵抗線に甘んじることはまちがっている。われわれは、自分としてしんから書きたいものをどのように書いてゆくかということに課題の中心をおきかえて努力して行く方が、具体的に文学をのばしてゆく方法だと思う。
 その人としていま、どうしても書かずにいられないと感じられているものを、いま、自分に見えているところから書いてゆきながら、てっとりばやくそれを作品にまとめようと、せき立たないことである。それよりも、むしろ書いてゆけばゆくほどかくれていたいろいろの複雑な関係がわかって来て、その関係を自分で満足するまで描き出そうとする、とまた新しくそこにわからないところも、つかめていないところも出て来る。思いがけないところで先がつまって、そとでのひと勉強――場合によっては全く文学の枠のそとで研究、経済だの組合問題だのの勉強が必要になってくるかもしれない。しかしそれは、新しい小説を創造してゆこうとするこんにちの人々にとっては、むしろ当然ではあるまいか。生活と文学の明日そのものが、その人の歴史に新しい明日であり、日本の歴史そのもののうちに新しい人民の明日としてまだ誰にも経験され、書かれていないのだから。そこにこそ、創造のよろこびとコツコツ労作をいとわないはげましとがある。文学が伝統的な枠の中だけでは決して新しくなってゆけない理由がここにある、流派や手法だけでの新しさで、文学の本質が新しくされるものではない理由がある。
 その意味で「文学のことば」もかわって来ないわけにゆかない。簡明で云おうとすること、内容がくっきりとうちだされていて、あいてによく通じるわかりやすさ。それが必要なばかりでなく、これからの文学のことばのなかには漱石も知らず、志賀直哉の生活と文学にもなく、「細雪」にもないいろいろの社会科学のことばや、科学のことばが、こなれてはいって来るようにもなるだろう。わたしたちの生活の現実で社会の関係についての常識や、人民的国際関係についての常識はどんどんひろがるのだから。

 きょうに生きるものとして、社会の自分について感じる実感の問題にもどる。
 さっき「女の一生」からひき出された話としてふれた今日の婦人の社会生活、家庭生活にある諸問題の例は、工場に働く婦人労働者の場合、一層負担の重い苦しいものになる。きょうでさえ日本の婦人労働者の賃銀は平均して男子の六〇パーセントに達していない。やすい労働力としての婦人の労働の力は、この節の合理化によって益々搾取の対象となっている。組合内家庭内の封建的な習慣もまだなくなっていない。
 だから、かりに職場で、進んだ労働者としての経験を通じて愛し合うようになり、結婚しようとする若いひとくみの男女が互の間では、随分進歩した協力的な生活設計を考えられるとして、二人ともが失業した場合、また結婚しても、どちらかがあいての親たちの生活扶助をつづけなければならないようなとき、とくに女の側にこの条件があるとき、事情ははなはだいりこんでくる。
 このような場合の苦しいいきさつを、徳永直の「はたらく人々」はアサという植字の婦人労働者を女主人公として、こくめいに描きだしている。いまから十年前にかかれたこの小説を、きょうの印刷工場に働いている若い婦人労働者、アサに似たような家庭条件でこれから結婚しようとしている若い婦人労働者がいてよんだとしたら、そのひとはどんな感想にうたれるだろう。
 モーパッサンの「女の一生」にはっきり古典を感じた彼女は、アサのような「女の一生」を自分の明日にうけとりたいと思わないだろうと思う。この小説に描かれている山岸アサが生きたよりもっと、ちがった生活をもちたいと切実にねがうにつれ、彼と彼女とは、組合の力が現実にどこまで労働者の生活を改善しているか、ということについても考えずにいられないだろう。いつになったら日本の労働者が、養老年金のとれる社会をつくるだろうと思わずにいられまい。そしてアサの時代は婦人労働者が未組織だったのだということを考え、同時に、現在は組織されていてもまだめいめいの個人生活の苦痛は、個人的な解決にまかされている部面の余り多いことにくらべて、はるかに社会保障の大きい社会主義の社会を思いくらべずにいられないだろう。遠いよその土地の美化された物語としてではなく、このごたついた、でこぼこのひどい、けなげなひとびとの足もつまずきやすい障害だらけの日本の中で、じりりじりりと推しまわされてゆかなければならない、人民の民主主義にたつ社会へ新しいまわり舞台。その仕組みについて考えるとき、彼女は若々しい人生への意欲と愛とにもえればもえるほど、ほかならない自身の肩に、しっかりうけとめて推してゆかなければならない、労働者階級の勝利への心棒があることを感じるだろう。けなげで忍耐づよいアサの知らなかった生活と文学の実感がここにある、新しい歌がある。
 文学の仕事をしてゆこうとしている人は、実感を尊重して、文学のこと以外に多くのことを学ばなければならないということは、多くの人によって云われている。いつか佐多稲子が小説を書く人の心がまえとして、意識というと階級意識と限って考えられる傾きがあるけれども、階級についての意識ばかりでなく、生活のうちにふれてくるすべてのことに意識をもたなければならないという味わいの深い言葉を書いているのを読んだことがある。実感の豊かで、強い内容は、稲子さんが云っているとおり、あらゆる場合めざめている意識をとおしてその人のうちにつみかさねられてゆく。
 意識するということは、生理的に知覚すること――ただある音がきこえた、ただあることがみえた、そして、きこえた音、見えたものごとから人間の神経がそれに応じる一定の反射作用をおこした、ということではない。意識するということは、知覚されたものの質や意味までをこめて生活感情の中に積極的にくみとるということである。そして心というものは、宙に浮いたものでなくて、かならずその人の生活とともにあるものだ。生活は社会関係の中にその人がどんな立場でおいこまれているかということに基礎をおいているから、したがって生活感情としての美の意識までも自らちがいをもってくる。知覚されたものに対しての評価と判断がある。耳にこころよいメロディーというものも、その人の全生活の内容、個々の生活の営まれている方向とのつながりをもっている。だからどんな音でもきこえて来る音に対しては受け身で、いわゆる無意識にきき流し、どんな習俗でもそれがはやりなら無意識にまねをする。そんな虚無性の一方でイデオロギーとして知識の形で、頭に入っているものだけを自分の階級性だと思ったりしているところからは、生きた実感で統一された文学が生れるわけもない。
 日本の新しい文学が生れてくるためには、おびただしい困難がある。商業ジャーナリズムの害悪はもちろんである。しかし、もっと深いところでこんにち認められる危険は、資本主義社会のいわゆる文化、娯楽が、きわめて知覚的な刺戟の連続として歌謡・バレー、あてものなどで組立てられ、プログラムづけられているということである。労働条件のわるさ――たえざる疲労と心労、生活不安と、からみあって来ているこの娯楽の知覚的な方向へのそらせかたは、よほど警戒されなければならない。働いて、くたびれた時間の全部は、じっと考えさせず、たえず音や色や動きでまぎらしてしまおうとする娯楽の知覚化――「二十の扉」や「一分ゲーム」や「私は誰でしょう」などは、瞬間瞬間をこまぎれにしてちりぢりばらばらのトピックに注意を集中させるようにできている。全く考えに沈潜する習慣を失った、散漫で、お喋りな人間――自分に何も分っていないということについて、全く気づいていない人間をつくるに役立っている。よくならされた犬のように、ヒントで支配される隷属的人民をつくるための方法であるとさえ云える。
 封建性がのこっているために、目前の権力に屈従しやすい日本の習慣の上へ、第一ヒント、第二ヒント、ヒントで導かれる心理習慣に抵抗しなかったら、わたしたちの生活と文学の自立、独立性とはどうなって行くことだろう。
 小説は、よんでいる間だけすらすらと面白ければそれでいいのだ、深刻に考えるようなあと味がのこったりしてはいけない、というあるジャーナリストの意見に正宗白鳥が賛成している。これはリーダーズ・ダイジェストの編輯方針と全く同じである。自然主義から出発して「牛部屋の臭い」というような小説をかいた白鳥が、こんにちでは日本の現実からはなれて「日本脱出」という風な作品をかいて、小説までも知覚的な気まぎらしであることに同意していることは、自然主義的な白鳥のリアリズムのこんにちにおける敗北を語っている。

 文学の創作方法としてのリアリズムについては、これからさきもますます、ことこまかに研究され、発展させられてゆく必要がある。なぜなら、リアリズムだけが、人類社会の発展の各段階と、個人の社会的成長の足どりにぴったりとくっついて前進する可能をもった創作方法である。しかも、人間の経験のうちに、社会発展の法則を次第に遠くまで見とおす具体的な条件がまして来るにつれて、リアリズムは日常的な目前の現象にくっついて歩いて、その細部を描き出す単純な写実から成長して、人民の歴史を前方に展望する遠目のきくリアリズムにまで育って来る。
 リアリズムのおそろしい力は、まだほかにもある。それは文学流派としてどのようなロマンティシズムでも、シュールでも、スリラーでも、とどのどんづまりのところでは、その手法で描かれた世界が、読者に実感としてうけいれられるリアルなものとして形象化し、かたちづくって行かなければならないという現実である。つまり語ろうとする世界を在らせなければならないという客観的な真理に服さなければならないということである。ロマンティストやシュール・リアリストたちの多くは、なぜ自分がロマンティストであり、シュールであるかということを社会とのつながり、歴史の発展とのつながりというひろい視野にたって説明することは出来ない。リアリズムは、社会現象としてのロマンティシズム、シュール・リアリズムを、そのような生活感覚に分裂をおこさせる根源にさかのぼって分析し、人間理性の歪曲(ディフォーメーション)に抵抗して、新しい人間性ヒューマニティの再建に向う精力を蔵している。
 シェークスピアのリアリズムは、彼の生きた十六世紀の半ばから十七世紀のはじめにかけてのヨーロッパ社会と各層の人間の活躍の可能と限界とを、あますところなく語っている。明日のわれわれのリアリズムも、こんにちのところではまだわたしたちがそれを自分の文学的な力としてこなしていない、実におびただしい多様な感動の深さ、空間的に拡がって地球をまわっている見聞の広大さ、人民解放にのぞむ国際関係の複雑な立体経験がある。これらは、みんな、シェークスピアの大天才でさえも、当時の限界によってもつことのできなかった現代の可能の一条件である。それにもかかわらず、わたしたちの文学が、今のところリアリズムにおいて、いくらか古くさく弱く、作品も断片的であるのは、資本主義社会の生活が、生産の上にも文化の上にも、全体として一つにまとまったものであるべき人間性を、細かい分業のかたにはめてしまって来ているからである。その最もいちじるしい例は、フォードの自動車工場の労働者の生活にあらわれている。フォードの極度に合理化された能率増進の分業では、一つずつの作業に、人間として最大の能力を発揮する労働者が配置されている。そのかわり、万一その労働者がその職場を追われると、彼はもうどこでも働きようがない。彼は自動車製造という長い全面工程のたった一つの小部分にだけ精通し、労働の全能力がそこに規画されていわば精巧なかたわにされてしまっているから、ほかのところでは役にたたない。フォードの労働者が、不景気につれて案外に低賃銀をうけ入れ、労働時間の短縮をうけいれなければ生きてこられなくなっている原因はここにある。
 人間的な労働条件はチャプリンの喜劇に示されたような人間性の機械化から、人間を解放しなければならない。文化の面でも、商業ジャーナリズムについても同じことが云われはしないだろうか。社会労働と文化の全面で、わたしたちは、まともな人間一個としての生活にふさわしい統一と釣りあいをとり戻すためにたたかって行かなければならない。その意味から云っても人民の生活エネルギーのうちにかくされ、眠らされている能力が、新しい社会感情と文学の上にめざまされて来ることなしに、文学は真実の意味で歴史的な飛躍をとげることは出来ないのである。

 そもそも人類の祖先たちが文字を発明した動機は何だったろう。洞窟に木の皮や獣の皮をまとって生活していた原始生活から発展して来て、ただその場かぎりの餌としてたべてしまうよりも多い計画的な狩猟や農耕がはじまり、交換が行われるようになると、彼らは、自分たちの、忘れるという意識の生理現象に対して、意識をめざまされ、それを生活上不便だと感じるようになって来た。そこで人類の祖先たちは、イリーンが面白く旅行しているように、一定の約束をもった長さ、短かさで棒に記号を刻みつけたり、ぶら下げた繩にそれぞれ約束できめられている形で結び目をこしらえたりしはじめた。
 人類が、火をこしらえる方法を発見したこと、それから字のはじまりである記号をもつようになったこと、この二つは、人類を他の生物から区別した。人類には、他の動物より発達した知覚があるばかりでなく、生存のためのたたかいの上におこった経験を記憶し、その多くの経験から一つの法則をひき出して来る能力があった。他の動物にない性格がある。文字の発明が、そんなに生活的な動機をもち、忘れたり、混乱したりする知覚的な不確さに抵抗する人間の分別からおこっているということは、わたしたちに、文学というものが本来ふくんでいる、厳粛な価値を考えなおさせると思う。太古の民族伝説が初めて文学にうつされたときは、その民族にとって驚異の祭日であったにちがいない。
 民族文字をもっていないアイヌには、こういう伝説がある。昔、アイヌ族が繁栄していた時代には、アイヌも立派な民族文字をもっていた。ところが、アイヌの住んでいた日本へ侵略して来た民族が、字をしまっておいた唐びつを掠奪した。そして、アイヌはこんにち自分の字をもっていないのだ、と。
 この伝説は、圧迫を蒙って来た少数民族の嘆きと憤りとを語るばかりだろうか。わたしには、そればかりと思えない。もしわたくしたちの生活に毎日毎夜うけいれている文字のすべてが、独占資本の権力によって廻転されている印刷能力からうちのめされて来る文字だけであるとしたら、数千万の文字そのものを、それなりでわたくしたちの文学の文字ということができるだろうか。
 文学に大切な実感はこのように基本的な文字そのものの性格の検討にまで及んで行かないわけにゆかない。
 人類のもつ美しく立派な文学の一つでもが、何かの意味で無情な破壊力の抗議であり、人間の訴えと欲求に立っていないものがあっただろうか。
 世界文学の中に日本の現代文学がどういう価値をもつかということは、決して「細雪」をもっていることだけでは計られない。新しい歴史がひらけたアジアで、独特な辛苦の立場におかれている島国・日本の人民が、どのように自身を世界平和かくらんのために使役されることからまもり、自身と世界の良心のために、これまでだまっていたつましい人民が、どんなにいろいろさまざまの現実について発言しようとしているというところに、これからの日本の人民の文学の評価のよりどころがある。そのような文学の細目が、しだいに日本の文学史を変革してゆくであろう。
〔一九五〇年三月〕

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「入門文学講座 第三巻」新日本文学会
   1950(昭和25)年3月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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