「あ、鳴つた。」
 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 などと、の抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。


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瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
コブヲ モツテル オヂイサン
 このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
 と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
 お爺さんは浮かぬ顔になる。
 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
 言はなくたつていい事である。
 お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ
 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
ニハカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ
 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広いうろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オヂイサン
イツカ グツスリ ネムリマス
オヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ
 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木のうろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木のうろから這ひ出ると、
オヤ ナンデセウ サワグコヱ
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
 といふ事になるのである。
 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
ヲドリノ スキナ オヂイサン
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ ヲカシイ オモシロイ
 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
むすめ島田で年寄りやかつらぢや
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
 とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
オニドモ タイソウ ヨロコンデ
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
ダイジナ モノヲ アヅカラウ
 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
 お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
アサデス ツユノ ヒカルミチ
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけがとく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
 家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに美人でもないが色白くぽつちやりして、少し蓮葉なくらゐいつも陽気に笑つてはしやいでゐる。十二、三の娘がひとりあつて、これはなかなかの美少女であるが、性質はいくらか生意気の傾向がある。でも、この母と娘は気が合つて、いつも何かと笑ひ騒ぎ、そのために、この家庭は、お旦那の苦虫を噛みつぶしたやうな表情にもかかはらず、まづ明るい印象を人に与へる。
「お母さん。お父さんの瘤は、どうしてそんなに赤いのかしら。蛸の頭みたいね。」と生意気な娘は、無遠慮に率直な感想を述べる。母は叱りもせず、ほほほと笑ひ、
「さうね、でも、木魚もくぎよを頬ぺたに吊してゐるやうにも見えるわね。」
「うるさい!」と旦那は怒り、ぎよろりと妻子を睨んですつくと立ち上り、奥の薄暗い部屋に退却して、そつと鏡を覗き、がつかりして、
「これは、駄目だ。」と呟く。
 いつそもう、小刀で切つて落さうか、死んだつていい、とまで思ひつめた時に、近所のあの酒飲みのお爺さんの瘤が、このごろふつと無くなつたといふ噂を小耳にはさむ。暮夜ひそかに、お旦那は、酒飲み爺さんの草屋を訪れ、さうしてあの、月下の不思議な宴の話を明かしてもらつた。
キイテ タイソウ ヨロコンデ
「ヨシヨシ ワタシモ コノコブヲ
ゼヒトモ トツテ モラヒマセウ」
 と勇み立つ。さいはひその夜も月が出てゐた。お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々、口をへの字型にぎゆつと引き結び、いかにしても今宵は、天晴れの舞ひを一さし舞ひ、その鬼どもを感服せしめ、もし万一、感服せずば、この鉄扇にて皆殺しにしてやらう、たかが酒くらひの愚かな鬼ども、何程の事があらうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意気込みで鉄扇右手に、肩いからして剣山の奥深く踏み入る。このやうに、所謂「傑作意識」にこりかたまつた人の行ふ芸事は、とかくまづく出来上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意気込みがひどすぎて、遂に完全の失敗に終つた。お爺さんは、鬼どもの酒宴の円陣のまんなかに恭々粛々と歩を運び、
「ふつつかながら。」と会釈し、鉄扇はらりと開き、屹つと月を見上げて、大樹の如く凝然と動かず。しばらく経つて、とんと軽く足踏みして、おもむろに呻き出すは、
「是は阿波の鳴門に一夏いちげを送る僧にて候。さても此浦は平家の一門果て給ひたる所なれば痛はしく存じ、毎夜此磯辺に出でて御経を読み奉り候。磯山に、暫し岩根のまつ程に、暫し岩根のまつ程に、誰が夜舟とは白波に、楫音ばかり鳴門の、浦静かなる今宵かな、浦静かなる今宵かな。きのふ過ぎ、けふと暮れ、明日またかくこそ有るべけれ。」そろりとわづかに動いて、またも屹つと月を見上げて端凝たり。
オニドモ ヘイコウ
ジユンジユンニ タツテ ニゲマス
ヤマオクヘ
「待つて下さい!」とお旦那は悲痛の声を挙げて鬼の後を追ひ、「いま逃げられては、たまりません。」
「逃げろ、逃げろ。鍾馗かも知れねえ。」
「いいえ、鍾馗ではございません。」とお旦那も、ここは必死で追ひすがり、「お願ひがございます。この瘤を、どうか、どうかとつて下さいまし。」
「何、瘤?」鬼はうろたへてゐるので聞き違ひ、「なんだ、さうか、あれは、こなひだの爺さんからあづかつてゐる大事の品だが、しかし、お前さんがそんなに欲しいならやつてもいい。とにかく、あの踊りは勘弁してくれ。せつかくの酔ひが醒める。たのむ。放してくれ。これからまた、別なところへ行つて飲み直さなくちやいけねえ。たのむ。たのむから放せ。おい、誰か、この変な人に、こなひだの瘤をかへしてやつてくれ。欲しいんださうだ。」
オニハ コナヒダ アヅカツタ
コブヲ ツケマス ミギノ ホホ
オヤオヤ トウトウ コブ フタツ
ブランブラント オモタイナ
ハヅカシサウニ オヂイサン
ムラヘ カヘツテ ユキマシタ
 実に、気の毒な結果になつたものだ。お伽噺に於いては、たいてい、悪い事をした人が悪い報いを受けるといふ結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に悪事を働いたといふわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になつたといふだけの事ではないか。それかと言つて、このお爺さんの家庭にも、これといふ悪人はゐなかつた。また、あのお酒飲みのお爺さんも、また、その家族も、または、剣山に住む鬼どもだつて、少しも悪い事はしてゐない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつたのである。それゆゑ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になつて来るのである。それでは一体、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、と短気な読者が、もし私に詰寄つて質問したなら、私はそれに対してかうでも答へて置くより他はなからう。
 性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。


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浦島さん

 浦島太郎といふ人は、丹後の水江みづのえとかいふところに実在してゐたやうである。丹後といへば、いまの京都府の北部である。あの北海岸の某寒村に、いまもなほ、太郎をまつつた神社があるとかいふ話を聞いた事がある。私はその辺に行つてみた事が無いけれども、人の話に依ると、何だかひどく荒涼たる海浜らしい。そこにわが浦島太郎が住んでゐた。もちろん、ひとり暮しをしてゐたわけではない。父も母もある。弟も妹もある。また、おほぜいの召使ひもゐる。つまり、この海岸で有名な、旧家の長男であつたわけである。旧家の長男といふものには、昔も今も一貫した或る特徴があるやうだ。趣味性、すなはち、之である。善く言へば、風流。悪く言へば、道楽。しかし、道楽とは言つても、女狂ひや酒びたりの所謂、放蕩とは大いに趣きを異にしてゐる。下品にがぶがぶ大酒を飲んで素性の悪い女にひつかかり、親兄弟の顔に泥を塗るといふやうなすさんだ放蕩者は、次男、三男に多く見掛けられるやうである。長男にはそんな野蛮性が無い。先祖伝来の所謂恒産があるものだから、おのづから恒心も生じて、なかなか礼儀正しいものである。つまり、長男の道楽は、次男三男の酒乱の如くムキなものではなく、ほんの片手間の遊びである。さうして、その遊びに依つて、旧家の長男にふさはしいゆかしさを人に認めてもらひ、みづからもその生活の品位にうつとりする事が出来たら、それでもうすべて満足なのである。
「兄さんには冒険心が無いから、駄目ね。」とことし十六のお転婆の妹が言ふ。「ケチだわ。」
「いや、さうぢやない。」と十八の乱暴者の弟が反対して、「男振りがよすぎるんだよ。」
 この弟は、色が黒くて、ぶをとこである。
 浦島太郎は、弟妹たちのそんな無遠慮な批評を聞いても、別に怒りもせず、ただ苦笑して、
「好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やつぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命といふものがあるんだよ。」と何の事やら、わけのわからんやうな事を悟り澄ましたみたいな口調で言ひ、両腕をうしろに組み、ひとり家を出て、あちらこちら海岸を逍遥し、
苅薦かりごも
乱れ出づ
見ゆ
海人あまの釣船
 などと、れいの風流めいた詩句の断片を口ずさみ、
「人は、なぜお互ひ批評し合はなければ、生きて行けないのだらう。」といふ素朴の疑問に就いて鷹揚に首を振つて考へ、「砂浜の萩の花も、這ひ寄る小蟹も、入江に休む鴈も、何もこの私を批評しない。人間も、須くかくあるべきだ。人おのおの、生きる流儀を持つてゐる。その流儀を、お互ひ尊敬し合つて行く事が出来ぬものか。誰にも迷惑をかけないやうに努めて上品な暮しをしてゐるのに、それでも人は、何のかのと言ふ。うるさいものだ。」と幽かな溜息をつく。
「もし、もし、浦島さん。」とその時、足許で小さい声。
 これが、れいの問題の亀である。別段、物識り振るわけではないが、亀にもいろいろの種類がある。淡水に住むものと、鹹水に住むものとは、おのづからその形状も異つてゐるやうだ。弁天様の池畔などで、ぐつたり寝そべつて甲羅を干してゐるのは、あれは、いしがめとでもいふのであらうか、絵本には時々、浦島さんが、あの石亀の背に乗つて小手をかざし、はるか竜宮を眺めてゐる絵があるやうだが、あんな亀は、海へ這入つたとたんに鹹水にむせて頓死するだらう。しかし、お祝言の時などの島台の、れいの蓬莱山、尉姥の身辺に鶴と一緒に侍つて、鶴は千年、亀は万年とか言はれて目出度がられてゐるのは、どうやらこの石亀のやうで、すつぽん、たいまいなどのゐる島台はあまり見かけられない。それゆゑ、絵本の画伯もつい、(蓬莱も竜宮も、同じ様な場所なんだから)浦島さんの案内役も、この石亀に違ひないと思ひ込むのも無理のない事である。しかしどうも、あの爪の生えたぶざいくな手で水を掻き、海底深くもぐつて行くのは、不自然のやうに思はれる。ここはどうしても、たいまいの手のやうな広い鰭状の手で悠々と水を掻きわけてもらはなくてはならぬところだ。しかしまた、いや決して物識り振るわけではないが、ここにもう一つ困つた問題がある。たいまいの産地は、本邦では、小笠原、琉球、台湾などの南の諸地方だといふ話を聞いてゐる。丹後の北海岸、すなはち日本海のあの辺の浜には、たいまいは、遺憾ながら這ひ上つて来さうも無い。それでは、いつそ浦島さんを小笠原か、琉球のひとにしようかとも思つたが、しかし、浦島さんは昔から丹後の水江の人ときまつてゐるらしく、その上、丹後の北海岸には浦島神社が現存してゐるやうだから、いかにお伽噺は絵空事ゑそらごとときまつてゐるとは言へ、日本の歴史を尊重するといふ理由からでも、そんなあまりの軽々しい出鱈目は許されない。どうしても、これは、小笠原か琉球のたいまいに、日本海までおいでになつてもらはなければならぬ。しかしまた、それは困る、と生物学者のはうから抗議が出て、とかく文学者といふものには科学精神が欠如してゐる、などと軽蔑せられるのも不本意である。そこで、私は考へた。たいまいの他に、掌の鰭状を為してゐる鹹水産の亀は、無いものか。赤海亀、とかいふものが無かつたか。十年ほど前、(私も、としをとつたものだ)沼津の海浜の宿で一夏を送つた事があつたけれども、あの時、あの浜に、甲羅の直径五尺ちかい海亀があがつたといつて、漁師たちが騒いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海亀、といふ名前だつたと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の浜にあがつたのならば、まあ、ぐるりと日本海のはうにまはつて、丹後の浜においでになつてもらつても、そんなに生物学界の大騒ぎにはなるまいだらうと思はれる。それでも潮流がどうのかうのとか言つて騒ぐのだつたら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海亀ではあるまい、と言つて澄ます事にしよう。科学精神とかいふものも、あんまり、あてになるものぢやないんだ。定理、公理も仮説ぢやないか。威張つちやいけねえ。ところで、その赤海亀は、(赤海亀といふ名は、ながつたらしくて舌にもつれるから、以下、単に亀と呼称する)頸を伸ばして浦島さんを見上げ、
「もし、もし。」と呼び、「無理もねえよ。わかるさ。」と言つた。浦島は驚き、
「なんだ、お前。こなひだ助けてやつた亀ではないか。まだ、こんなところに、うろついてゐたのか。」
 これがつまり、子供のなぶる亀を見て、浦島さんは可哀想にと言つて買ひとり海へ放してやつたといふ、あの亀なのである。
「うろついてゐたのか、とは情無い。恨むぜ、若旦那。私は、かう見えても、あなたに御恩がへしをしたくて、あれから毎日毎晩、この浜へ来て若旦那のおいでを待つてゐたのだ。」
「それは、浅慮といふものだ。或いは、無謀とも言へるかも知れない。また子供たちに見つかつたら、どうする。こんどは、生きては帰られまい。」
「気取つてゐやがる。また捕まへられたら、また若旦那に買つてもらふつもりさ。浅慮で悪うござんしたね。私は、どうしたつて若旦那に、もう一度お目にかかりたかつたんだから仕様がねえ。この仕様がねえ、といふところが惚れた弱味よ。心意気を買つてくんな。」
 浦島は苦笑して、
「身勝手な奴だ。」と呟く。亀は聞きとがめて、
「なあんだ、若旦那。自家撞着してゐますぜ。さつきご自分で批評がきらひだなんておつしやつてた癖に、ご自分では、私の事を浅慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるぢやないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちつとは、みとめて下さいよ。」と見事に逆襲した。
 浦島は赤面し、
「私のは批評ではない、これは、訓戒といふものだ。諷諫、といつてもよからう。諷諫、耳に逆ふもその行を利す、といふわけのものだ。」ともつともらしい事を言つてごまかした。
「気取らなけれあ、いい人なんだが。」と亀は小声で言ひ、「いや、もう私は、何も言はん。私のこの甲羅の上に腰かけて下さい。」
 浦島は呆れ、
「お前は、まあ、何を言ひ出すのです。私はそんな野蛮な事はきらひです。亀の甲羅に腰かけるなどは、それは狂態と言つてよからう。決して風流の仕草ではない。」
「どうだつていいぢやないか、そんな事は。こつちは、先日のお礼として、これから竜宮城へ御案内しようとしてゐるだけだ。さあ早く私の甲羅に乗つて下さい。」
「何、竜宮?」と言つて噴き出し、「おふざけでない。お前はお酒でも飲んで酔つてゐるのだらう。とんでもない事を言ひ出す。竜宮といふのは昔から、歌に詠まれ、また神仙譚として伝へられてゐますが、あれはこの世には無いもの、ね、わかりますか? あれは、古来、私たち風流人の美しい夢、あこがれ、と言つてもいいでせう。」上品すぎて、少しきざな口調になつた。
 こんどは亀のはうで噴き出して、
「たまらねえ。風流の講釈は、あとでゆつくり伺ひますから、まあ、私の言ふ事を信じてとにかく私の甲羅に乗つて下さい。あなたはどうも冒険の味を知らないからいけない。」
「おや、お前もやつぱり、うちの妹と同じ様な失礼な事を言ふね。いかにも私は、冒険といふものはあまり好きでない。たとへば、あれは、曲芸のやうなものだ。派手なやうでも、やはり下品げぼんだ。邪道、と言つていいかも知れない。宿命に対する諦観が無い。伝統に就いての教養が無い。めくら蛇におぢず、とでもいふやうな形だ。私ども正統の風流の士のいたく顰蹙するところのものだ。軽蔑してゐる、と言つていいかも知れない。私は先人のおだやかな道を、まつすぐに歩いて行きたい。」
「ぷ!」と亀はまた噴き出し、「その先人の道こそ、冒険の道ぢやありませんか。いや、冒険なんて下手な言葉を使ふから何か血なまぐさくて不衛生な無頼漢みたいな感じがして来るけれども、信じる力とでも言ひ直したらどうでせう。あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いてゐると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがつて向う側に渡つて行きます。それを人は曲芸かと思つて、或いは喝采し、或いは何の人気取りめがと顰蹙します。しかし、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違つてゐるのです。藤蔓にすがつて谷を渡つてゐる人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分がいま冒険をしてゐるなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものは持つてやしないんです。なんの冒険が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じてゐるのです。花のある事を信じ切つてゐるのです。そんな姿を、まあ、仮に冒険と呼んでゐるだけです。あなたに冒険心が無いといふのは、あなたには信じる能力が無いといふ事です。信じる事は、下品げぼんですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きてゐるのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさぢやないんですよ。もつと卑しいものなのですよ。吝嗇といふものです。損をしたくないといふ事ばかり考へてゐる証拠ですよ。御安心なさい。誰も、あなたに、ものをねだりやしませんよ。人の深切をさへ、あなたたちは素直に受取る事を知らないんだからなあ。あとのお返しが大変だ、なんてね。いや、どうも、風流の士なんてのは、ケチなもんだ。」
「ひどい事を言ふ。妹や弟にさんざん言はれて、浜へ出ると、こんどは助けてやつた亀にまで同じ様な失敬な批評を加へられる。どうも、われとわが身に伝統の誇りを自覚してゐない奴は、好き勝手な事を言ふものだ。一種のヤケと言つてよからう。私には何でもよくわかつてゐるのだ。私の口から言ふべき事では無いが、お前たちの宿命と私の宿命には、たいへんな階級の差がある。生れた時から、もう違つてゐるのだ。私のせゐではない。それは天から与へられたものだ。しかし、お前たちには、それがよつぽど口惜くやしいらしい。何のかのと言つて、私の宿命をお前たちの宿命にまで引下さうとしてゐるが、しかし、天の配剤、人事の及ばざるところさ。お前は私を竜宮へ連れて行くなどと大法螺を吹いて、私と対等の附合ひをしようとたくらんでゐるらしいが、もういい、私には何もかもよくわかつてゐるのだから、あまり悪あがきしないでさつさと海の底のお前の住居へ帰れ。なんだ、せつかく私が助けてやつたのに、また子供たちに捕まつたら何にもならぬ。お前たちこそ、人の深切を素直に受け取る法を知らぬ。」
「えへへ、」と亀は不敵に笑ひ、「せつかく助けてやつたは恐れいる。紳士は、これだから、いやさ。自分がひとに深切を施すのは、たいへんの美徳で、さうして内心いささか報恩などを期待してゐるくせに、ひとの深切には、いやもうひどい警戒で、あいつと対等の附合ひになつてはかなはぬなどと考へてゐるんだから、げつそりしますよ。それぢや私だつて言ひますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、さうして、いぢめてゐる相手は子供だつたからでせう。亀と子供ぢやあ、その間にはひつて仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切つたものだ。私は、も少し出すかと思つた。あなたのケチには、呆れましたよ。私のからだの値段が、たつた五文かと思つたら、私は情無かつたね。それにしてもあの時、相手が亀と子供だつたから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれだね。しかし、あの時の相手が亀と子供でなく、まあ、たとへば荒くれた漁師が病気の乞食をいぢめてゐたのだつたら、あなたは五文はおろか、一文だつて出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違ひないんだ。あなたたちは、人生の切実の姿を見せつけられるのを、とても、いやがるからね。それこそ御自身の高級な宿命に、糞尿を浴びせられたやうな気がするらしい。あなたたちの深切は、遊びだ。享楽だ。亀だから助けたんだ。子供だからお金をやつたんだ。荒くれた漁師と病気の乞食の場合は、まつぴらなんだ。実生活の生臭い風にお顔を撫でられるのが、とてもとても、いやなんだ。お手を、よごすのがいやなのさ。なんてね、こんなのを、聞いたふうの事、と言ふんですよ、浦島さん。あなたは怒りやしませんね。だつて、私はあなたを好きなんだもの、いや、怒るかな? あなたのやうに上流の宿命を持つてゐるお方たちは、私たち下賤のものに好かれる事をさへ不名誉だと思つてゐるらしいのだから始末がわるい。殊に私は亀なんだからな。亀に好かれたんぢやあ気味がわるいか、しかし、まあ勘弁して下さいよ、好き嫌ひは理窟ぢや無いんだ。あなたに助けられたから好きといふわけでも無いし、あなたが風流人だから好きといふのでも無い。ただ、ふつと好きなんだ。好きだから、あなたの悪口を言つて、あなたをからかつてみたくなるんだ。これがつまり私たち爬虫類の愛情の表現の仕方なのさ。どうもね、爬虫類だからね、蛇の親類なんだからね、信用のないのも無理がねえよ。しかし私は、エデンの園の蛇ぢやない、はばかりながら日本の亀だ。あなたに竜宮行きをそそのかして堕落させようなんて、たくらんでゐるんぢやねえのだ。心意気を買つてくんな。私はただ、あなたと一緒に遊びたいのだ。竜宮へ行つて遊びたいのだ。あの国には、うるさい批評なんか無いのだ。みんな、のんびり暮してゐるよ。だから、遊ぶにはもつて来いのところなんだ。私は陸にもかうして上つて来れるし、また海の底へも、もぐつて行けるから、両方の暮しを比較して眺める事が出来るのだが、どうも、陸上の生活は騒がしい。お互ひ批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。私もちよいちよいかうして陸に上つて来たお蔭で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするやうになつて、どうもこれはとんでもない悪影響を受けたものだと思ひながらも、この批評癖にも、やめられぬ味がありまして、批評の無い竜宮城の暮しにもちよつと退屈を感ずるやうになつたのです。どうも、悪い癖を覚えたものです。文明病の一種ですかね。いまでは私は、自分が海の魚だか陸の虫だか、わからなくなりましたよ。たとへばあの、鳥だか獣だかわからぬ蝙蝠のやうなものですね。悲しきさがになりました。まあ海底の異端者とでもいつたやうなところですかね。だんだん故郷の竜宮城にも居にくくなりましてね、しかし、あそこは遊ぶには、いいところだ、それだけは保証します。信じて下さい。歌と舞ひと、美食と酒の国です。あなたたち風流人には、もつて来いの国です。あなたは、さつき批評はいやだとつくづく慨歎してゐたではありませんか、竜宮には批評はありませんよ。」
 浦島は亀の驚くべき饒舌に閉口し切つてゐたが、しかし、その最後の一言に、ふと心をひかれた。
「本当になあ、そんな国があつたらなあ。」
「あれ、まだ疑つてゐやがる。私は嘘をついてゐるのぢやありません。なぜ私を信じないんです。怒りますよ。実行しないで、ただ、あこがれて溜息をついてゐるのが風流人ですか。いやらしいものだ。」
 性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒されては、このまま引下るわけにも行かなくなつた。
「それぢやまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随つて、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言ふ事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思つてゐる。」
「わかつたよ、わかつたよ。それでは信じて乗せてもらはう!」
「よし来た。」
 亀の甲羅に浦島が腰をおろしたとみるみる亀の背中はひろがつて畳二枚くらゐ敷けるくらゐの大きさになり、ゆらりと動いて海にはひる。汀から一丁ほど泳いで、それから亀は、
「ちよつと眼をつぶつて。」ときびしい口調で命令し、浦島は素直に眼をつぶると夕立ちの如き音がして、身辺ほのあたたかく、春風に似て春風よりも少し重たい風が耳朶をなぶる。
「水深千尋。」と亀が言ふ。
 浦島は船酔ひに似た胸苦しさを覚えた。
「吐いてもいいか。」と眼をつぶつたまま亀に尋ねる。
「なんだ、へどを吐くのか。」と亀は以前の剽軽な口調にかへつて、「きたねえ船客だな。おや、馬鹿正直に、まだ眼をつぶつてゐやがる。これだから私は、太郎さんが好きさ。もう眼をあいてもよござんすよ。眼をあいて、よもの景色をごらんになつたら、胸の悪いのなんかすぐになほつてしまひます。」
 眼をひらけば冥茫模糊、薄みどり色の奇妙な明るさで、さうしてどこにも影が無く、ただ茫々たるものである。
「竜宮か。」と浦島は寝呆けてゐるやうな伸びた口調で言つた。
「何を言つてるんだ。まだやつと水深千尋ぢやないか。竜宮は海底一万尋だ。」
「へええ。」浦島は妙な声を出した。「海つてものは、広いもんだねえ。」
「浜育ちのくせに、山奥の猿みたいな事を言ふなよ。あなたの家の泉水よりは少し広いさ。」
 前後左右どちらを見ても、ただ杳々茫々、脚下を覗いてもやはり際限なく薄みどり色のほの明るさが続いてゐるばかりで、上を仰いでも、これまた蒼穹に非ざる洸洋たる大洞、ふたりの話声の他には、物音一つ無く、春風に似て春風よりも少しねばつこいやうな風が浦島の耳朶をくすぐつてゐるだけである。
 浦島はやがて遥か右上方に幽かな、一握りの灰を撒いたくらゐの汚点を認めて、
「あれは何だ。雲かね?」と亀に尋ねる。
「冗談言つちやいけねえ。海の中に雲なんか流れてゐやしねえ。」
「それぢや何だ。墨汁一滴を落したやうな感じだ。単なる塵芥かね。」
「間抜けだね、あなたは。見たらわかりさうなものだ。あれは、鯛の大群ぢやないか。」
「へえ? 微々たるものだね。あれでも二、三百匹はゐるんだらうね。」
「馬鹿だな。」と亀はせせら笑ひ、「本気で云つてゐるのか?」
「それぢやあ、二、三千か。」
「しつかりしてくれ。まづ、ざつと五、六百万。」
「五、六百万? おどかしちやいけない。」
 亀はにやにや笑つて、
「あれは、鯛ぢやないんだ。海の火事だ。ひどい煙だ。あれだけの煙だと、さうさね、日本の国を二十ほど寄せ集めたくらゐの広大の場所が燃えてゐる。」
「嘘をつけ。海の中で火が燃えるもんか。」
「浅慮、浅慮。水の中だつて酸素があるんですからね。火の燃えないわけはない。」
「ごまかすな。それは無智な詭弁だ。冗談はさて置いて、いつたいあの、ゴミのやうなものは何だ。やつぱり、鯛かね? まさか、火事ぢやあるまい。」
「いや、火事だ。いつたい、あなた、陸の世界の無数の河川が昼夜をわかたず、海にそそぎ込んでも、それでも海の水が増しもせず減りもせず、いつも同じ量をちやんと保つて居られるのは、どういふわけか、考へてみた事がありますか。海のはうだつて困りますよ。あんなにじやんじやん水を注ぎ込まれちや、処置に窮しますよ。それでまあ時々、あんな工合ひにして不用な水を焼き捨てるのですな。やあ、燃える、燃える、大火事だ。」
「なに、ちつとも煙が広がりやしない。いつたい、あれは、何さ。さつきから、少しも動かないところを見ると、さかなの大群でもなささうだ。意地わるな冗談なんか云はないで、教へておくれ。」
「それぢや教へてあげませう。あれはね、月の影法師です。」
「また、かつぐんぢやないか?」
「いいえ、海の底には、陸の影法師は何も写りませんが、天体の影法師は、やはり真上から落ちて来ますから写るのです。月の影法師だけでなく、星辰の影法師も皆、写ります。だから、竜宮では、その影法師をたよりに暦を作り、四季を定めます。あの月の影法師は、まんまるより少し欠けてゐますから、けふは十三夜かな?」
 真面目な口調でさういふので、浦島も、或いはさうかも知れぬとも思つたが、しかし、何だかへんだとも思つた。でもまた、見渡す限り、ただ薄みどり色の茫洋乎たる大空洞の片隅に、幽かな黒一点をとどめてゐるものが、たとひそれは嘘にしても月の影法師だと云はれて見ると、鯛の大群や火事だと思つて眺めるよりは、風流人の浦島にとつて、はるかに趣きがあり、郷愁をそそるに足るものがあつた。
 そのうちに、あたりは異様に暗くなり、ごうといふ凄じい音と共に烈風の如きものが押し寄せて来て、浦島はもう少しで亀の背中からころげ落ちるところであつた。
「ちよつとまた眼をつぶつて。」と亀は厳粛な口調で言ひ、「ここはちやうど、竜宮の入口になつてゐるのです。人間が海の底を探険しても、たいていここが海底のどんづまりだと見極めて引上げて行くのです。ここを越えて行くのは、人間では、あなたが最初で、また最後かも知れません。」
 くるりと亀はひつくりかへつたやうに、浦島には思はれた。ひつくりかへつたまま、つまり、腹を上にしたまま泳いで、さうして浦島は亀の甲羅にくつついて、宙返りを半分しかけたやうな形で、けれどもこぼれ落ちる事もなく、さかさにすつと亀と共に上の方へ進行するやうな、まことに妙な錯覚を感じたのである。
「眼をあいてごらん。」と亀に言はれた時には、しかし、もうそんな、さかさの感じは無く、当り前に亀の甲羅の上に坐つて、さうして、亀は下へ下へと泳いでゐる。
 あたりは、あけぼのの如き薄明で、脚下にぼんやり白いものが見える。どうも、何だか、山のやうだ。塔が連立してゐるやうにも見えるが、塔にしては洪大すぎる。
「あれは何だ。山か。」
「さうです。」
「竜宮の山か。」興奮のため声が嗄れてゐた。
「さうです。」亀は、せつせと泳ぐ。
「まつ白ぢやないか。雪が降つてゐるのかしら。」
「どうも、高級な宿命を持つてゐる人は、考へる事も違ひますね。立派なものだ。海の底にも雪が降ると思つてゐるんだからね。」
「しかし、海の底にも火事があるさうだし、」と浦島は、さつきの仕返しをするつもりで、「雪だつて降るだらうさ。何せ、酸素があるんだから。」
「雪と酸素ぢや縁が遠いや。縁があつても、まづ、風と桶屋くらゐの関係ぢやないか。ばかばかしい。そんな事で私をおさへようたつて駄目さ。どうも、お上品なお方たちは、洒落が下手だ。雪はよいよい帰りはこはいつてのはどんなもんだい。あんまり、うまくもねえか。それでも酸素よりはいいだらう。さんそネツと来るか。はくそみたいだ。酸素はどうも、助からねえ。」やはり、口では亀にかなはない。
 浦島は苦笑しながら、
「ところで、あの山は、」と云ひかけると、亀はまたあざ笑ひ、
「ところで、とは大きく出たぢやないか。ところであの山は、雪が降つてゐるのではないのです。あれは真珠の山です。」
「真珠?」と浦島は驚き、「いや、嘘だらう。たとひ真珠を十万粒二十万粒積み重ねたつて、あれくらゐの高い山にはなるまい。」
「十万粒、二十万粒とは、ケチな勘定の仕方だ。竜宮では真珠を一粒二粒なんて、そんなこまかい算へ方はしませんよ。一山ひとやま二山ふたやま、とやるね。一山は約三百億粒だとかいふ話だが、誰もそれをいちいち算へた事も無い。それを約百万やまくらゐ積み重ねると、まづざつとあれくらゐの峰が出来る。真珠の捨場には困つてゐるんだ。もとをただせば、さかなの糞だからね。」
 とかくして竜宮の正門に着く。案外に小さい。真珠の山の裾に蛍光を発してちよこんと立つてゐる。浦島は亀の甲羅から降りて、亀に案内をせられ、小腰をかがめてその正門をくぐる。あたりは薄明である。さうして森閑としてゐる。
「静かだね。おそろしいくらゐだ。地獄ぢやあるまいね。」
「しつかりしてくれ、若旦那。」と亀は鰭でもつて浦島の背中を叩き、「王宮といふものは皆このやうに静かなものだよ。丹後の浜の大漁踊りみたいな馬鹿騒ぎを年中やつてゐるのが竜宮だなんて陳腐な空想をしてゐたんぢやねえのか。あはれなものだ。簡素幽邃といふのが、あなたたちの風流の極致だらうぢやないか。地獄とは、あさましい。馴れてくると、この薄暗いのが、何とも言へずやはらかく心を休めてくれる。足許に気をつけて下さいよ。滑つてころんだりしては醜態だ。あれ、あなたはまだ草履をはいてゐるね。脱ぎなさいよ、失礼な。」
 浦島は赤面して草履を脱いだ。はだしで歩くと、足の裏がいやにぬらぬらする。
「何だこの道は。気持が悪い。」
「道ぢやない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう竜宮城へはひつてゐるのです。」
「さうかね。」と驚いてあたりを見廻したが、壁も柱も何も無い。薄闇が、ただ漾々と身辺に動いてゐる。
「竜宮には雨も降らなければ、雪も降りません。」と亀はへんに慈愛深げな口調で教へる。「だから、陸上の家のやうにあんな窮屈な屋根や壁を作る必要は無いのです。」
「でも、門には屋根があつたぢやないか。」
「あれは、目じるしです。門だけではなく、乙姫のお部屋にも、屋根や壁はあります。しかし、それもまた乙姫の尊厳を維持するために作られたもので、雨露を防ぐためのものではありません。」
「そんなものかね。」と浦島はなほもけげんな顔つきで、「その乙姫の部屋といふのは、どこにあるの? 見渡したところ冥途もかくや、蕭寂たる幽境、一木一草も見当らんぢやないか。」
「どうも田舎者には困るね。でつかい建物たてものや、ごてごてした装飾には口をあけておつたまげても、こんな幽邃の美には一向に感心しない。浦島さん、あなたの上品じやうぼんもあてにならんね。もつとも丹後の荒磯の風流人ぢや無理もないがね。伝統の教養とやらも、聞いて冷汗が出るよ。正統の風流人とはよくも言つた。かうして実地に臨んでみると、田舎者まる出しなんだから恐れいる。人真似こまねの風流ごつこは、まあ、これからは、やめるんだね。」
 亀の毒舌は竜宮に着いたら、何だかまた一段と凄くなつて来た。
 浦島は心細さ限り無く、
「だつて、何も見えやしないんだもの。」とほとんど泣き声で言つた。
「だから、足許に気をつけなさいつて、云つてるぢやありませんか。この廊下は、ただの廊下ぢやないんですよ。魚の掛橋ですよ。よく気をつけてごらんなさい。幾億といふ魚がひしとかたまつて、廊下のゆかみたいな工合ひになつてゐるのですよ。」
 浦島はぎよつとして爪先き立つた。だうりで、さつきから足の裏がぬらぬらすると思つてゐた。見ると、なるほど、大小無数の魚どもがすきまもなく背中を並べて、身動きもせず凝つとしてゐる。
「これは、ひどい。」と浦島は、にはかにおつかなびつくりの歩調になつて、「悪い趣味だ。これがすなはち簡素幽邃の美かね。さかなの背中を踏んづけて歩くなんて、野蛮きはまる事ぢやないか。だいいちこのさかなたちに気の毒だ。こんな奇妙な風流は、私のやうな田舎者にはわかりませんねえ。」とさつき田舎者と言はれた鬱憤をここに於いてはらして、ちよつと溜飲がさがつた。
「いいえ、」とその時、足許で細い声がして、「私たちはここに毎日集つて、乙姫さまの琴のに聞き惚れてゐるのです。魚の掛橋は風流のために作つてゐるのではありません。かまはず、どうかお通り下さい。」
「さうですか。」と浦島はひそかに苦笑して、「私はまた、これも竜宮の装飾の一つかと思つて。」
「それだけぢやあるまい。」亀はすかさず口をはさんで、「ひよつとしたら、この掛橋も浦島の若旦那を歓迎のために、乙姫さまが特にさかなたちに命じて、」
「あ、これ、」と浦島は狼狽し、赤面し、「まさか、それほど私は自惚れてはゐません。でも、ね、お前はこれを廊下のゆかのかはりだなんていい加減を言ふものだから、私も、つい、その、さかなたちが踏まれて痛いかと思つてね。」
「さかなの世界には、ゆかなんてものは必要がありません。これがまあ、陸上の家にたとへたならば、廊下のゆかにでも当るかと思つて私はあんな説明をしてあげたので、決していい加減を言つたんぢやない。なに、さかなたちは痛いなんて思ふもんですか。海の底では、あなたのからだだつて紙一枚の重さくらゐしか無いのですよ。何だか、ご自分のからだが、ふはふは浮くやうな気がするでせう?」
 さう言はれてみると、ふはふはするやうな感じがしないでもない。浦島は、重ね重ね、亀から無用の嘲弄を受けてゐるやうな気がして、いまいましくてならぬ。
「私はもう何も信じる気がしなくなつた。これだから私は、冒険といふものはいやなんだ。だまされたつて、それを看破する法が無いんだからね。ただもう、道案内者の言ふ事に従つてゐなければいけない。これはこんなものだと言はれたら、それつきりなんだからね。実に、冒険は人を欺く。琴のも何も、ちつとも聞えやしないぢやないか。」とつひに八つ当りの論法に変じた。
 亀は落ちついて、
「あなたはどうも陸上の平面の生活ばかりしてゐるから、目標は東西南北のいづれかにあるとばかり思つていらつしやる。しかし、海にはもう二元の方向がある。すなはち、上と下です。あなたはさつきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらつしやる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在してゐたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです。海の世界は浮いて漂つてゐるものです。さつきの正門も、また、あの真珠の山だつて、みんな少し浮いて動いてゐるのです。あなた自身がまた上下左右にゆられてゐるので、他の物の動いてゐるのが、わからないだけなのです。あなたは、さつきからずいぶん前方にお進みになつたやうに思つていらつしやるかも知れないけれど、まあ、同じ位置ですね。かへつて後退してゐるかも知れない。いまは潮の関係で、ずんずんうしろに流されてゐます。さうして、さつきから見ると、百尋くらゐみんな一緒に上方に浮きました。まあ、とにかくこの魚の掛橋をもう少し渡つてみませう。ほうら、魚の背中もだんだんまばらになつて来たでせう。足を踏みはづさないやうに気をつけて下さいよ。なに、踏みはづしたつて、すとんと落下する気づかひはありませんがね、何せ、あなたも紙一枚の重さなんだから。つまり、この橋は断橋なのです。この廊下を渡つても前方には何も無い。しかし、脚下を見よです。おい、さかなども、少しどけ、若旦那が乙姫さまに逢ひに行くのだ。こいつらは、かうして竜宮城の本丸の天蓋をなしてゐるやうなものです。海月くらげなす漂へる天蓋、とでも言つたら、あなたたち風流人は喜びますかね。」
 さかなたちは、静かに無言で左右に散る。かすかに、琴の音が脚下に聞える。日本の琴の音によく似てゐるが、しかし、あれほど強くはなく、もつと柔かで、はかなく、さうしてへんに嫋々たる余韻がある。菊の露。薄ごろも。夕空。きぬた。浮寝。きぎす。どれでもない。風流人の浦島にも、何だか見当のつかぬ可憐な、たよりない、けれども陸上では聞く事の出来ぬ気高いさびしさが、その底に流れてゐる。
「不思議な曲ですね。あれは、何といふ曲ですか。」
 亀もちよつと耳をすまして聞いて、
「聖諦。」と一言、答へた。
「せいてい?」
「神聖の聖の字に、あきらめ。」
「ああ、さう、聖諦。」と呟いて浦島は、はじめて海の底の竜宮の生活に、自分たちの趣味と段違ひの崇高なものを感得した。いかにも自分の上品じやうぼんなどは、あてにならぬ。伝統の教養だの、正統の風流だのと自分が云ふのを聞いて亀が冷汗をかくのも無理がない。自分の風流は人真似こまねだ。田舎の山猿にちがひない。
「これからは、お前の言ふ事は何でも信じるよ。聖諦。なるほどなあ。」浦島は呆然とつつ立つたまま、なほもその不思議な聖諦の曲に耳を傾けた。
「さあ、ここから飛び降りますよ。あぶない事はありません。かうして両腕をひろげて一歩足を踏み出すと、ゆらゆらと気持よく落下します。この魚の掛橋の尽きたところから真つすぐに降りて行くと、ちやうど竜宮の正殿の階段の前に着くのです。さあ、何をぼんやりしてゐるのです。飛び降りますよ、いいですか。」
 亀はゆらゆら沈下する。浦島も気をとり直して、両腕をひろげ、魚の掛橋の外に一歩、足を踏み出すと、すつと下に気持よく吸ひ込まれ、頬が微風に吹かれてゐるやうに涼しく、やがてあたりが、緑の樹陰のやうな色合ひになり、琴の音もいよいよ近くに聞えて来たと思ふうちに、亀と並んで正殿の階段の前に立つてゐた。階段とは言つても、段々が一つづつ分明になつてゐるわけではなく、灰色の鈍く光る小さい珠の敷きつめられたゆるい傾斜の坂のやうなものである。
「これも真珠かね。」と浦島は小声で尋ねる。
 亀は、あはれむやうな眼で浦島の顔を見て、
「珠を見れば、何でも真珠だ。真珠は、捨てられて、あんなに高い山になつてゐるぢやありませんか。まあ、ちよつとその珠を手で掬つてごらんなさい。」
 浦島は言はれたとほりに両手で珠を掬はうとすると、ひやりと冷たい。
「あ、あられだ!」
「冗談ぢやない。ついでにそれを口の中に入れてごらん。」
 浦島は素直に、その氷のやうに冷たい珠を、五つ六つ頬張つた。
「うまい。」
「さうでせう? これは、海の桜桃です。これを食べると三百年間、老いる事が無いのです。」
「さうか、いくつ食べても同じ事か。」と風流人の浦島も、ついたしなみを忘れて、もつと掬つて食べようといふ気勢を示した。「私はどうも、老醜といふものがきらひでね。死ぬのは、そんなにこはくもないけれど、どうも老醜だけは私の趣味に合はない。もつと、食べて見ようかしら。」
「笑つてゐますよ。上をごらんなさい。乙姫さまがお迎へに出てゐます。やあ、けふはまた一段とお綺麗。」
 桜桃の坂の尽きるところに、青い薄布を身にまとつた小柄の女性が幽かに笑ひながら立つてゐる。薄布をとほして真白い肌が見える。浦島はあわてて眼をそらし、
「乙姫か。」と亀に囁く。浦島の顔は真赤である。
「きまつてゐるぢやありませんか。何をへどもどしてゐるのです。さあ、早く御挨拶をなさい。」
 浦島はいよいよまごつき、
「でも、何と言つたらいいんだい。私のやうなものが名乗りを挙げてみたつて、どうにもならんし、どだいどうも、私たちの訪問は唐突だよ。意味が無いよ。帰らうよ。」と上級の宿命の筈の浦島も、乙姫の前では、すつかり卑屈になつて逃支度をはじめた。
「乙姫さまは、あなたの事なんか、もうとうにご存じですよ。階前万里といふぢやありませんか。観念して、ただていねいにお辞儀しておけばいいのです。また、たとひ乙姫さまが、あなたの事を何もご存じ無くつたつて、乙姫さまは警戒なんてケチくさい事はてんで知らないお方ですから、何も斟酌には及びません。遊びに来ましたよ、と言へばいい。」
「まさか、そんな失礼な。ああ、笑つていらつしやる。とにかく、お辞儀をしよう。」
 浦島は、両手が自分の足の爪先にとどくほどのていねいなお辞儀をした。
 亀は、はらはらして、
「ていねいすぎる。いやになるね。あなたは私の恩人ぢやないか。も少し威厳のある態度を示して下さいよ。へたへたと最敬礼なんかして、上品じやうぼんもくそもあつたものぢやない。それ、乙姫さまのお招きだ。行きませう。さあ、ちやんと胸を張つて、おれは日本一の好男子で、さうして、最上級の風流人だといふやうな顔をして威張つて歩くのですよ。あなたは私たちに対してはひどく高慢な乙な構へ方をするけれども、女には、からきし意気地が無いんですね。」
「いやいや、高貴なお方には、それ相当の礼を尽さなければ。」と緊張のあまり声がしやがれて、足がもつれ、よろよろと千鳥足で階段を昇り、見渡すと、そこは万畳敷とでも云つていいくらゐの広い座敷になつてゐる。いや、座敷といふよりは、庭園と言つた方が適切かも知れない。どこから射して来るのか樹陰のやうな緑色の光線を受けて、模糊と霞んでゐるその万畳敷とでも言ふべき広場には、やはり霰のやうな小粒の珠が敷きつめられ、ところどころに黒い岩が秩序無くころがつてゐて、さうしてそれつきりである。屋根はもちろん、柱一本も無く、見渡す限り廃墟と言つていいくらゐの荒涼たる大広場である。気をつけて見ると、それでも小粒の珠のすきまから、ちよいちよい紫色の小さい花が顔を出してゐるのが見えて、それがまた、かへつて淋しさを添へ、これが幽邃の極といふのかも知れないが、しかし、よくもまあ、こんな心細いやうな場所で生活が出来るものだ、と感歎の溜息に似たものがふうと出て、さらにまた思ひをあらたにして乙姫の顔をそつと盗み見た。
 乙姫は無言で、くるりとうしろを向き、そろそろと歩き出す。その時はじめて気がついたのであるが、乙姫の背後には、めだかよりも、もつと小さい金色の魚が無数にかたまつてぴらぴら泳いで、乙姫が歩けばそのとほりに従つて移動し、そのさまは金色の雨がたえず乙姫の身辺に降り注いでゐるやうにも見えて、さすがにこの世のものならぬ貴い気配が感ぜられた。
 乙姫は身にまとつてゐる薄布をなびかせ裸足で歩いてゐるが、よく見ると、その青白い小さい足は、下の小粒の珠を踏んではゐない。足の裏と珠との間がほんのわづかいてゐる。あの足の裏は、いまだいちども、ものを踏んだ事が無いのかも知れぬ。生れたばかりの赤ん坊の足の裏と同じやうにやはらかくて綺麗なのに違ひない、と思へば、これといふ目立つた粉飾一つも施してゐない乙姫のからだが、いよいよ真の気品を有してゐるものの如く、奥ゆかしく思はれて来た。竜宮に来てみてよかつた、と次第にこのたびの冒険に感謝したいやうな気持が起つて来て、うつとり乙姫のあとについて歩いてゐると、
「どうです、悪くないでせう。」と亀は、低く浦島の耳元に囁き、鰭でもつて浦島の横腹をちよこちよことくすぐつた。
「ああ、なに、」と浦島は狼狽して、「この花は、この紫の花は綺麗だね。」と別の事を言つた。
「これですか。」と亀はつまらなささうに、「これは海の桜桃の花です。ちよつと菫に似てゐますね。この花びらを食べると、それは気持よく酔ひますよ。竜宮のお酒です。それから、あの岩のやうなもの、あれは藻です。何万年も経つてゐるので、こんな岩みたいにかたまつてゐますが、でも、羊羹よりも柔いくらゐのものです。あれは、陸上のどんなごちそうよりもおいしいですよ。岩によつて一つづつみんな味はひが違ひます。竜宮ではこの藻を食べて、花びらで酔ひ、のどが乾けば桜桃を含み、乙姫さまの琴の音に聞き惚れ、生きてゐる花吹雪のやうな小魚たちの舞ひを眺めて暮してゐるのです。どうですか、竜宮は歌と舞ひと、美食と酒の国だと私はお誘ひする時にあなたに申し上げた筈ですが、どうですか、御想像と違ひましたか?」
 浦島は答へず、深刻な苦笑をした。
「わかつてゐますよ。あなたの御想像は、まあドンヂヤンドンヂヤンの大騒ぎで、大きなお皿に鯛のさしみやら鮪のさしみ、赤い着物を着た娘つ子の手踊り、さうしてやたらに金銀珊瑚綾錦のたぐひが、――」
「まさか、」と浦島もさすがに少し不愉快さうな顔になり、「私はそれほど卑俗な男ではありません。しかし、私は自分を孤独な男だと思つてゐた事などありましたが、ここへ来て真に孤独なお方にお目にかかり、私のいままでの気取つた生活が恥かしくてならないのです。」
「あのかたの事ですか?」と亀は小声で言つて無作法に乙姫のはうを顎でしやくり、「あのかたは、何も孤独ぢやありませんよ。平気なものです。野心があるから、孤独なんて事を気に病むので、他の世界の事なんかてんで問題にしてなかつたら、百年千年ひとりでゐたつて楽なものです。それこそ、れいの批評が気にならない者にとつてはね。ところで、あなたは、どこへ行かうてんですか?」
「いや、なに、べつに、」と浦島は、意外の問に驚き、「だつて、お前、あのお方が、――」
「乙姫はべつにあなたを、どこかへ案内しようとしてゐるわけぢやありません。あのかたは、もう、あなたの事なんか忘れてゐますよ。あのかたは、これからご自分のお部屋に帰るのでせう。しつかりして下さい。ここが竜宮なんです、この場所が。ほかにどこも、ご案内したいやうなところもありません。まあ、ここで、お好きなやうにして遊んでゐるのですね。これだけぢや、不足なんですか。」
「いぢめないでくれよ。私は、いつたいどうしたらいいんだ。」と浦島はべそをかいて、「だつて、あのお方がお迎へに出て下さつてゐたので、べつに私は自惚れたわけぢやないけど、あのお方のあとについて行くのが礼儀だと思つたんだよ。べつに不足だなんて考へてやしないよ。それだのに私に何か、別ないやらしい下心でもあるみたいなへんな言ひ方をするんだもの。お前は、じつさい意地が悪いよ。ひどいぢやないか。私は生れてから、こんなに体裁ていさいの悪い思ひをした事は無いよ。本当にひどいよ。」
「そんなに気にしちやいけない。乙姫は、おつとりしたものです。そりや、陸上からはるばるたづねて来た珍客ですもの、それにあなたは、私の恩人ですからね、お出迎へするのは当り前ですよ。さらにまた、あなたは、気持はさつぱりしてゐるし、男つぷりは佳し、と来てゐるから。いや、これは冗談ですよ、へんにまた自惚れられちやかなはない。とにかく、乙姫はご自分の家へやつて来た珍客を階段まで出迎へて、さうして安心して、あとはあなたのお気の向くままに勝手に幾日でもここで遊んでいらつしやるやうにと、素知らぬ振りしてああしてご自分のお部屋に引上げて行くといふわけのものぢやないんですかね。実は私たちにも、乙姫の考へてゐる事はあまりよく判らないのです。何せ、どうにも、おつとりしてゐますから。」
「いや、さう言はれてみると、私には、少し判りさうな気がして来たよ。お前の推察も、だいたいに於いて間違ひはなささうだ。つまり、こんなのが、真の貴人の接待法なのかも知れない。客を迎へて客を忘れる。しかも客の身辺には美酒珍味が全く無雑作に並べ置かれてある。歌舞音曲も別段客をもてなさうといふ露骨な意図でもつて行はれるのではない。乙姫は誰に聞かせようといふ心も無くて琴をひく。魚どもは誰に見せようといふ衒ひも無く自由に嬉々として舞ひ遊ぶ。客の讃辞をあてにしない。客もまた、それにことさらに留意して感服したやうな顔つきをする必要も無い。寝ころんで知らん振りしてゐたつて構はないわけです。主人はもう客の事なんか忘れてゐるのだ。しかも、自由に振舞つてよいといふ許可は与へられてゐるのだ。食ひたければ食ふし、食ひたくなければ食はなくていいんだ。酔つて夢うつつに琴の音を聞いてゐたつて、敢へて失礼には当らぬわけだ。ああ、客を接待するには、すべからくこのやうにありたい。何のかのと、ろくでも無い料理をうるさくすすめて、くだらないお世辞を交換し、をかしくもないのに、矢鱈におほほと笑ひ、まあ! なんて珍らしくもない話に大仰に驚いて見せたり、一から十まで嘘ばかりの社交を行ひ、天晴れ上流の客あしらひをしてゐるつもりのケチくさい小利口の大馬鹿野郎どもに、この竜宮の鷹揚なもてなし振りを見せてやりたい。あいつらはただ、自分の品位を落しやしないか、それだけを気にしてわくわくして、さうして妙に客を警戒して、ひとりでからまはりして、実意なんてものは爪の垢ほども持つてやしないんだ。なんだい、ありや。お酒一ぱいにも、飲ませてやつたぞ、いただきましたぞ、といふやうな証文を取かはしてゐたんぢや、かなはない。」
「さう、その調子。」と亀は大喜びで、「しかし、あまりそんなに興奮して心臓痲痺なんか起されても困る。ま、この藻の岩に腰をおろして、桜桃の酒でも飲むさ。桜桃の花びらだけでは、はじめての人には少し匂ひが強すぎるかも知れないから、桜桃五、六粒と一緒に舌の上に載せると、しゆつと溶けて適当に爽涼のお酒になります。まぜ合せの仕方一つで、いろんな味に変化しますからまあ、ご自分で工夫して、お好きなやうなお酒を作つてお飲みなさい。」
 浦島はいま、ちよつと強いお酒を飲みたかつた。花びら三枚に、桜桃二粒を添へて舌端に載せるとたちまち口の中一ぱいの美酒、含んでゐるだけでも、うつとりする。軽快に喉をくすぐりながら通過して、体内にぽつとあかりがともつたやうな嬉しい気持になる。
「これはいい。まさに、憂ひの玉帚だ。」
「憂ひ?」と亀はさつそく聞きとがめ、「何か憂鬱な事でもあるのですか?」
「いや、べつに、そんなわけではないが、あははは、」とてれ隠しに無理に笑ひ、それから、ほつと小さな溜息をつき、ちらと乙姫のうしろ姿を眺める。
 乙姫は、ひとりで黙つて歩いてゐる。薄みどり色の光線を浴び、すきとほるやうなかぐはしい海草のやうにも見え、ゆらゆら揺蕩しながらたつたひとりで歩いてゐる。
「どこへ行くんだらう。」と思はず呟く。
「お部屋でせう。」亀は、きまりきつてゐるといふやうな顔つきで、澄まして答へる。
「さつきから、お前はお部屋お部屋と言つてゐるが、そのお部屋はいつたい、どこにあるの? 何も、どこにも、見えやしないぢやないか。」
 見渡すかぎり平坦の、曠野と言つていいくらゐの鈍く光る大広間で、御殿ごてんらしいものの影は、どこにも無い。
「ずつと向う、乙姫の歩いて行く方角の、ずつと向うに、何か見えませんか。」と亀に言はれて、浦島は、眉をひそめてその方向を凝視し、
「ああ、さう云はれて見ると、何かあるやうだね。」
 ほとんど一里も先と思はれるほどの遠方、幽潭の底を覗いた時のやうな何やら朦朧と烟つてたゆたうてゐるあたりに、小さな純白の水中花みたいなものが見える。
「あれか。小さいものだね。」
「乙姫がひとりおやすみになるのに、大きい御殿なんか要らないぢやありませんか。」
「さう言へば、まあ、さうだが、」と浦島はさらに桜桃の酒を調合して飲み、「あのお方は、何かね、いつもあんなに無口なのかね。」
「ええ、さうです。言葉といふものは、生きてゐる事の不安から、芽ばえて来たものぢやないですかね。腐つた土から赤い毒きのこが生えて出るやうに、生命の不安が言葉を醗酵させてゐるのぢやないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさへなほ、いやらしい工夫がほどこされてゐるぢやありませんか。人間は、よろこびの中にさへ、不安を感じてゐるのでせうかね。人間の言葉はみんな工夫です。気取つたものです。不安の無いところには、何もそんな、いやらしい工夫など必要ないでせう。私は乙姫が、ものを言つたのを聞いた事が無い。しかし、また、黙つてゐる人によくありがちの、皮裏の陽秋といふんですか、そんな胸中ひそかに辛辣の観察を行ふなんて事も、乙姫は決してなさらない。何も考へてやしないんです。ただああして幽かに笑つて琴をかき鳴らしたり、またこの広間をふらふら歩きまはつて、桜桃の花びらを口に含んだりして遊んでゐます。実に、のんびりしたものです。」
「さうかね。あのお方も、やつぱりこの桜桃の酒を飲むかね。まつたく、これは、いいからなあ。これさへあれば、何も要らない。もつといただいてもいいかしら。」
「ええ、どうぞ。ここへ来て遠慮なんかするのは馬鹿げてゐます。あなたは無限に許されてゐるのです。ついでに何か食べてみたらどうです。目に見える岩すべて珍味です。油つこいのがいいですか。軽くちよつと酸つぱいやうなのがいいですか。どんな味のものでもありますよ。」
「ああ、琴の音が聞える。寝ころんで聞いてもいいんだらうね。」無限に許されてゐるといふ思想は、実のところ生れてはじめてのものであつた。浦島は、風流の身だしなみも何も忘れて、仰向にながながと寝そべり、「ああ、あ、酔つて寝ころぶのは、いい気持だ。ついでに何か、食べてみようかな。雉の焼肉みたいな味の藻があるかね。」
「あります。」
「それと、それから、桑の実のやうな味の藻は?」
「あるでせう。しかし、あなたも、妙に野蛮なものを食べるのですね。」
「本性暴露さ。私は田舎者だよ。」と言葉つきさへ、どこやら変つて来て、「これが風流の極致だつてさ。」
 眼を挙げて見ると、はるか上方に、魚の天蓋がのどかに浮び漂つてゐるのが、青く霞んで見える。とたちまち、その天蓋から一群の魚がむらむらとわかれて、おのおの銀鱗を光らせて満天に雪の降り乱れるやうに舞ひ遊ぶ。
 竜宮には夜も昼も無い。いつも五月の朝の如く爽やかで、樹陰のやうな緑の光線で一ぱいで、浦島は幾日をここで過したか、見当もつかぬ。その間、浦島は、それこそ無限に許されてゐた。浦島は、乙姫のお部屋にも、はひつた。乙姫は何の嫌悪も示さなかつた。ただ、幽かに笑つてゐる。
 さうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかも知れない。陸上の貧しい生活が恋しくなつた。お互ひ他人の批評を気にして、泣いたり怒つたり、ケチにこそこそ暮してゐる陸上の人たちが、たまらなく可憐で、さうして、何だか美しいもののやうにさへ思はれて来た。
 浦島は乙姫に向つて、さやうなら、と言つた。この突然の暇乞ひもまた、無言の微笑でもつて許された。つまり、何でも許された。始めから終りまで、許された。乙姫は、竜宮の階段まで見送りに出て、黙つて小さい貝殻を差し出す。まばゆい五彩の光を放つてゐるきつちり合つた二枚貝である。これが所謂、竜宮のお土産の玉手箱であつた。
 行きはよいよい帰りはこはい。また亀の背に乗つて、浦島はぼんやり竜宮から離れた。へんな憂愁が浦島の胸中に湧いて出る。ああ、お礼を言ふのを忘れた。あんないいところは、他に無いのだ。ああ、いつまでも、あそこにゐたはうがよかつた。しかし、私は陸上の人間だ。どんなに安楽な暮しをしてゐても、自分の家が、自分の里が、自分の頭の片隅にこびりついて離れぬ。美酒に酔つて眠つても、夢は、故郷の夢なんだからなあ。げつそりするよ。私には、あんないいところで遊ぶ資格は無かつた。
「わあ、どうも、いかん。淋しいわい。」と浦島はやけくそに似た大きい声で叫んだ。「なんのわけだかわからないが、どうも、いかん。おい、亀。何とか、また景気のいい悪口でも言つてくれ。お前は、さつきから、何も一ことも、ものを言はんぢやないか。」
 亀は先刻から、ただ黙々と鰭を動かしてゐるばかり。
「怒つてゐるのかね。私が竜宮から食ひ逃げ同様で帰るのを、お前は、怒つてゐるのかね。」
「ひがんぢやいけねえ。陸上の人はこれだからいやさ。帰りたくなつたら帰るさ。どうでも、あなたの気の向いたやうに、とはじめから何度も言つてるぢやないか。」
「でも、何だかお前、元気が無いぢやないか。」
「さう言ふあなたこそ、妙にしよんぼりしてゐるぜ。私や、どうも、お迎へはいいけれど、このお見送りつてやつは苦手だ。」
「行きはよいよい、かね。」
「洒落どころぢやありません。どうも、このお見送りつてやつは、気のはづまねえものだ。溜息ばかり出て、何を言つてもしらじらしく、いつそもう、この辺でお別れしてしまひたいやうなものだ。」
「やつぱり、お前も淋しいのかね。」浦島は、ほろりとして、「こんどはずいぶん、お前のお世話にもなつたね。お礼を言ひます。」
 亀は返事をせず、なんだそんなこと、と言はぬばかりにちよつと甲羅をゆすつて、さうしてただ、せつせと泳ぐ。
「あのお方は、やつぱりあそこで、たつたひとりで遊んでゐるのだらうね。」浦島は、いかにもやるせないやうな溜息をついて、「私にこんな綺麗な貝をくれたが、これはまさか、食べるものぢやないだらうな。」
 亀はくすくす笑ひ出し、
「ちよつと竜宮にゐるうちに、あなたも、ばかに食ひ意地が張つて来ましたね。それだけは、食べるものでは無いやうです。私にもよくわかりませんが、その貝の中に何かはひつてゐるのぢやないんですか?」と亀は、ここに於いて、かのエデンの園の蛇の如く、何やら人の好奇心をそそるやうな妙な事を、ふいと言つた。やはりこれも、爬虫類共通の宿命なのであらうか。いやいや、さうきめてしまふのは、この善良の亀に対して気の毒だ。亀自身も以前、浦島に向つて、「しかし、私は、エデンの園の蛇ではない、はばかりながら日本の亀だ。」と豪語してゐる。信じてやらなけりや可哀想だ。それにまた、この亀のこれまでの浦島に対する態度から判断しても、決してかのエデンの園の蛇の如く、佞奸邪智にして、恐ろしい破滅の誘惑を囁くやうな性質のものでは無いやうに思はれる。それどころか、所謂さつきの鯉の吹流しの、愛すべき多弁家に過ぎないのではないかと思はれる。つまり、何の悪気も無かつたのだ。私は、そのやうに解したい。亀は、さらにまた言葉をつづけて、「でも、その貝は、あけて見ないはうがいいかも知れません。きつとその中には竜宮の精気みたいなものがこもつてゐるのでせうから。それを陸上であけたら、奇怪な蜃気楼が立ち昇り、あなたを発狂させたり何かするかも知れないし、或いはまた、海の潮が噴出して大洪水を起す事なども無いとは限らないし、とにかく海底の酸素を陸上に放散させては、どうせ、ろくな事が起らないやうな気がしますよ。」と真面目に言ふ。
 浦島は亀の深切を信じた。
「さうかも知れないね。あんな高貴な竜宮の雰囲気が、もしこの貝の中にひめられてあるとしたら、陸上の俗悪な空気にふれた時には、戸惑ひして、大爆発でも起すかも知れない。まあ、これはかうして、いつまでも大事に、家の宝として保存して置くことにしよう。」
 既に海上に浮ぶ。太陽の光がまぶしい。ふるさとの浜が見える。浦島はいまは一刻も早く、わが家に駈け込み、父母弟妹、また大勢の使用人たちを集めて、つぶさに竜宮の模様を物語り、冒険とは信じる力だ、この世の風流なんてものはケチくさい猿真似だ、正統といふのは、あれは通俗の別称さ、わかるかね、真の上品じやうぼんといふのは聖諦の境地さ、ただのあきらめぢや無いぜ、わかるかね、批評なんてうるさいものは無いんだ、無限に許されてゐるんだ、さうしてただ微笑があるだけだ、わかるかね、客を忘れてゐるのだ、わかるまい、などとそれこそ、たつたいま聞いて来たふうの新知識を、めちや苦茶に振りまはして、さうしてあの現実主義の弟のやつが、もし少しでも疑ふやうな顔つきを見せた時には、すなはちこの竜宮の美しいお土産をあいつの鼻先につきつけて、ぎやふんと参らせてやらう、と意気込み、亀に別離の挨拶するのも忘れて汀に飛び降り、あたふたと生家に向つて急けば、
ドウシタンデセウ モトノサト
ドウシタンデセウ モトノイヘ
ミワタスカギリ アレノハラ
ヒトノカゲナク ミチモナク
マツフクカゼノ オトバカリ
 といふ段どりになるのである。浦島は、さんざん迷つた末に、たうとうかの竜宮のお土産の貝殻をあけて見るといふ事になるのであるが、これに就いて、あの亀が責任を負ふ必要はないやうに思はれる。「あけてはならぬ」と言はれると、なほ、あけて見たい誘惑を感ずると云ふ人間の弱点は、この浦島の物語に限らず、ギリシヤ神話のパンドラの箱の物語に於いても、それと同様の心理が取りあつかはれてゐるやうだ。しかし、あのパンドラの箱の場合は、はじめから神々の復讐が企図せられてゐたのである。「あけてはならぬ」といふ一言が、パンドラの好奇心を刺戟して、必ずや後日パンドラが、その箱をあけて見るにちがひないといふ意地悪い予想のもとに「あけるな」といふ禁制を宣告したのである。それに引きかへ、われわれの善良な亀は、まつたくの深切から浦島にそれを言つたのだ。あの時の亀の、余念なささうな言ひ方に依つても、それは信じていいと思ふ。あの亀は正直者だ。あの亀には責任が無い。それは私も確信をもつて証言できるのであるが、さて、もう一つ、ここに妙な腑に落ちない問題が残つてゐる。浦島は、その竜宮のお土産をあけて見ると、中から白い煙が立ち昇り、たちまち彼は三百歳だかのお爺さんになつて、だから、あけなきやよかつたのに、つまらない事になつた、お気の毒に、などといふところでおしまひになるのが、一般に伝へられてゐる「浦島さん」物語であるが、私はそれに就いて深い疑念にとらはれてゐる。するとこの竜宮のお土産も、あの人間のもろもろのわざはひの種の充満したパンドラの箱の如く、乙姫の深刻な復讐、或いは懲罰の意を秘めた贈り物であつたのか。あのやうに何も言はず、ただ微笑して無限に許してゐるやうな素振りを見せながらも、皮裏にひそかに峻酷の陽秋を蔵してゐて、浦島のわがままを一つも許さず、厳罰を課する意味であの貝殻を与へたのか。いや、それほど極端の悲観論を称へずとも、或いは、貴人といふものは、しばしば、むごい嘲弄を平気でするものであるから、乙姫もまつたく無邪気の悪戯のつもりで、こんなひとのわるい冗談をやらかしたのか。いづれにしても、あの真の上品じやうぼんの筈の乙姫が、こんな始末の悪いお土産を与へたとは、不可解きはまる事である。パンドラの箱の中には、疾病、恐怖、怨恨、哀愁、疑惑、嫉妬、憤怒、憎悪、呪咀、焦慮、後悔、卑屈、貪慾、虚偽、怠惰、暴行などのあらゆる不吉の妖魔がはひつてゐて、パンドラがその箱をそつとあけると同時に、羽蟻の大群の如く一斉に飛び出し、この世の隅から隅まで残るくまなくはびこるに到つたといふ事になつてゐるが、しかし、呆然たるパンドラが、うなだれて、そのからつぽの箱の底を眺めた時、その底の闇に一点の星のやうに輝いてゐる小さな宝石を見つけたといふではないか。さうして、その宝石には、なんと、「希望」といふ字がしたためられてゐたといふ。これに依つて、パンドラの蒼白の頬にも、幽かに血の色がのぼつたといふ。それ以来、人間は、いかなる苦痛の妖魔に襲はれても、この「希望」に依つて、勇気を得、困難に堪へ忍ぶ事が出来るやうになつたといふ。それに較べて、この竜宮のお土産は、愛嬌も何もない。ただ、煙だ。さうして、たちまち三百歳のお爺さんである。よしんば、その「希望」の星が貝殻の底に残つてゐたとしたところで、浦島さんは既に三百歳である。三百歳のお爺さんに「希望」を与へたつて、それは悪ふざけに似てゐる。どだい、無理だ。それでは、ここで一つ、れいの「聖諦」を与へてみたらどうか。しかし、相手は三百歳である。いまさら、そんな気取つたきざつたらしいものを与へなくたつて、人間三百歳にもなりや、いい加減、諦めてゐるよ。結局、何もかも駄目である。救済の手の差伸べやうが無い。どうにも、これはひどいお土産をもらつて来たものだ。しかし、ここで匙を投げたら、或いは、日本のお伽噺はギリシヤ神話よりも残酷である。などと外国人に言はれるかも知れない。それはいかにも無念な事だ。また、あのなつかしい竜宮の名誉にかけても、何とかして、この不可解のお土産に、貴い意義を発見したいものである。いかに竜宮の数日が陸上の数百年に当るとは言へ、何もその歳月を、ややこしいお土産などにして浦島に持たせてよこさなくてもよささうなものだ。浦島が竜宮から海の上に浮かび出たとたんに、白髪の三百歳に変化したといふのなら、まだ話がわかる。また、乙姫のお情で、浦島をいつまでも青年にして置くつもりだつたのならば、そんな危険な「あけてはならぬ」品物を、わざわざ浦島に持たせてよこす必要は無い。竜宮のどこかの隅に捨てて置いたつていいぢやないか。それとも、お前のたれた糞尿は、お前が持つて帰つたらいいだらう、といふ意味なのだらうか。それでは、何だかひどく下等な「面当つらあて」みたいだ。まさかあの聖諦の乙姫が、そんな長屋の夫婦喧嘩みたいな事をたくらむとは考へられない。どうも、わからぬ。私は、それに就いて永い間、思案した。さうして、このごろに到つて、やうやく少しわかつて来たやうな気がして来たのである。
 つまり、私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとつて不幸であつたといふ先入感に依つて誤られて来たのである。絵本にも、浦島は三百歳になつて、それから、「実に、悲惨な身の上になつたものさ。気の毒だ。」などといふやうな事は書かれてゐない。
タチマチ シラガノ オヂイサン
 それでおしまひである。気の毒だ、馬鹿だ、などといふのは、私たち俗人の勝手な盲断に過ぎない。三百歳になつたのは、浦島にとつて、決して不幸ではなかつたのだ。
 貝殻の底に、「希望」の星があつて、それで救はれたなんてのは、考へてみるとちよつと少女趣味で、こしらへものの感じが無くもないやうな気もするが、浦島は、立ち昇る煙それ自体で救はれてゐるのである。貝殻の底には、何も残つてゐなくたつていい。そんなものは問題でないのだ。曰く、
年月は、人間の救ひである。
忘却は、人間の救ひである。
 竜宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依つて、まさに最高潮に達した観がある。思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。しかも、その三百年の招来をさへ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到つても、浦島は、乙姫から無限の許可を得てゐたのである。淋しくなかつたら、浦島は、貝殻をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。
 浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。


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カチカチ山

 カチカチ山の物語に於ける兎は少女、さうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋してゐる醜男。これはもう疑ひを容れぬ儼然たる事実のやうに私には思はれる。これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行はれた事件であるといふ。甲州の人情は、荒つぽい。そのせゐか、この物語も、他のお伽噺に較べて、いくぶん荒つぽく出来てゐる。だいいち、どうも、物語の発端からして酷だ。婆汁なんてのは、ひどい。お道化にも洒落にもなつてやしない。狸も、つまらない悪戯をしたものである。縁の下に婆さんの骨が散らばつてゐたなんて段に到ると、まさに陰惨の極度であつて、所謂児童読物としては、遺憾ながら発売禁止の憂目に遭はざるを得ないところであらう。現今発行せられてゐるカチカチ山の絵本は、それゆゑ、狸が婆さんに怪我をさせて逃げたなんて工合に、賢明にごまかしてゐるやうである。それはまあ、発売禁止も避けられるし、大いによろしい事であらうが、しかし、たつたそれだけの悪戯に対する懲罰としてはどうも、兎の仕打は、執拗すぎる。一撃のもとに倒すといふやうな颯爽たる仇討ちではない。生殺しにして、なぶつて、なぶつて、さうして最後は泥舟でぶくぶくである。その手段は、一から十まで詭計である。これは日本の武士道の作法ではない。しかし、狸が婆汁などといふ悪どい欺術を行つたのならば、その返報として、それくらゐの執拗のいたぶりを受けるのは致し方の無いところでもあらうと合点のいかない事もないのであるが、童心に与へる影響ならびに発売禁止のおそれを顧慮して、狸が単に婆さんに怪我をさせて逃げた罰として兎からあのやうなかずかずの恥辱と苦痛と、やがてぶていさい極まる溺死とを与へられるのは、いささか不当のやうにも思はれる。もともとこの狸は、何の罪とがも無く、山でのんびり遊んでゐたのを、爺さんに捕へられ、さうして狸汁にされるといふ絶望的な運命に到達し、それでも何とかして一条の血路を切りひらきたく、もがき苦しみ、窮余の策として婆さんを欺き、九死に一生を得たのである。婆汁なんかをたくらんだのは大いに悪いが、しかし、このごろの絵本のやうに、逃げるついでに婆さんを引掻いて怪我させたくらゐの事は、狸もその時は必死の努力で、謂はば正当防衛のために無我夢中であがいて、意識せずに婆さんに怪我を与へたのかも知れないし、それはそんなに憎むべき罪でも無いやうに思はれる。私の家の五歳の娘は、器量も父に似て頗るまづいが、頭脳もまた不幸にも父に似て、へんなところがあるやうだ。私が防空壕の中で、このカチカチ山の絵本を読んでやつたら、
「狸さん、可哀想ね。」
 と意外な事を口走つた。もつとも、この娘の「可哀想」は、このごろの彼女の一つ覚えで、何を見ても「可哀想」を連発し、以て子に甘い母の称讃を得ようといふ下心が露骨に見え透いてゐるのであるから、格別おどろくには当らない。或いは、この子は、父に連れられて近所の井の頭動物園に行つた時、檻の中を絶えずチヨコチヨコ歩きまはつてゐる狸の一群を眺め、愛すべき動物であると思ひ込み、それゆゑ、このカチカチ山の物語に於いても、理由の如何を問はず、狸に贔屓してゐたのかも知れない。いづれにしても、わが家の小さい同情者の言は、あまりあてにならない。思想の根拠が、薄弱である。同情の理由が、朦朧としてゐる。どだい、何も、問題にする価値が無い。しかし私は、その娘の無責任きはまる放言を聞いて、或る暗示を与へられた。この子は、何も知らずにただ、このごろ覚えた言葉を出鱈目に呟いただけの事であるが、しかし、父はその言葉に依つて、なるほど、これでは少し兎の仕打がひどすぎる、こんな小さい子供たちなら、まあ何とか言つてごまかせるけれども、もつと大きい子供で、武士道とか正々堂々とかの観念を既に教育せられてゐる者には、この兎の懲罰は所謂「やりかたが汚い」と思はれはせぬか、これは問題だ、と愚かな父は眉をひそめたといふわけである。
 このごろの絵本のやうに、狸が婆さんに単なる引掻き傷を与へたくらゐで、このやうに兎に意地悪く飜弄せられ、背中は焼かれ、その焼かれた個所には唐辛子たうがらしを塗られ、あげくの果には泥舟に乗せられて殺されるといふ悲惨の運命に立ち到るといふ筋書では、国民学校にかよつてゐるほどの子供ならば、すぐに不審を抱くであらう事は勿論、よしんば狸が、不埒な婆汁などを試みたとしても、なぜ正々堂々と名乗りを挙げて彼に膺懲の一太刀を加へなかつたか。兎が非力であるから、などはこの場合、弁解にならない。仇討ちは須く正々堂々たるべきである。神は正義に味方する。かなはぬまでも、天誅! と一声叫んで真正面からをどりかかつて行くべきである。あまりにも腕前の差がひどかつたならば、その時には臥薪嘗胆、鞍馬山にでもはひつて一心に剣術の修行をする事だ。昔から日本の偉い人たちは、たいていそれをやつてゐる。いかなる事情があらうと、詭計を用ゐて、しかもなぶり殺しにするなどといふ仇討物語は、日本に未だ無いやうだ。それをこのカチカチ山ばかりは、どうも、その仇討の仕方が芳しくない。どだい、男らしくないぢやないか、と子供でも、また大人でも、いやしくも正義にあこがれてゐる人間ならば、誰でもこれに就いてはいささか不快の情を覚えるのではあるまいか。
 安心し給へ。私もそれに就いて、考へた。さうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは当然だといふ事がわかつた。この兎は男ぢやないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。さうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。ギリシヤ神話には美しい女神がたくさん出て来るが、その中でも、ヴイナスを除いては、アルテミスといふ処女神が最も魅力ある女神とせられてゐるやうだ。ご承知のやうに、アルテミスは月の女神で、額には青白い三日月が輝き、さうして敏捷できかぬ気で、一口で言へばアポロンをそのまま女にしたやうな神である。さうして下界のおそろしい猛獣は全部この女神の家来である。けれども、その姿態は決して荒くれて岩乗な大女ではない。むしろ小柄で、ほつそりとして、手足も華奢で可愛く、ぞつとするほどあやしく美しい顔をしてゐるが、しかし、ヴイナスのやうな「女らしさ」が無く、乳房も小さい。気にいらぬ者には平気で残酷な事をする。自分の水浴してゐるところを覗き見した男に、颯つと水をぶつかけて鹿にしてしまつた事さへある。水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。こんな女に惚れたら、男は惨憺たる大恥辱を受けるにきまつてゐる。けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危険な女性に惚れ込み易いものである。さうして、その結果は、たいていきまつてゐるのである。
 疑ふものは、この気の毒な狸を見るがよい。狸は、そのやうなアルテミス型の兎の少女に、かねてひそかに思慕の情を寄せてゐたのだ。兎が、このアルテミス型の少女だつたと規定すると、あの狸が婆汁か引掻き傷かいづれの罪を犯した場合でも、その懲罰が、へんに意地くね悪く、さうして「男らしく」ないのが当然だと、溜息と共に首肯せられなければならぬわけである。しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、狸仲間でも風采あがらず、ただ団々として、愚鈍大食の野暮天であつたといふに於いては、その悲惨のなり行きは推するに余りがある。
 狸は爺さんに捕へられ、もう少しのところで狸汁にされるところであつたが、あの兎の少女にひとめまた逢ひたくて、大いにあがいて、やつと逃れて山へ帰り、ぶつぶつ何か言ひながら、うろうろ兎を捜し歩き、やつと見つけて、
「よろこんでくれ! おれは命拾ひをしたぞ。爺さんの留守をねらつて、あの婆さんを、えい、とばかりにやつつけて逃げて来た。おれは運の強い男さ。」と得意満面、このたびの大厄難突破の次第を、唾を飛ばし散らしながら物語る。
 兎はぴよんと飛びしりぞいて唾を避け、ふん、といつたやうな顔つきで話を聞き、
「何も私が、よろこぶわけは無いぢやないの。きたないわよ、そんなに唾を飛ばして。それに、あの爺さん婆さんは、私のお友達よ。知らなかつたの?」
「さうか、」と狸は愕然として、「知らなかつた。かんべんしてくれ。さうと知つてゐたら、おれは、狸汁にでも何にでも、なつてやつたのに。」と、しよんぼりする。
「いまさら、そんな事を言つたつて、もうおそいわ。あのお家の庭先に私が時々あそびに行つて、さうして、おいしいやはらかな豆なんかごちそうになつたのを、あなただつて知つてたぢやないの。それだのに、知らなかつたなんて嘘ついて、ひどいわ。あなたは、私の敵よ。」とむごい宣告をする。兎にはもうこの時すでに、狸に対して或る種の復讐を加へてやらうといふ心が動いてゐる。処女の怒りは辛辣である。殊にも醜悪な魯鈍なものに対しては容赦が無い。
「ゆるしてくれよ。おれは、ほんとに、知らなかつたのだ。嘘なんかつかない。信じてくれよ。」と、いやにねばつこい口調で歎願して、頸を長くのばしてうなだれて見せて、傍に木の実が一つ落ちてゐるのを見つけ、ひよいと拾つて食べて、もつと無いかとあたりをきよろきよろ見廻しながら、「本当にもう、お前にそんなに怒られると、おれはもう、死にたくなるんだ。」
「何を言つてるの。食べる事ばかり考へてるくせに。」兎は軽蔑し果てたといふやうに、つんとわきを向いてしまつて、「助平の上に、また、食ひ意地がきたないつたらありやしない。」
「見のがしてくれよ。おれは、腹がへつてゐるんだ。」となほもその辺を、うろうろ捜し廻りながら、「まつたく、いまのおれのこの心苦しさが、お前にわかつてもらへたらなあ。」
「傍へ寄つて来ちや駄目だつて言つたら。くさいぢやないの。もつとあつちへ離れてよ。あなたは、とかげを食べたんだつてね。私は聞いたわよ。それから、ああ可笑しい、ウンコも食べたんだつてね。」
「まさか。」と狸は力弱く苦笑した。それでも、なぜだか、強く否定する事の能はざる様子で、さらにまた力弱く、「まさかねえ。」と口を曲げて言ふだけであつた。
「上品ぶつたつて駄目よ。あなたのそのにほひは、ただのくさみぢやないんだから。」と兎は平然と手きびしい引導を渡して、それから、ふいと別の何か素晴らしい事でも思ひついたらしく急に眼を輝かせ、笑ひを噛み殺してゐるやうな顔つきで狸のはうに向き直り、「それぢやあね、こんど一ぺんだけ、ゆるしてあげる。あれ、寄つて来ちや駄目だつて言ふのに。油断もすきもなりやしない。よだれを拭いたらどう? 下顎がべろべろしてるぢやないの。落ついて、よくお聞き。こんど一ぺんだけは特別にゆるしてあげるけれど、でも、条件があるのよ。あの爺さんは、いまごろはきつとひどく落胆して、山に柴刈りに行く気力も何も無くなつてゐるでせうから、私たちはその代りに柴刈りに行つてあげませうよ。」
「一緒に? お前も一緒に行くのか?」狸の小さい濁つた眼は歓喜に燃えた。
「おいや?」
「いやなものか。けふこれから、すぐに行かうよ。」よろこびの余り、声がしやがれた。
「あしたにしませう、ね、あしたの朝早く。けふはあなたもお疲れでせうし、それに、おなかもいてゐるでせうから。」といやに優しい。
「ありがたい! おれは、あしたお弁当をたくさん作つて持つて行つて、一心不乱に働いて十貫目の柴を刈つて、さうして爺さんの家へとどけてあげる。さうしたら、お前は、おれをきつと許してくれるだらうな。仲よくしてくれるだらうな。」
「くどいわね。その時のあなたの成績次第でね。もしかしたら、仲よくしてあげるかも知れないわ。」
「えへへ、」と狸は急にいやらしく笑ひ、「その口が憎いや。苦労させるぜ、こんちきしやう。おれは、もう、」と言ひかけて、這ひ寄つて来た大きい蜘蛛を素早くぺろりと食べ、「おれは、もう、どんなに嬉しいか、いつそ、男泣きに泣いてみたいくらゐだ。」と鼻をすすり、嘘泣きをした。

 夏の朝は、すがすがしい。河口湖の湖面は朝霧に覆はれ、白く眼下に烟つてゐる。山頂では狸と兎が朝露を全身に浴びながら、せつせと柴を刈つてゐる。
 狸の働き振りを見るに、一心不乱どころか、ほとんど半狂乱に近いあさましい有様である。ううむ、ううむ、と大袈裟に唸りながら、めちや苦茶に鎌を振りまはして、時々、あいたたたた、などと聞えよがしの悲鳴を挙げ、ただもう自分がこのやうに苦心惨憺してゐるといふところを兎に見てもらひたげの様子で、縦横無尽に荒れ狂ふ。ひとしきり、そのやうに凄じくあばれて、さすがにもうだめだ、といふやうな疲れ切つた顔つきをして鎌を投げ捨て、
「これ、見ろ。手にこんなに豆が出来た。ああ、手がひりひりする。のどが乾く。おなかもいた。とにかく、大労働だつたからなあ。ちよつと休息といふ事にしようぢやないか。お弁当でも開きませうかね。うふふふ。」とてれ隠しみたいに妙に笑つて、大きいお弁当箱を開く。ぐいとその石油鑵ぐらゐの大きさのお弁当箱に鼻先を突込んで、むしやむしや、がつがつ、ぺつぺつ、といふ騒々しい音を立てながら、それこそ一心不乱に食べてゐる。兎はあつけにとられたやうな顔をして、柴刈りの手を休め、ちよつとそのお弁当箱の中を覗いて、あ! と小さい叫びを挙げ、両手で顔を覆つた。何だか知れぬが、そのお弁当箱には、すごいものがはひつてゐたやうである。けれども、けふの兎は、何か内証の思惑でもあるのか、いつものやうに狸に向つて侮辱の言葉も吐かず、先刻から無言で、ただ技巧的な微笑を口辺に漂はせてせつせと柴を刈つてゐるばかりで、お調子に乗つた狸のいろいろな狂態をも、知らん振りして見のがしてやつてゐるのである。狸の大きいお弁当箱の中を覗いて、ぎよつとしたけれども、やはり何も言はず、肩をきゆつとすくめて、またもや柴刈りに取かかる。狸は兎にけふはひどく寛大に扱はれるので、ただもうほくほくして、たうとうやつこさんも、おれのさかんな柴刈姿には惚れ直したかな? おれの、この、男らしさには、まゐらぬ女もあるまいて、ああ、食つた、眠くなつた、どれ一眠り、などと全く気をゆるしてわがままいつぱいに振舞ひ、ぐうぐう大鼾を掻いて寝てしまつた。眠りながらも、何のたはけた夢を見てゐるのか、惚れ薬つてのは、あれは駄目だぜ、きかねえや、などわけのわからぬ寝言を言ひ、眼をさましたのは、お昼ちかく。
「ずいぶん眠つたのね。」と兎は、やはりやさしく、「もう私も、柴を一束こしらへたから、これから背負つて爺さんの庭先まで持つて行つてあげませうよ。」
「ああ、さうしよう。」と狸は大あくびしながら腕をぽりぽり掻いて、「やけにおなかがいた。かうおなかが空くと、もうとても、眠つて居られるものぢやない。おれは敏感なんだ。」ともつともらしい顔で言ひ、「どれ、それではおれも刈つた柴を大急ぎで集めて、下山としようか。お弁当も、もう、からになつたし、この仕事を早く片づけて、それからすぐに食べ物を捜さなくちやいけない。」
 二人はそれぞれ刈つた柴を背負つて、帰途につく。
「あなた、さきに歩いてよ。この辺には、蛇がゐるんで、私こはくて。」
「蛇? 蛇なんてこはいもんか。見つけ次第おれがとつて、」食べる、と言ひかけて、口ごもり、「おれがとつて、殺してやる。さあ、おれのあとについて来い。」
「やつぱり、男のひとつて、こんな時にはたのもしいものねえ。」
「おだてるなよ。」とやにさがり、「けふはお前、ばかにしをらしいぢやないか。気味がわるいくらゐだぜ。まさか、おれをこれから爺さんのところに連れて行つて、狸汁にするわけぢやあるまいな。あははは。そいつばかりは、ごめんだぜ。」
「あら、そんなにへんに疑ふなら、もういいわよ。私がひとりで行くわよ。」
「いや、そんなわけぢやない。一緒に行くがね、おれは蛇だつて何だつてこの世の中にこはいものなんかありやしないが、どうもあの爺さんだけは苦手だ。狸汁にするなんて言ひやがるから、いやだよ。どだい、下品ぢやないか。少くとも、いい趣味ぢやないと思ふよ。おれは、あの爺さんの庭先の手前の一本榎のところまで、この柴を背負つて行くから、あとはお前が運んでくれよ。おれは、あそこで失敬しようと思ふんだ。どうもあの爺さんの顔を見ると、おれは何とも言へず不愉快になる。おや? 何だい、あれは。へんな音がするね。なんだらう。お前にも、聞えないか? 何だか、カチ、カチ、と音がする。」
「当り前ぢやないの? ここは、カチカチ山だもの。」
「カチカチ山? ここがかい?」
「ええ、知らなかつたの?」
「うん。知らなかつた。この山に、そんな名前があるとは今日まで知らなかつたね。しかし、へんな名前だ。嘘ぢやないか?」
「あら、だつて、山にはみんな名前があるものでせう? あれが富士山だし、あれが長尾山だし、あれが大室山だし、みんなに名前があるぢやないの。だから、この山はカチカチ山つていふ名前なのよ。ね、ほら、カチ、カチつて音が聞える。」
「うん、聞える。しかし、へんだな。いままで、おれはいちども、この山でこんな音を聞いた事が無い。この山で生れて、三十何年かになるけれども、こんな、――」
「まあ! あなたは、もうそんな年なの? こなひだ私に十七だなんて教へたくせに、ひどいぢやないの。顔が皺くちやで、腰も少し曲つてゐるのに、十七とは、へんだと思つてゐたんだけど、それにしても、二十もとしをかくしてゐるとは思はなかつたわ。それぢやあなたは、四十ちかいんでせう、まあ、ずいぶんね。」
「いや十七だ、十七。十七なんだ。おれがかう腰をかがめて歩くのは、決してとしのせゐぢやないんだ。おなかがいてゐるから、自然にこんな恰好になるんだ。三十何年、といふのは、あれは、おれの兄の事だよ。兄がいつも口癖のやうにさう言ふので、つい、おれも、うつかり、あんな事を口走つてしまつたんだ。つまり、ちよつと伝染したつてわけさ。そんなわけなんだよ、君。」狼狽のあまり、君といふ言葉を使つた。
「さうですか。」と兎は冷静に、「でも、あなたにお兄さんがあるなんて、はじめて聞いたわ。あなたはいつか私に、おれは淋しいんだ、孤独なんだよ、親も兄弟も無い、この孤独の淋しさが、お前、わからんかね、なんておつしやつてたぢやないの。あれは、どういふわけなの?」
「さう、さう、」と狸は、自分でも何を言つてゐるのか、わからなくなり、「まつたく世の中は、これでなかなか複雑なものだからねえ、そんなに一概には行かないよ。兄があつたり無かつたり。」
「まるで、意味が無いぢやないの。」と兎もさすがに呆れ果て、「めちや苦茶ね。」
「うん、実はね、兄はひとりあるんだ。これは言ふのもつらいが、飲んだくれのならず者でね、おれはもう恥づかしくて、面目なくて、生れて三十何年間、いや、兄がだよ、兄が生れて三十何年間といふもの、このおれに、迷惑のかけどほしさ。」
「それも、へんね。十七のひとが、三十何年間も迷惑をかけられたなんて。」
 狸は、もう聞えぬ振りして、
「世の中には、一口で言へない事が多いよ。いまぢやもう、おれのはうから、あれは無いものと思つて、勘当して、おや? へんだね、キナくさい。お前、なんともないか?」
「いいえ。」
「さうかね。」狸は、いつも臭いものを食べつけてゐるので、鼻には自信が無い。けげんな面持でくびをひねり、「気のせゐかなあ。あれあれ、何だか火が燃えてゐるやうな、パチパチボウボウつて音がするぢやないか。」
「それやその筈よ。ここは、パチパチのボウボウ山だもの。」
「嘘つけ。お前は、ついさつき、ここはカチカチ山だつて言つた癖に。」
「さうよ、同じ山でも、場所に依つて名前が違ふのよ。富士山の中腹にも小富士といふ山があるし、それから大室山だつて長尾山だつて、みんな富士山と続いてゐる山ぢやないの。知らなかつたの?」
「うん、知らなかつた。さうかなあ、ここがパチパチのボウボウ山とは、おれが三十何年間、いや、兄の話に依れば、ここはただの裏山だつたが、いや、これは、ばかに暖くなつて来た。地震でも起るんぢやねえだらうか。何だかけふは薄気味の悪い日だ。やあ、これは、ひどく暑い。きやあつ! あちちちち、ひでえ、あちちちち、助けてくれ、柴が燃えてる。あちちちち。」

 その翌る日、狸は自分の穴の奥にこもつて唸り、
「ああ、くるしい。いよいよ、おれも死ぬかも知れねえ。思へば、おれほど不仕合せな男は無い。なまなかに男振りが少し佳く生れて来たばかりに、女どもが、かへつて遠慮しておれに近寄らない。いつたいに、どうも、上品に見える男は損だ。おれを女ぎらひかと思つてゐるのかも知れねえ。なあに、おれだつて決して聖人ぢやない。女は好きさ。それだのに、女はおれを高邁な理想主義者だと思つてゐるらしく、なかなか誘惑してくれない。かうなればいつそ、大声で叫んで走り狂ひたい。おれは女が好きなんだ! あ、いてえ、いてえ。どうも、この火傷やけどといふものは始末がわるい。づきづき痛む。やつと狸汁から逃れたかと思ふと、こんどは、わけのわからねえボウボウ山とかいふのに足を踏み込んだのが、運のつきだ。あの山は、つまらねえ山であつた。柴がボウボウ燃え上るんだから、ひどい。三十何年、」と言ひかけて、あたりをぎよろりと見廻し、「何を隠さう、おれあことし三十七さ、へへん、わるいか、もう三年経てば四十だ、わかり切つた事だ、理の当然といふものだ、見ればわかるぢやないか。あいたたた、それにしても、おれが生れてから三十七年間、あの裏山で遊んで育つて来たのだが、つひぞいちども、あんなへんな目に遭つた事が無い。カチカチ山だの、ボウボウ山だの、名前からして妙に出来てる。はて、不思議だ。」とわれとわが頭を殴りつけて思案にくれた。
 その時、表で行商の呼売りの声がする。
「仙金膏はいかが。やけど、切傷、色黒に悩むかたはゐないか。」
 狸は、やけど切傷よりも、色黒と聞いてはつとした。
「おうい、仙金膏。」
「へえ、どちらさまで。」
「こつちだ、穴の奥だよ。色黒にもきくかね。」
「それはもう、一日で。」
「ほほう、」とよろこび、穴の奥からゐざり出て、「や! お前は、兎。」
「ええ、兎には違ひありませんが、私は男の薬売りです。ええ、もう三十何年間、この辺をかうして売り歩いてゐます。」
「ふう、」と狸は溜息をついて首をかしげ、「しかし、似た兎もあるものだ。三十何年間、さうか、お前がねえ。いや、歳月の話はよさう。糞面白くもない。しつつこいぢやないか。まあ、そんなわけのものさ。」としどろもどろのごまかし方をして、「ところで、おれにその薬を少しゆづつてくれないか。実はちよつと悩みのある身なのでな。」
「おや、ひどい火傷ですねえ。これは、いけない。ほつて置いたら、死にますよ。」
「いや、おれはいつそ死にてえ。こんな火傷なんかどうだつていいんだ。それよりも、おれは、いま、その、容貌の、――」
「何を言つていらつしやるんです。生死の境ぢやありませんか。やあ、背中が一ばんひどいですね。いつたい、これはどうしたのです。」
「それがねえ、」と狸は口をゆがめて、「パチパチのボウボウ山とかいふきざな名前の山に踏み込んだばつかりにねえ、いやもう、とんだ事になつてねえ、おどろきましたよ。」
 兎は思はず、くすくす笑つてしまつた。狸は、兎がなぜ笑つたのかわからなかつたが、とにかく自分も一緒に、あははと笑ひ、
「まつたくねえ。ばかばかしいつたらありやしないのさ。お前にも忠告して置きますがね、あの山へだけは行つちやいけないぜ。はじめ、カチカチ山といふのがあつて、それからいよいよパチパチのボウボウ山といふ事になるんだが、あいつあいけない。ひでえ事になつちやふ。まあ、いい加減に、カチカチ山あたりでごめんかうむつて来るんですな。へたにボウボウ山などに踏み込んだが最期、かくの如き始末だ。あいててて。いいですか。忠告しますよ。お前はまだ若いやうだから、おれのやうな年寄りの言は、いや、年寄りでもないが、とにかく、ばかにしないで、この友人の言だけは尊重して下さいよ。何せ、体験者の言なのだから。あいてててて。」
「ありがたうございます。気をつけませう。ところで、どうしませう、お薬は。御深切な忠告を聞かしていただいたお礼として、お薬代は頂戴いたしません。とにかく、その背中の火傷に塗つてあげませう。ちやうど折よく私が来合せたから、よかつたやうなものの、さうでもなかつたら、あなたはもう命を落すやうな事になつたかも知れないのです。これも何かのお導きでせう。縁ですね。」
「縁かも知れねえ。」と狸は低く呻くやうに言ひ、「ただなら塗つてもらはうか。おれもこのごろは貧乏でな、どうも、女に惚れると金がかかつていけねえ。ついでにその膏薬を一滴おれの手のひらに載せて見せてくれねえか。」
「どうなさるのです。」兎は、不安さうな顔になつた。
「いや、はあ、なんでもねえ。ただ、ちよつと見たいんだよ。どんな色合ひのものだかな。」
「色は別に他の膏薬とかはつてもゐませんよ。こんなものですが。」とほんの少量を、狸の差出す手のひらに載せてやる。
 狸は素早くそれを顔に塗らうとしたので兎は驚き、そんな事でこの薬の正体が暴露してはかなはぬと、狸の手を遮り、
「あ、それはいけません。顔に塗るには、その薬は少し強すぎます。とんでもない。」
「いや、放してくれ。」狸はいまは破れかぶれになり、「後生だから手を放せ。お前にはおれの気持がわからないんだ。おれはこの色黒のため生れて三十何年間、どのやうに味気ない思ひをして来たかわからない。放せ。手を放せ。後生だから塗らせてくれ。」
 つひに狸は足を挙げて兎を蹴飛ばし、眼にもとまらぬ早さで薬をぬたくり、
「少くともおれの顔は、目鼻立ちは決して悪くないと思ふんだ。ただ、この色黒のために気がひけてゐたんだ。もう大丈夫だ。うわつ! これは、ひどい。どうもひりひりする。強い薬だ。しかし、これくらゐの強い薬でなければ、おれの色黒はなほらないやうな気もする。わあ、ひどい。しかし、我慢するんだ。ちきしやうめ、こんどあいつが、おれと逢つた時、うつとりおれの顔に見とれて、うふふ、おれはもう、あいつが、恋わづらひしたつて知らないぞ。おれの責任ぢやないからな。ああ、ひりひりする。この薬は、たしかにく。さあ、もうかうなつたら、背中にでもどこにでも、からだ一面に塗つてくれ。おれは死んだつてかまはん。色白にさへなつたら死んだつてかまはんのだ。さあ塗つてくれ。遠慮なくべたべたと威勢よくやつてくれ。」まことに悲壮な光景になつて来た。
 けれども、美しく高ぶつた処女の残忍性には限りが無い。ほとんどそれは、悪魔に似てゐる。平然と立ち上つて、狸の火傷にれいの唐辛子たうがらしをねつたものをこつてりと塗る。狸はたちまち七転八倒して、
「ううむ、何ともない。この薬は、たしかに効く。わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覚えは無えんだ。おれは狸汁にされるのがいやだつたから、それで婆さんをやつつけたんだ。おれに、とがは無えのだ。おれは生れて三十何年間、色が黒いばつかりに、女にいちども、もてやしなかつたんだ。それから、おれは、食慾が、ああ、そのために、おれはどんなにきまりの悪い思ひをして来たか。誰も知りやしないのだ。おれは孤独だ。おれは善人だ。眼鼻立ちは悪くないと思ふんだ。」と苦しみのあまり哀れな譫言を口走り、やがてぐつたり失神の有様となる。

 しかし、狸の不幸は、まだ終らぬ。作者の私でさへ、書きながら溜息が出るくらゐだ。おそらく、日本の歴史に於いても、これほど不振の後半生を送つた者は、あまり例が無いやうに思はれる。狸汁の運命から逃れて、やれ嬉しやと思ふ間もなく、ボウボウ山で意味も無い大火傷をして九死に一生を得、這ふやうにしてどうやらわが巣にたどりつき、口をゆがめて呻吟してゐると、こんどはその大火傷に唐辛子をべたべた塗られ、苦痛のあまり失神し、さて、それからいよいよ泥舟に乗せられ、河口湖底に沈むのである。実に、何のいいところも無い。これもまた一種の女難にちがひ無からうが、しかし、それにしても、あまりに野暮な女難である。いきなところが、ひとつも無い。彼は穴の奥で三日間は虫の息で、生きてゐるのだか死んでゐるのだか、それこそ全く幽明の境をさまよひ、四日目に、猛烈の空腹感に襲はれ、杖をついて穴からよろばひ出て、何やらぶつぶつ言ひながら、かなたこなた食ひ捜して歩いてゐるその姿の気の毒さと来たら比類が無かつた。しかし、根が骨太ほねぶとの岩乗なからだであつたから、十日も経たぬうちに全快し、食慾は旧の如く旺盛で、色慾などもちよつと出て来て、よせばよいのに、またもや兎の庵にのこのこ出かける。
「遊びに来ましたよ。うふふ。」と、てれて、いやらしく笑ふ。
「あら!」と兎は言ひ、ひどく露骨にいやな顔をした。なあんだ、あなたなの? といふ気持、いや、それよりもひどい。なんだつてまたやつて来たの、図々しいぢやないの、といふ気持、いや、それよりもなほひどい。ああ、たまらない! 厄病神が来た! といふ気持、いや、それよりも、もつとひどい。きたない! くさい! 死んぢまへ! といふやうな極度の嫌悪が、その時の兎の顔にありありと見えてゐるのに、しかし、とかく招かれざる客といふものは、その訪問先の主人の、こんな憎悪感に気附く事はなはだ疎いものである。これは実に不思議な心理だ。読者諸君も気をつけるがよい。あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思ひながら渋々出かけて行く時には、案外その家で君たちの来訪をしんから喜んでゐるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて気持のよい家だらう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一のいこひの巣だ、なんともあの家へ行くのは楽しみだ、などといい気分で出かける家に於いては、諸君は、まづたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に箒など立てられてゐるものである。他人の家に、憩ひの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の証拠なのかも知れないが、とかくこの訪問といふ事に於いては、吾人は驚くべき思ひ違ひをしてゐるものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。作者のこの忠告を疑ふ者は、狸を見よ。狸はいま明らかに、このおそるべき錯誤を犯してゐるのだ。兎が、あら! と言ひ、さうして、いやな顔をしても、狸には一向に気がつかない。狸には、その、あら! といふ叫びも、狸の不意の訪問に驚き、かつは喜悦して、おのづから発せられた処女の無邪気な声の如くに思はれ、ぞくぞく嬉しく、また兎の眉をひそめた表情をも、これは自分の先日のボウボウ山の災難に、心を痛めてゐるのに違ひ無いと解し、
「や、ありがたう。」とお見舞ひも何も言はれぬくせに、こちらから御礼を述べ、「心配無用だよ。もう大丈夫だ。おれには神さまがついてゐるんだ。運がいいのだ。あんなボウボウ山なんて屁の河童さ。河童の肉は、うまいさうで。何とかして、そのうち食べてみようと思つてゐるんだがね。それは余談だが、しかし、あの時は、驚いたよ。何せどうも、たいへんな火勢だつたからね。お前のはうは、どうだつたね。べつに怪我も無い様子だが、よくあの火の中を無事で逃げて来られたね。」
「無事でもないわよ。」と兎はつんとすねて見せて、「あなたつたら、ひどいぢやないの。あのたいへんな火事場に、私ひとりを置いてどんどん逃げて行つてしまふんだもの。私は煙にむせて、もう少しで死ぬところだつたのよ。私は、あなたを恨んだわ。やつぱりあんな時に、つい本心といふものがあらはれるものらしいのね。私には、もう、あなたの本心といふものが、こんど、はつきりわかつたわ。」
「すまねえ。かんにんしてくれ。実はおれも、ひどい火傷をして、おれには、ひよつとしたら神さまも何もついてゐねえのかも知れない、さんざんの目に遭つちやつたんだ。お前はどうなつたか、決してそれを忘れてゐたわけぢやなかつたんだが、何せどうも、たちまちおれの背中が熱くなつて、お前を助けに行くひまも何も無かつたんだよ。わかつてくれねえかなあ。おれは決して不実な男ぢやねえのだ。火傷つてやつも、なかなか馬鹿にできねえものだぜ。それに、あの、仙金膏とか、疝気膏とか、あいつあ、いけない。いやもう、ひどい薬だ。色黒にも何もききやしない。」
「色黒?」
「いや、何。どろりとした黒い薬でね、こいつあ、強い薬なんだ。お前によく似た、小さい、奇妙な野郎が薬代は要らねえ、と言ふから、おれもつい、ものはためしだと思つて、塗つてもらふ事にしたのだが、いやはやどうも、ただの薬つてのも、あれはお前、気をつけたはうがいいぜ、油断も何もなりやしねえ、おれはもう頭のてつぺんからキリキリと小さい竜巻が立ち昇つたやうな気がして、どうとばかりに倒れたんだ。」
「ふん、」と兎は軽蔑し、「自業自得ぢやないの。ケチンボだから罰が当つたんだわ。ただの薬だから、ためしてみたなんて、よくもまあそんな下品な事を、恥づかしくもなく言へたものねえ。」
「ひでえ事を言ふ。」と狸は低い声で言ひ、けれども、別段何も感じないらしく、ただもう好きなひとの傍にゐるといふ幸福感にぬくぬくとあたたまつてゐる様子で、どつしりと腰を落ちつけ、死魚のやうに濁つた眼であたりを見廻し、小虫を拾つて食べたりしながら、「しかし、おれは運のいい男だなあ。どんな目に遭つても、死にやしない。神さまがついてゐるのかも知れねえ。お前も無事でよかつたが、おれも何といふ事もなく火傷がなほつて、かうしてまた二人でのんびり話が出来るんだものなあ。ああ、まるで夢のやうだ。」
 兎はもうさつきから、早く帰つてもらひたくてたまらなかつた。いやでいやで、死にさうな気持。何とかしてこの自分の庵の附近から去つてもらひたくて、またもや悪魔的の一計を案出する。
「ね、あなたはこの河口湖に、そりやおいしい鮒がうようよゐる事をご存じ?」
「知らねえ。ほんとかね。」と狸は、たちまち眼をかがやかして、「おれが三つの時、おふくろが鮒を一匹捕つて来ておれに食べさせてくれた事があつたけれども、あれはおいしい。おれはどうも、不器用といふわけではないが、決してさういふわけではないが、鮒なんて水の中のものを捕へる事が出来ねえので、どうも、あいつはおいしいといふ事だけは知つてゐながら、それ以来三十何年間、いや、はははは、つい兄の口真似をしちやつた。兄も鮒は好きでなあ。」
「さうですかね。」と兎は上の空で合槌を打ち、「私はどうも、鮒など食べたくもないけれど、でも、あなたがそんなにお好きなのならば、これから一緒に捕りに行つてあげてもいいわよ。」
「さうかい。」と狸はほくほくして、「でも、あの鮒つてやつは、素早いもんでなあ、おれはあいつを捕へようとして、も少しで土左衛門になりかけた事があるけれども、」とつい自分の過去の失態を告白し、「お前に何かいい方法があるのかね。」
「網で掬つたら、わけは無いわ。あの※(「盧+鳥」、第3水準1-94-73)※(「茲+鳥」、第3水準1-94-66)うがしまの岸にこのごろとても大きい鮒が集つてゐるのよ。ね、行きませう。あなた、舟は? 漕げるの?」
「うむ、」幽かな溜息をついて、「漕げないことも無いがね。その気になりや、なあに。」と苦しい法螺を吹いた。
「漕げるの?」と兎は、それが法螺だといふ事を知つてゐながら、わざと信じた振りをして、「ぢや、ちやうどいいわ。私にはね、小さい舟が一艘あるけど、あんまり小さすぎて私たちふたりは乗れないの。それに何せ薄い板切れでいい加減に作つた舟だから、水がしみ込んで来て危いのよ。でも、私なんかどうなつたつて、あなたの身にもしもの事があつてはいけないから、あなたの舟をこれから、ふたりで一緒に力を合せて作りませうよ。板切れの舟は危いから、もつと岩乗に、泥をこねつて作りませうよ。」
「すまねえなあ。おれはもう、泣くぜ。泣かしてくれ。おれはどうしてこんなに涙もろいか。」と言つて嘘泣きをしながら、「ついでにお前ひとりで、その岩乗ないい舟を作つてくれないか。な、たのむよ。」と抜からず横着な申し出をして、「おれは恩に着るぜ。お前がそのおれの岩乗な舟を作つてくれてゐる間に、おれは、ちよつとお弁当をこさへよう。おれはきつと立派な炊事係りになれるだらうと思ふんだ。」
「さうね。」と兎は、この狸の勝手な意見をも信じた振りして素直に首肯く。さうして狸は、ああ世の中なんて甘いもんだとほくそ笑む。この間一髪に於いて、狸の悲運は決定せられた。自分の出鱈目を何でも信じてくれる者の胸中には、しばしば何かのおそるべき悪計が蔵せられてゐるものだと云ふ事を、迂愚の狸は知らなかつた。調子がいいぞ、とにやにやしてゐる。
 ふたりはそろつて湖畔に出る。白い河口湖には波ひとつ無い。兎はさつそく泥をこねて、所謂岩乗な、いい舟の製作にとりかかり、狸は、すまねえ、すまねえ、と言ひながらあちこち飛び廻つて専ら自分のお弁当の内容調合に腐心し、夕風が微かに吹き起つて湖面一ぱいに小さい波が立つて来た頃、粘土の小さい舟が、つやつやと鋼鉄色に輝いて進水した。
「ふむ、悪くない。」と狸は、はしやいで、石油鑵ぐらゐの大きさの、れいのお弁当箱をまづ舟に積み込み、「お前は、しかし、ずいぶん器用な娘だねえ。またたく間にこんな綺麗な舟一艘つくり上げてしまふのだからねえ。神技だ。」と歯の浮くやうな見え透いたお世辞を言ひ、このやうに器用な働き者を女房にしたら、或いはおれは、女房の働きに依つて遊んでゐながら贅沢ができるかも知れないなどと、色気のほかにいまはむらむら慾気さへ出て来て、いよいよこれは何としてもこの女にくつついて一生はなれぬ事だ、とひそかに覚悟のほぞを固めて、よいしよと泥の舟に乗り、「お前はきつと舟を漕ぐのも上手だらうねえ。おれだつて、舟の漕ぎ方くらゐ知らないわけでは、まさか、そんな、知らないと云ふわけでは決して無いんだが、けふはひとつ、わが女房のお手並を拝見したい。」いやに言葉遣ひが図々しくなつて来た。「おれも昔は、舟の漕ぎ方にかけては名人とか、または達者とか言はれたものだが、けふはまあ寝転んで拝見といふ事にしようかな。かまはないから、おれの舟の舳を、お前の舟のともにゆはへ附けておくれ。舟も仲良くぴつたりくつついて、死なばもろとも、見捨てちやいやよ。」などといやらしく、きざつたらしい事を言つてぐつたり泥舟の底に寝そべる。
 兎は、舟をゆはへ附けよと言はれて、さてはこの馬鹿も何か感づいたかな? とぎよつとして狸の顔つきを盗み見たが、何の事は無い、狸は鼻の下を長くしてにやにや笑ひながら、もはや夢路をたどつてゐる。鮒がとれたら起してくれ。あいつあ、うめえからなあ。おれは三十七だよ。などと馬鹿な寝言を言つてゐる。兎は、ふんと笑つて狸の泥舟を兎の舟につないで、それから、櫂でぱちやと水の面を撃つ。するすると二艘の舟は岸を離れる。
 ※(「盧+鳥」、第3水準1-94-73)※(「茲+鳥」、第3水準1-94-66)うがしまの松林は夕陽を浴びて火事のやうだ。ここでちよつと作者は物識り振るが、この島の松林を写生して図案化したのが、煙草の「敷島」の箱に描かれてある、あれだといふ話だ。たしかな人から聞いたのだから、読者も信じて損は無からう。もつとも、いまはもう「敷島」なんて煙草は無くなつてゐるから、若い読者には何の興味も無い話である。つまらない知識を振りまはしたものだ。とかく識つたかぶりは、このやうな馬鹿らしい結果に終る。まあ、生れて三十何年以上にもなる読者だけが、ああ、あの松か、と芸者遊びの記憶なんかと一緒にぼんやり思ひ出して、つまらなさうな顔をするくらゐが関の山であらうか。
 さて兎は、その※(「盧+鳥」、第3水準1-94-73)※(「茲+鳥」、第3水準1-94-66)島の夕景をうつとり望見して、
「おお、いい景色。」と呟く。これは如何にも奇怪である。どんな極悪人でも、自分がこれから残虐の犯罪を行はうといふその直前に於いて、山水の美にうつとり見とれるほどの余裕なんて無いやうに思はれるが、しかし、この十六歳の美しい処女は、眼を細めて島の夕景を観賞してゐる。まことに無邪気と悪魔とは紙一重である。苦労を知らぬわがままな処女の、へどが出るやうな気障つたらしい姿態に対して、ああ青春は純真だ、なんて言つて垂涎してゐる男たちは、気をつけるがよい。その人たちの所謂「青春の純真」とかいふものは、しばしばこの兎の例に於けるが如く、その胸中に殺意と陶酔が隣合せて住んでゐても平然たる、何が何やらわからぬ官能のごちやまぜの乱舞である。危険この上ないビールの泡だ。皮膚感覚が倫理を覆つてゐる状態、これを低能あるいは悪魔といふ。ひところ世界中に流行したアメリカ映画、あれには、こんな所謂「純真」な雄や雌がたくさん出て来て、皮膚感触をもてあまして擽つたげにちよこまか、バネ仕掛けの如く動きまはつてゐた。別にこじつけるわけではないが、所謂「青春の純真」といふものの元祖は、或いは、アメリカあたりにあつたのではなからうかと思はれるくらゐだ。スキイでランラン、とかいふたぐひである。さうしてその裏で、ひどく愚劣な犯罪を平気で行つてゐる。低能でなければ悪魔である。いや、悪魔といふものは元来、低能なのかも知れない。小柄でほつそりして手足が華奢で、かの月の女神アルテミスにも比較せられた十六歳の処女の兎も、ここに於いて一挙に頗る興味索然たるつまらぬものになつてしまつた。低能かい。それぢやあ仕様が無いねえ。
「ひやあ!」と脚下に奇妙な声が起る。わが親愛なる而して甚だ純真ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかつたの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理といふものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のやうな、いや、まるでわからん。お前はおれの女房ぢやないか。やあ、沈む。少くとも沈むといふ事だけは眼前の真実だ。冗談にしたつて、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるぢやないか。このお弁当箱には鼬のふんでまぶした蚯蚓のマカロニなんか入つてゐるのだ。惜しいぢやないか。あつぷ! ああ、たうとう水を飲んぢやつた。おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切つちやいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切つても切れねええにし艫綱ともづな、あ、いけねえ、切つちやつた。助けてくれ! おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちのすぢが固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を殴りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す気だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかつた。
 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
 兎は顔を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言つた。

 ところでこれは、好色の戒めとでもいふものであらうか。十六歳の美しい処女には近寄るなといふ深切な忠告を匂はせた滑稽物語でもあらうか。或いはまた、気にいつたからとて、あまりしつこくお伺ひしては、つひには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭ふから節度を守れ、といふ礼儀作法の教科書でもあらうか。
 或いはまた、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌ひに依つて世の中の人たちはその日常生活に於いて互ひに罵り、または罰し、または賞し、または服してゐるものだといふ事を暗示してゐる笑話であらうか。
 いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまはの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
 曰く、惚れたが悪いか。
 古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかつてゐると言つても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であつた。おそらくは、また、君に於いても。後略。


[#改頁]



舌切雀

 私はこの「お伽草紙」といふ本を、日本の国難打開のために敢闘してゐる人々の寸暇に於ける慰労のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、このごろ常に微熱を発してゐる不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出勤したり、また自分の家の罹災の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに少しづつ書きすすめて来たのである。瘤取り、浦島さん、カチカチ山、その次に、桃太郎と、舌切雀を書いて、一応この「お伽草紙」を完結させようと私は思つてゐたのであるが、桃太郎のお話は、あれはもう、ぎりぎりに単純化せられて、日本男児の象徴のやうになつてゐて、物語といふよりは詩や歌の趣きさへ呈してゐる。もちろん私も当初に於いては、この桃太郎をも、私の物語に鋳造し直すつもりでゐた。すなはち私は、あの鬼ヶ島の鬼といふものに、或る種の憎むべき性格を附与してやらうと思つてゐた。どうしてもあれは、征伐せずには置けぬ醜怪極悪無類の人間として、描写するつもりであつた。それに依つて桃太郎の鬼征伐も大いに読者諸君の共鳴を呼び起し、而してその戦闘も読む者の手に汗を握らせるほどの真に危機一髪のものたらしめようとたくらんでゐた。(未だ書かぬ自分の作品の計画を語る場合に於いては、作者はたいていこのやうにあどけない法螺を吹くものである。そんなに、うまくは行きませぬて。)まあさ、とにかく、まあ、聞き給へ。どうせ、気焔だがね。とにかく、ひやかさずに聞いてくれ給へ。ギリシヤ神話に於いて、最も佞悪醜穢の魔物は、やはりあの万蛇頭のメデウサであらう。眉間には狐疑の深い皺がきざみ込まれ、小さい灰色の眼には浅間しい殺意が燃え、真蒼な頬は威嚇の怒りに震へて、黒ずんだ薄い唇は嫌悪と侮蔑にひきつつたやうにゆがんでゐる。さうして長い頭髪の一本一本がことごとく腹の赤い毒蛇である。敵に対してこの無数の毒蛇は、素早く一様に鎌首をもたげ、しゆつしゆつと気味悪い音を立てて手向ふ。このメデウサの姿をひとめ見た者は、何とも知れずいやな気持になつて、さうして、心臓が凍り、からだ全体つめたい石になつたといふ。恐怖といふよりは、不快感である。人の肉体よりも、人の心に害を加へる。このやうな魔物は、最も憎むべきものであり、かつまたすみやかに退治しなければならぬものである。それに較べると、日本の化物は単純で、さうして愛嬌がある。古寺の大入道や一本足の傘の化物などは、たいてい酒飲みの豪傑のために無邪気な舞ひをごらんに入れて以て豪傑の乙夜丑満の無聊を慰めてくれるだけのものである。また、絵本の鬼ヶ島の鬼たちも、図体ばかり大きくて、猿に鼻など引掻かれ、あつ! と言つてひつくりかへつて降参したりしてゐる。一向におそろしくも何とも無い。善良な性格のもののやうにさへ思はれる。それでは折角の鬼退治も、甚だ気抜けのした物語になるだらう。ここは、どうしてもメデウサの首以上の凄い、不愉快きはまる魔物を登場させなければならぬところだ。それでなければ読者の手に汗を握らせるわけにはいかぬ。また、征服者の桃太郎が、あまりに強くては、読者はかへつて鬼のはうを気の毒に思つたりなどして、その物語に危機一髪の醍醐味は湧いて出ない。ジイグフリイドほどの不死身ふじみの大勇者でも、その肩先に一箇所の弱点を持つてゐたではないか。弁慶にも泣きどころがあつたといふし、とにかく、完璧の絶対の強者は、どうも物語には向かない。それに私は、自身が非力のせゐか、弱者の心理にはいささか通じてゐるつもりだが、どうも、強者の心理は、あまりつまびらかに知つてゐない。殊にも、誰にも絶対に負けぬ完璧の強者なんてのには、いま迄いちども逢つた事が無いし、また噂にさへ聞いた事が無い。私は多少でも自分で実際に経験した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である。それで、この桃太郎物語を書くに当つても、そんな見た事も無い絶対不敗の豪傑を登場させるのは何としても不可能なのである。やはり、私の桃太郎は、小さい時から泣虫で、からだが弱くて、はにかみ屋で、さつぱり駄目な男だつたのだが、人の心情を破壊し、永遠の絶望と戦慄と怨嗟の地獄にたたき込む悪辣無類にして醜怪の妖鬼たちに接して、われ非力なりと雖もいまは黙視し得ずと敢然立つて、黍団子を腰に、かの妖鬼たちの巣窟に向つて発足する、とでもいふやうな事になりさうである。またあの、犬、猿、雉の三匹の家来も、決して模範的な助力者ではなく、それぞれに困つた癖があつて、たまには喧嘩もはじめるであらうし、ほとんどかの西遊記の悟空、八戒、悟浄の如きもののやうに書くかも知れない。しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそめにもこの貴い国で第一と言ふ事になると、いくらお伽噺だからと言つても、出鱈目な書き方は許されまい。外国の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言つたら、その口惜しさはどんなだらう。だから、私はここにくどいくらゐに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、さうしておれはその桃太郎を書かなかつたんだぞ、だから、この「お伽草紙」には、日本一なんか、もしお前の眼前に現はれたら、お前の両眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかつたか。この私の「お伽草紙」に出て来る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰といふ作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかりである。これらの諸人物を以て、ただちに日本人の軽重を推計せんとするのは、それこそ刻舟求剣のしたり顔なる穿鑿に近い。私は日本を大事にしてゐる。それは言ふまでも無い事だが、それゆゑ、私は日本一の桃太郎を描写する事は避け、また、他の諸人物の決して日本一ではない所以をもくどくどと述べて来たのだ。読者もまた、私のこんなへんなこだはり方に大いに賛意を表して下さるのではあるまいか、と思はれる。
 さて、この舌切雀の主人公は、日本一どころか、逆に、日本で一ばん駄目な男と言つてよいかも知れぬ。だいいち、からだが弱い。からだの弱い男といふものは、足の悪い馬よりも、もつと世間的の価値が低いやうである。いつも力無い咳をして、さうして顔色も悪く、朝起きて部屋の障子にはたきを掛け、箒で塵を掃き出すと、もう、ぐつたりして、あとは、一日一ぱい机の傍で寝たり起きたり何やら蠢動して、夕食をすますと、すぐ自分でさつさと蒲団を引いて寝てしまふ。この男は、既に十数年来こんな情無い生活を続けてゐる。未だ四十歳にもならぬのだが、しかし、よほど前から自分の事を翁と署名し、また自分の家の者にも「お爺さん」と呼べと命令してゐる。まあ、世捨人とでも言ふべきものであらうか。しかし、世捨人だつて、お金が少しでもあるから、世を捨てられるので、一文無しのその日暮しだつたら、世を捨てようと思つたつて、世の中のはうから追ひかけて来て、とても捨て切れるものでない。この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵を結んでゐるが、もとをただせば大金持の三男坊で、父母の期待にそむいて、これといふ職業も持たず、ぼんやり晴耕雨読などといふ生活をしてゐるうちに病気になつたりして、このごろは、父母をはじめ親戚一同も、これを病弱の馬鹿の困り者と称してあきらめ、月々の暮しに困らぬ小額の金を仕送りしてゐるといふやうな状態なのである。さればこそ、こんな世捨人みたいな生活も可能なのである。いかに、草の庵とはいへ、まあ、結構な身分と申さざるを得ないであらう。さうして、そんな結構な身分の者に限つて、あまりひとの役に立たぬものである。からだが弱いのは事実のやうであるが、しかし、寝てゐるほどの病人では無いのだから、何か一つくらゐ積極的仕事の出来ぬわけはない筈である。けれども、このお爺さんは何もしない。本だけは、ずいぶんたくさん読んでゐるやうだが、読み次第わすれて行くのか、自分の読んだ事を人に語つて知らせるといふわけでもない。ただ、ぼんやりしてゐる。これだけでも、既に世間的価値がゼロに近いのに、さらにこのお爺さんには子供が無い。結婚してもう十年以上にもなるのだが、未だ世継が無いのである。これでもう完全に彼は、世間人としての義務を何一つ果してゐない、といふ事になる。こんな張合の無い亭主に、よくもまあ十何年も連添うて来た細君といふのは、どんな女か、多少の興をそそられる。しかし、その草庵の垣根越しに、そつと覗いてみた者は、なあんだ、とがつかりさせられる。実に何とも、つまらない女だ。色がまつくろで、眼はぎよろりとして、手は皺だらけで大きく、その手をだらりと前にさげて少し腰をかがめていそがしげに庭を歩いてゐるさまを見ると、「お爺さん」よりも年上ではないかと思はれるくらゐである。しかし、今年三十三の厄年だといふ。このひとは、もと「お爺さん」の生家に召使はれてゐたのであるが、病弱のお爺さんの世話を受持たされて、いつしかその生涯を受持つやうになつてしまつたのである。無学である。
「さあ、下着類を皆、脱いでここへ出して下さい。洗ひます。」と強く命令するやうに言ふ。
「この次。」お爺さんは、机に頬杖をついて低く答へる。お爺さんは、いつも、ひどく低い声で言ふ。しかも、言葉の後半は、口の中で澱んで、ああ、とか、うう、とかいふやうにしか聞えない。連添うて十何年になるお婆さんにさへ、このお爺さんの言ふ事がよく聞きとれない。いはんや、他人に於いてをや。どうせ世捨人同然のひとなのだから、自分の言ふ事が他人にわかつたつて、わからなくたつてどうだつていいやうなものかも知れないが、定職にも就かず、読書はしても別段その知識でもつて著述などしようとする気配も見えず、さうして結婚後十数年経過してゐるのに一人の子供もまうけず、さうして、その上、日常の会話に於いてさへ、はつきり言ふ手数を省いて、後半を口の中でむにやむにや言つてすますとは、その骨惜しみと言はうか何と言はうか、とにかくその消極性は言語に絶するものがあるやうに思はれる。
「早く出して下さいよ。ほら、襦袢の襟なんか、油光りしてゐるぢやありませんか。」
「この次。」やはり半分は口の中で、ぼそりと言ふ。
「え? 何ですつて? わかるやうに言つて下さい。」
「この次。」と頬杖をついたまま、にこりともせずお婆さんの顔を、まじまじと見つめながら、こんどはやや明瞭に言ふ。「けふは寒い。」
「もう冬ですもの。けふだけぢやなく、あしたもあさつても寒いにきまつてゐます。」と子供を叱るやうな口調で言ひ、「そんな工合ひに家の中で、じつと炉傍に坐つてゐる人と、井戸端へ出て洗濯してゐる人と、どつちが寒いか知つてゐますか。」
「わからない。」と幽かに笑つて答へる。「お前の井戸端は習慣になつてゐるから。」
「冗談ぢやありません。」とお婆さんは顔をしかめて、「私だつて何も、洗濯をしに、この世に生れて来たわけぢやないんですよ。」
「さうかい。」と言つて、すましてゐる。
「さあ、早く脱いで寄こして下さいよ。代りの下着類はいつさいその押入の中にはひつてゐますから。」
「風邪をひく。」
「ぢやあ、よござんす。」いまいましさうに言ひ切つてお婆さんは退却する。
 ここは東北の仙台郊外、愛宕山の麓、広瀬川の急流に臨んだ大竹藪の中である。仙台地方には昔から、雀が多かつたのか、仙台笹とかいふ紋所には、雀が二羽図案化されてゐるし、また、芝居の先代萩には雀が千両役者以上の重要な役として登場するのは誰しもご存じの事と思ふ。また、昨年、私が仙台地方を旅行した時にも、その土地の一友人から仙台地方の古い童謡として次のやうな歌を紹介せられた。
カゴメ カゴメ
カゴノナカノ スズメ
イツ イツ デハル
 この歌は、しかし、仙台地方に限らず、日本全国の子供の遊び歌になつてゐるやうであるが、
カゴノナカノ スズメ
 と言つて、ことさらに籠の小鳥を雀と限定してゐるところ、また、デハルといふ東北の方言が何の不自然な感じも無く挿入せられてゐる点など、やはりこれは仙台地方の民謡と称しても大過ないのではなからうかと私には思はれた。
 このお爺さんの草庵の周囲の大竹藪にも、無数の雀が住んでゐて、朝夕、耳を聾せんばかりに騒ぎ立てる。この年の秋の終り、大竹藪に霰が爽やかな音を立てて走つてゐる朝、庭の土の上に、脚をくじいて仰向にあがいてゐる小雀をお爺さんは見つけ、黙つて拾つて、部屋の炉傍に置いて餌を与へ、雀は脚の怪我がなほつても、お爺さんの部屋で遊んで、たまに庭先へ飛び降りてみる事もあるが、またすぐ縁にあがつて来て、お爺さんの投げ与へる餌を啄み、糞をたれると、お婆さんは、
「あれ汚い。」と言つて追ひ、お爺さんは無言で立つて懐紙でその縁側の糞をていねいに拭き取る。日数の経つにつれて雀にも、甘えていい人と、さうでない人との見わけがついて来た様子で、家にお婆さんひとりしかゐない時には、庭先や軒下に避難し、さうしてお爺さんがあらはれると、すぐ飛んで来て、お爺さんの頭の上にちよんと停つたり、またお爺さんの机の上をはねまはり、硯の水をのどを幽かに鳴らして飲んだり、筆立の中に隠れたり、いろいろに戯れてお爺さんの勉強の邪魔をする。けれども、お爺さんはたいてい知らぬ振りをしてゐる。世にある愛禽家のやうに、わが愛禽にへんな気障つたらしい名前を附けて、
「ルミや、お前も淋しいかい。」などといふ事は言はない。雀がどこで何をしようと、全然無関心の様子を示してゐる。さうして時々、黙つてお勝手から餌を一握り持つて来て、ばらりと縁側に撒いてやる。
 その雀が、いまお婆さんの退場後に、はたはたと軒下から飛んで来て、お爺さんの頬杖ついてゐる机の端にちよんと停る。お爺さんは少しも表情を変へず、黙つて雀を見てゐる。このへんから、そろそろこの小雀の身の上に悲劇がはじまる。
 お爺さんは、しばらく経つてから一言、「さうか。」と言つた。それから深い溜息をついて、机上に本をひろげた。その書物のペエジを一、二枚繰つて、それからまた、頬杖をついてぼんやり前方を見ながら、「洗濯をするために生れて来たのではないと言ひやがる。あれでも、まだ、色気があると見える。」と呟いて、幽かに苦笑する。
 この時、突然、机上の小雀が人語を発した。
「あなたは、どうなの?」
 お爺さんは格別おどろかず、
「おれか、おれは、さうさな、本当の事を言ふために生れて来た。」
「でも、あなたは何も言ひやしないぢやないの。」
「世の中の人は皆、嘘つきだから、話を交すのがいやになつたのさ。みんな、嘘ばつかりついてゐる。さうしてさらに恐ろしい事は、その自分の嘘にご自身お気附きになつてゐない。」
「それは怠け者の言ひのがれよ。ちよつと学問なんかすると、誰でもそんな工合に横着な気取り方をしてみたくなるものらしいのね。あなたは、なんにもしてやしないぢやないの。寝てゐて人を起こすなかれ、といふ諺があつたわよ。人の事など言へるがらぢや無いわ。」
「それもさうだが、」とお爺さんはあわてず、「しかし、おれのやうな男もあつていいのだ。おれは何もしてゐないやうに見えるだらうが、まんざら、さうでもない。おれでなくちや出来ない事もある。おれの生きてゐる間、おれの真価の発揮できる時機が来るかどうかわからぬが、しかし、その時が来たら、おれだつて大いに働く。その時までは、まあ、沈黙して、読書だ。」
「どうだか。」と雀は小首を傾け、「意気地無しの陰弁慶に限つて、よくそんな負け惜しみの気焔を挙げるものだわ。廃残の御隠居、とでもいふのかしら、あなたのやうなよぼよぼの御老体は、かへらぬ昔の夢を、未来の希望と置きかへて、さうしてご自身を慰めてゐるんだわ。お気の毒みたいなものよ。そんなのは気焔にさへなつてやしない。変態の愚癡よ。だつて、あなたは、何もいい事をしてやしないんだもの。」
「さう言へば、まあ、そんなものかも知れないが、」と老人はいよいよ落ちついて、「しかし、おれだつて、いま立派に実行してゐる事が一つある。それは何かつて言へば、無慾といふ事だ。言ふは易くして、行ふは難いものだよ。うちのお婆さんなど、おれみたいな者ともう十何年も連添うて来たのだから、いい加減に世間の慾を捨ててゐるかと思つてゐたら、どうもさうでもないらしい。まだあれで、何か色気があるらしいんだね。それが可笑しくて、ついひとりで噴き出したやうな次第だ。」
 そこへ、ぬつとお婆さんが顔を出す。
「色気なんかありませんよ。おや? あなたは、誰と話をしてゐたのです。誰か、若い娘さんの声がしてゐましたがね。あのお客さんは、どこへいらつしやいました。」
「お客さんか。」お爺さんは、れいに依つて言葉を濁す。
「いいえ、あなたは今たしかに誰かと話をしてゐましたよ。それも私の悪口をね。まあ、どうでせう、私にものを言ふ時には、いつも口ごもつて聞きとれないやうな大儀さうな言ひ方ばかりする癖に、あの娘さんには、まるで人が変つたみたいにあんな若やいだ声を出して、たいへんごきげんさうに、おしやべりしていらしたぢやないの。あなたこそ、まだ色気がありますよ。ありすぎて、べたべたです。」
「さうかな。」とお爺さんは、ぼんやり答へて、「しかし、誰もゐやしない。」
「からかはないで下さい。」とお婆さんは本気に怒つてしまつた様子で、どさんと縁先に腰をおろし、「あなたはいつたいこの私を、何だと思つていらつしやるのです。私はずいぶん今までこらへて来ました。あなたはもう、てんで私を馬鹿にしてしまつてゐるのですもの。そりやもう私は、育ちもよくないし学問も無いし、あなたのお話相手が出来ないかも知れませんが、でも、あんまりですわ。私だつて、若い時からあなたのお家へ奉公にあがつてあなたのお世話をさせてもらつて、それがまあ、こんな事になつて、あなたの親御さんも、あれならばなかなかしつかり者だし、せがれと一緒にさせても、――」
「嘘ばかり。」
「おや、どこが嘘なのです。私が、どんな嘘をつきました。だつて、さうぢやありませんか。あの頃、あなたの気心を一ばんよく知つてゐたのは私ぢやありませんか。私でなくちや駄目だつたんです。だから私が、一生あなたのめんだうを見てあげる事になつたんぢやありませんか。どこが、どんな工合ひに嘘なのです。それを聞かして下さい。」と顔色を変へてつめ寄る。
「みんな嘘さ。あの頃の、お前の色気つたら無かつたぜ。それだけさ。」
「それは、いつたい、どんな意味です。私には、わかりやしません。馬鹿にしないで下さい。私はあなたの為を思つて、あなたと一緒になつたのですよ。色気も何もありやしません。あなたもずいぶん下品な事を言ひますね。ぜんたい私が、あなたのやうな人と一緒になつたばかりに、朝夕どんなに淋しい思ひをしてゐるか、あなたはご存じ無いのです。たまには、優しい言葉の一つも掛けてくれるものです。他の夫婦をごらんなさい。どんなに貧乏をしてゐても、夕食の時などには楽しさうに世間話をして笑ひ合つてゐるぢやありませんか。私は決して慾張り女ではないんです。あなたのためなら、どんな事でも忍んで見せます。ただ、時たま、あなたから優しい言葉の一つも掛けてもらへたら、私はそれで満足なのですよ。」
「つまらない事を言ふ。そらぞらしい。もういい加減あきらめてゐるかと思つたら、まだ、そんなきまりきつた泣き言を並べて、局面転換を計らうとしてゐる。だめですよ。お前の言ふ事なんざ、みんなごまかしだ。その時々の安易な気分本位だ。おれをこんな無口な男にさせたのは、お前です。夕食の時の世間話なんて、たいていは近所の人の品評ぢやないか。悪口ぢやないか。それも、れいの安易な気分本位で、やたらと人の陰口をきく。おれはいままで、お前が人をほめたのを聞いた事がない。おれだつて、弱い心を持つてゐる。お前にまきこまれて、つい人の品評をしたくなる。おれには、それがこはいのだ。だから、もう誰とも口をきくまいと思つた。お前たちには、ひとの悪いところばかり眼について、自分自身のおそろしさにまるで気がついてゐないのだからな。おれは、ひとがこはい。」
「わかりました。あなたは、私にあきたのでせう。こんな婆が、鼻について来たのでせう。私には、わかつてゐますよ。さつきのお客さんは、どうしました。どこに隠れてゐるのです。たしかに若い女の声でしたわね。あんな若いのが出来たら、私のやうな婆さんと話をするのがいやになるのも、もつともです。なんだい、無慾だの何だのと悟り顔なんかしてゐても、相手が若い女だと、すぐもうわくわくして、声まで変つて、ぺちやくちやとお喋りをはじめるのだからいやになります。」
「それなら、それでよい。」
「よかありませんよ。あのお客さんは、どこにゐるのです。私だつて、挨拶を申さなければ、お客さんに失礼ですよ。かう見えても、私はこの家の主婦ですからね、挨拶をさせて下さいよ。あんまり私を蹈みつけにしては、だめです。」
「これだ。」とお爺さんは、机上で遊んでゐる雀のはうを顎でしやくつて見せる。
「え? 冗談ぢやない。雀がものを言ひますか。」
「言ふ。しかも、なかなか気のきいた事を言ふ。」
「どこまでも、そんなに意地悪く私をからかふのですね。ぢやあ、よござんす。」矢庭に腕をのばして、机上の小雀をむずと掴み、「そんな気のきいた事を言はせないやうに、舌をむしり取つてしまひませう。あなたは、ふだんからどうもこの雀を可愛がりすぎます。私には、それがいやらしくて仕様が無かつたんですよ。ちやうどいい案配だ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまつたのなら、身代りにこの雀の舌を抜きます。いい気味だ。」掌中の雀の嘴をこじあけて、小さい菜の花びらほどの舌をきゆつとむしり取つた。
 雀は、はたはたと空高く飛び去る。
 お爺さんは、無言で雀の行方を眺めてゐる。
 さうして、その翌日から、お爺さんの大竹藪探索がはじまるわけである。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 毎日毎日、雪が降り続ける。それでもお爺さんは何かに憑かれたみたいに、深い大竹藪の中を捜しまはる。藪の中には、雀は千も万もゐる。その中から、舌を抜かれた小雀を捜し出すのは、至難の事のやうに思はれるが、しかし、お爺さんは異様な熱心さを以て、毎日毎日探索する。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 お爺さんにとつて、こんな、がむしやらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かつたやうに見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされてゐた何物かが、この時はじめて頭をもたげたやうにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にゐながら、他人の家にゐるやうな浮かない気分になつてゐるひとが、ふつと自分の一ばん気楽な性格に遭ひ、之を追ひ求める、恋、と言つてしまへば、それつきりであるが、しかし、一般にあつさり言はれてゐる心、恋、といふ言葉に依つてあらはされる心理よりは、このお爺さんの気持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探した。生れてはじめての執拗な積極性である。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 まさか、これを口に出して歌ひながら捜し歩いてゐたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのやうにひそひそ囁き、さうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その変てこな歌ともお念仏ともつかぬ文句が一歩一歩竹藪の下の雪を蹈みわけて行くのと同時に湧いて出て、耳元の風の囁きと合致する、といふやうな工合ひなのである。
 或る夜、この仙台地方でも珍らしいほどの大雪があり、次の日はからりと晴れて、まぶしいくらゐの銀世界が現出し、お爺さんは、この朝早く、藁靴をはいて、相も変らず竹藪をさまよひ歩き、
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 竹に積つた大きい雪のかたまりが、突然、どさりとお爺さんの頭上に落下し、打ちどころが悪かつたのかお爺さんは失神して雪の上に倒れる。夢幻の境のうちに、さまざまの声の囁きが聞えて来る。
「可愛さうに、たうとう死んでしまつたぢやないの。」
「なに、死にやしない。気が遠くなつただけだよ。」
「でも、かうしていつまでも雪の上に倒れてゐると、こごえて死んでしまふわよ。」
「それはさうだ。どうにかしなくちやいけない。困つた事になつた。こんな事にならないうちに、あの子が早く出て行つてやればよかつたのに。いつたい、あの子は、どうしたのだ。」
「お照さん?」
「さう、誰かにいたづらされて口に怪我をしたやうだが、あれから、さつぱりこのへんに姿を見せんぢやないか。」
「寝てゐるのよ。舌を抜かれてしまつたので、なんにも言へず、ただ、ぽろぽろ涙を流して泣いてゐるわよ。」
「さうか、舌を抜かれてしまつたのか。ひどい悪戯をするやつもあつたものだなあ。」
「ええ、それはね、このひとのおかみさんよ。悪いおかみさんではないんだけれど、あの日は虫のゐどころがへんだつたのでせう、いきなり、お照さんの舌をひきむしつてしまつたの。」
「お前、見てたのかい?」
「ええ、おそろしかつたわ。人間つて、あんな工合ひに出し抜けにむごい事をするものなのね。」
「やきもちだらう。おれもこのひとの家の事はよく知つてゐるけれど、どうもこのひとは、おかみさんを馬鹿にしすぎてゐたよ。おかみさんを可愛がりすぎるのも見ちやをられないものだが、あんなに無愛想なのもよろしくない。それをまたお照さんはいいことにして、いやにこの旦那といちやついてゐたからね。まあ、みんな悪い。ほつて置け。」
「あら、あなたこそ、やきもちを焼いてゐるんぢやない? あなたは、お照さんを好きだつたのでせう? 隠したつてだめよ。この大竹藪で一ばんの美声家はお照さんだつて、いつか溜息をついて言つてたぢやないの。」
「やきもちを焼くなんてそんな下品な事をするおれではない。が、しかし、少くともお前よりはお照のはうが声が佳くて、しかも美人だ。」
「ひどいわ。」
「喧嘩はおよし、つまらない。それよりも、このひとを、いつたいどうするの? ほつて置いたら死にますよ。可哀想に。どんなにお照さんに逢ひたいのか、毎日毎日この竹藪を捜して歩いて、さうしてたうとうこんな有様になつてしまつて、気の毒ぢやないの。このひとは、きつと、じつのあるひとだわ。」
「なに、ばかだよ。いいとしをして雀の子のあとを追ひ廻すなんて、呆れたばかだよ。」
「そんな事を言はないで、ね、逢はしてあげませうよ。お照さんだつて、このひとに逢ひたがつてゐるらしいわ。でも、もう舌を抜かれて口がきけないのだからねえ、このひとがお照さんを捜してゐるといふ事を言つて聞かせてあげても、藪のあの奥で寝たまま、ぽろぽろ涙を流してゐるばかりなのよ。このひとも可哀想だけれども、お照さんだつて、そりや可哀想よ。ね、あたしたちの力で何とかしてあげませうよ。」
「おれは、いやだ。おれはどうも色恋の沙汰には同情を持てないたちでねえ。」
「色恋ぢやないわ。あなたには、わからない。ね、みなさん、何とかして逢はせてあげたいものだわねえ。こんな事は、理窟ぢやないんですもの。」
「さうとも、さうとも。おれが引受けた。なに、わけはない。神さまにたのむんだ。理窟抜きで、なんとかして他の者のために尽してやりたいと思つた時には、神さまにたのむのが一ばんいいのだ。おれのおやぢがいつかさう言つて教へてくれた。そんな時には神さまは、どんな事でも叶へて下さるさうだ。まあ、みんな、ちよつとここで待つてゐてくれ。おれはこれから、鎮守の森の神さまにたのんで来るから。」
 お爺さんが、ふつと眼の覚めたところは、竹の柱の小綺麗な座敷である。起き上つてあたりを見廻してゐると、すつと襖があいて、身長二尺くらゐのお人形さんが出て来て、
「あら、おめざめ?」
「ああ、」とお爺さんは鷹揚に笑ひ、「ここはどこだらう。」
「すずめのお宿。」とそのお人形さんみたいな可愛い女の子が、お爺さんの前にお行儀よく坐り、まんまるい眼をぱちくりさせて答へる。
「さう。」とお爺さんは落ちついて首肯き、「お前は、それでは、あの、舌切雀?」
「いいえ、お照さんは奥の間で寝てゐます。私は、お鈴。お照さんとは一ばんの仲良し。」
「さうか。それでは、あの、舌を抜かれた小雀の名は、お照といふの?」
「ええ、とても優しい、いいかたよ。早く逢つておあげなさい。可哀想に口がきけなくなつて、毎日ぽろぽろ涙を流して泣いてゐます。」
「逢ひませう。」とお爺さんは立ち上り、「どこに寝てゐるのですか。」
「ご案内します。」お鈴さんは、はらりと長い袖を振つて立ち、縁側に出る。
 お爺さんは、青竹の狭い縁を滑らぬやうに、用心しながらそつと渡る。
「ここです、おはひり下さい。」
 お鈴さんに連れられて、奥の一間にはひる。あかるい部屋だ。庭には小さい笹が一めんに生え繁り、その笹の間を浅い清水が素早く流れてゐる。
 お照さんは小さい赤い絹布団を掛けて寝てゐた。お鈴さんよりも、さらに上品な美しいお人形さんで、少し顔色が青かつた。大きい眼でお爺さんの顔をじつと見つめて、さうして、ぽろぽろと涙を流した。
 お爺さんはその枕元にあぐらをかいて坐つて、何も言はず、庭を走り流れる清水を見てゐる。お鈴さんは、そつと席をはづした。
 何も言はなくてもよかつた。お爺さんは、幽かに溜息をついた。憂鬱の溜息ではなかつた。お爺さんは、生れてはじめて心の平安を経験したのだ。そのよろこびが、幽かな溜息となつてあらはれたのである。
 お鈴さんは静かにお酒とお肴を持ち運んで来て、
「ごゆつくり。」と言つて立ち去る。
 お爺さんはお酒をひとつ手酌で飲んで、また庭の清水を眺める。お爺さんは、所謂お酒飲みではない。一杯だけで、陶然と酔ふ。箸を持つて、お膳のたけのこを一つだけつまんで食べる。素敵においしい。しかし、お爺さんは、大食ひではない。それだけで箸を置く。
 襖があいて、お鈴さんがお酒のおかはりと、別な肴を持つて来る。お爺さんの前に坐つて、
「いかが?」とお酒をすすめる。
「いや、もうたくさん。しかし、これは、よいお酒だ。」お世辞を言つたのではない。思はず、それが口に出たのだ。
「お気に召しましたか。笹の露です。」
「よすぎる。」
「え?」
「よすぎる。」
 お爺さんとお鈴さんの会話を寝ながら聞いてゐて、お照さんは微笑んだ。
「あら、お照さんが笑つてゐるわ。何か言ひたいのでせうけれど。」
 お照さんは首を振つた。
「言へなくたつて、いいのさ。さうだね?」とお爺さんは、はじめてお照さんのはうを向いて話かける。
 お照さんは、眼をぱちぱちさせて、嬉しさうに二三度うなづく。
「さ、それでは失礼しよう。また来る。」
 お鈴さんは、このあつさりしすぎる訪問客には呆れた様子で、
「まあ、もうお帰りになるの? こごえて死にさうになるまで、竹藪の中を捜し歩いていらして、やつとけふ逢へたくせに、優しいお見舞ひの言葉一つかけるではなし、――」
「優しい言葉だけは、ごめんだ。」とお爺さんは苦笑して、もう立ち上る。
「お照さん、いいの? おかへししても。」とお鈴さんはあわててお照さんに尋ねる。
 お照さんは笑つて首肯く。
「どつちも、どつちだわね。」とお鈴さんも笑ひ出して、「それぢやあ、またどうぞいらして下さいね。」
「来ます。」とまじめに答へ、座敷から出ようとして、ふと立ちどまり、「ここは、どこだね。」
「竹藪の中です。」
「はて? 竹籔の中に、こんな妙な家があつたかしら。」
「あるんです。」と言つてお鈴さんは、お照さんと顔を見合せて微笑み、「でも、普通のひとには見えないんです。竹藪のあの入口のところで、けさのやうに雪の上に俯伏していらしたら、私たちは、いつでもここへご案内いたしますわ。」
「それは、ありがたい。」と思はずお世辞で無く言ひ、青竹の縁側に出る。
 さうしてまた、お鈴さんに連れられて、もとの小綺麗な茶の間にかへると、そこには、大小さまざまの葛籠つづらが並べられてある。
「せつかくおいで下さつても、おもてなしも出来なくて恥かしう存じます。」とお鈴さんは口調を改めて言ひ、「せめて、雀の里のお土産のおしるしに、この葛籠のうちどれでもお気に召したものをお邪魔でございませうが、お持ち帰り下さいまし。」
「要らないよ、そんなもの。」とお爺さんは不機嫌さうに呟き、そのたくさんの葛籠には目もくれず、「おれの履物はどこにあります。」
「困りますわ。どれか一つ持つて帰つて下さいよ。」とお鈴さんは泣き声になり、「あとで私は、お照さんに怒られます。」
「怒りやしない。あの子は、決して怒りやしない。おれは知つてゐる。ところで、履物はどこにあります。きたない藁靴をはいて来た筈だが。」
「捨てちやひました。はだしでお帰りになるといいわ。」
「それは、ひどい。」
「それぢや、何か一つお土産を持つてお帰りになつてよ。後生、お願ひ。」と小さい手を合せる。
 お爺さんは苦笑して、座敷に並べられてある葛籠をちらと見て、
「みんな大きい。大きすぎる。おれは荷物を持つて歩くのは、きらひです。ふところにはひるくらゐの小さいお土産はありませんか。」
「そんなご無理をおつしやつたつて、――」
「そんなら帰る。はだしでもかまはない。荷物はごめんだ。」と言つてお爺さんは、本当にはだしのままで、縁の外に飛び出さうとする気配を示した。
「ちよつと待つて、ね、ちよつと。お照さんに聞いて来るわ。」
 はたはたとお鈴さんは奥の間に飛んで行き、さうして、間もなく、稲の穂を口にくはへて帰つて来た。
「はい、これは、お照さんのかんざし。お照さんを忘れないでね。またいらつしやい。」
 ふと、われにかへる。お爺さんは、竹藪の入口に俯伏して寝てゐた。なんだ、夢か。しかし、右手には稲の穂が握られてある。真冬の稲の穂は珍らしい。さうして、薔薇の花のやうな、とてもよい薫りがする。お爺さんはそれを大事さうに家へ持つて帰つて、自分の机上の筆立に挿す。
「おや、それは何です。」お婆さんは、家で針仕事をしてゐたが、眼ざとくそれを見つけて問ひただす。
「稲の穂。」とれいの口ごもつたやうな調子で言ふ。
「稲の穂? いまどき珍らしいぢやありませんか。どこから拾つて来たのです。」
「拾つて来たのぢやない。」と低く言つて、お爺さんは書物を開いて黙読をはじめる。
「をかしいぢやありませんか。このごろ毎日、竹藪の中をうろついて、ぼんやり帰つて来て、けふはまた何だか、いやに嬉しさうな顔をしてそんなものを持ち帰り、もつたい振つて筆立に挿したりなんかして、あなたは、何か私に隠してゐますね。拾つたのでなければ、どうしたのです。ちやんと教へて下さつたつていいぢやありませんか。」
「雀の里から、もらつて来た。」お爺さんは、うるささうに、ぷつんと言ふ。
 けれども、そんな事で、現実主義のお婆さんを満足させることはとても出来ない。お婆さんは、なほもしつつこく次から次へと詰問する。嘘を言ふ事の出来ないお爺さんは、仕方なく自分の不思議な経験をありのままに答へる。
「まあ、そんな事、本気であなたは言つてゐるのですか。」とお婆さんは、最後に呆れて笑ひ出した。
 お爺さんは、もう答へない。頬杖ついて、ぼんやり書物に眼をそそいでゐる。
「そんな出鱈目を、この私が信じると思つておいでなのですか。嘘にきまつてゐますさ。私は知つてゐますよ。こなひだから、さう、こなひだ、ほら、あの、若い娘のお客さんが来た頃から、あなたはまるで違ふ人になつてしまひました。妙にそはそはして、さうして溜息ばかりついて、まるでそれこそ恋のやつこみたいです。みつともない。いいとしをしてさ。隠したつて駄目ですよ。私にはわかつてゐるのですから。いつたい、その娘は、どこに住んでゐるのです。まさか、藪の中ではないでせう。私はだまされませんよ。藪の中に、小さいお家があつて、そこにお人形みたいな可愛い娘さんがゐて、うつふ、そんな子供だましのやうな事を言つて、ごまかさうたつて駄目ですよ。もしそれが本当ならば、こんどいらした時にそのお土産の葛籠とかいふものでも一つ持つて来て見せて下さいな。出来ないでせう。どうせ、作りごとなんだから。その不思議な宿の大きい葛籠でも背負つて来て下さつたら、それを証拠に、私だつて本当にしないものでもないが、そんな稲の穂などを持つて来て、そのお人形さんの簪だなんて、よくもまあそのやうな、ばからしい出鱈目が言へたもんだ。男らしく、あつさり白状なさいよ。私だつて、わけのわからぬ女ではないつもりです。なんのお妾さんの一人や二人。」
「おれは、荷物はいやだ。」
「おや、さうですか。それでは、私が代りにまゐりませうか。どうですか。竹藪の入口で俯伏して居ればいいのでせう? 私がまゐりませう。それでも、いいのですか。あなたは困りませんか。」
「行くがいい。」
「まあ、図々しい。嘘にきまつてゐるのに、行くがいいなんて。それでは、本当に私は、やつてみますよ。いいのですか。」と言つて、お婆さんは意地悪さうに微笑む。
「どうやら、葛籠がほしいやうだね。」
「ええ、さうですとも、さうですとも、私はどうせ、慾張りですからね。そのお土産がほしいのですよ。それではこれからちよつと出掛けて、お土産の葛籠の中でも一ばん重い大きいやつを貰つて来ませう。おほほ。ばからしいが、行つて来ませう。私はあなたのその取り澄したみたいな顔つきが憎らしくて仕様が無いんです。いまにその贋聖者のつらの皮をひんむいてごらんにいれます。雪の上に俯伏して居れば雀のお宿に行けるなんて、あははは、馬鹿な事だが、でも、どれ、それではひとつお言葉に従つて、ちよつと行つてまゐりませうか。あとで、あれは嘘だなどと言つても、ききませんよ。」
 お婆さんは、乗りかかつた舟、お針の道具を片づけて庭へ下り、積雪を踏みわけて竹藪の中へはひる。
 それから、どのやうなことになつたか、筆者も知らない。
 たそがれ時、重い大きい葛籠を背負ひ、雪の上に俯伏したまま、お婆さんは冷たくなつてゐた。葛籠が重くて起き上れず、そのまま凍死したものと見える。さうして、葛籠の中には、燦然たる金貨が一ぱいつまつてゐたといふ。
 この金貨のおかげかどうか、お爺さんは、のち間もなく仕官して、やがて一国の宰相の地位にまで昇つたといふ。世人はこれを、雀大臣と呼んで、この出世も、かれの往年の雀に対する愛情の結実であるといふ工合ひに取沙汰したが、しかし、お爺さんは、そのやうなお世辞を聞く度毎に、幽かに苦笑して、「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました。」と言つたさうだ。

底本:「太宰治全集第七巻」筑摩書房
   1990(平成2)年6月27日初版第1刷発行
入力:八巻美惠
校正:高橋じゅんや
2000年1月13日公開
2004年2月23日修正
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