現実を、その様々な相互関係、矛盾の内外につき入って具体的に理解する実力、そしてそれらの間に在る自身の居り場所とその意味を把握して生きる力を教養であるとして考えて見ると、今日の日本の新聞は、そういう意味では一般に女性の教養を高める役には大して立っていないのではないかと思う。全体的に見て、今日の新聞そのものの性質が、明治初年の天下の公器としての自由性を失われているのであるから、現象的にニュースの断片を注ぎ込まれ、物価騰貴とその末葉のやりくりを知らされても、事象の本源までは新聞ではとても分らなくなって来ている。
 婦人欄の扱いかたなどは、近頃各紙とも相当苦心の跡が見える。写真の使い方、見出しのつけ方等、時に溌剌とした印象を与えるが、概して記事の範囲、深さは婦人雑誌から遠くも広くもなり難いらしい。昔、婦人欄は主として婦人記者であったけれども、この頃はそういうことが減って大体は男の記者でやられている。婦人欄などの狙っている面白さとそのこととの間に、なにか微妙な関係のあることが感じられるのである。
『読売新聞』夕刊につく重宝欄は、おそらく大抵の女のひとに一応は読まれているであろう。だがああいうものは、教養とは凡そ反対の社会相を反映するものだと思う。今日の世の中で、体裁よい小市民生活をやりくってゆくためには、家庭の女がどんなせっぱつまった事情の裡に追いこまれて来ているか、また、女が真の生活力としての教養を身につける機会がいかに少く困難であるかという社会的条件を語っている。
 身の上相談では、わが身の上の苦しさを訴える女のひとの立場と、それに解答を与える女のひと達の立場とが、相対的に今日おかれている日本の女の社会性の内容、水準等を、おのずから読者の前に披瀝しているのである。読物として各紙が飽きずそれを掲載している理由も、そういうところにあるのだろう。けれども、読者として私たちは屡々しばしば疑問を感じることがある。何故なら、身の上相談の答えというものの十中八九は、率直に云ってお座なりである。解決らしい解決、説明らしい説明は極めて少い。それで質問者が果して納得するものであろうかと、寧ろ不思議にさえ思われる。
 ところが、いつぞや身の上相談の解答のこつについて興味ある言葉をきいた。それは、どうせ身の上相談に訴えて来るような女のひと達は、生活の上に自主性のない、決断力を欠いている人々である、だから余りはっきり社会的にそれを説明したって無駄であるし、また余りきっぱりした処置を示したところで却って喜ばず、新聞社としてもそういう解答は歓迎しない、まあ、当らずさわらずのところで納まるような妥協案を示すのが一番であるという意味であった。
 この言葉は二重に私の心に感じさせるものがあった。身の上相談の解答者となる女の先輩達は、そのことによって或る程度まで自身の社会的名声というようなものをも拡大するのであるが、上述のような世渡りのこつめいたものが必要とされ、結局は、女が同じ女の愚かさで食うということになる。そこには、今日の女の愚かさ低さの上に、その涙の上に資産をつくっている大衆作家の自信ある暮しぶりを眺める時のような、ある心の痛み、憤りがあるのである。
 こういう半面に、「婦人の立場から」等には、素朴な表現や視野の不十分な明確さを示しながら、女として今日の社会に対し一般的に感じられている抗議が、案外健全なものの考え方、観かたの方向を暗示して語られている場合が決して尠くない。
 折々婦人作家たちが、こういう場面で日常の社会問題をとりあげ、女としての土台から直接な気持で批判を行っているのは、今日同年輩の男の作家たちの社会時評とは遠い生活態度と対比して、様々の感想を喚びさまされる。
 その国の進歩的な婦人作家たちが、その文筆活動の総体の何割を、文学以前の生活的な諸問題の究明のために費さなければならないかということで、凡そその国の社会情勢が推しはかれると思う。そして、その必要がどのような自由さで満され得ているかということで、その国の進歩性が推しはかられると思う。その点で、日本は今日の支那よりはおくれているのである。
〔一九三七年五月〕

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「セルパン」
   1937(昭和12)年5月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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