私たちの毎日の生活の間では、文化という言葉と文明という言葉とがある時には同じ内容をもつ表現のようにつかわれている場合があり、そうかと思うと文化文明と二つの文字を重ねてその間におのずから異った意味がふくまれているものとして使われている場合がある。
 文化と文明とは社会生活の現実の中で必ずしも同じものでないのが本来ではなかろうか。文明というと、たとえば十六世紀の日本の文明に二十世紀日本の文明を対比しているように、非常に大づかみにある時代なり社会なりの到達した人智開発の水準を概括して呼べると思う。その場合には、客観的にその社会がある水準に達している文明の恩恵に直接浴していない一群の人々がその社会の内にあることや、その文明のつくられた意味、価値をまるで知らずあるいは知ろうとせず単に生活上の便宜として日常へその成果をとり入れているだけの人々がその社会の大部分をしめているとしても、やはりその社会の文明の程度をいうことはできる。アメリカの文明の程度というとき、ニューヨークの郊外にトタン屑をふき合わせた小舎がけで辛くも生存している失業者たちの生活にテレヴィジョンが入っていないから、という点ではいわれないのである。
 けれども、文化というと、それぞれの文明の諸相が、その社会の各個人たちの精神や感覚にどう作用し、どのようにとり入れられ、それらの総和がどんな本質でその社会へ再び発展的なものとして放射されているかという点にふれてくると思う。それ故文化という面からいえば、前の例をとってアメリカの人たちがそういうトタン屑をふいた小舎で生活しているような人間群を自身の文明社会の内にもっているという事実について、どんな感じをもち、どんな方向でその悲惨を根絶させようとしているか、あるいは平気で自身の満腹に納っているかというような相異が、文化の本質の相異として現れてくる。
 文明と文化との相互的な関係は実に骨肉的であるし、おどろくべく複雑だと思う。婦人の生活、婦人の文化的な創造力の消長というようなものも、基本はここに根ざして、深刻多面な姿を示している。
 過去の長い人類文化の歴史のなかで、婦人の創造力が発揮された面というと、それにつれては芸術的な領野が思い浮べられ、特に音楽、文学、演劇の上に示された業績が考えられる。音楽といっても第一位が声楽家たちであり、楽器の演奏家たちがそれにつづいているのであって、ヨーロッパの音楽史はあれほど幾多の卓抜なプリマドンナの名を記しながら、婦人の作曲家というものはほとんど一人もその頁のなかに止めていない。婦人指揮者というものは、やっとこの頃その初歩的な歩みを公衆の前に現したばかりである。婦人の才能が、一番歴史的に発揮されている音楽の領分においてさえ、その芸術貢献の道が、主として自然発生の女性という性の声楽の美と、その美にふさわしい一箇の喉笛にかかっているというのは、文化の問題として何を語っていることであろうか。
 文学の分野では、日本古典の中にも何人かの婦人たちのかがやかしい足跡がある。詩歌と小説随筆とが、彼女たちの活躍の領域であって、文学評論の古典で、婦人の手になったというものはのこされていない。この点も今日の私たち女にはいろいろと考えさせる何ものかを含んでいると思われる。
 演劇にしろ、彼女たちが光彩を放ったのは常に演技者としてであり劇作家としてではなかった。すでに創られているものをその感受性と表現の力によって再現してゆく、そこに新しい命を与えてゆくことにほとんど限られていた。これはどういうわけであったのだろう。
 笑い話として、男のひとたちは、文化の創造に際して婦人の特色のように見える以上のような現象の説明に、それは芸術神ミューズたちは女だから男を御贔屓さというけれども、そもそも芸術神を三人とも女性で象徴したことのうちには、神をもわが手でこしらえた男の社会上の優位や、女というものを自分の芸術的欲望の一つの刺戟、鼓舞のための存在としての範囲で見ることにおさまっていた男としての趣好が暗示されているのではなかろうか。
 数学のソーニャ・コ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レフスカヤ、物理のキュリー夫人、経済のローザ・ルクセンブルクなどは科学の世界へ踏み出した稀有な婦人の天稟の典型であるが、婦人の思想家としてのエレン・ケイなどは、今日の歴史の鏡に映るものとして眺めた場合、現実の客観的なつきつめの強さ確かさというよりはむしろ、従来男のひとによって扱われた婦人の性の問題、恋愛、結婚、母と子との問題に対して婦人自身の情緒的な要素を加え、そういう問題にあたってほとばしる女の心の波そのものの主張がより多分の場所を占めた観がある。エレン・ケイの思想が歴史の二つばかり前の時代、世界の善良な心々にひろい反響をよびおこしたにもかかわらず、社会的な実行上の推進や解決への端緒は、彼女の思想的雰囲気からあふれた人々の手によってなされたということも面白い。
 婦人の文化上の創造能力の特質は直感的であり、感性的具体的で、その反面としては恒久性の短いこと、主観的であること、客観性や思意の力に欠けていることがこれまでのあらゆる場合に挙げられて来ているのである。そして、婦人というものはそういう風に生れついているものと我もろとも思うような傾きもあるのだが、はたしてそれは女の生れつきなのであろうか。それとも永年の環境からそういう習性のようなものが根深くあって、それが今日ではさながら本性のようになって見えるのではあるまいか。明日の婦人の創造力成長への課題は主にこの点への究明にかかっていると思われるのである。
 日本の婦人の生活と文化の問題も、この頃は右のような点できわめて複雑なあらわれを示していると思う。たとえば昭和十四年度の日本文学の総決算を一読した人々は、そこに本年度の特徴として、婦人作家の活動という一項があったことに注目されたろうと思う。とにかく明治以来の文学史であまり前例のない数の婦人作家たちが文壇に作品を送りその評価を問うたのであったが、それはただちに日本婦人の文化の能力がこの何年間かに異常に高められて来た結果であるといい得るものだろうか。少くとも日本の今日の文学のありようとの関係でみれば、それらの総決算の筆者たちがみな一様にふれている如く、婦人作家擡頭も決して単純なものではない。現代の文学は、世相の激動につれて非常に動揺し、ある意味では文学としての基準を失い、男の作家たちの多数が、卑俗に政治化したり、非文学的な著述業に堕したり、自身の文学的境地打開のための輾転反側に陥った。文学は一見隆盛であって、しかもその実質は低められもしあるいは亀裂が入り、あるいは一新の前の薄闇におかれている。よかれあしかれ、男の作家のもつ社会性のひろさ、敏感さ、積極性がそういう文学上の混乱を示しているのであるが、婦人作家たちの多くは、そういう危険に我とわが身、わが芸術を曝すだけの社会感覚をもたず芸術至上の境地にこもって、身辺のことを熱心に描きつづけているために、変に政治化した作品、非文学的な素材主義にあきたりず文学の香気というものを作品に求める心が、おのずから婦人作家の作品への関心をよびさました。
 そのような現実のいきさつを文化の問題として大局から見たとき、はたして婦人の文化能力の高揚と楽観していい切ることが可能であろうか。私たちはやはり率直に、転換期として今日現れている文化一般の混乱、低下を認めなければならず、いわば婦人作家の擡頭ということも今日までの範囲と質とでは、やはり干潮とともにあらわされた岩の姿として自覚する歴史的な目を求められていると思う。
 この一二年の間に、女の生活の内容は実に変化して、若い婦人で重工業の分野に活動しはじめた数はおびただしいものである。これまでは年期奉公に出されていたような若い農村の娘たちが、どんどん旋盤をつかい、電気穿孔機をつかって精密機械の製作に従うようになった。それらの機械の精巧さ、小学校を出たばかりの女の子でも使えるまで高度に調整され、単純化された分業の過程というものは、少くとも日本の文明のある水準を語るものでなければならないと思う。そのことに疑点を挾むものはおそらく一人もないであろう。
 ところで、文化の問題として見て、そういう機械について働く技術を覚えた農村数十万の娘たちの日常生活の実質が彼女たちの文化の高まりという意味からどのくらい高められ、広められているかということになると、それへの答えは決してやさしい事であるまいと思う。なぜなら、一定の機械を操る技術を覚えたということだけでは、それはまだ彼女たちの身についた文化としての内容をなすにはいたっていないものであるから。文明の進歩した技術に使われる馴れた小さい手となっただけでなく、それが文化の実質となるためには、若い彼女たちがはっきりと自分たちの従っている生産の意義などを自覚し、その技術が自分たちの生活を社会的にどのような方向に動かしているかということについて、ある判断とそれに準じた態度を持って、生活の感情がその技術の近代性にふさわしい近代労働者の感覚にまで成長させられて来なければならない。そのとき初めて、彼女たちは新しい技術とともによりひろい文化創造の可能を身につけたというよろこびに置かれるのである。
 婦人の生産場面への進出は、今日の日本で必要とされ奨励され、婦人の文化の成長の可能のようにいわれてもいるのであるが、大河内正敏氏の著などをよむと、文化の課題として、婦人の内部的成長はどう計画されているかという点で考えさせられるものがある。生産の計量に当っては、田舎の若い単純で素朴な女の子の、長時間単調な労作に耐える能力、家族的な従順さに馴らされている気質、それがそれなりに止めておかれて、それであるからこそ労働の素質として好適と見られている。文化の上から見ればおくれている素質こそ、文明のある操作に便宜であるという、文化と文明とのきわめて微妙なさか立ちの形があらわされているのである。
 これを、先にふれた婦人作家の擡頭という現象と今日の現実のうちで綜合して見わたすとき、日本の婦人が今日にもっていた文化の畸型的な性格の両面というものが、ほうふつと浮彫りになって目の前に浮んでくるようではないだろうか。たとえばここに一人の婦人作家があって、彼女は自分の恋愛についての個人的な経験だけをその限界のなかでしきりに小説に書くばかりで、同じ日本の今日の空の下に働いている若い同胞のよろこび、悲しみ、あるいはそれをさえ溌剌とは表現しない生活のありようというものについて全く無頓着であるとすれば、それは明かに文化の本態の一つの畸型である。逆から見て、働く若い娘たちの感情生活の中心は低俗感傷な映画であって、同じ女が芸術上の貢献をしていようが、科学上の業績を立てていようが、他の星の世界でのことというような状態も、文化の大きい歪みと悲しみとでなければならない。そのような分裂の状態を、真に悲しむべきこととして熱い実感を抱くものが何人あろうかというところに、また文化一般の課題が潜んでもいるのである。
 物資の問題と家計の配慮は、特別女の日常には切実で、そのことでは、一般的な共感におかれているわけだが、文化のこととしてこの間の消息を眺めると、ここにも奇妙な現象がある。女子大学の家政科というようなところで、生計指導のための展覧会を行った。現実の物資の条件をどう理解して、どのような生活設計を立てるべきかという指導を目的としたものであったが、そこに書き出され、物価指数、生計指数として示されている数字は、ほとんどその大部分が古いものであり、やや誇張すれば二年前ぐらいのものであったそうだ。そして、家賃として余り珍しい廉価が記入されていたので、そこを参観した経済専門のある婦人が、東京にこんな家賃の家が実際にありましたろうかと質問したらば、それはあることは在ったのだそうだ。池袋かどこかの隅にたった一軒そういう家があった。それで雀躍して、その統計の土台につかったのだそうであった。しかし、東京のうちに一つか二つという例外の家賃を基礎にしてこれこれで家計は切り盛れる統計として示し得るものであろうか。どうしても、一定の貯金が可能であることを示そうとしてそのような無理がなされているのだそうであった。
 真の文化性、文化に立った婦人の創造力というものは、こういう非合理や非現実に自然な居心地わるさを感じるものだろうと思われる。教育の程度というようなものが、文化の程度や質と一致するといい切れない適切な実例であると思う。教育は彼女たちに物価指数ということを教え、生計指数ということを教え、統計や図表の製作を可能にした。しかし、生きている生活の姿は、一つの先入観となっている目的を達するために歪められて、あるままの条件、そのうちにこそ国民の多数が生きているその条件を、無視してしまっている。そのような悲しき滑稽というべき婦人の非論理性はどこから忍びこむかといえば、窮極にはその図表の製作者たち自身の実際の生計は、その図表の求めている窮屈な総計の枠内に営まれているのではないという現実の隙間からすべりこんで来ているのである。
 彼女たちは、その家政科の学識を駆使して、まず一定の生産的な社会的な勤労に従う男女はどれだけの食餌、どれだけの休養、どれだけの文化衛生費を必要とするか、客観的な標準を立てて、さておのおのの収入総額によってどれだけの不足がどの部分に生じているか、それは今日どんな形で補充されているか、本来ならばこの方法によるべきであろうというところまで示してこそ、リアルな生計図表が社会生活の進歩の方向をとって作られたといえるであろう。
 創造の能力というものはもとより無から有を生じさせる魔力ではなく、必ず素材的な何かはすでにあるのだが、それの模写ではないし、ただのよせあつめの累積でもないし、ましてや、あのものとこのものとの置きかえではない。一と一とを足して二になるという関係ではなくて、そこから新しい質の一を産み出してゆく力が創造の力であると思う。過去の歴史の絵巻が示しているとおり文明があるところまで来てその文明の故にかえって文化を低めるようになる場合、文化の創造力というものは、常にもっとも多難な道を辿るものである。そして、その過程で婦人が負うてゆく文化性というものは、その国の社会の歴史が婦人にもたらしている実に複雑な条件とからみ合いつつ、粒々辛苦の形で護られ、成長させられてゆかねばならない。
〔一九四〇年一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「科学知識」
   1940(昭和15)年1月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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