わたしたちの生活に平和が戻り新しい民主生活の扉が開かれて、二度目の春を迎えることになりました。
 昨年はわたしたち婦人にとって初めての経験である総選挙も行われ、そのほかずいぶん多事な一ヵ年を過しました。そして今日わたしたちがいちばん痛切に感じていることはなんでしょう。世界のなかに新しい日本として生きてゆくために、そしてまたわたしたちの新しい生活を築いてゆくために、婦人の生きかたというものは、もっともっとよく考えられ、よく組織され、大幅に前進しなければならないという痛切な反省であると思います。
 これまでの日本の歴史のなかで、婦人がしおおせてきた役割は非常に大きいものです。またさきごろの戦争の間に、婦人が忍んできたぎせいと、今日までもその傷あとがどんなに深くわたしたちの生活に残されているかということは、すべての人が知っています。
 婦人の自覚ということがいわれ、婦人自身その要求を持っていますけれども、自覚ということばは何を現実のより所としてわたしたちの生活にもたらされるものなのでしょうか。なにをどう自覚することがほんとうの自覚なのでしょうか。婦人問題を語る人は、あまりこの自覚という言葉を、そのものだけで世間にばらまくので、わたしたちはまるで道ばたに焼跡があるように、そしてそれを見なれてしまっているように、自覚という言葉を聞きなれて、しかもほんとうのその内容を知らないまま、ただ口伝えに繰返していると思います。
 自覚という言葉をここに借りて、わたしたちの現実の生きている心持の状態を調べてみると、自覚という言葉を充分知っている若い女性たちが、生活の現実では自覚していないというギャップがあちらこちらに見られます。これはわたしたちの受けた教育の悲劇です。日本の社会のこれまでのしきたりの悲劇です。わたしたちは言葉よりもさきに、言葉で現わされている生活の実質を身につけるということこそ必要なのに。
 若い女性たちの夢は多種多様です。その夢を託す一つのよすがとして、婦人雑誌はどれもこれも争ってけばけばしい表紙をつけてたくさんの服飾写真を載せています。到る処でいろいろな流行歌がうたわれています。アメリカ映画はどんどん入ってきます。銀座の街は植民地の店々のような色彩を溢らせています。そこを歩いている日本の若い女性たちは、目に入りきらないほどの色彩や、現実の自分の生活の内容には一つもじっくり入りこんでいない情景を、グラスのなかの金魚を外から眺めるように眺めて、時間のたつのも忘れ、わずか一杯のあったかいもので楽しもうとする気持を現わして歩きまわります。
 しかし今日のわたしたちの生活にはまず電力節減、燃料不足などという、極めて原始的な困難から始って、温い冬の靴下がないという困難にまで及んでいます。どんな人でもくさくさすればそこから自分の心持を紛らすことを望みます。どんな若い人が自分の青春が貧困であることを願っているでしょう。けれども、毎日が、そして現実が不如意だからといって、決して自分の生活に作り出すことも出来ず、取り入れることも出来ないものに気をとられて、その気をまぎらしてゆくことが、はたして青春の貧困を満すことでしょうか。そうは思われません。わたしたちはもっと創造的に自分たちの人生を愛し、打ち立てていっていいのだと思います。
 アメリカの最新型のスタイル・ブックが紹介されて、そこには見事なイヴニング・ドレスが華やかな裾を拡げて示されていました。また日本の平面的な顔ではとても冠りこなすことの出来ない、風変りな大帽子などの新型も示されていました。それらが、わたくしたちに異国的な臭いを嗅がすことは嗅がすけれど、それだからといって、わたしたちの生活が一歩でも美しさに近寄れるでしょうか。
 ところがある雑誌には一つの注目すべき小さい数行がありました。それはアメリカの若い大学生や勤労婦人たちは特にそういう人々の生活にふさわしい、よく洗濯のきく丈夫な、色のさめないように特別な染料で染めた服地を持っているということが書かれていました。このことはたった二行か三行の記事であったけれども、わたしたち女の眼を見はらせることだったと思います。同じ一枚のワンピースがほんとうに若い女性の生活をいたわり働く婦人の身だしなみをいたわって、そのように特別に染められた布地で作られているなら、どんなに若い人たちの心の楽しみがふえるでしょう。いろいろな型の切りかえというようなことがいわれるけれども、型を切りかえるまえに布地が破けて、色がさめることをどうしましょう。わたしたちはぜいたくな二着分の布がこの社会で作られるよりも、質素な、そして充分色のさめない若い婦人のための服地が四着分生産されることを希望します。それが現実に作られてゆく美しさの条件です。美しさという言葉は雲のように空を流れているものではありません。それが作られるためのはっきりした根拠がいります。青春の豊かさは、豊かにされるだけの根拠がいります。
 自覚というような言葉を、またここで思い出してみれば、日本にない絹ビロードの夜会服にあこがれ「映画のあの場面ではあの着物のレースがあんな風にひるがえった」とまぼろしを描くよりは、日本に一種類でも、そのように若い人の人生を愛した布地の作られるように希望することこそ、若い自覚の一つの例であろうと思います。
 社会と自分というものは切っても切り離せないものです。家庭が社会から自分を守るものだと思っていた明治や大正の日本の娘たちは、今日若い婦人たちのほとんどすべてがさまざまの経済的事情から職業を持ち、あの混む電車に乗り、さらにあまりりっぱな服装をしていない若い女性は性病撲滅のためという理由によって、警察にとめられて吉原病院で強制的な検診をさえも受けさせられるような屈辱と苦痛を忍んで生きているということを聞いたらば、それが同じ日本にあることと信じかねることでしょう。
 日本の歴史はその悲劇的な進行の道すがら、家庭を極めて防衛力の乏しいものとしてしまいました。親に頼らないということが大正時代の娘のほこりでありました。それは人格の社会的目ざめの一段階として考えられましたけれども、今日ではいくじのない娘が親に頼ろうとしても頼るべき力が親にはないというのが現実になりました。こういう状態では婦人の勤労というものが一そう社会的に大きい意味を持ってきて、組合が男子の賃金の三分の一で、あるいは半分で働く婦人の地位を改善させようと努力を繰返していることなどは全く当然のことになりました。
 憲法が基本的人権といっている、その人権も勤労と生存のすべての条件が人間らしく守られているときにこそはじめて実際の人間として確立されるものです。民法が改正されて、結婚の自由も、財産に対する権利も、母親の親権も増大しました。しかし文字の上での権利が増大したとしても、自由が与えられたとしても、結婚して一家を持ってゆくだけの収入が若い二人に確保されていない時、住むに家のないとき、親たちの扶養してゆかなければならない義務が、戦死した男の兄弟たちに代って若い妻の肩にかけられているようなばあい、自由ということはなんでしょう。この間新聞に、通称ママといわれる売笑婦が焼跡の空きビルで屍体となって発見されたという記事がありました。世界には有名なゾラの小説でナナという売笑婦がありました。ミミという売笑婦もいました。ルルという女もいます。同じ字を二つ重ねた売笑婦の愛嬌のある呼び名は、世界にどっさりあります。けれども、母親という――ママという通称の売笑婦があったことは聞きません。しかしそれはわたしどものこの日本の東京にあって、そして殺されたのか死んだのか、屍体となって発見されました。その女は三人の子供を持っています。どれも小さい子供のようでした。誰がその子供を食べさせるでしょう。売笑婦は売笑によってその子供を養っていたのです。父親はどうしたのでしょう。逃げたのでしょうか。戦が多くの男を殺しているのですから殺された男の中に入っているかも知れません。
 あの朝の新聞を何千人の婦人たちが見たか知らないけれども、通称ママの死はわたしたちに深い深い感銘を与えます。自分の人生からこのようなママであるママを否定します。この日本にこのようにして子供の母親であるママが生きなければならないということも否定します。否定しうる条件がこの社会に作られなければなりません。みんながこのことに無関係ではないのですから。
 婦人代議士たちは立候補したときなんど繰返して「女は女のために」といったでしょう。わたしたちはこの言葉を少しちがえて考えたいと思います。「女は女のために」というような一段高いところからおためごかしのことをいうほど、わたしたち日本の婦人の生活は安易なものではありません。すべての婦人がほんとうに自分たちのために、ほんとうに自分たちの未来の幸福のために、生活の細目にわたって充分理解し社会との関係を掴み、そこで発展的に問題を解決してゆく鍵を見出す本気の心持がわいてきていると思います。
 自覚というようなことは虹ではありません。あるとき降った夕立のあとに暫くは美しく空にかかるだけのものではありません。自覚という言葉は教会の鐘の音でもありません。いろいろな折に鳴りひびいて、そして消えるだけの鐘の音ではありません。それはわたしたちの鼓動のようなものでしょう。わたしたちのなかにあります。そしてわたしたちを活かし、わたしたちの血液を運び人生に不抜の根柢を与えてゆく、その心臓のようなものであろうと思います。生きてゆくことがいつも自分にわかっている。何をしようとしているかということが自分にわかっている。このことをすればそれはどういう結果になるかということが自分にわかっていること、それが自覚です。
 今年は昨年の様々な経験を生かして、新しい年をより充実してゆきたいと思うのは、わたし一人ではないでしょう。
 人間が犬と猫とでないことは、経験をわたしたちの理性のなかに取り入れて、そこから生れる新しい判断で新しい一歩を踏み出せるというところにあります。「雄々しい女性」というものは鉢巻をした女性ではありません。現実に対してはっきりと視線を向けることの出来る心を持った女性のことです。美しさの一つの要素に欠くことの出来ないものは、雄々しさです。わたしたちが若い女性として美を愛するならば精神の美としての雄々しさを見失うことは出来ないと思います。わたしたちの眼がぱっちりと見ひらかれないで、睫がやにで半分閉されているようなとき、その眼を美しくするために冷たい水でもって眼をお洗いなさいというようなことを美容法では忠告しています。清新な眼を見ひらいた美しい匂やかなまなざしを、わたしたちは自分に持ちたいと思います。自覚は、生きてゆき、建設してゆく喜びそのものになってくることが期待されます。
〔一九四七年五月〕

底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「女性展望」
   1947(昭和22)年5月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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