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 私は平生へいぜい他人の議論を読むことの好きな代りに自ら議論することを好まない。議論にはかなり固定した習性がある。即ち議論には論理を一般人の目に見えるように操縦せねばならぬ。また議論の質を表現するのが目的であるにかかわらず、量的にくどくどと細箇条を説明せねばならぬ。それが私に不得手な事であるのみならず、私自身の表現としてははんとに堪えない。それからまた網を作るに忙しくて肝腎の魚を忘れるような場合さえある。むしろ世間の議論の大部分はこの最後の物に属している。私はそれがいとわしい。私はロダン先生の議論――先生においては家常の談話――が常に簡素化され結晶化された無韻詩の体であるのを、私の性癖から敬慕している。私のここに書く物も私の端的な直観を順序に頓着とんじゃくしないで記述する外はない。

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 私の過去十二、三年間の生活は、じっとしていられずに内から外へ踊って出るような生活であった。私は久しくまぶしい叙情詩的の気分に浮き立っていた。しかし今は反対に外から内へかえって自分の堅実な立場を踏みしめながら、周囲を自分の上に引き附けて制御したいと思うような生活が開けて来た。以前は内から蒸発する熱情と甘味とを持て余し、自分一人ではいたたまらずに誰にでももたれ掛りたいような気持でいたのに、今は静かな独自の冥想めいそうに無限の愛と哀愁と力とを覚えて、外界の酷薄な圧迫を細々ながらこの全身の支柱に堪えて行こう、更にまた出来ることなら外界を少しでも自分の手の下できたえ直して見たいというような気持になっている。

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 上の空でなくて、真剣に、実際に、そして溌剌はつらつとして生活しようとする時、人は皆倫理的になる。倫理は人生の律である。実際の行進曲である。人生の楽譜や図解であってはならない。学問や教育を職業とする人々の口にする倫理が我々の実際生活に何の用をもなさないのは当然である。命と肉と熱とを備えた倫理は我々の生活その物であるから。

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 生活は季節を択ばずに発芽と開花と結実とを続けて行く。新しいことは真の生活のすがたである。既に生活が不断に移って行く以上、私たちの倫理観もまた不断に移らねばならない。永久の真理というものを求めることの愚は琴柱ことじにかわするにひとしい。永久の真理というような幽霊に信頼して一方のみを凝視している人が、刻々に推移する人生に対して理解もなく判断も出来ず、自分が人生の本流に乗ることを忘れ時代の競走に落伍していながら、かえって反感と否定とを以て世の澆季ぎょうきののしったりもするのである。

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 永久の真理のないと共に万人に共通する真理もないと私は想う。時間と空間を通じて固定した真理を求めることが実際の人生と相容れぬという不都合のあることに気が附かなかったために、過去の世界が煩悶はんもんと懐疑と沮喪そそうとに満たされ、在来の哲学と宗教と道徳とが現代に権威を失うに到ったのではないか。例えば「二夫にまみゆべからず」という客観的の倫理を建ててこれを婦人の生命――生活の中枢――とすることをいたのが従来の貞操倫理である。何故なにゆえに二夫にまみえてならないかという説明を附せず、無条件にこの倫理に従わしめようとした点において、先ずこの倫理は人間の意志を無視することの残虐をあえてしている。

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 貞操倫理は愛情と性欲とにわたる問題である。詳しくいえば個人の体質と、天分と、教育と、境遇と、霊性と、性欲と、好悪と、年齢とに関係する問題である。そしてそれらの者が人に由って異っている以上、億兆の人の生活を一片の既定した貞操倫理で律することの出来ないのは明白である。或女は一夫にまみえることすら自己の清浄を破るものとして全く結婚を嫌っているかも知れぬ。或女は愛情と性欲の自発がないために全く結婚を望んでいないかも知れぬ。或女は既に結婚していてもその結婚に種々の理由から満足していないかも知れぬ。或女は一人の異性を愛するだけでそれ以外の要求を持っていないかも知れぬ。或女は一人の男性を愛し合うこと以外の性交は自己の生活の中枢である愛情を濁す行為とし、貞操を自己の愛情の象徴として厳粛に擁護しようとするかも知れぬ。――私自身の貞操観が現にそれである――また或女は多数の男子に性欲観があって貞操観がないように、貞操ということを自己の生活の上にそれほど重大な問題であるとは考えず、極めて冷淡に取扱っているかも知れぬ。また或女は無情と酷薄とを極めた旧道徳に対する反感から殊更ことさらに貞操を眼中に置かないという風な矯激の思想を持っているかも知れぬ。
 外から一律に万人へかぶせる無理な倫理に愛想をつかして、個人が内から思い思いに実際生活の要求に迫られて随時随処に建てる自然の倫理を推重すいちょうする私は、貞操についても先ず何より個人のその時時の自由な併せて聡明な実行に任せることを望む者である。

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 私は特に「自由に併せて聡明な実行」という。真の生活は実行より外にない。そして実行は自由であると共に聡明でなくては失敗する。ここに「失敗する」というのは社会上の成功不成功をいうのでなくて、個人の生活意志の破滅することを言うのである。内省した自我の上に不充実と不満足とのくいを招くに到ることを言うのである。

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 既に貞操が婦人の生活の中枢生命であるとせられた時代は過ぎた。そして如何に質朴な民衆の上に神権主義の道徳が圧力を持っていた時代でも、実際に全婦人をその貞操倫理の金科玉条で司配しはいすることは出来なかった。二夫にまみえた女は地上到る処の帝王の家にもあった。女の再婚は大抵やむをえない事として現に寛仮かんかせられ、もしくは正当の事としてその父兄が強いるほどである。殊に貞操道徳の制定者である男子が好んで多数の女子の貞操を破ることが普通の現象でさえある。今の男子の多数はそういう不倫な祖先から生れ、もしくはそういう不倫な女の父兄であり、配偶者であり、縁者であり、友である。如何に死を嫌っても世に死者を出さなかった一族のない如く、真に人間を愛する人なら、最早貞操一点張りを以て女を責めるに忍びないはずである。

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 私はピカデリイやグラン・ブルヴァルの繁華な大通で、倫敦ロンドン人や巴里パリイ人の車馬と群衆とが少しの喧囂けんごうも少しの衝突もせずに軽快な行進を続けて行くのを見て驚かずにいられなかった。そして自由に歩む者は聡明な律を各自に案出して歩んで行くものであるということを知った。

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 私は貞操倫理のみならず、一般に従来の他律的倫理は現代の生活に害こそあれ用をなさないものであると思う。こういえばとて私は女子の不貞不倫を肯定するのでは更々さらさらない。私などは現に自分一個の貞操について保守主義者中の保守主義者であると評せられても笑って甘諾かんだくする位に厳粛な実行の日送りをしている。私は自分の肉を二、三にすることを非常に不純不潔なことだと思って、そういうことを想像するさえ甚しい悪感と全身の戦慄せんりつとを覚える。私の生活はこれを世の強者――天才の生活に比ぶれば勿論弱者の生活である。私は世の戦いに自分の牙城がじょうを奪われることがあっても、是非あくまでも死守しようと思っている本城がある。そして私の貞操はその本城の一部であると思っている。しかしそれは私個人の倫理である私自身のために建てた私の律である。私は自分の建てた自分のための倫理を尊重すると同時に、他の個人の建てた倫理を尊重したい。そしてそれがお互に自由と聡明とを備えた実行の律でありたい。そのような実行の律を自ら建てて行く人こそ官学の教育を受けなくても、美衣を着けていなくても尊敬すべき時代の優良階級である。

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 新しい生活の律は各自の実際生活の直感と、経験と、反省と、研究と、精錬とから産み出される。貞操の如きも婦人が各自に聡明である以上、それが実際問題として自分に迫って来た時、何とか自分から積極的にその問題との交渉を片附け得られるはずである。愛情や性欲の先駆と見るべき異性に対する好奇心すら自発していない少女に早くも貞操を注入するような教育が何の益になろう。私は教育者に向っては、貞操というような実際生活の細目を一律に説くことの無駄な骨折を避けて、その代りに貞操ばかりでなく、どの実際問題に出会っても惑わず、沮喪そそうせず、妥協せずに、自分自身に最善を尽した生活律を建て得る「自由」と「聡明」の精神を養わせる教育につとめて欲しいと思う。また私は学者に向っては、婦人が貞操のような実際問題に出会った時の参考資料として、実際生活に対する研究の過程と結論とを常に提供して欲しいと思う。そして私たち婦人はまた自分の実際問題として研究の要求を生じた場合に初めて研究して差支さしつかえのないことである。世の中のあらゆる問題は直接自分の実際生活に必要の切迫した時にのみ重大問題なのである。飢えている時は花より団子が我身に切実な重大問題であるのに、如何なる場合にも団子より花が大切だ、上品だというような融通のかない迷信があるので、どれだけ人生の健かな発達を阻害しているか知れない。

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 私は学者の議論が直ぐに人類全体の実際生活を改造することに役立つものであるような誤解を近頃までしていた。そして実際に役立つものでなくては最早現代の学問ではないように誤解していた。しかし学者は人生または自然の一方を常に凝視して未知の新事業を発見することに努力し、永遠の時を少しでも早く手繰たぐり寄せて現代の生活に貢献しようとしているものである。学者は永遠の中に住んでいる。現代に住んで現代を超越しているのが学者の境地である。芸術家もまた同様の境地にいる永遠の子である。学者や芸術家の事業には勿論そのまま現代の幸福となる種類のものもないではないが、常に永遠の上に一方を凝視して得た思想である以上、それが局限せられた当面の時と、智識の度の千差万別である現代の全人類とに皆が皆適用しがたいのは当然である。私は学者や芸術家を尊敬する。しかし学者や芸術家の思想からその現代に実行し得るものだけを選択して自己の生活の改造に資するのは我々自身の自由であり、喜びであると思っている。

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 学者や芸術家はその純粋を保とうとするほど、恐らく局限せられた実際社会の改造に指を染めてはなるまい。かの人たちも一面には我々と同じ現代の一人である以上現代を最も多く眼中に置くことは勿論であるが、現代のために永遠を犠牲にしてはならない。現代の改造に熱中すれば恐らく失敗するであろう。学者や芸術家がその純粋の自我を毀損きそんしないで現代の紛々たる俗争の間に立ち得るとはどうしても想われない。私はオイッケンのような学者やハウプトマンのような芸術家が今度の戦争の牽強けんきょう弁疏べんそ独逸ドイツのためになさねばならなかったのを気の毒に思っている。そしてまた私はベルグソンがその哲学を仏蘭西フランスの政治問題や社会問題に直ちに適用しようとする様子のないということを聞いて大哲学者の聡明を奥ゆかしく想っている。

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 学者や芸術家とちがって、政治家、教育家、社会改良家、新聞雑誌記者などの生活は、天才の新思想に刺戟しげきせられて常に驚異に全身を若返らせながら、自己のややもすれば一本調子に固定しようとする生活を改造する資料として、その天才の新思想の中から或選択を試みることを断えず心掛けねばならぬ。それは我々普通人も同じことである。だ前者にあっては自己の生活を改造した上に、更にそれを公人として当面の政治問題、教育問題、社会問題の改造に適用しようとする対他的実行が伴わねばならぬ。私は大隈おおくま党の実際政治にも政友会の政治意見にも、ベルグソンやロダンの現代思想と更に一点の共鳴する所さえ認めることの出来ないのを口惜くやしく思う。そして我々現代の若い婦人が芸術を透した欧洲現代の新思想に感激しながら一切の問題を個性の権威に即して判断しようとする大勢を作り出したことに対して、なお空疎な旧日本の他律的倫理を以て威圧しようとしている教育家、社会改良家の大多数を気の毒に思う。

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 私は二十歳はたち過ぎまでふるい家庭の陰鬱いんうつと窮屈とを極めた空気の中にいじけながら育った。私は昼の間は店頭みせさきと奥とを一人で掛け持って家事を見ていた。夜間のわずかな時間をぬすんで父母の目を避けながら私の読んだ書物は、いろんな空想の世界のあることを教えて私を慰めかつ励ましてくれた。私は次第に書物の中にある空想の世界に満足していられなくなった。私は専ら自由な個人となることを願うようになった。そして不思議な偶然の機会から殆ど命掛けの勇気を出して恋愛の自由をち得たと同時に、久しく私の個性を監禁していた旧式な家庭のおりからも脱することが出来た。また同時に私は奇蹟のように私の言葉で私の思想を歌うことが出来た。私は一挙して恋愛と倫理と芸術との三重の自由を得た。それは既に十余年前の事実である。
 その以後の私に更にまたいろいろの自由を要望する意識が徐々としてきざして来た。低落した女性の位地を男子と対等の位地にまで恢復かいふくすることはその随一の欲望であった。
 そこで私は様々の妄想や誤解をいだいた。古今のまれに見る天才婦人や、欧洲の近代文学に現れた自由思想家の理想的仮設人物である優秀な女主人公やを標準にして、或努力次第で一躍すべての女性が――私自身も――男子と対等な利権を得られそうにさえ思われた。表面には出さなかったが、心の中では一概に男子の暴虐に反抗したい気分を満たすまで思い詰めたこともあった。

       *

 しかし人知れず久しい内省にふけった後で、私は女性の位地がこんなにまで低落したのは、その原因を男子の横暴にのみ帰しがたいことを知った。女性の頭脳は遠い昔において或進化の途中に低徊ていかいしたまま今日に到った観がある。私は女性が本質的に男子に比して劣弱なものであるとは思わない、しばしば天才婦人の現われるという事実が女性もまた男子と対等に進化し得られる素質を備えていることを暗示しているのであるが、さはいえ古今の一般女子を通じてその直観力の浅さ、その理性の鈍さ、その意志の弱さを思えば、とても男子の対等な伴侶となることの出来ないのは勿論、男子の足手まといとなって悲惨な屈従の生を送らねばならないのは当然女子自身の受くべき応報であった。私は微力を測らずして一躍男子の圧抑からのがれようとするやせ我慢を恥じねばならなかった。私は瞭然はっきりと女性の蒼白そうはくな裸体を見ることが出来た。

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 私は女性の位地を高めようとするには、女性が互に現在の自己の暗愚劣弱を徹底して自覚することがその第一歩であると確信するに到った。私は最近四、五年来その事を筆にして同性の参考に供えたのみならず、先ず出来るだけ私自身を修めることに励んで来た。私は自分の知識欲と創作欲とを私の微力の許す限り充実させることに力めて来た。
 私はまた平安朝の才女たちの生活から暗示を得て、女子の生活の独立は、女子自ら経済上に独立することが重大な一因であると知って世の職業婦人に同情し、婦人の職業が増加して行くのを喜び、教育を受けた若い婦人が進んでそれらの職業に就くという新しい風潮を祝福した。そして私もまた自分の職業を以て一家の経済を便じることに苦心して来た。

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 私は近年欧洲へ旅行するまでは、日本という世界の片隅にいて世界にあこがれている一人の世界の浮浪者であった。日本よりも世界の方がより多くなつかしかった。しかるに欧州の旅行中、到る処で私一人が日本の女を代表しているような待遇を受けるに及んで、最も謙虚な意味で私は世界の広場にいる一人の日本の女であることをしみじみと嬉しく思った。私の心は世界から日本へ帰って来た。私は世界に国する中で私自身に取って最も日本の愛すべきことを知った。私自身を愛する以上は私と私の同民族の住んでいる日本を愛せずにいられないことを知った。そして日本を愛する心と世界を愛する心との抵触しないことを私の内に経験した。

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 欧洲の旅行から帰って以来、私の注意と興味とは芸術の方面よりも実際生活につながった思想問題と具体的問題とに向うことが多くなった。私は芸術上の述作を読む場合にも芸術的趣味のまさったものよりは生活的実感の勝ったものを余計に好むようになった。せわしい中で新聞雑誌の拾い読みをするにも、芸術上の記事を後廻しにして欧洲の戦争問題や日本の政治問題に関連した記事を第一に読むという有様である。
 これは私の心境の非常な変化である。私は最近一両年の間に、日本人の生活を、どの方面からも改造することに微力を添えるのでなければ、日本人としての私の自我が満足しないのをおぼろげに感じるまでに変化しているのであった。
 痴鈍な私は幾多の迷路を迂回して今頃ようやく祖国の上に熱愛をささげる一人の日本人となった。

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 第三十五議会の解散は突如として私の意識を緊張させ、祖国に対する私の熱愛を明らかに自覚させた。否、この度の解散は微弱な私一人のためのみならず、日本人全体のために日本人自らが励声一番した「気を附け」の号令ではなかったか。
 明治の末期このかた、妥協に妥協を重ね、虚偽に虚偽を重ねた日本人の生活は、今までに腐敗の頂点に達して、日本人自ら内部の空虚と外面の醜汚しゅうおとに不満を感じ、誠実に満ちた真剣の生活を無意識に期待している折から、全日本を腐敗させた病毒の府である衆議院の崩壊したことは、独り政界のみならず、あらゆる社会の惰気と腐敗とを一掃して、日本人の生活を積極的に改造する大正維新の転機が到来したことの吉兆きっちょうである気がしてならぬ。国民はこの政界の颶風ぐふう切掛きっかけ瞭然はっきりと目を覚し、全力を緊張させて久しくだらけていた公私の生活を振粛しようとするであろう。議会に多数を制していた政府反対党の人々も、大隈内閣の与党と称せられる人々も、もし一片の良心を存しているなら、今更のように時代の激変に驚いて、国民の前に自分たちの過去の積悪をじ入ると共に摯実しじつな内省の人に帰らざるを得ないであろう。そして時代の腐敗に愛想をつかして常に傍観者の態度を取っていた清節孤痩こそうの憂世家たちも、今は白眼にして冷嘲を事とするようなことなく、正面から真剣に時代の改革者としてたないではいられないであろう。
 私はこんな事を想像して議会の解散にいいようもない痛快を感じたのであった。そして私はこの度の解散をあらゆる手段と努力とを集めて意義あるものにせねばならぬと思った。

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 今は総選挙の日が迫っている。私の注意はしきりにその方へ向く。選挙権を有する男子たちはこれを機会に果してどの程度まで民本主義の精神を発揮し、日本人の政治をかの官僚派と既成政党との少数者から取戻して、真に全日本人の生活意志を代表するに足る優良な新人才の手に託そうとするであろうか。
 私は政府党と政府反対党と中立党とに論なく、すべて党人と称する人々の大多数は、廉恥も識見もない野人でなければ私欲と猾智こうちとに富んだ政商の徒であると思っている。全日本人の生活の一表現である政治を党人と称する彼ら少数の階級の利福の具に供して暴横邪曲を恥とせぬ国民の寄生虫であると思っている。候補者としてこの際立った党人はあらゆる苦肉の計を用いて選挙人の良心と理性とを攪乱かくらんし誘惑しようと試みるであろう。明治の選挙人と大正の選挙人とは大抵同一の人である。同一の選挙人もその思想は時代の急変と共に推移したであろうし、殊に近年の政変と、世界の大戦と、この度の議会解散とが国民の政治的自覚を幾重いくえにも刺戟したことであるから、選挙人が各自の投票権を各自の政見の象徴として厳粛に行使しようとする覚悟は明治時代に比して幾倍か堅実になったであろうと想像されるのであるが、しかしまた同一の選挙人には同一の情実にるいせられる弱点が附きまとって残っていないとも限らないから、私は総選挙の結果がまたまた選挙人の不本意と国民の失望とに終りはしないかということを危むのである。

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 私は政治が最早官僚の政治でも党人の政治でもなくお互日本人の政治であることをしみじみ感じ、そしてこの度の総選挙に出会ってはしなくも英仏その他文明国の急進派婦人が、「選挙権を与えよ」と衷心から叫んでいる事実に理解と同感とを持つことが出来た。個性の自由と生活とを要望する国民にあっては、婦人もまた選挙権を求めるまで真剣にならねばならないはずである。
 英仏の聡明な婦人はともかく、日本の婦人の実力がまだまだ選挙権を要求する程度に達していないのはいうまでもないが、さりとて私は日本の教育ある中年以下の婦人たちが全く政治上に注意を向けていないとは思わない。一般婦人はなお男子に対して一種の奴隷たるに甘んじているほど無智無感覚であるにしても、教育ある婦人で殊に選挙権ある男子の家庭にある婦人たちは時節柄その見聞に由っても政治上の興味をそそられることがないとは限らない。まして世間に婦人の自覚が叫ばれて以来四、五年を経ているから、鈍感な私と違って、くに政治の改造までに個性の自由を延長して考え、政界の腐敗に対して公憤をとどめかねている真成の新しい女たちが其処此処そこここの家庭に人知れず分布されているであろうとも想像されるのである。(私は或階級の自堕落な女が昔から行っている乱行に類似したような放蕩ほうとうあえてして、個性の権威を自覚した女、新生活を建てた女と自負する一部の婦人たちに、英仏の優秀な急進派婦人の光栄である「新しい女」の称を下した批評家の悪戯を不快に思っている。)

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 私はそういう日本の政治その他の近状に公憤をいだいているほどの尊敬すべき婦人たちが多少にかかわらず選挙権ある男子の家庭に現存するものと考えて、その婦人たちに次の希望を寄せたい。
 あなたがたに選挙権はない、しかしあなたがたが古くから日本の婦人に許された「内助」の特権を善用する時が来た。
 あなたがたは党人の間に情実にも悪習にも染んでいない。あなたがたは恋人の心を直感するように敏捷びんしょうに、幼児おさなごを愛するように誠実に、時代の優良な新人物を選択することが出来るはずである。
 あなたがたは選挙権ある男子の母であり、娘であり、妻であり、姉妹である位地から、選挙人の相談相手、顧問、忠告者、監視者となって、優良な新候補者を選挙人に推薦すると共に、情実に迷いやすい選挙人の良心を擁護することが出来る。
 あなたがたの推薦する新候補者が政治家として全くの素人しろうとであることは少しもかまわない。現代の政治が国民の生活を内に充実させると共に世界的に発展させることを目的とする以上、断えず進化する国民の文明と世界の大勢とを透感することに鋭敏であって、国民の生活を自由と誠実との中に改造する切実な意見を持っている優良の士を我々日本人の代表者として議会に送ることを選挙人に激励することが必要である。
 私は候補者の家庭にある婦人たちが選挙運動に花々しく活動する現象を喜ぶものであるけれども、かの婦人たちは自然「わが仏尊し」の偏愛を免れかねて選良の精神にもとる恐れがある。それに比べると選挙人の家庭にあって候補者の優劣を批判しつつ選挙人の権利を擁護する婦人たちはあくまでも公平の見識を保つことが出来る訳である。私はあなたがたが「内助」の特権を巧みに運用して、合理的の選挙を日本の政界に実現せしめる熱心を示されることをひたすら熱望する。

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 日本における婦人団体で最も多数の婦人を包容しているものに愛国婦人会がある。愛国婦人の名は美くしくかつ堂々としている。しかしその多数の会員がどれだけ愛国の意義を自覚していられるかは疑わしい。もし官僚に指揮せられて軍国の際にばかり器械的に公事に動作するに過ぎないようであるなら時代遅れの婦人団体であり、愛国の実が余りに貧弱である。今日において愛国の精神ある婦人は民本主義の上に立って男子の政治道徳を監視するほどの意気と、男子の企てる政界の改造を激励するまでの公憤と実行が伴わねばならぬ。それでなくて愛国をいうのは畢竟ひっきょう大人の女の飯事ままごとではないか。

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 私は選挙人の家庭にある婦人たちになお一つの希望がある。それは代議士候補者としていわゆる優良な新人才の資格を選ぶ一カ条に是非とも婦人に対する素行の端正であることを加えて欲しい。明治維新の元勲と称せられる政治家がことごとくこの点に欠けていた。そして次にきたった代議士という政治家の階級がまた明治元勲の悪風に感化せられて今日に及んだ。東京初めその他の都市において芸妓げいぎという売笑婦の営業が今日のように繁昌はんじょうを極めるに到った根源は彼ら政治家の堕落に由来するのである。重要な政治問題が売笑婦の出入する家で下相談を開かれるというような奇怪な事象を過去四十余年来しばしば繰返して恥じなかった。地方から来る代議士が議会の開期間東京でしょうかかえるというような事は今は何人なんぴとも見て怪まないほどになった。そういう素行の堕落はやがて彼ら旧式政治家の性格の不誠実不謹慎を自白しているものである。そして彼らの素行の堕落がどれだけ世の子女の風儀に悪影響を及ぼしているかは「代議士は芸妓げいしゃを買うものです」と答えた小学生のあるのに由っても想像せられる。私たちは子女のために高く清い教育を施そうとする直接の実際問題から考えても、素行の不潔な男子に一国の政治を託することは危険であると思う。

       *

 私は高い処から物をいわないつもりである。私は何時いつでも我身の分を知って低級な心境から発言しているつもりである。楽堂の片隅に身をせばめながら自分相応の小さな楽器を執って有名無名の多数の楽手が人生をかなでる大管絃楽の複音律シンフォニイかすかな一音を添えようとするのが私のこころざしである。
 けれどそれは私の意識している私自身の志であって、私の個性から無意識に放射している私の自我には、他から見て柄にない自負や虚栄心が醜く現われているかも知れない。私は常にそれを恐れて反省せねばならぬと思い、また出来るだけ反省につとめている。
 私は私の自我を堅実にしたい、新しくしたい、増大したいという希望と、その希望を次第に遂行しつつあるという自信と歓喜とを持っているが、私の現在の内生については何ほどの自負をも持っていない。私に断えず附きまとっているものは自負の反対に立つ不足不備の意識と謙抑羞恥の感情とである。

       *

 しかし私も時として思い掛けない自負を他から激発せられて意識することがある。それは私を理解しない人、もしくは私に反感を持っている人が、私自身に謙抑している以下に私の価値を引下げて私を是非した時のことである。そういう時に私は単純な本能的の怒を覚えると共に私にも私だけのたのむべき価値を備えていることをその人に対して誇りたいような気持になるのである。けれどその気持と怒とは大抵瞬時の後に、よしや長く持続しても一両日の後に煙の如く消えてしまう。そして私の自覚は、私の怒が私の生活に必要なために発する公憤でなくて他人の不誠実と不聡明とに反応する私憤であり、私の自負が私の平生へいぜいに希望している内生の満足を意味するのでなくて、他人に私の微弱な自我をわざと誇張し、見せびらかそうとする痩我慢であるのを深くひそかにじている。
(『太陽』一九一五年一―二月)

底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年8月16日初版発行
   1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「雑記帳」金尾文淵堂
   1915(大正4)年5月初版発行
初出:「太陽」
   1915(大正4)年1月、2月
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2005年1月16日作成
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