その小説は、三回に分れて居りました。
一は、平家物語の作者が、大原御幸のところへ行つて、少しも筆が進まなくなつて、困り果てて居るところで、そのうち、突然、インスピレエシヨンを感じて、――甍破れては霧不断の香を焚き、枢落ちては月常住の灯を挑ぐ――と、云ふところを書くところが、書いてありました。
それから二は、平家物語の註釈者のことで、この註釈者が、今引用した――甍破れては……のところへ来て、その語句の出所などを調べたり考へたりするけれども、どうしても解らないので、俺などはまだ学問が足りないのだ、平家物語を註釈する程に学問が出来て居ないのだと言つて、慨歎して筆を擱くところが書いてありました。
三は現代で、中学校の国語の先生が、生徒に大原御幸の講義をしてゐるところで、先生が、この――霧不断の香を焚き……と云ふやうな語句は、昔からその出所も意味も解らないものとされて居ると云ふと、席の隅の方に居た生徒が「そこが天才の偉いところだ」と、独言のやうに呟くところが書いてありました。
今はその青年の名も覚えて居りませんが、その作品が非常によかつたので、今でもそのテエマは覚えてゐるのですが、その青年の事は、折々今でも思ひ出します。才を抱いて、埋もれてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます。
(大正十五年三月)