あらすじ
芥川龍之介が里見さんと北海道へ講演旅行に出かけました。入場料をとらない聴衆は、どうしても雑多になりがちで、講演後の疲れは相当なものだったようです。しかし、里見さんが講演後のご馳走を断ってくれたおかげで、芥川さんは助かりました。旅の途中で改造社の山本実彦さんから電報が届き、芥川さんは「クルシイクルシイヘトヘトダ」と返信しました。すると市役所から電話がかかってきて、里見さんは「莫迦莫迦《ばかばか》しいよ」と笑ったそうです。講演にはうんざりした芥川さんですが、北海道の風景は美しく、里見さんは旭川でオムレツを食べて感動していました。 僕が講演旅行へ出かけたのは今度里見
君と北海道へ行つたのが始めてだ。入場料をとらない聴衆は自然雑駁になりがちだから、それだけでも可也しやべり悪い。そこへ何箇所もしやべつてまはるのだから、少からず疲れてしまつた。然し講演後の御馳走だけは里見君が勇敢に断つてくれたから、おかげ様で大助かりだつた。
改造社の山本実彦君は僕等の小樽にゐた時に電報を打つてよこした。こちらはその返電に「クルシイクルシイヘトヘトダ」と打つた。すると市庁の逓信課から僕等に電話がかかつてきた。僕は里見君のラジオ・ドラマのことかと思つたから、早速電話器を里見君に渡した。里見君は「ああ、さうです。ええ、さうです」とか何とか云ひながら、くすくすひとり笑つてゐた。それから僕に「莫迦莫迦しいよ、クルシイクルシイですか、ヘトヘトだですかときいて来たんだ。」と云つた。こんな電報を打つたものは小樽市始まつて以来なかつたのかも知れない。
講演にはもう食傷した。当分はもうやる気はない。北海道の風景は不思議にも感傷的に美しかつた。食ひものはどこへたどり着いてもホツキ貝ばかり出されるのに往生した。里見君は旭川でオムレツを食ひ、「オムレツと云ふものはうまいもんだなあ」としみじみ感心してゐただけでも大抵想像できるだらう。
雪どけの中にしだるる柳かな
(昭和二年六月)
了
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。