サークル活動をするものの心得として、よく云われる言葉がある。それは、サークルというものは『キング』の読者をもひっくるめての文化的政治的組織でなければならないという言葉である。
 現在『キング』がそれほどひろく大衆の間によまれる魅力は一体どこにあるのであろうか。そう思って『キング』二月号を五十銭出して買った。五百十五頁の『キング』一冊に五枚一組袋入りの額面用名画というブルジョア画家の画の複製が景品について来た。
 成程、この画は壁の破れたところに貼っても一寸体裁がよかろう。壁が破れても修繕はしてくれず、家賃ばかり矢の催促にくる大家に対して、借家人同盟の長屋委員会をつくろう等という考えは起さず、壁の穴へは、色紙一枚に雀一羽描いて何百円とかとる竹内栖鳳などというブル絵描きのあやしげな複製でもおとなしくはりつけて、気をまぎらして居れということらしい。

 頁をめくると、真先に出て来るのは「お祖父さんのお医者様」という題で、暖かそうな机の前で白髪の爺さんが、赤い帽子の孫娘がさし出す人形をおどけた呑気な顔で診察する真似をしてやってる絵だ。二三枚同じように罪なさそうな犬っころだの小鳥だのの色刷絵がある。
『キング』は労働者の家庭にも農村にも入るのだが今日の軍事経済政策による深刻な生活難で、どこの誰の爺さんと孫が実際こんなにヌクヌク安楽な目をして暮らしているか? 欠食児童なんか聞いたこともない。稼ぎてを戦争へ引っぱり出されたので、生きる手段を失い首をくくって死んだ七十の爺さんなんか一人もいない日本だと云いたげな、絵そらごとだ。
 資本家地主の専制的な権力をよりあってかためている軍人華族ブルジョア反動教育家などの写真を何枚も見せられ、外国人の写真が出たから何かと見ると下に「人生の快事」と題して「人生にすべての苦難がなくなったときの索漠たる物寂しさを想像して見よ」この世は辛いのでいいのだという金言みたいなのがのっている。

 実にブルジョア地主が、好きで繰返す言葉だ。頁をくって見ると、『キング』の至るところにこの種類の金言がはめこまれている。「老いて楽をしようと思えば若いうち蟻のように働け」「圧しつけられてこそ味の出る沢庵」と、搾取と闘おうとするわれわれの当然の意気組みをそらすような一番始末にいけない「諦め」でフぬけとなるよう、塩梅しているところは巧なものである。
 男や軍人が書いたのでは陳腐だというので、警察官の女房などにわざわざ「満州里遭難血涙記」を書かせ、公爵近衛文麿の戦争をけしかける論文。今ジェネヴで「泥棒にも三分の理」にさえならぬ図々しい屁理屈をこねている日本帝国主義の三百代言松岡洋右の提灯もちなどとともに、大衆を犠牲として恐慌を切りぬけようとする支配階級帝国主義戦争強行のチンドン屋の役を相つとめている。
「物価暴騰時代。損をしない心得」この記事をよんで、『キング』が大衆の支持を失う日はもう見えていると強く感じた。
 軍事経済政策で日用品の物価はこの五ヵ月間に三割近くあがったが、損をしないためには、「干饂飩なんかは一年分位買いため」「米の如きも少しは買いためておけば」いい。そういうことが書いてある。
 これを読んで「ふん」と思わないものがあるだろうか!「米よこせ会」は何のためにあるのか。大衆は先ず食えないのだ。買いためなどの出来るのは資本家地主であり、戦争とそのために起った物価騰貴で儲けるのは即ち彼等であることを『キング』の記事は露骨に告げているのである。建国祭が近づくが、日本の専制的な支配権力が大衆を無知と無気力におくためにはどういうものを読ませようとしているか。それは『キング』一冊とって見て明かである。われわれは根気よく至るところでそれと闘い、プロレタリアの文化を建設して行かねばならぬ。
〔一九三三年二月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「文学新聞」日本プロレタリア作家同盟機関紙
   1933(昭和8)年2月1日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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