尾崎秀実氏が獄中から書かれた書簡集がまとめられることになった。それについて、短い文章を書くようにとの依頼をうけた。
 尾崎氏とその家族のために、永年心をつくしていられる友人たちは、決して少くないのである。それを思うと、私が何かを書くということは、ふさわしくないと遠慮された。しかし、夫人の御気持からもときき、『人民評論』二月号に「愛情は降る星の如く」という題で掲載された尾崎氏の書簡の一部を再びよみかえした。第一審判決後の第一信に「裁判長の趣意は、今の私の立場も心境も充分認めた上、命をもって国民に詫びよ、というのです」と平静に告げられている。そのくだりを読んだとき、私の心には一つの叫びがあった。「命をもって詫びよ。それは尾崎氏らを殺した人々に向ってこそ、国民が今日求める償いである。」そして、私は諒解したのであった。この心もちに、自由と正義を求めるすべての人民の情熱が凝っているのだ、と。
 世界に類のない日本の治安維持法は、昭和三年に制定され、撤廃される二十年末までの十七年間に、約十万人の優秀な人々を犠牲とした。そして、日本を輿論のない軍力専制の鎖につないで、遂に歴史的な破局に導いた。尾崎秀実氏とその国際的な同志たちとは、日本の軍事権力が最後ののたうちで最も悪逆になり狂暴となったその時期の犠牲であったのである。
 非道な力は終焉に瀕している、それだからこそ国際的な民主主義者の生命を奪うようなことさえせざるを得なくなって来ていることを、尾崎秀実氏は明瞭に知っていた。家族の方々の今後の生活方針について細々と書かれている中に、金銭の価値の変化によせてそれは予言されている。また、愛嬢楊子さんの勉強方針に関して、さりげなく示されている順序も、尾崎氏が、自身の思想構成の正当さについてゆるぎない信念をもっていられたことを示している。
 尾崎氏は、或る時代と条件とのもとで、一個の人間が生き得る最も正直な、誇りたかい生きかたを貫かれた。人間中の人間らしい生活者であった。その美しさがうしおのように寸簡の裡にもみちているのである。
 著書が一時は全く世間から押しかくされる時期があることを慮って、尾崎氏は、自著を客観的に評価し、重要な書名を記録して居られる。「なお翻訳が一つあります」と楊子さんにあてて語られているのは、アグネス・スメドレイの「女一人大地を行く」であろう。この物語そのものが卓抜な若い女性の生活建設の物語であるばかりでなく、私に尾崎秀実という名とスメドレイという名とを教えた最初の本であった。
「楊子は自分でものを書くようになったら『尾崎秀子』と改名するのもよいかと思います。お母さんの音とお父さんの秀の字とを含んで少し女にはきつい字ですが、それもよいでしょう。」この一句は、無量の思いをつたえる。愛のこころはこのように小粒な、しかも歳月によって磨滅することのない表現のうちにこめられているのである。涙は眼に溢れるけれども、頭は昂然と歴史の前途に向ってもたげ、愛と勇気と堅忍とをもって民主の日本を生きようとするすべての精神にとって、この一巻の書簡集はおくられるのであると思う。
〔一九四六年九月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「愛情はふる星のごとく」のあとがき、尾崎秀実著、世界評論社
   1946(昭和21)年9月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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