あらすじ
茨海《ばらうみ》の野原で、火山弾《かざんだん》を探していた私は、奇妙な学校に出くわします。そこはなんと、狐の生徒たちが通う「茨海狐小学校」でした。狐の先生や校長先生、そして生徒たちの姿、授業の様子は、まるで夢のよう。常識では考えられない出来事に、私は驚きと混乱を隠せません。一体この学校では、どんな教育が行われているのでしょうか?ところが私は、浜茄をとうとう見附けませんでした。尤も私が見附けなかったからと云って、浜茄があすこにないというわけには行きません。もし反対に一本でも私に見当ったら、それはあるということの証拠にはなりましょう。ですからやっぱりわからないのです。
火山弾の方は、はじが少し潰れてはいましたが、半日かかってとにかく一つ見附けました。
見附けたのでしたが、それはつい寄附させられてしまいました。誰に寄附させられたのかっていうんですか。誰にって校長にですよ。どこの学校? ええ、どこの学校って正直に云っちまいますとね、茨海狐小学校です。愕いてはいけません。実は茨海狐小学校をそのひるすぎすっかり参観して来たのです。そんなに変な顔をしなくてもいいのです。狐にだまされたのとはちがいます。狐にだまされたのなら狐が狐に見えないで女とか坊さんとかに見えるのでしょう。ところが私のはちゃんと狐を狐に見たのです。狐を狐に見たのが若しだまされたものならば人を人に見るのも人にだまされたという訳です。
ただ少しおかしいことは人なら小学校もいいけれど狐はどうだろうということですがそれだってあんまりさしつかえありません。まあも少しあとを聞いてごらんなさい。大丈夫狐小学校があるということがわかりますから。ただ呉れ呉れも云って置きますが狐小学校があるといってもそれはみんな私の頭の中にあったと云うので決して偽ではないのです。偽でない証拠にはちゃんと私がそれを云っているのです。もしみなさんがこれを聞いてその通り考えれば狐小学校はまたあなたにもあるのです。私は時々斯う云う勝手な野原をひとりで勝手にあるきます。けれども斯う云う旅行をするとあとで大へんつかれます。殊にも算術などが大へん下手になるのです。ですから斯う云う旅行のはなしを聞くことはみなさんにも決して差支えありませんがあんまり度々うっかり出かけることはいけません。
まあお話をつづけましょう。なあにほんとうはあの茨やすすきの一杯生えた野原の中で浜茄などをさがすよりは、初めから狐小学校を参観した方がずうっとよかったのです。朝の一時間目からみていた方が参考にもなり、又面白かったのです。私のみたのは今も云いました通り、午后の授業です。一時から二時までの間の第五時間目です。なかなか狐の小学生には、しっかりした所がありますよ。五時間目だって、一人も厭きてるものがないんです。参観のもようを、詳しくお話しましょうか。きっとあなたにも、大へん参考になります。
浜茄は見附からず、小さな火山弾を一つ採って、私は草に座りました。空がきらきらの白いうろこ雲で一杯でした。茨には青い実がたくさんつき、萱はもうそろそろ穂を出しかけていました。太陽が丁度空の高い処にかかっていましたから、もうおひるだということがわかりました。又じっさいお腹も空いていました。そこで私は持って行ったパンの袋を背嚢から出して、すぐ喰べようとしましたが、急に水がほしくなりました。今まで歩いたところには、一とこだって流れも泉もありませんでしたが、もしかも少し向うへ行ったら、とにかく小さな流れにでもぶっつかるかも知れないと考えて、私は背嚢の中に火山弾を入れて、面倒くさいのでかけ金もかけず、締革をぶらさげたまませなかにしょい、パンの袋だけ手にもって、又ぶらぶらと向うへ歩いて行きました。
何べんもばらがかきねのようになった所を抜けたり、すすきが栽え込みのように見える間を通ったりして、私は歩きつづけましたが、野原はやっぱり今まで通り、小流れなどはなかったのです。もう仕方ない、この辺でパンをたべてしまおうと立ちどまったとき、私はずうっと向うの方で、ベルの鳴る音を聞きました。それはどこの学校でも鳴らすベルの音のようで、空のあの白いうろこ雲まで響いていたのです。この野原には、学校なんかあるわけはなし、これはきっと俄に立ちどまった為に、私の頭がしいんと鳴ったのだと考えても見ましたが、どうしても心からさっきの音を疑うわけには行きませんでした。それどころじゃない、こんどは私は、子供らのがやがや云う声を聞きました。それは少しの風のために、ふっとはっきりして来たり、又俄かに遠くなったりしました。けれどもいかにも無邪気な子供らしい声が、呼んだり答えたり、勝手にひとり叫んだり、わあと笑ったり、その間には太い底力のある大人の声もまじって聞えて来たのです。いかにも何か面白そうなのです。たまらなくなって、私はそっちへ走りました。さるとりいばらにひっかけられたり、窪みにどんと足を踏みこんだりしながらも、一生けん命そっちへ走って行きました。
すると野原は、だんだん茨が少くなって、あのすずめのかたびらという、一尺ぐらいのけむりのような穂を出す草があるでしょう、あれがたいへん多くなったのです。私はどしどしその上をかけました。そしたらどう云うわけか俄かに私は棒か何かで足をすくわれたらしくどたっと草に倒れました。急いで起きあがって見ますと、私の足はその草のくしゃくしゃもつれた穂にからまっているのです。私はにが笑いをしながら起きあがって又走りました。又ばったりと倒れました。おかしいと思ってよく見ましたら、そのすずめのかたびらの穂は、ただくしゃくしゃにもつれているのじゃなくて、ちゃんと両方から門のように結んであるのです。一種のわなです。その辺を見ますと実にそいつが沢山つくってあるのです。私はそこでよほど注意して又歩き出しました。なるべく足を横に引きずらず抜きさしするような工合にしてそっと歩きましたけれどもまだ二十歩も行かないうちに、又ばったりと倒されてしまいました。それと一緒に、向うの方で、どっと笑い声が起り、それからわあわあはやすのです。白や茶いろや、狐の子どもらがチョッキだけを着たり半ズボンだけはいたり、たくさんたくさんこっちを見てはやしているのです。首を横にまげて笑っている子、口を尖らせてだまっている子、口をあけてそらを向いてはあはあはあはあ云う子、はねあがってはねあがって叫んでいる子、白や茶いろやたくさんいます。ああこれはとうとう狐小学校に来てしまった、いつかどこかで誰かに聴いた茨海狐小学校へ来てしまったと、私はまっ赤になって起きあがって、からだをさすりながら考えました。その時いきなり、狐の生徒らはしいんとなりました。黒のフロックを着た先生が尖った茶いろの口を閉じるでもなし開くでもなし、眼をじっと据えて、しずかにやって来るのです。先生といったって、勿論狐の先生です。耳の尖っていたことが今でもはっきり私の目に残っています。俄かに先生はぴたりと立ちどまりました。
「お前たちは、又わなをこしらえたな。そんなことをして、折角おいでになったお客さまに、もしものことがあったらどうする。学校の名誉に関するよ。今日はもうお前たちみんな罰しなければならない。」
狐の生徒らはみんな耳を伏せたり両手を頭にあげたりしょんぼりうなだれました。先生は私の方へやって来ました。
「ご参観でいらっしゃいますか。」
私はどうせ序だ、どうなるものか参観したいと云ってやろう、今日は日曜なんだけれども、さっきベルも鳴ったし、どうせ狐のことだからまたいい加減の規則もあって、休みだというわけでもないだろうと、ひとりで勝手に考えました。
「ええ、ぜひそう願いたいのです。」
「ご紹介はありますか。」
私はふと、いつか幼年画報に出ていたたけしという人の狐小学校のスケッチを思い出しました。
「画家のたけしさんです。」
「紹介状はお持ちですか。」
「紹介状はありませんがたけしさんは今はずいぶん偉いですよ。美術学院の会員ですよ。」
狐の先生はいけませんというように手をふりました。
「とにかく、紹介状はお持ちにならないですね。」
「持ちません。」
「よろしゅうございます。こちらへお出で下さい。ただ今丁度ひるのやすみでございますが、午后の課業をご案内いたします。」
私は先生の狐について行きました。生徒らは小さくなって、私を見送りました。みんなで五十人は居たでしょう。私たちが過ぎてから、みんなそろそろ立ちあがりました。
先生はふっとうしろを振りかえりました。そして強く命令しました。
「わなをみんな解け。こんなことをして学校の名誉に関するじゃないか。今に主謀者は処罰するぞ。」
生徒たちはくるくるはねまわってその草わなをみんなほどいて居りました。
私は向うに、七尺ばかりの高さのきれいな野ばらの垣根を見ました。垣根の長さは十二間はたしかにあったでしょう。そのまん中に入り口があって、中は一段高くなっていました。私は全くそれを垣根だと思っていたのです。ところが先生が
「さあ、どうかお入り下さい。」と叮寧に云うものですから、その通り一足中へはいりましたら、全く愕いてしまいました。そこは玄関だったのです。中はきれいに刈り込んだみじかい芝生になっていてのばらでいろいろしきりがこさえてありました。それに靴ぬぎもあれば革のスリッパもそろえてあり馬の尾を集めてこさえた払子もちゃんとぶらさがっていました。すぐ上り口に校長室と白い字で書いた黒札のさがったばらで仕切られた室がありそれから廊下もあります。教員室や教室やみんなばらの木できれいにしきられていました。みんな私たちの小学校と同じです。ただちがうところは教室にも廊下にも窓のないことそれから屋根のないことですが、これは元来屋根がなければ窓はいらない筈ですからおまけに室の上を白い雲が光って行ったりしますから、実に便利だろうと思いました。校長室の中では、白服の人の動いているのがちらちら見えます。エヘンエヘンと云っているのも聞えます。私はきょろきょろあちこち見まわしていましたら、先生が少し笑って云いました。
「どうぞスリッパをお召しなすって。只今校長に申しますから。」
私はそこで、長靴をぬいで、スリッパをはき、背嚢をおろして手にもちました。その間に先生は校長室へ入って行きましたが、間もなく校長と二人で出て来ました。校長は瘠せた白い狐で涼しそうな麻のつめえりでした。もちろん狐の洋服ですからずぼんには尻尾を入れる袋もついてあります。仕立賃も廉くはないと私は思いました。そして大きな近眼鏡をかけその向うの眼はまるで黄金いろでした。じっと私を見つめました。それから急いで云いました。
「ようこそいらっしゃいました。さあさあ、どうぞお入り下さい。運動場で生徒が大へん失礼なことをしましたそうで。さあさあ、どうぞお入り下さい。どうぞお入り。」
私は校長について、校長室へ入りました。その立派なこと。卓の上には地球儀がおいてありましたしうしろのガラス戸棚には鶏の骨格やそれからいろいろのわなの標本、剥製の狼や、さまざまの鉄砲の上手に泥でこしらえた模型、猟師のかぶるみの帽子、鳥打帽から何から何まですべて狐の初等教育に必要なくらいのものはみんな備えつけられていました。私は眼を円くして、ここでもきょろきょろするより仕方ありませんでした。そのうち校長はお茶を注いで私に出しました。見ると紅茶です。ミルクも入れてあるらしいのです。私はすっかり度胆をぬかれました。
「さあどうか、お掛け下さい。」
私はこしかけました。
「ええと、失礼ですがお職業はやはり学事の方ですか。」校長がたずねました。
「ええ、農学校の教師です。」
「本日はおやすみでいらっしゃいますか。」
「はあ、日曜です。」
「なるほどあなたの方では太陽暦をお使いになる関係上、日曜日がお休みですな。」
私は一寸変な気がしました。
「そうするとおうちの方ではどうなるのですか。」
狐の校長さんは青く光るそらの一ところを見あげてしずかに鬚をひねりながら答えました。
「左様、左様、至極ご尤なご質問です。私の方は太陰暦を使う関係上、月曜日が休みです。」
私はすっかり感心しました、この調子ではこの学校は、よほど程度が高いにちがいない、事によると狐の方では、学校は小学校と大学校の二つきりで、或はこの茨海小学校は、中学五年程度まで教えるんじゃないかと気がつきましたので、急いでたずねました。
「いかがですか。こちらの方では大学校へ進む生徒は、ずいぶん沢山ございますか。」
校長さんが得意そうにまるで見当違いの上の方を見ながら答えました。
「へい。実は本年は不思議に実業志望が多ございまして、十三人の卒業生中、十二人まで郷里に帰って勤労に従事いたして居ります。ただ一人だけ大谷地大学校の入学試験を受けまして、それがいかにもうまく通りましたので、へい。」
全く私の予想通りでした。
そこへ隣りの教員室から、黒いチョッキだけ着た、がさがさした茶いろの狐の先生が入って来て私に一礼して云いました。
「武田金一郎をどう処罰いたしましょう。」
校長は徐ろにそちらを向いてそれから私を見ました。
「こちらは第三学年の担任です。このお方は麻生農学校の先生です。」
私はちょっと礼をしました。
「で武田金一郎をどう処罰したらいいかというのだね。お客さまの前だけれども一寸呼んでおいで。」
三学年担任の茶いろの狐の先生は、恭しく礼をして出て行きました。間もなく青い格子縞の短い上着を着た狐の生徒が、今の先生のうしろについてすごすごと入って参りました。
校長は鷹揚にめがねを外しました。そしてその武田金一郎という狐の生徒をじっとしばらくの間見てから云いました。
「お前があの草わなを運動場にかけるようにみんなに云いつけたんだね。」
武田金一郎はしゃんとして返事しました。
「そうです。」
「あんなことして悪いと思わないか。」
「今は悪いと思います。けれどもかける時は悪いと思いませんでした。」
「どうして悪いと思わなかった。」
「お客さんを倒そうと思ったのじゃなかったからです。」
「どういう考でかけたのだ。」
「みんなで障碍物競争をやろうと思ったんです。」
「あのわなをかけることを、学校では禁じているのだが、お前はそれを忘れていたのか。」
「覚えていました。」
「そんならどうしてそんなことをしたのだ。こう云う工合にお客さまが度々おいでになる。それに運動場の入口に、あんなものをこしらえて置いて、もしお客さまに万一のことがあったらどうするのだ。お前は学校で禁じているのを覚えていながら、それをするというのはどう云うわけだ。」
「わかりません。」
「わからないだろう。ほんとうはわからないもんだ。それはまあそれでよろしい。お前たちはこのお方がそのわなにつまずいて、お倒れなさったときはやしたそうだが、又私もここで聞いていたが、どうしてそんなことをしたか。」
「わかりません。」
「わからないだろう。全くわからないもんだ。わかったらまさかお前たちはそんなことしないだろうな。では今日の所は、私からよくお客さまにお詫を申しあげて置くから、これからよく気をつけなくちゃいけないよ。いいか。もう決して学校で禁じてあることをしてはならんぞ。」
「はい、わかりました。」
「では帰って遊んでよろしい。」校長さんは今度は私に向きました。担任の先生はきちんとまだ立っています。
「只今のようなわけで、至って無邪気なので、決して悪気があって笑ったりしたのではないようでございますから、どうかおゆるしをねがいとう存じます。」
私はもちろんすぐ云いました。
「どう致しまして。私こそいきなりおうちの運動場へ飛び込んで来て、いろいろ失礼を致しました。生徒さん方に笑われるのなら却って私は嬉しい位です。」
校長さんは眼鏡を拭いてかけました。
「いや、ありがとうございます。おい武村君。君からもお礼を申しあげてくれ。」
三年担任の武村先生も一寸私に頭を下げて、それから校長に会釈して教員室の方へ出て行きました。
校長さんの狐は下を向いて二三度くんくん云ってから、新らしく紅茶を私に注いでくれました。そのときベルが鳴りました。午后の課業のはじまる十分前だったのでしょう。校長さんが向うの黒塗りの時間表を見ながら云いました。
「午后は第一学年は修身と護身、第二学年は狩猟術、第三学年は食品化学と、こうなっていますがいずれもご参観になりますか。」
「さあみんな拝見いたしたいです。たいへん面白そうです。今朝からあがらなかったのが本当に残念です。」
「いや、いずれ又おいでを願いましょう。」
「護身というのは修身といっしょになっているのですか。」
「ええ昨年までは別々でやりましたが、却って結果がよくないようです。」
「なるほどそれに狩猟だなんて、ずいぶん高尚な学科もおやりですな。私の方ではまあ高等専門学校や大学の林科にそれがあるだけです。」
「ははん、なるほど。けれどもあなたの方の狩猟と、私の方の狩猟とは、内容はまるでちがっていますからな、ははん。あなたの方の狩猟は私の方の護身にはいり、私の方の狩猟は、さあ、狩猟前業はあなたの方の畜産にでも入りますかな、まあとにかくその時々でゆっくりご説明いたしましょう。」
この時ベルが又鳴りました。
がやがや物を言う声、それから「気をつけ」や「番号」や「右向け右」や「前へ進め」で狐の生徒は一学級ずつだんだん教室に入ったらしいのです。
それからしばらくたって、どの教室もしいんとなりました。先生たちの太い声が聞えて来ました。
「さあではご案内を致しましょう。」狐の校長さんは賢そうに口を尖らして笑いながら椅子から立ちあがりました。私はそれについて室を出ました。
「はじめに第一学年をご案内いたします。」
校長さんは「第一教室、第一学年、担任者、武井甲吉」と黒い塗札の下った、ばらの壁で囲まれた室に入りました。私もついて入りました。そこの先生は私のまだあわない方で実にしゃれたなりをして頭の銀毛などもごく高尚なドイツ刈りに白のモオニングを着て教壇に立っていました。もちろん教壇のうしろの茨の壁には黒板もかかり、先生の前にはテーブルがあり、生徒はみなで十五人ばかり、きちんと白い机にこしかけて、講義をきいて居りました。私がすっかり入って立ったとき、先生は教壇を下りて私たちに礼をしました。それから教壇にのぼって云いました。
「麻生農学校の先生です。さあみんな立って。」
生徒の狐たちはみんなぱっと立ちあがりました。
「ご挨拶に麻生農学校の校歌を歌うのです。そら、一、二、三、」先生は手を振りはじめました。生徒たちは高く高く私の学校の校歌を歌いはじめました。私は全くよろよろして泣き出そうとしました。誰だっていきなり茨海狐小学校へ来て自分の学校の校歌を狐の生徒にうたわれて泣き出さないでいられるもんですか。それでも私はこらえてこらえて顔をしかめて泣くのを押えました。嬉しかったよりはほんとうに辛かったのです。校歌がすみ、先生は一寸挨拶して生徒を手まねで座らせ、鞭をとりました。
黒板には「最高の偽は正直なり。」と書いてあり、先生は説明をつづけました。
「そこで、元来偽というのは、いけないものです。いくら上手に偽をついてもだめなのです。賢い人がききますと、ちゃんと見わけがつくのです。それは賢い人たちは、その語のつりあいで、ほんとうかうそかすぐわかり、またその音ですぐわかり、それからそれを云うものの顔やかたちですぐわかります。ですからうそというものは、ほんの一時はうまいように思われることがあっても、必ずまもなくだめになるものです。
そこでこの格言の意味は、もしも誰かが一つこんな工合のうそをついて、こう云う工合にうまくやろうと考えるとします。そのときもしよくその云うことを自分で繰り返し繰り返しして見ますと、いつの間にか、どうもこれでは向うにわかるようだ、も少しこう云わなくてはいけないというような気がするのです、そこで云いようをすっかり改めて、又それを心の中で繰り返し繰り返しして見ます、やっぱりそれでもいけないようだ、こうしよう、と考えます。それもやっぱりだめなようだ、こうしようと思います。こんな工合にして一生けん命考えて行きますと、とうとうしまいはほんとうのことになってしまうのです。そんならそのほんとうのことを云ったら、実際どうなるかと云うと、実はかえってうまく偽をついたよりは、いいことになる、たとえすぐにはいけないことになったようでも、結局は、結局は、いいことになる。だからこの格言は又
『正直は最良の方便なり』とも云われます。」
先生は黒板へ向いて、前のにならべて今の格言を書きました。
生徒はみんなきちんと手を膝において耳を尖らせて聞いていましたが、この時一斉にペンをとって黒板の字を書きとりました。
校長は一寸私の顔を見ました。私がどんな風に、今の講義を感じたか、それを知りたいという様子でしたから、私は五六秒眼を瞑っていかにも感銘にたえないということを示しました。
先生はみんなの書いてしまう間、両手をせなかにしょってじっとしていましたがみんながばたばた鉛筆を置いて先生の方を見始めますと、又講義をつづけました。
「そこで今の『正直は最良の方便』という格言は、ただ私たちがうそをつかないのがいいというだけではなく、又丁度反対の応用もあるのです。それは人間が私たちに偽をつかないのも又最良の方便です。その一例を挙げますとわなです。わなにはいろいろありますけれども、一番こわいのは、いかにもわなのような形をしたわなです。それもごく仕掛けの下手なわなです。これを人間の方から云いますと、わなにもいろいろあるけれども、一番狐のよく捕れるわなは、昔からの狐わなだ、いかにも狐を捕るのだぞというような格好をした、昔からの狐わなだと、斯う云うわけです。正直は最良の方便、全くこの通りです。」
私は何だか修身にしても変だし頭がぐらぐらして来たのでしたが、この時さっき校長が修身と護身とが今学年から一科目になって、多分その方が結果がいいだろうと云ったことを思い出して、ははあ、なるほどと、うなずきました。
先生は
「武巣さん、立って校長室へ行ってわなの標本を運んで来て下さい。」と云いましたら、一番前の私の近くに居た赤いチョッキを着たかあいらしい狐の生徒が、
「はいっ。」と云って、立って、私たちに一寸挨拶し、それからす早く茨の壁の出口から出て行きました。
先生はその間黙って待っていました。生徒も黙っていました。空はその時白い雲で一杯になり、太陽はその向うを銀の円鏡のようになって走り、風は吹いて来て、その緑いろの壁はところどころゆれました。
武巣という子がまるで息をはあはあして入って来ました。さっき校長室のガラス戸棚の中に入っていた、わなの標本を五つとも持って来たのです。それを先生の机の上に置いてしまうと、その子は席に戻り、先生はその一つを手にとりあげました。
「これはアメリカ製でホックスキャッチャーと云います。ニッケル鍍金でこんなにぴかぴか光っています。ここの環の所へ足を入れるとピチンと環がしまって、もうとれなくなるのです。もちろんこの器械は鎖か何かで太い木にしばり付けてありますから、実際一遍足をとられたらもうそれきりです。けれども誰だってこんなピカピカした変なものにわざと足を入れては見ないのです。」
狐の生徒たちはどっと笑いました。狐の校長さんも笑いました。狐の先生も笑いました。私も思わず笑いました。このわなの絵は外国でも日本でも種苗目録のおしまいあたりにはきっとついていて、然も効力もあるというのにどう云うわけか一寸不思議にも思いました。
この時校長さんは、かくしから時計を出して一寸見ました。そこで私は、これはもうだんだん時間がたつから、次の教室を案内しようかと云うのだろうと思って、ちょっとからだを動かして見せました。校長さんはそこですっと室を出ました。私もついて出ました。
「第二教室、第二年級、担任、武池清二郎」とした黒塗りの板の下がった教室に入りました。先生はさっき運動場であった人でした。生徒も立って一ぺんに礼をしました。
先生はすぐ前からの続きを講義しました。
「そこで、澱粉と脂肪と蛋白質と、この成分の大事なことはよくおわかりになったでしょう。
こんどはどんなたべものに、この三つの成分がどんな工合に入っているか、それを云います。凡そ、食物の中で、滋養に富みそしておいしく、また見掛けも大へん立派なものは鶏です。鶏は実際食物中の王と呼ばれる通りです。今鶏の肉の成分の分析表をあげましょう。みなさん帳面へ書いて下さい。
蛋白質は十八ポイント五パアセント、脂肪は九ポイント三パーセント、含水炭素は一ポイント二パーセントもあるのです。鶏の肉はただこのように滋養に富むばかりでなく消化もたいへんいいのです。殊に若い鶏の肉ならば、もうほんとうに軟かでおいしいことと云ったら、」先生は一寸唾をのみました、「とてもお話ではわかりません。食べたことのある方はおわかりでしょう。」
生徒はしばらくしんとしました。校長さんもじっと床を見つめて考えています。先生ははんけちを出して奇麗に口のまわりを拭いてから又云いました。
「で一般に、この鶏の肉に限らず、鳥の肉には私たちの脳神経を養うに一番大事な燐がたくさんあるのです。」
こんなことは女学校の家事の本に書いてあることだ、やっぱり仲々程度が高い、ばかにできないと私は思いました。先生は又つづけます。
「その鶏の卵も大へんいいのです。成分は鶏の肉より蛋白質は少し少く、脂肪は少し多いのです。これは病人もよく使います。それから次は油揚です。油揚は昔は大へん供給が充分だったのですけれども、今はどうもそんなじゃありません。それで、実はこれは廃れた食物であります。成分は蛋白質が二二パアセント、脂肪が十八ポイント七パアセント、含水炭素が零ポイント九パアセントですが、これは只今ではあんまり重要じゃありません。油揚の代りに近頃盛んになったのは玉蜀黍です。これはけれども消化はあんまりよくありません。」
「時間がも少しですから、次の教室をご案内いたしましょう。」校長がそっと私にささやきました。そこで私はうなずき校長は先に立って室を出ました。
「第三教室は向うの端になって居ります。」校長は云いながら廊下をどんどん戻りました。さっきの第一教室の横を通り玄関を越え校長室と教員室の横を通ったそこが第三教室で、「第三学年 担任者武原久助」と書いてありました。さっきの茶いろの毛のガサガサした先生の教室なのです。狩猟の時間です。
私たちが入って行ったとき、先生も生徒も立って挨拶しました。それから講義が続きました。
「それで狩猟に、前業と本業と後業とあることはよくわかったろう。前業は養鶏を奨励すること、本業はそれを捕ること、後業はそれを喰べることと斯うである。
前業の養鶏奨励の方法は、だんだん詳しく述べるつもりであるが、まあその模範として一例を示そう。先頃私が茨窪の松林を散歩していると、向うから一人の黒い小倉服を着た人間の生徒が、何か大へん考えながらやって来た。私はすぐにその生徒の考えていることがわかったので、いきなり前に飛び出した。
すると向うでは少しびっくりしたらしかったので私はまず斯う云った。
『おい、お前は私が何だか知ってるか。』
するとその生徒が云った。
『お前は狐だろう。』
『そうだ。しかしお前は大へん何か考えて困っているだろう。』
『いいや、なんにも考えていない。』その生徒が云った。その返事が実は大へん私に気に入ったのだ。
『そんなら私はお前の考えていることをあてて見ようか。』
『いいや、いらない。』その生徒が云った。それが又大へん私の気に入った。
『お前は明後日の学芸会で、何を云ったらいいか考えているだろう。』
『うん、実はそうだ。』
『そうか、そんなら教えてやろう。あさってお前は養鶏の必要を云うがいい。百姓の家には、こぼれて砂の入った麦や粟や、いらない菜っ葉や何か、たくさんあるんだ。又甘藍や何かには、青むしもたかる。それをみんな鶏に食べさせる。鶏は大悦びでそれをたべる。卵もうむ。大へん得だと斯う云うがいい。』
私が云ったら、その生徒は大へん悦んで、厚く礼を述べて行った。きっとあの生徒は学芸会でそれを云ったんだ。するとみんなは勿論と思って早速養鶏をはじめる。大きな鶏やひよっこや沢山できる。そこで我々は早速本業にとりかかると斯う云うのだ。」
私は実はこの話を聞いたとき、どうしてもおかしくておかしくてたまりませんでした。その生徒というのは私の学校の二年生なのです。先頃学芸会があったのでしたが、その時ちゃんと、狐に遭ったことから何から、みんな話していたのです。ただおしまいが少し違って居りました。それはその生徒の話では
「なんだお前は僕に養鶏をすすめて置いて自分がそれを捕ろうというのか。」と云ったら狐は頭をかかえて一目散に遁げたというのでした。けれどもそれを私は口に出しては云いませんでした。この時丁度、向うで終業のベルが鳴りましたので、先生は、
「今日はここまでにして置きます。」と云って礼をしました。私は校長について校長室に戻りました。校長は又私の茶椀に紅茶をついで云いました。
「ご感想はいかがですか。」
私は答えました。
「正直を云いますと、実は何だか頭がもちゃもちゃしましたのです。」
校長は高く笑いました。
「アッハッハ。それはどなたもそう仰います。時に今日は野原で何かいいものをお見付けですか。」
「ええ、火山弾を見附けました。ごく不完全です。」
「一寸拝見。」
私は仕方なく背嚢からそれを出しました。校長は手にとってしばらく見てから
「実にいい標本です。いかがです。一つ学校へご寄附を願えませんでしょうか。」と云うのです。私は仕方なく、
「ええ、よろしゅうございます。」と答えました。
校長はだまってそれをガラス戸棚にしまいました。
私はもう頭がぐらぐらして居たたまらなくなりました。
すると校長がいきなり、
「ではさよなら。」というのです。そこで私も
「これで失礼致します。」と云いながら急いで玄関を出ました。それから走り出しました。
狐の生徒たちが、わあわあ叫び、先生たちのそれをとめる太い声がはっきり後ろで聞えました。私は走って走って、茨海の野原のいつも行くあたりまで出ました。それからやっと落ち着いて、ゆっくり歩いてうちへ帰ったのです。
で結局のところ、茨海狐小学校では、一体どういう教育方針だか、一向さっぱりわかりません。
正直のところわからないのです。
了
底本:「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社
1990(平成2)年5月25日発行
1997(平成9)年5月10日17刷
底本の親本:「新修宮沢賢治全集 第九巻」筑摩書房
1979(昭和54)年7月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年11月26日作成
2009年7月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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