あらすじ
五年の歳月を経て、故郷の盛岡へと帰ってきた「立花浩一」は、街の景色が大きく変わっていることに驚きを隠せません。かつての面影を残すものもあれば、すっかり様変わりした場所もあり、故郷の変化は、浩一の心にも複雑な感情を呼び起こします。美しい追憶の都であった盛岡は、今や新しい時代の息吹を感じさせる活気のある街へと生まれ変わっていました。しかし、浩一は、その変化の中に、どこか懐かしい、そして、どこか切ない思いを抱くのでした。立花浩一と呼ばるる自分は、今から二十幾年前に、此盛岡と十數哩を隔てた或る寒村に生れた。其處の村校の尋常科を最優等で卒業した十歳の春、感心にも唯一人笈をこの不來方城下に負ひ來つて、爾後八星霜といふもの、夏休暇毎の歸省を除いては、全く此土地で育つた。母がさる歴とした舊藩士の末娘であつたので、隨つて此舊城下蒼古の市には、自分のために、伯父なる人、伯母なる人、また從兄弟なる人達が少なからずある。その上自分が十三四歳の時には、今は亡くなつた上の姉さへ此盛岡に縁付いたのであつた。自分は此等縁邊のものを代る/″\喰ひつて、そして、高等小學から中學と、漸々文の林の奧へと進んだのであつた。されば、自分の今猶生々とした少年時代の追想――何の造作もなく心と心がピタリ握手して共に泣いたり笑つたり喧嘩して別れたりした澤山の友人の事や、或る上級の友に、立花の顏は何處かナポレオンの肖像に似て居るネ、と云はれてから、不圖軍人志願の心を起して毎日體操を一番眞面目にやつた時代の事や、ビスマークの傳を讀んでは、直小比公氣取の態度を取つて、級友の間に反目の種を蒔いた事や、生來虚弱で歴史が好きで、作文が得意であつた處から、小ギポンを以て自任して、他日是非印度衰亡史を著はし、それを印度語に譯して、かの哀れなる亡國の民に愛國心を起さしめ、獨立軍を擧げさせる、イヤ其前に日本は奈何かしてシャムを手に入れて置く必要がある。……其時は自分はバイロンの轍を踏んで、筆を劍に代へるのだ、などと論じた事や、その後、或るうら若き美しい人の、潤める星の樣な双眸の底に、初めて人生の曙の光が動いて居ると氣が附いてから、遽かに夜も晝も香はしい夢を見る人となつて、旦暮『若菜集』や『暮笛集』を懷にしては、程近い田圃の中にある小さい寺の、巨きい栗樹の下の墓地へ行つて、青草に埋れた石塔に腰打掛けて一人泣いたり、學校へ行つても、倫理の講堂で竊と『亂れ髮』を出して讀んだりした時代の事や、――すべて慕かしい過去の追想の多くは、皆この中津河畔の美しい市を舞臺に取つて居る。盛岡は實に自分の第二の故郷なんだ。『美しい追憶の都』なんだ。
十八歳の春、一先づこの第二の故郷を退いて、第一の故郷に歸つた。そして十幾ヶ月の間閑雲野鶴を友として暮したが、五年以前の秋、思立つて都門の客となり、さる高名な歴史家の書生となつた。翌年は文部省の檢定試驗を受けて、歴史科中等教員の免状を貰うた。唯茲に一つ殘念なのは、東洋のギボンを以て自ら任じて居た自分であるのに、試驗の成績の、怪しい哉、左程上の部でなかつた事である。今は茨城縣第○中學の助教諭、兩親と小妹とをば、昨年の暮任地に呼び寄せて、餘裕もない代り、別に窮迫もせぬ家庭を作つた。
今年の夏は、校長から常陸郷土史の材料蒐集を囑託せられて、一箇月半の樂しい休暇を全く其爲めに送つたので、今九月の下旬、特別を以て三週間の賜暇を許され、展墓と親戚の訪と、外に北上河畔に於ける厨川柵を中心とした安倍氏勃興の史料について、少しく實地踏査を要する事があつて、五年振に此盛岡には歸つて來たのである。新山堂と呼ばるる稻荷神社の直背後の、母とは二歳違ひの姉なる伯母の家に車の轅を下させて、出迎へた五年前に比して別に老の見えぬ伯母に、『マア、浩さんの大きくなつた事!』と云はれて、新調の背廣姿を見上げ見下しされたのは、實に一昨日の秋風すずろに蒼古の市に吹き渡る穩やかな黄昏時であつた。
遠く岩手、姫神、南昌、早池峰の四峰を繞らして、近くは、月に名のある鑢山、黄牛の背に似た岩山、杉の木立の色鮮かな愛宕山を控へ、河鹿鳴くなる中津川の淺瀬に跨り、水音緩き北上の流に臨み、貞任の昔忍ばるる夕顏瀬橋、青銅の擬寶珠の古色滴る許りなる上中の二橋、杉土堤の夕暮紅の如き明治橋の眺めもよく、若しそれ市の中央に巍然として立つ不來方城に登つて瞰下せば、高き低き茅葺柾葺の屋根々々が、茂れる樹々の葉蔭に立ち並んで見える此盛岡は、實に誰が見ても美しい日本の都會の一つには洩れぬ。誰やらが初めて此市に遊んで、『杜陵は東北の京都なり。』と云つた事があるさうな。『東北の京都』と近代的な言葉で云へばあ餘り感心しないが、自分は『みちのくの平安城』と風雅な呼方をするを好む。
この美しい盛岡の、最も自分の氣に入つて見える時は、一日の中では夜、天候では雨、四季の中では秋である。この三を綜合すると、雨の降る秋の夜が一番好い事になるが、然しそれでは完全に過ぎて、餘り淋し過ぎる。一體自分は歴史家であるから、開闢以來此世界に現れた、人、物、事、に就いては、少くとも文字に殘されて居る限りは大方知つて居るつもりであるが、未嘗て、『完全なる』といふ形容詞を眞正面から冠せることの出來る奴には、一人も、一個も、一度も、出會した事がない。隨つて自分は、『完全』といふ事には極めて同情が薄いのである。完全でなくても構はぬ、たゞ拔群であれば可い。世界には隨處に『不完全』が轉がつて居る。其故に『希望』といふものが絶えないのだ。此『希望』こそ世界の生命である。歴史の生命である、人間の生命である。或る學者は『歴史とは進化の義なり。』と説いて居るが、自分は『歴史とは希望の義なり。』と生徒に教へて置いた。世界の歴史には、隨分違つた希望のために時間と勞力とを盡して、そして『進化』と正反對なる或る結果を來した例が少くない。此『間違つた希望』と『間違はない希望』とを鑑別するのが、正當なる歴史の意義ではあるまいかと自分は思ふ。自分一個の私見では、六千載の世界史の中、ペリクリーズ時代の雅典以後、今日に到る部分は、間違つた希望に依る進化、換言すれば、墮落せる希望に依る墮落、の最も大なる例である。斯う考へると、誠に此世が情なく心細くなるが、然し此點が却つて面白い、頗る面白い。自分は『完全』といふものは、人間の數へ得る年限内は決して此世界に來らぬものと假定して居る。(何故なれば、自分は『完全になる』とは、水が氷になる如く、希望と活動との死滅する事であると解釋して居るからだ。)だから、我等の過去は僅々六千載に過ぎぬが、未来には幾百千億萬年あるか知れない。この無限の歴史が、乃ち我等人間の歴史であると思ふと、急に胸が豁いた樣な感じがする。無限無際の生命ある『人間』に、三千年位の墮落は何でもないではないか。加之較々完全に近かつた雅典の人間より、遙かに完全に遠かつた今の我々の方が、却つて/\大なる希望を持ち得るではないか。……斯く、眞理よりも眞理を希求する心、完全よりも完全に對する希望を尊しとする自分が、夜の盛岡の靜けさ淋しさは愛するけれども、奈何して此三が一緒になつて三足揃つた完全な鍋、重くて黒くて冷たくて堅い雨ふる秋の夜といふ大きい鍋を頭から被る辛さ切なさを忍ぶことが出來よう。雨の夜と秋との盛岡が、何故殊更に自分の氣に入るかは、自分の知つた限りでない。多分、最近三十幾年間の此市の運命が、乃ち雨と夜と秋との運命であつた爲めでがなあらう。
昨日は、朝まだきから降り初めた秋雨が、午後の三時頃まで降り續いた。長火鉢を中に相對して、『新山堂の伯母さん』と前夜の續きの長物語――雨の糸の如くはてしない物語をした。自分の父や母や光ちやん(妹)の事、伯母さんの四人の娘の事、八歳で死んだ源坊の事、それから自分の少年時代の事、と、これら凡百の話題を緯にして、話好の伯母さんは自身四十九年間の一切の記憶の絲を經に入れる。此はてしない、蕭やかな嬉しさの籠つた追憶談は、雨の盛岡の蕭やかな空氣、蕭やかな物音と、全く相和して居た。午時近くなつて、隣町の方から『豆腐ア』といふ、低い、呑氣な、永く尾を引張る呼聲が聞えた。嗚呼此『豆腐ア』! これこそは、自分が不幸にも全五年の間忘れ切つて居た『盛岡の聲』ではないか。此低い、呑氣な、尾を引張る處が乃ち、全く雨の盛岡式である。此聲が蕭やかな雨の音に漂うて、何十度か自分の耳に怪しくひびいた後、漸やく此家の門前まで來た。そして遠くで聞くも近くで聞くも同じやうな一種の錆聲で、矢張低く呑氣に『豆腐ア』と、呟やく如く叫んで過ぎた。伯母さんは敢て氣が附かなかつたらしい。軈て、十二時を報ずるステーションの工場の汽笛が、シッポリ濡れた樣な唸りをあげる。と、此市に天主教を少し許り響かせてゐる四家町の教會の鐘がガラン/\鳴り出した。直ぐに其の音を打消す他の響が傳はる。これは不來方城畔の鐘樓から、幾百年來同じ鯨音を陸奧の天に響かせて居る巨鐘の聲である。それが精確に十二の數を撞き終ると、今まであるかなきかに聞えて居た市民三萬の活動の響が、礑と許り止んだ。『盛岡』が今今日の晝飯を喰ふところである。
『オヤマア私とした事が、……御飯の仕度まで忘れて了つて、……』
といつて、伯母さんはアタフタと立つた。そして自分に云つた、
『浩さん、豆腐屋が來なかつたやうだつたね。』
此伯母さんの一擧一動が悉く雨の盛岡に調和して居る。
朝行つた時には未だ蓋が明かなかつたので食後改めて程近い錢湯へ行つた。大きい蛇目傘をさして、高い足駄を穿いて、街へ出ると、矢張自分と同じく、大きい蛇目傘、高い足駄の男女が歩いて居る。皆無言で、そして泥汁を撥ね上げぬ樣に、極めて靜々と、一足毎に氣を配つて歩いて居るのだ。兩側の屋根、低い家には、時に十何年前の同窓であつた男の見える事がある。それは大抵大工か鍛冶屋か荒物屋かである。又、小娘の時に見覺えて置いた女の、今は髮の結ひ方に氣をつける姉さんになつたのが、其處此處の門口に立つて、呆然往來を眺めて居る事もある。此等舊知の人は、決して先方から話かける事なく、目禮さへ爲る事がない。これは、自分には一層雨の盛岡の趣味を發揮して居る如く感ぜられて、仲々奧床しいのである。總じて盛岡は、其人間、其言語、一切皆克く雨に適して居る。人あり、來つて盛岡の街々を彷徨ふこと半日ならば、必ず何街か理髮床の前に、銀杏髷に結つた丸顏の十七八が立つて居て、そして、中なる剃手と次の如き會話を交ふるを聞くであらう。
女『アノナハーン、アエヅダケァガナハーン、昨日スアレー、彼ノ人アナーハン。』
男『フンフン、御前ハンモ行タケスカ。フン、眞ニソダチナハン。アレガラナハン、家サ來ルヅギモ面白ガタンチェ。ホリヤ/\、大變ダタァンステァ。』
此奇怪なる二人の問答には、少くとも三幕物に書き下すに足る演劇的の事實が含まれて居る。若し一度も盛岡の土を踏んだことのない人で、此會話の深い/\意味と、其誠に優美な調子とを聞き分くる事が出來るならば、恐らく其人は、大小説家若くは大探偵の資格ある人、然らずば軒の雨滴の極めて蕭やかな、懶氣な、氣の長い響きを百日も聞き慣れた人であらう。
澄み切つた鋼鐵色の天蓋を被いで、寂然と靜まりかへつた夜の盛岡の街を、唯一人犬の如く彷徨く樂みは、其昔、自分の夜毎に繰返すところであつた。然し、五年振で歸つて僅か二夜を過した許りの自分は、其二夜を遺憾乍ら屋根の下にのみ明かして了つたのである。尤も今は電燈の爲めに、昔の樂みの半分は屹度失くなつたであらう。自分は茲で、古い記憶を呼び覺して、夜の街の感想を説くことを、極めて愉快に感ずるのであるが、或一事の蟠るありて、今往時を切實に忍ぶことを遮つて居る。或る一事とは、乃ち昔自分が夜の盛岡を彷徨いて居た際に起つた大奇談である。――或夜自分は例によつて散歩に出懸けた。仁王小路から三戸町、三戸町から赤川、此赤川から櫻山の大鳥居へ一文字に、畷といふ十町の田圃路がある。自分は此十町の無人境を一往返するを敢て勞としなかつた。のみならず、一寸路を逸れて、かの有名な田中の石地藏の背を星明りに撫づるをさへ、決して躊躇せなんだ。そして、平生の癖の松前追分を口笛でやり乍ら、ブラリ/\と引返して來ると、途中で外套を著、頭巾を目深に被つた一人の男に逢つた。然し別段氣にも留めなかつた。それから急に思出して、自分と藻外と三人鼎足的關係のあつた花郷を訪ねて見ようと、少しく足を早めた。四家町は寂然として、唯一軒理髮床の硝子戸に燈光が射し、中から話聲が洩れたので、此處も人間の世界だなと氣の付く程であつた。間もなく花屋町に入つた。斷つて置く、此町の隣が密淫賣町の大工町で、藝者町なる本町通も程近い。花郷が宿は一寸職業の知れ難い家である。それも其筈、主人は或る田舍の村長で、此本宅には留守居の祖母が唯一人、相應に暮して居る。此祖母なる人の弟の子なる花郷は、此家の二階に本城を構へて居るのだ。二階を見上げると、障子に燈火が射して居る。ヒョウと口笛を吹くと、矢張ヒョウと答へた。今度はホーホケキョとやる、(これは自分の名の暗號であつた。)復ヒョウと答へた。これだけで訪問の禮は既に終つたから、平生の如く入つて行かうと思つて、上框の戸に手をかけようとすると、不意、不意、暗中に鐵の如き手あつて自分の手首をシタタカ握つた。愕然し乍ら星明で透して見たが、外套を著て頭巾を目深に被つた中脊の男、どうやら先刻畷で逢つた奴に似て居る。
『立花、俺に見附つたが最後ぢやぞッ。』
驚いた、眞に驚いた。この聲は我が中學の體操教師、須山といふ豫備曹長で、校外監督を兼ねた校中第一の意地惡男の聲であつた。
『先刻田圃で吹いた口笛は、あら何ぢや? 俗歌ぢやらう。後を尾けて來て見ると、矢張口笛で密淫賣と合圖をしてけつかる。……』
自分は手を握られた儘、開いた口が塞がらぬ。
『此間職員會議で、貴樣が毎晩一人で外出するが、行先がどうも解らん。大に怪しいちふ話が出た。貴樣の居る仁王小路が俺の監督範圍ぢやから、俺は赤髯(校長)のお目玉を喰つたのぢや、けしからん、不埓ぢや。其處で俺は三晩つづけて貴樣に尾行した。一昨夜は呉服町で綺麗な簪を買つたのを見たから、何氣なく聞いて見ると、妹へ遣るのだと嘘吐いたな。昨晩は古河端のさいかちの樹の下で見はぐつた。今夜といふ今夜こそ現場を見屆けたぞ。案の諚大工町ぢやつた。貴樣は本町へ行く位の金錢は持つまいもんナ。……ハハア、軍隊なら營倉ぢや。』
自分の困憊の状察すべしである。恰も此時、洋燈片手に花郷が戸を明けた。彼は極めて怪訝に堪へぬといつた樣な顏をして、盛岡辯で、
『何しあんした?』
と自分に問うた。自分は急に元氣を得て、逐一事情を話し、更に須山に向いて、
『先生、此町は大工町ではごあせん、花屋町でごあんす。小林君も淫賣婦ではごあんせんぜ。』と云つた。
須山は答へなかつたが、花郷は手に持つ洋燈を危氣に動かし乍ら、洒脱な聲をあげて叫び出した。
『立花白蘋君の奇談々々!』
『立花、貴樣餘ッ程氣を附けんぢや――不可ぞ。よく覺えて居れッ。』
と怒鳴るや否や、須山教師の黒い姿は、忽ち暗中に沒したのであつた
自分は既に、五年振で此市に來て目前觀察した種々の變遷と、それを見た自分の感想とを叙べ、又此市と自分との關係から、盛岡は美しい日本の都會の一つである事、此美しい都會が、雨と夜と秋との場合に最も自分の氣に入るといふ事を叙べ、そして、雨と夜との盛岡の趣味に就いても多少の記述を試みた。そこで今自分は、一年中最も樂しい秋の盛岡――大穹窿が無邊際に澄み切つて、空中には一微塵の影もなく、田舍口から入つて來る炭賣薪賣の馬の、冴えた/\鈴の音が、市の中央まで明瞭響く程透徹であることや、雨滴式の此市の女性が、嚴肅な、赤裸々な、明皙の心の樣な秋の氣に打たれて、『ああ、ああ、今年もハア秋でごあんすなつす――。』と、口々に言ふ其微妙な心理のはたらきや、其處此處の井戸端に起る趣味ある會話や、乃至此女性的なる都會に起る一切の秋の表現、――に就いて出來うる限り精細な記述をなすべき機會に逢着した。
が、自分は、其秋の盛岡に關する精細な記述に代ふるに、今、或る他の一記事を以てせねばならぬのである。『或る他の一記事』といふのは、此場合に於て決して木に竹をつぐ底の突飛なる記事ではないと自分は信ずる。否、或は、此の記事を撰む方が却つて一層秋の盛岡なるものを適切に表はす所以であるのかも知れない。何故なれば、此一記事といふのは、美しい盛岡の秋三ヶ月の中、最も美しい九月下旬の一日、乃ち今日ひと日の中に起つた一事件に外ならぬからである。
實際を白状すると、自分が先刻晩餐を濟ましてから、少許調査物があるからと云つて話好の伯母さんを避け、此十疊の奧座敷に立籠つて、餘り明からぬ五分心の洋燈の前に此筆を取上げたのは、實は、今日自分が偶然路上で出會した一事件――自分と何等の關係もないに不拘、自分の全思想を根柢から搖崩した一事件――乃ち以下に書き記す一記事を、永く/\忘れざらむためであつたのだ。然も自分が此稀有なる出來事に對する極度の熱心は、如何にして、何處で、此出來事に逢つたかといふ事を説明するために、實に如上數千言の不要なる記述を試むるをさへ、敢て勞としなかつたのである。
斷つて置く、以下に書き記す處は、或は此無限の生命ある世界に於て、殆んど一顧の値だに無き極々些末の一事件であるのかも知れない。されば若し此一文を讀む人があつたなら、その人は、『何だ立花、君は這事を眞面目腐つて書いたのか。』と頭から自分を嘲笑ふかも知れない。が然し、此一事件は、自分といふ小なる一人物の、小なる二十幾年の生涯に於て、親しく出會した事件の中では、最も大なる、最も深い意味の事件であると信ずる。自分は恁信じたからこそ、此市の名物の長澤屋の豆銀糖でお茶を飮み乍ら、稚ない時から好きであつた伯母さんと昔談をする樂みをさへ擲ち去つて、明からぬ五分心の洋燈の前に、筆の澁りに汗ばみ乍ら此苦業を續けるのだ。
又斷つて置く、自分は既に此事件を以て親ら出會した事件中の最大事件と信じ、其爲に二十幾年養ひ來つた全思想を根柢から搖崩された。そして、今新らしい心的生涯の原頭に立つた。――然だ、今自分の立つて居る處は、慥かに『原頭』である。自分はまだ、一分も、一厘も、此大問題の解決に歩を進めて居らぬのだ。或は今夜此筆を擱く迄には、何等か解決の端を發見するに到るかも知れぬが、……否々、それは望むべからざる事だ。此新たに掘り出された『ローゼッタ石』の、表に刻まれた神聖文字は、如何にトマス・ヨングでもシャムポリヲンでも、プシウスでも、とても十年二十年に讀み了る事が出來ぬ樣に思はれる。
自分が今朝新山祠畔の伯母の家を出たのは、大方八時半頃でがなあつたらう。昨日の雨の名殘りの水潦が路の處々に行く人の姿々を映して居るが、空は手掌程の雲もなく美しく晴れ渡つて、透明な空氣を岩山の上の秋陽がホカ/\と温めて居た。
加賀野新小路の親縁の家では、市役所の衞生係なる伯父が出勤の後で、痩せこけた伯母の出して呉れた麥煎餅は、昨日の雨の香を留めたのであらう、少なからず濕々して居た。此家から程近い住吉神社へ行つては、昔を語る事多き大公孫樹の、まだ一片も落葉せぬ枝々を、幾度となく仰ぎ見た。此樹の下から左に折れると凹凸の劇しい藪路、それを東に一軒許で、天神山に達する。しん/\と生ひ茂つた杉木立に圍まれて、苔蒸せる石甃の兩側秋草の生ひ亂れた社前數十歩の庭には、ホカ/\と心地よい秋の日影が落ちて居た。遠くで鷄の聲の聞えた許り、神寂びた宮居は寂然として居る。周匝にひゞく駒下駄の音を石甃に刻み乍ら、拜殿の前近く進んで、自分は圖らずも懷かしい舊知己の立つて居るのに氣付いた。舊知己とは、社前に相對してぬかづいて居る一双の石の狛である。詣づる人又人の手で撫でられて、其不恰好な頭は黒く膏光りがして居る。そして、其又顏といつたら、蓋し是れ天下の珍といふべきであらう。唯極めて無造作に凸凹を造へた丈けで醜くもあり、馬鹿氣ても居るが、克く見ると實に親しむべき愛嬌のある顏だ。全く世事を超越した高士の俤、イヤ、それよりも一段俗に離れた、俺は生れてから未だ世の中といふものが西にあるか東にあるか知らないのだ、と云つた樣な顏だ。自分は昔、よく友人と此處へ遊びに來ては、『石狛よ、汝も亦詩を解する奴だ。』とか、『石狛よ、汝も亦吾黨の士だ。』とか云つて、幾度も幾度も杖で此不恰好な頭を擲つたものだ。然し今日は、幸ひ杖を携へて居なかつたので、丁寧に手で撫でてやつた。目を轉ずると、杉の木立の隙から見える限り、野も山も美しく薄紅葉して居る。宛然一幅の風景畫の傑作だ。周匝には心地よい秋草の香が流れて居る。此香は又自分を十幾年の昔に返した。郷校から程近い平田野といふ松原、晴れた日曜の茸狩に、この秋草の香と初茸の香とを嗅ぎ分けつつ、いとけなき自分は、其處の松蔭、此處の松蔭と探し歩いたものであつた。――
晝餐をば御子田のお苑さんといふ從姉(新山堂の伯母さんの二番目娘で、自分より三歳の姉である。)の家で濟ました。食後、お苑さんは、去年生れた可愛い赤坊の小さい頭を撫で乍ら、『ひとつお世話いたしませうか、浩さん。』と云つた。『何をですか。』『アラ云はなくつても解つてますよ。綺麗な奧樣をサ。』と樂しげに笑ふのであつた。
歸路には、馬町の先生を訪ねて、近日中に厨川柵へ一緒に行つて貰ふ約束をした。馬町の先生といへば、説明するまでもない。此地方で一番有名な學者で、俳人で、能書家で、特に地方の史料に就いては、極めて該博精確な研究を積んで居る、自分の舊師である。
幅廣き美しい内丸の大逵、師範學校側の巨鐘が、澄み切つた秋の大空の、無邊際な胸から搾り出す樣な大梵音をあげて午後の三時を報じた時、自分は恰度其鐘樓の下を西へ歩いて居た。立派な縣廳、陰氣な師範學校、石割櫻で名高い裁判所の前を過ぎて、四辻へ出る。と、雪白の衣を着た一巨人が、地の底から拔け出た樣にヌッと立つて居る。――
これは此市で一番人の目に立つ雄大な二階立の白堊館、我が懷かしき母校である。盛岡中學校である。巨人? 然だ、慥かに巨人だ。啻に盛岡六千戸の建築中の巨人である許りでなく、また我が記憶の世界にあつて、總ての意味に於て巨人たるものは、實にこの堂々たる、巍然たる、秋天一碧の下に兀として聳え立つ雪白の大校舍である。昔、自分は此の巨人の腹中にあつて、或時は小ナポレオンであつた、或時は小ビスマークであつた、或時は小ギボンであつた、或時は小クロムウエルであつた、又或時は、小ルーソーとなり、小バイロンとなり、學校時代のシルレルとなつた事もある。嘗て十三歳の春から十八歳の春まで全五年間の自分の生命といふものは、實に此巨人の永遠なる一小部分であつたのだ。噫、然だ、然だつけ、と思ふと、此過去の幻の如き巨人が、怎やら搖ぎ出す樣に見えた。が、矢張動かなんだ、地から生え拔いた樣に微塵も動かなんだ、秋天一碧の下に雪白の衣を著て突立つたまま。
印度衰亡史は云はずもの事、まだ一册の著述さへなく、茨城縣の片田舍で月給四十圓の歴史科中等教員たる不甲斐なきギボンは、此時、此歴史的一大巨人の前におのづから頭の低るるを覺えた。
白色の大校舍の正面には、矢張白色の大門柱が、嚴めしく並び立つて居る。この門柱の兩の袖には、又矢張白色の、幾百本と數知れぬ木柵の頭が並んで居る。白! 白! 白! 此白は乃ち、此白い門に入りつ出つする幾多のうら若き學園の逍遙者の、世の塵に染まぬ潔白な心の色でがなあらう。柵の前には一列をなして老いた櫻の樹が立つて居る。美しく紅葉した其葉は、今傾きかけた午後三時の秋の日に照されて、いと物靜かに燃えて見える。五片六片、箒目見ゆる根方の土に散つて居るのもある。柵と櫻樹の間には一條の淺い溝があつて、掬はば凝つて掌上に晶ともなるべき程澄みに澄んだ秋の水が、白い柵と紅い櫻の葉の影とを浮べて流れて居る。柵の頭の尖端々々には、殆んど一本毎に眞赤な蜻蛉が止つて居る。
自分は、えも云はれぬ懷かしさと尊さに胸を一杯にし乍ら此の白門に向つて歩を進めた。溝に架した花崗岩の橋の上に、髮ふり亂して垢光りする襤褸を著た女乞食が、二歳許りの石塊の樣な兒に乳房を啣ませて坐つて居た。其周匝には五六人の男の兒が立つて居て、何か祕々と囁き合つて居る。白玉殿前、此一點の醜惡! 此醜惡をも、然し、自分は敢て醜惡と感じなかつた。何故なれば、自分は決して此土地の盛岡であるといふことを忘れなかつたからである。市の中央の大逵で、然も白晝、穢ない/\女乞食が土下座して、垢だらけの胸を披けて人の見る前に乳房を投げ出して居る! この光景は、大都乃至は凡ての他の大都會に決して無い事、否、有るべからざる事であるが、然し此盛岡には常にある事、否、之あるがために却つて盛岡の盛岡たる所以を發揮して見せる必要な條件であるのだ。されば自分は、之を見て敢て醜惡を感ぜなんだのみならず、却つて或る一種の興味を覺えた。そして靜かに門内に足を入れた。
校内の案内は能く知つて居る。門から直ぐ左に折れた、ヅカ/\と小使室の入口に進んだ。
『鹿川先生は、モウお退出になりましたか?』
鹿川先生といふは、抑々の創始から此學校と運命を偕にした、既に七十近い、徳望縣下に鳴る老儒者である。されば、今迄此處の講堂に出入した幾千と數の知れぬうら若い求學者の心よりする畏敬の情が、自ら此老先生の一身に聚つて、其痩せて千年の鶴の如き老躯は、宛然これ生きた教員の儀表となつて居る。自白すると自分の如きも昔二十幾人の教師に教を享けたるに不拘、今猶しみ/″\と思出して有難さに涙をこぼすのは、唯此鹿川先生一人であるのだ。今日の訪問の意味は、云はずと解つて居る。
自分の問に對して、三秒か五秒の間答がなかつたが、霎時して、
『イヤ、立花さんでアごあせんか? こりや怎うもお久振でごあんした喃。』
と、聞き覺えのある、錆びた/\聲が應じた。ああ然だ、この聲の主を忘れてはならぬ。鹿川先生と同じく、此校創立以來既に三十年近く勤續して居る正直者、歩振の可笑しなところから附けられた『家鴨』といふ綽名をも矢張三十年近く呼ばれて居る阿部老小使である。
『今日はハア土曜日でごあんすから、先生は皆お歸りになりあしたでア。』
土曜日? おゝ然であつた。學校教員は誰しも土曜日の來るを指折り數へて待たぬものがない。自分も其教員の一人であり、且つ又、この一週七曜の制は、黄道十二支と共に、五千年の昔、偉大なるアッケデヤ人の創めたもので、其後希臘人は此制をアレキサンデリヤから輸入し、羅馬人は西暦紀元の頃に八日一週の舊制を捨てて此制を採用し、ひいては今日の世界に到つたものである、といふ事をさへ、克く研究して居る癖に、怎うして今日は土曜日だといふ事を忘却して居たものであらう、誠に頓馬な話である。或は自分は、滯留三日にして早く既に盛岡人の呑氣な氣性の感化を蒙つたのかも知れない。
此小使室の土間に、煉瓦で築き上げた大きな竈があつて、其上に頗る大きな湯釜が、昔の儘に湯を沸らして居る。自分は此學校の一年生の冬、百二十人の級友に唯二つあてがはれた煖爐には、力の弱いところから近づく事も出來ないで、よくこの竈の前へ來て晝食のパンを噛つた事を思出した。そして、此處を立去つた。
門を出て、昔十分休毎によく藻外と花郷と三人で樂しく語り合つた事のある、玄關の上の大露臺を振仰いだ。と、恰度此時、女乞食の周匝に立つて居た兒供の一人が、頓狂な聲を張上げて叫んだ。
『あれ/\、がんこア來た、がんこア來た。』がんことは盛岡地方で『葬列』といふ事である。此聲の如何に高かつたかは、自分が悠々たる追憶の怡樂の中から、俄かに振返つて、其兒供の指す方を見たのでも解る。これは恰度、門口へ來た配達夫に、『△△さん、電報です。』と穩かに云はれるよりも、『電報ツ。』と取つて投げる樣なけたたましい聲で叫ばれる方が、一層其電文が心配なと同じ事で、自分は實際、甚珍しい葬列かと、少からず慌てたのであつた。
此頓狂なる警告は、嘘ではなかつた。幅廣く、塵も留めず美くしい、温かな秋の日に照された大逵を、自分が先刻來たと反對な方角から、今一群の葬列が徐々として聲なく練つて來る。然も此葬列は實に珍らしいものであつた。唯珍らしい許りではない、珍らしい程見すぼらしいものであつた。先頭に立つたのは、處々裂けた一對の高張、次は一對の蓮華の造花、其次は直ぐ棺である。此棺は白木綿で包まれた上を、無造作に荒繩で縛されて、上部に棒を通して二人の男が擔いだのであつた。この後には一群の送葬者が隨つて居る。數へて見ると、一群の數は、驚く勿れ、なつた六人であつた。驚く勿れとはいつたものの、自分は此時少なからず驚いたのである。更に又驚いたのは、此六人が、揃ひも揃つて何れも、少しも悲し氣な處がなく、靜肅な點もなく、恰も此見すぼらしい葬式に會する事を恥づるが如く、苦い顏をして遽々然と歩いて來る事である。自分は、宛然大聖人の心の如く透徹な無邊際の碧穹窿の直下、廣く靜な大逵を、この哀れ果敢なき葬列の聲無く練り來るを見て、或る名状し難き衝動を心の底の底に感じた。そして、此光景は蓋し、天が自分に示して呉れる最も冷酷なる滑稽の一であらうなどと考へた。と又、それも一瞬、これも一瞬、自分は、『これは囚人の葬列だ。』と感じた。
理由なくして囚人の葬式だナと、不吉極まる觀察を下すなどは、此際隨分突飛な話である。が、自分には其理由がある。――たしか十一歳の時であつた。早く妻子に死別れて獨身生活をして居た自分の伯父の一人が、窮迫の餘り人と共に何か法網に觸るる事を仕出來したとかで、狐森一番戸に轉宅した。(註、狐森一番戸は乃ち盛岡監獄署なり。)此時年齡が既に六十餘の老體であつたので、半年許り經つて遂々獄裡で病死した。此『悲慘』の結晶した遺骸を引取つたのは、今加賀野新小路に居る伯父である。葬式の日、矢張今日のそれと同じく唯六人であつた會葬者の、三人は乃ち新山堂の伯母さんとお苑さんと自分とであつた。自分は其時稚心にも猶この葬式が普通でない事、見すぼらしい事を知つて、行く路々ひそかに肩身の狹くなるを感じたのであつた。されば今、かの六人の遽々然たる歩振を見て、よく其心をも忖度する事が出來たのである。
これも亦一瞬。
列の先頭と併行して、櫻のの下を來る一團の少年があつた。彼等は逸早くも、自分と共に立つて居る『警告者』の一團を見付けて、駈け出して來た。兩團の間に交換された會話は次の如くである。
『何處のがんこだ?』『狂人のよ、繁のよ。』『アノ高沼の繁狂人のが?』『ウム然よ、高沼の狂人のよ。』『ホー。』『今朝の新聞にも書かさつて居だずでや、繁ア死んで好えごどしたつて。』『ホー。』
高沼繁? 狂人繁! 自分は直ぐ此名が決して初對面の名でないと覺つた。何でも、自分の記憶の底に沈んで居る石塊の一つの名も、たしか『高沼繁』で、そして此名が、たしか或る狂人の名であつた樣だ。――自分が恁う感じた百分の一秒時、忽ち又一事件の起るあつて少からず自分を驚かせた。
今迄自分の立つて居る石橋に土下座して、懷中の赤兒に乳を飮ませて居た筈の女乞食が、此時卒かに立ち上つた。立ち上るや否や、茨の髮をふり亂して、帶もしどけなく、片手に懷中の兒を抱き、片手を高くさし上げ、裸足になつて驅け出した。驅け出したと見るや否や、疾風の勢を以て、かの聲無く靜かに練つて來る葬列に近づいた。近づいたなと思ふと、骨の髓までキリ/\と沁む樣な、或る聽取り難き言葉、否、叫聲が、嚇と許り自分の鼓膜を突いた。呀ツと思はず聲を出した時、かの聲無き葬列は礑と進行を止めて居た、そして棺を擔いだ二人の前の方の男は左の足を中有に浮して居た。其爪端の處に、彼の穢い女乞食がと許り倒れて居た。自分と並んで居る一團の少年は、口々に、聲を限りに、『あやア、お夏だ、お夏だッ、狂女だッ。』と叫んだ。
『お夏』と呼ばれた彼の女乞食が、或る聽取り難い言葉で一聲叫んで、棺に取縋つたのだ。そして、彼の擔いで居る男に蹴倒されたのだ。この非常なる活劇は、無論眞の一轉瞬の間に演ぜられた。
噫、噫、この『お夏』といふ名も亦、決して初對面の名ではなかつた。矢張自分の記憶の底に沈んで居る石塊の一つの名であつた。そして此名も、たしか或る狂女の名であつた樣だ。
以上二つの舊知の名が、端なく我頭腦の中でカチリと相觸れた時、其一刹那、或る莊嚴な、金色燦然たる一光景が、電光の如く湧いて自分の兩眼に立ち塞がつた。
自分は今、茲に霎時、五年前の昔に立返らねばならぬ。時は神無月末の或る朝まだき、處は矢張此の新山祠畔の伯母が家。
史學研究の大望を起して、上京を思立つた自分は、父母の家を辭した日の夕方、この伯母が家に著いて、晩れ行く秋の三日四日、あかぬ別れを第二の故郷と偕に惜まれたのであつた。
一夜、伯母やお苑さんと隨分夜更くるまで語り合つて、枕に就いたのは、遠近に一番鷄の聲を聞く頃であつたが、翌くる朝は怎うしたものか、例になく早く目が覺めた。枕頭の障子には、わづかに水を撒いた許りの薄光が聲もなく動いて居る。前夜お苑さんが、物語に氣を取られて雨戸を閉めるのを忘れたのだ。まだ/\、早いな、と思つたが、大望を抱いてる身の、宛然初陣の曉と云つたやうな心地は、目がさめてから猶温かい臥床を離れぬのを、何か安逸を貪る所業の樣に感じさせた。自分は、人の眠を妨げぬやうに靜かに起きて、柱に懸けてあつた手拭を取つて、サテ音させぬ樣に障子を明けた。秋の朝風の冷たさが、颯と心地よく全身に沁み渡る。庭へ下りた。
井戸ある屋後へると、此處は半反歩許りの野菜畑で、霜枯れて地に伏した里芋の廣葉や、紫の色褪せて莖許りの茄子の、痩せた骸骨を並べてゐる畝や、拔き殘された大根の剛ばつた葉の上に、東雲の光が白々と宿つて居た。否これは、東雲の光だけではない、置き餘る露の珠が東雲の光と冷かな接吻をして居たのだ。此野菜畑の突當りが、一重の木槿垣によつて、新山堂の正一位樣と背中合せになつて居る。滿天滿地、闃として脈搏つ程の響もない。
顏を洗ふべく、靜かに井戸に近いた自分は、敢て喧ましき吊車の音に、この曉方の神々しい靜寂を破る必要がなかつた。大きい花崗岩の臺に載つた洗面盥には、見よ/\、溢れる許り盈々と、毛程の皺さへ立てぬ秋の水が、玲瓏として銀水の如く盛つてあるではないか。加之、此一面の明鏡は又、黄金の色のいと鮮かな一片の小扇さへ載せて居る。――すべて木の葉の中で、天が下の王妃の君とも稱ふべき公孫樹の葉、――新山堂の境内の天聳る母樹の枝から、星の降る夜の夜心に、ひらり/\と舞ひ離れて來たものであらう。
自分は唯恍として之に見入つた。この心地は、かの我を忘れて、魂無何有の境に逍遙ふといふ心地ではない。謂はゞ、東雲の光が骨の中まで沁み込んで、身も心も水の如く透き徹る樣な心地だ。
較々霎時して、自分は徐ろに其一片の公孫樹の葉を、水の上から摘み上げた。そして、一滴二滴の銀の雫を口の中に滴らした。そして、いと丁寧に塵なき井桁の端に載せた。
顏を洗つてから、可成音のせぬ樣に水を汲み上げて、盥の水を以前の如く清く盈々として置いて、さて彼の一片の小扇をとつて以前の如くそれに浮べた。
恁して自分は、云ふに云はれぬ或る清淨な滿足を、心一杯に感じたのであつた。
起き出でた時よりは餘程明るくなつたが、まだ/\日の出るには程がある。家の中でも隣家でも、誰一人起きたものがない。自分は靜かに深呼吸をし乍ら、野菜畑の中を彼方此方と歩いて居た。
だん/\進んで行くと、突當りの木槿垣の下に、山の端はなれた許りの大滿月位な、シッポリと露を帶びた雪白の玉菜が、六個七個並んで居た。自分は、霜枯れ果てた此畑中に、ひとり實割れるばかり豐かな趣きを見せて居る此『野菜の王』を、少なからず心に嬉しんだ。
不圖、何か知ら人の近寄る樣なけはひがした。菜園滿地の露のひそめき乎? 否否、露に聲のある筈がない。と思つて眼を轉じた時、自分はひやりと許り心を愕かした。そして、呼吸をひそめた。
前にも云つた如く、今自分の前なる古い木槿垣は、稻荷社の境内と此野菜畑との境である。そして此垣の外僅か數尺にして、朽ちて見える社殿の最後の柱が立つて居る。人も知る如く、稻荷社の背面には、高い床下に特別な小龕を造られてある。これは、夜な/\正一位樣の御使なる白狐が來て寢る處とかいふ事で、かの鰯の頭も信心柄の殊勝な連中が、時に豆腐の油揚や干鯡、乃至は強飯の類の心籠めた供物を入れ置くところである。今自分は、落葉した木槿垣を透して、此白狐の寢殿を内部まで窺ひ見るべき地位に立つて居たのだ。
然し、自分のひやりと許り愕いたのは、敢て此處から、牛の樣な白狐が飛び出したといふ譯ではなかつた。
此古い社殿の側縁の下を、一人の異裝した男が、破草履の音も立てずに、此方へ近づいて來る。背のヒョロ高い、三十前後の、薄髯の生えた、痩せこけた頬に些の血色もない、塵埃だらけの短い袷を著て、穢れた白足袋を穿いて、色褪せた花染メリンスの女帶を締めて、赤い木綿の截片を頸に捲いて……、俯向いて足の爪尖を瞠め乍ら、薄笑ひをして近づいて來る。
自分は一目見た丈けで、此異裝の男が、盛岡で誰知らぬものなき無邪氣な狂人、高沼繁であると解つた。彼が日々喪狗の如く市中を彷徨いて居る、時として人の家の軒下に一日を立ち暮らし、時として何か索むるものの如く同じ路を幾度も/\往來して居る男である事は、自分のよく知つて居る處で、又、嘗て彼が不來方城頭に跪いて何か呟やき乍ら天の一方を拜んで居た事や、或る夏の日の眞晝時、恰度課業が濟んでゾロ/\と生徒の群り出づる時、中學校の門前に衞兵の如く立つて居て、出て來る人ひとり/\に慇懃な敬禮を施した事や、或る時、美人の名の高かつた、時の縣知事の令夫人が、招魂社の祭禮の日に、二人の令孃と共に參拜に行かれた處が、社前の大廣場、人の群つて居る前で、此男がフイと人蔭から飛び出して行つて、大きい淺黄色の破風呂敷を物をも云はず其盛裝した令夫人に冠せた事などは、皆自分の嘗て親しく目撃したところであつた。彼には父もあり母もある、また家もある。にも不拘、常に此新山堂下の白狐龕を無賃の宿として居るといふ事も亦、自分の聞き知つて居る處である。
異裝の男の何人であるかを見定めてからは、自分は平生の通りの心地になつた。そして可成く彼に曉られざる樣に息を殺して、好奇心を以て仔細に彼の擧動に注目した。
薄笑をして俯向き乍ら歩いて來る彼は、軈て覺束なき歩調を進めて、白狐龕の前まで來た。そして礑と足を止めた。同時に『ウッ』と聲を洩して、ヒョロ高い身體を中腰にした。ヂリ/\と少許づつ少許づつ退歩をする。――此名状し難き道化た擧動は、自分の危く失笑せむとするところであつた。
殆んど高潮に達した好奇心を以て、自分は彼の睨んで居る龕の内部を覗いた。
今迄毫も氣が附かなんだ、此處にも亦一個の人間が居る。――男ではない。女だ。赤縞の、然し今はただ一色に穢れはてた、肩揚のある綿入を着て、グル/\卷にした髮には、よく七歳八歳の女の子の用ゐる赤い塗櫛をチョイとして、二十の上を一つ二つ、頸筋は垢で眞黒だが顏は圓くて色が白い……。
これと毫厘寸法の違はぬ女が、昨日の午過、伯母の家の門に來て、『お頼のまうす、お頼のまうす。』と呼んだのであつた。伯母は臺所に何か働いて居つたので、自分が『何處の女客ぞ』と怪しみ乍ら取次に出ると、『腹が減つて腹が減つて一足も歩かれなエハンテ、何卒何か……』と、いきなり手を延べた。此處へ伯母が出て來て、幾片かの鳥目を惠んでやつたが、後で自分に恁話した。――アレはお夏といふ女である。雫石の旅宿なる兼平屋(伯母の家の親類)で、十一二の時から下婢をして居たもの。此頃其旅宿の主人が來ての話によれば、稚い時は左程でもなかつたが、年を重ぬるに從つて段々愚かさが増して來た。此年の春早く連合に死別れたとかで獨身者の法界屋が、其旅宿に泊つた事がある。お夏の擧動は其夜甚だ怪しかつた。翌朝法界屋が立つて行つた後、お夏は門口に出て、其男の行つた秋田の方を眺め/\、幾等叱つても嚇しても二時間許り家に入らなかつた。翌朝主人の起きた時、お夏の姿は何處を探しても見えなかつた。一月許り前になつて偶然歸つて來た。が其時はもう本當の愚女になつて居て、主人であつた人に逢ふても、昔の禮さへ云はなんだ。半年有餘の間、何をして來たかは無論誰も知る人は無いが、歸つた當座は二十何圓とかの金を持つて居つたさうナ。多分乞食をして來たのであらう。此盛岡に來たのは、何日からだか解らぬが、此頃は毎日彼樣して人の門に立つ。そして、云ふことが何時でも『お頼のまうす、腹が減つて、』だ。モウ確然普通の女でなくなつた證據には、アレ浩さんも見たでせう、乞食をして居乍ら、何時でもアノ通り紅をつけて新らしい下駄を穿いて居ますよ。夜は甚處に寢るんですかネー。――
此お夏は今、狹い白狐龕の中にペタリと坐つて、ポカンとした顏を入口に向けて居たのだ。餘程早くから目を覺まして居たのであらう。
中腰になつてお夏を睨めた繁は、何と思つたか、犬に襲はれた猫のする樣に、脣を尖らして一聲『フウー』と哮んだ。多分平生自分の家として居る場所を、他人に占領された憤怒を洩したのであらう。
お夏は又何と思つたか、卒かに身を動かして、射に背を繁に向けた。そして何やら探す樣であつたが、取り出したのは一個の小さい皿――紅皿である、呀と思つて見て居ると、唾に濡した小指で其紅を融かし始めて二度三度薄からぬ脣へ塗りつけた。そして、チョイと恥かしげに繁の方に振向いて見た。
繁はビク/\と其身を動かした。
お夏は再び口紅をつけた。そして再び振向いて恥かしげに繁を見た。
繁はグッと喉を鳴らした。
繁の氣色の稍々動いたのを見たのであらう。お夏は慌しく三度口紅をつけた。そして三度振向いた、が、此度は恥し氣にではない。身體さへ少許捩向けて、そして、そして、繁を仰ぎ乍らニタ/\と笑つた。紅をつけ過した爲に、日に燃ゆる牡丹の樣な口が、顏一杯に擴がるかと許り大きく見える。
自分は此時、全く現實と云ふ觀念を忘れて了つて居た。宛然、ヒマラヤ山あたりの深い深い萬仭の谷の底で、巖と共に年を老つた猿共が、千年に一度演る芝居でも行つて見て居る樣な心地。
お夏が顏の崩れる許りニタ/\/\と笑つた時、繁は三度聲を出して『ウッ』と唸つた。と見るや否や、矢庭に飛びついてお夏の手を握つた。引張り出した。此時の繁の顏! 笑ふ樣でもない、泣くのでもない。自分は辭を知らぬ。
お夏は猶ニタ/\と笑い乍ら、繁の手を曳くに任せて居る。二人は側縁の下まで行つて見えなくなつた。社前の廣庭へ出たのである。――自分も位置を變へた。廣庭の見渡される場所へ。
坦たる廣庭の中央には、雲を凌いで立つ一株の大公孫樹があつて、今、一年中唯一度の盛裝を凝して居た。葉といふ葉は皆黄金の色、曉の光の中で微動もなく、碧々として薄り光澤を流した大天蓋に鮮かな輪廓をとつて居て、仰げば宛然金色の雲を被て立つ巨人の姿である。
二人が此公孫樹の下まで行つた時、繁は何か口疾に囁いた。お夏は頷いた樣である。
忽ち極めて頓狂な調子外れな聲が繁の口から出た。
『ヨシキタ、ホラ/\』
『ソレヤマタ、ドッコイショ。』
とお夏が和した。二人は、手に手を放つて踊り出した。
踊といつても、元より狂人の亂雜である。足をさらはれてお夏の倒れることもある。と衝き當つて二人共々重なり合ふ事もある。繁が大公孫樹の幹に打衝つて度を失ふ事もある。そして、恁ういふ事のある毎に、二人は腹の底から出る樣な聲で笑つて/\、笑つて了へば、『ヨシキタホラ/\』とか、『ソレヤマタドッコイショ』とか、『キタコラサッサ』とか調子をとつて再び眞面目に踊り出すのである。
玲々と聲あつて、神の笑ひの如く、天上を流れた。――朝風の動き初めたのである。と、巨人は其被て居る金色の雲を斷り斷つて、昔ツオイスの神が身を化した樣な、黄金の雨を二人の上に降らせ始めた。嗚呼、嗚呼、幾千萬片の數の知れぬ金地の舞の小扇が、縺れつ解けつヒラ/\と、二人の身をも埋むる許り。或ものは又、見えざる絲に吊らるる如く、枝に返らず地に落ちず、光ある風に身を揉ませて居る。空に葉の舞、地の人の舞! 之を見るもの、上なるを高しとせざるべく、下なるを卑しとせざるべし。黄金の葉は天上の舞を舞ふて地に落つるのだ。狂人繁と狂女お夏とは神の御庭に地上の舞を舞ふて居るのだ。
突如、梵天の大光明が、七彩嚇灼の耀を以て、世界開發の曙の如く、人天三界を照破した。先づ雲に隱れた巨人の頭を染め、ついで、其金色の衣を目も眩く許に彩り、軈て、普ねく地上の物又物を照し出した。朝日が山の端を離れたのである。
見よ、見よ、踊りに踊り、舞ひに舞ふお夏と繁が顏のかゞやきを。痩せこけて血色のない繁は何處へ行つた? 頸筋黒くポカンとしたお夏は何處へ行つた? 今此處に居るのはこれ、天の日の如くかがやかな顏をした、神の御庭の朝の舞に、遙か下界から選び上げられた二人の舞人である。金色の葉がしきりなく降つて居る。金色の日光が鮮やかに照して居る。其葉其日光のかゞやきが二人の顏を恁染めて見せるのか? 否、然ではあるまい。恐らくは然ではあるまい。
若し然とすると、それは一種の虚僞である。此莊嚴な、金色燦然たる境地に、何で一點たりとも虚僞の陰影の潜むことが出來よう。自分は、然でないと信ずる。
全く心の働きの一切を失つて、唯、恍として、茫として、蕩として、目前の光景に我を忘れて居た自分が、此時僅かに胸の底の底で、あるかなきかの聲で囁やくを得たのは、唯次の一語であつた。――曰く、『狂者は天の寵兒だと、プラトーンが謂つた。』と。
お夏が聲を張り上げて歌つた。
『惚れたーアー惚れたーのーオ、若松樣アよーオー、ハア惚れたよーッ。』
『ハア惚れた惚れた惚れたよやさー。』
と繁が次いだ。二人の天の寵兒が測り難き全智の天に謝する衷心の祈祷は、實に此の外に無いのであらう。
電光の如く湧いて自分の兩眼に立ち塞がつた光景は、宛然幾千萬片の黄金の葉が、さといふ音もなく一時に散り果てたかの樣に、一瞬にして消えた。が此一瞬は、自分にとつて極めて大切なる一瞬であつた。自分は此一瞬に、目前に起つて居る出來事の一切を、よく/\解釋することが出來た。
疾風の如く棺に取り縋つたお夏が、蹴られてと倒れた時、懷の赤兒が『ギャッ』と許り烈しい悲鳴を上げた。そして其悲鳴が唯一聲であつた。自分は飛び上る程吃驚した。あゝ、あの赤兒は、つぶされて死んだのではあるまいか。……
了
底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社
1970(昭和45)年11月20日発行
※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年3月20日作成
2011年4月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。