目次
 書肆岩波氏の需めにより、岩波文庫の一篇として、ここに私の作詩撰集を出すことになつた。
 選をするにあたり、私はただ自分の好みにのみしたがつて取捨をきめた。紙數が限られてゐるので、暮笛集では尼が紅、二十五絃では雷神の夢、天馳使、十字街頭では葛城の神などの長篇を收容することができなかつたのを遺憾に思ふ。
  昭和三年三月

薄田淳介
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雪の降る日に柊の
あかい木の實がたべたさに、
柊の葉ではじかれて、
ひよんな顏する冬の鳥、
泣くにや泣かれず、笑ふにも、
ええなんとせう、冬の鳥。


紺の法被はつぴに白ぱつち、
いきな姿のつばくらさん、
お前が來ると雨が降り、
雨が降る日に見たらしい
むかしの夢を思ひ出す。


み山頬白鳴くことに、
一筆啓上つかまつる、
故郷くにを出てからまる二年、
まめで其方そなたも居やるかと、
つひぞ忘れた事もない、
風のたよりにことづてて、
木の實草の實やりたいが、
お山の鳥の世わたりは、
春の彼岸が來てからは、
雛のそだてに忙しうて、
ひまな日とては御座らない。


お山の猿はおどけもの、
今日も今日とて店へ來て、
胡桃を五つ食べた上、
背廣の服の隱しから、
銀貨を一つ取り出して、
釣錢つりはいらぬと、上町の
旦那のまねをしてゐたが、
銀貨はにせの人だまし、
釣錢つりのあらう筈がない、
おふざけでないと言つたれば、
帽子しやつぽいで、二度三度
お詫び申すといふうちに、
背廣の服のやぶれから
尻尾しつぽを出して逃げちやつた。


わたしの裏の梅の木に、
雀が三羽止まつて、
一羽の雀のいふことに、
「うちの子供のいたづらな、
わたしの留守をよいことに、
卵は盜む、巣はこはす、
なんぼ鳥でもうみの子の
いとし可愛はあるものを。」

なかの一羽のいふことに、
「うちの子供のもの好きな、
わたしが山へ行つた間に、
つひこつそりと巣の中へ、
雲雀の卵をしのばせて、
知らぬ繼子まゝこへさせた。」

あとの一羽のいふことに、
「うちの子供のしんせつな、
わたしの子らが巣立して、
つひ路邊みちばたへ落ちたとき、
まるいお手手にとりあげて、
枝にかへして呉れました。」


向う小山の雉の子は、
何になるとてほろろうつ、
鷲になるとてほろろうつ。
鷲になるまい、鷹になろ、
鷹になるまい、雉になろ。

雉は山鳥、山の木へ、
人に知られぬ巣をかけて、
やんがて雛をあやすとて、
ほろろほろろと唄ひます。


きのふは桃の花が咲き、
けふは燕が巣にかへる。
雛の節句が來てからは、
いそがしぶりの増すばかり、
せめて一日寢てゐたい。


今日も小雨こさめ
降るさうな。
お寺の庭の
菩提樹に、
じやの目の傘に、
つばくろに、
わたしが結うた
鉢の木の
てりてり法師に、
まださめぬ
晝寢の夢の
あの人に。


小春日和の牧の野で、
※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)とりあひるが落ち合うて、
噂に聞いた薄鈍うすのろ
驢馬と豚とを比べたら、
どちらが兄でえらかろと
※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)と鵞のものがたり。

ところへ驢馬と豚が來て、
豚はそろそろ居睡るし、
驢馬は大きく欠伸あくびする。
揃ひも揃つたお方だと、
※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)と鵞は驚いて、
鵞は水へ、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)は野へ。


山の朽木くちき焦色こげいろ
きのこが一つ生えたのを、
兎はゆふべここに來た
鬼が落した角といひ、
まみはお山の山姥やまうば
魔法使ひの手だといふ。
そこで二人が連れだつて、
お山の猿を訪ねたら、
知つたかぶりの猿公えてこうは、
それは角でも手でもない、
お慈悲の深い神樣が、
お猿に呉れた床几しやうぎだと、
言ひまぎらした口まめに、
まみも兎も合點して、
山のきのこはその日から、
ずるいお猿の腰かけと、
いつの代までもなつたとさ。


白いがひの親鳥が
白い卵をぬくめたに、
出來たひよこはまだら毛の
ふつくりとした羽だつた。

鳶と梟と蝙蝠が
山から里へ見に來れば、
雛は親のふところに
こそりこそりともぐりこむ。


棗の枝をゆすぶれば、
黄金こがねの色の實が落ちる。
妹が一人あつたなら、
夏は二人でうれしかろ。

一人はあつた妹は、
いつぞや遠い國へ往つた。
知らぬ木蔭でこのやうに
夏は木の實を拾ふやら。


山家やまがそだちの五郎助が、
町へ出てから二十日目はつかめに、
うまれの里が戀しうて、
峠の道へ來かかれば、
いたづら好きの梟が、
「五郎助もつと奉公」と、
寺の和尚の口眞似を、
「さうでござる」と五郎助は、
山をあちらへ、とぼとぼと
またも町へと後がへり。


山家そだちの五郎助が、
町へ出てから九年目に、
寶のかずを背に負うて、
峠の道へ來かかれば、
いたづら好きの梟が、
「五郎助よくも奉公」と、
寺の和尚の口眞似を、
「さうでもない」と五郎助は、
山をこちらへ、いそいそと
うまれのさとへ初見舞。


お山育ちのほほじろが
山がつらいと里へ來て、
里でられて、ほほじろが
山が戀しと鳴きまする。


お花はいつも早起で、
水桶さげて井戸にゆき、
與作はいつも晏起おそおきで、
草籠負うて野へ出ます。

通りすがりのはんの木の
榛の木かげで逢ふ時は、
二人はいつもお早うと、
會釋ゑしやくしあうて行きまする。


山家そだちの野苺のいちごが、
麥の穗も出る夏の朝、
れて、摘まれて、送られて、
都の市に來てみれば、
朝も葉末の露はなし、
晝も小鳥の音は聞かず、
なんぼむかしがよかろかと、
西日のさした店先で、
娘のやうな息をして、
身の仕合せを泣いたとさ。


梟が水を泳ぐなら、
海鼠なまこが山へのぼるなら、
※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)むぐらが唄をうたふなら、
道化どけ眼鏡めがねを覗くより、
なんぼうそれが可笑しかろ。

梟は水に沈まうし、
海鼠は路で滑らうし、
※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)鼠は唄をどもらうし、
その可笑しさに神樣も
なかかかへて笑はれう。


田のの稻は刈られたし、
の往のとは思へども、
あとに名殘が惜まれて、
昨日も今日も往にかねた
麓の里のつばくらめ。

いつそ今年は泊ろかと、
古巣にまたも來たものの、
獨り住居すまひのともすれば、
落葉の音に、南國なんごく
夏を夢みるつばくらめ。


星が空から落ちて來て、
花が代りにかれたら、
空はやつぱり光らうし、
野路もきつと明るかろ。

てんの使がおりて來て、
星は殘らず取り去ろが、
み空の花を拾ふには、
ああ羽はなし、しよんがいな。


お山育ちの鶯が
たまに都へのぼるとて、
ひと夜の宿をかりかねて、
梅の小枝で晝寢たら、
花が小聲でいふことに、
お前が宮に仕へたら、
黄金格子こがねがうしの鳥籠で、
玉の餌にも飽かれうが、
茱萸ぐみの實食べたふるさとの
野山の唄は忘れませう。


お山の猿が袈裟けさを着て、
かどへ來たなら何とせう。
山のお寺の法師さま、
いらせられいと迎へます。

もしもお袈裟が綻びて、
尻尾しつぽが出たら何とせう。
町のお針を呼んできて、
仕立おろしをあげませう。


二十日はつか鼠は巣にこもる、
鮎は流れの瀬をくだる、
圓葉柳まるばやなぎの葉は落ちる、
新嘗祭過ぎてから、
秋は寂しい日ばかりで、
今日も時雨がふるさうな。


向う小山の山のに、
日は照りながら雨が降る。
野らの狐の嫁入が
楢の林を通るげな。

をさな馴染の小狐を
向う小山へ立たせたら、
明日より誰をつれにとて、
まみは古巣で泣いてろ。


大芥菜たかな畑の垣の根に、
二十日はつか鼠がすんでゐる。
小春日和のおひるすぎ、
巣を出て來ては餌をさがす。

大芥菜畑のはんの樹の
枯れた一葉が散る音に、
二十日鼠の臆病な、
餌を食べさして巣へ逃げる。


山の南の山畑で、
玉蜀黍の葉が鳴るは、
いたづら好きな野鼠が、
ゑさをたづねに來たのやら。

山の南の山畑で、
玉蜀黍の葉が鳴るは、
鼠で無うて、としよりな
秋が來たのであつたげな。


鳥がなきます、
鳴くも、やれさて、
野べに、山べに、
夏が來たとて。

花のこぼれた
森の小路こみちを、
春はぬやら、
なごり惜しやの。


北と南の海越えて
都へまゐる仲ながら、
噂にのみでつひぞまだ
見もせぬかりとつばくらめ。

いつかは花のさくら木の
咲いた小枝で北海きたうみ
はなしを聞こと思へども、
さて折がないつばくらめ。

いつかは枯れた葦はらの
水のほとりで南國なんごく
噂しようと思へども、
さて折がないかりの鳥。

いつかいつかとるたびに
思はぬことはないけれど、
ことしもつひぞはれずに
つばめは南、かりは北。
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斧にたふれし白檀びやくだん
高き森に散る如く、
薄衣とけば遠き世の
ふかきにほひぞ身に逼る。
向へば花の羽衣の
袖のかをりを鼻に嗅ぎ、
叩けば玉の白金しろがね
冠冕かむりはじく響あり。

あな古鏡、にし世に、
ぬかしろかりし※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じやうらふ
戀のうらみに世をすてし
今はのきはのかたみとや、
横さにかかる薄雲の
曇れる影も故づきて、
頼もしき哉、祭壇かみどこ
清き姿をうち湛ふ。

手なれし人も見ずひさに、
冷えたるおもにさはりみよ、
花くだけちる短夜を、
瞳子ひとみ凝らしし少女子が
やわき額をながれけむ
熱き血汐の湧きかへり、
春の潮と見る迄に、
昔の夢の騷ぐらし。

亂心地みだりごこちの堪へざるに、
泡咲く酒の雫だに、
渇ける舌にふくませよ、
袖に抱きて人知れず、
深野ふけぬの末に踏み入りて、
妻覓めまぎとも見む物狂ものぐるひ
そびらたたきて面撫でて、
わが友得ぬと歌はまし。

宿る人靈すだまのひびらかば、
怨みある世の夢がたり、
今もむかしも嫉みある
女神、女子をみなにつれなくて、
人の情の薄かるに、
細き命をつなぎわび、
泣きて逝きけむ上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)
めし思を悼ままし。

ああ幾度か、若き身の
狂氣くるひをこそは望みしか。
今ぞきようあり、怨みある
その世の記念かたみ古鏡ふるかがみ
わがふところにをさめ得ば、
京童きやうわらんべは嘲るも、
世の煩らひを打ち捨てて、
もの狂はしき身とならむ。

なう古鏡、このあした、
なれを抱きて歎く身の
述懷おもひは夢か、蜃氣樓かひやぐら
それにも似つる幻か、
いずれ覺むべきものならば、
儘よ、短かき晝の間を、
飽かぬ睦びにあくがれて、
悲しき闇を忘れまし。


春ゆく夕、白藤の
花ちる蔭に身をよせて、
泣くは行末、さだめなき
世のならはしを思ふもの。

知らじや、薄き花びらに
春の日を燒くかをりあり。
見じや、か細き鬢莖びんぐき
かなへをあぐる力あり。

路いそぎゆく旅の人、
しばし木暗こぐれに立ちよりて、
冷たき胸を叩く手に、
など若き身を抱かざる。

誰に語らん、和肌やははだ
指をさはればうとましや、
潮に似たる胸の
浪とゆらぐを今ぞ知る。

てさぶる酒甕もたひには、
色濃き酒の湧くものを、
痩せしかひなに血も冷えて、
苦き涙をぬぐふかな。

夏きてまたも新らしく
薄ら衣服ごろもを裁ちきれど、
もろきいのちをおもひみて、
たたむに惜しき染小袖。

神よじやうある人の子に、
盲目めしひをゆるせ、ゆく春の
長きうれひを眺めては、
か弱き胸の堪へざるに。


冷たき土窟むろかもされて、
若紫の色深く
泡さく酒の盃を、
わがくちびるに含ませよ、
暮れ行く春を顫きて、
細き腕の冷ゆる哉。

周章あわつる佐保姫が、
旅の日くか、この夕、
人は夕飯ゆふげに耽る間を、
花そこここに散りこぼれ、
痛ましきかな、春の日の
快樂けらくも土にかへりけり。

垂るる若葉の下がくれ、
亂れて細き燈火に、
ひとみ凝らして見入るれば、
うてなにぬれる蘂の粉が
花なき今も香を吹きて、
殘れる春を燒かんとす。

足にさはりて和らかき
名もなき草の花ふみて、
思ふは脆き人の春、
あなうらあらき運命に、
戀の花びらしだかれて
しをれゆく日の無くてかは。

暗まだ薄き彼方より、
常若とこわかに笑む星の影、
智慧あるふりにきらめきて、
と知らす顏付よ。
今冷やかに見かへして、
しろき笑ひや浮べまし。

耳をすませば薄命の
長き恨か、暗の夜を
くだけて落つる芍藥や、
吾も沈めるこの夜半よはを、
花の小草をぐさのしたかげに
蟲とやならむ、にゑひて。

かかる靜寂しじまをことならば、
心ある子がものすさび、
わななくいとにふれもせば、
弱き我身はくだけても、
琴ひく君が胸のに、
涙のかぎりかけましを。

ああ、恨みある春の夜の
よはのあらしに熱情の
焔な消しそ、木がくれに
のがれて急ぐ佐保姫が
旅路を詛ふ蠱術まじもの
息吹いぶきとはかん火ぞ、これは。


吹革ふいご祭の日は寒く、
鍛冶かぬちが妻ぞ唯ひとり、
ひねもす窓に居る時、
軒端づたひにこそつきて、
掛菜かけなをそそる音きけば、
鷦鷯みそさざいと知られけり。

樵夫きこりの娘爪先を
爐にあたたむる雪の朝、
いきふく聲を洩れ聞きて、
情郎せここそ呼べと駈けいでて、
あはれや軒に立ちくらし、
凍えて泣きしはなしあり。

今朝しも山に分け入りて、
谷の小蔭に唯一羽、
き嘴に萱さきて、
巣をあむ振を認めしが、
かへりていもにささやくに、
なほわが聲をはばかりぬ。

なう鷦鷯みそさざいづたひに
ひとり興がる歌きけば、
夏の日なかの野の鳥の
誇る羽振も忘れはて、
簑蟲みて飛びてゆく
が姿をぞでしるる。


  兄
冬の日背をあたたむる
南の窓のたたずまひ、
やわらぐる心地すに、
暫しきたまへ妹よ。

廚女くりやめなくて君ひとり、
の細るまで針づとめ、
今朝人もこそおとなはね、
心なぐさに歌はまし。

  妹
やさしき君がことばかな、
朝食あさげの皿は注ぎたり、
春着の袖はなほ裁たず、
しばしはともにかたらまし。

ふた親ともに逝きまして、
ひろきこの世に淋しくも、
君がなさけの言の葉に、
うさ慰むるわが身なり。

  兄
世にたのしきは、妹の
針とる傍によりそひて、
春の日ながをひもすがら
讀むいにしへの歌のまき

わがよむふみのつくるころ、
きみはたきぬをぬひをへて、
手に手をとりて花かげに、
鹿の子のごとくをどるとき。

  妹
世にをかしきは、吾兄の
廚のかたに音すると、
手にとるふみを讀みさして、
ものおそれする夜なかどき。

あふあかしをとりもちて、
さむき廚のしのびあし、
うつばり走る鼠子の
ちひさ姿をみいる時。

  兄
春の夜ふかく月影に、
庭の樹間このまをさまよひて、
よき物の音のきかましき
宵よといへば、妹は―

やをら緒琴をごとをとりおろし、
かなでいでつる一曲の
あまりに調てうのかなしきに、
睫毛まつげうるみし夜もありき。

  妹
琴ひきさして見かへれば、
火影ほかげにそむき歎くにぞ、
おぼろにしづむ春の夜に、
何かこつやとこと問へば、

さばかり音のかなしきは、
がせつなかる魂の
あらはれとしも思ふにぞ、
いぢらしとこそ歎きしか。

  兄
夏朝早く水くむと、
甕を抱きて走りしが、
またかへり來て、躓きぬ、
甕はわれぬと歎くにぞ、

碎くるもよし、すゑものの
甕には惜しき涙ぞと、
いへば、つぶらに眼をひらき、
かた笑みせしはが子ぞや。

  妹
秋の日、小狗こいぬかくれきて、
手馴たなれの兎捕られぬと、
歌をもよまで窓に凭り、
面杖つらづゑつきて沈めるを、

朝菜あさなつむとてはたにゆき、
芋の葉かげにそれを見て、
抱きかへれば、よろこびて
ぬかづきし日は何日なりし。

  兄
五月さつきの雨の夕闇を、
奧の一間にものの
樣こそすれとふためきて
われかのさまに物狂。

あかしかざしてうかがへば、
人しれずこそ物かげに、
黒毛の猫のつくばひて、
闇をみつめしをかしさよ。

  妹
あさ逍遙せうえうの其の一日、
葡萄の棚の下かげに、
戀歌こひかよまめとすずろぎて、
うつけしさまにたてる時。

ふとしもものに躓きて、
眉根ひそめてむづかるに、
をりこそあれと葉がくれの、
實の一ふさを捧げしよ。

  兄
昨日きのふ姫桃ひめももちりこぼれ、
ぐはしき春の日を、
丸髷姿あえかにて、
君窓による夢をみぬ。

七春ななはるたる樟樹くすのき
若葉そろひて立つ如く、
びんづらのたわむまで、
髮ふさやかにたけけりな。

  妹
いはば巫覡かんなぎいからしく
皺める人に説くに似て、
夢といふなるいつはりを、
鼻うそやぎに見て知りぬ。

昨日むすびし若髮の
解けがちにするふり見ても、
兄よ再び人妻の
心化粧こころげせうはいはずあれ。

  兄
世に名も高く響きつる
秀才すさいの人にめあはせて、
げにふさはしき花妻と、
歌ひはやさん日は何日いつか。

がうつくしきかほばせと、
汝がすぐれつる心とは、
をとこもぞ知る、人の世の
をみなの中のぎよくならめ。

  妹
み山の百合とみづからの
童貞をとめをまもる心には、
戀もやがてはいたましき
むごたらしさの力のみ。

男ごころは狼の
にうち勝たむねがひのみ
兄よ、二人はいつまでも
生れの家にのこらまし。

  兄
男女をとこをみなのもてあそぶ
戀といふなるたはむれも、
まことは世にもいたましき
性と性とのあらそひのみ。

わが妹だにうべなはば、
われら二人はあま
めとらずかぬ清らさに、
清らさにのみ生きなまし。

  妹
うれしや、君はうべなひぬ、
娶らず嫁かぬあまをとめ、
あま童男をぐなのきよらさに、
きよらさにのみ生きむとて。

うれしや、君はうべなひぬ、
今こそわれはとこをとめ、
そのたぐひなき喜びを
今こそうたへ高らかに。

  (妹歌ふ)
歌ふも、きくも、
    ひとりゆゑ、
あだになしそね、
    君とわれ。

古酒甕ふるさかがめ
    われ目より、
したたる露は、
    わが身かや。

甘しと嘗めて
    たたふれど、
誰、盃の
    ものとせず。

爰に自然と、
    はらからの
深き慰藉なぐさ
    なかりせば。

むしろ背きて
    海にゆき、
思を波に
    消さましを。

春の日小野の
    逍遙に、
ふるき小笛を
    拾ひきて、

息吹きこめて
    なぐさむに、
ふと吾胸の
    ゆるぎつる。

世の市人いちびと
    きかんには、
あまりに昔の
    やさしきに。

若葉の蔭に
    尋ね來て、
君としふたり
    吹きてみる。

吾笛ふけば、
    君立ちて
舞ひこそあそべ、
    草のへに。

目は大海わだつみ
    たまに似て、
光りすずしく、
    輝けり。

足は菫の
    花ふみて、
鹿の子の如く
    舞ひのぼる。

あてなるかなや、
    君はたれ
笛なげうちて
    物狂。

今こそ得つれ、
    もとめても
世に見ぬさちを、
    君が手に。

ああ、はらからよ、
    えんあれば、
かくは手をとり
    相したへ。

ああ、はらからよ、
    來む世にも、
おなじえにし
    君をこそ。

笛とりあげて
    吹きいでぬ、
聲はそらにや
    ひびくべき。

見よ美くしき
    眉のねに、
歡喜よろこびの色
    あらはれぬ。

君喜べり、
    何かまた、
世のわづらひを
    思ふべき。

愚ならめや、
    われはよく
兄なぐさむる
    すべをしる。

愚ならめや、
    われはよく
妹なぐさむる
    すべをしる。


行へ語れな、大原女、
齒朶しだの籠には何れる、
京の旅人渇けるに、
木の實しあらば與へずや。

君が跡ゆく尨犬むくいぬ
名は「ぶち」とかや、善き名なり、
斑も木かげの欲しと見る、
しばしやすらへ、なう少女をとめ

籠を木にかけ、野に伏して
鄙歌ひなうたいうにうたひなば、
都女みやこをんな數寄すきこむる
鬢の風情をかたらまし。


野こえ、山こえ、谷こえて、
京へと問へば猶三里、
粉屋こなやの女房笑顏よく、
眉毛うちふり道を説く。


青磁せいじに亂るる糸柳の
若芽をきざめる片枝かたえがくれ、
かざれるひいなの玉の殿を
誰が子か見入りて獨り笑むは。
ぎよくをちりばむる金の冠、
龍頭りゆうづりたるつるぎ太刀だち
花いろごろもを透きて見ゆる
あてなる姿を君や戀ふる。
春知りそめつる糸柳の
しなえて見ゆるも哀れなるに、
緋桃ひももを浮けつる瓶子へいしとりて、
沈める思にぎてみまし。
彌生やよひのみ空と若き命、
いずれか白日まひるの夢に似ざる。


山、森、畑、寺、遠き牧場まきば
落つる日、ゆく雲、歸る樵夫、
いと似つかはしき色を帶びて、
ゆふべの心に溶けぞあへる。
たとしへもあらぬ靜こころの
かすけき響を胸につたへ、
わが歌ごころぞぬくめましと、
田のくろ蹈みきて草に伏しぬ。
若し夜のとばりの落ちむ迄も、
歌もあらでここに迷ひ居らば、
げに言ふがひなきざえならめど、
さもあらばあれや、この夕の
えならぬ氣持にひたり得つる
思ひだにあらば、歌はなくも‥‥。


婢女はしため眠りてくりやさむく、
小鼠古巣にこもる夜半を、
冷え行く竈に友もあらで
節おのづからに蟋蟀鳴く。
かすかに顫へる己が歌の
ひびきを興がるいろも見えて、
眉の毛ふれるよ、鳴きつ、飛びつ、
無心のたはむれ忙がしげに。
更け行く半夜よなかの影を惜み、
見えがたきものの見まほしさに、
とりて窺ふ吾がけはひに、
おどろき隱るるあわただしさ。
をこそ消さまし、心ゆるに
唱へよ、竈に靜歌しづうたをば。


か細きほつれも胸にまきて、
人の子とらへむ力ありや、
梳ればかすかに肩にそひて、
黒髮八尺櫛にながる。
その人戀ひつつ月あかりに、
はなゑみ見むとて門に立てど、
あはれむ色さへつゆ見えぬに、
露ぐさふみつつ夜をかへりぬ。
雨の日ひねもす獨りとぢて、
心にゑがくはなよび姿、
燕も巣に入るゆふとなりて、
むかへば悲しや眉を白み、
つれなき鏡を壁になげて、
しのびに泣くかな、薄き縁を。


纖雲ほそぐもはなだに長くながれ、
落つる日黄ばめるこの夕暮、
おもむきあるかな、筏浮けて
舟人河瀬に輕くさせり。
靜けき夕の心やりか、
※(「肄のへん+欠」、第3水準1-86-31)ふなうたひとふし歌ひさして、
ほのかに笑まひぬ、水馴棹みなれざを
くだくる小波をあとに見つつ
人皆煩らふ空のもとに、
自然の愛子まなごか、君はひとり
赤丹穗あかにのほに見る顏の色に、
心の平和やはらぎうかがわれぬ。
似るものもあらぬ羨ましさ、
暫しはたゆたへ、なう舟子ふなごよ。


朝明あさあけ一群ひとむれうろこしろく
淺瀬にせ散る鮎と見えて、
まとへる綾羅うすものいろをわかみ、
透きても見ゆるや玉のかひな
葉がくれ木の實を摘みなましと、
人目をおもはず手をさしのべ、
袖口こぼれしはなやかさに、
垣間かいまとれしを誰と知るや。
夕空虹の環横にきりて、
遠雲がくれにわたる鳥の
身がろき翼も捨てなましや、
眞玉またまをのべたるかのかひなに、
物もひ煩らふぬかをよせて、
樂しき夢路をたどりえなば。


蟋蟀在堂
役車其休
今我不樂
日月其※[#「りっしんべん+陷のつくり」、U+60C2、59-上-5] 唐風

自然のこころの清きかなや、
末葉すゑはにみだるる露に醉ひて、
靜けき夕のすさみとてや、
この草がくれに虫は鳴きつ。
手纏たまき眞玉またまとさゆる音色ねいろ
軒端にこぼるるの實みても、
眉根を開きて笑みぬべきを、
何をか煩らふ君が姿。
鏡と見るまで澄める空に、
ひそみをうつすも心なしや、
若紫なる色にしみて、
酌めども盡きざる酒もあるに。
溢るる涙を袖にけして、
しづかに甘露のはいを含め。


彼方にけむれる森のあたり、
乳房によりそふ稚兒ちごの如く
靜かにねむれる空の色も、
淺葱あさぎにしみゆくこの夕暮。
願ふは艶なる君と二人、
野末の逍遙心足りて、
なさけに燃ゆめる胸の中に
祕めつる小琴やきてみまし。
さらずば千種の花をともに、
さしそふ瑞枝みづえにそよぎわたる
涼しき夕風髮にうけて、
霞に眠れる野邊の如く、
いうなる姿に倒れ伏して、
ねざめぬ夢こそせちに願へ。


思に堪へで磯の
いはほが上にたたずめば、
沈める海の底ふかく、
かくれて湧くや春のなみ

干潟ひがたにくぼむあまが子の
足占あうらのあとにたたへつる
なごりにうつる影みれば、
やつれにけりな、わがかほの。

耳をすませば、岩がくれ
薄きいのちの響きして、
風にわななく蘆の葉の
波間に沈む一ふしよ。

色めきそむる葦かびの
波に折らるる音をきけば、
浮世の海にただよへる
若きいのちのはかなしや。

春の潮に洗はれて、
沈む眞珠またまの色みれば、
淺ましき哉、苦き世の
涙に醉へる己が身は。

目をめぐらせば、海神わだつみ
沈める面に恐れあり。
手をこまぬけば、吾胸の
底に知られぬ歎きあり。

髮吹きみだる葦の葉の
風のぬるみにわななきて、
凍りはてたるひたひには、
熱き血汐もかれてけり。

ふるふ睫毛に溢れては、
岩に碎くるわが涙、
落ちて潮に聲あるは、
底のたまとや沈むらめ。


春の光りの薄くして、
若き快樂けらくの短かきに、
花咲く影に醉ひしれて、
酒甕もたひ叩きて歌ふかな。

花の香碎く風をあらみ、
細き眉毛をひそめつつ、
燈火ともしにかざす少女子をとめご
袖の心を知るや君。

花を踏みては、やはらかき
かがとにしめる紅色くれなゐ
名殘の色をかへりみて、
暮れゆく春を惜しむかな。

脆き此世に又いつか
春を抱きて樂しまん。
せめて今宵は歡樂くわんらくに、
智惠のひとみなめぐらせそ。

盃含み目を閉ぢて、
たださびしらの物思ひ、
君よ涙のせかれずば、
火影ほかげにそむけ、人知れず。


走る油鰭もろこよみがくれに
網代あじろの網はくぐるとも、
ゆめ洩らさじな、悲しみの
細き釣緒にさはりては。

透影すきかげしろきいろくづ
柳のかげにのぞき見て、
毒ある海にあえかなる
身の薄命をおもふかな。

木葉に似たる身を寄せて、
藻屑もくづがくれにひるがへる
若きすさみも春の日の
暮れぬる程のひまと知れ。

水際みぎはに白き小波さざなみ
薄きあぎとにくだきては、
心ありげの物ずさみ、
何をかくるる吾友よ。

星の光りに影みえて、
浦づたひ行くあまが子の
足音あのとに響く眞砂路まさごぢに、
小さきひれをさしつけよ。

氷雨ひさめに折れし葦の葉の
春に遇ひつる心地して
なれもつめたき砂摺すなずりに、
あつき血汐や覺ゆらめ。

げに人の世は荒金あらがね
さびをし溶かすかまなりや、
眞金まがねのつやを見まくせば、
そこひの熱をあたためよ。

そこに沈める眞珠またまあり、
ここにかをれる野花あり、
ゆくな油鰭もろこよ、宵暗を
なに恥かしきちぎりかは。


横雲峯にたなびきて、
光まばゆきこの夕、
波しづかなる加古河の
みを小網さでひくあまが子よ。

淺瀬の波にはしりよる
鮎子な追ひそ、にがき世の
味なき酒の盃を、
われ水上みなかみに注ぎしに。

水面みのもに落ちて光ある
廣き額の色みれば、
鋭き爪の凶神まがつびは、
見ざりけらしなあまが子よ。

君妻ありや、すさびゆく
風あらあらし人の世に、
胸やはらけき女子をみなこそ、
頼みの宿と知りたまへ。

稚兒ちごありや、懷かしき
乳房をふくむくちびるに、
いろもびつる智慧の井の
にがき雫なすすらせそ。

小網さでにかかれる白鮠しらはえ
われもかひなく驚きて、
唯恐れある物狂、
ここに道なし、快樂けらくなし。

行方も問ふな、名も問ふな、
弛める弦の音にも似て、
風にわななく一ふしの
弱きしらべを聞けな、唯。


水色しろき揖保川の
みぎはを染むる青草に、
牛飼ひなるる里の子を
誰し哀れと見たまふか。

堤七里に行きくれて、
脚絆はばき解く間の夕闇を、
城のやぐらに花散りて、
老いにけるかな、この春も。

牛追ひかへる野の路に、
踏むは、紫つぼ菫、
踵すりよせ佇みて、
なげく心を知るや君。

人に別れて野にくだり、
牛追ふ子らの名に入れど、
春ゆく毎に袖裂きて
昔の夢を思ふかな。

星はいでたり、夜頃よごろ來て、
慰めを見るそのかげに、
今宵は堪へず膝をりて、
袂に顏をさしあてぬ。

ああ、和らかき眞砂地に、
蹄のあとをさはりみて、
愚なる身に人知れず、
熱き涙をそそぐかな。

たのしみもなき人の世の
寂しききはに泣かんより、
われは情あるけだもの
野邊の睦びを望むなり

水色しろき揖保川の
みぎはを染むる青草に、
牛追かへる里の子を、
誰し哀れと見たまふか。
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黄や、くれなゐや、淺葱あさぎ
雲藍色にしづみて、
日の影しづかに薄れ行けば、
黄金こがね浮けし波の穗の
搖ぎも底に隱ろひ、
小兵こひやうの星のみひとつふたつ
遠き空にまたたきて、
の幕しづかに空を閉ぢぬ。

島姫宿る巖蔭、
流れ緩き淵の上、
疲れしかひなに揖をとりて、
白く光る鱗の
跳ねかへる音を聞きつつ、
今漕ぎ歸るか蜑の子らは、
闇き浪路の夕暮、
わが岸何れと惑ふらんよ。

磯邊に立てる荒屋あばらや
童女むすめは早く眠りて、
女房廚屋にひまや得つる、
かたよき貝の火盤ひざら
南の窓にともして、
舟漕ぐ目路めぢにと輕くすゑぬ。
伏目がちなる尼僧にそうの、
法會にともせるしよくの如く。

夜次第に擴がりて、
引汐走る音のみ
眞闇に知らるる海のかなた、
白き手すがる戸の上、
低き光の目標めじるし
船人かへると思ひやれば、
胸に沁み入る平和に、
おぼえず涙を巖に垂れぬ。


廚女くりやめさらそゝぐとて、
水吹くくだを開けしまま。
戸にる頃を窺ひて、
出でしや、鼠穴の巣を。

窓洩る光ほの暗く
粉曳臼こなひきうすの上に落ち、
人の形を映すとも、
恐るる勿れわが友よ。

倉にこぼれし米ありて
三粒のかてに飽きたりや、
にこ毛ふくらむが胸は、
さちや孕むと疑はる。

物蔭づたひ往きめぐる
ちいさ姿を眺めては、
誰か夜に盛る盃の
底の藥を悔まざる。

田に米蒔きて稗得しや、
米獲て倉に滿たざるや、
人地のさちを思ひ見ば、
鼠にかてを惜まざれ。

壁の壞れにくぐり入り、
脚そばだてて何を見る、
胸に小さき智慧ありて、
世の成りゆきをくわんずるか。

ああ詐欺たばかりに身は瘠せて
爭ひ多きいちの上、
影にも堪へぬ鼠子の
清き目を引く價値ありや。

聽け君、穴の暗きより
ききと物噛むひびきする。
今人の世の恥なきに、
鼠なくやとわれ惑ふ。

自然に依りて足る可きを、
いとなみて何するや。
噛むに故あり、願くは
神この穴に平和やはらぎを。

ああ鼠子よ、此處に來て
暫しはわれと共にせよ、
が手か、倉の白壁の
鳥羽繪とばゑに似たる笑をば。


華籠くゑごに盛れる木蓮は
香爐の灰の冷ゆるに
脆く落ちて行春の
ながきうれひを止めぬ。

春の日ながのわざくれ、
鐘擣男かねつきをとこ醉ひしれ、
時の數を忘るとも、
ほほゑみてのみあれかし。

そぞろ歩きのをみなに、
春の齡を問へるに、
かをり高き羅衣うすもの
袂をふりて急ぎぬ。

鐘樓しゆろうに上り來て、
遠く浮世を望めば、
百里途もつくる方、
春はかなく落ちんとす。

ああ若きは酒くみて、
甘き夢に興がるを、
獨り冷えし堂に入り、
れしみきやうや讀むべき。

惡の神まじわざに、
われを石とせよ‥‥
さば永劫やうごふ朽ちもせで、
春戀石はるこふいしと名をや得め。


おこたしもべせちに呼びて、
晝の間まがきを固くへど、
人なき折々しのび入りて、
小狐春に夜鳩をぬすむ。
一夜ひとよは宵より庭をめぐり、
三たびかむちもて追ひしものを、
夜ふけて林檎の下葉がくれ、
る身も忘れて夢に入れば、
こはまた、下枝しづえの風にのりて、
語るよ、小狐聲も低く
母見ぬ闇路を庭にかくれ、
人の子戀ひ行くが身なるに、
雛鳩與へよ、否といはば、
翌くる夜鳴かまし、君が影に。


「夕ぐれ集會しゆゑあり、堂に上れ、
老師ぞきたる」としめしあれど、
身ひとり樹蔭に隱れ入りて
懸想けさうの痛みを忍び泣きぬ。
素より成道じやうだうきようにあらず、
おとがひせてもつとむべきを、
若きぞ罪なる、人を見ては、
すぐよか心も動きそめぬ。
聞け、今和讚わさんぞ堂におこる、
世の路よけつるむくいありて、
友みな佛のめぐみるに、
われのみひとりや罪におつる。
罪をも厭はじ、人もあらば
りても泣かんを、人もあらじ。


祈年祭としごひまつりのさむき夕、
羽ある神の子狙ひ得しや、
戀の矢心臟こころに傷を穿ち、
いたみにこらへで吾ぞ病める。
弱胸よわむねわづらふ、何によりて
しばなりとも休らふべき。
かなしき調を口にして、
みづから慰むつらきものぞ。
懸想けさう詩歌しいかとさかづきとを、
いづれは劣らぬ若人わかうどへの
あま御饗みあへとは誰かいふや。
苺は熟していちに入れど、
吟身ぎんしんいまなほうれひ帶びて
わが詩は宴會うたげの興にのらず。


野苺いちごの葉がくれ光よけて、
蜥蜴も眠れる夏の眞晝、
靜かに南の窓にもたれ、
黒髮ながきを思ひ慕ふ。
をりから草笛くさぶえゆるに響き、
野山のしらべの聞ゆるにぞ、
つひにはこらへず庭におりて、
木闇こぐれの小路に隱れ入りぬ。
ああ野の小羊水を飮むと、
ぬるめる流れに走る頃を、
似つや戀ふる身は心かはき、
君があたりへとあくがれ寄る。
若きぞ悲しや、うらぶれては、
心なぐさむるすべもしらね。


空藍色に晴れ渡り、
波ゆきかへりのたくる日、
よるは巖かげ、潮の香の
たよたよとこそ烟らへれ。

水平線に尾を垂れて、
雲薄色に曳くほとり、
心おのづとあくがれて、
いちのどよみは遠ざかる。

んずる童女どうによははにより、
野の戲れをしのぶごと
海をしみれば故しらず
去りけむ人ぞおもはるる。

人よ、餘りにつらかりし、
慕へるわれを後にして、
白帆のかげに身をひそめ、
波のかなたに往きしかな。

干潟ひがたに落つる貝の葉に
盛るべき程のなさけあらば、
低き波止場はとばふなよそひ、
手招きしなば足りなんを。

往きにし方は何方いづれぞと、
巖にのぼりて眺めしも、
波路のはては灰色に、
涙ながれて見えわかず。

せめて慰むすべもやと、
歌に心をかへししも、
背きし罪か、詩の神の
たすけありとも思はれね。

笛の手何か、きよき音は
うらやすにこそ興を見れ、
人を怨みてなげく身は、
唯泣かしむるふしばかり。

日向ひうがの國よ、草ふかく
露しげき野と聞きにしが、
君はいづくをさまよへる、
和手やはて懸くべき肩ありや。

ああ聖きかな、そらの上、
戀知る女神詩をも知る。
女ごころを委ねんに、
歌人ならで誰かある。

歸れ戀人、くちびるは
胸の焔に渇きたり、
君かへりこむ其日まで、
また花びらに觸れもせじ。

鳴くを引汐おちゆきて、
再び島にかへる時、
浦に水鳥みえずとも、
悔いずや、君は永久とことはに。

身は眞實男まめをとこ、うらわかき
莟の花の血を染めて、
人の世に入るかどの戸に、
怨恨うらみのあとをしるさざれ。

胸のいたみに堪へやらず、
足音低く歩みきて、
獨りひめつる君が名を
干潟ひがたに深く書きて見る。

ああこの文字の永劫とことは
消えじとあらばわが戀の
足らましを、若し夕潮ゆふじほ
かしらもたげて寄せもせば。

歸れ戀人、くちびるは
胸のほのほに渇きたり、
君かへり來むその日まで、
また花びらに觸れもせじ。

夢かや、小野の木のかげに、
人しれずこそかき抱き、
戀のうまさに醉ひつれと、
そと囁きて笑みし日は。

戀する人にごころと、
もの忘れとを與へずや。
いまの歎きに過ぎし日の
快樂けらくおもふに忍びじよ。

おもへば悲し、君が手に
詩の清興せいきようを捨てしより、
名譽ほまれまれなる桂の葉、
つひにかうべにまとひ得ず。

いままた君を失ひて、
戀の盃覆へる。
かくてわが世はものうかる
日日のねむりの續きのみ。

手負ておひの鷲の巣にかへり、
翼を噛みて鳴く如く、
巖にすがりて伏ししづむ
人のありとは知るや、知らずや。

見よ、龍宮のり橋か、
虹こそかかれ花やかに。
人まどふ世に何のはえぞ、
二つに裂けて海に落ちよ。

ものみな絶えよ、空に星、
下に野の花、なかに戀、
三つの飾りと聞きつるを、
人の花まづ碎けたり。

殘るは惡と、憎しみと、
せせら笑ひと、僞りと、
涙と、石と、籾がらと、
をみなの好む小猫のみ。

潮の香かいにけぶらせて、
舟漕ぎかへる鰹魚釣、
海幸うみさちいかに多くとも、
人待つ岸に繋がざれ。

をみなの白き柔肌やははだ
底の淺きにくらべては、
花藻はなものうかぶ淵の上、
浪はありとも住みやすき。

われは隱れ家こぼたれて、
頼るよしなきひとり兒ぞ。
昔の夢の追懷おもひで
いたらぬ方は、――しにならし。

ああ悲みの人の子に、
死は故郷ふるさとの思あり。
ああ望なき人の子に、
死は垂乳女たらちめの姿あり。

胸もあらはにきぬきて、
濃青こあをの淵にのぞむとき、
母の腕による如き
安きおもひのなからずや。

ああうつくしき女子をんなこに、
永久とはにとけせぬ呪詛のろひあれ。
をのこのひとりここにして、
若き生命いのちをうしなひぬ。

ああうつくしく女子に、
永久とはにとけせぬ呪詛のろひあれ、
をのこのひとりここにして、
清き心を葬りぬ。

かつては白き指觸れて、
愛の巣とこそ戲れし
身をさながらや、石のごと
濃青こあをの淵に投げなまし。

かつては腕やはらかに、
わが寶ぞと抱きける
身をさながらや、土の如
濃青の淵に沈めまし。

知んぬ、みめよき女子は、
いまはの人の恨みをも、
なほ縱琴たてごと空鳴からなりに、
空鳴にしも似つといふ。

見よ、王法わうほふの罪人が、
白きひたひをうつぶしに、
斷頭臺くびのざにしものぼる如、
立ちこそあがれ、巖のに。

立ちこそあがれ、巖の上に、
涙は雨とあふれ來ぬ、
死を怖れめや、怖れずの
男ごころをしめばぞ。

男ごころよ、なが領に、
顏かがやきて胸冷えて、
御苑みそのにたてる石彫の
女神に似つる子はなきや

その圓肩まるがたに手をかけて、
ほほゑみをしも待たまくば、
寧ろや海の牡蠣が身の
巖根の夢を羨まむ。

黒潮よどむ海の底、
戀も、詩歌しいかも、ざえも、名も、
根なき藻草の一枝に、
花を飾るに足らざらむ。

ああ海、――鰐のすむところ、
海豚いるかの列のすむところ、
わかき命は一片ひとひら
蘆の葉をだに價ひせじ。

海士あまもし知らばいかならむ、
すなどりすべく來つる朝、
網に死屍むくろを引き揚げて、
臂もわななく物怖れ。

さちかてとの家として、
日毎なじめるわだつみに、
身を沈めつる人ありと、
世の運命さだめをし思ふにも。

さもあらばあれ、虹の環の
消ゆるが如く、死のくにに、
潮の底に、故郷ふるさと
吾は歸らめ、――さらば、さらば。


火の氣も絶えし廚に、
古き甕は碎けたり。
人のかこつ肌寒を
甕の身にも感ずるや。

古き甕は碎けたり、
また顏圓き童女どうによ
白き腕に卷かれて、
行かめや、森の泉に。

くだけ散れる片われに、
窓より落つる光の
靜かに這ふを眺めて、
獨り思ひに耽りぬ。

渇く日誰かいまし
花の園にもへめや。
くちびる燃ゆる折々、
掬みしは吾が生命なり。

清きものの脆かるは、
いにしへびとに聞きにき。
いましはた清かりき、
古き甕は碎けたり。

ああ土よりいでし人、
清き路を踏みし人、
そらの上を慕ふ人、
運命甕に似ざるや。

古き甕は碎けたり、
壞片こはれを手に拾ひて、
心憂ひにえ堪へず、
暮れゆく日をも忘れぬ。


つどひて花鎭め、
春安かれと祈る日、
なぎつる白晝まひるに青き海の
遠く鳴るを聞く如く、
あるは惱みの眞夜中、
望みの光りを得つる如く、
今かすかに、朗らに
み空に鳴けるは何の鳥ぞ。

あな來たりやほととぎす、
遠く、遠く、また遠く、
心をいざなふその音色は、
花ぞちらふ夕暮、
車駕くるまはする佐保姫の
はかなき別れに恨み長う
血に鳴く鳥の身ならで、
いづれの胸より聞かれ得べき。

こかげいづる鶯を、
春の愛子まなごにたとへば、
いましは寵なき鄙の少女、
行方の西を慕ひて、
薄月させる野の空、
はてなき天路あまぢを走り去りぬ。
ああ峠の幾つ越えて、
いましが願ひは癒えぬべしや。

悲しき哉、春の國、
うつりゆく慌ただしさ、
みよ、青葉させる夏のうてな、
權威ちから餘りにさかんに、
快樂けらく夢と過ぎ去りぬ。
知らじや追懷おもひでおこるごとに、
悲みいよよ新たに
なが歌ますますすずしからめ。

野邊の若樹わかぎの葉がくれ、
根白葦ねじろあしの笛吹きて、
みぎはの羊を呼ばふ子等も、
なが音夕に聞きては、
靜かなる世もみだれて、
そことしもなく歎きやせめ。
さてしも何の罪ぞや、
悲哀かなしびいちの誇りなれば。

快樂けらく、希望、平和やはらぎ
よき名ろうずる詩人よ、
なが卷あまりに貧しかりや、
われ疑ひのひとり兒、
和魂にぎたまつとに煩らひ、
却りて落ち來る鳥の聲に、
言ひも知らぬ祕密と、
歌よりも深きこころ聞きぬ。

あな往きたりやほととぎす、
なが音再び流れず。
想像おもひの遠く馳するところ、
靈鳥りやうてうとはに死なめや。
寂しいかな空の上、
野こえ、山こえ、牧場こえて、
さらば、さらば、さらば鳥、
いましの行方へ魂魄こころまどふ。


童子うなゐに問へば石工いしきり
木かげに夢を結びぬと。
入りて小闇き仕事場に、
刻みさしつる唐獅子からしし
圓きうなじをかきなでて、
ぞ、ものふは、ひそやかに。

朽木くちきの棚にすゑられて、
顏くすぼるるあら彫の
ゐのこ狗兒いぬころ、野の狐、
さては雄鹿のむらがりに、
こはめざましきほこりかな、
日かげにぬるる獅子の影。

裂けつる岩に爪かけて、
雄々し、いかるかその姿、
鬣ながく背にまきて、
見れば湧きよる春の潮。
胸はゆたかに、力男ちからを
曳きしぼりたる弓の如。

忿怒ふんぬげんずる明王みやうわう
ひろき肩より燃えあがる
焔か、ながき尾は躍り、
にこ毛密なるあなうらは、
いざよひ薔薇の花ふむも
巣くへる鳥はめざめまじ。

心がまへのいみじさや、
瞳子ひとみられぬ唐獅子は、
光りを知らぬ盲目めしひの身、
鼻かぐはしき香を嗅ぐも、
いまだ前脚ふみあげて、
花野の路はしだかじな。

のみの手またく捨てられて、
御苑みそのの夏のあけぼのや、
緑したたる木のかげに、
巨人の如く立たんとき、
雄姿をすがたいかに、背に伏して
しばし想像おもひにふけらまし。

汝の王者わうじやかたどられ、
眞白き石に刻まれぬ。
野より、山より、林より、
つどへよけものつらなりて
ひづめの前にひざまづき、
弱きを恥ぢて僕たれ。

おほき靈魂たましひくだりきて、
眞白き石に包まれぬ。
野より、山より、林より、
つどへよけものつらなりて
その光輝かがやきにぬれぬべく、
蹄の前にひれふせよ。

無上の權威あらはれて、
眞白き石にせられぬ。
野より、山より、林より、
つどへよ獸、列なりて
王にささぐる蟠祭はんさい
聖き火盤ひざらをととのへよ。

まだらの牛と羚羊かもしかは、
ふかき痛手に甘んじて、
ほのほの中に身を投げよ。
誇るべきかな、犧牲いけにへ
高きほまれはなれにあり、
羨む群ぞ愚かなる。

見よ犧牲はそなはりぬ、
獅子はひたひにたて髮の
ながき流れをふるはせて、
あな起ちあがる、「戰鬪たたかひ
勝と力の權化ごんげなり、
伏せよ、」と呼べば皆伏しぬ。

さかんなるかな、その言葉、
「神は死ぬめり永久とことはに、
人は魔のごと強からず、
われは王者ぞ、萬有ばんいう
みなもとぞ、煩ひと
悶えの胸の主人あるじなり。

ああ運命のはゆきをも、
眼ひらきてながめ入り、
胸わななかぬ雄心をごころ
若き勇氣に溢れたる、
勝利かちのおもひに漲れる
この身この世に何の死ぞ。

絶ゆることなき永遠えいゑんよ、
われは汝の伴なり」と、
聲は喇叭の音に似たり。
時に默止もだしはやぶられて、
たかき讚美と服從したがひは、
らいのどよみに現はれぬ。

いま想像の羽たゆむ。
見れば唐獅子日を浴びて、
ふくよかにまた靜かなる
すがたいかなる誇りぞや。

石彫いしほりながく傳はりて、
はえとならんは幾千歳いくちとせ
ああ藝術は支配せよ
とはの生命いのちなれにあり。
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ああ日は彼方かなた、伊太利の
七つの丘の古跡ふるあとや、
圓き柱に照りはえて。
石床いしゆかしろき囘廊わたどの
きざはしせばぐらせる
青地あをぢ襤褸つづれ乞食かたゐらが、
月を經て降誕祭くりすます
いち施物せもつを夢みつつ
ほくそゑみする顏や射む。
ああ日は彼方かなた北海きたうみ
波の穗がしらつまじろに、
ぬすみにあさる蜑が子の
氷雨ひさめもよひの日こそ來れ、
さちは足りぬ、とひたむきに
南へかへる舟よそひ、
れし帆脚や照すらむ。
ここには久米の皿山の
いただきごしにさす影を、
肩にまとへる銀杏の樹、
向脛むかはぎふとく高らかに、
青きみ空にそそりたる、
見ればよろへる神の子の
陣に立てるに似たりけり。

ここ美作みまさか高原たかはらや、
國のさかひの那義山なぎせん
谿にこもれる初嵐、
ひと日高みの朝戸出あさとでに、
遠く銀杏のかげを見て、
あな誇りかの物めきや、
わが手力たぢからは知らじかと、
軍もよひの角笛を、
木木に空門からとに吹きどよめ、
家の子あまた集へ來て、
黒尾峠の懸路かけぢより
風下かざした小野をののならび田に、
穗波なびきてさやぐまで、
勢あらく攻めよれば、
あなや大樹おほきのやなぐひの
黄金の矢束やづか鳴だかに、
諸肩もろがたつよく搖ぎつつ、
賤しきものの逆らひに、
滅びはつべき吾が世かと、
あざけり笑ふどよもしや、
矢種やだね皆がらかたむけて、
射繼早いつぎばやなるおろし矢に
射ずくめられし北風は、
またも新手をさきがけに
雄詰をたけびたかく手突矢の
やじりひかめく圍みうち。
頃は小春の眞晝すぎ、
因幡ざかひを立ちいでて、
晴れ渡りたる大空を
南の吉備へはしる雲、
白き額をうつぶしに、
下なる邦のあらそひの
なじかはさのみ忙しきと、
心うれひに堪へずして、
顧みがちに急ぐらむ。

黄泉よみの洞なる戀人に
生命の水を掬ばむと、
七つの關の路守に、
冠ときぬを奪はれて、
「あらと」の邦におりゆきし
生身なまみ素肌すはだの神の如、
ああ爭ひの七八日ななやうか
銀杏は征矢そやを射つくして、
雄々しや空手むなで眞裸まはだかに、
ほまれの創の諸肩を、
さむき入日にいろどりて、
み冬のりやうにまたがりぬ。

ああ名と戀と歡樂たのしみと、
夢のもろきにまがふ世に、
いかに雄々しき實在の
眩きばかりの證明あかしぞや。
夏とことはに絶ゆるなく
青きを枝にかへすとも、
冬とことはに盡くるなく
つねにその葉を震ひ去り、
さては八千歳やちとせ靈木りやうぼく
そびらの創は癒えずして、
戰ひとはに新らしく、
はた勇ましく繰りかへる。
銀杏よ、汝常磐樹ときはぎ
神のめぐみの緑葉を、
霜に誇るにくらべては、
いかに自然の健兒ぞや。
われら願はく狗兒いぬころ
のしたたりに媚ぶる如、
心よわくも平和やはらぎ
小さき名をば呼ばざらむ。
絶ゆるひまなきたたかひに、
馴れし心の驕りこそ、
ながき吾世のながらへの
はえぞ、價値あたひぞ、幸福さいはひぞ。
公孫樹いてふよ、なれのかげに來て、
何かも知らぬ睦魂むつだま
よろこび胸に溢るるに、
許せよ、幹をかき抱き、
長き千代にもへがたの
刹那せちなの醉にあくがれむ。


きさらぎざむのゆふべや、
まきのうなゐも通はね、
眺めよ、寂しき末黒すぐろ小野をのに、
ささら河門かはと水かれて、
濕ひ足らぬ荒びや、
艮風ならひのかざ吹、むけづよに、
根白たかがやうら葉の
いたづらさやぎにささと鳴りぬ。

かなた天路あまぢのはづれに、
白衣びやくえなびきゆららに、
今宵し六日のかたわれ月、
(さはあえかなる病女びやうによ
夕眺めするなよびや、)
さ青のまなじり伏目がちに。
吾世すがれの悲み、――
吐息もするやと惑はしむる。

あなせつなさの今宵や、
野もせに靡くさびれの
身に沁み入りては心弱こころよわに、
別れし人のおもかげ、
くづをれ泣きし身樣みざま
それさへ正目まさめにながめられて、
思ひ出いたき昔日むかし
歎きよ、ふたたび浮び來ぬる。

わがたましひの住家は、
大み慈悲の胸なれば、
人の世み冬の今をさむみ、
旅路の小草しをれて、
眺めよ、さのみ荒るるも。
なじかは行方ゆくへを咀ふべしや、
その御力みちからにひかれて、
吾世を高みの春へこそは。

そこには救世ぐぜ御佛みほとけ
阿摩あまの如くよりそひて、
おほ慈悲垂乳たりちのいくぐすりに、
のどの渇きをうるほし、
ま玉なせるてのひらに、
生身なまみはだへをいたはりつつ
血汐に染める深手を、
癒えよとやはらになだめ給ふ

そこしも不壞ふゑ新世あらたよ
清きものは甦り、
優女やさめ法衣ほふえのすがた花に、
菩提樹かづらかざして、
あな和魂にぎたまの片身やと、
胸乳むなぢのふくらみ※(「匸<編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第4水準2-3-48)ひらむまでに、
眞白手しかといだきて、
さこそは注がめ嬉しなみだ。

仇し世空華くげのながめに、
路惑しを据うるも、
あくがれ心の踴躍ゆやくいかに
そのいざなひに落ちめや。
遠里とほざと小野の野越のごしに、
鳩の子古巣にかへるごとく、
わがたましひ伸羽のしばこそ、
いづくをゆくへと辨へ知れ。

この末黒野すぐろののゆふぐれ、
二月きさらぎさむのさびれに、
よろづの實母うみははおほみ慈悲の
ふところふかく隱れて、
やがても往かむ彼方かなた
常春とこはるあけぼの望み得るぞ、
吾世の祕密、――憂身うきみ
光や、日もも醉ひてあらめ。


吾がる小野の野づかさ、
麓つづきの茅原ちばらに、
夕ぐれ五月さつきの闇をふかみ、
眞夏の女神筒姫つつひめ
獨りずまひのなぐさや、
夜殿よどの香爐ひとりのかをり高に、
野薔薇のいばら空にくゆりて、
まよはし深きも所がらや。

こなた右手めてなるかたはら
圓葉柳のしげみに、
夏野の色鳥ねぐらさすや、
夢かの心地こそろと
忍び羽振のささめき、――
響きよさながらぬる程に、
深まりわたる靜けさ、
天路あまぢ足音あのとも聞きや得まし。

この五月さつき野の夕ぐれ、
人醉はしめの眺めに、
夜頃は踴躍の心地しつれ、
今宵はいかに思ひの
うら寂しさに堪へじか、――
そは、わが道びき、おほみ慈悲の
光よ、とみに隱れて、
さてこそ弱げさ忍びぬれば。

ああ光明くわうみやうの御姿、
夢まぼろしとぬる日。
わが世は空洞の實なし小貝、
一味いちみの海のひたりも、
えにしはあらぬなづさひ、――
時劫じごふの濱邊にひとり立ちて
身にしも逼る海路の
さびしき廣みに心いたむ。

眞玉まだま花瓶はながめもろに
まろびがちなるならひや、
あくがれ心の扉ふかく、
いつきまつりしみさを
歸依きえしも未だ足らじや、
わが道伴なき世にしあれば、
うき身夜な夜な御影みかげに、
注ぎし涙は知ろしめさめ。

くづをれ、――さては自ら
ほしいままなる願ひに、
ただよひ心地の束のひまを、
沈默もだしよ、胸のふかみに、
今しも低きささやき、――
月白つきしろほのかに匂ひわたる
この夕暮の刹那や、
あるひは吾世のすがたならぬ。

宵闇やをら離れて、
星まだらなる高みに、
きよらの月映つきばえてりの色や、
眞夏の女神筒姫、
大殿おほどのごもる野づらに、
白がね被衣かつぎの靡きゆらに、
匂ひ空にながれて、
夢の氣ここにも浮び來つれ。

わが魂にくゆりし
大御光おほみひかりのしたたり、
今はた點火ともりのかすかながら、
なほ人の世の旅ゆき、
くらやみ路のたづきや
内なる火照ほてりにぬくめられて、
いつかはほのほさかりに、
燃えこそあがらめれい烽火のろし

その日よ光あふれて、
生身いきみさながらのりの身、
み空の立樂たちがくやがてここに、
心のいと高鳴たかなり
生命いのちはつよく躍りて、
春海はるみ滿潮みちじほきほひ荒く、
いたるや不壞ふゑ新代あらたよ
解脱げだち常宮とこみや、――歌の御園みその

わが世祕密の許され、
その日のさちをいさみに、
こよひは野中にひざまづきて、
夢見心地のあくがれ、
御影みかげにいつく比丘尼びくに
操にたらへる心ばへに、
胸なるづしのあかりや、
守りて靜かに小夜さよまし。


流ゆるき枝河の
根やはら小菅こすげかすれて、
靡葉なびきばそよろとさやぐ夕、
眉根しろき罔象みづば
まじの衣ぬぎ捨に、
童氣わらはげすがたに傚ふほとり、
見ずやかなた翡翠かはせみ
樹蔭にかくるる征矢そやなりを。

美しきものは常久ときはに、
可惜身あたらみなりや、翡翠の
かいまみ許さぬ花のすがた。
照斑てりふあをき冠毛かむりげや、
瑠璃色背にながれて、
さながら水曲みわだ水脈みをにまがひ、
はた長嘴ながはし爪紅つまべには、
零露れいろを啜るにふさひたりな。

葉分はわけの光はだらに、
白き菱の花さして、
樹暗こぐれもあからむ眞夏日なか、
水馬すゐまうかべる水隱みがくれ、
藻伏もふし小鮒をぶなとらへ來て、
朱脛あけはぎやすらふやなぎ瑞枝みづえ
したり顏の若音わかねには、
葉守はもりの神さへ醉に入らむ。

蜻蛉あきつ田づらに疲れて、
眞菰うら葉にやすらひ、
鼠尾草みそはぎ鷺草さぎぐさ露にぬれて、
匂ひしめる水際みぎは
繁みがくれの巣ごもり、
夕月さし入る靜夜しずかよには、
夢こそかよへ、御親みおや
自然の胸なるふかき夢に。

そよやむかし乙姫が
ほまれのうぢを厭ひて、
尼そぎえんなる御寺ごもり、
御燈あかしささぐる夜な夜な、
物忌ものいみりし和魂にぎたま
化生けしやうか、翡翠人氣ひとげ見ては、
知らず顏のおももちに、
などは素氣なく暗に去るや。

高音さへづる雲雀の
あま飛ぶふりも戀ひねば、
巣造りさかしきたくみ鳥の
里居さとゐなづむも傚はず、
寂しいかな川隈の
繁みがなかをば往きかへりて、
噤みがちなる慣ひや、
胸には無量の祕密あらむ。

祕密よ、いかに清らに、
はた尊かる寶や、
に落ちなば花とひらき、
染みて水銹みさびも薫らめど、
散る日げにや惜しからむ。
されば包むに和毛にこげまろう、
きよづしと胸縫ひて、
まもるに靈ある翼そへぬ。


夜は長かりき、「くらやみの
黒きとばりはたぐられぬ、
時こそ來れ、めざめよ。」と、
嗄聲からごゑたかきどよもしに、
千歳の夢はやぶられて、
身はくたれの長姿たけすがた
大童おほわらはなるぬかにして、
あかつき空にめざむれば、
あなや身側みそばに吹きよせて、
息まき荒きばたきに、
木立をふるひ、草を薙ぎ、
空門からととどろに岩を搖る
あめの荒し志奈都彦しなつひこ
「今こそ覺むれ、山脈やまなみ
八百の群より撰られたる
大山祇おほやまつみよ、とことはに
はえを。」とばかり呼びすてて、
さながらそれ背撓馬せたらうま
肌背はだせたゆらに躍らせて、
南をさして飛び去りぬ。

薔薇色ごろもなびけたる
あした童女どうによはなやかに、
曙の戸をひきはづし、
あめの榮をかたむけて、
注ぐや黄金、しろ金の
てりの亂れをもろ肩に、
やをら國見の目蔭まかげして、
遠方とほちの空を眺むれば、
天そそり立つ大峰や、
また峰中みねうちの山ぞひに、
風は疾渡とわたり駈けめぐり、
玉置山のかなたより
さと身隱れて眞下まくだりに
吹きおろすらむ熊野浦。
浪のゆるき朝なぎに、
眞帆眞廣まひろげにひき張りて、
鳥羽路へわたる舟人は、
山いただきの空みだれ、
雲のちぎれを見やるにも、
上帆ひらきをあげよ、山颪やまおろし
吹きこそ來れ。」と高らかに
板子いたごに立ちて騷ぐらむ。

東、鷹鞭、高見山、
北は葛城、生駒らの
右左なる山なみは、
いつを日待ひまちの名こそあれ、
夜中ごこちの事よげさ、
夢ふかげなるこの朝け、
誰ぞや麓にけはひして、
直走ひたばしりするくつの音。
そや、み吉野の水ならぬ
が子目敏めざときふるまひぞ。
ああ高天たかあめの大み蔭、
笑聲ゑみごゑどよむ天人あまびと
き歡喜のしたたりが、
夜な夜な峰に雨ふりて、
岩根けはしき谿間より、
落ちつどひてや、白金の
眞澄の色の吉野川、
なれ時世ときよ先達せんだち
つとめを分つ友となれ。

あな額白ぬかじろきわが友が、
ひた走り入る湊江みなとえよ、
朝潮はやく打よせて
浪の音どよむ紀伊の海。
思ひ出れば天地あめつち
ふた別れせし當時そのかみや、
たけすぐれたる山祇やまつみ
心驕りに睦まじと、
龍の宮女みやめを携えて、
青うな原におりゆきし
大海神おほわだつみよ、とことはに
くらあらそひのたくらみに、
胸のゆらぎのひまをなみ、
糟尾かすをたけ髮蘆の花、
風のあらびにそそけては、
さすがに老の見えもすれ、
胸乳むなぢいままた張高はりだかに、
肩をあげては憤り、
また面構つらがまへくづをれて、
高笑する若やぎや、
なほ新代あらたよいちの座の
生挑なまいどみには堪ふべけれ。

わがくるぶしの近ほとり、
やまと國原くにばらところに、
世を營める人やから、――
時のあらびの高浪に、
のりも、掛想けさうも、學藝も、
皆がらづしをこぼたれて、
よるべ無き身の今ながら、
ひと夜高根の風越かざごしに、
巣を失ひし鳶の鳥、
朝羽あさばたゆげに幾度か、
古枝ふるえの空をゆきかへり、
はては峰越をごしに遠山の
山ふところに飛び去りて、
また鳥塒とぐらゆふ雄心をごころ
えはくづほれぬ勢や、
襤褸つづれ素脚すあしの樣にして、
荒野の路にかけめぐり、
胸座むなぐらはたと敲きつつ、
「美しきもの甦へれ、
が世ふさへる高座たかくら
礎ここにおかれぬ。」と、
空どよもしのこわひびき、
げにいぢらしき人の子の
猛く尊きすがたかな。

この曙にめざめたる
吾世の幸のたぐひなさ、
八千歳やちとせながきし方の
古裝束ふるよそほひを脱ぎすべし、
智慧と力に足らひたる
生命いのちを繼がむ日よ、――この日、
法起菩薩ほふきぼさつ明王みやうわうは、
頽廢堂あばらすだうをたちいでて、
木原こばらした路くだりに、
麓の小野へ駈けおりて、
川邊づたひに磯濱の
波打際に去れよ、また
一言主ひとことぬしは唯ひとり、
乾跡からとも見えぬ山峽やまかひ
懸路かけぢの亂れ、藤かづら、
躓きがちに行きすぎて、
朝暗あさぐれながき葛城の
古屋ふるやの洞にかへりゆけ。
われは明けぬるの國の
光の海に身はぬれて、
あめの柱とそそり立ち、
行きまどふらむ子の爲に、
朝日子高くさし示し、
人よ、かなたに、新代あらたよ
不壞ふゑの輝き、――無量光むりやうくわう
玉の顏ばせ現はれぬ
が乘物のながえをば
そこにと許り教へばや。

ひねもす空のちまたに、
すべる車のきらの輪の
清きどよみを聞きながら、
吹息いぶきする夜は神祕の氣、
虹のごとくに花やぎて、
ひらくや、ここに大天おほあめ
さかえ溢るる藐姑はこの山、
高き清きにあくがれて、
「いであ」の國に遊ぶ子ぞ、
正目まさめにかかる常世とこよべの
かかる奇靈くしびも仰ぎえて、
生身いきみさながら白金の
御座みくらにすがる醉あらむ。

ああわが丈よ五千尺、
脚は下なる野を踏みて、
頭は高く雲に入る、――
そのかみ闇のとろろぎの
に別れたる初めより、
山と聳ゆる大悦たいえつを、
自然よ、君に捧ぐると、
今歳この春若やぎて、
どよみわたりぬ、金剛山。


春の夜はしづかに更けぬ、
はゆま路の並木のけぶり、
箱馬車はわだちをどりて、
宮津より由良へ急ぎぬ。

朧夜の窓のあかりに、
京むすめ、難波商人あきうど
朽尼くちあまや、切戸きれどまうでや、
人の世の旅の道づれ。

物がたり※(「口+去」、第3水準1-14-91)おくびまじりに、
眠り目のとろむとすれば、
が子にか、しりへのかたに
をりからの追分ぶしや。

清らなる聲ひとしきり、
谿あひのささら水なみ、
咽び音に響きわたれば、
乘合はなみだこぼれぬ。

月落ちて闇の夜ぶかに、
箱馬車は由良へとどきぬ。
客人まらうどは車をおりて、
西東みちに別れぬ。

その後やいく春經けむ、
おほ方は夢にうつつに、
忍びてはえこそ忘れね、
由良の夜の追わけ上手じやうず

その子今何處にあらむ、
思ひ出の清きかたみや、
人々のこころに生きて、
とことはに姿ぞわかき。


夕ぐれの小霧さぎりのまぎれ、
やま鳥はけはひ靜かに
野がへりの翼おろしぬ、
やまの井の井手の禿木をだまき

水の面のますみの色に、
やま鳥のをろの鏡や、
くづをれし女の胸に、
そのかみの夢のただよひ。

眞廣まひろげの退羽のきばたゆげに
やま鳥は森にかくれぬ。
夢ざめしうつつの心地、
山の井のふかき吐息や。

夜のとばりゆららに落つる
夕闇のみのふかみに、
山の井はをののくつ
束の間を初めて知んぬ。


新嘗まつりほどちかき
霜ふり月の朝まだき、
乾反葉ひそりばしらむ籬根まがきね
からこそ見つれ※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)もぐらもち

もとより闇の私生兒みそかご
むろに隱れてあるべきを、
新墾にひばり小路うがちきて、
見しは光か、やがて死か。

今はの一目くらやみの
八百日やほかを夢になぞへしや、
さてもまたたき、――大慈悲の
づしの御かげを見隱みがくしに。

げにや死こそは波羅蜜はらみつ
岸の夜あけのうひびかり、
ひかりなればぞ闇住やみずみ
身にしも望み、――はた恐れ。


こもり水銹みさびの面に、
澤瀉おもだかのひと花ぐきや、
夏の日の光にぬれて、
息ざしのけはひ深げに。

ももとせの生命のかもし、
葉とひらき、花とくゆりて
ひと夏のこころ驕りや、
こもりうはなだら水。

やはら風そよろの渡り、
葉はゆれぬ、花はこぼれぬ、
沼姫のほくそゑまひか、
ささら波輪形わなりの皺み。

今しこそ胸のとろ火の
もも絡み靜かに解けめ、
使ひ老女をさめしろ鷺、
眠り目の夢見すがたや。

ありや、かの歸依きえ和魂にぎたま
あくがれの心のふかみ、
かかる日のふと現はれて、
束のまを、――また身隱るる。


こよひ花野の夕づくよ、
君待ちくらす心地して、
月映つきばえあかり面はゆき
すずろ心の胸のときめき。

三歳は過ぎぬ、また更に
が子か待ため、當時そのかみ
夢ほのかなる甦り、――
はながらすみれ香に匂ふ世や。


君は都のさかしら
磯まの小屋のおとづれに、
蜑が言葉のつたなきを、
いかなればとや問ひ給ふ。

身は海松みるめ刈るかづ
浪路のそこに沈み入り、
眞珠、珊瑚の玉しける
龍の宮居に目馴るれば、

海の祕密を洩すやと、
おほ海神わだつみのうたがひに、
をんなのざえを奪はれて、
さは愚かしくなりはてぬ。


雪消ゆきげの岡のせせらぎや、
流れ流れてゆくすゑは、
蓴菜ぬなはつのぐむ大澤へ。
思ひ亂るる人の子は、
紫野ゆき、萌野ゆき、
紅梅咲ける君が戸へ。
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ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月、
うは葉散り透く神無備かみなびの森の小路を、
あかつき露に髮ぬれて、往きこそかよへ、
斑鳩いかるがへ。平群へぐりのおほ野高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居ちりゐの窓のうはじらみ日ざしのあはに、
いにし代のうづ御經みきやうの黄金文字、
百濟緒琴くだらをごとに、いはに、彩畫だみゑの壁に
見ぞくる柱がくれのたたずまひ。
常花とこはなかざす藝の宮、齋殿いみどの深く
焚きくゆる香ぞ、さながらの八鹽折やしほをり
美酒うまきみかのまよはしに、
さこそは醉はめ。

新墾にひばり路の切畑きりばたに、
赤ら橘葉がくれにほのめく日なか、
そことも知らぬ靜歌しづうたうまし音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲の
あり樹の枝に矮人ちいさご樂人あそびをめきし
ればみを。尾羽をばがろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
ませに、木の間に、――これやまた野の法子兒ほふしご
のものか、夕寺深くこわぶりの
讀經どきやうや、――今か、靜こころ
そぞろありきのり人の
たましひにしも沁み入らめ。

日は木がくれて、諸とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒く、
そそ走りゆく乾反葉ひそりば
白膠木ぬるであふち、名こそあれ、葉廣はびろ菩提樹ぼだいじゆ
道ゆきのさざめき、そらに聞きほくる
※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)いしわたどののたたずまひ、振りさけ見れば、
高塔あららぎや九輪の錆に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣しえの裾ながに地に曳きはへし
そのかみの學生がくじやうめきし浮歩うけあゆみ、――
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月日のゆふべ、
ひじりごころの暫しをも、
知らましを身に。


あえかなる笑や、濃青こあをの天つそら、
君が眼ざしの日のぬるみ、
寂しき胸の末枯野くだらのにつと明らめば、
ありし世の日ぞ散りしきし落葉樹おちばぎは、
また若やぎの新青葉にひあをば枝に芽ぐみて、
歡喜よろこびの、はた悲愁かなしびのかげひなた、
あざるる木間こまのした路に、うまし涙の
雨滴あまじたり、けはひ靜かにしたたりつ、
あなうらやはき「妖惑まよはし」の風おとなへば、
ここかしこ「追懷おもひで」の花淡じろく、
ほのめきゆらぎ、「囁き」の色は唐棣はねずに、
接吻くちづけ」のうましかをりは霧の如
くゆり靡きて、夢幻まぼろしの春あたたかに、
醉ごこちあくがれまどふ束の間を、
あなうら悲し、やさまみの日ざしは頓に
日曇ひなぐもり、「うつし心」の風あれて、
花はしをれぬ、ひこばえし青葉は落ちぬ、
立枯のしげき路よ、ありし世の
事榮ことばえの日ははららかにそそ走りゆき、
鷺脚の「歎き」ぞ、ひとり青びれし
溜息低にまよふのみ。――夢なりけらし、
ああ人妻、――
にあえかなる優目見やさまみのもの果なさは、
日直ひなほりのぎむと見れば、やがてまた
掻きくらしゆく冬の日の空合そらあひなりき。


わがゆくかたは、月明りさし入るなべに、
さはら木はかひなだるげに伏し沈み、
赤目柏あかめがしははしのび音に葉ぞ泣きそぼち、
石楠花しやくなぎは息づく深山みやま、――「寂靜さびしみ」と、
沈默しじま」のあぐむ森ならじ。

わがゆくかたは、野胡桃の實は笑みこぼれ、
黄金なす柑子かうじは枝にたわわなる
新墾にひばり小野のあらき畑、草くだものの
釀酒かみざけ小甕こみかにかをる――「休息やすらひ」と、
「うまし宴會うたげ」のにはならじ。

わがゆくかたは、末枯うらがれあしの葉ごしに、
爛眼ただらめの入日の日ざしひたひたと
水錆みさびの面にまたたくに見ぞ醉ひしれて、
姥鷺うばさぎはさしぐむ水沼みぬま、――「歎かひ」と、
追懷おもひで」のすむさとならじ。

わがゆくかたは、八百合やほあひの潮ざゐどよむ
遠つ海や、――ああ、朝發あさびらき、水脈曳みをびき
神こそ立てれ、荒御魂あらみたま勇魚いさなとる子が
日黒みの廣き肩して、いざ「慈悲」と、
努力ぬりき」の帆をと呼びたまふ。


うべこそ來しか、小林の
法子兒ほふしごひたき、――
そのかみ(邦は風流男みやびをの代にかもあらめ、)
豐明節會とよのあかりをみごろも、童男をぐなのひとり、
日蔭かづらや曳きかへる木のした路に、
葉染の姫に見ぞひてれにしいまし
黄櫨はじのうは葉はくれなゐに、
また榛樹はしばみうろの實は根に落ち鳴りて、
常少女とこをとめなる母宮の代としもなれば、
すずろありきや許されて、
さこそは獨り野木のに、
占問うらどひ顏にたたずみて、
初祖うひその人や待ちつらめ。

ひととせなりき、
春日かすがの宮の使ひ姫秋ふた毛して、
竹柏なぎの間をゆきかへる小春日和を、
都ほとりの秋篠あきしのや、
かぐの清水」は水錆みさびてし古き御寺の
頽廢堂あばらすだうの奧ぶかに、
技藝天女の御像みすがたの天つ大御身おほみま
玉としにほふおもざしに、
うまし御國の常世邊とこよべ
あくがれ入りし歸るさを、
ふとこそ、荒れし夕庭の朽木の枝に、
が靜歌を聞きすまし、
心あがりのわがいとに、
緒合をあはせにゆらぐ音の歌ぬしこそは、
うべ睦魂むつだまの友としも、
おもひそめしか。

またひととせは神無月、
日ぞ忍び音に時雨れつる深草小野の
柿の上枝ほづえみのこるうま木醂きざはし
入日に濡れて面はゆに紅らむゆふべ、
すずろ歩きの行くすがら、
竹の葉山の雨滴あまじたりはらめく路に、
いましを、ひとり黄鶲きびたき
もだ俯居うつゐをかいまみて、
ありし掛想けさうのまれ人の
か、雨じめる野にくゆる物のかをりに、
そのかみの夜や思ひいでて、
涙眼いやめに鳥は歎くやと、
目ぞ留りにし。

ああいましこそ、小林の
法子兒ほふしごひたき、――人の世の往くさ來るさに、
ともすればまためぐり會ふたまあへる子や、――
にいささかのえにながら、空華くげにはあらじ。
わがたましひの小野にして、
努力ぬりき」の濕ひ、「思慧しゑ」の影おほしいつきて、
さて咲きぬべきうづの花、
そのうら若き莟みこそ、
さはづしの戸と噤みつれ、
まだき滴る言の葉のうましにほひは、
生命の火をもはふまで
にほのめきぬ。


わが故郷ふるさとは日の光蝉の小河にうはぬるみ、
在木ありきの枝に色鳥いろどりながめ聲する日ながさを、
物詣する都女みやこめの歩みものうき彼岸會や、
桂をとめは河しもに梁誇やなぼこりする鮎汲みて、
小網さでの雫に清酒きよみきの香をか嗅ぐらむ春日なか、
櫂のゆるに漕ぎかへる山櫻會やまざくらゑ若人わかうどが、
瑞木みづきのかげの戀語り、壬生狂言みぶきやうげんのわざをぎが
わざの手振のざればみに笑み廣ごりて興じ合ふ
かなたへ、君といざかへらまし。

わが故郷は、楠の樹の若葉仄かに香ににほひ、
葉びろ柏は手だゆげに風に搖ゆる初夏を、
葉洩りの日かげ散斑ばらふなるただすもりの下路に、
葵かづらの冠して、近衞使このゑづかひの神まつり、
塗のながえの牛車ゆるかにすべる御生みあれの日、
また水無月の祇園會や、日ぞ照り白む山鉾の
車きしめく廣小路、祭物見の人ごみに、
比枝ひえの法師も、花賣も、打ち交りつつなだれゆく
かなたへ、君といざかへらまし。

わが故郷は、赤楊はんのき黄葉きばひるがへる田中路、
稻搗いなきをとめが靜歌しづうたあめなる牛はかへりゆき、
日は今つひの目移しを九輪の塔に見はるけて、
靜かにねむる夕まぐれ、稍散り透きし落葉樹おちばぎは、
さながら老いし葬式女はうりめの、たゆげに被衣かづき引延ひきはへて、
物歎かしきたたずまひ、樹間こまに仄めく夕月の
夢見ごこちの流盻ながしめや、鐘の響の青びれに、
札所めぐりの旅人は、すずろ家族うからや忍ぶらむ
かなたへ、君といざかへらまし。

わが故郷は、朝凍あさじみの眞葛が原にかへでの葉、
そそ走りゆく霜月や、專修念佛せんじゆねぶちの行者らが
都入りする御講凪おかうなぎ、日はひるさがり夕越ゆふごえ
路にまよひし旅心地、物わびしらの涙眼いやめして、
下京あたり時雨するうら寂しげの日短かを、
道の者なる若人は、ものの香朽ちし經藏に、
塵居ちりゐ御影みかげ古渡こわたりの御經みきやうの文字やめでしれて、
夕くれなゐの明らみに、黄金こがねの岸も慕ふらむ
かなたへ、君といざかへらまし。


そのかみ山のいちの日に、草木はなべて、
    ああ金星草ひとつば
色ゆるされの事榮ことばえに笑みさかゆるを、
    ああひとつば、
ひとり空手むなてに山姫ののりをこそ待て、
    ああひとつば。

春は馬醉木あせび蝦夷菫えぞすみれかざしぬ、花を。
    ああひとつば、
裝ひ似ざるうれたさに、宮にまゐりて、
    ああひとつば、
願へど、姫は事なしび、素知らぬけはひ、
    ああひとつば。

夏は山百合、難波薔薇なにはばらにほのめきぬ
    ああひとつば、
匂ひなきにうらびれて、一日ひとひうろ
    ああひとつば、
歎けど、姫は空耳そらみみに片笑みてのみ、
    ああひとつば。

秋は茴香うゐきやう、えびかづらぞ色づきつ、
    ああひとつば、
素腹すばらさがを恨みわび、夜を泣き濡れて、
    ああひとつば、
ゆれど、姫は目も空に往き過ぎましぬ
    ああひとつば。

やがて葉は散り、實は朽ちぬ。冬木の山に
    ああひとつば、
獨りし居れば、姫は來て「思ひかあたる
    ああひとつば、
世は吾とわが知るにこそ、在りがひはあれ
    ああひとつば。

姫は微笑み、「今日もはた、香をか羨む、
    ああひとつば、
色をか、いかに。いはひ子の斯くや、御賜みたま。」と
    ああひとつば、
その日よりこそ、黄金斑こがねふ紋葉いさはとはなれ、
    ああひとつば。


ときは夏なか、
日ぞ眞晝、
日ざしは麥の
穗にしらみ、
野なかの路に
またたきて、
濁酒しろうまの如、
湧きたちぬ。

牧の小野には、
並木立
かひなだるげに
葉を垂れつ。
青ぶくれなる
水錆沼みさびぬは、
めまぐるしさに
息だえぬ。

雲のひとひら、
たよたよと
※(「口+僉」、第4水準2-4-39)※(「口+禺」、第3水準1-15-9)あぎとひゆきて、
ありなしに
やがては消えつ。
濃青こあをなる
空や、うろなる
墓ならし。

水澁みしぶ
をぬるみ、
※(「虫+原」、第3水準1-91-60)ゐもりくり
くぐり入り、
爐土ほけつちの香に
息むせて、
蛇はひそみぬ、
葉がくれに。

なべての上に
高照す
つよき苛責や、
あな寂し、
悔なきたま
けだかさは、
げに水無月の
日ならまし。


夏なかの榮えは過ぎぬ、
くたら野の隱れの古沼ふるぬ
靜寂じやうじやく」は翼をして
はぐくみぬ、水のおもてを。

にほや、に淨めの童女をさめ
尼うへの一座なるらし。
なづさひの羽きよらかに、
水泥みどろなす水澁みしぶに浮きつ。

水漬みづく葉の眞菰のみだれ、
伏葦ふしあしの臂のひかがみ、
末枯うらがれや、――さてしも齋場ゆには
おもむろににほは滑りぬ。

漁人すなどりの沓のおとにも、
鼻じろみ、面隱おもがくす兒の
振りかへり、かつ涙ぐみ、
がくれにつとこそ沈め。

河骨かうほねの夏を夢みて、
ほくそ笑む水底の宮、
かつぎ姫、「歸依きえ」の掬むなる
常若とこわかの生命湛ひぬ。

見ず、暫時しばし、――今はた浮きつ、
淨まはるひじりごころの
かひがひし、あな鳰の鳥、
ひねもすにいつきゆくなり


時はふたりをさきしかば
また償ひにかへりきて、
かなしき傷に、おもひでの
うまし涙を湧かしめぬ。


黄金覆盆子こがねいちごは葉がくれに
まなこうるみて泣きぬれぬ。
青水無月の朝野あさのにも
歎きはありや、わが如く。

さちも、希望のぞみも、やすらひも、
海のあなたに往き消えつ。
この世はあまりか廣くて、
をとめ心はありわびぬ。

む風のささやきに、
覆盆子いちごのまみは耀きぬ。
神はをとめを路しばの
片葉とだにも見給はじ。


夏野の媛の手にとらす
しろがねがたみ、ももくさの
香には染むとも、追懷おもひで
人のまみには似ざらまし。

伏目にたたすあえかさに、
ひと日は、白き難波薔薇なにはばら
夕日がくれに息づきし
津の國の野を思ひいで。

ひと日は、うるむ月の夜に、
水漬みづく磯根の葦の葉を、
卯波うなみたゆたにくちづけし
深日ふけひの浦をおもひいでぬ。


別れは、小野の白楊はこやなぎ
夕日がくれに落つる葉の
長息なげきよ、しじにうらびれて、
さあれ、靜かにれゆきぬ。

かたみの路の足惱あなゆみに、
思ひしをれてたゆむ日は、
美くしかりしそのかみの
事榮ことばえにしもなぐさまめ。

でのさかりに、何知らず、
この日もやがてありし世の
往きてかへらぬ追懷おもひでと、
消ゆらめとこそ思ひしか。


この夕ぐれの靜けさに、
たまはしのびに息づきて、
何とはなしにおもひでに
二つの花のを嗅ぎぬ。

ひとつは、濕める梔子くちなし
別れのゆふべ泣き濡れし
あえかの胸に、今もはた
「日」は殘らめとささやきつ。

ひとつは、ゆる野茨のいばら
今は末枯すがれぬ、そこにして
また新しき「日」は芽ぐみ、
花もぞ咲くとつぶやきつ。


今日しも、卯月宵やみに、
十六夜薔薇いざよひうばらににほふ。
なつかしきもの、胸の戸に、
黄金こがねの文字の名ぞひとり。

神はをみなを召しまして、
いづくは知らず往にしかど、
大御心のふかければ、
殘る名のみは消しませね。


夕月さしぬ、野はみぬ、
日のいとなみに倦みはてて、
苅りし小草に倒れ伏し、
別れし人の身ぞおもふ。

さても、眞晝を玉敷たましき
御苑みそのにたたす君なれば、
夜半よはにはかかるくたら野に、
すずろありきもし給ひぬ。


今朝あけぼのの浦にして
われこそ見つれ、おもほでり、
濃青こあを瞳子ひとみひたひたの
み空と海の接吻くちづけを。

君や青空、われや海、
ああ醉心地、だきしめに
胸ぞわななく、さこそかの
か廣き海も顫ひしか。


人待つ宵を、日のかたみ、
大葉黄菫おほばきすみれ花さきぬ、
での盛りに言ひ知らず、
物さびしさの身にぞ沁む。

花とをみなの持てなやむ
悲びなそ、あまつ日の
ながながしに唯ひと日、
今日に醉ふなる身のふたり。


葉こそこぼるれ、夏なかの
青水無月のかげに見し
その日の夢はまづ覺めて、
今日はたいまし、――ああ無花果。

昨日ぞ、夕に、あかつきに
露けかりつる身のふたり、
明日を、あめなる大御手おほみて
委ぬるも、はた、――ああ無花果。


とのゐやつれの雛星は、
まぶしたゆげにまたたきつ、
竹柏なぎの老木は寢おびれて
夢さわがしく息づきぬ。
    夜はもなか、
    吾ひとり、
かすかに物のけはひして、
ささやく心地、さびしさの
にほのめきて身にぞしむ。


夕浪倦みぬ、――さこそ吾。
眞白羽ましろばゆらにひるがへりし
鴎は水脈みをに、――さこそ、わが
たまよたゆたにただよへれ。

歎きぬ、葦はうら枯の
上葉うはばたゆげに顫きて。
昨日はともに葦かびの
若き日をこそ歌ひしか。

あな火ぞともる夕づつの
葦間にひたる影青に。
消ゆとは知れど、さこそ、われ
人のまみをば思ひづれ。


かかる夜なりき、白楊はこやなぎ
うるみ色なる月かげに、
飽かず別れて立ちかへり、
抱きあひては歎きしが。

その夜は、やがて尼ごろも
たまぞ着そめし日のはじめ、
いつきし「戀」のゆまはりは、
寂しかりきな人知れず。

天なるいづ御苑みそのにも
ありや、記念かたみ白楊はこやなぎ
ひと夜は、かくや木がくれに
現身うつそみの世も見たまはめ。


いま月しろのうはじらみ、
ほのかに動く宵の間を、
人待ちなれし眞籬根まがきねに、
難波薔薇なにはうばらぞ香ににほふ。

待つにし來ます君ならば、
千代ちよをもかくてあらましを、
忘れてのみは、いつの代も
めぐり會ふ日はなかるべし。

ひとの御胸みむねにはなるとも、
「戀」はひとりぞ羽含ほぐくまめ。
日のはじめより泣き濡れし
宿世すぐせは似たり花うばら。


忘れがたみよ、津の國の
遠里小野の白すみれ、
人待ちなれし木のもとに、
摘みしむかしのににほふ。

日は水の如往きしかど、
今はたひとり、そのかみの
心知りなるささやきに、
物思はする花をぐさ。

ふと聞きなれししろがねの
こわざしやはきしのび音に、
別れのゆふべ、さしぐみし
あえかのまみを見浮べぬ。


葉こそこぼるれ、神無月
かかる日なりき、
黄櫨はじの木かげに俯居うつゐして、
戀がたりする人も見き。

葉こそこぼるれ、ひるさがり、
かかる日なりき、
かたみに人は擁きあひ、
接吻くちづけにこそ醉ひにしか。

葉こそこぼるれ、そのかみの
二人のひとり、
ふとありし日のまぼろしを
吾かのさまに見惚みほけぬる。


相見そめしは初夏の
空も夢みる御生みあれの日、
冠にかけしもろかづら、
記念かたみにこそは分ちしか。

後の逢瀬はいつはとて、
泣き濡れぬ日もなかりしを、
はては召されてあま
空のあなたに往きましぬ。

いかに記念かたみの葵ぐさ、
のこる桂は乾からびぬ
さこそ心も青枯れて、
追懷おもひで」のみぞににほふ。


からびぬ、薔薇うばら。あかねさす
花の若えはおとろへぬ。
今はのきざみ、ため息の
香こそ仄めけ、くちびるに。

でのまどひに何知らず、
面がはりせし人妻の
まみの窶れに消えのこる
日のなまめきを見浮べつ。

ふとまた聞きつ、榛樹はしばみ
縒葉よりばこぼるる木がくれに、
人しれずこそ會ひし日の
忘れて久のささやきを。


かた岡に
日は照りぬ、
男木をぎ
鳥うたひ、
いさら水
笑みまけて
面はゆに
野こそ滑れ。

朝踏ます
風のに、
草かた葉
さゆらぎて、
しづれ散る
露や、げに
玉ゆらの
瓊音ぬなとすらめ。

雲は、いま
しろたへの
しぬ、
あさびらき、
海原に
帆をあぐる
蜑舟の
心みえや。

ほのかなる
しろよそひ、
あな「朝」か、
わらはげに
かた笑みて
つと消えつ、
「日」はすでに
まきに立ちぬ。


夕凍ゆふじみ
小野や、――伏目に
さしぐみし
日はみまかりぬ。
左視とみ右顧かうみ
あな細雪さざめゆき
常樂じやうらく
宮とめあぐみ、
ものうげの
旅や、はつはつ。

ここかしこ、
榛實はしばみの殼、
また乾反ひそ
伏葉のみだれ、
小木の
しとどすくみて、――
あな、ここは
悲びのくに
鈍色にぶいろ
住家ならまし。

ささやきつ、
また吐息しつ、
雪片ゆきひら
歎きよ、――落ちて
葉に、石に
いこひぬ、倦みぬ、
またたきて、
つとこそぬれ、
いささかの
生命か、――うるひ。


水うはぬるむ水無月の
夏かげくらきこもに、
花こそひらけ、觀法くわんぱふ
日を睡蓮のかたゑまひ。

しろがね色の花蕚はなぶさに、
※(「火+主」、第3水準1-87-40)いちすのかをり焚きくゆる
しべは、ひねもす薫習くんじふ
に染みてたゆたひぬ。

たたなはる葉のひまびまに、
ほのめきゆらぐ未敷蓮みふれん
ひとつびとつは後の日を
この日につなぐぐわんならし。

夕となればがくれの
阿摩あまなる姫がふところに、
ひと日をやがて現想げんさう
うまし眠りに隱ろひぬ。

にひとりなる法子兒ほふしご
翡翠かはそびならで、くだちゆく
如法闇夜によぼふあんやに睡蓮の
ひじり世を誰がしのぶべき。


にぶなるみ空、鈍なる海、
ああ身ぞひとり、
入波いりなみゆたにたゆたひて
ゆふべとなりぬ。

氷雨ひさめの海の海神わだつみは、
椰子の實熟るる
常夏とこなつかげの國戀ひて、
胸さわぐらし。

沖の遠鳴、潮の、――
ああ醉ごこち、
いづくは知らず、靈魂たましひ
故郷こひし。

わが世は知らぬかなたへと、
日に、また夜はに、
あくがれまどふ野心の
努力ぬりき羽搏はうち

「時」は頓死まぐれて死にぬとも、
とげの日までは、
常若とこわかにしもあらまほし、
わだつみとわれ。


別れぬ、二人。魂合たまあひし身は、常世とこよにも
離れじとこそ悶えしか、そも仇なりき。
落葉もかくぞ相舞あひまひに散りはゆけども、
分ちぬ、風は追わけに。さて見ず知らず。


矢の根を深み、傷手よりひじりごころは
日に夜に絶えず沸き出でて流れぬ、神に。
青水無月の小林に、漆樹うるしは、さこそ
木膚こはだの目より美脂うまやにをしとどしたつれ。
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葉は落ちぬ、
小野のはんの木、
灰いろの
影のただよひ
落穗ひろひ、――
かなしびは
たゆげに動く。

めあゆむ
『きのふ』の落穗、
ひろひしは
粃實しひなのみ。
おちぼひろひ、――
とみかうみ
かつ涙ぐむ。

今日もはた
南へ、海を、
夢の鳥
かへりぬ、ひとつ。
おちぼひろひ、――
うらびれて
わが世は寂びぬ。

初冬の
日はわびしげに、
われとわが
世をいたぶかに。
おちぼひろひ、――
見入りては
また涙ぐむ。


何知らず空はかなしび、
にぶいろのまぶしたるみて
しのび音に日ぞ泣きそぼつ。

朽ちばめるうつぼばしらに、
憂鬱の、あな父なし兒、
蛞蝓なめくぢはふとむくめきぬ。

雨じめり落葉はふやき、
しめやかに土の香ひす。
そことなき物したはしさ。

雨だりの音びそびそと
はさぐり、樋はまた咽ぶ――
蛞蝓はなめりぬ、ゆるに。

寢はれつる身は水ぐみて、
やみの如むくみぬ。すは
ひやかなるなほざりの夢。

灰色のあなたを針眼みぞ
うかがひぬ、はた危ぶみぬ、
なめくぢのなま心わろ。

ありなしのしばにながらへ、
その間だにものうき身には、
おほあめもむなしき名のみ。

雨やみぬ。蛞蝓は、ふと
見ず。――ひとりうつぼ柱に
うつけたる歌の占象うらがた


初夏は酒甕の如、
泡だちて日はかもされぬ。
青みどり小野の木立は、
醉ひしれてまどろむここち。

うらわかきそのの無花果、
驕樂の時のすさびに、
かなしびは胸にはらみて、
無祥兒さがなごのむしを産みぬ。

じじと日は油照りして、
沈殿をどむのみ。野は氣おされて
惱む間も、あなきしきしと
木食蟲 樹の髓をむ。

無花果の樹はかなしげに、
をとめさび、――思ひくづほれ、
葉廣なる掌面たなひらもたげ、
なに知らず 乞ひむけはひ。

諾否なやうやの空照りおもり、
唖蝉おしぜみは氣づかはしげに
立ちすくむ日を、きしきしと
木食蟲 樹の髓をむ。

無花果の樹はくるしげに、
木膚には まれの簸屑ひくづ
うな沸きぬ。たたゆたひぬ、
わび歌の音ぞ青じろに。

ふと人の足音とまり、
つぶやきて また往き過ぎぬ。
午さがり、――きしきしとのみ、
木食蟲 樹の髓をむ。

無花果の葉は泣きしをれ、
青からび實は萎え落ちぬ。
ほぞあとに生命は白み
しとしとと雫ぞ※(「酉+麗」、第4水準2-90-44)したむ。

木はなべて夢ざめぬ。日は
夕なり。あな無花果は、
こしかたの世をいたぶかに、
見入りてはもだしぬ。やがて――

ももとせを刹那にみて、
占飮しめのみに醉ふかのさまに、
聞き笑みぬ、夜をきしきしと
木食蟲 樹の髓むを。


更くる夜の厨のさむさ、
冷えとほる灰にもたれて
    火吹だるま、
翁びしまみの煤ばみ、
かりそめの火をはぐくみぬ。

ほのかなるぬる火のぬくみ、
胸の脈ゆたにむくみて、
    火吹だるま、
初立うひだちし生命の日かな、
面はゆに火屑ほくづを吹きぬ。

はしり火のつぶやく心地、
ひしひしと夢はこぼれぬ。
    火吹だるま、
すずろなる心の踴躍ゆやく
つぼ口のふとほくそ笑み。

火移りの火は慕ひ合ひ、
たはれてはまた火を孕む。
    火吹だるま、
面ほでり汗ばむけはひ、
喘ぎつつかつ息づきぬ。

われとわが火は火を燒きて、
火ぞ燃ゆる―せいのあくがれ。
    火吹だるま、
醉ひ伏しぬ、醉のたのしび、
さあれ、また刹那のいたび。

なべてみな死にゆく夜半よはを、
黄金こがねなすほのほの宮に、
    火吹だるま、
常若とこわかのわが世を夢み、
やがてまた氣長けながに倦みぬ。

夜は更けつ、沈默しじまの闇に
みわるる※(「木+兌」、第3水準1-85-72)うだちひびき。
    火吹だるま、
火は消えつ、灰にうもれて、
死骸むくろのみか黒に冷えぬ。


夕づつは青にともりぬ、
くだり闇、闇のもなかに、
姥鷺うばさぎは鳴く音たゆげに、
夕まよひ水沼みぬまにおりぬ。
  片びさし、草家のかくれ、
  ほのかにも夕顏咲けり。

産土うぶすなの祭は暮れぬ、
賤がの厨には、いま
助枝窓したちまどほのにあからび、
夕餐ゆふげひらきそむらし。
  興津姫せはしなの夜や、
  夕顏は闇にしらみぬ。

戸は開きぬ、――つと片あかり、――
ひさはかくれつ闇に。
ひしひしと跳火はねびはしりて、
寄鍋よせなべの泡咲くけはひ。
  なまぬるの風に搖えて、
  夕顏のはしめらひぬ。

戸は閉ぢぬ、――はたくだり闇、
※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)えこぼる味噌汁の香や、
紫蘇醤しそびしほ濁酒しろうまの氣に、
あつじめる家内やうちは蒸しぬ。
  夕づつの往ぬるを傷み、
  夕顏のまみはうるみぬ。

窓につと火影ほかげうごきぬ。
厨には小皿のひびき、
おとむすめ、笑みのな白みに、
醉ごゑのだみもまじりぬ。
  心安うらやすの日にはありきと、
  夕顏は昨日を思ひぬ。

夕まよひ、六部ろくぶのひとり、
足惱あなゆみて外面とのもを過ぎつ。
闇は、いま盜食ぬすばむさまに、
干割戸ひわれどに爪だちよれり。
  童女をとめさび、つとうなだれて
  夕顏はまた吐息しぬ。

薄あかり弱くあをちて、
※(「火+竹かんむり/(皀+卩)」、第4水準2-80-8)ほそくづのこぼるるけはひ。
わらはき、かつくぐもりて、
添乳する母も寢伸びぬ。
  わろき日のうらも知るかに、
  夕顏はえこそ落ち居ね。

戸閾とじきみねずや、――さながら
うつむろの墓のしづけさ。
窓ぢかに偸立ぬすだつ『まが』の
鷺脚のひびきも聞かめ。
  音もなき蚋子ぶよのふめきに、
  夕顏は呻吟によびぬ、低に。

ほとほとと訪ふけはひ、――
※(「火+竹かんむり/(皀+卩)」、第4水準2-80-8)ほそくづはまたもこぼれぬ。
ほくそ笑み、――娘のひとり
寢おびれてかつしづまりぬ。
  わななきてえやみするかに、
  夕顏はつとこそ萎め。

ほとほとと訪ふけはひ、――
わらはき、――母は寢ざめぬ。
ふと海の吾子わごをおもひて、
物怖ものおぢに胸こそさわげ。
  夕顏の花はくづれて、
  香のみ殘りぬ、弱に。


夜は更けぬ、ともしは青に涙ぐむ。――
 病人やまうどひとり――
火影ほかげはあをち消えゆきぬ。
 ああくだり闇、
火屑ほそくづのなげきも弱に――空室うつむろ
 えうの夜しづむ。

盲目めしひなる『闇』はしのびにうかがひぬ。
 病人ひとり――
熱れしめらふ枕がみ、
 まじの裳垂れぬ。
まどろみつ、はたうなされつ。――憑體よりがら
 ほほけしここち。

花瓶はながめすゑ白磁しろで※(「目+票」、第4水準2-82-15)ひがめして、
 見惱みやまふさまや、
たゆげに闇に息づきて、
 ああ今もかも
罌粟の夢くづれぬ。――落ちて仄白に
 香にこそにほへ。

靜寂じやうじやく』のつぶやきか。あな、花びらの
 かすけきひびき、
つと仄めきぬ、はた消えぬ。
 『熟睡うまい』をなかに、
とこつ世にかよりかくよりあくがるる
 わが世なりきな。

ほの見つる彼方よ、物のくらきかな。
 病人の身は――
さあれ氣ぶかき『靜寂』の、――
 罌粟はこぼれぬ、――
玉ゆらの吐息にしみし移りは、
 えこそ忘れね。

花ははたこぼれじ。――かくて『永劫えうごふ』は
 默しぬ、われに。
危篤あつゆる今の束の間を
 あな息ぐるし、
魂のさやに脈搏つすぐよかさ、
 わが世ちにき。


八月の日ぞ照りしらむ
葉びろ柏の繁みよりをみなの如き目ざしして、
かいまみ笑める青き空。――ああ、その青よ、ふるさとの
おほわだつみの浪の色。
今ぞ別れむ、戀人よ。が盃は甘かりき、
さあれ、わが世の踴躍ゆやくをば今日こそ見つれ、わがたま
あへぎぬ、浪に。手なとりそ。ああ、幻よ、
八百潮やほじほの、日にまた夜はに胸さわぎ
滿ち張る――海へ、いざ歸らまし。

君は薔薇うばらの花白き片山かげの紅顏あから少女、
われは檳榔びらうの影ひたる南の海の船のをさ
もろかひなをとりかはし昨日か戀ひし。今日ははた
別れとなりぬ。夏初め、宵の月夜の逢曳に、
やがてさこそと歎きしか。
さもあらばあれ、われはまた夏野の鳥の日もすがら
木かげの花にくちふるる色好みにはえも堪へじ。
ああ、また高き日ざかりの波の穗光り、潮合しほあひ
遠鳴る――海へ、いざ歸らまし。

束の間なりき。わが戀はげに夏の夜の夢なりき。
かへる彼方のわだつみの營みいかに繁くとも、
忍びかいでむ、君が名は。
ああ、『追懷おもひで』よ、來し方のながき砂路に殘るらむ
あえかの花のひと莖は、唯君のみの名なるべし。
それはた小野の朝じめり、薔薇の香ふ途ならず、
汐ざゐどよむ海境うなざか海豚いるかの列の見えがくる
大わだつみの彼方にて。ああ、空みたれ、船の帆の
はためく――海へ、いざ歸らまし。

知らじや、われはわだつみの船盜人ふなぬすびといちの者、
船がかりする商人あきうどうづの寶を奪りはすれ、
女の胸にひむるてふ祕密の摩尼まには盜まじよ。
ああ、後の日も忘れずの肌のなまめき、目のうるみ‥‥
いな、わが戀は遠海の白藻しらもの香ひ、浪の搖れ、
汐の八百路を漕ぎわくる櫂のきしめき。
くちびるの火のあまきかな。――かくて、われ
また緑野の花は見じ。――ああ、海神わだつみのたか笑ひ
どよむか――海へ、いざ歸らまし。


午過ぎぬ。日はわびしげに
四辻のちまたにうるみ、
都路はもの疲れして
たゆげにも微睡まどろむここち。
ゆくささ、男女をとこをんな
夢の野にすずろ往くかに
足ぶみの音もしめりて、
商人あきうどは亡き人の名を
想ひいで、はたなつかしみ、
俳優わざをぎは見ぬ代の樣に
醉ひほれて見とるるここち、
物賣はしずかにつぐみ、
乞食女かたゐめも忍びにあゆむ
午さがり。――日はわりなくも
靜心知らず亂れて
つむじ風ふと思ひたち、
そそめきてかしま立ちしぬ。
かわきし地は胸さわぎ
けばだちぬ。白楊やなぎの落葉
そそくさと先走りしぬ。
土ぼこり、垢膩くにはそそけて
螺形にしがたにすぢりぬ、舞ひぬ。
故知らず、はた何知らぬ
時めきの、さとこそうづ
くるめきて爪立あがれ、
稈心みごの唄、葉のしら笑ひ。
ゆきかひの人あたふたと
物音のさわがしきかな。
俳優は走りぬ、――白き
あなうらのなまめき。――たたと
ふためくやひさふたり。
ふと夢に物おびえして
喘ぐかに經師きやうじが家の
招牌ふだもこそ歎きぬ。――ひとり
さりげなき面持、つつと
往きすぐる若き唄ひ
あと叫び、つとこそとまれ、
ふくらはぎ肌しも斷れ、
くるぶしはにじみぬ、あけに。
見ず知らぬ人の誰彼、
はしり寄るひとりは言ひぬ、
「かまいたちえうの使ひ
盜食ぬすばみに生肌いきはだをこそ
噛みつれ」と。はた呟やけり、
「肌じろの踝なれば、
みだらなる魔の係蹄わなにしも
落ちけめ」と。あな唄ひは、
血醉ちゑひして顏青ざめぬ。
われならぬ不可思議の世に
見おどろき、さては見入りて、
柔肌やははだのしろき心に、
くちなはのもの執念しふねさは、
この日より萌しぬ。風は
そそくさと横走りして、
末廣にちまたを西へ。――
落葉のみ、じゆ古經ふるぎやう
文字の如、殘りぬしじに。


廣小路――日は涙くむ……
乞食兒かたゐこの胡弓のすさび、
すすり泣く音に………そことなし
燒栗のほのかのにほひ………

ゆくさくさ、人ふりかへり
『は』と笑ふ、……胡弓のなげき……
砂ぼこりふとほほけだち、
跳火はねびして栗は汗ばむ。

焦げくさき實はふすふすと
ぜわれぬ。……あなひだるさや、
ひさはつと鼻ひりて
おもしかむ。……胡弓のたゆみ……

錢は落つ。――あな胡弓彈き
ほくそ笑み、はたほこりかに
栗食みて、かつ物言ひぬ、
※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみのひきつるけはひ……

栗賣はみみしひなりき。


「これはもと擇捉島えとろふじま荒海あるみに」と
御國なまりの言葉だみ「追ひとりまきし
膃肭臍おつとせい、海なるぬし。」とやさがみし
毛むくぢやらなる嬌笑ほくそゑみつとこそよよめ。

七月の日は照りをどむ路辻の
砂ぼこりする露店ほしみせに「なう皆の衆、
北海の膃肭おつとは、に」と汗ばみし
たゆげのあへぎ「生藥いくぐすり、一のやしなひ。」

路の邊の柳の葉なみ萎びれて、
歎かひしずむ蔭日向かげひなた、――ああ海のぬし
膩肉あぶらみ膂肉そじしは厭に灰じろみ、
黒血のにじみ垢づきて、かつうなきぬ。

「これなるは流産ちあれめ。」と喉の小舌ひこ
ひきつるけはひ、しはぶきて「あれなるは、また
おとろふる腎臟むらとの藥、乾肉ほしじし
たけり。」と言ひて、北海のまぼろし夢む。

りくじるまだ見ぬ海の靈獸くしけもの
小さ刀の刄にぬるる妖のしたたり。
きりじし生干なまびの色のなまぐさに、
ふとしも聞きぬ、しほはゆき潮ざゐのを。

つぶやきて人はも去りぬ。つむじ風
つとこそ躍れ。ほほけ立つ埃まみれに
膩肉あぶらみほとぼるむくみ、――しかすがに
心はまどふ、仄ぐらき不安のおびえ。

日ぞ正午まひる。油照りする日のしづく
食滯もたるる底に、しし[#「飮のへん+委」、U+9927、201-7]えゆく匂ひ、――
ひだるさに何とは知らずやにくさき
※(「口+去」、第3水準1-14-91)おくびのまぎれ、辻賣はつぶやくけはひ。

底本:「泣菫詩抄」岩波文庫、岩波書店
   1928(昭和3)年5月5日第1刷発行
   1999(平成11)年2月9日第25刷発行
※「童女」に対するルビの「をさめ」と「をとめ」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:Y.S.
2013年6月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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