或る日のこと、おかみさんがこの窓の所へ立って、庭を眺めて居ると、ふと美しいラプンツェル((菜の一種、我邦の萵苣(チシャ)に当る。))の生え揃った苗床が眼につきました。おかみさんはあんな青々した、新しい菜を食べたら、どんなに旨いだろうと思うと、もうそれが食べたくって、食べたくって、たまらない程になりました。それからは、毎日毎日、菜の事ばかり考えていたが、いくら欲しがっても、迚も食べられないと思うと、それが元で、病気になって、日増に痩せて、青くなって行きます。これを見て、夫はびっくりして、尋ねました。
「お前は、まア、何うしたんだえ?」
「ああ!」とおかみさんが答えた。「家の後方の庭にラプンツェルが作ってあるのよ、あれを食べないと、あたし死んじまうわ!」
男はおかみさんを可愛がって居たので、心の中で、
「妻を死なせるくらいなら、まア、どうなってもいいや、その菜を取って来てやろうよ。」
と思い、夜にまぎれて、塀を乗り越えて、魔法つかいの庭へ入り、大急ぎで、菜を一つかみ抜いて来て、おかみさんに渡すと、おかみさんはそれでサラダをこしらえて、旨そうに食べました。けれどもそのサラダの味が、どうしても忘れられない程、旨かったので、翌日になると、前よりも余計に食べたくなって、それを食べなくては、寝られないくらいでしたから、男は、もう一度、取りに行かなくてはならない事になりました。
そこで又、日が暮れてから、取りに行きましたが、塀をおりて見ると、魔法つかいの女が、直ぐ目の前に立って居たので、男はぎょっとして、その場へ立ちすくんでしまいました。すると魔女が、恐ろしい目つきで、睨みつけながら、こう言いました。
「何だって、お前は塀を乗越えて来て、盗賊のように、私のラプンツェルを取って行くのだ? そんなことをすれば、善いことは無いぞ。」
「ああ! どうぞ勘弁して下さい!」と男が答えた。「好き好んで致した訳ではございません。全くせっぱつまって余儀なく致しましたのです。妻が窓から、あなた様のラプンツェルをのぞきまして、食べたい、食べたいと思いつめて、死ぬくらいになりましたのです。」
それを聞くと、魔女はいくらか機嫌をなおして、こう言いました。
「お前の言うのが本当なら、ここにあるラプンツェルを、お前のほしいだけ、持たしてあげるよ。だが、それには、お前のおかみさんが産み落した小児を、わたしにくれる約束をしなくちゃいけない。小児は幸福になるよ。私が母親のように世話をしてやります。」
男は心配に気をとられて、言われる通りに約束してしまった。で、おかみさんがいよいよお産をすると、魔女が来て、その子に「ラプンツェル」という名をつけて、連れて行ってしまいました。
ラプンツェルは、世界に二人と無いくらいの美しい少女になりました。少女が十二歳になると、魔女は或る森の中にある塔の中へ、少女を閉籠めてしまった。その塔は、梯子も無ければ、出口も無く、ただ頂上に、小さな窓が一つあるぎりでした。魔女が入ろうと思う時には、塔の下へ立って、大きな声でこう言うのです。
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前の頭髪を下げておくれ!」
ラプンツェルは黄金を伸ばしたような、長い、美くしい、頭髪を持って居ました。魔女の声が聞こえると、少女は直ぐに自分の編んだ髪を解いて、窓の折釘へ巻きつけて、四十尺も下まで垂らします。すると魔女はこの髪へ捕まって登って来るのです。お前の頭髪を下げておくれ!」
二三年経って、或る時、この国の王子が、この森の中を、馬で通って、この塔の下まで来たことがありました。すると塔の中から、何とも言いようのない、美しい歌が聞こえて来たので、王子はじっと立停まって、聞いていました。それはラプンツェルが、退屈凌ぎに、かわいらしい声で歌っているのでした。王子は上へ昇って見たいと思って、塔の入口を捜したが、いくら捜しても、見つからないので、そのまま帰って行きました。けれどもその時聞いた歌が、心の底まで泌み込んで居たので、それからは、毎日、歌をききに、森へ出かけて行きました。
或る日、王子は又森へ行って、木のうしろに立って居ると、魔女が来て、こう言いました。
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前の頭髪を下げておくれ!」
それを聞いて、ラプンツェルが編んだ頭髪を下へ垂らすと、魔女はそれに捕まって、登って行きました。お前の頭髪を下げておくれ!」
これを見た王子は、心の中で、「あれが梯子になって、人が登って行かれるなら、おれも一つ運試しをやって見よう」と思って、その翌日、日が暮れかかった頃に、塔の下へ行って
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前の頭髪を下げておくれ!」
というと、上から頭髪がさがって来たので、王子は登って行きました。お前の頭髪を下げておくれ!」
ラプンツェルは、まだ一度も、男というものを見たことがなかったので、今王子が入って来たのを見ると、初めは大変に驚きました。けれども王子は優しく話しかけて、一度聞いた歌が、深く心に泌み込んで、顔を見るまでは、どうしても気が安まらなかったことを話したので、ラプンツェルもやっと安心しました。それから王子が妻になってくれないかと言い出すと、少女は王子の若くって、美しいのを見て、心の中で、
「あのゴテルのお婆さんよりは、この人の方がよっぽどあたしをかわいがってくれそうだ。」
と思いましたので、はい、といって、手を握らせました。少女はまた
「あたし、あなたとご一しょに行きたいんだが、わたしには、どうして降りたらいいか分らないの。あなたがお出[#「お出」はママ]になるたんびに、絹紐を一本宛持って来て下さい、ね、あたしそれで梯子を編んで、それが出来上ったら、下へ降りますから、馬へ乗せて、連れてって頂戴。」
といいました。それから又、魔女の来るのは、大抵日中だから、二人はいつも、日が暮れてから、逢うことに約束を定めました。
ですから、魔女は少しも気がつかずに居ましたが、或る日、ラプンツェルは、うっかり魔女に向って、こう言いました。
「ねえ、ゴテルのお婆さん、何うしてあんたの方が、あの若様より、引上げるのに骨が折れるんでしょうね。若様は、ちょいとの間に、登っていらっしゃるのに!」
「まア、この罰当りが!」と魔女が急に高い声を立てた。「何だって? 私はお前を世間から引離して置いたつもりだったのに、お前は私を瞞したんだね!」
こう言って、魔女はラプンツェルの美しい髪を攫んで、左の手へぐるぐると巻きつけ、右の手に剪刀を執って、ジョキリ、ジョキリ、と切り取って、その見事な辮髪を、床の上へ切落してしまいました。そうして置いて、何の容赦もなく、この憐れな少女を、砂漠の真中へ連れて行って、悲みと嘆きの底へ沈めてしまいました。
ラプンツェルを連れて行った同じ日の夕方、魔女はまた塔の上へ引返して、切り取った少女の辮髪を、しっかりと窓の折釘へ結えつけて置き、王子が来て、
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前の頭髪を下げておくれ!」
と言うと、それを下へ垂らしました。王子は登って来たが、上には可愛いラプンツェルの代りに、魔女が、意地のわるい、恐らしい眼で、睨んで居ました。お前の頭髪を下げておくれ!」
「あッは!」と魔女は嘲笑った。「お前は可愛い人を連れに来たのだろうが、あの綺麗な鳥は、もう巣の中で、歌っては居ない。あれは猫が攫ってってしまったよ。今度は、お前の眼玉も掻るかもしれない。ラプンツェルはもうお前のものじゃア無い。お前はもう、二度と、彼女にあうことはあるまいよ。」
こう言われたので、王子は余りの悲しさに、逆上せて、前後の考えもなく、塔の上から飛びました。幸いにも、生命には、別状もなかったが、落ちた拍子に、茨へ引掛かって、眼を潰してしまいました。それからは、見えない眼で、森の中を探り廻り、木の根や草の実を食べて、ただ失くした妻のことを考えて、泣いたり、嘆いたりするばかりでした。
王子はこういう憐れな有様で、数年の間、当もなく彷徨い歩いた後、とうとうラプンツェルが棄てられた沙漠までやって来ました。ラプンツェルは、その後、男と女の双生児を産んで、この沙漠の中に、悲しい日を送って居たのです。王子は、ここまで来ると、どこからか、聞いたことのある声が耳に入ったので、声のする方へ進んで行くと、ラプンツェルが直ぐに王子を認めて、いきなり頸へ抱着いて、泣きました。そしてその涙が、王子の眼へ入ると、忽ち両方の眼が明いて、前の通り、よく見えるようになりました。
そこで王子は、ラプンツェルを連れて、国へ帰りましたが、国の人々は、大変な歓喜で、この二人を迎えました。その後二人は、永い間、睦じく、幸福に、暮しました。
それにしても、あの年寄った魔女は、どうなったでしょう? それは誰も知った者はありません。