南方

 島へ來てもう一月近くになるが、なんて風の吹くところだらう。着いた最初の日、濱邊から斷崖の急坂をのぼつて、はんの木の疎林、椿のたち並んだ樹間の路を、神着かみつき村の部落まで荷物をつけた大きな牛の尻について歩いてゆくとき、附近の林、畑地の灌木などが爭つて新芽をふき出してゐるのを見て、又、路が上つたり下つたりして、とある耕作地の斜面のわきに出たとき、その傾斜地一帶、更に上方になだらかな裾を引いてゐる休火山の中腹のあたりまで、煙のやうな淡緑に蔽はれてゐるのを見て、僕は一二ヶ月素通りしていきなり春の眞中にとびこんだやうに感じたものだ。まだ切るやうに冷い風の吹いてゐる靈岸れいがん島で汽船の出るのを待つてゐたのは、つい昨日の晩のことなのだから。
 だが、三日めから風が出た。そして雨。何といふ強い風だらう。島の人は樹木の搖れさわぐのを見て、すぐに西風だとか、ならいの風だとか云ひあてるが、僕にはそれがどこから吹いて來るのかわからない。あらゆる方角から吹き立てて來るやうに思へる。埃のたゝないのが目つけものだが、その代りに鹽分を含んでゐる。海ぎはのたいていの所はいきなり斷崖となつてゐて、まださう古くない熔岩の眞黒いのが切立つてゐたり、ごろごろした岩塊の堆積となつてゐる。そいつに浪が打ちつけ、しぶき、吹き、まるで霧のやうな潮煙りが崖を驅けのぼつて、その廣い傾斜地を濛々と匍ひ上る。耕地のまぐさはんの木の新芽などは潮煙りをしつきりなく浴びるので、葉末が赤茶けて、こてをあてたやうに縮み、捲き上つてゐる。風はなかなかやまない。終日同じ強さで、二日も三日も吹いて吹いて吹き拔ける。まるで、空のまん中に穴をあけようとかかつてゐるかのやうだ。
 風の後、一日か二日穩かな日が來る。何といふ明るい倦怠と恍惚を誘ふ空氣だらう。樹々の芽はやつと勢をとりもどし、艶々としはじめる。山鳩が固い羽音をたてて林から林へと眞すぐにとぶ。鶯、アカハラ、啄木鳥きつつき、そのほか名も知れないいろんな小鳥どもが、啼きかはし、椿の密生した間を、仄暗い藪の中をとびまはり、すり拔ける。山の斜面では放牧牛が、ある奴はずつと高手に、他のある奴は下方に、又横に、のろのろと動いて、その黒と白とのまだらな胴體があざやかな目のさめるやうな印象を與へる。だから、どんなに遠くにゐる牛でも、林の中にぢつとうづくまつてゐるのも、すぐに目につく。そしてびつくりするほど大きく見える。
 そんな日をみて、僕は神着村から四里ほどはなれた阿古村に移つた。そしたら又風だ。やがて雨が來る。戸を閉めきつたうす暗い部屋で、はげしい物音が四方から押しよせ、ときどき遠い鈍い底唸りのやうな音がどこともなく起つて、それはやがて恐しい壓力で、雨と音を倍加して、雨戸の外、トタン屋根の上にのしかゝつて來る。何を考へようにも、何をしようとしても無駄だ。身體の隅々まで物音がはいりこんでひしめき合ふ。そしてあの鈍い、身ぶるひを感じさせる遠い風の底唸り。それに慣れることは到底いかない。永い永い脅迫。たちまち風向きが變る。と、今度は北側からふきつけ、急に家の土間へ水が流れこんで來る。土間はまるで小さな川だ。それまで南側の隙間を防いでゐた板をとり除いて、今度はそこから水を戸外へ通り拔けさせる。ああ吹け吹け。吹いて吹いて何もかもぶち壞してしまへ。
 風はやつとないだ。牛の鳴聲が林の向うから聞えて來る。僕のゐる部屋とは反對の端にある、こゝの家のバタ製造の作業場では、分離器を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)す音が遠い唸り聲をたてる。僕は牛小屋の前を通つて、そこの下手の草地につながれてゐる大きな種牛のむくれ上つた逞ましい肩を飽きず眺めて、それから海邊の崖上に出た。崖の上には枯草が厚く生えたまゝでゐる。崖縁を細い路がついてゐる。それを行くと廣い突鼻とつぱなの上に出た。眞黒い熔岩に縁どられた枯草地。僕はそこに寢ころんで煙草を吸つた。
 微風が北方からやつて來る。南方の海上には、海からいきなり立上つて固まつた感じのする御藏みくら島の青い姿が見える。その島と、僕のゐる三宅みやけ島との間の海面には、潮流が皺になつて、波立つて、大きく廣々と流れてゐる。やがて、僕は身體の向きを變へて北方を眺めた。青い。何もかも青い。神津かうづ島、式根しきね島、にひ島が間を置いてつらなつてゐる。その彼方には伊豆半島あたりなんだらうが、紫紺色に煙つてゐて何も見えない。遠い遠い色だ。その奧から小さい雲がいくつもいくつも産れて來て、あるものはしだいに大きく頭上に近づきながら消え、あるものは北から西へかけての海上にゆるゆると並んで動いてゆく。なんといふ魂をひきこむ奴等だ、あの雲どもは。それを見てゐるうち、僕は突然思ひがけない悲しみの情に捕へられた。僕は思ひ出したのだ、東京に置き去りにして來た筈の僕の生活を、この二年間のさまざまな無意味な苦しみを。それは無意味といふより仕方のないものだ。そして、今だに僕を苦しめてゐる。僕はそれから逃げ出すことはできないやうな氣がする。
 島へ來てから、僕は妻と子供のことを一番考へるやうになつた。別段考へるつもりはないのにやつて來る。重苦しい、名状しがたい嫌な氣持が伴ふ。昨日の朝も、僕はこんな夢を見た。――僕は何かのわけで僕の子供を殺した。とさう夢の中ではつきり解つてゐた。身體中が刃物で切りまくられてゐるやうに感じた。それから僕が殺したのは子供だけではなく、妻をもであることが何故ともなく解つて來た。どうしてかういふことになつたのだらう、と考へた。そのことはもうとつくに僕の中で豫約されてゐたことのやうに感じられた。不可解な抵抗しがたい壓迫と、悲しい實に悲しい心持が、僕を殆んど何も解らないくらゐにした。するうち、僕は變に堅い椅子に腰かけてゐて、眼の前には安食堂の卓子テーブルみたいな机があり、その上に珈琲コーヒーのやうな色をした、紅黒い、どきどき光る液體の入つてゐるコップが置かれてあつた。それを見てゐると、僕はそれで子供と妻を殺したことがわかつた。すると死んだ筈の妻が僕の斜め前にゐて、白けた大きな扁平な顏を僕の方につき出して、あなたは私と子供を殺したんですよ、と泣きながら言つた。僕は答へることができなかつた。妻はやがて、彼女の顏を僕の顏にすりよせるやうにして、それを飮みなさい、と云つた。僕はどんなにはかつたらう。あなたは子供も私も殺したんだからあなたもそれを飮むのですよ、と彼女は又變な聲で云つた。何といふ嫌な、恐しい、避けがたい脅迫だつたらう。僕は默つて、その液體を眺めてゐた。それは僕が見た瞬間鈍く光つて搖れた。彼女はそれきり默つて、僕を見て、僕が飮むのを待つてゐる。僕はどうしても飮まなければならない。何故かしらないが、飮まなくてはいけない。飮むよりほかはない。僕は嫌だつた。身體がつぶれるほど嫌だつた。だが、嫌といふことは許されない。彼女は前のまゝの形で待つてゐる。身動きもしない。そのいやな眼。なんて憎い眼だらうと思つた。だが、僕にはもう憎むことは許されてゐないのだ、といふ氣がした。彼女はもう死んでゐるのだ。僕は、彼女と同じく死んでいつた子供のことを考へた。たまらない、叫んでも叫びきれないほど悲しい。その上に、僕もまた死ぬのだといふ苦痛が、重たい、重たい、家がくづれかゝつたやうに僕を壓しつけた。それは永い、とても永い時間だつた。――そして、僕は目がさめた。ああ、子供は殺さなかつた。よかつた、よかつた、と思つた。それから、妻も殺したのではなかつた、よかつた、よかつた、と思つた。
 だが、僕はしばらくの間、重苦しい嫌な氣分から脱けることができなかつた。勿論、これはこれつきりのもの、一時的のものだ。だが、それは僕の理性が云ふことで、別のところでは、僕はそれが一時的のものだとは決して信用できない。安心できないのである。この二年間の病氣の結果、僕はさういふ風になつてしまつた。
 僕にはこれに類することが何度か起つた。僕はいろんな恐いことを、夢の中で、永い永い半睡の中で見た。その頃、僕の一家は借金で暮してゐた。妻は自分で働くことを考へついて、朝早く出かけて、夜になつて歸る。僕は自分の部屋から出なかつた。といふより、出られなかつた。ひるも夜も床の上に横はつてゐた。そして、ひるも夜も目ざめてゐた。夜は早くて、ひる間は永かつた。だが、そんな區別が果して僕に何を意味したことだらう。僕は二六時中眠れなかつた。子供は僕のところへよりつかなかつた。そして殆んど聲をたてずに一人で遊んでゐた。僕は自分の無力を感じ、絶望を感じて、一人で聲をたてて泣いた。僕には時間といふものがわからなくなつたり、それが大きい音をたてて流れるのを感じたりした。身體の中にはいつも大きな眞暗な穴が開いてゐた。今まで僕の心を占めてゐたもの、確實であつたもの、望んでゐたもの、それらのことごとくが消えて、輪郭がぼやけて、後には何の代るものがなかつた。
 無意味な、曖昧な、信ぜられないものばかりが殘つた。――僕はそれらのことを書くのに困惑を感ずる。正當な、滿足すべき言葉がないのだ。そして又、それらの僕の周圍に起つたこと、僕の中に起つたこと、それが何だといふのだらう。何でもありはしない。何の意味もありはしない。僕はその頃、自分の病氣であることを信じてゐたが、今ではそれすら信じないのである。その頃も今も、僕は孤獨なのだ。それが僕の本音であり、僕の全部なのだ。あゝ、この孤獨がどんなものか、僕は説明しようとは思はない。僕は島へ來る前に友人と話をして、俺は孤獨なのだ、と云つた。僕はそれを、ありうべからざる風に、滑稽な風に話した。そして、彼も笑ひ、僕も笑つた。だが、二人の笑ひが全然ちがつたものであることを僕は知つてゐる。そんなことはそれ以外に話しやうがないのである。若し眞面目に話さうとしたら、それこそ眞に滑稽で、眞に不快なものになる。だが、僕が孤獨だといふのも、やはり一時的なもので、やはり意味がない。では、どこに、どんな風にして、永久なもの、意味のあるものがあるのか。
 僕がこの土地へ來る氣になつたのも、何故だか解らない。誰がそんなことを知るものか。僕は何もかも嫌で、不愉快で、信ぜられない氣がした。僕の不眠症もこの頃大分よくなつたが、僕はもう以前の状態にはかへれないやうな氣がする。僕をして赴かしめよ。どこへ。どこへだか知るものか。僕の妻は今働いてゐるが、そして彼女と三人の子供を養つてゐるが、僕もそれには最初力添へをしたのだが、彼女の計劃がうまく行きはじめると、不可解なことに、僕は云ひやうなく不快になつて、彼女の仕事をぶちこはしたくなつたのである。彼女の仕事だけではない、あらゆる都合のよい、順序よくすゝむ仕事、そんなものは僕には何かしら耐へがたいことのやうに思はれた。何とでも解釋するがいゝ、これは事實僕の中に起つたことなのだ。たゞ、彼女をして赴かしめよ。僕は僕だ。
 島へ出發する二三日前、僕は妻とは別の今一人の女に會ひに行つた。會ひに行つたのではない。單にそこへ行けば、彼女に會へることがわかつてゐたのだ。僕にはそこへ行く用があつた。旅費を借りに。僕はこの四年間その女に會はず、その女に會ひさうな機會は一切避け、その女の名を口にせずに過した。その女の名を聞くことは苦痛であつた。それでも僕は人づてに彼女が結婚し、子供を産んだことを聞いた。それは會はうとしなくなつてから二年めであつた。その前にもその後にも、僕は彼女の眼にふれ、僕もまた彼女を見、その聲を聞くことをどんなに切望したことだらう。だが、僕は行かなかつた。何かしら、僕に行くことを拒ませた。彼女と會ふことの不幸を、僕は四年前に考へ拔いたのだ。彼女が結婚したと聞いてからはなほさら、この決心は強まつた。あゝ、どんなに行きたかつただらう。どんなにしばしば彼女のことを考へたことだらう。どんなに彼女が僕の日常の時々に、僕の空想の中に現はれたことだらう。それがどういふものかよく知らない。彼女を空想することは僕の生活の少からぬ部分であつた。彼女を考へることによつて、どんなに僕の心はかきたてられたことだらう。だが、僕はそのときになつて彼女に會ふことを恐れなくなつた。何が僕の中で起きたのかは知らない。これまでどんなに會ふことを望み、又恐れたことだらう。會へばかならずや、僕は僕であり得ず、彼女をもかき亂しはしまいかと恐れた。あゝ、彼女はそつとして置かなくてはいけない。僕は彼女の生活の埒外らちぐわいにゐなければならぬ人間だ。
 だのに、僕は今それらの意味の脱落してゐるのを感じた。僕は躊躇することなく、何も考へることなく行つた。僕は何も期待しなかつた。僕に妻子があるやうに、彼女には今夫と子があるのだ。僕は誓つて云ふが何ごとも期待せず、何も恐れなかつた。今さら何が起りうるといふのか。それに、何が起つたつて、彼女に動搖が起り、彼女の夫に苦痛を與へたつて、それが何だらう。彼女の夫には、僕は何度か會つてゐた。ずつと以前から、彼は僕の知己の一人であつた。僕は或るとき、彼と永いこと話しこんだことがある。それは或る影響を與へた。彼は何もかも知つてゐる。そして、僕の今もつて彼女に會へさうな機會を一切さけてゐる理由も知つてゐる。彼は或る種の男だ。僕は彼の或る所が好きだ。又、彼には僕を苛立いらだたしめる何かがある。僕には、僕をも含むそれら一切の中に何となく滑稽なもののあるのを感じてゐた。僕はそれを嘲つてやりたい氣持を持つた。
 彼女は僕の來たことに氣づいて、しばらく隱れてゐた。少くとも出ては來ようとしなかつた。彼女の夫が先きに聲をかけた。それが許しででもあるかのやうに、彼女は晴れやかなよく透る聲で僕に挨拶した。
「今日は」と僕は挨拶した。聲のする方に向つて。彼女は僕にお茶をのみに來い、と女中を呼びによこした。僕は彼女と夫との家に行つて、縁側に腰をかけた。僕は彼女の方をまともに見ることができなかつた。彼女の夫は僕を見、それから彼女を見た、ぶしつけに。彼は僕と彼女との中に何が起つたかを見たかつたのだらう。僕は、いかにも彼らしいと思つて、少し可笑をかしかつた。そして、それだけであつた。
 僕はどんな感情も現はさなかつた。しばらくして、僕は別れを告げた。僕は門を出た。彼女はさつきまで僕たちと坐つてゐた座敷から、門口の見える所の窓まで來て、窓硝子を急いで開けて、さやうなら、と云つた。
 彼女の聲には或る押へられた感情がこめられ、それは何よりも明らかに僕の耳に聞えた。僕はふり向くことをしないで去つた。何かが、僕を押しとゞめたから。それだけだ。あゝ、それだけの無用さがどうしてこんなに、今にいたるまで僕に或る印象となつて殘つてゐるのか。僕はそれを大切にはしない。だがそれは殘つてゐる。そして、しばしば僕に現はれるだらう。――
 僕がこゝの家に着いたときは夕方であつた。僕は風呂へ入つた。それは母屋おもやの前庭に獨立して建てられてある一軒の小屋の中にあつた。そこへ入るや否や、僕は猛烈な薪の煙のために息がつまり、眼にはひつきりなく涙が出た。入つたところは小さい土間で、かまどが入口のところに二つ並んでゐる。その横に風呂桶があつた。煙は風呂の焚口からも、二つの竈からもいぶり出てゐた。土間の一方には板敷があつて、そこには小さな手提ランタンが置いてある。そのうす暗い明かりで、板敷の向うは三疊ほどの疊敷になつてゐること、周圍の板壁は眞黒に煤けて、方々に割れ目ができてゐて、そこから風がふきこみ、煙をうづまかせ、板壁には衣物のやうなものがいくつか掛けられて、疊敷のところには汚い垢じみた寢蒲團が何枚かつまれてあるのを見た。
 風呂の中は恐しくせまかつた。よほどうまく湯の中に身體を入れたつもりでも、胸から上と兩膝とはまる出しであつた。僕は苦心して胴と兩脚をヱビのやうに折り曲げた。そのとき、小屋の隅、蒲團のつまれたあたりで、奇妙な唸り聲がした。すかして見ると、綿のはみ出た蒲團の下で何か動いて、そこには誰かゐるのである。僕はすぐに、その唸り聲の主はこゝの家に預けられてゐると、前以て聞いてゐた白痴だと察することができた。だが僕はまだ見たことはないのだし、こちらは風呂桶の中だし、又相手の姿が見えないのでうす氣味惡くて仕方がなかつた。暗さは暗し、風呂桶のわきには板壁との間に僅か二尺ばかりの空間があるきりで、身體を洗ふ場所とては見つからなかつた。僕はいゝ加減に温まると、そのまゝすぐに出た。
 翌日その白痴を見ることができた。彼は裾の方が一尺ばかり破れてブラブラに下つてゐる、汚れた紺絣こんがすりの着物をきて、小屋から出て、忙しさうにせかせかと歩いて、上半身を左右に搖すぶるやうにして、臺所口の方へ、そこから井戸端へと、ふらつき動いた。彼は僕が庭先に立つてゐるのを認め、しばらくまぶしげにこちらを眺めたかと思ふと、急に人なつこい微笑をうかべて、お辭儀をした。そして小屋へ入つたが、一寸たつと又出て來て、母屋の日あたりのいゝ縁側のわきにうづくまつて、立膝の上に兩腕をつかへて頬杖をついた。家の人が彼を呼んで、僕に挨拶しろと云ふと、彼は聞えたのか聞えないのか、曖昧な、うるささうな表情をして、ぶつぶつ口の中で何か云つてゐたが、やがてひよいと立上ると、僕の前に來てお辭儀をした。彼は三十だといふことだが、年とつたやうな又若いやうな顏をしてゐた。何かしら分裂した二つの表情のやうなものがあつた。頭は身體に比較して大きく、斜視で、どの眼が僕を見てゐるのかわからなかつた。何か云ふとき、極めて眞面目な、物憂い表情をうかべる。彼は又もとのうづくまつた姿勢にかへつた。そして前方を、桑畑の方を眺めてゐたが、突然のやうにその深く考へたとも見える憂鬱さが消えて、奇妙な、恰好のとれない顏になつた。何かが彼の眼に入り、彼の興味をいちじるしくいたのである。彼は眼を細めて、一所をぢつと注視した。僕は彼の興味をそんなに惹きつけたものが何であるかを知らうとして、彼の視線を追つたが、何一つそれらしいものは見つけることができなかつた。
 彼は働くことが極端に嫌ひである。一日中でも蒲團をかぶつて寢てゐる。氣がむけば、天氣だらうと、雨だらうと、山でも林でも寢て歌をうたふ。燐寸マッチを恐れて、見せると逃げる。そしてひつきりなしに喰物をほしがつた。僕はその後のある夕方、風呂に入つてゐた。そこへ昌さん(彼の名は昌夫といふ)が歸つて來た。彼は小屋の中へ入つて、内部は煙でいつぱいなのと、例のうす暗いランタンのために、誰が風呂にゐるのかよく解らなかつたらしい。彼は永い間氣むつかしげにぢつとこちらに眼をこらしてゐたが、僕であるのに氣づくと見るのをやめて、入口の傍の竈の口に股をひろげてしやがみ、火にあたりながら開いたまゝの戸口をとほして向うの臺所口をぢつと眺めてゐた。臺所では物音がしてゐたが、誰も出ては來ない。彼はふいにすつと立つて、小屋の外へ出て、そこに置いてあつた小桶の中に手をつゝこんだ。すばやく何かつかむ。そして、小屋へは入らずにそのまはり半分を何氣ないふりでぶらつき歩きながら、手にしたものを口にはふりこむのが、煙拔きのために開けてある窓からよく見えた。又歸つて來た。しやがんで火にあたりながら臺所口に氣をつける。又すつと立つ、桶に手を入れる。前と同じやうにして、小屋を半分※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて歸つて來る。その間、彼は僕には全然注意を拂はなかつた。そのために、彼は少し前に風呂の方をよく見たのだらう。それらの動作は普通の人には見られない素速さと狡猾さをもつてなされた。
 ある午後、僕は海岸を一※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りして、脊を沒する深い藪の中の路を拔けてお宮の裏手へ出たとき、そこらで人の話聲を聞いたやうに思つたが、拜殿の前の石段に立つて境内をすかして見たが誰もゐない。少し行つたとき、僕は誰かが參籠所のうす暗い中につゝ立つてゐるのを見た。昌さんであつた。
「何してるの」と訊くと、彼は例の考へこんだ憂鬱さうな樣子で、
「えゝお詣りしてるんです」と答へた。
 彼は東京の商業學校を卒業間際まで行つたとかで、そのせゐか、彼の口調には學生らしい所が甚だ多く殘つてゐた。
「お詣り?」と僕は訊きかへした。
「えゝ、おこもりしてるんです」と彼は憂鬱さうに答へた。
 僕はその建物の中をのぞきこんだ。内部は暗くて、板の間で、埃でいつぱいだつた。彼は僕の前につゝ立つたまゝ、一人遊びをのぞきこまれた子供がやるやうに、そのどこを見てゐるかわからないやうな斜視の眼で、警戒するやうに僕をぢつと見返してゐた。
「かへりませんか」と云ふと、彼は
「もつとゐます、さうです」と答へた。
 何か云ふたびに、最後に「さうです」をつけ加へるのが彼の癖であつた。そして、彼は僕を避けるやうに暗い隅へ行つて、板壁に背をりかゝらせてうづくまり、立膝の間に顏ごと押しこんで、何かつぶやきだした。時々、くすくす笑ふ。もう一度歸へりをうながすと今度は「えゝ、歸ります」といつて立ち上つた。だが、高い板敷から危つかしく下りて五六歩ついて來たかと思ふと、くるりと後がへりをして、「まだゐます、さうです」と云つて、又内部に隱れてしまつた。
 彼にも機嫌のよい日がある。彼の顏からはあの憂鬱な表情が消え、長い身體をふり立てるやうにして、あちらこちらと歩きまはり、十歩ばかり走つて見、誰彼となく「今日は」と云ふ。そんなとき、近所の子供が來てゐると、彼は全く有頂天になる。よろめくやうに、忙しげに、子供たちの周圍を歩きまはつて、「そらそら、レン子ちやん」とか、「危いよ、走るところぶよ」とか叫ぶ。調子外れの喜悦の表情が、彼の黄ばんだ顏に浮ぶのである。
 こゝの家には今一人、民さんといふ四十あまりの、腦の惡い男がゐる。短躯で、禿頭で、鼻が小さく鉤形かぎがたに曲つてゐて、眼の輪郭がはつきりしてゐて、見てゐると彼の日に燒け土と垢で汚れた風貌の中から、何となく伊太利イタリーの農夫のやうな印象が現はれて來るのである。彼の表情から魯鈍を發見することはできない。彼はよく働く。六七頭の牛を、毎朝山へ放牧につれて行く。彼はそこで牛の番をしながら日を暮して、夕方になると薪をせおつて、牛を追つて山から下りて來る。一日中家にゐないので僕ははじめの中彼とあまり會ふ機會がなかつた。僕は山へ放牧に行つてゐる彼をたづねて、一日寢ころんで彼の話を聞くために、三日ほどつゞけて山へ行つてゐたが、彼も牛も探しあてることができなかつた。
 ある夕方、家の裏手で山から下りて來た彼に會つたので、そのことを云ふと、彼は腕組みをして、兩脚をふんばつて、しげしげと僕を眺めながら、
「あゝ、あなたですか、下駄の跡がありました」
 と云つた。
 彼はその後、山へ出がけに必らず僕の部屋をのぞいて、よだれの音を少したてながら、「山です、あすこの方です」ともつれるやうな口調で指してみせるのであるが、僕には一向その見當がつかないので、たうとう山へ彼を訪問することは斷念してしまつた。
 民さんはその禿頭に、青地の手拭ひでつくつた變な帽子をかぶつて出かける。山で温い日に寢ころんでゐると、牛が寄つて來て彼の禿頭をなめて目をさまさせる、と云ふ。家の人が、僕にさう話して、
「なあ、民さん、牛がなめるつちふ」と笑ひかけると、彼は全く他意のない顏で、
「可愛いゝ奴ですよ。よく知つてますよ」と眼を小さくして笑つた。
 夜なべの仕事がすむと、彼は僕の部屋へ遠慮しいしいやつて來る。そして、手紙を書いてくれ、と云ふ。彼には東京や千葉に親戚があるが、どこでも彼の來るのを望まず、手紙を出しても返事をくれない、昨年末バタを送つたのに、その返事もないから僕に一本書いてくれ、と彼は涎を吸ひ氣味に話した。僕が書きはじめると、彼はさも云ひにくさうにして、
「そしてね、お菓子を少しね、板チョコ五枚送つてくれつて書いて下さい、えゝ、えゝ、チョコうまいですからね」と云つた。彼は日本橋の生れで曉星中學の三年まで上つたことがあるのである。
 彼は昌さんと同じ小屋に寢起きしてゐる。彼は皆がすんだ後、昌さんを風呂に入れてやるのだと家の人から聞いたが、まだ見たことはない。彼はときどき昌さんをつれて山へ行くが、昌さんは民さんが牛を引いてゆく後から、例のもつれるやうな足をして、陰鬱な顏をして、ふらりふらりとついて行く。だが、昌さんはいつのまにか山から逃げかへつて來る。民さんは昌さんの共同生活者であり、又、先輩でもあるのだ。僕は或る時、民さんが放牧へ出がけに、しきりと昌さんを怒鳴りつけてゐるのを聞いた。
 民さんは戸口へ出て、紅い顏、きんだ樣子をして、昌さんの出て來るのを待つてゐる。昌さんが出て來た。彼は民さんにくらべるとずつと長身なんだが、その細長い足に草履をつゝかけて片方はどうにか普通にはいてゐるが、今片方は横履きにして、その方の足をひきずりながら出て來た。民さんが彼のだらりと垂れた帶をしめなほしてやつてゐる間、昌さんはそのどこを見てゐるのかわからない眼で、憂鬱さうに氣むつかしげにあたりを見て額に一杯の皺をよせてゐる。その皺は奇妙な皺で、何かあるときゆつと實にはつきりと浮かぶのである。
 民さんは昌さんの手を荒つぽく引つぱつて、牛小屋の傍にはんの木の根もとにつないである牝牛の綱をほどけと命じた。昌さんは例の皺をよせて、ひよろ長くつゝ立つてゐる。
「ほどけつたら、ほどけ」と、民さんが強く命ずる。まだ立つてゐるので、民さんは昌さんの肩を突きやる。昌さんは榛の木の根もとにおづおづと寄つてゆくが、牛が何ごとかといふ風に頭を下方に近づけるので、昌さんの眼の前にそのつのが來る。「あ――あア」といふ變な、しぼるやうな聲を出して、昌さんは手をひつこめようとするが、民さんが背後に立つてゐて許さない。「あ――あア」と呼びつゞけながら、昌さんは榛の木を楯に牛の角を避けるのが精一杯で、綱をつかむことができない。民さんが突然眞紅になつた。そしていきなり昌さんの腕をとらへて、榛の木の根もとに押しやつた。昌さんはやつと綱をほどいた。牛は温和おとなしくついて行く。すると昌さんは何を思ひ出したのか、急に綱をおつり出して小屋の中へ入つた。民さんが、「何してるつ」と叫ぶが、なかなか出て來ない。昌さんはやうやく出て來た。どういふわけか、左足首に黒い紐を結びつけてゐる。民さんは又眞紅になつた。「何だ、何だつ」と云ひながら追つかけて、その紐をひきちぎらうとした。昌さんはあの「あ――あア」といふ聲を出して必死に拒んだ。民さんがその肩をつきやる。彼はどうしてこんなに怒るのかと他目よそめには思へるほど奇妙な怒りに燃えてゐるのである。昌さんは綱のはしを持つて、氣むづかしい顏をして、ふらつくやうに榛の木の疎林と桑畑の間の路を向ふへ、その後から短躯の民さんが背負枠を負ぶつて、がに股をしてついて歩く。彼等は牛小屋のわきを通つて、そこにゐる他の牛どもを集めて、それらの黒と白のまだらな背が日の中にくつきり輝いて、傾斜の草地を上つて、芽の出そろつた林の中へ隱れてゆく。――
 夜更けになつて、僕の耳に彼等二人が庭の向ふの小屋の中で言ひ爭つてゐる聲が聞えて來る。
「それは僕のですよ。もらつたんですよ」
「うるさい」と民さんが低く叱りつける。
「それ、僕のですよ。僕がもらつたんですよ。もらつたんですよ」
「うるさい」
「もらつたんですよ」
「うるさいつ」
「僕のですよ」
「うるさいつたら」
 ――。やがて、彼等も默つてしまふ。何の物音もしなくなる。ランプを消してしまつた家の中は眞暗だ。トタン屋根の上に小さい枯枝か何か落ちる音がする。僕は起きてゐる。起きてゐて、けふのひる間散歩に出て、林間の日だまりの草地に寢ころんでゐたとき、ふいに何とも知れず心が重くなり、永い間起き上れなかつたことを思ひ出す。何だらう、これらのものは。これら一切のものは。

底本:「現代日本文學全集79 十一谷義三郎 北條民雄 田畑修一郎 中島敦集」筑摩書房
   1956(昭和31)年7月15日初版発行
初出:「早稲田文學」
   1935(昭和10)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「邊」は底本では、「穴」の一点目を欠いた「あみがしら」でつくってあります。これをJIS X 0213規格票「6.6.3.2 漢字の字体の包摂規準の詳細 d)1点画の増減の違い」に該当するものとみなしてよいか判断が付かなかったので、本文は「邊」で入力した上で、その旨をここに記載します。
入力:篠森
校正:川向直樹
2004年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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