スポーツというものは自らたのしむ境地で、それ自体に好戦的な要素はないものだ。国際競技とか、対校試合とかいうのも、世界の現状が国家単位であったり、チームが学校に属しているからの便宜的な区分で、スポーツは本来、個人的なもの(チームをも個とみて)である。現状に於てもスポーツの最高エベントは国際試合に限るわけでなく、ウインブルトンの庭球、又はプロ・ボクシングの世界選手権試合に於けるが如く、人種、国家の如何をとわず、最高エベントが個人的に争われている例も少くはない。年々アメリカで行われていた千五百メートルのインドアレース(陸上)なども、オリムピックのレース以上に豪華な大レースを展開するのが例で、こういうレースの在り方は選手がプロ化する危険はあるが、スポーツ本来としては、このように個人的に争わるべき性質のものだ。
 スポーツも勝負であるから、勝敗を争うのは当然であるが、それと同時に、練習の結果をためしている賭の要素が大きい。練習をつみ、その技術に深入りするほど、賭に打込む情熱も大きなものになる。偶然にまかせるルーレットの類とちがって、練習というものは合理的なものだ。いや、力というものを技術によって合理化し、ほぼ、あますところなく合理化してしまうのが、訓練、又は、練習というものなのである。もう一つ、その上に、試合に際して、相手とせりあって発する場合の力というものがある。つまり、勝負強いとか、勝負師の力があるとか云われているものが、これだ。そして、これが、賭というものなのである。
 吉岡が十秒三のレコードを何度もだした。だからメトカルフとせり合って一着になる可能性があると時計から割りだしたって、どうにもならない。本当の勝負というものはタイムではなくて、相手が自分より一米出ているから、これを抜いてでる、これを力といい、レースという。吉岡は百米を何十歩だかで走り、そのきまった歩数で走る時によいレコードがでるというようなことを言っていたが、そのような独走的な、又、無抵抗なものは、単に机上の算数であって、力というものではない。レースは相手とせりあうことによって、相手をぬいて行く力を言うのである。吉岡は決勝にものこらなかった。
 水上競技も、古橋の出現までは、時計をたよりに勝負の力というものを忘れていた。タイムで比較して、勝つ、勝つ、と云いながら、四百米では、勝ったことがない。バスタークラブとか、メディカの力というものを忘れていたのである。日本の水泳選手で、アメリカのお株をうばって、レースの力というものを見せてくれたのは古橋だ。今度の日米競泳でも、古橋は勝負強さを見せてくれた。タイムの問題ではなくて、相手が自分の前にいるから、これを抜く、という力なのである。日本は古橋一人だが、アメリカの選手は概ね時計の選手ではなくて、レースの選手なのだ。負けたとはいえ、古橋をタッチの差まで追いつめたマクレンの二百米の追泳ぶりは力の凄さを如実に示している。四百米リレーでも、マクレンはあんまり得意の種目ではない百米で、百米専門の浜口を二米ぬいて、寄せつけなかった。タイムでどうこういうのでなくて、相手次第、せり合って負けないという型なのである。
 欧米選手は概ねこの型のレース屋なのである。日本の選手は箱庭流のタイム屋だ。しかし、日本の選手だって、レースに於て賭けることを忘れているわけはない。現に古橋のような超特別のレース屋も現れている。しかし外国選手はレース屋という点では、たいがい古橋に負けず劣らずだ。これは食べ物の相違、体力の相違と見るべきかも知れない。
 運動選手というものは、練習中に、自分の最高タイムを知る、というやり方は、あんまりとらないものだ。限界が分ると困ったことになるからだ。ジャンプ競技は特別そうで、自分の限界へくると、バアを一センチあげても、一尺あがったような恐怖を感じてしまうものだ。この恐怖を克服するのは並たいていのことではない。そこで、ふだんはバネをつける練習に主点をおいて、本当に飛ぶ練習は、フォームの練習だけにとめておく程度で、全部を試合に賭ける。競走にしろ、水泳にしろ、レースというものはタイムではなくて、競りあいなのだから、練習というものによって、力を技術的に合理化したアゲクに於ては、結局、競り合い、相手次第の賭が全部ということになるのだ。
 碁や将棋でも同じことで、呉清源や、木村や、大山は、特に妙手をさすでもなく、技術はさほどぬきんでてもいないが、勝負づよい、という。そして、だから、天才というのではなくて、ネバリ屋だなどゝ、言いだしベイは誰だか知らないが、商売人までみんなそう言って、それですんでいるのである。これ即ち、十秒三の吉岡流であり、箱庭水泳のタイム流というもので、競り合いに現れてくる力、勝負の差はそれが決定的なものだということを知らないのである。人事をつくして(というのは、合理的な訓練をつくした上で)最後には競りあいに賭ける。そのとき現れてくる力の差が、本当の力の差である。フォームが美しくて、独走とか独泳にさいしてピッチに閃きがあるといっても、競り合いで役に立たなければ、ダメなのである。棋理に明るいったって、力ではない。理に通じることと、レースの強さは別のものだ。
 すべてを試合にかける、出たとこまかせだ、というと、いかにも明快で、選手の心事は澄んでいるようであるが、そうは参らんものである。練習をつむにしたがって、自分の力の理にかなった限界というものは、これを知るまいと努めても、チャンと感じられてしまうから困る。ジャムプなどゝいう足のバネに依存するスポーツとなると、足の毛が一本ぬけたぐらいの重量の変化がしつこく感じられるぐらい、コンディションに敏感になりすぎてしまうのである。スポーツマンの心事というものは豪快なものではなくて、甚しく神経衰弱的であり、女性的なものである。
 私も大昔インターミドルで走高跳に優勝らしきことをやったことがあった。この日は大雨で、トラックもフィールドもドロンコである。当時は外苑競技場が未完成で、日本の主要な競技会は駒場農大の二百八十米コースの柔くてデコボコだらけのところでやる。排水に意を用いたところなどミジンもないから、雨がふると、ひどい。走高跳の決勝に六人残って、これから跳びはじめるという時に、大雨がふってきた。六人のうち五人は左足でふみきる。拙者一人、右足でふみきる。助走路は五対一にドロンコとなり、五人は水タマリの中でふみきるが、私はそうでないところでふみきるから、楽々と勝った。実際はその柄ではない。力量の相違というものは、マグレで勝っても、よく分って、勝った気持がしないものだ。あのころの中学生は強豪ぞろいで、短距離の高木、ジャンプの織田、南部、いずれも中学生にして日本の第一人者であった。こういう天才と私とでは、力量の差がハッキリしすぎて、面白くなかったな。雨のオカゲで勝ったりしたが、とても勝てないと分ってみると二度とそんなことをやる気がしなくなるものだ。
 後年、ワセダに田中という走高跳の選手が現れたが、身長と跳んだ高さの比率では、この先生が世界一だろうと思う。二メートル跳ばないと一人前じゃないから、小男ぞろいの日本でも、走高跳というと、六尺前後の大男に限って一流選手になりうるのが普通である。田中選手は五尺五六寸の普通の日本人だが、二メートルか二米〇二ぐらい跳んだように覚えている。バーと頭の間に一尺余の空間があいておるのである。もっとも、走高跳というものは、身長と跳んだ高さの比率を争う競技ではないから、要するに、なんにもならない。小男では、所詮、ダメということだ。
 しかし、自分の限度へくると、バーが二センチだけあがったのに一尺もあがったように見える恐怖感というものを身にしみている私には、(もっとも、そこに賭に挑戦するスリルも愉快もあるのだが)田中選手のケタ外れの比率を見ると、ほれぼれと血肉躍動する感動を与えられたものである。彼の跳びッぷりを見たいばかりに、私はあのころの競技会へしばしば見物にでかけた。
 走高跳などゝいう単純な競技は、ただバーをとびこすだけのことだから、跳び方なども単純で、特に規則など有るはずがないと思うのが人情だが、実は、特別の定めがある。足が、他の身体の部分よりも先に(イヤ、頭よりも先に、かな?)バーを越さなければならない、と定めてある。日本人はマサカと思うかも知れないが、外国人は何を編みだすか分らない。この規則がないと、トンボ返り式に、頭から命がけの跳び方をやらかす仁が現れないとは限らない。現に近年はロールオーバーという跳び方がアメリカで発明された。この跳び方はバーと平行に身体をねせて空中に一回転するもので、頭が先にかかっているか、足が先にかかっているか、まったく見当がつかない。規則スレスレのところで曲芸をやっている。
 ロールオーバーにしても、クロール、バタフライにしても、スポーツの技術面に独創的な新風をおこしたということは、日本には一度も例がないようだ。
 私が中学の一年か二年のとき、アントワープのオリムピックに日本から水泳が初参加した。内田正練、斎藤兼吉という二人の選手である。
 斎藤兼吉という人は佐渡出身の高師の学生で、私のいた新潟中学へ毎年コーチにきてくれた人である。彼は陸上競技も当時日本の第一人者で、オリムピックでは十種競技にでたように記憶する。水陸を兼ねてスポーツの名手であるから、世人がアダ名して斎藤兼吉とよび、アダ名の兼吉で通用していたが、万能選手だが、六尺豊か、骨格鬼の如く、しかし甚だ心やさしく、女性的な人であった。
 このとき、オリムピックの一次予選で、兼吉選手が十種競技の走幅跳に二十尺五寸で、日本新記録であったが、六米ちょッとで今の日本の女子記録と同じぐらいである。第一流のジャンパーが、五尺二寸ぐらいで、走高跳に優勝している始末であった。今の女の子の記録はもっと上である。それから四年たつと、織田や南部が現れて、中学生のうちから一米七五ぐらい跳んでいる。兼吉先生の当時は創世紀である。
 内田、斎藤、両水泳選手は、アントワープのオリムピックに於て、自由形を片抜手で泳いだ。自由型とある通り、どんな泳ぎでもよいのである。このとき、ハワイのジューク・カワナモクが自ら発明したクロールで泳いで、大差で優勝した。百が一分三秒いくらかぐらいであった筈だ。内田、斎藤両選手はクロールという新発明の泳法を習い覚えて帰ってきた。兼吉先生は新潟中学の水陸兼用のコーチであるから、カワナモク式の原始クロールは先ず新潟中学へ伝えられ、この伝授の世話係は私の兄献吉であったようだ。彼がどういうわけで母校の水泳の世話係をやっていたのか、その理由が私には分らない。スポーツには全然縁のない男だ。しかし、極端に新しがり屋の珍し好きで、それに世話好きであるから、クロールという新型の速力に驚いて、なんとなくジッとしていられなかったのかも知れない。新渡来のクロールをいちはやく身につけたが、新潟中学は今もって、一度も、水泳で鳴らしたことがない。風土が水泳に向かないのと、したがって、今もって、プールを持たないせいである。そして最初にプールをもった茨木中学から高石勝男が現れたのである。私もカワナモク型原始クロールをいちはやく身につけた一人だが、しかし私は百米を今の日本の女子記録よりも速く泳ぐことができなかったようである。
 高石勝男は長距離から短距離専門に変って、まず日本で最初の国際レベルの選手になった。ここ十数年、日本水泳は長距離王国を誇っているが、高石の自由型短距離につゞいては鶴田の平泳。長距離の発達はおくれていた。
 ターザンのワイズミュラーが全盛のころ、オリムピックの帰途だかに、日本へ来たことがあった。アルネ・ボルグと、チャールトンも一しょであったと思うが、あるいは私の記憶ちがいで別の機会であったかも知れん。
 これが外国の水泳選手来朝の皮切りであったと思う。当時の日本の国際レベルの選手は高石一人だが、彼は競泳界を引退するまで、一度もワイズミュラーに勝つことができなかった。最も接戦したときでも、百米レースで一秒ぐらい差をつけられ、ターザン氏は全然無敵であった。二百米の世界記録はターザン氏のが今もって破られずにいるように記憶するが、あるいは破られているかも知れない。今度の日米競泳で古橋のだした新記録なるものはターザン氏の記録には遠く及ばないのである。
 この最初の国際競泳は、なんとか玉川という遥か郊外で行われ、終点で電車を降りて、多摩川ぞいの畑の中をトボトボ歩いて遊園地の五十米プールに辿りつく。見物席はサーカスと同じように俄かづくりの小屋掛である。
 ワイズミュラーはプールのまん中までもぐっていって、顔をだしざま、水をふきあげて、ガガア! という河馬かばのマネ(ではないかと思うが)を再三やって見物衆をよろこばせた。天性無邪気で、当時からターザンに誰よりも適任の素質を示していた。
 陸上水上に限らず、短距離の速力はほぼ人間の限界近く達しており、ワイズミュラーの記録は今日でも大記録であるが、日本来朝の時には高石がいくらか接戦することができたから、当時に於ては競争相手のないアルネ・ボルグの方が驚異であった。彼は千五百を十九分七秒で泳ぎ、その後の二十年ちかく破られなかった。世界二位のチャールトンと一分ぐらいのヒラキがあり、当時の日本選手に至っては、二十一分台はごく出来のよい方、二十二分以上かかっていたのである。時計のマチガイではないかと、真偽を疑問視されていたほどである。やせた男で、細長い手を頭の前でくの字に曲げて軽く水へ突っこみ、チョコチョコ、チョコ/\と水をかいていた。
 牧野、北村という中学坊主が現れて突然日本は長距離王国になったが、彼らもアルネ・ボルグの記録は破っていない。横山、寺田などもダメ、天野が戦争の直前ごろに、十八分五十八秒いくらかぐらいで、ようやくボルグの記録を破ったのである。

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 日本の水泳が世界記録を破るようになってから、日本水上聯盟はやたらに、そして不当に世界新記録を製造しすぎるようである。終戦後は殊のほか、それが甚しい。日本の記録が公認されないところからくるカラクリ、詐術と云っては酷かも知れぬが、これも一つの非スポーツ的な詐術であると断定してさしつかえないと私は思う。
 古橋が四百で四分三十三秒という世界記録をつくったのは三年前のことだ。そのとき破られた従来の記録が、何分何秒だか知らないが、かりに四分三十六秒とでもしておこう。それからこッち、四分三十三秒を破らないに拘らず、三十三秒から六秒の間は、いつも世界新記録のアナウンスである。三秒から四秒、五秒と破るたびに新記録が下るから妙だ。
 未公認新記録と、新記録の関係がアイマイであり、おまけに短水路の記録というものを、長水路のプールに換算してみたり、時にはこれを勝手に黙殺して、長水路世界新記録と叫んでみたり、ムリヤリ世界記録をアナウンスするために、秘術これつとめているのである。世界新記録病という精神病患者であり、世界新記録宗という一派をひらいて古橋でも教祖にしかねないコンタンのように見うけられる。
 一度四分三十三秒がでて、世界新記録をアナウンスした以上は、その後に三十四秒や五秒がでても、世界新記録とアナウンスしないのが当然だろう。
 一般人間の生活には生きた血が流れている。それと同じように、市井の真実は生きた血が流れていなければならないものだ。古橋が四分三十三秒の記録をだした時には名実とも大記録であり、この世界新記録には生きた血がながれていた。
 ところが、その後のレースに、三十四秒と一秒さがっても、世界新記録、その又あとで三十五秒とさがっても、これ又世界新記録。知らない人はホントにしますよ。そして、たいがい、そんなカラクリとは知らないから、古橋はじめ日本の水泳選手はいつも世界記録を破っていると思っている。
 三十三秒も四秒も公認されていないから、三十五秒も世界新記録だという理窟であろうが、公認というハンコがおしてないからったって、三十三秒と四秒と五秒のレースのタイムをはかって真実コレコレでございと発表したのは、お前さんじゃないか。お前さんは、自分のはかって発表したタイムを忘れる筈はなかろう。ハンコに対する官僚的な忠誠や正確さの問題ではなくて、簡単に良心の問題であり、算術の問題であるよ。三十三秒と四秒と五秒と三ツのうちで、三十三秒が一番なのは明かであるし、おまけに、そッちの方が時日的に早く記録されているのだから、お前さんの発表に関する限りは、三十三秒をわらない限り、新記録ではありません。公認記録をタテにとって、内容の下落した新記録を重複させるのは、新記録詐欺というものだ。
 庶民というものは、もっと無邪気なものだ。彼らは本当の真実を知りたがり、、その正当なものに、無心に拍手を送りたがっているだけのことだ。大本営発表みたいな特殊な算術で、是が非でもカラクリの戦果をあげて、君が代をやろうというコンタン、実にどうも、大本営発表は、官僚精神のあるところ、昔から日本に存在し、今もかくの如くに存在している。
「一ちゃアーク。古橋クン。ニッポン。時間。四分三十三秒二。世界新記録」
 今度の日米水泳の四百米のアナウンスである。こういう新記録病的算術は、理にかなったものでもないし、礼儀にもかなってもいない。言葉というものは、つくす方がよろしい。真実を語るために、言葉があるのだから。これは、こう言えば足りるのである。
「これは公認世界記録を破ってはおりますが、自己のつくった未公認の最高記録四分三十三秒には及びません」
 しかし、もっと親切に言えば、これにつけ加えて、
「未公認最高記録は、マーシャル君の四分二十九秒五であります」
 ここで、やめてくれると立派なのだが、日本水上聯盟のアナウンサーは必ずこう附け加えるに極ってるんだね。
「ただし、この記録は、短水路プールでつくられたもので、長水路におきましては、古橋君の四分三十三秒が最高であります」
 どうしても、日本の新記録ということに持ってかないと承知しないんだね。
 そして、彼は遂に次のような算術を教えてくれることシバシバである。
「この短水路プールの記録は、長水路に換算いたしますと、何分何秒になります。したがって日本の何々君の記録が、実質的に世界最高記録であります」
 短水路を長水路に換算するというのは、ターン一回につき何秒かもうけているとみて、ターンでもうけた時間を短水路の記録につけ加えるのである。ターンでもうける時間を何から割りだしたのか知らないが、記録保持者当人のターンの速力でないことは確かである。こういう手前勝手な算術をしてでも、日本の何々君を新記録にしないと気がすまないのが、日本水聯というところである。
 そんな私製のニセ算用をしなくとも、短水路の記録が憎けりゃ、お前さんも、短水路で記録会をやるがいゝじゃないか。そして毎年、現にそれをやっているのだけれども、いい記録はでていない。古橋の短水路の記録は四分三十二秒六で、マーシャルの二十九秒五には相当のヒラキがある。記録の好きな日本水聯流に云えば、マーシャルの二十九秒五が最高記録になるのだが、こまったことに、日本水聯は記録好きでも、短水路の記録はキライで、手前勝手に長水路に換算してしまうのである。
 しかしながら、レースというものは、せりあいにあるのである。決して単にタイムが相手ではない。タイムが相手なら、日米一堂に会してレースをやる必要はない。銘々各地で記録をとって、くらべ合って、オレが一番だ、アレは二番さとウヌボレておればすむことなのである。
 日本水上聯盟は、この理を忘れている。タイムを比較していつも勝つツモリでいながら、クラブやメディカに負けたのは、せり合いの力で負けたのだ、ということを、本質的な問題として、考察することを忘れているのである。
 キッパス監督はマーシャルを評して、千五百の出だしにあんなに速くては続かないのが当然だと云った。日米水泳界の先輩連は、これについては一言も語らず、この説に賛同するかに見えるけれども、実はさにあらず、出だしの四百ぐらいを四百レースのつもりで全力で泳いで、あとは流すことによって、さらにタイムを短縮できるという説が今まで多かったのである。つまりマーシャルは四百を四分四十三秒ぐらいで泳いでキッパス氏に速すぎると批難されているのだが、日本流に云うと、古橋なら四分三十四五秒で四百を泳がせて、あとを流させようというわけだ。これも一つの方法ではあるが、タイムということを考えて、せり合いを忘れている方法なのである。そして、力の強い選手の追いこみにあうと、負ける性格でもある。アルネ・ボルグのラップタイムはこれ式であった。千五百の最初の百を一分二秒ぐらいで泳いでいる。彼の場合は、二着と一分の差があり、追われる心配はなかったが、彼とマーシャルは体格や泳ぎ方にも、ちょッと似たところがあるようだ。
 古橋を千五百に出さずに二百に出して、全世界のファン待望のマーシャルとの決戦を実現させなかった日本水聯は、対抗競技の意識が強すぎると云って、批難されたが、私はこれも、日本式タイム流のあやまった考えからだと思うのである。彼らの意識下には、水泳はタイムだから、せり合わなくとも、いずれはタイムが証明する、という鷹揚な気持があってのことだろうと思う。
 しかし、レースはせり合いだという勝負の本質を知る者にとっては、古橋とマーシャルの今度のせり合いぐらい待望のものはなかった。マーシャルは意外に不振であったが、それは結果が判明してからの話で、マーシャル自身もレース前には好調のつもりでいた。古橋はすでに年齢で、これから降り坂になるかも知れない時であり、全盛の古橋と好調のマーシャルのレースというものは、両者これ以上のコンディションに於ては、あるいは不可能であるかも知れないと観測されないこともない。古橋は長距離王国の日本に於ても超特級品であるが、マーシャルは、日本独壇場の千五百で、はじめて日本の王座をおびやかす欧米の超特級品。欧米ではアルネ・ボルグ以来の二十数年ぶりの天才で、この種目では今後なかなかこれだけの選手が現れなかろうと思うのが至当な稀有な場合である。
 この決戦を平然として棄権させた日本水聯の愚行は論外である。結果はマーシャルが不振のために救われたようなものではあるが、これだけの大レースを実現させるためには借金を質においても、というほどの、水泳の正しい教養が身についていれば、当然そうでなければならないことであった。つまり彼らの水泳家としての教養はコチコチの日本主義者ではあるが、紳士の域に至らぬことを明かにしているのである。レースはせり合いだという事の本質を知らないのである。そのために、過去の四百レースでいつも苦杯をなめていながら。はじめて古橋という国産のせり合いの特級品を持ちながら。
 しかし、今度の日米競泳は面白かった。今までの日本は箱庭式のタイム派で、キレイに相手を離して勝つか、追いこまれるか、一方的で、自分が追いこんだことがない。今度に限って古橋が相手を追いこむ。すると、又、これに追いこみをかけるマクレンもあり、コンノもありというわけで、レースにこもった力というものは、すごかった。抜いたり、抜かれたりである。日本にも、古橋式のレース強い馬力型の選手がたくさん出てくれると国内競技でこれが見られるが、目下古橋一人であり、元々食物が粗悪なところへ、戦争このかたの欠食状態であるから、馬力型の特級品が現れる可能性は当分甚しく心ぼそい。しかし、レースをたのしむ者の身にしてみると、抜かれたり、抜きかえしたりの力、あの振幅の限度にみなぎる力の大きさ、美しさに目を奪われるのである。箱庭式のタイム派からは、こんな美を感じることはできない。力というものを見ることができないのだから。それは、せり合いがあり、選手の身にしてみれば、賭の上にも無慈悲な賭が重なって、そして現れてくるものだから。

          ★

 こんな礼儀正しい観衆は、終戦以来私ははじめて接した。
 私は応援団というものがキライである。応援団もユーモアを解し、美を解することを心得ていればよろしいけれども、たとえば対抗野球の応援団などゝいうものは、殺伐で、好戦的なものである。今度の中等野球の予選では、富山のどこかの学校が、審判の判定に不服でグランドへなだれこんで、審判をなぐり倒したそうである。
 スポーツは勝負を争うものではあるが、好戦的なものではない。礼節と秩序のもとに競う遊びにすぎない。応援団というものは、スポーツから独立して、勝敗だけを旨としており、愛校心という名をかりて、いたずらに戦闘意識をもやしており、あの校歌だの応援歌というものは、坊主のお経によく似ているなア。あゝいうブザマな無芸な音響は、つつしまなければいけない。集団の行動というものは、底に意気(粋)の精神がなければ、ジャングルの動物群とそう変りはないものだ。応援団には粋の心構えなど、ありやしない。自分がスポーツをやる当人でもないのに、全然殺気立っている。
 日米水上の観衆はノンビリしていた。ブウブウ言っていたのは、私ぐらいのものだ。なんしろ私は暑いんだ。夜間水泳。誰だって涼しいと思うだろう。おまけに雨がふってるよ。それで涼しくないんだね。人いきれなのだ。上からは雨がふり、下からは汗がわき、結局暑い方が身にこたえるという、そういう場合があるんだそうだ。
 日本人はレース開始の一時間前までに見物席についておれ、さもないと見物できん、という。この理窟が拙者には分らないよ。
 レース開始の前までに席につけ。それ以後は入場できん、というのなら、話はわかる。演劇演奏開始後の入場おことわり、という高級な劇団や交響楽団は日本にも在ったが、一時間前までに席についとれというのは、どういうコンタンであるか分らない。
 しかし、見せてくれないというから仕方がない。一時間半前に行くと、もう殆ど満員だ。みなさん、たのしそうである。コカコラなどをのんでいる。ブウブウ云ってるのは、私だけだ。
 古橋が千五百を棄権したと云っても、別に怒ったような人もいない。マーシャルと橋爪がとんでもなくおくれて、仲よくはるかドンジリとなり、誰も考えてもいなかったコンノが優勝し、東二着とある。コンノ強しというのは二日目からの話で、初日はコンノなんて選手の存在を知らない人が多かったのである。
 競輪なら大穴である。単もフォーカスも、一枚も売れていなかったかも知れない。むろん、私も、はずれていた。千米ぐらいから、観衆は総立ちとなり、
「マーシャル!」
「橋爪の野郎殺しちまえ!」
 一同マーシャル橋爪のフォーカスを買っているに相違ないから、レースが終るや、ナダレを打って事務所へ殺到、神宮水泳場焼打ち事件となる。
 日米水上の観衆は、そんな不穏な精神はもっていない。コンディション不良のマーシャル橋爪をいたわる心事は場にみち、奥ゆかしい極みなのである。
 日本は対抗競技には惨敗したが、レースはいずれもタッチを争うていの大接戦で、力量に大差があるわけではない。
 意外だったのはバタフライで、アメリカ選手のバタフライの美しいこと、手がスッポリと水からぬけて、キレイに前へ廻ってくる。私も自分でバタフライのマネゴトを試みようとしたことがあるが、もう腕の力がないから、全然手がぬけない。強大な腕力がいるものらしい。日本選手のバタフライは、手が充分に水から抜けない。シブキをちらして水面を低く這って、充分前へまわらぬうちに、途中でジャブリと水中に没してしまう。その代り、ピッチは早い。
 見た目のフォームの美醜に於て、あんまり差があるので、とても問題になるまいと思っていたら、大マチガイで、米人選手の長い手が存分に前へ迫って水をかいてキレイにぬきあがるゆッくりした泳法と、見た目に忙しく水をちらして汚らしい日本選手の急ピッチと結構勝負になるのである。
 萩原選手が一風変っていた。はじめの百で十米ちかくもおくれるのである。あとの百で、おくれた分をとりかえして、米人選手をほぼ追いつめてしまう。後の追いこみの力泳ぶりも珍しいが、はじめの負けッぷりの悠長なのも珍しい。こんな妙な癖をもった選手というものは、珍しすぎて、とても素人には癖の由来が見当がつかないが、はじめの負けッぷりが年々悠長になるとは考えられないから、大いにたのもしいのかも知れない。
 水泳も変りました。そもそも高石が泳いでたころは、胸の方にも水着をきていたものだが、これは彼の選手中にすでにパンツだけになったようだ。
 ところで、コンビネーション・ダイビングというものを、みなさん知ってますか。
 男の子や、女の子が、二人か三人で、一しょにダイヴィングするのである。にわか仕込みとみえて、その場でうち合せて跳びこんどるから、なかなか、そろわない。水へつくころは二人の距離がだいぶ差があるし、回転するにも、そろったことが殆どない。
 それでも、結構である。とにかく、日本の水泳選手が、ショーの精神をもって、見物人をよろこばせようと心がけるに至ったのだから、日本の水泳も変ったのである。
 もッとも、跳び込み選手の中に、柴原君がまだ健在であったが、彼は戦争前からの古い選手である。水泳というものは他の競技にくらべて選手の寿命が短いから、彼のほかに戦争前からの選手は見当らない。彼はずいぶん古い選手のはずだ。ダイヴィングといえば、むかし、立教の原君というのが、なんでもかんでも逆立ちして跳びこみたがる先生で、フンドシ一つでいつもプール際をうろうろしているお行儀の悪い選手であった。彼はいつまでも上達しなかったが、いつまでも跳びこんでおり、たぶん柴原君も一しょに跳びこんだことがあるだろうと思う。
 昔の柴原選手は今のようではなかった筈だが、彼は今やビヤダルのようにふとっている。それで跳板跳びこみまでクルクルやっているから、私も気が強くなった。彼はふとッちょに勇気を与えてくれる。若返りの精神を与えてくれる。御利益あらたかであるから、ふとッちょはダイヴィングを見物に行きたまえ。しかし、こんなにふとッちょのダイヴィング選手というのは、世界になかったことだろうな。コンビネーション・ダイヴィングというのをやると、やっぱり彼が一番早く水面に到着する。
 拙者と同姓の坂口さんという高飛込みのお嬢さんが、傑出していた。私の見てきた女子ダイヴィングではこの選手のフォームが一番よろしいようだ。これもコンビネーション・ダイヴィングをやる。最後に、も一人のお嬢さんと組んで一本の丸太ン棒となり、というのは、お互いに相手の足を抱きあって一本の丸太ン棒となるのだが、そして水中へ墜落するという余興を見せてくれたが、その意気はさかんであるが、美しいものではない。
 しかし、こんなことをやってみせようというユーモアあふるるコンタンは珍重するに足る。慶賀すべき戦後派健全風景で、ダイヴィングがはじまるや、見物衆、
「わア。ストリップよか、エエもんだなア」
 期せずして、皆々、そう叫んだところをみると、世道人心に御利益があるのだ。私も同感であった。ストリップのどんな踊りよりも、坂口さんの高跳びこみの方が、魅惑的である。彼女がクルクルと空中で描きだす肉体の線は常に伸びており、殆どあらゆる瞬間が美しい。
 私はストリップ・ファンに改宗をおすすめするが、ぜひダイヴィングを見物して、健康児童になりたまえ。
「しかし、ダイヴィングの選手は短命でしょうな。長生きしねえだろうなア」
 と云って、同行の中戸川宗一がしきりに心痛していたが、なるほど、見物衆というものは、いろいろの見物の仕方があるものだ。もっとも彼は酒屋以外を訪問したことが殆どない男だから、人間は歩くという速力以上の運動をやると心臓にわるい、というようなことを常に心痛している男なのである。
 しかし柴原選手は、拙者は十数年間ビールばかりのんでいました、というようなタイコ腹でクルクルとびこんでいるから、飲み助は彼によって救いを感じるのである。肉親の愛情をもち、かつ、大いに安心する。オレだって、まだ、あれぐらいのことができるのかも知れねえぞ、という気持になる。万事につけて、スポーツは御利益があるものだ。
 私は二日間みたが、三日目は見なかった。切符は有ったのだけれども、レース開始の一時間前までに入場しないと見せてくれないというし、その辛労を三日間つゞける勇気が、とてもなかったのである。
 気楽に見ることのできないスポーツなどゝいうものは利口な人間の見るものではないが、私は商売だから二日間我慢して、一時間半前に入場して、見物したのであった。

底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
   1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第一三号」
   1950(昭和25)年10月1日発行
初出:「文藝春秋 第二八巻第一三号」
   1950(昭和25)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年1月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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