生れつき大そう間のわるい人間というものがいるものだ。梶原正二郎という若い御家人がそれだった。そのとき彼は二十二だ。親父が死んで野辺の送りをすませたという晩に、
「今晩は。たのもう。どうれ」
 両方分の挨拶にオマケをつけて大声で喚きながらドヤドヤと訪れた七八人。案内もまたず奥へあがりこんで、
「ホトケに線香あげにきたが、ホトケはどこだ、どこだ」
 ホトケと隠れん坊しているよう。仏壇の前へドッカと坐りこんで、
「なるほど。この白木の位牌だな。ジジイにしてはミズミズしく化けたものだ。人間、なるべきものになって、まことに目出たいな。酒をだせ」
 大変な奴ら。年のころは正二郎といくつも違わぬ若侍だが、いわゆる当時の愚連隊。その兄貴株に祭りあげられているのが望月彦太という乱暴者で、役向きでは組頭をしていた正二郎の父の配下になるのだが、組頭の威光などというものはこの男には三文の役にも立たないばかりか、うッかりするとインネンをつけられるモトになる。組頭であるために、正二郎の父はこの若者の顔を見るのが怖しくてたまらなかったというほどのシタタカ者。人の集りの多い通夜の席には現れずに、野辺の送りがすんでから乾分こぶんをつれてドヤドヤとやってきたのは、ホトケをカモに一夜ゆっくり飲もうというコンタン。彼らを見ると、後に残っていた少数の親戚も、逃げるように帰ってしまった。残ったのは正二郎と、その嫁のお久美だけである。
 正二郎は小心の父に輪をかけた弱虫で、子供の時から同年輩のこの連中にいじめられながら、逃げ隠れするようにしてコソコソと育った男。蛇にみこまれたと同じことで、自分の分別でこの連中をどうすることもできない。云われる通りに酒をだすと、キリもなく飲み、酔いしれてバクチをはじめる。夜があけると、一ねむりして、日暮れに目をさますと、また酒を所望し、あげくにはバクチをはじめる。四日四晩それがつづいた。五日目の朝、数名の仲間があわただしく飛びこんできて、
「行方を探すのにどれぐらい苦労したか知れやしねえや。こんなところにトグロをまいてる時じゃアねえやな。そろそろ戦争がはじまるぜ。上野寛永寺へたてこもることにきまったのだ。おいらも威勢を見せてやろうじゃないか」
「それは面白いな。酒もバクチもちょうど鼻についてきたところだ。正二郎。長らく世話になったが、面白い遊びを教えてやるから、一しょにこい」
 江戸城開け渡し。軽挙モウドウをいましめるフレはでているのだから、正二郎はフレに反した戦争などはしたくはないが、この連中にこう云われると、否応ない。お久美は姙娠八ヶ月。父の野辺の送りのすんだ直後に、身重の身を一人とりのこされては生き行くスベもなかろう。そこで、おそるおそる、
「家内が姙娠八ヶ月で」
 と云いかけると、
「バカヤローめ。女房のお産がすむまで戦争を待ってくれてえ侍が大昔からいたと思うか。ききなれないことを云う曲者じゃないか」
 と怒鳴られて、別れを告げるイトマもあらばこそ、手をとられ、腰をつかまれて、夢のように上野寛永寺へたてこもってしまった。
 戦争に負けたが、正二郎も加えて十三名のこの一隊、一人も手傷を負った者がない。要領のいい奴らで、戦争を遊山ゆさんと心得てかりそめにも勇み立つようなところがない。しばらく旅にでるのも面白かろうと、江戸を逃げのびて、中山道から道をかえて奥州へ。戦争話の駄ボラを吹きながら、無銭飲食、無銭遊興を重ねて、二本松から、仙台、とうとう塩竈まで逃げ落ちた。道々の諸侯の動勢は予期に反して必ずしも幕府方ではない。豪傑ぶって落武者をひけらかしていると、いつ召し捕えられるか知れたものではない。江戸へ帰るわけにはいかないから、船で松前へ落ちのびることにきめた。ところが、船をだしてくれる船頭がいないのである。カカリアイになるのが怖いから、特別の船をだしたがらない。松前行きの便船がでるまで待て、というので、一行は一ヶ月ほど塩竈の遊女屋に流連いつづけして便船を待った。もうヤケだった。召し捕るなり、殺すなり、勝手にしろ。刀をふりまわして死んでやるから。刀をひきよせ鯉口こいぐちをきッて酒を浴びつづけている。遊女屋も疫病神とあきらめはしても、彼らが浴びるほどの酒を連日はだしきれない。そこで酒の徴発に差しむけられるのが正二郎であった。彼が酒屋へ行って、おとなしく頼んでダメの時は、一同が刀をぬいてサイソクに行くから、最後にはどこでも、だした。
 彼らは塩竈の鼻ツマミ者になった。イタチ組が通るというと、町中大戸をおろして一時に人通りがなくなったそうだ。イタチ組というのは彼らのことである。彼らは江戸をたつころは河童カッパ隊と自称していたそうだが、奥州へ来て、妙なことに気がついた。河童の神通力には北限があるのである。南へ行くほど河童の神通力は絶大で、九州の伝説では孫悟空ぐらいの威力があるが、中国、近畿、中部地方と北上するにしたがって猪八戒ちょはっかい以下になり、関東あたりから急速に下落して、奥州へくると、全然河童には神通力がない。奥州でカッパというと、水中のガメ虫、ゲン五郎といって水中を泳ぐ金ブンブンのような昆虫がいるが、河童というとそれぐらいの哀れな存在になってしまう。河童の神通力にも北限があると知って彼らも改めてわが身の無常を感じたが、さらに北へ北へと逃げる身には都合がわるいから、イタチ組と名を変えた。最後の屁でごまかしながら威勢よく逃げようというシャレでもあった。
 酒屋へ使いに出されるたびに、正二郎が好んで行くのは「松嵐」という清酒の造り酒屋であった。なぜなら、この家だけは小心者の正二郎を憐れみ、彼を彼の一味とは別の人種として取り扱い、いたわってくれるからであった。この家の一人娘のおヨネが別して正二郎をもてなし、両親もそれを認めている様子が、一そう彼の旅愁をなぐさめたのである。
 イタチ組の悪業にたまりかねた町の人々は寄々相談のあげく、この町の船主の中で誰よりも太ッ腹な人物で通っている一力丸の主人、兵頭一力親方の犠牲に仰ぐことになった。そこで一力は一艘の持船を仕立ててイタチ組を松前へ追ッ払うことになったが、海上で面倒が起ると困るから、船頭にまかせず自ら乗船して指揮をとることとなる。出発がきまったから、正二郎は松嵐の店を訪ねて、長々お世話になりましたが、いよいよ松前へたつことになりました、と挨拶すると、お米に目顔でサイソクされて顔を見合せていた両親。やがて父の清作が態度を改めて、
「追われ追われて北の果まで逃げても、逃げきれるものではない。あの連中に別れてこの土地に住みついてはどうだね。お前さんがその気なら、娘の聟にもらってもいいが」
 と云う。
 そこで正二郎も考えた。今さら江戸へ戻ることもできないが、さればといってイタチ組と一しょにいる限りは、およそ性に合わない無銭遊興、押込強盗、ヤケ酒の生活から遁れることができない。末はどこかで窮死するか殺されるか、それも遠い先の運命ではなさそうだ。江戸に残してきたお久美には気の毒だが、今となっては仕方がない。お久美だって敵軍のために今頃はどうなっているか知れたものではない。ままよ。ここは思いがけない話を幸い、うまい口実をかまえてイタチ組から離れたいものだが、と考えた。
 しかし臆病な男のこと、口実をかまえて言いだす気力がない。いよいよ船にのる。船がうごきだす。必死の思いはさすがのもので、
「ムムムムム……」
 彼は脇腹をおさえて苦しみはじめた。こういう小心な男には神様が特別の仕掛を与えておいて下さると見えて、苦しみだすと、本当に腹が痛いような気がしてきたから妙なものだ。ただごとならぬ苦しみ様。
 一力はイタチ組と肌の違う正二郎の人柄を知っている。この苦しみが狂言ではないかも知れぬが、イタチ組から離れた方がこの男の身の為だと見たから、
「放ッとくと死ぬかも知れんね。陸にちかい今のうちに船から下した方がよい。人家にちかい岸へつけて病人をたのんで行こう」
 イタチ組の面々も、ここまで落ちてきた以上は、こんな小心な男は足手まといになるだけで、役に立つ見込みがない。
「ナニ、人家なんぞなくともかまわん。近い岸へつけて松の根ッこへ放りだせ」
 瑞巌寺の岸へつけ、一力は松島の漁師に後事を託し、正二郎を残して去った。そこで正二郎は首尾よくイタチ組から離れることができた。さッそく塩竈へとって返して、造り酒屋の聟におさまったのである。

          ★

 さて聟におさまってみると、考えていたのとは勝手がちがう。彼の後にイタチ組の抜き身が光っていた時とはちがって、扱いの相違が甚しい。旗本の扱いどころか、下僕の扱い。給料がないから、下僕以下。下僕に対するイタワリも遠慮もない。
 だんだん様子が分ってくると、彼を聟にむかえたも道理。お米は名題なだいの淫奔娘で、すでに三人もててなし子を生み落して里子にだしており、この界隈からは然るべき聟をむかえることができない娘であった。
 また清作が娘のお米に対する態度も冷淡である。清作はお米が自分の子ではあるまいと疑っていた。娘に似て母のお源も淫奔だった。清作と結婚まもなく、専信という美貌の僧との取沙汰があった。そして生れたのがお米であるが、醜男ぶおとこの清作に似たところはなく、どことなく専信の面影を宿していた。その時以来夫婦の仲は冷えきってしまったのである。清作はお茶屋遊びをはじめたし、お源も時々人々の口の端にたつ行跡があった。そういう家庭に育ったお米が淫奔なのは自然であろう。清作が全てに堪ていたのはフシギだが、鬼のような人間が何十年も怒らずにいることがあるものである。怒るということは必ずしも鬼の行跡ではないものだ。
 正二郎が聟にはいると、鬼の本性がハッキリしてきた。その時までは、そこは彼の家庭であり、お源とお米は家族であったが、正二郎が来てからは、そうではなかった。正二郎夫婦は赤の他人夫婦であって、お源はその母親にすぎないのである。そこは家庭ではなくて工場であった。正二郎一家はその職工で、彼のために金をかせぐが、その金は彼だけのもので、職工に与うべきものではなかった。彼自身の家庭は他にあって、そこには若い二号と、その腹にできたマギレもない彼の子供がいたのである。彼はその子供に死後の全ての財産を与えるという遺言状を書いて二号に与えたという取沙汰があった。
 こう赤の他人扱いを受ければ、うけた一族は結束しそうなものだが、アベコベだ。その原因がみんな正二郎にあるかのように、彼はお源母子からさらに赤の他人扱い、否、下僕扱いをうけた。女房とその母はサシミだの天プラだの色々の御馳走をならべて食ってるが、亭主の膳についてるのはイワシの煮つけか干物だけ。朝は正二郎を早く起して、ああしろ、こうしろと指図をすますと、お米とお源はフトンをひッかぶっておそくまで寝ている。
 そのうちに、旅絵師の松川花亭という若いニヤケた男がフラリと来て、この家に住みついてしまった。以前にもここに厄介になったことがあるらしく、お米は旅から戻った亭主をむかえるようなナレナレしさ。花亭も来た当日から亭主のように納って水イラズの食卓であるが、正二郎はその日から台所へ追ッ払われて、召使いと一しょの食事であった。お米は正二郎に花亭の紹介すらもしなかった。つまり花亭は彼女らと対等であるが、正二郎はそうでないということをハッキリ示しているのであった。お源のところへは宮吉という船頭がよく遊びにきた。清作は昼は時々見廻りに来たが、夜は二号のところへ泊りきりであった。
 清作に三号ができた。そして、三号が姙娠したという噂が知れ渡った。
 その日清作は二号の家でおそく目をさました。三度の食事に酒をかかしたことのない清作は、その日も二号を相手に朝酒をのんでいたが、食事が終ると、にわかに苦しみはじめて、医者の手当もむなしく、急死してしまった。死に様が怪しいので検視の役人が酒や食物をしらべたが、どれと云って味の変ったものがない。しかし犬に食べさせてみると、三匹の犬が一様にヨタヨタとふらつきはじめて苦しんだあげく、まもなく死んでしまった。どの食物ということは分らなかったが、どれかに毒が仕込まれているのは確かであった。死に方が普通と変って、最後に全身がしびれるらしく、口もきけずに、鼻汁やヨダレをたらして息をひきとったのである。
 奥州ではフグを食う習慣は殆どない。しかしフグがとれないかというと大マチガイで、下関や福岡あたりの海よりも、三陸の海の方が無限にフグがとれるほどだ。もっとも外の魚が更に無限にとれるのである。要するに日本一の漁場ではある。土地の習慣でフグ料理は行われていないが、漁師にとって海に国境なく、土佐の沖も五島の沖も三陸の海つづきにすぎないのである。医者の判断よりも漁師の口から、そいつはフグの毒だろうと噂がたった。どの皿にもフグ料理はなかったが、ハキダメの中からさいたマフグが現れたので、ヌキサシならぬ証拠となった。二号は旦那殺しの罪で捕えられたのである。二号は全財産を譲られる遺言状をもらっているが、三号に子供ができると遺言状が書き改められるに相違ないから、充分の動機があるのである。知らぬ存ぜぬと言い張っても役には立たず、死刑になってしまった。死の瞬間まで泣き狂って、ムジツの罪だ、犯人はお源だ、お米だと喚きつづけたそうだ。
 町の人々にとっても二号の旦那殺しは有りうべきことであるから、彼女の処刑はとりわけ同情をかうこともなく冷淡に見送られた。この土地ではフグは食べると死ぬもの、食べない物ときめているから、網にかかったフグや漁師がイタズラ半分に持って帰ったフグは浜にすてられて顧る者がない。拾って帰るツモリなら誰でも拾って帰れるが、子供でもフグの毒は良く知っていて見向きもしないだけのことだ。
 しかし、正二郎は怖しいことを知っていた。その前夜、船頭の宮吉が大きなフグを持ってきて、彼が井戸端で手造りしたのを正二郎は知っていた。江戸育ちの正二郎はフグを知らなかったが、後日の噂をききフグを一見するに及んで疑念が黒雲の如くによみがえってきたのである。
「オレのような余計な邪魔ものもいつ殺されるか知れたものではない」
 と、彼は怖れにふるえたが、できるだけ邪魔にならないように暮す以外に分別はなさそうだった。なまじ家にブラブラしているのがいけないと思ったので、お源やお米の許可を得て一力丸の親方を訪ね、
「私もヒマな身体で毎日ブラブラしていても仕方がありませんから、漁師の手伝いでもさせていただきたいものですが」
 と頼むと、一力は一臂いっぴの力をかして彼をこの地に住みつかせて以来、何かと彼に目をかけてやり、その気の毒な立場をよく了解しているから、甚だ哀れに思って、
「そうかい。お前さんがその気なら、ナニ、あんな家に小さくなっていなくッても、男一匹、立派な暮しが立つように、なんとでも力になるぜ。お前さんも天下の旗本だ。奥州くんだりへ来たからってアバズレ女に気兼ねするこたアないよ。だが、漁師なんぞがお前さんに勤まるもんじゃない。船を一艘かしてあげるから、運漕をやってごらんなさい」
 自分が世話をやいている講中にムリをきいてもらって、わずか一回のカケ金だけで正二郎に無尽をおとしてやった。その金でそッくり米を買って、これを船で東京へ運んで売った。ところがその年は全国的な大凶作で米があがっているところへ、北上平野は上々の豊作で安い米が買えた。だいたいに奥州は水害冷害が甚しいが、この北上平野だけは古来から殆ど手を施さずして水害も少く別格の穀倉地帯である。伊達政宗は早くもここに目をつけで、この地だけは臣下に与えず自分の直轄地とし、年々ミノリ豊かなこの地の米を江戸へ売って儲けていたのである。維新後のドサクサ以来、一力はここに目をつけて、自ら米の運漕をやって儲けていたが、正二郎をあわれみ、彼に儲けの確実な仕事を分け与えたのであった。
 その年は特別の年であったから、一艘の米だけで正二郎は大儲けをした。直ちにとって返して、儲けた金で第二船第三船第四船と矢つぎ早に差し向けたのがことごとく大当り。今様小型紀国屋文左衛門。その半年で立派に財を築いた。一力もわが事のように喜び、
「なア、平井さん。あんたが一人で商売をやると儲けをアバズレにまきあげられてしまう。また、この地にいるのもよろしくない。今、東京では会社というものが、はやっている。オレとお前さんと組で会社をやろうじゃないか。オレが頭取で、お前さんが副頭取。オレがここを本拠にサイハイをふって物資を東京へ送るから、お前さんが東京の支店長で売り捌く役だ。この土地にあんなアマと一しょに居ちゃア生涯ウダツがあがらないよ」
 正二郎は聟となって平井と姓が変っていた。一力の親切この上もない申出に正二郎は狂喜した。運漕をはじめて自分の財産ができて以来、寝た間も忘れることができないのは、清作の運命であった。暗い井戸端でフグを手造りしていた宮吉の姿、その毒を隠しもって二号の家へ忍びこんだに相違ない怪人物の姿、それはお米の姿でもあれば、お源の姿でもあるし、花亭の姿でもあった。その誰かが枕元に忍びよる幻想を忘れることができないのだ。塩竈の地にいては寝た間も心は休まらない。彼が商用に精がでるのも塩竈の地をはなれる喜びがとみに勇気を溢れ立たせるせいもあった。
 そこで二人は会社を起し、土地の名所松島にちなんで、松島物産会社と名づけ、正二郎は副頭取、東京支店長となった。小心で考え深い正二郎は、武士には向かなかったが、商法には才があった。豪放な一力の女房役として細心に各地の情勢、各商人の動勢、相場の動きを察し、よく手綱をしめて一力を輔佐し、商運隆々として巨万の富を築くに至ったのである。時勢のせいもあったが、彼は意外にもハイカラ好みで、一流の西洋大工に命じて東京にいくつもない純西洋館をつくって住んだ。屋根に鐘楼があったので人々はいつか時計館とよんだのである。彼は馬車で商社に通った。まさに飛ぶ鳥を落す殿様ぶりであった。

          ★

 彼はお久美を探したが、行方を知る者がいなかった。しかし二号もつくらず、女に深入りしなかったのは、女を怖れていたからである。気心の知れない女が一様に薄気味わるくて、商法に熟達し、社交になれても、女に臆する気持だけはどうにもならなかった。それが彼の商法を順調に育てたのかも知れなかった。
 女がシミジミ恋しいと思うようになったのは新築の西洋館に移りすんでからであった。衣食住がととのってみると、足りないものは女だけで、未知の世界であるだけに、尚さら怖しく、恋しくもあった。
 ある日、お客を招んだ宴席の女主人が正二郎をひそかにひきとめて、
「旦那、駒千代というは妓はお気に召しませんでしたか。この土地から出たばかりで、定まる旦那もないのですが、気立もよく、身寄もない妓で、旦那に迷惑をおかけすることもないようですが」
 と持ちかけた。人の心が顔に現れるとでもいうのか、まるで彼の心を見抜いたように時を得た至妙な話。正二郎はその宴席で始めて見る駒千代のやさしく華やかな姿に見とれて、さてさて美しい妓があるものと深く心に思いとめた直後であるから、人生は微妙なものだ。渡りに舟とよろこび、女主人に駒千代の心をたしかめてもらうと、あの物静かな旦那なら定めしやさしく親切にして下さるでしょう、異存はございませんという即答で、めでたく話がきまった。女主人が何かと加勢して、然るべき家も見つけ、以前この土地で芸者をしていたお龍という婆さんが身寄がなくて今もって待合の女中をしていたのを駒千代につけてやり、
「あなたは駒ちゃんに仕えるわけじゃアありませんよ。駒ちゃん同様あなたの御主人様は旦那ですから、よく忠義をつくして、その代り、一生旦那に面倒を見てもらいなさい」
 正二郎の面前でこうコンコンと言いふくめ、また正二郎には忠義の代りに妾宅で死水をとってあげていただきたいと頼んでやった。下働きの小女も一人つけて、ここに一軒の妾宅ができた。
 さて妾宅を構えてみると、駒子はやさしく親切で可愛らしく、正二郎にはまるで欠点というものが分らないから、去る日も来る日も夢のようにうれしいばかり。女を知らない中年の男が女に溺れるとダラシがない。酒の味も覚え、お龍をとりまきの老妓役にして差しつ差されつの食卓の賑やかさ、たのしさ。正二郎はもはや寸刻も離れているのが堪らなくなり、妾宅をひきあげさせて、その三人をそっくり時計館へ移り住ませた。
 ところが、ある晩のことである。ふと寝物語りに、
「私にはお母さんがいるんですけど……」
 と、別にさしたる理由もなく、何のハズミか口をすべらしたのは、これを運命というのであろう。正二郎のマゴコロが、駒子の心に距ての垣というものを失わせたせいかも知れない。
「身寄りがないときいていたが、お母さんが生きているのか。なぜ早く打ちあけてくれないのだね」
「だって、あんまりひどい暮しをしているものですから」
「娘を芸者にだすほどだから豊かに暮している筈はないさ。それぐらいは心得ているよ。安心して話してごらん。とッくに助けてあげたものを」
「ええ。でも今はメクラなんです。もとは旗本の娘ですけど」
「ほう。私も旗本のハシクレだが、姓はなんと仰有おっしゃるのだね」
「嫁ぎ先の姓ですけど、梶原というのです」
 もしも暗闇でなければ、正二郎の見るも無慙な衝撃の色、駒子の胸に閃くものを与えた筈だが、いかんせん真の闇。ああ、なんたる運命のイタズラか。愛する駒子がわが実の子であろうとは! 駒子は無言の正二郎をいぶかしみ、
「あら。梶原という旗本、ご存じですの? ぶるぶるふるえてらッしゃるんじゃないこと?」
「ナニ、二三その姓に心当りはあるが、お前のお母さんに似た人は、さて、その心当りがあるかなア」
「でも、私は梶原という旗本の子供じゃないのよ。梶原の子供は姉さんだけ。その旗本は寛永寺の戦争で死んだそうです。私の父は望月彦太という旗本」
「望月彦太!」
「ご存じ?」
「きいたことのある名だが」
「そうですッてね。御家人仲間で鼻ツマミのワルですッて。私がきいているのは悪名ばかり。顔を見たこともないのです。父のおかげで、お母さんは今の不幸に落ちこんだのだそうです。泣きの涙にグチられて、子供心に辛かったわ。私が生れてまもなく父に棄てられ、苦しい暮しをしているうちに目がつぶれてしまったのです」
「どこに住んでいるのだね」
「四谷の鮫河橋という貧民窟です。今はメクラの男と夫婦になって、小さい子供がゴチャ/\五人もいるのです。アンマで暮しを立てているのです」
「お前に姉さんがいると云ったが、その人はどうしているのかね」
「駿河橋に一しょにいます。お母さんの手をひくために。そして、今のお父さんの子供と夫婦になっています。車夫ですが、酒のみで、バクチ打ちで、悪党なのね。姉さんが気の毒ですわ。私が芸者になったのも兄さんに売りとばされたんですけど、私を助けるために姉さんがはからッても下さったのです。家に居ればロクなことにはならないでしょう。いッそ芸者になる方が身のためですッてね。身売りの金を手切金に、親子の縁を切るから、母も姉もないものと思って、こんな悲しい家のことは二度と思いだしてもいけませんよッて、そう言われて出たんです」
 駒子は姉の厚意を思いだして堪らぬらしく、肩をふるわせているようであった。
 駒子の母こそはまさしくお久美であろう。その姉こそは別離の時にみごもっていたわが子であるに相違ない。なぜなら、梶原は寛永寺で死んだと云い、駒子の父はイタチ組の親分格の望月彦太というではないか。正二郎が寛永寺で死んだというのも、彦太の語ったことであろう。
 駒子がわが子でなくて幸せであった。しかし、むごたらしい運命があるものだ。ようやくお久美の居処が分ったと思えば、それは愛する女の口からだ。そして愛する女がお久美の娘であろうとは! お久美はメクラとなって鮫河橋に住み、同じメクラと夫婦になって小さな子供が五人もいるとは! そしてわが子は酒のみバクチ打ちの車夫の女房たるに甘んじてもメクラの母の傍を去りがたく、母の手をひき杖の代りとなっているのだ。
 東京には多くの貧民窟があったが、特に代表的なものが三ツ。下谷万年町、芝新網、そして最も人口の多いのが四谷鮫河橋である。鮫河橋は万年町、新網のまた一段下で、家賃などはここが一番安い。三十八銭というのがあったそうだ。これを貧民窟では日割で払うのが定めだから一日に一銭三厘払うわけだが、まず大半はその一銭三厘を支払うことが出来なかったそうだ。貧乏人の子ダクサンとは、貧民窟に於てこれを如実に見ることができる。おまけにドン底暮し、貧民窟には、どこよりも寄食者、つまり居候が多いという妙な事実を御存じであろうか。嘘ではない。それが当時の貧民窟の実情であった。有縁無縁の無能力者、惰民の類がゾロゾロと金魚のウンコのようにつながってころがりこんでいるものだった。
 明治二十年ごろの平均賃金が、大工、左官、石工などで二十二、三銭(日給)、船大工、染物職などは十七銭、畳屋と経師きょうじ屋などが二十一銭ぐらいで、一番高いのが、洋服仕立の四十銭だ。(和服仕立は十九銭)。夫婦に子供一人の生活で、米代が一升十銭、薪炭代一銭、肴代二銭五厘、家賃一銭五厘、石油代五厘、布団損料一銭五厘、最低これだけで十七銭。酒代、タバコ代を入れると二十銭をこす。家族三人だけの最低生活が丁度であるが、雨の日は仕事がないから、人を殺すに手間ヒマいらぬ、雨の十日もふればよい、というのは全く当時の実状である。残飯が上等百二十匁一銭、おこげ百七十匁一銭、残菜一人一度分一厘、残汁同上二厘、だいたい残飯生活の一人当りは六銭ですんだというが、残飯にきりかえても雨の日はまかなえきれない。
 芸人、人力車夫、チョボクレ、たちん坊などは更に甚しいものだった。貧民窟に住んでいるのはこの連中で、そこは犯罪と伝染病の巣でもあった。
 私が中学生ごろまでは、まだこれらの貧民窟があった。キレイさッぱり無くなったのは大震災からであろう。この戦争中、雑炊食堂に行列していた片手のない男が、オレはむかし深川貧民窟のアサリ売りだが、日本人の最低生活てえものは、朝はニマメにツクダニにミソ汁、ひるは干物、夜はカズノコに一杯ぐらいできたもんだ。そのニマメもツタダニも干物もカズノコも、米もありやしねえじゃないかとタンカをきっていたのを見たが、なるほど戦争中の日本人の半分は貧民窟以下の食生活を経験したようである。しかし貧民窟では、その最低の食料を買う銭が一月のうち半分はなかったのである。
 正二郎はいささか胸つぶれる思いであったが、お久美には今はメクラの連れ添う男がいて、小さい子供が五人も生れているといえば、今さら名乗りでて、どうなるものでもない。かえッてお久美を苦しめるばかりであろう。すでにこの世にないものと思った方が上策である。そこでお駒には、
「なるほど、気の毒なお母さん、姉さんだが、バクチ打ちの悪漢がついていては、なまじ私が世話をすると、却って双方迷惑する結果になるようだ。姉さんが、家も母も姉もないものと思え、とお前に諭したのは、よくそこを見ぬいているのであろう。私も充分考えてみて、できることは計らうから、お前はしばらく家族のことを思い出さないようにするがよい」
「私も思い出さないことにしていたのです。うッかり申上げてしまいましたが、母や姉をどうこうしでいただこうという気持ではなかったのです。私の抱え主の芸者屋のおカアさんにも姉が呉れ呉れも念を押したことで、私が母や姉を思いだしたら諭してくれるように、また兄さんが会いに来たりユスリに来ても私には会わせないように、と頼んでおりました。お龍姐さんが附き添っている役目の一ツも、私の家の者のことで旦那に迷惑がかからぬように、堅く見張りをするようにとおカアさんに言い含められて来ているのです」
 駒子の覚悟はキッパリしていた。正二郎が案じる必要もなかったのだ。しかし、世間は望み通り順調に運んでくれるものではない。

          ★

 お源とお米が尾羽うちからして正二郎のところへ迷いこんできた。船頭の宮吉の口車にのって、家も財産もそっくり彼の造船事業につぎこんで、結局かたりとられてしまったのである。宮吉が彼女らに与えた最後の言葉は、ナニ、お前の聟は東京名題の大金持じゃアないか。塩竈のチッポケな財産なんぞが消えてなくなったってタダみたいのものよ。東京へ行って栄耀栄華に暮すが最上の分別さ、ということであった。
 宮吉には弱いが、正二郎には強い女たちであった。正二郎は彼女らに別の小さな住居を与えようとしたが、彼女らはきかなかった。
「ここは私たちのウチだもの。歴とした本妻だし、その母だもの」
 二人の女は言い張った。とりあえず二三日は近所に宿をとれとすすめても、正二郎が困れば困るほど威丈高で、自分の家を主張して譲らなかった。
 邸内に庭園をはさんで同じような立派な西洋館がもう一ツあった。それは正二郎が一力の上京中の宿のためにマゴコロをこめ善美をこらして用意したものであった。二人の女はその別館に目をとめると、
「じゃア私たちは邪魔にならないように、あっちへ泊めてもらいましょう」
 一人ぎめに住みこもうとすると、この時ばかりは正二郎が、百雷の落ちるが如くに激怒した。
「何を言うか。無礼者め。別館に泊ることができるのは、天下に恩人兵頭殿をおいて外にはいないぞ。ただ恩人の恩に報い、恩人をもてなすためにオレがマゴコロをこめて用意した別館だ。一足でも踏みこんでみよ。ひねりつぶしてやる」
 二人の女はちょッと顔色を変えただけだった。正二郎が時を得顔に猛りたち威張りちらすのは、兵頭一力という名に力をかりているだけのことだ。大義名分があるからである。妾のお駒の名をかりてはグウの音もだせないのである。また、ほかの名によってはグウの音もでないから、兵頭一力の名で百倍も威張りかえっただけのことだ。
「オヤ、そうかね。そんな大そうな御殿だとは知らなかった。こッちの方は私たちのウチなんだから、さア、さア、遠慮なく部屋をとりましょう」
 大義名分によって百倍も威張り返った罰には、それなくしては百倍もしおれることを見抜いている悪達者な女二人、口惜しいながら何も言えない正二郎を尻目に、セセラ笑って勝手に自分たちの部屋をきめた。
 三日五日十日とすぎて、ちゃんと納ってしまうと、かねて手筈が打ち合せてあったと見えて、松川花亭が二人の女を訪ねてきて、これもそのまま住みついてしまった。お源とお米はすましたもので、会社から戻った正二郎をむかえて、
「私たちのところへお客様が来たから、当分お泊めしますよ。イエ、あなたには関係のない私たちのお客さま」
 オセッカイは無用といわんばかりの切口上であった。誰かと思えば、松川花亭ではないか。しかし今さら、花亭の如き一ツを捉えて怒ったところで何になろうか。怒るなら、また、追いだすなら、みんな一まとめに追いだすことだ。彼はイライラと考えた。
 彼が何より不安なのは、あの暗い井戸端でフグをつくッていた宮吉の姿。そしてそのフグを隠し持って忍びでたに相違ない怪人物のことであった。その怪人物はこの三人のどれか一人に相違ないし、否、三人をまとめた一ツがそれなのだ。今や彼には巨万の富がある。殺された清作よりも、よッぽど確かな殺される原因があるではないか。それを思うと手をつかねてはいられないが、さて、どうするという当てがあるわけでもない。死後の財産は全て駒子に与えるという正式の遺書をつくッてみても、殺される不安がなくなるわけではなかった。
 上京した一力は正二郎から二人の女の話をきいて、
「そうかい。ナニ、オレがなんとかしてやるよ。心配するこたアないや」
 と、二人の女に会って、すぐ出て行けと怒鳴りつけたが、
「ナニさ。私たちは正式の女房とその母親だよ。はばかりながら芸者あがりのメカケとは違うんだ。メカケを入れて本妻に出て行けという話はきいたことがないね。本妻が出て行かなきゃアならないものか、出るところへ出て、キマリをつけておくれ」
 一力は物に臆さぬ剛気の丈夫であるが、男の顔が立つか立たないか、という不文律のサバキとちがって、法律のサバキは手に負えない。出るところへ出るサバキなんざア、ベラボーめ、男の知ったことか、と威張り返って済む話ではないから、こう言われると、さすがの親方も二の句がつづかぬのである。
 たのむ一力もむなしく撃退される始末であるから、正二郎の落胆、悩みは測りがたいものがあった。
 その時、正二郎をそッと訪ねて、耳もとでささやいたがはお龍婆さんであった。
「私しゃアね。旦那。差出がましいことですが、心配で仕様がないから、それとなく法律の先生にきいてきたのですよ。あのアバズレどもを追ンだす術がたッた一ツあるんですとさ。旦那はあのアバズレと結婚前に、お久美様という正式の奥方がおありではありませんか。歴とした旗本御夫婦。それが正式の御夫婦ですよ。それをタテにとれば、お米だのお源なんぞ追いだすのはワケはありゃアしませんとさ。その代り、旦那もお久美さんも二重結婚とやらの罪をきるそうですが、御一新のドサクサの際ですもの、夫婦は遠く離れてお互に生死も分らぬ非常の際、それはおカミが察して下さるそうですよ。お久美さんの娘がオメカケというのはちょッとグアイが悪いけど、背に腹は代えられません。そこは母と娘の愛情、相談ずくで世間をごまかす工夫もあるでしょう。お米とお源のツラ憎いこと。それにくらべれば、どんなことでも我慢しなきゃアいけますまい」
 実に尤も千万な忠告だった。なるほど、そうだ。本妻といえば、お米じゃなくて、お久美のはずだ。それを今さら駒子に打ち開けるのは切ないが、お米お源の出現に誰よりも悲しい思いを噛みしめている駒子のこと、彼女の母が正二郎の本妻であったと知って驚くにしても、時によりけり、杖とも力とも頼む思いがするかも知れん。そこで駒子に昔の事情を隠すことなく細々と打ちあけた。
「私にはお前があるし、お久美には今は連れ添う男があると知ったから、前世の宿縁とあきらめすべてを知らぬフリでこのまま過したいと思っていたが、お米お源が現れては仕方がない。お前の立場も私の立場も苦しいが、お米お源に住みつかれるよりはどれぐらいマシだか分らない。一応お久美とお園をここへひきとって、正式に訴えて出るから心をきめておくれ」
 実子とは云え、まだ見たことのないお園にはさほどの情も覚えないが、お久美には顔を合せるのも心苦しく、はずかしい。全ての責任が小心弱気の自分にあったのだとツクヅク思い当るからである。
 駒子もあまりの意外さに呆れたが、思い返せば、誰が企らんだわけでもない。知らぬうちに、大きな運命の手が義理の父と娘を不義の仲にしていたのである。しかし、これが不義であろうか。ただ運命があっただけだ。正二郎にも自分にもヨコシマな思いはミジンといえどもなかったのだ。
「お母さんがここへ来たら、私はどうなるのでしょうか」
 それが何より訊きたい言葉であったが、言うことができないのだ。怖しいのだ。天地に羞じるところはないが、浮世の義理人情が怖しい。母は再び正二郎の妻であろうか。そして自分は、どうなるのだろう? その時こそは、本妻の娘が義理の父のメカケでありうることは許されないに相違ない。自分はいッたい、どうなるのだろう。正二郎も母もお園もそれで万事うまく行くかも知れないが、自分だけは、いったい、どうなるのだ。自分の味方は天にも地にも居ないではないか。
 今にも胸がはりさけて破裂してはじけ出るかと思われるその切ない言葉が、たった一ツ言うことができないのだッた。
「まア、うれしい。お母さんや、姉さんが、ここに住んで下さるの。散々お世話になり迷惑ばかりおかけしたお母さん姉さんですもの、一しょに住めるなら、私はどんなことでも辛抱するわ」
 駒子はこの上の嬉しいことはないように、ほころびる花のようにニコニコと答えたのである。

          ★

 新宿の大木戸に、むかしお龍の朋輩芸者の婆さんの働く家があるので、正二郎とお龍の二人は先ずその家で一服した。
「実はね。この旦那と私は大久保のさるお邸の仮装会で乞食の夫婦でアッと云わせようというダンドリでね。御迷惑でも、あんたのところで仮装させてね。まさか旦那のお邸から乞食姿じゃ出られないのでねえ」
 と、巧みに友達をごまかして、二人は乞食に変装した。鮫河橋のメクラ女がお久美その人だという確証はないが、名前は梶原久美だから、まずその人に相違あるまい。しかし、お園の夫の車夫がシタタカな悪だというから、車夫にも、男アンマにも悟られぬように、お久美とお園を誘いだして、彼らの胸中をきき、助力をたのむツモリであった。そこで晴天の日を見はからい、車夫が仕事にでたところを見て、乞食姿の二人は鮫河橋の貧民窟へもぐりこんだ。
 ここは谷町一丁目、二丁目、元鮫河橋、鮫河橋南町という四ヶ町から成り、まさしく高い丘の崖下、谷に当る陰気なジメジメしたところであった。貧民窟というものは、なんとまア子供が多くて、色々様々な雑音騒音狂音がわき立っているところであろうか。ドブの匂いを主にして甘い匂いも焦げる匂いもボロの匂いも小便の匂いも、実に複雑な匂いにみちたところでもある。ここでは知らない者がみんな闖入者であり、異端者であり、誰でもジロジロ見られたり、わざと無関心にソッポをむいたりされるのだった。どの家もみんな同じだ。家の構えだけがそうではなくて、家の内部に在る物はチャブ台代りがミカン箱であるし、家毎に干してある物は同じボロで、それがオシメであるかシャツであるか見分けのつかないような全てが同じ物だ。狭い路地の、どうしても干し物のシズクをかぶらずに通れないような道の隅に必ず朝顔だのヒマワリが植えてあるのもみんな同じことである。そしてどの軒にも決して表札がないのである。この町内へもぐりこみ訪ねてくるのは巡査とか借金取りとか、どうせロクでもないものに限っているから、表札なぞというものほど無役むえき有害なものはないのである。
 方角は駒子からきいてきたのだが、どうして、どうして、この土地の概念を持たないものが世間並に方角などきいてきたって役に立ちやしない。
「梶原さんてえのはどこだね」
 と、子供にきいても、大人にきいても、
「知らねえよ」だ。
 男のアンマと女のアンマの年寄夫婦に、若い車夫の夫婦がいるうちはどこだい、と、お龍がキテンをきかして質問の方法をかえてみると、さすがに分った。
 はじめは知らぬフリをして通り過ぎて中をチラとのぞいてみる。ありがたいことに、貧民窟は開けッ放しで、どこも中がまる見えだ。障子に紙などというものが張っておけるぐらいなら、誰が貧民窟に住むものか。一度二度通りすぎて確めてみると、男のアンマも、息子の車夫も、たしかに居ないようである。そして幼い子供たちがギャア/\泣いている。
 お龍がコンチハと訪うと、こういうまる見えの家でも見えないところがあるものだ。勝手口の方から、アイヨ、ダレ? と顔をだしたのは世帯やつれした女。よく見れば若々しいところもあるが、駒子と似たところがなく、利巧さが目に見える顔ではあるが、世帯の苦労で二十の年より八ツも十も老けて見える。どこに伏兵がいるか分らないから、
「この家ですかね。メクラの爺さんと、その息子がいるウチは?」
「ここだけど、男は二人とも出払ってるよ」
 それをきいてお龍は安心。声を落して、
「私はこんなナリをしているが、実はある人に頼まれてきたんです。むかし旗本の梶原正二郎という人にたのまれたのですが、誰にも知られぬように、あなたとお母さんにそこまでつきあってもらえませんか」
 女の顔には感動よりも訝しげな翳がさしたが、無言で物陰へ隠れたのは、そのちょッとばかりの陰にメクラの母がいたのである。二人はヒソヒソ相談していたが、近所の婆さんに後をたのんで、二人のあとをついてきたのである。二人は例の大木戸の家へ母と娘を案内してぬりつけた炭や泥を落して、着物をきかえて現れて、正二郎は名乗りをあげ、寛永寺へ立てこもってからの一部始終をこまかに物語ったのであった。
「昔のことは、みんな忘れた」
 こまごまと全ての話をきき終っても、お久美はまったく無感動であった。毛スジほどのなつかしさも浮かべず、折れた歯でもこぼすように呟いたのは、それだけだった。
「今連れ添う二人の男にはそれぞれ充分に報いをするし、裁判がきまったあとでは五人の子供もひきとって、生涯大事に育てるから、それまではむごいようだが二人の男には内密に、今から直ちにウチへ来てくれまいか」
「あんたは誰さ。昔のことは忘れたよ」
「お園の父の梶原正二郎だよ」
 お久美は返事をしなかった。さすがにお園はまだ若いし、母がイコジになるだけ、彼女は冷静に考えた。別に父はなつかしくなかった。自分でもフシギなぐらい父がなんでもなく見えるのである。しかし、血をわけた駒子、まだ別れて生々しい彼女と父と名のる男との意外な関係が妖しい血を顔にベットリ塗られたように薄気味わるく気にかかった。
「とにかく、駒ちゃんに会ってみましょうよ。ねえ、お母さん」
 無感動のお久美には否も応もなかった。そこで人力車をたのんでもらって正二郎の屋敷へついたが、誰知るまいと思いのほか、この車夫の一人はお園の亭主の八十吉とは車夫仲間、バクチ仲間。お園とは顔見知りの仲ではなかったが、お園とその母のメクラ按摩と杖代りの娘については街で見かけて見覚えている男であった。
 待っていた駒子は、母と姉を迎えて大よろこび。自分の部屋へ二人をともなって、くさぐさの話を物語る。駒子に一応まかせるのが何よりであるから、正二郎はわざとそれを見送って、自分は上京中の一力と、まずまず第一段は成功。お龍もよんで労をねぎらい、お龍のお酌で乾杯する。一力も話をきいて感無量。
「そういうものかねえ。しかし、昔のことは忘れた。あんたは誰だ、というお久美さんの心もしみじみ分る気がするなア。貧乏人は金持になりたがったり、あこがれているかも知れんが、自分がドン底へ落ちているのに、二十年前に生き別れて死んだと思った亭主が金持になって現れては、今の自分の境遇以外は忘れたかろう。金持の幽霊よりも、今の自分がなつかしかろうよ。本当に昔が忘れたいに相違ないなア」
「そうですかねえ。貧乏人のヒガミですよ」
「イヤ、イヤ。お龍さん。あこがれたものが呆気なく目の前に出てきてみると、人間は今の自分が大事なことが分るものだよ」
 一力の言葉に力なくうなだれて声もないのは正二郎であった。
 駒子の口から改めて正二郎と同じことをきかされると、お園にはそれが別の、なにか浄ルリをきくような切ない宿命を感じさせられたのであった。駒子は母と姉が殆ど気乗り薄にこの邸へ同行してきたことを知らなかった。彼女には、母と姉の言葉をききだそうとする余裕などはなかったのである。悲しく張りわたって、自然に曲をかなでる琴かのように、とめどなく、語らずにいられない駒子であった。
「姉さん。私はどうなるのでしょうね」
 駒子の口から思わずその言葉がもれた。妖しくハシャぎ語りつづける妹の様をジッと見ていたお園は、その言葉に胸を刃物で突かれたほど鋭い痛みを覚えた。自分も母もこの境遇には興味がないのだ。それを駒子は知らないのだ。そして母が父の本妻となり、自分が実子となったとき、義理の父のメカケたる自分の運命はどうなるのかと、小さい胸はただそれだけで一パイなのだ。妹が妖しくハシャイで語りつづけるワケは、ただそれだけなのである。
 可哀そうな子供よ。心配するんじゃないよ。この境遇を幸福と見て酔っているのはお前だけだ。私たちはお前の幸福を祈っても、それを乱しはしない。
 しかしお園の心にはムラムラと黒雲がわきたったのだ。この境遇が幸福でないとは、私はなんというウソつきだろう。駒子に代って、この家の相続者、全部の富をつぐ者は自分だけだ。それを、オメオメ妹にまかせて満足などとはウソのウソというものだ。彼女はいささか目のくらむ心持をおさえ、ホッとひと息、
「とにかくお米お源という人をこの屋敷から出さなければ、あんたも幸福にはなれないのだし、その二人を追んだすには、お母さんがここの本妻で私が実子にならなければ解決ができないのだものねえ。本当に、どうしたら三人のために良いのだろうねえ」
「私には、昔は、ないよ」
 お久美はそのとき、フッとまた、石のような重い呟きをもらした。
 そのとき、この邸へ酒気をおびて乗りこんできたのは八十吉であった。
「ヤイ、女房とオフクロをだせ」
 この報せをうけて、ナニ、オレが片づけてやるよと、軽く立上ったのは一力であった。こういうことなら、お手のものだ。八十吉を別室へよんで、いくらか握らせ、
「当家はむかしの旗本で、お久美さんの遠縁に当るもの、かねて行方をさがしていたのだ。お前らにも悪いようにははからわない。数日後には返しもしようし、そのとき、お前たちにも存分にお見舞いをだすから、今夜はひきとりなさい」
 荒海で、イノチをかけて生きてきた老勇士、静かな言葉にも、荒くれ男の胸にひびく真実がある。八十吉はペコリと頭を下げて、
「ヘエ。そうですかい。お話は分りましたが、念のため女房にだけ会わせて下さい」
「なるほど、それは尤もだ」
 そこでお園に言い含め遠縁の者だという程度に、深い話はせずに安心させて返してくれるようにと八十吉のもとへ差しむけると、お園は案外にも、みんな打ち開けて、
「お母さんはイヤだと云うが、ひとまずウンと云えば、私はここの相続者になるんだがねえ。しかし、それじゃア、駒ちゃんが気の毒。お母さんもウンといいそうな見込みがないが、そうなると、私も相続できないし、駒ちゃんも追んだされてお米お源にこの邸を乗っとられてしまうのさ。どっちみちお前さんにはイクラカになるのだから、どうでもいいだろうけれどもね」
「よかろう。話はわかった。どっちみち金になることなら、オレはなんでも辛抱だ。できるだけ余計の金になるように、一ツじッくり考えるかな。また来るぜ」
 話が分れば、面倒は云わない奴。アッサリと立ち返った。
 さて、その夜のことである。お米、お源、花亭の三名が、いずれへか行方知れず、掻き消えてしまったのである。
 三名の行方不明は当分外へはもれなかった。お久美という正真正銘の本妻と、お園という正真正銘の実子が現れたから、案に相違、長居をしても恥をかくばかりと夜逃げしてしまったのだろうと、みんな笑って、それ以上には考えなかった。
 これを疑ったのは八十吉である。お米お源が居なくなれば、強いてお久美を本妻にもどすには当らないから、充分の見舞金をつけてお久美お園を駿河橋へ帰してやった。なんしろ、鮫河橋では前代未聞の大金、人の噂が大変だ。それからそれへと尾ヒレがついて、世間一般の噂になり、警察の手がうごくことになったのである。

          ★

 警察が手をつけた時は、その日から三ヶ月の余もすぎていた。三名の姿が消え失せた時、その部屋がどんな風になっていたやら、その記憶もマチマチで、てんで、よりどころというものがない。たよりに思うのは、この屋敷の味方でもないらしいお久美、お園、八十吉という鮫河橋三人組だが、これはお客様、むしろ風来坊的存在で、その現場などにはタッチしていないから、どうにもならない。そこで新十郎の出馬を乞うことになった。新十郎とても、現場の様子が皆目手がかりがなくては、どうすることもできない。一応その部屋部屋をしらべ、当夜の状況をきいてみたが、これも要領を得ないのである。新十郎が煮えきらぬ顔、まるで投げたように気乗薄であるから、虎之介は、ここはこの先生の心眼あるのみ、と、氷川の海舟邸に参上、逐一事の次第を物語って解決を乞うた。
「お米お源花亭の三名は塩竈に立ち返っちゃアいないのかえ」
「ハ。それはもう立ち返ってはおりません。松川花亭は生国不明でありますが、旅絵師の花亭に二人の女をひきとるような家があろうとは思われませんな」
「三名の者は殺されているな。犯人は梶原正二郎よ。お久美が元のサヤにおさまろうてえ気持がないから、駒子と添いとげるには、三名の者を殺す一手あるのみ。これほど明白な事実はあるまい。近所の土を掘ってみな。どこかから死体が現れてくらアな」
 甚だカンタン明快であった。虎之介はさもあるべしと打ちうなずき、新十郎のもとへ馳せつけて、
「相変らず浮かない顔だね。昔話に、ここ掘れワンワンという話があるが、気がつきそうなものじゃないかね。お久美が元のサヤにおさまらないから、駒子と添いとげるには三名を殺す一手。犯人は梶原正二郎。アッハッハ。明々白々。近所の土を掘ってごらんな。三人の死体がでらア」
 新十郎はクスリと笑って、
「人間は誰でも人殺しぐらいはやりかねませんが、生理的にやや縁遠い人物はいるものですよ。梶原さんは生来の小心臆病者、力にも自信がなく、生理的にとても人殺しのできない人ですよ。時にカッとして女の一人ぐらいは締め殺しても、その次の部屋でまた一人殺し、その次の部屋でまた一人殺すという勇気は持続しませんよ。こう苦労して人を殺すぐらいなら、いっそ自分が死にたいと、二人目ぐらいに気を失いかけてフラフラ逃げだすような人ですよ」
 しかし新十郎はこの事件を忘れていたわけではなかったのである。
 彼はある日、だしぬけに松島物産の事務所を訪れ、帳簿の提出をもとめて、数日がかりでシサイに調べた。
 それから一ヶ月ほど経て、兵頭一力が上京したときに、彼は時計館の別館にただひとり一力を訪ねた。人払いをもとめて、静かに対坐し、
「私は警官ではないのです。別に犯人をあげたいとは思いませんが、私の性分として、犯人を知らなければならないのです」
 彼はニコニコ一力に笑みかけながら、
「三名の者が失踪した二日目に、入荷した品物がありましたね。それを船で塩竈へ運ぶための」
 一力はニコニコと、
「そう、そう、ランプ用の石油カン。それをおききになりたいのでしょうな」
「たしか二十本でしたな」
「その通りです」
 新十郎はクスリと笑って、
「それが来たときは、二十本の石油カンですが、翌日は十七本の石油カンと、三本はほかの物がつまっていましたね」
「いえ。やっぱり石油です。だが、石油のほかの物も一しょにつまったというのが正しいのですよ」
 一力は巻タバコをふかして、静かに新十郎の顔を見つめた。
「石油カンにつめられるまで、三人の死体は別に誰に隠しもせず、そこの戸棚へつめてカギをかけておいただけです」
 一力は広間の戸棚を指して、ニコリともせず、言った。
「そうする以外に手がなかったのです。あの男は、自分の欲するように身の出来事を処理する決断がない人なのです。半生めぐまれたことのないあの男に、はじめて訪れた幸福でしたよ。老先みじかい私が、あの男のたった一度の幸福のためにいくらか手荒なことをしてやった友情を分っていただけば満足です。私は、この世に思い残すことはありません。あなたが、社の帳簿を調べなさったという話をうかがって、さすがに天下名題の名探偵、よくぞ見破られたと、敬服いたしておりました。本日の御訪問はかねて覚悟していたのですよ」
 新十郎は、ニッコリ笑って、
「三本の石油カンはどうなりましたか」
「オモリをつけて海底へ沈めましたよ。銚子沖三十海里。再び浮き上がることはありません。しかし私の負けでした」
 一力がこう云ってアッサリ立ち上る前に、新十郎がアッサリと帽子をつかんで立上った。
「三人は海の底へ失踪したようですな。銚子沖三十海里に安住の地を見つけだしているそうです」
 こう云うと、呆気にとられている一力を残して、新十郎はスタスタ立去ってしまった。

底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
   1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第五巻第八号」
   1951(昭和26)年6月1日発行
初出:「小説新潮 第五巻第八号」
   1951(昭和26)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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