奈良坂やさゆり姫百合にりん咲き
             ――常磐津ときわず両面月姿絵ふたおもてつきのすがたえ

     一

 港の街とは申しますものの、あの辺りは、昔から代々うち続いた旧家きゅうかが軒をならべた、静かな一角でございまして、ご商売屋さんと申しますれば、三河屋みかわやさんとか、駒屋こまやさん、さては、井筒屋いづつやさんというような、表看板はごく、ひっそりと、格子戸の奥で商売あきないをされている様なお宅ばかり――それも、ご商売と申すのは、看板だけ、多くは、家代々からうけついだ、財産や家宅をもって、のんびりと気楽にお暮しになっている方々が住んでいられる一角でございました。私の家は、そうした町のかたすみにございまして、別に、これと申すほどの資産もございませんでしたが、それにしても、住んでいる家だけは自分のもの――と、こういった気持ちが、いくらか、私たち母娘おやこの生活を気安くさせていたのでございましょう。

 母は小唄と踊りの師匠でございました。しかし、ただ今で申す、新しい唄とか、踊とかの類ではなく、昔のままの、古い三味線唄、いわば、春雨はるさめ御所車ごしょぐるま、さては、かっぽれ、と申しますような唄や、そうしたものの踊りの師匠だったのでございます。母は別に、私を師匠にして、自分のあとをつがせる、という様な考えをもっていた訳でもございますまいが、子の私は、見まね、聞きおぼえで、四つの年には、もう、春雨なんかを踊っていたそうでございます。そのころから、ずっと、母の手すきには、何かと教わっていたのでございますが、私が母の替りにお弟子さんを取るようになりましたのは、丁度、私が十七の春、とても、気候の不順な年でございましたが、ふとした事から、母が二、三ヶ月ふせった事が、きっかけになったのでございます。それからは母がよくなりましても、お子供衆のお稽古は私がいたしていたのでございます。その内に、何時いつの間にか、母親は楽隠居、そして、私が全部お稽古をいたす様になったのでございました。しかし、何分にも、お稽古人はほとんど全部がお子供衆、月々の収入はたいした事もございませんでしたが、それにいたしましてもお子供がたのお稽古人は、いつも十四、五人もございましたので、私たち親娘は、ごく気楽に暮していたのでございます。

 丁度、私がお稽古をする様になりましてから、半年あまりも経った頃でございましたでしょうか、私は、あの恐怖にも似た気もちを、今だに、忘れることが出来ないのでございます。それは、お稽古やすみの、ある霧の深い午後でございました。その二、三日も前から、お天気は、毎日のようにどんよりと曇って、低くたれ下った陰鬱な空が、私たちの頭を狂わさずにはおかない、というほどに、いつまでも、何時までも、じっと、気味悪く、地上のすべてをおおいかぶせていたのでございました。ところが、その日の、お昼すぎからは、思いもかけぬ濃霧が、この港の街を襲うて参ったのでございました。まだ、日は高いのでございますが、重くるしく、ずっしりと、空いっぱいに、たれこめた鼠色ねずみいろの雲の堆積から、さながら、にじみ出るかのように、濃い、乳色の気体きたいが立ちならんだ人家の上を、通りの中を、徐々に、流れはじめたのでございました。私は、その頃、少しばかり買物がございましたので、さんみやの『でぱあと』まで出むいていたのでございます。買物と申しましても、別に、あの辺りまでわざわざ行かねばならぬ訳もなかったのでございますが、今になって考えますれば、たとえ、何の理由がなくとも、あの日、ああした場所まで、出かけるように、前の世から定められていたのでもございましょうか。……私は、『でぱあと』で、新柄の京染や、帯地の陳列を見せて頂き、かえりには、お母さんのお好きな金つばでも買ってあげましょう――と、かように考えまして、参ったので、ございました。

 あのような日和ひよりでございましたので、さすがに、繁華街にある、『でぱあと』の中も、人はまばらでございました。私は、まず、八階まで昇り、京染と帯地の陳列を見せて頂き、それから、七階、六階と歩いては、階段から降りて行ったのでございます。階段に面した側は、丁度、山手とは反対になりまして、天井から、足もとまでがずっと、がらすの窓になり、そこを透して、ほど遠からぬ港の船のいくつかが、段階子だんばしごを降りて行く目の前に、おぼろげながら浮んでくるのでございます。窓の向うには、なおも、魔物のような濃霧が、濛々もうもうと、何かしら不可思議なものとともに、流れて行くようでございます。漠然ばくぜんとした不気味ぶきみさに小さなふるえを感じながら、私は階段を静かに降りていたのでございました。と、七階から六階へ通じるところでございましたか、誰も人影はございません。階段の半分を降りきった、折り返しのところで、突然、下から、音もなく昇って来られた方と、危うく衝突する様になって、立ちどまったのでございます。そして、ふと、対手あいての方を見上げたのでございますが、その瞬間、われにもあらず、あっと、口の中で叫んだのでございました。それと、申しますのも対手は誰でもございません。私――ええ、間違いなく、私ではございませんか……。

 かようなことを申しますと、何を阿房あほうなことを、どうして、お前の他に、お前さんがありましょう。それは、他人のそら似というもの――と、お笑いになるかも存じません。それは、世間には、よく似た方がございましょう――私によく似たお方も、また、私が似ている方もおありになるでございましょう。しかし、似たと言うのは、あの場合、決して、正しい言葉ではございません。まさしく私があしたゆうべに、鏡の中で見なれている、私自身に、相違ないではございませんか。私は、その瞬間、ぞっとして、背筋を冷たいものが走った様に感じたのでございます――おこり発作ほっさにでもとらわれたようなふるえを感じて参りました。私でない私、そうしたもので、どうして、目に見えたのでございましょう。窓の向うには、『おりえんたる・ほてる』でございますか、巨大な、白亜の建物が、霧の海を背景に、朧げに浮んでおります。魔物のような濃霧は、窓がらすの上を這うように流れております。何か不思議なものが、いまさらのように、その中に見えるようでございます。そうした神秘的な、不気味な霧が、私の頭をかき乱していたのでもございましょうか。漠とした、しかし、たえ難いまでの恐怖におののき、はげしく鼓動する胸を抱きながら、大きく目を見張っている私を振りむきもせず、その第二の私は、階段を音もなく昇り、かき消すように、姿を消してしまったのでございます。

     二

 恐怖にうちのめされ、慄然りつぜんたる悪寒おかんに身体を震わせながら、それからの四、五日間を、私は、自分の前に現われた自分の姿のことばかし考えながら、過ごしたのでございました。ご存じでもございましょう、常磐津の浄瑠璃じょうるりに、両面月姿絵ふたおもてつきのすがたえ、俗に葱売ねぎうりという、名高い曲でごさいまして、その中に、おくみという女が二人現れ、
※(歌記号、1-3-28)もし、お前の名は何と申しますえ
 ※(歌記号、1-3-28)あい、私ゃ、くみというわいな
※(歌記号、1-3-28)して、お前の名は
 ※(歌記号、1-3-28)あい、わたしゃくみと言うわいな
※(歌記号、1-3-28)ほんにまあ、こちらにもおくみさん。こちらにもおくみさん。こりゃまあ、どうじゃ。
 と、驚くところがございます。この一人は、実在の人物、そしていま一人の方は、悪霊あくりょうなのでございます。これと、同じ様に、私が見ました自分の姿も、怨霊おんりょうではありはすまいか――私は、かようなことをも考えながら、おののいていたのでございます。それと申しますのも、私たちの土地では、昔からのいい伝えがございまして、自分の姿が見えると、それは、近いうちに死ぬるしらせであるというのでございます。私は、こうした、いい伝えが、私の場合には、言葉の通りに、実現される様な気がいたしまして、何とも言いようのない恐怖に似たものを感じつづけていたのでございます。そうした訳で、お稽古は少しも手につきません、お弟子さん方のお稽古はお母さんに、お頼みいたしまして、私は気分が悪うございますのでとかように申し、四、五日も、床についていたのでございます。
 しかし、五日と経ち、十日と暮しておりますうちに、こうした事も、つい忘れてしまいまして、二週間余りの後には、悪夢から覚めきったように、私の頭からは、もう、すっかり、あの、私の影も姿も消えさってしまったのでございました。時として、あの不気味な瞬間を思い出す事がございましても、
(あの時は、お天気の加減で、頭が変になっていたのではないのかしら)
 なぞと、考える様になっていたのでございます。しかし、そうは申しますものの、次の瞬間には、
(いや、確かに……)
 と、こう思いまして、さて、われと自分の頭を、大きく振り、
(思うまい、思うまい、早く忘れてしまいましょう)
 と、独白ひとりごとしていたのでございます。

 昔から、よく、一度あることは二度あるとか申しますが、私の場合では、一度ならず、二度三度と、思いもかけぬ出来ごとがつづいていたのでございました。
 この第二の出来ごとと申しますのは、お部屋をお掃除いたしておりますとき、片隅から、小さな石のはいった指差が出て来たことでございました。いつの頃から、そうしたところに、ころがり込んでいましたものやら、見ると、私のものではございません。もしかすると、お母さんがもっていられるものでもあろう、と、かように考えまして、おたずねいたしましたが、そうでもございません。
「お子供衆のうちの、どなたかが落されたのではないのかい」
 お母さんは、こんなにも申されましたが、そのお部屋は、私の居間でございますので、そうしたところまで、お弟子さんがはいって来られる筈もございません。それに、見た目にも、お子供衆のお持ちになるものでもございません。私は不思議なことがあるもの、とは考えましたものの、まさか、家の中にあったものを、警察へおとどけするのも、どうかと存じましたし、それに、あれほども高価なものとはゆめにも考えませんでしたので、箪笥たんすの小引出しに、入れたまま、忘れるともなく、忘れていたのでございました。

 こうした出来ごとがございましてから、二、三日も過ぎた頃でございましたか、何も、これほどのことを、出来ごとなぞと申すのも変でございますが、新しい、お弟子いりがあったのでございます。これが、いつもの様に、お子供衆でございましたら、別に、変わったことではないのでございますが、何分にも、相手がお年をめされた方それも、大家の御隠居さまとも、お見うけするような御仁ごじんでございましたので、私たちにいたしますれば、まさしく、一つの事件には相違なかったのでございます。

 それは、二、三日もの間、降りつづいた、梅雨つゆのように、うっとうしい雨が、からりと晴れて、身も心も晴々とするような午後のことでございました。お稽古も、一と通りすみまして、ほっと、大きな息をしたところでございました。
「ごめんくださいませ」
 と、いう丁重ていちょうに訪れて来られた方がございました。年の頃は五二、三、着物の好みは、あくまで、渋い、おかしがたい気品あるうちにも、何かしら昔を思わせる色と香のまだ消えやらぬ、どこか大家の御隠居さま、と感じられるお方でございました。
「御都合がおよろしい様でございましたら、しばらく、お稽古して頂きたいと存じますが」
 と、かように申されたのでございます。私にいたしましては、もとより、異存いぞんのある筈はございません。
「お稽古と申しましても、ほんの、お子供衆のお手ほどき、それでもおよろしい様でございますれば」
 と、お受けしたのでございました。私は最初の内、そうした身分の方でございますれば、わざわざ私たちの様なところへお越しになるのも、不審といえば、不審なこと、何故にまた、お宅へ名ある師匠をお呼びよせにはならないのであろう、と考えたのでございました。しかし、段々と、お話をうけたまわっていますと、それにも道理のあること、と合点がてんしたのでございます。この方は、私が最初に推量いたしましたように、名ある資産家の御隠居さまでございました。お宅は芦屋あしやの浜にございましたが、お若い時からの、ご陽気すぎ、それも、奥様、ご寮人りょうにんさまで、下男、下女にかしずかれていられる間は、下の者の手前、こうしたお稽古ごとなぞ思いもよらぬことでございましたもの、御隠居さまで、御自由なお身体になられますと、時間の御都合もでき、せめてもの楽しみに、と、お買物の風を装われては、街までお出ましになり、それも、名のある師匠ではお知合いのお方にお会いになるけねんもございますこととて、わざと、ああした旧家町。私たちの様な、お稽古所へ尋ねて来られたのでございました。ところが、
「では、そちらさまのご都合が、およろしいようでもございましたら、お稽古は今日からでもいたしましょう」
 と、申しまして、
「唄をなさいますか、それとも、踊りのお稽古でございましょうか」
 と、お伺いいたしますと、
「唄を、どうぞ」
 と申されたのでございます。お年寄り衆でございますれば、大抵たいていは踊りか、さもなくば、三味線のお稽古をなさるものでございますので、こうしたお言葉に、私は、少し意外に感じたのでございました。それで、
「唄でございますね」
 と、念を押し、
「何か、ご注文でも……」
 と、重ねて、おたずねしたのでございました。すると、
「それでは、春雨と、梅にも春を、お歌いいたしたいと存じますが最初は春雨を、お稽古して頂きます様に……」
 と申されました。私は、糸の調子を下げまして、
「では、お稽古いたしましょう」
 と、三味線を取り上げ、
 ※(歌記号、1-3-28)春雨に、しっぽり濡れる、うぐいすの……。
 と、うたい始めたのでございました。が、お稽古にかかりますとすぐに、
「もう、今日はこれで結構でございます」
 と、頭をお下げになったのでございます。私は、初めのうちで遠慮なされている事と存じまして、
「どうか、ご遠慮なく、ごゆるりと、お稽古なさいます様に……」
 と、申しましたが、
「いいえ、今日はこれで結構でございます。別に、急ぐお稽古でもございませんし、ぜひ憶えねばならぬ訳でもございません、これから、遊び半分に、ゆっくりと、お稽古させて頂きたいと存じます」
 と、かように申されたのでございました。そして言葉を改め、
「これは、ほんの少しでございますが、おひざ付きに、そして、これは御連中さまへのお近づきの印に、皆様で一杯お上がり下さいます様に……」
 と、紙の包みを二つ出されたのでございました。私は、おひざ付き、と申された紙包みは、有難く頂いたのでございますが、も一つの方は、
「連中さんと申しましても、実は、お子供衆ばかりでございますから、皆様に一杯さし上げる訳にも参りませぬ」
 と微笑みながら、ご辞退いたしますと、この方も、お上品に、お笑いになりまして、
「なる程、お子供衆でございましたら、ごしゅを上がって頂く訳にも参りますまい。では、何か、お菓子でも買って、おあげ下さいませ」
 と、仰有おっしゃったのでございました。

     三

 この方が、お稽古に来られる様になりましてから、二週間目のことでございました。もう、その頃は、春雨と、御所車を上がっていられたのでございますが、
「実は、近い内に、どこかの温泉へ、保養がてら、一、二週間ほど行きたいと思っているのでございますが、どうも、一人で行くのは話し相手がなく、淋しいもので……」
 と、こう、仰有るのでございます。そして、
「……し、お師匠さまのご都合がおよろしい様でございましたらお供をさせて頂きたいと存じます」
 と、こんなに、申されたのでございました。――師匠をいたしておりますと、こうしたお誘いをよく受けるのでございます。どなた様も、きまった様に、
(師匠のお供……)
 とは申されますものの、当然、こちらの方が、おともでございまして、お風呂からお上りになりますと、紺の香も新しい、仕立おろしの宿の浴衣ゆかたに着かえまして、さて、
「お師匠さま、こうしていましてもご退屈でございますから、時間つぶしに、何か一つおさらいして頂きましょうかしら」
 と、いわれるのでございます。すると、
「ほんに、そういたしましょう」
 と、三味線を宿のお女中さんに、おかりいたしまして、お稽古人の機嫌を取りながら、お稽古するのでございます。こうした事は、分限者ぶんげんしゃ御新造ごしんぞうさんで隠居さまがたを、お稽古人にもっていられる長唄や清元のお師匠がたには、ありがちの事ではございますもののわたくし風情ふぜいの、小唄の師匠にとっては、ほんに、めずらしいことでございました。丁度、それからの、一、二週間は、お稽古は休みでございましたし、母もすすめて呉れましたので、私は、このご親切な申出を、お受けいたしたのでございます。ところが、そうときまりますと、私への御祝儀ごしゅうぎとしてでございましょうか、美しい島原模様に染め上げた、絞縮緬しぼりちりめんの振袖と、絵羽えば模様の長襦袢、それに、絞塩瀬しぼりしおせの丸帯から、帯じめ、草履にいたるまで、すっかり揃えて下さったのでございました。――かように申しますれば、どれほど私が喜んで御隠居さまの、お供をいたしましたことか、お分りでございましょう。

 旅だちの日が参りますと、私は、頭の先から足の先まで、御隠居さまから贈っていただいた品物で装いまして、家を出たのでございます。ところが、御隠居さまは、家を離れるとすぐに、こんな事を申されたのでございます。
「旅をいたしている間、私がお師匠、とお呼びするのも、何んだか人の気を引き易くて、変でございますし、私も、御隠居さまと呼ばれますと、何だか改まりまして、保養をする気がいたしませぬ。でこういたしましょう。私は、あなたを、娘か何かの様に、お千代と呼ぶことにいたしましょう。師匠は、私を――お母さん、では、余り芝居がかる様でございますから、伯母さんと言って下さいませ。これでは不自然でなく、いいでございましょう」
 と、かように申されたのでございます。汽船は、新しい『別府丸べっぷまる』でございました。中桟橋なかさんばしに着きますと、船は、もう横づけになっております。切符の用意はしてございましたので、私達はすぐ船に乗ったのでございます。ところが、船の入口で、御隠居さまは、お知り合いの方にお逢いになったのでございました。背広服を着た、いかめしい、お方で御座いました。御隠居さまは、丁寧に御挨拶をなさいました。私も、軽く会釈をいたしましたが、お話の邪魔をするのは失礼と存じまして、少し離れて立っておりました。男の方のお声は少しも聞きとれませんでしたが、御隠居さまの、
「……しばらく、別府で保養をいたしたいと存じます。千代もつれまして」
 と、言っていられるのが、かすかに、聞きとれたのでございました。私は、その方の事は、何もおたずねいたしませんでした。勿論もちろん、そうした事は失礼と、存じていたからでございます。しかし、
「千代を連れまして」
 と言われた言葉が気になりましたので、それとなく、お聞きいたしますと、御隠居は、笑いながら、
「いいえ、違いますよ、お師匠のお話をいたしまして、千代と思って、お連れ申して行く、とお話いたしていたのでございます。実はあれは、親戚にあたる者でございまして、私の姪に、師匠ほどな手頃の、千代という娘のあった事を知っているのでございます」
 と、こう申されたのでございました。それから、幾度いくたびも、あの千代が生きていましたら、ほんとに師匠ほどでございます。そういたしましたら、私も生き甲斐がいがあるのでございますが、三年前に死にましてからは、ほんとに、世を味気あじきなく暮して参りました。しかし師匠にお稽古して頂く様になりましてからは、すっかり、この世が明るくなった様に感じまして、自分ながらに、大変、喜んでおります。と、こんなことを申されたのでございます。

 温泉宿の生活と申しますれば、どこでも、そうでございましょうが私たちも、ただ、御飯をいただいて、お湯に入ることだけが、一日の仕事でございました。もっとも、日の光が、お部屋いっぱいに差しこむ、うららかな朝、かおりの高い、いで湯に、ほてった身体を宿のお部屋着につつんで、ほっとしています時など、伯母さまは、よく、
「では、千代ちゃん。何か、おさらいして頂きましょう」
 と、いつも、きまったように、春雨か、または御所車を弾きまして、御隠居さまは、小さな声でおうたいになりながら、
「ねえ、千代ちゃん、あなたに教わって、すっかり上手になったでございましょう」
 と、静かに、お笑いになるのでございました。

 御隠居さまは、いつも私を、千代ちゃん、千代ちゃんと、それはそれは、親身の伯母であっても、こうまではいって下さるまい、してくださるまい、と思うほど、私を大切にして下さいました。私も心から伯母さまと呼びまして、部屋の女中までが、
「ほんに、おむつまじいことで、お羨ましく存じます」
 と、一度ならず、二度までも、私達を前にして、さも、うらやましげに、申した程でございました。

     四

 私たちのお部屋は、静かな離れ座敷でございまして、三方には中庭を控え、夜なぞ、本館の方から洩れてくる部屋部屋の火影ほかげが、植込の間にちらちらと見えるかと思えば、庭の木立の上からは、まっ白いお月さまが、そっと、のぞき込むのでございました。――のぞきこむ、と申しますれば、私たちのお部屋は、いま申しましたように、ほとんど中庭にあるのでございますから、お部屋の障子しょうじを明けておりますれば、時折、お庭掃除の男衆が、ほうきや熊手などを手に、そっと頭を下げて通りすぎるようなことは、別に不思議でもないのでございますが、そうした下男のお一人に、いかにも、何か目的あるかのように、そっと、お部屋をのぞいては通りすぎるお方があったのでございます。顔をなるべく、見せないようにしていられますものの、どこかでお目にかかったような気がいたしまして仕方なかったのでございました。
「たしかに、どこかでお目にかかった方」
 私は、かように、考えつづけて、おりましたが、ふと、思い出すと、
「おお、そう」
 と、御隠居さまの方に向き直り、声を低めて、
「伯母さま。今、通って行きました、男衆に、お気づきになりましたか、あの人は、私たちが、出帆しゅっぱんいたします時、伯母さまと話していられた、ご親類の方に、そっくりでございます」
 と、こんなに申しまして、口の中で、いくら似ているとは言え、あれほど、似ている方があろうことか、と独白いたしました。が、それと同時に、長い間、すっかり忘れておりました、あの私自身の姿を思い出しまして、思わず、ぞっとしたのでございました。御隠居は、
「そうでございますか、そんなに、あの親類の人に似ていましたか」
 と、小さな声で申されまして、何か意味ありげに、微笑ほほえまれたのでございました。

 単調な、温泉宿の日々ではございますものの、時のたつのは早いものでございまして、私たちが、この温泉町へ参りましてから、はや、二週間の日が過ぎたのでございます。あすは、いよいよ、かえりましょう、と、御隠居さまが申された、その夜のことで、ございます。
「あす、お土産を買うといっておりましても、何やかやと慌ただしいでしょうから、今夜のうちに、何か買っておかれましたらいいでございましょう。私が行ってもよろしいけれど、少し頭痛がするようでございますから、宿のお女中さんをお連れに、何か買っていらっしゃいませ、お勘定は、宿の方へとりに来るように申されるとよろしいでございましょう」
 御隠居さまは、かように申されたのでございました。
「では、やっていただきましょう」
 私は、かように答えまして、身じたくを、ととのえたのでございます。買いものと申しましても、温泉町のことでございますから、宿の部屋着のままで、およろしいではございませんか、と、宿のお女中も申したのでございますが、それにいたしましても、若い娘の身で、そうしたことは、あまりにも、はしたないと考えまして、旅だちの前に御隠居さまに買っていただきました、島原模様の振袖に絵羽模様の長襦袢、それに、塩瀬の丸帯まで、すっかり、来たときそのままの身仕度をととのえまして、
「では、伯母さま、ちょっと行かせていただきます」
 と、ご挨拶いたし、お部屋を出たのでございます。ところが、私といたしましたことが、宿を出て、道の一、二丁も参りましたとき、思いついたのでございますが、御隠居さまの御用をうけたまわって来ることを、失念いたしていたのでございます。
(これは、大変なことを、御隠居さまとても、お土産を買っておかえりにならねばなるまいに、自分のことだけを考えて、御隠居さまのご用事を、つい忘れてしまいました)
 私は、こんなに自分で申しながら、そして、われと我が粗忽そこつさに、思わず、顔を赤らめながら、宿のお女中には、表で待っていただき、お部屋にとってかえしたのでございます。しかし、表玄関から、廊下をつたって行きましては、時間もかかりますこととて、お庭づたいに、離れのお部屋へ急いだのでございます。ところが、いつもは、障子も開けたままでいられる御隠居さまが、ぴったりと、障子をたて切り、電灯も消されまして、薄明るい、まくら雪洞ぼんぼりにしつらえました、小さなあかりをつけていられるのみでございます。私は、飛び石をつたいながら、はて、不思議なこと、と思わず、立ちどまったことでございました。中には、たしかに御隠居さまがいられます。しかし、障子にうっすらと、さした影から考えますと、おひとりではございませぬ。誰か、も一人の方と、向い合って、じっと、していられるご様子でございます。私は、あまりにも、そのご様子に、常ならぬものを感じたのでございました。はしたないとも、無作法とも、そうしたことを考える余裕もございませぬ。音をたてぬよう、静かに、縁側に上がって、障子を細目にひらき、そっと中をのぞいたのでございます。と、雪洞のうす明るい、真白い光にてらされて、御隠居さまの、無言で、じっと、坐っていられる姿が見えたのでございます。前には、どなたが、……こう考えまして、ひとみをこらしました時、私は、われにもあらず、
「あっ……」
 と、声を上げたのでごさいます。私の目にうつりました人影、それこそ、誰の姿でもございません。私ではございませんか。――まくら雪洞の、蒼白い、にぶい光の中に、じっと坐ったまま消えいりそうな女の姿、顔から、あたま、着ている着物、島原模様に染め上げた、絞縮緬の振袖と、白く細い手くびに見える絵羽模様の長襦袢それに、絞塩瀬の丸帯から、大きく結んだしごきまで、何からなにまで、わたくしに相違はございません。御隠居さまは、それが、ほんとの私とお考えになって話していられたのでございましょう。背を、つめたいものがさっと流れました。身体が、がたがたと、ふるえて参りまして、後から、大きな、まっくろな手が、私に襲いかかったように感じました。と、そのまま、私は、深い、ふかい谷底へ気がとおくなってしまったのでございました。
     ×
 あれから、もう、まる一年、分限者ぶんげんしゃの御隠居さまとは、表かんばん、よからぬ生業なりわいで、その日その日をお暮しになっていたとは言いながらも、私には親身のように、おつくし下さった御隠居さま、それに、あの、私と生き写しのお千代さま、いま頃は、どこでどうしていられますことやら。今にして思いますれば、お千代さまと『でぱあと』でお逢いいたしました時――もうあの時分、あの方々は、私のことをご存じであったのでございましょう。――さては、話に聞いていたのは、この娘さんのことでもあろうか、真実ほんとうにわたしによく似た方もあるもの、この人なれば、仲間うちのものが、下町風に身を※(「にんべん+峭のつくり」、第4水準2-1-52)やつした自分とも思い違えて、こちらの袖に物をかくすほどのことは無理からぬこと、さぞや、おかえりになって、立派な指差がころげ落ち、驚かれたことでもあろう。こんなことをも、お考えになったでございましょう。それと同時に、あのような――私をご自分の傀儡かいらいにして、御隠居さまともどもに港の街をはなれさせ、お上の注意をそちらへむけた内に大きなお仕事をなさる計画も、おたてになったのでございましょう。御隠居さまや、お千代さまがお考えになりましたように、お上の方は、御隠居さまにつれられた私を、ほんもののお千代さまとお考えになったのでございましょう。それがために、わざわざあの遠い湯の町まで、後を追ってお越しになり、私たちの様子を見まもっていられたのです。しかし、これはお二人さまの予期されていましたこと、それでこそ、必要な場合には――犯罪の行われました当時、千代とわたくしは、あの湯の町にいたのに相違ございません、私たちを監視なされていたお役人さまがご証明くださるでございましょう――と、いったことがいい得る訳でございました。
 お千代さまのお仕事が、難なく運んでおりますれば、ああした手違いも起こらなかったでございましょう。が、もくろんだお仕事に失敗なされましたことと、その報告のため、私たちの宿に姿をお見せになったことが、すべてに破綻はたんをきたしたのでございましょう。よい頃を見はからって、私とお千代さまを入れかえるために、二組をおつくりになり、その一つをわたくしに下さった、あの立派な衣裳も、結果は、ただ、私を驚かせるに役立つにすぎないのでございます――わたくしの、夜の静寂しじまを破った叫び声、それが、すべての終りであったのでございました。かけつけられた、お上の方――あの、お庭そうじの男衆に姿をやつしていられました警察の方も、初めのうちは、さぞ、
※(歌記号、1-3-28)こちらにもおくみさん。こちらにもお組さん。こりゃまあ、どうじゃ。
 という唄の文句にございますように、仰天なさったことでございましょう。それにいたしましても、時おり、三味線とり上げ、常磐津『両面月姿絵』なぞ、おさらいいたしますとき、
 ※(歌記号、1-3-28)奈良坂やさゆり姫百合にりん咲き
 と、思わず唄いすぎましては――もし、わたくしを、このさゆりにでもたとえていただけば、あの姫百合にも見まほしい、いま一人の私、お千代さまは、いまは、どうしていられることやら、と、かようなことを、つい思い浮べては、三味ひく手をしばし止め、あらぬ方をじっとみつめるのでございます。
(一九三六年十二月号)

底本:「「ぷろふいる」傑作選 幻の探偵雑誌1」ミステリー文学資料館・編、光文社文庫、光文社
   2000(平成12)年3月20日初版1刷発行
初出:「ぷろふいる」
   1936(昭和11)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年2月21日作成
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