あらすじ
「純真」という言葉は、一体何を意味するのでしょうか。子供たちの無邪気さ、それとも大人の偽善に隠された欲望でしょうか。太宰治は、この曖昧な言葉に鋭い視線を向け、人間の心の奥底にあるものを抉り出します。子供時代の苦しみや、冷酷な現実の中で育まれた感情。それは尊い「純真」なのか、それとも残酷な「悪」なのか。この短編は、あなた自身の「純真」に対する疑問を呼び覚ますでしょう。日本には「誠」といふ倫理はあつても、「純真」なんて概念は無かつた。人が「純真」と銘打つてゐるものの姿を見ると、たいてい演技だ。演技でなければ、阿呆である。家の娘は四歳であるが、ことしの八月に生れた赤子の頭をコツンと殴つたりしてゐる。こんな「純真」のどこが尊いのか。感覚だけの人間は、悪鬼に似てゐる。どうしても倫理の訓練は必要である。
子供から冷い母だと言はれてゐるその母を見ると、たいていそれはいいお母さんだ。子供の頃に苦労して、それがその人のために悪い結果になつたといふ例は聞かない。人間は、子供の時から、どうしたつて悲しい思ひをしなければならぬものだ。
了
底本:「太宰治全集 10」筑摩書房
1990(平成2)年12月25日初版第1刷発行
初出:「東京新聞 第743号」
1944(昭和19)年10月16日
入力:砂場清隆
校正:林 幸雄
2002年12月3日作成
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