窓

 私たちの部屋には、四角な枠に仕切られた二枚の淡色街上風景が、まるで美術館の絵のようにならんで壁にひらいている。くる日も来る日も鉛いろの雨に降りこめられている私達に、かろうじて外部の世界との交渉が許されるのは、いま言ったふたつの窓硝子ガラスをとおして町に移る陰影のうごきを眺める場合だけだ。窓は家の眼だという。が、この窓はただちに私たちの眼でもあった。私と彼女は、ひとりずつその穴ぐらみたいな薄暗い部屋の窓のまえに立ちつくして、解くまでごくやを出られない与えられた問題かなんぞのように、朝から晩まで狭い往来を見つめていることが多かった。
 窓から覗く空は、円をえがくかわりに平面な一枚の雲の板だ。それが、遠雷のようなロンドンのどよめきを反響して、ぜんたいが遅々とそして凝然と押し流れてゆく。早く言えば、空というひとつの高いはっきりした存在があるのではなく、ろんどんの呑吐どんとする煙が厚い層をなして、天と地を貫いて立っているにすぎなかった。その低空にがあっと音がする。があっと音のするような感じでまたたく間に空がくもるのだ。そうすると向側の家を撫でていた薄陽うすびがふっと影って、白い歩道の石に小さな黒点がまばらに散らばり出す。きょうも雨だ。
 雨・雨・雨――五月の雨。
 煤煙と人いきれと音響を溶かして降る倫敦ロンドンの雨。
 なんというものとにい、何という呪われた憂鬱であろう!
 窓枠のなかの風景画にも雨がけむる。
 昼は、石と鉄と石炭の巨大な立体の底に銀色のしぶきをあげて、庭木をとおして見える家々の角度が水気にぼやけ、黒く濡れて光る道に、走りすぎる自動車のかげがくっきり映っている。空気のかわりに蒼然たる水滴が濃く宙を占めて、まるで液体のなかに棲息しているような気がするのだ。私たちの愛玩する窓の二枚の絵は、ゆがんだ建物といささかのみどりと炭油タアルで固めた路との散文的な風物に過ぎなかったが、画面をう日脚と光線のあやとが、そのときどきの添景人物とともに見飽きない効果とタッチを出していた。不思議な帽子をかぶった郵便配達夫が、大きなずっくのふくろをかついで雨のなかを行く。買物の帰りらしい女が赤い護謨外套マッケントンの襟を立てて歩道に水煙を蹴散けちらしてくる。樹の下に立って空を見あげている男がある。そこへまたひとり若い女が駈け込んで行った。彼女は帽子が気になるとみえて、すぐ脱いで、雨にぬれたところをしきりに拭いている。丘のような荷馬車が、その車体よりも大きな箱を積んで私の絵へはいって来た。荷物のうえで、四、五人の労働者がびしょ濡れのまま笑っているのが見える。ちょうど絵のまん中で、御者は肺いっぱいに雨を飲みながら欠伸あくびをして行った。彼女の窓には巡査と犬と子供がいる。巡査は巡査らしく立ちどまってあたりを睥睨へいげいし、犬は鎖を張って子供を引いて去った。光る雨ならまだしも五月のにおいを運んで、そこに植物の歓声も沸けば、しずかな詩のこころも見出されようというものだが、これは夜もひるもない暗い騒がしい雨なのだ。朝となく夕方となくろんどんを包む湿気の連続なのだ。よし一しきり雨がやんで、白い日光がぼんやりと落ちてくることがあっても、それはまた直ぐ水の線に変って、太陽よりもっと平均にくまなくそそぐであろう。傘とレイン・コウトの倫敦ロンドンに名物の薄明が覆いかぶさる。夜に入って一そうの雨だ。
 すると、ちょうど前の往来に立っている古風な街灯のひかりが流れこんで、雨の真夜中でも新聞の見出しが読めるほど部屋はあかるかった。私たちの間借りしているパアム街一〇九番の三階建の家は、完全におなじ建築と外観の住宅が何マイルも何哩も、ほとんど地球のそとにまでつづいているように思われる。たましいを※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしりたいほど退屈なパアム街のなかほどに、109という番号字のげかかった茶煉瓦れんがの立体が、赤く枯れたつたをいっぱいに絡ませて、よろめきながら街路にむかって踏みこたえている。それだって同居人と日用品商人の手垢で黒くよごれた木の門から、呼鈴のこわれたままになっている入口のあいだには、芝生のかわりに赤土と石ころがあって、重病人のような林檎りんごの樹の下に忘れな草が咲いていた。うしろの庭は塵埃すて場だった。そして朝晩はどの家からも不健康な料理油のにおいと赤んぼの泣声とが、五月の雨とともに街路に面する窓という窓のかあてんをそよがせていた。風雨に着色された木柵のところどころを、真あたらしい板で不器用に修繕したあとが、うすあかりのなかにまるで傷口のように生々しかった。塀にそって金いろの水蝋樹いばたが芽をそろえていた。ことによると、雨を浴びたそのあざやかな黄が瓦斯ガス灯の光線に反射して、それでこうも夜の室内が明るいのかも知れなかったが、この頃のロンドンは午後の九時十時がまだ夕ぐれの色なのだ。そのうえ三時にはもうぼうっとした朝の気が雨といっしょに青っぽく漂いわたって、牛乳配達の馬のひづめが地流れのする固い石畳を鳴らして過ぎる。つぎには、黒人のような石炭屋が大型貨物自動車に山とつんだ石炭ぶくろの上に突っ立って、むかしの倫敦呼声ロンドン・クライのおもかげをつたえて咽喉のど自慢らしく叫んでくる。
こうる・まあああん!
こうる・まあああん!
 そうすると、雨のなかをあちこちの家から細君や娘たちが走り出てその日の石炭を買い込む。五月だというのに、寒い雨のおかげで、人は一日炉のまえに椅子を引いて暮らしているのだ。
 とにかく人をめらんこりいにする雨が day after day つづいてゆく。四六時ちゅう勝手に降ったり上ったりする、じつに無意義な灰色の水粒だ。ろんどんの五月の雨よ。呪われてあれ!
 May in England ――多くの詩人と、より多くの詩の追随者たちによって、薔薇ばら・ひばり・日光・微風・花の香・田舎みち・濃い木影なぞと古来讃美されてきた五月のろんどんだから、さぞ色彩的な生活情緒が自然に人事に高唱されていることだろうと思ったら、ALAS! 異国人にとって倫敦ロンドンの五月はこんなにまで不人情につめたく感じられる。げんに雨と靉日あいじつ落莫らくばくたるただずまいとが、いましっかり私を押さえつけて、この多角的な怪物の把握で窒息させようとしているくらいだ。
 WHY! ああ・いえす、しつこい歯痛とともに鬱々として焦立いらだたしいものの代表に使われるほど、世界的に有名な London weather ――それが私に作用しつつあるのだ。
 私たちだって、旅行者のもつ俗な善意グッド・ウイルと口笛の気軽さで、野花とみどりの斜面と羊のむれのケント州の心臓を走って、「ある日大きな倫敦ロンドン愛蘭アイルランド人がやってきた」ように、黒いヴィクトリア停車場へ着いたものだった。それを老嬢ロンドンは、老嬢に特有の白眼と冬の陽ざしとすすけた建物の並立とでごく儀式的に迎えてくれた。なんという殷賑いんしんな、そして莫大な田舎町ヒック・バアグであろう! これが私の組織を電閃フラッシし去った正直な第一印象だった。見わたすところ、家も人も路も権威ある濃灰色オクスフォウドの一いろの歴史的凝結にすぎない。そして above all ――雨。私の部屋の窓硝子に、week in, week out ほそい水の糸をひく五月の雨。GAWD!
 君!
 ぼんやりと椅子に崩れている私は、まぶたのうらに、太陽の接吻にめぐまれた日本の五月の思い出をころがしている。眼をつぶると、ひとりでに日本と日本の日光が浮かび出てくるのだ。五月と言えば、わがにほん国では風もないのにひらひらと「サクラ」が散り、桜の梢から Hiroshige の Fuji-Yama がほほえみ、ひるがえるつばめと女のたもと・気の早い麦藁帽とぱらそる――が、現実の私のまえには、窓枠のなかの雨の風景画が二枚、まるで美術館のように並んで壁にひらいているきりだ。
 石と鉄と石炭の巨大な暗黒の底に白いしぶきをあげて、くろ光りにひかる道路に、驀進ばくしんする自動車の灯火がながく流れている。そこには、空気のかわりに蒼然たる水滴が濃く宙を占めて、こうして見ていると、まるで私たちじしんが魚類に化身したような気がする。またしても私のこころに日本の新緑が萌え上ってくる。私は彼女を見た。彼女は煖炉だんろのまえにしゃがんでしきりに石炭の火をくずしている。
 で、私はやはり私の窓へかえる。があっという音が走ったかと、思うと、交通機関の咆哮がしいんと遠ざかって、水蝋樹いばたの反映のなかを―― anyway、また雨だ。
 一晩降り抜くだろう。

   That Derby Day

 視野のかぎり茫漠たるゆるい芝生の起伏に、ありとあらゆる類型の乗物と音律と人種と高調と、そして体臭と悍馬かんばと喚声と溌剌はつらつとが原色の大洋のように密集して、そいつが世にも大々的スマッシング上機嫌ハイ・スピリトのもとに一つに団結して跳躍する、動揺する、哄笑する、乱舞する――何のことはない、くりすます前の市ぜんたいの玩具屋の全商品を、一マイル平方の玉突台のうえへぶちまけて、電気仕掛で上下左右にゆすぶりながら、そこへ、あめりか中の女学生を雇ってきて足踏踊りステップ・ダンスをおどらせ、巴里パリーのキャバレ女に香水を振り撒かせ、猶太ユダヤ人に銀貨をかぞえさせ、支那の船員に口論させ、そばで西班牙スペイン人と伊太利イタリー人に心ゆくまで決闘をゆるすような、ひと口にいえば、なんともすさまじい享楽と騒擾そうじょうの一大総合場面――バグダットの朝市場ほどさわがしく、顛狂院の宴会できちがいの大群が露西亜ロシアバレイを踊ってるほどにも奔流的な光景キイドを呈するのが、馬の謝肉祭――いぎりすの、NO! この世界のダアビイだ。
 DERBY! なんとその名の伝統的で、かつ派手ゲイな精神に満ちみちていることよ!
 六月六日。馬が人よりも神さまよりも巾をきかすべく貴族ロウドたちの名において約束された日である。
 道理で、この日、太陽は馬のために――特に――かがやき、青空は馬のために一そうあおく拡がり、草木は馬のために一夜にみどりを増し、風は馬のために出来るだけ軽くそよぎ、人は馬のために眼の色をかえ、女は馬のために三週間まえから着物と帽子と靴をあつらえ、自動車は馬のためにえ、犬は馬のために尾を振り、国旗は馬のためにひらめき、奏楽は馬のために行われ、そうして馬じしんは――馬は馬らしい功名心のためにこれらのすべてへ向って高くいななく。歴史と両陛下によって十九世紀的に祝福されているのが英吉利イギリスの大競馬、ことにこのダアビイ――というから、そこで私たちも、これではならぬと馬のために出来るだけすぽうつに装って双眼鏡をはすにかけ、下宿のお婆さんナオミ・グラハム夫人を同伴し、いつも夫人の台所にうろうろしている身許不明の無職青年ブリグスを運転手に仕立て、ブリグス青年がいずくからともなくらっし来った一九二五年型何とかいう自動車に打ち乗って、さてこのとおり、国道を流れる車輪の急湍きゅうたんに加わってこうしていまエプソム町近郊の競馬場へ馳せ参じたわけだが、BEHOLD!
 遠く望めば、混然湧然轟然ごうぜんたる色調の撒布に、蚊ばしらみたいなひとつの大きな陽炎かげろうが揺れ立って、地には人馬と天幕、そらには風船と飛行機――日々かがみデエリイ・ミラア・タイムス・毎日電報テレグラフ急報エキスプレスなんかという新聞社の所属をつばさに大書した――が日光をさえぎり、近づくにつれて自動車は野にあふれ、野は弁当ランチの紙におおわれ、紙屑は人の靴に踏みにじられ、人は周囲に酔ってやたらに大声を発し、巡査と役員と貴婦人の洪水をくぐって十八、九の若い衆が何人も何人も泳ぎまわっている。番組カアド売りだ。
番組でございフウ・ウォンタ・カアド
番組の御用レイシング・カアド・ヒヤ
番組は六片シクスペンス・アカアド
番組でございフウ・ウォンタ・カアド
 人を見れば駈けより、自動車がくればぶら下りして、一せいに叱るようにわめきつづける――あい! ふ・うぉんた・かあど! しくすぺんさ・かあど! あい! ふ・うぉんた――。
 そして、そのすべての上に、ぷうんと馬の汗がにおってくるのだ。おお、DERBY!
 ま、一つ番組を買おう。
『へい! ぎみあかあど!』
 私が呶鳴どなる。近くにいるふうぉんたがぴたりと声を中止して一枚さし出す。読んでみる。こうだ。
エプソム競馬 第二日
 一九二八年六月六日 水曜日
 と莫迦ばかに詳しく、下に委員スチュワアズとしてロウズベリイ伯爵、ロンズデイル伯爵、ダルハム伯爵、表紙のうらには、厩権利者ステイブル・ホウルダアスウェザビイ&息子達会社――これは英吉利イギリス競馬の大元締だ――だの、優劣均衡条件決定者、出発合図人、審判官、獣医――馬の――、医者――人類の――だのが一々叮嚀ていねいにその住所姓名位階とともに列記してあって、それから各回の競馬に出場する光栄ある馬族の生立ち、重量、騎手、色分等々々を順序を追って個人的に――じゃない、個馬的に記述してあるんだが、いまそれに眼をとおしている暇はない。ただ番組のうらを見ると「観客諸氏にむかって一枚の番組につき公定価格の金六ペンス以上を決して支払うことのないように非常に熱心に依頼するものである」なんかんと大きな字で書いてある。六片のものを六シリンはおろか六ポンドにも売りつけるやつがないとは限らない。忘れてはいけない。ここは詐欺と掏摸すりこそ泥が組織的に横行する権利のある競馬場だからだ。私が、財布、時計、ETC――もちろん自分の――の存在を一応確認してから、つづく三人にこの忠告を与えると、彼女は写真機を下げる手に力を入れ、ナオミ・グラハム夫人はオオサカ真珠の首飾りにちょっと触ってみ、最後にブリグス青年は照れたようににやにやした。私はそんなつもりで言ったんじゃあないが、ことによるとかれブリグスは、かねて自分の意図する活躍に対し先まわりして警告されたように感じたのかも知れない。あるいは単に、良心のほか失うべき何物をたないことを、このにやにやによって表明した気なのだろう。どっちでもいい。
 そんなことはどっちでもいい――として、さて、ふたたび瞳をあげてエプソム草丘ダウンを見わたすと――。
 視線の届く限り茫漠たる芝生の起伏に、ありとあらゆる乗物と人種と高調と体臭――馬とそうして人の――と雑色と溌剌と陽光と――とにかく、自動車を構内エンクロウジュアへ入れようというので、警官の保護のもとに狭い入口を通ろうとしていると、耳の近くで大声がした。
 もっとも、はじめから声はいろいろしているんだが、これは、伯爵ずくめのいぎりす競馬のまんなかにめずらしくも南部あめりかの旋律を帯びていたから、とっさに私を振りかえらせるに充分だった。
 真珠王に真珠女王という、帽子から衣服ぜんたいに隙間もなく貝ぼたんを縫いつけた一組の男女が、慈善病院か何かの資金をあつめるために、バンジョウに合わせて声いっぱいに唄っている。
リヴァのお爺さん
お爺さんのリヴァ
何もかも知っていて
だがしかし黙って
ただじっと流れてゆく
お前はリヴァのお爺さん
 ――リヴァはあのミシシピのことだ。いま倫敦ロンドンのドルウリイ・レイン座は、エドナ・ファウバアの小説からとった、亜米利加アメリカ渡来の楽劇「芝居舟ショウ・ボウト」をして大当りを取っているが、そのなかでポウル・ロウブスンという黒人のテノルが歌う「河の唄」が人気を博して、ここでこの真珠王と女王がうたっているのもその「芝居舟ショウ・ボウト」の一節だった。
 ま、これもどうでもいいとして――。
 自動車は五シリンかそこらでそとへパアクしておくことも出来るが、私たちは、青年ブリグスがこすく立ち廻った結果、大観覧席のすぐまえ、コウスに近いところへ割り込んで行って、車に乗ったまま見物することになった。すると、どこからともなく一人の女が切符をもって場所代を取りにくる。一ポンドというのをこれはナオミ・グラハム夫人が十五志に値切り倒したが、これらの人は、競馬のときだけエプソム・ダウンのコウスに沿った何英町という土地ラットを細ぎりに借りて、当日じぶんの借地へ自動車がとまるのを待って一車一日いくらと徴収し、多くはそれで一年の生計を立てているのだ。したがってその人々は、毎年、とよりも、家によって代々世襲のわけで、ここらがはなはだ英吉利イギリスの、そしてダアビイらしい――なんかちょっと感心しながら、またがりにしろ、これでいぎりすへ来て土地まで借りているというので大いに意を強うし、あらためて傾斜から丘の頂上を眺めると、色と人と音の渦の中央にいるんだから、まるで曲馬団の舞輪リングほうり出されたようで、あちこちに廻転木馬・輪投げ・動揺椅子・電気るうれっと・糸引き・人形撃ち・玉ころがしなどのゲイムの小屋がきのこのようにすくすくと建ってそれぞれに客をあつめ、楽隊と木笛と風船の音が世界を占め、それらに君臨して螺旋らせんすべりの塔が高く中空を抜いて、賭取人ブック・メイカアの色傘と黒板としゃがれ声とにきょうの日はさんさんと降り――ジプシイの女がショウルをかけて、人波をわけている。多くは赤んぼ――ジプシイの――を抱いていて、私たちの自動車もたちまち彼らに包囲された。口々にさえずるような一本調子である。
『奥さま!』と私よりも一せいに彼女をくどきにかかる。『このに一ペンスやっとくんなさいな。ほら! こんな可愛い児! 運がよくなりますよ! 賭けた馬が勝ちますよ! ねえ奥さま、この児に一ペンス――。』
 れんめんとして尽きない哀音だ。知らん顔をしていてやるんだが、あんまり「可愛い児」だというからつい見る気になると、私たちの鼻さきに、握拳にぎりごし大の、それでいて妙に年寄りじみた赤ぐろい顔が、一ダースほどずらりと突きつけられていた。ジプシイ――悪いことはすべて彼らの所為となっていて、またじっさいそうかも知れないが、毒々しい色布と人ずれとに身を固め、職業的勇敢さをもってどこにでも出現し、どこまでも肉迫してくる乞食民族の旅行隊――かれらのしわの一つにも諸大陸の味がこまかく刻み込まれている。のはいいが、赤んぼのないやつは、小さな鏡のかけらみたいなものを持ってきて、あなたの未来を見ましょう! 競馬の運をみて上げましょう! なんかと、こっちが怒るまでうるさくつきまとう。うっかりしていると、そこらにある物を何でも持ってゆくんだから、ナオミ・グラハム夫人は専心この一群の追払い方を引受けた末、とうとう彼らと大喧嘩におちいり、汗をかいた。
 それはそれとして、さて馬だが――。
 このエプソム競馬の特徴は、コウスが半円をなしていることで、競馬線は出発点からゆるく彎曲カアヴしてタテナムコウナをまがり、大観覧席の前面で決勝する。つまり楕円的な三角形をつくっている。だから、タテナム・コウナアは馬と騎手にとって運命的な急廻転地で、ほとんどここの扱い一つで勝負がきまるといわれるくらいだ。漫然とダアビイと称するものの、ほんとのいわゆるダアビイデイはエプソムの二日目で、しかもダアビイ競馬というのは、この日の全六回のうち第三回、午後三時に行われるたった一回のいわれにすぎない。今年はダアビイの百四十五年めにあたり、近年になく盛大だった。ダアビイの距離は一マイル半、三歳馬、二十三頭出場。翌日は婦人日で牝馬だけ走るんだが、ダアビイは混合だ。
 ところで、番組を白眼にらんで賭け馬の選択にかかろう――と言ったって、ナオミ・グラハム夫人は兄が賭人ブッキイをしているのでいろいろ玄人くろうと予想テップが貰えるけれど、私たちは馬の名によって第六感に訴えるほか仕方がない。名前の気に入ったやつを賭けるのだ。この姓名判断もあんまり莫迦ばかにならない証拠には、私は、これで第一回のランモア競馬に「王様の行列キングス・パレイド」というのへ――名まえがいいから――二シリン賭けたら二十対一で二ポンド――二十円ばかり――儲け、つぎのウォリングトン競馬にもこの方法により、こんどは彼女が「雷風サンダア・スコウル」で約五十円勝ち、大得意でいよいよダアビイになったところが――ここで私は思い出した。
 きょうの六月六日が迫るにつれてこの二、三週間というものは、電車に乗っても料理屋レストランへ行っても町を歩いても、車掌は切符をきりながら、給仕人は皿を運びながら、通行人は自動車に用心しながら、cat も spoon も、
『ダアビイには何が勝つでしょうね?』
『さあ――まずフラミンゴかキャメルフォウドでしょうな。』
『ダアビイは君、どの馬だと思う?』
『きまってらあな。キャメルフォウドかフラミンゴさ。』
『ねえ、ことしのダアビイじゃあ――。』
『あらいやだ! もうわかってるじゃないの。フラミンゴか、さもなけりゃキャメルフォウドよ。』
 なんかという騒ぎ。これを私が不幸にも小耳にはさんでいたので、今回にかぎり大事をとって独特の馬名判断法を廃し、その素晴しい人気フェイヴァの二匹の馬をふたりのあいだに分けて、私はフラミンゴをとり、彼女はキャメルフォウドへ、各二ポンドずつ賭けた――ところが! 馬運つたなく、両頭ともに後塵を拝して、フェルステッドという余計な馬が一着をしめてしまったから、私たちもぺちゃんこだ。これでけちがついたとみえてあとの三回も負けつづけ、ひと頃は一攫いっかく七十金も領していたのが、あとでしらべてみると、とどのつまり三シリンばかりの損だった。このフェルステッドなる怪馬にはみんながやられたらしく、一同かぎりなく口惜くやしがっていた。ただ、私の知っている範囲では、これによって一財産つくった人が世界にふたりある。ひとりは、言うまでもなく馬の所有主ユウゴウ・カンリフ・オウエン卿で、卿は、二、三日まえに田舎から電報で加入を申込んで、なんらの勝算なしに走らせてみたのだそうだが、それが思いがけなくもこんなことになって、卿もフェルステッドじしんもしんからびっくりしている。そのびっくりしている現場が写真にとられて、ぎの日の新聞に出ているのを私が見たんだから確かだ。が、これはまあいいとして、もう一人の利得者は一たい誰か? というと、何をかくそう、印度インドの――そして印度にいる――一赤んぼ――唐突にも――であった。では、そもそもどうして印度の赤ん坊が――となると、私は疑う。いくら予言者の産地印度インドの赤んぼにしろ、どうも赤ん坊が自分でえらんで賭けたものではあるまい。これは私が思うんだが、きっと父親が、フェルステッドの勝利を夢にでも見て、赤んぼの名で印度から賭金を電送したのだろう。大金と言わるべき程度のものだったから、それが二十五倍になって返って、こんにちここに集まった大群集――私達とナオミ・グラハム夫人およびブリグス青年をも入れて、は、ただ単に一日こんなに逆上して、その献金により、遠隔の地印度インドに、ひとりの小さな黒い成金を作製したに過ぎない、という結果になってしまった。
 金を賭けるには bookie へ行くのだ。何百というこの独立の私営賭馬人が、思い思いのところにずらりと陣取って、サム・ワウだのアウサウ・フウリガンだのという名乗りの大看板をあげ、酒場の主人らしいのや東部イースト・エンドごろつき然たるのが、汗と泡を飛ばしながら、白墨と財布を両手に握って、台の上から我鳴がなり立てる。
『エスカ――六対一! 巡礼の鈴ピルグリムス・ベル――三対一! バルビゾン! ダグラ! 日本の星! さあ来た! みんな賭けたり張ったり――え? 大至急メイク・ヘイスト二世へ半クラウン? 有難う。』
 などと客ともやりとりしている。各回競馬の走り出すまえに駈けてって、幾らでもいい、馬の名を言って金を出すと、引きかえに番号のついたふだをくれるから、もしその馬が勝てば、札を示して何倍かの金を受取り、負ければ、癇癪を起して札を破いちまえばいい。ぶっきいのそばには必ず高いところに信号係が立っていて、手を振り、肘を叩き、頬をつまみしておたがいに聯絡を保っている。これを tick-tack といって、その場になって刻々移る一般の人気によって激しく上下する馬金率をらせあっているのだ。そこでもここでも襯衣しゃつ一まいの男が人の海のうえに不可思議な白日のふぁんたしあを踊っている。これで見るみる値段が変って行き、それもブッキイによって色いろに違うので、すこしでも割のいいブッキイで賭けようとあって、男も女もお婆さんも、お金と鉛筆を握り、血相かえて右往左往している。一番にでも二番へでも賭けられて、その上いろんなふうに組合せがつくんだから、これがじっさいになるとなかなかややこしい。あまつさえ、ロンドンとその近くのすべての町が今日はすっかりからっぽになるほどの人出だ。馬みたいに鼻の穴の大きなグウズベリイ伯爵が、灰色の山高帽に双眼鏡といういでたちで全家族を引きつれて悠歩していくとあとから、百貨店の売子が、これも灰色の山高帽に双眼鏡といういでたちで――蘇国高地人スカッチ・ハイランダアの笛と、その妻のキルト踊り・茶店・道化役・パイナップル売り・れもねえど・早取はやとり写真・歌留多かるた当てもの・競馬の忠告チツゴ売り・その他種々のごった返すなかを往きつ戻りつしている。
『わたしどもの言う馬が勝たなかったら、お金はそっくりかえしますよ――金一シリンで、この紙にきょうの勝ち馬がすっかり書いてある。へん、安いもんでさあ。』
 予報テップ売りの口上だ。私も買ってみたが、帳面のきれはしに馬の番号が出鱈目でたらめに――どうもそうとしか思われない――なぐがきしてあるだけだ。さすがに自分でも気がとがめるとみえて、一回ごとに場処をかえては、前回の買手の襲撃を避け、同時に新しい犠牲者をさがしている。
 やがて――得てこういう「大きな日ビック・デイ」は時の経つのが早いものだ――大観覧席の顔の壁が赤く染まり馬は汗をひっこめ、人は疲れてだんだん無口になり、そうしてエプソム丘に夕風が立つ。
 The Day's end ――。
 帰路につかれようとしているジョウジ五世陛下と皇后陛下とが、遠く小さく、おなじく帰路につこうとしている私たちから拝された。四頭立ての白馬と、御通路をあける警官のヘルメットに陽がちかちかしていた。
 ロンドンへの路をありとあらゆる類型の乗物がつづく。歴史的に有名な「ダアビイの帰り」だ。洗濯屋の箱車ヴァンの屋根に、その家族らしい肥ったおかみさんと子供たちが鈴成りに足をぶらぶらさせて、笑いながら歌いながら、私達を追いこして行った。Old time coach の紳士倶楽部員と、老夫婦をのせた騾馬らば車の鈴、赤・黄・緑の見物自動車シャラパンクと最新のロウドスタア。
 田舎みちの両側、ろんどんへはいってまでも大通りの歩道は、ふるい習慣によりダアビイがえりの私たちから銅貨をほうってもらおうというちまたの子供らでいっぱいだ。
かびの生えた銅貨でいいから
一つ抛っとくれ――いっ!
Throw me out a mouldy copper !
 と一せいに声を張り揚げるんだが、この「すろうみあうたもうでぃかぱあ」が、自動車の速力でひとつに消されて、私たちの耳をろうするのは、灯のつきそめた裏街をいたずらに震撼する、無意味な、そして愉快に執拗な金切り声の何マイルかにすぎない。
ああ――ん!
ああ――ん!
ああ――ん!

   散歩者の感情

「旅は、はるばるほんとの自分をさがしに出るようなものだ」という。この「ほんとの自分」として最初に行ってくるのが、じぶんの属する人種と国籍にいまさらのように気のつくこと。そしてそのもっとも端的な場合が――床屋だ。
 で、これは床屋での出来事――出来事というほどのことでもないが――である。
 いったい日本でも理髪店は私を臆病にする。鏡という女性的な、伝説的な存在のまえで、刃物と饒舌が思うさま活躍するからだ。ことに白い布を首のまわりへ押しこめられて、大きな椅子に捕虜になっていると、私はすっかり自信をうしない、かがみの中の自分へむかってひたすら恐縮する。「一男子がこころから友達を要求する時」――そんな気がしてくるのだ。
 だからその時も、こみ上げてくるこのはかなさで一ぱいになりながら、私は椅子にじっとして一刻も早く「手術」がおわるのを待っていた。倫敦ロンドンの町はずれの、一住宅区域内の商業街の、煙草屋の奥の床屋である。午後二時半。良人おっとたちはみな市の中心へ出勤し、夫人達はそろそろお茶の支度にかかり、胃は昼飯ランチを消化して睡気ねむけをもよおし、交通巡査はしきりに時計を見て交替にあこがれ――これを要するに、町ぜんたいがようやく一日の疲れを示し出して、はえと床屋のはさみと太陽だけがますます調子づくほか、一時ちょっと万物が虚脱するような真昼の静寂だった――どうもいかにも大事件が突発しそうだが、また私じしんにとっては確かにひとつの衝懼ショックにちがいなかったが――。
 ところで、「近処の床屋ネイバフッド・バアバア」と言えば、その舞台装置はたいがいきまってる。あんまり綺麗でない壁にあんまり綺麗でない大鏡が二個乃至ないし三個ならび、そのあいだに角の演芸館ヴァライティの二週間まえのびらと、ジョニイ・ウォウカア―― Born in 1882, still going strong ――の広告絵がかかり、あんまり綺麗でない白衣を着た床屋が――床屋のくせに髪をぼうぼうさせて――とにかく、出はいりの誰かれとみんな知合いとみえ、
『よう、ハアリイ! あれからどうしたい?』
『へっへ、ゆうべの勝負か――とうとう七シリンの負けさ。』
『わりに軽傷で済んだね。』
 なんかと昨夜ゆうべ歌留多かるたを追憶したりすること日本におなじ――そのハアリイやデックやタムが、ちらとひとつの鏡を見ては一様にちょっとおどろいている。そこに、黄色い黒い顔の、眼の吊り上った、針金みたいな黒髪の異形な人物の映像がありありと写っているからだ。が、入り代り立ちかわりする外来者が、南あめりか森林地帯で捕獲された不運な小動物――学名未詳――を見学するときの、明白な好奇心と多少の不気味さをあらわした眼をもって、いくら斜めに――正面から凝視することはこの怪人を激怒させるかも知れない。そして犬や猫をさえ激怒させるようなことはしないのが英吉利イギリスの紳士だから――見ようと、その映像の本尊たる私は平気以上に平気だ。とは言え、たださえ床屋における私は一ばん弱い瞬間の私だ。私は正直に、このとき私は私のなかの日本人を意識し、三千年の光栄ある歴史を思い、私のうしろにぼうばいたるにっぽんの背景を感じ、この床屋の椅子のうえで、民族代表の重大な責任にいささか身体からだこわばらせていた、と告白したほうがいいかも知れない。つまり、すくなからず気取っていたのである。
 公衆のまえで気取ると私は顔面から水蒸気を発散するのがつねだ。ことにその日は暑かったので、私は、鏡のなかの私からぽっぽと湯気が立っているのを見た。
 ちょうど客一同のあいだに不自然な沈黙がつづいている最中だった。無言でいることの苦痛な床屋は、私の水蒸気に気がついたのを機会に、それを利用して、ちょっと変なその場の空気を救うべく、えへん! と一つ英語で咳払いしてから直接私へ話頭を向ける。
『お暑うございますな今日は。』
 べつに反対すべき理由もないから、私もかるく同意の旨を発表する。
『然り。何と暑き日でこんにちのあることよ!』
『全くこうあつくちゃあやり切れませんな――しかし、こんなのはそう長くは続きませんよ。きっと、また明日あたりみんな外套を着るでしょう、へへへへ。なあデック!――と大きな声でデックへ――ロンドンの天気だけあわからねえなあ。』
『そうよ。ロンドンの天気だけあからきしわからねえ。』
 順番を待っているデックが答える。こいつが店へ這入はいってきたとき魚のにおいがしたから、按ずるに、このデックは四、五軒さきの魚屋フィシュ・バアの若い者であろう。と言っても、べつにいなせななりをしているわけではない。金いろの毛の密生した手で新聞を読んでいる。
『じっさい、』と床屋は私の頭のうえで、『もう二、三時間もしたらわたしの考えじゃあざあっと一雨来ますね。それからぐっと涼しくなりまさあ。』
『われは、そのなんじの予言の真実ならんことを望む。』
 これは言うまでもなく私だ。何だか知らないが床屋はひどく驚いている。
『おや! 旦那は暑いのはお嫌いですか?』
『われは、あまりに寒きを好まざるがごとく、あまりに暑きをも好まざるものなり。』
『へえい! そいつあ驚きましたね。わたしゃまた、旦那あ寒いのあ閉口だろうが、暑いのはどんなにあつくても、暑くて困るってこたあないのかと思ってましたよ。』
『そも何が汝をしてしかく思わしめしや?』
『だって、暑さには慣れておいででしょう? お国は素敵にあついんじゃありませんか。』
『われらは故国において相当暑き夏と、相当さむき冬と、ちょうどよきところの春と秋とを持つ。』
『ひゃあっ! 年が年中べらぼうに暑いってえじゃありませんか。うそですか?』
いな。そは断じて事実にあらず。』
 会話の速度が早まるにしたがい、私は一そう切口上だ。床屋は非常に不服そうな顔をしている。
『そうですかねえ――ばかに暑いってことを聞いたがなあ。うそですかねえ、すると。』
 そこで私は、念のために訊いてみた。
『汝は果して世界のいずくに関して談じつつあるや、われこれを疑う。』
 すると床屋が言下に応答した。
印度インドじゃありませんか勿論――お顔は? おりになりますか。』
ノー!』
洗髪シャンプウは?』
ノー!』
『おつむりへ何か?』
ノー!』
『香油でも――。』
ノー!』
 八ペンスおいて出てくるときひょいと鏡を覗くと、真赤に憤慨中の「印度人」が、この小さく傷つけられた民族の誇りに、いよいよ昂々然と刈りたての頭を高く持しているのを発見した。
 戸外は、それこそ印度インド猛夏の日中だった。
 亜米利加アメリカではしじゅう支那人あつかいされたものだが、どういうわけか、いぎりすへ来たら今度はよく印度人に間違われる。これも或る日の午後、私はろんどん一流の百貨店セリフリッジ、彼女の命令により旅行用の衣裳掛け――あの、折畳式になって皮のふくろに這入ってるやつ――を、hunt down すべく、ちょうど買物時刻の人ごみのなかを血相かえて右に左に奔走していた。すでにこんな努力が必要だったくらいだから、いかにその折畳式袋入衣裳掛なる物品が、ふくろにはいっているせいか旅行用品部のどこを見ても決して露出していなかったかがわかろう。そのうちにつるべ落しの夏の陽はとっぷりと暮れかかるし、足は棒のようになるし――これじゃあまるで山道にさしかかっているようだが――いったい私は、何ごとによらず西洋人にものを教えてもらうことが大嫌いで、ロンドンなんかでもたとえどんなにみちに迷っても never 人に訊くということはしないんだが、この時だけは仕方がないから、恥を忍んでちらと見えた売子監督フロア・ウォウカアへ駈け寄った。
 執事バトラア門衛ドアマン売子監督フロア・ウォウカアはいぎりす産に限ると言われてるほど、いかさま堂々とした「能なしノウバディ」がお仕着せのモウニングを一着におよび、微笑の本家みたいな顔をして直立している。
 そこを私が襲った。
『旅行用の衣裳かけは一たいどこに隠してあるんです?』
 かれは、ここぞとばかりふだんの三倍も落着きはらって反問した。
『旅行用の――何と仰言おっしゃいましたかしら? 失礼ですがあとのほうが聞きとれませんでしたので、はなはだ御面倒ながら、もしおさしつかえございませんでしたら、もう一度おうかがい致したいと考えておりますところですが。』
 英吉利イギリス人はこういうものの言い方をする。
『旅行用のコウト掛け――まさか旅行中じゃありますまいね。』
『いえ! コウト掛けならば確かにどこかにございますから――。』
『どこに? ――その潜伏場所をはっきり――。』
『旅行品部は捜索なさいましたろうな?』
『もちろん!』
『では――と、では、衣裳掛けですからことによると衣裳掛部にございましょう。御案内いたしましょう。こちらでございます。』
 というので、私はこの微笑するモウニング・コウトとれ立ち、ふたたびほそい通路の旅行に発足したんだが、みちみちくだんのモウニング・コウトがだんだん個人的な声を出す。
『ずいぶん長くかかりましょうな、お国からここまで。』
『イエエス。だから帰りにはどうしても衣裳掛けが要ると思って――。』
『いや、よくわかります。どうですか、コロンボのほうは? やっぱり景気がよくないですか、ここと同じに。』
『コロンボ?』
 と訊きかえしながら私は気がついた。が、第一うるさいもうるさいし、せっかくこのモウニングがそう信じこんで得意になっているのだから、とっさに私は、そのままコロンボ市を「懐しい故郷」として、とにかくこの場は採用しておくことに決心した。
『あんまり面白くないです景気は。』
『ははあ、そうですかな――印度インドからですと、どういう路順みちじゅんでこちらへ――?』
『こっちから印度へ行く路のちょうど逆に当りますね。』
『ははあ――すると?』
『衣裳かけはこの売場にあるはずなんですか。』
『は。そうです。ここでございます。』
 急に現職業にかえったかれは、そこの売台カウンタアと私の中間に正しくななめにちどまりながら、つんとモウニングの袖ぐちを引っぱって、売子の女に上官としての適度の威をしめして言った。
『この紳士へ旅行用衣裳掛けをお見せ申すように。』
 で、ついに私も、こんなに骨を折らせた旅行用衣裳掛けなる怪物を現実に――OH! じつに現実に!――私のこのてのひらのうえに捕獲する機会に到達し得たのだった。これは一に私が、印度インド人にまで「変装」してその難捜査に従事した結果であると私はいまだに信じている。
 買物で思い出したが、英吉利イギリス人はやたらに「Q!」という。Thank you だが、これがどうしても「キュウ!」としか聞えない。それも恐らく尻上りの「キュウ!」なんだから、はじめは誰でもちょっとびっくりさせられる。店へ這入る。すぐに番頭か女が近づいてきて、
『わたくしに出来ることがございますか――何をお眼にかけましょうか?』
 なんかという。こっちの店の制度は、たいがい売子がじぶんの売上高の何割かを貰うことになっているから、みんな一ペンスでも高いものをひとつでも余計に売りつけようというので一生懸命だ。これを知らずにいぎりすの店員は親切で熱心だなどと無闇むやみに感心する人がよくあるが、たちまち自分のぽけっとへ影響して来るんだから、露骨に熱心にもなろうし、売らんがためには親切であることも必要なわけだ。が、このやり方は私はあまりいいとは思わない。それはなるほど店員の刺激にはなるだろうけれど、時として店の空気を不純にし、かつ多くの場合、客に自由に店内を見てまわる気をなくさせ、監視されているような感じを起させやすい。で、いや、なに、ただ漫然と見て歩いてるに過ぎないから放っといてくれ――こう店員に言ってやるんだが、すると彼らのすべてが、ぷいとそっぽを向いて「キュウ!」と楽器的な音響を発する。これも例の「有難うサン・キュウ」なんだが、この場合は「ふん、お生憎あいにくさまでしたね!」ぐらいにしかこっちにはひびかない。その他あらゆる機会にあらゆる意味の「多謝キュウ」をふりまく。そして、あらゆる意味の言葉なるものは、ただちに無意味な発音として以外に存在し得ないわけだから、いぎりす人の「有難う」は要するに習慣によって機械的に出る無意味な発音に過ぎないということになる。
キュウ!」の用例を二、三に示せば――。
 仮りに電車のなかで誰かがいやというほど君の足を踏んだとする。このとき、君がもし大英国の紳士!――もしくは淑女――なら、君はしずかにその加害者を振り返って、おもむろに、しかし出来るだけ金属的に、社会道徳上一般に公認された悲鳴をあげることであろう。
有難うキュウ!』と。
 そしてまた――。
 市街自動車で車掌から切符を買う。すると、車掌も客も同時にこの「キュウ!」をやりあう。車掌は切符を売るのがあたりまえ、客は車掌から切符を買うのが当然で、その間「有難うサン・キュウ」も何もなさそうなものだが、そこらがいぎりすの英吉利イギリスたるゆえん――車掌も客も紳士であり淑女である発露なのであろう。もっとも何の意味もない「キュウ!」なんだから、たとえそれが「多謝キュウ」のかわりに「地獄へ行け」であってもいっこうさしつかえないわけだけれど――だから、女中が料理をはこんでくれば「キュウ!」その皿を落して割っても「キュウ!」皿のかけが飛んで怪我をしても「キュウ!」雨が降っても「キュウ!」陽が照っても「キュウ!」――で、こういう私たちも、朝から晩までボウイにも門番にも運転手にも「キュウ!」のきつづけだ。
『キュウ!』
 皿を割るというので思い出したが、こっちで日本に関してこんなことをいう。
 ある金持の家に、中世紀から伝わっている古い英吉利イギリスの皿が十二枚そろっていた。こんなに見事なものが一ダースそっくりあるのは非常に珍しいとあって、その家でも大いに大事にしていたところが、何かの粗相そそうで一枚こわしてしまった。そこで、残念でたまらないというので、いろいろ相談の結果、一枚同じのをつくらせて補うことになったんだが、そのふるい製法はいぎりすではもうあとかたもなく消えてしまい、どこへ訊きあわせても、それと同じ模様、おなじ色あい、同じにおいを出し得る自信をもって引き受けようというところは一軒もない。一ダースの半ばを満たそうというんだから、言うまでもなくすべての点で完全に他とおなじでなければ、新たに大金を投じて一枚焼かせる意味をなさないから、躍起になってあちこち照会した末、とにかく日本という国は物を真似イミテイトすることにかけては世界の天才だから、こういう仕事には日本が一ばん適任だろうということに一決し、こわれた皿のかけらを全部あつめて、これと寸分違わないものをこしらえるようにとはるばる日本の一名匠へ註文したのだった。と、驚いたことには、早速出来上って送ってよこした。主人公は大満悦、たいへんな期待で包みを解いてみると――出て来たのは、色から模様から「時代」まで元品オリジナルとすこしも変らない皿――ではあったが、見本に送ったこわれた皿と完全に同じに、それは一枚分の新しい皿の破片で、べつに手紙がついていた。
「ずいぶん骨が折れそうらえども、仕事はかなり細かきつもりに御座候ござそうろう。ちなみに見本の皿破片全部別送仕候つかまつりそうろうあいだ、なにとぞ新品とおくらべのうえ御満足をもって御嘉納下さるよう願上げ候。頓首。」
 主人は、のこりの十一枚のうえへ思いきりよく卒倒した――というのがおちだが、もちろん、これは、日本人は真似が上手すぎてこんなに融通がかないということを言いたいつもりなんだろうけれど、いぎりす製の莫迦ばかばなしだけあってどうも狙いがはずれていてぴったり来ない。気の毒だが、敵ながら天晴あっぱれとは言えないのだ。私から見ると、この場合、日本のその陶工のほうが一枚も二枚も役者がうえである。一境地に達している。この話をそのままに取っても、この勝負、あきらかにかれの勝ちだ。下宿の食卓で同席のいぎりす人からこの笑話を聞いたとき、私はいみじくもなせるものかなと大いにうれしく思った。が、私は黙っていた。いくら論じたって彼らには金輪際こんりんざいわかりっこないことを知っているからだ――私は紳士的微笑とともにしずかに麺麭パンをむしりながら話題を転じただけだった。
 日本と言えば――。
 たいがい英吉利イギリス人が――それもかなり知識階級の人でさえ――日本に関してじつに何も知らない。いや、知ろうとしない――いぎりすの可哀そうな自己満足がここにもあらわれて――事実には、じつに驚かされる場合が多い。だから私たちは、いつ何どきどんな奇問を浴びせられても動じないだけの用心をつねに必要とする。ちょっと親しくなるが早いか、すぐこうだ。
『日本の家はいまでも紙で出来ていますか。』
梯子はしご段も紙製ですか。いつも不思議に思うんですけれど、どうして紙の階段で昇ったり降りたり出来るんでしょう。』
 なんてのはまだいいほうで、そうかと思うと、
『日本に鉄道がありますか。』
『保険がありますか。』
『新聞がありますか。』
 にいたっては真面目に応対出来ない。と言って、黙って笑っていたんでは無いように思われるおそれがあるから、ごく紳士的に、
『あります。』
『あります。』
『ありますよ。』
『ありますとも!』
『大いにあります!』
 そして――キュウ!
 むこうもやっと安心して――キュウ! じつにしゅんぷうたいとうたるものだ。
 さて、新聞でまた思い出したが――。
 私は、あさ眼がさめるとすぐタイムス一面の上段、個人欄パアソナルを見るのを何よりのたのしみにしている。けさはこんなものが出ていた。
「いいえ、決して許す事は出来ません。あなたのしたことを一ばんよく知っているのは、あなたです――ウィニフレッドW。」
 きのうは、
「五時に。いつものところで――S・K・N。」
 一昨日おとといは、
「こぼれた牛乳を泣くなかれ。グロウリアよ、記憶せよ。わが家の食卓につねに一つの空椅子あきいすがなんじを待てることを――父。」
 以下、連日散見のままに。
「準備すべて成り、指揮を待つ――ZZ。」
「BON・VOYAGE! 加奈陀カナダの太陽はあなたのうえに輝くでしょう。感謝と祈り――谷間の白百合。」
「接吻。フレッドへ――エミイより。」
「夏季休暇中の友だちとして、同年輩の少年を求む。ただし喧嘩好きで、そしてあんまり肥っていないこと。当方十一歳――JACKベンスン。」
 読み終った私は、新聞をおいて眼をつぶる。そうすると、私の耳に倫敦ロンドンのうなりがひびき、眼のうらに白屋敷ホワイト・ホウルの、メイフェアの、聖ジェムスの、南ケンシントンの、ハムステッドの、ブリクストンの、そしてライムハウスの――一くちに言えば大ろんどんの生活種々相が走り過ぎる。ジョンソン博士が予言したように、チャアリング・クロスにはいま人間の潮ヒュウマン・タイドがさかまき、ロンドンは生きた小説でいっぱいだ。その曲りくねった路と、その暗い夜と、そのスコットランド・ヤアドと――。
 異国者は淋しい散歩を愛する。
 うつむいて歩いていると、英吉利イギリスの土には、日本とちがった石と草がある。草や石でさえこうもことなっているのだ。まして人と人――西のこころと東のこころ、と言ったようなことを、ともすると私は重苦しく考えている。が、都会の散歩者はもっと伊達だてで噪狂でなければならない。私も洋杖ステッキを振って頭を上げよう。そして、レンズのようにうつろになって、この近代商業のバビロンを映して行こう。
 英京ろんどん――その age old な権威ある凝結のなかに、低いビルデングと国家的記念像・電車とGENERALの二階つき乗合自動車・市民と市民の靴、これらすべてが現実に地球の引力を意識して、おのおのその完成せる社会制度上の持場にしたがい、感心なほど静止したりいまわったりしている。ここでは、何もかもが「完成せる社会制度上の定律」によって、工場の調べ革のようになめらかに運転するのだ。銀行の小使は、銀行の小使としての社会的地位とその役目ファンクションを知る事において「紳士」であり、犬は、犬としての社会的地位とその役目ファンクションを知る知らないによって「紳士」もしくは「淑女」の犬か、そうでない「普通コンモンの犬」かが別れ、時計がとまっても犬が走っても、議会と商業会議所と新聞と牧師は即座に結束してち、決議をもって want-to-know-the-reason-why するであろう。だからストランドには、どこまでってもおたがいに全然無関係な散歩者の列が、排他的に散歩のために散歩し、ピカデリイでは、芝居の切符を買う人が人道に椅子を据えて夕刊とたばこと相互の無言とで何時間でも待ちつくし、街角の酒場パブ、歴史的に権威ある“Ye Old White Horse”のまえには、いつもロイド・ジョウジを汚くしたような老失業者と、バルフォア卿にそっくりの非番のバス運転手とが、ひねもす政党政治と競馬との紳士的討論にふけっているに相違ない。そしてハイド公園の権威ある芝生では、やっとのことで「淑女」の売子嬢をれ出してきた「紳士」の番頭が、四、五年まえに紐育ニューヨーク流行はやった made in U.S.A. の駄じゃれワイズ・クラックを、いったいいつ口に出して彼女の尊敬を買ったものかと、そのもっとも効果的な瞬間を狙っている最中だろうし、権威あるタキシは絹高帽シルクハットと鳥の羽の団扇うちわを積んでいかにも思慮ぶかく走り、トラファルガア広場では紳士的な社会主義者が鳩と空気と落葉にむかって対印度インド政策の欠陥を指摘し、とうの昔に日本で封切りされた映画に紳士淑女の礼装がいならび――これを要するにあらゆる感激・突発・殺倒・異常・躍動・偶然を極度に排斥して、ただそこにあるのは、牡蠣かき――生死を問わず――の保持する冷静・ホテル支配人の常識・非芸術的な整頓・着実な平凡・十年一日除幕式のように順序立った日常・節度と礼譲・一歩も社交を出ない紳士淑女のむれ・権威ある退屈――何世紀かにわたる商業と冒険と植民とが、いまこの海賊の子孫たちに、速度スピイド薬味スパイス火花スパアクルの欠けたさくぜんたる近代生活を、単に経営のため経営として強いているのを見る。何たる個人的感情の枯れたインディファレント「紳士的現象」であろう! UOGH! なんという無関心な、かなしいまでに実際的過ぎる社会図であろう! 紳士と淑女に「調子はずれ」と「若い愚かさ」と「夢中になる経験」を予期出来ないのは当然だ。が、個性のはっきりしない表情に歴史と領土による尊厳を作為して、あまりにも一糸みだれない毎日を、何らの懐疑も反逆もなしに受け入れている敬愛する英吉利イギリス人の道徳律モラリティを呼吸していると、私は正確に、死期を逸した陰険な老猫を聯想する。親切と誇示癖と利用本能。何があっても昂奮する神経を持ちあわさない倫敦ロンドン人。その鈍いおちつき、救われないひとりよがり――AH! 私のろんどんはきずだらけな緩動映画スロウ・モウションの、しかもやり切れない長尺物だ。テンポのおそい荘重なJAZZ――この滑稽な矛盾こそは現代の英吉利だ!――銅版画の古城からきこえてくるエイル・ブルウの舞踏ステップ、英文学の古本にこぼれた混合酒カクテルのにおい、牛肉と山高帽・牛肉と山高帽。そして、above all ――テムズを撫でる粉炭の風。
 いまの倫敦ロンドンは、町も人も、人のこころもあまりに横にひろがり過ぎている。絵と詩と、文学と音楽と天才と革命よ、このろんどんを見捨てよ!
 街上、よく見かけるもの。
 松葉杖。脚部に故障のある人――片足長い、あるいは短い――等。ひげの生えた女。肥った老婆。しるく・はっとと晴天の洋傘コウモリ。ブウツの薬屋。ライオン食堂。ABC――炭酸瓦斯麺麭会社エイレイテド・ブレド・カンパニイ――。あめりかの観光客。古着売買のゆだや人とかれの手押車。屋根に荷物置きの小欄干のついた箱みたいなタキシ。「すっかり盲らトウタル・ブラインド」とか「かなり盲らクワイト・ブラインド」とかと細かい区別を明表した大きな紙札を首から下げている乞食。労働者の辻演説。慈善花うり娘。相乗りのモウタア・サイクル。道路工事。石炭配達者。深夜の屋台店。宣伝掲示「英産品を買えバイ・ブリテシュ・グッズ」。海外侵略の英雄像と欧洲戦争記念物の林立。歩道画家ペイヴメント・アウテスト。広場と芝生――夜門を閉めるのが公園・一晩じゅう明けはなしなのが共有地コンモン――陽にやけた植民地の青年。雀。犬。老大木。

   おぺら・ぐらす

 六月二十三日――ロウヤル・アルバアト会館ホウルにロウヤル・コウラル協会の「ヒアワサ」を見る。ロングフェロウの詩をコラリッジ・テイラアが抜萃ばっすい作曲したのを、フェアベイルンが演出しているのだ。音楽指揮マルコム・サアジェント博士。ヒアワサの結婚祝い、ミネハハの死、ヒアワサの出発の三幕に別れている。一大合唱と群集運動の連続で、室内野外劇とでもいうべきものだ。衣裳と色彩と照明とでちょっと印象的な効果を出す。コウラス八百人、舞踊バレー二百人。すり鉢の底のような独特の舞台に約千人の西印度インド扮装者が一時にあらわれる。見物スペクタクルといえば見物スペクタクル、幼稚といえば幼稚。第三幕の白人のくる場面は全然ないほうがいいと思った。このため喜劇におわっている。廊下では、片っぱしから扮装のままの役者に掴まって挨拶された。ほん物が検査に来たと思ったのだろう。
 六月二十六日――コヴェント・ガアデンのロウヤル・オペラ。だしものは「ファウスト」。ユウジン・グウセンスの指揮。シャリアピンのメフィストフェレス。大礼装の紳士と淑女。私たちも礼装して自動車を乗りつける。それだけ。切符ひとり金二十五円なり
 六月二十八日――ロウヤル・ドルウリイ・レイン座。楽劇レヴュウ芝居舟ショウボウト」。黒人声楽家と踊子。あめりか南部棉花栽培地方のはなし。わりに退屈。
 六月三十日――皇太子プリンス・オヴ・ウェイルス劇場。「現場不在証明」。アガサ・クリスティの「ロジャア・アクロイド卿殺害事件」を舞台化したもの。トリイ夫人が出ている。
 七月三日――女王座クイインス。「メリイ・ドュウガンの裁判」。これは市伽古シカゴの上級法廷を背景とする亜米利加アメリカのメロだが、妙に変っていて大受けだ。現に世界中三十七個国でやっている。観客一同を陪審官に見立てて舞台で公判が進行する。なかなか考えたものだ。如実な、そしてかなりに cleverly done なスリラアである。

   聖マアテン街の家

 まずしい小人形マリオネットの踊りをその踊りの輪のなかから見るつもりで、さんざん探した末この貧民区へうつって来た私たちは、第一に幻滅をあじわわなければならなかった。というのは、これは私がすこしく物語的に失したせいかも知れないが、そこの貧民窟には、そういう人々に特有な、無智から来る超国境の好意と狡猾な歓迎があるだけで、私がこころひそかに望んだような、「逃げるようにして動く人影」も、「格子縞の鳥打帽をぶかにかぶって口を曲げてものをいう傷痕きずあとの男」も、「誘拐されてくる社長の令嬢」も、OH! 何というあり得ないことであろう! ピストルの音さえもかつて一度として聞えたことはなかった。ただみんなが平和な怠惰と不潔な食物と無害な嘘言とに楽しく肩を叩きあっているばかりだ。それが私にはたまらなく不平だったが、より以上に私を不思議がらせたのは、この人々が、私が日本の社会で私の周囲に見たのと全然同じ小市民的な雑事に追われとおしていることだった。たとえば「何をやらせても駄目な息子」、「六ペンスあるとすぐ呑んでしまう父親」、「妹の結婚に嫉妬のあまり狂言自殺をする姉」、「年中洗濯の手腕を自慢しているおふくろ」、「どうも近頃様子のへんな娘」、「ごみを食べて困る赤ん坊」、「何かちょっと借りに来ちゃあ決して返したことのない隣家の女房」――登場人物と出来事はたいがい型のごとくきまっていて、どこの国の裏店うらだなもおなじに、人は雨と煩瑣な感情にわずらわされながら無自覚な混迷のうちに年をとってゆくにすぎない。こんな当然の発見を発見としなければならないほど、あまりにもその諸相フェイゼスが同一なために、いつしか私たちは異国に来ているという心もちをすっかり忘れて、故国にのこしてきた小さな身辺といささかの変りもない人情と世の中を見出してそこに一つの驚きを経験したのだった。これは、その土地の生活に親しみを知る最初であり、旅行者としての私達が自分じしんに課する「速力あるフレキシビリティ」から言っても、まず安心し自負していいと私は思ったりした。こうしていつともなしにいくぶん彼等に同化しつつある私達のうえに、窓から見るテムズの一部は朝晩の色をかえて、無風帯の日がつづいて行った。

   水を吹く靴

『あらっ!』
 一番さきに見つけたのは彼女だった。
『どうしたんでしょう? 靴に水がはいっていますよ。』
 というのだ。何を妙なことを――と思いながら、彼女の真剣な顔におどろいた私は、いそいで駈けよってみた。なるほど、けさうちを出るとき寝台の横に脱ぎすてて行った私の代りの靴が、片っぽだけ浪々なみなみと水をたたえている。
『――!』
『――!』
 私たちは黙って顔を見合った。あちこち移ってあるいた一つの、その聖マアテン街の素人下宿である。朝から外出していま帰ってきた私達を、部屋へ這入るなり、このへんてこな現象が待ちかまえているのだ。
 じっさい、ちょっと説明のつかない異常事である。
 私はよく覚えている。私は、出がけに靴をはきえて、その一足をいつものように乱雑に寝台の下へ蹴込けこんでおいたはずだ。それがいまこうして壁の切り炉のまえにきちんと揃えてある。これはいい。私たちの留守のあいだに、宿のおかみさんが部屋を掃除することになっているのだから、そしておかみさんは、貧乏にかかわらず人なみはずれて整理好きだったから、きょうに限らずいつだって私たちのぬぎ散らして出た靴は、おかみさんによって煖炉のまえに並べられるのがつねだった。
 しかし、問題は水である。
 下宿人の靴へ、しかもその片方かたっぽうへ、おかみさんが水をいっぱいぎこんでおこうとは、どうしても考えられない。が、事実は事実だ。このとおりいっぽうの靴に満々と水がみたされて、しかもかなり長時間そこに溜っていた証拠には、内側の皮のいろが水に溶けて、それはうすい黄味を帯びた透明な液体だった。ついでだが、四、五日まえにリジェント街のマンフィルドで買ったばかりの新しい靴なのだ。
『まあ! 何でしょう? あなた自分で入れたんじゃないわね! こんなところへ水を。』
莫迦ばかな! 誰が靴へ水をつぐやつがあるものか。知らないよそんなこと。』
『だって、変じゃあありませんか――。』
『変だとも――大いにへんだとも!』
 おなじことを繰り返しながら、私たちはいつまでも両方から靴を覗きこんでいるだけだった。
『ほんとにただの水でしょうか?』
 しばらくして彼女が言った。私は鼻を近づけてにおいをいでみた。無臭だ。やはり、水はただの水らしい。が、そのただの水が、どうしてこの部屋のこの靴の片っぽにこんなにあふれんばかりに存在することになったのか?――私は、反射的に仰向あおむいて真上の天井を見た。雨漏りというようなことを瞬間私は想像したのだが、言うまでもなく、天井には隙間はおろか汚点ひとつなく、第一、ここは二階で、うえにもう一つ三階があるのだし、それに、私は何という馬鹿だったろう、きょうすこしも雨の降らなかったことは、誰よりも、一日外出していた私が承知しなければならないはずだった。また事実珍らしくいいお天気だったからこそ、私たちもこうして朝から夕方まで歩きまわったわけだった。
『不思議だなあ。』
『妙なことがあるものですわね――おかみさんが間違って水をこぼして、そのまま気がつかずに、出て行ったんじゃないでしょうか、お掃除のときにでも。』
 彼女が思慮ぶかそうな眼をして言った。私たちはまだ、靴のうえに蹲跼しゃがみこんでいたのだ。彼女のこの想定にも一理ある。私はそう思った。で、私は水の動揺しないようにしずかに靴を持ち上げておいて、犬のように床に手をついて注意してそこらを撫でまわしてみた。もし、なんらの故意と技巧なしに靴の上から水をこぼして、偶然それが、こう今にもあふれそうに内部にそそがれたものならば、これだけの分量の水が靴を満たすためには、一足の靴ぜんたいはもちろん、その周囲の敷物一体が、より多分の水量を受けたものであろうことは、ごく自然に考えざるを得ない。そして、そんなにたくさん水がこぼれたとしたら、靴のなか以外に、一目瞭然としてそこらにあとが残っているはずだし、なによりも、靴とそのまわりへそれほど水を落しておいて、過失にしろ何にしろ、人一ばい眼と耳と口の働く下宿のおかみなる人物が、それに気がつかずに、靴に水を充満させて放任しておくということは、いうまでもなくちょっと肯定しにくい。論より証拠、水は靴をみたしているほか、その他の場所には何らの痕跡をとどめていないのだ。靴の周囲の床など、すこしの水害も知らずに、水のあとはおろか、いくら押してもさわっても湿ってさえいないのだ。水のはいっている靴の表面も、内部の水が作用しかけていくぶんかふやけている以外には、上から水をかぶった形跡はすこしも示していない。ただ、ちょうど靴の底にあたっていた床の一部分が、かすかに湿気を帯びているのが感じられたが、これだけの水なら、ながいあいだに靴皮を滲透しみとおして、幾らか底を濡らすにちがいないとは、誰でも容易にうなずき得る。じっさい、一足分密着して揃えてある他のひとつが、何らの災難をこうむっていないことだけでも、この水が人の意思インテンションの実現化した結果であることがわかろうというものだ。じっさい、水のの字も、その特定の靴の内部のほかには、一さい認められないのだから、こうなるとこれは、過失でもまちがいでもなく、あきらかに何人なんぴとかの悪戯いたずらか復讐か挑戦かに相違ないという、じつにおだやかならぬことになる。私の頭は、やいそがしく嫌疑者の列挙につとめ出した。が、いぎりすへ来て数週間、私たちはさらさら人のうらみを買うようなことをした覚えはないし、またわざわざこんな奇計を弄してまで、私たちに戦いを挑む人も理由も、見わたすところありそうに思えない。すると、当然これは誰かのいたずらなのだろうか?――と、私が、すぐ前の彼女の眼を見詰めて思案していると、彼女も固く口を結んで私の眼をみつめ返していたが、このとき彼女が、低い声を出して私を驚かした。部屋の空気は、いつの間にかそれほど窒息的に重大になっていたのだ。
『泥棒が入ったんじゃないでしょうか。』
 これも一つの意見である。
『泥棒――そうかも知れない。』
 と言いながら、私はてっきりそれに違いないと思った。盗賊が、じぶんのはいった家に、迷信、もしくは単なるいたずら気から、色んなしるしを残しておくことは、日本にも西洋にもよくある。と気がつくと同時に、私は素早く室内をしらべてみた。がふたりの荷物はもとより、この部屋についているものも何一つくなっていない。どろぼうの仮定もこれで見事に逆証されてしまった。
 で、やはり最後に悪戯いたずらだろうということになったのだが、この理論を確立させるべく、そこにもっと可能性に富んだひとりの有力な容疑者があった。下宿の一人息子、悪たれ小僧のレムである。下宿といっても、これはごく家庭的な小さな家で、建物はかなり大きかったけれど、止宿人は私たち夫婦きりだったから、食事なんかも家の人とみんな一しょにしたためて、来て間もなくだったが、私たちはもう自分の家のように勝手に振舞ってくらしていた。家族というのは、ホルボウンの家具工場に出ている四十あまりの好人物の主人と、よく私たちの世話をしてくれる、几帳面すぎるほど几帳面なその主婦と、それに夫婦のあいだに、レミヨンという七つになる男の子があるだけだった。レムは、年齢のわりに身体からだの小さな、非常に病身なで、そのせいかまだ学校へも行かずに、うちにぶらぶらしていた。独りっ子のうえに、からだが弱いからとあって親がしたい放題に甘やかしておくものだから、レムは、意気地がないくせに妙に鼻っぱしのつよい、しじゅう顔いろを変えてはしゃぎ切っている、おちつきのない子だった。私たちにもはじめはへんに人見知りをしていたが、間もなく、ことに彼女とすっかり仲よしになってしまい、いつも裏の庭で、彼女を箱車のタキシへ載せて自分が運転手になって遊んでいた。それをおかみさんが台所の窓から眼をほそくして半日でも見ていたりした。私もよくレムにつかまって、馬になってそこらを走りまわらなければならなかった。じっさい遊び相手がないので、いつでも一日いっぱい私たちとふざけていたい様子だったが、ときによると、そのあんまり強情なのが子供らしくなくて、憎らしくなることがあった。何よりも狂的に乱暴なので、私より先に、親友のはずの彼女がすっかり辟易へきえきしてしまっていた。私も正直のところ、うるさくて閉口していた矢さきだから、そこで私たちは、いろいろ相談して、最近ではそれとなくレムを避けるようにしていた。すると、七つのレムがはなはだ七つの子供らしくないというものは、かれがこの私たちの採用した敬遠主義をすぐに感づいて、この二、三日、ことにあきらかに敵意を示し出した一事である。食事のときも、廊下や庭で会っても、レムは彼女と私を見かけ次第、顔をくしゃくしゃにして、西洋の赤んべいをすることにきめていた。それも、ほかに人がいると決してしないんだから、一そう可愛くなかった。
『嫌な子ねえ、あのレミヨンって児。』
『うん。ちょっと病的なところが見えるね。やっぱりひよわだからだろう。』
 などと私達は話しあっていたが、あんまりしつこく呪面メイク・フェイスされると、なんだか小悪魔にでも魅入られているようで、つい私たちも不愉快な気持ちにされることが多かった。で、私もさまざまな顔をつくってレムの軽侮に応酬してやるんだが、つまりこんなわけで、私たち対レムのあいだには、近来戦雲あんたんたるものがあったのだ。
 悪戯――とあたまへ来ると一拍子に、私は早くからこの状態シチュエイションに思い当っていた。が、子供の仕業にしてはすこし毒があるようだ。こう考え直して、出来るだけレムを嫌疑者の表から除外しようとつとめたのだが、こう事態が逼迫ひっぱくしていたところから見ると、あきらかに報復をふくんだレムのいたずらと判断するよりほか、仕方のないものがあった。留守中部屋は開けはなしなんだから、子供にだって訳なく出入り出来る。家は普通の大きさで、間数も相当あるんだけれど、往来にむかった二階の一室を私たちが借りているきりで、おなじフロアのほかの部屋も、三階も、下宿の看板を掲げて人さえ見ると来てもらいたがっているくせに、どういうものかがらきにあいているんだから、曲者くせものがそとから這入ったんでない以上、それは一階に住んでいるこのの人々のうちの誰かに極限されるということになる。そして、それは、前にも言ったとおり主人夫婦とレムだけなのだ。
『レムね。』
『レムにきまってる――あいつ、恐ろしく調子に乗るたちの子供だから、黙っておくとこれからも何を仕出すか知れやしない。とにかく、この靴の水を棄てて、それからミセスを呼んで一つ皮肉に注意してやろう。それも、何もレム公が水をつぐ現場を見たわけじゃあないんだから、こっちだってあんまり強くも言えないしね。』
『あら、ミセスを呼ぶんなら、水を暫らくそのままにしといて見せてやったほうがかなくって?』
 そこで私は、厳然と威儀をととのえて、その、水入りのどんぶりみたいな靴のかたわらに立ち、彼女は勇躍しておかみさんを呼びに行った。おかみさんはすぐ来た。が、一眼ひとめ私の足もとの靴を見るが早いか、彼女は「またか!」というように悲しそうな声を揚げて顔を覆った。そして、つづけさまに「何も言ってくれるな――なにもおっしゃらないで下さい!」と繰返すばかりで、私に何ら発言の機会をあたえず、私と彼女が先手を打たれてぽかんとしているうちに、おかみさんはひとり委細承知のていで水のはいった靴を捧げ、倉皇そうこうとして逃げるように引き取って行った。
『何だろう?』
『どうしたんでしょう? あんまりおどろきもしないのね。』
『いや、おどろいてはいたさ。が、あれあ慣れてる驚きだった――こんなことをされちゃあこっちが困る。迷惑しごくだといったような。』
『すると、誰がしたんだか、おかみさんには判ってるわけね。』
『そうさ。だからちっとも不思議には思わないで、そのかわり、ただ平謝りにあやまって行った。本人になりかわって――というところがあったね。レムにきまってる。』
『そうよ。レムにきまってるわ。』
 これで私たちとしては、おかみさんを通してレムを懲戒する目的を充分以上に達したわけだから、夕食のときも、私たちは靴については何も言わなかった。おかみさんも、気のせいか悄気しょげて見えるだけで、べつにまたその問題へ触れようともしなかった。が、私たちがちょっと不審に思ったのは、うんと叱られたはずのレムがいっこう平気で、相変らずナイフとフォウクをもって思うさま暴威をたくましうしていることだった。
『あれだから駄目さ。』
『なぜもっとちゃんと言い聞かせないんでしょう。』
 部屋へ帰ってから私たちはいささか不平だった。靴は、おかみさんが乾かして綺麗にして持ってきた。で、この事件はこれなりに、いつともなく忘れてしまった。
 が、四、五日たった或る日、朝から外出して帰ってみると、こんどはほかのだったが、やはり私の靴の片っぽに私たちは靴いっぱいの水を発見しなければならなかった。
 しかし、その時も、私たちの怒りは、おかみさんの不得要領な哀訴嘆願で誤魔化ごまかされて、しまった。おかみさんは、前とおなじにやたらに手を振り頭を下げて、早速靴を掃除して返しにきただけだった。決して一言も、どうしてこの部屋の靴の一つへしきりに水がはいるのか、その点を説明しようとはしなかった。真昼、無人のへやにおいてある靴がいつの間にか水をたたえる。その、水の満ちた靴を窓からの白い光線のなかにじいっ凝視みつめていると、一種異様な莫迦げた、そしてグロテスクな恐怖が私に襲いかかるのを意識する。私たちは、すくなからず気味がわるくなった。
 そんなことがもう一度あった。
 怪異は飽くまで怪異としても、そうたびたび水漬けにされたんでは、第一靴がたまらない。それに、この神秘の底を掘り下げなければならない責任も、私は私の常識に対して感じ出した。と言ったところで、下手人はレムにきまっているんだから、そこには何らのミステリイもないようなものの、私はレムが、私の靴へ水を入れるところを押さえつけて、次第によっては一つぐらいこつんとやってやろうと決心したのである。
 三度目のつぎの日から、私たちは朝、大きな音を立てて外出し、おかみさんが掃除をすますのを待って、すぐに、私だけひとりこっそり帰って寝台の下にひそんだ。そして、靴がひとりでに水を吹くかも知れない奇蹟を、根気よく待ちかまえたのだが――そう長く待つ必要はなかった。
 この冒険をはじめて二日めの正午近くだった。私は、寝台の下に腹這はらんばいに隠れて、ただぼんやりしてるわけにも往かないから、自分のこの使命と立場をときどき思い出しながら本を読んでいるのだが、ふと室内にきぬずれの音がしたような気がして、頁から眼を離した。そうしてすこし首をまげると、寝台の脚をすかして向うの大鏡が見える。何気なくその鏡にうつっているものが眼にはいった私は、声を立てるところだった。
 レムではない。女なのだ。
 どこから来たのか、下宿のおかみさんより二つ三つ年上で、小ざっぱりしたなりの、ふとった女である。そとから這入って来たものでないことだけは一目でわかった。部屋着らしいドレスに上穿スリッパをはいていたからだ。それが、すぐそばで私が見てるとも知らず、じつに世にも生真面目な顔で、提げてきた水入ジャグの水を非常に注意ぶかく、そこにわざと招待的にぬぎすててある私の靴のひとつへあけ出したものだ。何か荘厳な宗教上の儀礼をいとなんでいる時の高僧のような女の顔と、しずかに水を飲んでいる私の靴とを鏡のなかに見ていると、その妖異さはわけもなく私から呼吸を奪って、そうそうたる水音が部屋を占めるなかで、私は冷たい床板に一そうぴったりと身を貼りつけた。
 ひたひたに水をつぎおわると、すっかり安心したらしい女は、かすかな足音とともに部屋を出て行った。あとには私の靴が口きりに水を張って、それに窓ごしの青葉の影がこまかく揺れていた。
 狂人だった。おかみさんの姉で、戦争で良人おっとをなくしてから気がへんになっているのだった。二階の一室に監禁同様にして、しじゅうおかみさんが気をつけて私たちにはひた隠しにしていたのだが、そっと抜け出て来ては、靴に水をそそぐことにのみ、狂える女は異常な興味を感じていたものらしい。じつはこの姉なる人が原因で、下宿人もいつかなかったのだ。私たちはすこしも知らずにいたが、近処ではとうから評判の家だった。
 私は、妻の神経と私の靴を保護するために、その日のうちに引越した。出がけに振りかえってみると、私たちのいた二階の窓から、小さな蒼いレムのしかめつらが私たちをめがけて突き出ていた。

底本:「踊る地平線(上)」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年10月15日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第十五巻」新潮社
   1934(昭和9)年発行
※底本には、「新潮社刊の一人三人全集第十五巻『踊る地平線』を用いた。初出誌および他の版本も参照した。」とある。
入力:tatsuki
校正:米田進
2002年12月9日作成
2003年6月15日修正
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