閉戸閑詠 第一集 起丁丑七月 尽辛巳十月
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  〔昭和十二年(一九三七)〕


野翁憐稚孫
余この歳六月十五日初めて小菅刑務所より放たる
膝にだく孫の寝顔に見入りつつ庭の葉陰に呼吸ついてをり
七月七日
花田比露思氏の来訪を受く
有りがたや七年ぶりに相見ればふるさとに似し君のおもかげ
七月七日
獄をいでて 三首
獄をいでて街を歩きつ夏の夜の行きかふ人を美しと見し
獄をいでて侘居しをれば訪ねくる人のこゝろはさまざまなりき
ありがたや静かなるゆふべ簡素なる食卓の前に妻子居ならぶ
七月二十日
谷川温泉雑詠 録七首
疲れたる身を深渓ふかだにに横たへて山隈に残る夏の雪見る
河鹿鳴くと人は云へれど耳老いてせせらぐ水にわれは聞えず
世の塵もこの渓まではよも来まじ窓を披きて峰の月見る
奥山にとめ来し友と語らひて若さ羨む後のさびしさ(宮川実君の来訪を受く)
今は早や為すこともなき身なれども生きながらへて世をば見果てむ
山深きいでゆにひたりいたづらに為すよしもなき身をばいたはる
何事もなさで過ぎねと人は云へ為すこともなくて生きむ術なき
七月末より八月初まで
大塚金之助氏の不幸を悼みて
秋のゆふべたらちねの母のみひつぎ送りゆく君をへばいたまし
十月二十二日
玉山洗竹詩和訳
原作 世上風塵事何嘗至此間欲窮飛鳥処
洗竹出前山
世の塵もこのほとりへはよも来まじ居向ふ山に飛ぶ鳥の跡を見ばやと竹をすかしぬ
十一月二十六日
閑居 二首
陽を負ひて障子張りつつ歌思ふ閑居の昼のこののどけさよ
晴れし日をみんなみの縁に孫だきて陽を浴びをれば飛行機通る
十二月十一日
獄中の思出
茶も飲めず話も出来ず暮れてゆく牢屋の冬はさびしかりしも
十二月十一日
郷里より柚味噌来たる
手製てづくりて母のたまひしものなればこの柚味噌はをがみてたうぶ
手製りて送りたまひし柚味噌の焼くる匂ひに今朝もほゝゑむ
十二月二十一日
荻窪天沼の寓居は北裏に広々としたる田畑あり、出獄後の身にとりては、郊外の散歩殊に楽しかりき
一杯に陽を浴びし裏の畑道こゝろのまゝに行きては戻る
行き行けば疲れし頃に小橋あり腰をおろして煙草のむべく
畑中の小溝の水は澄みわたりゆらぐ藻草の美しきかな
つぎ/\に拓かれてゆく郊外に取り残されし稲荷のやしろ
畑中の小高き丘の松蔭の洋館のあるじ誰ならむ
藁葺にまじりて白堊の家もあり赤き屋根あり青き屋根あり
十二月二十二日
歳暮 二首
老妻を喜ばさんと欲りすれど金もはいらで歳はくれゆく
白粥に柚味噌添へてたうべたり奥歯のいたむ霜寒の朝
十二月二十七日
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  〔昭和十三年(一九三八)〕

刑余安逸を貪る
   一
膝を伸ばせば足が出る、
首を伸ばせば枕が落ちる、
覗き穴から風はヒュー/\。
ほんたうに冬の夜の
牢屋のベッドはつらかつた。
   二
今は毛布の中にくるまり、
真綿の蒲団も柔かに、
湯タンポで脚はホカ/\。
ほんたうに仕合せな
今歳の冬は弥生の春よ。
一月九日
閑居
盡日無人到  尽日人の到るなく、
時紛不復聞  時紛また聞かず。
倚爐思往事  炉に倚りて往事を思ひ、
擧首看浮雲  かうべを挙げて浮雲を看る。
一月十三日
閑居 其二
爛漫朝眠後  爛漫たる朝眠の後、
携孫就午陽  孫を携へて午陽に就く。
讀書歎菲才  書を読みては菲才を歎じ、
曳杖愛長塘  杖を曳いて長塘を愛す。
紅火煮新茗  紅火新茗を煮、
青燈夢故郷  青灯故郷を夢む。
無爲無病叟  無為無病の叟、
閑裡四分忙  閑裡四分の忙。
一月十六日
冬夜偶成
硯池冰欲雪  硯池氷りて雪ならんとするも、
茵蓐暖於春  茵蓐春よりも暖かなり。
憶去年今夜  憶ふ去年の今夜、
幽窗抱膝身  幽窓膝を抱きし身。
一月二十一日
莫歎
免殞身鋒鏑  身を鋒鏑に殞すを免れ、
偸生寂避名  生を偸み寂として名を避く。
莫傷時事否  傷むことなかれ時事の否なるを、
應水到渠成  水到りて渠成るあるべし。
一月二十二日
不覺浮沈
脱得狂瀾地  狂瀾の地を脱し得て、
隨流游魚心  流に随ふ游魚のこゝろ。
棄躯輕似葉  棄躯軽きこと葉に似、
不復覺浮沈  また浮沈を覚えず。
一月二十四日
六十初學詩
偶會狂瀾咆勃時  偶※(二の字点、1-2-22)狂瀾咆勃の時に会ひ、
艱難險阻備嘗之  艱難険阻つぶさに之を嘗む。
如今覓得金丹術  如今覓め得たり金丹の術、
六十衰翁初學詩  六十の衰翁初めて詩を学ぶ。
一月二十六日
良寛上人
寂寞空山是故郷  寂寞たる空山これ故郷、
結庵來臥老杉傍  庵を結び来り臥す老杉の傍。
一鉢生涯貧巷吟  一鉢生涯貧巷に吟じ、
千金遺墨富兒藏  千金の遺墨は富児蔵す。
一月二十九日
初めて尋ね来し人に贈る
世を忘れ世に忘られし門の戸を尋ねて君や道迷ひけむ
一月三十一日
出獄後初めて銭湯に浴す、昭和七年夏以来六年目のことなり
久にわれ浴みずありしと歎きつゝ雪ふるゆふべ銭湯にゆく
二月二日
われは歌人の歌を好まず
声あげて歌はむとすれど歌ふべき歌一つなき今の日本
二月五日
不賣文
守節遊方外  節を守りて方外に遊び、
甘貧不賣文  貧に甘んじて文を売らず。
仰天無所愧  天を仰いで愧づる所なく、
白眼對青〔ママ〕  白眼青雲に対す。
二月五日
天荒
人老潛窮巷  人は老いて窮巷に潜み、
天荒未放紅  天は荒れて未だ紅を放たず。
狗吠門前路  狗は吠ゆ門前の路、
雲低萬里空  雲はたる万里の空。
三月一日
女中急に暇を乞うて帰る、すぐに代りがありさうにもなく、貧居聊か不景気なり
さかな屋は間近にあれど市場まで鰯買ひにゆく今の貧しさ
老妻のたゞ所在なく坐しをるに所在なくまた我も居向ふ
三月三十一日、四月五日
わが家の庭は三坪に足らざれど東隣の桜、枝を伸ばして爛漫たる花をつけたり
生籬の上越す隣の桜花けふをさかりと咲きにけるかな

堀江君夫妻来訪、庭に咲きたりとてくさ/゛\の水仙を贈らる
水仙は白きぞよけれ青き葉に映る真白の色のゆかしも
四月十一日
送春
盡日看雲坐  尽日雲を看て坐し、
愁人獨送春  愁人ひとり春を送る。
落花絲雨裡  落花糸雨の裡、
塵外刑餘身  塵外刑余の身。
五月五日
明月
難忘幽圄月  忘れがたし幽圄の月。
今夜月光圓  こよひ月光まどかなり。
歩月人迷野  月に歩して人は野に迷ひ、
照人月度天  人を照らして月天をわたる。
五月十二日
初夏雑詠 二首
ねもごろに掃除を終へて茶をすすり香を聞きをる朝のひととき
初夏の四坪の庭にふりそゝぐ雨をながめて茶をすすりをり
五月十八日
頃日頻樂郊外漫歩
信歩遊村野  歩にまかせて村野に遊び、
倦來樹下眠  倦み来りて樹下に眠る。
夢覺無人見  夢さめて人の見るなく、
風清百畝田  風は清し百畝の田。
六月八日
夏亦涼
わがこゝろ足らひてあれば四坪にも足らぬ小庭さにはの蔭もすずしき
六月二十七日
三間屋
余出獄之後、賃得者纔三間之矮屋也、竊審容膝之易安、陶然賦一絶
容膝三間屋  膝を容る三間の屋、
曲肱一卷書  肱を曲ぐ一巻の書。
小儒養老處  小儒老を養ふ処、
明月獨侵廬  明月ひとり廬を侵す。
六月二十九日
室無長物
室無長物出無車  室に長物なく出づるに車なし。
擲盡經世萬卷書  擲ち尽す経世万巻の書。
唯有九天明月度  たゞ九天明月の度るあり、
清光含露入吾廬  清光露を含んで吾が廬に入る。
七月十一日
堀江君見贈花十枝、賦此答謝、結句者
當時之實景也
對惠施花欲得詩  恵施の花に対し詩を得んと欲し、
未成旬日曠經時  未だ成らず旬日むなしく時を経。
皺白膩紅凋謝後  皺白膩紅凋謝の後、
壺中開蕾一枝梔  壺中蕾を開く一枝の梔。
七月二十三日
描竹林孤月之圖、題詩、贈人
貧居無所有  貧居有るところなし、
聊贈畫中詩  聊か贈る画中の詩。
竹林孤月度  竹林孤月わたる、
來聽草蟲悲  来り聴け草虫の悲むを。
八月十日
寄獄中之義弟 二首
一千里外十年囚  一千里外十年の囚、
高樹蝉鳴歳復秋  高樹蝉鳴いて歳また秋なり。
處々江山空有待  処々の江山むなしく待つあり、
斷雲斜月爲君愁  断雲斜月君がために愁ふ。

荒苑蝉鳴又會秋  荒苑蝉鳴いて又秋に会ふ、
老殘孤客倚門愁  老残の孤客門に倚りて愁ふ。
惆悵我歸君未復  惆悵す我帰りしも君未だかへらず、
不知與誰話曾遊  知らず誰と共にか曾遊を話せむ。
八月二十日及二十四日
貧居小景 二首
月夜よし夜ふけて通る人のあり道踏む音の枕にひゞく
客ありて二階に通り窓近き隣の青葉ほめて帰れり
八月二十四日
出獄後一年を経て未だ西下するを得ず
はたとせを住みにし京に子等住めりみやこの秋に会ひたきものを
八月二十九日
偶感
弱けれどたゞさちありて大木たいぼくの倒るゝ蔭にわれ生き残る
(之はからだのことばかりを言ふに非ず)
十月十六日
天猶活此翁
昭和十三年十月二十日、第五十九回の誕辰を迎へて、五年前の今月今日を想ふ。この日、余初めて小菅刑務所に収容さる。当時雨降りて風強く、薄き囚衣を纏ひし余は、寒さに震えながら、手錠をかけ護送車に載りて、小菅に近き荒川を渡りたり。当時の光景今なほ忘れ難し。乃ち一詩を賦して友人堀江君に贈る。詩中奇書といふは、エドガー・スノウの支那に関する新著のことなり。今日もまた当年の如く雨ふれども、さして寒からず。朝、草花を買ひ来りて書斎におく。夕、家人余がために赤飯をたいてくれる
秋風就縛度荒川  秋風縛に就いて荒川を度りしは、
寒雨蕭々五載前  寒雨蕭々たりし五載の前なり。
如今把得奇書坐  如今奇書を把り得て坐せば、
盡日魂飛萬里天  尽日魂は飛ぶ万里の天。
十月二十日
落葉
われもまた老いにけらしな爛漫と
咲きほこる春の花よりも
今揺落の秋の暮
梢を辞して地にしける
枯葉さま/゛\拾ひ来て
染まれる色を美しと見る
十一月五日
落葉
拾來微細見  拾ひ来りて微細に見れば、
落葉美於花  落葉花よりも美なり。
始識衰殘美  始めて識る衰残の美、
臨風白鬢斜  風に臨んで白鬢斜なり。
十一月二十日
小林輝次君、出征後すでに一年半になん/\として未だ帰らず、各地に転戦、屡※(二の字点、1-2-22)危地に臨む。頃日その寄せ来りし小照を見るに、疲労の状歴然たり。体重は五貫目を減ぜしといふ。乃ちその小照を余が日誌中に貼り付け、題するに一首を以てす
小さなる写真なれどもたゝかひの深きつかれのまなざしに見ゆ
十二月八日。
何不歸
寂々思郷一廃人  寂々として郷を思ふの一廃人、
何留鬧市嘆清貧  何すれぞ鬧市に留まりて清貧を嘆ずるや。
休怪荒村多吠狗  怪むを休めよ荒村吠狗多し、
寄身愛此馬蹄塵  身を寄せて此の馬蹄の塵を愛す。
十二月九日
歳暮
干戈収まらず、
人未だ帰らず、
物価いよ/\高くして歳まさに暮れなんとす。
道にそひたる小さなる家より
たゞラヂオのみ
窓の外まで高々と鳴りひゞく。
無帽の老人
ひとり佇みて杖に倚り
天を仰いで長嘯す。
十二月二十一日
歳暮憶陣中之小林君、君代劍帶刀、
故第三句用刀字
一年將盡夜  一年将に尽きなんとするの夜、
萬里未歸人  万里未だ帰らざるの人。
枕刀眠曠野  刀を枕として曠野に眠り、
驚夢別愁新  夢に驚けば別愁新たなり。
十二月二十七日
[#改段]

  〔昭和十四年(一九三九)〕

六十一吟
已躋華壽白頭翁  すでに華寿に躋る白頭の翁、
枕蠹書眠願有終  蠹書を枕として眠り終あらんことを願ふ。
羸駑不與兵戈事  羸駑与からず兵戈の事、
心似山僧萬籟空  心は山僧に似て万籟空し。
一月元旦
憶亡友吉川泰嶽居士
來往風塵學古狂  風塵に来往して古狂を学び、
長忘嶽麓※(「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24)蘭芳  長く嶽麓※(「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24)蘭の芳を忘る。
刑餘始作無爲叟  刑余始めて無為の叟となり、
空倚危欄望北※(「氓のへん+おおざと」、第3水準1-92-61)  空しく危欄に倚りて北※(「氓のへん+おおざと」、第3水準1-92-61)を望む。
一月八日
津田青楓氏「君と見て久しくなりぬこのころはおとさたもなしいかにしたまふ」の歌を寄せられたるに答ふ
朝寝して虫ばみ本をつくろひて茶を飲みをれば一日はすぎぬ
人は老い着物もやれて綿出でぬよごれと見しは綿にてありき
二月二十五日
老來始得閑
夙吾號閉戸閑人  夙にわれ閉戸閑人と号す、
晩歳斯名始作眞  晩歳この名始めて真となる。
天以餘生恩此叟  天は余生を以てこの叟をめぐみ、
教爲高臥自由身  高臥自由の身となさしむ。
余三十歳以前已號閉戸閑人以及于今也
三月六日
老後無事
たとひ力は乏しくも
出し切つたと思ふこゝろの安けさよ。
捨て果てし身の
なほもいのちのあるまゝに、
飢え来ればすなはち食ひ、
渇き来ればすなはち飲み、
疲れ去ればすなはち眠る。
古人いふ無事是れ貴人。
羨む人は世になくも、
われはひとりわれを羨む。
六月十九日
青楓氏を訪ひて遇はず
きかぬベル押しつゝ君が門のとに物乞ふ如く立つはさびしも
〔七月一日〕
出獄の前日を思ひ起して 二首
わかれぞと登りて見れば荒川や潮みちぬらし水さかのぼる
または見ぬ庭ぞと思ふ庭の面に真紅のダリヤ咲きてありしか
八月七日
ことし春の彼岸、郷里より取寄せて百日草、風船かづら、花びし草、朝鮮朝顔などの種子を蒔けり。庭狭ければ思ふに任せざれども、この頃いづれもそくばくの花をつけたり。中につき百日草は、祖母の住み給ひし離家の庭前に咲き乱れ居るを、幼時より見慣れ来し花なれば、ひなびたれどもいと懐し
ふるさとの種子と思へばなつかしや百日草の庭隅に咲く
八月七日
獄中の有章君に寄す
あはれいかに今夜の月の照れるらむ君ひとりる窓の格子に
八月七日
幽居雑詠 三首
われもまた深山の奥の苔清水有るか無きかのかそけさに生く
遠寺の鐘にゆられて雛罌粟の風なきゆふべ散るがに死なむ
老い去りて為すこともなく日を経れば明日にも死して悔なしと思ふ
八月七日
重ねて獄中に寄す
君も来ず我も行き得ずことしまた秋風吹きてやがて暮れなむ
九月一日
母上より手紙来たる、おさびしき様子にて気になる
秋の陽の窓にかたむく書斎にて母思ひつゝさびしみてをり
九月二日
偶成
隠れ死ぬ手負のししのふしどぞと都のほとりわれいほりせり
九月二十七日
第六十囘誕辰當日敍懷 二首
一身痩盡如枯葉  一身痩せ尽して枯葉の如く、
萬境踏來似隔生  万境踏み来りて生を隔つるに似たり。
祇喜囘頭無所悔  たゞ喜ぶかうべをめぐらして悔ゆる所なきを、
誰知這箇野翁情  誰か知る這箇野翁の情。

一身痩盡纔存骨  一身痩せ尽して纔に骨を存し、
萬卷抛來空賦詩  万巻抛ち来りて空しく詩を賦す。
憐爾刑餘垂死叟  爾を憐む刑余垂死の叟、
半生得失待誰知  半生の得失誰を待ちてか知らむ。
十月二十日
自画像に題す
鏡せばおさなくて見しおほははと見まがふばかりわれふけにけり
十二月十四日
余年二十六歳之時、初號千山萬水樓主人、
連載社會主義評論于讀賣新聞紙上、名顯
夙號千山萬水樓  夙に号して千山万水楼といふ、
如今草屋似扁舟  如今草屋扁舟に似たり。
相逢莫怪名殊實  相逢うて怪むなかれ名の実と殊なるを、
萬水千山胸底收  万水千山胸底に収む。
十二月十四日
落葉の自画に題す
われもまた落葉に埋る苔清水あるかなきかのかそけさに生く
十二月二十四日
[#改段]

  〔昭和十五年(一九四〇)〕

庚辰元旦
六十二翁自在身  六十二翁自在の身、
夢描妙境樂清貧  夢に妙境を描いて清貧を楽む。
幽蘭獨吐深山曲  幽蘭ひとり吐く深山の曲、
殘月斜懸野水濱  残月斜にかゝる野水の浜。
一月一日
還暦の祝賀を受けし人々へ、自ら描ける落葉の絵に自作の詩歌を題して贈りけるに、菅原昌人君より、風をいたみ彼のも此のもに散る落葉焚かば燃ゆべきしづけさに居り、との歌を寄せられければ、その返しにとて
老いらくの身をも落葉にたとへけり焚きて燃ゆべき我ならなくに
一月二十五日
題良寛上人畫像
欲學書先須學人  書を學ばんとすれば先づ須らく人を学ぶべし、
形骸相似盡遺眞  形骸相似るも尽く真を遺ふ。
千金求得良寛字  千金求め得良寛の字、
但莫由沽這裡貧  たゞ這裡の貧を沽ふに由なし。
二月四日
腥風不已
戰禍未收時未春  戦禍未だ収まらず時未だ春ならず、
天荒地裂鳥魚瞋  天荒れ地裂けて鳥魚いかる。
何幸潛身殘簡裡  何の幸ぞ身を潜む残簡の裡、
腥風吹屋不吹身  腥風屋を吹けども身を吹かず。
三月二日
牢愁の思出
春の日のくれゆく空のあはれさはひとりながめて牢にゐし時
四月十二日
近頃頻りに疲労を覚え、やがて寝付くべきか
と思ふほどなり、小詩を賦して自ら慰む
弱いからだが段々に弱くなり、
残りの力もいよ/\乏しくなつて来た。
ちよつと人を尋ねても熱を出し、
書を書いても熱を出し、
絵を描いても熱を出し、
碁を打つても熱を出す。
私は私の生涯のすでに終りに近づきつゝあることを感じる。
やがて寝付くやうになるのかも知れない。
だが私は別に悲みもしない。
過去六十年の生涯において、
何の幸ぞ!
私はしたいと思ふこと、せねばならぬと思ふことを、
力相応、思ふ存分にやつて来て、
今は早や思ひ残すこともない。
私は自分の微力を歎じるよりも、むしろ
力一ぱい出し切つたことの滿足を感じてゐる。
「ご苦労であつた、もう休んでもよいよ」と
私は自分で自分をいたはる気持である。
牢獄を出て来た後の残生は、
謂はゞ私の生涯の附録だ、
無くてもよし、有つてもよし、
短くてもよし、長くてもまた強ひて差支はない。
私は今自分のからだを自然の敗頽に任せつつ、
衰眼朦朧として
ひとり世の推移のいみじさを楽む。
四月十三日
雑詠 二首
われは歌よみの歌を好まず思ふことありて歌へる歌を好む
閑居して思ふことなく日を経れば天地を忘れまた我をも忘る
四月中旬
野球試合の見物に出掛けたる途上の口吟 二首
老いぬともこゝろひからび年経たる紙の花輪に似んはものうし
老いらくの身のはかなさを思へばか今年の春のそゞろに惜まる
五月十九日
近來頻耽碁、賦一詩頒棋友
抛筆忘時事  筆を抛ちて時事を忘る、
刑餘蝉蛻身  刑余蝉蛻の身。
懶眠繙帙罕  懶眠帙を繙くこと罕に、
晏坐覆棋頻  晏坐棋を覆すること頻りなり。
有髮亦如僧  髪あるもまた僧の如く、
無錢尚不貧  銭なきもなほ貧ならず。
人嗤生計拙  人は生計の拙なるを嗤ふも、
天惠四時春  天は恵む四時の春。
(此作屡改字句、就中、結句原作曰半生勤苦後天許作閑人。余及今猶迷取捨)
六月四日
天涯孤客、不歸郷已十年
山村一去路千里  山村一去路千里、
雲間空望阿母家  雲間空しく望む阿母の家。
誤作風塵場裏客  誤つて風塵場裏の客となり、
十年不見故郷花  十年見ず故郷の花。
六月二十四日
われ今死すとも悔なし
われ今死すとも悔なし。
懇ろに近親に感謝し、
厚く良友に感謝し、
普く天地に感謝し了へ、
晏如として我が生を終へなむ。
今われ老いて
幸に高臥自由の身となり、
こゝろに天眷の渥きを感ずること頻りに、
ひとりゐのしゞまには
しば/\かゝる思ひにひたる。
七月三十一日
余晩歳得樂閑居、雖身住陋巷、心常
似遊山川、乃賦一絶以敍心境云
長江隨浪下  長江浪に随うて下る、
無事到心頭  事の心頭に到るなし。
對月披襟臥  月に対し襟を披いて臥せば、
烟波載夢流  烟波夢を載せて流る。
〔八月二十一日〕
秋思
淪落天涯客  淪落天涯の客、
驚秋獨悵然  秋に驚いて独り悵然たり。
可憐強弩末  憐むべし強弩の末、
空學竹林賢  空く竹林の賢を学ぶ。
九月六日
寄信州蓼科高原滯在中之原君
地僻無行客  地僻にして行客なく、
秋闌山徑清  秋闌にして山径清し。
雨餘逢月色  雨余月色に逢はば、
高趣畫難成  高趣画けども成り難からむ。
十月八日
時勢の急に押されて悪性の変質者盛んに
輩出す、憤慨の余り窃に一詩を賦す
言ふべくんば真実を語るべし、
言ふを得ざれば黙するに如かず。
腹にもなきことを
大声挙げて説教する宗教家たち。
眞理の前に叩頭する代りに、
権力者の脚下に拝跪する学者たち。
身を反動の陣営に置き、
ただ口先だけで、
進歩的に見ゆる意見を
吐き散らしてゐる文筆家たち。
これら滔々たる世間の軽薄児、
時流を趁うて趨ること
譬へば根なき水草の早瀬に浮ぶが如く、
権勢に阿附すること
譬へば蟻の甘きにつくが如し。
たとひ一時の便利身を守るに足るものありとも、
彼等必ずや死後尽く地獄に入りて極刑を受くべし。
言ふべくんば真実を語るべし、
真実の全貌を語るべし、
言ふを得ざれば黙するに如かず。
十月九日
芳子洵子をつれ上海に向けて立つ
たちてゆく孫に分れて子に分れ跡のさびしさ物をも読まず
十月十日
「祖父河上才一郎」の稿を了へて
こもりゐてうまれぬさきのおほちちの畢生ひつせいかけばすがためにみゆ
みもしらぬその畢生をかきをへてこひしくなりぬなきおほちちの
をさなごらひとまのいへにとりかこむきみがたまどこへばかなしも
十二月十三日
昭和十五年大晦日
いまはただひとつのみあるわがねがひいたみなく病みてらくに死なまし
[#改段]

  〔昭和十六年(一九四一〕

谷口博士見贈榧製棋局賦詩謝之
憑君爲我畫※(「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62)仙  君に憑む我がために※(「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62)仙を画け、
六十三翁獨樂天  六十三翁ひとり天を楽む。
風骨※[#「月+瞿」、76-下-5]然如病鶴  風骨※[#「月+瞿」、76-下-5]然病鶴の如し、
蠹簡堆中棋局前  蠹簡堆中棋局の前。
二月十八日
畑田君見誘探梅以詩答之
衰翁六十又加三  衰翁六十また三を加ふ、
莫怪春來尚蟄庵  怪むなかれ春来尚庵にひそむを。
病骨支離難耐歩  病骨支離歩に耐へがたし、
間窗枕帙夢江南  間窓帙を枕として江南を夢む。
三月四日
相澤秀一君之任鴻城
春來無客到  春来客の到る無く、
棋局自生塵  棋局おのづから塵を生ず。
君去風流絶  君去つて風流絶え、
間居空戀人  間居して空しく人を恋ふ。
三月九日
時事
[#「走にょう+(咨−口)」、77-上-8]※(「走にょう+且」、第4水準2-89-22)逡次暮江前  ※[#「走にょう+(咨−口)」、77-上-8]※(「走にょう+且」、第4水準2-89-22)逡次、暮江の前、
宛似萬延元治年  宛として万延元治の年に似たり。
野老不關軍國事  野老関せず軍国の事、
粗飯一飽抱琴眠  粗飯一飽、琴を抱いて眠る。
三月十一日
圍碁
厭盡紛紛世上爭  厭尽す紛々たる世上の争、
但留客好對楸※(「木+怦のつくり」、第4水準2-14-44)  但だ客を留め好んで楸※(「木+怦のつくり」、第4水準2-14-44)に対す、
不問客從何處到  問はず客の何処より到るかを、
堪嗤衰翁索居情  嗤ふに堪へたり衰翁索居の情。
三月十二日
偶成(對鏡似田夫)
形容枯槁眼※(「目+多」、第4水準2-81-94)昏  形容枯槁、まなこ※(「目+多」、第4水準2-81-94)シコン
眉宇纔存積憤痕  眉宇纔に存す積憤の痕。
心如老馬雖知路  心は老馬の如く路を知ると雖も、
身似病蛙不耐奔  身は病蛙に似て奔るに耐へず。
轉句借放翁詩
三月十四日
交情囘首薄如煙
虚名泯去老殘身  虚名泯び去る老残の身、
始見人情眞不眞  始めて人情の真と不真を見る。
昨夜燈下交膝客  昨夜灯下交膝の客、
今朝忽作路傍人  今朝忽ち路傍の人とる。
三月二十四日
辛巳初春、殘寒未去時、氷谷博士遊于志賀
高原、見寄殘雪句、(残雪や浮世の風の来
ぬあたり、)賦詩乞正
當年同是讀書人  当年同じく是れ読書の人、
今日獨空歎老身  今日独り空しく老身を歎ず。
高原踏雪君搜句  高原雪を踏んで君は句を捜め、
陋巷擁爐我待春  陋巷炉を擁して我は春を待つ。
四月九日
偶成
身攀錦江再生縁  身は攀づ錦江再生の縁、
心似香山放妓年  心は似たり香山放妓の年。
壯圖如夢落花夕  壮図夢の如し落花の夕、
老殘寒儒誰爲憐  老残の寒儒誰か為めに憐まん。
南洲與僧月照投于錦江灣。白樂天晩年住于香山自號香山居士。
四月九日
原鼎君見贈陸放翁全集、喜甚、賦詩謝之
放翁詩萬首  放翁、詩、万首、
一首直千金  一首千金にあたひす。
擧付斯茅宇  挙げて斯の茅宇に付し、
教誇月色深  月色の深きを誇らしむ。
四月二十四日
心平
心平無厭夢  心平かにして厭夢なく、
身靜有良朋  身静かにして良朋あり。
愛此殘春夕  此の残春の夕を愛し、
悠然待月昇  悠然として月の昇るを待つ。
五月十一日
春色
仰天天碧如海  そらを仰げばそら碧うして海の如く、
看雲雲白似波  雲を看れば雲白うして波に似たり。
光滿地花滿樹  光地に満ち花樹に満つ、
愁居奈春色何  愁ひ居らば春色を奈何。
六月
性本愛文
性本愛文宿世因  性もと文を愛す宿世の因、
錯提長劍草爲茵  錯つて長剣をひつさげ草を茵と為す。
刑餘一枕蠹書裡  刑余 一枕 蠹書の裡、
造物還吾風月身  造物 吾に還す 風月の身。
七月三日
戰雲滿乾坤
心已久忘世事  心すでに久しく世事を忘れ、
姓名又人無知  姓名又た人の知る無し。
獨弄詩蝸廬底  独り詩を弄す蝸廬の底、
戰雲滿乾坤時  戦雲 乾坤に満つるの時。
七月二日
雨日感舊
余以癸酉十月二十日余之生日、入荒川東畔之小菅監獄。此日寒風吹雨、雨如雪。囚衣甚薄、粟脱膚。至今猶不能忘。一夢已八年、又賦七絶。此詩起承共借放翁句
蕭蕭風雨小江秋  蕭々たる風雨、小江の秋、
不是愁人亦合愁  是れ愁人ならざるも亦た愁ふべし。
至今猶想荒川雨  今に至るも猶ほ想ふ荒川の雨、
手械東過白首囚  手械 東に過ぐ 白首の囚。
七月六日
夏日閑居
砲火動坤軸  砲火坤軸を動かす、
蝸廬何所營  蝸廬何の営む所ぞ。
迎風撒紙※(「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1-87-69)  風を迎へて紙※(「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1-87-69)はらひ、
逐清搬楸※(「木+怦のつくり」、第4水準2-14-44)  清を逐うて楸※(「木+怦のつくり」、第4水準2-14-44)うつす。
一枕蠹書裡  一枕蠹書の裡、
千山煙雨情  千山煙雨の情。
我今死無悔  我 今 死すとも悔なし、
那又妨長生  那ぞ又た長生を妨げん。
七月十日
遣懷
宛如萍在水    宛として萍の水に在るが如し、
從風西又東    風に従うて西又た東。
此是鄙夫事    此は是れ鄙夫の事、
學者那得同    学者那んすれぞ同するを得ん。
丈夫苟志學    丈夫苟くも学に志す、
指心誓蒼穹    心を指して蒼穹に誓ふ。
惟要一無愧    惟だ一の愧なきを要す、
何必問窮通    何ぞ必ずしも窮通を問はん。
困睫※(「夢」の「夕」に代えて「目」、第4水準2-82-16)騰老    困睫※(「夢」の「夕」に代えて「目」、第4水準2-82-16)騰の老、
耳聾心未聾    耳聾するも心未だ聾せず。
寄語世上輕薄子  語を寄す世上の軽薄子、
莫擬瞞此避世翁  此の避世の翁を瞞かんと擬する莫れ。
七月十六日
この邂逅に感謝す

六月下旬、東京保護観察所よりの来状に本づき、謂はゆる左翼文献に属する内外の図書、約六百四十冊を官に収め、身辺殊に寂寞、ただ陸放翁集あり、日夜繙いて倦まず、聊か自ら慰む

雨過ぎ風落ちし跡
月さへ照れる山村の
静けさに身を置かんとて、
刑余帝京のかたほとり
エンの蝸廬を賃し、
門を閉ぢ客を謝し得て
住むこと已に五年。
たまたまここにして
一千年前の宋人ソウひと
陸放翁に邂逅す。
渭南文集五十巻、
剣南詩稾八十五巻、
詩一万余首。
何の幸ぞ、
砲声坤軸を動かす時、
紅塵万丈の巷に在りて、
ひとりわれ前輩ゼンパイに侍し、
驢にりて桟路に
早梅のあかつきをめで、
兎を焼いて駅亭に
微雪のよるを愛す。
静かなるかな
こころ太古の民の如し。
焼兎駅亭微雪夜、騎驢桟路早梅時は、放翁の句中、余の愛誦するものの一なり
八月二日夜
老いて菲才を歎く
われもまた
ありし形見ぞとほつ世に
物のこさんとねがひしも
筆を執ること四十年
ただ文屑ふみくづのみぞうづたかき
墓に入る日も近かからむ
骨をさすりて菲才を歎く
※(二の字点、1-2-22)佐藤春夫の支那歴朝名媛詩鈔、車塵集を読み、七歳の少女なほよく詩を千歳にのこし居るを見、悵然として感あり、この小詩を賦す
八月六日
歎菲才
半生從筆硯  半生筆硯に従ひ、
贏得楮塵堆  贏ち得たり楮塵の堆。
垂死悲秋客  垂死悲秋の客、
撫骸歎菲才  ほねして菲才を歎ず。
十月一日
未嘗沽
半生從筆硯  半生筆硯に従ひ、
空作蠹魚奴  空しく蠹魚の奴とる。
惟喜書百卷  惟だ喜ぶ書百巻、
一字未嘗沽  一字未だ嘗てらず。
十月一日
[#改丁]

       閉戸閑詠 第二集(昭和十七年度)
[#改ページ]

  昭和十七年(壬午、一九四二年)

昨臘家を携へて移り来り、十二年を距てて再び洛中に住む。

法然院にて
初めてここに詣でしより正に三十有余年を経たり
来て見れば三十年みそとせあまり経にしかど昔ながらにゆらぐみあかし
三十年をありしながらの姿にてわれを待ちにしこのしづけさよ

十二年目に見る京都の美しさ、なつかしさは、限りなきものあり
知恩院の鐘が鳴るかもなつかしや老いらくの耳にかそけくも聞く
十年あまり放浪の旅ゆかへりて眺むればうつくしきかな叡山の色
一月四日
今はすでに世に用なき敗残の小儒なれども尚ほ時に我を顧る故旧あるを喜びて歌へる
世を忘れ世に忘らるる我なれば尋ねて来ます友をうれしむ
世を忘れ世に忘らるる身にしあれば甲斐なき友は自然じねんりぬ

十数年ぶりに会ひたる竹田博士、老大家の風格に一段の温厚さを加へられ、真に故旧に会ひたる感を起さしむ
放浪の旅ゆかへりて相見ればふるさとに似し君がおもかげ
一月十二日
庚午正月三日、余携家移東京、當時心竊不期
生還、及今十有二年矣、頃日賃得一屋、復還
京洛、日夕毎對舊山河、感慨不少、乃賦一絶
當時竊慕古人蹤  当時窃に古人の蹤を慕ひ、
挺一身忘萬戸封  一身を挺して万戸の封を忘る。
豈圖十有餘年後  豈に図らむや十有余年の後、
老眼重對比叡峰  老眼重ねて対す比叡の峰。
二月四日
正月念七日、欲見青龍老師、訪洛北栖賢禪寺、
僧院闃不見人影、不遇而歸、至後日始知、當
時老師獨坐於深院、仍有此作、寺在上高野水
車町、溪聲頗壯、到處見水車
※(「「筑」の「凡」に代えて「おおざと」、第3水準1-89-61)訪僧踏霜行  孤※(「「筑」の「凡」に代えて「おおざと」、第3水準1-89-61)僧を訪ね霜を踏んで行けば、
空院沈沈草※(「尸+(彳+喬)」、第4水準2-8-21)横  空院沈沈として草※(「尸+(彳+喬)」、第4水準2-8-21)横はる。
惟聽青龍長廣舌  惟だ聴く青竜の長広舌、
滿山松籟和溪聲  満山の松籟渓声に和す。
(註)蘇東坡詩、溪聲便是廣長舌、山色豈非清淨身、夜來八萬四千偈、他日如何擧示人
二月五日作
閑居
洛中寒徹骨、蟄居擁爐度嚴冬、但日夕聞得東山之疎鐘、是余最所愛
閉門何所樂  門を閉ぢて何の楽む所ぞ、
聊倣古賢蹤  聊か古賢の蹤に倣ふ。
青帙悲遺響  青帙遺響を悲み、
紅爐愛暮鐘  紅炉暮鐘を愛す。
家貧飯味甘  家貧にして飯味甘く、
客少友情濃  客まれにして友情濃し。
這裡君知不  這裡君知るやいなや、
久忘萬戸封  久しく忘る万戸の封。
二月十一日
二月二十日訪洛北遂志軒、清談半日、至
黄昏辭去、連日微雪未已、歸途口占
閑客間尋遂志軒  閑客間に尋ぬ遂志軒、
黄塵不到似孤村  黄塵到らず孤村に似たり。
煮茗圍爐微雪夕  茗を煮、炉を囲む、微雪のゆふべ
白頭相對脱乾坤  白頭相対して乾坤を〔ママ〕る。
二月二十三日定
京洛寒徹骨の詩を見たまひて、須磨伯父上わざわざ真綿入りの股引きを郵送され、今また遠くより木炭を持たせて使を寄越されたれば、痛み入りつつ、礼状のはしに書きつけし一首
揀得幽居寄老身  幽居を揀び得て老身を寄す、
門前掃迹馬蹄塵  門前迹を掃ふ馬蹄の塵。
莫歎凋零交舊絶  歎ずる莫かれ凋零交旧の絶ゆるを、
雪中恩賚脛衣新  雪中恩賚脛衣新たなり。
二月二十三日
洛北法然院十韻
聞説千年昔  聞くならく千年の昔、
法然此開基  法然ここにもとゐを開くと。
十載重曳杖  十載重ねて杖を曳き、
三歎聊賦詩  三歎聊か詩を賦す。
都塵未曾到  都塵未だ曾て到らず、
湛寂無加之  湛寂之に加ふるなし。
脩竹掩徑竝  脩竹みちを掩うて並び、
痩松帶苔※(「奇+支」、第4水準2-13-65)  痩松苔を帯びて※(「奇+支」、第4水準2-13-65)かたむく。
池底紅鯉睡  池底 紅鯉〔ママ〕り、
嶺上白雲滋  嶺上白雲滋し。
深院晝猶暗  深院 昼 猶ほ暗く、
佛燈如螢煕  仏灯 蛍の如くひかる。
地僻磐韻淨  地僻にして磐韻浄く、
山近月上遲  山近うして月上ぼること遅し。
絶不見人影  絶えて人影を見ず、
時有幽禽窺  時に幽禽の窺ふ有り。
春雨椿自落  春雨 椿 おのづから落ち、
秋風梟獨悲  秋風 梟 独り悲む。
酷愛物情靜  酷愛す物情の静かなるを、
斯地希埋屍  斯の地ねがはくはかばねを埋めむ。
二月二十六日定
この詩を作りし時、法然院には墓地なきものと思へり。後に至り、そこには名家の新しき墓若干あり、三井家の墓地またここに移さるる由を聞き、わが屍を埋むるはやはり故郷に如かずと思ふに至れり。昭和十七年十二月三十日追記

竹田博士の招待にて秀と共に初めて大阪文楽座を観る
文楽やでく泣きむせぶ春の霄
でく泣くにますらを我も泣きにけり
亡びなむわざとも見えず三業のにほひとけゆく春のゆふぐれ
三月十三日
福井君に寄す
また来ませいのち短き人の世の
いのち短き春なれば。
わが住む京はうぐひすの
啼くねも高きみやこなり、
苔美はしきみやこなり、
春たけていざよふ水にちる花の
きよらににほふみやこなり。
けふ見ればさくらはすでににほほゑめり、
咲きはえむ日も近からむ
君をも待たでその花の散らまく惜しも。
三月二十五日
原鼎君寄書見論王安石詩、因繙臨川集累日、
偶春闌而花滿城
投老潛窮巷  老に投じて窮巷に潜み、
姓名世莫知  姓名世の知る莫し。
穿櫺春夜月  櫺を穿つ春夜の月、
誰對半山詩  ぞや半山の詩に対す。
四月一日
南窓小庭纔二坪餘、頃日青苔殆覆盡、余愛其如天鵞絨、毎倦書、下堂而坐石、細抽雜草、遂不留纖塵
春霄煙雨後  春霄煙雨の後、
※(「くさかんむり/出」、第3水準1-90-76)※(「くさかんむり/出」、第3水準1-90-76)填庭苔  ※(「くさかんむり/出」、第3水準1-90-76)々たり庭を填むの苔。
慇懃抽雜草  慇懃に雑草を抽き、
間拂緑絨埃  しづかに緑絨の埃を払ふ。
四月一日
洛中新居適意多
此地曾居住  此の地曾て居住、
江山故舊情  江山故旧の情。
行藥鳧堤上  鳧堤のほとりを行薬かうやくすれば、
衰楊掃石迎  衰楊石を掃うて迎ふ。
四月二日
義弟大塚有章、幽囚十年、出獄而未旬日、
忽將赴于滿洲、遂不得會、賦詩遣懷
十年曾一別  十年曾て一別、
此日君歸家  此の日君家に帰る。
問更向何處  問ふ更に何れの処にか向ふ。
不堪對落花  落花に対するに〔ママ〕へじ。
四月五日
添夢龍居士所製此君筆奉呈間宮青龍老師
貧居無所有  貧居有る所無し、
聊贈一毛錐  聊か贈る一毛錐。
頼破臥龍夢  さいはひに臥竜の夢を破れ、
春光嬾困時  春光嬾困の時。
四月十四日
訪洛北栖賢禪寺、寺者係青龍老師之創建、
雖師平生言私淑良寛上人、堂宇宏壯、不似
五合庵遠、因呈一絶
堂廡輪奐寺門新  堂廡輪奐、寺門新たなり、
師曰求貧不得貧  師曰く貧を求めて貧を得ずと。
淪落小儒聊足慰  淪落の小儒聊か慰むに足る、
暮年自是賤貧身  暮年おのづから是れ賤貧の身。
四月十九日
京洛之新緑、美無加、散歩途上口占
東山春色絶纖塵  東山の春色纖塵を絶つ、
楊柳青青楓葉新  楊柳青々楓葉新たなり。
老木殷勤有誘我  老木殷勤に我を誘ふあり、
枉爲樹下石牀人  枉げて樹下石牀の人となる。
四月二十四日
壽岳文章君、見贈新筍、味頗美、遂得詩三首
家貧身初健  家貧にして身初めて健かに、
偏愛野蔬春  偏に愛す野蔬の春。
嫩筍如黄犢  嫩筍黄犢の如く、
旨甘抵八珍  旨甘八珍にあたる。
  又
老脱利名累  老いて利名の累をまぬかれ、
纔餘飮食慾  纔に余ます飲食の慾。
春光竹菌肥  春光竹菌肥え、
一飽心君足  一飽心君足る。
  又
身健縁心靜  身の健かなるは心の静かなるにより、
食甘爲氣平  食の甘きは気の平かなるが為めなり。
竹萌頻入膳  竹萌頻りに膳に入る、
美敵五侯鯖  美、五侯の鯖に敵せり。
四月二十五日
頃日痩躯頗健、一日有一日娯、朝夕三囘
之蔬食、甘味抵八珍
老翁一日娯  老翁一日の娯、
鼓舌嘉粗飯  舌を鼓して粗飯をたのしむ。
天憐此小儒  天は此の小儒を憐み、
爲許閑人健  為めに許す閑人の健。
四月二十六日
頃日賣舊藏『國富論』、換漢籍、樂不少
蠹書聊得買  蠹書聊か買ふことを得、
青帙散空牀  青帙空牀に散ず。
誰知貧巷裡  誰か知る貧巷の裡、
亦有白雲郷  また白雲の郷あらむとは。
四月二十八日
放翁
日夕親詩書、廣讀諸家之詩、然遂最愛劍南詩稾
邂逅蠹書裡  邂逅す蠹書の裡、
詩人陸放翁  詩人陸放翁。
抱情歌扇月  情を抱く歌扇の月、
忘世酒旗風  世を忘る酒旗の風。
伏櫪千里驥  櫪に伏す千里の驥、
蹴空九秋鴻  空を蹴る九秋の鴻。
愛吟長不飽  愛吟とこしへに飽かず、
閑暮樂無窮  閑暮楽み窮る無し。
五月七日
身猶活
今朝、旧友河田氷谷博士、永眠の電報来たる。博士は余より若きこと五歳、平生健康にして、未だ曾て自ら死を期せず、且つ臨終最後の瞬間に至るまで必ず生き抜かんと努力し続けられたるものの如し。しかるに夢にも後死を期せざりし余、却て今、君の死を弔ふ。自然に一詩成る
囘首萬里程  かうべを回らせば万里の程、
自怪身猶活  みづから怪む身の猶ほ活くるを。
心願百縁成  心願百縁成り、
痩涓唯待渇  痩涓唯だるを待つ。
五月二十一日
弔氷谷博士
  詩一首 詞二首
今春三月二十二日、與河田氷谷博士相會於洛北一乘寺之遂志軒、因主人金子君之發意、三人相並而坐南窓之簷下、爲記念撮影了、更相携遊于八瀬、受博士之饗應於平八茶屋、對山臨溪、清談半日、席上余謂博士曰、花易散人易老、君亦須及早少省事、共吾等樂晩年之間適也、君可之且言、昨日偶臨于大學同期卒業生之會合、當年之同窓、今既半歸北※(「氓のへん+おおざと」、第3水準1-92-61)之塵、從古人祝還暦、吾於今覺非無其故、當時君之靜音、今尚殘存於余耳朶、誰料越而纔旬日、君忽獲病而遂不起、五月二十一日早曉爲千載不歸之客、於是吾等三人之寫眞、獨爲君空成最後之撮影、君亦不待還暦而長逝焉、眞如一夢、乃悵然賦
遲日花間水閣游  遅日花間の水閣に游び、
同君流水落花愁  君と流水落花の愁をともにす。
誰料春徂君亦逝  誰か料らむ春徂いて君亦た逝かむとは、
衰翁獨立夕陽樓  衰翁独り立つ夕陽の樓。
  又  樂府憶江南調
同遊地      ともに遊びし地、
寂寞憶君時    寂寞君を憶ふの時、
孤影龍鐘空曳杖  孤影竜鐘として空く杖を曳けば、
百花落盡一溪遺  百花落ち尽して一渓遺り、
水嗚咽風悲    水嗚咽して風悲めり。
  又  雙調憶江南
春已逝      春已に逝き、
花落割愁腸    花落ちて愁腸をく。
人易老山川不老  人老い易く山川老いず、
依稀山紫水明郷  依稀たり山紫水明の郷。
悲舊坐茅堂」   旧を悲んで茅堂に坐す。」
交契久      交契久し、
三十五星霜    三十五星霜。
君未嘗思※(「歹+且」、第3水準1-86-38)忽逝  君未だ嘗て※(「歹+且」、第3水準1-86-38)を思はずして忽ち逝き、
待終我卻弔遺芳  終りを待てる我、却て遺芳を弔ふ。
雨暗暮江〔楊〕    雨は暗し暮江の〔楊〕
六月六日、六月十日、六月二十六日、定稿
閑中好
閑中好    閑中好し
青帙散空牀  青帙空牀に散ず、
此趣人無會  此の趣、人の会する無し、
白雲環草堂  白雲草堂をめぐる。
六月十日
夏日戯に作る
何を食べてもこんなにおいしいものが
またとあらうかと思うて食べる。
大概は帙をひもといて古人の詩を読んで暮らす。
倦み来りて茗をすすり疲れ来らば枕に横たはる。
家はせまけれど風南北に通じ、
銭を用ひずして涼風至る。
こんなよい気持が人の身に
またとあらうかと疑はれる。
生きてゐる甲斐ありとつくづく思ふ。
しかしまたいつ死んでもよいと思ふ。
生きてゐてもよく、死んで行つてもよい、
これ以上の境涯はまたと世になからうではないか。
六月十三日
夏涼
茅屋階下雖不過三間、夏來而頗涼
臥月吟詩草屋隈  月に臥して詩を吟ず草屋の隈、
北窗南※(「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1-87-69)向風開  北窓南※(「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1-87-69)、風に向つて開く。
清風明月何無主  清風明月何ぞ主なからむ、
嘗賭一身贏得來  嘗て一身を賭して贏ち得来たる。
(東坡前赤壁賦、「天地之間、物各有主、惟江上之清風與山間之明月、取之無禁、用之不竭。」)
六月十四日
菩薩蠻
清風明月吟詩臥  清風明月、詩を吟じて臥す。
誰言風月元無價  誰か言ふ風月元と価なしと。
踏怒浪狂雷    怒浪狂雷を踏み、
抛身換得來」   身を抛つて換へ得来たる。」
屋如江上槎    屋は江上の槎の如く、
身是山間蝸    身は是れ山間の蝸。
紫陌九衢傍    紫陌九衢の傍、
獨棲白雲郷    独り棲む白雲の郷。
六月十四日
草廬
草廬何所樂  草廬何の楽むところぞ、
春晩賦詩頻  春れて詩を賦すること頻りなり。
小院無窮興  小院窮りなきの興、
今朝竹葉新  今朝竹葉新たなり。
六月十四日
六月十九日夢
六月十九日夜、夢に、再び安逸の生活を脱せざるを得ざる必要に迫まられ、また家人と分れ、詩書とも分れざるを得ざるかと思ひ、心せつなく、如何にせば宜しからんと迷ひ居るうち、夢始めて醒め、暫くは果して夢なりしかと疑ふほどなりき
欲重臨易水  重ねて易水に臨まんとし、
夢破粟膚生  夢破れて粟膚生ぜり。
嘗臥幽囹月  嘗て幽囹の月に臥す、
至今夢易驚  今に至るも夢驚き易し。
六月二十一日作
自畫像(六十四歳夏)
休怪作魚蠹  怪むを休めよ魚蠹とれるを、
惟愛古賢詩  惟だ古賢の詩を愛するなり。
茅堂一架帙  茅堂一架の帙、
取次百花披」 取次百花ひらけり。
天許閑兼健  天は許す閑と健とを、
粗飯甘如飴  粗飯甘きこと飴の如し。
不憂一箪食  憂ひず一箪の
不求五鼎滋」 求めず五鼎の滋。
隨分眼前樂  分に随うて眼前を楽む。
無客獨覆棋  客無くんば独り棊を覆し、
倦來則曳杖  倦み来らば則ち杖を曳いて
間尋古佛祠」 カンに古仏のほこらを尋ぬ。
別有身後慰  別に身後を慰むる有り。
扁舟弄潮兒  扁舟弄潮児、
浮沈千重浪  浮沈千重の浪。
聊期月明知」 聊か月明の知るを期す。
故舊哀貧賤  故旧貧賤を哀むも、
貧賤元所期  貧賤元と期する所。
不慙被寛褐  寛褐を被るを慙ぢず、
不羨坐虎皮」 虎皮に坐するを羨まず。
不學嘗糞陋  嘗糞の陋を学ばず、
不顧利名羈  利名の羈を顧みず。
怡怡伍鄰保  怡々として隣保に伍し、
竊喜志未移」 窃に喜ぶ志の未だ移らざるを。
旁人憐寂寞  旁人寂寞を憐むも、
寂寞何足悲  寂寞何ぞ悲むに足らむ。
千里少年夢  千里少年の夢、
愛靜老馬疲」 静を愛して老馬疲る。
招涼北窗下  涼を招く北窓のもと、
不妨庭無池  妨げず庭に池なきを。
疎鐘坐暮雨  疎鐘、暮雨に坐す、
百年最好時」 百年最も好き時。
心願已盡滿  心願已に尽く満ち、
且留悴竹姿  しばらく留む悴竹の姿。
不辭蒙霜雪  霜雪を蒙るを辞せず、
信風兩三枝」 風にまかす両三枝。
悠悠遲暮意  悠々たり遅暮の意、
無悔半生癡  悔ゆるなし半生の痴。
眞箇樂天叟  真箇楽天の叟、
舍予復有誰  われいて復た誰か有る。
七月九日定稿
途上所見
夕陽將欲沒  夕陽将に没せんとして、
紅染紫霄時  紅、紫霄を染むる時、
弄色西山好  色を弄して西山好し、
乾坤露玉肌  乾坤玉肌をあらはす。
七月十日
世事無知
生民救死不遑時  生民死を救うて遑あらざる時、
何意悠悠獨賦詩  何の意ぞ悠々独り詩を賦せる。
休怪衰翁六十四  怪むを休めよ衰翁六十四、
耳聾世事久無知  耳聾して世事久しく知る無し。
七月十五日
明月
大空に星一つなく月まろし酒のまぬ身もたかどのを恋ふ
まんまるな月のあまりに近ければたかどのに来てきだはしをよづ
老い去つて漸く寒暑を厭ふ
あつき日は秋をまちわびさむき日は春をこひつつ老いゆく身となり
七月二十九日
詩集『一点鐘』に題す
近き頃世に出でし
人の詩集を買ひ来て読む
手すりの和紙に木目のこり
活字の墨も匂ふばかりぞ
短詩四十余章
余白ゆたかに占め得て
庭ひろき深院に
なごみて貴人の住めるに似たり
そねみにかよふ心ありて
いねがての夏の夜の
はかなしや夢のとだへに
詩人うたびとならぬ身をこそ恨め
八月九日
菲才をなげく
心願すでにことごとく満ちてと
みづからはにも書きつれ
ただ一つのみ願ひ遂げ得で
いつしかにわれ世をし去るらむ
あやしくもたへなりいにし世のうたはも
そねみに似たる心ありて
蕭条たるこの垂老の秋の日に
ひとりわれ
骨を撫でつつ菲才をなげかふ
八月十三日定
中秋
平生最所愛  平生最も愛するところ
迢迢雲外鐘  迢々たる雲外の鐘
一日聾一日  一日は一日より聾し
清音又難逢  清音又た逢ひ難し
今夜天如洗  今夜こよひ天洗ふが如く
風露秋意濃  風露秋意濃し
仰月臥南※(「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1-87-69)  月を仰いで※(「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1-87-69)ナンイウに臥し
一牀聽砌蛩  一牀砌蛩を聴く
九月二十五日
殺人犯人
私が小菅刑務所に居た頃、私の監房がそれに属してゐた独居監房一翼の雑役夫をしてゐた受刑者は、癲癇もちの吃で、再犯の殺人犯人であつた。それが再びこの娑婆に出て居る筈はないのだが、今日銭湯で湯舟にはいらうとする途端に、その男がずんぶり湯につかつて居るのを見て、私はほんとにびつくりした。もちろん人違ひだつたのだが
ともに居し殺人犯人にふと出会ひ人違ひかと湯舟にはいる
ゆくりかに殺人犯人の顔を見て人違ひなるに胸をなでけり
九月二十七日
漸く無為にして過ごす日あり
いつしかにおいにけらしなふみもみであきのひとひをつくねんとしてをり
九月二十七日
菅原昌人君、余に勧むるに斎藤茂吉の歌を読むべきを以てす。よりて知人光田氏より次ぎ次ぎに茂吉歌集を借り来りて読む。従来食はず嫌ひにて斎藤氏の歌は見向きもせざりし余、これにより初めて短歌の興味を感じ、爾来日々歌をよむに至れり。しかし斎藤氏の歌にて、思想的内容ある、時事を詠じたるものは、殆ど残らず、依然として甚だ好まず
うつくしと思ふ歌ありへど吐かむ歌もまたあり茂吉の歌集
十月十日
ひとりゐ
留守居して林檎をむきて食ひけるに思ひつきてまた包丁はうちやうをとぐ
ひとりゐのものにあきたるゆふぐれを障子にとまる秋の蠅うつ
真白なるダリヤを活けてひとりゐの秋の夕日を窓ごしに見る
ややさむのそらはくもれりかめに活けし大輪のダリヤ白く浮びつ
ひとりゐてオートミールを煮てたうぶ上海の吾子あこおくりし品はも
ややさむのかはたれどきをほのぼのとまちわたりくるふるでらの鐘
以上十月十日、十月十二日
洛東法然院
この京にしづけき寺の一つありゆふぐれに来て鐘のねをきく
たかむらにくらくこもれるふるでらのもんにうづくまり山時雨よく
法然のいほりし山のこのふところは苔むしてあるか古へゆ今に
枯葉ちるさびし池に痩せにつつしづまる鯉はやもをなるらしも
葷酒不許入山門と石にらし寺の住持は銭好むらし(氷谷博士の墓地、約束後また値上げされし由を聞きて)
むかしよりわれのめでにし寺なれば友のおくつきけふも見に来つ(墓地成りをれど埋骨は未だなりき)
十月十日、十一日
故郷を思ひて
うまきものまれえぬ世とかはりつつ母老いませり我も老いゆく
桑の実の赤きを食ひて口そめしをさなあそびの友はいま一人だになし
青淵は浅瀬となりてうろくづも見えずなりぬかふるさとの川
松山をそがひにしたる青淵の鱒住みしかげも浅瀬となりぬか
以上、十月十日より十四日に至る
母の上洛したまひしは春のさかりなりしに
たらちめの来ましし春に芽ばえける赤楊はん大樹ふときははやちりそめにつつ
十月十二日
閑居雑詠
堺より真魚まなもたらして友来たるこのときつよに冥加をおもへ
老妻おいづまとわかちてべしぼらの味ひととせあまり忘れゐし味
無為にして物もらふことの多ければ経よまぬ僧とおのが身を愧づ
をさなくてなじみし村の山鳩を京のほとりにききつつ住めり
俗客のかへりみせざるしづけさをわびしきものと人おもふらし
二人ふたりして京のほとりにかくろひて心しづかに世を終へむとす
大戦たいせんの世ともおもほへずわがおいをやしなふやどのこのしづけさは
今更に生きながらへて何かせむものおしみするわれをさげしむ
秋の蚊の人をこほしみ寄りけるをたゆたふなくうち殺しけり
千丈の大浪いまに来たるらし板にすがりて浪を越さばや
明日あすよりはたばこやめむとひつつねあさあけに先づ吸ふ「さつき」のけむり
いひはめばこころ足らへりわがいのち太古の民の安けさにかも似る
いとけなき頃ゆ人にまさりて脈多し身のさが半ばここに負へるか
如何なれば生きのたづきにふけれるや人のいのちは短きものを
夕日てる雲見つつあれば今も尚ほひとやの窓の空おもはしむ
夕日てる雲見つつあれば海見ざるひさになりぬと此の十年ととせを思ふ
うたてしや思ひあがれる人のさまひとときわれもかくてありけむ
客ありて便所よごして帰りしを掃除してゐる妻を見てをり
老いさきのはや短かかる我なればよき思ひ出こそ妻にのこさな
筆とりてあらでは生きて行けぬかと妻さへ我を怪む日のあり
以上、十月十日より十七日に至る
途上所見
立ちどまり何をするぞと見てあれば放屁一つして去りゆくおうな
ふち赤き茶寮の旗のひるがへりあまざけひさぐ頃ともなりぬ
十月十日
わがねがひ
老い去りて
美しき家を好まず
美しきおみなごを見むとりせず
ただ美しき
われ朗々として誦するに足る
美しきぶんを見むことを願ふ
十月十四日
草稿「八十四歳の放翁」に題す
古き言葉をさぐりつつ
遠きこころを知らむとす
すでに老いにし身なればか
新たなる詩はでがたし
十月十四日
風のまにまに
詩を読みをればおのづから詩は成り
歌見つつあればおのづから歌生まる
風のまにまに
興のまにまに
きそまたけふ
十月十五日
洛東如意ヶ岳を望む
老眼重ねて対す如意ヶ岳
或るどんたくの午後の散歩に
ころもをはらひ杖をふりて
おどろ分けつつわれ近江路に
越えゆきし日は尚ほ若かりしも
人は老い易く山川老いず
ああまなかひの如意ヶ岳
    反歌
膝をいだきわれの居むかふ如意ヶ岳たをりの松のはるけくも見ゆ
行く雲は若うしてわれの越えにける山のたをりを今越ゆる見ゆ
十月十六日
雲二題
きそのよは崑崙山をかけ立ちてけさ雨ふらすこの大八洲おほやしま
北洋の夢やぶられてけふここに関八州を急ぎすぎゆく
十月二十四日
秋の一日
こもりゐにをしきひと日と思ひしにかぎろひあへずくもる秋の
電灯をつくるにはやきひとときを火鉢によりてたばこ吸ひをり
十月三十一日
原鼎君に寄す
蓼科のあかきこぞめの葡萄葉のひろ葉たまひしを思ひ出づる秋
同上
東京より畑田氏夫妻わざ/\尋ね来られむとす
たづねくる友は眼をとぢ汽車ぬちにゆれてあらむとひてねにつく
楽しくも遠くゆ友の訪ひくるに勧むべきもの一つなき世ぞ
十月三十一日
閑居を楽む
秋のをそがひにしつつ灸すうるひまさへありてのどに老いゆく
うつせみは弥陀仏のそのに遊ぶかと思ほゆるまでこころなぎをり
老いぬれば軽き机ぞよろしけれにあたらまくあさゆふにうつす
くさぐさの世のつねならぬ夢も見つあといくとせのうつつともよし
かへりみば六十四歳の今のさがわがをさなくてありし日のごと
かにかくに力のかぎり咲きいでて咲きみだれつつ衰ふらむか
夢となりぬや栗毛の馬に鞭あつるもののふがにも京を立ちしが(居を東京に移せしは昭和五年の一月の初なり、今や早く十三年前の夢と化しぬ)
あたたかにすぐるは分に越えむかと寒さにたへてうすぎしてをり
紙のへに白髪しらが落ちくるしきりなりみんなみのまどにふみよみをれば
四坪よつぼにも足らはぬ庭のすみながら赤ばみてゆく南天のあはれ
うす寒く曇れる秋のゆふぐれを碁譜ならべつつ人をこほしむ
しょにあきぬ碁をうつ友の今来なば嬉しからむか秋のゆうぐれ
朝な夕なをしものなべてまうほりて貧しかる身はすくよかに生く
十一月三日、四日
生日
いとけなきわれをすずろにかなしみしおほちちのとしいまこえむとす
手錠して荒川の獄に移されし秋雨あきさめのけふぞ忘らえなくに
十月二十日
清水寺
南洲の詩碑仰がむとけふもまた五条阪を登りゆくなり
いくたびかわれここに憩ふなど思ひ忠僕茶屋にあまざけをのむ
むかしわれ父にはべりて詣うでたる清水寺に曼珠沙華咲くも
名に負へる乙羽おとばヶ滝のまづしさにほほゑみたまひし父の面影
十一月三日
大原に遊ぶ 聯作三十二首
妻子らと八瀬大原の秋見むと朝晴れのけふ家をつれたつ
ことし春ははと遊びし八瀬にまた秋のなかばを吾子あこにつれらる
バスに乗り映画見るがに動きゆく山に見はりて大原に入る
大きなる庭石曳きて京に入る牛にも逢ひつ大原の野路のぢ
大原はなべて美し山くまの屋なみ美し柿の実赤く
名も知らぬ大樹ふとき黄いろくもみぢして造れるがごと山々に立つ
いかにして君に伝へむ大原の身にしむまでにたたふる秋の気
大原や時雨に逢ひて傘買ひて畑中の路に雨の山見る
しぐれたるあとのおちばの色のはえ踏むを惜みて谿の道ゆく
もみぢ葉は落ちしたまゆらにとりて濃染こぞめのさやけ賞づべかりけり
もみぢ葉のこぞめの色の色こきを君に見せなと拾い来りつ
たたなはる山のおくがの雨空に雪かと見ゆる比良の山膚やまはだ
まなかひの峰に虹たち入日さし時雨の雲は西より晴れ
黄にみのり半ばはすでに刈られある稲田のくろを尼かへりくる
いのちありて名のみ聞きゐし大原の寂光院をけふぞ見にこし
のぼりきて院のみぎりにわれ立てばかけひの音のさやに聞こゆる
ひるくらきみ堂のうちを案内あないして若き尼僧の声もさやけき
あないせる尼僧のともすらふそくのゆらぐほのほにうかぶおん
ひとたびはをさなみかどのおんあとをうみにいりましし建礼門院
思ひ見れば寿永の涙たまなしてなほこの堂ぬちにおちゐたりけむ
荒波のとよむにも似て松風の吹きすさぶ夜の夢の浮橋
深山辺みやまべ豊明とよのあかりをいやとほみ人老いにつつ月にみたたす
ここにしてつひのやどりとねむりたる人のいのちはただ詩のごとし
合掌の阿波の局の木像は安徳の御衣ぎよいを纏ふと云ふも
石仏いしぶつは三万のほとけむねにいだきもだしつつ立たす今に八百年
赤黄青三段みきだに染まるかへるでの濃染こぞめの色は見しこともなし
いにしへを見つつしぬべと枯葉ちる池のほとりの石蕗つはぶきの花
京になきうまきお萩と門前もんぜんの茶みせに憩ひ褒めつつうぶ
バス待ちてうづくまりゐる小半時こはんどき大原なればこころいらだたず
秋深みひにけにもみづ山山のはえのきわみに一日ひとひくらしつ
山城の国のまほらのたたなはる青山垣あをやまがきのこのみやこはも(家に帰りて京をたたふ)
今朝見れば君に見せなと拾ひ来しきそのもみぢ葉見るかげもなし(あくる朝よめる)
十一月五日
落葉の薄命の美をたたふる歌 六首
 昨日拾ひ来し落葉、けふは見るかげもなし
けさ見れば君に見せなと拾ひ来しきそのもみぢ葉見るかげもなし
もみぢ葉は落ちしたまゆらにとりて濃染こぞめのさやけめづべかりけり(以上二首前出)
もみぢ葉のおのづと落ちしたまゆらはさかえのきはみ枯衰ほろびのはじめ
もみぢ葉の栄のさかりはおのづから落つるたまゆらのいのち短く
落ちしける落葉おちばにはなほいのちありてたまゆらのまにたまよばひあへず
つくづくと見れば花にもいやまさる落葉らくえふを誰か知るらむ(左千夫歌集に落葉数首あり、いづれも落葉をにくめり、詞華和謌集に見ゆる大弐資通の「梢にてあかざりしかばもみぢ葉の散りしく庭を払はでぞ見る」も、未だ落葉の美を知りたる者にあらじと覚ゆ)
十一月六日
絵葉書に書きつけて友人に送れる
写真にもしみてありけめ大原のたたふる秋のものしづけさは
ゆかしともおもひてみませ千年せんねんの歴史しづまる京の秋ぞも
十一月八日
十一月九日偶成
うつくしき山川やまかはをいめむよるもあり世をわすれゆくしるしなりけめ
見も知らぬ人にもぢぢと呼ばるまで我が身のかげはふけにけらしも
列に立ちやうやくハムを買ひえてき手柄顔てがらがほして一日くらしつ
十一月九日
苔寺に遊ぶ
秋晴れを吾子あことつれたち野みちゆくけふのひとひのゆたけきいのち
遠山はきだにさぎりてほのじろく近き田のもに牛すける見ゆ
のまもる秋のうすびもあはくして苔のあをみにほのあをみつつ
庭のは木の根岩ぐまくまなくも苔にうづもる苔寺の土
広庭ひろには天鵞絨びろうどごけにうづもりて道をたばさむ杉苔すぎごけ草苔くさごけ
しめなはは白髪苔しらがごけつく杉の樹になかば朽ちつつ苔寺の隅
ひるくらきこの苔寺にかくろひてかゆしけむ岩倉具視(岩倉贈丞国は文治二年九月十五日難を避くるため姿を変じてこの寺にかくる)
苔寺の苔をも見ずてはたとせをきやうの巷にすぐしけるわれ(嘗て京に住むこと二十余年、今日初めて苔寺を見る)
苔むせる山のおくがのふるでらのかどのみぎりに砂嚢すなぶくろおく(到るところ戦時色を見る)
うどんやに小学児童もうどんたぶ配給の米足らぬにやあらむ
来て見れば人のよしとふ嵐山かははらに伏すつけ剣の銃(帰途嵐山に廻はる)
十一月十三日
氷谷博士埋骨式
 洛東法然院にて
秋のすゑ大文字山のふもとにて土に入ります君をし送る
このゆふべ君のなきがらはふるとき雲ゆきなづみ山にしぐれす
しろたへのきぬにつつまるるものとなりて土に入ります古きわが友
このくれのしげきをのへのふところにきみがなきがらいましうづむる
秋山のしぐるるゆふべ土に入る君がなきがら目守まもりつつ立つ
十一月十五日
銭湯にひたりをり余りに心地好かりければ
銭湯にもろ手もろ足うちのべて山のいでゆのここちしてをり
十一月十七日
寒き日を銭湯にひたるひとときは王者にまさるとわれ思ひをり
十二月二十四日
拙稿「大死一番」を書き了へて
ありしひをおもひいづればわかかりしおのがすがたをいとしとおもふ
一すぢに求め求めてやまざりしわかき日のわがすがた可愛かなしも

拙稿「木下尚江翁」を書き了へて
あひみしはたまゆらやどるつゆににてとはにけのこるひとのおもひで
わかき日の思ひ出いだき訪はまくと思ひゐし日に君みまかれり
以上十一月二十四日
拙稿「獄中の食物」を書き了りて
人も我もただし物のこと思ひ日をすごしゆく囚人のごと
あだよりも恐ろしからむひ物のけふこの頃のこのともしさは
朝夕に甘きものほりすめしうどと同じきさまに人みな〔な〕れり
三大節に紅白のあんもちたまはりし牢屋らうやぞむしろ今はよろしも
をすもののある国ならばいづことも移りゆかまくりす日もあり
十二月六日
雑詠
木箱よりひとつひとつとりいだし塵ふきてぶ赤き柿の実(原氏より信州の柿一箱送り来たる)
十一月十日
頭かきふみよみをれば紙のへに落ちくる髪の半ばは白き
さむき日をひねもすくりやにおりたちてわれにいひはますわれのづま
十一月十八日
四坪にも足らはぬ宿のさ庭にも小鳥来りて何かついばむ
十一月二十七日
天井をときじくさわぐ鼠ありて何食らひてか生くと思はしむ
十一月二十八日
老妻おいづまの買物に出でし小半日しぐれの雲よしばしこごるな
六十路むそぢ超え声色の慾枯れたればし物のこと朝夕に
自由日記老い果てし身のひま多くことし初めて余白なくなりぬ
日を呑みて色はえにける西山に天津乙女の玉の肌見つ
日は沈み山紫に空赤く大路おほぢ小路こうぢ灯火ともし見えそむ
十二月十日
こたつにていねつつ足を折り立てて亡き父の癖ふと思ひ出づ
うつくしと見上げしもみぢ落ちつくし乾き果てつつ吹き寄されをり
十二月十一日
はばひろにふみならしくる軍服におそれをなして道をさけにき
人気なき阪を登れば御陵あり一人の守衛ひねもす守る(花園天皇の十楽院上陵に詣づ)
砂利しける十楽院上陵の阪道の杉の木立につぐみむれとぶ
書き了へて憐むべくもおもほへり見る人もなき思ひ出のかずかず(「思ひ出」第二輯を清書し了りて)
版に刷るよすがもなくてはかなくも書きのこしおくわれの思ひ出
戦勝を神にいのらすすめらぎの忍びのみゆきけふありしとぞ
火用心火用心の声聞こゆ厠に起きしみぞれふる夜半
十二月十二日
老松のすがるる見ればかなしかり亡きおほははのすがたしぬびて
十二月十三日
山口の相沢君より重ねて餅を送られしを喜びて
亡き友の病みこやりても得ざりしをすくやかにしてすこのもちひはも(氷谷博士既に重態に陥られ食慾なかりし折、餅を欲せられしも、この時勢とて入手し得られざりしことを思ひ起して)
十月三十一日
をさな子らますべきものわれにさき送りたまひしこのもちひはも
わがとものこころこもりしもちひなりあなありがたとをがみてたうぶ
届きける木箱あくればもちひ出で蜜柑も出でつ芋もまた出づ
十二月十四日
間もなく米寿を迎へらるべき伯父上を須磨に見舞ふ、往復途上口占
竹藪をそがひにしたる家ののき干せる大根陽あたりよきも(電車中近望)
陽あたりの好き家見ればなにとなく羨みて見る老に入りぬる
老い去りて尿近くなり電車にて途中下車を余儀なくされぬ(尿意耐へがたく灘に下車す)
手紙には衰へたりとのらす伯父けふ相見れば矍鑠くわくしやくとして
八十七にならせたまへる伯父訪へばひとりかたりて人のこと聞かさぬ
ふるきこと頻りに語り今の世は知らさぬがごとわが老いし伯父
何度なんどでもけふは何日なんちときくまでにわれけたりと伯父ののらする
ただ二つけさ来たばかりとのらしつつ出してたうべし羊羹のつつみ
天つ日はひかりかがやき海のは行きかふ船のこなたかなたに(須磨浦所見――船なしといへど未だ船影なきまでには至らず)
ゆらゆらとこぎたみてゆく船見れば戦ひのある日ともおもほへず
ひさに見ぬ海辺に立てばふるさとの麻里布の浦の眼に浮かぶかも
入日さすいただきのみはほのあかく煙れるがごと暮るる群山むらやま(帰途所見)
十二月十五日
偉人レーニンを思ふこと頻なり
たたかひにやぶることのみひたふるにねがひし人もむかしありけり
ふたたびは見る日なけむと決めてゐしレーニン集が今はこほしき
十二月十六日
末川君の南行を送りて
おほぞらゆあらぶわだつみしたにみてみんなみのしまにとびてゆく君
みんなみにおもむく君をおくるにもこのたたかひのゆくへうれたき
たたかひはさもあらばあれゆかばまづうまざけくみてししたうべませ
うまざけをくむたかどのゆみはるかすひろらなる海八十やその島々
うみこえていやすくよかにならせつつとくかへりませ京のひがしに
十二月十七日
白石※(「山/品」、第3水準1-47-85)君の招待にて南座顔見世興行を観る
いにし日のなごりかそけきうつそみのけふいめのごと南座に入る
ととせまへはつちにひそみて朝な夕なの光さへ避けゐたるわれ
教へられやうやうに知る魁車の顔も声もみな忘れをり
大きかりし幸四郎もししやせて声のちからも衰へけるか
遠つ世の夢路に会ひし人かとも名も変りゐる梅王を見守まも
ふと思ふ大鼓たいこ鳴りて松王出でし二時の半ばはひとやのゆふげ(刑務所の夕食は十二月中午後三時半の定なれど日曜日祭日などは一時間繰り上げて二時半なりそれより全く火の気といふものなく窓の隙間よりは木枯の吹き入る監房の中にて湯さへ飲み得ず袷の股引を素肌に穿ちつつ便器に腰かけ就寝時間の来たるを待つ間の寒かりしこと長かりしこと今においてなほ忘られず歓楽の境に入り温飽の身を感ずる毎に忽ちにして当年を想起するを常とするなり)
十五年見ざりしものをけふ見つつゆたけきいのち一日経にけり(昭和三年春大学を退きし前年の冬より今に至るまで正に十有五年を経たり)
十二月二十日
雑詠
わが歌はわが子の如しみにくくも生まれし歌はみな棄てがたし
十二月六日
干柿ほしがきは一つ十銭と聞きつつもけふの一日ひとひに三つ食ひけり
あぢはひのよろしきろかも老妻おいづまのかしげるものはなべてよろしも
九時すぎてさてと言ひつつ銭湯に出でゆく妻の下駄のあしおと
夜はふかみまちのとよみの消ゆなべに老ひにし耳に蝉なきやまず
鳴きしきる虫をまぢかに聞くごとし聾ひにし耳のよもすがら鳴る
眼も遠き耳さへ遠く心また遠きくにべを思ひをるかな
炬燵火こたつびにもろ手もろ足さし入れて心に浮ぶうたかたを追ふ
忽ちにかき曇りつつ雪ふりて忽ちには照る京の冬空
買物の列に立ちゐる妻を待ち吹雪のやむを祈りつつをり
看板はみな偽りとなり果てて餅屋に餅なくそばやにそばなく
十二月二十日
ハム買ふと長蛇の列に加はりて二時間待ちてはつはつに買ふ
十二月二十二日
小林輝次君に送る
久振りの来状頗る元気なかりければ
たたかひに得つる病の癒えがてにさびしみて君一人居るかも
さびしみて君ひとり居ると聞くなべに我もさびしむ百里へだてて
ときじくはまづしきゆふげともにして高やかに笑ふみ声聞かましを
君まさば時めく人をよそに見て碁など囲みてゑみてあらましを
えにしあらば尋ねても来ませ老妻と京のほとりにわびて住むやど
十二月二十三日
原鼎氏に送る
数十日ぶりに長文の手紙来たる、今年も個展の成績頗るよかりし由
熱病につかれしがごと絵につかれ三月ふみせずうちすぎし君
うれしくも個展の成績よかりしと親に云ふごと我に云ふ君
今もなほ天下てんか好事の客ありてうれしみて君の絵求むとや
仔兎の一つは眠り上ぼる月見て一つ立つ絵の見まく
克明に一つ一つの鱗かき雲母おとせし鰈の絵はも
春されば尋ねても来ませ東山いさよふ水に花のちる頃
一たびは尋ねて来ませ洛東に老いゆく我の尚ほ生けるうち
来ます日はます米持ち来りませ米さへ乏し今のわが庵
老妻おいづまのかしげるいひうべつつ語りあかさな春の一夜いちや
十二月二十四日
歳末歌屑
またここをいゆきするかとゆめにみつさめてののちはいづこともしらえず(たび重なりてあり/\と同じ土地に遊ぶ夢を見、夢の中にてしか思ひながら、さめての後は茫漠として定かならず、人にもかかる経験あるものにや)
堺より一羽のとりを割きもちて尋ねてくるる友もありけり(福井君来訪。この頃鶏肉を手に入るること極めて難し。食事の公定価格は一人五円を最高限とするの規定なるも、二十五円出さばいつにも鶏肉を食し得る料理店あり、また一羽十五円出さば鷄一羽入手し得べしなどいふ噂を耳にすれど、所詮我には縁なきことなり。この日福井君一羽の鶏を割かしめ、大皿に盛りて遠く堺より持ち来りくれらる。好意感謝すべきなり。乃ちしるこを作りて饗す)
ふるさとの小豆あづきに湯山の餅入れてはつかにつくる味こきしるこ
十二月二十五日
朝な夕な諸行無常とひびきたる寺々てらでらの鐘いま大砲おほづつとなる
とつくにの行列買をあざけりし日本人につぽんじんが今は列成すも
権力の命ずるがままに寝返れる女郎ぢよらうの如き学者ぞあはれ
おしなべて富める家庭はひややかに貧乏夫婦はよく喧嘩すも(原君の手紙の中に夫婦喧嘩のことなど書きありしより、自らも省みて)
末梢の些事を女房と争ひて怒れる我は見るにみにくし
身をおくにせまき家居をかこたざれせまき心ぞ恥づべかりける
貧しかる狭き家居も住む人のひろき心に家ぬちうるほふ
もろもろの物資ともしくなる〔な〕べに盗みごころの日々ひびにはびこる(銭湯にて屡※(二の字点、1-2-22)シャツを盗まるる由聞きて)
十二月二十六日
配給の餅は一升四合ゆゑ湯山の餅はうれしかりけり(熊本県水〔上〕村湯山の北御門氏より重ねて餅を送り来たる)
朝あけに水道氷り北山は雪まだらなる冬となりけり
おしなべて読む物よりもし物〔を〕喜ぶ老に我は入りけり(鈴木安蔵自著を寄せられしに対し)
十二月二十九日
ひとやにて八年やとせまへより聞きゐたる〔進〕々堂のパンをけふ
わが友の日本一ぞと褒めゐたるパン屋のパンも今あはれなり
列なしてただ一きれのパン食むとまちにあふれて待ちゐる人々
十二月三十日
除夜なれどこよひは除夜の鐘聞かず寺々の鐘みな武器となり
十二月三十一日

底本:「河上肇全集 21」岩波書店
   1984(昭和59)年2月24日発行
底本の親本:「河上肇著作集第11巻」筑摩書房
   1965(昭和40)年
初出:「河上肇著作集第11巻」筑摩書房
   1965(昭和40)年
※漢詩の白文に旧字を用いる扱いは、底本通りです。
※底本はこの作品で「門<日」と「門<月」を使い分けており、以下では、「門<月」を用いています。
・※[#「門<月」、76-下-12]窗枕帙夢江南  ※[#「門<月」、76-下-12]窓帙を枕として江南を夢む。
・※[#「門<月」、77-上-5]居空戀人  ※[#「門<月」、77-上-5]居して空しく人を恋ふ。
・閑客※[#「門<月」、85-下-15]尋遂志軒  閑客※[#「門<月」、85-下-15]に尋ぬ遂志軒、
・※[#「門<月」、87-下-16]拂緑絨埃  しづかに緑絨の埃を払ふ。
・共吾等樂晩年之※[#「門<月」、90-下8]適也、
・※(カン)[#「門<月」、93-下-1]尋古佛祠」  ※[#「門<月」、93-下-1]に古仏の祠(ほこら)を尋ぬ。
※底本では、短歌に改行なしで続く括弧書きは、折り返し以降が1字下げになっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※〔〕書きされた部分は編集部が付したものです。本文内の〔〕は編集部の追加及び脱字を補ったもの、注記された〔〕は誤りを正したものです。
入力:はまなかひとし
校正:林 幸雄
2008年10月3日作成
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