次郎の中学一年の生活も、二学期が過ぎて、新しい春がめぐって来た。入学試験に一度つまずいた彼は、もうそろそろ青年期に入ろうとしているのである。
 青年期になると、たいていの人が、程度の差こそあれ、理想と現実との板ばさみになって、光明か暗黒かの岐路きろに立つものだが、読者が、これまで、いくぶんせっかちだと思われるほどの気持になって知りたがっていたのも、恐らく彼のそうした生活であったらしく私には思われる。で、私も、この巻では出来るだけ彼のそうした生活について語りたいと思っている。
 だが、言うまでもなく、青年期の生活は、青年期だけで独立してはじまるものではない。青年次郎の生活を準備したものは、まさしく少年次郎であった。少年次郎の生活は、ちょうど山川の水が平野の川を流れて行くように、青年次郎の中に生きて行くのである。だから、少年次郎を知ることなしには、青年次郎の喜びも悩みもほんとうにはわからない。そこで私は、これからはじめて彼を知ろうとする人々や、これまで彼を知るには知っていても、彼の十五年間の生活の意味を、まだじっくりと考えてみる時間を有しなかった人々のために、ここで一応彼の過去をふりかえって、私の次郎観といったようなものを述べておきたいと思う。読者の中には、あるいは、それを無駄だと思う人があるかも知れない。しかし、それが無駄であるかどうかは、一応それに眼をとおしてから決めてもらっても、おそくはあるまいと思う。と言うのは、無駄なことを読むよりも、無駄なことを書くことの方が、はるかにより多くの時間を無駄づかいするものだということを、最もよく知っているのは、読む側の人ではなくて、書く側の人なのだから。

     *

 次郎の天性――くわしくいうと、彼が生れ落ちたときに、天から授かった生命の生地のままのすがた――が、どのようなものであったかは、むろん誰にもわかるはずがない。それは、おそらく、神様だけの胸に納まっていることであろう。およそわれわれが個々の人間の性質について知りうることは、その人間が、この世の空気を多少とも呼吸したあとのことなのである。そして人間は空気とともに運命をも呼吸するものだが、その運命は、人間の天性を決して生地のままにはしておかないものなのだ。
 とりわけ、次郎はかなりきびしい運命の持主であった。しかもその運命は、生れてすぐの子供にとってはほとんどその生活の全部だともいうべき母乳が、母の乳房に十分めぐまれていなかったという事実にはじまったのである。もっとも、母乳の欠乏というようなことは、何も取立てて言うほど珍しいことではなく、世間には母の思慮深い処置によって、それを運命というほどの運命と感じないで育って行く子供も、ずいぶん多いのである。だから、次郎の場合、もし母の無思慮、というよりは、その生半可な教育意識が、乳の欠乏ということをきっかけに、つぎからつぎへと母としての不自然さの罪を犯してさえいなかったら、次郎の運命はあるいは全くちがったものになっていたのかも知れない。そう考えると、彼のきびしい運命は、母の乳房からはじまったと言うよりは、その乳房の二三寸奥の方からはじまったと言う方がおそらく正しいであろう。
 ともかくも、お民のような母をもった子供が、生れ落ちた時に授かった天性をそのまま伸ばしていけるものかどうかは、すこぶる疑わしいのである。われわれは、これまで、次郎がしばしば怒り、悲しみ、あざ笑い、歎き、そしてさからうのを見て来た。また、時としては、疑い、悶え、省み、恥じ、そして考えこむ姿にも接して来た。彼は、勇敢であると同時に怯懦きょうだであり、正直を愛すると同時に策謀を好む少年であるかにさえ思われたのである。あるいは、そういうのが彼の本来の面目であったかもしれぬ。そして運命がたえずそれに糧を与え、彼という人間を一層彼らしく育てあげていたとも言えるであろう。しかし、また、彼が天から授かった性質はもっと純粋でなごやかなものであったのに、運命がそれをゆがめ、こねまわして、遂に彼ならぬ彼を作りあげてしまった、と言えないこともないのである。だが、そうしたことの判断は、所詮しょせん、神様だけにおまかせするより仕方がない。かりにその判断が我々に下せたとしても、過去の運命というものが我々の手で帳消しできない以上、また、かりに帳消し出来たとしても、帳消しにすることによって次郎が現在以上の人間になれると請合うけあえない以上、今さらとやかく詮議せんぎ立てしてみても、はじまらないことなのである。
 次郎について、われわれの知っておかなければならないもっと大事なことは、神のみが知る彼の天性が、彼のきびしい運命と取っ組みあって行くうちに、彼が一個の生命としての健全さを失いはしなかったか、ということである。彼の天性が、天性のまま伸びたかどうかは、「永遠」に向かって流れて行く生命の立場からは、元来大した問題ではない。生命の流れは「運命」の高低によって、あるいは泡立ちもしようし、あるいは迂回うかいもしよう。また、時としては、真暗な洞穴ほらあなをくぐる水ともなろう。かりに、最初東に向かって流れ出したのが西に向きをかえたとしても、途中でとどこうりもれもせず、そして、運命の岩盤の底からでさえも新しい水を誘い出して流れに力を加え、たゆむことなく「永遠」の海に向かって流れることをやめないならば、それは一個の生命として健全さを失ったものとは言えないであろう。大事なのは、次郎が果してそうした健全な生命の持主であったかどうかということであるが、その点では、われわれは彼をある程度信用してもよかったようである。
 次郎は、よかれあしかれ、たえず何かの喜びを求める少年であった。そして求めるためには、決して立ちどまることをがえんじない生命の持主であった。彼は、彼の幼年時代を、すべての健康な子供がそうであるように、ひとびとに愛せられる喜びを求めて戦って来た。そして求めた愛がこばまれると、彼の戦いは相手に対する反抗や、虚偽の言動となり、また第三者に対する嫉妬ともなって現れたのであるが、それはむしろ、求むる心の熾烈しれつさを示すものに外ならなかったのである。――求むる心は水の流れと何様、その流れが急であればあるほど、障碍にぶつかって激するものだが、このことは、幼い子供をもつ母親にとって忘れられてはならないことなのである。それは、幼い子供が何よりも烈しく求めるものは母の愛だからである。次郎の母が、次郎が十一歳になるまで、このことに気がつかなかったということは、次郎にとっても、母自身にとっても、何という不幸なことであったろう。しかし、回時に、その不幸が次郎の求むる心を打ちひしぐほどのものでなかったということは、彼の生命の健全さにとって、何という仕合わせなことであったろう。
 次郎が、ついに母の至純な愛をかち得たときの喜びは、それが久しく拒まれていたものだっただけに、限りなく大きいものであった。この時の彼の喜びこそ、彼を「永遠」への門に近づける第一歩だったとも言えるであろう。彼の愛を求むる心の態度は、それを一転機として飛躍的に深まっていった。彼は、それ以来、もう完全に一箇の自然児ではなくなったのである。そして、間もなく、母の死という悲しい運命によって、無限に尊いその愛が失われた時でさえも、彼は、その死を乗りこえて母の愛を信ずることが出来たのである。
 むろん、彼がこうした戦いを戦いぬく力は、彼自身の内部だけにあったとは言えない。もし、彼を里子として育ててくれた乳母のお浜の、ほとんど盲目的だとも思われるほどの芳醇ほうじゅんな愛や、彼の父俊亮の、聰明そうめいで、しかも素朴そぼくさを失わない奥深い愛が、いつも彼の背後から彼を支えていてくれなかったならば、そして、また、彼が物心づくころから、しばしば入りびたりになり、あとでは、生家の没落のために、ただ一人その家に預けられさえした正木一家――母の実家――ののびのびとした温い空気が、彼を包んでいてくれなかったならば、彼の求めてやまない魂も、あるいは何かの機会にひしゃげてしまっていたのかもしれない。人間は、全然食物のないところでは生きることが出来ず、全然光のない世界では物を見ることが出来ないと同様、全然愛のない世界では希望をつなぐことが出来ないものなのである。彼が、怒り、泣き、悲しみ、そして疑いつつも、ともかくも内なる生命の火をかきたてて生きる望みを失わなかったのは、そうした愛の支えがあったればこそである。そしてその点では、彼は恵まれすぎるほど恵まれた子供であったともいえるであろう。世には、もっときびしい運命のもとに育っている子供がざらにある。われわれは、あてのない隣人愛だけを唯一の支えにして生きなければならない子供が、ここかしこにうろついていることを忘れてはならないのだ。
 亡くなった母の遠い世界からの愛を信じ、それを清澄な暁の星のようにさえ感じていた次郎が、間もなく継母を迎えなければならなくなったときの惑乱わくらん、しかもその継母が、彼を愛するためにのみ迎えられると知った時の狼狽ろうばいは、あわれにもまたほほえましいものであった。彼は、そうした惑乱と狼狽との後で、亡くなった母への思慕を胸深く秘めつつも、結局、すなおに新しい母の愛に抱かれる喜びを味わうことが出来たのであるが、それは、彼が、彼を愛しようとする人に顔をそむけてまで暗いところを見つめるほど、ひねくれた心の持主ではなかったことを証明するものであった。彼のこのすなおさは、やがて大巻一家――継母の実家の人々――とりわけ、彼のためには、新しい祖父であった運平老の仙骨によって、いよいよ拍車をかけられることになり、彼の生命の健康さは、継母を迎えたためにかえって増進して行くかにさえ思われたのである。
 運命は、しかし、そのすなおな生命を、間もなく裏切りはじめた。彼の運命の最も冷酷な代弁者は、いつも本田のお祖母さんだったが、この時もまたそうであった。お祖母さんは、彼に対する愛の欠乏から、彼をして中学の入学試験に失敗せしめる原因を作り、また継母の彼に対する愛を他の子供に向けかえさせるためにあらゆる手段を用いた。こうして彼は、ふたたび新しい形での里子に押しもどされようとしたのである。彼も、さすがにその時には、喜びに対する一切の望みを絶つかとさえ思われた。彼は、彼がこれまで求めて来た人々の愛を強いて拒みはじめた。愛を求める彼自らの心を、恥じ、おそれさげすみはじめた。そして十四歳の少年にしては、あまりにもむごたらしい自己嫌悪にさえ陥りかけたのである。こうしたことが若い生命にとっての大きな危機でなくて何であろう。
 だが、こうした危機ですらも、彼の場合においては、決して彼の生命の不健全さを示すものではなかった。むしろ、それは、彼が彼の運命に打克うちかつ新たな道への曲り角に立ったことを意味したのである。彼の眼はそれ以来次第に内に向かっていった。そして、彼は彼がこれまで求めて来たものが、いつも彼自身の外にあったのを知った。外なるものはいつも動く。内に不動なるものを確立しないかぎり、その求むる喜びは泡沫ほうまつのごときものに過ぎない。彼は、そうした真理におぼろげながら気づきはじめた。そして、いよいよ、自分の弱さとみにくさとを恥じ、自己嫌悪に拍車をかけていった。この自己嫌悪は、しかし、同時に彼の自己鍛錬であり、彼が真の意味で彼自身の生命を開拓して行くための大きな転機だったのである。彼は沈默がちになり、心から笑うことも怒ることも出来なくなった。それは彼の内省による心の分裂を示すものであった。また彼は、時として思いきった言動にも出た。それは、むろん、彼自身では、ある確信をもってやっていたことではあったが、はたから見ると必ずしも正しかったとばかりはいえなかった。むしろ、周囲の人々をして眉をひそめしめるようなことが多かったのである。だが、もし「考える」ということが人間を人間らしくする最も大切な条件の一つであるならば、彼がその間に人間として伸びつつあったことだけは、たしかである。われわれは、青年期に近づいた少年が、沈默がちになったり、すなおでなくなったり、そのほか、大人の常識では理解の出来ない言動に出たりするのを見て、直ちにその少年が生命の健全さを失いつつあるものと速断してはならないのだ。飛行機でも船でも、その方向を転ずるためには、必ずその胴体を傾ける。そしてその方向転換が急角度であればあるほど、その傾きも大きいのである。次郎が、これまで外に求めていたものを内に求めるようになるために、甚しく心の平衡へいこうを失ったのは、むしろ当然だったといわなければはるまい。その意味で、私は、彼の自己嫌悪が自己嫌悪に終らず、その失われた心の平衡が、彼自身を転覆てんぷくさせるほど甚しいものでなかったことを、むしろ彼のために祝福してやりたいとさえ思うのである。
 だが、この場合にも、われわれは、彼が彼自身の力のみで彼の生命を健全に保つことが出来たと思ってはならない。愛の支えは、いかほど独立不になろうとする生命にとっても必要なのである。愛は、愛を拒もうとするものにこそ、最も聰明そうめいに与えられなければならないのだ。
 では、次郎に対してこの役割を果したものは誰だったか。それは、もはや、乳母や、父や、正木老夫婦ではなかった。というのは、彼らのうちのあるものは、それに堪えうるだけの聰明さを十分に持ちあわせていたとはいえ、次郎にとっては、あまりにも身近な相手であり、そして、彼らの愛におぼれることを、彼自身強いて拒もうとしていた相手だったからである。
 この場合、次郎が、権田原先生の教えをうけていたということは、何という仕合わせなことであったろう。権田原先生の教え子に対する愛には、深い思想があり、寛厚で、しかも枯淡な人格のひらめきがあった。そしてその愛の表現には、次郎が強いて拒もうとする、色の濃い、血液的な表現とは、かなりちがったものがあった。次郎にとっては、それは愛というよりは、何かもっと質のちがった、高貴なもののようにさえ感じられていたのである。かような種類の、身近にいてしかも高く遠いところから与えるといったような、迫らない、思慮ある愛こそ、次郎のように「考える」ことをはじめた少年にとっては、何よりも大切な愛だったのである。
 大巻運平老の仙骨と、その息徹太郎の明敏で快活な性格も、また権田原先生に劣らず重要な役割を果していた。この二人は、共に、何か第一義的なものを心の底につかんでおり、しかも、二人の間柄は、親子というよりはむしろ友達といった方が適当なほど、愉快なものであった。気のまわることでは本能的でさえあった次郎が、継母の父であり弟であるこの二人に、何のこだわりもなく近づき得たのも、そうした二人の間柄が、おのずと彼にまで延長されていたからであろう。次郎は、二人に近づくことによって、愉快な空気を呼吸し、いつとはなしに、彼自身の生命を健康に保つ力を汲みとっていたのである。もっとも、二人の彼に対する愛は義理ある関係から生じたものであり、従って、最初はいくぶん作為されたものであった。しかし二人がつかんでいた第一義的なものは、その愛の表現を決してぎごちないものにはしなかったのである。
 兄の恭一が次郎を支えていた力も、決して小さいものではなかった。恭一の胸には、青年期の初期にありがちな鋭い正義感が燃えていたが、それが彼の次郎に対する愛の表現を特異なものにした。青年や、青年期に近づいた少年の動揺する心を最も有效に支えうるのは、多くの場合、同年輩か、あるいは、あまり年齢のへだたりのない年長者の、こうした種類の愛である。次郎がその頃、乳母の愛とともに、彼にとって至上のものであった父の愛すら拒もうとしながら、兄との親しみを日ごとに深めていった秘密は、そこにあったのである。
 幼年期から少年期の初期にかけては、たいていの人間は、よき親を恵まれることによって、自分の生命の健全さを保つことが出来るものである。だが、そろそろと青年期に近づくにしたがって、よき師と、よき兄弟と、よき友とは、時として、よき親以上に大切になって来るものだ。それは決して次郎の場合だけには限られないであろう。
 次郎の危機は、おおかた一年近くもつづいた。しかし彼は、こうして、彼自身の内からの力と、周囲の人々の外からの力とによって、ともかくもそれを切り抜けることが出来た。そして間もなく待望の中学にはいることになったが、その第一日に上級生からうけた無法な暴行は、幼年時代から彼の心に芽ぐみつつあった正義感を一挙に目ざめさせた。同時に彼の関心の中心は家庭から学校に移り、小さいながらも、一つの「社会」が、彼の前にそろそろとその姿を現わしはじめたのである。
 彼の正義感は、葉隠四誓願の一つであり、そのまま校訓の一つともなっていた「大慈悲」の精神と結びついて、彼をして、半ば無意識のうちに「愛せられる喜び」から「愛する喜び」へと、その求むる心を転ぜしめていた。そして、彼が、兄の親友で、「親爺」の綽名あだなで生徒間に敬愛されていた大沢と相識ることを得たことは、正義と慈悲への彼の歩みを、一層強健なものにしたのである。
 そのうちに、彼は、ある日、はしなくも、卑劣な一上級生によって、忍びがたい侮辱を加えられ、ついに敢然かんぜんとして立ちあがることになった。この時、彼は、彼の手に小さな兇器きょうきをさえ握っていた。そして、彼の唇からほとばしり出た正義と公憤の言葉は、卑劣な暴力においてはひけをとらないさすがのその上級生を、ぐいぐいと窮地に追いこんでいったのである。
 この思いきった闘争のあとで、彼が朝倉先生の「澄んだ眼」を発見し、その唇をとおして「見事に死ぬことによって見事に生きる」大慈悲の道を聴き得たことは、彼がはじめて肉親の母の愛を感じた時にも劣らないほどの大きな感激であった。
 彼は、あとで、この大きな感激の原因となったものを、つぎつぎにさかのぼって考えていったが、その直接の原因が、かの卑劣な上級生であったことに気がついて、因縁の不思議さに先ず驚いた。しかも、原因は無限につらなっていた。乳兄弟のお鶴、乳母、そうして亡くなった母、とそこまで考えていって、彼は、人間相互のつながりの深さと広さとに思いいたり、ついに、ある神秘的なものにさえふれていったのである。これが彼の宗教心の芽生えでなかったと、誰が言い得よう。
 この時の彼の深い感激は、彼をして「愛せられる喜び」を求むる心から「愛する喜び」を求むる心への転向を、はっきりと彼自身の心に誓わせ、さらに、その誓いによって、父と、祖母と、継母と、兄と、乳母との前で、彼の過去を懺悔せしむるまでに、彼の心を清純にし、勇気づけたのである。
 彼のこの道心が生み出した周囲への結果も、またすばらしいものであった。彼は、乳母の彼に対するこれまでの盲目的な愛を一夜にして道義的、理性的ならしめた。そして翌日には、家族がうちそろって、――彼の運命の最も冷酷な手先であったお祖母さんをさえ加えて、――乳母とともに、継母の実家である大巻の家をいかにも楽しげに訪問するという、本田家はじまって以来の奇蹟を生み出したのである。
 その日の彼は限りなく幸福であった。そして、彼の胸は、運命に打克つ自信で張りきっていた。彼の生命は、全く健康そのものだったのである。
 だが、彼の幼年時代からの運命によって、彼の心の奥深く巣食って来た暗いものや、ゆがんだものが、それで果して全く影を消してしまったであろうか。彼の自信と幸福とが、そのまぼろしによっておびやかされるようなことが、このさき絶対にないといえるであろうか。そしてまた、彼の将来の運命の波は、彼の生命の健全さをあざけるほどに高いものでないと、はたして保証されうるのであろうか。私は読者とともに、これから注意ぶかく彼の生活を見まもって行きたいと思うのである。

「大丈夫かい、次郎君。」
 大沢がうしろをふり向いてにっこり笑った。恭一もちらと次郎の顔をのぞいたが、その眼は寒く淋しそうだった。
 日はもう暮れかかって、崖下を流れる深い谷川の音がいやに三人の耳につき出していた。水際に沿って細長く張っている白い氷の上に落葉が点々とみついていたが、それが次郎の眼には、さっきから、大きな蛇の背紋のように見えていたのである。
「大丈夫です。」
 次郎は、力んでそうは答えたものの、さすがに泣出したい気持だった。
「ひもじいだろう。」
 大沢は彼と肩をならべながら、またたずねた。
「ううん。」
「あかぎれが痛むんかい。」
「ううん。」
「寒かあないだろうね。」
「ううん。」
 次郎は、じっさい、寒いとは少しも感じていなかった。外套なしの制服で、下にはシャツ一枚だったが、坂道を歩くには、それでちょうどよかったのである。しかし、ひもじくないというのも、あかぎれが痛くないというのも、たしかに嘘だった。何しろ、今朝歩き出してから、弁当の握飯の外には水を飲んだだけだったし、足は足袋なしの下駄ばきだったのだから。
「もう少し行ったらきっと家が見つかるだろう。このぐらいの路がついていて、三里も五里も人が住んでいないはずはないんだよ。」
 大沢は励ますように言った。次郎は答えなかった。すると恭一が急に立ちどまって、
「引きかえした方がよかあないかなあ。」
「さっきの村までかい。」
 と、大沢も立ちどまって、
「しかし、あれからもう二里はたしかに歩いたんだぜ。」
 次郎は、もうその時には、路ばたの木の根に腰をおろし、二人の顔を食い入るように見つめていた。
 三人が、この冬の真最中まっさいちゅうに、「筑後川上流探検」――彼らはそう呼んでいた――をはじめてから、すでに四日目である。探検とはいっても、べつに周到な計画のもとにやりはじめたのではなく、三人とも地図一枚も持っていなかった。久留米までは汽車で来たが、それからは川に沿って路のあるところを、本流だか支流だかの見境もなく、ただやたらに奥へ奥へと歩き、そして、日が暮れそうになると、行当りばったりに、寺があれば寺、それがなければ農家に頼んで泊めてもらい、翌朝弁当を作ってもらって、一人あたりなにがしかのお礼を置いて来るといったやり方だった。何でも、第二学期の試験がすんだ日、大沢がたずねて来て雑談しているうちに、誰かが「背水の陣」という言葉をつかったのがもとらしく、自分で自分を窮地きゅうちおとしいれて苦労をしてみるのも面白いではないか、という意見が出、更にそれが、「無計画の計画」という大沢の哲学めいた言葉にまで発展して、翌日から、さっそくそれを実行に移そうということになり、これも大沢の発案で、「筑後川上流探検」ということに決まったわけなのである。
 旅費も、むろん、そんなわけで、十分には用意していなかった。もっとも、恭一や次郎にしてみると、許しも得ないで家を飛び出すわけにはいかず、だいいち一文なしではどうにもならなかったので、大沢の帰ったあとで、二人が父の俊亮におずおずその計画を語すと、俊亮は、
「次郎も行くのか。」
 と、笑いながら、わけなく二十円ほどの金を出してくれた。それに、はたで聞いていたお祖母さんも、心配しいしい、恭一の財布にいくらかの小銭を入れてくれたので、汽車に乗る前には、大沢の懐にしていた分まで合わせると、三十円近くにはなっていたのだった。それを大沢が全部一まとめにして預かることになり、今日まで何もかも賄って来たというわけだが、それも、しかし、恭一の胸算用では、もう半分以下に減っており、そろそろ引きかえす方が安全だと思えていたのである。
 大沢は、恭一がいつまでたっても返事をしないので、今度は次郎の方を向いて言った。
「どうだい、次郎君、進むか、退くか、今度は君にきめてもらおう。」
 次郎は、今から二里の路を引きかえすのは大変だ、という気がした。それに、大沢の言った「進むか、退くか」という言葉が、いやに強く彼の耳に響いた。また、一軒家ぐらいは、もう間もなく見つかりそうだ、という気休めも手伝って、
「進みます。」
 と、彼は元気よく立ちあがり、真先にあるき出した。
「多数決だ。」
 大沢は恭一を見て微笑した。すると恭一も淋しく微笑をかえして、うなずいた。
「これからが、いよいよ無計画の計画だよ。」
 歩き出すと間もなく、大沢がそう言って大きく笑ったが、恭一も次郎もそれには返事をしなかった。
 それから十五六分も歩いたが、人家はむろんのこと、人一人にも出逢わなかった。そして、水音は白い泡だけを残して、しだいに闇をくぐりはじめた。路と川との間に、ところどころ杉木立があったが、その陰をとおると、大きな羽根をもった魔物にでも襲われているような気持だった。
「方角はどうなっているんだろう。」
 恭一は心細そうにたずねた。
「さあ。」
 と、大沢は、せまい空を仰いだが、二つ三つ淡い星が見えただけで、方角の見当は彼にもまるでつかなかった。
「とにかく、上流に向かっていることだけは、間違いないよ。」
 彼は、のんきそうにそう言ってから、すぐ、どら声で校歌をうたい出した。すると山彦が方々からきこえ、急に賑やかになったようでもあり、かえって物すごいようにも感じられた。
「本田、歌えっ。次郎君も歌えよ。」
 校歌の一節を一人で歌い終ると、彼はどなった。次郎は、しかし、歌う代りに、急に立ちどまって叫んだ。
「ああっ、見つかった、見つかった。……ほら。」
 路は、その時、川から二三町ほど遠ざかっていたが、路と川との間には刈田がめずらしく段々になってひらけており、そのずっと向こうの、次郎が指ざした山の根には、小さな藁屋根が一つ、夕闇の中にぼんやりと見えていたのである。
「あれ、家かな。」
 と、大沢も立ちどまって、じっとその方を見ていが、
「人の住む家にしちゃ小さいぞ。それにあかりもついていない。」
「僕、行ってみましょうか。」
 次郎はもう路をおりかけた。
「よせ、よせ。」
 と、大沢は、いったんとめたが、
「そうだなあ、いよいよ家がこの近くに見つからなかったら、肥料小舎ごやでも何でもいいから、そこに泊ることにしよう。……とにかく探検しておくんだ。」
 三人はあぜ道の枯草をふんで急いだ。行きつくまでには五分とはかからなかった。大沢の想像どおり、それは小舎だったが、真暗な三坪ほどの土間の半分には、藁がいっぱい屋根裏に届くほどつんであり、入口には戸も立てられるようになっていた。
「寝るぶんには、これだけ藁があれば十分だね。」
 と、大沢は、しばらく考えていたが、
「しかし、ひもじいだろう。僕、もう少し歩いて家を見つけるから、それまで藁の中にもぐって寝ていたまえ。」
 そう言って、彼は、さっさと一人で出て行ってしまった。
 彼の姿が見えなくなると、恭一と次郎とは、急に寒さを覚えた。
「僕、そこいらから枯枝を拾って来ようか。兄さん、マッチある?」
「ないよ。大沢君が一つ持ってるきりなんだ。」
「チェッ。」
 次郎は思わず舌打をした。
「マッチがあったって、こんなところで火をくと危いよ。」
 恭一はたしなめるように言った。しかし、彼も飢えと寒さとで、もうがちがちふるえ出していた。
「寝っちまえ。」
 次郎は、だしぬけに積藁にとびつき、すばしこくそれをよじ上った。そして一人でごそごそ音を立てていたが、
「兄さん、ここ温かいよ。」
 と、もう一尺ほども藁をかぶっているような声だった。
「寝っちまっては大沢君にすまないなあ。」
 そうは言いながら、恭一もたまりかねたと見えて、すぐ上って来た。
「ここだよ、兄さん。……二人いっしょの方がはやく温まるよ。」
 次郎が藁の底から呼んだ。二人は抱きあうようにして寝た。すると、寒いどころか、しだいにむれるような温かさが藁の匂いといっしょに二人を包んだ。
「こんな旅行、面白いかい。」
 恭一がしばらくしてたずねた。
「うむ、面白いよ。……だけどひもじいなあ。」
「僕もひもじい。こんなひもじい目にあったこと、これまでにないね。」
 次郎には、しかし、ひもじいということに二通りの記憶があった。その一つは普遍のひもじさで、もう一つは、自分だけがおやつを貰わなかった時のひもじさだった。彼は、今でも、何かにつけ後の意味のひもじさを思い出す。「愛せられる喜びから愛する喜びへ」と心を向けかえたとはいっても、それはまだ十分に彼の血にはなりきっていなかったのである。で、つい、(僕は、もっとひもじい目にあったことがあるんだぜ)と、そんな皮肉を言ってみたい衝動にかられた。彼は、しかし、すぐそれを後悔した。そして、
「大沢さんどこまで行ったんだろう。」
 と、べつのことを言った。
 二人は、寝床が変り過ぎているのと、ひもじいのとで、しばらくは眠れそうにもなかったが、体が温まるにつれて、ついうとうととなっていた。すると、
「本田、本田――」
 と呼ぶ声が、どこからかきこえて来た。恭一は、びっくりしてはね起きたが、その時には、大沢は、もう藁の上にのぼっており、真晴な中をごそごそと手さぐりしているのだった。
「すまんかったなあ、つい寝ちゃって。」
 恭一が闇をすかしながらそう言うと、大沢はその声の方にはって来ながら、
「十五六分も行くと、小さな村があったんだ。しかし、とても泊めてくれそうにないよ。どうも僕の人相が悪いらしいんだ。しかし、やっと駄菓子だけは手に入れて来た。今夜はこれでがまんするんだな。」
 それから、ばさばさと紙の音をさせていたが、
「次郎君は、ねちゃったのか。――起こしちゃかわいそうかね。」
 次郎も、しかし、その時には眼をさましていたのである。彼は、
「僕、おきています。」
 と、恭一の肩につかまりながら、起きあがった。
 三人は、それから、大沢のもって来た新聞紙の袋に、かわるがわる手をつっこんでは駄菓子を食った。円いのや、四角いのや、棒みたいなのがあったが、色はむろんまるで見えなかった。たいていはぼろぼろのものだったが、その中に、固くて黒砂糖の味のするのがわずかばかりまじっていた。しかし、どれもこれもうまかった。三人とも、ものも言わないでむさぼり食った。袋がからになると、大沢が、
「水もあるよ。」
 と、次郎の手に水筒を握らせた。次郎はぐっぐっと息がきれるまで飲んで、それを大沢にかえした。すると大沢は今度は恭一の手にそれを渡した。
「うんと飲めよ、僕はもうたらふく飲んで来たんだから。」
 それでも、恭一の飲み終ったあとを、彼はからになるまで飲んだ。そしてそれがすむとすぐ、三人はかたまって藁の中にもぐりこんだ。
「僕一人で行ったのが、どうもいけなかったらしいんだ。」
 と、大沢は藁束の落ちつきの悪いところをもぞもぞと直しながら、
「僕の人相では、やはり次郎君のような可憐かれんな感じがしないんだね。年をとっていると損だよ。こんな時には。」
 恭一が吹き出した。次郎は、これまで三晩とも、大沢が宿の交渉をはじめると、女の人がきまったように自分の方を見ながら、何かと同情するようなことを言ってくれたのを思い出し、くすぐったいような、恥ずかしいような、そして何かみじめなような気持になるのだった。
「本田だと、僕よりはいくらか可憐に見えるかもしれんが、それでも、中学も四年になると、やはり物騒視されるね。」
 と、大沢は、やっと体が藁の中に落ちついたらしく、静かになって、
「僕たちが、三晩とも無事に泊れたのは、恐らく次郎君のおかげだったんだよ。僕の交渉が成功したとばかり思っていたんだが。」
 恭一が、ふふふと笑った。
「考えてみると、やはりそれも無計画の計画だったんだ。人生って妙なもんだね。」
 大沢はしんみりした調子でそう言って、急に口をつぐんだ。
「そりゃあ、どういう意味なんだい。」
 恭一が、しばらくして、思い出したようにたずねた。
「人生を動かして行くほんとうの力は、案外僕たちの知らないところにあるっていう気がするんだよ。」
「ふうむ。しかし、そうだからって、無計画の計画ばかりでもいけないだろう。」
「そりゃあ、むろんだ。今度の旅行はべつとして、何事にも計画の必要なことは、いうまでもないさ。しかし、計画には限度があるよ。いや、人間が頭でやった計画なんてものは、もっと大きな力、自然というか、神というか、そうした大きな力の発動に、あるきっかけを与えるに過ぎないんだ。それを忘れて傲慢になっちゃあいかんと思うね。」
 恭一は藁の中でうなずいた。そして、いくらか冗談のように、
「君がそんなことを言い出すようになったのも、やはり無計画の計画の一つだろう。」
「たしかにそうだ。その意味でも次郎君に感謝していいね。」
 次郎は、二人の言っていることが、まだはっきりのみこめなかったところへ、だしぬけに自分の名前が出たので、何か変な気がしながら、
「どうしてです。」
「つまり、君の可憐さが、僕たちのこの三四日の生命をささえて来たことになっているからさ。」
 次郎は、不平を言っていいのか、喜んでいいのかわからなかった。すると恭一が言った。
「しかし、自分の可憐さを自覚したら、おしまいだね。」
「そりゃあ、そうだ。」
 と、大沢は何か考えているらしかったが、
「じゃあ、この話はもうよそう。」
 次郎は、何かいやなあと味を残されたような気持だった。しかし、大沢も恭一も、それっきり静かになってしまったので、いつの間にか自分も眠りに落ちていった。

 それからどのくらいの時間がたったのか、次郎は、小屋のそとから誰かしきりにどなっているような声をきいて、はっと眼をさました。
「起きろっ。」
「出て来いっ。」
「ぐずぐずすると、身のためにならんぞっ。」
 それは一人や二人の声ではないらしかった。次郎は、さすがに胸がどきついて、息づかいが荒くなるのをどうすることも出来なかった。彼はそっと恭一をゆすぶってみた。すると恭一は、もうとうに眼をさましていたらしく、次郎の手を握って静かにせい、と合図をした。同時に、
「僕に任しとけ。」
 と、大沢のささやく声がきこえた。
 そとの人声は、しばらく戸口のところにかたまって、がやがや騒いでいたが、
「きっと、ここじゃよ。路をこっちにおりたとこまで、おらあ見届けておいたんじゃよ。あけてみい。」
 と誰かが命ずるように言った。
 戸ががらりとあくと、提灯の灯らしい、黄色い明りが、屋根うらの煤けた竹をうっすらと光らした。それが、闇に慣れた三人の眼には、眩ゆいように感じられた。
「おや、一人ではねえぞ。あいつは靴じゃったが、下駄もある。」
「靴が二足あるでねえか。すると三人じゃよ。」
「そうじゃ、たしかに三人じゃ。ようし、のがすなっ。一人ものがすなっ。」
 誰かが変に力んだ声で言った。
「おい、書生、にせ学生、出て来いっ。」
「出て来んと火をつけるぞっ。」
 大沢が、その時、途方もない大きなあくびをして起きあがった。すると、下の騒ぎは急にぴたりとしずまった。次郎は、その瞬間、何か最後の決意といったようなものを感じて、全身が熱くなるのを覚えた。
「兄さん、起きよう。」
 言うなり、彼ははね起きた。大沢は、しかし、すぐ彼の肩を押さえ、低い声で、
「待て、待て、僕が会ってみるから。」
 次郎は何か叱られたような、それでいて、ほっとした気持だった。
 間もなく、大沢は積藁の端のところまではって行ったが、
「どうもすみません。しかし、僕たちは中学生です。決して怪しい者ではありません。今夜一晩ここに寝せてくれませんか。」
 と、いやにていねいな調子だった。
「ばかこけっ。」
 と、下の声がどなった。
「怪しいものでのうて、こんなところに寝る奴があるけい。」
めてくれる家がなかったもんですから。……」
「理窟はどうでもええ。とにかくおらたちと村までついてくるんじゃ。」
「そうですか、じゃあ行きましょう。」
 大沢は、いきなりどしんと土間に飛びおりた。恭一と次郎とは、思わず手を握りあって、息をはずませた。
「一人じゃねえだろう。三人とも行くんじゃよ。」
 村の人たちの声には、どこかおずおずしたところがあった。
「かわいそうですよ、今から起してつれて行くのは。ことに一人はまだ小さい一年生ですから。」
「何でもええから、つれてゆくんじゃよ。つれてゆかねえじゃ、おらたちの務めが果たせねえでな。」
 しばらく沈默がつづいた。その沈默を破って、次郎が藁の中から叫んだ。
「大沢さん、僕たちも行きますよ。」
「そうか。……じゃあ、すまんが起きてくれ。どうも仕方がなさそうだ。」
 大沢が、あきらめたように答えた。
 二人が起きて行くと、村の人たちは、めいめいに大きな棒を握って、大沢をとりまいていた。三十歳前後から十五六歳までの青年がおよそ十四五人である。しかし、恭一の品のいい顔と、次郎の小さい体とを見ると、案外だという顔をして、少し構えをゆるめた。
 年長者らしいのが、提灯で恭一と次郎の顔をてらすようにしながら、
「おらたち、村の見張りを受持っているんでな。気の毒じゃが仕方がねえ。」
 と、言訳らしく言って、
「じゃあ、ええか。」
 と、みんなは目くばせした。
 外に出ると、青年たちは、三人の前後に二手にわかれて、ものものしく警戒しながら歩き出した。畦道を一列になって歩いたが、かなり長い列だった。提灯が先頭と後尾にゆらゆらとゆれた。次郎は三人のうちでは先頭だったが、自分のすぐ前に、大きな男が棒をどしんどしんとわざとらしくついて行くのを、皮肉な気持で仰いだ。そして歩いて行くうちに、しだいに寒さが身にしみ、踵のあかぎれがつきあげるように痛み出すと、もう「人を愛する」といったような気持とは、まるでべつな気持になっていた。
 つれて行かれたのは、この辺の山村にしては不似合なほど大きな門のある家で、玄関には一畳ほどの古風な式台しきだいさえついていた。
 次郎たちを玄関の近くに待たして、二三人の青年が勝手の方にまわった。しばらくすると、
「ほう、三人、……そうか、そうか。」
 と、奥の方からさびた男の声がして、やがて玄関の板戸ががらりと開いた。
「さあ、お上り。」
 そう言ったのは、もう八十にも近いかと思われる、髪の真白な、面長の老人だった。
 次郎は、山奥に隠栖いんせいしている剣道の達人をでも見るような気がした。彼は、何かの本で、宮本武蔵が敦賀の山中に伊藤一刀斉を訪ねて行った時のことを読んだことがあったが、それを思い出しながら、おずおず大沢と恭一のあとについて玄関をあがった。
 通されたのは、大きなの切ってある十畳ほどの広い部屋だった。老人は、
「さあ、あぐらをかいておあたり。寒かったろうな。……何でも、今きくと、藁小屋に寝ていたそうじゃが、あんなところで眠れるかの。」
 と、自分も炉のはたに坐って、茶をいれ出した。
「ふとんより温かいです。」
 大沢が朴訥ぼくとつに答えた。
「ほう。そんなもんかの。で、飯はどうした、まだたべんじゃろ。」
 と、老人は柱時計を見て、
「今からかしてもええが、もうみんな寝てしもうたで、今夜は芋でがまんするかの。芋なら炉にほうりこんどくと、すぐじゃが。」
 時計は、もう十二時をまわっていた。大沢は微笑しながら、
「芋をいただきます。」
「そうしてくれるかの。」
 と、老人は自分で立ち上って台所の方に行った。三人は顔を見合わせた。大沢は笑ってうなずいてみせたが、恭一と次郎とは、まだこわばった顔をしている。
 間もなく老人は小さなざるを抱えて来たが、それには里芋がいっぱい盛られていた。
「小さいのがええ。これをこうして灰にいけて置くとすぐじゃ。」
 と、老人は自分で三つ四つ里芋を灰にいけて見せ、
「さあさ、自分たちで勝手におやんなさい。遠慮はいらんからの。」
「有りがとうございます。」
 と、大沢は、すぐ笊を自分の方に引きよせた、すると、老人は、
「なかなか活発じゃ。」
 と、三人を見くらべながら、茶をついでくれた。
 里芋が焼けるまでに、老人は、三人の学校、姓名、年齢、旅行の目的といったようなことをいろいろたずねた。しかし、べつに取調べをしているというふうは少しもなく、ただいたわってやるといったたずねかたであった。恭一も次郎も、しだいに気が楽になって、たずねられるままに素直に返事をした。
「ここの村の若い衆はな、――」
 と老人は言った。
「そりゃあ真面目じゃよ。じゃが、真面目すぎて、おりおりこの老人をびっくりさせることもあるんじゃ。今夜も旅の泥棒が村にはいりこんだ、と言って騒いでな。わしもそれで今まで起きて待っていたわけじゃが、その泥棒というのがあんた方だったんじゃ。はっはっはっ。」
 三人はしきりに頭をかいた。
 やがて里芋が焼け、話がいよいよはずんだ。
 老人は、「若いうちは無茶もええが、筋金すじがねの通らん無茶は困るな。」と言った。「あすはわしが案内してええところを見せてやる。」とも言った。また、「そろそろ引きかえして、日田町に一晩泊り、そこから頼山陽を学んで筑水下りをやってみてはどうじゃな。」とも言った。
 時計はとうとう一時を二十分ほどもまわってしまった。それに気づくと、老人は、
「さあ、もう今夜はこのくらいにして、おやすみ。寝床はめいめいでのべてな。……夜具はこの中に沢山はいっているから、すきなだけ重ねるがええ。」
 と、うしろの押入の戸をあけて見せ、
「炉の中に夜具を落したり、足をつっこんだりしないように、気をつけてな。……便所はこちらじゃよ。」
 と、障子をあけて縁側を案内してくれ、しまいに炉火に十分灰をかぶせて部屋を出て行った。
 三人は、床についてからも、老人は何者だろう、とか、自分たちは藁小屋の中で夢を見ているんではないだろうか、とか、そんなことをくすくす笑いながら、かなり永いこと囁き合っていたが、次郎はその間に、ふと、正木のお祖父さんと大巻のお祖父さんのことを思い出し、三人の老人を心の中で比較していた。
 翌朝眼をさますと、もう縁障子には日があかるくさしていた。起きあがってみて、彼らが驚いたことには、畳の上にも、ふとんの中にも、藁屑わらくずがさんざんに散らかっていた。彼らは、幸い縁側の突きあたりの壁に箒が一本かかっているのを見つけて、大急ぎでその始末をした。家はずいぶん広いらしく、近くに人のけはいがほとんど[#「ほとんど」は底本では「ほんど」]しなかったが、掃除をどうなりすました頃、三十四五歳ぐらいの女の人が十能に炭火をいれて運んで来た。
「おやおや、お掃除までしてもらいましたかな。ゆうべは、よう寝られませんでしたろ。」
 と、彼女はきちんと坐りこんで、三人のあいさつをうけ、それから、まじまじと次郎を見ていたが、
「お母さんが、心配していなさりませんかな。早う帰って安心させてお上げ。」
 次郎はただ顔をあからめただけだった。
 朝飯は、茶の間で家の人たちといっしょによばれた。広い土間の隅の井戸端で洗面を終ると、そのまま食卓に案内されたが、ゆうべにひきかえて、そこにはもうたくさんの顔がならんでいた。
「さあ、さあ。」
 と、七十ぐらいの、品のいい、小作りなお婆さんがまず三人に声をかけた。お婆さんと同じちゃぶ台には、三人の男の子がならんでいて、めずらしそうに次郎たちを見た。昨夜の老人の顔はそこには見えなかった。
 次郎たちのためには。べつのちゃぶ台が用意されていた。大沢がお婆さんにあいさつをしてそのそばに坐ると、恭一と次郎とがつぎつぎにその通りをまねた。さっきの女の人がちゃぶ台にのせてある飯びつと汁鍋の蓋をとって、
「さあさ、めいめいで勝手に盛ってな。」
 と、自分は子供たちのちゃぶ台にお婆さんに向きあって坐った。
 次郎たちには、葱の味噌汁がたまらなくおいしかった。何杯もかえているうちに、顔がほてって汗をかきそうだった。
 食事中に、お婆さんが一人でいろんなことをたずね、いろんなことを話した。その話で、三人はおおよそ家の様子も想像がついた。昨夜の老人は村長で、今朝も早く何か特別の用があって出かけたらしい。子供たちの父になる人は、五六里も離れたところの小学校の校長だが、土曜日に帰って来るのだそうである。
「お爺さんは、今日はな、十時頃までに役場の用をすまして帰って来るけに、それまであんたたちに待ってもろたら、と言うとりましたが。……また滝にでも案内しようと思うとりますじゃろ。」
 お婆さんは、そう言って、歯のぬけた口をつぼめ、ほっほっほっと笑った。
 食事がすむと、子供たちは、いかにも次郎たちに気をひかれているような様子で、学校に行った。老人は、それから間もなく帰って来たが、すぐ三人のために弁当の用意を命じ、自分は炉のはたで一通の手紙をしたためた。
「滝まで行って来るでな。」
 お婆さんにそう言って、老人が三人をつれ出したのは、ちょうど十時頃だった。三人はいつものようにお礼の金を置くことも忘れてしまい、渡された竹の皮包みの弁当をぶらさげて、老人のあとについた。
 老人の足は矍鑠かくしゃくたるものだったが、それでも三人の足にくらべるとさすがにのろかった。しかし、滝までは三十分とはかからなかった。滝は、老人がみちみち自慢したとおり、世に知られないわりには頗る豪壮な[#「豪壮な」は底本では「豪荘な」]もので、幅数間の、二尺ほどの深さの水が、十丈もあろうかと思われるほどの断崖を、あちらこちらに大しぶきをあげて落下していた。滝壺に虹があらわれ、岩角の氷柱がさまざまな色に光っていたのが、いよいよ眺めを荘厳にした。名を半田の滝というのだった。
 寒さも忘れて三十分ほども滝を眺めたあと、三人が老人にわかれを告げると、老人は、ふところからさっき書いたらしい手紙を出して、
「たいがいにして日田まで下るんじゃ。日田に行ったら、この宛名の人をたずねて行けばええ。中にくわしく書いておいたでな。」
 と、それを大沢にわたした。大沢は、手紙を押しいただいたまま、いつものとおりには言葉がすらすらと出なかったらしく、何かしきりにどもっていた。手紙の宛名には日田町○○番地田添みつ子殿とあり、裏面には白野正時とあった。
 三人は、それから、その日とその翌日とを、やはり無計画のまま、やたらに歩きまわった。その間に、竜門の滝という古典的な感じのする滝を見たり、何度も小さな温泉にひたったりした。そしてふところもいよいよ心細くなったので、白野老人のすすめに従って、それからは、まっすぐに日田町に下ることにした。
 日田町までは一日がかりだった。町について田添ときくと、すぐわかった。りっぱな医者のうちだった。一晩厄介になっているうちにわかったことだが、みつ子というのはその医者の奥さんで、白野老人の末女に当るのだった。この人がまた非常に親切で、歳はもう四十に近かったが、まるで専門学校程度の、聰明で快活な女学生のようだった。筑水下りの船も、前晩からちゃんと約束しておいてくれたらしく、朝の八時頃には、家のすぐ裏の河岸に、日田米をつんだ荷船がつながれていた。船賃も夫人が払ってくれた。
 三人はまるでお伽噺の世界の人のような気持になって船に乗った。船が下り出すと、みつ子夫人は河岸からしきりに手巾ハンカチをふった。
「無計画の計画も、こううまく行くと、かえって恐ろしい気がするね。」
 大沢は船が川曲をまわって手巾が見えなくなると、二人に言った。
 次郎も恭一も、急流を下る爽快さを味うよりも、何か深い感慨にふけっているというふうだった。川幅の広いところには、鴨が群をなして浮いていたが、次郎はそれにもほとんど興味をひかれないらしかった。大沢が、
「鉄砲があるといいなあ。」
 と言うと、彼は妙に悲しい気にさえなるのだった。そして船が巖の間をすれすれに急たんを下る時にも、叫び声一つあげず、じっと船頭の巧みなかいのつかい方に見入り、かつて何かで読んだことのある話を思い出していた。それは、水に溺れかかったある偉大な宗教家が救助者に身を任せきって、もがきもしがみつきもしなかったという話だった。
 船が久留米に近づいて、水の流れがゆるやかになったころ、彼はこっそり恭一に向かって言った。
「無計画の計画ってこと、僕も少しわかったような気がするよ。」

 筑後川上流探検旅行が次郎に与えた影響は、決して小さなものではなかった。「無計画の計画」というのは、最初大沢が半ば冗談めいて言い出したことだったが、それは、次郎にとっては、彼がこれまで子供ながら抱いて来たおぼろげな運命観や人生観に、あるりどころを与えることになった。彼は、それ以来、身辺のほんのちょっとした出来事にも、その奥に、何か眼に見えない大きな力が動いているように感じて、ともすると瞑想的になるのだった。それが、著しく彼を無口にし、非活動的にした。学校での一番にぎやかな昼休みの時間にも、よく、校庭の隅っこに、一人でぽつねんと立っている彼の姿が見られた。家で、恭一と二人、机にむかっている時、どうかすると、だしぬけに立ちあがって、恭一の本箱から詩集や修養書などを引き出して来ることがあったが、それは、いつも何かに考えふけったあとのことだった。そして、詩集や修養書を自分の机の上にひろげても、べつにそれを読みいそぐというのではなく、同じ頁にいつまでも眼を据えているといったふうであった。教科書の方の勉強は、こんなふうで、自然いくらかおろそかになりがちだったが、次郎自身それを気にしているような様子もなかった。
 彼のこうした変化が、周囲の人々の眼に映らないわけはなかった。しかし、彼を見る眼は、人々によってかなりちがっていた。俊亮は、「少し元気がなさすぎるようだ。体でも悪くしたんではないか」と言い、お祖母さんは、「次郎もいよいよ落ちついて来たようだね」と言った。お芳は、そのいずれにもあいづちをうっただけだったが、お祖母さんの態度がいくらかずつ次郎に対してやわらいで行くのを見て、内心喜んでいるようなふうだった。
 次郎のほんとうの気持を多少でもわかっていたのは、恭一だけだったが、彼自身がどちらかというと非活動的であり、内面的な傾向をもっているだけに、次郎のそうした変化によって、お互いの親しみが一層増してゆくような気さえしていた。
 次郎のことを、最も真面目に心配し出したのは、あるいは大沢だったかもしれない。彼はある日、恭一に向かって言った。
「次郎君が考えこんでばかりいるのを、ぼんやり眺めているのは、いけないよ。あんなふうでは、次郎君の特長は駄目になってしまう。」
「しかし、どうすればいいんだい。」
 恭一は、大して気乗りのしない調子でたずねた。
「たまには、喧嘩の相手になってやるさ。」
「次郎は、しかし、もう喧嘩はしないよ。しないって誓っているんだから。」
「それがいけないんだ。子供のくせにひねこびた聖人君子になってしまっちゃあ、おしまいじゃないか。」
「でも、うちじゃあ、やっと喧嘩をしなくなったって、みんな喜んでいるんだからなあ。」
「そりゃあ、お祖母さん相手の喧嘩なんか、しない方がいいさ。しかし、兄弟喧嘩ぐらいは、たまにはいいよ。ことに、室崎をやっつけた時のような喧嘩なら、大いにやるがいいと思うね。」
「ふうむ。……しかしあんな喧嘩なら、今でも機会があればやるだろう。」
「どうだかね、今の様子じゃあ。……僕が一つ相手になってためしてみるかね。」
「試すって、どうするんだい。」
「思いきり無茶な事を言って、怒らしてみるんだ。」
「君が何を言ったって、それを本気にはしないよ。」
「本気にするまでやってみるさ。」
「しかし、そんなにしてまで喧嘩をさせる必要があるかね。」
「あるよ。僕は、あると思うね。今のままじゃあ、妙に考えが固まってしまって、どんな不正に対しても怒らなくなるかも知れんよ。」
 大沢は頗るまじめだった。そして、次郎を怒らす機会の来るのを、本気でねらっているらしかった。しかし、その機会が来るまえに、思いがけない事件が次郎を待伏せていて、大沢の苦心を無用にしてしまったのである。

     *

 次郎たちの数学の受持に、宝鏡方俊というむずかしい名前の先生がいた。七尺に近いと思われる堂々たる体躯たいくの持主で、顔の作りもそれに応じていかにも壮大な感じを与えたが、気は人一倍小さい方だった。この先生は、はじめての教室に出ると、きまって、先す自分の姓名を黒板に書き、それに仮名をふった。それによると「トミテル・ミチトシ」というのが、正しい読方だった。しかし、生徒たちの間では、誰一人としてそんなややこしい読方をするものがなく、陰ではいつまでたっても「ホウキョウ・ホウシュン」としか呼ばなかった。先生にしてみると、「ホウキョウ」でもいいから、せめて姓だけにしてもらうと、それでいくぶん我慢が出来るのだったが、生徒たちの方では、その下に「ホウシュン」をつけないと、感じがぴったりしないらしく、面倒をいとわないで「ホウキョウ・ホウシュンが……」「ホウキョウ・ホウシュンが……」と言うのだった。
 しかし、何よりも宝鏡先生を神経質にさせたのは、自分に「彦山ひこさん山伏」という綽名があるのを知ったことだった。先生の郷里が大分県の英彦山えひこさんの附近であることはたしかだったし、また、前身が山伏やまぶしだったとか、少くも父の代までは山伏稼業だったとかいうことが、どこからかまことしやかに伝えられていたので、先生は、山伏という言葉がちょっとでも耳に這入ろうものなら、その日じゅう怒りっぽくなるのだった。
 こんな種類の先生については、とかく、生徒間に、あることないこと、いろんな逸話が流布されるものだが、宝鏡先生についてもそれは例外ではなかった。中でも、最も奇抜なのは、――これは小使がたしかに事実だと証言したことだったが――ある雨の晩、先生が校内巡視をして宿直室にかえって来ると、その入口の近くの壁がぼんやり明るくなっており、その前に真黒な怪物が突っ立っている。先生はいきなり「何者だ!」と叫び、巨大な拳でその怪物をなぐりつけたが、怪物というのは、じつは雨合羽を着た電報配達夫だった、というのである。小使がとりわけ念入りに説明したことが真実だとすれば、配達夫は非常に腹を立て、先生を警察に引ぱって行こうとした。すると、先生は土下座をして平あやまりにあやまり、おまけに金一円を紙に包んで配達夫の手に握らせ、やっと内済にしてもらったとのことである。その頃の中学校の無資格教師にとって、一円という金が相当のねうちものであったことはいうまでもない。
 この先生が板書する文字は、その巨大な体躯に似ず繊細せんさいで、いかにも綿密そうであり、算術や代数の式が黒板いっぱいに並んだところは、見た目も非常に美しかった。しかし、数学そのものの知識がすぐれているとは、決して言えなかった。というのは、その美しい文字の前で、先生が立往生することはしばしばだったからである。立往生する前には、先生は、きまって、「あの何じゃ」という言葉を何度もくりかえした。生徒たちはよく心得たもので、先生の「あの何じゃ」が頻繁になって来ると、もう黒板から眼をそらし、お互いに鉛筆でつつきあいながら、くすくす笑い出すのだった。そうなると、先生は、いよいよ行詰りの打開が出来なくなるわけだが、しかし時として、先生に、その場合に拠する臨機の妙案が浮かんで来ないこともなかった。それは、くるりと生徒の方を向いて、その大きな掌を、腰の両側に蛙のようにひろげ、
「誰じゃ、笑ったのは。はじめからよく見とらんと、わからんはずじゃが、もう一度最初からやってみせる。ええか、今度はよく注意して見とるんじゃぞ。」
 と、さっさと黒板の文字を消してしまうことだった。
 次郎は入学の当時、はじめてこの先生が教室に現れて来た時には、その容貌体躯の偉大さに気圧されて、息づまるような気持だった。彼は、先生が出欠をとる間、坂上田村麿をさえ連想していたのである。しかし、その印象は、十分、二十分とたつうちに、次第にうすらいで行き、時間の終りごろには、もう失望と軽蔑けいべつの念が彼を支配していた。もっとも、彼が、そうした気持を、教室で言葉や動作に現したことなど、これまで一度だってなかった。ことに、この夏以来、彼の心境に大きな変化が生じてからは、ほかの生徒たちが、わざと先生を怒らすような真似をしたりすると、変になさけない気持になり、何とかして先生に応援してやりたいと思うことがあった。
 ところが、実は、彼のこうした同情が、かえって彼を飛んでもない羽目に追いこむことになってしまったのである。
 それは、三学期も、もう終りに近いころのことだった。宝鏡先生は、まだ寒いのに、額に汗を浮かせながら、代数の問題を解いていた。黒板は三枚つづきで、その問題は真中の黒板から始まって、もうそろそろ右の黒板にうつらなければならなくなっていたが、何だか八幡の藪知らずに迷いこんだといった形になり、答が出るまでには、まだなかなか手数がかかりそうであった。生徒たちの頭もぼうっとなって来たが、先生の頭も、それに劣らずぼうっとなっているらしかった。次郎は、「あの何じゃ」がまた出なければいいが、と心配になって来た。で、それまで先生の白墨について動かしていた視線をそらし、最初からの一行一行を念入りに見直した。すると三行目から四行目にうつるところで、マイナスとあるべき符号ふごうが、プラスになっているのを発見したのである。彼は、自分の思いちがいではないかと、二度ほど見直したが、やはりそうにちがいなかった。
「先生!」
 と、彼は、我知らず叫んだ。先生はもうその時には、右の黒板に二行ほど書き進んでいたところだったが、次郎の声で、びくっとしたようにふり向きながら、
「何じゃ、質問か。質問なら、あとでせい。」
「質問じゃありません。あすこに符号が間違っています。」
 次郎は、先生を安心させるつもりでそう答えた。
「何? 間違っている? どこが間違ってるんじゃ。」
 先生のふだんのあから顔は、もうその時までにいくぶんあおざめかかっていたが、それで一層蒼くなった。掌は例によって腰の両側に蛙のように拡がっていた。
「三行目から四行目にうつるところです。」
 先生の眼は、犯人の眼のように、三行目と四行目との間を往復した。そしてその時には、もう方々からくすくすと笑い声が聞え出していたのである。
 先生は、大急ぎで黒板を消した。しかし、今度は、
「もう一度、はじめからやってみせるんじゃ。」
 とは言わなかった。その代りに、――それは生徒たちの全く予期しなかったことだったが――いきなり教壇をおりてつかつかと次郎の席に近づいて来た。次郎の席は、廊下に近い方から二列目の一番まえだったのである。
 次郎の席のまえに立った先生は、精いっぱいの落着きと威厳とをもって言った。
「お前は教室を騒がすけしからん生徒じゃ。」
 次郎には何のことだかわからなかった。彼は驚きと怪しみとで、眼をまんまるにして先生の顔を仰いだ。
「教室を騒がす生徒は、教室に置くわけにはいかん。出て行くんじゃ。」
 先生は、そう言って、むずと次郎の右腕をつかんだ。
「僕が、どうして教室を騒がしたんです。わけを言って下さい。」
 次郎は、このごろにない烈しい声で叫んだ。同時に、彼の左の腕は、しっかりと机の脚に巻きついた。
「先生の命令に背くんじゃな。」
 先生は、ぐっと次郎をにらみつけ、それから教室全体を一わたり見まわした。
「僕、わけがわかんないです。わけを言って下さい。」
「わけは自分でわかっているはずじゃ。」
「わかりません。」
「わからんことがあるか。先生の書き誤りに気がついていたら、なぜもっと早く言わんのじゃ。」
 先生は、単に「誤り」と言う代りに、「書き誤り」と言った。そして、力まかせに次郎の腕を引っぱった。次郎は相変らず机の足にしがみつきながら、
「僕は、たったいま気がついたんです。気がついたから、すぐそう言ったんです。」
「嘘ついても駄目じゃ。お前には、いつも、先生のあら探しをして面白がる癖がある。ほかの先生も、そう言って居られるんじゃ。」
 次郎は、そう言われると、やにわに立上って、先生に握られていた右腕をふり放した。そして一瞬、飛びかかりそうなけんまくを見せたが、そのまま、わなわなと唇をふるわせて言った。
「僕は教室を出て行くの、いやです。」
 先生は、そのすさまじい態度に、ちょっとたじろいだふうだったが、教室中の視線が自分に集まっているのに気づくと、思いきり大声でどなった。
「何じゃ、貴様は先生に反抗する気じゃな。」
「反抗します。間違った命令には従いません。」
 次郎の声も鋭かった。
 さて、事態がそこまで進むと、先生がこれまで自分の威厳いげんを保つために蓄えていたわずかばかりの心のゆとりも、もうめちゃくちゃだった。
「こいつ!」
 と、先生は、自分が先生であることも、対手が自分の三分の一か四分の一しかない小さな生徒であることも忘れ、その大きな両手で、机ごしに次郎の制服の襟のあたりを鷲づかみにして、引きよせた。むろん、もうその時には、ほかの生徒たちの視線など気にかけている余裕はなかったのである。
 次郎の体は襟首をつかまれて、机の上におおいかぶさったが、彼は、何と思ったか、そのまま両腕を机の下にまわして、柔道の押え込みのような姿勢になった。そのはずみに、筆入が床に落ち、鉛筆や、ペンや、メートル尺や、小さな三角定規などが、がらがらと音を立ててあたりに飛び散った。
 先生は、次郎を机から引きはなそうとあせったが、次郎の体は、まるでだにのように机にしがみついていた。むりに引き起すと、机の脚が宙に浮いた。その間に、先生の息づかいは次第に烈しくなり、顔色は気味わるいほど蒼ざめて来た。
 ほかの生徒たちは、もうその時には総立ちになっていたが、ふしぎに、誰も声を出す者がなかった。しかし、次郎の机の脚が三四回ほども宙に浮いたり、床にぶっつかったりしたころ、誰かが、とうとうたまらなくなったらしく、叫んだ。
「頑張れ!」
 すると、つづけ様に二三ヵ所から同じような声がきこえた。
 その声は、先生の興奮こうふんした耳にもたしかに這入ったらしかった。その証拠には、先生は、その声がすると、急に次郎を机から引きはなすことを断念だんねんし、その代りに、机もろ共、次郎をうしろから抱きかかえて、廊下に出し、戸をびしゃりと閉めてしまったのである。
 次郎は、廊下に出されてからも、暫くは机の上に顔を伏せていた。涙は出なかった。しかし、涙以上のせつないものが彼の胸の底からわいて来るのを感じた。
 彼はその感じで突きあげられたように、むっくり顔をあげた。そして長い廊下の端から端に視線を走らせた。どこにも人影が見えなかった、ただ、自分と自分の机だけがひっそり閑と立っているのが、彼には異様な世界のように思われた。
 すぐ隣の教室からは、英語の斉唱の声がきこえ出した。しかし彼自身の教室は、気味わるいほど静まりかえっている。彼は、ぴったり閉まっている戸口にじっと眼をすえた。そして、自分はこれからどうすればいいんだ、と考えた。しかし、彼の考えはとっさにはまとまらなかった。何も自分に悪いことなんかありゃしない、堂々と教室にはいって行くんだ、とも考えられたし、また、はいって行くのがいかにも未練がましいようにも思えたのである。
 そのうちに、教室の中の気配が変に騒がしくなって来た。言葉ははっきりと聞きとれなかったが、先生が何か言うと、生徒が方々からそれに突っかかっているような様子である。次郎はじっと耳をすました。すると、廊下に面した磨硝子の窓の近くの席から、よく聞きとれる声がきこえた。
「本田は、ふだんから先生のあら探しなんかする生徒ではありません。それは僕がよく知っています。」
 その声の主は、次郎がこのごろ急に親しくなり出した新賀峰雄にちがいなかった。新賀はいつも、ずばずばとものを言う生徒だりた。体格もりっぱで、顔にどことなく気品があり、入学の当初から、おれは将来は海軍に行くんだ、といつも言っていた。
 新賀の声に応じて、「そうです、そうです」と叫ぶ声があちらこちらから聞えた。次郎はそれを聞くと、なぜか急に泣きたくなった。彼は一散に廊下を走って校庭に出た。そして、かつて五年生の室崎を向こうにまわし、必死の戦いをいどんだことのある銃器庫の陰に身をかくして、しきりに涙をふいた。
 鐘が鳴り、更につぎの時間の鐘が鳴っても、彼はそこを動かなかった、無届で早引をしたり、あいだの時間を休んだりすることは、校則でとりわけ厳重に禁じられているのを、百も承知の彼だったが、そんなことは、彼にとって今は全く問題ではなかった、彼は考えれば考えるほど、無念さで胸がふくらんで来るだけだった。夏以来、彼自身でも健気な努力をして来たつもりだったが、それも無駄だったという気がしてならなかった。それで無念さがなお一層かき立てられた。「無計画の計画」という言葉をとおして、いくらか形を与えられかけていた彼の人生観も、そうなると、もう何の役にも立たなかった。
「ちえっ。」
 と彼は何度も舌打をしたあと、やっと一二歩足をかわしたが、しかし、どこに行こうというあてもなかった。彼はただそこいらを行ったり来たりした。彼の靴裏には、白楊の葉にうずもれてまだ新芽をみせない枯草が、ぼそぼそと音を立てた。
 歩きまわっているうちに、ふと、彼の頭に妙な考えが浮かんで来た。それは、
(これからうんと数学を勉強するんだ。そして毎時間山伏を困らしてやるんだ。)
 という考えだった。そう考えた時の彼の心に浮かんでいた先生の名は、むろん、「トミテル」ではなかった。また「[#「また「」は底本では「「また」]ホウキョウ・ホウシュン」でもなかった。それはたしかに「山伏」にちがいなかったのである。
 彼は、われ知らず、もう半年以上も忘れていた皮肉な微笑をもらした。そして、靴のかかとで二三回強く枯草をふみつけたあと、思いきったように教室の方に足を運んだ。足を運びながら、彼は、小学校三年のころ、亡くなった母に、お祖父さんの算盤そろばんをこわしたのはお前だろう、とおっかぶせられて、そのまま無実の罪を被てしまった時のことを思い出し、さすがにいやな気持になった。しかし、それは彼の決心をにぶらすどころか、かえって彼を興奮させるに役立つだけだったのである。
 教室にはいると、彼は、
「おくれました。」
 と、ただそれだけ言って、自分の席についた。彼の机は、もうあたりまえに並べてあり、筆入も、中身といっしょに、きちんとその上にのせてあった。
 その時間は、ちょうど学級主任の小田という若い国語の先生の時間だったが、次郎の顔を見てちょっとうなずいたきり、おくれた理由を問いただしてみようともしなかった。次郎は、もう先生は何もかも知ってるんだ、と思った。
 時間は、あと二十分ばかりだったが、授業には、むろんよく身が入らなかった。そして、その時間がすむとちょうど午前の授業が終りになるので、次郎は、早引を願って帰ろうかとも考えていた。ところが、いよいよ鐘が鳴ると、小田先生は次郎の机のそばにやって来て言った。
「飯をすましたら、すぐ私の所に来るんだ。それから、朝倉先生も、君に話があると言っていられる。」
 次郎は、朝倉先生ときいて、急に胸がどきついた。それはこわいともうれしいともつかぬ、そして妙にひきしまるような愛情の鼓動だった。

 小田先生の姿が教室から消えると、生徒たちは、くちぐちに、次郎に同情の言葉をなげかけた。とりわけ新賀は、次郎の机のそばにやって来て、真剣に彼を励ました。
「ホウキョウ・ホウシュンが、きっと自分勝手な理窟をつけて、朝倉先生に言いつけたんだよ。かまうもんか、君にちっとも悪いことなんかないんだから。……朝倉先生にだって誰にだって、びくびくするな。先生の方で君が悪いと言ったら、僕きっと君に応援するよ。」
 次郎は默ってうなずいた。そしてすぐ弁当をひらいたが、彼の気持はかなり複雑だった。
 朝倉先生には、室崎との事件以来、めったに会ったことがない。言葉を交す機会など、まるでなかった。それでも、彼の心に生きている先生は、いつも新鮮だった。たまたま廊下などですれちがったりすると、彼は処女のように顔をあからめて敬礼した。先生は、それに対して、ただうなずくだけだったが、その微笑をふくんで澄みきっている眼が、何かとくべつの意味をもって彼を見ているように彼には感じられるのだった。彼が学校にいるかぎり、彼の意識の底には、いつもその眼があり、古ぼけた校舎もそれで光っていたし、彼の教室に出て来る凡庸ぼんような先生たちにも、それでいくらか我慢が出来ていたのである。
 それにもかかわらず、きょうは不思議に、今までその眼を思い出さなかった。騒ぎの最中はとにかくとして、室崎との事件のあった銃器庫の裏に、あんなに永いこと一人でいながら、どうしてそれが思い出せなかったのか、彼自身にもわからなかった。彼は、何か罪でも犯したように思って、気がとがめるのだった。
 しかし、一方では、間もなく朝倉先生の前に出て、事実をはっきりさせることが出来るんだと思うと、何か昂然たる気持にさえなった。彼は、いつの間にか、朝倉先生の前で、宝鏡先生を言い伏せている自分を想像して、一人で力んでいた。
(先生は自分から進んで、僕に話したいことがあると言われた。それは、きっと僕を信じていて下さるからだ。)
 彼は、そんなふうに考えた。
 だが、また一方では、変に怖いような気がしないでもなかった。室崎との事件のあとで、先生に「自分より強いと思っていたものに一度勝つと、そのあと善くなる人もあるが、かえって悪くなる人もある。」と言われたことが、ふと思い出された。彼は、あまり図に乗ってしゃべるようなことはすまい、と自分の心に言いきかせた。
 弁当をすますと、彼は、はやるような、それでいて変に重たいような気持で廊下を歩いた。教員室の戸をあけると、炭火のガスでむっとする空気が、部屋中にこもっているのを顔に感じた。
 彼は、その空気の中を小田先生の机のそばまで歩いて行った。
 小田先生は、次郎を見ると、待っていたように立ち上って、彼を別室へつれこんだ。その室は、生徒監室のすぐ隣で、何か問題の起った時に、生徒を取調べたり、訓戒したりする室だった。次郎は、この室にはいるのははじめてだったが、さすがに身がひきしまるのを覚えた。
 ところどころ虫の食った青毛氈のかけてある卓を中にして腰をおろすと、先生はすぐたずねた。
「宝鏡先生が、非常に怒っていられるが、いったい、どうしたんだ。」
「僕には、わかんないです。」
 次郎は、そっけなく答えた。が、すぐ、言い直すように、
「ほかの生徒にきいて下されば、わかるんです。」
「それは訊いてみたんだがね。宝鏡先生の言われるのとは、ちがっているんだ。」
「どうちがっているんですか。」
 次郎は、あべこべに詰問きつもんするような調子だった。
「宝鏡先生は、君には、いつも先生の揚足をとって面白がる癖がある、と言われるんだ。」
「揚足をとるって何ですか。」
「先生のちょっとした言い損いや書き損いをつかまえて、とやかく言うことだよ。」
 まるで、国語の質問にでも答えているような言い方だった。
「すると、先生にどんな誤りがあっても、生徒は默っている方がいいんですか。」
 次郎は、もうすっかり意地わるくなっていた。彼には、小田先生が、宝鏡先生の方に非があるのを知っていながら、強いてそれを弁護しようとしているとしか思えなかったのである。
「うむ――」
 と、先生は行きづまって、変な笑いをもらした。すると、次郎は、その笑いに食いつくように言った。
「先生、僕たちにそれをはっきり教えて下さい。僕たちは、先生が間違いをなさるのを面白がるなんて、そんなことちっともないんです。僕たちはただ困るだけです。だから、それを見つけたらすぐそれを言うんです。それが悪いんですか。」
「それは悪くないさ。しかし、わざと教室をさわがすために、それを言うのはいかんよ。」
「僕には、さわがすつもりなんかなかったんです。僕はホウキョウ先生が気の毒だったんです。」
「しかし、トミテル先生は――」
 と「トミテル」に力をいれて、
「君に騒がすつもりがあった、と信じていられるんだ。先生は君にいつもそんな癖があると言われる。」
 次郎は、急に默りこんだ。そして、それっきり、先生の顔をまともに見つめたまま、何を言われても返事をしなくなった。先生の方では、
「宝鏡先生は、君に教室をさわがすつもりがあったと言われるし、君はそうでないと言うし、私もどちらを信じていいか、実はわからないでいるんだ。」
 とか、
「君に実際やましいところがなければ、自分で宝鏡先生に礼をつくしてお話したら、先生もきっとわかって下さるだろう。」
 とか、いろいろ次郎の気持に妥協だきょうするようなことを言ってみたが、次郎の沈默は頑としてやぶれなかった。
 小田先生は、すっかり手こずってしまった。もともとこの先生は、次郎という人間をよく知っていたわけでもなく、学級主任として、この問題に自分で一応の解決をつける責任があり、それには、次郎はまだ一年生のことだし、よく言って聞かせて、ともかくも謝罪させ、その上で生徒監である朝倉先生に訓戒でもしてもらえば、それ以上のことはないぐらいにしか考えていなかったのである。しかし、こうなると、もう解決どころのさわぎではなく、自分の立場までがどうやらあやしくなって来た。浅い良心で、お座なりの形式をふんで行くことを健全な教育法だと心得がちな、温良型の先生がよく味わう悲哀なのである。
「本田!」
 と、先生の温良な声は、もうすっかり悲痛な調子に変っていた。
「先生が、これほど事をわけて話しているのに、なぜ返事をしないんだ。」
 次郎は、しかし、その程度の悲痛さに動かされるほど、単純な生徒ではなかった。彼は依然として先生を見つめたまま沈默を守っている。
「じゃあ、私はもう知らんぞ。生徒監室に引渡すが、それでいいのか。」
 先生は、早くもその取っときの奥の手を出すことを余儀なくされた。次郎は、それで、やっと口をきくにはきいたが、その答えは、先生の予期に反して、あまりにも簡単明瞭だった。
「いいです。」
 これは、しかし、彼のやけくそから出た青葉でもなく、さればといって、朝倉先生に一刻も早く会いたいための言葉でもなかった。彼は、実際、生徒監室がどんなところか、そしてそこにはどんな先生がいるのか、上級生たちが知っているほど、くわしく知っていたわけではなかったのである。ただ、彼は、彼にとって全く無意味だとしか思われない言葉を、いつまでもいているのがばかばかしかった。で、与えられた機会を無造作につかんで、対談をぶち切ってしまったまでのことで、それが相手にとってどんな迷惑になるかは、むろん、彼の知るところではなかったのである。
「生徒監に引き渡した以上、学級主任としては、あとがどうなっても知らんぞ。それでいいのかね。」
 小田先生は、未練らしく、もう一度駄目を押した。
「いいです。」
 次郎の答えは、あくまで簡単で、はっきりしていた。こうなっては、小田先生もいよいよ立ち上らざるを得なかったらしく、
「しばらく、ここで待っているんだ。」
 と、捨ぜりふのように言って、隣室に消えた。
 次郎は、一人になると、さすがに変な気重さを感じた。彼は、それをまぎらすように、室内を見まわしたが、正面に額が一つかかっているきりで、ほかには何の飾りもなかった。額には「思無邪」とあった。次郎は、しかし、それをどう読んでいいのかわからなかった。無邪気という言葉と何か関係があるんだろう、と思ったきり、それ以上考えてみようともしなかった。
 隣室からは、おりおり笑い声がきこえた。次郎は、最初のうち、その笑い声をきくと腹が立った。しかし、何度もきいているうちに、その声に聴き覚えがあるような気がして、じっと耳をすました。
(そうだ、朝倉先生の声だ。)
 彼は、そう思うと、朝倉先生が生徒監の一人であり、自分に話すことがある、と言われたのもそのためだったということが、はっきり意識されて来たのである。
 彼は、もう、隣室とのあいだの戸がひらくのが、待遠しくてならなくなった。
 しかし、戸は容易にひらかなかった。やっとそれが開いたのは、午後の時間の用意の鐘が間もなく鳴ろうという頃だった。
 はいって来たのは、小田先生と朝倉先生の二人だった。次郎は、うろたえたように立上って、朝倉先生に敬礼した。すると、朝倉先生はにこにこしながら、
「本田は、よくいろんな変った事件を起すんだね。」
 と、無造作に椅子をひいて、腰をおろした。それから、
「まあ、かけたまえ。」
 と、次郎にも腰をおろさせ、
「しかし、今度は、室崎の時とはちがって、君の方が机もろともかかえ出されたそうじゃないか。さすがに、君も面喰らったろう。」
 朝倉先生は、そう言って大きく笑った。それは、まるで取調べをするとか、訓戒をするとかいった調子ではなかった。が、先生はそれからしばらく窓の方を見たあと、急にまじめな顔をして、
「小田先生は、学級主任として君のことを非常に心配していられるんだ。」
 次郎は、ちらと小田先生を見たが、すぐ冷やかに眼をそらした。
「実はね――」
 と、朝倉先生は、しばらく間をおいて、
「小田先生は、君に悪気があったなんて、ちっとも思ってはいられないんだ。私も、むろん、そうは思っていない。校長先生にはまだお話してないんだが、お話しても、たぶん、そうは思われないだろう。だから、学校としては、君の正しさを疑ってはいないんだ。君はそれを信じてもよい。」
 次郎は、心が躍るようだった。しかし、ついさっきまで自分を疑っていた小田先生が、朝倉先生のそんな言葉を默って聞いているのが不思議でならなかった。
「しかし、――」
 と、朝倉先生は、次郎の顔を注意ぶかく見まもりながら、
「人間の世の中には、誤解ということがある。これは、時と場合によって免れがたいことだ。君だって、これまでに、人を誤解したことが何度もあるだろう。」
 次郎の頭には、幼いころからの自分の生活が、一瞬、走馬燈のようにまわった。
「どうだね。」
 朝倉先生はやさしく返事をうながした。
「あります。」
 次郎は素直すなおに答えて、少しうなだれた。
「誤解された人は気の毒だ。だから、そういう人があったら、みんなでその人のために弁護をしてやらなければならん。これはあたりまえのことだ。」
 次郎は、小田先生の顔をそっとのぞいて見たいような気がしたが、視線はわずかに青い毛氈の上をはっただけだった。
「しかし、気の毒なのは、誤解された人だけではない。誤解する人も、やっぱり気の毒だよ。どうかすると、誤解された人以上に、その人をいたわってやらなければならないこともある。君は、自分で、そんなふうに考えたことはないかね。」
 次郎には、急には返事が出来なかった。朝倉先生は、毛氈の上に組んでいた手を、そのまま顎の下にもっていって、数でも読むように指を動かしていたが、
「君が、自分で人を誤解した時のことを、よく考えてみたら、わかるだろう。」
 次郎は、もう一度、自分の過去につきもどされた。いろんな人の顔が彼の前にちらついた。その中には、亡くなった母の観音様に似た顔もあった。彼の頭からは、その時、宝鏡先生のことなどすっかり拭い去られてしまっていた。
「わかるはずだと思うがね。」
 朝倉先生は、組んだ手をもう一度毛氈の上にもどして、少し顔をつき出した。
「わかります。」
 次郎の顔は、もうその時には、毛氈にくっつくように垂れていた。
「うむ――」
 と、朝倉先生はうなずいて、また手を顎の下にやった。そして、しばらく考えていたが、
「そこで、宝鏡先生の君に対する誤解だが、むろん、小田先生をはじめ、私も、出来るだけ君に悪気がなかったことをお伝えはする。しかし、一番の早道は、君が自分で直接君の気持をお話しすることだと思うが、どうだね。」
 次郎は、しかしぴったりしない気持だった。宝鏡先生の方から呼び出しがあればとにかく、自分から進んで弁解に行く必要はない、そんなことをするのは屈辱だ、という気がしてならなかったのである。彼は答えなかった。
「いやかね。」
 と、朝倉先生は、組んだ手をいて、代る代るもみながら、
「いやなら、仕方がない。いやなものを無理強いされても、かえって誤解を深めるはかりだろうからね。……どうです、小田先生、本田の気持がもう少し落ちついてからにしちゃあ。」
「しかし……いいでしょうか。」
 小田先生は、何か言いにくそうに、言葉の途中をにごした。
「仕方がありませんよ。無理をして、取返しのつかん結果になるより、当分このままの方がいいでしょう。」
「はあ……」
 小田先生の返事はやはり煮えきらなかった。次郎には、しかし、その煮えきらない理由が小田先生の宝鏡先生に対する立場にあるということが、もうはっきりわかっていた。
「じゃあ、もう本田は引きとらしていいでしょう。」
 朝倉先生はおさえつけるような調子でそう言って、半ば腰をうかした。
「ええ。」
 と、小田先生も、あきらめたように、
「じゃあ、本田、用があったらまた呼ぶから、今日はこれで引きとっていいよ。」
 次郎は、朝倉先生に対して済まないような、それでいて何か物足りないような気がしながら、立ち上った。朝倉先生は、腰をうかしたまま、いつもの澄んだ眼でじっと彼の様子を見つめていたが、また腰をおちつけて、
「うむ、そう。念のために言っておくがね。」
 と、手で合図をして、もう一度次郎にも腰をおろさせ、
「君は、今では、宝鏡先生の誤解を解く必要はない、と思っているかもしれん。しかしそれは何といっても君の誤りだ。誤解は解けるものなら、解いた方がいいよ。人間と人間との間に誤解があっていいはずはないからね。それだけは、私からはっきり言っておく。しかし、道理はそうだとしても、君の気持がそうならなければ、どうにも仕方がない。それはさっきも言ったとおり、いやいやながら誤解を解こうとすれば、却って悪い結果になるからだ。そこで、私は、小田先生といっしょに、君の気持がそうなるのを、陰ながら祈ろうと思っている。それだけは覚えておいてくれ。もっとも、私たちが祈っているからって、それを気にして、あせってはいかん。鶏が卵をあたためるように、ゆっくり落ちついて考えるんだ。いいかね。」
 次郎は室崎の事件の折の朝倉先生をやっと取りもどしたような気がした。そして、すぐにも宝鏡先生に会わして貰おうかと思った。しかし、先生はつづけて言った。
「それと、もう一つ言っておくことがある。それは、誤解はどうしたら解けるか、ということだ。かりに、君が宝鏡先生の誤解を進んで解きたいという気持になったとして、君はどうしようと思うんだい。」
「………?」
 次郎には、質問の急所がつかめなかった。
「誤解にもいろいろあってね。……」
 と、朝倉先生は、少し声を低め、
「相手を説き伏せて解ける誤解もあるし、証拠や証人を出して解ける誤解もある。しかし、それだけではどうにもならない誤解があるんだ。いや、説き伏せたり、証拠や証人をつきつけたりすると、結果がかえって悪い場合さえある。」
 次郎には、全くわけがわからなかった。
「変なことを言う先生だと君は思うだろうね。しかし、世の中は、君らが考えているように、一本筋のものではないんだ。ことがらによっては、一言の弁解もしないで、ただ私が悪うございましたと言えば、それでかえって誤解がとけることもある。むろん、普通なら誤解した方が誤解された方にあやまるのがあたりまえさ。しかし、それがあべこべになっても、そのために、ほんとうに誤解がとけて、双方の気持が晴れやかになるんだったら、そうして悪いわけはない。こんなことを言うと、それでは正しいことが闇に葬られてしまうではないか、と君は言うかもしれん。しかし、正しいことは天知る、地知るだ。決して葬られてしまうものではない。実は、誤解した人だって、……」
 と、朝倉先生は、言いかけて急に口をつぐんだ。
 次郎の頭にその時ひらめいたのは、宝鏡先生ではなくて、お祖母さんだった。彼はもう何もかもわかったような気がした。しかし、彼は、やはり首をたれたまま、朝倉先生のつぎの言葉を待った。
「いや、こんなことを今あんまり言うと、無理強いになるかもしれん。私は、決して、是が非でも宝鏡先生に君をあやまらせようとしているんではないんだ。人間はどんな場合にも、心にもないことをやってはいかん。自分で、あくまでもあやまる必要がないと信じているなら、あやまらない方が却っていいんだ。ただ十分考えてだけはみなければならんね。それで、私は、君が考える時の参考に、誤解を解くには、ただあやまる方がいい場合もあるってことを話したまでだ。要するに、みんなが晴れやかになるには、どうするのが一番いいかそれを考えてもらいたいんだ。それも、校長先生のいつも言われる大慈悲さ。おたがい意地を張る代りに、大慈悲を競う気で物事を考えれば間違いはない。……そう、そう孔子の教えの中に、いい言葉がある。仁に当っては師に譲らず、というんだ。わかるかね。」
 次郎には、むろん、わからなかった。朝倉先生は、小田先生の方を見て、ちょっと微笑しながら、
「国漢の先生を前に置いて、こんなことを言うと、笑われるかもしれんが、仁というのは、つまり大慈悲だ。何事にも先生にゆずるのが弟子の道だが、仁を行うことにかけては遠慮はいらぬ。宝鏡先生とでも誰とでも競争せよ、という意味なんだ。どうだい、大ていわかったろう。」
 朝倉先生は、そう言って、だしぬけに椅子から立上り、
「じゃあ、もういいから、帰ってゆっくり考えてみるんだ。」
 と、さっさと生徒監室の方に歩き出した。次郎は、あわててそのうしろ姿に敬礼したが、まだじっと自分の様子を見つめている小田先生の眼に出会すと、彼はわざとのようにたずねた。
「もういいんですか。」
「朝倉先生がいいと言われたら、いいだろう。」
 小田先生の答は、どぎまぎしているようでもあり、くさっているようでもあった。次郎はそれをきくとすぐ、きちんと敬礼をして室を出たが、廊下を歩いて行く彼の胸の中には、勝ち誇った気持と、重い荷を負わされた気持とが交錯していた。
 彼の姿を見つけた組の生徒たちが、すぐ彼を取りまいて、くちぐちにいろいろのことをたずねた。しかし、真実のこもった声と、そうでない声とを聞きわけるに敏感な彼は、「大丈夫さ」と答えるだけで、何もくわしいことを言わなかった。ただ、新賀に対してだけは、あとで自分から近づいて行って、あらましの成行を話し、
「僕、どうしていいかわからなくなっちゃったよ。」
 と、いかにも思いあぐんだように言った。
 午後の授業には、ほとんど身が入らなかった。いっそ今日のうちに眼をつぶって宝鏡先生にあやまってしまうか、とも考えてみたが、それには先ず、小田先生に対する気持からして清算してかからなければならなかった。それに、「心にもないことはやるな」と朝倉先生に言われたことが、戒めとしてというよりは、むしろ気休めとして彼の心に仂いていた。彼は、とうとう授業が終るまでに決心しかねて、帰り支度をしていた。すると新賀が彼の肩をたたいて言った。
「今日、帰りに君のうちに寄ってもいいかい。」
 次郎は喜んで彼といっしょに校門を出た。

 次郎は、歩きながら、二人の先生との対談の様子を、あらためてくわしく新賀に話した。話しているうちに、小田先生のあいまいな態度に対する不満の言葉も、自然、幾度となく彼の唇をれた。しかし、今は、そうした不満をならべるのが彼の目的ではなかった。彼には、もう、どの先生に対しても、朝倉先生の心に背いてまで反抗的な態度に出る気持は残っていなかった。宝鏡先生に対してこれからどうすればいいか、ということについても、いつの間にか決心がつきかけていたのである。ただ、心の底には、まだ何といっても、いくらかの無念さが残っていた。それに彼くらいの年頃では恐らく誰しもそうだと思うが、そした殊勝な決意をすることが友達に対して何となく気恥かしく感じられるのだった。で、彼は、表面、どうしていいかわからない、といった顔をして、それとなく、朝倉先生の言葉や、その言葉から受けた感銘やを、強く新賀の心に印象づけ、新賀の方から、励ましてもらいたい気持でいたのである。
 しかし、彼のそうした複雑な気持は、新賀には、まるで通じなかった。新賀は、ただ一途に、数学の時間の出来事について、次郎に同情していた。それに、彼はまだ一度も朝倉先生に接したことがなかったので、次郎の口をとおして間接に聞かされた先生の言葉には、さほど感銘を覚えなかった。それは、むしろ、変にややこしい理窟だとしか彼には思えなかったのである。彼は、だから、次郎が率直にもらした不満の言葉には一も二もなく合鎚あいづちをうったが、朝倉先生の言葉に対しては、共鳴どころか、かえって、先生が小田先生とぐるになって、いい加減に次郎をごまかそうとしているのではないか、とさえ疑い、次郎が苦心して説明するたびに、
「ほっとけよ、誰が何と言ったって、平気さ。」
 と、次郎の期待とは、まるであべこべの方向に彼を励ますだけだったのである。
 次郎は、新賀にそんなふうに言われると、ますます自分の本心をはっきり言うことが出来なかった。そして家に帰りついて、新賀と二人、机のはたに坐りこんでからの彼は、とかく沈默がちになり、新賀に来てもらったことをいくらか後悔さえしていた。
 新賀は、そうなると、いよいよはげしい言葉をつかって、彼を元気づけることにつとめた。そして、「なあに、処罰ぐらい、屁でもないよ。」とか、「頑張るさ。君さえ頑張りゃ、みんなできっと応援するよ。」とか、成行次第では自分が主になって、一騒動起しかねないようなことまで言うのだった。
 そんなふうで、おおかた小一時間も話しているうちに、恭一が帰って来た。大沢をつれて来たらしく、階段で二人の話声がきこえた。次郎はそれを聞くと、急に救われたような気になった。
 大沢は、部屋にはいると、
「やあ。」
 と二人に声をかけて、すぐあぐらになりながら、新賀にたずねた。
「次郎君と同じ組かい。名は何というんだい。」
 新賀の方では、大沢は上級生でもあり、「親爺おやじ」の綽名あだなで有名でもあったので、もうとうから顔を見知っていた。しかし、言葉を交わすのははじめてだった。彼は、自分の名を答え終ると、いかにも「親爺」らしい大沢の顔を無遠慮に眺めていたが、急に次郎の方をふり向いて、
「どうだい、今の話、兄さんや大沢さんにも話してみないか。」
 次郎は、むろん、新賀に言われなくとも話すつもりだった。で、さっそく、今日の一件が四人の話題に上ることになった。
 次郎と宝鏡先生との教室での活劇については、新賀が殆んど一人で話してしまった。しかし、小田先生に呼び出されてからあとの事は、次郎が自分で話すより仕方がなかった。新賀の憤慨した調子にひきかえて、次郎はいやに用心深く話した。そして、今度は小田先生に対する不満の言葉など出来るだけらさないようにつとめた。新賀はそれが物足りなかったらしく、何度も口をはさんで、小田先生のあいまいな態度を攻撃した。
 恭一は、話の最初から、ひどく心配そうに聞いていた。しかし、大沢の方は、次郎が机もろとも宝鏡先生にかかえ出されるあたりになると、手をたたいて喜んだ。そして、
「机にしがみついてはなれなかったのは大出来だよ。さすが次郎君だ。かかえ出されても、勝負にはたしかに勝っているね。」
 と、わざとおだてるようなことを言ったりした。そして、次郎が最後に、
「僕、どうしたらいいかわからないので、新賀君の考えをきいてたところです。」
 といくらかきまり悪そうに首をたれると、大沢は、
「ふうむ、なるほど。仁に当っては師に譲らずか。朝倉先生そんなことを言ったんかな。ふうむ。――」
 と、何度も首をふり、それから、恭一に向かって、
「どうだい、本田、君、兄さんとして次郎君に何とか言ってやれよ。」
 恭一は、しかし、次郎の顔を見つめているだけだった。すると、新賀が横から、突っかかるように言った。
「大沢さんは、朝倉先生の言ったこと、いいと思うんですか。」
 大沢は微笑した。そして、ちょっと考えていたが、すぐあべこべに問いかえした。
「君は、いけないと思うかい。」
「いけないと思うんです。」
「どうして?」
「悪くない者にあやまれなんて、そんなこと無茶です。」
「しかし、是非あやまれとは言わなかったんだろう。ねえ、次郎君。」
「ええ。考えろって言われたんです。」
「じゃあ、あやまらなくてもいいんですね。」
 と、新賀の調子は、少し皮肉だった。
「さあ、それは次郎君が自分で考えるだろう。」
「僕は、朝倉先生が考えろなんて言ったのが、ペテンだと思うんです。」
「ペテンだか、ペテンでないかは、朝倉先生自身のほかには誰にもわからんよ。しかし、次郎君はペテンでないと思ってるらしい。ねえ、そうだろう。次郎君。」
「ええ。――」
 次郎は、新賀に多少気を兼ねながら答えた。すると新賀は憤然として言った。
「卑怯だよ、君は。生徒監がそんなに怖いんか。正しいことが突きとおせないような人は、僕、大嫌いだ。」
 彼は、もう立ち上って帰ろうとしていた。大沢も、それを見ると、さすがにあわてたように彼のまえに立ちふさがった。そして、
「おい、おい、そう簡単に友達を見捨てるのはいけないことだぜ。まあ坐れ。」
 と、彼の肩をおさえてむりに坐らせ、
「君はずいぶん短気だな。しかし、そんな短気は必ずしも悪くない。実際、次郎君はこのごろ大人になり過ぎているんだ。少し怒りつけてやる方がいいよ。」
 次郎は、新賀の態度でかなり気持が混乱していたところへ、大沢にそう言われたので、いよいよまごついた。しかし、そのまごつきも、ほんのわずかの間だった。彼は、幼いころから、相手が自分に同情する立場に立っていることが明らかであるかぎり、その相手に対しては、人一倍弱かったが、いったん相手が多少でも反対の側に立ったと見ると、もう少しも遠慮はしなかった。愛のかわきによって自然に築き上げられて来た彼のこうした意地強さは、まだ決してなくなってはいなかったのである。彼は、新賀と大沢とを等分に見くらべながら、ずけずけと言った。
「僕は、僕の思うとおりにするんだから、もう誰にも構ってもらわなくてもいいんです。」
 それを聞いて、誰よりもにがい顔をしたのは恭一だった。彼は、これまでほとんど一言も出さないでいたが、やにわに神経質な声をふりしぼって言った。
「次郎! 何を言ってるんだ。失敬じゃないか。大沢君だって、新賀君だって、お前のことを心配しているから、いろんなことを言うんだよ。」
「じゃあ、兄さんも、大沢さんや新賀君の言うことに賛成ですか。」
 次郎は、今度は恭一に突っかかって行った。恭一は、ちらと新賀の方に眼をやって、答えに躊躇ちゅうちょしたが、
「僕が賛成だか、賛成でないか、そりゃ別さ。僕はただ、お前があんまり失敬だから、言ったんだよ。」
「だけど……」
 と、次郎はせきこんで何か言おうとした。すると、大沢が急に笑い出した。そして、
「今日は、兄弟喧嘩はその程度でよしとけよ。ついでに、次郎君の問題も、ここいらで打切りにしたら、どうだい。」
 みんなは、ちょっと拍子ぬけがしたような顔をして、大沢を見た。大沢はにこにこしながら、
「次郎君が、自分で思う通りにするから誰も構ってくれなくてもいい、と言ったのは、失敬でも何でもないんだ。実は、僕、それでいいと思うんだよ。いや、それがほんとうなんだ。朝倉先生だって、多分そのつもりなんだろう。だから、僕らは、次郎君がこれからどうするか、見ていりゃあいいんだ。」
 次郎には、それが非常に皮肉にきこえた。彼は「くそっ」という顔をして、大沢をにらんだ。大沢は、しかし、相変らずにこにこしながら、
「だが、次郎君、朝倉先生が、心にもないことはやるなって言われたことを忘れんようにせいよ。先生は、君に是が非でも聖人君子の真似ごとをやらせようとしていられるんではないんだ。その証拠には、ゆっくり考えろと言われたんだろう。むろん、先生に最初言われたとおりのことが、君に出来ればすばらしいさ。しかし、どうだい、君は、山伏先生のまえに、自分で悪いとも考えていないことを、ほんとうに心からあやまることが出来るんかい。あやまるからには、山伏先生が今度どんな無茶を言っても、腹を立ててはならないんだよ。それが果して君に出来るんかい。」
 次郎にはさすがに返事が出来なかった。恭一は不安な顔をして、
「しかし、次郎が自分であやまるつもりなら、あやまらしてもいいんじゃないかね。」
「むろん、僕はそれをとめはせん。次郎君に自信があれば、やるがいいさ。やった結果がどうなるか、それを見るのも面白いかも知れんね。」
 次郎は追いつめられるような気がして、すっかり落ちつきを失った。恭一も、そう言われると、べつの意味で不安を感じ出した。新賀はそれまで默りこんで仏頂ぶっちょうづらをしていたが、急に、
「僕、もう失敬します。」
 と立ち上りかけた。
「まてよ。どうも君は気が短かくていかん。」
 と、大沢は彼を手で制して、
「どうだい、今夜は、僕、朝倉先生を訪ねてみたいと思うが、君らもよかったらいっしょに行かないか。」
 大沢のこのだしぬけな提議は、三人にとって、全く意想外だった。同時に、それは、今までの部屋の空気をいっぺんに明るくした。
「うむ、それはいい。そうすれば安心だ。次郎、行ってみようや。……新賀君もどうだい。」
 と、恭一が、いつもにない、はしゃいだ声で言った。
 新賀は、朝倉先生にはまだ近づきがなかったせいか、ちょっと躊躇するふうだったが、好奇心とも、まじめな期待ともつかぬ、一種の興味に刺戟されて、すぐ賛成した。誰よりも喜んだのは次郎だった。彼は、迷宮からでも救い出されたような、ほっとした気持になって、もう、賛成するもしないもなかったのである。
 先生を訪ねる時間の打合わせを終ると、大沢は新賀の肩をたたいて言った。
「さあ、もうこれで、失敬してもいいんだ。じゃあ、さよなら。」
 新賀は、頭をかきながら、大沢のあとについて、階段をおりた。

 朝倉先生の住居は、家賃十何円かの、だだっ広い、古い士族屋敷で、柱も天井も黒ずんだ十二畳の座敷が、書斎兼客間になっていた。
 ちょうど先生が入浴中だったので、四人は十分あまりも、その部屋に待たされた。そのあいだ、大沢と恭一とは、勝手に座蒲団をならべたり、本棚から本を引き出して見たりしていたが、先生の自宅を訪ねた経験のない次郎と新賀とは、いかにも窮屈そうにかしこまっていた。
「やあ、待たせて済まんかったなあ。」
 と、先生は湯あがりの顔をほてらせながら、襖をあけて這入って来た。そして次郎と新賀とが小さくなって坐っているのを見ると、
「おや、今日はめずらしい顔だね。私は、また例の連中かと思っていたが。」
「はあ、実は、これから下級生も少しずつ加えていただきたいと思って、つれて来たんです。」
 大沢が、持っていた本を棚にかえし、自分の席にもどりながら答えた。
 次郎と新賀とは、さっきからお辞儀をする機会を待って、もじもじしていたが、先生は、
「うむ、そうか。」
 と、まだ立ったままで、羽織の紐をかけていた。
「こちらが新賀君、むこうは僕の弟です。」
 恭一が先生の顔を下からのぞきながら紹介した。
「ほう。」
 と、先生は、まだ二人の方を見ない。そして、やはり羽織の紐をいじくっていたが、やっとそれがかかったらしく、
「やあ、いらっしゃい。」
 と、自分の座蒲団に尻をおろし、はじめてみんなとお辞儀をかわした。
 次郎は、今日のことで、さっそく先生に何とか言葉をかけられるだろうと予期して、固くなって待っていた。しかし、先生は、ちょっと彼の顔を見て、
「おお、そうそう、君は本田の弟だったな。」
 と、言ったきり、すぐ新賀の方に話しかけた。新賀は例によって問われることをはきはきと答えた。
「ほう海軍か。そりゃいい。一年の時からちゃんと志望をきめて、まっしぐらに進むのはいいことだ。」
 先生は、それから、海軍の名高い人たちの逸話などを例にひいて、新賀を励ましたり、戒めたりした。新賀は眼をかがやかしてそれに聴き入った。次郎は、かんじんの自分の問題に、いつまでたってもふれて来そうにないので、少しいらいらして来たが、大沢も恭一もいっこう話題を転じてくれそうにない。彼は催促するように何度も恭一の顔をのぞいた。
 恭一も、やっとそれに気がついたらしく、先生の話が一段落ついた機会をとらえて言い出した。
「今日は、弟が数学の時間に、変な事件を起しましたそうで――」
「うむ。」
 と、先生は軽くうなずいた。それから、次郎の方を見て微笑しながら、
「兄さんにも話したのか。そりゃあよかった。何もいそいで決めるには及ばんから、いろんな人の考えをきいてみるんだね。さっそく大沢や新賀にも話してみたら、どうだ。」
「実は、もう、この四人で話しあったんです。」
 と、大沢が答えた。
「はう。それで、どうだった。」
「新賀君は、生徒監がこわくて正しいことを曲げるような人間とは絶交すると言うんです。」
「なるほど。それで君は?」
「僕は、次郎君にひねこびた聖人君子の真似をさせたくないという考えです。第一、まだ、そんなことの出来るほど偉い人間でもなさそうです。」
「はっはっ。すいぶん手きびしいね。」
「ところが、次郎君自身は、僕らにそんなことを言われたのが非常に不服らしいんです。」
「すると、宝鏡先生にあやまろうというのか。」
「ええ、僕らが反対すれば、絶交でもしかねない見幕でした。」
「絶交が大ばやりなんだな。……で本田は、兄さんとしてどういう考えだ。」
「僕は――」
 と、恭一は、少し顔をあからめて、
「次郎が進んであやまると言うなら、あやまらした方がいいと思っていました。しかし、大沢君の考えをきいているうちに、それも不安なような気がして来たんです。」
「うむ。――」
 と、朝倉先生は、しばらく考えていたが、
「次郎君のことは、学校の問題としては、校長にもお話して、もう済んだ事になっているから別に心配せんでもいい。しかし、よく考えてみると、こういうことは学校だけに起る問題ではないんだ。形はちがっても、世間にはそうしたことがざらにある。君らも、将来、次郎君のような羽目におちいることがないとは限らん。これを機会にみんなで真面目に考えてみることだね。」
 その時、奥さんが、
「どうも、おそくなりまして。」
 と、煎餅せんべいを袋ごと盆にのせて、茶道具といっしょに運んで来た。そして、次郎のすぐそばに尻を落ちつけ、みんなに茶を注ぎはじめた。そのきりっとした横顔が、次郎には、どことなく亡くなった母に似ているように思えた。
 先生は、奥さんが差出した湯呑を受取りながら、
「考えるったって、一つ一つの事がらをばらばらにつかまえて来て、あれは正しい、これは間違っている、と考えるだけでは、しようがない。それじゃあ、次郎君のような場合の解決にはならないんだ。君らに考えてもらいたいと思うのは、どうせ人間の世の中にはいろいろの間違いがあるんだから、その間違いの多い世の中をどうして秩序立て、調和して行くかという問題だよ。君らは恐らく、その一番の早道は遠慮なく間違いを正すことだと言うだろう。なるほどそれが完全に出来れば、たしかにそれが早道だ。しかし間違いはあとからあとからと新しく生じて来る。いつまでたっても完全に間違いのない世の中になる見込みはないんだ。汚ないたとえだが、われわれの体にたえず糞尿がたまるようなものさ。さあ、そうなると、間違いは間違いなりで、全体の調和を保ち、秩序を立てていくという工夫をしなければならん。そういう努力をしないで、一つ一つの事がらの正邪善悪にばかりこだわっていると、かんじんの全体が破壊されて、元も子もなくなってしまうからね。かりに君らが、君らの体の中の糞尿のことばかり気にかけて、朝から晩まで便所通いをしているとしたら、いったいどうだ。それよりは、お茶が出たらお茶を飲み、煎餅が出たら煎餅をかじって、糞尿のことなんか忘れている方が遙かに健全だろう。」
 みんなが、一度に吹き出した。奥さんも声を立てて笑った。そして煎餅の袋をみんなの方へ押しやりながら、
「さあ、さあ、みなさん、先生にみなさんの健全なところを見せてあげて下さい。」
 大沢から、恭一、新賀、次郎と、順々に袋がまわった。しばらくは煎餅を噛む音でさわがしかった。大沢は、茶を一ぱい飲み干すと、
「しかし先生、糞尿の溜めっ放しでも困るでしょう。」
「そりゃあ、むろんさ。臓腑ぞうふの中が糞尿だらけになっては、たまらんよ。」
「不正を不正と知りながら、それと妥協するのは、糞尿を溜めっ放しにするのと同じではありませんか。僕は、新賀君の言う所にも道理があると思うんです。」
 新賀は眼をかがやかして、先生を見た。
「むろん道理がある。だから、新賀が、良心的にどうしてもそうでなくちゃならんと考えるなら、新賀にとっては、それが最善の道だ。」
「新賀君以外の人にとっては、最善の道ではないんですか。」
「最善の道であることもあれば、そうでないこともあるだろう。全体の調和とか秩序とかいうことを強く念頭に置いている人なら、新賀の考えている以上の道理を考えんとも限らんからね。」
 大沢は考えこんだ。恭一は、一人でかすかにうなずいていた。誰も口を出すものがない。次郎は自分の問題が中心になっていることなどもう忘れてしまって、大沢の顔を一心に見つめた。彼の眼には、真剣に考えこんでいる大沢の顔が、これまでの彼とはまるで別人のように映ったのである。
「先生、要するに心境の問題ではないでしょうか。」
 恭一が、しばらくして、めずらしく口をきいた。
「そうだよ。心境の問題だよ。」
 と先生は、大きくうなずいて、
「一つ一つの事がらの正邪善悪にこだわるのでもなく、さればといって、それに無頓着だったり、良心にそむいて邪悪に妥協したり、また、大沢の言うように、ひねこびた聖人君子の真似をしたりするのでもなく、全体の調和と秩序とのために、ごく自然に行動するというようなことは、心境を練らなくては出来ないことだ。心境を練ることを忘れて、たゞ頭で考えるだけでは、道理以上の道理は決してつかめない。つかめたようでも、いざとなると、やはり一つ一つの事がらの正邪善悪にこだわりたくなったり、自分を偽って聖人君子の真似をしたり、或はいい加減に妥協してしまったりしたくなるんだ。」
「わかりました。」
 と、大沢は、膝の上に立てていた両腕に力を入れて、まるでどなるように言ったが、すぐ、にやりと微笑して、
「しかし、先生もずいぶん残酷ですね。」
「何が?」
「そんなどえらいことを、先生は、今日、学校で次郎君に要求されたんじゃありませんか。」
「要求なんかしていないよ。」
「でも、次郎君は、先生の言われたことを一所懸命で気にしていましたよ。」
「そりゃあ、気にするはずだ。気にするように言ったんだから。次郎君が気にせんような生徒なら、私もあんなことを言やあしない。」
「じゃあ、気にするだけでいいんですか。」
「いいか、わるいか、それも次郎君が自分で考えるだろう。」
 次郎は、すっかり興奮して二人の対話を聞いていた。
「どうだい、次郎君、君、どうする? 宝鏡先生にあやまるんかい。」
 大沢がたずねた。次郎は、ちょっと返事にまごついたようだったが、
「僕、もっと考えます。」
 と、はっきり答えて、先生の顔を見た。先生は、
「そうだ。うんと考えるがいい。気持がほんとうに練れるまでは、五年でも十年でも考えるがいい。私は君の心の中でそれが練れるのをいつまでも待っている。一方では宝鏡先生にあやまる気になり、もう一方では大沢や新賀と絶交したい気になるような、ちぐはぐの心境では、全く剣呑けんのんだからね。」
 みんなが笑った。朝倉先生は凉しい眼をして次郎を見ていた。が、しばらくして、
「苦しむのはいいことだよ。」
 と、しんみりした声で、ぽつりと言った。それから、今度は、じっと新賀の方を見ていたが、
「君も、少し苦しんでみるがいい。ここでは、大沢や本田のような、苦しみたい連中がちょいちょい集って話しあいをすることになっているが、君もよかったら、これから次郎君といっしょにやって来たまえ。今のところ、三年以上の生徒ばかりだが、君らの仲間もこれから少しずつふえるだろう。」
 煎餅を平らげて四人がおいとましたのは、十時に近かった。奥さんが、門をしめかたがた、みんなを送って出て来たが、別れぎわに、次郎に言った。
「きょうはいじめられましたわね。……でも面白いでしょう。これにこりないで、またいらっしゃいね。」
 次郎は、なぜか、亡くなった母と、日田町の田添夫人との顔を同時に思い浮かべながら、默ってお辞儀をした。そして、暗い通りに出ると、新賀とならんで、沈默がちに歩いた。歩きながら今朝からのことを心の中でくりかえしているうちに、ふと「無計画の計画」という言葉が、新たに彼の頭によみがえって来た。彼は、思わず歩度をゆるめた。そして、闇をすかして、大沢の大きな体をうしろから見上げた。ちょうどその時、大沢は、
「おい、新賀君、どうやら次郎君と絶交しなくてもすみそうだね。わっはっはっ。」
 と、あたりに響きわたるような大声で笑った。

 朝倉先生を中心にした生徒たちの集りを「白鳥会」といった。会員はこれまで十五名で、みんな三年以上の生徒ばかりだったが、今度、あらたに二年から三名、それに次郎と新賀とが一年から加わって、ちょうど二十名になった。たまには、日曜とか祭日とかに、そろって遠足をしたり登山をしたりすることもあったが、普通は、毎月第一土曜と第三土曜の二回、夕食後、先生の宅に集まって、代りばんこに何か話題を提供し、それについてお互いに感想や意見を述べあい、そのあと時間があれば、先生に何か簡単な話をしてもらって、十時ごろには解散する、といったふうであった。
 集まりには、いつも先生の書斎兼座敷と、その次の間とが使われたが、そのほかに、二階の八畳が、会員の図書室として年中開放されていた。玄関のつきあたりの階段をのぼったところがその部屋で、そこには、一間ものの本箱が一つと、うるしのはげた大きな卓が一脚すえてあった。本箱には、先生の読みふるしの本がいっぱいつまっており、たいていは、歴史や、伝記や、古典の評釈や、定評のある文芸物などで、新しい作家のものはほとんど見当らなかった。なお、会員が持ちよったらしい青少年向のいろんな読物が、一番下の段に三十冊あまりならんでいたが、それらは、先生の読みふるしの本とちがって、かなり装幀がくずれており、どの頁にも色鉛筆で、線や圏点けんてんが入れてあった。――集会の折の話題の半分以上は、この部屋での読書から生れるらしかった。
 次郎は、会員になってから、ほとんど一日おきぐらいには、学校の帰りにこの部屋に立ち寄った。すると、たいてい誰かが来合わせていた。たまには五六人もいっしょになることがあった。誰もがそれぞれ特色を持ちながら、どこかに何か共通な気持が流れているのが、次郎にもよく感じられた。時おり、誰かが奥さんに呼ばれて、力のいる仕事の手伝いをさせられたり、買物に行く間の留守居を頼まれたりすることがあったが、呼ぶものも、呼ばれるものも、まるで家族同様の気軽さだった。次郎には、そうした空気が、何か珍らしくもあり、嬉しくもあった。
 奥さんには子供がなかった。女中もつかわず、全く先生と二人きりだったが、用がない時には、ちょいちょいこの部屋にやって来て、「今、何を読んでいらっしゃるの?」とか、「あたしこの本、面白いと思うわ」とか、みんなの邪魔にならない程度に簡単な言葉をかけ、自分もいっしょになって何か読み出すといったふうだった。小床には、いつも何か花がけてあり、また卓の上にも一輪差が置いてあって、花がしおれないうちに必ず新しいのと取りかえられていたが、そうしたことは、すべて奥さんの心づくしであった。
 いつ来て見ても変っていないのは、掛軸と額だった。掛軸には、和歌らしいのが、むずかしい万葉仮名で、どこからどう読んでいいかわからないように書いてあり、額には漢字が五字ほど、これも読みにくい草書体で書いてあった。次郎には、むろん、何が書いてあるのやらさっぱりわからなかった。また、それを判読してみようという気にもならなかった。彼の眼には、どこの家にもある掛軸や額以上のものには、それが映らなかったのである。もっとも、何度もこの部屋に出入りしているうちに、額にある最初の二字だけは、いつの間にか彼の眼にとまるようになった。それは、「白鳥」と書いてあるらしく、会の名称と深い関係があるように思えて来たからであった。
「あれは、白鳥と読むんでしょう。」
 と、ある日、彼はちょうど来合せていた佐野という四年の生徒にたずねた。
「そうだよ。君、今まで知らんかったのか。」
 次郎は頭をかきながら、
「こないだから、そうじゃないかと思ってたんですが……」
「なあんだ、僕たちの会の名は、あの字にちなんでつけてあるんじゃないか。」
「僕、そう思ったから、きいてみたんです。」
「すると、君の兄さん、まだそれを君に教えてなかったんだね。」
「教わりません。」
「案外、君の兄さんものんきだなあ。今日、帰ったら、よく教わっとけよ、あの意味を。」
 佐野は、そう言って、読みかけていた本の頁をめくった。
 次郎は、しかし、もう帰るまで辛抱が出来なかった。彼は一心に額を見つめて判読しようとつとめた。「白鳥」の次の字は「入」という字にちがいないと思ったが、しかしそのあとの二字がどうしても読めなかった。
「おしまいの二字は何という字です。」
 彼は、とうとうまたたずねた。
「芦花だよ。あしの花さ。」
「すると、白鳥……芦花に入る、と読むんですね。」
「そうだ。白鳥芦花に入る。……しかし芦という字は実際変な字だねえ。誰だって教わらなきゃ、わからんよ。」
「誰が書いたんでしょう。」
 額は無落款らっかんだったのである。
「先生だそうだ。」
「先生が? どうして、誰にもわかるように楷書で書かれなかったんでしょう。」
「楷書で書くと、生徒より下手だから、みんなが有りがたがらないだろうって、冗談言っていられたよ。」
 佐野はそう言って笑った。次郎も笑ったが、すぐ真顔になって、
「どうして会の名をこの文句にちなんでつけたんでしょう。」
「それは、この文句に深い意味があるからさ。」
「そんなに深い意味があるんですか。」
「あるとも、大いにあるよ。」
「どういう意味です。」
「それはね。――」
 と、佐野は本を伏せて、次郎の方に体をねじむけたが、急に、
「あっ、そうだ。いけない。めったに教えちゃいけなかったんだ。君の兄さんも、それで教えなかったんだな。僕、うっかりしていた。」
 次郎は、変な顔をして、
「どうして教えてはいけないんです。」
「ついこないだ、先生にそう言われたんだ。はじめての人には、文字だけは教えてやってもいいが、意味は、一応めいめいに考えさしてみるがいいって。……僕たちが会員になった時には、真っ先に先生にそれを説明してもらったもんだがね。」
 次郎は、そう言われると、もう強いて教わろうという気がしなかった。彼は、もう一度額の字を見つめた。そして、何度も、口の中で「白鳥芦花に入る」をくりかえしていた。
 佐野は、次郎の様子をにこにこして眺めていたが、
「そうせっかちに考えたってわからんよ。すいぶんむずかしいんだから。それよりか、どうだい、あの掛軸の方は。あの方なら、字が読めさえすれば、意味はだいたいわかるよ。」
 次郎は、返事をしないで、そろそろと掛軸の方に眼を転じた。しかし、心はまだ額の字に未練を残しているらしかった。
「読めるかい。」
「読めません。どこから読むんです。」
「あのまん中の大きく書いたところから読むんだよ。」
 佐野は立ちあがって掛軸のそばに行き、一字一字、指で文字をたどりながら読んでやった。それによると、
「いかにして まことのみちに かなはなむ ちとせのなかの ひとひなりとも」
 というのであった。これには落款があり、左下の隅っこに変った形の朱印が一つ押してあった。
「意味はわかるだろう、だいたい。」
「ええ、わかります。」
 恭一の感化もあって、次郎にもこの程度の和歌なら、字づらだけの意味はどうなりわからないこともなかったのである。
「良寛の歌だってさ。」
「良寛?」
「知らないかい。面白い坊さんだよ。その本箱の中にも、良寛のことを書いたのが何冊かあるんだがね。」
 二人はすぐ本箱の前に立って、それをさがしはじめた。
「これがいい、これが一等面白いんだ。」
 佐野が、そう言って次郎の手に渡したのは、「良寛上人」という、四六判の、あっさりした装幀の本だった。
 次郎はすぐそれを読み出した。そのうちに、会員が五六名も部屋を出たりはいったりしたが、それが誰だったかもわからなかったほど、彼は熱心にそれに読みふけった。佐野もいつの間にかいなくなっていた。もううす暗くなっている部屋の中にたった一人坐っている自分を見出して、彼はやっと未練らしく立ち上り、本を本箱にかえした。まだ半分も読み終ってはいなかったが、本は一切室外には持出さない約束になっていたのである。
 翌日も、彼はさっそくこの部屋にやって来た。その日は、めずらしく彼一人だった。彼は昨日読みのこした部分を一気に読み終った。そしてほっと大きなため息をもらし、あらためて掛軸に見入った。昨日以来、「良寛上人」を読んでいるうちに、何か不思議な世界につれこまれていたといった気持だったのである。彼は、子供たちを相手に隠れん坊をして遊んでいるうちに、おいてきぼりを食った良寛の姿を、夢を追うような気持で心に描いた。それは、まるで合点がてんの行かない、それでいて否定してしまうには惜しくてならない、なつかしい姿だった。「焚くほどは風がもて来る落葉かな」――そんな句も、妙に彼の心にこびりついていた。本に説明してあることだけでその意味がはっきりつかめたというのではむろんなかったが、なぜか、良寛とは切りはなせない句のような気がしてならなかったのである。
 彼は、いつの間にか、掛軸にある「まこと」という言葉は、これまで修身の時間などで教わった「まこと」とは意味がちがうのではないか、という気がし出した。しかし、ただぼんやりそんな気がするだけで、どうちがうのか、それをはっきりさせる手がかりはまるでつかめなかった。彼は、ただ、何度も何度も、掛軸の文字に眼を光らせるだけだった。
「おや、きょうはたったお一人?」
 奥さんが、いつの間にはいって来たのか、次郎のすぐうしろから、声をかけた。次郎はびっくりしたようにふりむき、体を横にねじってお辞儀をした。
「なに読んでいらしたの?」
「これです。」
「ああ、良寛上人、――それ、あたしもついこないだ読みましたわ。いい本ね。面白かったでしょう。」
「ええ。」
「あの掛軸、良寛の歌ですわ。読めて?」
「昨日、佐野さんに教わりました。」
「そう? あの額の方は?」
「字の読方だけ教わったんです。」
「意味は自分で考えてみるんだって、言われたんでしょう。」
「ええ。」
「考えてごらんになって?」
「まだ、あまり考えていません。」
「考えようにも、ちょっと、どう考えていいかわかりませんわね。白い鳥が芦の花の中にはいるって、ただそれだけなんですもの。禅の文句なんて、まるでなぞみたいなものですわ。」
 次郎は、世間で、わけのわからぬ言葉を禅問答みたいだ、というのを、これまでよく聞いたことがあったが、こんなのが禅の言葉かな、と思った。
「だけど――」
 と、奥さんは、にっこりして、
「意味はわからなくても、いい気持のする文句でしょう?」
 次郎は、ふと、自分の生れ故郷の、あの沢辺の晴れた秋景色を想像した。そこには芦が密生していて、銀色の穂波がまばゆいように陽に光っている。一羽の真白な鳥が、ふわりと青空を舞いおりて、その穂波に姿をかくした光景は、何ともいえない美しさだった。
「どう? 次郎さんは何とも感じません?」
「美しいと思います。」
「美しいというよりか、すがすがしいといった方がぴったりしなくって?」
「ええ。」
 次郎は、彼がこれまでに接したいかなる女性にも――亡くなった母にさえも――見出せなかったものが、この奥さんの言葉の中からしみ出て来るのを感じた。
「先生はね、――」
 と、奥さんは、今度は掛軸の方に眼をやりながら、
「良寛のあの歌にある“まこと”というのは、この額の文句と同じような気持だろうって、よくそう仰しゃっていますの。」
 次郎には、しかし、その二つがどんな点で結びつくのか、まるでわからなかった。彼は、けげんそうな眼をして奥さんの顔を見ながら、
「すると、白鳥芦花に入るっていうのは、誠という意味ですか。」
「そう言ってしまっても、いけないでしょうけれど、せんじつめると、そうなるかも知れませんわ。」
「どうして、そうなるんです。」
「そこを次郎さんが自分で考えてみるといいわ。」
 奥さんは、そう言って微笑した。が、しばらくして、
「でも、このままじゃ、あんまり手がかりがなさ過ぎるわね。……あたし、先生に叱られるかも知れないけれど、その手がかりだけ教えてあげますわ。」
 次郎は、それをきくのがちょっと卑怯なような気がしないでもなかった。しかし、その気持は奥さんの好意に甘えてみたい気持をおしつぶすほどに強くはなかった。彼は、いくぶん顔をあからめて、奥さんの言葉を待った。
「芦の花って真白でしょう。その真白な花が一面に咲いている中に真白な鳥が舞い込んだっていうのですわ。」
 奥さんは、それだけ言うと、また微笑した。そして、
「もうこれでおしまい。ほほほ。」
 と、謎のような笑い声を残して、階下におりて行ってしまった。
 次郎は、それから小半時も、掛軸と額とを見くらべながら、ひとりで考えこんだ。しかし、いくら考えても、彼の頭では、「白鳥入芦花」と「まこと」とを結びつけることが出来なかった。彼は、芦原の中に、きょとんとして立っている良寛の姿を想像したりして、何だか馬鹿にされているような気がするのだった。

 次郎が「白鳥入芦花」の意味をどうなりつかみ得たように思ったのは、それからふた月以上もたって、彼が二年に進級したあと、はじめて白鳥会が開かれた晩のことだった。
 その晩の話題は、期せずして、新五年生の下級生に対する態度に関係したことに集中され、とりわけ、大沢が級会において、多数の五年生を相手に猛烈な論争をやったことが、興奮と感激とをもって語られた。
「じっさい、大沢君の論鋒ろんぽうは鋭かったよ。痛快だったね。」
「やつらがいきり立てばいきり立つはど、大沢君、落ちつくんだからね。すっかり感心しちゃったよ。」
「しかし、汝ら罪なき者彼らを打て、という文句を引き出して、やつらを睨みまわした時には、大沢君もさすがにちょっと興奮していたようだったね。」
「あの時、誰か隅っこの方から、アーメンなんて野次った奴がいたぜ。」
「あんなのが一番下劣だね。真正面からぶっつかって来る奴は、まだ脈があるんだが……」
「しかし、大沢君が、おしまいに、大の字なりに寝ころんで、下級生を鉄拳制裁する代りに、おれを踏むなり蹴るなりしろ、と呶鳴った時には、どうなることかと心配したよ。」
「あの時は、さすがに奴らもしいんとなってしまったね。」
 佐野や恭一や、そのほかの新しい五年生たちが、代る代るそんなことを言った。大沢はただにやにや笑って聞いていた。朝倉先生も、腕組をしたまま、默々として聞き入っていたが、急に、大沢に向って、
「で、結局、どう落ちついたんだ。」
「お流れです。しかし、僕、最初っから僕たちの考えにまとまるとは考えていなかったんです。お流れになれば成功でしょう。」
「うむ――」
 と、朝倉先生は、しばらく考えて、
「しかし、このままではいけないね。このままでは、どうせ鉄拳制裁の悪風はやまんよ。」
「しかし、そういうことを五年生全体の特権のように考えていたことだけは、これで破ることが出来たと思います。」
「その代り、病気を深部しんぶに追いこんだことになるかも知れんね。」
「はあ?」
 と、大沢はその大きな眼をぱちぱちさした。すると、先生の澄んだ眼が、かすかに笑って、
「君もまだ、案外、形式主義者のようだね。」
 大沢は、すっかりあわてて、膝を立て直した。ほかの生徒たちも、これは案外だという顔をしている。
「むろん、五年生全体の名において、下級生に鉄拳制裁を加えることが、これまで当然のことのように考えられていたのは、この学校の一番の悪風だ。だから、君が、今度五年生になったのを機会に、それを打破しようとしたのは、決して間違いではない。ただその方法に問題があるんだ。何だか、いま聞いたところでは、化膿かのうした盲腸を叩きつぶして、腹膜の原因を作った、といった恰好ではないかね。」
「そんなことになるんでしょうか。」
「どうも、そうなりそうだね、鉄拳制裁の好きな連中は、これから、こそこそ勝手な行動に出るよ。ちょうど盲腸からとび出したうみのように。」
 大沢は、少し眼を伏せて考えこんだ。
「なるほど、五年全体の名において大っぴらにそれがやれなくなれば、形式としては前よりはよくなるわけだ。しかし、実質的には一層始末にえないものになるかも知れん。実は、学校として、そのことで、これまで五年生に強圧を加えなかったのも、そうなるのを恐れたからなんだ。」
「すると、いつまでもこのままにして放って置かれるつもりだったんですか。」
「そうではない。君らの眼にはどう映っていたか知らないが、大垣校長が、赴任されて以来、内々最も苦心されて来たのは、そのことなんだ。幸い、葉隠の四誓願が、そのまま校訓同様のものになっていたし、校長は、あの大慈悲という言葉を強調して、じりじりと辛抱づよく今日まで努力してこられたんだ。もうそろそろまる四年になるね。校長が赴任されたのは今の五年生が一年の二学期をむかえたときだったんだろう。」
 朝倉先生は、そう言って、感慨深そうに、みんなの顔を見まわしていたが、
「吉田松陰の言葉に、天下は大物だ、一朝の奮激では決して動くものではない、それを動かそうと思えば、誠を積まなければならない、といったような意味のことがあるが、一つの学校を動かすにも、やはり同様だね。校長が辛抱強く誠を積んで来られたればこそ、君らのように、進んで校風刷新のために戦おうという生徒も何人かあらわれて来たんだ。君らほどの熱意はなくても、心の中では、君らに味方したいと思っていた生徒が、きっとほかにも沢山あるだろう。四五年前とはたしかに全体の空気が変って来ているよ。この分で、もう二三年も努力すれば、自然に悪風もなくなるだろうと、いつも校長とお話していたところだったがね。」
 大沢は、いつになく、首を垂れて聴いていたが、
「すると、僕、校長先生のお考えをぶちこわすようなことをしてしまったんでしょうか。」
「ぶちこわしたというほどでもないだろう。しかし、校長は、五年が二派にわかれて争うようなことになってはならないって、いつもそれを心配していられたんだ。生徒には、もともと善玉も悪玉もない。それが、はっきり善玉と悪玉とにわかれてしまって、学校が、やむを得ず善玉のあと押しをしなければならんようになっては、教育もおしまいだ、というのが校長のお考えでね。実は、私も、そのお言葉をきいた時には、はっとしたよ。わざわざあんな下手な字なんか書いて、この会の名をそれにちなんでつけることにしたのも、そのためだったんだ。」
 次郎は眼をかがやかした。
「とにかくはっきりした対立的な情勢を作ったのは、君の失敗だったよ。白鳥芦花に入る気持がほんとにわかっていたら、もっとほかに方法が見出せそうなものだったがね。」
 大沢は、しきりに首をふった。ほかの生徒たちも、お互いに顔を見合わせて默りこんでいる。朝倉先生は、にこにこして、しばらくその様子を眺めていたが、
「こないだ、ある本を読んでいたら、こんな話が書いてあった。それは、支那の何とかいう禅宗の坊さんの話だがね。その坊さんが自分の弟子をほかのお寺にしばらく修行に出してやった。何年かたって、その弟子が帰って来たので、何か得るところがあったのか、とたずねると、弟子は默って地べたに円を描いて見せたそうだ。円が何を意味するのか、われわれ素人にはわからんが、とにかく何か悟りを開いたという意味なんだろう。ところで、そのあとが面白い。その円を見た師匠の坊さんは、たったそれっきりか、と呶鳴りつけたんだ。すると弟子は、今度はその円をさっさと消してしまった、というのだ。どうだい、大沢、円を消してしまったところが非常に面白いではないかね。」
「はあ――」
 大沢は少しも面白そうな顔をしていない。
「君も、どうなり、五年生相当な円を描くことは出来るようになったらしいが、まだその円を消すところまでは行っていないようだね。」
「はあ――」
 大沢は、また「はあ」と答えた。今度は、しかし、何か思いあたるところがあるといったような返事の仕方だった。朝倉先生は、たたみかけて、
「君が、大の字なりに寝転んで、たんかを切ったところなんか、まるで円の上を三角で上塗りしたようなものだったね。それじゃ、せっかくの円も台なしだよ。」
「すみません。」
 大沢は、その大きな肩をすぼめて、右手で後頭部をおさえた。
 次郎は、さっきから、二人の対話に一心に耳を傾けていたが、大沢がすっかり弱りきっているのが、ふしぎでならなかった。彼は七つ八つの子供のころ、「饅頭虎」と「指無しごん」という二人のならず者が、酒の座で喧嘩をはじめ、父の俊亮がその仲裁にはいったときの光景を思い起していた。父は、その時、両肌をぬいで二人の間に割って入り、「それほど喧嘩がしたけりゃ、おれを片づけてからにせい。おれの眼玉の黒いうちはお互いに指一本ささせないぞ。」といったようなことを大声でどなり、すぐ二人を平身低頭させたが、その時の感激は今に忘れられない。大沢のやったことも、それと同じではないか。自分の身をなげ出して不正を防ごうとしたことが何で悪いのだろう。次郎には、そんな気がしてならなかったのである。で、彼はいきなり先生にたずねた。
「大沢さんのやったこと、どうして悪いんですか。」
 先生は、しばらく返事をしないで、まじまじと次郎の顔を見ていたが、
「君には、ちょっとむずかしいかな。」
 と、またしばらく言葉を切って、
「君は、あの額の意味を考えてみたのかい。」
「考えてみました。しかし、わかんないです。」
「ふむ――じゃあ、今日はいい機会だから、ひととおり話しておこう。はじめての人はよくきいておくんだ。」
 そう言って、朝倉先生は説明をはじめた。しかし、その説明は、最初のうち、額に書いてある文字には少しもふれなかった。話は、先ず、先生がこのごろよく座談会などに出かけて行く近在の村の事から始まった。
 その村には、三十台ぐらいの若い人たちが、二十数名集まって、一つの団体を作り、いつも村のことを研究し、熱心に村生活の調和と革新とをはかっている。しかし、世間普通のそうした団体のように、正面切って改革を叫んだり、集団行動に出たりするようなことはほとんどない。団員は、月に何回となく集まって、意見を出しあい、議をねり、計画を定め、その実現を誓いあうが、それをその団体の決議だなどといって、大ぴらに発表したりすることは決してない。彼らは、それがめいめいに出来ることだったら、默って率先躬行するし、村全体でやらなければならないことだったら、めいめい自分の近しい人から、茶飲み話の間に角立てないで説き伏せて行く。そんなふうで、いつの間にやら、村の気風を改め、世論を指導して行くので、大ていの人は、そんな団体の存在をはっきり知らないし、知っても気にとめない。いわば村の地下水となって村民の生活の根をうるおしているようなものだ。こういうのが、ほんとうの意味で公共に仕える道ではないか。――
 次郎も、話がそこまで進むと、「白鳥芦花に入る」が、何だかぼんやりわかって来たような気がした。
「それにくらべると――」
 と、先生は、ちらと大沢を見た眼を次郎の方に転じながら、
「大沢のやりかたには、やはり足りないところがある。むろん、自分を売るといったような不純な気持が大沢に少しでもあったとは私は思わない。大沢も、もうそこいらはとうに突きぬけているよ。しかし、とにかく大沢という人間が、けばけばしく出過ぎて、古い型の英雄になってしまった事はたしかだ。いわば、真黒な鳥が白い芦の花の中に飛込んだようなものだね。」
 みんなが思わず笑い出した。大沢は、顔をまっかにしながら、
「わあっ、今日は、僕、台なしだな、次郎君も、もう僕を弁護するのはよしてくれよ。」
 それで、また、一しきり笑い声が賑やかだった。その笑い声がしずまるのを待って、先生は次郎に言った。
「どうだ、もうたいてい意味だけはわかったろう。真白な鳥が、真白な芦原の中に舞いこむ、すると、その姿は見えなくなる。しかし、その羽風のために、今まで眠っていた芦原が一面にそよぎ出す、というのだ。お互いに、この白鳥の真似がしてみたいものだね。しかし、なかなかむずかしいぞ。それがほんとうに出来るまでには、よほど心を練らなくちゃならん。自分の正しさに捉われて、けちな勝利を夢みているようでは、とても白鳥の真似は出来るものでない。良寛のような人でも、「千とせのなかの一日なりとも」と歌っているくらいだからね。」
 次郎は、頭におおいかぶさっていたものを、一時にとり去られて、青い空を仰ぐような気持だった。が、同時に、朝倉先生が、いつの間に自分の心をこれほど深く見ぬいたのだろう、と、何か恐ろしい気もした。彼は、思わず部屋じゅうの人たちの顔を、そっと見まわした。すると、いつの間にはいって来たのか、部屋の入口の、円座から少しさがったところに、奥さんがつつましく坐って、こちらを見ていた。その眼は、次郎の眼をとらえると、にっこり笑ったが、
「ね、わかったでしょう。」
 と、そう言っているような眼だった。
 次郎は、これまで、白鳥会というものを、ただ、真面目な生徒たちの集まりだ、というふうに、ぼんやり考えていたが、この晩の集まりで、先生の心のなかには、もっとはっきりしたねらいがあるということに気がついた。しかも、そのねらいは、誰に向けられているよりも、より多く彼自身に向けられているような気さえしたのである。彼は、それ以来、本を読むにも、人に接するにも、何かこれまでとはちがった角度に立って、ものを見るようになった。ことに、伝記物などを読んでいて、以前なら感心したであろうと思われるところに、あまり感心しなかったり、大して注意をひかなかったであろうと思われるところに、かえって深い興味を覚えたりした。また、おおかた一年近くも、彼の幼い思想の、唯一の拠りどころとなっていた「無計画の計画」という言葉にも、彼は自分で知らない間に、新しい意味をつけ加えていた。それは、もはや彼にとって、単に彼をとり囲む運命の神秘を意味するだけではなく、彼自身の心を、もっと自然な、作為のないものにするための指標として役立つようになっていたのである。
 次郎の幼年時代をくわしく知っている読者なら、誰でも気づいたであろうように、そのころ彼は、精力の半ば以上を、周囲の人々の彼に対する気持を推しはかることに費していた。かつて、私は、「次郎にとって何の自制心も警戒心も必要としないただ一人の相手、嘘であろうと、誇張であろうと、そのままにうけ入れてくれるただ一人の相手、そして、かりに腹を立てあうにしても、腹を立てあうことそのことが愛のしるしでさえあるようなただ一人の相手、それは乳母のお浜だけであった。」というような意味のことを書いたが、じっさい彼は、お浜以外の人のいるまえで、作為のない自然な行動に出たことは、めったになかった。彼は、人目をぬすんで火薬をもてあそび、大怪我をして苦しんでいた時ですら、周囲の人々の驚きや、心配や、同情の程度をひそかに測定することを忘れず、彼の過失に対する非難がどうやら彼のうめき声で帳消しになったらしいのを知って喜んだくらいである。彼の悪行も、善行も、純粋に彼自身のものであることは極めてまれであった。それを刺戟したものは、たいていの場合、周囲の人々の思わくだったのである。彼が、「愛せられる喜び」から「愛する喜び」へ心を向けかえようと努力したのも、そうした自分の弱さや醜さに嫌悪を覚えたからであったが、しかし、それとても、まだほんとうに純粋なものだったとはいえなかった。やはり、彼の心のどこかには、病床にあった母のために、自分の小遣いから、少しばかりの牛肉を買って戻ったころのほめられたい気持が、まだしみついていたのである。彼は、白鳥会の仲間、とりわけ大沢や新賀の、物ごとに渋滞じゅうたいしない、率直な態度を見るにつけ、それがはっきり自覚されて来た。「無計画の計画」という言葉が、彼にとって新しい意味をもつようになったのも、そのためだったのである。
 はた目にはいかにもあれ、彼が白鳥会の一員となってからの内面的闘争には、涙ぐましいものがあった。「円を描いて円を消す」――「白鳥芦花に入る」「無計画の計画」――「誠」――そうした言葉は、会の集まりの席ではむろんのこと、家庭でも、学校でも、そのほかどんは場所ででも、彼の心を往復した。彼の一言一行は、そうした言葉のどれかを思い起すことによって、用心ぶかく選まれ、そして省みられたといっても、言いすぎではなかったのである。しかも、それで彼の言動の自然さがいくらかでも取りもどせたかというと、決してそうではなかった。それどころか、それらの言葉がいつも彼の頭にこびりついていることが、却って彼の心を束縛し、彼の言動の自然さをぶちこわすことにさえなるのだった。彼は作為すまいとする作為によって、手も足も出ないことがあった。それは、彼にとって大きな矛盾むじゅんであったにちがいない。しかし、彼自身では、少しもその矛盾には気がついていなかったのである。
 だが、彼がこの矛盾に気がつかなかったということは、彼の前途にとって、必ずしも不幸なことではなかったであろう。というのは、円を消すには先ず円を描かなければならないし、無計画の計画は、計画をつきぬけた人だけにしか出来ないことだからである。次郎は青年期に入ってまだ間もない人間だ。幼年時代にうけた心のきずは、そう早く枯れてしまうものではない。そのきずが深ければなおさらのことだ。なるほどそれにこだわるのは、見た目に決していいものではない。本人も、むろん苦しかろう。だがこだわりにこだわって、こだわりぬいたところに、ほんとうにこだわらない道がひらけるのだ。私たちは、そう思って、朝倉先生と共にゆっくり彼の将来を見まもって行きたいのである。

 それから約一年が過ぎた。次郎も、もう三年生である。
 大沢と恭一とは、卒業後そろって高等学校の文科にはいった。大沢は政治に志し、恭一は文学に志していたのである。
 白鳥会も、その間に少しずつ人数を増して行って、三十数名になったが、みな、それぞれの学年で粒よりのものばかりだった。一般の生徒からは、少し変り者扱いにされ、かげでは、「鵞鳥」とか、「あほう鳥」とか、「孔子の枯糞」とか呼ばれることもあったが、それでいて、何とはなしにみんなに尊敬されているといったふうであった。それには大沢の在校中の言動があずかって力があったことはいうまでもない。ことに、彼が鉄拳制裁問題で闘って以来、彼の下級生からうけた信望は大したものであった。それがやがて五年生の大部分にも反映して、朝倉先生が心配したように、彼らが二派にわかれて争うというようなことにもならないですんだ。こうして彼の存在が生徒たちの眼に大きく映るにつれて、白鳥会員全体が、何か犯しがたい力をもっているもののように思われて来たのである。
 次郎の心境も、この一年あまりの間に、たしかにいくらかの進歩を見せた。周囲の思わくにこだわるくせからは、まだすっかりぬけ切ってはいなかったが、こだわったあとで、それを取り繕ったりするような二重のこだわりは、よほど少くなっていた。それだけに、彼自身の気持もいくらか軽くなり、周囲の人々も、彼が次第に快活になって行くのを喜んだ。
「本田も、このごろ、いくらかすべりがよくなったようだね。しかし、上滑りは禁物だ。」
 朝倉先生は、白鳥会の集まりの時に、一度そんな事を彼に言った。――白鳥会では、恭一がまだ在校していたころは、恭一を「本田」と呼び、次郎を「次郎君」と呼ぶならわしだったが、恭一の卒業後は、いつとはなしに次郎が「本田」と呼ばれるようになっていたのである。
 宝鏡先生と彼との関係は、それ以来少しも発展しなかった。一年級の終りまでは、――といっても、事件後僅か一ヵ月あまりだったが、――教室でおたがいに多少気まずい思いをしながらも、事なくすんだ。次郎の学年成績の通信表に記された数学の点は七十五点で、彼の出来栄え相当であった。ただ、彼は内心いくらか不満に思ったのは、第一、第二学期とも甲であった操行評点が乙にさがっていたことであった。しかし、彼は、それを宝鏡先生のせいにする気には不思議になれなかった。操行評点は学級主任が原案を作ってそれを職員会議にかけて決定する、ということをかねて聞いていた彼は、罪は小田先生にあるような気がしていたのである。
 二年に進級すると、数学の受持の先生が変って、次郎は、宝鏡先生とはほとんど顔をあわせる機会がなくなった。彼はそれでほっとした気にもなったが、また一方では、先生が二年級について来なかったということが、全く自分のせいででもあるような気がして、何かすまない気持だった。そして、式や何かの場合には、彼はいつも、講堂の隅っこの席に行儀よくかしこまっている先生の姿を、遠くから注意ぶかく眺めていた。彼の眼には、先生の姿がいつもしょんぼりしているように見えた。人なみはずれた巨大な体躯であるだけに、それが一層淋しく思えるのだった。そんな時、彼がきまって思い出すのは、朝倉先生の「課題」だったが、それは時として彼を物悲しくさえさせるのだった。
 こうして、とうとう彼は三年に進んだが、その第一学期の試験も明日で終るという日の朝、彼が校門をはいると、すぐ右手にある掲示場の前に、十四五名の生徒がたかって、やんやと何かはやし立てていた。中には、遠方にいる生徒たちを大声で呼んだり、手招きしたりしているものもあった。彼も、ついそれに誘われて、急いで近づいてみると、そこには黒塗の掲示板が二枚かかっており、まだ十分に乾ききれない白堊の毛筆書きで、その一方には、「教諭心得宝鏡方俊、願ニ依リ本職ヲ免ズ」とあり、もう一方には、「明○○日第一学期終業式後宝鏡先生ノ送別式ヲ行ウ」とあった。次郎は、それを見た瞬間、妙に胸をしぼられるような気がした。そして、しばらくは白堊の文字を見つめたまま、ほかの生徒たちの騒ぎの中に、じっと突っ立っていた。
「とうとうやめたのか。」
「しかし、よく辞職したね。」
論旨ゆしさ、むろん。」
「論旨って何だい。」
「論旨退学の論旨だよ。」
「先生にもそんなことがあるんだね。」
「あるとも、それがなくって自分からやめる先生なんて、ありゃせんよ。」
「しかし、ホウキョウ・ホウシュン、かわいそうだな。はやく転任でもすりゃいいのに。」
「転任したって、またすぐ駄目になるさ。」
「どうせ引きうける学校もないだろう。」
「やっぱり山伏をやる方が似合っているよ。」
 生徒たちは、そんなことを言っては、笑ったり手をたたいたりした。次郎は、聞いているのがつらくなり、急いでその場をはずした。
 教室に入ってみると、もうそこでも、宝鏡先生のことでみんながわいわいさわいでいた。そして、次郎の顔を見ると、
「やあ、本田が来た、来た。」
「掲示を見たか。」
「どうだ、痛快だろう。」
 などと、くちぐちに次郎に祝意を表するようなことを言うのだった。
 次郎は、しかし、にこりともしないで自分の席に腰をおろした。そして、雑嚢を机の上に置くと、そのまま頬杖をついて、眼を黒板の方に注いだ。
「どうしたい、本田。」
 と、二三人が彼の方によって来た。それでも彼は返事をしない。みんなの視線は、自然と彼の方に集まった。
「ホウキョウ・ホウシュン、やめたぜ。」
 と、誰かが隅の方からどなった。
「知ってるよ。」
 次郎はふりむきもしないで答えた。それから、のそのそと立ち上って、あっけにとられているみんなの顔を一巡見まわしたあと、默って教室を出て行ってしまった。
 次郎が出て行くのとほとんど入れちがいに新賀がはいって来たが、彼は、次郎の机の上の雑嚢を見ると、すぐ隣の席の生徒にたずねた。
「本田はどこへ行ったい?」
「知らんよ。たった今出て行ったんだが、何だか変だったぜ。」
 新賀はちょっと考えた。が、すぐ自分の雑嚢を机の上にほうりなげ、あたふたと次郎のあとを追った。
 間もなく、新賀は次郎を見つけたらしく、二人は、例の銃器庫のかげで、始業の鐘が鳴るまで何か話しあっていた。

     *

 翌日の第一学期終業式の校長の訓辞はごく簡単ですみ、引きつづき宝鏡先生の送別式が行われた。
「宝鏡先生は、今回○○県の○○高等女学校に転任されることになりまして……」
 校長は、先ずそんなふうに紹介の言葉をはじめた。すると、生徒たちは、「おや」という眼をして一せいに顔をうごかした。無資格教師には出向辞令が出ないということを知らなかった彼らは、宝鏡先生は退職したとばかり思いこんでいたのである。次郎もその一人だったが、彼はその瞬間、これまで伏せていた眼をあげて、思わず宝鏡先生を見た。宝鏡先生は、いつもとちがって、職員席の最前列の、しかも、校長席のすぐ隣に、仁王のように厳めしく立っていたが、その汗を浮かしているらしい額も、次郎には、その時、あまり苦にならなかった。
 校長の言葉は、ほんの二三分で終った。そうした場合、事実とちがった月並の讃辞をのべたてるようなことは、これまで校長の決してやらないことだったが、宝鏡先生についても、校長は、ただ次のようなことを述べたきりだった。
「先生が御在任中、ただの一時間も授業を休まれないで、諸君の教育に当って下すったことは感謝にたえない。これは、先生の御健康のたまものであるが、また私事をもって公事をおろそかにされない先生の御精神が然らしめたものだと思う。私は、それを先生が本校に遺された最大の教訓として、諸君と共に有りがたくおうけしたいと思う。」
 次郎は、宝鏡先生がそれだけでも校長にほめてもらったことが、何かうれしかった。しかし、とりわけ彼の心にしみたのは、校長がそのあとにのべた言葉だった。
「諸君は、今後、いつ先生と再会の期があるかわからないが、一たび結ばれた師弟の縁は永久に消えるものではない。それは親子の縁が永久であるのと同様である。諸君が将来、社会的にどんな高い地位につこうと、或はその反対に、どんな逆境に沈もうと、宝鏡先生はやはり諸君の先生として、諸君を見て下さるだろう。私は、諸君が将来どこかで先生の膝下に参じ、過去の思い出を語りあい、更に何かとお教えを乞う機会があることを確信する。」
 次郎は、変に悲しいような気持になって、首を垂れた。
 やがて宝鏡先生が校長に代って壇に立ったが、その顔はいくぶん蒼ざめてこわばっていた。先生は、先ず手巾ハンカチで顔の汗をふき、どこを見るともなく、その大きな眼をきょろきょろさせた。それから、だしぬけにどなるような声で挨拶をはじめたが、それには順序も何もなかった。ただ、不思議に言葉だけは滔々とうとうとつづき、しかも「授業を一時間も休まなかった」とか、「私事をもって公事をおろそかにしなかった」とかいうような、校長のほめ言葉を何度も自分でくりかえしては、やたらに謙遜けんそんしたり、感激したりした。
 次郎はきいていてはらはらした。近くの生徒たちの中には、可笑しさをこらえて、肱でつっつきあったりする者もあった。先生たちの顔も変にゆがんでいる。その中で、いつもと少しも変らない顔をしているのは、校長と朝倉先生だけだった。校長の眼は厳粛で、しかも温かだった。朝倉先生の眼はふかぶかと澄んで静かだった。次郎は、二人の眼を見た瞬間、何か大事なことを教えられたような気がした。彼の注意は、それから、二人の顔にすいつけられて、宝鏡先生の言葉がほとんど耳にはいらなかった。
 宝鏡先生が壇をくだると、生徒席の方から、五年生の一人が進み出て、送別の辞を述べたが、これは紋切型で、しかも一分とはかからなかった。最後に体操の先生から、宝鏡先生の出発の日取りや汽車の時刻が発表され。休暇中だからそろってお見送りは出来ない、市内の者で出来るだけお見送りするように、との注意があって、送別式はともかくも無事に済んだ。
 次郎は、何かほっとした気持で、講堂を出た。すると、新賀が彼と肩を並べながら、言った。
「どうだい、今すぐ行こうか。」
「うむ。」
 二人は、その足で、いっしょに生徒監室に行き、朝倉先生の机のそばに立った。次郎はいくぶんはにかみながら、
「先生、僕、宝鏡先生にお会いして、あやまって置きたいと思います。」
「ほう。――」
 と、朝倉先生は、何か書類を読んでいた眼を次郎の方に転じて、しばらくその顔を見つめていたが、
「うむ、そうか。それはいいね。しかし、いっそあやまるんなら、もう学校でない方がいい。お宅をお訪ねしたらどうだい。あと三四日は間があるんだから。」
 次郎は新賀の方をふりむいた。二人はすぐうなずきあった。
「新賀は?」
 と、二人の様子を見ていた朝倉先生は、不審そうにたずねた。
「僕も、本田君といっしょに行くんです。」
「どうして? 本田一人ではいけないのかい。」
「僕もあやまることがあるんです。」
 朝倉先生はちょっと考えていたが、
「そうか。うむ、うむ。」
 と、いかにも感慨かんがい深かそうにうなずいて、
「よかろう。じゃあ、二人で行きたまえ。」
 二人は、すぐお辞儀をして、歩き出そうとした。すると、先生は、
「しかし、あやまるったって、今さら何もかしこまって、あの時のことを言い出す必要はない。あの時のことにはふれないで、何か荷造りのお手伝いでもしてあげるんだな。」
 二人は、それから、いったんめいめいの家に帰ったが、夕飯をすますと、そろって宝鏡先生をたずねた。形式ばってあやまらなくてもいい、という朝倉先生の注意が、二人を非常に気軽な気持にさせているらしかった。
 宝鏡先生の家は、町はずれに近い、間口二間の古ぼけた店屋のあとで、玄関も何もなかった。二人がその土間にはいった時には、まだそとは明るかったが、蚊のうなりがぶんぶん聞えていた。宝鏡先生は、糊気のない、よれよれの浴衣の襟をはだけ、胸毛をのぞかせて出て来たが、土間に立っている生徒の一人が次郎だとわかると、ちょっといやな顔をした。そして、次郎よりもずっと体格のいい新賀がそのうしろに突っ立っているのを、うさんくさそうに見たあと、
「本田と新賀じゃな。何しに来たんじゃ。」
 と、いくぶん身構えるような態度で言った。
 二人は、少からず面喰らった。しかし、どちらも、それで腹を立てたような様子はなかった。次郎はぴょこりと頭をさげて、
「新賀君と二人で、お荷物のお手伝いに来ました。」
 先生は、拍子ぬけがしたように、二人の顔を見くらべた。しかし、まだ安心がならぬといった眼をして、
「荷物の手伝い? それはもう人をやとってあるんじゃ。」
「そんなら、何か使い走りでもさして下さい。何でもやります。」
 今度は、新賀が言った。
「うむ。――」
 と、先生は、急に二人から眼をはなした。同時に、首をそろそろと垂れはじめたが、垂れ終ったところで、何かを払いのけるように、二三度それを横に振った。
 蚊のうなりが、その時、異様に高くひびいて三人を包んだ。しばらくして、
「よう来てくれたな。」
 と、先生は首を垂れたまま、両手を帯のあたりに組みあわせた。
 そのあと、また、かなり永いこと沈默がつづいたが、
「まあ、二階にあがってくれ。話があるんじゃ。」
 二人は先生のあとについて、二階にあがった。八畳の、天井の低い部屋で、床の間はあったが、軸物一つかかっていなかった。安物の机が一脚と、その上に四五冊の数学の参考書を立てた木立が置いてあるきり、部屋中ががらんとしていた。窓のそとはすぐ隣の屋根で、あいだには青い葉一つ見えなかった。
 三人は座蒲団なしで坐ったが、坐るとすぐ、宝鏡先生はもう一度、
「よく来てくれたな。」
 と、いかにも嬉しそうに言って、二人にあぐらになるようにすすめた。それから、
「わしのうちに生徒がたずねて来てくれたのは、君らがはじめてじゃ。君らがはじめての終りじゃな。」
 と、わざとらしく笑ったが、その声はうつろで淋しかった。
 次郎も新賀も、返事のしようがなくて、默って首をたれていると、先生は一人でいろんなことを喋り出した。
「わしゃ、頭がわるい。じゃが、今日校長先生が言われたように、真心はあるんじゃ。」とか、「今度行く学校は女学校じゃが、そこでは数学だけでなく、受持の組の修身もやることになっているんじゃ。」とか、くすぐったいような言葉があとからあとから出て来たが、かんじんの次郎との一件には決してふれようとしなかった。二人はあくまで神妙な顔をして聞いていた。しかし、いつまでたってもきりがない。で新賀がついにたずねた。
「先生、お手伝いはいつがいいんでしょう。」
「そうじゃな。」
 と、先生はちょっとまごついたような顔をして、答をしぶった。そして大きな指を折って日数を読んでいたが、
「試験の答案がまだ残っているんじゃ。受持の組の通信表はほかの先生がやって下さることになっているんじゃが、それでも、荷物の片づけは明後日までは出来んじゃろ。」
 二人は間もなく先生の家を辞したが、先生は二人をおくって階段をおりると、奥の方に向かって叱るように言った。
「学校の生徒がたずねて来てくれたんじゃよ。お茶も汲まんでどうしたんじゃな。」
「おや、まあ。」
 そうこたえて出て来たのは、肺病ではないかと思われるほど、顔色の悪い、やせた女だったが、わざわざ土間におりて二人を見おくった。二人は門口を出ると、むせるように蚊やりの煙の流れている町を、沈默がちに歩いた。

     *

 さて翌々日の夕方、二人はもう一度宝鏡先生を訪ねて行ったが、驚いたことには、家はもう空家になっており、閉された戸に一枚の半紙が貼りつけてあって、それには郵便物の転送先の学校名が記されていたのだった。
「どうしたんだろう。」
 二人は、その半紙を見つめて、しばらく立ちすくんだあと、すぐその足で朝倉先生をたずね、事情をきいてみた。しかし、朝倉先生も何も知らなかったらしく、二人の話で、しきりに首をかしげていたが、
「じゃあ、もう多分たたれたんだろう。学校の方には私から知らしておく。しかし、あさっては、君ら二人だけでもいいから、念のため示された時刻に駅に出てみるがいいね。」
 翌々日、二人は、言われたとおり駅に出てみた。駅には先生も生徒もまだ一人も見えていなかった。少しおくれて体操の先生があたふたとやって来たが、二人を見ると、
「宝鏡先生の見送りなら、もう帰ってもいい。一昨日たたれたそうだから、途中でほかの生徒にあったら、そうつたえてくれ。」
 二人は、それでも、発車時刻になるまで駅の前あたりをぶらぶらしていた。そのうちに白鳥会員が四五名やって来たが、二人の話をきくと。
「なあんだ、馬鹿にしてらあ。」
 と、あっさり帰って行ってしまった、そのほかには生徒は一人も見えなかった。むろん宝鏡先生も見えなかった。
 発車のベルが鳴ると、新賀は改札口の方を睨みつけるようにして言った。
「しようのない先生だったなあ。」
 次郎は、しかし、いやに淋しい気がした。
(僕たちは、恐らく、もう永久に宝鏡先生に会う機会がないだろう。これは無計画の計画とも少しちがうようだ。)
 彼は、その時、そんなことを一人で考えていたのである。

 次郎は、四月以来、恭一と大沢から、熊本城や、阿蘇山や、水前寺などの絵はがきを、何枚も受取っていた。書いてあったことはいずれもごく簡単だったが、二人の愉快そうな生活の様子は、その間からもうかがわれた。次郎はそれを一枚残らず大事に机の抽斗にしまいこんで、おりおり取り出しては見るのだった。
 六月末頃になって、恭一からはじめてかなり分厚な手紙が来た。それには学寮生活の様子がこまごまと記してあり、
「ここでは舎監と生徒との関係よりも、生徒相互の関係が重要だ。つまり、生徒がお互いの工夫と努力とで共同生活を建設して行くところに、中学校の寄宿舎などでは味わえない興味がある。こういう生活をやり出してみると、僕らが白鳥会員であったということは、いよいよ大きな力になって行くようだ。大沢君といつもそのことを話している。」
 などと感想がつけ加えてあった。
 次郎はむさぼるようにそれを読んで行った。しかし、何よりも彼の心を刺戟したのは、手紙の最後になって次のような文句を見出したことだった。
「この頃、お父さんに変ったことはないか。店の商売の様子はどうだ。もし変ったことがあれば、かくさず知らせてくれ。どういう事でも、僕は決して驚かないつもりだ。いよいよとなれば、大沢君にも相談した上で、夏休みには帰らないで、出来るだけの用意をして置きたいと思っている。」
 次郎は、それを読んだ瞬間、これまであまり気にもとめないでいた一つの出来事を思い出して、異様な不安に襲われた。それは、開店以来店に坐っていた番頭の肥田が、恭一が熊本にたつ間際に、売掛代金や何かをさらって、急に姿を消してしまったことである。
 肥田は、俊亮が村にいたころ、青木医師についで親しくしていた人の末弟にあたる人だが、生来しまりのない男で、方々でしくじったあげく、俊亮の店開きのことを聞きこんで泣きついて来たのを、俊亮が例の侠気きょうきと大まかさから、店に使ってやることにしたのだった。そうした事情はいつの間にか次郎にもわかっていたし、それに、肥田が姿を消した時のお祖母さんの騒ぎようはずいぶんひどかったにも拘らず、俊亮自身は割合わりあい落ちついており、肥田の兄にそのことを知らしてやったきり、強いて本人の行方を捜そうともしなかったので、彼は、それをさほどの大事件とも思わず、肥田がいなくなって、父はかえって安心したのだろう、ぐらいにしか考えていなかったのである。
 彼は、しかし、恭一の手紙で、新たにそのことを思い出し、なお、その後の店の様子などを考えているうちに、このごろ、麦洒ビールや日本酒の罎詰をならべた商品棚ががらんとなって来たことや、夕方の忙しくなければならない時間に、二人の小僧たちがぼんやり腰をおろしている様子などが眼に浮かんで来て、不安はいよいよつのって行くはかりだった。
 で、彼は、その後、毎日学校の行きかえりに、店の様子にとくべつ注意を払うようになった。すると、気のせいか、さびれは日にまし目立ち、掃除までが行きとどいていないような気がするのだった。ただ、いつもと変らないのは、土間につみあげてある七八本の四斗樽だったが、それも、ある日彼が学校の帰りがけに小僧たちと冗談を言いながら、それとなく指先でたたいてみると、どれもこれも空ばかりのようだった。
 彼は、思いきって父に恭一の手紙を見せ、事情をたずねてみようかと考えた。しかし子供のくせにさし出がましいと思われそうな気もし、また、たずねたためにかえって父にいやな思いをさせそうにも思えたので、つい言い出しそびれてしまった。そして、恭一には、それから五六日もたってから、自分の見たままのことを書いて、一先ず返事を出しておいたのである。
 そうこうするうちに、一学期も押しつまり、試験の準備に時間をとられたり、宝鏡先生の転任で気をつかったりして、とうとう夏休みを迎えたわけだったが、その間、ともかくも、店の仕事はつづけられ、また、たまには罎詰の数がいくらかふえたり、新しい四斗樽が何本か運びこまれたりしたのを見たので、彼も当初ほどには店のことを気にかけなくなり、何もかも恭一が帰って来た上でのことだという気になっていた。
 ところが、恭一は、八月の五六日頃になっても帰って来なかった。それを心配していろいろ言い出したのは、まずお祖母さんだった。次郎もむろん内々心配はしていたが、俊亮の顔色をうかがうだけで、口に出してはそれと言わなかった。俊亮は、ただ、
「どこか、山登りでもして来るんでしょう。」
 と、いかにも無造作に言って、なるべくお祖母さんの相手にならない工夫をしているらしかった。
 お祖母さんがやいやい言い出してから二日目の夕方、ちょうどみんなが食事をしている時に、恭一から次郎にあてたはがきがついた。それにはこうあった。
「今度の休みは、はじめてのことでもあり、帰ってお土産話をしてみたい気もするが、結局帰らないことに決心した。大沢君も僕と行動を共にしてくれるそうだ。有りがたいと思っている。くわしい事は、お父さんにこないだ手紙を出しておいた。お父さんからの返事はまだもらわないが、むろん許して下さるだろうと思う。……君は、これまでに、強くなる修業をすでに十分つんで来たが、僕はこれからはじめるのだ。いずれ、また近いうちに便りをする。」
 次郎は読み終ると、ちらと父の顔を見たが、すぐそ知らぬ顔をして、はがきをズボンのかくしに突っこんだ。しかしお祖母さんの方が、もうさっきから、ちゃぶ台ごしに、そのはがきに眼をつけていたのである。
「恭一からじゃないのかい。」
「ええ。――」
 と、次郎はなま返事をして、また父を見た。
「何といって来たんだえ。はがきなんかよこして、まだ帰らないつもりなのかね。」
「今度の休みには、帰らないんですって。」
「なに、帰らない? どうしてだえ。」
「大沢さんも帰らないんですって。」
 次郎の返事はとんちんかんだった。
「大沢さんは大沢さんだよ。恭一はどうして帰らないんだね。……どれお見せ、そのはがきを。」
 次郎は、父の顔をうかがいながら、気まずそうに、少ししわになったはがきをちゃぶ台の上に置いた。
 そのあと、俊亮とお祖母さんとの間に、どんな会話がとりかわされ、どんな感情の波をうったかは、省いておく。とにかく、次郎は、二人の言葉で、彼が想像していた以上に店の運転がきかなくなっていることや、恭一が学資の足しを得るために、新聞配達だか、家庭教師だかの仕事を見つけようとしていること、或いはすでに見つけたかも知れないということなどを、あらまし知ることが出来たのである。
 その晩、彼は、蚊にさされながら、恭一に長い手紙を書いた。それには、彼が観察したかぎりの家の事情を述べ、恭一の決心と大沢の友情をたたえ、最後に、自分もこの夏休中は店の小僧になって仂いてみるつもりだ、という意味を書きそえた。
 彼は、実際、翌日からそのとおりに実行しはじめた。今では番頭格の、徴兵検査を二三年まえにすました仙吉という小僧に教わって、客足のない朝のうちに、彼はまず酒のはかり方を熱心に稽古した。また元桶の酒を売場のかめに移すやり方や、水の割りかたなども一通り教わった。そして、午後になると、自分と同い年の文六というもう一人の小僧といっしょに、襯衣シャツ一枚になって、徳利を洗ったり、得意先に酒を届けたり、そのほかいろいろの雑用に立ち仂いた。
 俊亮も、お祖母さんも、それを見て、いいとも悪いとも言わなかった。しかし二人とも内心喜んでいる様子は少しもなかった。俊亮は、「正木のお祖父さんも、大巻のお祖父さんも、お前の夏休みを楽しんで待っておいでだったがね」と言い、お祖母さんは、俊亮のそんな言葉にも、ただにがりきっているだけだった。
 お芳は、例によって、どんな気持で次郎を見ているのか、さっぱりわからなかった。番頭の肥田がいなくなって以来、俊亮の留守のおりには、ちょいちょい店の見張りに出て、何かと店のことも心得ていたせいか、わざわざ次郎の仂いているところにやって来て、自分の気のついたことを教えてやったりするのだったが、それにとくべつの意味があるとも思えなかった。
 弟の俊三も、もうそのころは中学の二年だった。――彼は入学試験に次郎のようなしくじりがなかったため、年は二つちがいでも、学校は一年しかちがっていなかったのである。――頭もよく、学校の成績などは、兄弟のうち誰よりもすぐれていたが、末っ子の気持はまだぬけていず、次郎にすすめられても、白鳥会にもはいらなかったぐらいで、家の事情などには、まるで無頓着むとんちゃくでいるらしかった。で、次郎が急に店で仂き出しても、「あんなこと面白いんかなあ」といったぐらいの感想をもらすだけだった。
 次郎が店の手伝いをやろうと思い立った直接の動機は、むろん恭一の決意に対する同感だった。何だかじっとして居れないというのが、彼が恭一にあてた長い手紙を書いた時の気持だったのである。しかし、理由はただそれだけではなかった。彼には、店の事情をもっとはっきり知りたい、という考えがあった。また、自分が手伝ったために、店がいくらかでもよくなるのではないか、という希望もあった。そうした考えや希望の底に、彼の幼年時代からの好奇心と功名心が全くひそんでいなかったとはいえなかったかも知れない。しかし、彼としては、自分でめったに経験したことのないほど懸命な気持だったのである。
 だが、ほんの五六日も仂いているうちに、彼はもう絶望に似たものを感じはじめた。というのは、売場の酒は、特上、上、中、下と、四階段にもわけてあるのに、もとになる酒はほんの一種で、ただ水の割りかたをちがえてあるばかりだったし、それに、そのもとになる酒というのが、必ずしも一定した酒ではなく、始終銘が変っている、ということを発見したからである。彼は、それでも、最初それを知った時には、酒というものはそんなものかしら、とも思い、そっと仙吉にたずねてみたのだった。すると仙吉は、にやにや笑いながら、
「以前にはこんなことはなかったんですよ。何しろこの頃のように仕入れがうまく行かなくなっちゃ、こうでもするより仕方がないでしょう。」
 そしていかにも皮肉な調子で、
「しかし、酒の味のわからない家では、今でも買いに来てくれるんですから、ありがたいものですよ。」
 次郎は、そうきくと顔から火の出るような気持だった。そして、もうそれで何もかも見透しがついたように思い、仂く元気もなくなったのであるが、さればといって、僅か五六日でよしてしまう気にもなれず、朝倉先生に話してみたらどう言われるだろうか、とか、正木や大巻ではもう知っているだろうか、とか、いろんなことを考えながら、相変らず手伝うことだけはやめずにいた。
 すると、それからなお一週間ほどたったある日のこと、変にしゃがれた声で、
「今日は。」
 とあいさつして、やけに喉のあたりを扇であおぎながら、店に這入って来た女があった。でっぷり肥った五十前後の白あばたのある女で、小さなまげをっていた。
 ちょうど午過ぎの、暑いさかりで、ひっそりした店では、仙吉が帳場の机のそばで居眠りをして居り、文六の姿は見えず、次郎が、空樽に腰かけて雑誌を読んでいるところだった。次郎は、顔をあげてその女を見ると、すぐ、どこかで見たことのあるような女だと思った。
「まあ暑いこと。」
 女はそう言って、無遠慮に店先に腰をおろした。そしてじろじろとあたりを見まわしていたが、仙吉がねぼけた眼を自分の方に向けたのを見ると、
「ほほほ、のんきそうだこと。結構なお身分だわ。」
 仙吉の顔はやにわに緊張した。そして、
「いらっしゃいまし。」
 と、いかにも冷淡に言って、膝を立て直した。すると、女は、扇をたたんでそれを帯にはさみ、その代りに何か書付けみたようなものをひっぱり出しながら、
「今日は、こないだの次のぶんを頂戴にあがったんですがね。もうあれから半月以上にもなるし、こちらのご都合もちょうどいい頃かと思って。」
「今日は、あいにく、旦那が留守で、私じゃどうにもなりませんがね。」
 と仙吉は、うわべは恐縮しながら、その中にどこか突っぱなすような調子をこめて答えた。――俊亮は実際留守だったのである。
「旦那がお留守でも、お酒はあるんでしょう。」
「そりゃ、あるにはありますが、何しろ――」
「何しろ、どうなんですの。お酒があれば下さりゃいいじゃありませんか。」
「それが実は……」
「ふふ。この暑いのに、何しろ、と実はを聞きに来たんじゃありませんよ。上酒一斗正に預り候也、――ほれ、この通りちゃんと預証をもって来ているんじゃありませんか。私は、お預けしたお酒を受取りに来たまでなんですがね。」
 女は、帯の間から引き出した書付をひろげて、仙吉のまえに突き出した。
 仙吉はちらとそれに眼をやったが、すぐそっぽを向いてしまった。
「おや。」
 と、女は、その大きな腹を突き出すようにして、少しのけぞりながら、じっと仙吉の横顔を見すえていたが、
「お前さん、まさか、知らん顔をしようというのではないでしょうね。これはお酒の預証なんですよ。上酒一斗を、こちらのお店で預り下すったその証拠なんですよ。」
「わかっていますよ。」
 と、仙吉は相変らず、そっぽを向いて、
「しかし、それじゃあ、旦那があんまりお気の毒じゃありませんか。肥田さんの尻ぬぐいも、もう沢山だと私は思いますがね。」
「じゃあ、この預証は、お店には関係がないというわけですね。」
「そうじゃありません。そりゃこちらの店の判が捺してある以上、知らないとは言いませんよ。それだからこそ、旦那もこれまで苦しいのを我慢して、泥棒に追銭みたいなことをして来たんじゃありませんか。しかし、正直のところ、あんたの方でもそうとことんまでしぼりあげなくったってよさそうに思いますよ。あたりまえにお金をいただいての預証と、肥田さんの遊興費とは、だい一わけがちがいますし、それにこちらの事情もまるでおわかりにならんことはないでしょうからね。」
 仙吉は次第に雄弁になって来た。彼は、もうとうに店には見切りをつけているらしかったが、俊亮の人柄には心から敬服して居り、そのために、強いては暇ももらわず、これまで何かと心をつかって、店のやりくりをして来ただけあって、こうした場合、おとなしくばかりはしていなかったのである。
 しかし、相手の女は、仙吉などにやりこめられるほど、なまやさしい女ではないらしかった。彼女は、仙吉に言わせるだけ言わせてしまうと、
「あんたも、若いに似ず、理詰めで来たり、人情にからんだり、なかなか隅に置けないわね。旦那もさぞ心丈夫でしょう、ほほほ。……だけど、どう? 預証はもうこれでおしまいなんだから、いっそさっぱりなすっちゃ。そりゃあ、こちらの旦那としちゃあ、すいぶんご迷惑でしょうともさ。私だって重々お察しはしていますよ。お察ししていればこそ、こうして十日おきとか、半月おきとかに、ぼつぼつお願いして来たんじゃありませんか。それがおしまいの一枚になって、お預けしたものをお返し下さらんということになれば、私の方はとにかくとして、第一、旦那の名折れじゃありませんかね。」
 その声色めいた調子が、ねっとりと仙吉の耳にからみついて行った。仙吉は急にうまい言葉が出て来ないらしく、相手を見つめて、変に口をとがらした。
 次郎は、さっきから、まばたきもしないで二人の対話をきいていたが、だしぬけに仙吉に言った。
「仙さん、さっさとやっちまったらどうだい。」
 仙吉は、しかし、何か眼で合図あいずしたきり、返事をしなかった。すると、女が次郎の方を向いて、
「そう、そう。小さい小僧さんの方がよっぽど物わかりがいいわ。じゃあ、あんた、すぐお酒を量って下さいね。」
 と、いかにもおだてるように言って、腰を浮かした。
「お内儀かみさん――」
 と、仙吉は、妙に沈んだ声で、
「それは小僧じゃないんです。こちらの坊ちゃんで、何もご存じないんですがね。」
「坊ちゃん?」
 と、女はちょっといぶかるような顔をしたが、
「坊ちゃんなら、なおいいじゃありませんか。旦那に代って、ああ言って下さるんだから。」
「ところが、実はね。お内儀さん――」
 と仙吉は、いよいよ沈んだ調子で、
「差上げようにも、上洒の方は一斗なんてはいっちゃいませんがね。」
 女は、ぎろりと眼を光らして、売場のかめから、土間につんだ四斗樽までを一巡見まわした。そして、
からなんですね、あれは。」
 と、四斗樽の方にあごをしゃくった。
「実は、そうなんで。」
 女は、立っていって樽をたたいてみるまでのことはしなかった。さればといって、べつに同情するようなふうもなく、何かしばらく考えていたが、
「上酒が足りなきゃあ、足りない分は悪い方で我慢しますよ。とにかく、今日は、さっぱりしてもらおうじゃありませんか。」
「その悪い方も、実は――」
 仙吉は、そう言って首をたれた。すると女は、急に居丈高いたけだかになって、
「馬鹿におしでないよ。なんぼなんでも、一斗やそこいらの酒がなくて、お店があけて置かれますかい。」
 とどなりつけた。
 次郎は、もうその時には、すっかりふだんの落ちつきを失っていた。彼はいきなり立ち上り、仙吉に向ってののしるように言った。
「酒はあるんじゃないか。裏の納屋なやにいくらでもあるんだ。僕とって来てやるよ。」
 彼は、仙吉があっけにとられて、まだ返事をしないうちに、もう売場の横の棚にふせてあった汲桶ためをおろし、それをさげて、いっさんに台所の方に走って行った。そして、井戸端でそれに水を七分ほども汲むと、それを手のひらで肩のところにかつぎ、定まらない足をふみしめ、ふみしめ、店に帰って来た。
 店では、女が恐ろしい権幕けんまくで仙吉に何か食ってかかっているところだった。次郎はしかし、それには頓着せず、上酒の甕の蓋をとって、汲桶の水をその中にざあざあ流しこんだ。
 次郎の顔は、その時、すっかり蒼ざめていた。彼は、しかし、甕の蓋をかぶせ終ると、いくらか血の気をとりもどして、女の方を見た。女は、まだその時まで、仙吉を罵りやめないでいたが、次郎が自分の方を見ているのに気づくと、急ににっこりして、
「坊ちゃん、どうもご苦労さま。おかげでこの人に馬鹿にされないですみましたよ。……じゃあ、量ってもらいましょうかね。今日は容れものを拝借するのもどうかと思って、私の方で持参しましたよ。」
 と、いったん表の方に出て、誰かを手招きした、すると、間もなく、襟に春月亭と染めぬいてある法被はっぴを着た男が、リヤカーに沢山の空罎をのせてやって来た。
 次郎はその空罎が売場に並べられると、甕の栓をひねって、片っぱしから、それに酒をつめて行った。彼の手はいくぶんふるえていた。ただでさえまだ不慣れな手だったので、桝からこほれる酒がやけにあたりに散らばった。
「もったいないわね。」
 女は、そばに立って、次郎の手つきを見ながら、何度もそうつぶやいた。また、
「いやに色がうすいようだね。色だけは灘酒みたいじゃないの。」
 とも言った。次郎は、しかし、一言も口をきかなかった。そして、量り終って、女の手から預証を受取ると、それをその場でずたすたにいた。彼の眼には久方ぶりで涙がにじんでいたのである。
「まあ、この坊ちゃん、恐いこと。でも、あんたのお蔭ですっかり用がすみましたわ。もうこの婆さんも二度とはお伺いしませんから、安心して下さいね。さようなら。」
 女は、それから仙吉の方を見て、
「あんたにも、用さえすめば文句なしだわ。ほほほ。旦那にもよろしくね。」
 仙吉は、その時まで、すっかり肚胆どぎもをぬかれたような恰好で、店の上り框に突っ立ち、次郎の方をぽかんと眺めていたが、女にそう言われると、まるでからくり人形のように、ぴょこり頭をさげた。
 次郎は、女が店を出るとすぐ、なるほど学校の通り道に春月亭という料理屋があり、今のはその門口あたりでよく見かける女だった、ということに気がついたのである。

 さて、さっきから、簾戸すだれど一重へだてた茶の間に坐りこんで、聞き耳を立てていたお祖母さんに、店の話声が逐一ちくいち聞えていないはずはなかった。お祖母さんは、事の成行しだいでは、自分で店に出て打って、春月亭のお内儀かみと一太刀交える肚になり、半ば腰を浮かしてさえいたのである。ところが、次郎がだしぬけに「酒はいくらでもあるんだ」と叫んで、汲桶ためをさげて井戸端の方に走って行ったのを見ると、さすがにちょっと驚いたふうでもあったが、そのまま腰を落ちつけてしまい、それからは、横目でじろじろ店の方を睨んだり、何かひとりでうなずいたりするだけだった。そして、春月亭のお内儀がいよいよ店を出て行ったのがわかると、いかにも皮肉な笑いをうかべて、仕切りの簾をあけ、
「次郎うまくやったね。いい気味だったよ。」
 と、何度も二人にうなずいて見せた。仙吉が、
「しかし、このままではおさまりますまい。かえって藪蛇やぶへびになるかも知れませんぜ。」
 と、心配そうに言うと、
「そんな気の弱いことでどうするんだね。渡したものに、まるで酒の気がないというのではあるまいし、文句を言って来たら、こちらの上酒はそんなのでございますって答えてやるまでさ。ねえ、次郎。」
 と、仙吉をたしなめる一方、いかにもそれが次郎の最初からのはらだったと言わぬはかりの調子だった。
 次郎は、その時までまだ土間に突っ立ったまま、春月亭のお内儀が去った表通りを睨んでいたが、お祖母さんにそう言われると、急にこれまでの興奮からさめてしまった。彼の耳には、お祖母さんの言葉がたまらなく下劣げれつにきこえ、その下劣さが、そのまま自分の行為の下劣さを説明しているということに気がついて、ひやりとするものを感じたのである。
 彼は、何かに驚いたようにお祖母さんの顔を見上げた。それから、そろそろと視線を売場の酒甕の方に転じたが、その眼はしだいに冷たい悲しげな光を帯び、最後に、さっき自分がひねったせん口に釘付けにされたまま、人形の眼のように動かなくなってしまった。
「次郎は、そりゃあ、小さい時から頭の仂く子でね。それに、だいいち思いきりがいいんだよ。仙吉も、こんな時には、少し見習ったらどうだえ。」
 お祖母さんは、次郎の気持にはまるで無頓着らしく、仙吉にそう言うと、すっと頭をひっこめて簾戸をしめた。
 次郎の眼は、その瞬間、稲妻のように動いてお祖母さんのうしろ姿を逐ったが、そのあと、また栓口に釘付けにされてしまい、暑いさかりの土間の空気に、ぴんと氷のように冷たい線を張った。
 彼の動かない眼にひきかえ、彼の頭の中には、たえがたい羞恥しゅうちの感情が旋風せんぷうのように渦巻いていた。その旋風の中を、朝倉先生夫妻をはじめ、白鳥会で彼が尊敬している生徒たちの顔が、つぎつぎに流れていた。大沢や恭一の顔も、むろんその中にあった。しかし、どの顔よりも彼の心を惑乱させたのは、父俊亮の顔だった。俊亮の顔が浮かんで来たのは、時間からいうとずっと後のことだったが、それは忽ちのうちに他の顔を押しのけ、悲痛なまなざしをもって彼にせまって来るのだった。
(自分は、さっき自分のやったことで、自分自身をはずかしめただけでなく、父さんをも辱かしめていたのだ。いや、父さんこそは誰よりも大きな辱かしめをうけた人だったのだ。)
 彼の心は、そう気がつくと今までとはちがった意味でうずきはじめた。先生や友人に対する自分の面目、そんなものは、自分が父に与えた恥辱にくらべると物の数ではなかった。春月亭のお内儀のまえに手をついて、陳弁ちんべんし謝罪しなければならない父、――思っただけで、彼は身ぶるいした。
「次郎さん、こうなったからには、もう、お祖母さんのおっしゃるように、押しづよく出るより手はありませんよ。……しかし、旦那が帰っておいでたら、何と仰しゃいますかね。」
 さっきから、店のあがり框に腰かけて、首をふったり、額を掌で叩いたりして考えこんでいた仙吉は、いかにもなげやった調子で、そう言いながら、ひょいと立ちあがって、売場の方に歩いて行った。そして、酒甕と酒甕との間にさしこんであった物尺ものさしをとって上酒の方の甕に突きこみ、中身の分量をはかっていたが、
「あと二升あまり這入っていますが、これはこのままじゃあ、下酒の方にもまわせませんね。かといって、新しい樽がはいるまでには腐ってしまいましょうし、……いっそ捨ててしまいましょうか。」
 次郎は、しかし、それに受け答えする余裕もなかった。彼は妙に気ちがいじみた眼を仙吉になげたあと、がくりと首をたれた。それから、よろけるような足どりで、ふらふらと表通りに出て行った。
 彼の足は、ひとりでに町はずれの方に向かっていた。旧藩時代、城下の第一防禦線をなしていた、幅七八間の川に擬宝珠ぎぼしゅのついた古風な橋がかかって居り、その向こうは一面の青田である。次郎は、橋の袂まで来て、青田の中を真直に貫いている国道のかわき切った色を、まぶしそうに眺めていたが、そのまま橋を渡らないで、川沿いに路を左にとった。二丁ほど行くと、樟の大木に囲まれた天神の杜がある。彼はその境内にはいったが、社殿にはぬかずこうともせず、日陰を二三間あるいては立ちどまり、また二三間あるいては立ちどまりした。そのうちに、ふと何か思いついたように、本殿のうしろの、境内で最も大きい樟の木に向かってまっすぐに歩き出した。
 この大樟の根元は、らくに蓆一枚ぐらい敷けるほどの楕円形な空洞になっている。近所の子供たちが、その中で、ままごと遊びなどをしているのを、彼はこれまでによく見かけていたのである。のぞいて見ると、いくぶんしめっぽそうに見えたが、十分ふみならされた枯葉が、ぴったり重なりあって、つやつや光っていた。彼は、その中にはいり、すぐごろりと仰向きにねころんで、両掌りょうてを枕にした。
 内部の朽ちた木膚が不規則な円錐形をなして、すぐ顔の上に蔽いかぶさっている。下の方は、すれて滑らかなつやさえ出ているが、上に行くに従って、きめが荒く、さわったらぼろぼろとくずれそうに思える。円錐形の頂上にあたるところは渦巻くようにねじれていて、その奥から、闇が大きな蜘蛛の足のように影をなげている。次郎の眼が、そうした光景を観察したのも、しかし、ほんの一瞬だった。彼は、ねころぶとすぐ、ふかいため息をついて瞼をとじた。そして、心のうずきが、ぴくぴくと眉根を伝わって来るのをじっと我慢した。
「次郎は、そりゃあ、小さい時から頭の仂く子でね。それに、だいいち、思いきりがいいんだよ。」
 お祖母さんがさっき言ったそんな言葉が、そのうちに、彼の記憶を否応いやおうなしに遠い過去にねじ向けて行った。今の彼にとっては、そんな言葉にふさわしい彼の過去は、思い出しても身の縮むようなことばかりだった。とりわけ、お祖母さんが大事にかくしていた羊羹の折箱を盗み出して、下駄でふみにじった時の記憶が、膚寒いほどの思いで蘇って来た。彼は、もう仰向けにねていることさえ出来ず、空洞の奥の方に、横向きに身をちぢめ、頭を膝にくっつけるほどに抱えこんだ。
 しんとした境内に、いつから鳴き出したのか、じいじいと蝉の声がきこえていたが、それが彼の耳には、いやな耳鳴のように思えた。
 彼は、とうとう日が暮れるころまでそこを動かなかった。しかし、猛烈な蚊の襲来には、さすがにいたたまれず、全身をかきむしりながら、やっとそこを出て、またあたりをぶらつき出した。見ると、拝殿の近くには、涼みがてらの参詣者らしい浴衣がけの人が、ちらほら動いている。おりおり鈴の音もきこえて来た。彼は、なぜということもなしに、自分も鈴を鳴らしてみたい気になり、石燈籠の近くから参道の石畳をふんで、拝殿のまえに進んだ。
 拝殿は、もう真暗だった。奥の本殿からうすぼんやりと光が流れて、眼のまえの賽銭箱のふちをあるかなきかに浮かしている。次郎はじっとそれに眼をこらした。そのうちに、なぜか涙がひとりでにこみあげて来た。それは、しかし、悔悟の涙といえるようなきびしい涙ではなかった。むしろ、乳母のお浜や、亡くなった母やの思い出にもつながっている、人なつかしい、甘い涙といった方が適当だったのである。彼は、ついさっきまで、胸いっぱい、乾き切った栗のいがでもつめこんでいるような気持でいたのだが、その涙と同時に、何か知ら、胸のうちが温かくぬれて行くような感じになって来たのだった。
 彼は涙をふいて、もう一度本殿の方にじっと瞳をこらした。それから静かに鈴をふり、拍手かしわでをして、つつましく頭をたれた。その瞬間、どうしたわけか、ふと、はっきり彼の眼に浮かんで来た人の顔があった。それは宝鏡先生の顔だった。巨大なおどおどしたその顔が、次郎には、今はふしぎになつかしまれた。生徒の見送りをさけて、というよりは、見送る生徒が皆無でありはしないかを恐れて、こっそり駅を立ったであろう先生の淋しい心が、何かしみじみとした気持に彼をさそいこむのだった。
 参拝を終えて参道を鳥居の方に歩きながら、彼は、ふと、人間の弱さということを考えた。それは、彼がこれまでに、まるで考えたことのない問題ではなかった。しかし、この時ほど真実味をもって彼の胸をうったこともなかったのである。これまでに彼が考えて来た人間の弱さというのは、普通に謂ゆる意志薄弱とか、臆病とかいったような意味以上のものではなかった。従って彼は、自分をさほどに弱い人間だとは思っていず、たとえば白鳥会などで、自分が自分に捉われていることに気がついたり、自分を制しきれないでつい荒っぽい言動に出たりしても、それを自分が弱いせいだとは少しも考えていなかったのである。彼は、弱い人間の標本として、よく宝鏡先生を思いうかべていた。そのために、あとでは、却ってある意味で先生に心をひかれるようにさえなったくらいなのである。しかし、今の彼の気持は、全くべつだった。
(人間は弱い。宝鏡先生も弱いが、自分もそれに劣らず弱い。もともと強い人間なんて、この世の中には一人もいないのではないか。かりに強い人間がいるとしても、それはその人間が強いのではなくて、何かもっと大きな力がその奥に仂いているからにちがいない。)
 彼の考えは、いつの間にか神というものにぶっつかっていた。それは、彼がたった今拝んだ天神様とは限らない、眼に見えぬ秘密な力だった。むろん、それが彼の胸深く信仰という形をとるまでには、まだ非常に距離があるらしかった。しかし、それは決して概念のたわむれではなかった。彼は少くとも真に彼自身の弱さを知り、心からへり下りたい気持になっていたのである。それは、彼が中学に入学して間もないころ、「人に愛される喜び」から「人を愛する喜び」への転機において経験したものよりも、はるかに純粋な経験だった。前の経験では、それが彼の健気な道心の発露であったとはいえ、その中にはまだ作為の跡があり、自負や功名心がいくぶん手伝っていなかったとはいえなかった。今の次郎には、そうしたまじり気は少しもなかった。彼はただひしひしと自分の弱さを感じていた。そして宝鏡先生は、もはや一段高い立場から同情される人ではなくて、同じ弱い人間として、心から親しんで行きたい人になっていたのである。そこには、もう、「愛されたい」とか「愛したい」とかいうような、自分自身を価値づけた立場は少しも残されていなかった。在るものはただ大いなるものにへり下る心だけであり、そのへり下る心から、宝鏡先生のような弱い心の人が、悲しいまでに彼に親しまれて来たのである。
 この純粋な気持は、彼の胸をふしぎにさわやかにした。同時に彼は、一刻も早く父のまえに身をなげ出して謝りたい気持になった。その気持には、もう何のはからいもなかったのである。
(そうだ。父さんは、もうとうに帰って来ておいでだろう。ぐずぐずしては居れない。)
 彼は、急いで鳥居をくぐり、ふたたび川沿いの路に出たが、向う岸の暗い青田から水を渡って吹いて来る風は彼の額に凉しかった。彼は、いくぶんはずむような足どりで家に急いだ。

 帰ってみると、俊亮は默然として茶の間に坐っていた。二三冊の帳簿をまえにひろげ、団扇も使わないで、じっと何か考えているふうだったが、次郎を見ると、すぐ台所の方を向いて言った。
「お芳、次郎が帰って来たよ。」
 台所では、お芳がもう食事のあと片づけをしているところだったが、
「あら、そう。……次郎ちゃん、ひもじかったでしょう。どこへ行ってたの。」
 次郎は、二人の言葉から、自分のいなかった間の家の様子を直感して、うれしいような悲しいような気持になった。彼は、しかし、すぐ台所に行く気にはなれず、そのまま俊亮のまえにかしこまって首をたれた。
「次郎ちゃん、ご飯は?」
 お芳が台所から声をかけた。
「あとでいいです。」
 次郎は首をたれたまま答えた。
「どうしたんだ。早くたべたらどうだ。」
 俊亮は、そう言って、ひろげていた帳簿をばたばたとたたんだが、すぐ団扇をもって座敷の方に立って行った。
 次郎は、ひとり取残されて、もじもじしながら、台所の方を見た。するとお芳が妙に意味ありげな眼付をしてうなずいて見せたので、思いきって、ちゃぶ台のそばに坐ることにした。
「お祖母さんは?」
 次郎は、お芳に飯を盛ってもらいながら、たずねた。
「さっき、次郎ちゃんを探して来るって、俊ちゃんと二人でお出かけになったんだよ。たぶん橋の方だと思うけれど。……次郎ちゃんは、どちらからお帰り。」
「僕、橋の方から帰って来たんです。天神様にいたんですけれど。」
「じゃあ、お祖母さんは橋を渡って向こうにいらしったのかも知れないわ。」
 それからしばらく、どちらからも口をきかなかった。次郎は、たべかけた飯椀を急に下に置き、箸を持った手を膝にのせ、何か思案していたが、
「僕、今日はお父さんに済まないことをしちまったんです。」
「ええ……」
 と、お芳は、あいまいな返事をしたが、しばらく間を置いて、
「実はお父さんも、仙吉にその話をおききになって、そりゃあびっくりなすったの。それに、お祖母さんが、今日はめずらしく次郎ちゃんの肩をもって、かえってお父さんが気がきかないように仰しゃるものだから、よけいいけなかったわ。お父さんは、そんなことをいいことのように次郎ちゃんに思わせるのが恐ろしいことだと仰しゃってね。あたし、今日は、ほんとにどうなることかと思ったわ。お父さんが、あんなに真青な顔をしてお祖母さんと言いあいをなさるなんて、全くはじめてですものね。でも、もう大丈夫だわ。お祖母さんも、あとでは、自分が悪かったって、折れていらっしったようだから。」
 次郎は、じっと考えこんだ。それから、思い出したように飯をかきこみ、すぐ茶にしたが、
「しかし、春月亭は、まだあれっきりでしょう。」
「ええ、でも、その方はお父さんがご自分で何とかなさるおつもりらしいわ。ひょっとしたら、今夜にでもお出かけになるんじゃないか知ら。」
 次郎は、また考えこんだ。すると、お芳はめずらしく感情のこもった声で、
「次郎ちゃんは、もうちっとも心配することないわ。お父さんは、こんなことになるのも、全く自分が悪いからだって仰しゃっているんだから。」
 次郎の小鼻がぴくぴくと動き、ちゃぶ台のふちに、大きな涙がはねた。それから、しばらくして。
「僕……僕……」
 と、どもるように言って立ち上ったが、両腕で眼をこすり、こすり、座敷に走りこんで行った。
 俊亮は、その時、柱にもたれて向こうむきに坐り、しずかに団扇をつかっていたが、次郎が、自分の横にくずれるように坐ったのを見ると、少し体をねじ向けて、いかにも落ちついた声で言った。
「泣くことはない。自分でいいことをしたとさえ思っていなけりゃ、それでいいんだ。」
 次郎は、しかし、そう言われると、いよいよ涙がとまらなかった。彼は、何か言おうとしては、しゃくりあげ、縁板に突っぱった両手をかわるがわるあげては、眼をこするだけだった。
「父さんは、お前があんなことをして得意になってやしないかと、それだけが心配だったんだよ。しかし、どっかに出ていったきり、いつまでも帰って来ないというので、そうでなかったことがわかって、実は、ほっとしていたところなんだ。お前も子供のころとはだいぶちがって来たようだね。」
 俊亮は、そう言って、さびしく微笑した。それからちょっと考えたあと、
「父さんも、しかし、今日はいろいろ考えたよ。考えているうちに、世の中というものは、自分だけが貧乏に負けなけりゃあ、それでいいというものではない、ということがよくわかった。それに、もう一つ、――これはもっと大事なことだが、――父さんには、これまで非常に弱いところが一つあったということに気がついたんだ。それは、他人に対する義理人情にばかり気をとられて、かんじんの自分の親子に対する義理人情を忘れていたということだ。」
「父さん!」
 と、次郎はしぼるような声で叫んで、涙にぬれた顔をあげた。
「いや、忘れていたと言っちゃあ、言いすぎるかも知れん。実際忘れちゃいなかったんだからね。しかし、忘れたような顔はたしかにしていた。忘れたような顔をしていりゃあ、みんな自分と同じようにのんきになってくれるだろうぐらいの考えが、どっかにあったんだ。今から考えると、それがいけなかった。それが私の間違いだった。自分では強いつもりで、実はそれが私の非常に弱いところだったんだ。」
 俊亮がそんな調子でものを言うのは珍しかった。次郎は、いくぶんかわきかけた眼を見張って、俊亮を見つめた。
「しかし、今日からは父さんも考え直す。考え直してみたところで、貧乏が急にどうにもなるものではないが、これまでのように、お前たちの苦労を忘れているような顔はしないつもりだ。日除の必要のある草木には、やはり日除をしてやる方がいいんだからね。」
 次郎は、何か痛いものを胸に感じて、思わず首をたれた。
 彼は、しかし、それよりも、さっきからの俊亮の言葉に、ある不安を感じ、それを問いただしてみたくなっていた。不安というのは、父が他人のことよりも家族のことを大切に思ってくれるのはいいとして、それを実際の態度にどうあらわして行くだろうかということだった。次郎の頭には、さしあたって春月亭の問題がひっかかっていたのである。
(まさかとは思うが、父さんは悪いと知りつつ、あれをあのままにして置くつもりではなかろうか。もしそうだとすると、父さんは自分がこれまで尊敬して来た父さんではなくなってしまうのだ。)
 そう思って、多少だしぬけだったが、彼は思いきってたずねた。
「父さん、春月亭の方はどうしたらいいんでしょう。」
「春月亭か。そりゃあ、私がいいようにするよ。」
「いいようにって?」
「そんなことは、もうお前が心配せんでもいい。お前は、なるだけ早く日除のいらない人間になる工夫をすることだよ。」
 俊亮は笑って答えた。次郎は、しかし、やはり不安だった。
「僕、あやまりに行って来ようかと思ってます。」
「お前が? 春月亭に? 春月亭は料理屋だよ。」
「料理屋にだって、あやまりに行くんならいいでしょう。僕、向こうから来ないうちがいいと思うんです。」
「うむ……」
 と、俊亮は、穴のあくほど次郎の顔を見つめていたが、
「次郎、お前はほんとうに心からそう思っているのか。」
 次郎は、そう念を押されて、ちょっとたじろいだふうだったが、少し眼を伏せて、
「僕、あやまらなきゃならないと思っているんです。春月亭も悪いんですが、僕のやったことも悪いんです。あんなこと卑怯です。卑怯なことをして知らん顔をするのは、なお卑怯です。」
「うむ、その通りだ。お前もそこまで考えるようになれば、もう日除もいらんよ。じゃあ行って来るか。」
「ええ、行って来ます。」
 次郎は、父の本心がわかったうえに、ほめてまでもらったので、初陣ういじんにでも臨むような、わくわくする気持で立ち上りかけた。俊亮は、しかし、彼を手でせいしながら、
「まあ、まて。そう急いで行かなくてもいい。さっき仙吉をやって、あの酒はそのまま使わないで置いてもらうように頼んであるんだから。実は、あすの朝、向こうの忙しくない時に、私が行ってあやまるつもりでいたんだ。」
「僕は、父さんにあやまって貰いたくないんです。」
「どうして?」
「悪かったのは僕です。それに、父さんが、あんな女に――」
 次郎はうつむいて言葉をとぎらした。俊亮も、むろん、すぐ次郎の気持を察して、ちょっとしんみりしたが、わざと、とぼけたように、
「あんな女って、お内儀だろう。父さんがあの人にあやまってはいけないのかい。」
「だって――」
 次郎は適当な言葉が見つからなかった。俊亮は、しばらく答をまつように次郎の顔を見ていたが、
「次郎。」
 と、あまり高くはない、しかし、おさえつけるような声で、言った。
「自分に落度があったら、相手が誰であろうと、あやまるのが道だ。相手次第で、あやまったり、あやまらなかったりするようでは、まだほんとうに自分の非を知っているとはいえない。そりゃあ、お前が父さんにあやまらせたくない気持は、よくわかる。だが、あんな女だからあやまらせたくないというんだと、少し変だぞ。」
 次郎は、俊亮の言った意味はよくわかった。しかし、春月亭のお内儀に父を謝罪させる気にはまだどうしてもなれなかった。
「でも――」
 と、彼は少し口をとがらして、
「父さんには、ちっとも悪いことないんです。」
「うむ。……しかし、それはお前の考えることだ。むろん、お前はそう考えてもいい。だが、店のことは何もかも私の責任だからね。」
「だって、あれは肥田がつかった金の代りだっていうんじゃありませんか。」
「肥田は私の番頭だったんだ。それは、お前が私の息子であるのと同じさ。」
 次郎の感情は戸惑とまどいした。彼は、父のそんな言葉に、父らしい父を見出して、いつも頭がさがり、そのために一層懐かしくも思うのだったが、春月亭のお内儀にあやまらせたくない気持をそれで引っこめてしまう気にはなれなかったのである。
 俊亮は、次郎のまごついている顔を見て微笑した。それから庭下駄をつっかけて、狭い庭を二三度往きかえりしていたが、
「次郎には、やはりまだ当分日除の必要があるようだ。お前ひとりで春月亭に行くのは、ちょっと危ないね。あすは父さんと二人であやまりに行こう。」
 次郎は、もう何も言うことが出来なかった。
 その晩、床についてから、次郎の頭に浮かんで来たのは、やはり、例の「無計画の計画」という言葉だった。そして「運命」と「愛」と「永遠」とは、この言葉の意味の生長と共に、そろそろと彼の心の中で接近しつつあったかのようであった。

 翌日、俊亮と次郎とが春月亭をたずねたのは午前十時ごろだった。
 白い襦袢じゅばんと赤い湯巻だけを身につけて、玄関で拭き掃除をしている女がいたので、俊亮がお内儀さんに取りつぐように頼むと、女は、中学の制服をつけた次郎をけげんそうに見ながら、
「お内儀さんにご用でしたら、帳場の方におまわり下さいね。」
 と、いやに「ね」に力をいれ、ここはお前さんたちの出はいりするところではありませんよ、と言わぬばかりの冷たい調子でこたえ、そのまま雑巾ぞうきんをバケツの中でざぶざぶ洗い出した。
 俊亮が、当惑したような顔をして、
「帳場の方は、どこから這入るんかね。」
 と、玄関の横の格子窓に眼をやりながら、たずねると、
「門を出て左っ側ですよ。」
 と、女はもう雑巾を廊下にひろげて、四つんばいになっていた。
 俊亮は、苦笑しながら、門を出た。次郎もそのあとについて行ったが、何かを蹴とばしたいような、それでいて心細いような気持だった。
 帳場の入口は、路地をちょっと曲ったところにあった。戸は開けっ放しになっていたが、中にはいると、なまぐさい匂いがむっと鼻をついた。
 森閑としてどこにも人気がない。蠅が一しきり大鍋の上にまい立ったが、またすぐ静かになった。
「ごめん!」
 俊亮が、奥の方に向かって大声でどなると、
「だあれ。」
 と、少し甘ったるい声がして、十四五の女の子が、これも白い襦袢と赤い湯巻だけで出て来た。頸から上に濃く白粉をぬったのが、まだらにはげている。次郎は、ひとりでに顔をそむけてしまった。
「お内儀さんは? ――いるのかい。」
「ええ、――でも、今、ねているの。」
「本田が来たって言っておくれ。」
「本田さん?」
「そう、酒屋の本田って言えば、わかるよ。」
「ああ、あの酒屋さん――」
 女の子は急にとんきょうな声を出して、二人を見くらべていたが、最後に、次郎を尻目にかけるようにして、奥に走りこんだ。
 二人が間もなく案内されたのは、帳場からちょっと廊下をあるいた、茶の間とも座敷ともつかない部屋だった。
「いらっしゃいまし。」
 お内儀さんは、変にかしこまった調子で二人を迎えた。浴衣に伊達巻をしめたまま、畳のうえに横になっていたものらしく、朱塗の木枕だけが、部屋の隅っこに押しやってある。
「せっかくおやすみのところをお邪魔でした。」
 俊亮も、いくぶん切口上で言って、敷かれていた座蒲団の上に坐った。次郎は座蒲団を前にして坐っている。
「坊ちゃんもお敷きなさいまし、どうぞ。」
 と、お内儀さんは、いよいよ冷たい丁寧さである。次郎は、しかし座蒲団をしかなかった。
 しばらく沈默がつづいたあと、俊亮が口をきった。いかにも無造作な調子である。
「昨日は、私の留守中、申訳ないことをいたしました。今日はそのおわびに上ったんです。」
「それは、わざわざ、どうも。」
 お内儀さんは、そう言ったきり、にこりともしない。そのあと相手がどう出るか、それがわかったうえでなければ、迂濶うかつに笑顔は見せられない、といった態度である。
「この子も大変後悔していまして、自分でもおわびしたいと言うものですから、いっしょにつれて来ましたようなわけで。」
「それは感心でございますね。今どきの書生さんにはお珍らしい。」
 次郎には、「書生さん」という言葉が聞きなれない言葉だった。彼は、わけもなく、それに侮辱を感じたが、あやまる機会を失ってはならない、という気もして、膝の上にのせた両手をもぞもぞ動かしながら、思いきって口をきこうとした。しかし、お内儀さんは、次郎のそんな様子には無頓着なように、ひょいとうしろ向きになって、茶棚の袋戸をあけ、中から一本の燗徳利を出して、それを畳の上に置いた。そしてあらためて俊亮の方に向きなおったが、その顔にはうす笑いが浮かんでいた。次郎の張りきった気持は、それで針をされた風船球のようにしぼんでしまった。
「おわびしたら、どうだ。」
 俊亮が微笑をふくんだ眼で次郎を見た。次郎は、しかし、もうつめたい眼をしてお内儀を見ているだけである。すると、お内儀さんは、
「ほっほっほっ。」
 と、急にわざとらしい空っぽな笑声を立て、
「私は、こんな小っちゃな坊ちゃんに、何もお芝居めいてあやまって貰いたくはありませんよ。それよりか、このお酒のおかげで台なしになった春月亭の暖簾のれんを、どうして下さるおつもりなのか、それがお伺いしたいんです。」
「あの酒を、もうおつかいでしたか。」
「つかいましたとも。まさか酒屋さんがつかって悪いお酒をお売りになろうとは思っていませんからね。」
「おつかいにならんように、そう言ってあげたはずですが。」
「私の方のお客は、日が暮れてからばかりみえるとは限りませんよ。」
「それは、いよいよ、すまないことでした。」
 俊亮はそう言って、ちょっと眼を落した。お内儀さんは、「それでどうしてくれるんだ」というような眼付をして、俊亮をまともに見つめていたが、俊亮が、そのあと、いっこう口をきかないので、たまりかねたように、
「ねえ、本田さん。」
 と、燗徳利を自分の膝のまえに引きよせ、
「あたしがこのためにどんな赤恥をかいたか、ひととおりお耳に入れて置きますから、ようくきいて置いて下さいよ。昨日は、永年ごひいきのお客が見えましてね、それも久しぶりのお友達と御夕食をめしあがろうというのですよ。あたし、まだお吸物も差上げないうちにお呼びだものですから、何事かと思ってお座敷に出てみますと、そのお客さん、すました顔で私にお盃を下すって、わざわざご自分でついで下さりながら、仰しゃることが変じゃありませんか。お前もこのごろ少し焼きがまわったようだねって。あたし、何のことだかわからなくって、盃を手にもったままご挨拶に困っていますと、今度は、盃はさっさとのんで返すもんだよ、と仰しゃる。そこで、あたしがぐっと飲みほしたっていうわけでございますがね。」
 俊亮は、しかし、いっこうに驚いたようなふうがない。
「なるほど。」
 と、彼は二度ほど軽くうなずいて見せたきりである。お内儀さんは、それがぐっと癪にさわったらしく、
「本田さん!」
 と、燗徳利をわしづかみにして膝を乗り出しながら、
「そのお酒というのがこの銚子のお酒なんですよ。この中にはあんたのお店からいただいたお酒がはいっているんですよ。おわかりでしょうね。」
「ええ、多分そうだろうと思っていました。とんだご災難でしたね。……お気の毒です。」
 俊亮は、まじめくさってそう言ったが、それでお内儀さんの機嫌はいよいよ険悪になった。
「あんた、わざわざ、あたしをばかにしにお出でになったんではありますまいね。」
「むろん、そんなことはありません。」
「じゃあ、いったい、災難とか、お気の毒とかで済ましていられますかね。あたしにこんな赤恥をかかしたそもそものおこりは、どなたなんでしょうね。」
「それは、この子がつい間違ったことをし出かしたからですよ。それも、もとをただせば店の不始末からですがね。それで、実は、二人そろっておわびに上ったわけなんですが……」
 次郎は、父はどうして番頭の肥田のことを言い出さないのだろう、肥田のことを言い出せば、お内儀はぐうの音も出ないだろうのに、と思った。ところが、次郎の驚いたことには、肥田のことは、あべこべにお内儀の方から言い出したのだった。
「ふん、店の不始末だなんて、それで遠まわしに肥田さんのことが仰しゃりたいんでしょう。ようくわかっていますよ。だけど、ねえ、本田さん、もともと肥田さんはこちらからお願いして遊んでいただいたわけではありませんよ。お酒の預証なんかで遊んでもらっちゃあ、だいいち、こちらが迷惑しますし、およしになったらいかがですかって、あたし何度もにがいことを申しあげたくらいですからね。これだけはご承知願っておきますよ。」
「いや、肥田のやったことは、私のやったことも同然ですから、今さら、そんなことをとやかく言ってみたところで仕方のないことです。それよりか、どうでしょう、済んだことは済んだこととして、この子もせっかくあやまりたいと言っているのですから、一応あやまらしてお気持をさっぱりなすって下すっちゃあ。」
「そんなにご丁寧にしていただくには及びませんよ。わるうございましたっていうお言葉だけを、何べん承ったところで、それで水が酒になるものでもなし、きずのついた暖簾がもとどおりになるものでもありませんからね。それに第一、あたしは泣きおとしの手っていうのが大きらいでございましてね。世間様には、よくそんな手をおつかいになる方がありますけれど。ほほほ。」
 俊亮もさすがにちょっと不愉快な顔をしたが、しいて笑いにまぎらして窓のそとを見た。お内儀さんは、その様子を、睨みつけるように見ていたが、
「本田さん――」
 と、いやに調子をおとして、
「そうすると、今日わざわざおいで下すったのは、それだけのご用だったんですね。」
「ええ、実はこの子が、ひとりであやまりにあがりたいと言ったのですが、それじゃあ私も心細い気がしたもんですから……」
「ふふふ。」
 お内儀さんは、鼻の先で笑って、そっぽを向いた。そして長煙管にたばこをつめて手荒にマッチをすり、一服吸ってぷうっと吹き出したあと、
「そりゃあ、この坊ちゃんがどうあってもあやまりたいと仰しゃるのを、あたし、むりにおとめはいたしませんよ。それでこの家の根太ねだにまさかひびも入りますまいからね。ご随意にせりふの一つぐらい言ってご覧になるのも結構でしょうよ。だけど、お芝居はお芝居、ほんとうの世間はほんとうの世間と、ちゃんとけじめだけはつけていただきたいものでございますね。」
 次郎は、もうさっきから、あやまるどころか、座蒲団をつかんでなげつけたいような気になり、何度も父の横顔をのぞいては、その機会をつかもうとしていた。しかし、父が、たまに苦笑するだけでまるで怒りというものを忘れたような顔をしていたので、そのたびに、彼はふるえる膝を懸命に両手でおさえて、我慢していたのである。ところが、今度は、もう父の横顔をのぞいて見る余裕さえ彼にはなかった。彼は思わず右手で座蒲団の端をつかみ、半ば腰をうかして唇をふるわせながら、お内儀さんをにらんだ。
 お内儀さんは、しかし、もうその時に存分に毒づいたあとの小気味よさを見せびらかすかのように、窓の方を向いて、煙管をくわえていた。そして、俊亮が、瞬間、次郎の方に手を突き出して彼を制したのさえ、気がついていないかのようであった。
 俊亮は、今までとはすっかり調子の変った、底力のある声で言った。
「お内儀さん、私は、この子に人間の道だけはふませたいと思って、せっかく自分でもあやまりたいと言うものですから、いっしょにつれて来たんですが、その気持がわかって下さらなきゃあ、いたし方ありません。勘定ずくの取引だけのことなら、何もこの子をつれて来るには及ばなかったんです。いや、私がわざわざ足を運ぶにも及ばなかったんです。あんたの方から何とかお話があるまで待っていりゃあ、それでよかったはずですからね。とにかく、この子は帰すことにしましょう。……じゃあ、次郎、さきにお帰り。」
「父さんは、まだいるんですか。」
 と、次郎は、喰ってかかるように、少し涙のたまった眼をしばたたきながら、言った。
「ああ、父さんには、もう少し用がある。」
 次郎は、しかし、動こうとしない。
「どうしたんだ、さっさとお帰り。」
「僕、父さんといっしょに帰るんです。」
「どうして?……用のないものは、さっさと帰る方がいいんだ。」
 次郎は返事をしないで、じっとお内儀さんの方を見た。お内儀さんは、何か自分にせないものを二人の対話の中に感じて、注意ぶかく二人を見くらべている。
「ぐずぐずしないで、さっさと帰るんだ。」
 俊亮が叱るように言った。
「父さんも、もうここには用はないんでしょう。」
「あるんだ。あると言っているんじゃないか。」
「だって、それは、家で待ってたっていいような用じゃありませんか。」
 俊亮は苦笑した。苦笑しながら、ちらっとお内儀さんの顔を見ると、お内儀さんはすごい眼をして次郎をねめつけていた。俊亮はすぐ真顔になって、
「そんなことをお前が言うものじゃない。お前は父さんが言うとおりに、だまって帰ればいいんだ。世の中は右でなけりゃ、すぐ左というものではないからな。……さあ、お帰り。」
 次郎はぷいと立ち上り、お内儀さんには眼もくれないで、あらあらしく廊下に出て行った。
 人気のない、いやな匂いのする土間をとおって外に出ると、道心をふみにじられた憤りと、けがらわしさの感じとが、焼きつくような日光の中で、急に奔騰するのを覚えた。それは、ゆうべ天神の杜を出た時のあのしみじみとした気持とは、あまりにもへだたりのある気持だった。彼は、春月亭の門の前を通る時ペッと唾を吐いたが、お内儀の部屋でお茶一杯ものまされず、からからになっていた口からは、ほとんど何もとび出さなかった。
 歩いて行くうちに、白鳥会で上級生たちの口からおりおり聞かされた「幻滅」という言葉が、ふと頭に浮かんで来た。彼は、その言葉の意味が今はじめてはっきりわかったような気がした。そして大人の作っているいわゆる「実社会」というものが、急に自分たちではどうにもならない、不真面目な世界のように思われて来たのである。
(春月亭のお内儀なんて、特別の人間だ。)
 彼は、一応そうも思ってみた。しかし、その考えは、なぜか、彼の意識の表面を軽く素通りするだけだった。彼の心ほ、すぐそのあとから、ひとりでにお内儀をとおして「実社会」の姿を見ていた。実利のまえには、人間の誠実をむざんにふみにじって顧みない、その冷酷な姿を見ていたのである。
 しかも、彼の疑惑は、――それはさほどに深刻ではなかったかも知れないが、――いつの間にか、父に対してすら向けられていた。彼にとっては、父が彼といっしょに帰らなかったのは、不正と妥協するためだ、とよりほかには考えられなかったのである。
「世の中は、右でなければ、すぐ左というものではないからな。」
 父が最後に言ったそんな言葉が、その時彼には思い出されていた。
(幻滅だ、何もかも幻滅だ。)
 彼は家に帰りつくと、すぐ二階の自分の机のまえにひっくりかえって、心の中で、何度もそうくりかえした。そして、昨日天神の杜のくすの洞穴の中であれほど苦しんだ自分が、みじめにも腹立たしくも感じられた。この感じは、やがて彼を過去へとさそいこみ、彼自身の永い間の努力の味気なさを感ぜしめた。
 いつの間にか、彼の眼には、春月亭のお内儀といっしょに、お祖母さんの顔がうかんでいた。そして、その二つの顔をとおして、彼は誠実のとおらない「実社会」の姿を、いよいよはっきり見るような気がしたのである。
(白鳥会が何だ。どうせ人間の誠実なんて、泡みたようなものではないか。)
 彼は、しまいには、そんな考えにさえなって行くのだった。しかし、彼は、その考えだけは急いで打消した。というのは、その考えの奥から、朝倉先生の深く澄んだ眼が、誠実そのもののように彼をのぞいていたからである。
 彼は、ふみこんではならない神聖な祭壇に土足をかけたような気がして、われ知らずはね起き、きちんと机の前に坐った。と、ちょうどその時、俊亮が帰って来たらしく、すぐ下の店で仙吉と何か話すのがきこえて来た。次郎は耳をそばだてた。
「へえ、そうですか。私なら、せいぜい半金ぐらいでぶちきって来ましたのに。」
「そうも行くまい。どうせあの酒は役に立つまいからね。」
「しかし、向こうじゃ、煮物のさし酒ぐらいには役に立てるでしょうよ。」
「そりゃそうかも知れんが、そこまでこまかく考えんでもいいさ。」
「じゃあ、こちらに引きとったらどうでしょう。」
「引きとるって、あの酒をかい。」
「ええ。」
「引きとってどうする。」
「どうするってこともありませんが……」
「こちらで捨てるぐらいなら、向こうで役に立ててもらった方がいいよ。」
「でも、それじゃあしゃくですねえ。」
「ふっふっふっ、そんなけちな腹は立てん方がいい。次郎に、世の中にはあんな人間もいるっていうことを教えてもらったと思やあ、ありがたいくらいなもんだよ。」
 次郎は、はっとしたように、首をもたげた。
「で、どうでした。やっぱり次郎さんがあやまりなすったんですか。」
「あやまろうにも向こうがてんで相手にしないんだ。芝居だっていうんだよ。尤も、最初にこちらの肚を話してやりゃあ、お内儀も安心して、あいそよく次郎を相手にしてくれたかも知れないがね。しかし、それで次郎をごまかしてしまっちゃせっかくのあいつの真心が恥をかくよ。」
「なあるほど。しかし、次郎さんがあやまらなくてすんだのはよかったですね。実際、あんな奴にあやまるのは、もったいないですよ。」
「はっはっはっ。まあ、しかし、とにかくこれですんだんだ。ついでに店も、ここいらでおしまいにしようかね。お前にいつまでもいやな苦労をかけてもすまないし。」
「店を?……そうですか。」
 と、仙吉の声は、急に低くなった。
「いずれしまうからには、一日も早い方がいい。仕入の方も一つ二つ話をかけていたところだが、今日にも断っておこう。店の方は、ご苦労ついでに、お前の手でしめくくりをつけてみてくれ。どうせ大したこともあるまいが。」
「承知しました。」
「じゃあ、私は、この足で一二相談したいところをまわってくるから、頼むよ。」
 そう言って、俊亮は表の方に行きかけたらしかったが、
「うちの者には、私から話すから、そのつもりでね。それから、次郎はどうした、帰って来たのかね。」
「ええ、二階においででしょう。」
「そうか。……じゃあ、行って来る。」
 次郎は、その時、父のあとを追いかけて、何ということなしにわびたい気持だった。さっき父を疑ってみた気持などもうどこにも残っていなかった。そして、自分はやっぱり素直でない、素直でない頭で、物ごとをひねりまわして考え過ぎるんだ、という気がした。
 だが、それにもかかわらず、彼が「実社会」というものに対してさっき抱いた感じは、まだ決して消えてはいなかった。「幻滅」という言葉の意味も、やはりある力をもって彼にせまっていた。ただ、彼には、もういくらかの心のゆとりが出ていた。春月亭の門のまえで、唾を吐いた時の、あの興奮した気持が、今は、幾日かまえのことのように省みられるのだった。そして、そのゆとりのある気持が、彼に、例の「無計画の計画」という言葉を、ひとりでに思い起させた。
(やっぱり、これも無計画の計画の一つではないだろうか。)
 彼は、今日の事件を、いろいろとその言葉に結びつけて考えてみようとした。しかし、彼の頭ではどう考えても、それがうまく結びつかなかった。無計画の計画どころか、あべこべに、せっかくの計画が無計画の結果に終ったとしか考えられなかったのである。
 こうして、彼の考えのいつものよりどころであったこの言葉も、彼の幻滅感をやわらげ、実社会に対する彼の疑惑を消し去るには、何の役にも立たず、かえって、そんな言葉をよりどころにしていた自分に、ある不安を感ずるような結果にさえなって行くのだった。
 彼は、父が家にいないのを、これまでになく淋しく感じた。父と今日のことをもっと語りあってみたら、きっとこんないやな思いから救ってもらえるだろう、という気がしてならなかったのである。そして、机のまえに坐ったまま、昼飯時になってお芳に階下から呼ばれても、なかなかおりて行こうとしなかった。
 しかし、しぶしぶお膳について飯をかきこんでいるうちに、彼は、ふと朝倉先生をたずねてみょうという気になり、箸をおろすと大急ぎでそとに飛び出した。

 次郎が、朝倉先生の玄関の前に立つと、すっかり建具をはずして見透しになっている茶の間から、奥さんが小走りに出て来て、
「あら本田さん、お珍らしいわね。お休みになってから、ちっともお見えにならないものだから、どうなすったのかと思っていましたわ。」
 次郎は、胸の奥に、急に凉しいものを感じた。しかし、顔付は相変らずむっつりして、
「僕、先生にお目にかかりたいんですけれど。」
「そう? 先生は、いま、畑ですの。しばらく二階で本でも読んでいらっしゃい。あたし、先生にすぐそう申して置きますから。」
 次郎は、しかしそう聞くと、
「じゃあ、僕、畑の方に行きます。」
 と、すぐ中門から庭を横ぎって畑に行った。畑は庭つづきで、間を低い生垣で仕切ってあったのである。
 胡瓜や、茄子や、トマトなどのかなりよく生長している中に、朝倉先生は、猿股一つの素っ裸でしゃがみこみ、しきりに草をむしっていたが、次郎が挨拶をすると、かんかん帽をかぶった頭をちょっとねじむけて、
「やあ、本田か。」
 と、言ったきり、また草をむしり出した。
 次郎の張りきって来た気持は、それでちょっと出鼻をくじかれた恰好だったが、先生は、むしった草をかきよせながら、間もなくたずねた。
「ひとりで来たんかい。兄さんは。」
「まだ帰って来ないんです。」
「まだ? ……高等学校はもうとうに休みのはずだがね。」
「今度の休みには帰らないかも知れないって、手紙でいって来ました。」
「帰らない? そうかね。どこかに旅行でもするのかい。」
「そうじゃないと思います。」
「ふうむ?」
 と、先生は、今まで地べたばかり見ていた眼をあげて、次郎を見た。
 次郎は、今日自分がたずねて来たわけを話し出すには、いいきっかけだと思ったが、いざとなると、切り出すのがいやにむずかしくなった。で、
「大沢さんも帰らないそうです。」
 と、つい遠まわしにそんなことを言ってみた。
「大沢も? そうか、じゃあ、二人で大いに頑張って勉強でもする気なんだろう。」
 次郎は、期待に反して、そんなふうにごく無造作に話を片付けられてしまったので、いよいよ切り出しにくくなり、しばらく默って突っ立っていたが、とうとう思いきったように、言った。
「先生、僕……今日は先生に聞いていただきたいことがあるんですが……」
 朝倉先生は、すると、やにわに立ち上った。そして次郎の顔をじっと見おろしたあと、
「そうか。……じゃあ、凉しいところに行こう。」
 二人は、畑と風呂小屋との間に大きく枝を張っている柿の木の陰に腰をおろした。
 次郎は、先生と二人で、こうして腰をおろしてみると、これまで胸につまっていたものが自然に溶けて行くような気がして、話し出すのが何か気恥しく感じられた。しかし、今更默っているわけにも行かず、先す恭一と大沢のことから店の事情、自分が店で仂いてみる決心をしたこと、昨日から今日にいたるまでの春月亭のいきさつ、と、ひととおり彼相応に順序を立てて話して行った。
 話して行くうちに、彼はさすがに自分の感情がひとりでに興奮して来るのを覚えた。そのために、言葉がもつれたり、とぎれたりすることも、しばしばだった。朝倉先生は、しかし、はじめからしまいまで、ほとんど無言に近い静けさできいていた。めったに合槌さえうたなかった。次郎の言葉が、もつれたり、とぎれたりしても、彼の方に顔をふりむけることさえしなかった。その眼は、いつも地べたの一点を凝視しているかのようであった。次郎は、興奮しつつも、先生のその静けさが変に気になった。むろん先生は、ふだんからそう口数の多い方ではない。よほどのことでないかぎり、生徒が話し終らないうちに、中途で口を出すようなことをしないのが、先生の一つの特徴にさえなっていたのである。しかし、それにしても、今日の沈默ぶりはまた格別である。いつものそれとはまるで意味がちがっているらしい。次郎にはそんな気がしてならなかった。そして、それが、彼の興奮する感情をおさえおさえして、話の筋道をみだすことから、どうなり彼を救っていたのである。
 次郎の話が終ってからも、朝倉先生は、
「そうか。……ふむ。」
 と、返事とも、ひとりでうなずいたともつかない言葉を発したきり、しばらくは姿勢もくずさなかった。次郎は、最初手持無沙汰の感じだったが、沈默が永びくにつれて、それが、しだいに気味わるくさえ感じられて来た。彼は何度も先生の横顔をのぞいたり、足もとの草をむしったりした。風呂小屋と背中合わせになっている鶏小屋で、昼寝からさめたらしい鶏の声が、くっくっときこえて来たが、それで沈默がいくらかでも破れたのが、彼には、何かほっとする気持だった。
 鶏の声がきこえ出すと、朝倉先生も、急にいましめを解かれた人のように、手足の姿勢をくずして、顔を次郎の方にねじむけた。その澄んだ眼には、次郎の全く予期しなかった微笑がうかんでいた。同時に、その奥に、あるきびしい光が沈んでいたことも見のがせなかった。
 先生は、ごく静かな、しかし感情のこもった声で言った。
「本田、君は、ちょっとの間に、すばらしい経験をしたものだね。」
 次郎には、しかし、先生の言った意味がすぐにはのみこめなかった。酒甕に水をぶっこんで自分の短慮と卑劣さを暴露し、春月亭をたずねて自分の良心的行為に侮辱を与えられ、いわゆる「実社会」が幻滅の世界以外の何ものでもない、ということを学んだことは、彼にとって、実際、たえがたいほどのみじめな経験でこそあれ、すばらしいなどとは少しも思えないことだったのである。
 彼は、先生に冷やかされているのではないかという気がして、何か憤りに似たものさえ感じた。そして、じっと先生の顔を見あげていると、先生の眼からはしだいに微笑が消え、今まで底に沈んでいたきびしい光がその代りに表面に浮かんで来た。
「だが――」
 と、先生は、その眼で次郎の眼を射返すように見ながら、
「君のさっきからの話しぶりでは、せっかくのすばらしい経験も、まるで台なしになりそうだね。」
 次郎には、この言葉の意味も、よくは通じなかった。しかし、「すばらしい経験」と言われたのが、決して先生の冷やかしではなかった、ということがわかって、意味はわからぬながらも、何か心強い気もした。同時に、それが「台なしになりそうだ」と言われたのが、新しい不安となって、彼の頭を困惑させたのである。
「私の言っていることがわかるかね。」
「わかりません。」
 二人は、眼を見あったまま、ぽつんとそんな問答をとりかわした。そして、それからしばらくは、鶏のくっくっと鳴く声だけが聞えていた。
「君は、いま、狭い崖道を歩いているんだよ。」
 次郎にとって、そんな言葉は、むろんもう少しも珍らしい言葉ではなかった。彼は、しかし、先生の語気や顔付にただならぬものを感じて、汗ばんだ額の下に、大きく眼を見張った。
「君は、これまで、永いあいだ苦労をしてけわしい道をのぼって来たようだが、その道は、これからの踏み出しよう一つで、君をもつと高いところに導いてくれる道にもなるし、君を見る間に破滅させる道にもなるんだ。そして、その大事な踏み出しは、――」
 と、朝倉先生は、しばらく考えてから、
「一口に言うと、信か不信かでそのよしあしがきまるんだ。わかるかね。」
 次郎にはさっぱりわからなかった。彼は眼を地べたにおとして考えるふうだった。先生は、無理もない、という顔をして、
「信というのは、悪魔の足でも、洗ってやればそれだけきれいになる、と信ずることだ。その反対に、どうせ悪魔の足だ、きれいになるはずがない、と思うのが不信だ。君は、どうやらその不信の仲間入りをしようとしているようだが、そうではないかね。」
 次郎は、やっと、先生の言っている意味がぼんやりながらわかったような気がした。そしてそういう意味でなら、自分が不信の仲間入りをしようとしていると言われても仕方がない、と思った。しかし、悪魔の泥だらけの足が、あまりにも大きく彼の前にのさばっているような気がして、それを洗わないからといって、自分が非難される道理がない、という気も同時にしたのである。彼は返事をしなかった。
 朝倉先生は、彼の気持を見すかすように、
「むろん、世の中には無駄な努力ということもある。また、無駄な努力はしない方が賢明だ、というのもあながち間違いではない。しかし、人間の世の中をてんから疑ってかかって、何をするのも無駄だと考えるようになると、もうその人は崖をふみはずした人間だ。そして、そういう人間になるのも、もともとその人が卑怯だからだ。」
 次郎は、またわけがわからなくなった。七つ八つのころから、自分の最も嫌いだった「卑怯」という言葉が、こんな場合にもあてはまるなどとは、彼の夢にも思っていなかったことなのである。彼は伏せていた眼をあげて先生を見た。
「卑怯というのは、言葉をかえて言うと、自信が足りない、ということだ。一滴の水にも一粒の砂を洗い落す力はあるんだから、それを信ずる人間なら、悪魔の足がどんなに汚れていようと、あとへは引かないはずだ。砂一粒でも落せば、それだけ悪魔の足がきれいになるはずだからね。」
 次郎の頭には、その時、ふと、昨日天満宮のまえで人間の弱さということについて考え、何か眼に見えないものにへり下りたい気持になったことを思いおこした。そして、その気持と、今先生が言った自信という言葉との間に、何かそぐわないものを感じたが、それをどう言いあらわしていいかわからないままに、先生の言うことに耳を傾けていた。
「とにかく人間は絶望するのが一番悪い。料理屋のお内儀に相手にされなかったぐらいのことで、幻滅を感じるなんて、もってのほかだ。」
 朝倉先生の言葉は、これまでになくはげしかった。が、すぐ、もとの静かな調子にかえって、
「もっとも、君ぐらいの年頃では、真面目であればあるほど、そんな気持になりたがるものだ。私にも、そんな経験がある。だが、そこを切りぬけるのが、ほんとうの真面目さなんだよ。いつかも白鳥会でみんなに話したとおり、誠は積まなきゃならない。一滴の水の力を信じて、次から次に辛抱づよく一滴を傾ける。そしてそういう人が二人になり、三人になり、十人になり、百人になる。そこに人生の創造があるんだ。」
 次郎は、「真面目であればあるほど、そんな気持になりたがるものだ。」と言った先生の言葉を、決して聞きのがしてはいなかった。それが「もっての外だ」と叱られたあとだけに、一層つよく彼の胸にひびいたのである。そして、そのせいか、そのあとの先生の言葉が、割合にすらすらと、胸に収まるような気がした。
「ミケランゼロという伊太利の彫刻家がね、――」
 と、先生は、いくぶんゆったりした調子になって、
「ある日、友人と二人で散歩をしていた時に、路ばたの草っ原に大理石がころがっているのを見つけた。彼は、しばらくその黒ずんだはだを見つめていたが、急に友人をふりかえって、この石の中に女神がとりこにされている、私はそれを救い出さなければならない、と言った。そして、その大理石を自分のアトリエに運びこませ、それから毎日丹念にのみをふるっていたが、とうとう、それを見事な女神の像に刻みあげてしまったそうだ。この話は、何でもないと言ってしまえば、何でもない話だ。彫刻家が自分の気に入った大理石を見つけ出して、それを彫刻するのは、何も珍らしいことではないからね。しかし、考えようでは、人生のすばらしい真理がその中に含まれているとも言えるんだ。どうだい、この話をきいて何か感ずることはないかね。」
 次郎は、ちょっと首をかしげていたが、
「女神がとりこにされている、と言ったのが面白いと思います。」
「面白いって、どう面白いんだ。」
 次郎には、説明は出来なかった。彼は、ただ、何とはなしにその言葉が面白く感じられただけだったのである。朝倉先生は微笑しながら、
「その擒にされた女神を救い出さなければならない、と言ったのも、面白いだろう。」
「はい。」
「さすがはミケランゼロだね。」
 そう言われても、ミケランゼロを知らない次郎には、返事のしようがなかった。
「千古の大芸術家だけあって、そんな簡単な言葉の中に、人生の真理を言い破っているんだ。」
 次郎はただ先生の顔を見つめているだけであった。
「わからないかね。」
 と、朝倉先生は、柿の木の根もとに投げ出してあったかんかん帽をかぶり、猿股の塵を払いながら、のっそり立ち上った。そして、
「じゃあ、これは宿題だ。君自身の問題と結びつけて、よく考えてみることだね。」
 次郎は、しかし、そう言われると、何もかも一ぺんにわかったような気がした。彼はやにわに立ち上って、先生のまえに立ちふさがるようにしながら、
「先生、わかりました。」
「どうわかったんだ。」
「人間の世の中は、草っ原にころがっている大理石のようなものです。」
「うむ。」
「その中には、女神のような美しいものが、ちゃんと具わっているんです。」
「うむ、それで?」
「僕たちがそれを刻み出すんです。」
「君が春月亭に行ったのもそのためだったんだね。」
「そうです。」
「しかし、君の鑿はすぐつぶれてしまったんじゃないか。」
「僕、もう一度ぎます。」
「研いでもまたつぶれるよ。」
「つぶれたら、また研ぎます。」
 次郎は意気込んでそう答えた。
「そうか。しかし、そう何度もつぶしては研ぎ、つぶしては研ぎしていたんでは、かんじんの鑿がすりきれてしまいはせんかね。」
 朝倉先生は、そう言いながら、笑っていた。次郎はちょっとまごついたふうだったが、すぐ、決然となって、
「僕、間違っていました。僕は決してつぶれない鑿になるんです。」
「しかし、つぶれない鑿なんて、あるかね。」
「あります。」
「どんな鑿だい。」
「それは、先生がさっき仰しゃったように、信ずることです。自分が努力さえすれば、それだけ世の中がよくなると信ずることです。」
「うむ、その通りだ。人間の心の鑿は、彫刻家の鑿とはちがって、そうした信の力さえ失わなければ、決してつぶれるものではない。いや、堅いものにぶっつかればぶっつかるほど、かえって鋭くなって行くのが、人間の心の鑿だ。むろん、人間には過ちというものがある。また、自分のせっかくの真心が通らないで、かえってそのために侮辱をうけることもある。それは君が現に春月亭で経験したとおりだ。過ちを犯せば悔みたくもなるだろうし、侮辱をうけたら腹もたとう。しかし、それはそれでいいんだ。そのために信の力がくじけさえしなければ、後悔の涙も怒りの炎も、そのまますばらしい力となって生きて来るんだ。」
 朝倉先生は、そう言って、両手を次郎の肩にかけ、強くゆすぶりながら、
「いいかね。……あぶないところだったよ。」
 と、いかにも慈愛にみちた眼で次郎の眼に見入った。
 次郎の眼も、しばらくは先生の眼を見つめたまま動かなかった。しかし、その視線はそろそろと先生の裸の胸をすべり、しまいにがくりと地べたに落ちていった。そして、もうその時には、彼の汗ばんだ制服の腕が、その眼からこぼれ落ちるものを拭きとろうとして、急いで顔におしあてられていた。
 朝倉先生は、かなり永いこと同じ姿勢しせいで立っていたが、やがて次郎の背をなでるようにして両手をはなし、「君がこれから真剣に考えなけりゃならん問題は――」と、いかにも考えぶかい調子で、
「もしお父さんの事情がそんなふうだとすると、君自身の将来をどうするか、という実際問題だ。さっきからの君の話では、兄さんはもう自分で何とか考えているらしいね。兄さんには大沢という友達もいるから、きっとうまく切りぬけて行くだろう。君も、自分でしっかり考えてみるんだよ。」
 次郎はいそいで涙をふいた。そして、いくぶん恥しそうに顔をあげたが、ただ、
「はい。」
 と答えたきり、また顔をふせた。
「むろん、中学を出るぐらいのことは、何とかなるさ。しかし、そのあとは、そう簡単にはいかんからね。兄さんだって、大沢がついていなけりゃ、ちょっと心配だよ。」
「僕。まだ志望をきめてないんですから、これからよく考えます。」
「うむ、何もいそぐことはない。しかし、あまりぐずぐずもしておれんね。それに、自分の一生に関する実際問題をじっくり考えてみるのは、いい修行だ。春月亭のお内儀なんかと取っくむよりゃ、ずっと取っくみ甲斐があるよ。はっはっはっ。」
 次郎は思わず頭をかいた。朝倉先生は、かんかん帽をとりあげて、
「じゃあ、そろそろまた畑の手入をはじめるかな。どうだい、本田、君も少し手伝わないか。畑にだって、女神が擒にされているかも知れんよ。」
「はい、手伝います。」
 と、次郎は、急いで上衣をぬいだが、下には膚着も何も着ていなかった。色の浅黒い、あまら肉附のよくない胸が、じっくり汗ばんで、柿の葉の濃いみどりの陰にあらわだった。
「しかし、少し喉が乾くね。麦湯のひやしたのがあるはずだから、君、とって来てくれないか。」
「はい。」
 次郎は、風呂小屋をまわって台所の方に走って行ったが、間もなく奥さんと二人で何か楽しそうに話しながら帰って来た。奥さんは手製らしい寒天菓子を盛った小鉢と、コップ二つとを盆にのせて持っており、次郎は、一升入りのガラスびんを抱くようにして持っていた。ガラスびんからは冷たい雫がたれていたが、その中にいっぱいつまった琥珀こはく色の液体をすかして、次郎の胸がぼやけて見えた。
「ここの方がよっぽど凉しゅうございますわ。やっぱり木陰ですわね。」
 と、奥さんは、盆を柿の木の根元におろすと、ちょっと梢を仰ぎ、鼻の下の汗を手巾でふいた。
「そりゃあ、家の中より凉しいさ。しかし、今日はここで本田と少し熱っくるしい話をしたんで、案外喉が喝いてしまったよ。」
 朝倉先生は、次郎がなみなみとついでくれたコップに手をやりながら、そう言って笑った。
「そう?」
 と、奥さんは、うなずくとも、たずねるともつかない眼付をして、次郎を見た。次郎は、自分のコップに、ちょうど麦湯をつぎ終ったところだったが、ちらと奥さんの顔をのぞいたきり、きまり悪そうに視線をおとした。
「いかが、本田さん。これ、おいしいのよ。」
 と、奥さんは菓子を盛った鉢を次郎の方にちょっとずらしながら、
「いずれ、そのお話、あたしも白鳥会の時に伺わせていただきますわ。」
「ううむ――」
 と、朝倉先生は、考えていたが、
「白鳥会の話題にするには少し工合がわるいね。問題としては実にいい問題なんだが、本田の家の内輪の事情にも関係があるんだから。」
「そう? じゃあ、あたしも伺わない方がようございますわね。」
 奥さんは、そう言って、いかにも心配そうに次郎を見た。
「いや、お前には知っていて貰った方がいいだろう。これからは、私がいなくても、急に本田の相談相手になって貰わなきゃならん場合もあるだろうからね。」
「あたしがご相談相手に?……どんなことでしょう。あたしに出来ますことか知ら。」
「くわしいことはあとで話すよ。……本田、どうだい、小母さんにだけは話してもいいだろう。」
「ええ。」
 次郎は、少し顔をあからめて答えた。彼は、朝倉先生がどんなつもりで奥さんだけに今日の話をしようというのか、その真意は少しもわからなかった。しかし、とにかく、自分のことを何もかも奥さんに知ってもらうことに少しも異存はなかったし、むしろそれにあるよろこびをさえ感じているのだった。
 朝倉先生は、コップをのみほして、その底を手のひらででながら、奥さんに向かって、
「それはそうと、こないだお前と話していたミケランゼロの話ね。」
「ええ。」
「あの話を今日本田にもきかしてやったんだよ。ちょうどぴったりするものだからね。」
「まあそうでしたの? そんなにぴったりしたんですの?」
 奥さんは、少しはずんだ調子で、どちらにたずねるともなくたずねた。しかし、答えはどちらからもなかった。二人はただ微笑しているだけだった。
「それで、本田さんは、あの意味、ご自分でお解きになりましたの?」
「そりゃあ解いたとも、さすがに苦しんだだけあって、お前なんかのように二日も三日もひねりまわしてはいないよ。そこが遊びと血の出るような体験とのちがいでね。」
「まあ、遊びだなんて。」
 と、奥さんは、心からの不平でもなさそうに笑いながら言ったが、急に眉根をよせて、
「でも、本田さん、そんなにお苦しみになりまして?」
「そりゃあ、本田の年頃にしちゃあ相当の苦しみだったろうよ。とにかく料理屋のお内儀を相手に鑿をふるおうというんだからね。」
「鑿を?」
 奥さんは眼を円くして次郎を見た。
「はっはっはっ。鑿って、さっきのミケランゼロの話だよ。本田は、つまり、そのお内儀を女神に刻みあげてやろうというわけだったんだ。」
「あら、そう。あたし、すっかりほんとうの鑿かと思って、どきりとしましたわ。ほほほ。」
「まさか、ごろつきではあるまいし、ねえ本田。」
 と、朝倉先生は、また大きく笑った。
 次郎は、しかし、少しも笑わなかった。彼は、むしろ、いくぶん暗い顔をして二人の話に耳を傾けていたが、先生の笑い声がしずまると、だしぬけに言った。
「先生、僕は春月亭のお内儀を女神にしようなんて、そんなことちっとも考えていなかったんです。僕は、ただ、僕の悪かったことをあやまろうと思っただけなんです。」
「ふむ――」
 と、朝倉先生は、空になったコップの底を見入るように、しばらく眼をふせていたが、
「そりゃそうかも知れん。しかし、それでいいんだ。いや、それがいいんだ。そんなふうに自分を反省して、へり下る気持になることが、相手を清めることになるんだ。自分の力を信ずるといっても、自分が一段高いところに立って、人を救ってやるというような気持になったんでは、人を救うどころか、却って世の中をみだすだけだ。要するに人間はめいめいに真剣になって自分を磨けばいいんだよ。もともと、自信というのは、決して自分を偉いと思いこむことではなくて、自分を磨きあげる力が自分に備わっていると信ずることなんだからね。」
 次郎は、かつて「葉隠」の中で読んだことのある、「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」という剣道の達人の言葉を思いおこした。しかし、自分が自分をどんなに磨いても、その結果、春月亭のお内儀のような人間を少しでも美しくすることが出来ようとは、どうしても思えなかった。
「しかし、先生――」
 と、彼は、いくぶん口籠くちごもりながら、
「世の中には、どんなに真心をつくしても、それの通じない人間もあるんじゃありませんか。」
「例えば春月亭のお内儀のように、と言うんだね。」
「はい。僕は、あんな女にも女神が擒にされているなんて、とても思えないんです。」
「そんなことを言えば、話はまた逆もどりするだけだ。」
「しかし、例外ということもあるんでしょう。」
「人間に例外はない。人間の本心はみな美しいんだ。」
 朝倉先生の言葉はきっぱりしていた。次郎がびっくりしたように眼を見張っていると、
「人間の心に例外があると思うのは、そう思う人自身の心がまだ十分に磨かれていないからだ。同じ大理石を見ても、ミケランゼロにはその中に女神が見出せたし、彼の友達にはそれが苔だらけの石にしか見えなかったんだからね。」
 しばらく沈默がつづいた。次郎は地べたを、朝倉先生は次郎の横顔を見つめていた。奥さんはうしろから、二人を等分に見くらべていたが、心から次郎をいたわるように言った。
「ほんとうに大事なことですけれど、あたしたちにはむずかしいことですわね。」
「そりゃあ、誰にだってむずかしいことだよ。こんなことを言っている私自身にも、毎日、人間の汚ないところばかりが眼について、いいところはなかなか見えないんだ。学校にいても、どうかすると、生徒がみんな駄目なような気がして、逃げ出したい気持になることがあるよ。」
 次郎は、おずおずと先生の顔を見上げた。先生はちょっと笑って見せたが、すぐ真顔になって、
「しかし、私は決して逃げ出しはしない。逃げ出すまえに自分を省みるんだ。そして生徒の心に神を見ることが出来ないのは、自分の心に神が育っていないからだと思うんだ。そう思うと、ひとりでに謙遜にならざるを得ない、教えるとか、導くとかいう傲慢ごうまんな心は、いっぺんに消しとんで、ただ生徒のために祈りたい気持になって来る。何か大きなものに、祈って、祈って、祈りぬいて、自分を捧げきってしまいたい気持になって来る。ところが、そうなると、不思議に胸の奥から何とも知れない力が湧いて来るんだ。そりゃあ、自分ながら変な気がするよ。しかし考えてみると、私が、これまでどうなり学校というものに絶望しないで勤めて来たのは、そうした、反省というか、へり下るというか、或は祈るというか、とにかく自分というものを何とかしようと骨を折って来たおかげなんだ。」
 次郎は、昨日天満宮のまえで味った気持をもう一度思いおこした。そして、それが先生の言っているのと同じ気持ではないだろうか、という気がして、異様いような興奮を覚えたが、やはり、口に出しては何とも言いかねた。すると、先生は、急に笑い出し、
「いや、話がつい自分のことになってしまって、ますかったね。熱っくるしい話は、今日はもうこれで打切りだ。」
 と、コップを置いて立ち上りかけた。
「貴方、お菓子はいかが。」
「そうか、お菓子があったんだね。どうだい、本田さっさと平らげて畑をやろうじゃないか。」
 次郎は、それでやっと麦湯をのみ、菓子をつまんだ。
 その日、奥さんは、畑をしまって帰ろうとする次郎に、夕飯を振舞おうとしたが、次郎は、なぜか逃げるようにして帰った。そして、家に帰りつくまでに、彼は、自分にとってはやはり何もかもが「無計画の計画」だったと思った。しかし、この言葉は、最近彼が何かで覚えた「摂理」という言葉と結びついて、一層彼の胸に深まりつつあったようであった。
「運命」――「無計画の計画」――「摂理」――この三つの言葉が、彼の心の中で、殆んど同義語と思われるまでに近づいて来たということは、同時に彼の対人生の態度が、我執と反抗から一歩一歩と謙抑と調和への道を辿りつつあった証拠だといえないだろうか。

 次郎は、中学校にはいってから、恭一にすすめられて、ずっと日記をつけて来た。日記帳はべつにきまっていなかった。最初の一年は小形の当用日記をつかったが、かえって不便な気がして、あとでは、普通のノートをつかうことにしたのである。彼の日記には、かなりむらがあり、書きたいことがあれば、何枚でも夜ふかしをして書く代りに、日によっては一行か二行かですますこともあった。また、他人が見ては何のことだか想像もつかないほど主観的な感想をならべたところがあるかと思うと、皮肉なほど冷たい客観的描写をやっているところもあった。それに、二年の半ばごろからは、和歌や、詩などを記した頁も、しだいに多くなって来たのである。
 彼の詩心については、「次郎物語第二部」のなかでちょっとふれておいたが、それは、運命的に彼の胸の底を流れている哀愁の感情が、恭一に対する、これも運命的な競争意識に刺戟されて、最初芽を出したものであった。それだけに、彼の書いたものには、恭一のそれのような素直さや温かさはなかった。しかし、どこかに、人の心をつく感情の鋭さと、機智のひらめきとがあった。そして、年三回刊行される校友会の文苑欄ぶんえんらんには、きまって彼の名が見出されるようになり、たいていの生徒は、「本田白光」という彼の筆名を覚え、文芸に興味をもっている上級生の一部では、彼を天才視するものさえあったのである。
 彼の日記のなかで、分量からいっても、内容からいっても、最も目立っている部分は、何といっても白鳥会を中心とするものであった。彼の白鳥会に対する心酔ぶりは――それは朝倉先生に対する心酔ぶりといった方が、一層適切であるかも知れないが、――ほとんど無条件的で、実は彼の筆名も、最初は「白鳥」の二字をそのまま使っていたのであるが、恭一に、それではあまりあからさま過ぎると言われ、すいぶん考えた末、やっと「白光」とあらためたくらいだったのである。また彼は、自分の手で、心ゆくまで白鳥会を礼讃らいさんした詩を書き上げたいという野心をさえ、人知れず抱いているのである。
 しかし、ごく最近の彼の日記は、さすがに、閉店にからんだ家庭のことが大部分をしめている。そしてその記述は、どちらかというと客観的であり、彼が、自分の周囲の現実を、出来るだけ落ちついて見究みきわめようとする態度が、その中にかなり鮮明にあらわれて居り、同時に、彼が主としてどういう点で自分を反省しているかも、おおよそそれでうかがえるように思える。で、私は、これから、閉店後十日あまりの彼の日記を抜書きすることによって、しばらく私自身の記述の労を省きたいと思う。これは、彼が中学三年――あたりまえだと四年の年齢だが――の青年にしては、多少ませ過ぎていることを、彼自身をして証明させるためにも、実は必要なことなのである。

     *

 八月二十一日
 父は起きるとすぐ、自分で、閉店の貼紙はりがみを店のガラス戸に貼りつけた。貼りつけてしまって笑っている。こんな時になぜ父が笑ったのか、僕にはよくわかるような気がした。しかし、僕はべつに笑ってもらいたくはなかった。笑ってもらったために、かえって淋しい気さえしたのである。
 貼紙を出したあと、僕はいやにその貼紙が気になった。半紙一枚に、候文でかなりながい文句が書いてあるので、あまり人目をひくものではなかったが、それでも気になってしようがなかった。この暑いのに、店戸をおろしたままにしてあったためかも知れない。僕は午前中、思い出しては格子の中から外をのぞいて、道行く人たちの顔に注意した。自分でつまらないことだと思いながら、どうしてもそれを制しきれなかったのである。子供のころの自分が思い出されて、つくづくいやになった。
 道行く人は、誰も小さな閉店の貼紙なんかには気をひかれないらしかった。たいていは見向きもしないで通って行った。たまに店戸がおりているのに気がついて、ふり向く人もあったが、貼紙を読むために立ちどまった人はほとんどなかったようだ。ただ、近所の人たちだけが、ちょっと眼を見はって貼紙を読んだ。しかし、それも大して驚いた様子はなく、中には変な微笑さえもらしたものがあった。
 僕は、この冷淡さに、最初はかえってほっとする気持だった。しかし、あとではたまらない腹立たしさを感じて来たので、午後からは一度ものぞいて見なかった。
 仙吉も文六も、奉公先が見つかったらしい。或は、もうとうに見つかっていたのかも知れない。父は、給料のほかに金一封ずつを包んで二人に暇をやった。夕飯には、二人の送別会をかねて、何か御馳走があるはずだったが、二人共それを断って、午飯をすますとすぐおいとまをした。僕は、しかし、この二人が道行く人達のように冷淡であったとは思いたくない。
 父が家のものみんなに閉店の決心を話してから、もう今日で四日になるが、昨日まで飯時にさえなると泣いたり怒ったりしていた祖母が、今日はふしぎに静かだった。疲れたのか、あきらめたのか、僕にはわからない。しかし、考えてみると、誰よりも打撃をうけたのは祖母だろう。祖母はもう間もなく七十だ、いたわってやらなければならないと思う。だが、僕の胸のどこかに、過去の思い出を清算しきれない[#「しきれない」は底本では「しきれいな」]気持がまだいくらか残っていはしないか。
 兄に手紙を書く。祖母は、兄に閉店のことを知らせてはいけない、と言った。しかし、僕はこれには絶対不賛成だ。今はお互いに事実をかくすことが何よりもいけないことなのだ。

 八月二十二日
 父は朝早くからどこかに出かけた。父が出かけると間もなく母も出かけた。父は夜になって帰って来たが、母は三時頃にはもう帰っていた。
 二人の留守中、祖母は僕と俊三とを呼んで、「母さんが今日出かけたことは、父さんに默っておいで。」と言った。
 それから、さんざん父をけなしたあと、「こんなふうではどうせ学校どころのさわぎではないよ。どうだえ、次郎、早く思いきって一本立ちになる気はないのかえ。」と言った。聞いていてあまり愉快ではなかったが、さほどに腹も立たなかった。僕はただ、「考えてみます」と答えただけだった。俊三はべつに問われもしなかったので、答えもしなかった。
 僕はまだ祖母をほんとうには愛しきれないようだ。以前のように、そう憎いとは思わないが、愛しているとは絶対にいえない。僕は、昨日、道行く人々の冷淡さに腹を立てたが、僕自身、祖母に対して冷淡でないといえるだろうか。それを思うと、僕はまだ十分に運命に打克ってはいないのだ。
 夜、頭のはげた老人が父をたずねて来た。店の道具一切をそのまま譲りうけて、この家で酒屋を引きついで行く人がきまったということは、こないだ父にきかされていたが、この老人がその人だったのだ。ちょっと見るとやさしいようで、実はずるそうな人だった。
「お引越先がおきまりまでは、私の方はいつまでもお待ちします。」と言うかと思うと、「こちらの家主さんとも、じきじきお会いして、話はもう何もかもつけてありますので、へへへ。」と手をもみながら変な笑い方をした。春月亭のお内儀さんなんかより、こんな人の方がほんとうにいけない人なのかも知れない。それは、こんな人にはどこから「鑿」をあてていいのかわからないからだ。
 この老人のような人間が、世の中にはかなり多いのではあるまいか。いや、どうかすると、たいていの人間がそうであるかも知れない。そう思うといやになる。――しかし、僕はこんなことを考えてはいけなかったのだ。朝倉先生は、「人間に例外はない、人の本心はみんな美しいのだ」とはっきり言われたのではなかったか。

 八月二十三日
 今日は珍しく父も外出しなかった。しかし、家の中にいなければならない用事もなかったらしく、一日中、おちつきはらって何か本を読んでいた。祖母にはその落ちつきが気に入らなかったらしい。口では何とも言わなかったが、父を見る眼はいつも光っていた。
 母のほがらかな顔と無口とは、いつものことだが、今日はそのほがらかな顔がとくべつ祖母には目立ったらしい。祖母の母を見る眼は。父を見る眼よりも一層とがっていた。しかし、口に出しては、やはり何とも言わなかった。
 家中のものが、こんな時に、一日中ほとんど口をききあわないというのは、いやなものだ。僕は母が無口であることを、今日ほど物足りなく思ったことはない。
 僕は、その沈默を破りたいと思って、夕方俊三と二人で二階で歌を歌い出したが、すぐ祖母に「やかましい」と言って叱られた。

 八月二十四日
 昨夜は寝てから前途のことを考えてみたが、ちっとも考えがまとまらなかった。ほんとうに行き詰ったら、祖母の言うとおり、学校をよしてどんな仕事でもするんだ、と強いて考えてみたが、気持は少しも落ちつかなかった。そして、なぜか、お浜のことが思い出されてならなかった。
 今日は起きるとすぐ、お浜に手紙を書いた。やはり店のことを知らした方がいいと思ったからだ。お浜はびっくりするかも知れない。しかし、僕がいよいよ学校をやめなければならないようになってから知らせたら、なおびっくりするだろう。
 今日も父は在宅。朝から寝ころんで、やはり本を読んでいる。何の本かと思ってのぞいて見たら、養鶏の本だった。どうしてそんな本を読むのか、たずねてみたかったが、父が一日にこりともしないので、その機会がなかった。みんなが口をききあわないこと昨日に同じ。祖母は何度も父の枕元をとおって仏間に行き、鉦をならして念仏を唱えたりした。
 祖母が仏間に行く気持は決して純粋なものではない。しかし、それだけに、かえってあわれに思える。そうは思えるが、僕自身から進んで慰める気にはならない。強いて慰めてみても僕の言葉はきっと嘘になるだろう。
 愛から出た嘘ならいい。しかし嘘の愛は僕にはもうたえがたい苦痛だ。真実の愛よ、わが胸によみがえれ。
 家に居ると息苦しいので、午飯をすますとすぐ、俊三と二人でふな釣りに行くことにした。中学校に入ってから、一度も釣をやらないので、道具からそろえねばならなかったが、針だけ買って、あとは何とか間に合わせた。どこがいいのか、場所の見当もつかなかったが、俊三が、天神裏の池が涼しいと言うので、すぐそこに行った。
 餌をつけて針を沈め、うきを見つめているうちに、正木にいたころの記憶が楽しくよみがえって来た。間もなくうきが動き出したが、それを見て胸がわくわくした気持も、以前と少しも変っていなかった。釣りあげた鮒はかなり大きかった。
 それから三十分ばかりの間に、僕は大小五尾ほど釣りあげたが、俊三には一尾もつれなかった。うきもほとんど動かなかったらしい。俊三はそれで何度も場所をかえたりしていたが。やはり駄目だったらしく、また戻って来て、釣竿を投げ出し、日蔭にねころんでしまった。
 寝ころんだまま、俊三は、何と思ったか、だしぬけに言った。
「お祖母さんのいけないこと、僕にはよくわかったよ。」
 僕は何と返事をしていいのかわからなくて、默っていた。すると、俊三は、
「一昨日、母さんがどこに行ったのか、知っている?」
 と、急に起きあがって、僕のそばによって来た。僕が、知らない、と答えると、俊三はいかにも大きな秘密でもうちあけるように、
「大巻のお祖父さんとこさ。お祖母さんに言いつかって行ったんだよ。」
 僕は一昨日のことが何もかもわかったような気がして、祖母のことを話すのがいやになった。僕は、だから、
「お祖母さんはかわいそうな人だよ。」
 とだけ言って、じっとうきを見つめていた。俊三も、すると、それっきり何とも言わなかった。
 祖母は、父には秘密で、母を利用して大巻に何か無心を言わせている。母は、言われるままにそれに従っているのだ。きっと、大巻には、それが祖母の意志であることも、言うのを禁じられているだろう。母はそれにも従っているのかも知れない。――僕は、そんなことを考えてうきを見つめていたが、今度は、そんなことを考える自分がいやになって来た。そして、うきももう動かなくなったので、すぐ帰り支度をした。
 帰りがけに、ふと、いつも朝倉先生が、「自分をごまかすのが一番いけないことだ」と言われていたことを思い出した。さっき、祖母をかわいそうだと言ったのが、胸にひっかかっていたからだろう。僕は、それを言い直すつもりで、歩き出すとすぐ俊三に言った。
「しかし、お祖母さんよりも、母さんの方がもっとかわいそうだね。」
 俊三は「うん」と強くうなずいた。俊三がうなずくと、僕は、なぜか、やっぱり祖母もかわいそうだという気がしみじみした。祖母はほんとうに一人ぼっちなのである。
 家に帰ってみると、正木の祖父と青木さんが来ていて、座敷で父と何かひそひそ話をしていた。僕たちがお辞儀をしに行くと、祖父は默ってお辞儀をかえしただけだったが、青木さんは、僕に、
「竜一が、夏休みになってから、相手がなくて淋しがっているよ。ちと遊びにやって来たまえ。」
 と言った。竜一君のことはこのごろあまり思い出しもしなくなっていたが、何だかすまない気がした。
 座敷の話はいつまでもつづいて、夕飯時になり、酒が出た。店に残っていたわずかばかりの酒を、びんにつめて台所にしまってあったが、その一本があけられたのである。僕たちの釣って来た鮒も、すぐ酢味噌になって役に立った。何だか家の中が久方ぶりに明るくなったように感じられた。
 酒が運ばれるにつれて、青木さんの声がしだいに大きくなったが、時々、「村長」と言っているような声がきこえた。
 そのうちに、大巻の祖父が徹太郎叔父と二人づれでやって来た。多分打合わせてあったのだろう。二人が来ると座敷は一層にぎやかになった。大巻の祖父の高声につりこまれて、青木さんの声が一層高くなり、いつもしずかな正木の祖父の声までがいくらか高くなった。それで注意してきいていると、あらましの話の筋がわかった。
 青木さんは、父に村に帰って来て村長をやってもらいたいと言っていた。それに対して、正本の祖父は、今では村の人も父を歓迎はしているが、いったん家まで売って立退いた村だから、将来何かと都合の悪いこともあるだろう、と心配しており、大巻の祖父と徹太郎叔父とは、村長なんかうるさい、それに村長の収入だけでは子供たちがかわいそうだ、とあからさまに反対して、その代りに養鶏をやれ、とすすめていた。
 大巻の祖父の言うことをきいていると、母は漬物が上手なばかりでなく、養鶏の経験もあるらしい。僕たちの母になる前には、独身でとおすつもりで、ぼつぼつそれをやりはじめて、五六十羽は飼っていたそうだ。僕はそれをきいて、母には案外偉いところがあるような気がした。そして、話が養鶏の方にきまるのを心ひそかに望んでいたが、とうとうどちらともきまらないままにみんな帰っていってしまった。
 あとで、祖母と父との間に、こんな問答があった。
「どうおきめだえ。」
「二三日考えることにしました。」
「村長さんになるのはいいけれど、今さら村に帰るのはどういうものかね。」
「それで、私も養鶏の方にしようかと思ってるんです。」
「でも、それには資金がいるんじゃないのかい。」
「養鶏ときまれば、青木だって、正木だって、資本の相談には乗ってくれるでしょう。」
「大巻さんはどうだえ。」
「大巻の方では、土地を使ってくれと言うんです。お芳がもと養鶏をやっていたところを拡げても、相当使えるらしいのです。」
「その土地というのは、どこにあるんだえ。」
「大巻の家とすぐ地つづきだそうです。」
「すると、住居の方はどうなるんだえ。」
「大巻の家が広すぎるから、当分いっしょでもいいし、それで都合が悪ければ、仕切ってもいい、と言うんです。」
「すると、住居まで大巻さんのお世話になるわけだね。」
「当分仕方がありませんね。」
「それでお前はいいのかえ。厚かましいとは思わないのかえ。」
「今さらやせ我慢を出してみたところで仕方のないことですから、思いきって好意に甘えてみるのもよくはないかと考えているところです。しかし、お母さんがおいやなら、むろん止します。」
 祖母は默りこんでしまった。母は、そばでこの問答をきいていたが、相変らずほがらかな顔をしていた。僕はいよいよ母を尊敬したい気持になって来た。――しかし、僕自身、何と母に似ていないことだろう。そして何と祖母にばかり似ていることだろう。

 八月二十五日
 父は、朝飯をすますと、すぐ外出した。僕も、そのあと、朝倉先生をたずねた。村長になるのと養鶏をやるのと、先生はどちらに賛成されるか、訊ねてみたかったからである。
 先生は、しかし、「村長も理想をもってやれば面白いだろうね。」と言ったり、「養鶏のことはよくわからんが、家族みんなで仂けて面白いかも知れんよ。」と言ったりするだけで、どちらに賛成だかわからなかった。
 午後は、俊三と天神裏にまた鮒釣りに行った。今日は俊三も二尾釣った。僕は五尾。
 釣をしながら、俊三に、村長と養鶏とどちらがいいか、とたずねてみたら、俊三は、「父さんが村長さんになるなんて可笑しいや。」と、ほんとうに可笑しそうに笑った。
 父が帰ったのは、夜十時過ぎだった。父は、帰るとすぐ、祖母に、「話はあすにしましょう。」と言って、ねてしまった。

 八月二十六日
 朝食後、父は、
「お母さんさえおいやでなければ、やはり養鶏の方にきめようかと思いますが、……」
 と切り出した。祖母は、
「あたし一人で反対してもなりますまいしね。」
 と、変に皮肉な返事をしたが、心から反対しているようには見えなかった。しかし、すぐそのあとで、
「やっぱり住居は大巻さんの方かえ。」
 と、それがあくまで不服らしかった。父は、
「実はそのことで、昨日はとくと大巻にも相談したんですが、ちょうど工合よく川っぷちに空家がありましたので、そこを借りたらということになりました。古い百姓家ですが、相当広いうちです。」
 すると母が、
「あっ、そうそう。あの家がまだあいていましたわね。ちょうどあの裏に父の地所が少しばかりありますから、じゃあ、養鶏場もそこにしたらいいと思いますわ。」
 と、めずらしくはしゃいだ口をきいた。
 そのあと、相談はなめらかに進み、さっそく引越しの準備にとりかかることになった。僕は、急に気持が軽くなった。
 しかし、いよいよ家財道具の始末をやり出すと、六年まえに村の家が没落した時の光景がまざまざと思い出されて、妙に悲しくなって来た。あの時の売立には、今から考えると、美しいつばのついた刀やら、蒔絵まきえの箱やら、掛軸やら、宝物らしいものが沢山あったようだ。それにくらべると、今は何という貧弱さだろう。
 そういえば、僕が正木の家に預けられたのは、あの売立のあった晩だった。正本の祖父が、だしぬけに僕を預ると言った時のことは、今に忘れられない。その時には、なぜ祖父が僕を預ると言い出したのかわからなかったが、今になってみると、よくわかる。――僕には、僕の気づかない危機が何度あったか知れないが、そのたびに僕を救ってくれた人があったのだ。
 危機に誘いこまれるのも運命、危機から救われるのも運命。そして、人間の運命の大部分を支配するものは愛憎の波だ。僕は、すべての人間の運命のために、このことを忘れてはならない。しかし、その愛憎そのものもまた運命だとすると、僕はどう考えていいかわからなくなる。
 僕は、がらくたばかりのような家具を祖母に指図されて棚からおろしながら、そんなことを考えた。

 八月二十七日
 今日も朝から家具の始末で忙しかった。仏壇の取片付けにも手伝ったが、亡くなった母の位牌いはいはもうかなり古びいていた。淋しい色だった。僕は、汗ばんだシャツの上から、それをちょっと胸に押しあててみた。その時、縁側で書類をよりわけていた父が僕の方を見たが、すぐ眼をそらして、何とも言わなかった。
 母は午後から、今度引越す家の掃除をしておくと言って、出かけていった。
 あすはいよいよ引越である。夜、父は近所に挨拶してまわった。

 八月二十八日
 荷物は馬力三台で十分だった。昼まえにその積み込みを終り、人夫たちといっしょに握り飯を食った。父は、祖母に、俊三をつれて一足先に行くようにすすめたが、祖母はなぜか自分は一番あとから行くと言ってきかなかった。それで父が俊三といっしょに先に行き、僕は祖母と二人であとに残ることになった。
 二人が出て行くと、祖母はがらんとした家の中を一わたり見てまわり、それから僕に戸じまりを命じた。
 荷馬車が動き出したのは一時過ぎだった。いよいよ二度目の没落行だ。むろん家に未練はない。ただ兄弟三人が机をならべていた二階にかすかな愛着があるだけだ。その点では気が楽だった。しかし、祖母と二人、照りつける日の中を、荷馬車のあとから、汗とほこりになって歩く姿は、あまりにもみじめな没落行ではなかったろうか。
照りかわく
ほこり
七十路ななそじ
人の影
いともちいさし
ちさきまま
消えやらぬ
そのかげよ
愛憎は
げにも果てなし

 僕は、歩きながら、こんな詩を作った。自分ながらいやな詩である。
 こんどの家は、なるほど古い百姓家だ。しかし、すぐそばに北山から流れて来る水のきれいな小川がある。小川の土手には松の並木もある。近くに土橋がかかっており、その袂には栴檀せんだんの古い木があるので、その橋を栴檀橋というのだそうだ。僕にはその名称も気に入った。それに家が古いといっても、建てかたは頑丈で、土間は馬鹿に広いし、おまけに総二階だ。二階に天井がなく、すすけた藁屋根の裏がまる見えなのが欠点だが、その代り、松並木や青田が広々と見渡せる。町の店屋なんかよりいくら気持がいいか知れない。
 大巻の祖母と徹太郎叔父が手伝ってくれたので、道具は日のくれないうちにあらまし片づいた。夕食も大巻から運んでくれた。大巻の家までは、ほんの二三分である。

 八月二十九日
 大巻の祖父が村の大工をつれて来て、父と養鶏場設計の相談をはじめた。母もそれにはめずらしく進んで自分の考えをのべた。父はこないだから読んでいた養鶏の本をひろげて、鶏舎の図面などを見ていたが、あまり意見をのべず、たいていは母の考えに従った。そして、「何事も経験だからな」と言った。祖母もそばで相談をきいていたが、あまり機嫌はよくなかった。

 八月三十日
 朝、俊三と二人で土手をあるき、栴檀せんだんの古木を見に行った。思ったほど大きな木ではなかった。木の陰に茶店があったが、中から女の人が出て来て、
「あんた達は本田さんの坊ちゃんでしょう。」
 と言った。そうだと答えると、
「まあおはいりなさい。」
 と言って、駄菓子などを盆にのせてくれた。横の壁に「栴檀茶屋」という額がかかっている。奥の方にはかなりりっぱな座敷があるらしい。僕には、その女が何だか料理屋なんかにいる女のように見え、変なうちだという気がしたので、すぐ帰ろうとした。すると、
「昨日は主人が留守だったものですから、お手伝いもしませんですみませんでした。お母さんによろしく言って下さいね。」
 と、駄菓子を袋に入れて、無理に俊三の手に握らせた。
 帰ってから、母にその話をすると、その茶店の主人が僕たちの家主だということだった。夫婦とも百姓ぎらい、それに子供がないので、あんなところに茶店だか別荘だかわからない家を建てて、気楽に暮らしているのだそうだ。
「あの小母さんは慾がなくて面白い人だよ。だけど、気にさわると誰にでもくってかかる人だから、用心してね。」
 と母は言った。
 兄とお浜とに引越をした報せを書く。まだ安心してはならないという気もしていたが、僕の手紙の文句はひとりでに明るくなってしまった。
 夜はみんな大巻におよばれ。うなぎ[#「うなぎの」は底本では「うなぎの」]蒲焼が沢山出た。

 八月三十一日
 今日でいよいよ夏休みも終る。休みのうちに家のことが一先ず片づいたのは大いによかった。学校がかなり遠くなったが、一時間ぐらい歩くのは何でもない、行きかえりには詩でも作ろうと思う。白鳥会の日に帰りがおそくなるのがちょっと不便だが、それも大したことではない。
 新しい出発だ。学校も、家庭も、そして僕自身の心も。
 だが、この新しい出発にきっかけを作ってくれたものは何だろう。僕はそれを考えて今さらのように驚いた。春月亭のお内儀が、いや、番頭の肥田が、間もなく鶏に新しい卵を生ませようとしているではないか!
「世に悪しきものなし」――僕は何かで見たそんな言葉を思い起した。そして「摂理」のふしぎさについて詩を書いてみたいと思ったが、急にまとまりそうにもなかった。

 日記の抜書きはこの程度で終る。次郎は、ともかくもこうして、かなり明るい希望を抱いて新学期を迎えることが出来た。そして、彼のこの希望は、少くとも父の新しい事業に関するかぎり裏切られたとはいえなかったようである。
 ぽつぽつとではあったが、鶏舎はしだいに拡張され、その年の暮までには、だいたい当初のもくろみどおりのものが完成した。そして翌年の春には、どの鶏舎にも白色レグホンやミノルカがさわがしく走りまわるようになり、生まれる卵の数も日に日に多少ずつえて行った。また養鶏のほかに、菜園も耕され、その一部には草花の種も蒔かれた。そして、おいおいには、広い土間や二階を利用して、養蚕もやってみたい、という話さえ出るようになったのである。
 俊亮とお芳とは、ほとんど朝から夕方までいっしょになって仂いた。お芳は最初のうち、自分で煮炊きまでやっていたが、鶏舎の増築につれて次第に手がまわらなくなり、とうとう、お金ちゃんという近所の小娘を雇い入れて、台所のことを手伝わせることにしたのだった。俊亮は、お芳といっしょに仂きながら、彼女にふしぎな能力があるのを発見して、驚くことがしばしばだった。彼女は何事にもとくべつに頭をつかって考えたりするふうはなかった。また、どんなに忙しい時でも決して急ぐことがなく、足どりさえいつものとおりだった。それでいて、同じ鶏舎の仕事をやっても、俊亮よりは無駄がなく速いし、急所をはずしたことなどめったにない。彼女がいつも無口でほがらかな顔をしているだけに、俊亮にはそれが一層ふしぎに思えたのである。
(経験というものは恐ろしいものだ。)
 俊亮は、はじめのうち、そんなふうに思っていた。しかし、よくよく考えてみると、お芳のそうした能力は養鶏のことばかりにあらわれているのではない。これまでだってべつに気をつかって整理しているようなふうでもないのに、箪笥の中にせよ、戸棚の中にせよ、いつもきちんと片づいており、お芳に任かされた限りは、どんな小さいものでもその在りかがすぐわかった。気のきかない女だと他人にも思われ自分でもそう信じているらしい彼女のどこに、そうした能力がひそんでいるのだろうか。俊亮はおりおりそんなことを考えて首をふった。そしてこの頃になって、彼はやっとそれを彼女の正直さに帰するようになったのである。
 お芳は、実際、腹のどん底まで正直な女だった。その正直さが彼女の顔に無表情なほがらかさ――それはなみはずれて大きな笑くぼのせいでもあったが――を与え、彼女の唇から自己弁護のための饒舌さを奪い、彼女を一見気のきかない女にしてしまったらしい。そして、もし彼女自身でも、自分を気のきかない女だと信じていたとすれば、それもやはり彼女の正直さのゆえだったにちがいないのである。
 明敏という言葉と、愚鈍ぐどんという言葉とは、それぞれ二つの意味をもっており、その一つの意味では、神の国において同義語であり、もう一つの意味では、悪魔の国において同義語であるが、お芳が世間の眼から見て愚鈍な女だったことに間違いはないとしても、それはたしかに前者の意味においてであったのである。俊亮には、このごろはっきりとそれがわかって来た。
 そして、もし次郎が、将来、愚鈍という言葉に二つの意味があるということを知る機会があるとしたら、彼は、彼の第二の母を、彼が現在尊敬しはじめている以上に、――或は恐らく朝倉先生を尊敬するのと同じ程度に、尊敬せずにはいられなくなるかも知れない。そして、そうした尊敬の念が彼の心に湧いた時こそ、彼は、朝倉先生に学び得た「白鳥芦花に入る」精神や、「誠」や、「円を描いて円を消す」心構えやらを、真に会得することが出来るであろう。
 筆がつい横にそれてしまったが、俊亮のお芳に対する信頼は、そんなわけで、養鶏をはじめてから急に深まって行き、信頼が深まるにつれ、事業はいよいよ調子づいて来た。そして心配されていた恭一の学資も、最初の二三ヵ月こそ多少やりくりを必要としたが、とにかく送るには送ったし、その後まったく問題ではなくなって来た。恭一は、それでも不安だったのか、或は他に何か考えがあったのか、やはり家庭教師をつづけていたらしかった。しかし、年末の休みに予告もなくひょっくり帰って来て、二三日家の様子を見ているうちに、すっかり安心したらしく、自分から次郎に言った。
「もう学資のために仂くのは止すよ。これからは大沢君とも相談して、べつの意味で仂いてみたいと思っている。」
 こんなふうで、次郎には何もかもが楽しくなって来た。そして、恭一のそうした言葉からの刺戟もあって、毎日学校から帰って来て鶏舎や畑の手伝いをするにしても、それを単なる手伝いとは考えす、自分自身の仕事として、その仕事の中から出来るだけ多くの意味をくみとろうとつとめた。それが、白鳥会における彼の存在を、徐々にこれまでとはちがったものにしはじめたことはいうまでもない。彼は、鶏や野菜の話から、しばしば、生命についての彼のいろいろの感想を述べた。その中には、生命とその環境とか、生命の自律性と調和性とか、或は自然と道徳とかいったような問題にふれることも稀ではなかった。ある時、彼は、「鶏でも野菜でもはじめにいじけさすと、たいていは取りかえしがつかないものだ。」と言って、彼の経験した実例をいろいろと話していたが、ふと、これは自分のことを言っているのではないか、という気がして、急に口をつぐんでしまったことがあった。しかし、そんな時のいやな気持も、あとに尾を引くというようなことは、この頃ではもう全くなくなっていた。そして、その理由を彼自身で反省してみて、やっぱりこれも環境のせいだ、というふうに考え、人知れず微笑したくらいだったのである。
 みんなが明るく、生き生きとなるにつれて、ただひとり、不機嫌になるように思われたのは、お祖母さんだった。それは、いうまでもなく、お芳の家庭におけるこれまでのぼやけた存在が、日に日に鮮明なものになって来たからにちがいなかった。お芳としては、ただ正直に真心こめて仂くだけのことだったが、その仂きが効果をあらわせばあらわすほど、そしてそれが俊亮に認められれば認められるほど、お祖母さんとしては自分の影がうすくなるような気がするのだった。恭一の学資の心配がなくなったのは、うれしいことにはちがいなかったが、それが恭一のことであるだけに、そのかげにお芳の力、ひいては大巻の力を認めないではいられないのが、たまらなくくやしかった。それも、大巻の家が遠方にでもあればまだしも、すぐ目と鼻の間にあって、日に何回となく双方から行き来するので、いかにも自分ひとりが人質にでもとられているような気がしてならなかったのである。
 お祖母さんのそうしたひがみは、何かにつけ、遠まわしの皮肉となってお芳の耳に刺さった。しかし、その痛みを感じたものは、お芳ではなくて、むしろ俊亮だった。しかもその俊亮でさえ、何もかもはらにのみこんで、表面では何ごともなかったような顔をしているので、お祖母さんとしてはいよいよもどかしくなり、その結果が、次郎と俊亮を相手に愚痴ぐちをこぼし、口ぎたなくお芳のかげ口を言うばかりか、俊亮を大の親不孝者とさえ呼ぶようになって来たのである。
 次郎にとって、お祖母さんのそんな愚痴が愉快なものでなかったことは、いうまでもない。しかし、それも今では、彼の日々の生活に大して暗い影をなげるというほどのものではなかった。どうせお祖母さんはこんな人だ、という諦めに、いくぶんのあわれみの情をまじえて、不愉快ながらもその愚痴を辛抱し聞いてるといったふうであった。そのことでは、俊三の方がいつもお祖母さんの機嫌を損じた。俊三は、お祖母さんの愚痴がはじまると、てんからあざ笑ったり、正面から反対したり、途中から逃げ出したりすることが多かった。お祖母さんはそんな時には、次郎に向って、「まだ俊三には何もわからないんだよ。」と嘆息するのだったが、次郎は、もし自分が俊三のような態度に出たら、お祖母さんはどんなふうに言うだろう、などと考え、心の中で苦笑しながら、やはりおしまいまで相手になってやるのだった。そして、そういうことから、お祖母さんは、何かにつけ次郎を身近に引きつけておきたがり、はた目には、お祖母さんの愛が次第に次郎に移って行くのではないかとさえ思えるのだった。
 その間の消息について、次郎は、ある日の日記――それは、もう彼が四年に進級してからかなりたったころの日記であるが、――の中にこんなことを書いている。

「今日も、学校から帰ると、祖母が待ちかねていたように愚痴をこぼしはじめた。何でも大巻の祖父がやって来て、今月は先月にくらべ、卵の収穫が三百あまりも殖えたそうで結構だ、と喜びを言ったのがいけなかったらしい。祖母は、みんなが卵の数を自分には知らさないで、大巻にだけ知らしているんだ、というのである。あまりばかばかしいので、つい笑い出したくなったが、やはりがまんしてきいてやることにした。しかし、そのために、夕飯の時にみんなのまえで、“次郎は小さいとき里子に行って苦労しただけに兄弟のうちで誰よりも物の道理がわかっている。”などと言われたのには、僕もさすがに冷汗が出た。
 それにしても、自分の最も愛していない相手に同情を求め、自分の最も讃めたくない相手を強いて讃めて、どうなり自分を慰めていなければならない人間ほど、みじめな存在はないだろう。
 僕は、そうしたみじめさから祖母を救うことが、僕自身の正しい道だと考えないことはない。しかし、また一方では、みじめさをみじめさのままにして、少しもそれにふれないで置くことが、祖母のような性格と年齢の人を、かえって幸福にするのではないかとも考える。」

 この日記を書いてから数日たって白鳥会があり、その席で「妥協」ということが問題になったらしく、彼はそれについていろいろと自分の感想を日記につらねているが、最後に次のようなことを書いている。

「祖母の問題についても、僕はもっと深く考えてみなければならない。これまで、僕はいい加減に現実と妥協して来たようだ。祖母のみじめさをみじめさのままにしてふれないでおき、それを祖母自身の幸福のためだ、などと考えるのが妥協でなくて何であろう。妥協は、おたがいに真実の愛を感じないものの間にのみ常に成立つ。その意味で、妥協はたしかに虚偽だ。……だが、真実の愛はどうすれば湧いて来るのか、僕にはそれがわからない。僕はただそれを「摂理」に祈る外はないのだ。そして、真実の愛がまだ湧いていないとすれば、それが湧くまでは、妥協の外に道はないのではないか。なぜなら、真実の愛もなく妥協もないところには、ただ破壊のみが残されているからだ。白鳥会では、妥協よりもむしろ破壊を選ぶといった意見の方が多かった。しかし、僕はそれが単に痛快だからとか、虚偽でないからとかいうだけで賛成するわけにはいかない。少くとも、僕と祖母とに関する限り、破壊が妥協よりもまさっているとは決していえないようだ。それは、破壊がはっきりと建設を約束してくれないばかりでなく、僕自身の気持において何か忍びないものを感ずるからだ。……これは、僕の心のどこかに卑怯の虫が巣食っているせいだろうか。或はそうかも知れない。しかし僕としては、今はほかに行く道はないようだ。考えてみると、祖母もみじめだが、僕もそれに劣らずみじめなのだ。呪われたる運命よ。」

 次郎の日記は、かように、お祖母さんとの問題になると、とかく同じところをぐるぐるまわって、落ちつきのない感傷に終り、運命を呪ってみたりする。それだけに、お祖母さんが依然として彼の心に一つのしみを与えていたことはたしかである。しかし、それも、今では彼の生活そのもののしみというよりは、もっと現実をはなれた、いわば思索の祭壇に捧げられた黒い花束みたようなものだったのである。事実、彼の日々の生活は、お祖母さんに愚痴を聞かされるわずかの時間をのぞけば、「呪われた運命」などとはおよそ縁の遠い、のびのびとしたものであった。お祖母さんとの関係について日記に感傷的な文句をつらねている時でさえ、彼は、それに悩まされて暗い気持になっているというよりは、むしろ道義の世界における探検者としてのある喜びを感じていたかのようであった。
 こうして、彼は、父の鶏舎や畑を手伝いながら、身も心も張りきって、中学三年から四年にかけての約一年半を過ごしたが、その一年半こそは、彼のこれまでの生活の中で最も永続きのした明るい生活であった。そして、一生のこの時期に、そうした生活を恵まれたということは、ただちに彼の身長にまで影響を及ぼした。彼が幼年時代に自分のちびであるのをひどく恥じていたことは、多分まだ読者の記憶にも残っていることだと思うが、この羞恥感は、その後の彼の内面生活の変化と共に、いくらかずつうすらいで行ったとはいえ、中学三年の二学期頃までは、完全にぬぐい去られていたとはいえなかった。というのは、体操の時間にいつも一番びりに並ばされたり、友達に「君は弟より背が低いのではないか」と言われたりすることは、この年頃の青年としては、全く無関心ではあり得ないからである。ところが、その二学期も終りに近づくころから、――言いかえると、父が養鶏事業をはじめて三月ほどもたったころから、――彼の身長は急にのび出し、間もなく俊三をぬいたばかりか、三年から四年に進級したころには、組の生徒を十人ほどもぬいてしまい、四年の夏休みがすんだあとの身体検査では、ちょうど組の真中ぐらいのところまで進んでしまったのである。このことについては、次郎は彼の日記に一言もかいていない。しかし、彼にとってはそれは決してどうでもいいことではなかった。というのは、先す第一に、俊亮やお芳や大巻一家がそれを非常に喜んでくれたし、家主である栴檀橋の茶屋の小母さんが、それでやっと彼を俊三の兄だと確認するようになったし、そして彼自身としては、物ごとが何もかも自然で正常の状態に帰りつつあるように感じ、いよいよ「摂理」の詩を書いてみたい衝動にかられて来たからである。
 だが、次郎はまだやはり「摂理」の詩を書くには若すぎていた。「摂理」は、次郎をして真に「摂理」を礼讃らいさんせしめるために、なおいろいろと彼のために準備してやらなければならないことがあったのである。その準備の一つは、すでに彼の一家が今度の家に引っこして間もなくからはじまっていたが、それは大巻の徹太郎叔父の結婚を機縁にしたものであった。
 徹太郎の結婚式は、俊亮の鶏舎が完成して、ひととおりの落ちつきを見せるのを待ちかねていたかのように、歳暮にせまって行われた。迎えられたのは隣村の重田という旧家の娘で、名を敏子といった。敏子には父母のほかに、兄が一人と妹が一人あり、二人とも結婚式にはむろんつらなっていたが、次郎が、式場にならんだ花嫁方の親類の顔の中で、真先に覚えたのは、この二人の顔だったのである。それは、兄の方は大学の制服をつけていたからにちがいなかった。しかし、妹の方については、なぜだか次郎自身にもはっきりしなかった。同じ年頃――十五、六歳――の着飾った娘はほかにも二三人いたし、顔立にしても、その中で特に目立っていたというのでもなかったが、次郎の眼にはふしぎに彼女の顔だけがはっきり映ったのである。ただ、これは次郎があとになってそんな気がしたのであるが彼女の顔はどこかで見たことのあるような顔だった。少くとも、どこかで見たことのある顔に似ている顔だった。それが一眼で彼女の顔を次郎に印象づけた理由だったかも知れない。次郎自身でも、式がすんだあと、数日の間、たびたび彼女の顔を思いうかべているうちに、そういうことにきめてしまったらしいのである。
 さて、それはそれでいいとして、次郎はなぜそうたびたび彼女の顔を思い出さなければならなかったのか。それについては[#「それについては」は底本では「それついては」]、彼自身少しも考えてみようとはしなかった。そしてそこに運命のいたずらな、――或は摂理の不可思議な――奥の手があったのかも知れない。
 道江――それが彼女の名であった――は、女学校の二年に通っていた。彼女は姉の結婚式後、しばらく大巻の家に顔を見せなかったが、正月をむかえてからはたびたび一人で来るようになり、ことに、学校がはじまると、その帰りには、よく寄り道をして、ちょっとでも姉に会って行くといった工合であった。そして大巻に来ると、三度に一度は本田にも寄り、時には母に言いつかったと言って、卵をゆずってもらったりすることもあった。そんなふうで、次郎や俊三も、いつの間にか彼女と親しく言葉を交わすようになり、大巻の家でいっしょにご飯をよばれたりすることも、まれではなかった。
 彼女には、これといって目立った特徴はなかった。「すなおな子」というのが、彼女に対する本田や大巻の人たちの一致したほめ言葉であった。それにはお祖母さんも心から同意していたらしく、俊亮にむかって、おりおり「年頃も恭一にちょうどいいようだね。」などと言ったりした。
 次郎は、お祖母さんのそんな言葉を耳にしても、はじめのうちは、べつにどうという感じも起らなかった。ただ、ぼんやり、彼女を家族の一員として迎えることにある喜びを感ずる、という程度でしかなかった。そして、彼が彼女を知ってから、およそ一年ばかりもたったころには、彼は現実にも、また夢の中でも、彼女に自分の好きな本を貸してやったり、またその内容について話しあったりするほどに彼女との親しさを加えていたとはいえ、もし彼が、彼女の身辺につきまとっている一人の青年のいまわしい眼を発見しなかったとすれば、彼の彼女に対する感情は、彼の日記の中で、「聰明で静かな少女」という文字を書いたり消したりした程度にとどまっていたのかも知れない。そして、かりに何年かの後に、お祖母さんの希望どおり、彼女と恭一との結婚が事実となってあらわれたとしても、もし彼がどこかの上級学校にでもはいっていれば、そこから彼は、過去の思い出からしみ出る言いしれぬ淋しさを胸に抱きつつも、恭一にあてて心をこめた祝賀の手紙を書くことが出来たであろう。
 だが、「運命」と「愛」と「永遠」とは、おたがいに完全な握手が出来るまでは、決して中途半端な握手はしないものである。「運命」の手は、まだ容易に次郎を「永遠」の手に渡したがらない。「愛」もまた彼のまえにさまざまの迷路を用意している。次郎が、一青年のいまわしい眼を道江の身辺に発見したということは、それがあとになって彼自身に「無計画の計画」と感じられようと、あるいは「摂理」の至妙な計画と感じられようと、彼が「永遠」の門をくぐるために、一度は耐えなければならない試煉だったのである。私は、これから、次郎がどんな工合にその試煉にたえていったかを物語りたいと思う。
 しかし、次郎がたえて行かなければならない試煉は、ただそれだけではなかった、実は、彼の前には、すでに、そうしたわたくし事とはくらべものにならない、大きな試煉が待ちかまえていたのである。それは「時代」の試煉であった。次郎という個人にだけでなく、国家と民族とにおもおもしくのしかかって来る「時代」の試煉であった。私は、これまで、次郎が、家庭や、学校や、せまい範囲の師友の間に生活する姿だけを記録して来たが、彼がそうした大きな時代を迎えることになったとすれば、そして、とりわけ、時代というものに最も敏感であり、情熱的であるべき年齢において、それを迎えることになったとすれば、私は、もはや、時代をぬきにして彼を描くわけにはいかない。かりに、道江を中心とした問題が、本来、時代とはかかわりのない大きな浪であったとしても、それが、事実、一層大きな、ほとんど無限ともいうべき大きな時代の浪の中での一波瀾はらんであったとすれば、単にそれだけを切りはなして描いただけでは、彼のほんとうの生活を描いたことにならないであろう。私は、だから、この二つの浪を同時に描かなければならない。いや、一つの浪をもう一つの浪の中にとらえ、その浪がしらに漂う次郎の眼と、唇と、呼吸と心臓と、手足の動きとをつぶさに記録して行かなければならないのである。しかし、それにはまだかなりの時間と紙とがいる。で、私は、読者が次郎を気遣うあまり、気短かすぎる読者にならないことを切に希望して、一先ず次郎の青年前記の記録をここで終りたいと思うのである。
(昭和十九年十一月)

底本:「下村湖人全集 第二巻」池田書店
   1965(昭和40)年7月30日発行
※「黒+犬」は、「默」で入力しました。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年1月10日作成
2012年7月19日修正
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