あらすじ
洞熊学校を卒業した蜘蛛、なめくじ、狸の三人は、それぞれ「大きく、えらくなる」ことを目標に、自分たちの道を歩み始めます。しかし、学校で学んだ教訓は、彼らの進むべき道を照らすものではなく、かえって彼らの心を曇らせてしまうのでした。それぞれの生き様は、それぞれの悲劇を生み出し、三人はそれぞれ異なる結末を迎えることになるのです。赤い手の長い蜘蛛と、銀いろのなめくぢと、顔を洗ったことのない狸が、いっしょに洞熊学校にはひりました。洞熊先生の教へることは三つでした。
一年生のときは、うさぎと亀のかけくらのことで、も一つは大きいものがいちばん立派だといふことでした。それから三人はみんな一番にならうと一生けん命競争しました。一年生のときは、なめくぢと狸がしじゅう遅刻して罰を食ったために蜘蛛が一番になった。なめくぢと狸とは泣いて口惜しがった。二年生のときは、洞熊先生が点数の勘定を間違ったために、なめくぢが一番になり蜘蛛と狸とは歯ぎしりしてくやしがった。三年生の試験のときは、あんまりあたりが明るいために洞熊先生が涙をこぼして眼をつぶってばかりゐたものですから、狸は本を見て書きました。そして狸が一番になりました。そこで赤い手長の蜘蛛と、銀いろのなめくぢと、それから顔を洗ったことのない狸が、一しょに洞熊学校を卒業しました。三人は上べは大へん仲よさうに、洞熊先生を呼んで謝恩会といふことをしたりこんどはじぶんらの離別会といふことをやったりしましたけれども、お互にみな腹のなかでは、へん、あいつらに何ができるもんか、これから誰がいちばん大きくえらくなるか見てゐろと、そのことばかり考へてをりました。さて会も済んで三人はめいめいじぶんのうちに帰っていよいよ習ったことをじぶんでほんたうにやることになりました。洞熊先生の方もこんどはどぶ鼠をつかまへて学校に入れようと毎日追ひかけて居りました。
ちゃうどそのときはかたくりの花の咲くころで、たくさんのたくさんの眼の碧い蜂の仲間が、日光のなかをぶんぶんぶんぶん飛び交ひながら、一つ一つの小さな桃いろの花に挨拶して蜜や香料を貰ったり、そのお礼に黄金いろをした円い花粉をほかの花のところへ運んでやったり、あるいは新らしい木の芽からいらなくなった蝋を集めて六角形の巣を築いたりもういそがしくにぎやかな春の入口になってゐました。
一、蜘蛛はどうしたか。
蜘蛛は会の済んだ晩方じぶんのうちの森の入口の楢の木に帰って来ました。
ところが蜘蛛はもう洞熊学校でお金をみんなつかってゐましたからもうなにひとつもってゐませんでした。そこでひもじいのを我慢して、ぼんやりしたお月様の光で網をかけはじめた。
あんまりひもじくてからだの中にはもう糸もない位であった。けれども蜘蛛は
「いまに見ろ、いまに見ろ」と云ひながら、一生けん命糸をたぐり出して、やっと小さな二銭銅貨位の網をかけた。そして枝のかげにかくれてひとばん眼をひからして網をのぞいてゐた。
夜あけごろ、遠くから小さなこどものあぶがくうんとうなってやって来て網につきあたった。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、子どものあぶはすぐ糸を切って飛んで行かうとした。
蜘蛛はまるできちがひのやうに、枝のかげから駆け出してむんずとあぶに食ひついた。
あぶの子どもは「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」と哀れな声で泣いたけれども、蜘蛛は物も云はずに頭から羽からあしまで、みんな食ってしまった。そしてほっと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、又少し糸をはいた。そして網が一まはり大きくなった。
蜘蛛はまた枝のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせながらじっと網をみつめて居た。
「ここはどこでござりまするな。」と云ひながらめくらのかげろふが杖をついてやって来た。
「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云った。
かげろふはやれやれといふやうに、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして
「さあ、お茶をおあがりなさい。」と云ひながらいきなりかげろふの胴中に噛みつきました。
かげろふはお茶をとらうとして出した手を空にあげて、バタバタもがきながら、
「あはれやむすめ、父親が、
旅で果てたと聞いたなら」と哀れな声で歌ひ出しました。
「えい。やかましい。じたばたするな。」と蜘蛛が云ひました。するとかげろふは手を合せて
「お慈悲でございます。遺言のあひだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」とねがひました。
蜘蛛もすこし哀れになって
「よし早くやれ。」といってかげろふの足をつかんで待ってゐました。かげろふはほんたうにあはれな細い声ではじめから歌ひ直しました。
「あはれやむすめちゝおやが、
旅ではてたと聞いたなら、
ちさいあの手に白手甲、
いとし巡礼の雨とかぜ。
まうしご冥加ご報謝と、
かどなみなみに立つとても、
非道の蜘蛛の網ざしき、
さはるまいぞや。よるまいぞ。」
「小しゃくなことを。」と蜘蛛はたゞ一息に、かげろふを食ひ殺してしまひました。そしてしばらくそらを向いて、腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて
「小しゃくなことを言ふまいぞ。」とふざけたやうに歌ひながら又糸をはきました。
網は三まはり大きくなって、もう立派なかうもりがさのやうな巣だ。蜘蛛はすっかり安心して、又葉のかげにかくれました。その時下の方でいゝ声で歌ふのをききました。
「赤いてながのくぅも、
天のちかくをはひまはり、
スルスル光のいとをはき、
きぃらりきぃらり巣をかける。」
見るとそれはきれいな女の蜘蛛でした。
「こゝへおいで」と手長の蜘蛛が云って糸を一本すうっとさげてやりました。
女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二人は夫婦になりました。網には毎日沢山食べるものがかゝりましたのでおかみさんの蜘蛛は、それを沢山たべてみんな子供にしてしまひました。そこで子供が沢山生まれました。所がその子供らはあんまり小さくてまるですきとほる位です。
子供らは網の上ですべったり、相撲をとったり、ぶらんこをやったり、それはそれはにぎやかです。おまけにある日とんぼが来て今度蜘蛛を虫けら会の副会長にするといふみんなの決議をつたへました。
ある日夫婦のくもは、葉のかげにかくれてお茶をのんでゐますと、下の方でへらへらした声で歌ふものがあります。
「あぁかい手ながのくぅも、
できたむすこは二百疋、
めくそ、はんかけ、蚊のなみだ、
大きいところで稗のつぶ。」
見るとそれはいつのまにかずっと大きくなったあの銀色のなめくぢでした。
蜘蛛のおかみさんはくやしがって、まるで火がついたやうに泣きました。
けれども手長の蜘蛛は云ひました。
「ふん、あいつはちかごろ、おれをねたんでるんだ。やい、なめくぢ。おれは今度は虫けら会の副会長になるんだぞ。へっ。くやしいか。へっ。てまへなんかいくらからだばかりふとっても、こんなことはできまい。へっへっ。」
なめくぢはあんまりくやしくて、しばらく熱病になって、
「うう、くもめ、よくもぶじょくしたな。うう。くもめ。」といってゐました。
網は時々風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこはされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕しました。
二百疋の子供は百九十八疋まで蟻に連れて行かれたり、行衛不明になったり、赤痢にかかったりして死んでしまひました。
けれども子供らは、どれもあんまりお互ひに似てゐましたので、親ぐもはすぐ忘れてしまひました。
そして今はもう網はすばらしいものです。虫がどんどんひっかゝります。
ある日夫婦の蜘蛛は、葉のかげにかくれてまた茶をのんでゐますと、一疋の旅の蚊がこっちへ飛んで来て、それから網を見てあわてて飛び戻って行った。くもは三あしばかりそっちへ出て行ってあきれたやうにそっちを見送った。
すると下の方で大きな笑ひ声がしてそれから太い声で歌ふのが聞えました。
「あぁかいてながのくぅも、
てながの赤いくも
あんまり網がまづいので、
八千二百里旅の蚊も、
くうんとうなってまはれ右。」
見るとそれは顔を洗ったことのない狸でした。蜘蛛はキリキリキリッとはがみをして云ひました。
「何を。狸め。おれはいまに虫けら会の会長になってきっときさまにおじぎをさせて見せるぞ。」
それからは蜘蛛は、もう一生けん命であちこちに十も網をかけたり、夜も見はりをしたりしました。ところが諸君困ったことには腐敗したのだ。食物があんまりたまって、腐敗したのです。そして蜘蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人は足のさきからだんだん腐れてべとべとになり、ある日たうとう雨に流れてしまひました。
ちゃうどそのときはつめくさの花のさくころで、あの眼の碧い蜂の群は野原ぢゅうをもうあちこちにちらばって一つ一つの小さなぼんぼりのやうな花から火でももらふやうにして蜜を集めて居りました。
二、銀色のなめくぢはどうしたか。
丁度蜘蛛が林の入口の楢の木に、二銭銅貨の位の網をかけた頃、銀色のなめくぢの立派なうちへかたつむりがやって参りました。
その頃なめくぢは学校も出たし人がよくて親切だといふもう林中の評判だった。かたつむりは
「なめくぢさん。今度は私もすっかり困ってしまひましたよ。まだわたしの食べるものはなし、水はなし、すこしばかりお前さんのうちにためてあるふきのつゆを呉れませんか。」と云ひました。
するとなめくぢが云ひました。
「あげますともあげますとも、さあ、おあがりなさい。」
「あゝありがたうございます。助かります。」と云ひながらかたつむりはふきのつゆをどくどくのみました。
「もっとおあがりなさい。あなたと私とは云はば兄弟。ハッハハ。さあ、さあ、も少しおあがりなさい。」となめくぢが云ひました。
「そんならも少しいたゞきます。あゝありがたうございます。」と云ひながらかたつむりはも少しのみました。
「かたつむりさん。気分がよくなったら一つひさしぶりで相撲をとりませうか。ハッハハ。久しぶりです。」となめくぢが云ひました。
「おなかがすいて力がありません。」とかたつむりが云ひました。
「そんならたべ物をあげませう。さあ、おあがりなさい。」となめくぢはあざみの芽やなんか出しました。
「ありがたうございます。それではいたゞきます。」といひながらかたつむりはそれを喰べました。
「さあ、すまふをとりませう。ハッハハ。」となめくぢがもう立ちあがりました。かたつむりも仕方なく、
「私はどうも弱いのですから強く投げないで下さい。」と云ひながら立ちあがりました。
「よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ」
「もうつかれてだめです。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もうだめです。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ、そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もうだめ。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげませう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまひました。そこで銀色のなめくぢはかたつむりを殻ごとみしみし喰べてしまひました。
それから一ヶ月ばかりたって、とかげがなめくぢの立派なおうちへびっこをひいて来ました。そして
「なめくぢさん。今日は。お薬をすこし呉れませんか。」と云ひました。
「どうしたのです。」となめくぢは笑って聞きました。
「へびに噛まれたのです。」ととかげが云ひました。
「そんならわけはありません。私が一寸そこを嘗めてあげませう。わたしが嘗めれば蛇の毒はすぐ消えます。なにせ蛇さへ溶けるくらゐですからな。ハッハハ。」となめくぢは笑って云ひました。
「どうかお願ひ申します」ととかげは足を出しました。
「えゝ。よござんすとも。私とあなたとは云はば兄弟。あなたと蛇も兄弟ですね。ハッハハ。」となめくぢは云ひました。
そしてなめくぢはとかげの傷に口をあてました。
「ありがたう。なめくぢさん。」ととかげは云ひました。
「も少しよく嘗めないとあとで大変ですよ。今度又来てももう直してあげませんよ。ハッハハ。」となめくぢはもがもが返事をしながらやはりとかげを嘗めつゞけました。
「なめくぢさん。何だか足が溶けたやうですよ。」ととかげはおどろいて云ひました。
「ハッハハ。なあに。それほどぢゃありません。ハッハハ。」となめくぢはやはりもがもが答へました。
「なめくぢさん。おなかが何だか熱くなりましたよ。」ととかげは心配して云ひました。
「ハッハハ。なあにそれほどぢゃありません。ハッハハ。」となめくぢはやはりもがもが答へました。
「なめくぢさん。からだが半分とけたやうですよ。もうよして下さい。」ととかげは泣き声を出しました。
「ハッハハ。なあにそれほどぢゃありません。ほんのも少しです。ハッハハ。」となめくぢが云ひました。
それを聞いたとき、とかげはやっと安心しました。安心したわけはそのとき丁度心臓がとけたのです。
そこでなめくぢはペロリととかげをたべました。そして途方もなく大きくなりました。
あんまり大きくなったので嬉しまぎれについあの蜘蛛をからかったのでした。
そしてかへって蜘蛛からあざけられて、熱病を起して、毎日毎日、ようし、おれも大きくなるくらゐ大きくなったらこんどはきっと虫けら院の名誉議員になってくもが何か云ったときふうと息だけついて返事してやらうと云ってゐた。ところがこのころからなめくぢの評判はどうもよくなくなりました。
なめくぢはいつでもハッハハと笑って、そしてヘラヘラした声で物を言ふけれども、どうも心がよくなくて蜘蛛やなんかよりは却って悪いやつだといふのでみんなが軽べつをはじめました。殊に狸はなめくぢの話が出るといつでもヘンと笑って云ひました。
「なめくぢのやりくちなんてまづいもんさ。ぶま加減は見られたもんぢゃない。あんなやりかたで大きくなってもしれたもんだ。」
なめくぢはこれを聞いていよいよ怒って早く名誉議員にならうとあせってゐた。そのうちに蜘蛛が腐敗して溶けて雨に流れてしまひましたので、なめくぢも少しせいせいしながら誰か早く来るといゝと思ってせっかく待ってゐた。
するとある日雨蛙がやって参りました。
そして、
「なめくぢさん。こんにちは。少し水を呑ませませんか。」と云ひました。
なめくぢはこの雨蛙もペロリとやりたかったので、思ひ切っていゝ声で申しました。
「蛙さん。これはいらっしゃい。水なんかいくらでもあげますよ。ちかごろはひでりですけれどもなあに云はばあなたと私は兄弟。ハッハハ。」そして水がめの所へ連れて行きました。
蛙はどくどくどくどく水を呑んでからとぼけたやうな顔をしてしばらくなめくぢを見てから云ひました。
「なめくぢさん。ひとつすまふをとりませうか。」
なめくぢはうまいと、よろこびました。自分が云はうと思ってゐたのを蛙の方が云ったのです。こんな弱ったやつならば五へん投げつければ大ていペロリとやれる。
「とりませう。よっしょ。そら。ハッハハ。」かへるはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かへるは又投げつけられました。するとかへるは大へんあわててふところから塩のふくろを出して云ひました。
「土俵へ塩をまかなくちゃだめだ。そら。シュウ。」塩が白くそこらへちらばった。
なめくぢが云ひました。
「かへるさん。こんどはきっと私なんかまけますね。あなたは強いんだもの。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」蛙はひどく投げつけられました。
そして手足をひろげて青じろい腹を空に向けて死んだやうになってしまひました。銀色のなめくぢは、すぐペロリとやらうと、そっちへ進みましたがどうしたのか足がうごきません。見るともう足が半分とけてゐます。
「あ、やられた。塩だ。畜生。」となめくぢが云ひました。
蛙はそれを聞くと、むっくり起きあがってあぐらをかいて、かばんのやうな大きな口を一ぱいにあけて笑ひました。そしてなめくぢにおじぎをして云ひました。
「いや、さよなら。なめくぢさん。とんだことになりましたね。」
なめくぢが泣きさうになって、
「蛙さん。さよ……。」と云ったときもう舌がとけました。雨蛙はひどく笑ひながら
「さよならと云ひたかったのでせう。本当にさよならさよなら。わたしもうちへ帰ってからたくさん泣いてあげますから。」と云ひながら一目散に帰って行った。
さうさうこのときは丁度秋に蒔いた蕎麦の花がいちめん白く咲き出したときであの眼の碧いすがるの群はその四っ角な畑いっぱいうすあかい幹の間をくぐったり花のついたちひさな枝をぶらんこのやうにゆすぶったりしながら今年の終りの蜜をせっせと集めて居りました。
三、顔を洗はない狸。
狸はわざと顔を洗はなかったのだ。丁度蜘蛛が林の入口の楢の木に、二銭銅貨位の巣をかけた時、じぶんのうちのお寺へ帰ってゐたけれども、やっぱりすっかりお腹が空いて一本の松の木によりかかって目をつぶってゐました。すると兎がやって参りました。
「狸さま。かうひもじくては全く仕方ございません。もう死ぬだけでございます。」
狸がきもののえりを掻き合せて云ひました。
「さうぢゃ。みんな往生ぢゃ。山猫大明神さまのおぼしめしどほりぢゃ。な。なまねこ。なまねこ。」
兎も一緒に念猫をとなへはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」
狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどほりになるのぢゃ。なまねこ。なまねこ。」と云ひながら兎の耳をかじりました。兎はびっくりして叫びました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいぢゃありませんか。」
狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
「なまねこ、なまねこ、世の中のことはな、みんな山猫さまのおぼしめしのとほりぢゃ。おまへの耳があんまり大きいのでそれをわしに噛って直せといふのは何といふありがたいことぢゃ。なまねこ。」と云ひながら、たうとう兎の両方の耳をたべてしまひました。
兎もさうきいてゐると、たいへんうれしくてボロボロ涙をこぼして云ひました。
「なまねこ、なまねこ。あゝありがたい、山猫さま。私のやうなつまらないものを耳のことまでご心配くださいますとはありがたいことでございます。助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ。なまねこ。」
狸もそら涙をボロボロこぼして
「なまねこ、なまねこ、こんどは兎の脚をかじれとはあんまりはねるためでございませうか。はいはい、かじりますかじりますなまねこなまねこ。」と云ひながら兎のあとあしをむにゃむにゃ食べました。
兎はますますよろこんで、
「あゝありがたや、山猫さま。おかげでわたくしは脚がなくなってもう歩かなくてもよくなりました。あゝありがたいなまねこなまねこ。」
狸はもうなみだで身体もふやけさうに泣いたふりをしました。
「なまねこ、なまねこ。みんなおぼしめしのとほりでございます。わたしのやうなあさましいものでも、命をつないでお役にたてと仰られますか。はい、はい、これも仕方はございませぬ、なまねこなまねこ。おぼしめしのとほりにいたしまする。むにゃむにゃ。」
兎はすっかりなくなってしまひました。
そして狸のおなかの中で云ひました。
「すっかりだまされた。お前の腹の中はまっくろだ。あゝくやしい。」
狸は怒って云ひました。
「やかましい。はやく溶けてしまへ。」
兎はまた叫びました。
「みんな狸にだまされるなよ。」
狸は眼をぎろぎろして外へ聞えないやうにしばらくの間口をしっかり閉ぢてそれから手で鼻をふさいでゐました。
それから丁度二ヶ月たちました。ある日、狸は自分の家で、例のとほりありがたいごきたうをしてゐますと、狼が籾を三升さげて来て、どうかお説教をねがひますと云ひました。
そこで狸は云ひました。
「お前はものの命をとったことは、五百や千では利くまいな。生きとし生けるものならばなにとて死にたいものがあらう。な。それをおまへは食ったのぢゃ。な。早くざんげさっしゃれ。でないとあとでえらい責苦にあふことぢゃぞよ。おゝ恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」
狼はすっかりおびえあがって、しばらくきょろきょろしながらたづねました。
「そんならどうしたらいゝでせう。」
狸が云ひました。
「わしは山ねこさまのお身代りぢゃで、わしの云ふとほりさっしゃれ。なまねこ。なまねこ。」
「どうしたらようございませう。」と狼があわててききました。狸が云ひました。
「それはな。じっとしてゐさしゃれ。な。わしはお前のきばをぬくぢゃ。このきばでいかほどものの命をとったか。恐ろしいことぢゃ。な。お前の目をつぶすぢゃ。な。この目で何ほどのものをにらみ殺したか、恐ろしいことぢゃ。それから。なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前のみゝを一寸かじるぢゃ。これは罰ぢゃ。なまねこ。なまねこ。こらへなされ。お前のあたまをかじるぢゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。この世の中は堪忍が大事ぢゃ。なま……。むにゃむにゃ。お前のあしをたべるぢゃ。なかなかうまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。おまへのせなかを食ふぢゃ。ここもうまい。むにゃむにゃむにゃ。」
たうとう狼はみんな食はれてしまひました。
そして狸のはらの中で云ひました。
「こゝはまっくらだ。あゝ、こゝに兎の骨がある。誰が殺したらう。殺したやつはあとで狸に説教されながらかじられるだらうぜ。」
狸はやかましいやかましい蓋をしてやらう。と云ひながら狼の持って来た籾を三升風呂敷のまゝ呑みました。
ところが狸は次の日からどうもからだの工合がわるくなった。どういふわけか非常に腹が痛くて、のどのところへちくちく刺さるものがある。
はじめは水を呑んだりしてごまかしてゐたけれども一日一日それが烈しくなってきてもう居ても立ってもゐられなくなった。たうとう狼をたべてから二十五日めに狸はからだがゴム風船のやうにふくらんでそれからボローンと鳴って裂けてしまった。
林中のけだものはびっくりして集って来た。見ると狸のからだの中は稲の葉でいっぱいでした。あの狼の下げて来た籾が芽を出してだんだん大きくなったのだ。
洞熊先生も少し遅れて来て見ました。そしてあゝ三人とも賢いいゝこどもらだったのにじつに残念なことをしたと云ひながら大きなあくびをしました。
このときはもう冬のはじまりであの眼の碧い蜂の群はもうみんなめいめいの蝋でこさへた六角形の巣にはひって次の春の夢を見ながらしづかに睡って居りました。
了
底本:「新修宮沢賢治全集 第十一巻」筑摩書房
1979(昭和54)年11月15日初版第1刷発行
1983(昭和58)年12月20日初版第5刷発行
※底本は旧仮名ですが、拗促音は小書きされています。これにならい、ルビの拗促音も、小書きにしました。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2008年2月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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