そして一足冷たい森の中にはひりますと、つぐみがすぐ飛んで来て言ひました。
「清夫さん。今日もお薬取りですか。
お母さんは どうですか。
ばらの実は まだありますか。」
清夫は笑って、
「いや、つぐみ、お早う。」と言ひながら其処を通りました。
其の声を聞いて、ふくろふが木の洞の中で太い声で言ひました。
「清夫どの、今日も薬をお集めか。
お母は すこしはいゝか。
ばらの実は まだ無くならないか。
ゴギノゴギオホン、
今日も薬をお集めか。
お母は すこしはいゝか。ばらの実は まだ無くならないか。」
清夫は笑って、
「いや、ふくろふ、お早う。」と言ひながら其処を通りすぎました。
森の中の小さな水溜りの葦の中で、さっきから一生けん命歌ってゐたよし切りが、あわてて早口に云ひました。
「清夫さん清夫さん、
お薬、お薬お薬、取りですかい?
清夫さん清夫さん、
お母さん、お母さん、お母さんはどうですかい?
清夫さん清夫さん、
ばらの実ばらの実、ばらの実はまだありますかい?」
清夫は笑って、「いや、よしきり、お早う。」と云ひながら其処を通り過ぎました。
そしてもう森の中の明地に来ました。
そこは小さな円い緑の草原で、まっ黒なかやの木や唐檜に囲まれ、その木の脚もとには野ばらが一杯に茂って、丁度草原にへりを取ったやうになってゐます。
清夫はお日さまで紫色に焦げたばらの実をポツンポツンと取りはじめました。空では雲が旗のやうに光って流れたり、白い孔雀の尾のやうな模様を作ってかゞやいたりしてゐました。
清夫はお母さんのことばかり考へながら、汗をポタポタ落して、一生けん命実をあつめましたがどう云ふ訳かその日はいつまで経っても籠の底がかくれませんでした。そのうちにもうお日さまは、空のまん中までおいでになって、林はツーンツーンと鳴り出しました。
(木の水を吸ひあげる音だ)と清夫はおもひました。
それでもまだ籠の底はかくれませんでした。
かけすが、
「清夫さんもうおひるです。弁当おあがりなさい。落しますよ。そら。」と云ひながら青いどんぐりを一粒ぽたっと落して行きました。
けれども清夫はそれ所ではないのです。早くいつもの位取って、おうちへ帰らないとならないのです。もう、おひるすぎになって旗雲がみんな切れ切れに東へ飛んで行きました。
まだ籠の底はかくれません。
よしきりが林の向ふの沼に行かうとして清夫の頭の上を飛びながら、
「清夫さん清夫さん。まだですか。まだですか。まだまだまだまだまぁだ。」と言って通りました。
清夫は汗をポタポタこぼしながら、一生けん命とりました。いつまでたっても籠の底はかくれません。たうとうすっかりつかれてしまって、ぼんやりと立ちながら、一つぶのばらの実を唇にあてました。
するとどうでせう。唇がピリッとしてからだがブルブルッとふるひ、何かきれいな流れが頭から手から足まで、すっかり洗ってしまったやう、何とも云へずすがすがしい気分になりました。空まではっきり青くなり、草の下の小さな苔まではっきり見えるやうに思ひました。
それに今まで聞えなかったかすかな音もみんなはっきりわかり、いろいろの木のいろいろな匂まで、実に一一手にとるやうです。おどろいて手にもったその一つぶのばらの実を見ましたら、それは雨の雫のやうにきれいに光ってすきとほってゐるのでした。
清夫は飛びあがってよろこんで早速それを持って風のやうにおうちへ帰りました。そしてお母さんに上げました。お母さんはこはごはそれを水に入れて飲みましたら今までの病気ももうどこへやら急にからだがピンとなってよろこんで起きあがりました。それからもうすっかりたっしゃになってしまひました。
※
ところがその話はだんだんひろまりました。あっちでもこっちでも、その不思議なばらの実について評判してゐました。大かたそれは神様が清夫にお授けになったもんだらうといふのでした。
ところが近くの町に大三といふものがありました。この人はからだがまるで象のやうにふとって、それににせ金使ひでしたから、にせ金ととりかへたほんたうのお金も沢山持ってゐましたし、それに誰もにせ金使ひだといふことを知りませんでしたから、自分だけではまあこれが人間のさいはひといふものでおれといふものもずゐぶんえらいもんだと思って居ました。ところがたゞ一つ、どうもちかごろ頭がぼんやりしていけない息がはあはあ云って困るといふのでした。お医者たちはこれは少し喰べすぎですよ、も少しごちそうを少くさへなされば頭のぼんやりしたのもからだのだるいのもみんな直りますとかう云ふのでしたが、大三はいつでも、いゝやこれは何かからだに不足なものがある為なんだ、それだから、見ろ、むかしは脚気などでも米の中に毒があるためだから米さへ食はなけぁなほるって云ったもんだが今はどうだ、それはビタミンといふものがたべものの中に足りない為だとかう云ふんだらう、お前たちは医者ならそんなこと位知ってさうなもんだといふやうな工合に却って逆にお医者さんをいぢめたりするのでした。
そしてしきりに、頭の工合のよくなって息のはあはあや、からだのだるいのが治ってそしてもっと物を沢山おいしくたべるやうな薬をさがしてゐましたがなかなか容易に見つかりませんでした。そこへ丁度この清夫のすきとほるばらの実のはなしを聞いたもんですからたまりません。早速人を百人ほど頼んで、林へさがしにやって参りました。それも折角さがしたやつを、すぐその人に呑まれてしまっては困るといふので、暑いのを馬車に乗って、自分で林にやって参りました。それから林の入口で馬車を降りて、一足つめたい森の中にはひりますと、つぐみがすぐ飛んで来て、少し呆れたやうに言ひました。
「おや、おや、これは全体人だらうか象だらうかとにかくひどく肥ったもんだ。一体何しに来たのだらう。」
大三は怒って、
「何だと、今に薬さへさがしたらこの森ぐらゐ焼っぷくってしまふぞ。」と云ひました。
その声を聞いてふくろふが木の洞の中で太い声で云ひました。
「おや、おや、つひぞ聞いたこともない声だ。ふいごだらうか。人間だらうか。もしもふいごとすれば、ゴギノゴギオホン、銀をふくふいごだぞ。すてきに壁の厚いやつらしいぜ。」
さあ大三は自分の職業のことまで云はれたものですから、まっ赤になって頬をふくらせてどなりました。
「何だと。人をふいごだと。今に薬さへさがしてしまったらこの林ぐらゐ焼っぷくってしまふぞ。」と云ひました。
すると今度は、林の中の小さな水溜りの蘆の中に居たよしきりが、急いで云ひました。
「おやおやおや、これは一体大きな皮の袋だらうか、それともやっぱり人間だらうか、愕いたもんだねえ、愕いたもんだねえ。びっくりびっくり。くりくりくりくりくり。」
さあ大三はいよいよ怒って、
「何だと畜生。薬さへ取ってしまったらこの林ぐらゐ、くるくるん[#「ん」は小書き]に焼っぷくって見せるぞ。畜生。」
それから百人の人たちを連れて大三は森の空地に来ました。
「いゝか、さあ。さがせ。しっかりさがせ。」大三はまん中に立って云ひました。
みんなガサガサガサガサさがしましたが、どうしてもそんなものはありません。
空では雲が白鰻のやうに光ったり、白豚のやうに這ったりしてゐます。
大三は早くその薬をのんでからだがピンとなることばかり一生けん命考へながら、汗をポタポタ滴らし息をはあはあついて待ってゐました。
みんなはガサガサガサガサやりますけれどもどうもなかなか見つかりません。
そのうちにもうお日さまは空のまん中までおいでになって、林はツーンツーンと鳴り出しました。あゝなるほど、脚気の木がビタミンをほしいよほしいよと云ってるわいと、大三は思ひました。それでもまだすきとほるばらの実はみつかりません。
かけすが、
「やあ象さん、もうおひるです。弁当おあがりなさい。落しますよ。そら。」
と云ひながら、栗の木の皮を一切れポタッと落して行きました。
「えい畜生。あとで鉄砲を持って来てぶっ放すぞ。」大三ははぎしりしてくやしがりました。
空では白鰻のやうな雲も、みんな飛んで行き、大三は汗をたらしました。まだ見つかりません。よしきりが林の向ふの沼の方に逃げながら、
「ふいごさん。ふいごさん。まだですか。まだですか。まだまだまだまぁだ。」
と云って通りました。
もう夕方になりました。そこでみんなはもうとてもだめだと思ってさがすのをやめてしまひました。大三もしばらくは困って立ってゐましたが、やがてポンと手を叩いて云ひました。
「ようし。おれも大三だ。そのすきとほったばらの実を、おれが拵へて見せよう。おい、みんなばらの実を十貫目ばかり取って呉れ。」
そこで大三は、その十貫目のばらの実を持って、おうちへ帰って参りました。
それからにせ金製造場へ自分で降りて行って、ばらの実をるつぼに入れました。それからすきとほらせる為に、ガラスのかけらと水銀と塩酸を入れて、ブウブウとふいごにかけ、まっ赤に灼きました。そしたらどうです。るつぼの中にすきとほったものが出来てゐました。大三はよろこんでそれを呑みました。するとアプッと云って死んでしまひました。それが丁度そのばんの八時半ごろ、るつぼの中にできたすきとほったものは、実は昇汞といふいちばんひどい毒薬でした。