小ぐまさんは大変泣き虫でした。朝から晩まで、泣いてばかりゐました。
 ある朝、目を覚まして、お床のなかでじつとしてゐますと、ふいに、鳥小屋のにはとりが「コケコツコー。」となきました。それをきいて、小ぐまさんは、つい、もらひ泣きをしました。が、気がついて見ると、自分ながら、あまり馬鹿々々ばかばかしいので、かう決心しました。
「にはとりのくせに、なくなんて生いきだ。」
 そして、鳥を野原の真中まんなかへもつて行つて、逃してしまひました。それからといふものは、いままで、毎朝食べてゐた、おいしい卵を食べることが出来ないので、小ぐまさんは、一日五十もんめづゝ、やせてゆきました。
 る時、いつもなる、時計が、時を打ち初めましたが、あひにくと、十二打ちました。がまんのならない、長さです。それで、小ぐまさんはいやになつて泣きだしました。そして、あとで腹を立てて、たう/\村の古道具やへその時計を売つてしまひました。それからと言ふもの、お昼頃になつても、ごはんを食べなかつたり、学校へ夕方出かけて行つたりして、小ぐまさんも自分ながらこれには困りました。
 夜になると、電燈がつくのですが、その光りで目がくら/\したものですから、悲しくて、涙が出て仕方がありません。電燈会社にたのんで電線をどけてもらひましたので、夜になると、本箱につまづいたり、窓から外に出やうとして、ひざを打つたりしました。
 けれども、小ぐまさんは、ラヂオを持つてゐたので、その位は、平気でした。椅子いすにこしかけて、一晩中、聞いてゐればいゝのですから。けれども、ある晩、ニユースを聞いてゐますと、かうなのです。
「あなたがたに、さしあげやうと思つて、谷間へみつを取りに行きましたが、はちにめつかつて、ひどい目にあひました。」小ぐまさんはこれを聞いて、すつかり悲しくなつてラヂオをこわしてしまひました。
 卵はたべられないし、ごはんはたべないして、大変やせてしまつて、病気になりました。
 それで、心配した近所の人たちが相談して、必ず、泣き虫がなほる「荒熊病院」へ入院させました。そして、すつかり、泣き虫が、なほつたさうです。みなさんの中で、どなたか、荒熊病院に入院しなくちやならない方はありませんか?

底本:「日本児童文学大系 第二六巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
初出:「子供之友」婦人之友社
   1927(昭和2)年8月
※底本のテキストは、著者訂正稿によります。
入力:菅野朋子
校正:noriko saito
2011年3月9日作成
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