いつも私はひとりで、教室の一番うしろの席について、うつらうつらと窓の外を眺めてゐる文科の学生であつたが、毎時間毎時間そんな風にして居眠りをしたり、屋根を見あげたりしてゐるうちに、恰度私の窓と真向ひにあたる政治部の教室で、やはり私と同じやうにぼんやりとして此方の窓を眺めたり、空を見あげたりしてゐる眼の据つた何処となく鷲を想像させるかのやうな精悍な容貌の学生と顔なじみになつてしまつた。やがて彼は、私と視線が出遇ふ毎に軽い微笑を浮べるようになつたが、何故か私はそんな時、慌てゝ顔を反向けるのが癖だつた。
 或る麗かな天気の日に校庭の芝生に胡坐をかいて私が弁当を喰つてゐると、私の直ぐ傍らでひとりの小倉の袴を着けた学生が胸から上に大きく拡げた新聞紙をかむつて大の字なりに手脚を伸したまゝ大鼾をあげて眠り込んでゐた。板草履が片方だけ脱げて裏返しになつてゐた。袴の紐にぶらさがつてゐるインク瓶が腹の上に載つて、大きな呼吸といつしよに波に浮んだ小鳥のやうにふわふわと揺れてゐた。彼は、大きな口でもあけてゐるらしく新聞紙のそのあたりはさかんな上下動にふくれたり吸ひついたりして天幕テントのやうであつた。
 こんな麗かな日の休み時間には、そこの芝生には気まゝ勝手の姿の学生達が隙間もない位ゐに一杯寄り集ふてゐるのが慣ひであつたから、直ぐ傍らにそんな寝像の者を見出しても別段珍らしくもなかつたのだが、その鼾声がだん/\と高まるに伴れて私は耳ざはりになつて適はなくなつたので、もつと離れたところへ逃れて弁当をつかひ終らうとして、箸をもつたまゝあたりの空席をきよろきよろと物色しはぢめた。
 ところが、さしもに広大な円型の芝生であつたにも関はらず、まるで日向ぼつこに逼ひあがつて来たペンギン鳥か、あざらしの群が寄り集まつてゐるかのやうに、どちらを向いてもあたりは満員であつた。あちらこちらからさゝやきの声やノートをめくる音や暗誦の呟きがおこつてゐたが、彼の鼾が、一番ものものしく周囲の空気を圧倒してゐた。その時向ひ側の誰かが、エヘンといふ如何にも迷惑さうな咳払ひを発した。すると、その鼾声は、それと全く同時にピタリと止つた。私は、「醒めたのかな?」とおもつた。休み時間に眠つてゐようが、笑つてゐやうが勝手なのにあまりあの咳払ひが技巧的だつたので、鼾の男の方が寧ろ感情を害して、咳払ひの男と争ひでも起さなければ好いがなどゝ不図私は憂へたりしたが、幸ひ彼は醒めた気色けはひもなく、新聞紙はぴつたりと顔に吸ひついたまゝで音もなく、たゞ腹の上のインク瓶が微かに浮いたり沈んだりしてゐるだけだつた。
 で私は吻つとして更に弁当をつゞけやうとすると、しばらく静かだつた彼の鼾は間もなくまた、くま蝉が徐ろにぢりぢりと鳴きはじめるかのやうに微かに鳴りはじめたかと思ふとやがてうねりを含んだ調子を出して、再び物凄いとどろきに移つた。――するとまた先程のノートを験べてゐた神経質らしい蒼白い学生が、今度は明らさまに憤つとして、
「エヘン、エヘン! 叱ツ!」
 と舌を鳴らして荒々しく立ち去つて行つた。同時に、また鼾は、ピタリと止絶れたかとおもふと、彼は突然むつくりと起きあがつて、大いに顔を顰めながら二の腕を掻いて、虎のやうな伸びを試みた。そして凄まじい欠伸といつしよにあまりものものしく顔を歪めてゐたので私はちよつと気づきもしなかつたが、彼はふと私に気づくと、余程寝不足らしい不機嫌な顔を乱暴にこすり回しながら、
「やあ!」
 とわらつた。見ると、毎日向方の窓で顔を合せてゐるあの学生だつた。
「あゝツ、眠つた/\! 俺の鼾、猛烈だつたか?」
 と他意なく彼は訊ねるのであつた。
「いや、俺は気がつかなかつた。」
 私は白々しくごまかした。だが彼は私の言葉を信ぜぬやうに横を向いて、
「……教室で俺はこれをやり兼ねないのでな、一生懸命に堪へて、窓の外ばかりを睨めてゐるのさ。」と云つた。
「徹夜で勉強するのか?」
「何処の下宿へ越しても苦情が出るんだよ。止むなく明方ちかくなつて眠ることにしてゐるんだが、学校へ出てからの辛さは遣り切れはせんよ。」
「君が窓から外を睨めてゐる様子は哲学者沁みて見えたが、それぢや単に、眠気を堪へてゐるだけだつたんだね。」
「うむ――」
 と彼は大きく点頭いたが、鷲のやうな感じのする自分の鼻先を鋭気な眼つきで凝と見降すやうに眼蓋を伏せて、
「鼾声雷の如しなんていふ自惚れは凡そ現代には通用せん厄病だよ。俺はつくづく厭世的になつてしまつた。」
 と云つたかとおもふと、あツはツは……と突然大きな笑ひ声を挙げ、直ぐにまた鷲のやうな顔に戻つて、凝つと指先きから立ち昇る莨の煙りを視詰めてゐた。
 そんなことから私達は知合ひになつて、彼は直ぐ近くの戸塚の下宿にゐるから寄らないか、弁当は俺の部屋に来て喰はないかなどゝすゝめるのであつたが、つい寄り損つてゐると、それから幾日か経つて何時ものやうに私が向方の窓を眺めてゐると、其処より他の席には決して坐らないと云つてゐた彼の姿が見あたらなかつた。そんなに外ばかり眺めてゐる癖に彼は私と同じように決してこれまで欠席したことがなかつたので、私は、オヤ! と思つた。
 翌日も翌々日も彼の姿は見あたらなかつた。それまで私は彼に別段と親しみを持つてゐたわけでもなかつたのだが、いつも必ず其処に居た彼の姿が見えないで、その席は彼のときまつてゐるかのやうに誰もとらずにある末席の窓ぎわが、ぽつかりとして、人物の居ない窓の景色に変つてゐる様子を見ると、私は何といふこともなしに、厭世的で仕様がないなどゝ呟き、その度毎に厭世風でないかのやうな哄笑をあげて、そして凝つと白けて鷲のやうな顔を保つてゐる彼のことが気がゝりになつた。大鼾と厭世観などゝは、滑稽な程不似合な対照で、馬鹿々々しくあつたが、何故か私は不安を誘はれた。それで私は、いつか彼が呉れた筈の名刺がノートの間にはさんであるのに気づいた。私は自分の名刺などは持たなかつたし、それに下町の方の親戚にゐたので要もなからうと無精を決め込んで、その時もたゞ早口で姓名なまへを答へたまゝ彼の名刺だけを貰ひ放しにしてあつたのだが、そんなことも負債のやうに思はれて来た。彼の名刺には小鐘登といふ姓名の上に××大学政経科二年生、Y県人会幹事といふ肩書が誌されて、また左隅の住所のところには東京市――――――番地――――電話――と、それだけの文字が活字で印刷してあつて、空所に、時に応じての町名や番地数を、そしてまた、必ず何処かに寄宿するものと決めてゐるらしくといふ活字の上にその家の姓を記入する具合になつてゐた。余程、ひんぱんに転居するが為なのかも知れないが、それ位ゐの手数を省きたいために、それだけの符号しるしだけを印刷して置くなどゝは、仲々の事務的な人物なのだらうと私は思つたが、が、窓から空ばかりを見あげてゐる彼の様子から左ういふ規頂面きちやうめんさを想像するのは六つかしかつた。

  ××大学政経科二年生
  Y――県人会幹事
     小  鐘    登
       東京市  区  町
         番地   方
         電話     番

 つまり上掲の如き名刺でその時のは鉛筆で処番地が書き込まれて、電話の個所は空のまゝであつた。
 私は、その日は朝の一時間で授業を休んで、小鐘登の訪問に向つた。真に丁寧な略図が書いてあつたので戸塚町の小鐘の宿は直ぐに見当がついた。花屋と薬屋の間の露地を突きあたつた古い二階屋で、格子戸の脇に「御仕立もの致します」といふ木札がさがつてゐた。格子戸のうちには、女の下駄が土間一杯に脱ぎ散らされて娘達のさゞめき声が洩れてゐた。
 私は、格子戸に手を懸けるといつしよに稍武張つた音声で、
「御免下さい。小鐘君、居ますか?」
 と一息で訊ねた。内側から障子が開かれると、直ぐそこの居間では十人に近い娘達が縫物に専心してゐるところだつた。そして、師匠らしい、襟のうしろにハンケチをあてゝゐる老婦人が、
「小鐘さんは一週間ばかり前にお越しになりましたよ。」
 と碌々顔もあげないで答へた。そこで私が追ひかぶせてその転居先を訊ねると、老婦は不承無精に立ちあがつて長火鉢の抽出しから小鐘の例の名刺を取り出して私の前に置いた。牛込区馬場下町××番地、友田恭平方と書き入れてあるまゝを私は手帳に誌して、そこを辞した。早速友田方を尋ねると煙草屋で、主人の恭平らしい親爺が、三日前に彼は水道町とかへ越したと云つて、あの名刺を示した。今度のは専門の下宿屋らしく電話番号が書き入れてあつたので、私は早速自働電話を探して掛けて見た。
「あゝ君か、好く訪ねて呉れたな。とても嬉しいぞ、直ぐ来て呉れ。」
 小鐘は心底からうれしさうな声を挙げて道順を教へた。
 彼は通りに面した二階の窓から往来を見降してゐて、私の姿を見つけるやいなや、
「こゝだ/\、早速頼みたいことがあるから大急ぎであがつて来て呉れ。」
 と元気の好い声で、手招ぎするのだつた。
「恰度好かつたな。直ぐに引つ越すぞ。是非手伝つて呉れ。」
 引越男といふ仇名が付いてゐる程で、友達が来さへすれば引越の手伝ひをさせるので此頃では誰も来る者がなくなつてしまつた――などゝいふことを云ひながら彼は、もう押入れから夜具の包みを抱え出してゐた。
「仕立物屋にも居たんだが俺は何も娘が集るからといふんであんな二階を借りたんぢやないぜ。はじめは勤人が居たんだが、俺の鼾に子供がおびえて仕方がないと云ふので、向方が越して知り合ひのあゝいふ師匠が移つて来たのだつたさ。ところが今度は、あの娘達に俺の鼾が話題になつてしまつて、奴等は俺の顔さへ見れば恰で俺を滑稽人物か何かのやうにもくしてゲラゲラと笑やがるんだ。あんな大鼾の男と結婚したら何うだらうツてことが、余程可笑しいと見えるんだ。階下まで響くといふそんな鼾を考へ、そんなに笑はれたりするのを思ふと何だか俺も柄にもなく寂しくなつてしまつてね、早速煙草屋へ移つたところが、あの親爺といふ奴が妙に意地悪るでね、小鐘さん見たいな人が居ると泥棒の要心に好いなんて云ふんで……」
「つまり鼾ばかりに煩はされて、引つ越をするわけなんだね。」
 と私は同情を寄せると、
「馬鹿気過ぎてゐて話にもならんがな。一つは此方も気が弱いのさ。」
 彼はてれた苦笑を浮べた。「然し勿論それも左うだが、ただ無闇と俺は引越さずには居られない自分ながら因果な癖を持つてゐるんだよ、一種の放浪癖に違ひないんだが、これが若し青年時代の夢遊病的なものではなくつて一生の病ひなんぢやないかと思ふと、途方もなく怖しくなつて眠れもしないんだ、新しい宿に着いて最初の晩だけはぐつすりと眠れるんだが、二晩目からは何うすることも出来ない木兎づくになつてしまつて、午後になつて、さて眠つたとなると大いに近所に迷惑を掛けてしまふんだ。この隣りの男は弁護士になる準備で夢中なんだつて!」
「どうして学校へ来なかつたの?」
「あれこれと先々のことを考へるとすつかり悒鬱になつてしまつてね。毎日、戸山ツ原へ午寝に行つてゐたゞけなのさ。」
「今度は何処へ越すの?」
「ぶらりと外へ出かけてから、行きあたりばつたりに探すのだ。直ぐに出かけよう。みちみちはなすことゝして……」
 小鐘は小さくからげた夜具包みを無造作に机の上に載せて、二人で机のあとさきを支へて出発するといふのであつた。
 私はあかくなつてしどろもどろだつたが、先に立つてる小鐘は悠々として、あちこち二階を見あげたり、俺も文科を志望すれば好かつたなどゝわらつたりして、ぶらりぶらりと江戸川べりを歩くのであつた。
 滝の音が微かに聞えて来る青葉の下に来かゝつた時には私は少々焦れつたくなつて、
「休まう。」
 と云つて、机を道端の草の上に置いた。そして小鐘は途中で買つたバナヽなどをすゝめたが私は食ふ元気も起らないでぼんやりしてゐた。
「あれ、滝の音か?」
 小鐘は果物を頬張りながら耳を傾げた。
「さうさ、大滝だよ。君は耳が遠いのか?」
「少し鈍いらしい。それは左うとあの滝の傍に貸間があつたら好からうがな……」
 左う云つたかとおもふと彼は、烏のやうな声でカラカラと笑つた。そして誘はれもしないで憤ツと腕組みをしてゐる私には頓着なく、いつまでも笑つて蒲団の上に突つ伏した。私はさつぱり可笑しくもなく、益々いらいらとして来てたので、彼を促して机を持ちあげ、滝の上の橋を渡つて、目白台の坂を登つた。――
 間もなく春の休みとなつて私は近くの故郷へ帰つたが、遠方のために帰郷もしない小鐘からは、しげしげと転居の通知があつた。いつもあの名刺に次々の処番地を書き入れ、裏に略図を書いたものを封筒に入れて寄すのであつた。あの時以来私も彼を訪れるのは二のあしが踏まされたのであるが、また東京に戻つて見ると、何となしに彼の筒抜けたやうな奇体な嗤ひ声が思ひ出されたり、手伝人を探すために苦労してゐることだらうなどゝ考へたりすると、私は急に小鐘が懐しくなつて来たので不図また或る朝高田馬場の近くとあつた彼の名刺を当にして尋ねて行つたのだ。珍らしくも今度は一ト月ばかり前にその通知を受けとつたまゝだつたので、さすがに落着いたのかと思ひ、他人事ながら何やら吻つとするものを覚えたのである。私にしろ、彼のあれが亢じたならば終ひには何うなることか? と名刺を贈られる度に寒心に誘はれてならなかつたのである。私は、いつも変らず日記をつけてゐる習慣なのだが、その頃の項を開いて見ると、殆んど二三日おきに、何うかすると隔日毎に、彼の転居状を享けてゐた。
「小鐘さんですか、ほんのもうちよつと前にお越しになりましたよ、ひとあし違ひでしたな。」
 笠原といふ植木屋の主人が気の毒さうに左う云つて学校の方の路を指さしたので、私は大急ぎで後を追ひかけたが何処にも彼の姿は見出せなかつた。翌朝になれば通知が来るだらうと思つたが、酷く私は寂しくなつてそのまゝ独りで上野へ廻つて動物園へ這入つた。
 夕暮時になつて私は寄食先ゐさふろうさきの親戚へ戻るために堀留で電車を降りて問屋町の方へ曲つて行くと途上で従妹の輝子に出遇つた。
「小鐘さんといふ方がいらしつて、さつきからあんたを待つてゐるんだけど、何うしてもおあがりにならないのよ、困つちやつて、妾いまあんたを見に来たところなの――」
「えツ、小鐘が来てゐるツて!」
 私は夢中で駆け出して行つた。机と夜具包みを載せた小さな手車の梶を門先に降して、小鐘はそれに凭り掛つて空を眺めてゐた。袴の紐にはインク瓶がぶら下り、懐ろからはノートがはみ出してゐた。彼は、下町の地理が全く不案内で、朝のうちに高田馬場を出発してあちこちと借間かしまを物色しながら神楽坂を降り、九段へ出て神田界わいをまはつたのだが、どうも思はしいところが見つからぬので、いつそ私を誘つて手伝つて貰はうと梶を此方へ向けたのであるが、さんざんに道に迷つた揚句漸くもう少し前に此処に着いたのだが――。
「あの人は君の従妹なのか? 言葉が凄くきびきびしてゐて、俺は度胆を抜かれたよ。芝居に出て来る下町娘の通りだな。俺はあんな美人を始めて見たよ。」
 彼は、私が労を犒はうとしてゐるのも諾かずに輝子が内に這入ると同時にそんなことを云つてゐた。
「おしやれだから綺麗に見えるんだが、好く好く見ると大したものぢやないさ。」
「君とは婚約でもあるのか?」
「冗談ぢやない、悉く趣味が合はないんで喧嘩ばかりしてゐる仲さ。それはさうと俺の部屋へ上らうよ。三階だから平気だよ。」
「さつきからあの人にさんざんすゝめられてゐたんだが、厭に体が震えて駄目なんだ。俺は帰るよ。」
「泊つて行けよ。明日でも一処に探しに出てやるから。」
「この車は買つたんだよ、古いのを――」
 毛織物の輸入商であつた其処の店で小鐘が働くようになつたのは、それから間もなくのことであつた。はぢめは私の部屋に同居して店へ通つてゐたが、やがて彼は近所に部屋を探して移つた。
 店には学校へ行く傍ら忠実に通つてゐたが、相変らず転居癖は続いてゐると見えて、誰も彼が何処から通つてゐるのか気にするものもなかつた。輝子は女学校を終へて一二年経つた時分で英語の専門学校へ通つてゐたが、学校が嫌ひで芝居にばかり凝つてゐた。私が英語を教へる役目だつたが、二タ言目には喧嘩となつて埒があかなかつたので、その頃から小鐘が代つてゐた。私と輝子はタイプライターの練習を競争してゐたが忽ち私の方が上達してしまつて、いつか私は一つぱしの事務家気取りになつてゐた。然し私は商用文などは決して綴らうとはしないで、英詩の抜萃ばかりを打つて、とぢ込みをつくることに余念がなかつた。
「小鐘さんが、もう四五日見えないんだけれど何うしたんでせう?」
 或晩私が活字の音をたててゐる傍らに輝子が来て訊ねた。
「先生が来ない方が楽で好からう。」
「でも来ないと少し心配になるわ。居る処、何処だか知つてゐる?」
 恰度私達がそんなことを話してゐるところに暫く振りで小鐘からの手紙が来たので、見ると、自分には矢張り下町生活は不適当であるから早稲田へ戻る、世話になつたことの感謝は云ひ切れぬから君から重々申しつたへて呉れといふ意味が長々としたゝめられてあつた。それを私が、輝子に示すと、だんだんに彼女の気色は曇つて来て、やがてハラハラと涙を滾しはじめたのだ。私はそんな彼女の神妙な様子を見た験しがなかつたので、驚いて、
「お前が何か意地悪るでもしたんぢやないのか?」と詰問した。彼女は激しくかぶりを振つて、
「あの人は不思議なんだわ!」
 と云ふのであつた。好きなのか嫌ひなのかも解らなかつたし、無論恋などゝいふ感じもある筈はないのだが、居なくなつたとおもふと妙な懐しみが涌いて来るやうな、そして何となくその人の行手が不安に思はれるやうな止め度もなく爽々しい人物だ――といふやうな意味だつた。
「輝ちやんは小鐘の鼾をきいたことがあるのか?」
「知らないわ、そんなこと――」
 私が彼の引越病の原因を語ると、輝子は泣き笑ひに顔を歪めて、
「それあ手術さへすれば治るのよ。早速、尋ねて行つて、すゝめてやらうぢやないの、入院料は妾が引きうけるわ。」
 などゝ云ふ勢ひだつた。
 倉の裏に小鐘の手車が永らく投げ棄てゝあつたことを私は思ひ出して、急いで験べに行つて見ると、案の条それは引き出されてあとかたもなかつた。もう五日あまりも日が経つて、加けにあの車を持つてゐるからには何処まで行つてしまつたことやら涯しもつかぬやうな気がして、私は憮然とした。
 翌朝珍らしく輝子は早起して、学校へ行く振りで靴を穿き、私と伴れ立つた。
「妾は、小鐘さんが、やつぱしほんとうに好きだといふことが、今になつて、だんだんはつきりして来たわ。」
「彼は意志が強くて、男性的だ。」
「今日、会へなかつたら妾はとても苦しくなりさうだわ。」
 おや/\! と私はその時思つた。私達は戸山ヶ原を横切つてゐたのだが、輝子の調子は次第に激しくなつて、次第に私はてれ臭くなり終ひには嫉妬さへ感ずるらしくなつて来た。普段は仲が悪くて、それに日本髪を結つたり、雛妓おしやくのやうな恰好をしたりして役者などの噂ばかりしてゐる彼女に私は反感を覚えて、凡そ客観的にさへ魅力などを覚えた験しもなかつたのだが、今の輝子の様子は如何にも颯爽とした女学生風で、これが見かけに寄らず、そんな素晴しい恋情などを抱いてゐる者かと思ふと、私は急に咽つぽくなつて、通りすがりの若者などから厭味な咳払ひなどを聞かされると、酷く馬鹿/\しく迷惑なやうな空しさゝへ誘はれて、自分ながら驚く位ゐであつた。
「こいつは何うも飛んでもないことになつてしまつたな。我まゝ娘が、逆せたとなつたら仕末が悪いぞ。」
 私はわざと落つき払つて、冗談さうに呟いたりしたが、輝子は笑ひもせず稍蒼ざめた面持で凝つと虚空に瞳を凝してゐた。
「若しも小鐘と結婚でもしたら、一生引つ越しの手伝ひばかりさせられるぞ。」
 私はそんな風にからかつて、どうかして輝子を笑はさうと努めたが、一向効めもなく彼女は憂ひに満ちた眼で凝つと小鐘の名刺を視詰めるばかりであつた。
 下戸塚を二軒訊ねて、それから戸山ヶ原を横切つて大久保へ渡つたが、そこで更に、彼は高円寺の先の何某といふ寺に移つたと聴かされた時には、私もがつかりして、耳の底に追ひ切れない彼の車のごろごろと鳴る轍の空音そらねを感ずるばかりだつた。
「輝ちやん、足労くたびれたらう。」
「いゝえ、ちつとも――」
 と輝子はかぶりを振つた。女学生の癖に男のあとを追ふなんて、何といふ慎しみのない奴だらうと私は、胸のうちで呟くのであつたが、それが何うもやきもち沁みた口惜し紛れのやうでならなかつた。
「今日は、これ位ゐで引きあげようか。」
「だつて、そうすればまた何んな遠くへ行つてしまふか解りはしないわ。妾、どうしても渡してやりたいものがあるのよ。」
「手紙か。」
「いゝえ。お金なのよ。」
 と暫く考へた後彼女は答へた。そして苦学をしてまでも勉強を続けようとしてゐる小鐘の凜々しさが頼もしく思はれてならないのだといふのであつた。その時示した彼女の貯金帳には五百円あまりが記入してあつて、これをこのまゝ彼に贈らずには居られないといふのであつた。
 駅から半里も歩いた野中のうらぶれた寺に着いた時は、もう夕暮近くなつてゐた。庫裡の横手に小鐘の荷車が梶を上にして立てかけてあるのが目に入ると、私と輝子は思はず手を握り合つて、吻つと溜息を衝いた。私は若しや鼾の音でも聞えたら愉快だなと耳を澄せながら、やがて声を張りあげて、
「小鐘――小鐘……」
 と、撥釣籠はねつるべの向方の、夕陽をまともに浴びて赤く光つてゐる離室はなれの障子に向つて、救けでも呼ぶかのやうに叫んだ。――昼寝の夢がたくましいのか? 呼んでも呼んでも小鐘の返事はなかつた。
「輝ちやん、お前呼んで御覧よ、あいつは屹度空呆けてゐるのかも知れないから。」
 私に云はれて輝子が、「小鐘さん、小鐘さん――」と呼ぶと、本堂の方から若い住職が現れて、輝子の姿をじろ/\と眺めながら、小鐘はほんの前の晩に急に引きあげて国に帰つた由を告げた。
「…………」
 夏草が一杯に繁つてゐる夕陽の中に、ぼつとたゞずむでゐる輝子の姿が、煙りをはらんで幽霊のやうに美しく私の眼に映つた。私は、その時促すことさへ怖るゝ心地で彼女の姿に吸はるゝやうに見返つてゐたが、そしてその時何んなことを話し、何んな風にして帰つたか、悉く忘却したが、あの瞬間の彼女の瑰麗な氷のやうな印象は今も鮮やかである。それは眼のあたりに見る彼女の姿からは想像も及ばない不思議な画像である。
     ――――――――――
 一年余り経つて私が小鐘から受取つた手紙は南洋スマトラの発だつた。それに依ると彼はあの寺を最後として国へも帰らず店で働いた金を旅費にして南洋に渡つてゐたのである。
「僕は自分の鼾がそんなに他人に迷惑をかけることを思ふと到底内地になどは住めぬ気がして、到々此処まで来てしまつた。探険家としての孤独の生涯を此処に求めるつもりだ。」アドレスが書いてなかつたので、そのまゝになつてしまひ、二三年経つて輝子は養子を迎へてゐた。
 それから十五年ちかくの月日が経つて、去年の夏のことであつた。「文藝春秋社」の気附で、セレベス発の小鐘の手紙を私は受けとつた。
「僕が樹上の番小屋に眠つてゐると、奇妙に獲物がワナに落ちるんだよ。」
 或るイギリス人が経営する猛獣捕獲団の一員として働いてゐるといふ小鐘は猛獣を生捕りにする手段に関して詳しい方法などを書いて寄した。そして彼の方法は独特のものとして評判が高く、近々単独の経営に移るといふ気焔を挙げてゐた。――また小鐘からは頻繁に手紙が来るようになつたが、封書の裏にはりとホテル気付といふ記号だけが印刷されてあつて、時に応じてのアドレスを書き容れてあつた。或る時の手紙には、昔高円寺の寺に棄てゝ来た手車を思ひ出したなどといふことも書いてあつたが、私以外に彼に好意を持つた人物もあつたといふことに就いては夢にも気づいてはゐなかつた。
 輝子の家の家業は栄えてゐるが、妙なことには去年から中学生となつた長男が放浪癖が甚だしくて頭痛の種にされてゐる。そして大きな鼾をかくのが習慣だとのことである。小鐘が去つて三年も経つて結婚したのに、そんな影響を見るのは可笑しいと、つい此間も私は長男の放浪癖を持てあましてやつて来た輝子と、わらひ合ひ、やがてはその子を小鐘の会社へでも入れて貰ふことにしようではないかと相談した。

底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「文藝春秋 オール讀物 第三巻第七号」文藝春秋社
   1933(昭和8)年7月1日発行
初出:「文藝春秋 オール讀物 第三巻第七号」文藝春秋社
   1933(昭和8)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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