アンデルセンなら、お得意の童話の擬人法で、〈戦争……それは最後の装甲を解き、おのがベッドへ寝に行った〉とでも書くところだろう。
日本は降参した。とうとう奇蹟は起きなかった。
一夜のうちに大西洋の底へ沈んだアトランティド大陸のように、連合国がみなスッポリ海へ沈んで無くなってしまえと熱烈に期待していたが、駄目だった。芝生にふりそそぐ陽の光も、木の上を通る風の色も、なんの変りもないように見えるけど、これでもう今朝までのものとはちがう〈何物か〉なんだ。
それにしてもなんというすッとぼけた晴れようなんだろう。五年前の六月、フランスが降参した日もちょうどこんないいお天気で、〈空はあくまでも澄み、空気はさわやかで、このときほど美しい巴里はかつてなかった〉となにかの本に書いてあった。統計歴史学のお説だと、大きな国が倒れたり英雄が死んだりする日は、たいてい天気がよかったそうだから、その点では文句もいえない。
庭境いの夾竹桃の下で、ルルがごろごろ身体をころがしたり自分の尻尾にじゃれついてグルグル廻ったりしている。いかにもあそんでもらいたそうなようすだ。ご放送がすんでからママのおつきあいをしてロッキングに掛けていたが、べつに面白いこともない。クラブへ行ってみようとそっと立ちあがると、すかさずママがたずねた。
「どこへいらっしゃるんです」
「ちょっとクラブへ」
「クラブになにがあるんですか」
「なにがあるか、行ってみないとわかりませんのですけど」
「あなたはどうしてそうジタバタするんです。今日ぐらいは落着いていられないんですか」
うちの賢夫人は丑年生れの大人物で、覚悟をきめて坐りだしたら、背筋をおッ立てたまま、まる一日でも動かずに坐っていることができる。娘時代はひどい物臭さで、お琴も、お花も、ピアノも、手芸もうるさいことは一切やらず、一日中、居間でしんとおしずまりになっていた。パパは懶惰の美とでもいうようなのろのろの魅力にひっかかって結婚を申し込んだが、コセコセした才女型が外交官のお嫁さんの定型だった時代なので、法王庁におけるルーテルのように各方面から非常なヒンシュクをかったということだ。
パパ説では、妻君というものは、いるようないないような、たとえば雨とか虹とか、そういう自然現象のように、なんとなくまわりにトーヨー(たゆたい、漂うこと)しているのが理想なんだそうだが、新婚早々、二人で旅行したとき、汽車が東京駅を出て神戸へ着くまで、ママが姿勢を崩さずに悠然と坐っていたのにはおどろいて、こいつは馬鹿でないのかと心配したそうだ。
ところであたしは申年生れの小人物で、天気のいい日には先祖の原始感情がめざめ、枝から枝へ伝って歩きたいような衝動に駆られ、お尻がむずむずして椅子になんか落着いていられない。下手に無理をすると、血の中の先祖の猿が腹をたてて、おれをどうするんだ、おれを。キャッキャッと金切り声をたてながら身体じゅうをくすぐる。
猿は牛とちがう。牛のようにやれといったってやれるわけはない。それに満寿子さんの〈あの方〉と〈和平工作〉と〈アメリカ〉の三角関係がどう解決したか気にかかる。
「ともかくちょっと行ってきます。用事を思いだした」
あたしのいうことなんかてんで問題にしない顔でママがいった。
「あなたは今朝もいらしたでしょう。今日はもういいにしておおきなさい。戦争が終ったからって、すぐ解放されたような気になって、フラフラ遊びまわったりするのは利巧なひとのすることではありません。ママは反対よ」
「その点なら同感ですよ、ママ」
「これから先きどうなるのか、調印式がすむまではまだまだたいへんなんですから、もうすこししっかりしていただきたいですね」
「かしこまりました、夫人さま」
「ふざけるのはいい加減にしておきなさい。あなたっていったいどういうひとなんでしょう。こんな特別な日に平気な顔でいられるというのは」
平気な顔ってどんな顔のことか知らないけど、あたしの顔は生れつきこんなベティさんみたいな顔なんだ。頭の鉢はうんとおっぴらき、眼はびっくりしたようにキョロリとし、鼻は孫の手みたいにしゃくれている。おかあいらしいなんていってくれるひともあるけど、それはフロイドのれいの〈言いちがい〉というやつで、じつのところは〈変っている〉というつもりだったのにちがいない。夕陽があたると、火がついて燃えあがるかと思わせるかのふしぎな赤毛は、年頃になるとすこし下火になったが、脛のほうは時代とともに太くなって、どう見てもスラリとしていますなんていえない。
顔も、腓らッぱぎも、どこもここものんびりしていて、こんなパテティックな日には向かないとんまな出来なもんだからとかく誤解を受けて損をするが、平気がケロリという意味なら、あたしにもすこしいうことがある。
日本人がじぶんの国の敗けたことばかりいっていると、中国やフィリッピンに笑われるそうだ。これについてはトーマス・マンがうまいことをいっている。〈独逸人はじぶんの国が敗けたことに病的な誇りをもっている。破滅させた他国民の惨状は知らぬ顔で、ひたすらじぶんの悲劇に陶酔している〉って。
あたしたちは民族全体としての大きな不幸に逢ったことがなかった。ノルマン人に征服された英国人の苦しみも、プロシャに負けたフランス人の怒りも、いくども亡国の民になったポーランド人の絶望も経験していない。細長い平和な国にのんびり生きてきたので、戦争に敗けた悲しさなどは、いまのところまだ感じることも理解することもできない。つまりママのいう〈平気な顔〉なんだが、これでもママなんかの知らないところでポタポタ涙を流している場所が一カ所あるんだ。
「こんな顔も困ったもんだね。日本が敗けたというのに、馬鹿みたいに笑っているんだ」
ママはなにもいわずにだまって庭をながめだした。ママの日常はつかまえどころがないほど大きく、怒っているときでもふだんの顔とちがわないので油断していると、だしぬけに手が伸びてきて、襟がみをつかんで猫吊しにしたりする。しずまりかえっているようでも、なにが飛びだすかわからないのでうっかりしていられない。そろそろと椅子をずらして広縁の端でようすをうかがっていたが、いっこうなにもはじまらない。いくらなんでも静かすぎるのでのぞいてみたら、ママは庭へ顔を向けたままスヤスヤとおしずまりになっていた。
まったく無理もないというところだ。昨夜の〈宮城占領事件〉で、パパもママもあたしもとうとうまんじりともしなかった。戦争は二月に終るといったり、四月だといったり、五月、六月、七月、八月と毎月のように予言がでた。この二月以来、パパもママもただの一日も人間らしい寝かたをしていない。
七月二十一日の桑港放送が、〈条件は無条件降伏でも、取扱いは日本の抵抗期間の長さによって決定されるだろう〉という意味深長な放送をしたというので、あまり強がりをいっていると、せっかくの〈手加減〉をだめにしてしまいはしないかと、あたしのような子供まで毎日おろおろしていた。
十日の午後、〈女子挺身隊第一号〉……前関白総理大臣ドオショオ閣下の“みっともないお嬢さん”の一の乾分、桜会の咲子さんが厳粛な顔でやってきた。
「今朝の午前三時に終戦の御前会議がおわりました」
あたしは気のない顔でいった。
「また終戦か。これでもう二十六回目だ。その話なら聞きあきたよ」
「こんどこそほんとうなの。それで今夜の十二時にラジオで降伏の申入れをするんですけど、もう手遅れなんです。連合国は日本国民を抹殺することに相談をきめて、〈抹殺宣言〉の原子爆弾を今夜の八時から十時までの間に世田谷へ落すんだって。次の汽車で長崎へ逃げましょう。切符は買ってあります」
すごいことになったもんだ。あたしがおおあわてにたずねた。
「たいへんだ。長崎へ行って、それからさきどこへ逃げるの」
なにがお気にさわったのか、桜会はだしぬけに怒りだして、
「失礼ね。あなたみたいな馬鹿なひと、原子爆弾でふッ飛ばされてしまうといいわ」
とプンプンしながら帰って行った。
桜会の咲子さまは、池の魚のあばれかたで丹那の地震を言いあてた地震学者のお嬢さんだから、また鯰のご神託でも受けたのだろうが、どこに手ちがいがあったのかその日は空襲さえお休みで、ひと晩じゅう耳鳴りがするほどしずかだった。
フランスが独逸と伊太利へ休戦の申し入れをした六月十七日の放送で、八十一歳のペタン老首相が〈戦争をやめるようにつとめてみなくてはならない〉というべきところを、原稿の tenter de(つとめてみる)という言葉を読みおとして〈戦争をやめなくてはならない〉と放送したので、孤立した陣地で英雄的な抵抗をしていた全フランス軍は、涙をのんでいっせいに降伏してしまった。政府はあわてて、〈フランスの全軍に告ぐ。ちょっと待ってくれ。休戦の申入れをしてみてみただけで、戦争は終ったのではない。早まって降参なんかしてはいけないんだ〉と訂正の放送をしたが、そのときはもうあとの祭りだった。
ペタン首相が〈涙で眼が曇って字がよく見えなかった〉と弁解したら、ド・ゴールが〈たぶんお齢のせいでしょう〉とロンドンから憎まれ口をきいたが、フランスはいいところで手をうったので名誉だけは救われた。六月二十五日の〈国民に告げる言葉〉で、政府の自由はなお残り、フランスはフランス人のみによって行政されるだろうといっていたのが記憶に残っている。
貫太郎さんはペタン首相より六つも若いから、読みちがいなんかするはずはないが、日本はギリギリまでやってしまったので、フランスのようにはいかない。たぶんひどくみじめなことになるのだろう。あたしたちが心配していたのは、こういうディクティテッド・ピースになることだった。日本がポーランドのように負けっぱなしになって、日本人が旅券なしで世界中の貧民窟をうろつきまわらずにすむように、戦争継続派の頭に、このへんで切りあげるほうが利巧だという霊感のようなものがひらめいてくれないものかと、そればっかり祈っていたが、日本が早く降参すればいいなどと、ただのいちどもかんがえたことがなかった。
昭和十八年に日本へ帰ってきたその日から今日まで、あたしたちは一日の休みもなく戦争に協力した。一年半のあいだ、寝るにも起きるにもスラックスをぬいだことがなかった。男女国民総出陣の〈義勇隊兵役法案〉が通過したときも、草掻きの熊手で海兵隊とやりあうチャンスにめぐまれることも、すこしもおそれていなかった。
四代目クラブのクラブ・ハウスとあたしの家のある谷のうしろの台地は、べたいちめんに高射砲陣地で、射ちあげるたびに船酔いするくらい家が揺れ、雨やアラレと落ちてくる砲弾の破片で屋根瓦は一枚のこらず撃墜され、天井のスタッコは全員玉砕してしまった。陣地から立ち退けとうるさくいってきたが、パパも四代目クラブも一億総逃亡式の疎開に腹をたてていたので、なんといわれてもがんばって動かなかった。
四代目クラブのオール・ウェーブは早やばやと憲兵が持って行ってしまった。パパの書斎にあるやつは古びたりといえども〈トゥ・フランス〉型の六球だからカスカスぐらいには入るだろう。ドオショオ閣下の有名な〈法律第四十九号〉によって、一般市民がみだりに海外放送をきくと国防保安法違反で憲兵隊へひっぱられることになっているが、まだいちども敗けたことのない土つかずの日本が、どんな凛々しい休戦申し入れをするか、世界史のこの偉大な一頁は、どうしたって聞きのがせない。十一時すぎにうちの賢夫人がおしずまりになったので、子供芝居の悪漢の登場のようにヴァイオリンの震音つきで、ぬき足しのび足でパパの書斎へ忍びこんだ。
なんだかしらないけどぞっとするほどすごいんだ。このほうが面白くなってラジオなんかどうでもよくなったが、それでは国民の信義に欠けると思って、ダイヤルをひねくりまわすうちに、空の高いところをサラサラとわたって行く秋風のようなわびしい音が流れだしてきた。
セットの横っ腹に耳をつけると、〈戦争〉とか〈惨禍〉とか〈終止させることを〉とか、そんな言葉が風に吹きちぎられる酔っぱらいの歌声のようにとぎれとぎれにひびいてくる。虫の声もきこえないしんとした夜ふけに、ほそぼそとした白鳥の歌を傍受していると、日本がかあいそうになってきて涙がでた。
十一日の朝、広島へ現地視察に行ってきた理研のRさんが、クラブの朝食会で原子爆弾のすごさや広島のアビ叫カンの惨状について自由講話をしたあとで、ヴェランダでみなとお茶を飲みながら呆れ顔でいった。
「ピカッと光った一瞬に、第二総軍だけで戦死が八万に戦傷が二十万……日露戦争の二年間の全損害より多い犠牲者を出しているのに、新爆弾おそるるに足らずなどと強がりをいっています。いくら説明しても原子爆弾だと認めようとしないんですからね」
村井の陸さんがいった。
「畑なんて野郎は、最近、宮中にだいぶモヤモヤした空気があるようだが、新型爆弾のことを心配しているのなら、おれが出かけて行ってあくまでも頑張らせるなんてバカな気炎をあげているそうじゃないか」
「そうなんですよ。あの翌日、九州の第十四方面軍と大阪の第十五方面軍の司令官を広島へ呼んで、本土上陸にたいする作戦会議をやっているというんだから僕もやられた。人間というものはどこまでバカになれるかという、動物試験のデータを見せられているようでつくづく無常を感じました。こういう進行状態では原子爆弾の東京訪問は必至ですね。観念するほかないです」
十二日は一日じゅうサイレンも爆音もきかなかった。日本はアメリカに忘れられてしまったのではないかというような印象をうけ、そうだったらずいぶんうれしいとよろこんでいたら、十三日は朝の五時から夕方の五時まで、アメリカ空軍の現有勢力がみな引っ越してきたかと思われるような空中大ページェントの続演で、休戦の夢なんかどこかへふッ飛んでしまった。
情けなくなってクラブへ出かけて行くと、六右衛門さんと長謙さんと満寿子さんが、K公爵の秘書のHさんとヴェランダで話していた。今朝早くスイス政府経由で連合国側の正式回答を接受したが、そのうちの第一項と第四項が問題になって、無条件受諾と受諾拒絶に意見がわかれ、午後の閣議も結論がでないままで散会した。いま外相が両総長と逢っているが、あいかわらず意見が対立し、和平ののぞみがなくなったというようなことだった。
三十分ほどするとN新聞のTさんから、閣議中から陸軍部内に動揺の色が見えていたが、クウ・デタによる和平阻止の策動が露骨になり、四時ごろ阿南陸相をだしぬいて〈軍は全面戦争を決議せり〉という大本営発表をしようとした。このほうは間一髪というあぶないところでおさえたが、〈バドリオを倒せ〉という抗戦デモのビラをさかんに撒き、さっき外相官邸へ手榴弾を投げこんだものがあるといってきた。
六時ごろ、長謙さんが電話へ立って行ったが、緊張した顔で帰ってきた。
「いよいよ東京へ原爆が来るか。短波で傍受したところでは、回答にたいする日本側の意志表示が遅れているので、留保の裏になにか企図がひそんでいるんじゃないかというので、連合国側の態度がひどく硬化してきたというんだ。艦隊が房総沖に待機していて明日の朝までに日本側の通報がないと、東京総攻撃を開始するというようなニュースまで入っているそうだ」
満寿子さんがいつになく高い声でいった。
「結局のところ、アメリカは日本民族を[#「日本民族を」は底本では「目本民族を」]抹殺してしまうつもりなのね」
長謙さんがびっくりしたようにいった。
「まさかそんなこともないだろうけど」
「いいえ、そうなのよ。主権の問題にしたってそうでしょう。〈ポツダム宣言には、天皇の国家統治の大権を変更する要求を含んでいないという了解のもとに〉という留保条件をつけて受諾したのに、それについてはなんの挨拶もないじゃありませんか。日本政府の形態は、日本国民の自由に表明する意志によって決定されるという第四項なんかは、あの方の主権を否定する肚だということがありありと見えすいているわ」
長謙さんが困ったようにボソボソいった。「でもね、〈天皇の主権は連合軍最高司令官の指揮のもとにおかれる〉と、ことさら〈天皇の主権〉という言葉をつかっているのは、言外にあの方の地位を承認していることを匂わせているんだ。はじめから否定する意志なら、どんなことがあってもそんな不用意な言いかたはしない。心配しないでもだいじょうぶだよ」
六右衛門さんがあとをひきとっていった。「九日の夜の御前会議で、あの方が伝統的な天皇の権限を越えて降伏を要求されず、気ちがいの軍部の督戦で、殺されたくない恐怖から、四百万の軍隊が最後の洞穴やギリギリの山奥にたてこもって死にものぐるいに抗戦をつづけたら、連合軍は硫黄島や沖繩以上の死傷者をださなくちゃならない。だからあの方の勇気と決断がどんなに多くの人命を救うことになったか、そのへんのことは連合国のほうがよく知っているよ。いまの日本には大統領になれるような大政治家がいない。天皇制を否定すれば、どこでおさまるか見当のつかないことになるが、そこまでの混乱を望んでいるとは思えない。もっともアメリカ以外にそういう国があることは否定しないが」
満寿子さんはすごい蒼い顔で庭の花むらをながめながらいった。
「なにを考えてIRC(万国赤十字)の仕事なんか手伝っていたのか気がしれない。これじゃ死んでも死にきれないわ」
パパも、ママも、四代目クラブも、おチビさんも、あたしも……わけのわからない赤ん坊と〈赤いひと〉を除いた日本人全体が、いまなにより心配しているのは連合国があの方をどういう取扱いするかということだ。
ヨーロッパにいるあいだじゅう、あたしたちは集まるたびにあの方のお話ばかりしていた。日本の前途が暗く見えだすとき、あの方がいられることを思うとすぐ希望が戻ってきた。
フランスの人民戦線の行動隊と、ソルボンヌ大学の〈王の親衛隊〉の突撃隊がコンコルドの広場で衝突した二月六日の壮烈な市街戦を、あたしたち(あたし、六右衛門さん、長謙さん、珠子さん、満寿子さん、島野の鸛一さん)は聖フロランタンとリュウ・ド・リヴォリが出あう角のグルネルさんの四階の窓から見ていた。
ユトリロの巴里の雪景色にそっくりなコンコルドの雪を血に染めながら、ソルボンヌの大学生がコムミュニストの行動隊と機関銃の射ちあいをしているあいだへ、騎馬巡査がニッケルのヘルメットを光らせながら突撃して来る。戦車が地ひびきをうたせて乗りこんでくる。戦争の局部を見ているようなすごい光景だった。この戦闘で大学生がたくさん死んだが、祖国のために進んで身を挺し見えない敵と戦っていたフランスの大学生の顔々がいまでもはっきりと眼にうかぶ。
あたしたちが〈王の親衛隊〉の百倍のまた百倍も……あらんかぎりの誠実と熱情をもってあの方を愛していることは、ツルゲネーフの言いかたを借りると、〈いかなる弁証法をもっても覆すことが〉できない。なにも満寿子さんにかぎったことではない。あたしにしたって一旦カンキュウあればいつなんどきでも蹴あいをする用意があるが、どうやら満寿子さんはすこしばかり見当ちがいなほうを睨んでいるようだ。
和平斡旋の頬かぶりや、こんどの参戦ぶりでもわかるように、あの方の主権を否定して日本をごたごたさせようとしているのは、じつはアメリカでなくて、アメリカよりだいぶ西寄りの、文明の平分線からウント北へあがった……ひとの領土を自分のほうへ引きつける力のある磁石を載せてフワフワ飛びまわるという「ガリヴァー旅行記」の〈飛ぶ島〉……これぞと思う国があると、飛行をとめてその上にいすわり、太陽と雨を遮って飢饉や疫病をおこして降参させる。それでもいうことをきかないと、ドスンとその国へ墜落して、家も人民もおし潰して全滅させるという、れいの〈飛ぶラピュタ国〉によく以たソピエタ国だくらいのことは、あたしのような子供にだってわかるんだけど、満寿子さんとアメリカの結びつきにはいうにいえぬむずかしいことがあるので、頭がこんがらかって、こんな単純なことさえ理解できなくなっているのらしい。すごく蒼い顔で考えこんでいるので、ことによったらことによるのでないかと心配になってきたが、他人にはどうしようもない問題なので、あたしとしてはなにもいわずにおいた。
八時ごろ家へ帰ると、ママが居間の長椅子で泰然とご読書をしていられた。ママぐらいの齢になると、この世になんの感激もなくなり、明日死ぬかもしれないということさえピンとひびいてこないんだ。むやみに腹がたってきて、大きな声でママにいった。
「あたしなんだか悲しくてしようがないんですから、そっとしておいていただきます。当分のあいだ、ご朝食に降りてきませんけど、どうかご心配なく」
本から眼もはなさずにママがいった。
「誰が心配なんかするもんですか。あなたこのごろすこし召しあがりすぎるようですから、すこしおひかえになるほうがいいわ」
「どうもありがとう」
「なにかまだおっしゃることあるの」
「いいえ、これだけです」
「そんなら早く行ってお泣きなさい」
戦争で人が死ぬのは、秋になると葉が落ちるようなもので一種の自然現象にすぎない。いまさらジタバタしたってどうにもならない。ちゃんと覚悟はできているのだけど、馴れないことってのはどうもうまくいかない。身体がへんにピクピクしてしようがない。いくら原子爆弾だって椅子に掛けて待っていてやるほどのことはないと思ってスラックスのままベッドへ入りこんだら、子供なんてたあいのないもので、いつの間にか眠ってしまったのだとみえ、眼をあけたら完全な朝になっていた。
ハムレットはデンマルクの陰気な宮殿で、〈死は……眠りにすぎぬ。おそらく夢を見よう〉と独白する。あたしにとっても今夜こそ眠り=死で、もう朝の景色なんか見ることはあるまいと観念していたんだが、ちゃんと朝になってお腹がすいているのにはおどろいた。とてもご昼食までなんかもちそうもない。馬鹿な宣言をしたもんだと弱っていると、サイレンが鳴って頭の真上へ艦載機がのしかかってきた。ママが防空壕へ入ったらさっそく冷蔵庫を爆撃してやろうと待っていたが、広縁のロッキングに掛けたまま動かない。しようがないので書庫の庇の下にあぐらをかいていると、雲の間から紙きれみたいなものが群れ鳩のようにグルグル舞いながらむやみに降ってきた。
日本の皆様へ
という大きな活字が眼につく。なんだと思ったら、日本国民に話しかけているメイド・イン・アメリカの日本語のビラなんだ。〈私共は本日皆様に爆弾を投下するためにきたのではありません。お国の政府が申し込んだ降伏条件を〉という愛想のいい書きだしで、十日の夜、あたしがラジオで傍受した日本の降伏申し入れと、アメリカの国務長官の回答の全文が印刷してある。
うちの庭はべたいちめん回答文で足の踏み場もなくなった。きれいなのをママに一枚やって、芝生に坐って満寿子さんを憤激させた回答文なるものをジュクドクグヮンミしているところへ、次官のFさんがやってきた。ロッキングに掛けてママにこんなことをいっている。
「内地の部隊の大部分は海岸のへんぴなところにいるので都会の爆撃のひどさを知らない。ある部隊などは兵隊に、日本の陸軍部隊がアメリカの西海岸へ逆上陸して、いま破竹の勢いでワシントンへ進軍しているなどといってきかせているそうで、そこへこんなビラを撒かれると、あの方が降伏などをされるわけがないというんで騒ぎをおこすかも知れない。一刻も早く終戦のご詔勅を発表しないととりかえしのつかないことになりますが、外地や第一線部隊に遅速なく伝達するにはラジオの放送以外にない。このほうはご勅許を得た模様ですが、玉音の放送などというのは日本に前例のないことだから、それならそれで予告もしなくてはならない。今日は最後の最高決定をするはずで朝から御前会議をしていますが、陸相あたりがゴタゴタいってきまらないらしい。一瞬を争う非常の場合なんだが、困りました」
夕方の五時ごろ、あす正午、重大放送があるというラジオのアナウンスがあった。夜の十二時近くパパが帰ってきたところへ、情報局から宮内省の内大臣府の広間でいま玉音の録音が終ったという通知があって、追いかけるように空襲警報がでた。福島、新潟へB29が二百五十機、高崎と熊谷と小田原がさかんにやられている。
パパは最高決定の通達に朝の八時までにスイス公使館へ行かなければならないとかで、書斎へこもってなにかゴソゴソやっているようだったが、朝の四時ごろN新聞のTさんが電話で、昨夜、十一時に軍部へ終戦の大詔が出たので陸軍省と参謀本部の少壮将校が非常に激昂し、上野の山では警備隊が降伏反対の幟をたてて騒いでいる。不穏な形勢だと知らせてきた。しばらくするとこんどは表町の刀自さまから、反軍と学生の集団が首相官邸と平沼さんの邸へ爆弾を投げこんで火をつけたから、そちらでも注意するようにというお電話があった。
パパは十日以前の陰気な顔になってつぶやいた。
「ようやく日本がいくらか残るというところまで漕ぎつけたのに、馬鹿なさわぎをして、なにもかもふッ飛ばしてしまおうというんだ」
十六年にはH男爵と日銀総裁の謀議。久原さんのモスクワ行きの計画。H宮は老体の遠山さんを蒋介石のところへやって和平調整をさせようとなすった。遠山さんはただひとこと、最後のご奉公をいたしましょうとこたえ、いつ出発命令が出てもいいように、毎朝、水浴をし、食べものをつつしんで待っていられたがだめになった。
十七年には東方会の中野さんが、戦争をやめるのは今だ。日本は全世界にむかって休戦をしなくてはならないといって、T宮、H宮、K宮、などと東条内閣を倒しにかかった。近衛さんなどは場合によっては直訴する決心までしたということだったけれど、東方会の全員百七十人が憲兵隊に検挙され、中野さんは宮さま方のお名を出すことをはばかって腹を切ってしまった。
ところであの方のほうは、アトミック・ボムブが広島へ落ちる六カ月も前、つまり米軍がマニラへ入城したころにもう降伏を決意なすって、広田さんにソ連大使を通じて和平交渉をすることをお命じになった。
二・二六のピストルの弾丸を記念品に身体の中に保存している公然の平和主義者、七十七歳の鈴木さんを首相にご親任になったのは、軍部の朋党組織にたいするあの方の無言の宣戦布告で、そのとき鈴木さんに、〈軍部がなぜこんな望みのない戦争をつづけるのか了解に苦しむ。これ以上人命を失うことは犯罪にひとしい〉というようなことをおっしゃったそうだった。
ソビエトは日本からの対連合国和平斡旋の働きかけを、六カ月もの間、上手にもみ消して、いちばんいいチャンスに参戦したが、それでもあの方は希望をお捨てにならず、ソ連が宣戦した翌日、近衛さんに単独拝謁をおおせつけられ、飛行機ですぐモスクワへ行くようにとおっしゃった。近衛さんは夫人さま同伴で広島へ慰問に行くという見せかけで、高崎の飛行場から旅客機に乗り、そのまま一気にモスクワまで飛ぶつもりだった。近衛さんはその前もカナダ経由でアメリカへ行ってルーズヴェルトと会談する計画で、毛皮の外套まで用意したということだった。
この不幸な戦争を一日も早く終らせようと、憲兵隊の九頭の蛇の目をぬすんで、どれだけの蔭の努力が払われたことだったろう。〈不死身の軍部〉をおさえつけて、ここまで漕ぎつけるには、人知れぬ長い血の歴史がある。それをわからずやがだめにしてしまおうというんだ。パパが口惜しがるのも無理のないところだ。
あたしの子供のころのパパの印象はあまり愉快なものではない。ママの話だとパパは二・二六事件に腹をたて、その日からキッパリとお酒をやめて陰気くさいひとになってしまったということだった。この戦争がはじまってからいよいよ皮肉なところが多くなり、ヨーロッパにいるあいだ、日本に帰って来てからも、明るい顔や笑った顔をただの一度も見たことがなかった。
もと駐英大使のYさんが、逗子のあるところで二月ごろからKさんなどと熱心に和平の相談していたが、誰が密告したのか、和平陰謀のかどで憲兵隊に検挙され、それがはじまりで、パパ、N県知事、Tさん、Sさんなど、ひごろ自由主義者と目されていたひとたちが四百人、つぎつぎに九段坂の灰色の建物へ連れて行かれた。けっきょく軍法会議にかけられて銃殺されるのだろうとママなどは覚悟していたらしかった。重臣から横槍が出てあぶないところで命だけは助かって帰ってきたが、それ以来、なにをきいても返事もしない苦虫中の苦虫になってしまった。
この調子だと、パパの苦虫は永久につづくのだろうとあきらめていたが、降伏の申し入れをした十日の夕方、役所から帰ってくるとニコニコ笑いながらママにいった。
「これからは辛いぞ。貫太郎さんは血と涙の生涯といったが、ほんとうだ。だがその時を越えれば、戦前の日本よりよくなる。希望をもとう」
それからあたしにいった。
「だいこん、お前だけだよ。そのいいときを見られるのは」
その日からパパは明るいひとになった。笑いもするし人並みにものもいうようになった。やれやれと思っていたら、たった五日笑っただけでまたもとの苦虫へ逆戻りしてしまった。
世界でいちばん不機嫌な、笑わない人種は、赤道アフリカのナナ族で、なにをしてやっても喜ばない憂鬱なやつらだが、それでもマニオックという澱粉薯のとれだすころになると、一年を通じて十日ぐらいはニヤリとすることがあるということだ。
パパなんかにすれば、過去六年の日本にはおかしいことなんかただの一つもなかったのかもしれない。それはともかく暗い闇の庭にすくんで、高崎や小田原が焼かれている空襲のアナウンスを聞きながら、けっきょく日本はどうなるのだろうと考えるのはあたしにとってもおかしいなんてことではなかった。
夜明けごろ爆撃が終り、パパがフロックに着替えているところへ、情報局のSさんから電話がきた。陸軍省と参謀本部の将校が何人とかが、近衛師団長をピストルで射殺したうえ、師団命令で部隊を召集して宮城を占領し、ご座所へ侵入してご詔勅の録音盤をさがしまわっている。べつの一隊は放送会館へ徹底抗戦の放送をしにきたが、空襲警報発令中なので、直通電話で東部軍司令部と交渉しているところだというニュースだった。
パパは受話器を放りだして、ものをいわずに書斎へ入って行ったが、しばらくすると大きな声で、
「馬鹿ッ、馬鹿ッ」
と怒鳴っているのがきこえてきた。なにをしているのだろうと思ってのぞきに行くと、パパは射撃会用のピストルをケースから出そうともがいていた。宮中へ駆けつけて、かなわぬまでも軍部と一戦しようというのらしいが、腹をたてているので、手が震えてケースのバネ錠がはずれないんだ。それであたしが出してあげた。
痔の悪いひとが痔だ痔だと愚痴をこぼすように、国家、国家とお題目をとなえる偽せ愛国者のことを、独逸ではシュターツ=ヘモロイデンというんだそうだ。
パパは国家なんてこともいわないし、あのうるさい愛国者、ドオデエの〈ショオヴァン氏〉のような空さわぎもしない。外交事務を管掌する一事務官の生活にキチンとはまりこみ、かつてハメなどをはずしたことのない沈毅冷静なパパが、前後不覚になってフロックにピストルというアルセーヌ・リュパンのような恰好で駆けだすなんてのは、パパの生涯における最大の椿事だった。間もなく録音盤は無事、クウ・デタは鎮定したという情報が入ったので助かったが、さもなかったら陸軍はパパのためにみな殺しにされてしまうところだった。
パパは心機一転した顔で車で出かけて行ったが、息をつくひまもないうちにまたサイレンが鳴り、B29や艦載機がむやみにやってきて、十三日にまさるとも劣らない騒ぎをはじめた。前大戦の〈休戦の日〉にはパリではノートルダムの大鐘が鳴り、サイレンがうなり、みな道路へとびだして、抱きあう、踊るという大乱舞をやったそうだ。これも休戦のお祝いなのかと思ったらそうでもないらしい。屋根の棟とすれすれのところまで舞いおりてきて、射つべきものはちゃんと射って行く。
日本はシャッポをぬいでお辞儀をした。戦争はすんだはずじゃないのか。これではしつっこすぎるというもんだ。
あたしは腹をたてて大きな声でいった。
「おい、よせよせ。いいかげんにやめろ」
ところがいっこうにやめない。録音盤が無事だったというのは嘘で、軍部はあの方に対立していよいよ一億玉砕の瘋癲命令を出したのではないかとあたしは邪推した。
もうどうにでもなってよろしい。さすがのだいこんもへろへろで、戦争とのお交際はおやめにしたくなった。防空壕の風通しのいいところへ太いだいこんを投げだしてアナーキーな恰好で眠っていると、
「ご放送ですからお起きなさい」
とママが起しにきた。
よろけながら広縁へ行くと、ご放送がはじまった。ご放送というから、あたしのような子供にもわかるようにお話しになるのだと思っていたら、漢字の多いお勅語でよくわからなかった。
「つまり、どうなの」
ときいたらママが、
「戦争は終ったとおおせになったのです」
とおしえてくれた。
なんだか嘘みたいだけど、うちの賢夫人がそういうんだからまちがいはないんだろう。フランス一周の自転車競争が終って、凱旋門の下へ走りこんだ選手のような疲れがでた。あたしがねぼけたような声でいった。
「そうですか。すんだんですか。やれやれですね。いやはや長かったよ」
ママがしずかな声でいった。
「日本が負けたというのが、どういうことなのか、あなたにはまだよくわからないのね。かあいそうに」
ママはぐっすり眠っている。ところであたしは眠くない。こんな日向であぶられているのは退屈だ。今朝のパパの事件をみなさんに放送してやろうと思ってクラブへ出かけて行くと、六右衛門さんが五人ばかりの鳶をつかって、クラブ・ハウスの横の芝生へ柱をたてさせていた。そのそばに村井の陸さんが煙草をすいながら見ている。なんだか知らないけど、ネルソン時代の大戦艦の主檣くらいもあるびっくりするような高い柱なんだ。
あたしが六右衛門さんにたずねた。
「ずいぶんでっかいね。なにをする柱なの」
六右衛門さんがめんどうくさそうにこたえた。
「旗をあげる柱だ」
「クラブの旗でもできたの」
六右衛門さんがいつもの曖昧な笑いかたをした。
「うまいことをいう。そうだよ、クラブの旗ができたんだ」
ルイ・ジュウベによく似た、ひどく苦味ばしった鳶の頭が手を払いながらやってきて、六右衛門さんにいった。
「いたしました」
「すぐあげられるのか」
「へい」
「じゃ、あげてくれよ」
「あっしどもでいたしますんですか」
「ああ、たのむよ」
鳶の頭は手下のところへ戻って行った。
「おい、みんな手を洗ってくれ」
裏へ行って手を洗って戻ってくると、頭は汚点ひとつない、まっ新の日の丸の旗を畳紙からだして綱に結びつけ、手下といっしょにえッえッとひきあげた。
旗はしなだれながら柱のてっぺんまであがって行って、そこでパンと音をたててひらくと、すぐ風に乗ってひらひらとひるがえった。青い空で、白と赤だけの新しい旗がつくりだす雰囲気は非常に新鮮だった。
日本はきょうから〈国〉でないんだから、〈国旗〉などというものは存在しないが、これでも昨日までは万国に確認された日本の登録商標で、あたしたちにとっては、ほかのどんなものでも代用することのできない大切な象徴だった。この旗によってどんなに鼓舞され、慰められ、この旗の下で、この旗を振りながら、どれだけの日本人が死んで行ったことだったろう。苦しい日、楽しい日、あたしたちの日々に、いつもこの旗がヒラヒラしていた。
休戦協定が締結された六月二十五日、ペタン首相が演説した。
この挙国哀悼の日、私の思いは、すべての戦死者と、戦争のために肉と愛とに深い痛手を受けた人々のうえにあります。その犠牲が、フランスの国旗を、高く、清く、保ちえさせたのであります。
スイスでは日の丸の旗はスケート場の標識で、〈きょうも辷れます〉という合図に高いところへあげる。おなじ日の丸でもスケート・リンクの旗は、きょうは氷の調子がよさそうだなどという実際的な感想しかわかせないが、オリンピックのスタディアムなどであげられた日の丸の旗を見ると、熱い、赤い、すこし酸っぱすぎるが、それがまた風味でもある煮葡萄酒のような感動がふつふつと胸の中に湧きあがるのはなぜだろう。日の丸の旗はきょうからただの日の丸の旗にすぎない。クラブの旗にでも、レストランの旗にでも、使いたいように使っていいわけなんだろうけど、いくら日本が敗けたからってさっそくこんな扱いかたをするのは面白くない。あたしはむっとしていった。
「へえ、これがクラブの旗なのか。立派ないい旗だ。クラブではスケート・リンクをはじめるというわけなんだね」
陸さんがいった。
「なんて馬鹿なんだろう、こいつは。この旗が国旗に見えないのか、お前には」
折り返してまたあたしがいった。
「よく見えるよ。見えすぎるくらいだ。やはりこれは国旗なのか。そんなら伺いますがね、戦争のあいだ、誰がなんといってきてもあげないでいて、戦争に敗けてからあげたりするのはなぜなんですか」
六右衛門さんはポケットに手をつっこんだままコクのある渋い笑いかたをした。
「昨夜フト思いだしたんだ。あまりしまいこんでおくと虫がつくからな」
「はァ、国旗の虫干ってわけなのか。結構だよ」
四代目クラブも利巧じゃない。あたしは腹をたてて後も見ずに帰ってきた。
庭の花明りの中で大きな蝶が酔ったようによろめきまわり、海は貧血して、青くなってぐったりノビている。
十四日夜の宮城占領の将校四人は、田中東部軍管区司令官に説得されて自殺。残りは憲兵隊へ自首。放送会館のほうは宮城前へ行ってこれも自殺。襲撃組はみなつかまったが、シャトオブリアンが〈天上の妖術〉といっているように、武断派にとって戦争は聖職で、摂理によって偉大な運命を背負わされていると信じているんだから、軍神の面子にかけてもやすやすとひっこむまい。放送のご詔勅の原稿も、はじめ〈戦局日ニ非ニシテ〉とあったのを、二時間も議論して〈非ニシテ〉と訂正し、それをまた阿南さんが〈必ズシモ好転セズ〉となおし、ひどくごったかえしたということだった。日ニ非ナリと、非ナリと、好転セズとで、敗けた戦局がどうちがうというんだろう。手のつけられない気取り屋どもだ。
うちのうしろの高台にある高射砲隊の抗戦派の隊長は、兵隊を集めてご放送をきかせたが、最後までどういうことをおっしゃっているのかわからない。
「お前ら聞いたか。いよいよ国民総特攻=男女総出陣=一億総玉砕だぞ」
アテズッポウをいって感激しているうちに、内閣の声明で無条件降伏だということがわかり、始末がつかなくなってあわててスイッチを切ると、
「いまのラジオはアメリカのデマ放送だ。こんなところを見ると、やつらもいよいよ苦しくなってきたらしい。なにしろ五百何艘もアメの軍艦が沈んだので、太平洋の水位が五センチほど上ったというからな。第一総軍、万歳。戦争のヤマは見えたぞ」
とすごいアジをやったと、さっき兵隊さんがきておしえて行った。
同盟のPさんの話だと、長崎では憲兵隊が電流を切って放送を中断し、終戦の大詔と内閣の声明を載せた西日本新聞をおさえて終戦を知らせないようにしたので、県知事と市長が殺される覚悟で憲兵隊へ出かけ、八時間もねばってようやく夜の十時になって放送した。陸軍の和平反対の空気は手のつけようのないところまで行っているらしいということだった。つまるところあたしたちは竃のそばに置かれたパン種のようなもので、いつ焼板へ投げつけられるか知れたもんじゃないけど、いまのところはちょっと保合っているらしい。
〈戦争の最中に、軍紀をゆるめて休息する“幕合い”の時間がある。おれにとっても、これはありがたいものだった〉とゲエテが「滞仏陣中記」でいっている。この一年間、だいこんは、スラックスのなかで汗をかいていたが、軍紀をゆるめて裾に風を入れる幕合いの時間があるのは、あたしにとってもありがたいものだった。
スラックスは丸めてベッドの下へおしこみ、英国皇帝戴冠式のときの花模様のあるオゥガンジの式服をひきずりだして着てみた。小さいときの服なので、スカート・ラインが膝のところまでとびあがっているが、そのかわりだいこんが夢のように涼しい。
エリザベト内親王のお散歩といった恰好で、裾をつまみながらナヨナヨと庭へ出てみたが、べつに変ったこともない。ぼんやりしていると、うしろで声がした。ふりかえって見るといつも陣地から水をもらいにくる、黄色くしなびた、貧乏な神学生のような若い兵隊さんが立っていた。
靴をもらえないのだとみえていつも素足に藁草履をはき、ドラム鑵をのせた牛車を追いながら陣地から降りてくる。腰に一尺ばかりの棒切れをさげているのでたずねてみたら、しなびた兵隊さんは頭をかきながらいった。
「わア、棒切れはひどい。これでも銃剣のつもりなんですよ。そういってわたされたんですが、どうしたってそうは見えないね、これゃ」
きょうは棒切れをさげていないが、またいちだんと煤け、見るからに篤実なようすをしていた。
「お水なの」
「水はもういいです。隊は昨夕解散しました。ながながお世話になりました」
あたしは気取った声でいった。
「お家へお帰りになるのね。なんでしたら、お茶でも」
「結構です」
「じゃ、お元気でね。日本のためにしっかりやってください」
神学生は煤けた頬をオールド・ローズ色に染め、足を踏みかえながらもじもじしている。
「なにかご用なの」
神学生は眼を伏せながらしどろもどろにいった。
「ちょっとおねがいが」
そらきた。水を貰うなら、近いところにもっといい井戸がある。あたしの家へくるのはチトへんだと思っていたが、案のじょう、この兵隊さんはあたしに御座っていたんだ。
あたしは庭境いの夾竹桃を指さしながら艶のある声でいった。
「じゃ、あの蔭へでも行きましょうか」
「はあ」
といったきり神学生は動かない。あたしはじれったくなってたずねた。
「おねがいって、どんなおねがい。あたしのできることでしたら」
神学生が眼を伏せたままぶつぶついった。
「すみませんが、ピアノを」
「ピアノをどうなさるの」
「ピアノをすこし奏かせていただきたいんです。自分の家は目白で全焼しましたので、帰ってもなにもありません。ほんの五分だけ」
あたしはがっかりして気のぬけた声でいった。
「そんなことだったの。なにかもっと面白い話かと思ったのよ。おかまいできないけど、奏くだけなら、一年でも二年でもお好きなだけ奏いていいわ。じゃ、こっちへいらっしゃい」
「すみません」
神学生の兵隊さんは玄関で藁草履をぬぐと、篏木の床に大きな足跡をベタベタつけながらあたしのうしろからついてきた。高射砲弾の破片でぶちぬかれたあぶない階段をあがって、テラスに向いたあたしの部屋へ連れこむと、兵隊さんはものもいわずにピアノのほうへ行って、外被をあげてレグレティングのところをおさえてみて、それからひくい声でつぶやいた。
「エラールのピアノははじめてだぞ」
椅子に掛けて八十五鍵を低音部から素早くひと撫ですると、いきなりバッハの〈平均律洋琴曲ハ長調フーガ〉をひきだした。
なんといううまさなんだ。この曲はジルさん(ジル・マルシェックス)がサール・プレーエルで奏いたのを聞いたことがあったが、その兵隊さんのほうがずうっとうまかった。だいこんなんか百ぺん鯱っちょこ立ちしたって及ばない。鶏の首のようにおちくぼんだ襟足をあっけにとられてながめていると、ラヴェルの〈スペインの時〉とファリアの〈火の鳥〉をあっさり奏いて、ありがとうございましたとお辞儀をしてぽくぽく帰って行った。
日本には、兵隊さんのなかに、ただの一兵卒のなかにこんなすぐれたひとが無数にいる。満寿子さんはファシズムが敗けたので、日本人が敗けたんじゃないといっていたが、その意味はあたしにもわかるような気がする。
病気をしたり、肺をぶちぬかれたり、兵隊の廃品になってあまされてかえってきた四代目クラブのひとたちにしたってそうだ。六右衛門さんの家をクラブにして、お講義をきいたりご法話をきいたり、朝食会で〈お好み焼〉をやったり、もっぱら煙霞療養に専念しているので、〈サボ・クラブ〉などと悪口をいわれているが、ヒラの二等兵だった六右衛門さんにしても、長謙さんにしても、村井の陸さんにしても、その道ではそれぞれ世界のベスト・テンへ入るような〈達人〉なんだ。
六右衛門さんはトゥルヌゥル先生の高弟で、ハアプの純正奏法では、欧羅巴にもアメリカにも追いつけるやつなんか一人もいない。長謙さんは若い生命の力のありったけを、美しい本をつくることにそそいでいるアンドレ・マレの後継者で、パリの国際書籍芸術展覧会へ出品したシェレエの〈アドーニス〉は三万五千ドルでアメリカへ行った。
村井の陸さんは写真芸術の権威者、満寿子さんは香水の鑑定家、珠子さんは女流自動車競走の選手権保持者、山チイはパイプ・オルガンの名手、会友のシゴイさんこと鸛一さんは、故パパとおなじく飛行機の名パイロット、かくいう〈だいこん〉こと石田里子嬢は、これでもリセ(官立高等中学)の競争試験に歴史と論文で一等賞をとり、卒業式に大統領と握手しているんだ。こんどの超特大惨敗で、日本は第五十七等国へ下落するかもしれないけど、人間の素質にはなんの変りもない。戦争に負けたってええものはええんだ。〈太陽は沈むが、太陽自体に変りはない(セネカ)〉
お腹がすいてたまらない。あんな宣言をした手前、だいこんの自尊心はお腹がすいたなんて弱音をあげないが、せめてお茶にでもありつこうと二階から降りかけると、お客間でさかんな人声がする。お君を呼んできいてみると、戦中、猛威をふるったナチ・マニアの〈ジャガイモ一家〉のママ薯と娘薯がおそろいできているというので、うんざりして部屋へひきかえした。
ママ薯のほうは、武術講演をしたり薙刀をふりまわしたりする大名華族の珍品というところでさしたる悪影響はなかったが、娘薯のほうは、他人が幸福だったり、自分より美しかったりすると、なんとかして不幸にしてしまわないと気がすまないといううるさい陰謀家で、四代目クラブ以下、鎌倉組の英仏派はひとりのこらず有形無形の被害をうけた。
そもそもあたしに〈だいこん〉なんて名をつけたのは〈ジャガイモ〉なので、これには忘れられない思い出がある。
戴冠式の見物にロンドンへ行くことになって、団体謁見にでるパパとママは先に発ち、あたしは満寿子さんや珠子さんといっしょにブゥルジェから飛行機で行った。
どす黒い雲がたぐまり、いまにも雨になりそうな朝で、黴の生えた不景気なロンドン塔が霧の中からぼんやり浮びだしている牧野さんのテームス河の絵を思いだすと、こんな日にロンドンへでかけて行くのは、ありがたすぎてくしゃみがでそうだった。
待合室のガラス壁ごしに滑走路を見ると、横っ腹に L'A mazone Ja-163 と書きつけた、鯰のような頭でっかちの旅客機が、中腰になってへいつくばっている。待合室の奥で、コルクの栓抜きが軋むような耳ざわりなドイツ語がきこえるのでふりかえってみると、やはり戴冠式へ行く〈女ヒットラー〉、ナチス婦人団長ゲルトルート・ショルックリング女史と、ナチス婦人団の見学にはるばる日本からやってきた武徳会の薙刀の先生、黒田悦子師範ことママ薯が見送りの大使館の連中を相手にしてそうぞうしいドイツ語でおしゃべりしていた。
薙刀でひっぱたかれたあとだとみえ、おでこに瘤のようなしこりが出来、薄い眉の下に犬のような濡れた大きな眼がある。顴骨がうんととびだし、眼と眼の間がむやみに離れ、宋美齢のおしゃもじ面にそっくりだ。
師範のうしろに黒田彰子ことムスメ薯がカアネーションの花束を抱いて立っていた。ママ薯におとらないナチ・マニアで、この前パリへ来たとき、カーキ色のユニフォームに、BDM(ドイツ女子青年団)の〈三叉の物干棒〉のバッジをつけてルロンへ口紅を買いに行って、あっさりお断りをくったというトンチキだが、なんのつもりか鶴のように片足で立って、花束の間からあたしたちのほうを見ていた。
そのころママ薯は、日本婦人会を再組織して十五歳以上の女をのこらず加入させ、戦う日本のために〈強く勇敢なる婦人〉をつくりあげ、日本女子軍団を編成するというたいへんな抱負をもっていて、娘薯を連れてパリへ講演にやってきたが、その日ちょうどシャリアピンの独唱会があったので、日本人はみなそっちへ行ってしまい、一人も聴衆がなかった。
ママ薯はひどく腹をたて、その晩のうちにベルリン直行で帰ってしまったが、巴里にいる日本人はみな非国民だとひどいことをいって歩いていたそうだ。こちらにはちっとも悪意はなかったので、満寿子さんなどは、
「どうすればあたしたちが兵隊になれるのか、ちょっときいてみたいもんだわね」
などとうれしがっていたくらいだが、パリにいる日本の女性は、女の兵隊よりシャリアピンのほうに絶大な魅力を感じていたので、そちらまで手がまわらなかっただけのことだった。
そのうちに乗客係が、
「ア・ラ・ヴィオン(客室へ)」
と触れてきた。ママ薯は娘薯と秘書のようなひとをつれて客室へ乗りこんでくると、把手を廻して窓をあけたので、小雨まじりの風がドッとばかりに吹きこんできた。
帽子を飛ばし、スカートをふきあげるというえらいさわぎになったが、ママ薯は知らぬ顔の半兵衛で見送りの一行と会話をつづけている。給仕がやってきて、みなが迷惑しているから窓をしめさせてくれというと、ママ薯は噛みつくような調子で、ユウ・シャラップと怒鳴りつけておいて、秘書みたいなひとに窓のほうを顎でしゃくってみせた。これでようやくさわぎがおさまって、〈女傑〉号がよたよたと滑走路を走りはじめた。
身体がふんわりと綿にでも包まれたような感じがしたと思うと、コンピエーニュの森やビェルフォンの城の天主閣やオアーズの流れが眼の下に見えだしてきた。
ダルトノアの丘陵地の真上あたりまでくると、風が強くなって〈女傑〉号がむやみによろけだす。煙のような霧の中で風車やポプラの列があらわれたり隠れたりしていたが、そのうちに仏白国境のキャップ・ド・ラ・ブラン・ネの灰色の断崖が下からぐっとせりあがってきた。
いよいよ海峡へ飛びだす。窓に鼻をおっつけて見おろすと、ドヴァが白い波がしらをふりたててものすごく荒れくるっている。給仕がキャンヴァスの袋に入った救命具を頭の上の網棚へ載っけてあるく。すごいことになった。フォークストンの海岸までまだ二十分もある。ここでボチャンと落ちたら鱶の餌食だ。
給仕がこんどはボロモセルツァのコップをみなに配る。最後にママ薯のところへ持って行くと、わかっているのにそれはなんだと質問する。ひどくひねくれた女傑だ。給仕はこれは酔止薬だと説明して、
「Take it from me, madam.(悪いことはいわないからお飲みなさい)」
とすすめると、ママ薯は刺激的な冷笑をうかべながら、「None of your business !(よけいなお世話だ)」
と拒絶した。
さすが女傑はちがったものだと見ているうちに、なんとなくようすがおかしくなってきた。額の色が沈んで眼玉がとろんとなり、薄い唇をへの字に結んで咽喉のラムネ玉をしきりにあげさげしている。
そのうちにいよいよただならぬ景色になって、眼をつぶって前の凭背をつかんで貧乏震いをしはじめた。口ほどにもなく女傑はゲエをやるらしい。武徳会師範のゲエなんかめったに見られないスペクタクルだから、満寿子さんを突っついておしえてやった。
「満寿子さん、極東の女傑がいまゲエをやるから見ていなさい」
満寿子さんがふりかえったとたん、武徳会師範は備付けのゲエ用の三角封筒に顔をうずめてゲエゲエやりだした。
そこであたしが大きな声でゲラゲラ笑ったので、ナチ・マニアの親子がひどく感情を害し以来〈蕪大根派(フランス派)〉と〈馬鈴薯派(ドイツ派)〉の対立が激化することになった。
戴冠式の前日、レーンロオにある光井さんの野荘のお茶の会で、ゲエのしかえしのつもりかママ薯が嫌がらせみたいなことをいった。
「パリにいらっしゃる日本の女の方たちは、アメリカ風の減食法をおやりになって、一日じゅう婦人室からお動きにならないから、みなさん細っそりとしていいおようすね」
あたしは癪にさわって、
「そうなんですわ、奥さま。減食法のおかげで、飛行機でゲエなんかしないですみますんです。ほ、ほ、ほ」
と笑ってやった。
さすがながねん薙刀でぶっ叩かれただけあって、これくらいの仕返しはびくともしないらしい。ママ薯はぬうっと反り身になると、あたしのいったことなんかてんで聞えなかった顔で、
「人間というものは、戦争とか、美とか、そういう苛酷なものに生甲斐を感じると、シュメリングがいっていますが」
あたしが訂正してやった。
「シュメリングではありません。アランです」
「とアランがいっていますが、減食して身体を痩せさせるような、人間の弱さ、繊弱さを露呈した、傷めつけられた病的な美は、これからの日本には有害です。そういうものを美だとする観念が、すでになにか歪みをもっているのですね。パリにいる日本の女の方たちは舞踏室でのトレーニングはお上手でしょうが、体育や協同のトレーニングをやらせたら問題にならないでしょう。それが問題だと思うんです」
あたしが質問した。
「体育って薙刀のことですか」
「薙刀だけが体育ってわけではありません」
「鯱っちょこ立ちなんかはどうですか」
「ハンドスタンド……つまり倒立というのが徒手体操にありますから、もちろん体育の部類へ入るでしょうね」
あたしは椅子から立ちあがると、テラスの端へ行って、どっこいしょと掛声をかけながら胸壁へよじのぼった。光井さんのご夫婦とK7さんがたまげたような顔でこちらを見ている。
ドイツでは鯱っちょこ立ちは体操かもしれないが、あたしの鯱っちょこ立ちはアクロバチック・ダンスという優美なものなんだ。いつだったか「フォーリイ・ベルジェール」でマドモアゼル・ピカヴィエのアクロバチック・ダンスを見てから病みつきになってしまった。マリイ・ローランサンの絵のモデルかと思うようなマドモアゼル・ピカヴィエが、純白のプランセスを着て、草の茎のようなすらりとした足をそろえて逆立ちするあのすばらしいポーズが長いあいだあたしの夢だった。
おかげでいくど首の骨を折りそくなったかしれない。おなじ逆立ちでも、フランス風の逆立ちはこんなにもエレガントなものだということを即物的に証明し、〈巴里にいる日本の女のかた〉の骨のあるところを見せ、全体主義の度胆をぬいてやろうというわけなんだ。
一尺ばかりの幅のところへ掌をつけて腰にちょっとはずみをくれると、ながねんの鍛練の功で、爪先がきちんと揃ったまましんねりとおっ立っていく。なにしろ背景が英国の初夏の空というんだから大きい。
あたしのつもりではマドモアゼル・ピカヴィエの十倍も優美に見えるはずだったんだけど、あいにくうんと裾のひらいた翼裾だったもんで、スカートが垂れさがってきてすっぽりと顔を包んでしまった。
英国くんだりまできて、戴冠式の前日にテラスの胸壁で鯱っちょこ立ちをしようなどと思っていない。下部構築をいい加減にしておいたので cache-sex がまるだしになり、だいぶみっともない恰好になっているらしい。こいつは困ったと思っていると、ジャガイモが待ってましたとばかりになにかいいだした。
「フランスには蕪大根しかないんだそうですけど、ほんとうね。あんなずんぐりした大根、日本にはないものなんでしょう」
めったに笑ったことのない光井さんの奥さんの笑い声がきこえる。うすうす自覚はあったが、缶詰のアスパラガスの Big size ぐらいのところだろうと思っていたので、〈フランスだいこん〉にはやられた。さすがのあたしもすっかり照れて、頭を掻こうとしたひょうしにあぶなく胸壁から落っこちるところだった。
あたしがしょげているので気の毒になったのか、
「薄紗の朱鷺色の下着が、花弁のように四方へ垂れさがった中心から、薄卵色の靴下をはいた足が雄蕊のようにのびあがって、ちょうど大きな胡蝶蘭の花が咲きだしたようだったわ」
と満寿子さんが文学的になぐさめてくれたが、いちど受けた心の傷はとても文学なんかではなおせない。あきらめてだいこんと名乗ることにしたが、あの日の屈辱が和ぎえない劣敗感になって、いまでも心のどこかにしっかりとこびりついている。
あたしたちは欧州大戦が東部要塞線に膠づけになっている冬に日本へ帰ってきたが、ポテト一家の威勢はたいへんなもので、パパ薯はなにやら院の総裁、ママ薯は日本婦人会の名誉理事、娘薯は〈女子挺身隊員第一号〉で有名になった首相のみっともないお嬢さんの田園調布組と、桜会の平塚組と、錨会の逗子組をひとまとめにしてJBDM(ドイツ女子青年団日本支部)という意味不明瞭な団体をつくり、オット・ドッコイ独逸大使とウドノ・マカローニ伊太利大使のお嬢さんを顧問に推戴し、ドイツの〈女子指導団〉の制服にそっくりなカーキ色のスーツを着て、鼓笛行進なんかやって気勢をあげていた。
さすがに満寿子さんや珠子さんのところへは行かなかったらしいが、あたしを馬鹿だと思ったのか、ある日、入会の勧誘にきて、大きな活字でJBDMと刷った入会規則を突きつけた。
うるさくなったのであたしがいった。
「JBDM……珈琲なら買ったのがありますから、またこの次にねがいます」
ジャガイモは軽蔑に耐えないといった眼付であたしの顔を見ながらいった。
「モカ、ジャワ、ブラジルのミクスならMJBでしょう。これはJBDM……珈琲なんかに関係はないのよ」
それであたしがいった。
「ドイツなんてやはり田舎だな。JBDMはフランスでは珈排のミクストの方式さ。ジャワとブレアンジュとデメラリとマルチニックのミクスト……どこの三文キャフェでもやっている方式なんだ。失礼ですが」
これにはだいぶ凹んだらしかったが、ナチの軍隊が巴里へ進入すると、
「ジャン・パトゥでも、モリヌウでも、ランヴァンでも、ルシァン・ルロンでも……フォブゥール・サントノーレ街の一流の店の服なら、あたしにいってくださればなんとかしてよ」
なんて、まるでじぶんが巴里を占領でもしたようなことをいった。
そのうちにバドリオ政府が降服し、ムッソリニが愛人のペタッキ夫人といっしょにミラノで殺され、ベルリンが壊滅し、ヒットラーが国民にひと言の挨拶もなく、愛人のエヴァ・ブラウンといっしょにドイツの地獄へ行ってしまった。
〈ジャガイモ〉とJBDMが、チョビ髭をはやした〈わが闘争〉の神さまにあっさり置きざりをくってぽかんとしているようすは、グロッスの諷刺漫画そっくりで、四代目クラブや鎌倉組がひっくりかえって笑ったら、そのしかえしに桜会派の平塚組やアジア会派の藤沢組と組んで、鎌倉組を敗戦主義者の集りだの、降伏主義者の巣窟だのとデマをとばすので、あたしたちの迷惑といったらなかった。
ピアノの椅子に掛けて追懐にふけっていると、お君が肉茶をいいにきた。ポテト一家とお社交するのはやりきれないが、肉茶ときいては飛びつかずにいられない。大あわてに階段を駆けおりて客間へとびこむと、ジャガイモが椅子から立ちあがって、
「しばアらく」
と身体を二つに折るようなお辞儀をした。
グリーンのタァヴァンにおなじ色のアフタ・ヌゥンを着、濃い人参色のストッキングをはいているので、大きな植木鉢でも倒れてきたのかと思った。
いつものでんで、ジャガイモは両手の指先をなんとなくこめかみのほうへ持って行きながら、
「クラブでお待ちしていたのよ。きょうはお出かけにならなかったのね」
とすっとぼけたことをいった。
ママ薯が宋美齢なら、娘薯は鎌倉時代の古武士というところで、顎が翼のように左右へ張りだし、黒々とした一文字眉の下に尻っぱねのセイカンな眼がある。どういうわけか、笑うといよいよ眼尻が釣りあがって、どうしても怒っているとしか見えない。ジャガイモもこの点を修正しようと苦心しているふうで、笑うときはいつも両手の人差指と中指でこめかみの皮をゆるめて〈吊りあがり〉を防いでいる。
あたしは、ポテト一家を相手にする気はない。いそがしく肉茶をやっつけながら、いいかげんな返事をしていると、ジャガイモがきこえよがしになにかいいだした。
「四代目クラブはあの方びいきでたいへんでしたが、いよいよ天皇制もおしまいね。満寿子さんなんか、感慨もまたひとしおというところだったのでしょう。気持、わかるわ」
こいつさえいなかったら、さぞ人生が楽しいだろうと嘆かずにいられないような目ざわりなやつがいるものだが、ジャガイモの顔を見ていると胸の中にソレルの〈暴力論〉の直訳のような思想がムラムラとわきだし、ひと蹴り蹴ってやらないとおさまらないような気持になる。
あたしの足芸もずいぶん古いものだ。あたしがママのお腹をポンポン蹴っとばすので、ママは馬の子でもお腹へ入ったのではないかと本気で心配したそうだ。ヌイイ・シュウル・セーヌのメルヴィルさんの産院へ入院してからも、あたしが威勢よくじたばたするので、メルヴィルさんが宣言した。
「これは男のお子さんですよ。けっしてまちがいはありません」
ところが意外にもひょっくりと女の子が出てきたので、メルヴィル先生はひどく面目玉をつぶし、あたしが大きくなってからも、逢うたびにかならず愚痴をこぼした。
「マドモァゼル・サトコ、あなたにはまったくうまくだまされましたよ」
あたしはふしぎな赤ん坊で、オギャアともワンとも泣かないので、ずいぶんしずかな赤さんだなんて油断していたら、だしぬけに看護婦の顔の真ん中をうんと蹴っとばして卒倒させたということだった。
いやなやつで蹴られずにすんだのはひとりもいない。晩餐会などで気障なお嬢さんがとなりへ坐ると、食卓の下で泣くまで蹴っとばしていじめてやる。
「ママ、さっきから誰かあたしを蹴ります」
そいつがうらめしそうにあたしのほうを見ながら悲鳴をあげる。あたしは満面の笑をうかべながら愛想よくいってやる。
「お嬢さん、詩ですか。詩ならたくさんです、せっかくですけど」
それやこれやで、食卓のあるところではみな心得てあたしのそばへ寄りつかなくなってしまった。
どういうわけか、卓布のかかったテーブルでジャガイモと隣りあったことがなかったが、きょうはふしぎな縁でめぐりあうことになった。あたしはジャガイモの向う脛をせいいっぱいに蹴っとばしておいて、クラッカアのつづきを前歯で噛みながらゆっくりいった。
「よく聞えなかった。あなたのパパが戦犯になるだろうって。ほんとうにそうなら、たいへんだね。マニラ・ロープで首をしめられるというのは」
「なにをおっしゃっているの。あなたってほんとに愉快ねえ」
腓らっ脛へ靴の先が飛んできた。どっこい、そこはだいこんだ。たいして感じない。前よりすごいのをお返しする。
「愉快だってねえ、みなさんがそうおっしゃるのよ、あたしのことを」
ママがあたしのほうを見ながらいった。
「足を動かしているのはあなたなの」
あたしがいった。
「あたしじゃありません。彰子さまです。こいつ、へんに浮きうきしていやがる」
ママがむずかしい顔でいった。
「なんです」
宋美齢まがいのママ薯が、ねばりつくような声でいった。
「四代目クラブのおしこみがいいとみえて、あなたはいつも明朗カッタツね。それで、クラブの朝食会ではまだ自由コンフェランスってのをやっているんですか」
「大阪のなんとかクラブが真似しだしたので、いやだといってやめました」
「困ったひとたちね。ゴルフが流行りだすとゴルフをやめてしまう。射撃会が流行りだすとすぐやめてしまう。そんなことばかりしていたら、いまにすることがなくなってしまうでしょう。それでいまなにをしているんですか」
「このごろはお坊さんを呼んで、お説教をきいて遊んでいますんです」
「欧羅巴へ行ったり、日本へ帰ってきたり、また欧羅巴へ行ったり、その程度のでたらめなら救えますが、無常をおもちゃにするようになったらもうおしまいね。十四か十五で何百万という財産を相続して、十代でこの世の楽しみをしつくしてしまうなんて、ほんとうに不幸なひとたちです。あのひとたちの階級にまもなくたいへんな変動がくるのですが、いちどだってそんなことを考えたことがあるのでしょうか」
六右衛門さんや長謙さんの家では、番頭が事業の支配権を握り、当主の一族は配当だけもらって暮す高等養育院の生活で、すごく頭がよかった六右衛門さんのパパでさえいっさいの発言権を封じられ、死ぬまで生ける屍のような生活に甘んじていた。六右衛門さんは満州事変がはじまったとき、ちゃんと太平洋戦を見ぬいていて、戦争が勝っても負けても、金利生活者は根こそぎ絶やされてしまうだろうといっていた。ヤット子爵の貧乏華族より、六右衛門さんのほうがずっとよく時勢を知っている。ご心配はいらない。
ママがいった。
「あのひとたちは、あれでなかなか真人間なんですよ。六右衛門さんがいっていました。わたしたちは金があって食べることの心配がないから、あるだけの時間で日本のことを考えることができるって。傲慢ないいかたですが、あたしにはよく本心がわかりました」
「考えるだけですむなら、誰も苦労はしないでしょう。クラブというからなにをしているのかと思ったら、療養所の外気室のようなヴェランダのついたコテージの中へ、酒場だの、グリルだの、モンテ・カルロ式の鳩射場などをこしらえて、戦争中、毎日パァティをして遊んでいたというんですから」
ママがまたいった。
「あの貧弱な身体で、長謙さんがフランス一周の自転車競走に参加したことをごぞんじですか」
「知って居ります」
「日本人が一人も参加していないので、腹をたてたんだそうです。古い話ですが、K7さんがドオヴィル海岸の世界最初の自動車競走に、ただ一人の日本人として参加しましたが、K7さんは自動車がひっくりかえって死ぬものと、はじめから覚悟していたんだそうです。今日の英国をつくったホイッグ党の若いひとたちのことを思いだしますね。あのひとたちの努力も、金持の坊ちゃんのお道楽だといわれて、ながいあいだ誰からも理解されませんでしたが」
お君が電話をいいにきた。
「扇ヶ谷の天宮さまから」
あたしが立ちあがった。
「おっと、あたしだ」
「いえ、奥さまに」
ママが立って行ったが、間もなく帰ってきた。ママ薯が反っくりかえったままでいった。
「では、やっぱり」
ママはうなずいただけで返事をしなかった。あたしがママにたずねた。
「へんだな。満寿子さんがママになんの話だったの」
ママが落着いた声でいった。
「へんなことなんかないでしょう。あなたに関係のないことです。お茶はもっとあがるの」
「もうたくさん。お腹がガブガブ」
「おいそがしいでしょうから、ご自由に」
やれやれ助かった。あたしがいきなり立ちあがった。
「じゃ、失礼しようかな。みなさん、どうぞごゆっくり」
「どちらへかお出かけですか」
「クラブへ」
「クラブはやめておきなさい。きょうは家にいていただきましょう。ちょっと手伝っていただきたいことがありますから」
「へいへい。またのちほどお目にかかります。さようなら」
脇間の窓框に腰をかけてかんがえていたが、どうしてもへんだ。〈薔薇の花憲兵隊事件〉と〈俘虜収容所慰問事件〉でママは満寿子さんを誤解し、満寿子さんのほうはそれを面白くなく思い、たがいに交通権を放棄したまま国交回復をしていないから、両国間に電話で話をするような疎通が存在するとはかんがえられない。
ママ薯と娘薯は四代目クラブから入会を拒絶されて以来、クラブの会員とクラブ・ハウスを目の敵にし、〈法律第四十九号〉の面目にかけて、かならず解散させて見せるといい、クラブのほうでは南京虫と独逸馬鈴薯は根太が腐ってもクラブ・ハウスへ足踏みさせないといい、絶対に融和の望みのない阻隔状態になっていたのに、大小おそろいでクラブへ出現したなんてのはいかにもおかしい。ご放送があってから、ママまでがへんにクラブへ行かせたがらない。たしかになにかあったんだ。
クラブではあたしはおチビさん並みにしか扱われていないが、これでも会友のはしっくれだから、事クラブに関するかぎり、あんかんとしていられない。行けといわれたら行かないかもしれないけど、行くなといわれた以上、ぜひとも行かなくてはならない。
クラブへ行く道はいろいろある。〈災いはいつも表門から入るとはかぎらない(イギリスの格言)〉。こういうこともあろうかと思って、ちゃんと有料道路をつくってある。庭の境栽の月桂樹の根元に、ルルがそとへ散歩にいくときの御成門がある。ルルの私設道路だから使用料がいるが、そこをぬけて崖を這いあがると、花籬と南瓜畑にされた花壇の間へ出る。
お客間へもどってクラッカアをひとつ掠め、それを持ってブラブラ庭境のほうへ行く。うちの賢夫人には散歩しているとしか見えない。ところがそのへんで掻き消すようにだいこんの姿がなくなる。
ルルにクラッカアをやって、
「おい、通してくれ」
とたのむと、ルルが尻尾を振りながら通してくれた。
崖をあがりきると、黄色い地南瓜の花がコタァジュの横手で大さわぎをしている。しばらく見ないでいるうちに、長謙さんの蔓薔薇がパーゴラの天井まで這いあがってべたいちめんに握りこぶしのような花を咲かせていた。
戦争に敗ける年というのはさすがにちがったもので、寒流がどうとかこうとかして季節が一と月ほど延着しているということだったが、四月になって夏のような日が四五日つづくと、それまで鳴りをひそめていた花床の花どもがいちどにドッと咲きだした。三色菫が頭をふりはじめると、まもなく素馨とミモザがつづき、あとは薔薇、仏蘭西薊、錦葵、ミルトと花冷えのするほどめちゃめちゃに咲き、茴香やラヴァンドが匂い、南フランスの香水会社のお花畑のような派手な光景になった。
二十日の朝、屠殺場の皮剥のようなえぐい顔をした私服の憲兵がブラリとクラブへやってきて、もっともらしい顔で花壇の間を歩きまわっていたが、めずらしい花ばかりで名がわからないから参考のためにおしえてくれといった。
〈法律第四十九号〉の代表選手が、東京の九段坂からわざわざ鎌倉くんだりまでおいでになるというのには、それにはそれだけの理由がなくてはならないわけだが、長謙さんは本の背皮のことしかわからない頓馬だから、これはまた風流な憲兵もいるものだと、先にたって案内しながらいちいちていねいにおしえてやった。〈法律第四十九号〉はフムフムとうなずきながらきいていたが、それが目あてだったのだとみえ、なんとなく薔薇の花床のほうへ長謙さんをひっぱって行って、これは見事な薔薇だ、どこの原産かねとたずねた。よせばいいのに長謙さんは得意になって、
「こちらの単弁は〈イル・ド・フランス〉という銘柄のあるフランスの原産で、こちらの大輪は〈エドワード七世〉というイギリスの原産。こちらの厚物は〈亜米利加美人〉というアメリカの薔薇です。そうざらにない珍種で」
とニヤニヤすると、九段坂のひとはたちまち本性をあらわして、
「なんだ、この野郎。神国たる日本の土に米英仏の花を植えて、戦争の最中に眺めて楽しんでいるというのか。皮肉なことをするじゃないか。クラブの会員名簿があるだろう、持ってこい」
とすごい声でいった。
長謙さんがおどろいて会員名簿を捧呈すると、憲兵大将は唇をへの字にしながら、しゃくんだ顔で頁をくりだした。
「光井六右衛門……芦田長謙……村井陸平……天宮満寿子……藤原珠子……山勢千賀子……都合六名だな。これで全部か」
「ほかに会友というのがいますが、みな子供ばかりで」
「〈サボ・クラブ〉改称〈四代目クラブ〉だって……サボ・クラブというのは、戦争をサボるクラブというわけなのか」
「とんでもない。それは〈木靴から出て、また木靴にかえる四代目〉というフランスのことわざからとったもので、サボタージュなんかには関係がありません。どうか誤解のないように」
「うるさい。薄手な面をしやがって、ペラペラしゃべるない。訊ねたいことがあるから全員全部、明日の午前十時までに憲兵隊司令部へ出頭しろ」
翌日、四代目クラブ一同、九段坂の灰色の建物へ行くと、一人ずつ念入りに頭の中を検査されたうえ、始末書をとられ、花を抜いて南瓜畑にし、クラブの暖房装置をボイラーとも自発的に憲兵隊へ献納するという留保条件付でようやく放免された。
長謙さんは口惜しがって、その足で熱海の〈薔薇園〉へ飛んで行き、一九〇五年のカタログに載った〈ジェネラル・マックァサー〉という新種の蔓薔薇の苗を買ってきてパーゴラへ植え、空襲の最中でもせっせと水をやり、寝食を忘れて丹精していた。
ともかくすごい勢いだった。
ジェネラル・マックァサーというのは、将軍兼薔薇作りの名人だったジル・マックァサーのことで、汎アメリカ園芸共進会に一等をとった蔓薔薇に恒例的に〈マックァサー将軍〉のタイトルを贈ることになっているんだそうだが、七寸ぐらいの苗だったアメリカの蔓薔薇は、五月の末には一尺ぐらいになり、市松に組んだパーゴラの最初の横木に蔓を巻きつけたと思うと、太平洋艦隊の基地推進状況にテンポを合せてグングン伸びあがり、たった四カ月でアーチの天井まで這いあがってしまった。
憲兵隊本部が長謙さんの頭を叩いたりしなかったら、この蔓薔薇はこんなところで花を咲かせることはなかった。かよわい身体で〈仏蘭西一周〉の自転車競走に参加し、死ぬ思いで日本のために気を吐いた感傷的愛郷者を〈マックァサー将軍〉のほうへおしやったのは、けっきょくのところ九段坂だということになる。
ところで薔薇はいるが、人間はいない。遊戯室といっている庭に突きだしたラウンジの横の入口から入って、コージイ・コオナア、家庭食堂、図書室、ヴェランダと見てあるいたが、誰もいない。いまごろの時間には七・五ミリの機銃弾で肺を貫通された六右衛門さんが、外気室にしているヴェランダのデッキ・チェヤに長くなって本を読んでいるんだが、そのひとさえそこにいない。〈マックァサー将軍〉の件がまた誰かに密告され、薔薇の花憲兵隊事件のむしかえしでもやっているんじゃないかと心配になってきた。
最後に酒場へ行ってみると、わが四代目クラブの万能選手、執事兼家僕兼コック兼バアテン兼給仕兼運転手兼その他いろいろの詫間が氷を割ってレモン・スカッシをつくっていた。
「詫間さん、四代目クラブは死に絶えてしまったの。それとも解散したんですか」
「みなさん、昨日からずっと扇ヶ谷にいらっしゃいます」
「満寿子さん、どうかしたの」
詫間は出来たてのレモン・スカッシのコップをわたしながら、おどろいたようにいった。
「へえ、ごぞんじなかったんですか」
満寿子さんは例のむずかしい〈三角関係〉の解決がつかなくなり、クラブ宛の長い書置きを書き、終戦のご詔勅の放送を聞きながら、へんなものを飲んでしまったんだそうだ。
満寿子さんのばあやは乃木大将夫人に使われたことのあるしっかり者で、ご放送がすむと、満寿子さんの部屋へお祝いをいいにあがって行った。
「こん日は辰の日で、よろず新しく立つといういい日でございまするから、こんじつ以来、日本もいい運に向いてまいりましょうでございます。おめでとうございます」
そういってお辞儀をしたが、満寿子さんは口から蛍の光のような青白い息をだしてだまっているので、ばあやは気がついて、大いそぎで卵の白身を八つとか十六とか飲ませ、へんなものを吐きださせた。終戦の八月十五日は、旧教国では五大節の一つになっている〈聖母昇天祭〉の祭日にあたるので、カトリック教徒の満寿子さんは、聖母マリヤと同伴で昇天する予定だったらしいのに、ばあやがよけいなお節介をしたばかりにとうとう天国行のバスに乗り遅れてしまった、というようなことだった。
あたしが扇ヶ谷へ駆けつけたときには、おばあさまが附添って病院自動車で聖路加病院へ送られるところだった。
「満寿子さん、形見をくれるつもりなら、ルロンの黒い馴鹿のハンド・バッグたのむよ」
と怒鳴ったら、わかったとみえて笑いながらうなずいた。
敗戦後、最初の〈暗い日曜日〉
厚木の相模原航空隊の若いひとたちが、見るもあわれなボロ飛行機で、今日も早くから抗戦デモのビラを撒いている。宮城前では今朝も何人とかハラキリがあったそうだ。
満寿子さんは一昨日の夜、予定より二日遅れてカトリックの天国へ行ってしまった。昨日、クラブで告別式があった。
第一次進駐の連絡にマニラへ行く河辺さんの見送りをした帰り、横浜で降りて満寿子さんのお墓を見に行った。墓地と向いあわせのクライスト教会は、青い大谷石の外側だけ残してすっかり焼け落ち、山手の丘もほとんど焼野原になっていた。だからどうだということもない。台石の隙間から雀萱がもえだしてやさしく風に揺れ、崩れ残った煉瓦のチムニーや円柱はよろめくような長い影をひき、零落の気品にみちた、えもいわれぬ朝景色だった。
墓地へ入って行くと、そこだけ間がぬけたようにそっくりしていて、外人墓地と隣りあわせた天主教墓地の低い枸杞の生垣の中に、
男爵島野清彦 仏国飛行大尉 名誉勲章四等帯勲者
妻ジャネット このところに眠る
と彫りつけた鸛一さんのパパとママの小さな大理石の墓があって、そのとなりに満寿子さんの新しい木の十字架が、ごうせいな花にとりかこまれて立っていた。妻ジャネット このところに眠る
あのやさしい満寿子さんは、停電のさなか、聖路加病院の白い病室で、蝋燭のあかりに照らされながら息をひきとった。長謙さんが煙草をすいに出て、二十分ほどして帰ってきた。満寿子さんはしずかな顔で眠っていた。長謙さんが枕元の椅子に坐って、老眼鏡をかけて本を読んでいるおばあさまにささやいた。
「落ちついたようですね」
おばあさまが美しい眼で長謙さんを見あげ、ゆっくりと本を閉じてからいった。
「はい、死にました」
満寿子さんはじぶんのことでひとをさわがせたり、迷惑をかけたりするのをなによりきらいなひとだったが、いかにも満寿子さんらしい死にかただった。
ルロンのハンド・バッグたのむよと怒鳴ったときの満寿子さんの笑い顔が眼にうかぶ。いくらあたしがとんちきだって、ほんとうに死ぬと思ったらあんなことをいうわけはない。あんなものを飲んだぐらいで満寿子さんが死ぬなんてかんがえてもいなかった。
墓地の草の葉を撫でていく湿った海風は誰のためだろう? 潮騒のような風の音、滲みだすようにひびいてくる爆音は誰のためだろう? それは墓の前に坐っているあたしのためだ。満寿子さんはもうなにも感じない。苦痛もない。満寿子さんのところにあるのは想像もつかないような無限の時間だけだ。
抗戦デモの軽そうな飛行機が一機、夢遊する生命とでもいうような霊性をおびたようすでしずかに東のほうへ飛んで行く。満寿子さんの魂にも羽根が生え、天国の渚をあんなふうにひっそりと飛んでいるのにちがいない。
満寿子さんの大おばあさまは先帝のお乳人で、叔母さまは二人とも女嬬に上っている。八十いくつになっていられた大おばあさまは、五月二十五日の空襲の夜、参宮道路の真中にキチンと坐って、明治神宮のほうへお辞儀をしたままの恰好で焼け死んでいられた。
そういう家に生れたので、Y元帥以来、伝統的に不遜な気風を受けつぎ、宮中を無視したり〈あの方〉のご意志に逆らうことを見栄にして、軍に都合の悪いことでもあると、〈ご退位をねがおう〉などと放言してはばからない陸軍の朋党組織を憎み、日本の〈真の敵〉はアメリカでなく軍部なのよとはっきりいっていた。
満寿子説によると、将軍だの参謀だのという連中は、〈自分ではそうと気がつかずに、深いところで自信のなさの劣等感に悩んでいるかよわい一本の含羞草にすぎない〉ので、病的に威厳をつくろって過度な尊敬を要求したり、激怒したり、意識的に残忍なことをしたりするのは、みなそのインフェリオリテのなすわざだといっていた。
二・二六の朝、蒼ざめたインフェリオリテが大勢乱入してきて、奥の二階の十畳間に寝ていたTさんを殺した。Tさんはもう完全に死んでいるのにいつまでも斬ったり突いたりしている。刀自さまが、
「もう斬るのはやめてください。それくらいでいいじゃありませんか」
といったが、首がちぎれるまでやめなかった。
Tさんの遺骸のある部屋で、絵からぬけだしたような白無垢を着た美しいひとが、検死官に薄茶をたててあげて評判になった。それが満寿子さんだったが、その朝、満寿子さんは臆病者どものやりかたをはじめからしまいまで見ていてひどい憂鬱症にかかり、日本を逃げだしてあたしたちのいるパリへやってきた。その後、南京へ行っていた万国赤十字のひとから大虐殺の話をきいて徹底的な反戦主義者になり、当座は付武官で大使館にいた山チイの愛人の鸛一さんとさえ口をきかなかった。
PO戦の二年目、マニラやバターンの残虐行為の話をきくと、満寿子さんはひどく腹をたて、贖罪のためだといって、こわがって誰も手をださないIRCの俘虜の情報交換や救恤品送付の仕事を手伝いはじめ、ひと月に一度スイスの本部経由で送られてくる慰問品を、大森海岸の沖の島にある収容所へ届け、俘虜通信の世話をしたり、希望事項の伝達をしたり、銀行に預けてあった結婚資金を空にするような熱烈な奉仕をしていた。
日本のほかは、どの国でも万国赤十字を通じて俘虜情報の交換をし、救恤品を送ったりして相互的になっているが、日本人は敵につかまるとみな自決するはずで、俘虜なんてものはただの一人も存在しない。日本は万国赤十字なんかの世話にならんというわけなので、赤十字代表が収容所を訪問したり、救恤品を送ったりするのをできるだけ邪魔しようとする。満寿子さんなどもはじめからスパイ扱いで、標繩をつるした青二才の監督官に嫌味をいわれたり、憲兵隊へ呼ばれていいかげんにやめないと、生涯、陽の目の見えないところへ入れてやるぞとおどかされたりしたが、がんばってとうとうやめなかった。
PO戦争がはじまると、満寿子さんは、
「日本の真の敵は軍部でしょう。それとやりあっているアメリカは、だからあたしたちの敵でなくて〈敵の敵〉ってわけなのよ」
などと冗談をいったが、戦争が左前になって軍部が錯乱し、一億戦死なんて途方もないことをいいだすと、クラブの朝食会などで、
「軍部のクビキからあの方と国民を解放する力をもっているのはアメリカだけだわ」
と涙ぐみながらいっていた。
徹底的な軍部嫌いの感情の反対給付で、満寿子さんの気持はどんどんアメリカのほうへ傾斜して行ったのだとみえ、そのうちに収容所の班長のようなことをしていたハガアスさんというアメリカ人を好きになってしまった。
慰問品の受けわたしは所長と監督官の厳重な立会でやるので、冗談ひとついえるわけでない。好きになったといっても、それは心の中のことだが、そうと自覚すると、満寿子さんの国民感情と先祖の血が急に痛みを感じだした。〈解放者〉というのはアメリカの爆撃機コンソリデーテッドB24の別名だが、あの方と国民にたいして、アメリカがその役をしているのだと信じられたうちはよかったが、十三日の回答の第四項を読んでから急にアメリカのやりかたに疑惑をもちだし、戦う国の国民として、心の貞潔まで犠牲にして、今日までせっせとやっていたことはまちがいだったのかもしれないということになった。
長謙さんの場合は、〈マックァサー将軍〉を植えてうっぷんをはらすという、ユウモラスな思いつきをする余裕があったが、満寿子さんの場合は、恥とザンキと、あの方のお身の上にたいする心配と絶望がごったにいりまじって、とても生きていられないというギリギリのところへいきなりおしつめてしまった。
最後の朝、満寿子さんが山チイを呼んで、もしあたしが死んだら、あたしがこんな死にかたをしたことだけをハガアスさんにおしえてやってください。ほかのことはなにもいわないで、とたのんだそうだ。
〈ほかのこと〉というのは、満寿子さんがハガアスさんを〈そっと愛していた〉そのことなんだろう。それくらいのことはあたしにだってわかる。ママは〈あなたは戦争に敗けたというのはどういうことなのかまだよくわからないのね。かあいそうに〉といったが、戦争に敗けた悲しさや辛さが、こんなところにひそんでいたのは意外中の意外だった。いまのところはバカみたいにあっけらかんとしているけど、そのうちに身にしみてわかるようになるのだろう。
それにしても日本はどうなるのか。うまくいくのか駄目になるのか。かんがえると心細くなる。十六日の朝、日本占領軍の最高司令官がマックァサー元帥に決定し、トルーマン大統領が日本占領方式を発表し、つづいて日本進駐に関する米国側の指令を受けるために、日本政府の代表を至急マニラへ送るようにと外務省へ無電が入ったが、H宮にようやく後継内閣の相談があったくらいのところで、とても政府の代表などを出すところまで行っていない。
十六日の十時にH宮に内閣組織の大命が降り、本部に赤坂離宮を拝借して、日本はじまって以来の豪華な政治風景の中で組閣の準備をはじめたが、大臣の候補者はみな疎開したり移転したりしていて住所がわからず、住所がわかっても都内の電話はほとんど不通で役にたたない。マニラからは一時間おきぐらいにいつ連絡使を送るかとやかましくいってくる。内閣の成立が遅れるとそれだけ代表を送ることが遅れ、日本が故意にぐずぐずして、なにかまた秘密企図をやっているのではないかと疑惑をもたれるおそれがある。陸軍省から借りられるだけの自動車を借りだし手紙を持った使いを乗せ、克明に住所をさがさせる。近県に疎開しているほうは、ただ一つの通信機関になった内務省の警察電話を借りて連絡をとり、十七日の朝の八時になってやっとこさで組閣を完了。午後、親任式を終ってH宮内閣が成立したが、さて全権ということになると、人選がむずかしくてなかなかきまらない、昨日いっぱいごたごたし、けっきょく河辺さんをやることになって無電で通報したが、この三日間の渉外局と終戦連絡事務局の心配はたいへんなものだったそうだ。
全権のほうは、今朝、羽田からダグラスで送りだしたが、毎日のように海軍機がデモをやっているし、陸軍だっていつなにをはじめるかわからない。こんな平和な見せかけをしているが、木にも草にも戦争のイメージがまだしつっこくしがみついている。うつらうつらしている海のついむこうに、ミズーリ以下五百艘の艦隊が砲口を Tokyo へむけ、飛行機の翼に鼻の脂を塗ってどっしりと待機していることをあたしは知っている。
十四日夜の宮城占領組は、録音盤を追いかけまわしているうちに夜が明け、いかんながら昼興行の準備がなかったのでウヤムヤに終演になってしまったが、わからずやの徹底抗戦派や国体護持派が、額に手をあてて、〈いや敗けました〉とニッコリ笑ってひっこむとは思えない。こうしているうちにも、抗戦派がどこかでわッとあばれだせば、たちまち戦争へ逆もどりだ。
十時ごろ家へ帰ると、パパとママが食堂の脇間で終戦連絡事務局の田川さんと話していた。
「みなさん、おはよう。いいお天気ですね。パパ、きょうはお休みですか」
ママがあたしのほうへふりかえっていった。
「なにかご用ですか」
「咽喉がかわいてしょうがない。お茶でも一杯いただくかな」
「そうそう、あなたはしばらくご朝食をなさらないのでしたね」
「お茶だけで結構です。悲しくて、なにも咽喉を通りませんから」
「番茶の冷したのが冷蔵庫に入っています」
「じゃ、行って飲んでくるかな」
「お待ちなさい。冷蔵庫をかきまわすのはやめていただきましょう。お君にそういいますから、あなたは動かずにそこにいらっしゃい」
あたしはがっかりして椅子にかけた。田川さんがあたしのほうを見ながらママにいった。
「だいこんは今年いくつになったんです」
ママがいった。
「十七歳と七カ月です」
田川さんがひょうきんな顔でいった。
「ジャンヌ・ダルクが白馬に跨ってオルレアンの城をとりかえしたのも十七歳のときでしたね。有望ですよ」
「ひと晩じゅうゴソゴソなにかやっていて、朝早くどこかへ飛びだして行っていまごろ帰ってくるんだから、あまり有望ではありませんね」
「ポテト一家の娘薯が、脚を腫らして病院へかよっていますが、だいこんはたしかにジャンヌ・ダルク的なところがありますよ」
ママがあたしの顔を見ながらいった。
「あなた、彰子さんになにかしたんですか」
えらいことになった。あたしはあわててでまかせをいった。
「あたしは十七歳と七カ月ですから、十七歳より十八歳のほうに近いです。それにジャンヌ・ダルクのことはよく知りませんですよ。百姓娘のジャンヌ・ダルクが、六人の少年を連れてシノンの城へシャルル七世に逢いに行く〈無智の熱情〉ってところなら、いつか読んだことがあります。あたしがジャンヌ・ダルクなら、田川さんはシャルル七世ぐらいのところかな。たいして似てもいないけど」
ママがまたいった。
「とぼけないでちゃんとおっしゃい」
「ママ、それは誤解ですよ。あたしの気持はいま日本のことでいっぱいで、ジャガイモなんかにからかっている暇はないんです」
パパは上眼づかいであたしの顔を見ていたが、しばらくしてからいった。
「お前、このごろ毎晩おそくまで起きているようだね」
「そうです、パパ」
「小説でも読んでいるのか」
むっとしてあたしがこたえた。
「このごろは誰も小説なんか読みません。とてもそれどころじゃない」
あたしは終戦の日から〈新日本史〉の執筆をはじめ、毎日、部屋にこもってゴシャゴシャ書きつけている。なぜ日本が敗けたか、とか、敗戦の真相とか、そんなもんじゃない。敗けたあとでわかった真相なんか、焦げつかしたシチュウのようなもので、なんの役にもたちはしない。敗けたということだけなら、〈英雄伝〉の壮大なスタイルにならって、〈流星の一瞬の光芒のうちに、すべては終ってしまった〉と書いておくだけでたくさんだ。
それについて思いだすのは二人の先輩のことだ。グリニャン伯爵のところへお嫁にいった、フランス一の美人のお嬢さんに、フランス一の利巧なママが、フランス一の華やかなルイ十四世代の宮廷生活を四半世紀のあいだパリからせっせと書き送った〈セヴィニェ夫人の手紙〉。それから三代つづいてパリで生れた生粋のパリジャンヌが、子供の頃のパリのさまざまな思い出を書いたドオデエ夫人の〈幼い頃の巴里〉。この二人の女のひとは、小説を書こうとか美しい文章を書こうとか、そんなつまらないことを考えていたわけじゃない。歴史家も小説家も見落していた細かいことを丹念にひろいあげ、眼に見えるように生きいきと書きのこしておいてくれた。
あたしは子供のときすこし長く外国にいすぎたので、考えることもとんちんかんだし、むずかしい漢字も知らない。文章ときたら〈梅見に友を誘ふ文〉の式で、おはずかしいのテッペンみたいなもんだけど、そんなことにはおかまいなく、あたしのまわりに起きたことを見たとおり依怙地に書きつけている。
ゲエテ氏は、歴史を書くことは過去の重荷から逃れる一つの方法だといっているが、書けば書くほど重荷になるような過去もあるものだということをゲエテ氏に教えてやりたい。なんのためにこんなものを書いているのか、なにがこんなに煮えたつのか、こぼれるのかあたしにもわからない。
あたしがだまっていると、パパがだしぬけにとてつもつかないことをいいだした。
「スコパスはそそっかしい愛国者だった」
あたしは呆気にとられてパパの顔を見た。
「もう一時間も待っていれば、伝令がマラソンから大勝利の報知を持って駆けてくるというのに、こんなひどい負けかたをしたうえは、ギリシャはもう二度と国家の体をなすまいと悲観して、毒を飲んではかなくも自殺してしまった」
パパがなんのつもりでこんなことをいいだしたのか、あたしにはすぐわかった。つまるところパパは、あたしが日本の前途に絶望して、満寿子さんのように書置きでも書いているかと心配しているんだ。
めったに手紙さえ書かないあたしが、毎晩十二時ごろまでなにかゴソゴソ書いているというんだから、気にするのも無理はないが、あたしが、〈新日本史〉の一九四五年の分を執筆しているなんていったら、パパはびっくりしてひっくりかえってしまうだろう。
あたしが子供くさくばかりしていたので、パパの眼に収差が出来、どこもかしこも完成して結婚をまつばかりになっているこのユヌ・ダアムが、這い這いをしている赤ん坊のようにしか見えないのだ。あたしがいった。
「なんでもないんだよ、クロス・ワードをやっているんだ。馬鹿みたいなもんだけど、やりだすとやめられないんでこまるよ、あいつは」
パパは安心したような呆れたような顔でママにいった。
「十八にもなってクロス・ワード」
ママが同情深くいった。
「いまの十八ってこんなものでしょう。それにしても、そろそろ〈だいこん〉はやめてやらなくてはかあいそうです」
「だが〈だいこん〉といいだしたのはだいこんなんだ。そうだな、だいこん」
「そうです、パパ」
「そんなら、あたくしだけでもやめましょう」
「どうだい、だいこん、お前のだいこんは、もう、だいこんでなくなったかい。それでどちらともきめよう」
あたしはスカートをまくって腓らっぱぎをみてみた。どう見ても、すらっとも、細くなったようにもみえない。むかしどおりのだいこんだ。
「どうもなっていない。だいこんはだいこんだ。やはり〈だいこん〉でいいよ」
パパが笑いながらたずねた。
「マリア・テレザという名をきいたことがあるだろう」
「オーストリアの女王よ」
「マリア・テレザにお目出度があったが、外国の使節にも謁見しなければならないし、夜会にも出なくてはならない。それでクライノルという裁縫師を呼んで、出来るだけ大きなスカートをつくれといいつけた。クライノルはかしこまって、籠入スカートを参考にして直径二米もある輪骨[#ルビの「フープ」は底本では「フーブ」]の入った、とほうもないスカートをこしらえてもってきた。どんな大きなお腹だって入らないということはない。マリア・テレザはたいへんに気に入ったが、じぶんだけがそんなものを着るのでは目立ってしょうがない。それでおなじものをたくさんつくらせて女官に着せたが、間もなく全ヨーロッパの宮廷の流行になって、それが一世紀もつづいた。これが有名なクリノリーヌの歴史だ」
「知らなかった。それがどうしたの」
「お前もそういうスカートを流行らしたらよかろうということだよ」
「そうだね。あたしが皇后になったら、〈スカートは裾をひくこと〉という法律をだす。銀座やなにかで、裾にけつまずいてずいぶん転ぶひとがあるでしょう」
このへんでよかろう。深入りをするな。あたしが横をむいてお番茶を飲みだすと、田川さんがパパとママを相手にしてさっきからの話のつづきをしだした。聞いているとこんなことをいっている。
「もともと私などはその任でないのですが、この仕事をやってみて、戦争に負けた経験のない国も困ったものだと思いました。ほかのことならいちいちしっかりした規定があってそれに従って動いていればいいのですが、敗戦には事例がないので指示を得るわけにいかない。まごまごして毎日へまばかりやっています」
笑いながらパパがいった。
「終戦事務をうまくやるために、戦争に負けてみるというのもどういうものかね」
あたしはおかしくなって笑いだした。田川さんはジロリとあたしのほうへふりかえってからまたパパにいった。
「法の根拠や範囲について、原則や習慣が確立していないと、手も足も出ないのが官吏のペキューリアリティの一つなんで、いまさらどうしようもない。ドイツの終戦の場合はどう、フランスの終戦の場合はどう、と大急ぎでしらべてみましたが、いくら事例があっても、それはドイツの事例、フランスの事例で日本にはなんの役にもたたない。これにはおどろきました」
「おどろくことはない。そんなことはわかりきった話だ。きょうは君はおかしなことばかりいうね」
「いや、おそれいりました。それでフランス人や独逸人は敗戦をどんな感じかたをしているかと思っていろいろ読んでみましたが、アンドレ・モロアの〈フランス敗れたり〉……アメリカで出版したれいの What Happened to France には腹をたてました。第六章か……〈フランスの悲劇〉という章で、N・Aという英国の作家とフランスの敗戦の批判をしているところなんかひどいものだし、最後の〈フランス人よ、汝も祖国に忠誠であれ〉という結びなんかとぼけるにもほどがあるといいたくなります。フランス人のモロアがどういう立場に立ってそんなことをいうのか、観念の所在を疑いますね。負けたという感じにもいろいろあるでしょうが、日本人はああいう卑劣な言いぬけはしません。モロアって不愉快なやつです」
「あんなものを読んで腹をたてるなら、読むほうが悪い。あの男はヘルッオグという本名をもった純然たる猶太系で、その後、間もなく国籍を剥奪されてしまったから、フランス人はフランス人でも Ex(前の)という接頭語のつく亡霊のような存在なんだ。そういう人物が書いたもので腹をたてたり怒ったりするのはおかしい。亡霊というものはじぶんのしたことに責任を感じないのが普通だからね」
いい加減にお茶をきりあげて、パパの書庫から〈フランス敗れたり〉をひきぬくと、部屋へ帰って読みかえしてみた。
万事休す!
パリを奪取されては、フランスは頭を失った胴体にすぎない。戦争は負けた。
私は正午にはビュク飛行場へ行く予定になっていた。それまでの時間、妻と二人でパリの街の中で一番好きなところを、たぶんこれが最後になるかも知れないところを見てまわることにした。私たちは、アンヴァリード、セーヌ河岸……
パリを奪取されては、フランスは頭を失った胴体にすぎない。戦争は負けた。
私は正午にはビュク飛行場へ行く予定になっていた。それまでの時間、妻と二人でパリの街の中で一番好きなところを、たぶんこれが最後になるかも知れないところを見てまわることにした。私たちは、アンヴァリード、セーヌ河岸……
ビュク飛行場へ行く予定……なんてとぼけているが、じつのところは命が危ないと思っていちはやく運動して、じぶんだけが飛行機でロンドンへ逃げだしたんだ。あとで細君がパリを脱出するのにたいへんな苦労をしている。
それにしても細君を置きざりにして逃げだす二時間前、細君と二人でパリを見てあるく白々しさはどうだろう。その男が序文でこんなことをいっている。〈苦痛ではあるが、実相のほうがはるかに私の祖国フランスにとって危険性がすくない。この意味において、私は出来るかぎりの最善をつくして、客観的に且つ公平に述べておいた〉
それにちがいない。ロンドンまで逃げだしたら客観性は充分だろう。なんといったって五百キロ以上は離れているんだから。
日本が負けない前、この本を魅力があるなどと思ったことがある。それが癪にさわってたまらない。あたしはベッドにひっくりかえって腹をたてていたが、なんとかしてやっつけてやらなくては腹の虫がおさまらない。猛烈な反駁文を書いてモロアのところへ送ってやろうと思い書庫へ行って手あたりまかせに本をひきだし、床の上に山のように積んだのを三度に分けて二階へ運びあげた。
パパはあたしのすることを見ていたが、三度目にたまりかねたようにいった。
「本をどうするんだね」
「読むんです」
「読むのなら一冊ずつ持って行きなさい。踏台に使うならべつだが」
「でもね、今日中に百冊ぐらいやっつけなくちゃならないんです」
パパがジロジロあたしの顔を見ながらいった。
「きょうの夕食は食堂へお出になりますか。だいぶおいそがしいようだが」
「たぶん出られると思います」
「なるべくならお目にかかりたいのですがね。お話したいこともあるから」
「はいはい」
せっせと本を担ぎあげたが、骨折りがひどかったせいか、がっかりして気乗りがしなくなってしまった。それにしてもこのまますませる気はない。ギョロギョロしていると、庭でルルの吠える声がした。
だしぬけに霊感が到着した。ルルに〈フランス敗れたり〉を読ませて批評をきいてやろうというすごい名案がうかんだ。この思いつきは悪くない。それですぐママのところへ行った。
「バタをすこしください」
ママがあたしの顔を見ながらいった。
「麺麭がほしいなら麺麭がほしいとおっしゃればいいでしょう。そんなひねくれたいいかたをするのはおよしなさい」
「それは誤解ですよ、ママ。バタだけでいいんです」
「どうなさるの」
「本に塗るんです」
ママはなにかいいかけたが、あきらめたようにいった。
「いいだけ持っていらっしゃい」
冷蔵庫からバタを出して二階へ駆けあがると、〈フランス敗れたり〉を床の上に置いて、一ページごとに念入りにバタを塗りつけた。庭へ出てみると、ルルが夾竹桃のそばでつまらなそうにごろごろ転がっている。退屈して読書に餓えているらしい。本を芝生へ置いて、ルルをていねいに招待した。
「ルルや、本を読みましょう」
ルルはとんぼがえりをうちながら駆けてきて、庭がひっくりかえるような大きな声で吠えながら〈フランス敗れたり〉のまわりをグルグルまわってあるく。
「表紙をあけて」
ルルは表紙にかぶりついて横ぶりする。表紙がちぎれて本が遠くのほうへけし飛ぶ。
「こんどは序文」
ルルは表紙をほおりだしておいて、尻尾を振りながらそちらへ駆けて行く。はしがきのページをちぎってむしゃむしゃ食べてしまうと、涎をながしながらあとをさいそくする。
「よろしい。あっちへ持って行ってゆっくり読みなさい」
ルルは本をくわえて日蔭へ行って腹んばいになると、前肢の間に本を置いてページを舐め舐め上機嫌で読みだした。
庭からブラブラもどってくると、広縁の入口でパパにぶつかった。
「だいこん、今朝ほど二階の研究室へおあげになった本の中に、アンドレ・モロアの〈ホワット・ハプンド・トゥ・フランス〉が入っていなかったかね」
「入っていました」
「おあきでしたら、ちょっとお貸しねがいたいですね」
あたしはうろたえていった。
「あの本ならもうありません」
「いまあるといったじゃないか。ふざけないでちゃんといいなさい」
すこしずつパパから離れながら、あたしがいった。
「さっきあったけど、もう無いんです」
「どうして後退りなんかする。無いって、どうしたんだ」
「ルルが食べてしまいました」
パパがだまってあたしの顔を見ている。
「嘘じゃないんだ、パパ。さかんに食べている」
あたしはルルのほうを指さしてみせた。ルルはだいぶ〈フランス敗れたり〉が気に入ったらしく、二章目のはじめあたりをむしゃむしゃやっている。パパはたまげたようにいった。
「犬が本を食う!」
ママが広縁からいった。
「さっき本へバタを塗るといっていました」
パパが呆れたようにあたしの顔を見た。
「どうしてそうつまらないことばかりする。ちょっと伺うがね、今朝、二階へ持ってあがった本も犬に喰わせてしまうつもりなのか」
あたしが恐れいってだまっていると、パパがまたいった。
「本はいいが、それじゃバタがたいへんだ」
パパはパパだ。うまいことをいう。ママがなんともいえないしずかな声でいった。
「だいこん、ちょっとここへいらっしゃい」
「いま用があるから、あとで」
「あなたにおわたしするものがあるのよ」
「どうもありがとう。なんですか」
「まあ、そこへお掛けなさい」
あたしが椅子に掛けると、ママがいった。
「だいこん、あなたいくつなの」
「齢ですか、齢なら十八。わたすのは、そんなものなの」
「どれほど書いたひとが嫌いだって、本にあたりちらすなんて悪趣味よ」
パパはロッキングに掛けてママにやっつけられているあたしを痛快そうに見物している。
「そんな野蛮なことをするのは、ママはいやですね。手許へ置くのがいやなら、どこか見えないところへやればいいでしょう」
パパがベンチから弥次をとばす。
「あれはおれの本だ。勝手なことをしてもらってはこまる」
ママはなにも聞かなかった顔であたしにいった。
「あなたはもう十八にもなっているんですから、野性を発揮するのはいいかげんによさなくっては……ダンスをおしえるって上の陣地の若い兵隊さんをへとへとになるまでひきずりまわしたんですってね。見ていて気の毒なくらいだったって。どうしてそういい気になるんです」
畜生、どいつがいいやがったんだ。あたしがしずかな声でたずねた。
「どなたがそんなことをおっしゃったんでしょう」
「だれだってよござんす。それからこのあいだ彰子さんをひどく蹴っとばしたって」
「わかった。あいつがいいやがったんだな」
「あれはもうやらない約束だったでしょう。またはじまったんですか」
急に黙ったのであたしが参ったとでも誤解したらしく、ママ一流の修辞法でチクチクやりだした。
「あなたはじぶんの好きなひとや、じぶんの興味のあることだとすぐ夢中になってしまいますが、面白くないことや、嫌いなひとだとすぐ反撥して、倦怠の感じだけで疲れてしまうんです。あなたは小さなときから快活で、いくらかかあいいところもあったので、みながちやほやしたのを、じぶんがすぐれているためだなどと思っていい気になっているのかも知れないけど、それはあなたの考えちがいよ」
「そうです。あたしの考えちがいでした」
「あなたの欠点は、すぐ相手を見くびること。なにごとも勘でばかりやって、じっくり物事をやる習慣を持っていないこと。いくらか考えることが出来、おかしくない程度の文章は書きますが、数学はまったく駄目で、実物から離れると2とか3とかいうかんたんな数の観念さえ掴むことが出来ないことです」
ベンチからパパが助け舟をだした。
「こいつはみょうな機智を持っている。それは認めてやってもいい」
あたしはそれに飛びついた。
「ありがとう、パパ」
「しかしたいしたもんじゃない。自惚れるにおよばない」
このへんでいいだろうと思って、あたしのほうから要約して結論をつけた。
「犬に本を食べさせたりしないこと。十八にもなった以上、ひとを蹴っとばすような野性を発揮しないこと。みながちやほやするのをじぶんの徳のせいだなどと誤解しないこと。文章は書くが、2と3の区別も出来ないこと……これだけですね。よくわかりましたから、もうあっちへ行きます」
ママが立っていって、書物卓にのせてあった角ばった袱紗包を持ってもどってきた。
「これは、あなたのぶんの満寿子さんのお形見です。さっき満寿子さんのおばあさまがわざわざご自身でお届けくだすったのよ。ありがたく頂戴なさい」
あたしはニコニコしながら受取った。
「ルロンのハンド・バッグなんです。あっ、それにしてはいやに重いや」
袱紗をといてみると、ハンド・バッグどころか、黒表紙の古ぼけたノートが五冊、それもうんと分厚なのが出てきた。
「なんだ、これゃ。おばあさま、もうろくして、だれかのところへいくのを間違えて持っていらしたんだ」
ママがいった。
「お年は召していらっしゃるけど、あのおばあさまが、間違えたりなさるような方ですか。失礼なことをおっしゃるもんじゃありません」
「失礼でした……これゃ、とってもありがたいや。ではもう行きますから」
部屋へ帰ったが、いまいましくてたまらない。おばあさまはよく眼がお見えにならないもんだから、そばにあった黒いノートをハンド・バッグだと思って包みこんでしまったんだ。電話でおばあさまに文句をいってやろうと思ってベッドからはねおりたひょうしに、ノートが床へ辷りおちて見返しがあいた。
満寿子さんのすごくきれいな字で〈だいこん〉と大きく書いて、そばに〈“にんじん”のように〉と但し書きがついている。だいこんがにんじんのようだったら、八百屋はおおまごつきだ。なんだろうと思って読んでみると、この七年ぐらいのあたしの生態を、よくも見ていたものだと思うほど念入りにスケッチしてあった。
天使の足 アメリカへ行っていた六右衛門さんが、昨日パリへ帰ってきた。みなにお土産がある。珠子さんにはモザイックの美しい襟飾。長謙さんには黴の生えた古くさい初版本。だいこんにはゴムの巻脚袢のようなものをくれた。〈三十日で足をスラリと痩せさせる法〉という綺麗な説明書がついている。
だいこんのようなお嬢さんのために、アメリカにはこんな便利なものが発明されていた。毎晩これでしっかりと腓らっ脛をしめつけて寝ると、きっちり三十日で天使のような足にすることができると書いてある。つまり野放図にのさばっているやつに、しょうしょう窮屈な思いをさせてやるのである。
いままで統制などを受けたことがないので、ふくらっ脛はおさまらない。負けるもんかというので精いっぱいに反抗する。ゲートルのほうは面目にかけてそうはさせぬとがんばる。脛のほうが屁古たれて参ってしまい、腓がこむらの役をしなくなると、そこではじめて美脚法の目的を達するわけである。それにしても〈天使のような足〉とはうまくいったものだ。天使の足とは非実用の足のことである。ちゃんといいぬけができるようになっている。
六右衛門さんがゆっくり説明書を読みあげる、それからひどく真面目くさった顔でいう。
「まあ、やって見るんだね。どんなことになるか」
もちろんこれは六右衛門さんの冗談だ。こんないかがわしいものでだいこんの脛を台なしにするつもりはない。どんな顔をするか見てみたいだけのことなのである。痛がってどうせ二三日でかぶとをぬぐにきまってる。
六右衛門さんの意志はすぐみなに通じる。だいこんのパパもママも、珠子さんも、長謙さんも、どうするだろうと興味をもってながめていると、だいこんは書斎の隅のほうへ行って、なにかひとりでブツブツいいながら、ひっぱったり、ごしゃごしゃにしたり、しきりにいじくりまわしていたが、そのうちに気が無さそうにゲートルを本棚のうえへ放りあげると、プイとどこかへ行ってしまった。
「うっちゃりを喰ったかたちだね。これゃ」
だいこんのパパが六右衛門さんの横顔へチラと皮肉な微笑をおくる。長謙さんは油断しない。
「あれがだいこんの腹芸なのさ」
珠子さんが合槌をうつ。
「あたしもそう思う。あれで欲しくてたまらないとこなの」
「それじゃ、だいこんがかあいそうよ」
だいこんのママが肩をもつ。
「あれで、しゃらくなところもあるんですから、据りがいいぐらいに思っているかも知れないわ」
けっきょく、みなが考えているほどだいこんはじぶんの太い足を気にしているわけでないということに意見が一致した。
ところで三日ほどたつと、だいこんがみょうな歩きかたをするようになった。〈ファブル・デゾップ〉の蹠に荊を刺したライオンのような、見るからに悲壮な歩きかたをしている。
食堂へ入るとき、六右衛門さんがそれを発見した。
「おやおや、どうしたんだね」
だいこんがえらい勢いではねかえす。
「どうもしない。跛をひいているだけだ」
悠然とスープをしゃくっていたが、そのうちになんの予告もなく床のうえへ辷り落ちて気を失ってしまった。
おどろいてみなで長椅子へ運んで行ったが、そのときだいこんのスカートがまくれてチラとみょうなものが見えた。
大したことじゃない。パンフレットには〈夜寝るときだけで三十日〉と書いてあった。だいこんはそれを十五日でやっつけようとしたまでである。
西洋礼式 一週に二度、レオン・コストという西洋礼式の先生がやってくる。
珠子さん、山チイ、私の三人が、思いがけなく英国皇帝戴冠式の団体謁見と祝賀舞踏会へ出る身分をもらったので、大急ぎで英国式のお作法を習わなくてはならないのである。
コスト氏はむかし英国へ亡命したなにやら子爵の子孫で、いまパリで英国式作法教授の看板をあげていられる。宮殿の礼式やサロンの作法はもとより、ロンドンの四季や行事にくわしい。特製の“Little Londoner”といったところである。とりわけ熱い紅茶を音をたてずに飲むことがお上手で、先生もそれがお得意らしく、何杯となくおかわりをして奥儀をお示しになる。
ところでたまたま日本の緑茶が出ると先生はえらい音をたててズーズーと啜りこむ。安心してついうっかりやってしまわれるらしい。私たちはそんなことを荒だてる気はないから、なにもいわずにそっとしておく。しかし、だいこんは斟酌しない。ピアノの椅子に腰をかけて足をブラブラさせながら、怒ったような眼つきで先生の横顔を睨みつけていたが、とつぜん、
「ズーズー……えらい音だな」
とやりだす。珠子さんがあわてて眼で叱る。およしなさいってば。
だいこんは負けていない。容赦なくコスト氏に喰ってかかる。
「ふうん、日本のお茶なら音をたてて飲んでもいいんですね、コスト先生」
コスト氏は不意打ちを喰って眼を白黒にする。スースーと冷たい風を吸いこんで火傷をした舌を冷しながら立てなおす。この餓鬼め。
「さよう日本のお茶ぐらいならば、そう気をつかわなくとも、はあ」
それ以来、だいこんはひどい音をたてて紅茶を啜りこむ。日本のお茶は小鳥が水をのむように音をたてずにそっと喉の奥へおくりこむ。
流行 だいこんがパリの流行をリードしてやろうという大望をおこす。
二三年前に流行った伊太利風の大きな麦稈帽子をひっぱりだし、こねかえしたり踏んづけたりして洗面器のようなものをつくりあげる。
一生懸命に首をひねったすえ、けっきょく飾りには赤いトマトと花玉菜をつける。これにマヨネーズがかかっていたら、自動販売器の硝子箱の中におさまっている野菜皿そっくりである。
だいこんは大得意でフレッドさんを誘ってブゥルヴァルへおしだす。ところで、帽子の皿が浅いところへ野菜がひどく重いので、帽子は頭のうえに落着いていない。とかく鼻の上までズリさがる。
はじめのうちはそれとなく指で突きあげていたが、やがて精も根もつきはて、鼻のうえまで帽子をズリさげたまま、夕方の人ごみの中を「ごめん、ごめん」と手さぐりで歩いて行った。
つい五十時間ばかり前に死んだひとの肉筆……死ぬまであたしをかあいがってくれたひとの肉筆って、なんだか悲しいような気持にさせるものだ。なんということもなく、眼についたのを写しかけたが、こんなことをしてみたってしようがない。ママはまだ満寿子さんを誤解しているようだから、すこし読ませてやろうと思ってノートを抱えて階下へ行くと、ママは品のいいモオニングを着た式部官のようなひとを玄関から送りだしているところだった。
ママは急にいそがしくなった。パパの書斎へ行って長いことなにか話してから、燕尾服や大礼服に風を入れはじめた。
「ママ、なにかあるの」
ママはかんがえこんだまま返事をしない。ママは悧巧なひとだから、ひとと話をしながらなんでも考えることができる。考える顔つきでものを考えたりすることはめったにない。しばらくしてからママがいった。
「ダンス付きの茶話会なのよ。あなたルイーズさんのところへ行っていらっしゃい」
「いいよ、美容院なんか」
ママがほんとうに怒りだす前の、あのしずかな表情であたしの顔を見た。あたしは椅子から飛びあがった。
「はい、行ってきます」
「ママは出ますから、のそのそしていないで、すぐいらっしゃいよ」
「かしこまりました。夫人さま」
ママは大いそぎで身じまいをすると、訪問着に半礼装のシャールをかけて招待のお礼に行った。
どうも普通でない。茶話会や別荘会なら電話でお礼をいってすましてしまう。ヨーロッパにいるときだって、ユゥジェンヌ大公妃の夜会かパリ伯爵の大舞踏会ででもなければ、じぶんで答礼に行くようなことはなかった。
ママの居間へ行ってみると、鼬鼠の半外套や大礼用の長手袋までだしてある。あたしの知っているところは、ヴェルサイユのグラン・ギャラや大統領のレセプシォン付の晩餐会でも半礼装の夜会服でいいことになっていた。ホックが五つもついた肱まである長手袋をしたのは、戴冠式祝賀の団体謁見と帯勲者舞踏会が最後だった。パパにしても、日本へ帰ってからはめったにドレスコートなんか着ない。新任独逸大使のレセプシォンにも、めんどうくさがってタクシードですましてしまった。なにか格式の高い、たいへんな茶話会らしいのにママは隠している。
美容院から帰ってくると、応接間でマダム・オゥジエが待っていた。
「オゥジエさん、きょうはなんなの」
「さっきママからお電話があったんです。あなたのロオブ・ド・ギャラをおつくりするんですって」
三時ごろママが帰ってきてマダム・オゥジエと相談をはじめた。
「白でなく、赤にしていただくわ」
「そうでしょうか。それは赤にもよりますけど」
「いっそ濃い赤にしましょうよ」
「ではエスパニョール……明るい唐辛子色なぞ面白いじゃございませんか」
「血紅色なんかどうかしら」
「お嬢さまのような丸味では、ああいう野獣派の赤はいけませんわ。いっそ赤鉛筆色になすったら。いくぶん弱いですが、あれならお品もよろしいし、ヴァリュウも出ますから」
「じゃ、それにしましょう」
「それからフォルムですが……これはパトウですわ。この襞も結目もおかしなくらい無意味でしょう。ところがこれが全体をひきたてているんです。おわかりになりますでしょう。これはいかがですか」
「ええ、わかりますとも。パトウね……そう、全体をね……なんでもいいから真面目につくっていただきたいわ」
「どういうお向きなのでしょう」
めったにないことにママが顔をしかめた。
「ですから、真面目な向きなの。あなたはお上手だけど、すこしファンタスチックだという評判よ。こんどはそうでなくおねがいするわ。明日の正午まで。よくって」
「かしこまりました」
マダム・オゥジエが帰ると、あたしはママにたずねた。
「ロオブ・ド・ギャラを着る茶話会なんて、あたしはじめてだわ」
「あなたはほんとうの茶話会にいくどというほども出たことはないでしょう。ウィンナ風の正式な茶話会では、ロオブ・モンタントを着ることだってあるのよ」
「知ってるよ。でもそれはむかしのはなしでしょう」
「あなた、くどいのね。どうなすったの、きょうは」
「どうもしない。ただきいているだけだ」
ママがいきなり大きな声をだした。
「なんですか、そのおっしゃりようは。お退りなさい」
ママがこんなにひどく怒ったのは十年来のことだ。あたしはドアのところまでひと飛びにとんで逃げた。
「ごめんなさい、ママ。退ります」
あたしの性分として、腑に落ちないことをそのままにしておくわけにはいかない。パパなら話してくれるだろうと思って書斎へ出かけて行った。ノックしたが返事がないのでドアをあけてみると、パパは机の上にピストルのケースや油雑巾をだしっぱなしにしたまま、露台の硝子扉の前に立って庭を見ていた。
「だれだね。そこにいるのは」
「だいこん」
「なにか用ならママにいいなさい。パパはいまいそがしいから」
「ママじゃない。パパに用があるんです」
しばらくしてからパパがいった。
「じゃ、五分たってから来なさい」
あたしは廊下へ出て五分待っていた。入って行くとパパはじぶんの前のクリュブをさしていった。
「そこへお掛けなさい」
へんにていねいなので、あたしはたじたじになった。逃げだすほうがいいようだ。
「いそがしいなら、またあとで」
「まあいいから、そこへおかけ」
あたしは掛けながらでたらめをいった。
「うちでもいよいよ武装解除か。あのピストルは接収されるんでしょう。もう射撃会にも行けないんだね」
「敗けた以上、それくらいのことは当然だ。用事というのはそんなことなのか」
パパは泣いていたんだ。むやみにひッこすったのだとみえて、鼻のあたまや頬っぺたがひっぱたかれたように赤くなっていた。
パパがひとりで泣いている。またなにかあったんだろう。ひっぱたかれたようなパパの赤い頬を見ているうちに、茶話会のこともダンスのこともどうでもよくなった。あたしがいった。
「パパ、泣いてたの」
「行為としての戦闘は終ったが、戦争は終ったわけじゃない」
「そうですよ、パパ」
「ここで軍部がクウ・デタでもはじめたら、日本もご皇室もそれでおしまい。なにひとつ残りゃしない。もしそんなことになったらと思うとパパは泣かずにいられない」
「あたしなら、それくらいのことでは泣かない。まだなにもはじまったわけじゃないんだから」
「パパはお前とちがう。パパと日本のつながりは、お前の三倍だけ長いんだから、パパはお前の三倍だけ泣く権利があるんだ。たいした用事でなかったら、もうすこしそっとしておいてもらおう」
「じゃ、どうぞごゆっくり」
あたしが椅子から立ちあがっていった。
眠いのをがまんしてクラブの朝食会へ出かけて行くと、六右衛門さんがいつものように外気室のデッキ・チェアに長くなって穴のあいた肺へ空気を吸いこんでいた。
「だいこんか、ひどく早いね。朝食はお説教がすんでからだぞ。きょうはどんなことがあったって食い逃げをさせないから」
あたしがいった。
「朝食会で〈お好み焼〉をやめたら、あたしはもう来なくなるものと思ってちょうだい。きょうはまたご法話なの」
「きょうはカトリックの坊主だ」
「どんなお説教」
「そんなことおれが知るか。なんだっていいんだよ」
「ママ薯がそういってたよ。無常をおもちゃにするようになったら、四代目クラブももう最後だって」
六右衛門さんは、ふんといってそっぽをむいてしまった。
図書室へ行くと、山チイがコオジイの褥椅子に掛けてすました顔で本を読んでいた。いつだったかニースの英国人散歩道でシムプソン夫人を見たことがある。素敵な伊太利の麦稈帽子をかぶってビーチ・パラソルの下で 5 o'clock tea を飲んでいた。山チイを見るといつもシムプソン夫人を思いだす。大柄な顔だちのせいもあるが、まだ二十四でしかないのにまるで大夫人のような重々しいところがある。
山チイは東洋と西洋を股にかけて、従兄の島野海軍少佐、鸛一さん事シゴイさんを追いかけまわしていたが、シゴイさんが第九三四航空隊の司令になって前線へ行ってしまうと、ランヴァンの香水入りの書簡紙で、まいにち二十頁ずつもラブレターを書いていた。六右衛門さんの話だとマリヤ・アルコフォラドが修道院から心変りした愛人にせっせと書き送った〈ぽるとがる文〉そっくりで、まったくもって絶対なる文学だったそうだ。
あたしがいった。
「山勢千賀子さま、あなたはそこでなにを読んでいらっしゃいますの」
山チイがゆっくり顔をあげると、山鳩のようなふくらんだ声でいった。
「だいこんですか」
「誰が見たって、だいこんはだいこんさ。めずらしそうにいうことはない。毎日逢ってるじゃないですか」
「朝食会だけはよくお精が出るのね」
「いや、これはやられました。でもあなたさまの〈ぽるとがる文〉ほどじゃないよ。シゴイさんが復員したら、またうるさいことになるね。ときにご愛人からおたよりがありましたか」
「あいかわらずあなたのお饒舌箱はうるさいのね。ちょっとのあいだゼンマイをゆるめておくわけにはいかないの。満寿子さんの遺書を読んでるんですから、邪魔をしないでちょうだい」
「おどろいたな。それが遺書なの」
書置というから封筒に入った手紙だと思ったら、ちゃんと装釘がしてある。雲母のように光る白銀色の押革を表紙にして、四つ隅と背に海緑色のモロッコ皮をつけたぞっとするような美しい装釘だ。長謙さんの仕業だ。これにヒヤシンス石でも象篏してあったら、さしあたり七万五千弗の口だ。
あたしがまたいった。
「ずいぶんきれいな書置だ。あたしも読んでいいんだね」
「だめなのよ。あなたは会友だから見せられないの。あなたのような子供が読んだって面白いようなもんじゃないわ」
「そうなの。面白くないならやめておく。そんなものどうだっていいとして、あたしがもらったルロンのハンド・バッグのことですが、まちがってそちらさまへまいっておりませんでしょうか」
「まちがい、ってことはないけど、たしかに来ていてよ。あなたのほうへはノートを五冊あげておいたけど」
「あれがそうなのか。どうもありがとう」
「へんな顔するわね」
「いえ、結構ですとも」
「お説教がはじまったわ。あっちへ行きましょう」
「はあ、お伴いたします」
山チイと二人でバアのつづきのラウンジへ行くと、六右衛門さん、村井の陸さん、長謙さん、珠子さんの四人がおもいおもいのところへデッキ・チェアをだして長くなり、ローマン・カラーに黒い服を暑苦しそうに着こんだカトリックのお坊さんが、立飲台の向うに立ってノンシャランスなようすでお説教をしていた。お坊さんのうしろの酒棚に、半分は空だが、コニャックやポルトオの瓶がずらりと並んでいて、見た眼にもずいぶんへんなものだった。
「さて、ヨナは神に従いまつらぬ罪さえあるのに、さまざまに神を嘲弄し申し、人が造った船でヨッパから海へ駆落ちしようとした……だが、いまもお話したように、神は鯨に命じてヨナを襲わせたもうた。ヨナは生きた地獄の穴に呑みこまれ、水は千尋の底に彼をひきこんだので、海草は頭にまとい、あらゆる海の苦患はヨナのうえにはげしく波うった……ヨナは大いに悔いた。そこで神は鯨に命じたもうたので、鯨は冷く暗い海の底から、暖かで明るい陽のさす、大気の大地のよろこびにみちたところまでのぼってきて、ヨナを乾ける陸に吐きいだした。そこで神はヨナにいいたもうた。それはどういうことであったか。虚偽と戦って真実を説くこと、それだったのだ……みなさんよ、これが教訓だ。この世にあって恥辱を求める勇気のないものはあわれむべし。真実を吐く勇気のないものはあわれむべし。驕慢なるこの世の神々……将軍や提督どもに刃むかいながら、おのれの頑固なる自我をおし立てて行くものにこそ、よろこびはあるのだ」
つまるところ黒服のお坊さんは、ヨナにかこつけて熱烈な反戦主義のアジをやっているんだ。戦争中だったらお坊さんの赤剥ぎができるところだ。
お腹がすいた。
あたしも頑固な自我をおし立てようと、そっとラウンジをぬけだしてとなりのグリルへ行くと、食堂のまんなかの菓子焼場で、白いボンネットをかぶった詫間がいつものようにグリルド・ケーキをつくっていた。
「詫間さん、お早う」
詫間が愛想よくいった。
「おや、お早いですね。きょうはなににいたしますか」
「膨らし焼よ」
詫間が笑った。
「そうだろうと思いました。グリルへ入っておいでになるお顔つきで、きょうはなにをめしあがりたいか、ちゃんと詫間にわかりますんです」
詫間がうまい手つきで焼けた鉄板へ捏粉のかたまりを投げつけた。皿を持っているうちに、ヴァニラとカラメルの焦げるいい匂いがして、黄色い捏粉がセピア色になってふくふくと膨れあがった。
スウフレの皿を持って裏の鳩射ち場へ行って、芝生に坐ってひとりでモソモソ食べていると、珠子さんと長謙さんが手をひきあいながらクラブ・ハウスから出てきた。
見かけはひどくロマネスクだが、そんなことをしたってどちらもうれしくも痒くもない。クラブではこの二人に、〈あまり早くから自由に遊びだしたので、倦怠でどうにもならなくなっているのに、なんとかしてむかしの感激をとり戻そうと努力している永遠の恋人〉という長いタイトルをつけている。
競走自動車はまたなにか腹をたて、蚊とんぼのように痩せた製本芸術の手をグイグイひきながらあたしのそばまでやってくると、白のすごいジョオゼットがよごれるのもかまわず、乱暴に草の上へすわりこんだ。
長謙さんは珠子さんと並んで足をなげだすと、近眼鏡をゆりあげながらショボショボした顔でなにかいいだした。
「さっき情報局のSさんから聞いたんだが、今朝はやくから軍の空トラックが、都心から近郊へひっきりなしに走りだしているんだそうだ。東京の第一方面軍だけでも、菊名、相模厚木、国分寺、中山と、すくなくとも二コ師団はいる。今夜、零時にどれくらい宮城前へ集まるかしらないが、今夜のクウ・デタが成功して、第一総軍が広島の第二総軍に命令しだしたら、大阪の第十五も九州の第十六もみな動く。けっきょくのところアトミック・ボムブでふッ飛ばされてしまうのが落ちだけど、その前にわれわれ降伏主義者は一人のこらずやられてしまうだろう。たいへんなことになったもんだ」
珠子さんが癇癪をおこしたような声でいった。
「そんなことはもう昨日の午後にわかっていたことじゃありませんか。いまさららしくなにをいいだすつもりなの。卑怯だわ」
「臆病は病気の一種で、ぼくのせいじゃないが、卑怯というのは、なんだかやはり聞きすてにならないような気がする」
珠子さんがうんざりしたようにいった。
「もののいいかたまでバカげているわ。あなたのようなひとと十五年近くもつきあっていたかと思うと、あたし悲しくて泣けてくるのよ」
眼玉のレンズ調節に狂いがきて、むやみに視野が狭くなる病気があるそうだが、この二人がなにかやっているあいだは、まわりの視野が完全に脱落してしまうのだとみえ、それが誰であろうと、そばにいる人間なんかに気をつかうようなことはない。
ヨーロッパへ行ったり、日本へ帰ってきたり、またヨーロッパへ行ったりと、このあいだママ薯が悪口をいっていたが、それは長謙さんと珠子さんのことなんだ。
長謙さんも珠子さんも、親族繁殖によって一大フジョンをつくりあげたむずかしい家の四代目で、一日も早く、バカになるようにと、どちらもまだ十二三のとき、事業を支配している番頭の意志ではやばやとヨーロッパへ遊びに出されたが、おかげでヨーロッパに飽きあきしてすごい日本好きになり、毎年、桜の咲くころ日本へ帰ってきて、季節のはじまる十月ごろヨーロッパへ戻るという渡り鳥のようなことをしていた。
有島さんのお友達のSさんは、サルト県の山の中にある大きな古城を買って、いちども日本へ帰らずに、やさしい奥さんと二人でゆうゆうと絵をかきながら、三十年近くも落着いた生活をしている。ママなどもむかしは誤解していた組の一人で、Sさんのようなひともいるのにと二人のすることを歯痒がっていた。ひとにはどう見えるかしれないけど、どちらもたいへんな愛国者で、珠子さんはご放送のあった翌日、
「日本が敗けてから、日本がかあいくてしようがなくなったの。大切で大切でどうしようかと思うくらいよ。なんて単純なんでしょう。でもこの気持以上にいま強くあたしをウツものはないわ」
と、いつになくやさしく長謙さんに述懐したが、長謙さんの愛国心はいささか陰性なので、とんちんかんなことをいって珠子さんを怒らせ、たいへんなもんちゃくがおきたということだった。たぶんそのつづきをやっているのだろうと思いながら見ていると、長謙さんはポケットから手紙のようなものをひっぱりだして、小学生みたいにもぞもぞと節をつけて音読しだした。
「二十日のクウ・デタのうち、憲兵を中心にするミソギ隊のことは今朝Nからききました。行動するのは二十日の午前零時から明までの間。〈日本の大ミソギ〉といって、終戦に尽力した降伏主義者を家族もろともセンメツして日本をキヨめるのだそうで、襲撃目標の家は一軒ずつ要図つきのリストが出来ているそうです。南京やマニラで、あそこまで気ちがいになれるひとたちなのですから、ご親政に対立してしまった以上、どんなことでもやりだすでしょう」
珠子さんは横から手をのばして手紙をひったくると、四つに畳んで長謙さんのポケットへ押しこんだ。
「もうやめなさい。いくど読んだっておなじことよ。そんなものを読みかえして、たいへんだ、たいへんだばかりいっていたってしょうがないじゃありませんか。あなたはバカだから、なんとかすれば生きのびられるかもしれないなんて幼稚なことをかんがえているのでしょうが、よしんばクウ・デタからは助かったって、日本自体が無くなってしまうかもしれない、想像もつかないようなひどいカタストロフのなかで、あなたのようなとんまなひとがどうして生きていけるもんですか。さんざん苦しんだすえ、餓死するか、踏みつぶされるか、いずれみじめな死にかたをするのが関の山よ」
「それはぼくもそう思う」
「どのみち助かりっこはないんだから、今夜、あの連中がほんとうに馬鹿なことをやりだしたら、あたし機関銃の前へ飛びだして行ってやるつもりよ。役にもたたない〈ナンセン旅券〉を持って、ハダシでうろつきまわっているポーランド人のようなみじめな生きかたをするくらいなら、ひと思いに射ち殺されるほうがいい」
「でも、ぼくは君とちがうから」
あたしは笑いだしてしまった。
たしかに長謙さんは珠子さんとちがう。すこしちがいすぎるようなんだ。A宮のご夫妻が森をドライブしている途中、立木に衝突して亡くなられたあの日、珠子さんは買いたてのプジョォへ長謙さんを乗っけて森へ遊びに行っていた。珠子さんは看守や巡査の先に立って、血だらけの運転台へはいりこんで後始末をしていたが、長謙さんのほうは、ひと眼血を見ただけで貧血をおこしてひっくりかえり、ヌイイの家へ運びこまれるまでなにも知らなかった。それ以来、長謙さんはタクシに乗らなくなったが、珠子さんはこれも面白いと思ったらしく、競走用の豆自動車を買いこんでめちゃな運転をして遊んでいた。
あたしがゲラゲラ笑ったので、珠子さんがふりかえっていった。
「だいこん、ここにいたの」
それであたしがいった。
「ずうっとここにいましたよ。面白かった。もっとやんなさい」
珠子さんはあたしなんかにはてんで気がなく、長謙さんのほうへむきなおってつづきをやりだした。
「Tさんのようなお老人が何百人集まったって、クウ・デタに対抗できるわけはないけど、かなわぬまでも抗戦派に抵抗して、国際信義を身をもって示した日本人が何人かいたということになれば、連合国がギリギリの取扱いをするにしても、いくらかでも日本が残るかもしれない。J侯などが考えているのはそのことなんでしょう。死ぬのに意味なんかつけることはいらないけど、そういうことなら犬死にならないですむわね。あなたはあたしとちがうんだから、あなたのいいようになさい。あたしはあたしのしたいようにするから」
長謙さんがまわりの草をむしりながら、ぼんやりいった。
「君がやるというなら、ぼくもやろう。あの連中もあまりわからなすぎる。こんどこそぼくも腹がたってきた。六右衛門も陸平もそうだが、臆病だったばかりに、心にもなく戦争にアッピールしたことをいまでもにがい思いで後悔している。もう卑怯な振舞いはしない。この機会をはずしたら、生涯ぼくは真人間になれない。恐いことは恐いが、元気をだそう。死んだってしょうがない」
「あたしが死んで、あなただけが生き残ったってしょうがないじゃありませんか。そうでしょう」
「だから、やるといってるんだよ。でもその白いジョオゼットだけはやめてくれないかね。そんな白い服で血だらけになられたらまわりがみな迷惑する。ドラクロアの〈キオス島の殺戮〉の絵……かんがえただけでもやりきれない。たのむからほかの服にしてくれよ」
珠子さんが長謙さんの顔を見ながら吐きだすようにいった。
「あなたって、へんなひとね。たしかに神経衰弱だわ」
長謙さんがあわてていった。
「君のためを思うからいうんだよ。血が大袈裟に見えて、脅えてしまうから」
珠子さんが長謙さんの肩へ両手をかけて自分のほうへひきよせた。
「あなたはやはりいいひとだわ」
あたしが立ちあがった。
「これ以上見ていると、こっちが損をする。失礼しようかな」
珠子さんがふりかえっていった。
「だいこん、まだそこにいたの」
「もう、あちらへまいりますから」
グリルへお皿をかえしに行くと、詫間がちょっとといって、二つに折った便箋のようなものをあたしによこした。右端に〈陸軍〉といかめしい字を入れた赤い罫線を二段に仕切って、上の段にパパとママとあたしとお君の名を書き、その下に〈女中ハ一人ノミ。主人ト夫人ノ寝室ハ、東翼ノ奥。娘(あたしのこと)ノ寝室ハ二階ノ南側ノ正面〉と摘要がつけてある。
二階の西端の部屋がながいあいだあたしの部屋だったが、八月十日の夜、砲弾の破片で大きな穴をあけられたので、お客さま用のいまの部屋へ移った。これを知っているのはパパとママとお君と、ひっ越しの最中に遊びにきたジャガイモだけなんだが、〈陸軍〉がこんなこまかいことまで気をまわすとは思っていなかった。
「詫間さん、これなんなの」
詫間がむずかしい顔でいった。
「第三旅団旭部隊横浜隊の、佐伯という部隊長の従卒をしている弟がさっきまいりまして、佐伯というのは、大川周明の弟子だなんていっている神主あがりの気ちがいで、なにをやりだすかしれないから注意するようにといって行きましたんです」
今夜のあやしげな茶話会の真の意味を、あたしは諒解した。つまるところ茶話会にかこつけて家をあけて、陸軍をがっかりさせようというわけなんだ。
「襲撃というのは、いつやることになっているの」
「そのことはなんともいっておりませんでした」
「もし今夜だったら陸軍も運がわるいわね。今夜はパァティみたいなものがあって、みなそこへ行くんですから」
「さようですか。もしそうだったら愉快ですね。今夜のパァティって、赤坂のK会館前であるIRCの主催の、日本代表の送別会のことではございませんか。私もお手伝いにまいりますんですが」
「あたしよく知らないのよ」
「IRCの主催ということになりますと、治外法権ですから、いくら憲兵でも踏みこむわけにはいきませんでしょう」
「そういうものなの。それできょうのパァティ、お夜食が出るんでしょう」
「はい。ホテルの山丸がいたします」
家へ帰って、ご昼食をして、広縁のロッキングで本を読んでいると、オゥジエさんからギャラが届いた。スカートにいく段となくピラピラの襞飾のついた、裾のつぼんだ非常にまじめな服だった。ふきだしたくなるほどマジメな服なんだ。一九〇〇年のパリ万国博覧会の絵葉書……ごてごてに造花をつけた大きなボンネットをかぶって、柄の長いちっちゃなパラソルをさし、エッフェル塔の下をそそと散歩している仏国婦人……ざっと五十年前のあのフォルムなんだ。
「いい服だわ。十二月二十日にオペラ座でやる〈仕立屋の舞踏会〉の仮装にもってこいというところですね」
ママがぼんやりした声でいった。
「そうなら、どんなにいいか。その赤はほんとうにあなたに似合わないわね。いやだこと」
「いいんだよ、なんだって。どうせベティさんなんだから」
ママがなだめるようにいった。
「そんなに怒ることないわ。いまいったのはべつなことなのよ」
六時の演芸放送が〈ペアレとメリザント〉の抜萃曲のレコードをやっている。裏の芝生へ籐椅子をもちだして風に吹かれながら聞いていると、アリアがちょんぎれて、前ぶれもなくだしぬけにH宮の放送になった。
H宮首相はパリにいられるとき、クロード・モネのところで絵の勉強をしていらした。はっきりしたディクシォンでゆっくりものをいわれる方なのに、どうしたのか今日はひどく急きこんでつまずくようないいかたをなさる。
「国体護持については、自分は責任者として、積極的且つ具体的な考えをもっているから、諸君は自重して、ゲンシュクな態度で事にショしてもらいたい」
それだけでプツンとおしまいになって、さっきのアリアの切れたところへつながった。
諸君というのはどの諸君のことなのか。事にショするその事というのはどういう事なのか。だいいち誰にむかって言っていられるのかもわからない。雲をつかむような放送だった。
六時半ごろ、終戦連絡事務局の田川さんが電話で、今日の午後、羽田へ着く予定の河辺全権の乗ったダグラス機が六時になっても帰ってこない。途中で抗戦派の飛行機に撃墜されたのではないかと心配しているといってきた。
田川さんの電話がすむと、七時のニュースがまたちょんぎれて、H宮が〈国体護持については〉とさっきとおなじことをくりかえしておっしゃった。
長謙さんは、今朝早くから軍の空のトラックがひっきりなしに市外へ走りだしているといっていた。長謙さんのニュースには誤植が多く、ときどきとんでもないミスをするが、あの情報はほんとうなのかもしれないと、いやな気がしてきた。ご夕食だというので食堂へ行くと、食卓にシャトオ・イクィエムの瓶が出て、パパの食器にワイン・グラスが添えてあった。
パパが酒を飲む! 今日はへんなことばかりある。あたしがママにいった。
「パパ、お酒飲むの。大事件だぞ、これゃ」
ママが落着いた声でいった。
「このごろお疲れのようですから、おすすめしてみるつもりなのよ」
パパが沈んだ顔つきで食堂へ入ってきた。ママが葡萄酒をついだ。
「きょうは、めしあがれ」
パパはチラとママの顔を見てから、だまってグラスをとりあげた。
あたしはうれしくなってはしゃぎだした。
「パパ、お酒をあがるのはひさしぶりなんでしょう。感想はいかがですか。おいしそうですね。あたしも一杯いただくかな」
パパがママのほうへむいていった。
「今夜のパァティの意味をよくおしえておくほうがいいのじゃないかね。感ちがいをしてへんに調子づかれるとこまるから」
ママがあたしにいった。
「きょうの会はお齢をめした方のほうが多くて、あなたたちに面白いようなものではないのよ。ママはあまり賛成じゃなかったのですが、パパはこれは自主的な日本の最後のパァティだから、見せておくほうがいいとおっしゃったのです」
「ありがとう」
「日本は外交権と貿易権を喪失したので、中立国の公使、領事、事務官、商務官……それからこんなひどい時期に日本に踏みとまって日本のために骨を折ってくだすった、袖にすがってもひきとめておきたいようなかたたちまで、みなかえっておしまいになるのです。きょうは日本の側からも古いかたたちが大勢出席なすって、お別れをいったり、名残りを惜しんだり、思い出を語りあったりする会なのですが、日本側には、まもなく永久にお目にかかれなくなるような方もいるでしょう。お帰りになる方たちにはいい印象を残すように。これでお別れになるだろうと思われる方たちには、できるだけやさしくご挨拶なさい。六十、七十になって、戦争犯罪人という名をつけられなくてはならないその方たちの心のうちだけは察してあげなくてはならないのよ」
「あたしにあんな赤いへんてこなロオブを着せるのはそのためなの」
「ええ、そうです」
「でも、あんなバカみたいな服を着ていたんじゃ、とてもいい印象なんかあたえられそうもないね」
「バカみたいな服なんてあるはずはないでしょう。どこがお気にいらないんですか」
「なにしろたいへんな旧制度ですからね。あんなものを着て行ったら、現代人が胆をつぶしはしないかと思って」
「今夜のパァティは古い方たちばかりなので、タンゴやスウィングを踊ることはないでしょう。どうしたってウィンナ・ワルツやマズルカなんかのほうが多いのでしょうが、ぞべぞべしたア・ラ・モードの夜会服でマズルカを踊る恰好なんか、かんがえただけでもぞっとするわ」
あたしたちの年代はマズルカの流行が終ったころでダンスをはじめた。あたしたちの年でマズルカを正確に踊れるやつなんかいくらもいない。あたしがママにいった。
「マズルカやうるさいヴァイオリン・ソロのあるウィンナ・ワルツなら、あたしよりパパやママのほうがうまいにきまってる。あたしなんかの出る幕じゃないですよ」
「たいへんなご謙遜ね」
パパがいった。
「だいこん、忘れたか。お前がはじめてダンスをしたのはマズルカだったんだよ。エトルタの光井さんのヴィラで」
「そうだったかしら」
「パパがすこしさらってあげよう。あまりみっともないおどりかたをしないように」
あたしはレコードをかけてパパとマズルカを踊りだした。すぐ思いだした。パパと踊るとマズルカのむずかしい踏替えも旋回も跳躍もうそみたいにすらすらいく。パパがいった。
「お前はいい踊り手だ。美しく踊れるのは気持の平和な人間にかぎるんだ。パパはお前ほどうまくいかない」
今夜、パパはへんにやさしい。あたしはうれしくなっていった。
「今晩の一番のマズルカはパパと約束した」
「ありがとう」
パパの肩ごしにママのほうをみると、ママは椅子にいて大きな眼でこちらを見ていた。
「ママ、こんどあなた踊りなさい。お上手なところを見せてちょうだい」
「あたしはだめ。すっかり忘れてしまった」
パパがママにいった。
「踊ってごらん。すぐ思いだす」
「これはめったにないことですね。ではおねがいしましょうか」
ママが笑いながらゆっくり椅子から立ってきた。パパとママが上手にマズルカを踊りだした。だしぬけに夕立がきて、庭にしぶきがたった。
マズルカのおさらいがすむと、あたしは二階へ追いあげられてしまった。ラジオは一時間おきに〈諸君は自重して〉をくりかえしている。十時ごろお着替えをしておりて行くと、パパとママが居間で待っていた。パパの燕尾服は悲しげで、ママのモンタントはいかめしすぎてちっとも似あわない。ママはよほど前からこんなものがきらいになっているんだけど、きょうは愚痴をいわなかった。パパもママもなにか避けられない厳粛な義務をはたそうとしているようなストイックな顔をしていた。
横浜に近くなると、薄月が出て夜明けのような青い景色になった。前窓の中でヘッド・ライトに照らされた京浜国道がまっすぐにつづいている。四、五日すると連合軍が通る道だ。
「厚木へ降りた連合軍は、この道を通って東京へ進駐するんだね」
白手袋の手を膝について眼をつぶったまま、パパはうんともすんともいわなかった。
鶴見をすぎると国道が急に殺気だってきて、憲兵が赤い山形のついた提灯を振って人民の車をみなとめてしまった。山のような貨物や砲車を秘密っぽくカンヴァスで蔽い隠したトラックや、閣下クラスのセダンや、憲兵隊のサイド・カアがクラークションを鳴らしながらえらい勢いですっ飛ばして行く。
となりにあかあかとルーム・ランプをつけたパッカードが故障でエンコしている。参謀肩章をつるしたひとが朽葉色のしゃれたシートに掛け、白手袋の両手を剣の柄頭に重ねて、神がかりの武断派の蒼ずんだ顔でじっと前を見つめている。煮こごったようにピクともうごかない。
なんのためにひとりで鯱こばっているのかわけがわからない。いくら参謀でも、じぶんの家や、ひとの見ないところではもっとチョコチョコ動いているんだろう。ひょっとすると、これはあたしのために催している厳粛な活人画なのかもしれないと思うと、馬鹿らしくなって見てやる気もなくなった。
〈全軍将兵に告ぐ。草を喰み、土を齧り、野に伏すとも、断じて戦ふところ、死中、自ら活あるを信ず〉というのは、いまはもうこの世にいない阿南さんの八月十日の布告だった。戦争も参謀ももうひどい流行遅れなんだけど、そんなふうに澄ましているとまだ見られるかとでも思っている。あの窓を叩いて〈アイ・ラヴ・ユウ〉といってやったらどんな顔をするだろう。面白くなって子供のように足をばたばたさせると、ママがむずかしい声をだした。
「足をばたばたさせるのはおよしなさい。パパが眼をさましておしまいになるから。チョコチョコしないで、すこしお眠りになったらどうですか。フォアイエで眠りこんで、鼾をかいたりするのはごめんですよ」
ママがあたしの腕にさわった。眼をあいてみると、唐草の鉄のすかしの扉のついた大きな石の門を入ろうとしているところだった。
ヘッド・ライトで樹墻を照しながら、玉砂利の道をうねりあがって行くと、ひろびろとした園遊会向きの芝生のむこうに、柱廊のある美しい正面が見えた。どの窓も明るくかがやいて白い大きな汽船のようだった。
車寄せからすぐの白いポーチは、すらりとした優雅な円柱でささえられ、趣味のいい鉄金具の釣電灯がつやつやした嵌石の床を照している。玄関の脇間の柱にびっくりするほどたくさん花をつけた、繁みのような薔薇の大枝が飾ってあって、白髪の、知的ないい顔をしたIRCのグルネルさんとルロォさんが立っていて、ていねいにお辞儀をした。
雅名帖にめいめいサインをして、絨毯を敷いた低いペロンを三段ばかりあがって右へ行くと、大きな植木鉢で隠した鏡の前で美奈子さんがおかっぱをなでつけていた。あたしはそうっとうしろから行って、髪の中へ手を入れてくしゃくしゃにしてやった。
「どうした、おチビさん」
おチビさんは、ひどいわといいながらふりかえると、
「あら」
とあたしに抱きついてきた。
「おチビさん、あなたをこんな会に出すなんて奇蹟だね」
「きょうは特別なんでしょう」
「長謙さんや珠子さんといっしょじゃなかったの」
「あたしひとりよ。長謙、こんなへんな服を着せるの。あたしかなしいわ」
チロルの田舎の聖体行列の旗持ちが着るような、胸と腰に飾襞のついたひどく厳重なロオブで、その色がまた闘牛士の赤布式の燃えあがるような炎色ときている。長謙さんが珠子さんに白い服はやめてくれとたのんでいたが、そのとばっちりがこんなところへきたのかと思うと、ふきだしてしまった。
「おチビさん、素敵だ。それはピゲエの千九百四十二年の変り型なんだよ」
「あら、そうなの」
おチビさんは機嫌をなおして、鏡にむかって裾をひっぱったりスリーヴをなでたりしはじめた。
「とってもシックだ」
おチビさんは鏡の前から離れると、四角な袱紗の包みを抱えてうれしそうに笑った。
「あたし知らないもんだからいやでしようがなかったの。伺ってよかったわ」
「なんなの、その四角なものは」
「きょうは夜明しなんですってね。あたしお夜食、持ってきたわ」
「そんなもの持ってこなくたってよかったんだ。きょうはすごい夜食が出るんだよ」
「でも、しようがないわ」
「そうそう、そうだったね」
光井十郎右衛門さんの隆子さんが美術学校へ通っているあいだ、金蒔絵のお重でご昼食を持ってくるので有名だったが、長謙さんのご本家にもむずかしい家憲があって、子供たちは映画を見ることも、じぶんの家以外のものをたべることも、絶対に禁じられているので、おチビさんは年に何度かの同族会で幻灯を見るほか、映画というものを生れてからまだいちども見たことがない。映画については、幻灯が動く……というエスキモー程度のぼんやりした観念しかもっていない。同族のサロンや別荘のほか、どんな会へも絶対に出てこない。やむをえないお茶の会などには魔法瓶に水を詰めてお伴がついてゆく。それがまた蒸溜水なんだから知らない先方は気を悪くする。
「おチビさん、きょうは魔法瓶も来ているの」
チビさんが笑いながらいった。
「魔法瓶は二三日前から風邪をひいて寝ているわ」
「基本的人権を尊重しないとポツダム条約違反になるからね、そのうちに、映画も見られるよ」
「でも、あたしそんなに見たいと思わないわ」
「あたしなら〈白雪姫〉と〈ガリヴァー旅行記〉と〈ファンタジア〉と、この三つが見られると思うと、うれしくて気が遠くなりそうだわ」
広廊からフォアイエへ行くと、むこうの部屋部屋の扉はみな開けはなされ、シャンデリアの光のあふれる奥の大広間からラヴェルの〈ダフニスとクロエ〉の夢のような美しいメロディが流れてきた。
左手の広い廻廊のむこうに噴水盤のある芝生の庭がひろびろとひろがり、その端を議事堂の黒い森が区切っている。明けはなした硝子扉から夏の夜のさわやかな風が吹きこみ、かすかに噴水の音がきこえてくる。デカルト風の古い版画の中にでもあるような風景だった。
フォアイエでは五十人ばかりのひとたちがいくつもグループをつくり、立ったままで話をしたり、腕を組んで歩きまわったりしていた。銀の唐草模様の文官服を着た公使館の書記官、事務官や商務官、その夫人と令嬢たち、アグネスさん、イヴォンヌさん、ペンクラブの、M・L博士、シュタインさん、モギレフさん、J侯爵、プーさん……いろんなひとがいる。思いがけないひともいる。若いひとはほんのわずかで、全体に禿げ頭や皺や白髪のほうが目だち、ひとくちにいえば非常にクラシックなパァティだった。
男のひとはみなドレスコート、女のひとはデコルテかロオブ・ド・ギャラで背中の出るスリップのようなへんなソアレを着たレベッカやモオニングを着たピノチヨは一人もいない。会話の調子もささやくようで、耳障りなデクシォンや高笑いはどこからもひびかない。みなしめやかにお別れをいったり、遠くから眼でうなずきあったりしている。
フォアイエのとなりのサロンには花を飾ったテーブルがたくまぬ粋を見せてあちらこちらにちらばり、よく風の吹きとおす廻廊に近いところに、A宮のF妃殿下がママやT刀自やママ薯などと話していらした。あたしがそばへ行ってご挨拶した。
「さと子でございます。ごきげんいかがでいらっしゃいますか」
Fさまはあたしをごらんになってから、ママのほうへむいておっしゃった。
「これがあの小さなさと子さん。もうとてもわからないわ」
それからあたしにおっしゃった。
「あなたリセ(官立高等中学)の競争試験で一等賞をおとりになったって。十五で一等をとったのはあなたがはじめてでしょう。科目はなんでしたか」
「論文と歴史でございました」
Fさまがママたちにおっしゃった。
「あたくしはそう思うんですが、この年ぐらいのひとたちは、苦しいあいだで磨かれたので、みなしっかりしていますね。落着きはらっていて、こわいようですよ。よくかんがえていて立派な意見をはきます」
それからまたあたしにおっしゃった。
「日本は陸軍も海軍もなくなり、クラゲのようになってしまって、これでやっていけるのだろうかと心配しているひともありますが、あなたはどうかんがえますか」
そのことなら意見がある。あたしがおこたえした。
「その国自身は貧乏で弱いんですけど、その国があるために、ほかの国がみなしあわせになるというような……世界中から愛され、感謝され、あの国があるあいだは、世界はけっして壊されないという希望をあたえるような……そういう国になるような気がいたします」
みなさんが笑った。ママは困ったような顔をしていた。Fさまがおっしゃった。
「あたくしなどもそうですが、日本や、日本の立場にばかり固執すると、わかるはずのこともわからなくなってしまうのね。なかなかいいご意見でした」
それからママのほうへむいておっしゃった。
「あたくしがいま心をいためているのはあの方のこと……それからポツダム条約で規定された新国家領域の範囲内でやっていけるかどうかというこの二つ……この年代のひとたちがしっかりしてくれているので、あの方にさえおかわりがなければ、あとはこのひとたちが立派にやってくれるでしょう」
歩廊をほのかな音のする半音のグロッケン・シュピールを叩いて歩く。耳がそのメロディに乗って主調音へさそわれる。
一番のワルツがはじまった。〈ワルツへの誘い〉だった。人影がサロンから大広間へ移ってきて、蜂の巣の中にいるような、リズムのある一種独得なさざめきがきこえてきた。
「このワルツの曲にはこんな思い出がございます」
ママ薯がしゃべりだした。みなさんがだまってきいている。ママ薯は今年の春ごろから急に文武両道をこころざして、会合へ出るときはいろんな本を読んで暗記してくる。まだアマチュアなので持ってきただけのものを全部披露しないと承知しない。〈武徳会夫人のご朗読〉といって、これがはじまるとみな観念して最後まできく決心をする。
「ドイツがポーランドへ進駐する前日の八月三十一日の夜、パリのイエナ街のオランダ大使館で、皇帝誕辰の祝賀舞踏会がございました……ちょうど今夜のような美しい夜で、色電灯をつるした芝生の庭で、ドイツ大使の二人のお嬢さまやポーランド大使のお嬢さまが、若い将校たちとこの曲でワルツを踊っております。わたくしどもにはあと何時間かすれば進駐がはじまることがわかっておりましたので、この夜会は、ウェリントン将軍がウォータァローの戦いの前夜、ブリュクセルで催した夜会のようなものだと思いまして、なんともいえぬ感じにうたれましたのです。今夜の茶話会もなにかそれに似たようなところがございます」
なにをつまらないことをしゃべりちらしているんだろう。ポーランド進駐の前夜どころか、明日の襲撃のめじるしに新教徒の家の門口へ一軒ずつチョークで×をつけて歩いたという、八月二十八日の未明にはじまった聖バルトロメオ祭日大虐殺の前夜のようなものだ。
そこをひき退ってサロンへもどると、壁付灯でほんのりと照明された、ふかふかしたディヴァンのあるしゃれたコージイ・コオナアに、長謙さんが珠子さんとならんで掛けて、厚味のある大きな本を読んでいた。
長謙さんはドレスコートの襟に赤いカアネーションの花をつけたりして、今夜はむやみに気障っぽい。長謙さんは赤いギャラにしろと熱心にすすめていたが屈服しなかったのだとみえ、白いスリップに豪奢な薄紗を重ねていた。
またモメているのらしく、あたしに眼もくれず、珠子さんはいらいらしながらハンド・バッグの中をさがしている。あまり熱心にやっているので釣りこまれていっしょになってのぞいたら、コンパクトや口紅といっしょに、マッチ箱よりいくらか大きい、あのちっちゃな客間用のピストルがはいっているのがみえた。珠子さんは抗戦派がクウ・デタをやったら機関銃の前へとびだして行くんだと激昂していたが、この雀撃ちのサロン・ピストルで軍部とやりあうつもりなんだ。
珠子さんはライターを見つけて煙草に火をつけると、へんに長い煙をふきだしながら長謙さんの横顔をながめだした。またはじまるなと思っていると案の定やりだした。
「その本、読むの、おやめにならない」
長謙さんは本をはなすと、びっくりした子供のような顔をした。
「いまになってそんな本読むなんて、そんなシニスム、下等だわ」
なにが問題になっているのだろうと思ってタイトルをのぞいてみたら、〈ハムメルライト著、ピストルと自動拳銃射法〉と書いてあった。長謙さんはまったく変っている。ふざけているとしか思えないんだけどこれで大真面目なんだ。長謙さんは近眼鏡を光らせながら珠子さんの顔を見ていたが、それからいった。
「これぐらいいまぼくの感情にぴったりする本はない。植物の本でも読みだしたら、それこそ下等なシニスムだ」
珠子さんはいよいよ長い煙をふきだしていたが、またいった。
「胸の赤いカアネーション、それなんのおまじないなの」
むずかしくなってきた。あたしは眠っていることにして眼をつぶった。長謙さんがフリュートのfのようなやわらかな声でいった。
「じぶんが議事堂のわきで、気のちがった軍人の機関銃でひと薙ぎにされるようなことも、ひょっとしたらあるかもしれないと、君は過去にいちどでも想像したことがあったかね」
「なかったわ」
「ぼくがルゥヴルでゴヤの〈銃殺〉やドラクロアの〈キオス島の殺戮〉を見たのは十六のときだったが、世の中が乱れたら、こういうこともじぶんの身に起りうると思って、ちゃんと死際のスタイルをかんがえておいたんだ。気障に見えたらかんべんしてくれたまえ」
珠子さんは長謙さんのほうへすり寄って行くと、頭をひきよせて額へちゅっとキッスした。あたしは気をわるくした。
「いま小鳥が鳴いたね。夜が明けたのかと思った。お邪魔でしょう、あっちへ行くわ」
ホールではちょうど二番がはじまったところだった。男は男同士、女は女同士、お老人はお老人同士で組んで、踊りながらおじぎをしたり眼をふいたりしている。シュトラウスの〈維納の森の物語〉の浮きたつような軽快なワルツがひどく湿っぽくなっている。
ホールの入口で立ち話をしている陸さんのうしろをすりぬけようとしたひょうしに、なにか固いものがいやというほどあたしの手の甲にぶつかった。なんだろうと思ってズボンのヒップにさわってみると、二二番ぐらいの大きなブローニングが入っていた。
昨日、パパの書斎の机の上に、油雑巾といっしょに六吋半の射撃用のピストルが出ていたのを思いだした。たぶんパパもあのすばらしく長いのをどこかに隠して持っているのにちがいない。
長い廊下をブラブラ歩いて立食の大卓のあるところまで行くと、ラジオが〈自重して〉をくりかえしている。ママは交通権だのお別れのパァティだのとごまかしていたが、日本代表や商務官のお別れにピストルなんかいるわけはない。今朝、珠子さんがいっていたように、抗戦派のクウ・デタにたいする連合国側への〈謝罪〉として、このひとたちは身をもって国際信義を示そうと決意しているんだ。ドレスコートやギャラを着こんだこのひとたちが、インフェリオリテどもの機関銃に対抗して、議事堂前の竜舌蘭の葉の間からピストルを射っているところを想像すると、戦争映画の感動的な画面のように美しいが、実際は、しどろもどろな、眼もあてられないような悲惨な光景になるのだろう。いまワルツを踊っている六十いくつかになられるJ侯爵のヒップにも、皺だらけのT・Sさんのヒップにも、ひとつずつピストルが入っていると思うとたのもしいかぎりだけど、こんなよたよたのお老人が、議事堂の広場や首相官邸の玄関で犬のように射ち殺されるのを見るのはまったくやりきれない。なんという国だろう。
短い休憩がすむと、大広間に椅子がならべられて一番のマズルカがはじまった。ゆうべパパと踊ったパデレゥスキーの〈ジプシイのように〉だった。
パパと一番を踊る約束だったのでさがしに行くと、パパは大きなほうのサロンでJ侯爵となにか熱心に話していた。パパの横顔がびっくりするほど蒼かった。あたしはおどろいて逃げだした。
ヴェランダから庭へおりて噴水盤のそばへ行くと、おチビさんが芝生へすわって、膝へお重を載せてひっそりとお夜食をしていた。
「おチビさん、ひとりなの」
おチビさんは特有のしずかな声でいった。
「あたし、いつだってひとりよ」
ほんとうにこのひとはいつもひとりだ。支配人と家庭教師だけがこのひとの〈肉親〉だ。きめられた日のほか、じぶんの兄のところへも遊びに行けない。あたしはおチビさんのそばへ足を投げだしてすわった。
「おチビさん、おいしそうだね」
「ちっともおいしくないわ。でももうそろそろはじまるんでしょう。いまのうちに食べておかないと」
あたしがたずねた。
「おチビさん、あなた知っていたの」
おチビさんがうなずいた。
「長謙がいったわ。お前とおれはたぶんべつべつに死ぬことになるだろうから、そのつもりでいなさいって。長謙は珠子さんといっしょに死にたいのよ」
「死ぬときはどうしたってべつべつさ」
「そのことならなんとも思っていないわ。ただアメリカ人に殺されるんだったらどんなにいいだろうと思うのよ。日本人に殺されるの、情けないわ」
「しょうがないさ。こんな国に生れたんだから」
「あたしのこのロオブ……ピゲエの変り型だってほんとうなの」
「ほんとうだ、なぜ」
「そうだったら、あたしいままでにいちばんシックなロオブを着て死ぬことになるんだわ。あたしこんなお服、どんなに着たかったか知れないのよ。でも、だいこん、この色あなたどう思う。あたしあまり好きでないのよ」
「その赤は赤鉛筆色っていうんだ。とてもシックなんだ。日本にまだないんだよ」
おチビさんがニッコリ笑った。
「そうなの。知らなかった。あたしなんだか好きになったわ。長謙がそういうのよ。これくらい赤いロオブを着て死んでいたら、腐るまえに、誰かが見つけて埋めるくらいのことはしてくれるだろうって」
なるほど、それがママのつもりだったのか。あたしはじぶんのロオブを見てみた。ぞっとするような朱色だ。これなら十里先からでも見えるだろう。
あたしは芝生の上へあおのけに寝た。空はノアイユ夫人が形容したような子供らしいすき透った青さで、むこうの黒い森のうえに議事堂の塔が薄月の光をうけて白く立っている。大広間の窓々からはシャンデリアの光があふれ、ツィガーヌ風の啜り泣くようなヴァイオリンのカダンスと踊りのさざめきがきこえ、組を変えて踊っているリズミックな影が、ちらと窓にうつってはまたすぐ遠のく。〈フィガロの結婚〉の第五幕目にそっくりな、浮き浮きするような華やかな舞台面が、間もなくどんなひどい騒ぎに急転換するのだろう。
あたしの人生は今夜十八歳をもって終りをつげる。殺されるということ、それから死ぬということ……どちらも経験がないのでよくかんがえられない。いよいよとなったら泣きだすかもしれない。ひょっとするとみじめなことをわめきだしそうだ。
いやだな。悲しくはないけど、胸が重い。痛いかしら。たぶんそうひどく感じないだろう。おしつけるようないやなショック……辛い、なんともいえないおそろしい瞬間……気が遠くなる前のあのよろめくような感じ……地面が足の下でぐらりとゆれる。眼の前の景色が急に夕暮のように暗くなる。短いすすり泣き……たぶんそのへんですんでしまうのだろう。
おチビさんがいった。
「もう夜食が出ているはずよ。行っていらっしゃい。あたしになら、ご遠慮はいらないわ」
外廊へあがる石段のそばに小さなパーゴラがあって、卓のうえに豆電灯を入れた磨硝子の白熊が一匹置いてある。見に入ると、奥の椅子から、パルドンといって背の高いスイス人らしい若いひとが立ちあがった。
「おかけなしゃい。ここはしずかでしゅ」
あたしが掛けると、スイス人は籐椅子に沈みこんでパイプをふかしはじめた。あまり上等でないタクシードを着て、刻煙草のような幼稚な口髯をはやした、子供っぽい、善良な顔をしている。ダンスを逃げてこんなところでひとりでパイプを楽しんだりするのは、相当な変人にちがいない。
「あなた、なにしているの」
「空を見てましゅ。美しい夜でしゅね。キャリフォルニアの夜のようでしゅ」
あたしも空をながめた。はやくB29が空いっぱいになるほど進駐してくればいい。ATOMIC BOMB と大きく書いたプラカードを持って十万機も飛んできたら、あのひとたちも恐れいってやめてしまうにちがいない。あたしは空を見あげながら子供のような英語でつぶやいた。
「Harry, my boys !」
スイス人が子供にいうような英語でしゃべりだした。
「日本のモースーメさん、みな田舎へ逃げている。お前は逃げないのか」
「逃げなければならないほど、左様にあたしは美しくない」
「お前が言わんとする真の意味を諒解した。それにしても、昨日まで敵だった国民に統治されるということは、誇りをもつ国民にとって耐えがたいことだろう。お前はどう感じるか」
「耐えがたいか、耐えがたくないか、アメリカ人のやりかた次第だ」
勿忘草のような青い目をしたこの子供っぽいひとは、スイス人でなくて、たしかにアメリカ人なんだが、どんなことがあったって正常なアメリカ人がこんなところでパイプをふかしているわけはない。いろいろかんがえているうちにまもなくこのひとの正体を見ぬいた。
「大森海岸の、へんな料理屋の裏手の、海岸から五百メートルほど沖の埋立地にある、俘虜収容所といわれている陰気な建物を、もしやお前は知っていないか」
「知っている」
「お前はPWか」
「然り。八月十七日までは」
「いまはPWでないのか」
「十七日に俘虜満期になった」
「お前はいまどこに住んでいるのか」
「横浜のバンド・ホテルに」
「市民だったときの職業はなにか」
「新聞記者。しかしコレヒドールではGIとして戦った。私の射った弾丸は少数の日本人を倒したかもしれない。アイム・ソリ」
「それはおたがいさまだ。お前はこのパァティに招待されたのか」
「否。IRCの日本代表の下で働いていたひとに逢うために来た」
「そのひとは雄か否」
「否。雌」
「お前はその雌に逢ったのか」
「否。探したが見あたらなかった」
これでわかった。このアメリカ人は満寿子さんがあんなにも好きだったハガアスさんなんだ。IRCのグルネルさんあたりから今夜のパァティのことを聞いて、満寿子さんが来ていると思って、誰かのタクシードを借りてそっと見にきたというわけなんだ。
あたしは霊媒のようなすごい声でいった。
「あたしにいま霊感がきた。お前の名をあててみよう。お前の名はヘンリー・ハガアス」
「そのとおり。お前はすごい神霊者だ。お前はさっき空を見あげながら、早く来いといったが、誰を呼んだのか」
「あたしのスイートが、四五日するとB29で厚木へおりる」
「彼の名はなんというのか」
「ジーザス・クライスト」
「それは彼の本名か」
「日本人にデモクラシーの大礼をあたえるために空から降臨するというんだから、彼はたしかにキリストの一種なのにちがいない」
「その pun(しゃれ)は素敵だ。〈星条旗〉に書く。〈敗戦後、米国人が最初に会見した日本のモースーメさん〉というタイトルで。面白いストーリーになる」
「面白いというようなことではない。お前はあたしのハートを理解することができない」
あたしは泣きだした。かまうもんかと思って、わんわん泣いてやった。ハガアスさんがいった。
「戦わずに偉大になった国はひとつもない。アメリカにもいくども危機がきた。ひどい試練だった……分裂の危機、パニック、インフレーション、失業、食糧飢饉……オクラホマの大飢饉のときには、何万という州民が徒歩でキャリフォルニアへ移住した。たくさん餓死した……今日の米国をつくるために、アメリカ人はどれほど勇敢に戦ったであろう。それは、はげしい、長い長い戦いだった……」
ハガアスさんはまだなにかいっている。なかなか夜が明けなかった。
〈八月二十日のクウ・デタ〉が成功していたらクラシックな方たちは一人のこらず機関銃で薙ぎ倒され、あたしたちの赤いフロックは議事堂の竜舌蘭の間で絶命して、大きな花が咲いたと思わせたことだったろう。なにもかもすんでしまったあとでは、夢だったとしか思われないパテティックな茶話会の翌日から七日の間、部屋から一歩も出ずに〈歴史と歴史の間の歴史〉の執筆をしていた。
あたしの記憶はかあいらしい白熊のデスク・ランプのあるしゃれたパーゴラで、勿忘草のような青い眼をした満寿子さんの愛人だったアメリカ人に福音を説かれているあたりでぶっつりとぶったぎれている。十七世紀のフェレンツェやナポリ公国のお抱え歴史家は、君主に都合の悪い事件は眠っているうちにすんでしまったので知らないことにしている。スタンダールは“カストロの尼僧院長”の序文で、曲筆の価値がこれ以上認められた時代も、これ以上金になった時代も嘗つてなかったと書いているが、あたしはそんな無邪気な言いのがれをしているのではない。おはずかしい話だけど、例のとおりいつの間にか眠ってしまったのだとみえ、おチビさんに揺りおこされて眼をあいたら晴れ晴れと朝になっていた。
「だいこん、起きなさい。もう帰るのよ」
なにをいっているのかわからない。あたしたち降伏主義者は、どうしたって助からない屠殺の場へ追いこまれ、平和主義者の特攻隊として、自殺自決が責任を解除する伝統精神の最後の花を咲かせるはずだった。
「帰るって、どこへ帰るの。やられるときは大勢のほうが賑やかでいいってそういったでしょう。じたばたしたってしようがないんだよ、おチビさん」
おチビさんが青い翳のついた顔でぼんやりいった。
「でもね、フォアイエでみなさんお仕度をしていらしてよ。クウ・デタは成功しなかったような話だったわ。あたしたち助かったのかも知れないの」
あたしの全神経がびくっとしていっぺんに眼をさました。もしそうだったらどんなにうれしいだろう。あたしのような子供は生死にたいする観念がアイマイで、今日死ぬといわれてもたいして動じないかわり、生きて行くことがそれほど恩恵だとも思っていない。あたしたちの生きているという感じは、〈昨日が終って今日になった〉というその日その日の短いスタンスのことなので、死なずにすんだといわれても、それがすぐ深い哲学的なよろこびになるというわけにはいかないけれど、いままでのような生活を明日も明後日もつづけられるのはうれしくないことはない。〈生きているのはいいものだ。いやなやつの悪口をいう楽しみがあるだけでも(セネカ)〉
「じゃ、家へ帰ってもいいんだね。なんだか嘘みたいだな。なにがどう駄目になったって」
「はやく眼をさまさなくってはだめよ。ママがさっきからさがしていらしたわ」
嘘じゃなかった。籐のテーブルに頬をおっつけて眠っているうちになにもかもすんでしまったのだとみえ、フォアイエへ行くとパパとママがみなさんといっしょに帰る支度をしていた。ママが呆れたような顔をした。
「あなたいったいどこにいらしたの。ほんとうにふしぎなひとだわ」
パパがいつになくおどけた調子でいった。
「頬っぺたに籠目のようなものがついている。だいこんのことだから、そのへんの野菜籠の中にでもいたんだな」
あたしはあわてて頬っぺたを撫でながら出鱈目をいった。
「昨夜は盛会でしたね。すごいお夜食で、ノアイユ伯爵夫人の夜会のようだったわ」
ママがパパと眼を見あわせながらいった。
「あなたには結構すぎるくらいだったでしょう。そんな赤いロオブでうろうろしていると馬鹿だと思われるから、急いで表町へ行ってお着換えをしましょう。茶話会はもうすんだんですから、夢を見てるみたいな顔はやめてください。さあ、お仕度はいいの」
お着換えをしに表町へ行くと、刀自さまが転がるように玄関へ出ていらした。
「すみましたか」
パパが震えるような声でいった。
「ご安心ください。日本は残りました」
お着換えをすませると、朝食をいただいて鎌倉へ帰ったが、もしそれが成功したら、あの方のご苦心の甲斐もなく、あたしたちの命どころか、〈陰険国日本の常套手段たる裏切〉とみなされ、あの方も国民もみな同腹だったことになって、日本人の大部分がアトムの煙と消えてしまったかもしれない二十日夜のクウ・デタの真相を、昨日の朝、Sさんからくわしくきいた。
十九日の朝から国道第一号や板橋街道や五日市街道を、空の陸軍の大型トラックがひっきりなしに出て行くのが注意をひいた。午後になってもやまないので監視しているうちに、トラックの兵隊が、東京近県の各部隊が東京へ転出する輸送準備の一部だというようなことをいっているのを聞きこんだ。さっそくO司法大臣とI国務大臣に連絡したが、組閣早々のことで伝達が徹底せず、そのままうやむやになってしまった。二十日になると、近県の部隊所在地から部隊に動揺があるという報知が警察電話で警視庁に入り、ようやく二時近くになってからクウ・デタの意図がはっきりした。
国体護持を念願にする近県各部隊の少壮将校が、直接行動による宮城占領を計画し、二十一日の午前零時を期して各部隊を宮城前広場に集結させる。クウ・デタの主謀者は少佐以下の少壮軍人で、中佐以上を老朽者として相手にせず、別働隊として憲兵隊を指揮下に置き、広島の第二総軍、大阪の第十五軍とも連繋をとり、一挙に事をあげる手筈になっているというすごいことだった。
クウ・デタの企図はわかったが、午前零時までにあと何時間もない。H宮はなんとかして代表者に連絡をつけたいといろいろ骨を折ったすえ、四時ごろようやく会見の運びになった。H宮はクウ・デタをやるのは、この際、国体護持にはならない。かえってなにものも残らない惨憺たる破滅に追いこむ結果になることを説明なさると、代表者は一応うなずいたが、なにしろ全般の準備が完了しているのだから、各部隊が集結したところへいらして、あなたから直接説得していただきたい。われわれの力ではどうしようもないのだからということだった。H宮は、話してわかるのならどこへでも行くといわれたが、O書記官長が、総理の身の上に万一のことでもあれば、政府に支障をきたすからと反対して、ラジオ放送の代案を持ちだした。それならそれでもよろしい。ではこういう内容で放送していただきたいということになって、代表者の書いた草稿を、夕方の六時から午前零時まで、一時間おきに七回放送し、いつどこで事件がおきても駆けつけられるように、軍服を召したまま一晩じゅう首相官邸で待機していらした。マニラへ連絡に行った河辺中将の消息は知れず、ひょっとするといよいよ日本が無くなってしまうかも知れないという軍隊の武力蜂起を、ラジオの声だけで喰いとめようという頼りのなさで、H宮は瘠せるような思いをなすったということだった。
ところで、二十日の深夜から二十一日の零時にかけて、宮城前の広場に集結したのはほんのわずかな部隊で、それもA軍司令官の説得でことなく解散してしまった。それだけの大きな動きがいったい誰の努力でしずめられ、またどういういきさつでおさまったか。何年かの後、複雑な裏の事情が自然にわかりだすまで、それらの機微を明確に把握できるものはひとりもあるまいということだった。
〈二十日革命〉はなんとも知れぬ事情で中止になったが、河辺さんの一行のダグラスは二十一日の朝になっても帰ってこない。やはり特攻隊に撃墜されたのだろうといっていると、七時ごろになって、機関の故障で天竜川の川口に不時着しているという連絡情報が入ってやれやれということになった。河辺さんは九時近く東京へ帰ってきて、連合軍の進駐が二十六日の朝にきまったこと、猶、それまでに飛行機は全部武装解除して飛べないようにしておくという連合国側の命令を伝達した。
軍ではすぐさま処置をとったが、厚木の相模原航空隊の若いひとたちだけはどうしてもいうことをきかない。飛行場を占領して門の前に機関銃を据えつけ、海軍の治安隊も鎮守府の査問官も寄せつけず、ありったけの海軍機を動員して、毎日、白じら明けから日没まで〈バドリオを倒せ〉とか、〈飽迄も戦争を継続する〉とか、〈無条件降伏受諾ゼッタイ反対〉とか、さまざまなビラを撒いたうえ、お隅櫓とすれすれに何百回となく宮城の上を旋回し、あの方に話しかけようとするように翼をバンクさせたり、宙返りやキリモミをごらんに入れ、技はたしかでございますからと哀訴歎願するのもある。死んでもいいと思ってやっているひとたちなのだからどうにも手がつけられない。二十一日から二十四日までは絶えずその人達の飛行機が飛びまわり、宮城前では毎日のように降伏反対のハラキリがあり、いったいどうなるのかとハラハラしていたが、相模原航空隊のひと達はT宮のご説得で、二十四日の夕方の六時すぎ海軍治安隊にしぶしぶ飛行場をあけわたした。二十五日にはひさしぶりに朝の五時からアメリカの飛行機がやってきて、一日中、関東地区を飛びまわったが、二十四日じゅうに厚木のさわぎが片付かず、戦闘でもしてむこうの飛行機を落したら、せっかくここまで漕ぎつけたことがなにもかもだめになっていたろう。鎮定したのが二十四日の午後六時で、アメリカの飛行機がきたのは二十五日の朝の五時……時間にしてたった十二、三時間のちがいでしかない。まったくあぶないところだった。
終戦連絡事務局では飛行場の士官室や兵舎を先遣隊の宿舎にあて、帝国ホテルの山丸さんにコックを何人とかつけて食事のほうをひきうけさせ、自動車はすくなくとも何台ぐらいは用意しなくてはならないと、二十五日の朝からおおあわてに準備にかかったが、なにしろ進駐は明日に迫っているのでとても間にあいそうもない。それに厚木のほうはすんだが、航空隊は木更津にも干潟にも高崎にもあり、若いひとたちは逆上したままでいるので、進駐の編隊へ飛びこんで死に花を咲かせようなどと手ぐすねひいているひとがいないものでもない。せめてあと二日あればと歎いているところへ、夕方の五時ギリギリに、マニラのGHQから、フィリッピンの多島海附近に颱風が発生しかけているから、四十八時間進駐を延期するという無電が入り、二十六日朝、厚木到着の予定がとつぜん二十八日朝にくりのべられた。
なんという同情的な颱風なんだろう。パパなどは、これがほんとうの神風だなんていっていたが、それとはべつに颱風類似のものが湘南にも発生した。進駐の日取がきまった二十一日の夕方からそろそろ気配を見せていたが、あちらこちらに局部的な渦流を簇生させながらだんだん大きな渦動になり、二十六日の朝ぐらいにはすこぶる優勢な颱風が出来あがってしまった。
絶対に落ちるはずの原子爆弾はとうとう世田谷へもどこへも落ちず、予言の手前、さすがに照れたとみえてしばらく姿を見せなかった桜会が、二十二日の午後、怒れる緬羊といったふうに、長すぎる鼻の稜を昂奮で桃色に染めながらやってきた。
あたしが歓迎の辞を述べた。
「いらっしゃい。いつ長崎から帰ってきたの。あちらの人気はどうですか」
緬羊にはあたしのいうことなんかてんで通じない。あの日以上のすごい発揚状態で玄関に突ったったまま、いきなりいった。
「お別れにきたわ」
原子爆弾がこんどはどこへ落ちるのかと、おそれいってあたしがたずねた。
「原子爆弾だね。こんどはどこへ逃げるの」
緬羊はいよいよ緬羊的な顔になり、いつもの癖でチョイチョイ右手で鼻の頭にさわりながら、つくりもののような声でいった。
「先まわりしないでちょうだい。いまくわしく話すわ。つまりね、あたしの顔、へんにぱあッとしていて、アメリカ人に好かれそうな危険な顔だってみなさんがおっしゃるのよ」
「へえ、誰がそんなことをいったの」
「だから、みなさんが、といってるじゃありませんか」
なにか感ちがいして捻じこんできたんだと思って、あたしが弁解した。
「そんなことをいったおぼえはないな。べつにぱあッとなんかしてないじゃないの。目立つなんて顔じゃないよ。それで?」
「それで、ってなんのこと。あなたなんかみなさんのうちに入っているもんですか。だまっていらっしゃい。それでね、そんなことおっしゃるもんだから、急に怖くなってしまったの。あたし身もだえするほど怖いのよ。だってそうだろうじゃありませんの。アメリカ人にナニされるなんて、考えただけでもふらふらになりそう。泉ヶ谷の和子さんは、名月院から山越しして山之内へお逃げになるので、あたしもいっしょにっておっしゃるのよ。和子さんぐらいのヴァリュウなら、まあまあでしょうけど、あたしのようなこんなスペシァリテだと、山之内ぐらいではだめじゃないかと思うの、北海道ぐらいまで逃げないと。あたしほんとうに悲しいのよ」
なんのことだかちっともわからない。あたしになんか相談をもちかけることはない。逃げるなら勝手に逃げたらいいだろうと思って、さよならをいって送りだしてやったら、一日おいて二十四日の朝、芋虫さんといっている逗子組の佐竹さんの久磨子さんがやってきた。
「たいへんなことになったわね。あたしどうしていいかわからないの。田舎じゃ、娘たちが顔に鍋墨をなすってたどんのおばけのようにするんですって。まさかそうも出来ないし」
芋虫が顔に鍋墨をなすったところなんか、考えただけでも胸が悪くなる。それであたしがいってやった。
「鍋墨なんかより靴墨のほうが文化的だよ。〈風とともに去りぬ〉にそんな場面があったね。赤かしら、黒かしら。あなたならチョコレート色が似合いそうだ。ブラッシで艶出しをかけるとジョセフィン・ベエカアみたいになるな。うけあいだ。真面目な話がさ」
久磨子さんが拍子ぬけしたような白々した顔で帰って行った。
どうもへんだ。緬羊にしたって芋虫にしたって、失礼だけど、アメリカもよっぽど北の、一年のうちに三度とは女の子の顔を見られないような辺境にいるアメリカ人だって、ちょっとやそっとで好奇心を起しそうもないご面相なんだから、アメリカ人が聞いたらさぞ腹をたてることだろう。アメリカ人の美的感情もずいぶん安っぽく見られたもんだと、かえってアメリカ人に同情したくなった。
ナルシスという希臘神話の神さまはたいへんな自惚れ屋で、泉にうつる自分の顔に見とれてニヤニヤしているので、神さまのボスに憎がられ、お前もうるさいやつだな、そんなに自分の顔を見たいなら、千万年も水のほとりにいて、ひとりでニヤついていろと水仙にされてしまった。水仙をナルシスというのはこういう縁起によるのだが、それはそれとして、神経病の一種にナルシス症状というのがある。自惚れが病的に昂じて自己愛の顕示が極端になると、他人の注意をひくために、裸でおもてへ飛びだすというあられもない狂態を演じるそうだ。
逃げる逃げるとへんに力むので、妙だと思っていたが、つまるところ、〈あたしのような美人〉がこんなところにまごまごしていると、アメリカ人がみな〈うっとりしてしまう〉ので気の毒だということをいいにきたわけなんだ。自己愛の顕示もここまでくれば、立派な精神病の一種だといいたい。
二十五日は朝からひっきりなしにお別れの電話がかかってきた。湘南じゅうのみっともないお嬢さんが、一人残らず山越ししてどこかへ行ってしまいそうな形勢で、ずいぶん静かになると喜んでいると、午後になって、いつも落着きはらっている哲学研究の定子さんまでが、あわてたようなふりでやってきた。
「あたくし佐助ヶ谷から笹目山のほうへ逃げるつもりなの」
「美人になると、いろいろよけいな苦労があるもんだね。ほんとうにお気の毒だ」
「なにをおっしゃってるの。あたくしお誘いにきたのよ」
あたしはとうとう腹をたてた。
「放っといてくれえ。逃げなければならないほどあたしは美人じゃないからな。だいじょうぶだ。アメリカ人なんか、ふりむいても見やしないよ」
定子さんは腹を見透かされたようなドキッとした顔でひきさがって行った。怖いってのはアメリカ人がいいたいことだろう。怖いどころか、あの連中ときたら、
「あら、グッド・イヴニング。Come on. Don't be shy.」
なんて、アメリカの若い兵隊にしなだれかかりたくてうずうずしているんだ。
二十七日の朝、名誉隣組長の枢密顧問官のKさんが、
「こんな回覧板が出ましてねえ」
と大きな声でいいながら広縁へあがってきた。ママの肩ごしにのぞいてみると、憲兵隊と市役所の合作になる廻文で、〈進駐軍にたいする市民の心得。特に午後六時以後の婦人の外出について〉というタイトルがついている。
一、外出ニ際シテハ必ズ下穿(猿股、ズロース)ヲ着用シ、更ニ「モンペ」ヲ着装スルコト。
一、他人ヲ挑発スルガ如キ華美ナル服装ヲ慎ミ、歩行中、嬌声ヲ発シ、マタ進駐軍ニ笑顔ヲ見セヌヤウニスルコト。
一、聯合軍ニ話シカケ、マタ話シカケニ答ヘザルコト。
一、単独ノ歩行ヲ避ケ、止ムヲ得ザル場合ニハ三人以上連レダツテ歩クヤウニスル。
一、危急ノ場合ハ護身術(国民戦闘訓、第三、第四)ヲ用ヒ、大声ヲモツテ救助ヲ求メル。
猶、進駐地域ニ居住スル必要ナキ婦女子ハ出来得ル限リ速カニ地域外ニ転出スベシ。
こういう条々が公設市場の開店披露のチラシみたいに一字ごとに◎やゝをつけ、波罫で囲ったり、リーダーやプレスで傍線をひいたりして大々的に強調してある。ママがいった。
「憲兵隊もやさしくなったものですね。娘たちの下穿のことまで心配してくれるのは、ありがたすぎて痛みいりますわね」
Kさんが渋い顔でいった。
「西洋には貞操帯というものがありましたね。憲兵隊でも今日あることを予想してああいうものを用意しておくべきだった。たしかに手落ちです」
「お伺いいたしますが、転出すべしというのは、注意なのでしょうか、命令なのでしょうか」
「注意でも命令でもない、一種の自白のようなものです。自分らが南京やマニラでさんざんやって、身におぼえがあるのだから。それにしても、こんなものを流布して、国民の思想感情を自分らの低さまでひきさげようと企てるなんてけしからん話です。われわれはひと口に精神的暴動といって居りますが、あいつらの下劣さは底なしですな。アメリカ人にいいことをされるのは忌々しいというケチな根性が丸だしになっているじゃありませんか。話はちがうが、フランスの文人大使のメェイストルが聖ペテルブルグへ赴任したとき、巴里の友人に宛てて、今は千八百十五年だが、ロシアでは千五百十年とすべきだ。なぜなら私はいま十六世紀にいるからという有名な手紙を書いている。こういうものを見ると、日本はいま千九百四十五年でなくて千八百四十五年ぐらいのところにいることがわかりますね。嘉永六年の黒船騒ぎのとき、浦賀奉行がだした御触書が翻訳つきで博物館にありますが、外国人を見ると青い眼玉の子供を孕むから……これは失礼、見ちゃならんと書いてある。よんどころないときは眼をつぶるか後向きになれ。万一にも見込まれる如きことなきよう華美なる服装にて徘徊いたすべからず。外国人通行の道筋の町家の婦女子は鍋墨にて顔を汚し、至急村方へ立退くべしというんです……今日の回覧板を見ると、嘉永年間のお触れとちっとも変らないところがまことに奇異で、一部の日本人の頭は嘉永六年ぐらいのところで進歩をとめ、それからの先行きはまったくなかったものと思われます」
二十八日の朝、進駐の時間になると、開いていた鎧扉をできるだけ乱暴にバタンバタンと閉め、カーテンをレースのとコラ織のと二重にひき、薄暗い暑い部屋の中で汗みずくになってギョロギョロしていた。命令されたわけではない。どうしたってそうせずにいられないやむにやまれぬ国民感情のさせる業なんだ。あのすごい茶話会の晩、庭のパーゴラで日本人にデモクラシーの大礼を授けるために空から御降臨するんだから、アメリカ人は基督の分身だろうなんて軽薄なことをいって、ハガアスさんのヒンシュクをかったが、サクラメントどころか、日本はキャリフォルニヤ一州ぐらいの小さな国になり、最低一千万人の餓死者をだして参ってしまうかもしれないと、それをいいに来るのだと思うと、どうしたって平気でなんかいられない。軍部がなくなって、残ったのは善良の国民だけ。アメリカをどうしようと思ったって、どうにもできるものではないけれども、あたしとしては、鎧扉に八つ当りをし、そんな飛行機なんか見てやるもんかと力むぐらいのレジスタンス(面あて)をしなければおさまらない気持だ。見えもどうもしないだろうが、ここにこういう女の子が一人だけいる。アメリカはそれを感じなくてはいけない。
ひとりでぶつぶついっていると、空の一方から虚空を切り割るような爆音が遠雷のようにころげてきた。プロペラの同調する音量から察すると、かつてなかったような戦爆連合の大編隊で、少なく計算しても五百機はいる。昨日まであたしたちが考えていたことは、苺の空花か子供の夢のようなもので、練習機の一機や二機、木更津から飛びあがったって、一万メートル圏内へ入らないうちに袋叩きになって蹴りだされてしまったことだろう。杞憂とはまさにこのことだ。
パパの書斎のラジオがうたいだす。
「テンチ少佐のひきいる先遣部隊のトップが厚木飛行場の三十度に見えだしました……三十五度……四十度で転針……いま飛行場の上空で大きく旋回して居ります」
ラジオなんてものは、知らなければ知らないですむものを、手間と暇をかけてわざわざ知らせようとするおせっかいなお饒舌箱だ。
「うるさい。黙れ」
ピジャマのまま駆けておりてスイッチを切ると、ラジオの歌は、
「ただいまテンチ少佐……」
というところでプツンとちょんぎれてしまった。
聞かなくともわかっている。出迎えの渉外部の人と握手をし、「グッド・モオニング」なんていい、宿舎に案内されて山丸さんが腕をふるったこってりした昼食をする。葉巻きに火をつけ、ゆるゆると煙をふきだしながら日本の第一印象なんてことを語る。あるいは語らない。
日本が〈オキュパイド・ジャパン〉になった第一日。いかにも似つかわしいキラキラした朝だ。これからユテリティ・フォイスト(実理第一)のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ(米国生活式)にしたがって、せっせとアメリカン・コモンウェルスの勉強でもはじめよう。
夕食に食堂へ降りて行くと、洋銀の丸蓋をかぶせた大きな肉皿が出ていた。どうやら恒例の〈の丸焼〉らしい。なにかお祝いがあるたびに、家のが一羽ずつ最期をとげる。それにしてもこんな日にお祝いなんてのはどう考えてもおかしい。パパが入ってきて食卓を見ていたが、はたして疑問をおこした。
「これはどういうお祝いなんだね」
パパのグラスにイクィエムを注いでから、ママが悠然といった。
「調印式の日取がきまりましたそうですね」
「九月二日にきまった。なるほどそのためならお祝いぐらいしていいわけだ。これだけの戦争の終りがピストル一発ひびかずにすんでしまったというのは、なんという偉大な出来ごとだろう。何世紀かかかって行きつこうとしているところへ、なんのこともなく一挙に到達してしまった。これはもう最高のヒューマニズムといったようなものだね」
ママが湿っぽい声でいった。
「このまま無事に調印式まで漕ぎつけたら、すこしは日本人を見なおしてくれるでしょうか。南京やマニラのことがあったにしましても」
口の中へ投げつけるような調子で、葡萄酒をひと口飲んでから、パパがいった。
「きょうの桑港放送が、日本人のインテリジェンスを最大級の言葉でほめていた。世界中がおどろいている。負けてからほめられるのもへんなものだが、聞いているうちに涙がでた。満州国の承認以来、ずいぶん嫌がられた国民だったからな」
「式はどんなふうなんですか。セヴェールな……辛すぎるような場面でもありますのでしょうか」
「敗戦国民のひがみかね。そんな心配はない。午前八時に各国代表が到着する。それから連合国最高司令官と米代表……九時に日本代表……マックァサーの式辞があってから信任状提出。つづいて署名……九時十分ぐらいまでに終る予定なんだが、調印式がすむと軍楽隊の吹奏……九機編隊のB29に誘導された連合国空軍数百機が東京の上空で大ページェントを行っているうちに、ミズーリのマストにあげていた星条旗を虎の門まで持って行って、大使館の屋上であげる……だいたいこういう順序だ」
「簡潔でよろしいですね。でもミズーリの国旗を大使館へ持って行ってあげるというのはどういうことなんでしょう」
「いったいその旗というのは四年前の十二月八日に対日宣戦布告と同時にホワイト・ハウスで揚げたものなんだが、それをカサブランカで揚げ、伊太利の降伏の日にローマであげ、独逸が降伏した日にベルリンであげ……つまり勝利の日を飾った歴史的な旗なんだ。それをこんどミズーリと米国大使館の屋上であげる。アメリカにとってその旗は“自由の鐘”以上の偉大な記念物になるというわけなんだろう」
「そうですか。そんなことにまでアメリカ人一流の企画性が現れているのは面白いことですね」
「そうなんだよ。日本だったらそういう象徴の扱いかたは出来なかったろう。日本人くらい象徴というもののわからない国民もすくない。かたちだけでやることはうまいが、そういうものの高い真の意味を理解することが出来ない。宗教だけあって、宗教心が欠如している日本人の国民性のしからしむるところなんだね。その点でも日本の負けだよ。比較する対象がでるたびに、負けたという感じが深くなるのは情ないけれども」
パパは日本人を見そくなっている。そういうあたしにしてもつい最近まで誤解していたんだが、四代目クラブが終戦の日になぜ国旗をあげたのか、真意がわかりかけている。今日から降伏調印の朝まではギリギリの純粋な日本だから、どうしたって国旗をあげる必要があるとあのひとたちは考えた。日の丸の旗は軍部の旗で、国民の旗ではなかった。敗戦で軍部がなくなり、あの方と国民だけの日本になった。間もなく日本の主権はなくなるが、せめてそのギリギリの瞬間まで、出来るだけ高いところでそれをヒラヒラさせたいと熱烈にそう思ったんだ。これ以上、高い象徴の扱いはない。でもあたしはいわずにおいた。
食事が終るころ、お君が電話をいいにきた。
「二階堂の山勢さまから」
「千賀子さん」
「さようでございます」
「山チイなら、だいこんでしょう」
「奥さまに、ということでございました」
ママが立って行った。あたしは食べ疲れたので広縁のロッキングへ寝ころびに行った。
「わかりました。賛成よ。ぜひなさい」
ママが電話口でそんなことをいっている。どんなことにでもひと通り意見のあるママが、いきなり賛成してしまうなんて只事じゃない。正午ごろまでヒョコヒョコ庭先を歩いていたの顔を思いだしながらうっとりしていると、ママが戻ってきてパパとなにか話しだした。
「そういうわけで、申しあわせてそちらへ行こうというのですが」
「それはいいことだ。あのひとたちも苦労したにちがいないんだから、それくらいのことはしてあげるほうがいい。だいこんもやりなさい。あいつのことだから、みっともないこともしないだろう」
ママがあたしのそばへやってきた。
「だいこん、あなた、生理、どうなの」
「今月分は、昨日の朝すみました」
「明日、いいパァティがあるそうよ。あなたもお出なさい」
「どんな意味のパァティなの」
「パァティに意味なんかないでしょう。でもためになることらしいわ」
パパが紅茶を持ってロッキングへきた。
「しっかりやってくるんだな」
「このごろはむずかしいパァティばかりで骨が折れる。どこなの」
「正午までにクラブ・ハウスへということだったわ。ごたごたしないように、いまのうちにロオブを見てお置きなさい」
部屋へ帰るとすぐギャルド・ロオブを開けてみた。あたしはフロックを二つ持っている。朱鷺色の大きな翼裾と白のジョーゼットの釣鐘裾だ。白のジョーゼットのほうはちょっとドガの踊り子のようになる。園遊会には向くがサロンにいると子供っぽく見えるおそれがある。翼裾のほうはピゲエの一九四〇年の変り型で、すこしデモードだけどピゲエでつくらせたというのが強味だ。着換えをしてママに見てもらいに行くとママが笑いだした。
「たぶんそうだろうと思ったわ。でもそのフロック、すこしロマンチックすぎはしないこと。あすのお催しには白のジョーゼットのほうがよくはないかしら」
あたしはなにか感ちがいをしているらしい。九時ごろ寝床へ入ったが、明日のパァティはあたしにとってなにか非常に重大な意味のある催しらしいと思うと、うつらうつらしながら気になってねむれない。なにがあるのだろう。あたしたちにとってシリアスな事件といえばいうまでもなく結婚だ。ひょっとしたらお見合いなのかもしれないとかんがえたら、びっくりしていっぺんに眼がさめた。
ママが生理の心配をしたわけも、パパがしっかりやっておいでといったわけも、これでよくわかる。たいへんなことになった。あたしはまだなにも準備が出来ていないし、そういうことを感じる感情も、まだひとつも経験していない。女はじぶんの美よりほかにとり得のないことを知っているので、けんめいにお化粧して一切の希望を外部におく。ところであたしのようなみっともない娘はどこへ努力を集中したらいいのだろう。外部のほうは頼みにならない。内部のほうはこれはまたひとの眼につかないときている。
どんなひとがあたしを見にくるのだろう。いろんな顔がフワフワとあたしの魂のうえを飛びまわる。あたしはベッドの中で足をばたばたさせたり、闇の中でひとりでニッと笑ったりした。面白くもあれば、ぞっとするようでもあった。
それにしてもあたしは無数の愛人を持っている。いったい何人いるんだろうと思って、一人、二人と数えてみる。十五人ぐらいまではどうにか数えられるが、それ以上はうまく思いだせない。その十五人もこんぐらかったりごしゃごしゃになったりして、どこで逢って、どんな顔をしていたかあやふやだ。かんがえているうちに、ほんとうに好きなのかどうかそれさえわからなくなってしまう。
あたしの愛人たちは、道ばたですれちがったのや、映画館の薄闇でひとの肩越しに眺めたのがほとんど全部だ。なかには夢の中へぼんやり顔をだしただけのもいる。どれもこれも満足な顔を持っていない。横顔だけのものもあれば、顎から下がないのもある。要するにあたしの愛人たちはみな自然現象のようにゆらめいているのにすぎない。が、なんといっても十五人もいる。明日、どんなひとがあたしを見に来るのか知らないけど、けっして大きな顔はさせない。それにしても悪くない気持だ。あたしは気が遠くなるような甘美な感じに包まれながら、いつまでも闇の中で眼をあいていた。
クラブへ行くと、花で飾った満寿子さんの遺書の前で、六右衛門さん、長謙さん、珠子さん、陸さん、山チイの五人が慰霊祭の相談をしていたが、陸さんが途中から話をひったくってわけのわからない怪弁をふるいだした。
「ワルツがはじめてプログラムに載ったのは一八八〇年だが、それから一世紀のあいだダンスの女王の位置を保ってきたワルツも、彗星のようにあらわれた〈ゾンビイ〉というニュウ・スタイルに圧倒されて、一九四五年の夏ごろまでには完全に消滅してしまうだろう。古いダンスの伝統にたいして、ゾンビイは原子爆弾の役割をしたと書いてあった……ふしぎな暗合だが、近代の軍艦があらわれたのはやはり一八八〇年だが、原子爆弾のお蔭でこれも一九四五年の夏に存在価値を失ってしまった。ワルツの歴史の長さと、軍艦の歴史の長さは、ちょうどおなじだったことになる。もっとも〈軍艦ワルツ〉という曲はあったがね……〈会議は踊るが、進捗しない〉といったのはだれだったろう。軍艦はさかんに踊ったが、ワルツの生命以上には進捗しなかったというのはいささか無常だね」
しゃべってばかりいて、いっこうなにもはじまらない。ヴェランダのデッキ・チェアでむくれていると、山チイがそそとあたしのそばへやってきた。今日はシャンチィイのすばらしい薄紗のついたレモン色のセヴィラーナを着ている。
「パァティってどこにあるの」
山チイが悠然とあたしを見おろしながらいった。
「あなたはむずかしいひとだから、お誘いしまいと思ったんですけど、これは日本にとって大きなヒストリカル・イヴェントなんですから、お見せするほうがいいと思って来ていただいたのよ」
「あっさりやってくれよ、なんなの」
「軍艦へお別れに行くパァティなのよ」
「なんだ、そんなことか。思いすごしして損しちゃったわ」
「日本から軍艦というものが永久に無くなってしまうでしょう。滅びるものは潔く滅びるほうが賛成だけど、最後の日に、お別れをしておきたいと思うの。逗子組も葉山組もみな行くわ」
「お別れってどんなことをするの」
「きょう退艦式があるので、みなで行って踊ってあげようというのよ。辛い場面もあるでしょうが、泣きだしたりしないでちょうだい。出来るだけ明るく愉快にお別れしようと思うのに、ひとりでも泣きだしたりしたら、みじめなことになるわ」
一時ごろ浦賀へ着いた。
岬が腕のように両方から伸びだした潟の海に、爆撃でやられたボイラーや小さな汽船が半沈みになってごろんと寝ころがり、その沖をアメリカの駆逐艦が一隻、斜めにかしぎながらえらい勢いですっ飛ばして行く。
突堤のそばの海軍のテントにみなさんがいた。逗子組の初子さん、ベティさん、葉山組の鎮子さん……申し合わせたように薄色のフロックで、逗子組は白いヘリオトロープ、葉山組は白いガルディニアを胸につけている。どちらも〈哀悼の花〉だ。ファンシイなんか着ているひとはひとりもいない。ピゲエの翼裾なんかひきずってきたら大恥をかくところだった。みなさんうそみたいにしとやかで、魔に憑かれたような上品な声で話している。初子さんも鎮子さんも、きょうほどすらりと恰好よく見えたことがなく、きょうほどうまく帽子が頭に載っかっていたこともない。やれやれ魅力の喧嘩は骨が折れる。お蔭で鎌倉組はすっかりひきたたなくなってしまった。
突堤へリムゥジン型の大きなランチが着いて、下士官のようなひとがテントへ入って来た。
「伺います。まちがいましたら失礼いたしますが、届出のあった慰問の演芸団はあなた方でありますか」
たいしたデリカシイだ。ホテル・ロアイヤルの給仕長だってこれほどにはやれまい。鎮子さんがいった。
「演芸団はこちらです」
「お迎えにまいりました。では、どうか」
船室のベンチに緑色の薄羅紗が敷いてある。あたしと珠子さんと鎮子さんが甲板の折椅子へ掛けた。ランチは突堤をはなれて左の岬をめがけて進む。機関の衝動がごとんごとんと突きあげて、ヒップのあたりがくすぐったい。ひとりでに笑いだしそうになる。
岬の突角をまわったすぐ裏に、びっくりするような大きな軍艦が一隻、傾しぎかげんにどっしりと碇泊していて、ランチが進むにつれて頭へ落ちかかるようにグングン迫ってくる。いつだったかカジノ・ド・パリで見た〈ツウロン〉というレヴュウの幕切れに出てくる、贋ものの日の出に照らされたスマートな軍艦にそっくりだが、近づくにつれて、スマートだのシックだのという詩的な印象は消しとび、熔鉱炉のある製鋼所か、大きな軍需工場へ入って行くときの圧倒されるような疲労を感じる。
山のように積みかさなったさまざまな機械を一つずつ理解することは出来ないが、一本の鋲角度の一つまで綿密に計算され型付けされ、日本人の最高の智慧と意志がこの大きなマッスの中にこめられているのだと思うと、やはり感動せずにいられない。
鎮子さんがいった。
「ごらんなさい。もうご紋章が無くなっているわ」
珠子さんは返事をしなかった。いつもより顔色が蒼いようだった。鎮子さんがまたいった。
「こんなことじゃないかと思っていたわ。覚悟はしていても、こういうものを見るのは悲しいわね」
うるさい。ご紋章がなくなっているくらいのことはみなさっきから気がついている。言ってみたってしようがないからだまっているんだ。
あれはいくつのときだったろう。英国の戴冠式に来た足柄を、パパと二人でマルセイユのビアストル・ホテルのバルコンで見た。ストラスブゥル、リシュリュウなどというフランスの戦艦が並んだその沖に、煤ぼけた濃灰色に塗ってみょうな煙突をつけた軍艦が一隻いた。パパがいった。
「日本の軍艦を見るのははじめてだろう。よく見ておきなさい」
夕方で、ノートル・ダムのうしろの山にマルセイユ・マタンのネオン・サインがつき、沈みかけた夕陽が艦首に斜めにさしかけてご紋章のところが金色にキラキラ輝いた。
パパはなにもいわなかったけれど、思いきって無器用なプリミチフなかたちや色彩がどんな意味をもっているのか……ストラスブゥルやリシュリュウが百艘集っても一艘の足柄の意志に及ばないのだということが、子供のあたしにもはっきりわかった。
「あんなすごい軍艦はじめて見た。あれがほんとうの軍艦だね」
日本が強いとか弱いとか、そんなことではない。そういう資質のよさにじぶんもつながっているという純粋なよろこびだった。だがもうなにもかも終ってしまった。軍艦ばかりでない。いろいろなものが間もなく日本からなくなってしまう。悲しいには悲しいが、来なければよかったとは思わない。ジャン・ミリュウの〈植物の感情〉の中にこんな一節がある。
〈秋ニナッテ葉ガ落チタ。人間ガ、アー、アワレダトイッタ。樹ハソレヲキイテ噴キダシタ。秋ニナッテ葉ヲ落スノハ、無益ナ消耗ヲ避ケテ樹液ヲ貯エ、春ニナッタラ大イニ伸ビテヤロウトイウ樹木ノ高イ意欲ノアラワレナノダ。人間ハコウイウベキデアル。アー、葉ガ落チタ。コイツ、マタ伸ビルツモリダナ〉
軍艦は見あげるような高さになった。横っ腹にいくつも爆撃の穴があき、あまりひどいのにはカンヴァスの大きな絆創膏が貼ってある。舳に立った若い水兵さんが、明日降りたらもう永久に乗ることもない軍艦に、わずかなショックもあたえまいと、女も及ばないような細かいこころづかいをしながらランチを寄せて行く。
舷梯をあがり切ったところに、色の浅黒い、歯列のきれいな、眼の大きな士官が立っていて、ニコニコ笑いながらあたしに敬礼した。
「やあ、いらっしゃい」
こんな美しい語感のこもった、印象的な挨拶をまだいちども日本で聞いたことがなかった。どういうひとなんだろうと思って顔を見ていると、たれかがグイとうしろから突いたので、はずみで士官のほうへよろけて行った。気がついてみると、あたしは士官の腕の中にしっかりと抱きとめられていた。
「艦が傾しいでいるからあぶないです」
うしろでぶつぶついっている。
「どうしてあがらないの」
「だいこんが入口にふさがって通さないのよ」
見おろすと十四段の舷梯に十四人が一人ずつとまって、いっせいに上を見あげている。悪く思うな、いま〈海軍〉と抱擁していたんだ。あたしが身体をどけると、それでみながようやく甲板へあがってきた。
士官はひとりひとりに、やあ、ようこそとお愛想をいってから、ひとまとめにしてオゥニングのあるひろびろとした艦首のほうへ連れて行った。甲板の上は吹き払われたようにさっぱりしていて、ところどころに爆撃の孔に篏木した生々しいあとがあった。
甲板のうえをさわやかに風が吹きとおり、海のむこうに房総の山々が陽にかがやいている。オゥニングの下に半円形に並べたデッキ・チェアに純白の服を着た二十人ばかりの士官が掛け、そのうしろに白いナップをかけたカウンターが見え、にゅっと突きだした大砲の下の一段高くなったところに三十人ばかりの軍楽隊が楽器をひかえて休んでいた。
あたしたちが二三人ずつアト・ランドムに日覆の下へ入って行くと、だれがやってもこれ以上自然にやれまいと思われるようなエレガントな身ぶりで、士官たちがいっせいに椅子から立ちあがった。鎮子さんがみなを代表して挨拶をした。
「大勢でまいりました。ご迷惑ではありませんでしたか」
ゲエテにそっくりなひとが渋味のある顔に微笑をふくませていった。
「わしがこの軍艦の艦長だ。水兵たちはだいたい昨日で艦を退ったが、きょうはわれわれだけで、音楽ゆるす、酒保ゆるす……つまり軍艦のパァティをやっているところだ。ちょうどいい折だった。さあどうかお掛け」
奏楽がはじまった。デューカの〈アリアーヌと青髯〉の抜萃曲だった。この歌劇をむかしオペラで見たことがある。デューカはむずかしいけどあたしはすきだ。パリのラジオでさえめったにやらない曲を、日本の軍艦の上で聞こうなどと思ってもみたこともなかった。
コップの載ったお盆を仕舞の扇のようにかざしながら水兵さんがカウンターから出てきた。ゲエテ艦長がまずじぶんでとった。
「これは軍艦でつくったラムネだ。あなたがたのために、主計長が特に甘味をきかせたという通報が副長のほうから、入っている」
額の数理部の発達したジョン・ペインに似たひとが笑いながら抗議した。
「失礼ですが、特に甘くしろと命令なすったのは、あなただったように記憶していますが」
シャルル・ボアイエそっくりな中年の感じのいいひとが落着いた声でいった。
「ご紹介しましょう。わたしは副長といって、家庭なら奥さんのような役をする人間……わたしのとなりの金太郎さんのように肥って赤いひとは砲術長。そのとなりのスマートなひとは水雷長……ごらんの通り身体までちゃんと紡錘形になっている」
こんなふうに航海長、暗号長、飛行長、……長、……長と一人ずつ紹介した。あたしが抱きついたひとは飛行長だった。あたしたちのほうは山チイと鎮子さんが紹介した。
ラムネはよく冷えていてコカ・コラのような味がした。涼しい風の吹き通る甲板で〈アリアーヌと青髯〉のロマンスを聞きながらラムネを飲んでいると、あまり楽しくて戦争に負けたことをふと忘れている瞬間がある。鎮子さんがいった。
「以前からいちど軍艦で遊ばせていただきたいと思って居りましたのよ。もうそういう機会もないのでしょうから。司令部へ伺ってみましたら、遊びに行くという届出の形式はない。慰問とか、拝艦とか、そういう名目でなくてはいけないといわれますの。お忙しいところでしょうから、拝艦などといったらだめだろうと思って、慰問という名目にしていただいたんです」
あたしのすぐ前の〈南瓜親爺〉にそっくりな、肥った、赧ら顔の砲術長が口をつぼめてほッほッと笑った。
「届出を見たとき、ははんとわたしたちは首をひねったものです。われわれはなんといってももう慰問などされる資格はなさそうだ。ところがここにいるこの暗号長が、みなさんの真意をすらすらと解読してしまった。砲術長、つまりこれはわれわれにお別れに来てくれようというんですよ。なんというやさしい女ごころか……そうだったね、暗号長」
そのとなりのジャン・ギャバンに似た暗号長があたしたちにいった。
「お老人の方たちがわれわれ若いものに花を持たせようと苦心していられるようですが、〈やさしい女ごころ〉なんていったのは、この砲術長だったんです」
鎮子さんがまたいった。
「それで慰問のことですが、あたしたち唄もうたえないような能なしばかりで、司令部に嘘をいったようで心苦しいんです。なんでしたらダンスのお相手でも」
南瓜親爺の砲術長がいった。
「来てくだすっただけで十分慰問の目的を達していますが、ダンスの相手をしてくださるというのは、望外の光栄です。こういう恰好をしておりますが、これでいくらか素養があるんで、いつだったか足柄が戴冠式の祝賀で英国へ行きましたが、そのときは大いにやりました。その辺に並んでいる若い連中なんか夢にも知らないことなんで。どうですか、副長、せっかくのご厚意だから、きょうのパァティをダンスで仕上げをするというのは」
ボアイエの副長がゲエテ艦長にいった。
「艦長、いかがです」
ゲエテ艦長が笑いながらうなずいた。
「結構だ。ぜひおねがいしよう」
副長がいった。
「副直将校」
端のほうの椅子から、頬の赤い、まだ少年のような若い士官が立ちあがった。副長がまたいった。
「一四三〇より西洋礼式の実習。各分隊、見学ゆるす。心得のあるものは参加してよろしい。楽長にも伝えてくれたまえ」
副直将校は敬礼して砲塔のうしろのほうへ走って行った。間もなくラウド・スピーカー・システムで命令を伝達する声がきこえた。
「今日、鎌倉や逗子から、ナイスなお嬢さんが大勢慰問に来られて、われわれとダンスをしてくれられることになった。ダンスの出来るものは参加してよろしい。出来ないものも、ぜひやれ。あんなナイスなお嬢さんにつかまって歩くなんて、娑婆へ帰ってもめったに出来ないことだぞ」
シュヴァリエに似た水雷長が笑いながらいった。
「あれ、あんなことをいってる。あれは副直将校の告白小説のようなものです。さっき砲術長がいわれたように、みなさんのお相手が出来るのは、こういうぐあいに頭の禿げた、われわれ四十歳オヴァーだけで、ここにいる若い連中なんかに期待なすっても無駄ですから、ご注意申しておきます」
飛行長がいった。
「いやいや、わしのことなら心配せんでおいてください。ダンスなんかわけはないです」
シュヴァリエの水雷長がいった。
「これは見そこなった。どこでやったのかね」
「応化というやつですよ。クルクル廻るのなら、右旋回でも左旋回でも、一分間に六十回以上廻れる自信があります。まあ見ていていただきましょう」
南瓜親爺の砲術長が、ほッほッと笑った。
「副長、聞かれましたか。ダンスとはクルクル廻るものなりという程度では、ほとんど認識に達しておらんですね。ダンスの歴史がはじまって以来、これほどダンスというものが軽蔑されたことはまだなかったでしょう」
ボアイエの副長がいった。
「その程度の認識があるならまだ救えるね。それにしてもダンスはその後どうなっているのか。われわれの進歩はチャールストンあたりで停ってしまったが。艦長、あなたは」
ゲエテ艦長がいった。
「いろんなことをいうが、諸君もワルツ、ワン・ステップの程度とみえる。わしはこれでもコントル・ダンスというのを知っている」
「おどろきましたな。コントル・ダンスというのは女学校の遊戯じゃないですか」
「かならずしもそうじゃない。チューインガムのリグレイの別荘でやったが、ずっとむこうの端に好きなお嬢さんがいる。組をかえながらだんだんそのひとに近くなると、胸がどきどきしてくる。そうして、やっとこさで辿りついたと思うと、お辞儀をして、手をとってくるりといちど旋回しただけですぐまた別れてしまう。それがなんともいえぬ余情をのこす」
シュヴァリエの水雷長がいった。
「これで艦長の程度もわかった。けっきょくのところ、われわれのダンスはワルツまでということにきまったようだね。グルグルと廻るものなりという認識に敬意を表して、きょうのダンスはワルツだけと制限しようじゃないですか。もっともお嬢さんがたの意見も伺わなくてはならないが」
山チイがチラとあたしの顔を見てから、水雷長にいった。
「あたしたちもそのほうが結構ですわ」
ボアイエの副長がいった。
「じゃ、初心者を尊重してそうきめよう。取次ッ、楽長へ。きょうの西洋礼式はワルツだけ」
三十分ばかりしてからさっきの若い水兵さんが駆けてきた。
「西洋礼式、五分前。楽長より。西洋礼式の番付お届けします」
〈告別舞踏会〉きょうのワルツの番組がガリ版で刷ってある。たいした早業だ。――(於……艦上。昭和二十年八月二十九日)。――
第一部
1 花のワルツ(〈ファウスト〉より)
2 西風に寄す
3 遠い舞踏会の響き
4 青いダニューブ
5 ワルツへの誘い
6 ……
第二部
11 露台の下で
12 長い船路の終り
1 花のワルツ(〈ファウスト〉より)
2 西風に寄す
3 遠い舞踏会の響き
4 青いダニューブ
5 ワルツへの誘い
6 ……
第二部
11 露台の下で
12 長い船路の終り
水兵さんが大勢出てきた。ハンドレールのところにならんでニコニコ笑っている。〈花のワルツ〉がはじまった。タンゴにも、ブルースにも、パネムにも、ゾンビイにも、リンディ・ホップにもない、ワルツだけがもつあの明るい浮きうきした楽しさで、身体が椅子から離れてひとりでに舞いだして行きそうだった。
ゲエテ艦長と珠子さん、副長と鎮子さん、水雷長と山チイ……みなさんがきれいな踊りかたをしながらオゥニングから陽のさすほうへ出て行く。南瓜親爺の砲術長がやってきた。
「ひとつおねがいしますかな」
山チイがヒストリカル・イヴェントといったのはほんとうだ。日本の港の、日本の軍艦の上で、日本の軍楽隊でワルツを踊るなんてことはもう永久にない。あたしが快活にいった。
「あなたロンドンにいらしたのね」
「付武官でね。どうしてわかります」
「あなたのワルツはエジタシオンというアングロサクソンだけの踊りかたよ」
「なるほど。それにしても、遠いむかしの話ですよ」
二番の〈西風に寄す〉はゲエテ艦長と組んだ。踊りだす。なんという優美なトゥニュウなんだろうと思わずためいきがでる。このひとのタッチは、どんな臆病な娘のこころも落着かせずにはおかない〈父親〉のタッチだ。なんともいえないニュアンスのよさ。コントル・ダンスどころのさわぎでない。大統領のグランド・レセプシォンや、十月十日のオルレアン公の夜会でたまにぶつかるヴォルタという純粋なフランス風の踊りかただ。こういうひととワルツを踊るのをフランスでは〈かぐわしい風に乗せられる〉という。だいこんに羽根が生え、ただもう夢心地に揺れてあるいた。
三番をぬけて奥のテントへラムネをもらいに行く。バンクロフトに似た、見あげるような下士官の給仕長がカウンターの向うに立って、お盆を持って動きまわっている少年の水兵さんをそれとなく監督している。
「さっきのおいしいラムネください」
バンクロフトの給仕長は〈岩が笑いだす〉というあの笑いかたをしながらラムネをついでくれた。
「よく遊びにきてくださいました。われわれはみなじつにありがたく思って居ります。本艦は、今日はまったく美しいです。わしは涙が……」
そういいながら、そのひとの手の中にあるといかにも可愛らしく見えるドゥナッツを、山のように皿に盛りあげてあたしの前へ置いた。
「みなさんに食べていただこうと思いまして、特に念をいれました。どうぞひとつ」
むやみに肉桂を入れたので息がつまりそうだ。まったくむせぶほかない厚意だった。
〈青いダニューブ〉のあの夢のようなイントロダクシォンがはじまった。舞踏場へもどると、飛行長がデッキ・チェアに掛けて無心な顔でダンスを見ていた。
オゥニングの端のところにいるので、顔に鼻を境にして陰と日向が出来、ちがう二つの顔がくっついているように見える。明るいほうの顔は快活で熱情的で、暗いほうの敵はメランコリックで懐疑的だ。明るいほうの顔はダンスを見ながら笑いだそうとする。暗いほうの顔はぎゅっとそれをおさえつける。あたしはこのひとの腕の中にいたこともあったが、もう十年も前の出来事のような気がする。それにしてもたった一度ということはない。人間は一生のうちにいくどだってのめくる。あたしは椅子から立って飛行長のそばへ行った。
「あたしと踊って、ちょうだい」
飛行長がびっくりしたようにあたしの顔を見あげた。そのびっくりしたような顔があたしの自尊心を傷つけた。このひとはあたしのことなんかてんでかんがえていなかったんだ。あたしが大きな声でいった。
「あなた、さっき一分間に六十回まわる自信があるといったでしょう。さあ廻りましょう。あたしだったら八十回だってまわってみせるわ」
飛行長がしぶしぶ立ちあがった。はじめはへんなものだったけど、アダプシォンの才があると見えて間もなくリズムに乗ってきた。あたしがたずねた。
「面白くって」
飛行長がむずかしい顔でこたえた。
「面白すぎるようです」
なんのこともなくつまらなく〈青いダニューブ〉が終ってしまった。椅子へ帰ると、とぼけた顔をした若い水兵さんがナイスなお嬢さんに捉まりにきた。
「ダンス、おねがいします」
いぜん家へ出入りしていた魚定の若いひとによく似ている。あたしはうれしくなっていった。
「さあ動きますよ。しっかりつかまってちょうだい」
水兵さんが泣きだした。
「どうか、もうすこし、ゆっくり……歩かせていただくだけで、結構ですから」
椅子へ帰るとすぐ、
「ねがいます」
顔にうぶ毛の生えたべつな水兵さんがやってきた。あたしぐらいのところが、ちょうどつかまえ加減なのらしい。
水兵さん専門に稼いでいるうちに休憩になった。
カウンターへ行ってラムネとワッフルをもらったが、へんに気が沈んで誰とも話す気になれない。ラムネのコップとワッフルの皿を持って、砲塔のうしろへはいりこんでひとりですねていると、飛行長が通りかかった。気がつかずに行きすぎようとする。癪にさわって、えへんと咳ばらいをした。飛行長がふりかえってあたしを見た。
「えらく暑いところにいられるですね。上の司令塔へ行きましょう。手荒く涼しいですよ」
軍艦が傾しぎ、いたるところに爆弾の穴があるのであぶなくてしようがない。小さな階段をいくつもあがって、そろそろだいこんがくたびれかけたころ、旅客機の操縦室のような大きな前窓のあるところへたどりついた。
海がぞっとするような色で遠くまでひろがり、みなさんが踊っているのが小さく眼の下に見える。窓枠の鋼鉄がニッケルのように光り、風が換気孔を通るような音で吹きこんでくる。ちょうど旅客機で飛んでいるような感じだ。飛行長がうしろの小部屋から椅子をもって出てきた。
「司令塔で椅子に掛けるのは司令官だけですから、ここには一つしか椅子がないのです」
なかなかシックないいまわしだ。〈司令塔〉というのは自分自身のこと。〈司令官〉というのは愛人のこと。〈たった一つの椅子〉というのは、つまりじぶんの心の椅子のことなんだ。あたしは飛行長の顔を見つめながらいった。
「この椅子にあたし掛けてもいいの」
「はあ、どうぞ」
「でも、あたしだけでなくてはいやなのよ」
「どうせ一つしかないんですから」
これではまるで〈愛しているのはあなただけだ〉といっているようなもんだ。
ゆうべはたしか十五人まで数えた。一人ぐらいふえたって困ることはない。あたしはこのひとを十六人目の愛人にすることにきめた。五体が完全に揃っているのはこれが最初だ。それにしても十五人も愛人をもっているといったら、このひとはどんな顔をするだろうと思って、あたしは快活にさえなる。あたしがいった。
「あたしすぐ大きくなってよ」
「そうですな。このごろのお嬢さんは、みなびっくりするほど早く大きくなられます」
見当ちがいな返事だけど、気にするにもあたらない。あたしがまたいった。
「あたしの家、紅ヶ谷なのよ。よく海軍の飛行機が飛んできたわ。あなたも来て」
「あなたのお宅はどのあたりですか。毎日あのへんを飛び廻っていたので、目ぼしい家ならたいてい知っています」
「望楼のすぐ下。緑色のスペイン瓦の載っかった家」
「ああ、あのパーゴラのある」
「そうよ。お遊びにいらしてね。いちどゆっくりお話ししましょう」
「はあ、ありがとう」
これで話がきまった。
あたしはゆったりとした気持でワッフルを食べながらワルツを見おろした。みなさん上手に踊っていらっしゃる。純白や、クリーム色や、朱鷺色や、薄いモーヴや、さまざまの色のロオブの裾が、海風に吹かれて花むらの花のように揺れている。この画面の下のほうにしゃれた横体で T. Lautrec とサインがしてありそうだった。
艦長も笑っている。副長も笑っている。砲術長も、水雷長も、暗号長も、主計長も、みな精一杯の仕事を終り、肩の荷をおろしてくつろいでいるように見える。悲しいことなんかちっともないのに、なぜかひどく悲しい。
揺れる花むらの中に珠子さんがいる、山チイがいる、初子さんがいる。満寿子さんだけがいない。生きてさえいればどうしたっていっしょに踊っているひとだ。パパのいいかたでないけど、満寿子さんはそそっかしい愛国者だった。苦しい日本にはちがいないけど、たまにはこんな美しい〈時〉だってあるのに。慰霊祭にこの軍艦のひとたちをみな呼んで盛大に踊ってあげたい。
第二部の二番がはじまった。ルクオの〈長い船路の終り〉だった。あたしは十六人目の愛人の手をひいて、穴だらけのあぶない階段をワルツのほうへ降りて行った。ねむくなった。きょうはこれでおしまい。
昨日までのところは、愛人が出たり、心の椅子がでたり、小説みたいなところで終っていた。
飛行長の手をひいて短い鉄の階段を二つばかり降りたとき、雲のなかから滲みだすように爆音がひろがり、P51のエスカドリールが引鶴の群のように頭のうえを通って行った。飛行長は足をとめて海を見ていたが、ワルツのほうへ行くのをやめて、汽船ならキャッスルといった、鉄で張った広いプラットフォームのようなところへ連れて行った。すぐそばに砲座からはずされた高射砲がころがっていた。
「ここは旗甲板……信号旗をあげるところで、軍艦ではいちばん色彩のある場所です」
飛行長は若い水兵さんに、眼鏡、と怒鳴っておいて、眼を細めて熱心に沖のほうをながめはじめた。
「ミズーリらしいです。いまあのへんへ出てきます」
はるか沖に船の形がマッチの軸でも投げだしたように浮きあがってきたと思うと、ぐんぐん外房の尖端へ迫って、ちびた鉛筆ぐらいの大きさになったところでそこでとまった。前側に線のように見えるのは駆逐艦だろう。そのうしろに戦艦か巡洋艦か、大きな軍艦が四隻ばかり、重なりあうようになってうかんでいる。
飛行長は水兵さんの持ってきた二十糎の大きな双眼鏡でそっちを見てから、あたしにわたした。
「やはりミズーリでした。二列目の右端のがそうです」
重い双眼鏡をやっこらさと両手でもちあげて眼にあてると、十浬もむこうにいる軍艦が一目散にあたしの眼にとびついてきた。ミズーリだという二列目の右端の軍艦のフォア・デッキで、白いお釜帽に半袖シャツの水兵が十人ばかりしゃがんで煙草を喫っている。一人がおどけた身振りをすると、あとの九人が白い歯をみせて笑う。右端の水兵の肩に小さな猿が載っかっていて、煙草の煙をつかまえようとさかんに活躍している。顎髯をカールしたトランプのキングのような背の高い士官が、腕組みをしながらのんびりと艦橋を歩きまわっている。艫の甲板では、白いボンネットに白い油屋さんをかけたコックさんが柄付鍋を持って一列にならび、コック長らしいひとが笑いながら点検している。どのアメリカ人もびっくりするほど若く、ひどくのっぽで、翳のない健康そうな顔をしている。全体の印象は非常にのびのびしていて明るく、軍艦を見ているような気がしない。
まったくやりきれないコントラストだ。あたしたちの軍艦ではワルツなんか踊っているけど、お祝いをしているというわけではない。たのしいなんてことはなにもない。この軍艦も標的になって沈められてしまうか、バラバラにほぐされてただの屑鉄になってしまうのが運命だ。
軍艦ばかりじゃない。陸軍の古い朋党組織や、統制官庁の指導トラストや、Inbreeding(親族結婚)で繁栄した〈五十一家族〉などを自らの手で解散する作業を、汗をながしながらやらなくてはならない。落ちぶれた日本人にとってこれ以上ふさわしい仕事はない。〈死したるものは、その死したるものに葬らせよ〉というのは、きょうの日本のために、千九百年も前にキリストかヨハネがかんがえておいてくれた文句なんだろう。しかしものはかんがえようだ。軍艦を軍艦として通用させている国より、軍艦を一艘残らず屑鉄にして、鉄骨やレールに再生させる国のほうがより高い文明国だといえないこともない。
飛行長に双眼鏡を返しながらあたしがいった。
「どうもありがとう。よく見えました。美しい軍艦ですね」
〈暗いほうの顔の半分〉をあたしのほうへむけながら、飛行長がいった。
「どうしたのか私もさっきからアメリカの軍艦が美しく見えてきて弱っているところです。終戦がもう一日遅かったら、まちがいなく突っこんでいたその軍艦がですよ。あなたにはおわかりにならんでしょうが、私の胸のこのへんのところが、いまひッちぎれるようにつらいです」
この飛行長も一日ちがいで死なずにすんだ〈死籍の人〉の一人なんだ。いまや感慨無量というところで、このひとの感情の細かいニュアンスにあたしなんかがついて行けるわけはないけど、意味だけはよくわかった。
「もっとお話しなさい。あなたのおっしゃること、詩みたいで美しいわ」
飛行長が苦笑しながらいった。
「これくらいこッぴどくやっつけられたら、たいてい詩人にもなるでしょう。それで私は考えるんですが、われわれはアメリカ人というものを誤解していたのではないでしょうか。たとえば明後日の調印式にしてもですね、宮城でやるといわれたってしようがないところなんだが、そんなことをいいださないのはアメリカ人の徳なんで、その点についてはわれわれも感謝しなくてはならんのでしょう」
あたしは十六人目の愛人の手をとってなぐさめた。
「なんといったって敗けてしまったんだからしょうがない。あっさりやりましょう。こんなちっぽけな国が世界中を相手にして戦ったんだから、あなたがたとしては、どんな敗けかたをしたって口惜しいことなんかないでしょう」
「それはまあそうです。ともかく敵が美しく見えるようになったらもう喧嘩はできない。復員したら、私もできるだけ早く解散するつもりですが、屑鉄にもなりはぐれそうで、心配です」
取次の少年の水兵さんが駆けあがってきて、飛行長にメモのようなものをわたした。それを読んでから飛行長があたしにたずねた。
「きょう来艦されたご婦人のなかに〈だいこん〉という方がいられますか」
「だいこんってあたしよ。どうもはばかりさま」
「あなたがだいこんですか。飛行参謀が逢いたいといっていられます。特にあなただけにお目にかかりたいんだそうです」
なんだか味な話になってきた。飛行参謀というひとがそっとあたしだけに逢いたいというんだ。どんなひとか知らないけど、こういうシックな申込みを受けるのは、いつだってわるい気持がしない。とりわけあたしのような七分五厘のお嬢さんにとっては、これはもうひとつの事件なんだ。余裕をみせてあたしがゆっくりいった。
「お目にかかってもいいわ。飛行参謀ってどんな方なんでしょう」
「これにはあなたをよく知っていられるように書いてありますが」
「あら、そうなの。お名前は」
「島野少佐……島野男爵」
あたしは思わず大きな声をだした。
「シゴイさんがこんなところにいた」
山チイはむこうの甲板で薄紗のフロックを着てワルツを踊っている。この劇的邂逅は悪くない。小説ならどちらもそれと知らずにまた離ればなれになってしまうところだが、現実はそれほどドラマチックに出来ていない。間もなく山チイが聞きつけて飛んできて、無事に二人が会見するんだからおめでたい。それにしてもあいかわらずシゴイさんは依怙地だ。あたしたちが来ていることを知っているなら、手間をかけずに飛びだしてくればいいんだ。
「その参謀なら知ってるわ。すみませんけど、島野少佐をここへひっぱりだして来てください」
「でも軍医長が許可しなかろうと思います」
「シゴイさん、病気なの」
「少佐は怪我をなすって、昨日からずうっと病室にいられます」
それにしても特にあたしだけに逢いたいなんてのはへんだ。山チイが来ていることを知らないのだと思って、紙と鉛筆を借りて手紙を書いた。
シゴイさん、あなた生きていたのね。なぜもっと早く知らせてくれなかったの。山チイが来ています。珠子さんも。ごぞんじないのだと思いますからお知らせします。
飛行長が取次を呼んであたしの手紙を病室へ持たせてやった。間もなく返事がきた。
だいこん殿
少佐はあなただけにお逢いになりたき希望。少佐が本艦にいられることはどなたにもご披露なきようにとのことです。
少佐はあなただけにお逢いになりたき希望。少佐が本艦にいられることはどなたにもご披露なきようにとのことです。
軍医長
シゴイさんは四代目クラブではただ一人の本職だが、四代目クラブにはあまり賛成でないパパでさえ、ああいう軍人なら軍人も悪くない。建武なら〈箙の梅〉というところだねなんていっていた。
シゴイさんの家は代々武人で、シゴイさんのパパはフランスの航空大尉だった。前の欧州大戦のとき、義勇飛行将校を志願して有名なギヌメールのシゴイニュ(鸛)隊へ入り、戦闘機に乗って十何機とか敵機を撃墜したそうで、シゴイさんの鸛一という名は鸛部隊の〈鸛〉からとったんだそうだ。
大使館付の海軍武官でパリにいたシゴイさんと遊びだしたころは、パパもママも亡くなられたあとだったが写真はよく見た。フランスの航空大尉の軍服を着たシゴイさんのパパは、短い口髯をはやした、シゴイさんとそっくりなやさしそうな感じで、ママのマダム・ジャネットはノアイユ伯爵夫人によく似た悧巧そうな方だった。
シゴイさんのパパは、フランスのために働くより日本の陸軍にいてあの方に忠誠をつくしたいと思って運動したが、軍部の将校たちが嫉妬して、いろんな妨害をして帰れないようにしてしまったので、シゴイさんのパパは、〈望郷〉のペペ・ル・モコのように、首を長くして日本のほうを眺めながら淋しくフランスで死んでしまった。
あんなに戦争を憎んでいたシゴイさんが、好きな絵を描くこともやめてすすんで海軍に入ったのは、シゴイさん一流の厳粛主義のせいばかりでなく、パパがこうありたいとねがっていたことを、代ってやりとげようという気持もたしかにあったのにちがいない。
シゴイさんはパリではフランスの飛行機の調査をしていたが、土曜日の夜になるとよくあたしの家へ遊びにきた。そのころ山チイはシゴイさんを好きになっていて、シゴイさんが来るとかならずすこし遅れてやってくる。ママはあとでわかって、おやおや、ひどい方たちだわと苦笑していたが悧巧なママでも二人の正体は見ぬけなかった。
シゴイさんは従妹の山チイの愛情を兄妹の愛だと感ちがいしていたが、そうでないと気がつくと、脱兎のように前線へ逃げだしてしまい、どこでなにをしているのか、まるっきりわからなかった。
満寿子さんは〈シゴイさんはアンドレ・ワルテルなんだわ〉といっていた。小説では、ワルテルは友達がみな快楽に走るとき、田舎の修道院へ入って板の寝床に寝、高い書見台で、聖書や、ダンテや、スピノザなんかの禁欲主義者の本を読んでいたが、シゴイさんにとっては、国家は聖書で、飛行機はダンテやスピノザに相当するというわけだった。ただ一人のあの方に忠誠をつくすことはかねてシゴイさんの信仰だったので、この戦争がはじまると、女臭い愛情なんか相手にする気になれなくなってしまったのにちがいない。
日本の陸軍がシゴイさんのパパを受け入れていたら、シゴイさんは海軍へなんか入らなかったろうし、山チイの愛情も未完成のままで置きざりを食うようなこともなかった。山チイはでたらめなひとだったが、シゴイさんに逃げられると、ひとが変ったようになり、眼なんかぎょろぎょろさせてすごいようだった。香水入りの、ランヴァンの菫色のすごい書簡紙で、毎日、長い手紙を書き、六右衛門さんがいちど拝見したら、マリア・アルコフォラドというポルトガルの修道女の〈ぽるとがる文〉の式にせっせと前線へ送っていた。
シゴイさんはたいへんな潔白マニアだから、山チイが来ていたって、いい都合にしてランデ・ヴゥするようなことはしないはずだった。あたしにだけ逢いたいというのは、どういうことなんだ。つまるところあたしは女の標準から六十度ばかり右のほうへずれている、一種の中性存在だからなんだろう。こんな偏頗な扱いをされても腹がたたないのは、たぶんシゴイさんの徳によることなんだろう。
「じゃ行きましょうか。シゴイさん、おろおろしながら待っていると思うわ」
飛行長はなにか考えていたが、しばらくしてからいった。
「こういうことをはっきりさせるのは、少佐のご本意ではないと思いますが、こんどの負傷の原因については、少佐ご自身は絶対におはなしにならぬだろうと思いますから、私がかわって申しあげておきます」
「伺っていいことなら伺うわ」
「終戦後、海軍の飛行機が宮城の上を飛んだり、〈われわれは絶対に降伏しない〉とか、〈バドリオを倒せ〉とか、そんなビラを撒いたのを知っていられるでしょう」
「ええ、知ってるわ。あなたも厚木であばれた組なの」
「私は七月二十二日の〈条件は無条件でも、取扱いの緩厳は日本の抵抗期間によって決定されるだろう〉という東亜むけの放送を聞いていましたので、抗戦してディクティテッド・ピースになるより、無条件受諾して大西洋憲章の恩典を受けるほうがいいという意見を変えませんでした。ところが、陛下を制限から除外する確約を得ないうちに、無条件降伏したことを不満に思うものがこの艦にもいて、不穏な空気が出来かけ、司令部から島野参謀が説得に来られたのですが、馬鹿なやつのために怪我をなすったのです。それをやったのが私の分隊士なんで、なんともお詫びのしようがないので」
そんなことをあたしなんかにいってどうなるのだろうと思ったけど、あまり辛そうなのでさからわずに聞いていると、それで気持がすんだのか、先にたって旗甲板をおりはじめた。
砲塔のうしろの入口から胎内へおりるといきなり夜になってしまった。トンネルのようなあやしげな廊下のところどころに五燭の電燈がぽつんとついていて、水兵さんが〈モホーク号の亡霊〉のように、朦朧と闇の中から浮きだしてきて敬礼をすると、またすうっと闇の中へ消えて行く。なんとかいうスリラー小説の場面にそっくりだった。そこからまた右へまがると、つきあたりのうす明りのさすところに、ジョン・ギルバートによく似た軍医長が立っていた。
軍医長は飛行長からあたしを受けとると、薬局のような小さな部屋の椅子へ掛けさせ、それからしずかな調子でいった。
「少佐の容態は話したりしゃべったりするのがいちばんいけないのでして、艦長も副長も面会謝絶にしてあるのですが、どうしてもあなたにお逢いになりたいとおっしゃるので、私も困ってしまって、さきほどお迎えをあげました」
「ええ、それで」
「少佐のお腹に……それもぐあいの悪いところに拳銃の弾丸がとまっているんですが、ここではよほどの冒険をしなくては完全なことが出来ないのです。陸まで担送することも望めないので、動かさずに経過を見ているほかないのです」
軍医長はデリケートな言いまわしをしているが、シゴイさんが死にかけていることは、あたしにもすぐわかった。
「少佐は非常に気丈でいられるので、平生と変らないようにお見えになるでしょうが、実際は見かけよりずっと悪いので、少佐はいろいろお話しになるでしょうが、いま申しましたようなわけですから、あなたのほうから上手に切りあげるようにしてください。どうかまあ、そういうふうにねがいたいのです」
そういってから隣の部屋へ連れて行った。
外から明りをとっているタンデム・キャビンの式で、壁に寄せてコット・バァスが四つ置いてあった。壁は白ペンキ塗りで、脇卓のほか家具は一つもなかった。シゴイさんは修道院の独房のような簡素な風景の中にあおのけに寝、マヌキャンの動かない感じで眼をつぶっていた。
上の甲板ではにぎやかにワルツを踊っているのに、シゴイさんはお腹にピストルの弾丸を入れたまま、こんなところでこっそり死にかけている。
軍医長がささやくようにいった。
「おいでになりました」
シゴイさんはゆっくり顔をまわしてあたしのほうをみた。緑色のラック仕上げの顔が、眼のまわりからくしゃくしゃと笑いだして、
「やあ、だいこんがきた」
と低い声でいった。
顔はしなびてびっくりするほど小さくなり、眼のまわりにロイド眼鏡でもかけたような黒い輪がつき、むかしパリの大通をロードスターですっ飛ばしていた元気なシゴイさんだとはどうしても思えない。
「だいこんがきました。あたしたち軍艦へお別れにきて甲板でワルツを踊っているというのに、あなたはこんなところでひとりで超然と寝ているのね」
「超然なんてことはない。これでも病気は病気なんだ。たいしたことはないんだが、軍医長が心配するから動かないでいてやるんだ」
シゴイさんらしいこころづかいだ。お腹にピストルの弾丸が入って間もなく死ぬんだよといったら、宮廷小説に出てくる伯爵令嬢のように、あたしがびっくりして気絶するとでも思っているのだろうか。あたしがだまっているとシゴイさんが虫の鳴くような声で毒づいた。
「きれいな服だね。悪くない。たしかに修正がきいている。それを着て甲板で踊ったりすると、ちょっとだませるね」
「そうでもない。みな服にばかり気をとられて、顔のほうはちっとも見てくれないよ」
「だいこんのダンスはたいへんな雀踊だったが、このごろはすこしぐあいがいいのか。エトルタの光井さんのヴィラでパァティがあったとき、林檎酒に酔っぱらってテラスからおっこちたことがあったね。だしぬけにいなくなってしまったので、びっくりして探しまわったら、テラスの下の花の中へはまって、首だけだしてキョロリとしていた。あんなに笑ったことはなかった」
「そんなことがあったね」
「あれはいくつのときのことだったろう。オペラ座へ〈ファウスト〉を見に行ったとき、メフェストが出てきたら、びっくりして坐ったままで pipi(おしっこ)をしちゃったんだ。あんなに弱ったことはなかった。おぼえているかい」
「おぼえているわ」
「そういえば〈シャトレェ〉や〈エドワード七世座〉へよく子供芝居を見に行った」
「それからリュクサンブゥルへ人形芝居を見に行った。おぼえていて」
「おぼえているとも。喇叭が鳴って公園の門がしまるまでがんばっていたもんだ。サン・ミッシェルの角で焼きたての栗を買って、それを食べながら落葉を踏んで帰りかけると、パンテオンの屋根の上に大きな夕月が出ていた」
「そうだったね」
「それから降誕祭の前に雪が降った年……ユトリロの描くパリの雪景色のような中を、二人で百貨店の正面の飾物を見て歩いたね。そうして〈ラ・リュウ〉で夜食をした」
ふだんあんまりものをいわないひとだから、いよいよ死ぬときまるとしゃべりたいことがありすぎ、だまって放っておいたら明日の朝まででもしゃべっているにちがいない。それでシゴイさんがしゃべりたいようなことを、先廻りして片っぱしからしゃべりまくることにした。
「ええと、なんだっけな。そうそう、シゴイさん、あんたどうしていままで手紙くれなかったの。あたしどんなに待っていたかしれないけど、もうすんだことだからいいわ。ソロモンはたいへんだったんですってね。でも戦争の話はたくさんだ。あとでわかった真相なんか魅力がないよ。正直なところミッドウェーの海戦で日本の軍艦が半分沈んでしまったんだってね。これも知っているから聞かなくともいい。
それから、なんだっけな……あなたいつ日本へ舞いもどってきたの。なぜ一度ぐらいクラブへ顔をださなかったの。汽車だって自動車だってあるでしょう。でもそれもすんだ話だ。こうして顔をみているんだから文句はないさ。
シゴイさん、あなたなにもしゃべることないでしょうから、あたしのほうからいろいろおつたえするわ。満寿子さんが終戦の日、自殺しました。経験がなかったとみえて、ひどくまずくやって二日も聖路加で生きていたよ。あとの四代目クラブはふらふらしているけどみな健在です。陸さんがうまいことをいっていた。〈むかしののらくらした生活より、精神を磨き、心を千々に砕くいまの逆境のほうをおれは愛する。この機会をはずしたら永久に真人間にはなれないぞ〉って」
もう大丈夫だ。シゴイさんのしゃべることなんかなにひとつありはしない。安心してあたしがいった。
「ずいぶんしゃべった。これでおしまい。あたしがかわりにしゃべってあげたから、あなたしゃべることなんかなにもないでしょう。それであたしだけに逢いたいっていうご用はなに」
シゴイさんがぼんやりした声でいった。
「ずいぶんしゃべってくれてありがとう。たいへんな雄弁術だった。用事というほどのことじゃないが、あのころパリにフレッド・ジュポンという若いアメリカ人がいて、よくいっしょに騒いだことをおぼえているかい」
十室もあるヌイイの豪奢アパートに一人で住んでいて、二た眼と見られないまずい絵ばかり描いているワイズミュラアに似たアメリカ人だったが、ロックフェラアより金持の、火薬王のジュポンの一族だとわかってみなで大笑いした。
太平洋戦争がはじまった日、あたしはすぐフレッドさんのことを思いだした。
フレッドさんは生れが生れだけに、馬鹿みたいに、鷹揚で、絵にかいたみたいなお人好しなのに偉く見えるとでも思っているのか、皮肉なことをいったり憎まれ口をきいたりして得意になっている。あたしは融和しがたい自尊心と猛烈な癇癪をもち、泣きたいようなうれしいような十四歳という女の人生でいちばんじれったい時期だったので、フレッドさんがへんなことをいうと、
「なんだって」
といきなり組みついて行く。
フレッドさんもアメリカの大財閥の面目にかけて負けていない。勢い、えらい取組みあいがはじまる。そんなことはみんな忘れて、面白かったことや楽しかったことだけがつぎつぎに心にうかぶ。
フレッドさんの豪勢なロルス・ロイスに乞食部落の子供達を詰めこんで、ヴェルサイユへピクニックに行ったことだの、四芸術祭にフレッドさんが身体中に銀粉を塗って〈へール・コロンビア〉を歌いながらブゥルヴァルを裸で歩きまわったことだの……親切で悪気がなく、いつでも陽気で機嫌のいいフレッドさんの記憶はいつ思いだしても爽快だった。
喧嘩早いフレッドさんのことだから、戦争なんてことになると、れいの通り逆上して、アメリカの敵と戦うためにまっさきに飛びだしたにちがいない。フレッドさんがトンプソン銃を腰だめにしながら、日本のほうへ進んでくるところを想像すると、へんな感じがするが、憎らしいという気持は起きない。顔がひとりでにニヤニヤしてしまう。あたしの愛国心になにか欠陥があるのだろうと情なくもあったが、好きなひとは好きだというほかはなく、これだけはどうすることも出来ない。フレッドさんはアメリカ人でも、アメリカ人とはちがうべつなアメリカ人だと考えることにして友情と愛国心の摩擦を調節したが、この世には戦争でさえもがうち倒すことが出来ない友情があるものだという偉大な真理を発見し、四代目クラブの会報で寸感を述べたら、幹事の珠子さんにいやみをいわれた。
考えていることをそのまま書くなんて、バカのすることよ。あなたはほんとうにしようがないのね、って。
「それでフレッドさん、どうしたの」
「フレッドが最初の飛行機で厚木へ降りると、ぼくに逢いたがって鎮守府へ訪ねて来たんだそうだけど、こっちへ来ていたもんだから、とうとう逢えなかった。読んでごらん。そこに手紙がある」
脇卓に載っていた手紙にはこんなことが書いてあった。
シマノよ、ぼくは君に逢いたいばっかりに四千哩の長い旅をして今朝日本へ着いた。ぼくは戦闘の間にも、お前を〈抱擁〉するハッピイな瞬間のことばかり夢みていた。お前は死んだのでないかと心配していたが、生きていてくれてほんとうに有難い。
ぼくたちがパリにいるとき、パリの真中に〈凱旋門〉……ああいう人間憎悪の象徴を残して平気でいる西欧文明の正体を見届けて愛想をつかした。世界で凱旋門を持たない国は日本とアメリカだけだ。それについて大いに語りたい。この手紙を見たらすぐバンド・ホテルへ電話をくれたまえ。心理作戦部というところにいる。パリでぼくたちが有頂天なときにそうしたように、間もなく君をぼくの腕の中に抱きしめることが出来るかと思うと、ぼくの腕は今から痛みを感じるほどだ。
あたしがいった。ぼくたちがパリにいるとき、パリの真中に〈凱旋門〉……ああいう人間憎悪の象徴を残して平気でいる西欧文明の正体を見届けて愛想をつかした。世界で凱旋門を持たない国は日本とアメリカだけだ。それについて大いに語りたい。この手紙を見たらすぐバンド・ホテルへ電話をくれたまえ。心理作戦部というところにいる。パリでぼくたちが有頂天なときにそうしたように、間もなく君をぼくの腕の中に抱きしめることが出来るかと思うと、ぼくの腕は今から痛みを感じるほどだ。
「フレッドさん、なかなか詩人だね。それで」
「お前、ぼくのかわりにフレッドを抱擁して Bon jour をいってくれないか……ぼくはまだちょっと動けそうもないから」
「あたしがフレッドさんに抱きついて、ご機嫌ようっていえばいいんだね。そんなことならわけなしだ。ランチで横浜まで送られるんでしょうから、帰りに寄るよ。ほかになにかないの」
「なにもない」
「山チイになにかいうことないの」
返事がなかった。しばらくしてあたしがいった。
「山チイに逢いなさいっていってるんじゃない。いうことがあったら取次いであげますって」
やはり返事がなかった。あたしがまたいった。
「あなたはお腹が痛いなんてとぼけているけど、ピストルでお腹を射たれて死にかけているんだって軍医長がいったよ。あなたは半天使みたいなひとだから、死ぬことも楽しいなんて考えているのかもしれないけど、山チイはあなたがこんなところで死にかけていることも知らないで、甲板で艦長とワルツを踊っているんだ。死にかけているくらいのことを知らせてはいけないの」
やはりなんともいわない。あたしも愛想をつかした。
どこでこじれているのか知らないけど、シゴイさんも山チイも、愛することが好きで愛されることの嫌いなふしぎなひとたちだ。〈愛されることは燃え尽きることだ。愛することは長い夜にともされた美しいランプの光だ〉というのはだれの言葉だったろう。あたしにはよくわからないけど、なにもかもうまくいって、めでたく結婚出来ればそれで充たされるというような、世間並みの愛情とは別なものらしい。
満寿子さんは戦争中に俘虜だったひとを好きになって、辛いところで生甲斐を感じ、長謙さんと珠子さんはむかしの感激をとりもどそうとして毎日喧嘩をしかけあっている。珠子さんは古い恋愛の形式が亡びたのに、新しい恋愛の形式が出来ていないことが不幸なのよとよくそういっていたが、この忙しいのに恋愛の三大新スタイルを見物させられるのはすこしありがたすぎる。あたしはあきらめていった。
「もうこれでお目にかかれないわけだね。進駐軍が日本にいるあいだは〈交戦中〉というんだそうだから、シゴイさんも戦死した六百万人の一人だと思えばあきらめられそうだ。あなたにはフランスでも日本でもずいぶん可愛がっていただいた。あなたが死んだら、たびたびお墓へ行くわ。じゃ、さようなら」
あたしはシゴイさんのほうへ手をだした。シゴイさんがいった。
「その手の出しかたは美しくない。本を読んで智慧を磨くことも大切だが、じぶんの姿をいつも美しくしておかないといい心が育たない。みな忘れているがこれは大切なことなんだよ。見ていてあげるからもういちどやりなおしてごらん」
軍医長が影のように入って来て椅子に掛けた。
あたしの手をひいて、方々へ連れて歩いてくれたシゴイさんのやさしい手に触るのも、これが最後だと思うと、そうやすやすとはやれないけど、まごまごしていると死んでしまう。あたしはそっと手をだした。シゴイさんが歎息するようにいった。
「お前はそんなやさしいところもある娘なんだな。ふしぎなやつだ」
シゴイさんの手があたしのほうへ伸びだしたまま曖昧に宙に浮いていたが、急に折れたように寝床の上へ落ちた。軍医長が椅子から立ちあがると、入口に立っていたひとにいった。
「看護長、カンフル」
看護長は医務室のほうへ手をのばして注射器を受けとると、青い静脈をうきあげたシゴイさんの痩せた腕へ注射した。軍医長は脈にさわりながらじっとシゴイさんの顔を見つめていたが、高い声で叫ぶようにいった。
「リンゲル」
看護長が大きな注射器を持ってきてシゴイさんの腿のところへすばやく注射した。
シゴイさんの額のあたりが急に暗く翳り、その色がカーテンでもおろすように顎のほうへすうっとさがってくると、端然としたシゴイさんの顔が、死んだひとのとほんとした表情になってしまった。軍医長が若い水兵さんにいった。
「取次ッ、お嬢さんを甲板へご案内しろ」
あたしは軍艦の暗い胎内を通って甲板へ出た。
ダンスはまだつづいている。のどかな〈詩人と農夫〉のワルツの曲がきこえてくる。沖のアメリカの艦隊のまわりをチョイサアや高速艇がいそがしく走りまわり、その上の空を哨戒機がいくつも旋回している。なにもかもみな生きているもののしるしばかりだった。
ロシアの宮廷をひっかきまわした妖僧ラスプーチンが、あまり戦死者が多いと泣いていられる皇后にいった、あの白々しい言葉を思いだす……〈ご安心なさいませ。百姓が一人祖国のために死ぬたびに、ランプが一つ神の玉座の前に点じられるのでございます〉
それがほんとうならまたひとつ大きなランプがついたところだ。六百万もランプがついたら、天国もずいぶん明るいことだろう。
フロックの裾をつまんでフォア・デッキへ降りると、いまのが最後の曲目だったのだとみえ、みなさんが楽長のほうへ向いて拍手をしていた。あたしもいっしょになって拍手していると、山チイがそばへ来て、れいの山鳩の声でいった。
「だいこん、いままでどこに隠れていたの」
なにを気取っているんだ。だいじなひとが自分の足の下で死んでいることも知らないで、あたしはつけつけいってやった。
「ちょっとうまいことがあったんだ。でも、あんたの知ったこっちゃないんだから放っといてもらいましょう。うるさい、艦長がなにかいってる」
ゲエテの艦長が渋い声であたしたちにいった。
「みなさんのおかげで、賑かに退艦式を終ることが出来、非常に愉快だった。もう十分に心が通いあっているのであるから、あらためていうこともないが、今日の慰問は、あなた方には些細なことでも、われわれとしては生涯忘れることが出来ないような深い印象を受けたということを申し添え、みなに代ってお礼を申しあげる」
鎮子さんが愛想よくいった。
「きょうは、楽しく遊ばせていただきまして、ありがとうございました。ご迷惑でありませんでしたら、さっき艦長がおっしゃったコントル・ダンスで、きょうのパァティを終らせたいと思います」
艦長が笑いながらうなずいた。
「それはどうもありがとう」
折椅子が片付けられ、急にひろびろした甲板で、軍艦のひとたちとあたしたちが、向きあって長く並んだ。間もなく、〈プルトン〉という二拍子の古風なコントル・ダンスの曲がはじまった。
あたしたちはすぐ踊りだした。両方から進み出てお辞儀をし、手をとっていちど旋回してつぎつぎに相手を変えて踊る対舞の形式は、こういう別れにいかにもふさわしい優美なものだった。
最後のコントル・ダンスもめでたく舞いおさめ、歴史的な艦上舞踏会も終った。あたしたちは横須賀組と浦賀組と二た手に分れてランチへ乗った。ランチが軍艦を離れてから甲板を見あげると、艦長から少年の水兵さんまで、みなハンドレールのところに一列に並んで帽子を高くあげ、それを頭の上でゆるゆるとまわしながら見送っていた。
あたしは心の中でお別れをいった。
「なにはともかく、ずいぶんたいへんだったでしょう。ながながごくろうさま」
沖を見ると、明後日、降伏文調印が行われるミズーリが、ハイライトのきいた写真のような効果で、くっきりと海の上に艦体をうきあげている。勝ったものと負けたもののコントラストの間を、すりぬけるようにしてランチが進む。
軍艦では元気だったが、みなへんにしょんぼりしている。なにを聞いてもろくすっぽ返事もしない。山チイだけがひどく悠然としているので憎らしくなっていってやった。
「山チイ、あの軍艦にシゴイさんがいたんだぞ」
山チイが悠々迫らぬ声でいった。
「知ってるわ」
あたしは呆気にとられ、それからいった。
「どうして知ってたの」
「あたしが知らないわけはないじゃありませんか。馬鹿ねえ」
「シゴイさん、国体護持派にピストルでお腹を射たれたんだぞ」
「知ってるわ。だからどうしたの」
あたしは癪にさわっていった。
「シゴイさんは……」
シゴイさんはもう死んじゃったぞといってやるつもりだったけど、それはやめた。知らないならいうことはないし、知っているならなおさらのことだ。あたしがぼんやりいった。
「そうだったのか。両方からすごくすっとぼけられちゃった。馬鹿をみた」
涼しい海風がそよそよとだいこんのあいだを吹きぬけていく。ときどき薄眼をあけてみると、軍艦のランチはあいかわらずおなじようなところをおっとりと走っている。
今日は朝早くから働きづめだったので眠くてたまらない。眼をあいていようと思うんだが、いつのまにかうとうとしている。鼾でもかきそうでしようがない。〈天国の微睡〉というのはたぶんこんなものなんだろう。身体が溶けていきそう。なんともいえないほどいい気持だ。
夢の中であたしが鼻唄をうたっている。これはなんだっけ。〈チェサピーク湾の帆走〉というケーク・ウォークのメロディだ。あたしはいつのまにかノルマンディの海水浴場の飛込筏のうえで昼寝をしている。早く昼食の鐘が鳴ればいいなどと思っている。だれかそっとあたしの肱を突く。なにかもそもそいっている。
「ここは危いです。おやすみになるならキャビンへいらしたらどうですか」
あたしたちを横須賀まで送って行くれいの慇懃な下士官がそばに立っている。きょろきょろ見まわすと、艫のほうで山チイや初子さんが孔雀のようにフロックの裾をひろげ、気取ったようすでなよなよと扇をつかっている。
そうだった。エトルタどころのさわぎじゃない。日本が敗けて、明後日、ミズーリで降伏文書の調印式があるんだ。たいへんだ、たいへんだ……シゴイさんのびっくりするような蒼い顔が眼にうかぶ。シゴイさんもかあいそうだ。山チイはシゴイさんが死んだことを知っているのか、知らないのか。さっきは腹をたてたけど、やはり山チイに知らせておくほうがいいのじゃないかしら。あとで怨まれてもこまる。シゴイさんのご名代で横浜のバンド・ホテルへフレッドさんを抱擁に行くことも……
いろんなことがちらちら心にうかぶが、なにしろねむくてしようがない。日本が負けたことも、調印式も、シゴイさんも、どうでもよくなる。また肩を突かれた。
「危いですから」
あたしが夢の中でこたえた。
「だいじょうぶ。ただこうしているだけ。眠ってなんかいないよ」
劈くようなクラークソンの音がきこえたと思うと、ランチがだしぬけに横揺れし、あたしは畳椅子もろとも下士官のほうへ横倒しになった。びっくりしていっぺんに眼がさめた。
でこでこに装甲したものすごいタグ・ボートが三隻、五米ぐらいずつ間隔をおいてえらい横波をたてながらすぐそばを通って行く。マドロス・パイプをくわえた半袖シャツのセーラーが舵をとっている。あたしたちのランチにはすばらしいフロックを着た美人連が〈妖女物語〉の絵といった体裁ですましているので、どのセーラーもひどく気にして、首が捻じきれるほどふりむいて行く。
しばらくするとこんどは、ハドソン河のフェリー・ボートのような腰の沈んだ大艀が、ホイッスルを鳴らしながらやってきた。いくつもポケットのあるカーキ色のコンビネーションに茶革の短いスパッツをつけ、蒼黒く光る自動小銃を肩に掛けた鉄兜の兵隊が十人ほど乗っている。表情もタイプもふしぎなほどよく似ている。首筋が蘇芳でも塗ったように真赤なところまでおなじだ。ちょうどウェルズの未来小説に出てくる〈科学人間〉にそっくりな感じだった。
あたしが下士官にたずねた。
「あのひとたちなんなの」
下士官がこたえた。
「あれが有名なアメリカの海兵隊です。いま横浜と横須賀の警備をして居ります」
〈海兵隊〉というのは、ガダルカナル以来、いろいろな意味であたしたちの関心をひいた異常な名詞だった。この戦争がはじまってから、アメリカは火星よりも遠い感じになっていたので、日本のこんな近くでアメリカ人を見ているという感銘は、非常に強烈で且つ斬新だった。
一九三八年にオルソン・ウェルスが〈火星人の米本土侵入〉というラジオ・ドラマを放送したが、あまり効果がありすぎて、卒倒したり窓から飛降りたりしたひとがあってたいへんな騒ぎだったそうだ。あたしはパリでそれを聞いて、火星人が刻々に都会の中心に迫ってくる得態の知れない恐ろしさにまいってしまったが、いまタグ・ボートで横須賀へ上陸しようとしているアメリカ人を見る感じがそれとよく似ていた。
あたしが珠子さんにいった。
「あたしたちがヨーロッパで逢ったアメリカ人と、ちがうアメリカ人のような感じのするアメリカ人だね」
珠子さんがじろじろあたしの顔を見ながらいった。
「あなたがパリで見たのはタクシードを着たアメリカ人でしょう。装備をしているアメリカ人は見た眼にもちがうはずよ。それがどうしたというの」
横あいから鼠色に塗った高速艇が消防自動車のようなサイレンを鳴らしながらすっ飛んできた。ブリッジに大きな探照灯と機関砲がくっついている。サイレンがなにかの合図だったとみえ、軍艦のランチは大いそぎで速力をおとした。高速艇がそばへすりよると、白い鉄兜をかぶった背の高い海兵がランチへ飛び移ってきて、運用長になにかいっている。
下士官は腕時計を見ながらいった。
「悪い時間にひっかかりました。日本船は十七時以後の航行制限を受けて居りますんですが、あなたがたのような美しいお嬢さんをお送りするだけなのですから、むずかしいことはいうまいと思います」
沖のほうへふりかえるとレヴュウの舞台のような夕陽のサスペンションの中で、アメリカの軍艦が押せおせに並び、駆逐艦が高速試験でもしているように走りまわり、空の高いところにはP51のパトロールが蚊絣のように飛んでいる。〈眼に痛い光景〉とはこのことだ。戦争に負けたという実感がよく頭にしみこんでいないので、つい忘れてしまうけど、あたしたちのランチが走っているのはもう日本の海ではない。連合軍の制限下にある海だ。講和会議がすんで日本が自主権をとりもどすまで、ボオドレェル式にこんなふうにいっておこう。〈好寄心と野心を失ったものにとって、防波堤の上に肱をつき、旅するもののあわただしき運動を眺めやることは、一種、貴族的な快楽である〉
若い海兵隊は笑いながら高速艇へ帰って行き、ランチはまたゴトゴトと動きだし、十五分ほどののち長い斜堤の端にある古ぼけた浮桟橋へ横づけになった。
鎮子さんや初子さんたちの組がキャビンからあらわれて斜堤へ出揃うと、下士官はあたしたちをオープンのビュイックへ詰めこんだ。
羽田の空港とそっくりな、風の吹き通る広々とした構内をドライヴして行くと、間もなく司令部の建物が見えてきた。高いマストの上に青地に白く星を抜いた赤縞入りの旗が鯉のぼりのような派手な色でゆらゆら揺れ、その下の広い鋪道を四列縦隊になった水兵さんがリズミカルな靴音をたてながら撤退している。枕のようなズックの袋を肩に載せ、折目のついた眼にしみるような白い服を着、一隊が通って行くとまた次の一隊と、空からでも繰りだすようにあとから無限につづきながら正門から出て行く。横須賀の鎮守府が接収されたことはパパにきいていたので驚きはしなかったけど、印象だけについていえば一生忘れられないほど深刻なものだった。
〈フランスの逃亡〉の中の一節を思いだす。フランスの大部隊がフランダースの平原を洪水のように撤退してくる街道で、年をとった農夫のお婆さんがじぶんの家の戸口に立ってながめながら、通りかかった将校にいう。
「なんというあわれなことでしょう。大尉さん、こんなに大きな国が……」
なんというあわれなことでしょう。
でも見なければよかったとは思わない。これも古い日本の大きな〈幕切れ[#ルビの「アポティオオス」は底本では「アボティオオス」]〉の一つだ。敗戦というすごい変動の中では、おどろくに足りるようなものはひとつもない。新しい日本をつくりあげた何十年か後、このあわれな風景も捨てがたい思い出になるのだろう。
艦隊司令部の玄関で待っていると、白い防暑服を着た明晰な顔つきの士官がのめるような早足で出てきた。眼や口元が鎮子さんにそっくりだ。話にきいていたので鎮子さんの長兄だとすぐわかった。
「先任参謀です。今日はありがとうございました。パァティをしてくだすったのだそうですが、前例がなかったので、艦のひとたちも非常な印象を受けたことでしょう。私からもよくお礼を申しあげてくれと副長から手紙がありました。ごたごたしておりましておもてなしが出来ませんが悪しからず。今日は憲兵がうるさいですから、連絡バスで鎌倉までお送りいたします」
みながバスで鎌倉へ帰ると、あたしはひとりで横浜へ行かなくてはならない。こんな派手なフロックで横浜をのそのそ歩いたりしたら、他人ヲ挑発スル如キ華美ナル服装ヲセザルコトと、午後五時以後外出セザルコトの禁止事項にふれて憲兵にひどい目にあう。あたしは先任参謀のそばへ行っていった。
「横浜のバンド・ホテルまで行きたいんですけど送っていただけないかしら」
参謀がいった。
「お一人で」
「そうなの」
「それはどういうもんでしょうか」
あたしがおしかえしていった。
「島野さんの用事なの。バンド・ホテルの司令部にいるフレッドさんというひとにことづてをたのまれたので、どうしても行かなくちゃならないの」
「バンド・ホテルといわれたようですが、司令部ならいま税関に居ります。ここから連絡艇が出ますから、それでいらしたらいかがです」
東京と横須賀の間を走っている、れいの海軍の黒い連絡バスが、ロータリーのほうからやってきて玄関の前でとまった。山チイと珠子さんがびっくりしたようにバスの窓から顔をだした。
「だいこん、どうして乗らないの」
「あたしこの次のバスで。帰ったら、すこしおそくなりますってママのところへ電話をかけておいてちょうだい」
「どこへ行くつもり」
「いいんだよ。放っといてくれ」
バスが出て行くと、先任参謀はビュイックへあたしを乗せてさっき来たほうへ走らせた。
「あなたのことは鎮子から伺っていました。あなたは軍艦で島野にお逢いになったんですか」
「ええ」
「いま通知がありましたが、島野が死んだのをごぞんじですか」
「死ぬまでそばにいました」
「山勢さんのお嬢さんも臨終におあいになったのですか」
「山チイはたぶんまだ知らないの」
「フレッドとおっしゃったようですが、あのアメリカの少佐は島野のパリ時代の友人なんだそうですね」
「そうなのよ」
「そのひとが司令部へ島野を訪ねてきました。若い連中が昂奮してわけがわからなくなっていたときだったので、誤解されてあんな馬鹿なことになってしまったのです」
飛行長も先任参謀も、どうしてあたしのような子供にこんな重大な話をぺらぺらしゃべりちらすんだろう。このひとたちは言いたいことがありすぎて始末がつかなくなり、相手さえあれば感慨をもらさずにいられないんだ。あたしは大人の独り言だと思って聞きながしていると、参謀は思いだしたようにまたいった。
「島野のご尊父もそうですが、軍人が国際的な立場をもちながら、その間をうまく切りぬけて行くのはむずかしいものなのですな」
なんだか耳障りな話になってきた。
「シゴイさんのパパのことは知らないけど、フレッドさんが鎮守府へ訪ねて行ったということがどんなふうに誤解されたんでしょう」
「ジュポン少佐は心理作戦部の部員で、島野は艦隊司令部の飛行参謀……それにジュポン少佐は戦争中ずっと島野と交通していたというようなことをいうので、若い連中の耳に異様にひびいたのでしょう」
「フレッドさんがはっきりそんなことをいったんですか」
「インターコースしていた、といいました」
フレッドさんのインターコースは〈心の交通〉という意味だったのにちがいない。たがいに敵になったけど、心はいつも通じあっていたということをフレッドさんはいいたかったんだ。ほんとうに通謀していたのなら、鎮守府なんかでそんなことをしゃべりちらすわけはない。このひとたちは戦争の激務にやられてすこしばかり気がちがっているんだ。
参謀はあたしのほうへ顔をむけると、いままでとちがった強いアクセントでいった。
「島野にたのまれた伝言というのは、どんなことだったのですか」
このいそがしい参謀があたしを送ってくれるのはつまりそれをきくためだったんだ。あたしまで〈通謀者〉の一人にきめて、白状させようとしている。シゴイさんを誤解したというのは若い連中ではなくて、このひと自身だったのかも知れない。
あたしがいった。
「シゴイさんは行けないから、かわりに遊びに行ってくれって。たのまれたことはそれだけよ」
「そんなことでわざわざ横浜まで行くのですか」
「ええ、約束ですから」
参謀の眦のあたりがへんに蒼ずんできた。
「私などが立入る問題でないことは心得ていますが、島野の誤解を解く材料でもあるかと思っておたずねしてみたんです。伺わなくとも結構です」
車がとまった。
水兵さんの運転手が扉をあけて敬礼した。石段のついた突堤のそばに鎮守府のランチが動きだすばかりになっていた。
「どうもいろいろありがとう。そのうちにあらためてお礼に伺います」
ランチは防波堤の燈台のそばをすりぬけて横浜の内港へ入った。プールの中はたいへんな混雑で、リバァティ型というのか、貨物船の規格版がいくつもいて、大艀や上陸用舟艇が裾から火がついたようにめまぐるしく動きまわっていた。
内貿桟橋と山内岸壁には貨物船が何隻も横づけになり、上屋と税関の構内には幌馬車のような幌をつけた山のようなトラックやトレーラーやモータア・ロオリーがおしあうようになっている。どこを見ても半袖シャツやオーヴァオールのアメリカ人ばかりで、クラークソンの音まで日本離れがしている。五流ぐらいの、アメリカのどこかの港にでもいるような感じだった。
税関の構内を出て歩道を歩いて行くと、街路樹の前に自動車の骨組みに幌をつけたような、腰のあがったみょうな小型自動車がずっとむこうまで一列に並んでいる。大通はへんにひろびろしていて、あたしのほか日本人は一人も歩いていない。軍艦でダンスをしているうちに日本人がみな死に絶え、あたしだけが生き残ったのではないかというような気がする。夕風が吹きだし、たださえゆらゆらするフロックの裾が、派手にひろがったり舞いあがったりする。それがみょうにもの悲しい。
税関の正面の入口を入ろうとすると、思いがけないところに海兵隊が立っていて、きばった顔であたしの前へ立ちふさがった。
「おい、君」
いつも機嫌のいい新教徒も、ときにこんな顔をすることもあるんだ。あたしが挨拶した。
「ヘイ・ジョウ」
海兵隊が白い歯をみせてニヤリと笑った。
「どこへ」
「GHQにいる友達に逢いに行く」
「日本のモースーメがGHQの建物に立入ることはタブウだ。悪く思うなよ」
ジョイスは半日の人間の頭の中を十万語ぐらいにひきのばして見せたが、税関のGHQからニュウグランド・ホテルまでの十分間の頭の中を書きつけたら、〈ユリシーズ〉の十倍ぐらいの長さになるにちがいない。どんなことがあっても鸛一さんの臨終のねがいを果してあげなければ、だいこんの顔がたたない。いよいよいけなければ、ラジオの〈探ねびと〉で呼びだすという名案まで浮かんだが、けっきょくのところ、間もなく宿舎へひきあげてくるのだから、ニュウグランドの前で待伏せしていようという平凡なところへ落ちついた。
ホテルの前まで行くと、玄関のわきから山下公園の海岸の鉄棚のきわまで、幾台ともしれないタンクがぎっしりとならび、そのすきまへ山のような水陸両用戦車がいくつも地ひびきをたてながら割りこんでくる。植込みのあいだにずらりとキャンプができて、戦闘装備をしたアメリカの兵隊が一大隊ほど(と、あたしには見えた)叉銃をして草の上で休んでいる。哨戒機の爆音が波のうねりのように遠くなったり近くなったりし、海の上には上陸艇がげんごろう虫のように行きちがっている。〈占領〉というもののギリギリの実景だった。
国際公法では、日本の土地の上に進駐軍が滞在している間は、日本と連合国は〈交戦中〉ということなんだとパパがいっていた。あたしのような女の子がふらふらGHQへ出かけたりするのは、戦場の真中にある戦闘指揮所へ遊びに行くよりまだ頓狂なはなしだ。
むこうのテントの前に立っているシャルル七世に鉄兜をかぶせたような海兵隊が、ふしんそうな顔であたしのほうを見ている。ともかくフラフラするのはいけない。なにか用があるように見せかけなくてはならないが、一人ではもちきれそうもない。あたしはいそがしそうにシャルル七世のほうへ歩いて行った。
「あなたはジュポンさんですね。お噂をきいていたので、いちどお目にかかりたいと思っていました」
海兵隊は、私はジュポンでもないし、噂をするやつなんかいるはずがないから、たぶん人ちがいだろうといった。
「おや、ちがったかな。あまりよく似ているので、ジュポンさんと思いました」
忙しそうに歩いて行くと、トラックのそばで、クリスマス・パァティの紙の袋帽そっくりなのをかぶった若い兵隊が、“Candy” I call sugar “Candy”……キャンディよ、まったく砂糖だね。お前も甘いし、あたしも甘い。キャンディの仲だよ、なんてのんきな歌をうたっている。
「失礼ですが、ジュポンさんではありませんか。お声が似ているようだけど」
兵隊は歌をやめて愛想のいい調子でいった。
「お前が探しているのはタマス・ジュポンか、ヘンリー・ジュポンか。タマス・ジュポンならおれだ」
「あたしが探しているのはヘンリー・ジュポンのほうです。でもジュポンさんときくとなつかしいわ。失礼ですが、ここへ坐らせていただいてもいいでしょうか」
あたしは草の上へ坐りこんだ。ホテルの玄関が正面に見える。待伏をするには絶好の場所だ。フレッドさんがあらわれるまでこの兵隊さんをひきとめておこうと、必死におしゃべりすると、兵隊さんは見るに見かねたのか、お前は英国人のようないい英語を話す。おれたちがいうと Can't はキャーントになってカーントといえないなんてお愛想をいってくれた。
そのうちに話題がなくなった。右肩に大きなバッジをつけている。すぐそれに食いつく。
「しゃれたバッジですね。それはなんですか」
「これは九つの地方をあらわす標識だ。これを見ると、どこからきた兵隊だかすぐわかる」
「あなたの地方はどこですか」
「中央西部。おれはコロラドのフェニックスの鉱山でトレーラーの運転手をやっていた」
「聞きおくれて失礼しましたが、あなたはなんという隊にいたの。歩兵ですか」
「ノオ、水陸両用戦車隊」
「ずっと戦争をして来たわけなのね」
「ガダルカナルからオキナーハまで」
「たいへんだ。戦争の話はよしましょう。日本の印象はどうですか」
「ワナフルだ。おれは昨日トオキョオへ行ってエレヴェーターというものに乗った。それから地下鉄というものにも。トウキョオは大都会だ。それはそうとお前は〈ローズ・オブ・トウキョオ〉を知っているか」
戦争中の日本の〈ホーホー卿〉はすごくきれいな英語を話す女のひとで、さかんに対外放送をやっているということだが、ほんとにそんなひとがいたのかどうかそれさえ知らない。
「あたしたちは知らないのよ。どんなことをいったの」
「おお、ブルックリンの月よ……落葉がし、紐育に初雪が降ると、間もなくクリスマスがきます。七面鳥のセミチ(サンドイッチ)パイ・ア・ラ・モード……オヴンのスープ煮込の中で玉葱と人参をあしらった野鴨がぐつぐつ音をたててあなたの帰りを待っています。あなたのジュリアンが、あなたのエドナが、あなたの年老いたお母さんが……お帰りなさい、お帰りなさい、戦争をやめて早くアメリカへお帰りなさい……」
だんだん暮れてきて、内港の防波堤の燈台に灯がつき、港は薄い赤葵色から澄んだ水色になり、シルエットのように浮かんでいるアメリカの軍艦の探照燈が、青白い長い手で雲の腹を撫でたり、岬のほうを手さぐりしたりしている。
お腹がすいた。あたしも家へ帰りたくなった。鸛一さんの霊には申しわけないけど、フレッドさんをつかまえるのは今日でなければならないということもない。兵隊さんにさようならをいって広場のほうへ歩きだしたが、そこで立ちどまってかんがえた。
こんな平和なみせかけをしているが、こうしているうちにも、どこかで、一発、銃声がひびいたら、この兵隊も、このタンクも、沖の軍艦も、とたんに血相をかえて動きだしてすごい〈戦争の場〉になってしまう。今日はなに気ないようすで暮れて行くが、明日はどうなるのか誰にもわからない。今晩にでも戦争へ逆戻りしたら、鸛一さんの真情をフレッドさんにつたえる機会が永久に失われてしまう。
いつまでかかるかわからない。ママにそういっておこうと思ってホテルへ電話を借りに入ったが、ビュウロォに誰もいない。しょうがないのでぶらぶらロビィのほうへ行ってみた。
しばらく来ないうちに天井のスタッコが落ち、絨毯はすり切れ、ソファも長椅子もみな参ってしまい、もう手向いはいたしませんというようなあわれなようすをしている。このロビィにはいろいろな思い出がある。だれかがヨーロッパから帰ると、埠頭の臨海食堂だけではすまなくて、ここへ移ってきておしゃべりをするのがきまりになっていた。ソファにも椅子にもそのときどきのたのしい追憶がからみついているが、みなかえらぬ思い出になってしまった。
ビュウロォへ戻って待っていたがなかなか帰ってこない。下士官や将校が廊下を通りながらじろじろあたしを見て行く。気が沈んでたまらない。両手をうしろへまわしてカウンターに凭れていると、フロント係の大橋さんがワイシャツの腕まくりでいそがしそうにやってきて、おや、とびっくりしたように立ちどまった。
自信のある娘っ子どもがみな顔に鍋墨を塗って田舎へ逃げだすという、てんやわんや騒ぎのなかに、フロックなんか着こんですっとぼけているというんだから、気でもちがったかと思うのも無理はない。あたしがいった。
「大橋さん、気はたしかなのよ。ちょっと電話、お借りするわ」
「はあ、どうぞどうぞ」
呆気にとられたようにまだ見ている。電話をかけるとすぐママが出てきた。
「あなた、どうなすったの」
「山チイの電話、おききになって」
「それは聞きましたが、そちらへいらっしゃること、ママは伺っていませんでしたよ」
「ごめんなさい。きょうね、鸛一さんが軍艦で死んだのよ。山チイはまだ知らないんです。臨終にたのまれたことを果してあげようと思ってここへ来てるんだけど、電話ではちょっといえないことなの。帰ってからくわしくお話します」
「そうですか。では帰ってからよく伺いましょう。それであなたこれからどうなさるの」
「間もなく帰るところ」
「あなたフロックでしょう。そんな恰好でフラフラ横浜なんか歩かないでちょうだい。大橋さんにいっておきますから、ホテルから車で送っておもらいなさい」
「そうします」
ママのほうはすんだが、このフロックではどうにもならない。大橋さんに相談すると、なんとかしましょうといって、だれかの青いブラウスとスラックスを借りてきてくれた。
着換えをして玄関へ出ると、れいの自動車の骸骨がとまって、ひょろりと背の高い、どこかで見たことのあるひとがおりきた。あのパテティックな夜、パーゴラの中にいたハガアスさんだった。
「ハガアスさん」
ハガアスさんは勿忘草のような青い眼でじっとあたしを見てからいった。
「おお、モースーメさん」
「モースーメさんにちがいないわ。あなた、あたしが居睡りしているうちに、だまって逃げだしてしまったでしょう」
「逃げたのではありません。ちょっと用事が出来たものですから」
ちょうどよかった。フレッドさんをひっぱりだす件はハガアスさんにたのめばいい。あたしがいった。
「ハガアスさん、あたしちょっとおねがいがあるのよ」
「そうですか。わたしもお聞きしたいことがあるんです。すぐそこにわれわれの宿舎がありますから」
「あたしのような女の子がそんなところへ行くのタブゥなんでしょう」
「われわれ新聞記者のクラブのようなものですからご心配いりません」
「じゃお邪魔するわ」
ホテルの前の広場を横切って、以前、仏国郵船の事務所だった建物へ連れこんだ。
玄関を入ると広いホールで、帯金のついた大きな木箱やナップ・ザックのようなものが壁際にごたごたと積みあげられ、小型寝台やキャンヴァス・ベッドがたくさん置いてある。サラリーマンのパンションか独身アパートのような雰囲気の中で、アメリカの連続漫画の〈兵卒ブレガア〉にそっくりなロイド眼鏡をかけたひとがいそがしそうにタイプライターを叩いている。この部屋はラウンジになっているのらしく、いろいろなひとがつぎつぎに入ってきて、缶詰のビールの缶にポンと穴をあけグイと飲んでさっと出て行く。いそがしくて眼がまわりそうだ。
欧羅巴のむかしかたぎのひとたちは、アメリカ人は一人でいるときは静かだが、多勢集るとむやみにいそがしくなる民族だと思いこんでいる。おちおち食べる暇がないので、男も女もみな立ったままでやっつけるんだ。その証拠にアメリカぐらい立食食堂や自動販売料理店の発達した国はないからな、なんていっている。あたしもそんなふうにばかり思いこんでいたが、いま見る光景があたしの概念にぴったりしているので非常に満足した。
ハガアスさんはみなに挨拶しながら部屋つづきの事務室のようなところへ連れて行き、すべすべしたいい匂いの石鹸をなすりつけてあたしに手を洗わせると、緑色に塗ったタンクからコップに水を注いであたしの鼻先につきつけた。タンクに大きな字で〈リスター〉と書いてある。これはなにときくと、浄水薬で消毒した水だから飲めといった。それから戸棚をあけてセロファンで包んだ大きな箱を持ちだしてきた。ハムとライマ・ビーンズ、挽肉とマカロニ、ソーセージと豆……そんな缶詰。それからコンフレークスのようなもの。ビスケット。包ごとに煙草が九本、マッチとチュウインガム、トイレット・ペエパア……そんなものが詰合せになっている。
「これはアメリカの兵食です。Cレーションといいましてね、八人分の三食が入っているんです。ちょっと温めますから待っていてください」
ハガアスさんは大森海岸の島の収容所で辛いいやな俘虜の生活をしていたのに、ひねくれたようなところはすこしもない。聖画のキリストのような平和な眼つきをし、はにかんだような表情をする顔のやさしさはなにか胸に迫るようだった。
満寿子さんは精神のバランスがとれなくなるほどこのひとを好きになったが、ハガアスさんのほうはどうだったのかちょっときいてみたくなった。
「ハガアスさん、あの晩あなたが用事のあったのは、ミス・アマミヤというひとだったんでしょう」
ハガアスさんがびっくりしたような顔をした。
「あなたはどうしてそんなことを知っているんです」
「あなたもう忘れたの。あたしはすごい神霊者なのよ。あたしにわからないことなんかあるもんですか」
ハガアスさんが素直にうなずいた。
「ミス・アマミヤにはたいへん親切にしていただいたので、俘虜満期になった晩、代表でお礼をいいに行ったのですが、お目にかかれなくて残念でした。ミス・アマミヤはいまどこにいられるんでしょう」
ミス・アマミヤはいま天国にいる。居どころがわかったって電話なんかかけられるような手近なところじゃない。あたしが聞えなかったつもりで横をむいていると、ハガアスさんはあきらめたのか、電熱器のところへ行ってコッフェルで缶詰をあたためにかかった。
近くで鋲打ちでもはじまったようなすごい音がする。ふりかえってみると、ニュウ・グランドの明るい玄関と向きあったとなりのホールで、四十人ばかりの新聞記者がタイプライターにかじりついてトップ・スピードで記事を叩きだしている。
「えらい騒ぎだ。なにがはじまったの」
「司令部のコンミュニケが出たので、七時のラジオ・テレグラムに間に合わせようというんです」
ハガアスさんは湯気のたつコッフェルを持ってきてならべると、テーブルの向い側に掛け、れいの勿忘草の青い眼であたしを見ながら、霞むような柔和な声でいった。
「ミス・アマミヤはいまどちらなんでしょう」
あんなことであきらめるはずがないと思っていたが、案のじょうだった。レーションの缶詰を温めながらそのことばかり考えつめていたんだ。キリストのような真面目な顔をしたひとにほんとうのことなんかいえるもんじゃない。あとで手紙でも書いて逃げだすことにする。あたしがでたらめをいった。
「軽井沢かしら、強羅かな……ひょっとするアビコかもしれないぞ」
「アビコ……どんな字を書くのでしょう」
ハガアスさんが紙とパアカアをよこした。でっかい字で〈我孫子〉と書いてみせると、ハガアスさんは考えてからいった。
「我妻をアヅマと読むことがありますから、(我)はアですね。これはいいですが、(孫子)をビコと読むのはどういうわけでしょう」
ハガアスさんに漢字をきかれるとは思っていなかった。
あたしは欧羅巴にすこし長くいすぎ、漢字のおなじみは多くない。だいいち我をアと読むなんて初耳だ。あたしはおそれいってあっさり兜をぬいだ。
「あたしたちのゼネレーションは日本の死語を相手にしないことにしている。懐古趣味はありません」
ハガアスさんは熱心に考えてからいった。
「わかりました。子の子はマゴ……孫の子はヒコ……だから“私の孫の子”と書いて“ア=ヒコ”と読ませるのですね」
あたしは呆気にとられてハガアスさんの顔を見た。
「ハガアスさん、たいしたもんだね。日本語の比較学まで手に入っているとは思わなかった。なんという大学でやったの」
「自分の国が繁栄しているので、アメリカ人はほかの国のことに無関心すぎるという非難を受けますが、それは事実です。PO戦争がはじまるまでは、日本という国があることさえ知りませんでした」
「どこでそんなに勉強したの」
「大森の収容所でひとりでコツコツやりました。ほんの十八カ月ばかり」
ハガアスさんがどういう心情で日本語をはじめ、わずかのあいだにどうしてそんな異常な進歩を見せたか。あの夜、すり切れたタクシードを着て満寿子さんをさがしにきたことを思いあわせると、ハガアスさんの心の秘密は手にとるようにわかる。
「たった一年半で。たいした熱情だね。アメリカへ帰るというのに、どうして日本語なんかそんなに熱心にやったの」
ハガアスさんがつぶやくようにいった。
「私は現地除隊をして、出来たらUPの駐在員で東京に残りたいと思っていましたので、出来るだけ日本語を勉強しておく必要があったんです」
「UPの駐在員にね。でも、あなたが熱心に日本語をやったのはそのためばかりではなかったんでしょう」
ハガアスさんは赧い顔をしてはにかんでしまった。
それほどの勉強の目あてだったひとは、お気の毒だけど、もうこの世にいない。満寿子さんは、こんな死にかたをしたことをハガアスさんにつたえてくれと山チイにたのんでいた。ハガアスさんはそんなことになっているとは知らない。せめて山チイにでも連絡してやらないと、これだけの熱情が行先不明になってしまう。
ハガアスさんがいった。
「どうも失礼。あなたのご用はなんでした」
「心理作戦部のフレッド・ジュポンに逢わなければならない用があるの。フレッドさんはパリで遊んでよく知っているのよ。おどろかしてやりたいから、だまって連れてきてください」
ハガアスさんが出て行くとあたしは短い手紙を書いた。
ハガアスさん、ミス・アマミヤは死にました。最後はどんなものだったか聖路加病院でおききになればわかります。そのうえで鎌倉の一一一番へ電話をかけてください。ミス・アマミヤの伝言があるはずです。さっきでたらめをいってごめんなさい。
それを四つに畳んで、煙草やチューインガムが入っているレーションの箱へさしこんでおいた。
テーブルの上にご接待の食べものがいろいろ載っている。話にきいたこれがアメリカの兵食なんだ。あたしの味覚が感じるのは、ガダルカナルで海兵隊が感じたのとおなじ味なのだ。調印式もまだすまないのに、交戦中の相手国の兵食のおふるまいにあずかるのは、国民感情に少々異和を感じるけど、軍艦でドゥナッツを食べたきりなにもお腹へ入れていない。兵隊さんの缶詰のお弁当はどんなものか、ちょっと試食してみるのも悪くない。
コンフレークスをお煎餅のように噛んでみる。マカロニをちょっと一と口……あとは脱兎のごとくやっつける。ふと顔をあげると、風変りなアメリカ人がこちらへやってくるのが見える。アンペリアル風の長い口髭と楔形の顎鬚をはやし、鉄兜をかぶった古典的なアメリカ人が、広間中、裾から火がついたような騒ぎをしている大活躍のタイプライターの間を縫いながら、のんきな足どりでぶらぶら歩いてくる。へんなひともあるものだと見ているうちに、挽肉とマカロニは湯気をたてながら宙釣りになった。
パリ時代には絵具のついたブルーズか、衿に石竹の花をつけたタクシードを着たフレッドさんしか見ていないので、髭と鉄兜が邪魔をするが、近づくにつれてすこしずつフレッドさんらしくなってきた。顔の彫が深くなり、顎鬚なんかはやし勿体らしいマスクになっているが、ノンシャランな歩きかたはフレッドさん独得のものだ、と判断した。あたしはうれしさでふらふらになり、フォークもマカロニもほおりだして大き声でいった。
「フレッドさん、あたし、ここよ」
フレッドさんはびっくりしたように立ちどまって、離れたところからあたしの顔を見ている。
「フレッドさん、お馬鹿さん、あたしよ」
フレッドさんはめずらしい動物でも眺めるような眼付でじろじろ見ている。あたしがイライラしていった。
「フレッドさん、あたしよ……だいこん」
それでもなにもいわない。鉄兜を眉の上までずりさげ、クリスマス・カロルの〈スクリージュ〉か、アン女王を倫敦塔の死刑場へ護送して行く首斬役人のような冷酷無情な顔つきで立っている。
復活祭、四芸術祭、七月十四日、降誕祭、除夜、オペラ座やヴェルサイユ宮の慈善興行……満寿子さん、六右衛門さん、長謙さん、珠子さん、山チイ、だいこんの六人組が大騒ぎをして遊ぶとき、フレッドさんが入っていなかったことはただの一度もなかった。三十八年の春はみなでニースの謝肉祭へ出かけ、花合戦の日まで長期の連続興行をやった。
それからまだ五年しかたっていない。その六十カ月の間にあたしがどんな大異変をとげたというんだろう。マダム・レカミエのように美しくでもなったというのかしら。どうしてどうして、とんでもございませんこと。だいこんのほうは長ズボンに隠れて見えないが、漫画のベティさんそっくりという奇抜な商標(顔のこと)を目につくところへぶらさげた一癖あるこの黄褐色の娘を、見まちがうだの見そこなうだのってことがあるもんじゃない。見そこなったのでもひっくりかえったのでもない。忘れたふりしているんだ。フレッドさんはじろじろあたしを眺めながらこんなことを考えている。(以下、だいこんの想像力)
「見たことがあるようなひとだが、誰だったかね。失礼だが、君はあまり結構な創造物じゃない。君のために神さまはすこし黄色い絵具を使いすぎたようだな。それにしても、フレッドさん、あたしよとは厚顔しい。むかしパリで遊んだこともあるが、馴れ馴れしくするのはやめてもらいましょう。人種のことはいわないが、君の前に立っているのは〈勝者〉だということを忘れないようにしてもらいたい。えへん」
この三年の間、愛国心をごまかしたり、偉大な真理に逢着したり、珠子さんに嫌味をいわれたりしながら、旗手が軍旗を守るように弾丸ヒウ(弾丸が雨のように飛んでくること)の中で友情を守りつづけてきたのに、三角髯の出来損いは、あたしの前に突っ立ってあまり馴れ馴れしくしてもらいたくないもんだなどと高慢ちきなことを考えているんだ。
復讐の場の〈エレクトラ〉そこのけという氷のような微笑をうかべながら、あたしがいった。
「人ちがいでしたよ。あたしの知っているフレッドさんは、アメリカ人の中のアメリカ人だったけど、あなたはだいぶちがうようですね。ミズーリ州の州法では、立ったまま淑女の顔をじろじろ見たりすると、ブラッシの背中でうんとお尻をひっぱたくことになっているそうじゃないですか。どうもありがとう。そんなに見てくださらなくとも結構ですよ。たいした商標でもありませんから損をしますよ」
コッフェルへ鼻を突っこんで挽肉とマカロニのつづきをやりだしたが胡椒がきいて涙がでた。上眼で見ていると、フレッドさんは鉄兜をぬいで椅子に掛け、手袋をくしゃくしゃにしたりのばしたりしながらしきりに首をひねっている。どうもようすがへんだ。ジュポンさんの家は、メーフラワー号でアメリカへ一番乗りをした、ニュウ・イングランドの〈アメリカの貴族〉の中でも格式のある家柄だそうで、育ちのよさが察しられるノオブリイな顔をしていたのに、どんないきさつがあったのか、眼玉が奥のほうへひっこみ、皮膚は古いメロンのように黄色くなって、物を考える大切な部分に故障を起した哲学の先生といった途方に暮れたような顔をしている。とぼけているなどと思ったのはあたしの邪推で、なにかの都合でひどい物忘れをしているのらしい。そういえば、激戦震蕩症ということもきいている。いそがしいのでつい忘れるが、フレッドさんはチャイナ・クリッパアで日本へフジヤマを見に来たのんきな観光客じゃない。あたしなんかが理解することも想像することも出来ないようなすごい生活を何年もつづけながら、四千哩もむこうからやってきたオデッセエの一人だ。あまり使いすぎてどこかがこわれてしまったのかもしれない。
フレッドさんがだしぬけに大きな声をだした。
「ヘイ、だいこん」
あたしも負けずに大きな声をだした。
「そうさ、だいこんさ。やっとわかったね」
「だいこんが生きていた。こいつは戦略爆撃司令部のたいへんなミスだぞ」
フレッドさんはあたしの手を握ってむやみに振りまわしながら、むかしのようにふざけだした。あたしはゲラゲラ笑ってからいった。
「お馬鹿さん、どうしてあたしを忘れてしまったの。あたし腹をたてて、もうすこしで絶交するところだったのよ」
「おれは日本の戦災の状況をグァム島で毎日ラジオで聞いていたんだ。この調子ではパリ組も根こそぎ参るにちがいないと思ってよろこんでいた。厚木へ着く前、空から横浜を見ると、これはもう完全なもんだからね。タマコも、マスコも、ロクエモンも……もちろん、だいこんだってうまく片付いたろうと安心した。だからだいこんを見たとき、ああこれは幻影だと思ったんだ」
「幻影、とはひどいことをいう」
「幻影でいけなければ、現象でもいいが、戦争というものは思いのほかに忙しくて、毎日キリキリ舞いをしていたもんだから、戦争がすむと、ひどいスランプになって、ときどき頭の中へ霧がかかるんだ、ロンドンの霧のようなすごいやつが……それにさ、赭っ毛の兎さんみたいな顔をしていたやつが、こんなに美人になったというんだから、見損うのは無理はない。だいいちあの赭毛はどこへ行っちまったんだ」
「うまいことをいう」
「ベティ・デヴィスにそっくりなんていうとお世辞になるが、見たところはまあ一流のドモァゼルだよ」
日本人の力ではこれからさき百世紀かかってもぬけだすあてのない武断派のシッコクから、アメリカは自らの犠牲においてあたしたちを解放しようというのです、と満寿子さんがいっていた。よその国民の幸福のために、頭の中にロンドンの霧がかかるほど苦労するなんて、いくらフレッドさんでもすこしひとがよすぎる。あたしがいった。
「そんな苦労をして、はるばる逢いにきてくれるなんて、まったく見あげた友情だよ」
「僕もずいぶん旅行をしたが、こんどくらい金のかかった旅行はなかった。お礼ぐらいいってもらってもいい。だがこんなのは二度とやりたくない。すこし贅沢すぎるようだからね。ロクエモンやタマコやチョウケンはどうしている」
「みな生きている。あなたが来ていることがわかったら、どんなに喜ぶかしれない」
「日本の宣伝では、アメリカは十六歳以上の日本人を去勢して礦山へやり、だいこんのようなやつは、奴隷にしてうんとお尻をぶつんだそうだ。あまり安心しないほうがいいよ。それで僕がここにいることがどうしてわかった」
「あなたシゴイさんへ手紙をだしたでしょう。あたしきょう軍艦でシゴイさんに逢ったのよ。シゴイさんはお腹が痛くて軍艦で寝ている。二、三日……ひょっとすると、四、五日……いや、十日ぐらいかな、ともかく急に起きられそうもないというんだ」
「病気だったのか。あの手紙を見て飛んで来ないわけはないと思った」
「それでね、横浜のバンド・ホテルへ行ってフレッドを抱擁してやってくれってたのまれたんだ」
フレッドさんのしなびた顔にだしぬけに火がつき、なんともいえないうれしそうな表情でうなずいた。
男同士の抱擁は、頬っぺたを舐めたり、しなだれかかったりするようなだらしのないものではない。いつだったかコレージュ・ド・フランスでデュアメルが名演説をしたとき、アベル・ボナールが感激してデュアメルを抱擁した。ボナールは講壇へ駆けあがると、羽搏きをするようにパッと両腕をひろげ、おいかぶさるようにがっちりとデュアメルの肩を抱いて、右手で二三度背中を軽叩した。なんともいえないほど重々しいものだった。
広間のタイプライターの音がばったりとやみ、風が落ちて海が凪いだようにひっそりとしてしまった。仕事が一段落になり、あたしの実存に気がついてあらためて問題にしだしたというところらしく、八十本の足を机の上にあげ、四十本のパイプから煙をふきあげながら、八十個の眼がさりげないようすでこちらを眺めている。
あたしは女のような見せかけをしているけど、man の頭にまだ Wo がついていない中性温度的存在で、熱電率も起電力もゼロだから、まわりに迷惑をかけることはないが、こういう人の悪い見物の前でそんな芸当をやってのけるのは、いくらあたしでも勇気がいる。あたしは椅子から立ちあがると、むっとした顔でいった。
「抱擁する。立ちなさい、さあ」
フレッドさんが笑いながら立ちあがった。あたしは飛びかかって行って、ここぞというあたりへ力まかせに抱きついた。ボナールとデュアメルのときは荘重ないいフォルムだったが、フレッドさんはゲーリー・クウパアそこのけというのっぽだから、抱きついたところは腰線もずうっと下のほうで、蛙の木のぼりのようなへんな恰好になった。
いやはやどうもご苦労さま。ほかの女の子なら、あら、はずかしいなんていうところだろうが、あたしはそんなことはいわない。フレッドさんの腰線から腕をのけると、儀式的な声で宣言した。
「抱擁は……すんだ。ひとが見たらなんだと思うか知れないけど、これは深い心のこもったことなんだ。そうだね、フレッドさん」
フレッドさんが上機嫌でうなずいた。
「そうだとも。深すぎるくらいだ」
ホールのほうへふりかえると、机の上に足をあげた新聞社の特派員たちは、哲学者のような冷静な顔でパイプの煙をふきあげている。拍手するか、ニヤニヤするか、顔をしかめるか、いずれなにか刺激的な場面になるのだろうと覚悟していたが、そんなことはなにもなかった。
映画で見るアメリカの新聞記者は、人見知りをしない go'getter で、厚顔しいほうのペナント・ホルダーばかりだった。あたしがアメリカ映画を見たのは一九四〇年の秋が最後だったが、ルネサンスの末期にフロレンスの芸術家がこつぜんと跡を絶ってしまったように、それを境にしてアメリカに国民の突然異変が起き、あたしたちの知らない新しいアメリカになっていたのらしい。
マーク・トゥエーンが〈イノセンツ・アブロード〉でヨーロッパ文化の行きすぎを嘲笑すると、オスカア・ワイルドがわざわざアメリカへ講演に出かけて行ってしっぺいがえしをした。あたしたちが知っているアメリカ人というのは、モースさんが〈日本その日その日〉の最後のページで紹介しているように、彼等は国民性において最も子供らしく、最も容易に哄笑し、最も容易に涙を流すまで感動し、彼等の衝動に最も絶対的に(付点、だいこん)真実でありというタイプだったが、こんど進駐してきたアメリカ人は、容易になんか絶対的に笑いも感動もしない、ひどく分別くさい生真面目なアメリカ人になっている。
それにしてもホールの何十人かの新聞記者が、哲学者のような顔で天井に煙草の煙をふきあげながらなにを考えているのか気にかかる。ひょっとしたら頭の中でこんなニューズ・ストーリーを考えているんじゃないかしら。
海兵隊と航空隊の先遣部隊が、ヨコヘイマに橋頭堡をつくり、臨戦配備について緊張していた二日目の夜、特派員のクラブへ頭に色小布をつけた漫画のベティにそっくりのモースーメがとびこんできて、ある種の大安売を演じ、日本人にたいする好印象を滅茶滅茶にしてしまった。Smart-set(街で幸運を拾う娘)の一人だと思ったら、一流外交官の娘だというのであぜんとした。これで日本のモースーメのお里が知れたというものである。濠州でそうであったように、われわれの腕にぶらさがって歩く〈麺麭かせぎ〉に悩まされることであろう。云々
日本は長い間厚いスクリーンで隠されていた〈神秘の国〉だった。全世界の人々がニッポンの現状を知りたいという興味で逆上しているとき、それが〈日本進駐第一夜の印象〉というような大きな標題をつけて、アメリカ全土はおろか世界の隅々、北はアラスカのキングス・ベーから南はタスマニアのハバァト・タウンまで報道される……うわ、たいへんだ。日本中のモースーメが誤解されるくらいのことはへいちゃらだが、日本が軽蔑されるのではあたしの国民感情がたまらない。あたしがおそるおそるたずねた。
「フレッドさん、あたしがあなたを抱擁したことが、アメリカの新聞に載るようなことはないだろうね」
フレッドさんがあたしの顔をじろじろと見てそれからいった。
「まずあるまいね。とても考えられないよ」
そのいいかたがあたしの癇にさわった。
「考えられないかね。へえ、おどろいたな」
あたしの癇に頓着なく、フレッドさんはうれしそうにいった。
「これでシマノはすんだ。パリ時代の馬鹿な連中に Bon jour をいってやろう。クラブの電話はカマキューラの三六番だったな」
「よく知ってるね」
「おれは心理作戦部というところにいるんだよ」
「そうだったね。でもカマキューラなんてところ日本にないな。交換台に叱られるからよしなさい。あたしが呼びだしてあげる」
クラブへ電話をかけると詫間が出てきた。
「いまそこに誰と誰がいるの」
「島野少佐がおなくなりになったというしらせがさっき司令部からございまして、いまみなさまがお集りになっていらっしゃいます。どなたに」
弱ったというのはこのことだ。六右衛門さんは正直だから、そんなところへ電話をかけたら、なにもかもいってしまうにちがいない。あたしがフレッドさんにいった。
「なんだかとりこんでいるようだよ。ひょっとすると誰もいないのかもしれない。ボンジュウルぐらいなら、明日あたしがいっておくよ。わけなしだ」
フレッドさんが怒ったような声をだした。
「いるのか、いないのか」
「いる」
「そんなら呼びだせ」
上院議員でおさまっていられるというのに、あたしや六右衛門や珠子を軍閥のクビキから釈放してやりたいというそのことだけで、トムプソン銃をもって四千哩の長いはげしい旅行をし、ようやく日本へたどりついたフレッドさんのことだから、いったんいいだしたらあたしのごまかしなんかに乗りそうもない。いないなんていったら、関東地方全体をジープで乗りまわしてもつかまえる気でいるらしい。
観念してあたしが詫間にいった。
「しょうがない。じゃ六右衛門さんに」
詫間がひっこむと、六右衛門さんが出てきて大きな声をだした。
「きょうはどんな日だと思っているんだ。夕方の五時以後に外出すると、憲兵にとっつかまるんだぞ」
「よく聞えますから、大きな声をしないでちょうだい」
「探しにやろうかと相談していたところなんだぞ。いまどこにいるんだ」
「ここはね、ニュウグランドの向い。もとの仏蘭西郵船会社の建物。いま連合軍の報道班の宿舎になっているんだよ」
「なんの気で、そんなところへまぐれこんだんだ」
「まぐれこむ、とは聞きにくいですね。ここにフレッドさんがいるのよ」
六右衛門さんがたまげたような声をだした。
「フレッド……フレッドって、フレッド・ジュポンのことか」
「そうなの。司令部といっしょに厚木へ着いたんだって」
おい、フレッド・ジュポンが来たんだって、とみなにいっているのがきこえる。
「そこにフレッドいるんだね」
「いる。いま代りますが、その前にちょっと話があるの」
「早くいえ」
あたしが重々しい声でいった。
「運命の戯悪とはこんなことをいうんだろう。フレッドさんの境遇はギリシャ悲劇のようにパセティックなんだ」
六右衛門さんが癇癪をおこしたような声をだした。
「またとぼけるのか。とぼけるのはたくさんだ」
あたしが負けずに大きな声をだした。
「とぼけるどころですか。フレッドさんが鎮守府へ訪ねて行ったばかりに、シゴイさんが国体護持派の士官たちに誤解され、軍艦のフォア・キャッスルへ追いつめられ、ピストルでお腹を射たれ、チャールス二世のように殺された……そんなことをいったらフレッドさんはひどいショックを受けるでしょう。知らせないですむなら知らせないほうがいい」
しばらくしてから六右衛門さんがいった。
「フレッドにはなんといってあるんだ」
「お腹が痛くて軍艦で寝ているって」
「わかった。じゃ、代ってくれ」
フレッドさんに受話器をわたしながらあたしがいった。
「委員の会があって、みないるって。よかったわね」
受話器をうけとると、まずいフランス語でフレッドさんが元気いっぱいにやりだした。
「俺だよ、フレッド・ジュポン……戦争というものは始めより終りのほうが偉大だにきまっている。じぶんの馬鹿に気がついたときなんだから……あいかわらずまずいフランス語だ? そっちは黙れ。いまは勝者の時間だ。敗けたやつに発言権はない……そう、それが心配だよ。今夜……明日一日……それから明後日の午前九時まで……日本にとってあと四十時間ばかりがいちばんむずかしい時期だ。こうしているあいだにもなにかはじまらないかと気が気じゃない。もしそんなことになったら……せっかくここまで来ながら……」
フレッドさんがだしぬけにだまりこみ、気のぬけたとほんとした表情になった。さっきの霧のかかった顔だ。またれいのやつがはじまったんだと思って、あたしが笑いながらいった。
「フレッドさん、またロンドンの霧なの」
フレッドさんは眼をすえたまま返事もしない。頬杖をついてながめていると、フレッドさんの眼の中でガラスのようなものがキラリと光った。〈霧〉でなくて〈雨〉だった。フレッドさんは jap のことを心配してポタポタ雨を降らしている。なんだか辛くなってあたしの眼玉の中まで湿っぽくなった。
「フレッドさん、休まずにやんなさい」
フレッドさんがつづけた。
「外務省の官吏や鎮守府の士官が慇懃で礼儀正しいのにはわれわれはみな非常な感動をうけた。マックァサーは日本人は戦争に負けたが威厳を失っていないといったが、同感だ……たぶん……いや、かならず調印式まで漕ぎつけるだろう……これだけの大きな戦争をした日本人が冷静に終幕にしたら、日本人の別な一面を理解させるモーメントになるだろう。俺は〈日本びいき〉でもセンチメンタルな同情者でもないが、ユマニティのために、そうあってくれるように祈らずにいられない……みなそこにいるのか。一と言ずつ挨拶したいが遠慮しとく。調印式がすむまでプライヴェイトに日本人と話すことはつつしまなくてはならない、これは例外中の例外というところだ。タマコサン、チョウケンサン、マスコサン、チカコサン。一人一人によろしく……しなければならない仕事が山ほどある。アメリカのためにも日本のためにも……オウ・ルヴォアール」
ハガアスさんがラファエルの描いた〈エマユスの基督〉のようなおだやかな微笑をうかべながらやってきた。
「ミス・イシダ、むこうにいる連中が十分ばかりお話したいそうです」
こんなことになるんじゃないかと思っていた。あたしが落着いた声でいった。
「はあ、なんですか」
ハガアスさんが丁寧にくりかえした。
「あの連中が日本で最初に見たモースーメさんにぜひインタヴュウしたいというんです。陸戦隊第一師団の従軍記者で、大学を出た愉快なやつばかりです」
フレッドさんが笑いながらいった。
「有名なお饒舌箱をすこし動かしてくるさ。尻込みすることはない」
尻込みなんかしない。出しゃばるのはむしろ好きなほうだ。日本のモースーメさんが〈鍋墨を顔に塗って田舎へ逃げだしたという日本始まって以来の茶番〉にはあたしも少々腹をたてている。日本のモースーメさんを代表して、この際、一人でも多くのアメリカ人にいい印象をあたえておく必要がある。
「先約がありますから、十分ぐらいでよろしければ」
ホールへ行くと、帯金のついた木箱に腰をかけていた二十人ばかりのスマートなひとが、一斉にサッと立ちあがった。なにごとがはじまったのかと仰天したが、これが有名な〈アメリカ風の騎士道〉だとすぐ気がついた。
あたしが子供のとき、アメリカというのはたいへん独得な国で、バスやエレヴェーターで女のひとと乗りあわせると、頭の禿げたひとはかならず帽子を脱いでじぶんの禿を見せなければならないという話をきかされて、強烈な印象をうけた記憶がある。むかしヨーロッパにもこの種のフェミニスムがあったそうだが、早くから男女同権になって男の権利が認められ、男の側に自衛手段が発達して、女から不当な虐待を受けなくともすむようになった。殊にフランスでは完全に女の権利を認めるので、あたしのような女の子がホールへ入ってきたって、みなそっぽをむいて臭いというような顔もしない。もし木箱から立ちあがるなら、それはじぶんの用事のためで、絶対に入ってきた女の子のためじゃない。どちらがいいかきめられないが、大勢の若いひとに鄭重に扱われるのは、される側になると、なんといっても悪い気持はしない。
あたしは鼻にかかった声でいった。
「みなさんご機嫌いかが」
あがっていたとみえて、How do you do と Yankee Doodle がごっちゃになり、How doodle do といいかけた。ハアトのジャックに似た美しいひとがサーヴしてあたしを椅子に掛けさせると、みなで馬蹄形にあたしを取まき、そこで相互にゆっくりと観察することになった。
見わたすところ怖そうな顔はあるが、下品な顔はない。みなおっとりと物静かで、プリンスのようなようすで足を組み、純真無垢な海緑色の瞳でやさしくあたしを見つめている。困ったことには、三人に一人ぐらいの割合でびっくりするような美しいひとがいる。あたしの黒い瞳はともすればそっちのほうへばかり出かけて行きたがる。
ある皮肉なひとがいった。〈フランス革命の自由・平等・友愛という標語も困ったもんだ。元来、友愛と平等は一致しないからね〉と。しかし偏頗なことをするのはよくない。いきおいあたしは八方睨みになりながらいった。
「あたしは終戦後みなさんとお話しする最初の女性だそうです」
お饒舌箱がうまいぐあいにまわりだした。
「日本人は滑稽なほどアメリカを知りません。あたしなどもその一人ですが、最近、アメリカについて読んだのは、〈アメリカでは恋愛はデモクラシイと共に国家的な問題である〉という論説と、ポオル・モランの〈紐育〉ですが、後のほうは〈食べものにゴムの利用を思いついた斬新の精神がアメリカの力である〉というところしかおぼえていません」
講義をきいている大学生のようなようすをし、気持のいい微笑がチラチラうかぶ。どの顔にも好意のある反応が見える。あたしは満足してつづけた。
「あたしがアメリカについて知っているのは、食べものでは真赤な箱に入ったサン・メード・レイズンとハインツのトマト・ジュース、大統領ではワシントン」
はははとみなが笑う。図に乗ってでたらめをいいだす。
「自動車ではT型フォード、作家ではオー・ヘンリー」
また笑う。
「教育に関する件では co-ed、映画俳優ではチャップリン……「独裁者」で、ヒットラーとムッソリニがマカロニを投げ合うところ。それからインパイア・ステート・ビルは八十八階でエレヴェーターを乗り換える……まあざっとこれくらいのところです。あたしになにか話せということですが、みなさんがあたしを知ることによって、日本のモースーメさんを知ろうと望んでいられるように、親しい気持で、みなさんによってあたしもアメリカ人を知りたいと望んでいます。失礼ですが、インタヴュウさせていただきます」
みながわあと笑った。
そばのひとがブロック・ノートと万年筆を貸してくれる。誰にしようかと見まわしているうちに、ハアトのジャックの顔が眼にとまった。メランコリックな、なんともいえない貴族的な顔をしている。ニュウ・イングランドの〈二百家クラブ〉のひとにちがいない。この敏感そうなひとなら面白いインタヴュウがとれるだろう。
あたしがたずねた。
「失礼ですが、お名前をどうぞ」
「ブラッキイ・ブラックシューズ」
「お年齢は」
「二十三歳」
「お父さんのお職業は」
「拳闘家」
あたしはびっくりしてブラックシューズさんの顔を見た。それからまたつづけた。
「お兄弟との関係は」
「十二人の中の十一番目」
「あなたは新聞社の主筆ですか」
「ノオ、連絡員」
だんだんいけなくなる。そこでいきなり質問を飛躍させた。
「日本の印象はどうですか」
「日本に君のようなレスペクタブルなお嬢さんがいようなんて、一度も考えたことがなかった」
「誇張しないでください」
「本当。もっと早く来ればよかった。残念でたまらない」
「感傷的にならないでください」
「日本のモースーメさんはわれわれを嫌って、顔に靴墨を塗って市外へ逃げだした、ということをきいて正直なところわれわれは感情を害していたが、これで気分がなおった。日本にたいする印象はいまや満点である」
みなさんがサインしてくれというので、ベティさんの似顔をかいて、その下にすごく綺麗な斜体の飾り書きで Satoko Ishida とサインしてやった。
日本の気受けも……だいたいいいようだ。明後日までの長い時間が一瞬のうちに飛び去って、いきなり九月二日の午前九時にならないものかしら。調印式さえすんだら、いくらわからない抗戦派でも我を折るだろう。ドイツが降伏するすこし前の、有名なエピソードを思いだす。ドイツのある指揮官がわざとレーマーゲンの鉄橋を落さずに退却したので、アメリカの自動車部隊はやすやすとライン河を突破してドイツへ進入することができた。軍法会議でなぜ鉄橋を落さなかったのかと査問を受けると、その指揮官は、連合軍の追撃部隊が橋の上でいりまじった部下を殺すに忍びなかったと弁解して従容と銃殺された。一日も早く連合軍をひき入れることが、国を救う道だという信念がなくては出来ないことだといつかパパが話してくれた。それにしても日本人自身が、一日も早く降伏文書の調印がすめとねがわなくてならないなんて、なんという情けないことだろう。
だしぬけに電灯が消えてホールがまっ暗になった。どうしたのかなかなか点かない。ホテルも広場も闇の中に沈み、窓ガラスの爆風除けの紙だけが空明りの反射でほの白く浮きあがっている。野毛山のほうから軽そうな飛行機が一機入ってきて頭の上でゆるゆると旋回しだす。闇の中で爆音をきいていると、空襲のときのなんともいえない嫌な感じがゾッと背筋を這いまわる。横手の窓から軍艦のサーチライトがさしこんできてみなの顔を蒼白く照しだす。従軍記者も、ハガアスさんも、フレッドさんも、顔を天井へむけて化石したようになっている。メイエルホルドが演出したゴーゴリの〈検察官〉の幕切れにそっくりだ。厚木の相模原航空隊は解散したが、航空隊は木更津にも、干潟にも、甲府にも、まだいたるところに残っている。どんな加減で気がちがった一人が、練習機に爆弾を積んで横浜へ突っこんで来ないともかぎらない。そんなことを考えていると、すぐ前の広場で、パン・パン・パン・パンとすごい音がして戦車が地響きをうたせながら一斉に動きだした。
とうとうはじまった。
これで日本もおしまい。日本中が焼野原になり、生き残ったわずかばかりの日本人は、亡国の民になりさがり、行く先々で迫害されながら、水草のように漂い流れる……あわれな日本! お気の毒なあの方! せめてポツダム条約で規定された国のかたちだけは残したいというあわれなねがいだったが、それも駄目になってしまった。悲しくなってわあわあ泣きだしてしまった。
パッと電灯がついた。両手で涙を拭きながらながめると、みながようすよく木箱に掛けてのどかにパイプの煙をふきあげている。このひとたちは自信満々で、日本の飛行機なんか一機や二機まぎれこんで来たってなんとも思っていないのかも知れない。そういえばガダルカナル島のアメリカの陸戦隊は、毎日夕方の五時にピタリと戦争をやめ、ラジオをかけてビールを飲んでいたということだった。どこかのラジオがれいの〈キャンデー〉をやっている。“Candy” I call sugar “Candy”……(キャンデーよ、まったく砂糖だね。お前も甘いし、あたしも甘い。ほんとうにキャンデーの仲だよ)
あたしがハアトのジャックにたずねた。
「パン、パン、パン……いま機関銃が鳴ったようだけど」
「機関銃……ノオ、戦車の排気音だ」
「戦車はどこへ行ったのですか」
「あれだって生きものだから、どこかへ寝に行ったのだろう」
がっかりして気が遠くなった。それにしても、もうこのへんでいいだろう。なにごとも切りあげがかんじんだ。あたしは気取った口調でいった。
「たぶん激戦震蕩症なんでしょう。ときどきわけもなく泣きたくなってこまるんです。先約がありますから、今夜はこのへんで……調印式がすみましたら、いちどダンスにお招きしたいと思っています」
ハアトのジャックがいった。
「残念だが、われわれはダンスを許可されていない」
「どうして」
「われわれの部隊は、沖繩でたくさん戦死者を出しているので、英霊と遺族にたいして当分ダンスを遠慮することになっている」
あたしはぺしゃんこになった。なにか言おうと思うんだが、なにもいえない。髪の毛の先まで赧くなった。
敗戦後、三度目の暗い日曜日。きょう午前十前、ミズーリ艦上では降伏文書の調印式。扇ヶ谷の四代目クラブでは故海軍少佐島野鸛一君と故天宮満寿子嬢の合同慰霊祭が同刻に行われる。公私見事にダブった二重の悲しみの日。
それはそうと、昨夜[#「昨夜」は底本では「作夜」]ふしぎな夢を見た。
夢の中でぐっすり寝こんでいるところを、北氷洋のほうから大空中艦隊が本土上空へ迫っているという警報で起された。いよいよ〈飛ぶソピエタ国〉がやってきたと、露台の柱を伝わって屋根へあがって待っていると、絵入り旧約聖書の黙示録の地球終滅の図にあるドス黒い雲がいく重にもたぐまった空のはるか上のほうから、ガランガランとのどかな鈴の音がきこえてきた。アルプスで牛の首につける鈴の音とそっくりなんだ。さすがソピエタ国だけあって変ったことをするものだ。これなら迷子になる心配がなくていいなどと思っているうちに、雲の間から白い四角なものがしきりにドスドス落ちてくる。拾ってみるとロシア・キャンデーを詰合せた化粧箱で、三色版のクレムリン宮の絵の上にロシア語で、〈モスクワ製原始爆弾(原子爆弾にあらず)。但し、お嬢ちゃん向き〉と書いてある。
ソピエタ国なんて馬鹿なことをするもんだ。〈ジャガイモ〉や〈桜会〉ならともかく、だいこんに関するかぎり、キャンデーぐらいで釣れると考えているならたいへんな見当ちがいだ。これからもあることだから、どんな味がするものか試食しておくほうがいいと思って、むいてもむいても紙ばかりというじれったいキャンデーの蝋紙をムキになってむいていると、ジャガイモが電話をかけてよこした。
「終戦の八月十五日は聖母昇天祭でしたが、それにちなんで、きょう夕方の七時半から横浜の山手でカトリックのお祭をし、聖い一夜をすごしたいと思います。出席していただけたらありがたいのですが」
いつになく殊勝なことをいっている。あたしにしたって根っからの喧嘩犬じゃない。和睦できるなら和睦したい気もあってでかけて行ってみると、わずかばかり焼け残った山蔭の古ぼけた赤煉瓦の家の芝生で、一九二〇年代のアナーキストのような得体の知れない人達が、ジイグみたいな眼のまわるような早いテンポの曲でふしぎなダンスをやっている。
ダンスにはちがいないんだが、パァトナアをぼろっ布のように投げたり、ひきよせたり、ぐるぐる廻したり、たいへんな力技なんだ。パァトナアのほうはされるとおりにおとなしくよろけまわっていたが、そのうちに神がかりのような顔つきになって、男の腕からぬけだすと、両手をさしあげて猛烈な声で叫喚合唱をやりだした。
なにをいっているのか意味がとれないが、ロシア語らしいということだけはわかる。ナロード(民衆)だの、タワリシチ(同志)だの、前世紀のコムミュニストの合言葉のようなことを精いっぱいな声で怒鳴りまくると、またなにかが憑りうつったのだとみえ、相手の男へ飛びかかって行って、じぶんがされたようにさんざんにふりまわしはじめた。
はじめ女性は乱暴な男のいいなりになっていたが、そのうちに霊感を受けて女性の地位を自覚し、いままでやられていたとおりのことを男性にやりかえすというような寓意的なダンスらしい。三〇年ごろに紐育の黒人のキャバレでやりだし、世界中に流行したれいの〈リンディ・ホップ〉に似ているが、ロシア語まじりというのはおかしい。
呆気にとられてながめていたが、どう考えてもカトリックのお祭なんかに関係がないようなので、家をまちがえたんだと思ってヴェランダを通って帰りかけると、ビュッフェから裸のようなソアレを着たジャガイモが出てきた。
「いらっしゃい。お待ちしていたわ」
「いったいなんなのこれは。たいへんなカトリックのお祭だね」
ジャガイモがすっとぼけた顔でいった。
「きょうはカルナヴァルなのよ。カルナヴァルってカトリックのお祭でしょう。へんなことなんかちっともなくってよ」
またやりやがったなと思ってあたしはムラムラしていった。
「へえ、おどろいたな。ソヴェトの謝肉祭ってわけなのか」
「どこの謝肉祭だっていいじゃありませんか。あたしたちが利用しているのはその精神なのよ」
「掴みあいみたいなことをやってるね。たしかに精神だよ、これゃ。いったいなんというダンスなの」
「これはモスコオ・ダンス……アメリカのリンディ・ホップをイデオロギー的に変形したものなのよ。ほら、あそこに髪の長いオロショフのような顔をしたひとがいるでしょう。あのひとの新作なの」
「ありがとう。よく拝見しました。このつぎのカトリックのお祭にはさそってくれなくともいいよ。きょうはこれで失礼するわ」
「せっかくいらしたんだから、踊っていらっしゃいよ。カルン・ア・ヴァルというのは〈肉よ、さらば〉という意味なんでしょう。四十日のお精進と贖罪がはじまる前に、腹いっぱい肉やを食べ、飲んで踊って底ぬけの騒ぎをやらかすのがカルナヴァルの精神よ。田舎じゃ、終戦の日から百燭の電灯をつけちらしてめちゃめちゃに盆踊をやってるわ。明日、調印式がすむと、長い長い百年のお精進がはじまるんですから、この際、大いにカルナヴァルの精神を発揮して心残りのないようにしておくほうがいいのよ。それにね共産党では、各界千人ずつ三万六千人の〈戦争犯罪人名簿〉の第一行目にあの方の名を書いて、日比谷で戦犯追究国民大会をやるんだっていってるわ」
〈天恩ノ然ラシムルトコロニヨッテ〉栄爵を賜った華族の端っくれの子爵の娘がナチス遊びで近所にさんざ迷惑をかけたすえ、こんどは外国からお金を貰っているコムミュニストといっしょになって、ことさらにあの方の尊厳を傷つけようとたくらむとは、いったいどういう心理作用によることなんだろう。人間は悪意の動物だから、意地悪や中傷ぐらいならお互いさまのことで、誰にもとがめる権利はないが、ジャガイモのやりかたはすこし度をこえているようだ。
なにかまだ言いたいことがあるらしいのでいわせておくと、ジャガイモはしなをつくりながら図に乗ってしゃべりだした。
「いつかの薔薇の花のときも、四百人のときも、二十日のクウ・デタのときもどうにか助かったけど、こんどの日比谷の国民大会で徹底的に批判されたら、とても逃がれっこないわね。バカなおいぼれどもはもちろん、あなたのパパもママも、四代目クラブも、鎌倉組も、国民私刑でやられて一人だって残りはしないのよ。だからいまのうちにしたいだけのことをしておくほうがいいんじゃないかしら。きょうお招きしたのはそのためだったのよ」
ジャガイモの話をきいていると〈薔薇の花憲兵隊事件〉も、四月十五日の〈パパもろとも四百人検挙事件〉も、〈八月二十日のクウ・デタ〉も、こいつがなにか一と役買っていたらしく思われてきた。そういえば誰も知っているはずのないあたしの寝室の位置が〈憲兵特高隊禊隊〉のリストに書きこまれていたのは、こいつの仕業だとあのときすぐ考えてよかったんだ。
薔薇の花事件のときは四代目クラブが冷静だったので助かったが、腹をたてて本気でものをいったりしたら、六右衛門さんなんかは生きて帰ってこなかったかもしれない。パパのときだって重臣から横槍が出たから命がつながったようなものの、さもなかったら憲兵隊本部の中庭で拳銃で始末されていたところだった。
バルザックの〈サヴァリウス〉に出てくるロザリイという娘は、じぶんがしかけた恋愛に相手が気がつかなかったというそれだけのことで、陰険な伊太利式の復讐をして、とうとう一人の天才政治家を完全に破滅させてしまう。せんだって足芸のすごいところをお目にかけたらジャガイモが跛をひいて病院へ通っているということだったが、あんなことぐらいでこれほどの反撥をするというなら、ジャガイモはその精神構造に先天的ロザリイ的な病的欠陥をもっているのだとしか考えられない。
医者が臓躁病、一名ヒステリアと呼んでいる御婦人向きの情緒があるが、そいつにやられると観念の錯倒をひきおこし、殊更、不利な言論をはき、心にもない危険な行為をする。あたしも婦人のはしくれだから、たぶんそれのせいなんだろうが、どうしてもゆるしておけない気持になって、えせコムミュニストの間にはさまって、ニヤニヤしているヤット子爵の馬鹿娘を睨みつけながら、演説をはじめた。
「フランス革命史を読むとき、革命議会の最後の審判に立たされたルイ十六世を、進んで弁護した三人の弁護士の話は、諸君にしたって感動せずにいられないだろう。三人のうちでいちばん若いド・セーズなどは、誰でもいやがる役、じぶんの命さえあぶなくなりかねない危険な状態を知りながら三時間も王のために雄弁をふるった。マーセルブという七十歳になる宮廷の顧問弁護士は寵臣がみな逃げてしまったのに、ただ一人踏みとまって王の弁護を申し出た。
〈世のひとがみな王のご愛顧をねがったころ、わたしは二度までも王の恩顧を辱なくしたものである。いまや多くのものが、そうすることが危険だと考えつつあるとき、であるからこそ、わたしは王のために義務をつくさなくてはならない。たとえギロチンにかけられるとしても〉
あの方は政府が戦争するときめるまで、戦争をするようにおっしゃったことはなかったと聞いている。政府のきめたことに反対なさらなかったのは、国民を信用していらっしゃるあの方としては当然のことで、あの方が戦争をおはじめになったことにはならない。お慕いもしていないくせに大君の辺に死すなどと出まかせをいい、あの方を戦争に利用しようとしていた悪党どもは、あの方があまり平和を愛されるので腹をたて、蔭で悪口をいっているのをよく聞いた。そんなに平和を愛されたあの方を戦争の主謀者だったようにありもしない罪を誣い、天皇制を否定して、新しい主権者のイメージを描いて見せるふしぎな国があり、われわれの中にもそれに同意するひとがいるようだが、トンチキはどこにもいるものだと感心させられる」
ジャガイモの顔を見ながらあとをつづけた。
「イソップ物語に、池の蛙どもが神さまにじぶんたちの王さまをねだる話がある。神さまが太い丈夫な丸太を一本池へ投げ入れておやりになったが、丸く大きいだけでものもいわなければ威力も示さない。蛙どもは呆気なく思って、もっと立派な王さまがほしいとしつっこくねだるので神さまはそれではといって生きた大きな鸛にかえておやりになった。このほうは、しゃがれ声で鳴きもすれば、羽根をひろげて大きなポーズもしてみせる。蛙どもは大満悦だったが、間もなく一匹のこらず餌食になってしまったというんだね。
この寓話ができたのは二千年よりもっと前でしょう。古すぎて手がつけられない。まったく陳腐な話なんです。いまごろになって蛙だの鸛だのといっているとイソップが欠伸をしますね。もっとも歴史はくりかえすというから、蛙だってくりかえさずにはいない。毎年、五月になるとおたまじゃくしはフレッシュな蛙になり、したがって鸛は新鮮な餌に不自由しないというわけなんですか。
蛙の料理というと、牛酪炒、空揚、薄衣揚、葡萄酒煮、ジェリ寄せ、ムニエル、ミラネェゼなどといろいろございます。フランス人は〈蛙食い〉なんていわれたものですが、このごろは〈蛙食い〉が世界的な流行になり、鸛まがいの食通がいい食料庫はないかと鵜の目鷹の目でさがしまわっている。
一方、スノッブな蛙の社会では、食われることがニュウ・ファッションだというので、流行の波に乗って古めかしい寓話の再興をやっていますが、池には赤蛙だけがいるのではない。殿さま蛙も雨蛙もいて、このほうはぜんぜん食べられたいなんて思っていない。食べられたいやつが食べられるのはそちらさまの勝手で、牛酪炒にでも、葡萄酒煮にでも、なんにでもされて食べられちゃいなさいだが、鸛なんか王さまにしたおぼえのない実直な連中までが、スノッブの側杖でパクパクやられるのはご免蒙りたいといっているそうです。
最後に、念のために申しあげておきますが、われわれがあの方を大切にするのは、英国風の君主神権説などという気ちがいじみたイスムによるのではなく、正直なところは自分のため……生れた国の象徴を持ち、それを愛し、それについてかんがえる純粋な感情を知らずしらずのうちに経験することによって、生きてゆくうえの高い目標を支え、人生とは食べて寝るだけのものというナナ族のようなイア・ポケットへ落ちる危険をふせごうというのです。わかりましたか。わかったひとは手をあげて」
なんていっているうちにおかしくなって笑いだし、その声で眼がさめた。
へんな夢を見るもんだ。丸太だの、蛙だの、鸛だの、ふだんいっこうお馴染のないものがいろいろと出てきた。〈ソヴェトの謝肉祭〉なんてなんのことだかわからない。生理的な刺戟で、考えてもいないものを見る末梢の夢は、中枢的な夢よりはるかに下等なことになっている。
昨夜、クラブで〈シゴイさんを偲ぶの会〉というパァティをやった。シゴイさんの好きだった料理だけで献立表をつくり、詫間がうけたまわって腕をふるったが、肉入濃汁とは名ばかりの、玉葱たくさんのロシアシチュウと、裏の射撃場でつかまえた赤蛙の牛酪炒とパンがわりの代用食の焼馬鈴薯が胃袋の中で謝肉祭をはじめ、リンディ・ホップをヴァリエゼしたモスクワ・ダンスからフランス革命、池、丸太、蛙と、イソップ的な発展をとげたところへ、シゴイさんの鸛まで出しゃばってきたのでいよいよ騒ぎが大きくなり、それが大脳皮膜を刺戟してあんなくだらない夢を形成したのにちがいない。
赤蛙の腿と図に乗って食べすぎた焼馬鈴薯の一部が消化しきれずに胃袋の底に残っている。うっとりするほど気が重い。なんとなくメランコリックで、こういう悲しみの日にふさわしい沈痛な気分だ。ゲップをしながら起きあがると、放りだしておいた慰霊祭の案内状が落ちもせずに、昨夜のままの恰好で夜卓の上に載っている。
島野 鸛一
慰霊祭
天宮満寿子
慰霊祭
天宮満寿子
昭和二十年九月二日 午前九時
於四代目クラブ 鎌倉扇ヶ谷二一
(ハルモニュウム)
於四代目クラブ 鎌倉扇ヶ谷二一
(ハルモニュウム)
一、着席
二、挨拶 光井六右衛門
二、挨拶 光井六右衛門
(ハルモニュウム)
三、弔辞 石田里子
四、国旗撤去式(調印式終了と同時に)
五、「今様歌」唱謡 雅楽唱謡部
四、国旗撤去式(調印式終了と同時に)
五、「今様歌」唱謡 雅楽唱謡部
籬のうちなる白菊も
うつろふ見るこそあはれなれ
われらが通ひてみしひとも
かくしつつこそかれにしか
古き都に来てみれば
浅茅が原とぞ荒れにける
月の光はくまなくて
秋風のみぞ身にはしむ
うつろふ見るこそあはれなれ
われらが通ひてみしひとも
かくしつつこそかれにしか
古き都に来てみれば
浅茅が原とぞ荒れにける
月の光はくまなくて
秋風のみぞ身にはしむ
弔辞ではひと悶着あった。まず案内状だが、あたしにすれば、仲間だけの内輪の慰霊祭に花を打ちだした贅沢な案内状をつくるなどということがそもそも気にいらない。六右衛門さんも珠子さんも利口なひとだけどお金持特有の悪いジレッタント趣味があって、つまらないことにまで金と暇をかけ、真面目であるべきことまで遊びのようなものにしてしまう。慰霊祭にハルモニュウムをかつぎだすなんて普通の頭の思いつくことではない。追福のひそかな営みをお祭にし、愚にもつかない美辞麗句式の弔辞をながながと読みあげ、〈何々君ノ霊ヨ、来タリウケヨ〉などと受領を強要する世俗的な慰霊祭の真似をするなんて、もし魂に顔があるなら、シゴイさんも満寿子さんもさぞたましいの顔をしかめることだろう。
慰霊祭そのものもすこしへんだ。くだらない戦争で、ナンセンスな死にかたをした数百万人以上の日本人の霊が、うやむやになりかけているとき、いくら親しい仲間だったからって、ひとが目をむくような仰々しいしかたで、特に二人だけの霊を慰めるということに疑問をおこさない四代目クラブの社会連帯心に、それとなき病的陰影を感じるのはあたしのいたらないせいではあるまい。
四代目クラブは馬鹿じゃない。日華事変の直後、〈昭和十六年作戦〉の大計画にもとづいて陸軍が厖大な戦争資材の買付と蓄積をはじめたとき、とうぜん日米戦争にまで発展することを見抜き、戦争が勝っても負けても、自分らのような金利生活者はみな根だやしになると、何年も前からちゃんと覚悟していた。連合国のドイツの敗戦処理のしかたをみてからは、財閥解体、財閥家族の財産拘束、新円切換、預金封鎖、財産税と、無一文になるまで追いまくられることを予想し長謙さんなどは、
「これでおれも真人間になれるか」
なんていっていたのに。
それをいまになってこんなことをやりだすなんて、いったいどういうわけなんだろう。だいいちあたしが弔辞を読むことだって、ただのいちども相談をうけたおぼえはないんだ。
六右衛門さん、長謙さん、陸さん、珠子さん、山チイの五人が、ヴェランダのデッキ・チェアへ移ってうっとりしているところを見はからって、いきなりやりだした。
「綺麗な案内状だね。フランスの大統領のグランド・レセプシォンだってこんな贅沢な招待状はなかった。へえ、ハルモニュウム……慰霊祭用のオルガンの曲ってどんなもんだろう。挨拶が光井六右衛門……弔辞が石田里子……はてな」
六右衛門さんがジロリとあたしのほうを見た。
「はてな、ってなんだい」
「石田里子ってあたしのことでしょう。あたしはまだなにも聞いていなかったけど」
珠子さんがいった。
「またはじまった。あなたって、なにかひとヒネリひねらないと気がすまないひとなのね。あなたは満寿子さんにもシゴイさんにも、あんなにかあいがられ、だいじにされたひとでしょう。弔辞を読むのは、あなたがいちばんふさわしいと思うから、あなたにしておいたの」
山チイがいった。
「今晩だけはうるさくするのよしてちょうだい。あたしたち、しずかにしていたいんですから」
「しずかにはするけど、弔辞はいやだね。せっかくだけど、あたしはやらない」
六右衛門さんがいった。
「大きなことをいってるが、お前もいいかげんなやつなんだな。弔辞ぐらい読めないなんて。現実暴露の悲哀というところか」
どうしまして。弔辞なんかわけはない。あたしはこれでもそのほうの名人なんだ。パリの官立女学校にいるとき、セヴィニエ夫人の〈手紙〉やポオル・アダンの〈弔辞〉を朗読して絶大な成功をした。それから朗読法……ジイドの〈未完の告白〉にサラという娘がグランド・ピアノに凭れて詩の朗読をするところがあるが、ジイドはすこしその娘を賞めすぎているようだ。〈言葉の一つ一つが微妙な音楽になって、眠りの世界のようなものをつくりだす〉なんてありがたそうにいっているけど、あたしの朗読をきいたらどうほめるつもりだろう。フランス座のヴェルノン先生の〈独白と朗読〉という本があるが、あの中に書いてあることなんか、あたしはおかしいくらいだということを誰も知らない。
「そうまでおっしゃるならお答えします。満寿子さんもシゴイさんも、馬鹿なミリタリズムの犠牲者にちがいないけど、そういう意味でなら、この戦争で死んだ男のひとも女のひとも、ことごとくとはいわざるも、ほとんどすべてはおなじ犠牲者でしょう。やるならみなのためにやりたいですね。この際、一人や二人は問題じゃないと思うんだけど」
陸さんがいった。
「総論はいいが、各論はいやだというのか。結構だね。それでやってくれよ」
「結構なんてことはない。あたしはやらないといってるんだよ。お祭りと博覧会は、むかしから虫が好きなほうじゃないから」
長謙さんがなだめるようにいった。
「だいこんはでしゃばるのが嫌いだったな。それはよくわかるんだが、お前にこの慰霊祭の意味がわからないというのはおかしいね。まあちょっと気をしずめて考えてみてごらん。なんのために九月二日に……それも調印式と同じ時間にやるかということを」
このごろはなぜかあたまが乱れる。これくらいなことが見ぬけないだいこんではなかったんだが、敗戦以来、大脳の歯車の噛み合せにズレがきて、とかくいろいろなことを見そこなう傾向がある。満寿子さんやシゴイさんはつまるところダシなので、この戦争で無駄に死んだ何百万かの男女両性を二人の魂代で代表させ、ハルモニュウムの伴奏で女子大風の〈惜別会〉をやり、連合国最高司令官ミズーリ艦上で五本のガラスの万年筆で、
一九四五年九月二日、九時十八分、東京湾上に於いて
と偉大な署名を終った瞬間、こちらは威勢よく国旗をひきおろそうというわけだったんだ。それなら話がわかる。あたしはあっさりと兜をぬいだ。「どうやらあたしの誤解らしかったですね。失礼しました。そういうことでしたら、弔辞の件はたしかにおひきうけしましたよ。なんでもないや」
家へ帰ってからパパとママに慰霊祭の真相をうちあけたら、パパとママがゾッとしたように眼を見あわせた。パパもママも、見当ちがいをして、慰霊祭の悪口をいっていた折柄だったので、これにはちょっとやられたらしかった。
弔辞なんかわけはないが、気にかかるのは弔辞を読むときに着る服のことだ。あまり美しいといえない娘が大勢の人の前へ出なければならないとき、着て行く服のことが友情より切実な問題になる。そのため昨夜は明けがたまで煩悶した。ベッドにあおのけに寝て想像のあたしに何百度服を着せたりぬがしたりしたかしれない。この服のほうがいいと思う。するとすぐ、そうじゃない、前のほうがいいと思いなおす。いや、これよりも前の、前の、ほうがいい。どうしましてこうしてみると、これよりも前の、前の、前の、前の、ほうがどんなに似合うか知れやしない。だいいちいくらかすらっとして見えるだけでもたしかにこのほうがいい。そんなことをしているうちに、あれもこれもこんがらかってフロックの上へまたモンタントを着こんだりして大あわてにあわてる。想像のあたしがとうとう堪忍袋の緒をきらす。
「いいかげんにしろ。風邪をひくじゃないか。服でひきたつようなご面相でもあるまいし。だいこんの馬鹿」
これをいわれると一言もない。どうしたって真理なんだから。しかし、そんなことであきらめるようなだいこんとだいこんがちがう。夢の中で演説までしたのでぐったりしているが、なんにしても一大事だ。またもやあれこれとさんざん考えたすえ、けっきょく黒のフロックにしようというところへ思慮を落ちつけた。
お着換えがすんだので、ママに見てもらいに行ったが、ママがいない。
「ママは」
「奥さまは応接間にいらっしゃいます」
「誰なの」
「三十二、三の……海軍の方のようでございますが」
三十二、三の海軍……飛行長ならどうしたって二十四五ぐらいでしかない。いくらかんがえても見当がつかない。
応接間のほうへ行ってみると、ママがれいの賢夫人の声でなにかいっているのがきこえる。立聞きはあたしの得意とするところだから、いつものようにそっとドアのそばまで忍んで行くと、いきなりこんな会話が耳にとびついた。
「どういうご用なんでしょう。なんでしたら、あたくしが伺ってあれに伝えてもよろしゅうございます」
「ありがたいですが、お嬢さんと二人だけでお話したいのです」
「それはわかりましたが、ご用件を伺ったうえのことにしていただきましょう」
「用件を申しあげないといけないのですか」
「ご用件というのは、あたくしにお話になれないようなことなんですか」
「そうです」
なんだか耳よりな話だ。あたしと二人きりで話したいなんてひとに、残念ながらまだいちども出っくわしたことがなかった。ひょっとすると、だいこんの生活史上におけるロマンチック事件の代表的な一つになるのかもしれない、なんて思うと、急に浮き浮きしてきてメンデルスゾーンの〈春の歌〉みたいな気持になった。
それはそうなんだ。そういう話がそろそろ三つや四つあっていい年頃なんだ。それにしても行き届いたすごい賢夫人がいるのを承知で乗りこんできて、ママは邪魔だからあたしと二人っきりで話したいなんていいきるのはたいした熱情だ。あの小さなダビデが投石器を一つ持って、千人力の巨人ゴリアテにたち向かって行ったのは、無知のせいでも世間を甘くみたオッチョコチョイのせいでもなく、ほんとうの勇気だったのなら、これもたしかにすばらしい勇気だといっていい。熱情家どころか、真の英雄だ。
そっとひき退って部屋へ帰ると、美しいポーズで椅子に掛けママが呼びにくるのを待っていたが、どうしたのかなかなかやってこない。あたしがいるのを忘れて、あれは出ておりましてなんていったのではないだろうか。それならまだしものことだが、ひっそりしているのをいいことにして、あれは昨日旅行に出ましたが、あと二年半ぐらい帰って来ないでしょう、なんてあっさり撃退してしまうおそれがある。
対抗上、ピアノでも奏いて存在を示すことにしたが、どうせやるならついでにあたしの意志も表示しておくほうがいい。楽譜の山をひっくりかえしていると、〈あたしは眼をつぶる。どうぞキッスを〉というジャズ・ソングが出てきた。これなんかはいまのあたしの気持を率直に代弁しているが、それではあまり安っぽい。この際、正直にやるより売物に花を飾ることをかんがえるほうがいい。それでバッハの〈平均律洋琴曲ハ長調フーガ〉を奏いて脅してやることにきめた。
第一主題が元気よく走りだす。緊張しているせいかうまくいく。階下の応接間ではあたしの求婚者が、趣味は満点、どんなことがあったって貰わずにおくものか、なんて熱つ熱つになっているのにちがいない。
しばらくすると、第二の主題が出てきて第一主題を追いかけはじめる。第一主題があたしだとすると、第二主題は階下の求婚者だ。それにしてはすこし元気がなさすぎる。ひょっとするといまママの大反撃をくっているところなのかもしれない。
「しっかり、しっかり。そんなことじゃつかめませんよ」
求婚者(第二主題)はようやくあたし(第一主題)に追いついて楽しそうに追いかけごっこをする。すこし馴れ馴れしすぎる。まだ Oui ともなんともいっていないんだから、あまりいい気になってもらってもこまる。
ところでだしぬけに新しい第三の主題が割りこんできて追いかけごっこの邪魔をする。あたしの求婚者(第二主題)にからみついたり、急に遠退いて気をもたせたりする。求婚者はあたしを放ったらかして、夢中になって新しい主題を追いかけまわす。いきおいあたしは置いてけぼりを食い、あわれっぽいようすでうろうろと求婚者をさがしまわる。
畜生、いったいこいつは誰なんだ。ひょっとするとジャガイモではないかというような気がする。急に腹がたってきた。
「やい、どんなことがあったって邪魔なんかさせないぞ」
楽譜から第三主題をとりのけてしまう。これでもう邪魔物はいない。あたしと求婚者は前のように仲よくもつれあう。ところがジャガイモのほうも負けていない。先廻りをして待伏せをし、思いがけないところからだしぬけに飛びだして求婚者にしなだれかかる。
「こいつ、また出てきた。どうするか見ていろ」
こんどは第二主題をとりのけてしまう。ジャガイモはおどろいてあちこちと探しまわる。
「探したっていないよ」
第三主題はあきらめずにいつまでも走りまわり、第一主題と鉢合せをしてえらい不協和音をだす。
「ざま見ろ」
そんなことをしているうちにバッハの〈平均律洋琴曲ハ長調フーガ〉はなにがなんだかわからなくなってしまった。
バッハは完全に息の根をとめられてしまったが、それでもママはやって来ない。だいこんの見識にかかわるが、むこうが来なければこちらが行ってみるほかない。階下へ降りて応接間のドアの外でようすをうかがうと、人の気配がするのに話声がきこえない。もしかするとママにノサれてしまったのではないかと思って、ドアを一寸ほど開けてのぞいて見ると、求婚者というのは、一昨日、鎮守府で喧嘩をした、鎮子さんの長兄のあの生意気な先任参謀で、一瞥した内部の光景は、愛だの求婚だの、そういうやさしい情緒とはおよそ反対な、見るからに殺気満々たる情況になっていた。
ママは猛烈に怒りだす前のあのなんともいえない愛想のいい笑顔をし、先任参謀のほうは肩と平らに高腕を組み、眦を蒼ずませ、だしぬけに斬りかかるのではないかというようなすごい顔をしている。そういう沈黙が永久につづくかと思われたころ、ママがようやくものをいいだした。
「母親におっしゃれないようなご用向きでしたら、娘にお逢わせするわけにいきません。お退きとりねがいましょう」
「お嬢さんだけにお話したいというのは、そのほうが問題を大きくせずにすみ、事件を円満に解決する便宜があると思うからです」
「それはもういくどもうかがいました。あなたはご自分の立場ばかり主張なさいますが、わたくしにも母親としての立場があることをご理解ねがいたいですね。あなたと二人きりにするのを不安に思っているのではありません。娘だけにお逢いになりたいのでしたら、わたくしを通さずに直接に娘をお呼びになればよかったのです。こうしてあたくしがお話にあずかった以上、ご用向きもうかがわずにお逢わせすることが出来ないと申しあげているのです。それで、あなたのおっしゃる、問題とか事件とかいうのは、どういうことなのでしょうか」
パパが馬鹿じゃないかと感ちがいをしたくらいゆったりした大人物と、海軍の司令部の、そのまた作戦部の、そのまた第一課という小さなワクの中で秀才といわれ、じぶんもまた秀才だと思って、頭がいびつに発達した特製の秀才が、九月二日の天気のいい朝、たいして広くもない応接間で向きあって掛けているというのだから、話がむずかしくなる。
ママのほうは、外国にいるときおつきあいが広くて、チャーチルや、ウェーガン将軍や、アインシュタインや、イーデンや、デュアメルや、アランや、ほんとうの秀才をたくさん知っているので、ワクの中のちっぽけな秀才なんか、なんだとも思っていない。先任参謀のほうは、日本の運命を左右するのは海軍で、海軍を左右するのは作戦室で、作戦室を左右するのは作戦参謀で、作戦参謀を左右するのはこの自分で、したがって日本を左右しているのはこのおれであると思っているのだから、恰幅がいいというだけの一外交官の細君なんか、格別なんだとも思っていない。
どちらもなんだとも思っていない相手に、じぶんを認めさせようというんだから、なかなか話がつかない。ママのほうは、このひとはどうしてこんなにいい気になっているのだろうと思い、先任参謀のほうは、こいつはどうしておれの頭のよさに敬意をはらわないのだろうと思い、けっきょくたいして利口なやつじゃないというところへたがいの意見が落ちつきかけたらしい。
ながい幕合いののち、ママがゆったりとした口調でいった。
「あなたもずいぶんわからない方ですね」
先任参謀がこたえた。
「あなたもずいぶんわからない方ですな」
そしていっしょに、はははと笑った。
馴れないひとなら、やれやれこれでおさまったと感ちがいするかもしれないが、あたしはこういう機微に通じているので、だまされない。
あたしがパリにいるとき、小さな青蛙を飼って喧嘩をさせる面白いお嬢さんがいた。
硝子のアカリュームの縁に、五寸ぐらいの幅の硝子をわたして、その上でやらせるのだが喧嘩の前に相当長い前芸がある。
まず青蛙を二匹呼びだして向き合わせに坐らせる。青蛙の喧嘩師は両手をついて顔を見あいながら、喧嘩に適当な相手かどうか熱心に考えはじめる。こいつと喧嘩したくないと思うか、喧嘩をしてやるほどのねうちのあるやつでないと思うと、プイとそっぽを向いて、空を見あげたり後肢で頭のうしろのところを掻いたり、てんで気がないようすをする。
不足はあるが、まあやってもいいということになると、慎重に相手の資質検査をはじめる。ペタンペタンと相手のまわりを跳ねまわりながら、あらゆるアングルから運動力の可能性を見きわめてから、傍へ行って前肢で相手の頭を叩いたり胸を押したりして、筋肉の反射力をしらべる。その間、相手はじっと坐って眼をパチクリさせている。
一方がすむと、もう一方のほうがやり、それが終るとはじめの恰好にかえってまたゆっくりと考える。いろいろなデータを綜合したすえ、二匹の蛙の頭の中に、こいつは相手にとって不足はない、一と蹴りしてみるのも面白かろうというサッソオたる思想がわきおこってくる。
二匹の青蛙の喧嘩師はすっとぼけた顔で空うそぶき、思わせぶりなようすで坐っているが、そのうちに急に立ちあがって熱心に抱擁しはじめる。
「どうだい、元気かね」
「ありがとう。あなたは」
うるわしい友情の交歓がしばらくつづく。
これが猛烈な喧嘩の前触れ、宣戦布告、子供芝居なら幕前の顔見せがすんでまさに序幕が開こうとする、あのなんともいえない一瞬、大太鼓の摺打ちといっしょに聞えてくるクラリネットの一節といったようなものだ。
ママや先任参謀を青蛙だなどといっているわけではない。また戦争というものの発展形式を諷刺しようとしているのでもない。どちらも青蛙になんか比較出来ないほど立派な人達だと思っているし、〈戦争〉のはじまりがそんな手のかかるものだとも考えない。あたしは青蛙の喧嘩に通暁しているので、この〈笑い〉の意味がよくわかるということをいいたかっただけだ。
先任参謀が微笑をうかべながらやりだした。
「申しおくれましたが、先日はありがとうございました。日本の領海内で軍艦でパァティをするなどというのは前例のないことなので、艦の連中も非常に深い印象を受けたようでした」
遠山に春霞といったのどかな顔でママがこたえた。
「里子は歴史的なお催しに加えていただいたと、おおよろこびで帰ってまいりました。そのせつは司令部の用艇で横浜までお送りいただきましたそうで、そのお礼も申し述べませんでしたが」
「ちょうど島野参謀の死亡の通達があって、ゴタゴタしていて、おもてなしも出来ず、申訳なく思って居ります」
「島野さんもあんなことにおなりになって、あたくしどもも残念に思って居ります。今日、慰霊祭があるのですが、あなたもおいでくださるのでしょう」
「その慰霊祭のことなんですが、島野少佐や、天宮さんのお嬢さん、四代目クラブのひと達、それからこの四月に憲兵隊へ行かれた四百人の方たちの生活ぶりは、かねがね黒田さんのお嬢さんの彰子さんから伺って居りましたが、戦争がすめばなにをしてもいいという考えかたは、われわれにはどうも理解しにくいようですな」
「島野さんや満寿子さんの慰霊祭をすることがなぜいけないのでしょうか」
「いけないとは申しませんが、ヨタヨタの練習機で突っこんだ何百人かの特攻隊員の霊さえ慰めかねている状態なので、大勢のなかにはオルガンだの合唱だのというやりかたを愉快に思っていないものもあるので、厚木飛行場の警備隊にいた若い連中なんですが、機銃を持って北鎌倉の一〇一兵舎に頑張っていて、なんと説得しても退去しないので弱って居ります」
「またですか」
先任参謀の眼がキラリと光った。あたしはあわててドアをしめた。
「また、とおっしゃるのは」
「その人達は機関銃の威力で慰霊祭をやめさせようというんですか。もうたくさんですね。飽きあきしましたわ」
「なんとおっしゃろうと勝手ですが、あの連中にしては、飽きたではすまされぬ感情があるんですな。天宮さんのお嬢さんは、戦争中、連合軍の俘虜に特別な好意を示したひとだし、島野は一部から敵と通謀したと疑われている人間だ。そういうものの慰霊祭を音楽つきでやるなどというのは、真面目に日本のために戦ったわれわれにたいする侮辱だというのです。それでこちらのお嬢さまあたりから、それとなく先方へ注意して、なるたけ簡素にやっていただこうと思いまして。私の一存なんですが」
ママがきっぱりした声でいった。
「この慰霊祭は出来るだけ立派にやらなければならないわけがあるんです。それは」
ママの声が急に低くなった。どうやらママはあたしの受売りをやっているらしい。
間もなくドアがあいて先任参謀が出てきた。あたしは参謀の前に立ちはだかっていった。
「わかったでしょう。慰霊祭ってなんのことだか」
「わかりました」
「きょうはあたしが弔辞演説をしますから、機関銃をかたづけたら、聞きにいらっしゃい」
ママがへどもどしながら照れかくしをいった。
「馬鹿なことをいっていないで、はやくお出かけなさい。そろそろ時間でしょう」
「いま行くところです」
クラブへ行くと、終戦の日に立てた帆船のマストのような新しい掲揚柱のてっぺんに、終戦の日にあげた意味深長な日の丸の旗が無心にヒラヒラひるがえっている。今日からの日本は、塩辛い水にかこまれ、北枕に寝た、細長いひとつの〈島〉にすぎない。〈国〉でもないのに国旗をあげる権利はない。あたしたちの血と汗で日の丸を染め、新しい日章旗をつくりだすまで、国旗にもお別れだ。
ヴェランダの横手の芝生に赤と黄の棒縞の派手なオゥニングが出て、その下にいろいろな顔が見える。きょうの催しの趣意が徹底しているのだとみえて、満寿子さんのおばあさまもシゴイさんの家のひとも来ていない。IRCのグルネルさん、ペン・クラブの人達、モギレフさん、M・J博士、ローマン・カラーのいつかのカトリックのお坊さんなどの顔が見える。聖書を改訂され、教会を接収され、重労働をさせられ、憲兵隊と宗教局のひどい迫害を受けながら命がけで日本に踏みとまり、世界と日本をつなぐ最後の送気管(潜水夫の)として、見えないところで日本のために骨を折り、二十日の夜にはあの集会をカモフラージュする役までしてくれた友情のあつい人達だ。ヴェランダには大橋さんと鳶の頭。ハルモニュウムを奏く役のおチビさんが、あるかなきかの葵色を忍ばせた、オゥジエさんの口癖の〈夢のようなお感じ〉をだしたフロックを着て、珠子さんや山チイと並んで掛けている。
式場へ行ってみると、白布をかけた簡素な台の上に、満寿子さんの魂代をおさめたれいの鋳金の筐を置き、大輪の白菊を一本、茎のついたまま横にして載せてある。シゴイさんの霊はどんな恰好をしているのだろうと思って、筐の蓋をあけて見たら、海泡石のパイプが満寿子さんの遺書と仲よく同居していた。シゴイさんが命から二番目ぐらいに大切にしていたパイプだから、魂のかわりぐらいにはなるのかもしれない。
おチビさんがあたしを見つけて式場へ入ってきた。
「もうはじまるわ。それはそうと、だいこん、あたしのきょうの服、どう思う」
「オゥジエさんだね。夢のようなお感じがよく出ているよ。おチビさん、生きていてよかったね。そんなうれしい目にもあえるんだから」
「でも、これからがたいへんなんですって。こんなことをするのも今日きりかもしれないわね。間もなく食べるものがなくなって、餓死するかもしれないって、長謙がいったわ」
「そうさ。ほんとうに辛いのはこれからさ。しょうがないよ」
「すくなくても二百万人……ひょっとすると五百万人ぐらいは死ぬかもしれないって。どんなでしょう。そんなところを見るくらいなら、生きていなくたっていいわ」
「C・Vというひとの詩にこんなのがあるよ。……なにも見なくともすむように、盲目になりたい、教会の石段の上で。こんなことなら最初の戦闘の、最初の戦死者になればよかった、って。ドイツの例は日本の例にはならないから、どんなふうになるのか想像もできないけど、でも、なんとかしてやっていくほかないんだよ、おチビさん」
射撃場を通って裏門のほうへブラブラ出て行くと、鉄兜をかぶった将校と海兵隊を乗せたジープが四台、亀ヶ谷の急な坂を馬のようにピョンピョンはねながら上ってくるのがみえる。ジープにはお気の毒だけど、ふきだしたくなるくらいむやみに飛びあがる。ジープというのは、アメリカで流行した連続漫画に出てくる怪獣の名なんだそうだが、跳ねるのは怪獣のせいでもなんでもない。要するに道路が穴ぼこだらけだからなんだ。
だがジープのようすは笑いながら見ていられるようなものではない。将校も海兵隊も開拓者時代の〈野性の叫び声〉に呼びさまされた、西部劇に出てくる義に勇むカウ・ボーイといったすごい顔をしている。
門柱にもたれて見ていると、すぐ前でジープがとまって、拳銃を持った鉄兜の将校が自動小銃を据銃した海兵隊を二人、両わきにひきつけながらあたしのほうへまっすぐ歩いてくる。ほかのモースーメさんなら、キャッ、怖い、なんていうところだろうが、あたしはそんなことはいわない。
「おはよう。いいお天気ですね。なにかご用ですか」
大将だか少尉だか、拳銃をもったのっぽの将校は眼玉をうごかさずにあたしの顔を見つめながら訊問する口調でたずねた。
「お前はこの家の家族なのか」
「そうですよ」
「なにか変ったことはなかったか」
変ったことならいろいろある。あたしがたずねかえした。
「〈変ったこと〉というのはどういう変ったことの〈こと〉ですか」
「武器を持った日本のGIがお前のホームへはいりこまなかったか」
「ノオ」
ジープがとまるたびに海兵隊がふえて十人ぐらいになり、それがみないつでも射ちだせるように自動小銃を腰だめにしている。冗談どころじゃない。心配していたことがとうとうはじまった。あとわずかで調印式がすむというギリギリのところで。
三十日の午後、マックァサー元帥はテンチ大佐のときのカーキ色の輸送機ではなく、〈バターン〉という銀色の美しい大型機でやってきた。護衛機もなくフラリと東の空からきて厚木の滑走路へ着陸すると、胴中から電気仕掛の銀色の梯子がはねだし、黒眼鏡をかけてパイプを啣えたそのひとが悠然と降りてきて、ハァバート・アクセントで、
「メルボーンから東京まで……思えば長いみちのりだった。しかしながらわれわれはついにここまできた。日本側の武装解除は、なんら血を見ることなく終った」
と挨拶したということだった。
真珠湾以来、サープライズ・アタックは日本軍の御家芸で、軍人は〈武士〉ではなくてゴロツキなんだから信義も公約も糞くらえだ。〈二十日のクウ・デタ〉をうやむやにしたのは、こういうギリギリのところで嫌がらせをして、二重の効果をあげるためだったのにちがいない。
「だいこん」
フレッドさんが三台目のジープから降りてあたしのそばへやってきた。今日はロンドンの霧がかかっていないらしく、はっきりした顔をしている。
「兵器を持ったゲリラ隊がこの近くに集っているというんだ」
さっき先任参謀がいっていた飛行場の警備隊の若いひとたちのことなんだ。
「一〇一兵舎というのはどのへんにあるか知らないかね」
あのへんにあるのがそうだという見当はついているが、そんなことをいったら日本人にたいする裏切りになる。知らないといえば通謀したことになるし、あたしの立場はひどくむずかしいものになった。そのひとたちならゲリラでもなんでもなく、日本人同士の内輪もめで、ただそうして集っているだけだと説明すればいちばん簡単なんだけど、そんなことをいって通じる話でもない。それであたしがいった。
「将校みたいなひともそういっていたけど、そんなひとたちなら、こっちへ来なかった。ここは四代目クラブのクラブ・ハウスなんですけど、調べるなら入って調べてもいいよ」
フレッドさんはあたしの肩越しにクラブ・ハウスのほうを見て、それからいった。
「今日はなにかパァティがあるんだな」
「ええ、そうなの」
フレッドさんは将校のそばへ行ってなにかコソコソ話しだした。四台目のジープの後部座席で誰かこっちを見て笑っている。ハガアスさんだ。ひとのよさそうなハガアスさんの柔和な微笑は、この際、あたしにとっては救いのようなものだった。あたしはそのジープのそばへ行った。
「モースーメさん」
「あなた山チイのところへ電話かけたの」
「それは、なんのことでしゅ」
ハガアスさんはまだあたしの手紙を見ていないんだ。たぶんミス・アマミヤの行方を根気よく探しているのだろう。
「なんでもない。じゃ、せっかくお仕事をなさい。調印式がすんだら、また」
「はい、そうでしゅ」
手筈がきまったのだとみえて、海兵隊が一斉にジープに乗った。フレッドさんはあたしにちょっとうなずいてみせ、三台目のジープへおさまると、それですぐ先頭のから気ぜわしいようすで走りだし、縦隊をつくって仲よくピョンピョン跳ねながら大急ぎで坂をくだって行った。
あのひとたちもどうかしている。軍ならなにをしてもよかった無軌道な戦国時代ではない。占領作戦という新しい秩序のもとに置かれていることを忘れている。下手に武器を持って集結したりしたら、ポツダム条約違反でどんなことになるか考えなかったのだろうか。先任参謀がうちの賢夫人とどう折れあったのかしらないけど、応接間から出てきたときの顔はたしかに諒解した顔だった。あれからすぐ行って解散させたのだったらいいけど、そうでなかったら困ったことになるかもしれない。
オゥニングのところへ戻ると、式場へ入って一人もいない。ハルモニュウムが和やかな音で鳴りだす……シュウマンの〈聖フランシス物語〉。おチビさんが上手に奏いている。六右衛門さんの挨拶なんか聞いたってしょうがないから、裏の射撃場へ寝そべりに行く。人気もなくしんとして、風だけがソヨソヨと吹きとおっていた。〈四方より吹く風はコトゴトク英国の戦勝の快報をもたらした〉というのはマコレーの〈英国史〉の愉快な一節だった。そんなだったらどんなにいいだろう。まだごたごたしてまぎれているが、間もなくすごい戦後の動乱がはじまる。前大戦の終戦の一年目には、ベルリンだけで五十万人も餓死したが、勝ったフランスも食べるものがなく、インフレーションに苦しんで平価切下げをやり、伊太利はギャングと浮浪児の巣で、英国は阿片とコカインの大流行だった。あらゆる前例どおり日本にも間もなくそういうさわぎがはじまる。軍と民間の何百万人かの日本人が“出なおして来い”とばかりに世界の隅々から追いかえされてくる。食糧もなく、家もない。五百万人の餓死も嘘でないかもしれない。インフレーションでふくれあがった新経済成金、強盗と浮浪児。惨澹たる時期がすくなくとも五年……ひょっとすると十年はつづく。考えるだけでもしみじみしてしまうけど、誰がやってもこうなるほかはなかったのだろう。歴史の流れの力は自然の法則と同じような強さを持っているものらしい。
「おいおい」
とろけるように眠い。そいつはあきらめずにいつまでも呼んでいる。眼をあけてみると六右衛門さんが立っている。
「弔辞だ」
「弔辞って、なんのこと」
「寝ぼけちゃいけないよ」
はッと眼がさめた。髪とお尻に芝をくっつけたまま駆けだす。控室になっているつづきの脇間へとびこんでひと息つく。
日本民族の原種はポリネシアなのかメラネシアなのか知らないが、日本の歴史は、悪意をもって乗りこんできた漂流民族が、原住民をさんざんにやっつけてその国を乗っとり、丸太づくりの集会所をたてて〈平定〉のおまつりをしたところから……侵略の事実からはじまっている。困ればすぐひとの国を、と考え、侵略された国の国民の困苦や悲惨を考えようともしないいいかげんな気風が、今日の悲惨にみちびいた。いずれこっぴどく思い知らされることは、だから宿命として、二千六百年前にちゃんときまっていた。なんというあわれな民族……というのがあたしの弔辞演説の要旨だ。
草稿をだして眺める。力のない声ではじめのところを温習ってみる。うまくいきそうもない。胸がドキドキしてはきたくなってくる。足元から風が吹きあげているようで、なんともたよりない気持だ。
とうとう死刑執行の時間になる。首斬六右衛門が入ってきてお前の番だとつげる。脇間から出てよろめくような足どりで霊代のほうへ進んで行く。眼の前に霞のようなものがかかってなにも見えない。反対に出口のほうへ歩いて行かなかったのがふしぎなくらいだ。横眼をつかうと、たしかに霊代の前に立っている。やれやれと思う。ニッコリと笑ってみる。たしかに笑ったはずなんだが、どうしても笑ったとは信じられない。
それはそうと、なにを言うつもりだっけ。ポリネシアでなし、丸太づくりでもない。ようやく最初の文句を思いだす。急げ急げ、なんでもいいからはやくやっつけてしまえ。まごまごしていると卒倒する。あわを喰ってやりだす。
「この戦争で……」
あたかもそのとき、耳のそばで不意にこんな声がした。〈お前はいまとんでもないことをしゃべりだそうとしているんだぞ〉。なるほどそれにちがいない。なんのつもりでこんなことを喋べくるつもりになったのか、気が知れない。
みなさんがだまってあたしの顔を見ている。横手の椅子に六右衛門さん以下、うるさい連中がずらりと並んで、無情な顔で天井を見あげたり庭のほうを眺めたりしている。大威張りをした手前、なんとか恰好をつけないと浮かばれない。あたしはでたらめにやりだす。
「この戦争で殺された、百万人の男よ女よ……」
アポリネェルの〈金色のアポロ〉の弔詩が頭にひらめく。たしかにこんな句があった。いや、〈金色のアポロ〉でなく、〈刺し殺された鳩と噴水〉だったかもしれない。頭がこんぐらかり、いろんな詩の句がいり乱れたがいに邪魔をする。かまわない。やっつけろ。アポリネェルから文句がくるわけでもあるまいし。
この戦争で殺された百万の男よ女よ
鳩は泣き 風はなげく
さびしげに死んで行った眼差が
月桂樹の葉の間から
空へ噴きあがる。
今日は千九百四十五年九月二日
AよBよ、いまどこにいるか
鳩は死に 風は落つ
月桂樹が血を流す
この庭のなか
鳩は泣き 風はなげく
さびしげに死んで行った眼差が
月桂樹の葉の間から
空へ噴きあがる。
今日は千九百四十五年九月二日
AよBよ、いまどこにいるか
鳩は死に 風は落つ
月桂樹が血を流す
この庭のなか
みなさんが物足りなさそうな顔をしているので、あたしが念入りに挨拶する。
「これはたぶんアポリネェルの詩だったと思います。この詩の朗読をもって弔辞にかえます。これで終ります」
みなさんがへんな顔をしている。それはそうなんだ。気持はわかるが、ひとの顔つきなんかにかまっていられない。ともかく弔辞はすんだんだ。脇間へ帰ってのうのうしていると、長謙さんが腕時計を見ながら入ってきた。
「いまのアレはなんだい」
「あれ、ってなんのこと」
「お前がしゃべくったアレだよ」
「あれは弔辞ですけど。あなたにそう聞えなかったら、それは見解の相違よ」
「よくわかった。それはゆっくり考えることにして、とにかく掲揚柱のところへ行ってもらいましょう。六右衛門のそばに立っていて、僕が右手をあげたらすぐ六右衛門を突っつくんだ。わかったね」
「わかった。つまりリレーするんでしょう」
雅楽部の子供の合唱隊がおチビさんのハルモニュウムにひきずられながら金切声で今様歌をうたいだす。
籬のうちなる白菊も
うつろふ見るこそあはれなれ
われらが通ひてみしひとも
かくしつつこそかれにしか
うつろふ見るこそあはれなれ
われらが通ひてみしひとも
かくしつつこそかれにしか
世界の三大合唱隊の一つだという〈木の十字架少年唱歌隊〉の、この世のものとも思われない美しい合唱をいつかスイスできいたことがあった。いまさら聖歌でもないけど、仏教の無常観なんか、この際、迷惑だ。歌詞にしたって、今日のあたしたちの生活に役立つなんの漆着ももっていない。
籬のうちなる白菊、というのは真瀬ノ市という按摩の金貸しのお嬢さん。われら(吾良)というのは憶良の弟子ぐらいにあたる貧乏な詩人。かくしつつ、というのは確執して。
吾良が白菊から金を借りようと苦心しているが、相手は有名なガッチリ屋だから、通わせたうえでお断りをいうくらのい[#「いうくらのい」はママ]ところだと評判していると、とうとう借りだしたという。ふしぎなこともあるもんだ。さては喧嘩のひとつもして借りたのであろうというのがこの歌の大意である。
九時十五分、六右衛門さんとあたしがクラブ・ハウスの前庭を横切ってポールのところへ行く。みなさんがポーチに並んでこちらを見まもっている。六右衛門さんが柱に巻きつけてある綱をといて手に持つ。五分……十分……時計を見ていた長謙さんが右手をあげて合図をする。
「すんだ」
ああ、とうとう。あたしが六右衛門さんの背中を力まかせにこづく。
「やい、おろせったら」
六右衛門さんの手の動きにしたがって国旗がつまずくような恰好で降りてくる。芝生の上にふにゃふにゃと畳まると、最後の息をひくように端のほうがシャイトネック型にピラピラ動く。古い日本がいま絶命する。それにしても、表向き無傷の何百万人かの陸軍を持ちながら、鉄砲の音ひとつひびかせずに調印式までこぎつけるなんて、いつの世にも奇蹟はあるものだ。
空の上で雷の眷族が大騒ぎをしているような音がし、夏雲の中からプラチナの針金がきらめくような光のマスがあらわれたと思うと、間もなくそれが飛行機のかたちになった。パパがいっていた戦勝祝賀の空中ページェントだ。最初の編隊が鱶のような蒼白い腹をみせながら旗のないマストの上をグワと飛びすぎる。空気の波動でクラブ・ハウスも人も、ゆらゆらに揺れる。こんなに低く飛ぶB29を見るのははじめてだ。ジュラルミンとガラスのなんともいえない美しい結合。だいこんがうっとり見とれている。それにしてもすごい飛行機の数だ。映画の〈大地〉のイナゴの場面のようにあとからあとから夏雲の中から、無限に湧いてくる。ところで地上ではまだ今様歌がつづいている。
月の光はくまなくて
秋風のみぞ身にはしむ
なんというコントラストだ。なにもいうことはない。しおしおとヴェランダへ行くと、テーブルの上に御接待のエクレェルが大きな皿の上にピラミッド形に積みあげてある。早いとこさらって口にくわえて裏庭へ逃げだす。パーゴラのマックァサー将軍の蔓薔薇の下に坐って食べだす。秋風のみぞ身にはしむ
いまや勝者は勝利の最後の仕あげをしようとしている。ワシントン、カサブランカ、ローマ、ベルリン、東京湾と順々にあげた偉大な星条旗を虎ノ門のアメリカ大使館の屋上のポールにあげるためにランチで運んでいるところだ。
涙あふるる思い。だがものは考えようだ。日本は参ったが、なくなったのではない。古い日本の終りは新しい日本のはじまり。女神アグライアの死体からアネモネの花が咲きだしたように、古い日本の土にだっていつかは新しい花がひらく。
〈一つの植物が花を咲かせない間は、それがどんなに美しいだろうと望みをいだく。すべてまだ花が咲かないものはどんなに多くの空しい夢に包まれていることだろう〉とジイドがなにかでいっていた。
この咏嘆は意味はなすが意義はなさない。空しいか空しくないか、咲いてみなければわからない。希望をもつことは空しいといって、希望せずにいられるものだろうか。千島も、樺太も、朝鮮も、琉球も、台湾もみななくなって、せいぜいアメリカの一州ぐらいの大きさになってしまったかわりに、日本人は戦争で死ななくてもよくなり、ほかの民族を統治しようなどと柄にもないことをかんがえることもなく、狭いながらも水入らずで楽しくやって行けることになった。原子爆弾の洗礼を受けたのは日本だけだから、自らの体験によって、これからの戦争は危険だと警告する役をひきうけ、世界平和を建設するための有効なアポッスルになり得る。あの方が考えていられるように、戦争放棄の新しい憲法でもできたら、咲く花は小さくとも、世界に二つとないユニークな花になるだろう。
第一九四五篇 B29の爆音にあはせて伶長に
うたはしめたるダイコンの歌
うたはしめたるダイコンの歌
一 われ空にむかひて眼をあぐ、わが扶助はいづこより来るや
二 われら飢ゑまた渇き、草のごとく刈りとられ青菜のごとく打萎れたり
三 なんぢ地のはてまでも戦闘をやめしめ、弓を折り戈を断ち戦車を火にてやきたまへり
四 われはわが愆をしる、敗れたりとて無益に卑屈ならざらんとするごとく、勝てるものも無用に高慢もてあしらふことなく
五 望まざるものに戈をとらしむることなく、平和のための事跡を藐しむることなく
六 ねがはくは一日も早く世界を見、世界の文を読み、世界の刺戟と啓発によりてわが愆をあらため、生けるしるしある国の座に回生る保証をあたへたまはんことを
われ山上に立つ。
ここより日本の全景を眺め讃ふべし。
焼野原、壕舎、監獄、墓地。
ねがはくは日本よ、なんぢ朝の薄きスフの外套に包まれ、生ける国に恢復るその日まで、
感冒にをかされず眠りてあらんことを。
ここより日本の全景を眺め讃ふべし。
焼野原、壕舎、監獄、墓地。
ねがはくは日本よ、なんぢ朝の薄きスフの外套に包まれ、生ける国に恢復るその日まで、
感冒にをかされず眠りてあらんことを。