あぶれ駕籠

「やけに吹きっつぁらしますね」
「うるるる、これはたまらん。睾丸きんたまこごえるわ」
 師走しわすからこのかた湿りがなく、春とはほんの名ばかり、筑波つくばから来る名代のからッ風が、夕方になるとうしとらへまわり、こずえおろしに枯葉を巻き土煙つちけむりをあげ、斬りつけるようにビュウと吹き通る。いやもう骨のずいまで凍えそう。
 もとは、江戸一といわれた捕物の名人、仙波顎十郎も、この節はにわか駕籠屋で、その名もつづめて、ただの阿古長あこちょう
 相棒は、九州あたりの浪人くずれで、雷土々呂進いかずちとどろしん。このほうも、あっさり縮めて、とど助。
 二三日あぶれつづけで、もう二進にっち三進さっちもゆかなくなった。
 きょうは正月の十日で、金比羅こんぴらまいりの当日、名代の京極きょうごく金比羅、虎の御門そとの京極能登守の上屋敷へ讃岐さぬきから勧請かんじんした金比羅さまがたいへんに繁昌する。
 アコ長ととど助、屋敷の門前へ四ツ手をすえ、諸声もろごえで、
「ヘエ、まいりましょう」
「これ、駕籠へのらんか、安くまいるゾ」
 と、懸命にやったが、ひとりも客がつかぬ。
 しかたがないから、白金しろかねへまわって、ここもやっぱり金比羅勧請の、高松の松平讃岐守まつだいらさぬきのかみの上屋敷。植木の露店なども出て、たいへんな人出なんだが、ここもいけない。
 アコ長、とうとう音をあげて、
「こいつア弱った。こう見えても、わたしは信心のいいほうなんですが、いっこうに御利益ごりやくがありません」
 とど助も、弱った声で、
「いかにも珍である。こうまで精を出して、ただのひとりの客がないというのは、実に異なことだな」
「澄ましてちゃいけません、とど助さん。けさの八ツから空ッ風に吹きさらされ、おまけに形のあるものはなにひとつ咽喉を通していないんだから、くたくたのひょろひょろ、棒鼻にもたれてようやく立っているというばかり、ひでえ悪日あくびもあるもンだ」
「その点は、わしも同様。けさからなにもしょくしておらんので、空腹でやりきれん。なんとかならんものであろうかの」
「わたしに相談しかけたってしょうがない」
「しからば、だれに相談するとか」
「なにをゆっくりしたことを言ってるんです。ひょっとすると、こりゃ、晩まであぶれですぜ」
「どうも、弱った、弱った」
 仙波阿古十郎、一世一代の大しくじり。喰い意地を張ったばかりに、女賊の小波にうまくしてやられ、金蔵破りの張り番をしたという眼もあてられぬ経緯いきさつ
 ……性来下司にして、口腹の欲に迷い、ウマウマ嵌められました段、まことに面目次第もこれなく、……というお役御免の願書をたたきつけて、とめる袂をふりきって北町奉行所をおンでたまでは威勢がよかったが、そういつまでも部屋にばかりころがっているわけにもゆかない。
 なんとか食のみちをあけようと思っている矢さき、ふと居酒屋で知りあった雷土々呂進。どうせ世をしのぶ仮りの名だろうが、このご仁も喰いつめてテッパライ。盃をやりとりしているうちにひどく気があって、
「どうでしょう、ふたりで辻駕籠でもやってみたら、なんとか喰いつなげるかもわかりません」
「面白い、やりましょう」
 で、始めたやつ。
 空ッ脛だけが元手もとで朦朧もうろう駕籠屋。
 親方もなし、駕籠宿もなし、したがって、繩張りなんてえものもない。
 縁日、縁日をたよりに、きょうは白金の辻、明日は柳原堤やなぎわらどてと、風にまかせて流して歩き、このへんと思う辻々で客待ちをする。気楽は気楽だが、やっぱり法にかなってないとみえて、あまりパッとしない。
 辻のせいばかりじゃない、月ぎめ銀二朱で借りた見るかげもない古四ツ手。
 垂れはちぎれ、凭竹もたれ乾破ひわれ、底が抜けかかって、敷蒲団から古綿がはみだしている。とんと、闇討にあった吉原駕籠のていたらく。
 おまけに、駕籠舁がいけない。
 アコ長のほうは、ごぞんじの通り、大一番おおいちばん長面ながづらの馬が長成ながなり冬瓜とうがんをくわえたような、眼の下一尺二寸もあろうという不思議な面相。
 とど助のほうは、これはどう見たって浪人くずれ。それも、なみの武士じゃない。いわば、出来そくない。
 身の丈五尺九寸もある大入道おおにゅうどう大眼玉おおめだま。容貌いたって魁偉かいいで、ちょうど水滸伝すいこでん※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)さしえにある花和尚魯智深かおしょうろちしんのような面がまえ。
 それだけならまだいいが、アコ長のほうはせいぜい五尺五六寸の中背だから、このふたりが差しにないということになると、駕籠はいきおい斜め宙吊りとあいなり、客はツンのめったままで行くか、あおのけになって揺られるか、いずれにしても、普通には行かない。これじゃ、だれだって恐れをなして逃げ出してしまう。
 アコ長は、水ッ鼻をすすりながら、マジマジととど助の顔を眺めていたが、いまいましそうに舌打ちをして、
「……思うにですな、とど助さん、今日のあぶれは、こりゃアあんたのせいなんですぜ」
「これは聞きずてならん。なんでわしのせいか」
「だって、そうじゃありませんか。わたしとあんたがこの商売をはじめる当初から、あんたは客呼びをしない約束になっていたはずです」
「そうだったのう」
「そうだったのう、じゃありませんよ。あんたのような、見あげるような入道が、大眼玉をむいて、おいこらア、駕籠にのれ、安くまいるぞ、じゃ、だれだって逃げ出してしまいます」
 とど助は、額に手をやり、
「それを言われると、わしもつらい。あんたとの約束は忘れたわけじゃなかったが、なにしろ寒くもあり、空ッ風に吹きさらされてぼんやり立っているのは、いかにも無聊。……腹立ちまぎれに大きな声を出しとったんじゃい」
「いけませんよ、とど助さん。空ッ腹の鬱憤うっぷんばらしにあんな恐い声を出しちゃ、とても商売にはなりません、やめてもらいましょう」
「いかにも、わしが悪かった。もうよす、よす。……よすはよすが、これから、どうする。参詣のひとも、もうちらほらになったから、いつまでもこんなところで客待ちしておっても、立ちゆかんと思うが」
「麻布六本木の京極の下屋敷の金比羅様もなかなか繁昌するそうだから、そっちへ廻ってみましょうか」
「やむを得んな。なんとかして、ひとつでも兜首かぶとくびをあげんことには、行きだおれが出来る」
「じゃ、まあ元気を出して、行くとしましょうか」
「ああ、まいろう」

   どじょうなまず

 六本木の多度津たどつ京極の屋敷の門前で、またひと刻。
 とっぷりと暮れて六ツ半ともなれば、参詣の人影も絶え、ついで、屋敷の大扉はとざされてしまったので、あたりはひっそりかん
 このへんは寺や屋敷だけの町で、黒門に出格子窓。暮れると人通りもない場所で、聞えるものは空ッ風と犬の遠吠えばかり。
 アコ長は、凍えた手を提灯の火にかざしながら、
「とど助さん、どうも、いけないことになりました。愚痴を言ったって始まらない、こんな日はケチがついているんだから、きょうはあきらめて、このまま戻ることにしましょう」
 とど助は、むむ、と腕を組んだ。
「いよいよいけないとなれば、わしも愚痴は言わんが、家へもどっても夕食をする当のないのは弱った」
「それが、愚痴というもんですよ」
「こういう霜腹気しもばらけの日に、泥鰌どじょう丸煮まるにかなんかで、熱燗をキュッとひっかけたら、さぞ美味びみなことであろう」
「贅沢をいっちゃいけませんよ。こんなときに食いもんの話をするのは殺生ですよ」
「背に腹はかえられんな」
「なにを言ってるんです。背に腹どころじゃない、わたしなんざ、腹の皮が背中にくっつきそうだ」
「であるからして、思い切ってやろう」
「急に血相を変えて、なにをやるというんです。辻斬つじぎりなんぞ、いやですぜ」
「いかに渇しても、辻斬なんぞはせん。一杯飲もう」
「銭がなくて、どうして酒が飲めるもんですか」
「そのくらいのことは、わしも存じておるが、法をもってすれば、飲めんことはない。後はわしが引きうけたから、我善坊がぜんぼうの泥鰌屋へ行こう」
「でも、あのへんは伊勢かごの繩張だから、下手なことをすると、ぶったたかれますぜ」
「なあに、かまわん、かまわん。わしがうまい工合にやる。心配せんとついて来まっせ」
 空駕籠をかついで仲町なかまちから飯倉片町いいぐらかたまちのほうへやって来ると、おかめ団子だんごのすじかいに、紺暖簾こんのれんに『どぜう汁』と白抜にした、名代の泥鰌屋。駕籠舁、中間、陸尺などが大勢に寄って来てたいへんに繁昌する。
 泥鰌鍋のほかに駕籠宿もやっているので、奥まった半座敷には、駕籠舁の若い者がいつも十人二十人とごろっちゃらしている。
 軒下へ駕籠をおしつけておいて、暖簾をわけて入って行くと、やっと松がとれたばかりの正月の十日。どいつもこいつも大景気。人数にして三十人ばかり、丸煮やら柳川鍋やながわなべやら大湯呑に鬼菱おにびしというのを注がせて、さかんにあおりつけている。
 すいた床几へようやく割りこんだアコ長ととど助。けさっからの大旱魃おおひでりなもんだから、たちまち咽喉を鳴らし、
「いやどうも、たまらん匂いがする」
「匂いはいいが、とど助さん、後のところは大丈夫でしょうね」
「くどく念をおす必要はない。たしかに、わしが引きうけた。……おい、姐や、丸煮を二人前に、鬼菱を一升持って来まっせ、急ぎだ急ぎだ、焦がれ死にをしそうなのが、ここに二人いる。迅速じんそくに持って来酒きさけまッせ」
 酒はいい加減に切りあげて、柳川鍋でめしを五六杯。このお代が、五百五十文。
 もとより、こちらは一文なし。どうするのかと見ていると、とど助が大束おおたばなことを言い出した。
「これこれ、姐や、主人あるじはおるか。おるならちょと会いたいが……」
 妙な顔をして小婢が板場へ駈けこむと、間もなくやって来たのは、ひどく兄哥面あにいづらをした駕籠役の帳面つけのような男。突っ立ったまま横柄な口調で、
「ご用ってのは、いったいなんです。柳川鍋の中へけぬきでも入っていましたか」
 ナメたようなことをいう。
 とど助は、落着きはらって、
「いや、そんなものは見あたらなかった。わざわざ呼び立てたが、用事というのは、ほんの、ちょっとしたことだ」
「なんでえ、こいつは。嫌に持ってまわったことを言いやがる。こっちは忙しいんだから、あっさりやってもらいてえね」
「おお、そうか。それならば、あっさり言おう。……実は、銭がない」
「なんだとッ」
「そんな恐い顔をするな。銭というものはな、あるときもあれば、ないときもある、また、あるところからないところへ常にとどこおりなく流通するのが常道なのであって、一所に長く停滞ていたいするのは経済の道に外れている。この理屈は『貨幣職能論かへいしょくのうろん』という本にちゃんと書いてある。こういう理屈によって、わしのところに、いま銭が停滞しておらん」
「ひどくしちめんどくせえことを言いやがるもンだから、ごたごたして訳がわからなくなっちまいやがった。なにが、どうしたんだと」
「わからん奴だな。きょうは銭がないから出来たらそのうちに持って来ると言っておるのだ」
 兄哥面は腹を立てて、
「すると、なんだな、手めえらふたりは喰い逃げをしようてンだな」
「逃げはせん、ちゃんとここにおる」
「やかましいやい。手めえらに節季振舞せっきぶるまいをするためにこうして暖簾をかけてるンじゃねえ。飲み喰いしただけの銭をおいて行け」
「だから、それがないと言っているのだ」
「この野郎ッ、悪く落着いてやがる。見りゃア駕籠舁の風体だが、ここを伊勢駕の繩張りと知ってそんな頬桁をたたきやがるとは、なかなか見あげた度胸だ。なんといったって、銭をおかねえうちは帰さねえから、そう思え」
「おお、そうか。それほどまでに言うのならやむを得ん。……察しの通り、いかにもわしは駕籠屋だが、駕籠舁というものは身体ひとつが資本。この身体で、日に、少なくとも一分は稼ぐ。してみれば、わしの身体は金のなる木も同然。飲み食いをしたかわりに、この大切な資本を暫時お前のところに質におくから預ってもらいたい。……ただし、念のために言っておくが、わしの身体を預った上は、日に一分ずつわしに払わねばならん。どうか、それを承知で預ってもらいたい」
 兄哥は、納得しない顔で、
「手前のような大きな図体ずうたいのやつを預ったうえに、日に一分ずつ払うのだと?……そんな割の悪い話はねえ」
「おお、その理屈がわかるというのは、見あげたものだ、天晴れ、天晴れ。わしを預れば、たしかにお前のほうが大損をする。わしをこのまま帰せば、わずか五百五十文のメリですむ。……どうだ、どっちにする」
 兄哥は、妙な顔をして、むむ、と唸っていたが、
「みすみす損をするのがわかってるのに手前などを預るわけにはゆかねえ。飲み食いしたやつは負けてやるから、さっさと帰ってくれ」
「いや、話がわかればそれでいい。お前も大損をせずにすんで結構だった。しからば、われわれはこれで帰る、いいな」
「勝手にしやがれ、疫病神やくびょうがみめ!」
 おもてへ出ると、顎十郎は大笑い、
「雷さん、なかなか大したお腕前ですな。『貨幣職能論』などをかつぎ出してけむに巻いたところなんざ、天晴れなお手のうち、見なおしましたよ」
 とど助の土々呂進は、やあ、と額に手をやって、
「褒めてくれては困る。ああいうテをいつも用いるように思われては、いささか赤面いたす」
「そういったものではありません。軍略は武士のたしなみ。こういうのを泥鰌鯰の戦法とでも言うのでしょうか」
「はッはッは、まアそんなところでしょう。……これで、腹もくちくなったし、身体も煖まった。では、そろそろ戻ることにいたそうかな」
 また、空駕籠をかついで、いいご機嫌のふたり、空ッ風もなんのその、鼻唄を歌いながらだらだらの狸穴坂まみあなざか森元町もりもとちょうのほうへ降りかける。
 熊野神社くまのじんじゃのそばまで来ると、暗闇の中から、五音ごいんをはずした妙なふくみ声で、
「もしもし、駕籠屋さん……」

   たぬき旦那

 片側はくぬぎ林で、片側は土手。熊笹くまざさが風にゆらいでいるばかり。闇をすかして見たが、人影など見えない。
 アコ長は怪訝けげんな顔で、
「ねえ、とど助さん、今、たしかに、駕籠屋さんと言ったようだったが」
「わしも、そう聞いた」
「でも、人ッ子ひとりいやしません」
「いかにも、誰もおらンな。妙な晩だの」
「あまり乗せたい乗せたいと思ってるもンだから、気のせいでそんなふうに聞えたのでしょう」
「大きに、そんなところだろう」
 行きかかると、また、呟くような声で、
「もし、駕籠屋さん……駕籠屋さん……」
 アコ長は、ゾクッとしたようすで、
「こいつアいけねえ。いやな声で呼ぶじゃありませんか」
「うむ、あまり面白からん声じゃ。ああいうのは、わしも好かん」
「しかし、呼ばれた以上は返事をしないわけにもゆきますまい」
 そう言って、声のするほうへ向って、
「駕籠はここですが、あなたは、いったいどこにいらっしゃるンです」
 沈んだ声で、
「ここです、ここです」
「ここです、じゃわからない。駕籠をめすんなら、こっちへ出て来てください」
「はい。……では、いまそちらへまいります」
 土手ぎわに大きな欅の樹が一本あって、その下闇からヒョロリと出て来たのは、年のころ三十四五の痩せた小柄な男。下顎が出っぱって頬がこけ、眼ばかりいやにキョロリとした、妙な面。
 老舗しにせの小旦那といった風体で、結城紬ゆうきつむぎ藍微塵あいみじん琉球りゅうきゅうの下着、羽織は西川という堅気で渋い着つけ。
 提灯の灯影をさけるようにしながら、
「駕籠屋さん、これは戻り駕籠ですか、行き駕籠ですか」
 アコ長は、へい、と額でうけて、
「行きも戻りもありやしません。けさからずっとあぶれでケチがついたから、これから家へ帰って寝ッちまおうと思っていたところなんです」
「そんならば、お気の毒ですね」
「えッ、気の毒とは、なんのことです」
「だいぶ、遠ございますから」
「遠いたって、まさか越後までいらっしゃるというんじゃねえでしょう。いったい、行先はどちらです」
「牛込矢来の少しさき」
「すると、酒井さまのお屋敷のへんですか」
「いいえ、その前を通って、もう少し行きます」
「おう、そりゃア大変だ。すると、護国寺のへんですか」
「そこを通って、もう少し……」
 アコ長、へこたれて、
「そう小刻みにしないで、はっきり言ってくださいよ。いったい、どこなんです」
「実は豊島としまおかまでまいりたいのです」
「豊島ガ岡っていうと、あのへんは墓や森ばかりで人家などないところ。それに、これから行くと、どっちみち夜中になってしまうが、あんなところに、どんな用がおあんなさるンです」
「お駄賃だちんは、ウンとはずみますけど」
「駄賃のほうは、きまりだけいただけば結構ですが、……どうもねえ、あんな森ばかりあるところへ……」
「お嫌でしょうか」
「へッへ、お召しくださるのはかたじけないのですが、どうも、行きつけないところなもンですから。……ねえ、とど助さん、どうしよう、このお客さんは、豊島ガ岡までいらっしゃりたいとおっしゃるんだが……」
 とど助は、仏頂面ぶっちょうづらで、
「わしは満腹で気が重い。あんなところまで行ったら、もどりは夜明けになってしまう。商売冥利みょうりにつきるようだが、きょうはひとつ、お断りすることにしようじゃないか」
「わたしもそのほうが賛成だ。……お客さん、只今、お聞きのようなわけですから、どうか、べつな駕籠へ乗っておくんなさい」
「そう言わないで、行ってください。一両あげますから」
「えッ、豊島ガ岡まで行くと、一両くださるっていうンですか」
「はい、前払いで差しあげます」
「おい、とど助さん、どうしよう」
「そういうことなら、話がちょっと違って来た。一両とは聞きずてならん。ものははずみだ、乗せてつかわッせ」
「じゃ、お客さんまいりましょう」
「たしかに連れて行ってくれますか」
「そんな念を押さないだって、行くといった以上たしかにお供します」
 眼のキョロリとした小柄な男は、なにか言い憎そうにもじもじしていたが、やがて思い切ったように、
「お連れくださるというんでしたら、打ちあけたところをお話しますが、……実は、わたしは、狸なんです」
 アコ長も、とど助も驚いて、
「えッ、狸!」
「これは珍だ。かつぐのではなかろうな」
「なんの、本当の話です」
 アコ長は、小男を見あげ見おろしながら、
「なるほど、うまく化けるもンだ。ざっと見ても、素ッ堅気の若旦那。どうしたって、狸になんぞ見えやしない」
「お褒めくださらなくてもようございます、このくらいのことなら雑作ないんです」
「器用なものだの。……それで、どんな用件があって、豊島ガ岡へなぞ行くのだ。狸の寄りあいでもあるというわけなのか」
 狸は首をふって、
「いいえ、寄りあいというわけじゃありません。実は、所変えをしようと思いまして……」
「なるほど、宿変やどがえをするというのだな」
「さようでございます。……それで、ご親切ついでに、もうひとつ、お願いがあるのでございますが……」
 アコ長は、おもしろがって、
「狸とつきあうなんざ、なかなかふるっている。乗りかかった船だ。どんなことだか知らないが、出来ることならやってやろう、言って見るがいい」
 狸は、嬉しそうに頭をさげて、
「ありがとうございます。……では、ご親切に甘えて申しあげます。ひょっとするとお聞きになったこともおありでしょうが、わたくしは、四国讃岐の禿狸はげたぬきなンでございます」
 とど助は、うなずいて、
「うむ、知っておる。伊予いよ松山の八百八狸はっぴゃくやたぬき佐渡さど団三郎狸だんざぶろうたぬき……讃岐の禿狸といえば、大した顔だ」
 狸は、てれ臭そうに、額を掻いて、
「そんなふうにおっしゃられるとてれッちまうんですが、実は、わたくしは、京極能登守さまのお先代がお屋敷に金比羅さまを勧請なさいましたとき、金比羅さまのお伴をして讃岐からやってまいりまして、この狸穴まみあなに住みついたのでございますが、おいおい眷属が増えまして、只今、三百三十三狸になっております」
「それは、えらい繁昌だの。……それで、なんのために所変えなどいたす」
「以前までは、われわれは大切にかけられ、町内にお狸月番などというものがございまして、供物や掃除やとよく行きとどき、いたって気楽に暮らしておりましたのですが、そういう古老がおいおいなくなられて、われわれをかまいつけるような奇特な方も少なくなり、それに、この節、このへんに人家が立てこんで来ましたせいか、たいへんに犬が多くなり、いかにも住みにくくなりましたので、思い切って古巣をすて、豊島ガ岡あたりの物静かなところへ引きうつろうと思うのでございます」
「なるほど、よくわかった。それでわれわれへ頼みというのは」
「毎夜、一匹ずつ豊島ガ岡までお連れねがいたいのでございます。その代り、一匹について、一両ずつ差しあげますが、いかがなものでございましょう」
「これはおもしろい。一匹一両ずつとすると、しめて三百三十三両、いや悪くないな」
「お願いできましょうか」
「普通の駕籠ならいざ知らず、われわれはチトばかり瘋癲でな、とかく、変ったことを好む。いかにも味のある話だによって、のちの語り草に、ひとつ引きうけてやろう。……が、少しばかり腑に落ちぬことがある」
「なんでございましょう」
「そのように変通自在な力を持っているのに、なんで駕籠へなど乗る。……旦那面をして大手をふって歩いて行けばよいではないか」
「いえ、そうはまいらぬ訳がございます。……実は、途中の犬が恐いので……。犬にあうと訳もなく見やぶられてすぐ尻尾を出してしまいます。化の皮がはげて、二進も三進も行かなくなってしまうのでございます」
「いかにも、よくわかった。では、一匹一両ずつ、たしかに引きうけた。のう、アコ衆、引きうけてもいいだろう」
 今まで、なにか考えこんでいたアコ長、つまらなそうな顔で、
「いや、よしましょう。そんな話に乗っちゃいけません、馬鹿々々しい」
「なんで、馬鹿々々しいな?」
「だって、そうじゃありませんか。小判と見せて、実は木の葉。一文にもならないのに、豊島くんだりまで狸をかついで行くテはないでしょう」
 とど助、大きくうなずいて、
「いや、これは大しくじり。いかにもそうだ。……これ、狸、せっかくだが、その話はことわるよ」
 狸は、あわてて手を振って、
「じょ、じょ、冗談。……どうして、そんな人の悪いことをいたすものですか、木の葉などを使いますのは、酒買いに行く小狸のいたずらで、わたしどもは、そんな見識けんしきのないことはいたしません。禿狸の沽券こけんにかかわります」
 と言いながら、二ツ折から小判を一枚とりだして、とど助に渡し、
「どうぞ、充分におあらためくださいまし、これが木の葉なんぞでございますものか」
 とど助、受けとって提灯の光でためつしかめつしていたが、
「こりゃア驚いた。これはいかにも宝永乾字ほうえいかんじ。いたって性のいい小判だが、こんな古金こきんをどこから持って来るのだ」
「こんなことはわけもない。……安政や万延の新小判なら、とてもわたくしどもの手には入りませんが、こんな古金ならいくらでも持ってまいります」
「ほほう」
「わたくしどもは、どこの堂の下に、また、屋敷の床下に、どんな金が埋っているかちゃんと知っておりますから、金がいりますときには、自在にそういう埋蔵金まいぞうきんを掘りだしてまいります」
「なるほど。……なア、アコ長さん、よく筋が通っているじゃないか」
 とど助が、アコ長のほうへ振りかえると、アコ長が、だまって二本指を出している。とど助は、すぐうなずいて、
「なア、狸や」
「はい、なんでございます」
「二両なら、どうだ。二両なら行こうじゃないか」
 狸は、恨めしそうな顔をして、
「埋蔵金の話をしたって、いきなりつけこんで来るのはひどいですね。……しかし、まアしょうがない。では、二両はずみますから連れて行ってくださいまし」
「早速の承知でかたじけない。すると、なんだな、毎夜、今ごろ、このへんへ駕籠を持って来て待っておればいいのだな」
「はい、さようでございます。……たぬきか? と念をおして、そうだと答えましたら前金で二両お取りになってから乗せてやっていただきます」
 アコ長は、へらへらと笑いだし、
「こいつアいいや。とど助さん、どうやら有卦うけに入りましたね。これも、ひとえに金比羅さまのご利益」
「いや、まったく。これで楽が出来る」
「……それで乗せましたら、外から見えませんようにシッカリと垂れをおろしていただきます」
「いかにも、承知した」
「それから、犬が寄って来ましたら追ってくださいまし」
「仮りにも、片道二両の客だ。決して粗略にはせんから安心しろ」
「有難うございます」
 アコ長は、息杖を取りあげて、
「では、とど助さん、そろそろお伴するとしようか」
「ああ、まいるとしよう。さア、お狸さま、どうぞ、お乗りなさいまし」
 雲が切れて、月が出る。
 狸を乗せて、六本木から溜池へおりる。お濠の水に、十日月の影。
 狸は、いい気持そうに揺られながら、
「駕籠屋さん、いい月ですね」
「ああ、いい月だな。腹鼓でも打たんかい」
「あれは秋のものですよ。こう寒くちゃ、とてもいけません、腹が冷えますから」

   葛西囃子かさいばやし

 狸穴坂の欅の樹の下で待っていると、毎晩ひとりずつチョロリと暗闇から出て来る。
「たぬきか?」
「はい、たぬきです」
「さア、乗れ」
「連れて行ってくださいまし」
 堅気なふうなのもあり、武士もあり、またころもをつけてくるのもある。いずれもひと癖あり気な、眼のキョロリとしたやつばかり、人間ならば、人相が悪いというところ。しかし、狸なんだからとがめ立てをしたってしょうがない。
 護国寺のわきを入って豊島ガ岡、奥深い森につづいた茫々の草原の入口で駕籠をおろすと、狸め、びっくりしたような顔で、
「おや、こんなところなんでございますか」
 と、恍けたことをいう。
「これが約束の場所だ」
「へい、そうですか。では、ここで降りましょう」
 すると、原っぱの奥で、きまって、ポンポンとかすかな鼓の音がきこえる。腹の丈夫な狸がいてここだという合図の腹鼓をうつのらしい。
 その音をきくと、狸は、嬉しそうな顔をして、
「ああ、あそこらしゅうございます。わたしを呼んでおります。ありがとうございました。では、さようなら」
「気をつけておいでなさい」
 狸は、お辞儀をして、ひょろりと草原の中へ入りこむと、すぐ姿が見えなくなってしまう。
 これで二両。
 偽金じゃない。それも性のいい乾字小判。
 二人とも、すっかり大有卦に入って、こいつアいいや、で、毎晩せっせと狸を送りとどける。
 その、七日目の晩。
 例の通り、欅の下に駕籠をおいて待っていると、
「ちょいと、駕籠屋さん」
 と、仇っぽい声がする。
 アコ長、眼を見はって、
「ねえ、とど助さん。今夜は、ご婦人のようですぜ」
「そうらしいの。どんなふうに化けてくるか、楽しみだの」
 熊笹を、カサコソと踏みわけながら闇の中から出て来たのは、二十四五の、それこそ、水の垂れるような器量きりょうよし。
 島田に銀元結ぎんもっといをかけ、薄紅梅うすこうばいの振袖を腕のところで引きあわせるようにして、しんなりと立っている。
 痩せぎすの、すらっとしたいいようすで、眼だけは例によってちと大きいが、女となるとこれがかえって艶をます。睫毛が長くて眼の中がしっとりと濡れ、色がぬけるように白いので、実にどうも見とれるような美人。
 アコ長は、いやアと馬鹿な声をあげ、
「これはあでやか、あでやか。……大したもんですねえ、とど助さん」
 とど助は、うむと唸って、
「実に、感服した。こうまでとは思わなんだ。これが狸とはもったいない話」
「でも、早まっちゃいけません。ひょっとして人間だったらえらい恥をかく。ちょっと念を押して見ましょう。……もしもし、そこのご婦人、つかぬことを伺うようですが、あなたもやっぱり、その……」
 終りまで言わせずに、狸は婀娜に笑って、
「ええ、あたしは雌狸よ」
「こりゃアどうも、お見それ申しまして申しわけありません」
 雌狸は、ぷッと噴きだして、
「お見それしましたは、ないでしょう、ご挨拶ね」
 アコ長は、うへえと恐れて、
「これはどうも失礼。さア、どうかお乗りください」
 と、まるでカタなしのてい。
 雌狸は、いいようすでスラリと駕籠の中へ身体を入れ、
「どうぞ、やってくださいまし」
 とど助、息杖を取りなおして、
「お伴いたすでござる」
 二人ながら、たいへんな弾みよう。
 さて、その翌朝、神田佐久間町さくまちょうの裏長屋、どんづまりの二間きりのボロ長屋でとど助がまだ高鼾で寝くたばっているのを、アコ長が、ひどく勢いこんでゆり起す。
「とど助さん、とど助さん」
 とど助が寝ぼけ眼をこすりながら起きあがって、
消魂けたたましい、なにごとです」
「落ちついてちゃいけない。うまうまシテやられました」
「なにをどうやられたのですか」
 アコ長は、いまいましそうに畳の上に小判を二枚投げ出し、
「ごらんなさい、ゆうべの二両は贋金にせがねです」
「なるほど、こいつアひどい鉛被なまりきせ。狸でも、やはり女は細かいな」
「それにしても、贋金というのはわからない。どうせつかませるなら木の葉だっていいわけなんだが、……いったい、こんな贋金をどっから持って来やがったもんでしょう。ごらんなさい、鋳座いざも本物だし被せてあるのはヒルモ金。こりゃア素人になんぞ出来ない芸、よっぽどみっちりと鋳たものです」
「なるほど、そういうものか。……いつか禿狸をつかまえたらかならず埋めあわせをさせてやる」
 ふたりで、ブツブツ言いながら朝飯をすませ、このごろはもう気ままな道楽商売。空駕籠をかついで護持院原ごじいんがわらまでやってくると、たいへんな人だかり。
 ふたりとも物見高いほうだから、人垣を押しわけて覗きこんで見ると、霜どけの濡れた草の上に、腰、肩、背中と、さんざんに斬られて死んでいるのが、ゆうべの雌狸。
 アコ長は眉をひそめ、
「おお、こりゃ可哀そうなことになった。なんのつもりでこんなところへノソノソ出て来やがったんだろう」
 とど助も溜息をついて、
「ああ、いかにも美しい狸だったが惜しいことをした。こんなところへ無闇に出て来るからこんな眼にあうのだ。南無頓生菩提なむとんしょうぼだい、南無頓生菩提」
 殊勝らしく念仏なんか唱えているところへやって来たのが、もとは顎十郎の配下、神田のひょろ松。アコ長の顔を見るより懐しそうに走りよって来て、
「おお、これは阿古十郎さん、お久しぶりで。……それはそうと、ごらんの通りのわけあいでね、実ア、ここに斬られている女は、どうやら贋金つくりの一味らしいのです。こいつの背中の下に配布触れの一両小判が一枚おちていたんです。……この秋ごろから京大坂にしきりに鉛被せがつかわれるんですが、そりゃア、どうやらみんな江戸から流れ出して行くのらしいんです」
 アコ長は、ふうんと言ってなにか考えこんでいたが、唐突に、
「おい、ひょろ松、お前そこにその贋金を持っているか」
「へい、持っております」
「ちょっと見せてくれ」
 受けとってつくづくと眺めていたが、
「なア、ひょろ松、お前、上方で贋金のことをたぬきと呼ぶことを知っていたか」
 といった。

 翌日から豊島ガ岡の原っぱで奇妙なことが始まった。
 どう渡って来たのか、蝦夷から来た『えぞたぬき』という変った狸がこの原へ住みつき、毎夜奇妙な狸囃子をするというのでたいへんな評判。
 山の手はもちろん、はるばる日本橋、浅草のへんからも弁当持ちで老若男女がつめかけ、この広い原っぱは身動きも出来ないような大混雑。物売り、露店なども出るという繁昌ぶり。
 なるほど、そろそろと陽が暮れかかると、草のあいだでテコメン舞か正殿鎌倉しょうでんかまくらによく似たなんともおもしろい狸囃子がテンテテンテケレツとはじまる。
 ところで、裏へまわって見ると、叢の中で、ステテンテンと、夢中になってやっているのは、実はアコ長ととど助、それに神田のひょろ松の三人。
 このへんで贋金を作っているのだろうがその場所がどこにあるのかわからない。むやみに人をよせて仕事の邪魔をしたら、かならずなにか仕掛けてくると思っていたら、果して、三日目の夜、ステテンとやっている三人に斬りかかって来た浪人者があった。それを取っつかまえたらすぐ白状した。見こみ通り、狸穴から駕籠でここへ運ばれて来たのは、江戸豊島ガ岡の古墳の下で大仕掛に鋳造している鉛被せ一両小判を一枚二朱ずつで京大坂から買いだしに来た贋金買いの連中だった。

底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1-13-24]」三一書房
   1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
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