”Ja, wie l
cherlich! und doch wie reich an solchen L
cherlichkeiten ist die Geschichte! Sie wiederholen sich in allen kritischen Zeiten. Kein Wunder; in der Vergangenheit l
sst man sich Alles gefallen, anerkennt man die Notewendigkeit der vorgefallenen Ver
nderungen und Revolutionen; aber gegen die Anwendung auf den gegenw
rtigen Fall str
ubt man sich immer mit H
nden und F
ssen; die Gegenwart macht man aus Kurzsichtigkeit und Baquemlichkeit zu der Ausnahme von der Regel.“








Ludwig Feuerbach
哲学はその他の文化の諸形態とつねに或る原理的な連関において繋ぎ合わされている。この連関からして哲学にとって、それの課題は必然的に産まれて来るのであり、生産的であろうとする限り、哲学は、この連関の自覚の上に自己の任務を把握して行かねばならない。文化の諸領域相互の結合の仕方そのものはいつでも歴史的に規定されている。そして私はこの特殊なる規定性の根源をそれぞれの歴史的時代における基礎経験の特殊なる性格において見出し得ると思う*。一層詳しくいえばこうである。おのおのの時代にあって文化の諸形態、あるいは最も広い意味におけるイデオロギーは、単純に平面的な交互作用の関係に立っているのではなく、かえってそれらは層を成して重り合い、かかる立体的なる関係において交互作用を形作っている。しかもこの成層構造は時代によって歴史的に異なる。或る時代においてはイデオロギーのうち例えば宗教が、しかしながら他の時代においては学問的意識がその構造の基礎となっている。このような差異の根柢はそれらの時代における基礎経験の構造のそれぞれの特殊性にある。基礎経験はその特殊性に応じて自己を存在のモデルにおいて抽象せしめる**。かく存在のモデルとしておのおのの時代において新たに把握された存在の領域は、それ自身モデルの意味において、まさに存在論的に過重されるところの必然性をもっている。新たに把握された存在の領域は規則的にまず現実存在、さらには価値存在の絶対圏へ引き入れられ、その対象はつねに一切の世界変化の独立変数として妥当する。この選ばれた領域の構造は他の存在の領域へ導き込まれ、かくして全体の世界、あるいは少なくともその大部分はこのモデルに従って解明されることとなる。ところでかくのごとき過程に相応してあたかも次のことがある。存在のモデルとして必然的に抽出された領域に関する意識すなわちイデオロギーは、その優越なる存在論的性質の故に、いわば「形而上学的なる」妥当性を獲得すると同時に、他方ではもろもろのイデオロギーの連関においてつねに基礎層の位置を占めるに到るのである。しかるに基礎経験の構造はおのおのの歴史的時代においてそれぞれ特殊的であり、そして存在のモデルもまたそうであるから、したがってイデオロギー諸形態の成層構造の土台となるものもまた時代に応じて相異ならざるを得ない。このことがいま我々にとって重要である。もとより諸文化形態の成層構造の認識は、或る人々が注意しているところの文化形態相互の間の類型的および類構的(stil-und strukturanalog)関係の事項と矛盾するものでない。偉大なる時期の芸術、哲学ならびに科学の間には型式と構造との類似がある。例えばフランスの古典悲劇と第十七、第十八世紀のフランスの数学的物理学との間のこの関係はデューエムによって叙述されている。またひとはシェクスピヤおよびミルトンとイギリスの物理学との間に、あるいはライプニツの哲学とバロック芸術との間に、さらにはマッハ、アヴェナリウスと絵画上の印象主義との間にそのような類似を見出し得ると信ずる。ところでかくのごとき事実は単純に文化の諸領域の間に平面的な交互作用の関係があることを語るものではない。その事実はこのような関係に基づくのではなく、またそれらの文化形態相互の間の意識的な翻案によるのでもなく――もちろんかかる場合も存在する、例えばダンテとトマスとの場合、――かえってそれはその根源をそれらの文化形態が一の同一の礎礎[#「礎礎」はママ]経験の表現であるところにもっている。このことはいわゆる型式類似の最も厳密に行なわれている場合が、新しい時代の基礎経験の、伝承され、出来あがった、古い文化形式を力強く推し除けて新たに自己みずからのうちから表現形式を産みつつあるときであるということによって明らかである。このとき個人的な、意識的な影響から全く独立に、もろもろのイデオロギーの間に型式類似が成立する、文化の形式または方向の推移は知識もしくは意志以前に行なわれる。もしそうであるならば、意識形態相互の間の類型的および類構的関係とは撞着することなしに我々はイデオロギーの成層構造を考えることが出来る。そしてもしおのおのの時代においてそれぞれ独自なる構成を有するイデオロギーの層の意味を把握するならば、我々は、何故に唯物史観が経済史観と絶えず混同され、そして何故にかく混同されることに原理的には反対しつつもなおそこに否定し難き統一を認めざるを得ないかの理由を理解し得るであろう。けだし現代にあってはその基礎経験の特殊なる構造に応じてイデオロギーのうち経済学に特に優越なる位置が与えられる。経済学はイデオロギーの構成において基礎層を成す。そこからして現代の全世界観たる唯物史観における唯物論と経済主義とのイデオロギーの範囲内における統一の傾向は出て来るのである。* 文化の諸領域相互の連関の問題は、近世哲学の歴史において、すでにカントによって意識されていた。我々は彼の第三批判書のうちにこの問題への指示を見出すことが出来る。それはその後の哲学においてカントの提出した方向にしたがっていわゆる「理性の体系」の問題として現われ、フィヒテを初めとしてかくのごとき体系を理性そのものの根拠から先験的に演繹するという放胆な、天才的なる種々の企てがなされた。ヘーゲルはこのような先験的演繹に歴史的発展を結びつけた。ヘーゲル哲学の意図を一層実証的な、一層分析的な仕方で解決しようとしたのがドイツ歴史学派であったのである。それ故に文化形態の相互の連関の研究はこの学派の人々の最も好んだ題目のひとつとなっている。現代の哲学においてディルタイはこの問題についても歴史学派の仕事を哲学的に反省し、そしてヘーゲル主義に再び近づいているといわれることが出来る(Dilthey, Das Wesen der Philosophie, 参照)。
** 存在のモデルの意味その他については拙著『唯物史観と現代の意識』参照。
かくて現代哲学の課題は現代におけるイデオロギーの構造の特殊性によって規定されて成立する。すなわち哲学は今や経済学を中心とする社会科学一般と特に密接な連関に立つことを要求されている。このことは現代の基礎経験そのものの構造によってまさにそうなのであって、現実的であろうとする限り哲学はそれを回避することを許されない。かくのごとく哲学が種々なるイデオロギーのうち特に科学、しかも特に社会科学と結びつかねばならぬという主張は、或る人々のするようにいわゆる「科学主義」の名をもって非難さるべきではなく、かえって現実の歴史的特殊性によって理由づけられているのである*。このことは我々に先立って、もとより我々とは異なった根拠からではあるが、すでにディルタイによって十分に自覚されていた。ディルタイの哲学的労作の中心は歴史的社会的諸科学の基礎づけにある。この仕事に対して彼は彼の素質や天分によって規定されているばかりでなく、また実に彼の学問的活動の歴史的地位によって必然的にされている、と彼は考えた。彼によれば、個々の文化現象は相互に歴史的に規定された一定の連関に立っており、哲学の任務はこの連関によって必然的に規定されて存在する。この根本思想に基づいてディルタイはいう、「我々の課題は我々にとって明瞭に予示されている、カントの批判的な道を辿って、人間精神の一の経験科学を他の諸領域の研究者たちとの協同において基礎づけることがそれである。」すなわち彼はカントが自然科学に対してなしたと同じ仕事を精神科学に対して試みるのであって、彼はこの課題がドイツにおける一七七〇年から一八〇〇年に至る詩的および哲学的運動、レッシングからシュライエルマッハーおよびヘーゲルまでの発展、近くは歴史学派の活動によって彼に課せられていると信じた。さらに彼はいう、「現実に対する飽くことなき熱望は現代の学問の強大なる魂である。」そして彼はこの熱望が哲学にとってはただそれが特殊科学と結合することによってのみ満足させられ得ると考える。我々もまた歴史的社会的科学の批判をもって現代哲学の優越なる課題であるとする。我々もまた或る意味では哲学の精神が実証的な経験科学のうちに内在していると思う。その一般的な根拠については冒頭に話された。そして我々の仕事がいかにディルタイのそれと異ならねばならぬかということは、社会科学におけるマルクスよりレーニンまでの発展、世界における無産者階級解放運動の進展の事実がすでに明らかにこれを物語るであろう。ディルタイの尊敬すべき著作『精神科学概論』は一八八三年に世に出たにかかわらず、ヘーゲル主義者たる彼はマルクス主義についてはなんら顧慮しなかったのであった。* 現今わが国に行なわれるプロレタリア芸術論があまりに科学的なという理由によってしばしば非難されるにかかわらず、かくあることの必然性と真理性とはここに述べられたのと同じ理由から否むことが出来ぬ。問題は他のところにある。
「学問」の理念の発見はギリシア人が人類歴史において成し遂げた諸業績のうち最も偉大なるもののひとつに属している。今日我々が普通に学問の理念に与えるところの諸規定は、そのほとんどすべてがすでに彼らによって見出されていたのである。アリストテレスは彼の『メタフュジカ』の首めにおいて学問を次のように規定している。一、経験が個々のものについての知識であるに反して、学問は普遍的なるもの(τ※[#重アクセント付きο、U+1F78、173-下-9] κα※[#θ異体字、U+03D1、173-下-9]※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、173-下-9]λου)に関する知識である。二、経験ある者が単にかく在る(τ※[#重アクセント付きο、U+1F78、173-下-10] ※[#有気記号と鋭アクセント付きο、U+1F45、173-下-10]τι)ということを知るにとどまるのと異なって、学問ある人は何故にしかあるか(τ※[#重アクセント付きο、U+1F78、173-下-12] δι※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、173-下-12]τι)ということを知っている。学問は原因(α※[#無気記号付きι、U+1F30、173-下-13]τ※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、173-下-13]α)に関する知識である。三、学問は教える(διδ




* これらの章は惟うにアリストテレス哲学の構成を模範的に示しているものであって[#「ものであってあって」は底本では「ものであつて」]、『倫理学』第一巻の最初の数章とともに、アリストテレスの哲学的方法ならびに精神を理解するために反覆熟読さるべきものであろう。
さて学問理念の右の規定は人類の学問の歴史を運命的に支配して来た。今日もし我々が、学問とは何であるか、と訊ねられるにしても我々は恐らく右の規定以上のものをもって答えることが出来ぬであろう。学問の定義はアリストテレスにおいて、つとに尽されているかのごとくに見える。否、事実をいうならば、我々は今もなお最も多くの場合ギリシア的なる学問の理念の伝統のもとに立っているのである。ところでこの理念における最も特性的なるものは、学問が純粋に観想的本質のものと考えられたことに関係する。このことを理解するのは容易である。すでに我々はその規定のひとつに学問が実用とは没交渉であるといわれているのを知っている。したがってそれは何ら実践とはかかわりなきものである。ひとは、アリストテレスの言葉を用いれば、「それ自身のためにそして知るために求められた知識」をのみ特に学問と呼ぶ。学問は他の結果のためのものでなく、まさに学問のための学問である。そこでは理論と実践との間の完全な分離が行なわれている。さらに他のひとつの規定、学問は普遍的なるものの知識であるということをとってみても同様である。ここにいう普遍的なるものとは自然科学の一般的法則というがごときものではなくて、かのε※[#無気記号と曲アクセント付きι、U+1F36、175-上-7]δο







* 因果関係についてのヘーゲルの解釈はこうである。ヘーゲル論理学によれば、因果性の真理は相互作用である。普通の意味における因果関係はその中に無限へ向っての進行を含んでいる。ひとつの出来事の原因が発見されるや否や、その原因の原因が見出されることが要求され、かくして無限の進行がなければならぬ。結果の方向を辿っても同様である。この悪しき無限、不終結と無完成とに対して、他の到るところにおいてと同じく、ここでもまたヘーゲルは反抗する。――アリストテレスにあっても※[#ε異体字、U+03F5、176-下-11]※[#無気記号付きι、U+1F30、176-下-11]
※[#無気記号と鋭アクセント付きα、U+1F04、176-下-12]π※[#ε異体字、U+03F5、176-下-12]ιρον πρ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、176-下-12]※[#ε異体字、U+03F5、176-下-12]ισινという言葉は事物の不可能を示す決定的な意味をつねにもっている。――そして彼はそれを止揚するために因果の関係を相互作用の関係に転化する。「相互作用において」、と彼はいう、「原因と結果との無限への進行は進行として真実なる仕方において止揚されている、原因から結果へのまた結果から原因への直線的な外出は自己のうちへ曲げ入れられ、曲げ還されているからである」(WW.
, 306)、そしてしかも「一の自己みずからにおいて閉鎖した関係へ」(ebd., 307)とである。そこにおいて直線的な関係は自己みずからのうちに閉じ込められた関係となる。しかるに因果関係についてのかくのごとき解釈は、原因結果の関係の中にもともとから変化の過程よりも一層多く変化を通ずる持続の状態を眺めるということによって[#「よって」は底本では「よつて」]可能である。ヘーゲルは因果関係にあってつねに原因と結果のうちに自己同一にとどまり、持続する統一的なる量を見るのである。


** “Das Resultat ist nur darum dasselbe, was der Anfang, weil der Anfang Zweck ist; ―― oder das Wirkliche ist nur darum dasselbe, was sein Begriff, weil das Unmittelbare als Zweck das Selbst oder die reine Wirklichkeit in ihm selbst hat.”(Ph
nomenologie des Geistes, Jubil
umsausgabe, S. 25.)というヘーゲルの言葉は、我々がもしそれをアリストテレスの書のうちに見出すとしても、我々は驚かないであろう。
ギリシア的学問の観想的性質を明らかにした後に、我々はいかにそれがギリシア的生活と深く連関しているかを知ることが出来る。ギリシアにおいて理論が純粋に理論のためのものであったのは、偶然でもなく、また故意のことでもなく、かえってその生活地盤のうちにおいては必然であり、むしろ自然のことであったのである。それはギリシア的基礎経験の中から生まれたアントロポロギーにおける人間解釈のひとつの表現である。この人間の存在の解釈の学問的なる表現はプラトンに鮮かに現われており、あるいはすでにそれ以前に溯り得るものであるが、殊にアリストテレスにおいて最も明確に規定されている。後者は人間の生活を、享楽的生活、社会的生活、観想的生活の三つに区別した。そして観想的生活(β※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、177-下-12]ο





* 観想的生活の意味の歴史については、Franz Boll, Vita contemplativa. が参考になる。
** ラテン語の schola、近代語の School: Schule などはすべて閑暇(σχολ※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、178-上-13])という語から出ている。
しかるにルネサンスにおける自然科学の成立とともにひとつの新しい学問理念が生まれた。ここでは学問はもはや単純に観想を本質としない。ギリシア的学問と自然科学との理念上の差異は、両者が用いた手段において明瞭に認識され得るであろう。ギリシア人が見出したところの一切の学問的認識の手段は概念すなわちロゴスであった。『ポリテイア』におけるプラトンの熱情的な感激は、究極は、その当時初めて認識の大いなる手段としての概念の意味が自覚されたということから説明され得る。アリストテレスによれば、まさにソクラテスが概念の発見者である。概念こそはひとが他の者をして、彼が全く何事も知らないと告白するか、もしくはそのことがあたかも盲目なる人間の行動営為のごとく消滅することのなき永遠の真理であると承認するか、せしめることなしにおかぬところのものである。ソクラテスのこの体験は彼の弟子たちによって学問的意識にまで高められたのである。ヘレニズムの精神のこの発見のほかに、ルネサンスの時代の子供として学問的労作の第二の大いなる道具として現われたのは、合理的なる実験であった。それはこれなくしては今日の自然科学が不可能であるがごとき、信頼すべく統制されたる経験の手段としての実験である*。* Max Weber, Wissenschaft als Beruf. 参照。
概念と実験との間にはいかなる本質的なる差異があるであろうか。概念すなわちギリシア人のいうλ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、178-下-19]γο




* ここには深く立入って論ずることは出来ないが、この叙述からしてもすでに現代のひとつの流行哲学に属しているところの本質直観の学、現象学がいかに観想的性質のものであるかは理解され得よう。それは文化史的見地からしても、キリスト教のうち特に観想を重んずるカトリックと連関しているのである。現象学に関する批判はこの方面からもなされなければならぬ。
** Metaphysica E. I. 従来のギリシア論理学の解釈はあまりに近代の学問的意識の影響のもとに立っていると思われる。私は他の機会においてこの点を論述しようと思う。
実験を研究そのものの原理に高めたのはルネサンスの業績に属する。しかもその開拓者、創始者たちが芸術の領域における人々であったことは注意に値する。レオナルドはその著しい例であるであろう。ここにすでに暗示されているように実験は人間の制作的な活動と根源的な関係をもっている。自然科学の種々なる部分にとって刺戟となったものが到るところ技術的課題であり、したがってかくして見出された結果の厳密な論理化ないし体系化が到るところ後のものであったということは、デューエムやマッハなどの歴史的研究が明らかにしたところである。一般に科学と技術との根源的な連関における発展史の研究は、今日学者の愛好する題目のひとつとなっている。研究方法としての実験は自然に対する技術的なる干渉の中から生まれた。それは自然を観照し、観察することを可能ならしめるためのみのものではなくて、かえって実践的にこれに対して働きかけることと結びついている。実験は決して純粋な認識の態度からのものではなく、何物か欲求されたところのものを生産しようとする実践的態度のうちにその根柢をもっている。――ヴィコは原理的に表現していう、「我々は、我々がまた生産し得るところのものをのみ、自然において認識する。」――自然科学はその誕生ならびに発展の過程において、例えば神学上ではカルヴィニスムス、政治上ではホップスやマキアヴェリに現われているところの力の思想のもとに立っている。技術が純粋に理論的観想的なる学問の後からの随伴的な「応用」に過ぎぬというがごときものでなく、むしろ強かれ弱かれすでに存在するところの、現実の存在のこれまたはかれの領域に向けられたところの支配および制御の意志がそもそも学問的思惟の方法ならびに目的を規定するに与るということは、自然科学の歴史が我々に教えるところである。実験は発生的にはいわば技術的干渉の極限の場合である。そこではもともと欲求された特殊な目的は忘れられ、かくして特殊な諸目的は一般的な包括的な目的に水平化され、すでにあらかじめ定められた目的ではなくかえって一切の可能なる目的の総体を自然に対する干渉によって到達し得るがごとき、規則を獲得することが求められる。自然科学にあってはギリシア的な「形相」ではなく、量的に規定された「自然法則」が求められるのである。なぜならそこでは単純に見ることが欲せられるのではなく、かえって「予見するために見る」(voir pour pr
* 自然科学のかくのごとき性質については、Max Scheler. Die Wissensformen und die Gesellschaft. の中に参考となることが多く含まれている。もとより私はシェラーの『知識社会学』(Wissenssoziologie)の諸根本命題に疑いを挟む[#「挟む」は底本では「狭む」]者であって、それに関しては近く詳細に論議したいと思う。なおシェラーの思想に関するドイツ社会学者たちの討論は、Verhandlungen des Vierten Deutschen Soziologentages. 1924. の中に載せてある。
しかしながらかくのごとき学問理念の変革は決して偶然に行なわれたのではないのである。それはまさに新興社会の生活態度のイデオロギーにおける反映にほかならない。我々はここに新しい階級、すなわち近代のブルジョアジーの擡頭しつつあったことを考えねばならぬ。新興の自然科学は封建的僧侶的社会の享受的観想的構成を次第に推し退けつつあったところの新興の市民階級の生産的実践的本質の表現にほかならなかったのである。さて現代において最も重要な役割を演じつつある社会科学、すなわちマルクス主義の学問は、我々の見るところではまたひとつの新しい学問理念の変革を成就しつつある。マルクス主義にとって学問は純粋に観想的本質のものではない。それにとっては「現在の世界を革命すること、現在の事物に実践的に働きかけ、変化することが問題である。」我々はかのベーコンの言葉において自然の語を社会の語に置き換えさえすれば、恐らくマルクス主義のモットーを作り得るであろう。――「社会は服従することによってでなければ征服されない」(Societas non vincitur nisi parendo)。マルクス学は社会の客観的な条件ならびに法則を自然科学のように忠実に実証的に研究する。そうしないならば現実の社会を実践的に克服すべき方向と手段とは獲得されることが出来ないからである。ところでかくのごとき学問の成立は実に現代においてブルジョアジーに対抗して擡頭し、進出しつつあるプロレタリアートの生産的実践的本質にその土台を有するのである。
しかるに社会科学はその研究の手段として自然科学のごとく実験を用いることが出来ぬ。マルクスはいう、「経済的諸形態の分析にあっては、顕微鏡も化学的試薬も役には立ち得ない。抽象力が両者に代わらねばならぬ。」ところでここにいう抽象は普通の意味における抽象ではあり得ない。社会科学は、その実践的本質の故に必然的に現実の存在と連関を保ち、したがって実証的でなければならぬから、現実の存在からの抽象は必然的に現実の存在そのものの分析と結びつかねばならぬ。マルクスは分析なき抽象を次のように批評する、「かくのごとく抽象のみありて分析の存在せざる以上、究極の抽象において、一切の事物が論理的範疇として表現されるということは、何ら驚くに当らぬことではないか。一個の家屋の個別性を形成しているところのすべてのものを、次から次へと剥がしてゆくならば、すなわちそれをもってその家屋が組立てられているところの材料や、それを他と区別せしめるところの形式や、を抽象してゆくならば、そこにはついに単に一個の物体のみしか残らない――さらにこの物体の限界を抽象するならば、そこにはもはや単に一個の空間しか残らない、――最後にこの空間の諸次元を抽象するならば、ついにもはや単に全く純粋な量、この量という論理的範疇しか残らなくなるということは、何ら驚くに当らぬことではないか。かくのごときあらゆる対象から、有生たると無生たるとを問わず、人間たると物たるとに論なく、一切のいわゆる偶性を抽象することによって、これを究極まで抽象してゆけば、ただ論理的範疇のみがそこに実体として残る、といい得るわけである。したがって、これらの抽象を試みることによって、分析をなすもののごとくに想像し、客観から遠ざかれば遠ざかるほどそれを洞見すべき点に近づくもののごとくに想像するところの、かの形而上学者たち、これらの形而上学者たちはまた、この地上の事物は刺

* Marx, Mis
re de la philosophie, p. 119 et suiv. 浅野晃氏訳『哲学の貧困』、一七一、一七二頁。

** 拙著『唯物史観と現代の意識』。
*** 岩波文庫版、『資本論』第一巻第一分冊、三二頁。
今や我々にとってひとつのベーコン的なる課題が課せられている、と私は信ずる。ここかしこにおいて自然科学が成功しつつあったとき、ベーコンはこの科学の方法について反省し、それを包括的に普遍的に表現することによって新しいオルガノンを作ろうとして、ギリシア的学問におけるアリストテレスの位置を占めようと企てたのであるが、今日ここかしこにあって社会科学がマルクス主義によって着々業績を挙げつつあるとき、我々はその方法を哲学的に反省し、これを包括的に普遍的に把握しかつ表現し、もってさらに新しいオルガノンを書くことを仕事とすることが出来るし、また仕事とせねばならないのである。もしすでにフランシス・ベーコンの仕事がなされ終わっているとするならば、我々はかの『論理学の体系』を書いたジョン・スチュアルト・ミルの仕事を引受くべきではないであろうか。多少の誤解を恐れずに、形式的にいえばこうである。ギリシア的学問における演繹的論理を明らかにしたアリストテレス、自然科学における帰納的論理(それは実験と必然的に関係する)を明らかにしたベーコンないしミルの後を承けて、今日我々は弁証法的論理の本質を究明すべき位置にある*。* デボーリンもいっている、「マルクスの遵奉者は惟うに、なお極めて重要なひとつの任務を遂行しなければならない。……マルクス、エンゲルス、プレハノフおよびレーニンの諸労作に立脚する唯物弁証法の理論の完成という任務を果さなければならない。」Deborin, Materialistische Dialektik und Naturwissenschaft im ”Unter dem Banner des Marxismus“,
. Jahrg. Heft 3. S. 431.
このようにして私は現代哲学のひとつの重要なる課題を示すことができたと思う。この課題の要求は前にも述べたごとく現代社会の構成の中から必然的に生まれて来るのである。すべて学問上の課題の変化は単に論理の埓内で、もしくはイデオロギーの範囲内のみで生起するものではない。それはすべて人間の存在、殊に彼の社会的存在と密接に関係して、その地盤の上で行なわれる。このことはブハーリンが彼の『金利生活者の経済学』の中で経済学に関して模範的に分析し、闡明したところである。もしただイデオロギーの内部にとどまるならば、今日かの哲学者仲間のなかでなされているように、「形而上学」に反対して興った「認識論」が行詰ったとき、再び「形而上学」へ還れと叫ばれるがごとく、単に絶えざる繰返しの現われるに過ぎぬであろう。しかるに現在哲学の領域において行なわれていることは、マルクス主義に対する、好意からであれ悪意からであれ、黙殺か、もしくは、多くは反感と無理解とから発する、最も通俗な意味でのいわゆる批判である、あるいは、たかだかマルクス主義には善い方面もあるが悪い方面もある、といった上での折衷主義的、混合主義的修正である。しかしながら、スピノザの有名な句にあるごとく、すべてを憎まず、笑わず、嘲らず、その必然性を理解することこそまさに哲学的精神である。そして批判ということは、『純粋理性批判』の著者たるカントにおいてのごとく、単に善悪を判決するという以上の深い意味をもたねばならない。カントの仕事は、当時の自然科学、殊にニュートンの物理学の個々の命題の善悪、正否を批評することにあったのでなく、誰でも知るように、数学的自然科学の基礎づけ、その論理的前提ないしは条件の闡明であったのである。今日もし哲学者にして、いやしくも彼が真の哲学者として、社会科学を批判しようと欲するならば、彼はあたかもカントの先蹤に倣って、社会科学の基礎づけの仕事に従事すべきであろう。否、かくのごときカント的なる課題、すなわち社会科学批判の課題はまさに現実に課せられているのである。それは先きに掲げたベーコン的なる課題とともにそれと手を携えて、むしろそれの根柢として、極めて重要である。しかるに人々はかくのごとき批判の意味を、何故か特に社会科学としてのマルクス主義に対してのみは、否認しようとするのである。彼らは、ディルタイが精神科学に対するカント的なる課題をみずから引受けて、自己の任務を「歴史的理性の批判」と呼んだところのその批判の意味をさえ理解しようとはしないのである。いかにも笑うべきことだ。言うまでもなく、ディルタイの科学批判の方法がカントのそれとは異なっていたように、我々の科学批判の方法はカントのそれからも、またディルタイのそれからも必然的に異ならねばならぬであろう。ところで不幸にして多くの人々は、今まさに、ここに説かれたごとき批判の意味をさえ理解し得ない状態にあるのであるから、我々の仕事はその手始めとしてまず、ベーコンのなしたごとく、種々なる「偶像」(idola)を指摘せねばならない、特に現代のイデオロギーの内部におけるもろもろのイドーラの摘発こそは目下の急務である。マルクスが例えばその『神聖家族』において、殊にエンゲルスがその『反デューリング論』において、始めたがごとき仕事は、今日もなお勇敢に強力に継続さるべきものであると思われる。
さて新興科学の批判を受けようとするに当たって次のことは注意されねばならぬ。マルクス主義は学問理念の変革を成就しようとする、それは意識形態の範囲内においても従来のイデオロギーを革命しようとする。そこからしてひとはマルクス主義がこれまでの一切の学問の破壊的なる力であると結論する。この結論はしかるに単に一部の真理であるに過ぎない、なぜならマルクス主義は単なる破壊的なる力であるのみではないからである。エンゲルスの有名なる言葉はかく語る、「我々ドイツ社会主義者たちは、我々がただにサン・シモン、フーリエおよびオーエンを祖とするばかりでなく、かえってまたカント、フィヒテおよびヘーゲルを祖とするということを誇りとする。」彼は偉大なるドイツの哲学者たちならびに彼らによって担われた弁証法の記憶を荒れたる折衷主義の沼のうちに溺死せしめたのは、むしろドイツのブルジョアジーの教師たちであると主張する。かつて自然科学は新しき学問理念を打ち樹てたが、そのときこの学問はそれにもかかわらずギリシア的学問に結びつくことなしには発展させられ、完成させられることが出来ず、そしてそれの優れたる先覚者たちは彼らのギリシア的学問に対する、殊にプラトンに対する関係を自覚していた。――この関係の誤認がイギリス経験論の、特にベーコンの大なる制限をなしている。――あたかもそのように今日社会科学は、その卓越せる創始者たちが自覚していたように、自然科学ならびにギリシア的学問の伝統を継ぐ哲学と交わることなくしては発展させられ、完成させられることが不可能であろう。マルクス主義は文化の伝統の絶対的なる破壊を説くものではないのである。かえってマルクスの思想における最も天才的なるものは、彼が社会革命をもって文化の伝統のための必然的なる条件であるとなし、それなくしてはこの伝統は必然的に失なわれてゆかねばならないということを示したところにあるといい得るであろう*。人間はすでに到達された生産力および文化の水準を放棄することが出来ない。しかしこのことの意味は、彼らが、それのうちにおいて彼らのこの水準に到達したところの社会的関係の諸形態を放棄しないということではない。まさにその反対である。すでに到達された文化の水準を損失しないためにこそ、人間は、歴史的発展の一定の時代において、突如として、根柢から、社会的関係の一切の形態を決定的に変化すべく余儀なくされているのである。生産力の進化、それの「内在的」なる生長はそれ自体においてなお決して文化の絶ゆることなく進みゆく発展を保証するものでない。生長した生産力が古い、それを拘束し狭隘ならしめるところの生産関係の諸形態を破壊することに成功するときにおいてのみ、社会はすでに獲得されたところの文化を保存し、一層高い発展段階に高まることが出来る。換言すれば、文化の発展の連続性を実現するためには社会革命が必要である。かくのごときがマルクスの思想である。マルクス主義は文化の伝統を決して否定するものではないのである。もしそうであれば、我々の提出した科学批判の課題は一箇の包括的なる課題となる。そこではマルクス主義は、独断論者のなすがごとく、それ自身として取扱わるべきではなく、かえって従来の他のイデオロギーとの連関において捕えられるべきである。
* W. Asmus, Marxismus und Kulturtradition im ”Unter dem Banner des Marxismus“,
. Jahrg. Heft 3.

――(一九二八・九)――