ゲーテの歴史に対する関係は単純に規定し得ぬものを含んでゐる。或る者はこの問題に否定的に答へ、ゲーテは歴史的意識を有しなかつたと主張する。そして彼等はその証拠としてゲーテが歴史について折にふれて語つた言葉の中から種々のものを挙げることができる。この関係で知られてゐるのはルーデンとのゲーテの対話である。彼はこの若い歴史家に向ひ、歴史に対する彼の不信、軽蔑をすらも隠すところなく述べた。歴史的伝来物から我々が事物の真実の姿を受取り得るものと彼は信じない。かくの如き懐疑は固より理由のないことではなからう。歴史は伝来物即ち史料といはれるものの上に立たねばならぬ。然るに殆ど凡ての史料は不純にされてゐる、それはつねに党派的で、つねに作為的で、つねに或は熱中により、或は盲目な憎みもしくは愛によつて、だから私欲によつて無意識的に歪められてゐる。そればかりでなく、それは故意の虚言や良心なき欺瞞によつて、曲飾や中傷のために意識的に捏造されてゐる。よしんばさうでないにせよ、歴史家はつねにあまりに遅くやつて来る。彼等が始めるとき、判断は既に作られ、既に出来上つてをり、彼等は知らず識らずこの判断によつて先入見を抱かさせられ、それを反駁しようと試みる場合ですら、彼等はなほそれの束縛から離れ難い。また、ひとは我々に出来事の現実的な記録を供しないであらう。記録の多くは生々した記憶の既に消え失せた後に初めて作られたものである。しかもこれらの記録は、必ずしも、つねに主要事を伝へるものではないのである。歴史の基礎をなす史料が純粋でなく、完全でもないといふことは、このやうにして争ふことができぬ。然しながら近代の歴史学は、歴史的批評の方法を確立し発達させることによつて、史料の不純性と不完全性とに打勝たうと努力した。今日我々は歴史的批評の熱心な、忍耐的な、そして方法的な仕事の中から、如何に輝かしい成功がもたらされたかを知つてゐる。批評は云ふまでもなく批評として破壊の方面を含まざるを得ない。ところでゲーテはニーブール風の歴史的批評が破壊的であるといふ故をもつて、これを軽蔑した。もしも批評によつて偉大な伝説的な事実が否定されたならば、どうなるのであるか、と彼は尋ねる。「古人がかかるものを創作するに足るだけ偉大であつたとすれば、我々はそれを信ずべく十分に偉大であるべきであらう。」このやうに彼は歴史に対して、殊に批判的従つてまさに科学的であらうとする歴史学に対して、不信を表明したのである。「凡ての歴史は不確かで曖昧である。然し誰かがあなたに或ることが疑はしいと内々で知らせるなら、あなたはその人をすぐ却けてよろしい。」と彼は他の場合に語つた。歴史はその拠つて立つ伝来物が不確かであると云つて、彼は歴史を信じない。そして歴史的批評が確かな事実を決定しようとすれば、批評は破壊的であると云つて、彼は歴史学をさげすむ。かやうにしてゲーテは歴史に対し全然離反的関係に立つてゐるかの如く見える。
然るに、いまもし他の方面から眺めるならば、問題は全く違つた姿をとつて現はれて来る。嘗てランケは云つた、「ゲーテはまた大歴史家になることもできたであらう。けれどもシラーは歴史家たるの天分を有しなかつた。」と。偉大なる歴史家ランケのこの証言に対し、我々は信頼を寄せてはならないであらうか。寧ろ反対に、ランケの言葉は単なる仮定にとどまらなかつた。ゲーテは実際にいくつかの勝れた歴史的伝記的作物を残してゐる。『


そこで問題を一層深め、ゲーテの歴史に対する関係を彼の全精神、全世界観の連関の中から示さうとするならば、今度は却て反対にこの関係における離反がいよいよ本質的に、いよいよ内面的に現はれて来るかのやうである。ゲーテの世界観における根本概念はまさに自然であつて、歴史ではなかつたのでないか。グンドルフは彼をスピノザと共に、自然汎神論者と称し、ヘルダーが歴史汎神論者であつたのに対立せしめてゐる。ゲーテはシュトゥルム・ウント・ドゥラングの運動を経験した。個性的なものの強調はこの運動の重要な要素であつた。彼はヘルダーから影響を受けた。ヘルダーはその生成の大いなる観念によつてドイツにおいて歴史的意識を有した最初の人であつた。それにしてもゲーテにおける根本概念は、もつとどこまでも自然であつたのでなからうか。青年ゲーテは彼の『ゲッツ』を「戯曲化された歴史」と呼ぶ。然るにこれの背景をなしたのはルソオ的な自然の思想と見られ得、このものは新興市民階級の政治的意識と結び付いてゐたが、それが非歴史的な観念であつたことは云ふまでもない。ゲーテが古典的人間として成熟するに従ひ、歴史に対する疎隔は益々顕はになつたやうである。グンドルフによると、ゲーテのイタリア旅行は彼に二つの否定的な結果、即ち一方歴史に対する、他方政治に対する、決定的な離反をもたらした。これらのものの嫌悪は、ゲーテの本性のうちにもともと存してゐたのであるが、イタリア旅行によつて自覚されると共に基礎付けられるに至つた。この見方は尤もあまりに一面的であると云はれよう。その第二部においてファウストはまさに社会的実践家として現はれており、またひとは『


かくてゲーテは歴史に対し一面親和的に他面敵対的に、両重の関係に立つてゐたといふことが推察されよう。既にゲーテと歴史の問題は、単純にゲーテにおける歴史の問題であり得ず、却てゲーテにおける「自然と歴史」の問題でなければならない。そして我々の研究はおよそ次のやうな意味を有するであらう。一、我々はそれによつて現実的な歴史的意識が相矛盾する二つの契機を含む弁証法的構造のものであることを示すことができる。その一つの意味ではゲーテは十分豊かに歴史的意識を具へてゐた。然しそれだけ、他の意味では彼は非歴史的であつた。一つの意味における歴史性を彼において明かにすることは他の意味における彼の非歴史性を明かにすることとなり、他の意味における彼の非歴史性を明かにすることは一つの意味における歴史性を彼において明かにすることになる。ゲーテと歴史の問題についての議論はこれまで、歴史的意識の本質が明確に把握され、規定されてゐないために、虚空に彷徨してゐる場合が少くなかつた。二、自然と歴史とは固より相対立する概念でありながら、しかも現実的な歴史の概念は、その弁証法的要素として、単に外面的にのみでなくまた内面的に、或る特殊な自然の概念を含まなければならない。かくの如き歴史における内面的に自然的なものが何であるかは、ゲーテについて明瞭に示され得るであらう。然し第三に、我々の研究は、ゲーテに親和的に感じ、その伝統を継がうとする現代の歴史学の或る傾向に対する批判の意味を含むであらう。ゲーテは自然概念をもつて歴史を考へる最も模範的な且つ最も豊富な場合を現はしてゐる。然しながら、彼の明示もしくは明示したものが歴史学にとつて如何に魅惑的であるにしても、それはなほ自然を基礎とし、従つて歴史と自然とが相対立するものである限り、固有なる歴史概念ではあり得ない。或は逆に現代の歴史学の或る傾向における根本概念をゲーテにおいて根源的に解明し、それがもと自然を基礎とするものであることを示すことによつて、我々はそれを批判し得るであらう。
二
ゲーテは直観の人、眼の人間であつた。明瞭な、形態ある、限定された、体現的な直観が彼にとつては実在性の尺度である。ただ直観的なもののみが実在的である。歴史に対する彼の不信も、歴史が伝来物によらねばならぬ限り、彼の眼に向つて語らず、彼の思惟に訴へねばならぬためであつた。伝来物は出来事についてのものであり、そしてしばしば出来事についてですらなく、寧ろ伝来されたものについてのものであり、これを基礎とする限り歴史は、自然及び芸術の諸形態の如く、直接的な体現的な直観を供しない。直観の欠如といふことがゲーテの歴史に対する関係の乖離であつた。それだから反対に、間接的な、そして多くは疑はしい、従つて歴史的批評への迂回を経ねばならぬやうな史料の上に立つことを要せず、体験と直観とから造形し得るやうな領域、即ち自己自身の生涯については、彼は第一流の歴史家であることができた。『わが生涯から、詩と真実』がこれを証してゐる。
然しまたゲーテが直観の人間であつたことは却て、彼を歴史と親和的ならしめるのではなからうか。「私の全歴史研究は、私の風景スケッチ及び私の美術研究と同じく、直観に対する甚大な渇望から生れた。」と歴史家ブルックハルトが書いたことがある。如何に多くの、断片的な、無味乾燥な史料の中を潜らなければならないにせよ、歴史家の求めるものは結局、歴史的事象そのものの直観ではないであらうか。歴史と自然科学との相違は、一方が特殊から普遍的な法則の設定へ進むに反し、他方は経験に与へられた特殊の傍にとどまる点にあると云はれ、そして歴史を一種の芸術と見る理論家もある。シラーは上に記した有名な書簡の中で、ゲーテの精神を思弁的精神に対する直観的精神として規定し、思弁的精神が統一から出発するに反して、直観的精神は多様から出立すると述べてゐる。歴史的なものは固より単なる特殊でなく、普遍によつて貫かれたものでなければならぬであらう。さうすればゲーテの精神はいよいよ歴史と内面的に結び付き得た筈である。「個々のものの上に光を得るために、あなたは全自然を総観される、自然のもろもろの現象の仕方の全体のうちに、あなたは個体に対する説明根拠を探り出される。」「直観的精神が天才的であり、そしてそれが経験的なもののうちに必然性の性格を探り出す場合、それはもとよりつねに個体を、しかし類の性格と共に作り出すであらう。」とシラーは述べてゐる。かやうな天才はゲーテにおいて、ランケの云つた如く、大歴史家となり得る素質を形作つてゐたであらう。それは少くとも彼を、ヘーゲルを思弁的として排斥したランケ、或は歴史を一種の芸術と見做したブルックハルト流の歴史家となすことができたであらう。ゲーテが自然における個々のものの丹念な観察からその中に横たはる普遍的なものの直観を得たやうに、ランケは歴史における個々のもの、個々の過程に関する史料の申立ての正確な訊問から普遍的なものの直観にまで自己を高めた。「対象を観察するにあたつてはつねに、ひとつの現象がそのもとに現はれるあらゆる条件を精細に調べ、現象をできるだけ完全に捉へることを志すといふのが、この上ない義務である。なぜなら現象は結局互に連繋を有し、或は寧ろ互に錯綜し合ふやうに余儀なくされるのであるから。そして研究者の直観にも一種の組織を作り、その内部的な総生命を顕示するのでなくてはならない。」これは、ゲーテの物理的研究に際し彼に迫つて来た確信であつた。然るにこれはまた、ランケの世界史的構想の標語ともなることができたであらう。
ゲーテの直観は個々のものを個々のものとして捉へるのでなく、特殊のうちに同時に普遍的なものを見た。色彩論への序文の中で彼は書いてゐる。「物を単に一瞥することは我々に役立ち得ない。あらゆる瞥見は観察へ、あらゆる観察は熟思へ、あらゆる熟思は結合へ移り行き、かくて、我々は世界のうちへ注意深く眺め入る凡ての場合において既に理論してゐるのである、と云はれ得る。」また彼は他のときに云つた、「あらゆる事実的なものが既に理論であるのを理解することは最高のことであらう。空の青色は我々に色彩学の根本法則を啓示する。ひとは現象の背後に何物をも決して求めてはならぬ、現象自身が理説である。」普遍は特殊のうちにすでに現はれてゐる。ひとはそれを、現象を超えて、現象の背後に、現象から離れて、求めることを要しない。自然が「精神に啓示しないものを、汝は槓杆や捩子をもつてむりやりに取つて来ることはできぬ。」単なる計量によつては生命ある普遍は捉へられない。真の普遍は特殊のうちに含まれ、特殊において直観される。今日、歴史学において重要な意味を有する Typus といふ概念はもと、かくの如き普遍を指すであらう。歴史を Typologie と見る見方はゲーテにおいて教師を見出さねばならぬ。或は寧ろ、ゲーテ的な直観、体験及び世界観の基礎の上に初めてテュポロギーは、その固有なる意味において成立することができる。テュプスはゲーテの形態 Gestalt もしくは原現象 Urph

然るに我々はかくの如き直観がまたまさにゲーテを歴史から離反せしめたといふことに注意しなければならない。特殊と多様とのうちに見られる普遍的なものはゲーテにとつて必然的なもの、従つて繰返すものを意味した。かかるものは自然のうちには見出され得るとしても、歴史は自由なもの、肆意的なるもの、一回的なるもの、奇異なるもの、絶えず新しきものを現はしはしないか。浪漫主義者はそのためにこそ歴史によつて誘惑される。「詩人は偶然を熱愛する。」とノ




三
人口に膾炙する『自然』についての小論の中で、ゲーテは云ふ、「過去も未来も自然は知らない。現在はそれの永遠である。」このやうにゲーテにとつて時間は現在であり、現在はまた永遠を意味する。彼は直観の人間としてただ現在を見、そして現在のみが彼には時間の果てしなき経過のうちにおいて本来実在的であつたのである。それ故に彼は時間の停止することなき「流れ」に対して現実的な感情を有しない。時間の流れから直接に生れ、我々が追憶と呼ぶところの感情をゲーテは却けた。彼は嘗てミューラーに次のやうに話した、「私はあなたの意味での追憶を何等認めない。我々の出会ふ或る偉大なもの、美しきもの、重要なものは、外部からして初めて再び追憶され、いはば狩り取られねばならないのではない。それは寧ろいはば最初からして我々の内部に織り合はされ、これと一つになり、かくて永久に形成しつつ我々のうちにおいて存続し且つ創造しなければならない。」また彼は他の人に、「ただ永遠なもののみが我々にとつてあらゆる瞬間において現在的であり、かくて我々は過去の時間について悩まない。」と書いてゐる。彼には過去も苦痛とはならず、未来も不安の種とはならぬ。或は彼は、彼自身の云つた如く、事物の永続的な諸関係を取扱ふことによつて自己のうちに永遠を作り出さうとしたのである。然しそのことがどうであれ、永遠は無時間的もしくは超時間的であらう。そして歴史的なものはその本性上時間的であるとすれば、ゲーテにはもと歴史的意識が存しなかつたやうに考へられる。
この点において浪漫主義は著しい対照をなしてゐる。それはその特殊な時間の感情のためにとりわけ歴史的であつたものの如くである。そしてアダム・ミューラーを始め、近代の歴史学が浪漫主義の中から乃至はその影響のもとに発達したといふことは周知の事実に属する。「時間に対する感覚、歴史に対する才能」は幸ひである、とノ

然るにかかる浪漫的な時間の感情は、他の方面から考へるとき、それ自身また非歴史的であつたであらう。それは何よりも過去の追憶と未来の憧憬との感情であつて、そこには現在の堅固な把握が欠けてゐる。しかも現在といふ時間契機こそ現実的な歴史的意識の最も重要な要素であるべきである。まさに今日我々は歴史のかくの如き現在性の方面を力説すべき場合である。この点からすれば、ゲーテは浪漫主義者たちよりも却て歴史的であつたと云はれ得る。浪漫主義は遙かなるもの、朧ろなるもの、仄かなるものに心をひかれる。従つてそこに見られるのは主観的傾向であつて、ここに先づ既に、客観的であることを本質とする歴史的意識と浪漫主義との乖離がある。ゲーテは同時代のかやうな浪漫的傾向から離れて立つてゐた。彼は自己の時代を回顧しつつ、「私の全時代は私からかけ離れてゐた、なぜならそれは全然主観的な方向のうちにあつたし、然るに私は私の客観的な努力において孤立してゐた。」と述べてゐる。それのみでなく彼は、主観的であるか客観的であるかといふことにおいて、時代が後退的であるかそれとも前進的であるか、といふことの表徴を見出し得ると信じた。「後退と解体とのうちにある凡ての時代は主観的である、これに反し凡ての前進的な時代は客観的な方向をもつてゐる。我々の今の全時代は後退的である、なぜならそれは主観的であるから。」我々はここに彼の歴史哲学の最も重要な思想のひとつを読み取らなければならない。彼の内的発展が進むに従つて、ゲーテの見方はいよいよ深く客観的となつて行つた。彼の感情は、彼自身が彼の対象的思惟もしくは彼の思惟の対象性と呼んだものによつて補はれ、統一された。「自己を対象と最も親密に同一となし、それによつて本来の理論となるやさしい経験 zarte Empirie がある。精神的能力のこのやうな高昇は然るに教養の高い時代に属する。」ところでかかる「やさしい経験」こそ歴史家にとつて最も必要なものである。この点からしても、浪漫的詩人でなく、寧ろゲーテが歴史家の精神に通ずるものを具へてゐたと云はるべきであらう。
ゲーテは現在を重要視することによつて更に深い意味で歴史と交渉する。それによつて彼は歴史を理解する立場でなく、却て歴史そのものを作る立場に立つたのである。歴史の問題に関する考察は従来主として理解の立場からのみなされて来たが、それを行為の立場からなすことが特に大切である。ファウストは先づ享楽の人間として現在が彼にとつて凡てであつた。「私はただ世の中を駆け抜けた。」瞬間から瞬間へ、未来に悩むことなく、過去に煩はされることなく、ただ現在の享楽を知つてゐる。次にファウストは行為の人間として現はれる。「彼はしつかりと立ち、そして此処で見廻す。彼には永遠のうちへさまよふ何の必要があらう。」行為の人間は現在に生き、現在は彼にとつて永遠といふよりも寧ろ勝れて瞬間の意味を有する。現在に活動する者は未来について配慮することを要しない。ひとはゲーテが不死の観念を活動の観念によつて基礎付けようとしたのを知つてゐる。彼の精神は現在の活動に集中される。ノ

尤も、我々はゲーテが徹頭徹尾芸術家、殊に詩人であつたことを忘れてはならない。従つて彼にとつて行為はもと社会的歴史的な実践といふよりも却て芸術家的な直観=造形=生産――かかる芸術的活動も固より広い意味においては行為に相違ない――を意味したのみでなく、本来の実践も主としてかくの如き形式のもとに捉へられた。我々はゲーテを、しばしば見られるやうに、あまりにフィヒテ的に解釈することを慎しむべきであらう。行為も彼にあつては直観と離れず、それ故に未来によつて特殊にアクセント付けられた実践でなく、寧ろ体現的な現在的なものであつた。そして直観は彼においてつねに造形的、生産的性質のものであつた。然しながら、固有なる歴史的意識を与へるものは根本において観想でなく実践であるとすれば、ゲーテには歴史的意識が欠けてゐたと云はれるのはまた当然であらう。歴史的意志はまさに一回的なものを意欲する。それによつて歴史的意志は消滅的なものを意欲するのでなく、却て永遠なるものを意欲するのである。かくの如く矛盾せる歴史的意志は、瞬間に集中されることによつて自己を徹底する。瞬間は現在であるが、永遠の現在ではない。寧ろ瞬間は未来によつてアクセント付けられた現在である。実践を根柢とする歴史的意識にとつて現在は瞬間であるに反し、観想の立場を離れないゲーテにとつては現在は永遠であつた。歴史への通路は彼にはただ生の側からしてのみ開けてゐたが、生とはこの場合直観的なもの、現在的なもの、生産的なものを意味する。かかるものがまた彼にとつて真理と実在とを意味した。伝来物は直観を与へず、単に過去のものであつて、生産的でない故に、彼はそれに実在性と真理性とを認めることに躊躇する。然るに偉大な伝説は直観に訴へ、現在の生にはたらきかけ、生産的ならしめるために、彼はそれを歴史的批評の破壊的暴露に委ねることを好まない。このやうな態度は科学にとつては云ふまでもなく、実践の立場にとつても不十分であり、ただ芸術的直観及び生産の立場において徹底され得るであらう。このやうな態度からして、歴史はゲーテにとつて過去の出来事の叙述 Geschichte でもなく、過去の説話 Sage でもなく、却て最も特有な意味における Mythos となる。我々はさきに歴史はゲーテにとつてテュポロギーであると述べたが、今やそれは Mythologie を意味する。歴史は彼において、彼がその自伝を名付けたやうに「詩と真実」である。ベルトラムがその『ニイチェ』(一九二二年)の書を「ひとつのミュトロギーの試み」と称した如く、ミュトロギーはたしかに歴史に対するひとつの関係の仕方を現はしてゐる。ミュトロギーとは何を意味するであらうか。ミュトロギーの哲学を展開したシェリングによれば、「真のミュトロギーはもろもろのイデーの一の Symbolik である。」シュムボルとは何を謂ふであらうか。シュムボルは「形象の如くまことに具体的で、唯自己自身と等しく、しかも概念の如く一般的で、意味に充ちてゐる。」シュムボルといふ語は文字通りに意味形象 Sinnbild を現はす。シュムボルはそれだからミュトロギーにおいて確固たる位置を占める。なぜなら「特殊的なものにおける、普遍的なものと特殊的なものとの絶対的な無差別をもつての、絶対的なものの叙述は唯シュムボル的にのみ可能である。」とシェリングは云ふ。ところでゲーテは「凡てはかなきものは唯たとへのみ。」と書いてゐる。時間に属するものの一切は、永遠に現在的なものの反映に過ぎない。ゲーテは歴史のうちにおいても、自然の凡ての生産物のうちにおいてのやうに、原型的なもの、テュプス的なものを求めた。原現象とはかかるものにほかならぬ。『ファウスト』第二部における有名な「母たち」M

四
生成と運動の思想は夙にゲーテに含まれてゐた。「自然のうちにあるのは永久の生命、生成と運動である。自然は永久に転化し、そのうちには如何なる瞬間にも静止がない。」と既に二十二歳のゲーテは書いてゐる。この思想は『植物の変態』、その他の彼の晩年の自然研究において完成されるに至つた。然るにこのときその基礎には、つねに形態或はテュプス、或は原現象の観念が存してゐた。植物の場合ではそれはかの「原植物」である。発展の思想はこのやうに形態の思想またはテュポロギーと結び付くことによつて Morphologie の思想となる。モルフォロギーの思想とテュポロギーの思想とはもともと離るべからざるものである。原現象とは、それにおいて生成のイデーが純粋に眼前に横たはるところのものである、とシュペングラーは説明してゐる。現代の歴史家たちがゲーテから汲み取らうとするのは、特にこのモルフォロギー的思想である。シュペングラーはその書物を「世界史のモルフォロギー」と名付ける。ゲーテにおける変態の思想は特殊なるテュポロギーを基礎とするのであるから、それはダーウヰン流の進化論との関係において見らるべきであるよりも、寧ろライプニツの Monadologie の思想に近く立つてゐたと云はれよう。モルフォロギーは彼にあつてモナドロギー的である。これらの点で我々は、ゲーテにおける有名なスピノザ主義なるものに少くとも重大な制限を加へなければならぬ。ゲーテ自身モナスもしくはモナドという語を使つてゐる。それは彼がアリストテレスに従つて好んで用ゐたるところのエンテレヒーにまで発展するものであり、個体または人格の本質を表はすためのものであつた。「我々が神即ち自然から受けた最高のものは、生命、換言すれば、休息も静止も知らぬモナスの自己自身の周りを廻転する運動である。生命を養ひ育てる衝動は各々のものに毀ち難く生具してゐる、しかもそれの特有性は我々及び他のものにとつてどこまでも秘密である。」――「動物の本能に関する問題は唯モナド及びエンテレヒーの概念によつてのみ解決される。各々のモナスは或る一定の条件のもとにおいて現象に現はれる一のエンテレヒーである。」このやうにしてゲーテにとつてもモナドは破壊され得ぬ個体的統一を意味し、この統一は活動的発展的統一であつた。然しまたかやうな個体は彼にとつてつねにテュプス的意味のものであつた。「特殊は種々なる条件のもとに現はれてゐる普遍である。」個体の発展といふのはそれがテュプス的となることにほかならない。
かくてゲーテの自然は、先づ一の発展史を含むことによつてスピノザの自然から区別される。ゲーテをスピノザと共に自然汎神論者と呼ぶにしても、ゲーテの汎神論はディルタイの語を借用すれば発展史的汎神論であつた。次にゲーテは全自然の生成のうちにいはば個体化の衝動がはたらいてゐるのを見た。すでに動物と植物との相違は、前者においてはより完全な仕方でその動的中心をなす有機的形成力が個体化の方向に向つて活動するところにある、と彼は考へた。個体的統一たるモナドの発展は最大の完成に達することが可能であり、各々のモナドの間にはそのエンテレヒーの量に従つて無限の程度の差異がある。人間は最高度のモナドを現はし、人格は「地の子等の最高の幸福」である。「何物も在るのでなく、何物も成つたのでなく、凡てはつねに成りつつある、変化の永久の流れのうちには何等の静止もない。人間は各々の瞬間と共に他のものであり、しかも変化の中において不思議に自己自身と同一であり、不変である。これはより高き存在の長所である。」不断に活動し、変化し、しかもそのうちにあつて自己をつねに維持し、持続せしめ得る程度に応じて存在はより完全である。人間は自然の個体化の最高の場合である。然し固より人間と他の自然の存在との間の差異は程度上のことであり、そこにはどこまでも連続性が存する。人間は自然の最高点を現はすにせよ、なおひとつの自然である。シラーは右に引用した書簡の中でゲーテに云つた、「あなたは単純な組織から一歩一歩より多く複雑な組織へ昇られる、かくて最後に凡てのうち最も複雑な組織即ち人間に至り、これを発生的に全体の自然の建築物の諸材料から築き上げられる。」ゲーテは人間と自然との間に内面的なアナロジーを見、それに従つて歴史と社会の構造をも考へたのである。「同一の法則は一切の他の生けるものに適用され得るであらう。」とゲーテはナポリから、自己の発見に就いて伝へるに際し、ヘルダーへ宛てて書いてゐる。
然しゲーテのモナドには窓がないのでなく、その窓は広く世界に向つて開いてゐる。彼は事物の本質が何であるかはその全体のはたらきにおいてのみ認識されると考へた。「我々が一の事物の本質を言い表はそうと企てても無駄である、我々の目にとまるのは、はたらきであつて、これらのはたらきの完全な歴史がとにかくかの事物の本質を包括するのである。我々が一人の人間の性格を描かうと努力しても無駄である。反対に彼のもろもろの行動、彼のもろもろの行為を総括するがよい、さうすればその性格の形象は我々に対して現はれて来るであらう。」と色彩論への序文の中に書かれてゐる。人間が何であるかは、彼の全歴史を通じて顕はになる。人間は彼の環境、世間、過去及び現代の歴史と交渉することによつて初めて自己の本質を形成し、発展せしめ得る。「我々が我々の欲する何処に身をおくにせよ、我々は凡て根本において集団的存在である。我々の有し、我々の在るところのものにして最も純粋な意味で我々の財産と呼ばれるものは如何に少いか。我々は凡て我々の前にあつた人々から並に我々と共にある人々から受け且つ学ばねばならぬ。最大の天才ですらも、もしも彼が凡てを彼の内部に負はうと欲したならば、それほどにならなかつたであらう。」生とは自己の周囲との関係を育てる能力である。ゲーテは彼自身についても、彼の作品が多くの人々から栄養をとつたこと、他の人々が種子を蒔いておいた処で彼が収穫したこと、を述べた。彼も、彼の語を用ゐれば、「収穫の天才」であつた。「性格はただ世界の流れのうちにおいてのみ形成される。」「孤立してゐては、人間は決して目的に達することがない。」なぜなら「人間が何を捉え、何を作すにせよ、個人は自分だけでは十分でない、社会はつねに立派な人の最大の必要である。凡ての有能な人間は相互の関係に立つべきである。」人間は歴史と社会の中において自己を形成し、発展せしめねばならぬといふのが彼の思想であつた。
Mein Erbteil wie herrlich, weit und breit !
Die Zeit ist mein Besitz, mein Acker ist die Zeit.
かやうな思想を彼は就中『Die Zeit ist mein Besitz, mein Acker ist die Zeit.


発展はゲーテによれば分極性 Polarit

Wohin? Ach, wohin?
Hinauf! Hinauf strebt's
Aufw
rts!
ゲーテはガニメードの伝説のうちに人間の上へ上へと向はうとする衝動を見た。然るにこの衝動は既に自然のうちに「純なる太陽に向ふ」、「色どられたる地上に向ふ」衝動として含まれる。分極性と高昇とは自然の二つの大きな旋条である。「前者は物質を物質的に考へた場合それに属し、後者はそれを精神的に考へる限りそれに属する。前者は不断の牽引と反発であり、後者はつねに努力する登攀である。」自然の蔵する絶えず高昇してやむことなき衝動はゲーテには精神性への限りなき衝動を意味した。
発展は内なるものの漸次的な展開である。それは革命的でなく進化的である。「自然は飛躍をなさぬ。」といふのが彼のモットーであつた。固よりゲーテを単なる保守主義者と見做すことは当らないであらう。ひとが彼を「現存物の味方」と呼んだとき、彼は抗議して云つた。「然しそれは私を不愉快にする甚だ曖昧な名称だ。現存するすべてのものがすばらしく善く且つ正しいならば、私はそれに対して何等反対せぬであらう。然しながら多くの善きものと並んで同時に多くの悪しきもの、正しからぬもの、不完全なものが現存するのだから、現存物の味方といふことは、旧びたもの、悪しきものの味方にほかならぬことがしばしばである。然るに時代は永久の進展のうちにある。そして人間的事物は五十年毎に姿を変ずる。かくて一八〇〇年には完全であつた制度は、既に一八五〇年には恐らく不具物であるだらう。」彼は社会を発展において眺める。けれども彼はそこに漸次的な、連続的な、自然的な発展を見るのであつて、革命は暴力的なもの、破壊的なもの、不自然なものを含むとしてそれを却け、また彼はかやうな飛躍的な発展が可能であるとは信じない。或る時彼は語つた、「輿論においてひとが誤解され易いのには実に驚く。私は嘗て民衆に対してどのやうな罪を犯したおぼえもない。然るに今ではすつかり民衆の味方でないと云はれてゐる。むろん私は掠奪や殺人や放火を企てそして公共の安寧のいつはれる楯にかくれて最も卑しい利己的な目的をねらつてゐる革命の輩の味方ではない。私はそのやうな人々の味方でもなければ、ルドウィヒ十五世の味方でもない。私は一切の暴力的革命を嫌ふ、といふのはそれによつて多くの善事が獲得されると同様にまた破壊もされるからだ。私は革命を実行する人も、革命に動機を与へる人も共に嫌ひだ。然しそれだからとて私は民衆の味方でないのであらうか。正しい感情をもつた人は誰でもこれとは違つた考へ方をするであらうか。」「我々に未来を期待させるやうな改良はどんなものでも私が非常に喜ぶといふことをあなたは知つてゐられる。然し既に云つたやうに、一切の暴力的なこと、飛躍的なことは私の性質に合はない、それは不自然だからである。」彼は却て「自己自身のうちに救済手段を一緒に含んでもつてゐる自然的な発展行程」に信頼し、そしてそれがまた社会生活の上にも適用されることを希望した。そこでゲーテは全く原理的に、各々の国民はただ自己の自然に従つて、自己の自然的に制約された諸要求に従つてのみ生きることができ、生きるべきであり、また生きるのほかないことを力説したのである。「一の国民にとつて、他の国民の真似をすることなしに、自己自身の中心及び自己自身の要求から出たもののみが、善いものである。なぜなら或る一定の年齢にある一の民族にとつて有益な栄養であり得るものも、恐らく他の民族にとつては毒となるであらう。それだから何等かの外国の改革を移植しようとする凡ての企ては、それに対する要求が自己自身の国民のより深い中心のうちに根差してゐない場合、馬鹿なことである。」更にゲーテは、国民的生活は本来自然的な発展を遂げるものであり、これに対して不自然なこと、暴力的なことを為し、もしくは為す動機を与へるのは政治家であり、政府であると考へた。要するに、ゲーテは革命主義者でなく改良主義者であり、急進主義者でなくて漸進主義者であつた。社会と歴史に関しても、「それは自然的でない」といふことが彼にとつて一切の批判と評価との根本的な基準であつた。凡ての種類の飛躍は彼には自然的ならぬものと見えた。彼はあらゆる場合において、何等かの事物または過程が示すやうに感ぜられる間隙もしくは飛躍を充たし、それを結び付ける移り行きを探し出さうと努力することを特に喜んだ。
右の如き思想の根柢をなしてゐるのは明かに Organologie の思想である。我々はゲーテにおいて有機的発展の思想の模範的な場合に出会ふ。歴史及び社会は一の有機的自然と見られた。彼の社会哲学の最後の言葉は凡ての人間が有機的に仕事と活動とによつて結合するといふことであつた。社会と自然とは連続的に捉へられ、社会は一の高次の有機体と考へられる。次の言葉はこのことを甚だ明瞭に言ひ表はしてゐるであらう。「植物は節から節へと生長し、最後に花を開き実を結ぶ。動物界でも変りはない。幼虫、条虫と節から節へと進化し、最後に一つの頭が出来る。高等な動物及び人間においては脊椎骨が次第に結合して行つて、最後に頭が出来、そこに力が集中する。団体の場合に起ることも総じて個体の場合と変りがない。互に結び付く個体の系列なる蜂は、総体として、また最終をなす或るものを作り出す、即ち女王蜂は全体の頭と見らるべきものである。どうしてかうなるかは不思議で、明言することが困難だ。然し私はそれについて私の思想をもつてゐると云つてもよい。このやうに民族は、半神の如く先頭に立つて守護と安寧となるやうな民族の英雄を作り出す。かくてフランスの詩的能力はヴォルテールに集中した。一民族のこのやうな頭はそれが活動してゐる世代にあつては偉大である。後々まで持続するものも多いが、大部分は他の頭と取り換へられ、次の時代からは忘れられる。」ゲーテの社会観が族長的社会主義ともいふべきものであつたことも、このやうな考へ方と符合するであらう。然るにこのやうな考へ方は一の Analogistik と見らるべく、そしてこのものは一般に有機体説の特徴のひとつをなしてゐる。或は寧ろ、アナロギスティクは有機体説の基礎の上において初めてその十分な意味と内面性とを有すると考へられるべきであらう。ところでゲーテにおいては、人間及び社会が自然と見られたやうに、自然もまた或る人間的なもの、文化的なもの、精神的なものと見られた。かの『自然の体系』に見られるが如きフランス唯物論の自然観に対してゲーテは夙に強い反発を感じた。自然は機械的なものでなく、生ける生命である。自然的形成過程も一種の人文的形成過程、即ち教育乃至教養と見られた。人間的自然の研究が彼においてつねにいはば教育学的観点によつて方向付けられてゐたのは当然である。然しまた人間の教養の過程も一の自然的形成過程として、従つて根本的にはかの分極性と高昇との関係において捉へられた。否、一般的に云つて、ビルドゥングといふ思想は、有機体説的世界観の基礎を俟つて初めて、その固有な且つ十分な意味において成立するものである。「ひとが周囲の対象を認めるや否や、彼はそれを自己自身に関係させて見るのである。そしてそれは当然だ。」とゲーテは云ひ、「自然の核心は人の心の中にあるのではないか。」とも、「感情は一切である。」とも彼は書いた。彼の直観、芸術家的制作的な想像力のうちに自然と人文とは統一され、連続的として現はれる。けれども我々は彼を単なる主観主義者と見做してはならない。ゲーテ自身が自然であり、自然そのものの如く活動した。彼は芸術をも自然のやうに観察した。彼は自然によつて自己の眼を養ひ、それをもつて一切を見ようとした。「私が自然科学の研究をしなかつたら、私はありのままの人間に通じなかつたであらう。」と彼は云つた。「自然は全然洒落を解しない、それはつねに真実で、つねに真面目で、つねに厳格である。」従つて自然は我々の物の見方にとつての試金石でなければならぬ。けれどもそれだからと云つて、ゲーテは単なる客観主義者であつたのでもない。寧ろ彼が嘗てヘーゲルに就いて語つたといふ次の言葉が、彼自身の立場を甚だ適切に言ひ表はしてゐる。「客観と主観とが相触れるところに生命がある。ヘーゲルが彼の同一哲学をもつて客観と主観との間の中間に身をおきそしてこの位置を動かぬならば、我々は彼を称讃しようと思ふ。」ひとはこのやうな立場を中間の立場 mittlerer Standpunkt とも呼んでゐる。ゲーテにとつて中間の立場は彼の直観の立場において可能にされ、保証されてゐた。一七九八年六月三十日付のシラーへの書簡の中で、ゲーテは、上から下へ降る自然哲学と、下から上へ昇る自然研究家とについて述べ、そして「私は少くともその中間に立つ直観のうちにおいてのみ私の安心を見出す。」と書いてゐる。彼は自然哲学者及び自然研究家に対して自己を自然観照者として性格付けた。
かかる意味での自然観照者としてのゲーテの眼に映じた自然は、有機的発展をなすものであつて、弁証法的なものでなかつた。弁証法は彼には寧ろ思弁的なもの、また詭弁的なものと感ぜられたであらう。エッケルマンの録するところによれば、ヘーゲルがゲーテに向つて、「弁証法は根本において整理され方法的に訓練された矛盾の精神にほかならず、この精神はいづれの人間にも内在してをり、その能力は真偽の区別にあたり偉大さを現はすものである。」と云つたとき、ゲーテは、「さういふ精神的技倆と才幹とがしばしば濫用され、偽を真とし、真を偽とするために用ゐられねばよいが。」と疑ひ、――そしてヘーゲルが、「さういふこともあるが、それはただ精神的に病的な人々がやるだけだ。」と答へたとき、ゲーテはなほ次のやうに語つてゐる。「私は自然を研究したため、さういふ病気が起らなくて幸福だ。といふのは、自然の研究では無限に且つ永久に真なるものを取扱ひ、このものはその対象の観察及び取扱にあたり全く純粋に且つ正直にやらない人を無能力者として排斥する。そして私は多くの弁証法的病人は自然の研究において有効な治療を見出し得るであらうと信じてゐる。」ゲーテの有機的世界観にとつてはどこまでも自然がその地盤であつた。これに反し弁証家ヘーゲルにとつては歴史がそのエレメントであつたのである。弁証法の欠くべからざる要素をなす飛躍乃至非連続の思想の如きは、ゲーテには堪へ難きものであつたに相違ない。彼はヘーゲルの哲学を有機体説的に解釈し得た限り――それは実際このやうに解釈され得る方面を多分に含んでゐる――それを尊重した。
かくして我々はゲーテにおける歴史の概念を探り、それを Typologie, Morphologie, Monadologie, Organologie, Mythologie 等の概念によつて性格付けて来た。これらの概念は彼において相互に繋り合ひ、貫き合つてゐる。それらの地盤をなすものはまさに自然であり、それらはまた人間の観想的態度と内面的に結び付いてゐた。かかる自然概念の哲学的特質は、私の歴史哲学の中で明かにしておいたやうに、それにおいては「存在」と「事実」とが単に内在的連続的に見られて、同時にまた超越的非連続的に捉へられないといふことである。換言すれば、そこでは存在と事実との関係が弁証法的に把握されてゐない。歴史的意識が彼に存した限り一面的であつたのもこのためである。却てゲーテの自然はこの場合スピノザ的自然と落ち合ふであらう。自然は「自己自身を享受せんがために、自己を分化展開した。」神の無限なる本質はただ生成の不断の流れにおいてのみ自己自身を享受し、自然はそれにおいて我々がかかる展開を我々人間の認識にとつて達せられ得る文字において、即ちシェムボル的に、読み取ることのできる開かれた書物である。「そしてあらゆる犇めき、あらゆる闘ひは主なる神における永遠の安らひである。」
五
尤も我々の信ずるところによれば、現実的な歴史の概念は或る自然の要素を欠くことができない。しかもそれは単に外的な自然といふ意味においてのみではないのである。現実的な歴史は、我々の用語に従へば、自然の「存在」と交渉するばかりでなく、「事実」としての自然的なものを含んでゐる。我々はこのやうな「事実」としての自然的なものを一般に運命の概念をもつて言ひ表はした。そこで問題は、かかる意味における自然的なもの、運命的なものの概念がゲーテのうちに見出され得ないかどうかといふことである。我々はこの問題に肯定的に答へて、かの das D

『詩と真実』の第二十章に記すところによれば、デモーニッシュなものはただ矛盾においてのみ運動し、顕現され、従つて何等の概念、如何なる言葉のもとにも捉へられ得ぬものである。曰く、「それは神的でなかつた、なぜならそれは非理性的に見えたから。それは人間的でなかつた。なぜならそれは悟性をもたなかつたから。それは悪魔的でなかつた、なぜならそれは慈悲的であつたから。それは天使の如きものでなかつた、なぜならそれは往々他の不幸を愉快がるのが見えたから。それは偶然に似てゐた、なぜならそれは何等の帰結も示さなかつたから。それは摂理に似通つてゐた。なぜならそれは連関を示唆したから。我々を制限すると見えた凡てのものもそれにとつては貫き通し得るものであつた。それは我々の存在の必然的な諸要素を気儘に処理するやうに見えた。それは時間を収縮し、時間を延長した。ただ不可能なもののうちにあつてのみそれは得意であり、可能なものを軽蔑して斥けるやうに見えた。」かかるデモーニッシュなものは「主として人間と最も不思議な関係をもち、そして道徳的世界秩序と相対立せぬまでも、それと相交叉する力を形作つてをり、かくて一を経とし、他を緯と見做すこともできやう。」即ちゲーテによれば、デモーニッシュなものはイデー的なものではなく、寧ろ自然的なものであり、偶然的なものでありながらなほ且つ必然的なものである。また彼はそれを或る全体的なものと考へ、建築の効果の説明に際して、「全体の効果はつねに我々がそれに服するデモーニッシュなものである。」とも云つてゐる。更に彼はデモーニッシュなものはあらゆるライデンシャフトに伴ふのがつねであると述べた。それはもちろん或る否定的なものの意味を離れないけれども、決して単に破壊的に否定的なのでなく、却て「全く積極的な活動力のうちに現はれる」ものである。従つてメフィストフェレスはデモーニッシュではない。ところでこれらの規定はそれをもつて我々が本来の運命的なものを最もよく規定し得るものではなからうか。ゲーテによれば、デモーニッシュなものは先づ個人に結び付いて現はれる。然し凡ての個性的なもの、特性的なものがデモーニッシュなのではなく、寧ろそれは歴史的に重要なものにおいて出会はれるのがつねである。それは「好んで重要な個人に、殊に彼等が高い地位を有する場合、結び付く。」「人間がより高く立つてをればをるほど、それだけ益々多く彼はデモンの影響のもとに立つてゐる。」ゲーテは個々の人間について、例へばフリードリヒ大王、ペテロ大帝、ナポレオン、カール・アウグスト、バイロン、ミラボオなどをデモーニッシュと呼んだ。デモーニッシュなものはこのやうに特にいはゆる世界史的個人において顕現する。然しそれは単に個々の人間においてのみでなく、出来事においても経験される。ゲーテは彼とシラーとの際会をかかるものと考へた。「かやうにして私のシラーとの知り合ひには全く或るデモーニッシュなものが支配してゐた。我々はもつと早くも、もつと晩くも際会することができた。然るにそれが丁度、私がイタリア旅行を終へそしてシラーが哲学的思弁に倦き始めた時代であつたといふことは、重要なことであり、二人にとつて最も大きな効果のあることであつた。」そればかりでなく、デモーニッシュなものは更に社会的なものとしても経験されるのである。即ちゲーテはかの自由戦争について、「一般的な窮迫と一般的な侮辱の感情とが或るデモーニッシュなものとして国民を捉へた。」と云つてゐる。我々のいふ「事実」としての自然的なものは単に個人的なものでなく、また社会的なものである。そして我々はそれが個人的としては「ライデンシャフト」に、社会的としては「パトス」に伴ふといふ風に区別することもできやう。
このやうにしてデモーニッシュなものは特に歴史と関係をもつてゐる。それは自然的なものであると云つても、それなくしては歴史の概念も現実的に構成され得ないやうな歴史における自然的なもの、即ち運命的なものを意味した。またそれは自然的なものであると云つても、外的世界に属せずして、却て内的自然として捉へられた。外的世界も我々にとつて或る意味では運命的なものであり、ゲーテもそのやうに考へた。然しそれはダイモーンと云はれずして、彼によつてテュケーと呼ばれた。このものは本来的な運命ではなく、寧ろ非本来的な運命であり、本来的な運命はデモーニッシュなものである。デモーニッシュなものも或る意味では偶然的なものであるけれども、然しそれはテュケー即ち外的な偶然でない。外的世界は固より我々にとつて単なる偶然ではなく、却て必然的なもの、強制的なものを含んでゐる。かくの如き外的な必然もしくは強制をゲーテはアナンケーといふ語をもつて現はした。デモーニッシュなものも或る意味では必然的なものであるけれども、それはアナンケー即ち外的必然ではない。アナンケーも固より運命のひとつの形態であるが、然しそれは非本来的な運命の形態であつて、本来的な運命即ちデモーニッシュなものの形態ではないのである。
かくて我々はデモーニッシュなものの概念を現実的な歴史の概念の欠くべからざる要素として獲得し得るとしても、それはまさにかかるものとして上に述べたが如きゲーテの根本思想とは明かに一致し得ないものを含むであらう。従つてそれはゲーテにとつて当然哲学的に深められ、彼の根本思想と調和され、統一さるべきものでなければならなかつた。そして我々は彼の詩[#ここから横組み]”Urworte――Orphish“[#ここで横組み終わり]をもつてかやうな統一を最もよく表現せるものとして理解することができやう。ゲーテはもと



Und keine Zeit und keine Macht zerst
ckelt,
Gepr
gte Form, die lebeld sich entwickelt.
といふ甚だしばしば引用される有名な句は、実に、このやうなデモンの解釈として、このデモンのスュタンツェの中に立つてゐるのである。それはエンテレヒー的モナドの内面的発展の内面的必然性を意味する。デモンはこのときもはやかのデモーニッシュなものの担つてゐた或る偶然性の性格を何等含まない。偶然的なものの意味をもつのはデモンではなく、寧ろ内的なデモンに対立する外的世界である。「この世界の組織は必然と偶然とから成つてゐる。」そこにはテュケーとアナンケーとがある。然るにかかる外的世界乃至外的運命と内的世界乃至内的運命との対立はゲーテにとつて弁証法的矛盾を意味するのではない。却て両者の関係を支配するのは第三の根源語、エロス(愛)であつた。然しながら道は困難である。世界の運命が偶然である限り愛の力は自由であらう。それが必然として自己の力を現はすとき、愛もまた必然に縛られねばならない。このとき愛もまた一の運命である。かくの如き全運命から解放されるためにエロスにはエルピス(希望)が結び付かねばならない。希望によつて存在は完成に到達し得る、とゲーテは考へた。
Gepr

Eng ist das Leben fuhrwahr,
aber die Hoffnung ist weit.
aber die Hoffnung ist weit.
(『ゲーテ研究』岩波書店 昭和七年)