文芸上の作品を鑑賞する為には文芸的素質がなければなりません。文芸的素質のない人は如何なる傑作に親んでも、如何なる良師に従つても、やはり常に鑑賞上の盲人にをはる外はないのであります。文芸と美術との相違はありますが、書画骨董を愛する富豪などにかう云ふ例の多いことは誰でも知つてゐる事実でありませう。しかし文芸的素質の有無と云ふことも程度によりけりでありますから、テエブルや椅子の有無のやうに判然ときめる訳には行かないのであります。たとへばわたし自身などはゲエテとかシエクスピイアと云ふ文豪なるものに比べれば、文芸的素質はないと言つてもよろしい。或はもつと下らぬ作家に比べても、ないに等しいかも知れません。けれども野田大塊のだたいくわい先生あたりに比べれば、文芸的素質――少くとも俳諧的素質は大いにある。これはあなたがたでも同じことであります。すると文芸に興味のある人はまづ文芸的素質もあるものと己惚うぬぼれてかかつても差支へありません。少くとも己惚れてかかつた方が幸福であることは確かであります。
 では文芸的素質さへあれば、文芸上の作品を鑑賞することも容易に出来るものかと言ふと、これはさうは行きません。やはり創作と同じやうに、鑑賞の上にもそれ相当の訓練を受けることが必要であります。もつともダンヌンツィオは十五の時に詩集を出したとか、池大雅は五つの時に書を善くしたとか言ふやうに、古来の英霊漢は創作の上にさへ、天成の才能を発揮してゐます。が、これは天才と称する怪物のことでありますから、我々凡人は気にかけずともよろしい。のみならず彼等の早熟は訓練を受けなかつたと言ふよりも、驚く可く短い時間の中に驚く可く深い訓練を受けたと言ふ方が妥当であります。すると我々凡人はいやが上にも訓練を受ける覚悟をしなければなりません。いや、我々凡人ばかりではない、如何なる天才も天才以上になる大望を持つてゐれば、当然訓練を受けた上にも更に又訓練を重ねる筈であります。又実際天才の伝記――たとへば森鴎外先生の「ギヨオテ伝」(言ふまでもないことと思ひますが、森先生は所謂ゲエテを常にギヨオテと書かれたのであります。)を読んで御覧なさい。天才とはほとんど如何なる時にも訓練を受ける機会を逃さぬ才能と言ふことも出来るほどであります。
 では又かう云ふ訓練を受けた結果、鑑賞の程度が深くなる、或は鑑賞の範囲が広くなることはどう云ふ役に立つかと言ふと、勿論深くなり広くなること自身が人生を豊富にすることは事実であります。人生は生命を銭の代りに払ふ珈琲店コオヒイてんと同じでありますから、いろいろのものが味はへれば、それに越した幸福はありません。が、鑑賞の程度が深くなつたり、鑑賞の範囲が広くなつたりすることは更に又創作上にも少からぬ利益を与へる筈であります。元来芸術と云ふものは――いや、これは議論よりも実例を挙げた方が早いかも知れません。実例と言ふのはロダンの話であります。ロダンはフロレンスへ行つた時にミケルアンヂェロの彫刻を見ました。それも只の彫刻ではない、在来未完成と称へられてゐる晩年の彫刻を見たのであります。尤も未完成の作品と称へられてゐるのは何もミケルアンヂェロ自身の証明のある次第ではありません。只大理石の塊の中に模糊たる人間の姿が浮かんでゐる、まあざつと形容すれば、天地開闢てんちかいびやくの昔以来、大理石の塊の中に眠つてゐた、何とも得体の知れぬ人間がやつと目をさましたと言ふ代物であります。ロダンはかう言ふ彫刻を見た時に、未完成の――と言ふよりもむしろ茫漠とした無限の美に打たれました。それからあの大理石の塊へ半ば人間を彫刻した作品、――たとへば「詩人とミユウズ」などを作り出すやうになつたのであります。するとロダンの成長の一歩はミケルアンヂェロの所謂未完成の作品に接したことに懸つてゐる、けれどもかう言ふ作品を見たものは勿論ロダン一人ではない。古往今来無数の男女はかう言ふ作品を陳列したフロレンスの博物館へ出入りしてゐる、が、誰もロダンのやうに大いなる美を認めなかつた。して見ればロダンの成長の一歩はこの美を鑑賞したことに懸つてゐる、――と言ふことに帰着しなければなりません。これは如何なる芸術家の上にも当然当嵌る真理であります。成程なるほど鑑賞出来る美は必しも創作出来ないでありませう。けれどもまた鑑賞出来ない美は到底創作も出来ません。この故に古来の英霊漢は鑑賞上の訓練を受けた上にも更に又訓練を重ねようとしました。それも文芸上の作品の鑑賞ばかりではない、しばしば美術とか音楽とかにも鑑賞上の訓練を加へた上、その機敏に捉へ得た所を文芸上の創作に活用しました。殊にゲエテの一生はかう言ふ芸術的多慾それ自身であります。尤も鑑賞の程度が深くなる、或は鑑賞の範囲が広くなる結果、創作上の利益も多いなどと言ふことは多言を用ひずとも好いのかも知れません。が、創作に志のある、――少くとも志のあると称する青年諸君の勉強ぶりを見ると、原稿用紙と親密にする割にどうも本とは親密にしません。それではミケルアンヂェロの所謂未完成の作品を見逃してしまふ所ではない、第一フロレンスの博物館の前を素通りしてしまふのも同前であります。わたしは日頃からかう云ふ傾向をすこぶる遺憾に思つてゐますから、冗漫の嫌ひはありますが、次手ついでを以て創作するのにも鑑賞上の訓練の重大である所以ゆゑんを弁じました。
 さて鑑賞上の訓練の必要であることは、――わたくしに都合の好いやうに解釈すれば、この鑑賞講座なるものの必要であることは上に述べましたが、今この鑑賞上の訓練を助ける為に多少の言葉を費すとすると、それはざつと下に挙げる三点になるかと思ひます。即ちその三点と言ふのは(一)どう言ふ風に鑑賞すれば好いか? (二)どう言ふものを鑑賞すれば好いか? (三)どう言ふ鑑賞上の議論を参考すれば好いか?――と言ふことになるのであります。或は鑑賞上の訓練を助ける言葉は必しも上の三点に尽きてゐないかも知れません。けれどもまづ上の三点は比較的重大の問題を尽してゐると言つても好いかと思ひます。そこでいよいよどう云ふ風に鑑賞すれば好いか? と言ふ最初の問題にはいりますが、その前にちよつと注意して置きたいのは鑑賞の始まる境であります。盲人は絵画の鑑賞にあづからなければ、聾者も音楽の鑑賞には与りません。同様に又文芸の鑑賞もまづ文字を読んでその意味を理解する所から始まるのであります。万一文芸の鑑賞に志しながら、文字の読めない人があるとすれば、早速文字を稽古おしなさい。――と言ふと常談のやうに聞えますが、この常談のやうに聞えることさへ、誰でも心得てゐると言ふ訳には行かないのであります。その証拠には歌人などに万葉時代の言葉を使つて歌を作る人がゐると、耳遠い古語を使ふのは怪しからぬと言ふ非難を生じます。が、古語に通じないのは歌人の知つたことではありません。歌人は古語でも新語でも好い、只歌人自身の生命を托し得る言葉を使ふのであります。或はその言葉を使ふより外に、表現したいと思ふ情緒の表現出来ぬ言葉を使ふのであります。もし古語に耳遠い人があれば、その人は歌人を非難する為に、略解りやくげを読むなり古義を読むなり、御自身まづ古語の稽古を積んでかからなければなりません。それを歌人ばかり責めるのは不合理以上に滑稽であります。かう言ふ滑稽も許されるとすれば、勿論英語の読めない人は「なぜ英語のハムレツトを書いた?」とシエクスピイアを責めるのに違ひありません。が、シエクスピイアの英語は誰も責めない、只歌人の古語ばかりを責める、――これは明らかに文芸の鑑賞はまづ文字を読んでその意味を理解する所から始まると言ふ原則を無視してゐる実例であります。して見れば如何に当り前のやうに聞えても、やはり本題へはいる前に十分この原則だけは心得てかからなければなりません。
 なほ次手に断つて置きますが、この「文字を読んでその意味を理解する」と言ふ意味は官報を読んで理解するのと同じやうに理解するのではありません。わたくしはこの議論の冒頭に文芸的素質のない人は如何に傑作に親んでも、如何に良師に従つても、鑑賞上の盲人に了る外はないと言ひました。その「鑑賞上の盲人」とは赤人人麻呂の長歌を読むこと、銀行や会社の定款ていくわんを読むのと選ぶ所のない人のことであります。わたしの「理解する」と言ふ意味は単に桜を一種の花木と理解することを言ふのではない。一種の花木と理解すると同時におのづから或感じを生ずる、――哲学じみた言葉を使へば、認識的に理解すると共に情緒的にも理解することを言ふのであります。
 尤もその感じは好感でも好ければ、悪感でも差支へはありません。かく或情緒だけは伴つて来なければならぬのであります。もし文芸の鑑賞に志しながら、一種の花木と言ふより外に桜を理解出来ない人があるとすれば、その人は甚だお気の毒ですが、まづ文芸の鑑賞には縁のないものとおあきらめなさい。これは文字の読めないのよりも、稽古する余地のないだけに一層致命的な弱点であります。その証拠には御覧なさい。より文字の読める文科大学教授は往々――と言ふよりも寧ろしばしば、より文字の読めない大学生よりも鑑賞上には明めくらであります。
 文芸上の作品をどう言ふ風に鑑賞すれば好いかと言ふことは勿論大問題でありますが、まづわたしの主張したいのは素直に作品に面することであります。これはかう言ふ作品とか、あれはああ言ふ作品とか言ふ心構へをしないことであります。いはんや片々たる批評家の言葉などを顧慮してかかつてはいけません。片々たらざる批評家の言葉も顧慮せずにすめばしない方がよろしい。兎に角作品の与へるものをまともに受け入れることが必要であります。尤も「ではその作品は読まないにもせよ、既に二三の作品を読んだ作家の作品はどうするか?」と言ふ質問も出るかも知れません。それもやはり同じことであります。同一の作家にした所が、前のと全然異つた作品を書かないものとは限りません。現にストリントベリイなどは自然主義時代とその以後とに可成かなりかけ離れた作品を書いてゐます。たとへば「伯爵令嬢ユリエ」と「ダマスクスへ」とを比べて御覧なさい。残酷な前者の現実主義は夢幻的な後者の象徴主義と著しい相違を示してゐます。それをどちらかの作品から推した心構へを以て臨めば、どうしても失望――しないにもせよ、兎に角多少は鑑賞上に狂ひを生じ易いのであります。しかし勿論絶対に何等の心構へもしないと言ふことは人間業には及びません。必ずどの作品にも或は作家の人となりから、或は作家の流派から、或は又装幀だの挿画だのから、幾分かの暗示を受けてゐます。が、わたしの主張するのはそれをも排斥しろと言ふのではない、只それを出来るだけ少くしたいと言ふのであります。これは文芸の話ではない、画の話でありますが、あの、サロメの挿画を描いたビイアズレエと言ふ青年が或時或人々に何枚かの作品を示しました。するとその人々の中にゐたのはこれも名高い「カアライルの肖像」などを描いたホイツスラアであります。ホイツスラアはビイアズレエの作品に余り好意を持たずにゐましたから、その時も始は冷然として取り合ふ気色を見せずにゐました。が、一枚一枚見て行くうちに、だんだん感心し出したと見え、とうとう「美しい。非常に美しい」と言ひ出しました。それを聞いたビイアズレエは余程この先輩の賞賛が嬉しかつたと見え、思はず両手を顔に当てゝ泣き出してしまつたさうであります。ビイアズレエの作品は幸ひにもホイツスラアの持つてゐた心構へを打ち砕きました。けれども万一ホイツスラアが頑固に心構へを捨てなかつたとすれば――それは独りビイアズレエの為に不幸であるばかりではありません、ホイツスラアの為にも不幸であります。私はこの逸話を読んだ時に、さぞその時のビイアズレエは嬉しかつたらうと思ひました。同時に又その時のホイツスラアもやはり嬉しかつたらうと思ひました。わたしの心構へをするなと言ふのも他意のある訳ではありません。片々たる批評家の言葉の為にも、何かと心構へを生じ易い結果、存外一かどの作品も看過されることが多いからであります。
 しかし素直に面して見ても、世界的に名高い作品さへ何の感銘も与へないことは必しもないとは限りません。かう言ふ時はどうするかと言へば、何も無理には感心したがらずに、そのまゝ少時は読まずにお置きなさい。実際如何なる傑作でも読者の年齢とか、境遇とか、或は又教養とか、種々の制限を受けることは当り前の話でありますから、誰にも容易に理解出来ないのは少しも不思議ではありません。それは自慢は出来ないにもせよ、少くとも自己を欺いて感心した風を装ふよりも恥かしいことではない筈であります。けれども前に読んだ時に理解出来なかつた作品も成る可くは読み返して御覧なさい。その内には目のさめたやうに豁然くわつぜんと悟入も出来るものであります。古来禅宗の坊さんは「※(「口+卒」、第3水準1-15-7)そつたくの機」とか言ふことを言ひます。これは大悟を雛にたとへ、一羽の雛の生まれる為には卵の中の雛のくちばしと卵の外の親鳥の啄と同時に殻を破らなければならぬと言ふことを教へたものであります。文芸上の作品を理解するのもやはりこれと変りはありません。読者自身の心境さへ進めば、鑑賞上の難関も破竹のやうに抜けるものであります。ではその心境を養ふにはどう言ふ道を採るかと言へば、半ばは後に出て来る問題、――即ちどうものを鑑賞すれば好いか? 並びにどう言ふ鑑賞上の議論を参考すれば好いか? と言ふ問題にはひりますが、半ばは又人間的修業であります。或はもつと通俗的に言へば、一かどの人間になることであります。文学青年ではいけません。当世才子ではいけません。自称天才ではなほいけません。一通りは人情の機微を知つたほんたうの大人おとなになることであります。と言ふと「それは大事業だ」とひやかす読者もあるかも知れません。が、鑑賞は御意の通り、正に一生の大事業であります。
 素直に作品に面すると言ふのはその作品を前にした心全体の保ちかたであります。が、心の動かしかたから言へば、今度は出来るだけ丹念に目を配つて行かなければなりません。もし小説だつたとすれば、筋の発展のしかたはとか人物の描写のしかたとかは勿論、一行の文字の使ひかたにも注意して行かなければなりません。これは創作に志す青年諸君には殊に必要かと思ひます。古来の名作と言はれる作品を細心に読んで御覧なさい。一篇の感銘をかもし出す源は到る所に潜んでゐます。名高いトルストイの「戦争と平和」は古今に絶した長編であります。しかしあの恐しい感銘は見事な細部の描写を待たずに生じて来るものではありません。たとへばラストオヴア伯爵家の独逸ドイツ人の家庭教師を御覧なさい。(第一巻第十八章)この独逸人の家庭教師は主要な人物でない所か、寧ろ顔を出さずとも差支へないほどの端役であります。しかしトルストイは伯爵家の晩餐会を描いた数行の中に彼の性格を躍動させてゐます。
 「独逸人の家庭教師は食物だのデザアトだの(食事の後に出る菓子や果物)酒だのの種類を残らず覚えようと努力した。それは後にこまごまと故郷の家族に書いてやる為だつた。だから家来がナプキンに包んだ酒のびんを携へたまま、時々素通りをしたりすると、大いに憤慨して顔をしかめた。が、なる可くそんな酒などは入るものかと言ふ風を見せるようにした。彼の酒を欲しがるのは格別渇いてゐる為でもなければ、根性のさもしい為でもない。只すこぶる品の良い好奇心を持つてゐる為である。しかしそれは不幸にも誰一人認めてくれるものはない。――彼はかう思ふと口惜しかつた。」
 翻訳は甚だ拙劣でありますが、大意は伝へられることと思ひます。前にもちよつと述べた通り、かう言ふ細部の美しさなしには「戦争と平和」十七巻の感銘、――あの手固い壮大の感銘を生み出すことは出来ません。――と言ふのは創作の上でありますが、これを鑑賞の上へ移すと、かう言ふ細部の美しさをも鑑賞することが出来なければ、あの手堅い壮大の感銘は到底はつきりとは捉へられません。只何か漠然とした感銘を受けるのに了るだけであります。この丹念に目を配ることは一篇の大局を忘れない以上、微細にわたれば亘るほどよろしい。露西亜ロシアに生まれなかつた我々は到底トルストイの文章の末までも目を通すことは出来ません。それはやむを得ない運命でありますが、いやしくも外国人にも窺はれる所はことごとく看破するだけの気組みを持たなければなりません。支那人は古来「一字の師」と言ふことを言ひます。詩は一字の妥当を欠いても、神韻を伝へることは出来ませんから、その一字を安からしめる人を「一字の師」と称するのであります。たとへば唐の任翻じんはんと言ふ詩人が天台山の巾子峰きんしほうに遊んだ時、寺の壁に一詩を題しました。その詩は便宜上仮名まじりにすると、「絶頂の新秋、夜涼を生ず。鶴は松露を翻して衣裳に滴る。前峰の月は照す、一江の水。僧は翠微すゐびに在つて竹房を開く。」と言ふのであります。が、天台山を去つて数十里――と言つても六町一里位でありませうが、兎に角数十里来るうちに、ふと任翻は「一江の水」よりも「半江の水」と言つた方が適切だつたことに気づきました。そこでもう一度御苦労にも巾子峰へ引き返して見ると、誰かもう壁に書いた「一江の水」を「半江の水」と書き改めてしまつた後でありました。先手を打たれた任翻はこの改作を眺めながら、しみじみ「台州(天台山のある土地の名)人有り」と長嘆したと言ふことであります。既に一篇の詩の生死は一字に関してゐるとすれば、「一字の師」は同時に又「一篇の師」にならなければなりません。これを鑑賞の上へ移すと、一字を知るものは一篇を知るもの、――或は一篇を知る為には一字を知らなければならぬと言ひ換へられる筈であります。今如何に一行の文章も等閑視し難いかを示す為に夏目先生を例に引いて見ませう。
 「木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹あしあとの中に雨が一杯たまつてゐた。」(「永日小品」の「蛇」)
 「風が高い建物に当たつて、思ふ如く真直に抜けられないので、急に稲妻に折れて、頭の上からはす鋪石しきいし迄吹き卸ろして来る。自分は歩きながら、被つてゐた山高帽を右の手で抑へた。」(「永日小品」の「暖かい夢」)
 これはいづれも数語の中に一事件の起る背景を描いた辣腕らつわんを示してゐるものであります。前者の馬の足跡に雨中の田舎道を浮かび出させてゐますし、後者は又稲妻形の風に大都市の往来を浮かび出させてゐます。かう言ふ例に富んでゐるのは勿論夏目先生に限りません。古来名作と称へられるものはいづれもこの妙所を具へてゐます。この妙所を捉へぬ限り、鑑賞上の十全を期することは――殊に創作上の利益を得ることは不可能と言つても好い位であります。
 尤も前にも述べた通り、細部に心を配ると言つても、それは只全篇の大意を見のがさない上の話であります。し細部に注意するのを「心の動かしかた」と称へるならば、この全篇の大意を捉へるのは「心の抑へかた」と言つても好いかと思ひます。或は又前者は「どう書いたか?」の問題、後者は「何を書いたか?」の問題と区別出来ないこともありません。次にはこの「何を書いたか?」の問題へ話を進めませう。
 前回に「何を書いたか?」の問題へ話を進めると言ひましたが、「文芸講座」もそろ/\完結に近づいた為にこの問題を論ずることは他日に譲る外はありません。尤もこれは前回にも既にちよつと話してゐますし、(第五号の「鑑賞講座」の二頁より三頁に亘る一節)又わたしの「文芸一般論」の「内容」のくだりにも通ずることでありますから、必しも論ずるのを待ちますまい。唯手軽に実際上の用意だけに言及すれば、「何を書いたか?」を捉へる為には種々の教養も必要でありますが、何よりも心得なければならぬことはその作品の中の事件なり或は又人物なりを読者自身の身の上に移して見ること、――即ち体験に徴して見ることであります。これは小説や戯曲の鑑賞は勿論、抒情詩などの鑑賞にも多少の役に立つでせう。アナトオル・フランスの言葉の中に「わたしはわたし自身のことを書いてゐる。読者はそれを読む際に読者自身のことを考へられたい」とか言つてゐるのがありました。これは確かに好忠告であります。たとへばイブセンは「人形の家」の中に何を書いたかを知らうと思へば、あなたがたの夫婦生活を、――或はあなたがたの両親の夫婦生活を考へて御覧なさい。あなたがたは容易にノラの悲劇を捉へることが出来るのに違ひありません。或は現在あなたがたの向う三軒両隣にノラの悲劇の起つてゐることも発見出来る筈であります。我々は文芸上の作品を鑑賞する為にも畢竟ひつきやう我々自身の上に立ち戻つて来なければなりません。実際又我々の鑑賞力なるものもその身もとを洗つて見れば、文芸的素質を予想した上の我々の大小に比例するのであります。文学青年ではいけません。当世才子ではいけません。自称天才では、――わたしは又いつの間にか前回の言葉を繰返してゐました。
 では何を鑑賞すれば好いか? わたしは古来の傑作を鑑賞するのに限ると思ひます。これは骨董屋の話でありますが、真贋しんがんの見わけに熟する為には「ほんもの」ばかりを見なければならぬ、たとひ参考の為などと言つても、「にせもの」に目をなじませると、かへつて誤り易いと言ふことであります。文芸上の作品を鑑賞するのもやはりこの理窟に変りはありません。傑作ばかりに接してゐれば、勢ひ他の作品の長短にも無神経になることを免れません。これは日常の経験に徴しても、すぐにわかることでありませう。糞尿の悪臭を不快としないものに薔薇の芳香のわからぬのは当然すぎるほど当然であります。すると新聞や雑誌に載る文芸上の作品しか読まないのなどは最も鑑賞力を養ふのに損であると言はなければなりません。なほ又かう言ふ用心は鑑賞力を養ふ外にも、創作的気魄を高める上に役立ちはしないかと思ひます。元の四大家の一人と呼ばれる※(「王+贊」、第3水準1-88-37)げいさんなどと言ふ先生は竹や梧桐の茂つた中に※(「門<必」、第3水準1-93-47)せいひかくと言ふ閣を造り、常に古人の名詩画に親んでゐたと言ふことであります。勿論閣を造るのは誰でも銀行の通ひ帳と相談の上でありますが、兎に角古来の傑作にだけは是非とも親しまなければいけません。
 しかし古来の傑作と言つても、一概に古代の傑作ばかり読めと言ふ次第ではありません。一番利益の多いと共に一番又取つき易いのは新らしい文芸の古典でせう。西洋の小説を例にすれば、――西洋の小説と言つてもいろ/\ありますが、まづ近代の日本に最も大きい影響を与へたロシアの小説を例にすれば、兎に角トルストイ、ドストエフスキイ、トゥルゲネフ、チェホフなどをお読みなさい。無暗むやみに新らしいものに手をつけるのはジヤアナリストと三越呉服店とに任かせて置けば沢山であります。それよりも偉大なる前人の苦心の痕をお味ひなさい。時代遅れになることなどは心配する必要はありません。片々たる新作品こそ却つてたちまち時代遅れになります。又画の話を持つて来ますが、つい近頃まで生きてゐた印象派の大家のルノアルは「我々は何も新らしいことをしようとしたのではない。唯古大家の跡を踏んだだけだ。それを新らしいことのやうに言ひはやしたのは世間だけに過ぎぬ」と言ひました。単に鑑賞に止まらず、創作に志す青年諸君は一層この心がけを持つて貰ひたいと思ひます。若し諸君の万葉集を読み、或は芭蕉を読むのを見て、時代遅れと笑ふものがあれば、芥川龍之介はかう言つたと、――位のことには何びとも驚かないかも知れません、それならばルノアルはかう言つたと一撃を加へておやりなさい。その為にも甚だ便利だと思ひ、ルノアルを立ち合はせた次第であります。
 ではどう言ふ鑑賞上の議論を参照すれば好いか? これもわたしの所信によれば、批評家よりも寧ろ作家の書いた文芸上の議論が有益であります。と言つても決してわたし自身の「鑑賞講座」の広告などをしてゐる次第ではありません。唯作家の書いたものは何処か作家でなければわからぬ微妙の言が多いからであります。或は又作家の苦心談でもよろしい。かう言ふ議論も昔のものは取りつき悪いと言ふのならば、やはり新らしい文芸の古典的作家の議論でも啓発を受けることは多いでせう。若しれ歌の上ならば、正岡子規の「歌人に与ふる書」や斎藤茂吉氏の「童馬漫語」や島木赤彦氏の「歌道小見」を御覧なさい。これ等は歌の上ばかりに限らず、一般文芸の鑑賞の上にも恐らくは無益ではないでありませう。それから又文芸以外の芸術に関する、一かどの作家の筆に成つた芸術上の議論或は苦心談も存外莫迦にはなりません。これも古いものに辟易へきえきするならば、ロダン、セザンヌ、ルノアルなどの語録や何かを御覧なさい。今下に揚げるのは清朝の画家沈芥舟しんかいしうの筆に成つた「芥舟学画篇」の数節であります。この本は在来南画家などの間に広く読まれたものでありますが、それでもなほ当世に通用しない訳ではありません。いや、寧ろ当世にも痛切な言が多いやうであります。
 「華の用を巧と為す。巧にして繊なるときはすなわち日に大方に遠し。巧にして奇なれば必ず正格を軽視す。大方を無みして正格を非とすれば、其の美麗を極むといへども、以て衆を驚かし俗を駭かすに足れども、実は即ち米老(※(「くさかんむり/市」、第3水準1-90-69)べいふつ)の所謂ただ之を酒肆しゆしに懸くべしといふものにして、豈是士大夫の性情を陶写する事ならんや。」
 「若しちよくにしてなく、はんにしてれいならずんば、又是病なり。故に質を存せんと欲する者は先づすべからく理径明透して識量宏遠なるべし。之に加ふるに学力を以てし、之に参するに見聞を以てせば、自然に意趣は古に近くして、波瀾老成ならん。」
 「若し夫れ通人才子の情を寄せ興を託する、雅趣余りあらざるに非ざるも、しかも必ず其の規矩きくに出入し、動きてすなはち合ふ能はざる、是を雅にして未だ正しからずと謂ふ。師門の授受の如きに至りては、膠固かうもとより已に深し。既に自ら是として人非とし、また見ることまれにして怪しむこと多ければ、之を非とせんと欲するも未だかつて縄尺じようしやくそむかず。之を是とせんと欲するも、未だ尋常に越ゆるを見ず。是を正にして雅ならずと謂ふ。夫れ雅にして未だ正ならざるは猶可なるも若し正にして未だ雅ならざるは、其の俗を去ること幾何いくばくぞや。」
 元来「鑑賞講座」などと言ふものはいくらでも話す事はあるものであります。しかし最初に挙げた三問題だけは兎に角話してしまひましたから、これでひとまづ打ち切ることにします。何だか愈打ち切るとなると、丁度碌に体も拭かずに湯を上つた時のやうな、物足りなさに似たものもありますが、それは「文芸講座」の都合上やむを得ないことと思はなければなりません。その辺はどうか大目に見て下さい。 (完)

底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店
   1996(平成8)年9月9日発行
初出:「文芸講座 第二号、第五号、第一二号」文藝春秋
   1924(大正13)年10月10日
   1924(大正13)年11月30日
   1925(大正14)年4月3日
入力:文子
校正:浅原庸子
2007年4月13日作成
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