これまで、誰でも図書館とは、寂かな、がらんとした庫のようなシーンとした、け押されるような感じのところとなっていたのである。そこには古い本があればあるほど、威張れたのである。また、その量が十万冊、百万冊と多ければ多いほど、また誇りとされたのである。そして、それは人を威圧するような円天井があって、学問の尊厳があたりを払うようなこころもちが、どうしても欠くことのできない条件となっていたのである。大英博物館の図書館、ローマのヴァチカンの図書館はその宮殿の威厳をもってあたりを払っているのである。すると、それに右にならってアメリカの国会図書館ですら、その旧館は、わざわざ円天井を造って、その下に申し合わせたように、カード箱を置いているのである。
 ちょうどこれは、図書館が、これまで東洋でお経堂にはじまるように、教会の教義を書いた図書館が、その始めのすがたを中世紀に見せたことによったに違いない。中世紀の図書館には、その本がなくならないために、本を鎖でつないであって、鎖の図書館チェーン・ライブラリーなるものがあったのである。
 しかるに、二十世紀に入って、町人が大いに威張り出してからは、世の中は威厳に対して、反感をもち、その臭いのするものは、「野暮」なものであり、それを脱したものが「意気」「粋」であると考えたのである。この時代が完成されて来ると、図書館なるものも、只威張っていることができなくなって来た。ベンジャミン・フランクリンが作ったところの、自分達の本をもちよって、それを読む図書館のようなものは、威張るどころか、喫茶室のようなこころもちのものを要求したにちがいない。
 町々にある喫茶室のような図書館は、二十世紀の前半が要求し、やがて全世界に拡っていった図書館の考え方なのである。この喫茶室の図書館はそれが大きくなるにつれて、百貨店のような図書館、工場のような図書館にと発展していったのである。本はそこではエレベーターや、圧搾空気の管を通って、一瞬間に読者のところに飛び出してゆくといった機械構造の中に、図書館が組立てられてゆくのである。フランスの国民図書館や、アメリカの国会図書館のように、機械工場のように内部がなっているのである。注文があって二分乃至七分で、国会図書館から数十間はなれている議員の眼前に、空気管を通って飛び出して来ることとなっているのである。それは、百貨店や、大新聞や大工場がやっていることである。
 これが一九五〇年の段階の図書館である。
 ところが、アメリカで起った一つの試みであるが、この大工場のような図書館が、只一つずつそびえ立って威張るのではなくして、民族を単位として、或いは、世界人類全体を単位として、凡ての図書館が大きな組織体となって、お互いの本のおぎないをし、カードを共通にし、その地方地方の特徴を生かし、また特殊性を生かしあって、組合って、大構造の図書館となることを試みはじめたのである。
 国立国会図書館は、アメリカのこの図書館の考え方の方針にそって、アメリカの国会図書館の構造をまねて、国家の情報を一手に集める資料をあつめる中心となることが試みられたのである。
 例えば、日本の全国の図書館の本の目録を、全部国立国会図書館にあつめることをしなければならないことを、法律は定めたのである。つまり国民はこの館に来れば、何処にどんな本があるか、いっぺんにわかるしくみをできあがらせようとしているのである。
 また現に、日本の出版物は全部この館に納入することを法律は定めており、それの目録は印刷して、全国の図書館に流すことになり、昨年末から実行しているのである。こうなると、国立国会図書館は日本民族全体の、一つの目録整理室になっているようなものであって、全国図書館が一つとなって動いている好い例となるのである。
 全国の重要新聞を映画のフィルムにうつして、国民にかわって残して置いて、人々が必要なときにそれを答えてやれることのできるためには、人の目に見えぬ苦労がいる。
 ここでは、只本を読むはじめの図書館の考え方からすれば、三転して、新しいものとなってきたのである。大きな民族全体を人造人間にしたような、巨人の記憶作用としての図書館がここにそびえ立つこととなってくるのである。
 昔、語部が、『万葉集』や『古事記』を記憶力をもって、語りつたえたように、今、目に見えない巨大な機械のような人間が、日本全体の図書館の網の目を通して、民族の前に立ちあがって行くことは、すばらしい一九五一年のうつつの夢ではないだろうか。全日本の図書館人は、六つのブロックのウォークショップを貫いて、この巨大な手をかため、足を鎧って、日本民族を封建の殻から引きはなつ、悲願の巨像を彫りつづけていることは、かの大同石仏に立ち向う数万の人々の幻の描くものに等しいものがある。
 われわれは機械時代に、決しておびえるものではない。この機械の中に沈みつつある人類を、機械を貫いて、これを制する、健やかなる闘いに、今、正に私達は立向いつつあるといえるであろう。

底本:「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」てんびん社
   1972(昭和47)年11月20日第1刷発行
   1976(昭和51)年3月20日第2刷発行
初出:「土」
   1951(昭和26)年4月
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2007年11月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。