旅は二日道連は二人旅行道具は足二本ときめて十二月七日朝例の翁を本郷に訪ふて小春のうかれありきを促せば風邪の鼻すゝりながら俳道修行に出でん事本望なりとて共に新宿さしてぞ急ぎける。
きぬ/″\に馬叱りたる寒さかな
鳴雪
 暫くは汽車に膝栗毛を休め小春日のさしこむ窓に顏さしつけて富士の姿を眺めつゝ
荻窪や野は枯れはてゝ牛の聲
鳴雪
堀割の土崩れけり枯薄
雪の脚寶永山へかゝりけり
汽車道の一筋長し冬木立
麥蒔やたばねあげたる桑の枝
 八王子に下りて二足三足歩めば大道に群衆を集めて聲朗かに呼び立つる獨樂まはしは昔の仙人の面影ゆかしく負ふた子を枯草の上におろして無慈悲に叱りたるわんぱくものは未來の豐太閤にもやあるらん。田舍といへば物事何となくさびて風流の材料も多かるに
店先に熊つるしたる寒さかな
鳴雪
干蕪にならんでつりし草鞋かな
冬川や蛇籠の上の枯尾花
木枯や夜著きて町を通る人
兀げそめて稍寒げなり冬紅葉
冬川の涸れて蛇籠の寒さかな
 茶店に憩ふ。婆樣の顏古茶碗の澁茶店前の枯尾花共に老いたり。榾焚きそへてさし出す火桶も亦恐らくは百年以上のものならん。
穗薄に撫でへらされし火桶かな
 高尾山を攀ぢ行けば都人に珍らしき山路の物凄き景色身にしみて面白く下闇にきらつく紅葉萎みて散りかゝりたるが中にまだ半ば青きもたのもし。
 木の間より見下す八王子の人家甍を竝べて鱗の如し。
目の下の小春日和や八王子
鳴雪
 飯繩權現に詣づ。
ぬかづいて飯繩の宮の寒きかな
鳴雪
屋の棟に鳩ならび居る小春かな
御格子に切髮かくる寒さかな
木の葉やく寺の後ろや普請小屋
 山の頂に上ればうしろは甲州の峻嶺峨々として聳え前は八百里の平原眼の力の屆かぬ迄廣がりたり。
凩をぬけ出て山の小春かな
 山を下りて夜道八王子に著く。
 八日朝霜にさえゆく馬の鈴に眼を覺まし花やかなる馬士唄の拍子面白く送られながら八王子の巷を立ち出で日野驛より横に百草の松蓮寺を指して行くに、
朝霜や藁家ばかりの村一つ
冬枯やいづこ茂草の松蓮寺
鳴雪
 路に高幡の不動を過ぐ。
松杉や枯野の中の不動堂
 小山を※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)りて寺の門に至る。石壇を上れば堂宇あり。後の岡には處々に亭を設く。玉川は眼の下に流れ武藏野は雲の際に廣がる。
玉川の一筋ひかる冬野かな
鳴雪
 寺を下りて玉川のほとりに出で一の宮の渡を渡る。
鮎死で瀬のほそりけり冬の川
 府中まで行く道すがらの句に
古塚や冬田の中の一つ松
鳴雪
杉の間の隨神寒し古やしろ
鳥居にも大根干すなり村稻荷
小春日や又この背戸も爺と婆
 府中にてひなびたる料理やにすき腹をこやし六所の宮に詣づ。饅頭に路を急ぎ國分寺に汽車を待ちて新宿に著く頃は定めなき空淋しく時雨れて田舍さして歸る馬の足音忙しく聞ゆ。
新宿に荷馬ならぶや夕時雨
 家に歸れば人來りて旅路の絶風光を問ふ。答へていふ風流は山にあらず水にあらず道ばたの馬糞累々たるに在り。試みに我句を聞かせんとて
馬糞もともにやかるゝ枯野かな
馬糞の側から出たりみそさゞい
馬糞のぬくもりにさく冬牡丹
鳥居より内の馬糞や神無月
馬糞のからびぬはなしむら時雨
と息をもつがず高らかに吟ずれば客駭いて去る。

底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「日本」
   1892(明治25)年12月号
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
2003年5月27日作成
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